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Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その2)

トーレンスのリファレンスがステレオサウンドに登場したのは、
記事としては56号だが、前号(55号)の輸入元ノアの広告にモノクロ写真が載っている。
それほど大きくない写真で、価格は3580000円と書いてあった。
とうぜん、このプレーヤーはいったい何なんだろう……、次のステレオサウンドで紹介されるんだろうな、
きっと、と思いながら発売の待っていた56号の表紙は、リファレンスだった。

安齊吉三郎氏によるリファレンスの写真は、前号のモノクロ写真とは違い、「おおっ」と思わせるとともに、
記事をすこしでも早く見つけたい、読みたいという気持ちにさせてくれた。

いそいでページをめくって、瀬川先生の新製品の記事を見つけて、 読む。
しばらくして、また読む、何度も読んでは、どんな音なのか妄想をふくらまして、
聴きたい、とにかく聴いてみたい、でもここ(熊本)では、おそらく聴く機会は訪れないだろう……。

(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、 
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、 カートリッジの聴き比べのときもあったし、 
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、 
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、 すごくためになったし、
レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、 ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。

1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。 
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。 
正直「今日はカセットかぁ……」とがっかりしたものの、実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。 
瀬川先生の話が面白い。でも、どうしても目は、 すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。 
イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」 と言われた。 

「明日なのかぁ……」とがっくり。 
この時期(高校3年の秋)、 オーディオに熱を入れすぎて、学校の成績ががくっと落ちて、
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、 「今回は行ってはだめ」と言われたのを、 
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、 
「明日はどうやっても無理だな……」とあきらめながら会場を後にする。

当日の朝も「行きたい」とは口にしなかったというかできなかった。 
でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
まったく予測できなかった、それだけに待っていた言葉が出てきた。 

イベントがはじまったころは、 いつもと変らない感じの瀬川先生が、 
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。 

そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。 

リファレンスの音を聴けたことで、 そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、 
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、 
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。 

このときは、1年後に、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。 
「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終ってしまう。 

そして約一年後の、1981年12月19日。 
当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、 
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。 
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ 秋葉原の石丸電気レコード館の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
かわりに手にとったのは、レコード芸術。 
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、 
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。 目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、
瀬川先生の追悼記事。 

元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、 
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
後にも先にも、頭の中が真っ白になったことは、このときだけである。

その記事を読み終わって、嘘だろう……、と思って、書棚に戻して、 
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、 
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。 

冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、 熊本でステレオサウンドを購入。 
追悼記事が載っていた。 
母に感謝した。 

もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは……。
いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、 あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、 
熊本で手術を受けられたということ。 

なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。 
オーディオに関心も理解もあまりない母が、 
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、 
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか……。 

あの日のリファレンスの音、 
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、
私にとって、どういう意味を持つのか、それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。 

ひとつ確実に言えるのは、大きな感動があったということ。 

感動という言葉、よく使うけれども、 感動とはどういうことだろうか。 
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること、とある。 
でもこれだけではない。 

なぜ「動く」という字が使われているのか。 
やはりなにかが動くんだろうな、と 、あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。 
感動とは、心の中になにかが生れたり、 沸きあがってくることであり、 
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。 

いまは残っていないけど、 リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。 
誰かに読んでもらうわけではないけれども、 どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。 

そういう感動を与えてくれたリファレンス、 瀬川先生の想い出とも繋がっていて、 
あらゆるオーディオ機器の中で、 私の中で、いちばん印象深い存在になっている。

Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 4343, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その1)

トーレンスのアナログ・プレーヤー 〝リファレンス〟の実物をはじめて見て、 
その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 
まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 

熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 
(たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 
瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 

そのときのラインナップは、 
トーレンスのリファレンス、 
マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 
スピーカーは、もちろんJBLの4343。

この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、
LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに……と思っていた。

いろんなレコードの後、 
最後に、当時、優秀録音と言われていて、 
瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた 
コリン・デイヴィス指揮の ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 

もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 
なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 

そのときの音は、いま聴くと、 
いわゆる「整った」音ではなかっただろう。
けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、つよく刻まれている。

レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 
それも強烈な体験として、残っている。

聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 
ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 

いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 
質問やリクエストを受けつけられるのに、その日は、すぐに引っ込まれた。 

「体の調子が悪いんだ。 なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ
途中で針をあげられればよかったのに……」と、 
そんなことを考えながら、店の外に出ると、
駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。