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Date: 8月 30th, 2013
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その5)

こうやって毎日、複数のテーマで書いていると、
書き始めたころには意識していなかった事柄がつながっていくときがある。

はだしのゲン」というタイトルで書き始めた項で、
バルトークの弦楽四重奏曲と五味先生のことについて書いているところである。

五味先生にとって、ジュリアード弦楽四重奏団によるバルトークの演奏盤こそは、
そういう一枚──つまり己の愚かなところ、醜いところを容赦なく映し出す──だった、
いまそう思えてならない。

だから「バルトークは精神に拷問をかけるために聴く音楽としか思えなかった」と書かれた。
いまはそう思っている。

音楽の聴き手すべての人にとって、ジュリアード弦楽四重奏団による1963年録音のバルトークが、
「精神に拷問をかけるための音楽」ではないはず。

ジュリアード弦楽四重奏団のバルトークの演奏盤をはじめて聴いたとき、
その気魄に圧倒されはしても、
残念ながら、というべきかどうかはわからなかったが、「精神に拷問をかける音楽」ではなかった。

聴き終えるのにものすごいエネルギーを要求される感じはあったけれど、
それは精神の拷問とまではいかなかった。