Date: 9月 11th, 2016
Cate: きく
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感覚の逸脱のブレーキ(その3)

ここでのタイトルは「感覚の逸脱のブレーキ」である。
つまり感覚の逸脱をすべて否定しているわけではなく、
むしろ感覚の逸脱を怖れることはないし、
さらにいえば積極的に感覚の逸脱を行う(試みる)ことも必要だと考えている。

そのうえで感覚の逸脱の「ブレーキ」が必要となる──、という考え方である。
ブレーキがあるからこそ、信頼できるブレーキがあれば、
感覚の逸脱も逸脱しすぎるということはない。

逸脱しすぎてしまうことの怖さは、
逸脱していることを意識しなくなる(感じなくなる)ことではないだろうか。

録音・再生の約束事を無視して感覚の逸脱という暴走に、ブレーキをかけることをしない。
どんどんと逸脱していってしまう。
そういう実例を知っているからこそ、この項を書いている。

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