言いたいこと
インターネットでは匿名がある程度ある。
だから五味康祐先生、瀬川冬樹先生について書かれているものの中に、
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。
書いている内容が古い、と書く。
でも、そういう人たちが言っているのは、
おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。
私にいわせれば、内容が古いわけではない。
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。
そして、功罪がある、とも書く。
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。
それでいいと思う。
だからこそ、繰り返し読むのである。
これも言っておきたい。
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、
ステレオサウンドは存在していない。
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。