Archive for 11月, 2017

Date: 11月 2nd, 2017
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その2)

昨晩のaudio wednesdayは、飲み会だった。
喫茶茶会記で音を出すのは楽しい。
それと同じくらいに、喫茶茶会記を離れて、
美味しいものを食べながら飲んで、あれこれ話すというのも、実に楽しかった。

そこで、最近頻繁に鳴らしている「THE DIALOGUE」のドラムスの音は、
現実のドラムスよりも大きくないか、ときかれた。

私は決して大きくない、と思っている、と答えながら考えていたのは、
現実のドラムスよりも……、ということは、
現象の比較である、ということだった。

いわゆるナマのドラムスと再生音のドラムスの音量の違いとは、そういうことである。
物理現象としての比較である。

私はもっと音量を上げたい、と思っている。
それは比較ということでは同じであっても、心象の比較として、
もっと音量を求めるからだ。

昨晩も少し話したが、ほんとうに求めているのは音量の大きさではなく、
エネルギーの再現である。

心象の比較として私が最優先しているのは、エネルギーである。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その19)

長岡鉄男氏の信者と長岡教の信者とを、完全に同じと捉えるのは危険である。

日本にも世界にも、演奏家の名前のあとに協会とつく組織はいくつもある。
フルトヴェングラー協会とかワルター協会とか、である。

ずっと以前ある人がいっていた、
日本では協会がいつのまにか教会になってしまうところがあるから、
ぼくはそれがいやだから、どこの協会にも入らないんだ、と。

そういう傾向は、日本のクラシックの聴き手においては特に強いのかもしれない。
そんな感じがしていたから、その人の言葉に頷いていた。

教会は建造物でもあるが、
協会とともに教会は、ひとつのシステムでもある。

長岡教も、システムといえる。
長岡鉄男氏というオーディオ評論家を中心(教祖)とする組織(システム)である。

ただ、そのシステムが、長岡鉄男氏が自らすすんで組織したものか、
それとも周りの、長岡鉄男氏の信者たちが集まってつくりあげたものなのかは、
くわしいことは私は知らない。どちらなのだろうか。

長岡鉄男氏は、1987年に「方舟」と名付けられたリスニングルームを建てられている。
この方舟は、長岡教の信者にとっては、いわば「教会」として機能していたはずだ。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(菅野沖彦・保柳健 対談より・その2)

「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」での菅野先生の発言は、
レコード演奏という行為は、再生側だけの行為でなく、
録音側においても同じであることがうかがえる。
     *
菅野 録音するというのも、まず、自分の気に入った楽器で、気に入った演奏家でないと、全くのらないわけです。まあ、録音というのは、ある程度メカニックな仕事ですから、のらなくても、それは仕事が全然できないという意味ではないのですが、わがつまかもしれていが、我慢できないのです。
保柳 あなたの場合、録音するということがプレイするというような……。
菅野 それなんですよ。甚だ失礼ないい方をしますとね、演奏家を録音するというのと違うんですね。誤解されやすいいい方になってしまうのですが、録音機と再生機を使って自分で演じちゃうようなところがあるのです。
保柳 やはりね。どうもそんな感じがしていたのです。菅野さんは、おそらく、そういう録音をして作ったレコードにたいへんな愛着を持っているのではないですか。
菅野 それはね、実際にそこで演奏しているのは演奏家なのですけれど、自分の作ったレコードは、あたかも自分で演奏しているような、つまり演奏家以上に、私の作ったレコードに愛着を持っているんではないかと思われるくらいなんです。
     *
ステレオサウンド 47号に掲載されているから、いまから39年前のことであり、
菅野先生もまだレコード演奏家論を発表されていなかった。

「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」という対談は、
当時読んだときよりも、いま読み返した方が、何倍もおもしろく興味深い。

