Archive for category High Resolution

Date: 4月 2nd, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その13)

ステレオサウンド 226号がKindle Unlimitedで読めるようになっている。
特集のハイレゾオーディオ2023について書く前に、
新製品紹介で、CHプレシジョンのC1.2のことについて触れておく。

三浦孝仁氏が担当で、
本文中には《本機ではMQAにフル対応していることも大きなトピックといえよう》とある。

けれど続く音についてのところでは、MQAの音についてはまったく触れられていない。
《大きなトピック》だったら、なぜMQAの音について触れないのか。

MQAの音について触れないのであれば、
《本機ではMQAにフル対応していることも大きなトピックといえよう》
と書かなければいい──、個人的にはそう思うのだが。

《本機ではMQAにフル対応している》、そこで終っているだけでいい。
《大きなトピックといえよう》とある。
なのに、実際のMQAの音がどうだったかについて、三浦孝仁氏は一言も書かれていないのをみると、
もしかするとステレオサウンド編集部がMQAを封殺しようとしている──、
そんなふうに勘ぐってしまう。

三浦孝仁氏はMQAの音について書きたかったのかもしれない。
けれどステレオサウンド編集部から、触れるな、というお達しがあったのか。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、否定する人のこと(その5)

昨年8月に、別項でHDtracksが、MQAを取り扱うようになったことを書いている。
HDtracksを利用したことがないので知らなかったのだが、
MQAが登場したばかりのころ、HDtracksはMQAを取り扱っていた。

けれどHDtracksのエンジニア(たぶんノーマン・チェスキーのことなのだろう)が、
途中でMQAの評価を変えてしまい、扱わなくなった、とのこと。

それが昨夏、ふたたびMQAを取り扱うようになったということは、
そのエンジニアがMQAの評価をまた変えた、ということなのだろうか。

前回、そして今回、なぜ変えたのか。
その理由は何も知らない。

けれど、それでいい。
MQAを扱うところが増えてくる。
それだけでいい。

Date: 3月 29th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その21)

TIDALという巨大な書店を楽しむには、
そしてうまく使いこなすには、roonが必要と考える。

roonについての説明は省く。
このブログを読んでいる人は、当然のことなのだが、
インターネットを使っているわけだし、roonについて調べるのは難しいことではない。

先日、roonを購入した。
roonの支払いは、月払い、年払い、そして買い切りが用意されている。
今回、買い切り(829.99ドル)で支払った。

去年まで699.99ドルだった。
値上げ前に、と考えていたけれど、あれこれあって値上げ後になってしまった。

安いにこしたことはない。
現在の為替レートでは、十万円を超える。
十万円ちょっとあれば、あれが買えるのではないか──、
そんなことをつい思ってしまうけれど、今回のroonの買い切りを後悔はしていない。

roonの音がみすぼらしく聴こえてしまうほど、
素晴らしい再生アプリケーションが今後登場してくるかもしれない。

そうなったらなったで、再生には、音のよいアプリケーションを使う。
けれど、そのアプリケーションがTIDALを検索していくのに最適なものかどうか、
それはなんともいえないことだし、roon独自のデータベースは一朝一夕に構築できるものではない。

それに今後ずっと買い切りが用意されるという保証もどこにもない。
月払い、年払いだけになる可能性も考えられる。

Date: 3月 26th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その12)

(その11)に、facebookにコメントがあった。
ゾノトーンのツイートへのリンクがあった。

そのゾノトーンのツイートは知っていた。
どんな内容かといえば、オーディオアクセサリーを購入する際、
頼りにする情報源は何か、というアンケートである。

結果は、
メーカー発信情報が11%、
オーディオショップ意見が13%、
オーディオ雑誌社の記事が6%、
その他インターネット情報が70%、
である。

メーカー発信情報もインターネットでのことだろうから、
その他インターネット情報とあわせると81%となる。

オーディオ雑誌は、わずか6%である。

このリンクを投稿された方も指摘されているが、
この結果は、ソーシャルメディア上でのものだから、
この数字をそのまま鵜呑みにはできない面もある。

それでもインターネット上の情報を頼りにする人は、かなり多いとはいえよう。
だから、現実にはオーディオ雑誌は読まれていない、
だから封殺も何もない──、とコメントにはあった。

コロナ禍前だったら、今回のコメントにかなり同意しただろうが、
コロナ禍を経て、オーディオマニアのインターネットの活用の具合を、
少しばかり知ることで、実際はけっこう違っている、という認識をもつにいたっている。

