私が読みはじめたころの無線と実験には、毎号、見開き二ページで、
全国のジャズ喫茶の訪問記事が載っていた。
ここはぜひ行ってみたい、と思った店、
機会があれば……、と思った店、あまりピンとこなかった店……、
そんなふうにして眺めながら読んでいた。
その時代のジャズ喫茶のスピーカーといえば、JBLとアルテックが圧倒的だった(と記憶している)。
パラゴンが当り前のように登場していた。そんな時代だった。
私が育った田舎にはジャズ喫茶はなかった。
あっとしても、中学生、高校生が一人で行けるとは思っていなかった。
東京、大阪といった大都市では、
中学生ひとりでジャズ喫茶に行く、ということは実際にあったかもしれない。
でも田舎にはそんな雰囲気はみじんもなかった。
ふつうの喫茶店でも中学生、高校生がひとり、もしくは友人といっしょに、ということはなかった。
そういう環境で育ったものだから、東京に出て来たからといって、
すぐにジャズ喫茶に行けなかった。
行きたい気持はあったけれど、どこかしり込みする気持があり、強かった。
それに学生で余裕があったわけでもなく、それを言い訳のひとつにしていたところもある。
そうこうしているうちに、ジャズ喫茶全盛時代は静かに終りに向っていた(と感じた)。
昭和から平成にうつり、ジャズ喫茶は昭和の遺物的な空気をまとっていたようにも感じたのかもしれない。
きちんと数えたわけではないが、東京においてジャズ喫茶は少なくなっていった。
でも、その空気が十年ほど前から静かに変って来つつあるようにも感じている。
ぽつぽつとジャズ喫茶が開店している。
あの当時のように繁盛ぶりはないようだが、継続している。
昭和が終り平成が始まり、
20世紀が終り21世紀が始まり、
ジャズ喫茶のありかたも、それぞれの店主が模索しながら変化しているはずだ。
私が毎月第一水曜日にaudio sharing例会を行っている喫茶茶会記は、
私の中ではジャズ喫茶という認識である。
喫茶茶会記の常連でも、ジャズ喫茶と認識している人はそう多くはないのかもしれない。
それでも、私はジャズ喫茶と認識しているから、
必ず「四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記」と書くようにしている。
喫茶茶会記の店主は福地さん、という。
私よりひとまわり若い世代だ。
その彼が、7月30日に四谷のいーぐるで「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」を行う。
老舗のジャズ喫茶で、若い世代のジャズ喫茶の店主が「これからのジャズ喫茶」について語る。