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Date: 9月 19th, 2008
Cate: 使いこなし

木村伊兵衛か土門拳か

5月29日発売の週刊文春に掲載されている福田和也氏の 
「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」は、 
オーディオについて考えるヒントを与えてくれる(以下引用)。 
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土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。
 ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略)
 一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。 
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オーディオにも不如意なところは数多く存在する。それをどう捉えるか、どう処理するのか。 
木村伊兵衛スタイルの人もいるだろうし、土門拳スタイルの人もいるだろう。

どちらがいい悪いではない。