ゾノトーンのアンケートは、比較的若い世代の方によるものだろう。
一方、ステレオサウンドの読者の年齢層は、60代より上である。

Date: 3月 24th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その11)

(その10)に、facebookにコメントがあった。
とりあげないということには封殺するという意図を感じることがある、というものだった。

同じことは感じていた。

MQAのことを肯定も否定もしない。
ただとりあげないだけ。
つまり封殺したいのだろう、と。

仮にそうだとして、ほんとうに封殺できると編集部(編集者)は考えているのか。
昔のステレオサウンドだったら、もしかした、そんなこともできたかもしれない。
けれど、いまのステレオサウンドができるだろうか。

それに、いまはインターネットが普及して、ソーシャルメディアもまた普及している。
そういう時代においては、もう無理なはずだ。

いまのところ、日本ではTIDALのサービスは開始されていない。
日本でMQAを聴くには、MQA-CDを買ってくるか、
e-onkyoで購入・ダウンロードするくらいしかない。

けれどTIDALが始まったら──。
MQAのデコード機能をもつD/AコンバーターやCDプレーヤーを持つ人は、
TIDALでMQAが聴けるのなら、試しに聴いてみようか、と思うことだろう。

MQAのコアデコードの音だったり、フルデコードの音であったりする。
フルデコードの音を聴いた人ならば、なにかを感じるはずだ。

聴いた人すべてが、MQAを肯定するとはかぎらない。
やっぱりMQAなんて──、という人もいるけれど、
MQAって、いいな! と感じる人もいる。

TIDALが日本で始まる、
つまりMQAでさまざまなアルバムを聴けるようになったとき、
ステレオサウンドのMQA無視のやり方に疑問をもつ人も現れる。

Date: 3月 23rd, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その10)

編集者(編集部)には、記事をつくらない(とりあげない)自由があるといえば、そういえる。
だからステレオサウンド編集部がMQAをとりあげないのも、
それは編集部の自由といえばそうである。

三年ほど前に、逆木 一氏のブログのことを書いた。
逆木 一氏はアンチMQAである。
自身のブログで、「さよなら、MQA」を公開されている。

「さよなら、MQA」を読んで、どうおもうのかは、その人次第だ。
逆木 一氏の意見に、まったく同感という人もいるだろうし、
こういう意見の人もいるだろうな、とおもう人、
MQAの肯定している人からすれば、なにかいいたくなるか、
もしくは黙っておこう、とおもったのかもしれない。

逆木 一氏を、「さよなら、MQA」をどう読むか、その評価とは別に、
ステレオサウンドの態度と逆木 一氏の態度は、大きく違うことだけは認めている。

逆木 一氏は、きちんと自身の意見・立場を表明している。
それすらせずに、ただただ無視していくだけのオーディオ雑誌がステレオサウンドであることが、
ステレオサウンドはずいぶん変質してしまったなぁ……、とおもわせる。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その9)

ステレオサウンド 226号をすでに読んだ友人によると、
今号もステレオサウンドはMQAを無視なのだそうだ。

特集のハイレゾオーディオ2023に登場する機種のなかにはMQA対応モデルがある。
にも関わらずMQAを無視するということは、
ステレオサウンドの試聴テストの方針として、
そのモデルの機能をチェックするということは優先度としては低い、ということになる。

MQA対応モデルを取り上げておきながら、MQAの音について何も触れないということは、
そういうことである。

そこまでしてMQAを無視するというのは、
現編集長の染谷 一氏の意向なのか、
それともステレオサウンドの執筆者の何人かが、そうなのか。
もしくは両者なのか、そのへんのところはわからないが、
MQAは無視するということだけははっきりしたといえる。

それはそれでもいいのだが、ならば、なぜ、その理由を述べないのだろうか。
何も触れずに無視するだけ。
悪手でしかないような気がする。

Date: 3月 2nd, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その8)

今日(3月2日)発売のステレオサウンド 226号の特集は、
ハイレゾオーディオ2023である。

まだ読んでいないのだが、MQAは、この特集で取り上げられているのだろうか。

Date: 2月 5th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その7)

どうもステレオサウンドは、MQAについては無視か、
冷たい扱いの方針のようだ。

その1)で、
ベストバイの特集で、CDプレーヤーの写真には、CD、SACD、といった対応メディアの記載があるが、
MQAは、ないと書いているが、このことは一年経っても同じである。

