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Date: 5月 13th, 2024
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その12)

四日前の5月9日、
ノイズキャンセリングできる「遮音カーテン」が登場』というニュースが目についた。

詳しいことはリンク先を参照していただきたいが、
やっとこういうモノが実用になる時代が来た、と思いながら読んでいた。

このノイズキャンセリングが可能な遮音カーテンの性能が向上すれば、
外から入ってくるノイズをキャンセリングするだけでなく、
部屋の中の音までもキャンセリングしてくれるようになる。

つまり疑似的な無響室が作れるようになるだろう。

そして私がいちばん期待していることは、その一歩先であり、
遮音カーテンが新たな残響を作り出してほしい、ということだ。

疑似的な無響室が可能になれば、
その空間は疑似的には広くできるはずでもある。
そう錯覚させることはできるだろう。

その上で、残響を遮音カーテンが作り出すことで、
理想的な音響特性を作り出せる可能性を感じている。

残響時間、そのスペクトラムなどこまかなパラメータを調整することで、
文字通り、部屋をコンサートホールへと変えることが夢ではなくなる。

個人的にはリスニングルームをコンサートホールにしたいわけではないが、
この遮音カーテンのもつ可能性をあれこれ考えてみるのは楽しいだけでなく、
オーディオがこれから先、趣味としてずっと続いていくためにも、必要だと思う。

Date: 4月 5th, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その5)

今回の「狂気」Dolby Atmos Mixのイベントが開催されることを知ったのは、
3月20日だった。
映画「BLUE GIANT」を、そろそろ観に行こうかな、と思っていたころだった。

「BLUE GIANT」は世界一のジャズプレーヤーを目指すテナーサックス奏者が主人公である。
だからDolby Atmosでの上映もある。

「BLUE GIANT」はDolby Atmosで観るつもりだったから、先延ばしにした。
「狂気」Dolby Atmos Mixを聴いたあと、
映画館で「BLUE GIANT」をDolby Atmosで観る(聴く)ことで、
確認したいと考えた。

そういうことで今日(4月5日)で、
TOHOシネマズ日比谷でDolby Atmosで観てきた。

都内のDolby Atmos対応の映画館すべてに行ったわけではない。
行ったなかでは、日比谷のTOHOシネマズは好ましいと感じている。

Dolby Atmosで観て良かった、とも感じている。

Date: 4月 2nd, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その4)

会場となったRITTOR BASEの正面はスクリーンがあり、
そこには「狂気」のジャケットが映し出されている。
地下にあるため照明が落とされると、スクリーンの光量だけで、暗い。

目を閉じて聴いていると、
「狂気」の冒頭の心臓の音、それから続くいくつかの効果音──、
不気味な映画を目を閉じて聴いている感覚でもあった。

「狂気」50周年ボックスのチラシには、
先に引用した國﨑 晋氏の文章の他に、武田昭彦氏の文章もある。
     *
 ピンク・フロイドは2003年、『狂気』の30周年記念盤となるSACD/CDハイブリッド盤で、ジェームス・ガスリーによる5.1チャンネル仕様のサラウンド音声を発表している。今回のBlu-Rayにもその5.1チャンネル・ミックスは収められているが、新たに制作された7.1.4チャンネルのドルビーアトモス・ミックスは従来のそれとは別物で音の定位や広がり、細部の音の処理などが異なっている。本作はバンド・サウンドに加え、SEが効果的に駆使されているのが大きな特徴だが、ヘリコプターや時計の音、各種アナウンスなどがサイド・スピーカー2本と頭上4本のスピーカーに振り分けられたことで、音の包囲感が高まり聞き手の想像力をいっそう刺激してくれる。
 従来の5.1チャンネル・ミックスがリスナーのリビングルームやプライヴェートな空間を想定した音作りだとすれば、今回のドルビーアトモス・ミックスは映画館ないしコンサート会場を想定したようなスケールの大きさを感じさせる。
     *
今回は5.1チャンネルの音は再生されなかったし、もちろん2チャンネルの音もなしである。
聴いたのはDolby Atmos Mixの音だけである。

