情報・情景・情操(その1)
恥じらいのないその光は、素顔の隅々まであからさまにする──
かわさきひろこ氏は書かれている。
「あからさま」と「あきらか」とでは,明らかに、言葉の持つ意味合い、与える印象がはっきりと異る。
音の情報量をすこしでも精確に、すこしでも多く再生したいとのぞむとき、
恥じらいを失っていては、あからさまにしていくだけになりはしまいか。
恥じらいのない行為──、愛のない行為でもあろう。
川崎先生は、3つの言葉を掲げられる。
「いのち、きもち、かたち」もそうだし、「機能、性能、効能」もそうだ。
川崎先生に倣い、「情報」について考えるとき、あと2つの言葉を考えてみた。
ひとつは「情景」。これはすぐに出た。
もうひとつはなにか……。
しばらく考えて思いついたのは、「情操」だった。
他の言葉が、もっとぴったりはまるかもしれない。
だとしても、情報量について、これから書いていくとき、
「情報・情景・情操」をもとに考えていくつもりだ。