225号のベストバイでも、MQA対応機種のところに、MQAの文字はない。

新製品紹介記事で、テクニクスのSL-G700M2が取り上げられている。
山之内 正氏が担当されている。

2ページの記事なのだが、山之内 正氏の文章中だけでなく、
スペックのところにも、写真の説明文のところにも、MQAの文字はまったくない。

MQAに対し、ステレオサウンドは否定的な立場なのだろうか。
それはそれでかまわないのだが、
ならばMQAを認めない理由をきちんと説明したらいいのではないのか。

Date: 1月 17th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その20)

その19)でも書いているように、
音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人が、少なからずいる。

そういう人たちは、大人ならば大人らしい音楽の聴き方をすべき──、
そんなことをいってきそうだ。

パッケージメディアにこだわって音楽を聴くのが、
ほんとうに大人らしい音楽の聴き方なのだろうか。
それしか大人らしい音楽の聴き方はないのだろうか。

安き(低き)に流れるのは、大人らしい音楽の聴き方ではない、と私も思う。
だからといって、TIDALで音楽を聴くことが安き(低き)に流れた音楽の聴き方、
大人らしくない音楽の聴き方とは、まったく感じていない。

むしろ、パッケージメディアにこだわりすぎてしまうことで、
新しい聴き方に関心の目(耳)を向けようとしない聴き方こそ、
大人らしくない音楽の聴き方ではないのか。

こだわるということは、一種の甘えだったり、楽であることに陥ってしまう。
こだわることがすべてそうだとはいわないが、
自分の殻に閉じ籠もってしまうことのいいわけにしか聞こえないことがあるのも事実だ。

大人らしい音楽の聴き方は、どういうメディアで聴くか、ということで決ることではない。
その先にあることのはずだ。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、映画のこと

これまでサウンドトラック盤はあまり熱心に聴いてこなかったけれど、
TIDALを使うようになってからは、わりと聴くようになってきている。
MQAで聴けるサウンドトラック盤も多い、といえる。

MQAでサウンドトラック盤を聴いていて思うことがある。
映画館の音もMQAになってほしい、ということだ。

映画館の音といえばドルビーである。
そのドルビーとどう折り合いをつけていくのか(いけるのか)。
そのことは大変なことなのだろうが、
MQAとドルビーの融合は、技術的に難しいことがあるのだろうか。

映画館の音が、より生々しく臨場感溢れることを期待してしまう。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その19)

トーマス・スタンコの“Terminal 7”も、TIDALで聴ける。
すぐに聴ける。

この、すぐに聴ける、ということが、
聴き手としてのこちらの積極性にすこしばかりを影響を与えている。

すぐに聴ける、ということがなければ、
“HOMELAND”をどれだけ見ようと、曲を検索することはしなかったのだから。

“HOMELAND”はシーズン5まで見ているから、
トーマス・スタンコの“Terminal 7”は七十回は聴いているわけだ。

にもかかわらず、昨晩まで検索してこなかったのは、
すぐに聴けないこと、
それからCDをさがして買ってきてまで聴こう、というつもりはなかったこと、
この二つのことがあってそのままにしていた。

そんな怠惰な聴き手であっても、TIDALがあると、少しは変ってくる。
シーヴ・ヤコブセンとトーマス・スタンコを、昨晩は知った。

TIDALを使っていなければ、おそらくこのままずっと知らなかったであろう。

音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人がいまも少なからずいるはわかっている。

否定したい人は、否定すればいい。
TIDALで配信されている音楽のすべて、とまではいわないものの、
大半を所持している人ならば、そういうことをいうのも自由だ。

けれど、どんなに音楽好きの人であっても、
TIDALで配信されている音楽の、いったい何割を持っているというのだろうか。

TIDALにすべてがあるわけではない。
けれど、それはTIDALしか使わないということではない。
TIDALを使って聴くのもよし、CDやLPで聴くのもいい。

物理的なメディアがないことを、味気ないとか空虚とかいってしまうことの、
聴き手としての不自由さというよりも、消極的なところに留まってしまっていること。

そのことに対して、何も感じないのは、音楽の聴き手としてどうだろうか。
こういう聴き手は、なぜか、どちらか片方だけで論じてしまうところがあるよう気がする。

どちらも選べるのだから、妙なこだわりを捨ててしまえばいいのに──、
けれどそれができないから、味気ないとか空虚とかいってしまうのか。

そして、このことは、別項で書いている老成ぶるにも関係してくるように感じている。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その18)

ホイットニー・ヒューストンの映画だから、
劇中に彼女が主演の映画「ボディガード」のことも描かれている。

オリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”と同じように、
ホイットニー・ヒューストンの“I Will Always Love You”も、
ホイットニー・ヒューストンのための曲だと、ずっと思っていた。

