Archive for category ジャーナリズム

Date: 5月 8th, 2019
Cate: ジャーナリズム

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その9)

わかりやすさを求めることの弊害、
それを提供する弊害について考えていると、
わかってもらえている、という思い込みがあるような気がしてくる。

誰かにわかってもらいたい──、
こんなに努力しているのに、
こんなにさまざまな知識を身につけているのに、
なのに誰も(自分を)評価してくれない、わかってくれない──。

何を発言する、何かを行動する。
けれど周りの反応が薄いか、返ってこない。
どこか冷たい視線のようなものすら感じることがある。
いたたまれなくなってくる。

そんな場からは足が遠のいていく。

そういう場もあれば、
何か発言すれば、何か行動すれば、
すごいですね、とか、教えてください、とか、
そんな反応が周りから返ってくる場がある。

どちらの場を選ぶか。
ほとんどの人が後者の場を選ぶだろう。

けれど──、と考える。
ほんとうに前者の場の人たちは、そういう人たちなのか、と。
そして後者の場の人たちは、表面的に、そういう反応をしているだけではないのか、と。

前者の場は、いたたまれなくなるだろう。
それでも、ほんとうにその場にいる人たちは、あなたをまったく見ていないのか。
実は、きちんと見てくれているのかもしれない。
あなたはとても未熟なのかもしれない。
その上で、あまやかすことなく、突き放すような態度をとっているのかもしれない。

後者の場は、居心地はいいだろう。
それはほんとうの意味での居心地のよさなのか。
ぬるま湯にいつのまにかどっぷり浸かってしまっていた、
しかもそのぬるま湯は、ひどく濁っているのかもしれない。

なのに、わかってくれている──、そういう思い込みがあって、
わかってほしい、という欲求から、
前者の場を離れて後者の場を選んでいたら……

どちらを選ぶかは、その人の自由である。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その57)

オーディオの想像力の欠如した耳は、人間のこころの機能を無視しがちだ。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その56)

オーディオの想像力の欠如した耳は、時代の忘れ物に気づくことはない。

Date: 3月 3rd, 2019
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その12)

その11)は六年前。
そんな前のことの続きを書こうという気になったのは、
ステレオサウンド 210号の告知を見たからだ。

210号の発売日は二日後だから、内容ではなく、
記事のタイトルのつけ方を見ただけにすぎないのだが、
第二特集の「達人が明かすHi-Res再生の実践テクニック」、
このタイトルを見て、「あったもの、なくなったもの」を、いままで以上に実感した。

3月5日の発売日に210号を読んでみれば、
もしかすると、タイトル通りの内容の記事だな、と思うかもしれない(まぁ、ないと断言できるが)。

そうだとしても、このタイトルの薄っぺらさ。
薄ら寒い影のようなものを感じた。

これは、ずっと以前のステレオサウンドにはなかったものである。
なかったものが、いまはある。

それは以前のステレオサウンドにあったものがなくなったからなのだろう。

これまでは、ステレオサウンドがよくなってくれるかもしれないというわずかな期待をもっていた。
もっていたからこそ、厳しいことを書いてきた。

けれど、いよいよまったく期待できなくなってしまうような気がしている。
だから、薄ら寒い影のようなものを感じたのかもしれない。

Date: 3月 2nd, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(補足)

その1)を四年前に書いた。
(その2)からは、書き出しは「オーディオの想像力の欠如」としている。

(その1)以外は一行か二行しかない。
読まれた方は、きちんと説明してほしい、と思われるだろう。
私が読み手だったら、そうおもう。

「オーディオの想像力の欠如が生むもの」は、
私が、その時その時に感じた、いわば怒りの備忘録でもある。

いずれ、それぞれについて、きちんと書くつもりでいる。

Date: 3月 1st, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その55)

オーディオの想像力の欠如した耳は、本能的でもない。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その54)

オーディオの想像力の欠如した耳は、ただただオーディオを消費・消耗させていくだけ。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その53)

オーディオの想像力の欠如した耳は、客観的でないだけでなく主観的でもない。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その52)

オーディオの想像力の欠如した耳ほど、白黒つけたがる。

Date: 2月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その51)

オーディオの想像力の欠如した耳は、「遊び心」を持っていないし、持てない。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その50)

オーディオの想像力の欠如した耳には、音への愛、音楽への愛はない。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その49)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音楽の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その48)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その47)

オーディオの想像力の欠如した耳は、音ありき、ということすら忘れてしまうようだ。

Date: 2月 27th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その46)

オーディオの想像力の欠如した耳は、情報量、情報量とバカのひとつ憶えのようにくり返すだけ。