Posts Tagged 井上卓也

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その37)

それだけではない。
確かに瀬川先生は多くの総テストに参加されていた。
けれど、一年を俯瞰していくと、1977年はプリメインアンプとスピーカーシステムの総テスト、
1978年はモニタースピーカーとアナログプレーヤーである。

1977年のプリメインアンプとスピーカーシステムの、めぼしい製品についての瀬川先生の評価はわかる。
だがセパレートアンプ、アナログプレーヤーに関してはそうではない。

つまり一年を総括する特集として、ベストバイはあった。

43号と47号のベストバイの特集のあいだには、スピーカーシステムとモニタースピーカーの総テストがある。
アンプに関しても、アナログプレーヤー関してもテストは行なわれていない。

その一年のあいだに、アンプ、アナログプレーヤーの新製品が出ていないのであれば何もいうことはないのだが、
実際はそんなことは絶対になく、多くのプリメインアンプの新製品、コントロールアンプの新製品、
パワーアンプの新製品、アナログプレーヤー、カートリッジなどの新製品が登場している。

これらについての瀬川先生の評価を知るためにもベストバイの意味は、当時は大きかった。
その大きさは、私がまだ読者だったからこそ、そう感じていたともいえる。

私は瀬川先生の熱心な読者であったから、特に瀬川先生の評価を読みたかった、
できればすべての機種についての評価を書いてほしかったわけだが、
人は違えば、瀬川冬樹ではなく井上卓也だったり岡俊雄だったり菅野沖彦だったりすることだろう。

Date: 7月 10th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その8)

組合せは決った。
いったいどういう音がしてくるのか、
いま中古でここで挙げたコンポーネントを手に入れたとしても、うまいこと鳴ってくれる保証はない。

スピーカーにしろアンプにしろ、どんなモノであれ、長い年月を経ていれば、
どんなに大切に使っていたとしても性能的には劣化している。
そう思いたくなくとも、これは絶対不可避である。

井上先生が以前書かれていた。
     *
現実に状態の良いシステムを実際に鳴らしてみたとしても、かつて備えていた本来の状態をベースに聴かせた音の再現は完全には不可能であり、例えば、1モデルに1ヵ月の時間を費やしてメインテナンスをしたとしても、絶対年令は、リカバリー不能であろう。逆説的ではあるが、イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像を大切に扱い、思い浮かべた印象を文字として表現したほうが、むしろリアルであろうか、とも考えている。
(ステレオサウンド別冊「音の世紀」より)
     *
その通りだと思う。
「イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像」、
これを持っているか持っていないのか──。

JBLのD130を平面バッフルに取りつけて、
できるだけ価格を抑えた組合せは、いったいどんな音を聴かせるのか、よりも、
この組合せで、どのレコードを聴きたいのか。

私が聴きたいと思っているのは、ジャズではなく、
デッカのカートリッジを選んでいるようにクラシックであり、
ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキーの「春の祭典」をまっさきに鳴らしてみたい。

Date: 9月 23rd, 2008
Cate: 井上卓也, 言葉

井上卓也氏の言葉(その1)

井上先生がよく言われていたのは
「レコードは神様だ、だから疑ってはいけない」。

なかには録音を疑いたくなるようなひどいディスクもあるけれど、
少なくとも愛聴盤、自分が大事にしているディスクに関して、
疑うようなことはしてはいけない、と私も思う。

「このレコードにこんなに音が入っていたのか」ではなく、
「このレコードって、こんなにいい録音だったのか」と思ったことが何度かあるだろう。

己の未熟さを、少なくともレコードのせいにはしたくない。