映画を観て、この曲もドリー・パートンだったのか、と知った私は、
年が明けたのだから、いままで聴いたことのない曲を聴いてみよう、ということで、
ようやくドリー・パートンの“Jolene”を聴いた。

TIDALにあったから、聴いたともいえる。
ドリー・パートンの“Jolene”を聴きながら、
最初に聴いたのがオリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”でよかったなぁ──、と思いながら、
オリビア・ニュートン=ジョン以外にもカヴァーしている人は、どんな人なのだろううか、と、
今度はTIDALで“Jolene”で検索する。

けっこう表示される。
その中で、気になったのが、
Siv Jakobsen(シーヴ・ヤコブセン)というノルウェーの女性歌手のライヴアルバムだ。
“Live in Oslo”で、TIDALで聴ける。

五曲目の“Jolene”をまず聴いて、それからアルバムの最初から聴いていた。
聴きながら、そういえば、と思い出したことがあった。

「ホームランド(HOMELAND)というアメリカのドラマだ。
2011年にシーズン1が放送され、日本ではHulu、Netflixで見ることができた。

クレア・ディーンズ主演の、このドラマにはハマった。
音楽もよかった。

最初聴いた時、マイルスっぽいと感じたトランペットを中心とした曲は、
このドラマの雰囲気にぴったりとはまっていた。

この曲を聴くと、“HOMELAND”の世界に引き込まれていく感じでもあった。
とはいえ、当時、誰の演奏なのかを調べることまではしなかった。

2011年のことだから、Googleで検索すれば、すぐに誰の演奏で、曲名もすぐにわかっただろう。
でも、それをやらなかったのは、わかっても、そのディスクを買うのかといえば、
買わないことは自分でわかっていたからだ。

それでも、昨晩は“Live in Oslo”を聴いていて、そうだ、と検索してみた。
トーマス・スタンコ(Tomasz Stańko)の“Terminal 7”である。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その17)

三年ほど前の別項で触れている同級生だったT君。
オリビア・ニュートン=ジョンが歌う「ジョリーン(Jolene)」を聴いたのは、
彼の家のステレオだった。

T君は、そのころオリビア・ニュートン=ジョンにのぼせあがっていた。
T君の家に遊びに行った際に、彼が聴かせてくれたのが最初だった。
1976年か77年ごろの話だ。

T君はシングル盤ではなくLPを買っていた。
「水のなかの妖精(Come on Over)」だ。

当時、中学生だった私には、このジャケットはなかなか刺戟的でもあった。
T君が自慢げ顔つきで聴かせてくれた“Jolene”は、よかった。
サビの部分を口ずさむようになっていた。

とはいえ最初聴いたとき、恋の歌なのはわかっても、
ジョリーンを男性の名前だと思って聴いていた。
歌詞カードを見せてもらって、女性の名前だということを知る。

このころ、“Jolene”はオリビア・ニュートン=ジョンのためにかかれた曲だと思ってもいた。
ドリー・パートンの曲だと知ったのは、十年ほど経ってからだった。

その時、ドリー・パートンによる“Jolene”をすぐさま聴いたかというと、まったくそうではなかった。
聴いたのは、今年になってからだ。

去年暮れ最後に、
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」を観たからだった。

Date: 11月 18th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(MQairのこと・その2)

つい先日、BOSEのSoundLink Revolve IIを聴いた。
個人宅の広いリビングルームのほぼ中央に置かれてあるのを、なんとなく聴いていた。

これが、悪くない音を聴かせてくれる。
一台だけなのでモノーラルで鳴っているのだが、なんとなく聴いていると、
水平方向無指向性ということがうまく効いていて、けっこう拡がってきこえてくる。
音量はBGMとして、会話の邪魔にならないくらいだから、大きかったわけではない。

それでもふとした拍子に、いいかも、と思えるくらいには鳴っていた。

もしこのSoundLink Revolve IIがMQairに対応したらどうなるのだろうか。
そんなことも想像しながら聴いていた。

BOSEがMQairに対応するのかどうかはいまのところなんともいえないが、
他社のスマートスピーカーで対応してくるモデルは、いくつか出てくるであろう。

オーディオマニアは、ついこんなモノ……、と捉えがちになるが、
もうあなどれない時代になってきている。
しかもMQairは、確実に底上げしてくれる。

そういう時代になったときのことを、少しは想像してほしい。
いろんなことを想像してみてほしい。