すべての音を比較試聴できればさらにおもしろいのだが、
今回のイベントは、そういう試聴会ではなく、
「狂気」Dolby Atmos Mixの鑑賞会といったほうがいいのだから、それを求めてもしかたない。

目を閉じて聴いていると、上に書いたような感覚だったのだから、
武田昭彦氏の文章にあるように、5.1チャンネル仕様の音よりも、スケールアップしたものなのだろう。

けれど《聞き手の想像力をいっそう刺激してくれる》のかは、疑問でもある。
おそらくなのだが、國﨑 晋氏も武田昭彦氏も、
「狂気」をそれこそ数え切れないぐらい聴いてきているのだろう。
そして、これから先も、何度も何度も聴いていく人たちなのだろう。

そうでない聴き手も、一方にいる。
「狂気」発表の1973年、十歳だった男は、同時代に聴いているわけではない。
もちろん世の中は広いから、十歳くらいで「狂気」を聴いて、狂喜した人もいるだろう。

「狂気」の存在を知ったのは、五年後くらいだったか、
その時でも「狂気」を聴いたわけではなかった。
「狂気」を聴いたのは、東京で暮らすようになってからで、さらに五年以上経っていた。

しかも自分で購入し、自身のシステムで、というわけではなく、
知人宅で聴いたのが最初である。

そういう男と、國﨑 晋氏、武田昭彦氏とでは「狂気」への思い入れがまるで違うはず。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その3)

だからといって、2チャンネルのみに固執しているわけではない。
ステレオサウンドにいたころは、菅野先生のリスニングルームでSSS方式を何度か聴いている。

多チャンネルの再生方式に関心がまったくないわけではない。
それに2013年、船橋のTOHOシネマズが、
日本で初めてDolby Atmosを導入した時に、スタートレックを観にいっていることは、
別項に書いているとおりである。

このときの驚きは、そうとうに大きかった。
だからDolby Atmosへの期待を書いているし、
Dolby Atmosで観られる映画はできるだけ観るようにしていた。

Dolby Atmosの登場がきっかけとなって、
映画館で映画を観る回数が増えていった。

このころから映画館が輝きを取り戻したようにも感じたから、である。

そのDolby Atmosが音楽再生にも採用されるようになったのは数年前からだ。
関心はあるものの、だからといって積極的に自分で対応機器を購入してまで聴きたい──、
そこまでの積極性は持っていない。

そうであっても、よりよい条件でDolby Atmosで音楽を再生すると、
どういう感じ方になるのかは、一度体験しておきたい。
ここ一、二年はそう思うことが増えてきたからこそ、
今回の「狂気」のDolby Atmos Mixは聴き逃せなかった。

「狂気」のDolby Atmos Mixの試聴会は、さわりだけの試聴会ではない。
アルバムの最初から終りまで聴かせてくれた。

最初に簡単な挨拶があっただけで、すぐに「狂気」がDolby Atmos Mixで鳴ってきた。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その2)

「五味オーディオ教室」を出発点とする者にとって、
五味先生のこの文章は強烈な真理として刻まれている。
     *
 そういうものだろう。スピーカーは沈黙を意志するから美しい。こういう沈黙の美しさがきこえる耳の所有者なら、だからステレオで二つもスピーカーが沈黙を鳴らすのは余計だというだろう。4チャンネルなど、そもそも何を聴くに必要か、と。四つもの沈黙を君は聴くに耐えるほど無神経な耳で、音楽を聴く気か、と。
 たしかに一時期、4チャンネルは、モノがステレオになったときにも比すべき〝音の革命〟をもたらすとメーカーは宣伝し、尻馬に乗った低級なオーディオ評論家と称する輩が「君の部屋がコンサート・ホールのひろがりをもつ」などと提灯もちをしたことがあった。本当に部屋がコンサート・ホールの感じになるなら、女房を質においても私はその装置を自分のものにしていたろう。神もって、これだけは断言できる。私はそうしなかった。これは現在の4チャンネル・テープがプログラム・ソースとしてまだ他愛のないものだということとは、別の話である。他愛がなくたって音がいいなら私は黙ってそうしている。間違いなしに、私はそういう音キチである。
 ——でも、一度は考えた。私の聴いて来た4チャンネルはすべて、わが家のエンクロージァによったものではない。ソニーの工場やビクターやサンスイ本社の研究室で、それぞれに試作・発売しているスピーカー・システムによるものだった。わが家のエンクロージァでならという一縷の望みは、だから持てるのである。幸い、拙宅にはテレフンケンS8型のスピーカーシステムがあり、ときおりタンノイ・オートグラフと聴き比べているが、これがまんざらでもない。どうかすればオートグラフよりピアノの音など艶っぽく響く。この二つを組んで、一度、聴いてみることにしたわけだ。
 ただ、前にも書いたがサンスイ式は疑似4チャンネルで、いやである。プリ・レコーデッド・テープもデッキの性能がまだよくないからいやである。となれば、ダイナコ方式(スピーカーの結合で位相差をひき出す)の疑似4チャンネルによるほかはない。完璧な4チャンネルは望むべくもないことはわかっているが、試しに鳴らしてみることにしたのだ。