保柳健氏については、47号掲載の略歴を引用しておく。
     *
 文化放送ディレクターとして出発。各種番組に手をそめ、後に独立。わが国で初めての放送音楽プロダクション:を創設。音楽中心に、ルポからドラマまで幅広い番組制作を行う。現在はフリーのプロデューサーであり、ライターである。氏と同年代で、常になんらかの係り合いを持ってきた人たちに、菅野沖彦氏、レコード・プロデューサー高和元彦氏、オーディオ評論の若林駿介氏などがいる。保柳師の言葉をかりれば、「われわれはどういうわけか、現場から離れられない」。と、いう昭和ひとけた生まれである。
     *
「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」がおもしろいのは、
保柳氏だから、ということが大きい。

録音という仕事を長年されながらも、
菅野先生と保柳氏は、立ち位置の違いがはっきりとあることが、
「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」を読んでいくとわかるし、
その違い(コントラスト)があるからこそ、
菅野先生の録音へのアプローチが、はっきりと浮び上ってくる。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その18)

話はそれてしまうが、信者ということで思い出したことがある。
2001年だったか、audio sharingを公開して一年ほど経ったころにメールがあった。

メールには、なぜ高城重躬氏の文章を公開しないのか、とあった。
その理由を返信した。
すぐさま返信があった。

怒りのメールであった。
けしからん、とあった。

メールの主は、audio sharingをオーディオ協会がやっているものと勘違いされていた。
そして、高城重躬氏はHi-Fiの神様なのだから……、とつづられていた。

高城重躬氏の信者だったのだろう。
そう思ったけれど、高城教の信者、とは思わなかった。

高城重躬氏の信者ということでは、五味先生も一時期そうだった、といえる。
     *
 あれは、昭和三十一年だったから今から十七年前になるが、当時、ハイ・ファイに関しては何事にもあれ、高城重躬氏を私は神様のように信奉し、高城先生のおっしゃることなら無条件に信じていた。理由はかんたんである。高城邸で鳴っていたでかいコンクリートホーンのそれにまさる音を、私は聴いたことがなかったからだ。経済的に余裕が有てるようになって、これまでにも述べたように、私も高城邸のような音で聴きたいとおもい(出来るなら高城邸以上のをと、欲ばり)同じようなコンクリートホーンを造った。設計は高城先生にお願いした(リスニング・ルームの防音装置に関しても)。
(「オーディオ愛好家の五条件」より)
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五味先生と高城重躬氏の関係のその後のことについては、ここでは書かない。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その10)

ヴァイタヴォックスについて書いてきていて、やっと気づくことがあった。

瀬川先生がステレオサウンド 47号に書かれていることだ。
47号(1978年夏)だから、40年ほど前のことの真意が、やっとわかったような気がした。
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コーナー型オールホーン唯一の、懐古趣味ではなく大切に残したい製品。
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短い文章だ。
ほんとうにそうだ、と首肯きながら読める。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その17)

facebookで、五味康祐氏の信者を自認している人がいる、というコメントがあった。
それはそうだろう、と思う。

私は(その16)で、
五味教なんてものはないし、五味教の信者とも思っていない、と書いた。

五味先生の信者を自認している人は、どういう人なのかは知らない。
けれど、五味教の信者を自認しているわけではないはず、と思う。

五味先生の信者なのか、五味教の信者なのか、
五味先生に関心のない人にとっては、どちらも同じじゃないか、となるかもしれないが、
「教」がつくかつかないかは、無視できない違いである。

長岡鉄男氏の熱心な読者のすべてが、長岡教の信者なわけではないはずだ。
熱心な読者もいれば、長岡鉄男氏の信者の人もいるだろうし、
長岡教の信者もいる。

私にしても、傍からみれば、五味先生の信者じゃないか、と思われているかもしれない。
五味先生の書かれていることを、一から十まですべて盲目的に信じるのが信者であろう。
別項「耳の記憶の集積こそが……」で書いているように、
くり返しくり返し読むことで(その音を聴くことは叶わないから)、
五味先生の耳の記憶を継承しようとしている。