Archive for category 情景

Date: 11月 14th, 2008
Cate: 情景, 言葉

情報・情景・情操(その1)

恥じらいのないその光は、素顔の隅々まであからさまにする──
かわさきひろこ氏は書かれている。

「あからさま」と「あきらか」とでは,明らかに、言葉の持つ意味合い、与える印象がはっきりと異る。

音の情報量をすこしでも精確に、すこしでも多く再生したいとのぞむとき、
恥じらいを失っていては、あからさまにしていくだけになりはしまいか。
恥じらいのない行為──、愛のない行為でもあろう。

川崎先生は、3つの言葉を掲げられる。
「いのち、きもち、かたち」もそうだし、「機能、性能、効能」もそうだ。

川崎先生に倣い、「情報」について考えるとき、あと2つの言葉を考えてみた。
ひとつは「情景」。これはすぐに出た。
もうひとつはなにか……。
しばらく考えて思いついたのは、「情操」だった。

他の言葉が、もっとぴったりはまるかもしれない。
だとしても、情報量について、これから書いていくとき、
「情報・情景・情操」をもとに考えていくつもりだ。

Date: 11月 2nd, 2008
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その2)

五味先生の著書「五味オーディオ教室」でオーディオの世界に入った私にとって、
冒頭でいきなり出てきた「肉体のない音」という表現は、まさしく衝撃的だった。

演奏家の音をマイクロフォンで拾って、それを録音する。
そしていくつかの工程を経てレコードになり、聴き手がそれを再生する過程において、
肉体が介在する余地はない、と五味先生も書かれている。

けれど、鳴ってきた音に肉体を感じることもある、とも書かれている。

「肉体のある音」とはどういう音なのか。

ほとんど経験というもののない中学生は、リアリティのある音、
ハイ・フィデリティという言葉があるのなら、ハイ・リアリティという言葉があっていいだろう。
そんなふうに考えた。

いま思えば、なんと簡単に出した答えだろう、と。
けれど、それからずっと考えてきたことである。

Date: 11月 1st, 2008
Cate: LS3/5A, 五味康祐, 情景

情景(その1)

LS3/5Aを情緒的なスピーカーと表現したが、
すこし補足すると、歌の情景を思い浮ばせてくれるスピーカーといいたい。

クラシックを聴くことが圧倒的に多いとはいえ、やはり日本語の歌が無性に聴きたくなる。
だからといって、J-Popは聴かない。歌(言葉)が主役とは思えない曲が多いようにも感じるし、
すべてとは言わないが、歌詞に情緒がない、情景が感じられないからである。

いいとか悪いとかではなく、中学・高校のときに聴いてきた日本語の歌が、
もっぱらグラシェラ・スサーナによる、いわゆる歌謡曲で、それに馴染みすぎたせいもあろう。

「いいじゃないの幸せならば」「風立ちぬ」(松田聖子が歌っていたのとはまったく違う曲)
「夜霧よ今夜も有難う」「別に…」「粋な別れ」など、まだまだ挙げたい曲はあるが、
スサーナによるこれらの歌を聴いていると、なにがしかの情景が浮かぶ。

だがどんなスピーカーで聴いても浮かぶわけではない。
目を閉じて聴くと、間近にスサーナのいる気配を感じさせる素晴らしい音を聴いたからといって、
必ずしも情景が浮かぶわけではない。
すごく曖昧な言い方だが、結局、聴き手の琴線にふれるかどうかなのだろう。
まだ他の要素もあるとは思っている。

だから私にとって、情景型スピーカーであるLS3/5A(ロジャースの15Ω)が、
他の人にとっては、なんてことのないスピーカーと感じられるかもしれない。

そして五味先生の文章にも情景を感じられる。
そして、この「情景」こそが、
五味先生が言われる「肉体のある音」「肉体のない音」につながっていくように思えてならない。

まだまだ言葉足らずなのはわかっている。
追々語っていくつもりだ。

Date: 9月 22nd, 2008
Cate: 情景

変らないからこそ

さっき、ふと思いたって検索してみたら、
通信販売のみで、グラシェラ・スサーナのCD5枚組が、7月に発売されているのを見つけた。
「アドロ」「サバの女王」など、これまで何回もCD化された曲ももちろん含まれているが、
やっとCD化された曲も多く、ためらうことなく購入した。

昨年5月、20年以上ぶりで、グラシェラ・スサーナのコンサートに行った。
最初にグラシェラ・スサーナの歌を聴いたのが、中学2年の秋で、
翌年、はじめてコンサートにも行った。
フルトヴェングラーよりもグールドよりも、ケイト・ブッシュよりも長く聴いている。

去年のコンサート時、スサーナは54歳、私がはじめて聴いた時は24歳、
30年の歳月とともに体重も増えて、髪の毛の色もずいぶんかわって、
むかしのかわいらしさは、どこに行ってしまったんだろう……
と失礼なことを思いながら聴いていた私の耳に届いていたのは、
30年前とほとんど変わらぬ歌であった。

変わらぬから、安心して聴ける、懐かしい、ではなく、新鮮だった。

目まぐるしい変化のなかでは、
変わらぬことの新鮮さ、変わらないからこそ新鮮、ということを、
グラシェラ・スサーナの歌は教えてくれた。