2チャンネルは、断じて4チャンネルより高級
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
 私は知った。これまで音をよくするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音の歇んだ沈黙をより大事にするために、音の出る器械をせっせと買っていた、と。一千万円をかけて私が求めたのは、結局はこの沈黙のほうだった。お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章の顫音で次第に音が消えた跡の、優れた装置のもつ沈黙の気高さ! 沈黙は余韻を曳き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも、生活のまわりに残っている。そういう沈黙だけが、たとえばマーラーの『交響曲第四番』第二楽章の独奏ヴァイオリンを悪魔的に響かせる。それがきこえてくるのは楽器からではなく沈黙のほうからだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
     *
1976年のころの話だから、このころの4チャンネルはアナログ信号処理による。
現在の多チャンネルは、いうまでもなくデジタル信号処理による。

それに1976年当時と現在のオーディオ機器とでは、物理的なS/N比も違う。
その意味では、物理的な静寂さはある程度確保されている、といえる。

けれど、五味先生は書かれている、
《ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある》と。

このことに関しては、物理的なS/N比だけの問題ではない。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その1)

ピンク・フロイドの「狂気」の発売は1973年。
2003年には30周年ということでSACDで出た。
今年は50周年ということで、ボックスセットが発売になっている。

このボックスセットは盛りだくさんな内容で、
Dolby Atmos MixがBlu-rayディスクに収録されている。

2003年のSACDには5.1チャンネル仕様で、今回のDolby Atmos Mixは7.1.4チャンネルである。
SACDの5.1チャンネルは聴く機会はなかった。

今回のDolby Atmos Mixは、RITTOR BASEでのイベントで聴くことができた。

RITTOR BASEはリットーミュージックが御茶ノ水に開設した多目的スペース。
一度は行ってみたい(聴いてみたい)と思っていただけに、
今回のイベントは、「狂気』がDolby Atmos Mixで聴けるのならば、
この機会を逃したら、たぶん聴くことはないだろうから、ということで行ってきた。

RITTOR BASEに着くと、椅子の上に今回の50周年ボックスのチラシが置いてあった。
そこには、RITTOR BASEディレクターの國﨑 晋氏のコメントが載っている。
     *
数え切れないほど聴き、すべての音を把握していたつもりのこの名盤に、さらなる深みがあったことに心底驚いている。ステレオのキャンパスでは収まらなかった、5.1chサラウンドの地平でも望めなかった、ピンク・フロイド『狂気』の真の姿が、Dolby Atmosによってついに解き放たれたとしか思えない。
     *
これを聴く前に読むのだから、期待は大きくなる。

Date: 3月 19th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その11)

オーディオの究極のかたち、
もしくはオーディオの行き着くところとして、
直接脳に信号を送るということが、昔から語られている。

いまもそうらしい。

けれど考えてみてほしい。
スピーカーからの音を聴くという行為は、
肌感覚もともなってのことである、と。

脳に直接音楽信号を送れば、
いろんなことに悩まされずにすむけれど、
それですべてが解決する、というよりも満足できるようになるのだろうか。

ヘッドフォン、イヤフォンでしか音楽を聴かない(聴いたことがない)人は、
肌感覚はむしろ煩わしいのかもしれない。
そういう人は、脳に音楽信号を送るのを、理想として捉えているのかもしれないが、
スピーカーで聴くことをながいこと続けてきて、
しかもそれに飽きない人もいて、そういう人はもしそういうことが可能になったとしても、
スピーカーからの音で音楽を聴いていることだろう。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その10)

昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。

audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
     *
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
     *
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。

私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。

長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。

長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。

リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。

おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。

それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。

Date: 11月 16th, 2020
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その9)

コンサートホールは、音楽が生まれる場である。
もっといえば音楽が生まれる現場である。

録音スタジオもそうである。

コンサートホール、録音スタジオで生まれた音楽をマイクロフォンがとらえ、
なんらかの媒体に記録(録音)される。

その音楽を、聴き手は自分の部屋で、自分のシステムで再生する。
ということは、リスニングルームは音楽を再生する場なのか、と思うのだが、
生まれたものはすべて死んでいくのだから、
リスニングルームは、音楽が死んでいく場である。

コンサートホールでも、録音スタジオでも、そこで生まれた音楽は、
そのままそこに残っているわけではない。
自然と消えてゆく。

それは音楽の死ととらえるか、ただ消えていった、ととらえるか。
リスニングルームでの音楽も消えてゆくだけではないか。

そうとらえてもかまわない。
けれど、私はリスニングルームは、音楽が死んでゆく場、
死んでゆく現場だととらえる。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その8)

ここで書いていることで具体的なことは何ひとつない、ともいえる。
私が頭のなかで描いていてる唯一の具体的なカタチがある。

といっても、そこに何ら技術的な根拠や裏づけがあるわけではない。
なんだ、ただの直感かよ、といわれようが、
私としては、それこそがatmosphere designに必要なカタチだという確たる直感である。

別項「2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その3)」で最後に書いている。
つまりトーラスである。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その7)

空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくるというのは、私の予感であり、
その5)で書いている「空間のレイヤー化」とは、ノイズのレイヤー化とも思っている。

そしてディフューザーである。
川崎先生が書かれている「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」。

これが「空気のデザイン(atmosphere design)」と深く関ってくる、
というのが私の直感である。

Date: 4月 20th, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その6)

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(atmosphere design)」で、
リスニングルーム内の空気のデザインを考えていく必要がある──、
と書いたのが四年前。

四年経ったからといって、何か具体的なことを考えついたわけではないが、
空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくることのはずだ。

Date: 2月 24th, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その5)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
ここで、糸川英夫氏が語られている「空間のマルチ化」とは違う意味で、
この「空間のマルチ化」を捉えると、それは「空間のレイヤー化」ではないかと思う。

とはいっても「空間のレイヤー化」を説明できるわけではない。
それでも「空間のレイヤー化」こそが、
「空間のマルチ化」につながっていくと確信はしている。

Date: 9月 14th, 2016
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その4)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に掲載されていた瀬川先生の文章を、
別項で引用した。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」そのものをひっぱり出してこなくとも、
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている瀬川先生の文章はテキスト化しているから、
このブログを書いているMacのハードディスクに記録されている。

それでも「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」をひっぱり出してきた。
ひっぱり出して、実際にページをめくることで気づくことがあるのを知っているからだ。

巻末に「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」という記事がある。
インタヴュー形式で、聞き手は相沢昭八郎氏。

糸川英夫氏についての説明はいらないだろう。
ばっさりと省かせてもらう。
知らない人は、Googleで検索していただきたい。

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」は1978年に出ている。
ほぼ40年前の本であり、「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」は40年前のインタヴュー記事である。

タイトルになっている未来学の「未来」とは、すでに過ぎ去った時代のことだろうか、
それともまだ来ていない時代のことなのだろうか。

こんなことをあえて書いたのは、昨夜読み返していて、実におもしろいと感じたからである。
正直にいえば、1978年にも、この記事は読んでいた。
でも当時は、15歳の私は、それほどおもしろさがわからなかった。

この記事に「空間のマルチ化」という表現が出てくる。
それから伝声管のことも出てくる。

こんなにおもしろい記事だったのか、といまごろワクワクして読んだ。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その3)

「色即是空、空即是色」なのかと思う。