ビクター P-L10, M-L10

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 ビクターのラボラトリーシリーズのコントロールアンプP−L10とパワーアンプM−L10は、いま、聴いておきたい音、というよりは、いま、安心して聴ける音、といった性格のセパレート型アンプである。
 従来からもビクターには、オーディオフェアなどで見受けられた一品生産的な特殊なモデルを開発する特徴があったが、その技術をベースに、薄型コントロールアンプの動向に合せた7070系のコントロールアンプと、いわゆるパルス電源を初めて採用したモノ構成の7070パワーアンプをトップランクの製品として持ってはいたが、ビクターのセパレート型アンプとして最初に注目を集め、多くのユーザーの熱い期待を受けたモデルは、パワーアンプのM7050であろう。
 これらの従来から築きあげた基盤の上に、アンプの基本思想として、忠実伝送と実使用状態における理想動作を二大テーマとして、ラボラトリーシリーズのセパレート型アンプとして1981年秋に開発されたモデルが、P−L10とM−L10である。
 コントロールアンプP−L10は、かつてのソリッドステート初期に、グラフィックイコライザー(SEA)を搭載した超高級コントロールアンプとして注目を集めたPST1000以来、久しぶりに本格派のコントロールアンプとして総力を結集して開発された意欲的なモデルである。
 最新の技術的産物としてのアンプではなく、音楽性追求のための技術という考え方を基本にして開発されただけに、例えば、音量を調節するボリュウムコントロールには、一般的に抵抗減衰型のタイプが使われるが、これでは可変抵抗器が信号ラインに入り接点をもつために、位置による音質のちがいが生じやすい点が問題にされ、アンプの利得を可変にすることにより音量を変える新開発Gmプロセッサー応用のボリュウムコントロールが採用されている。
 このタイプは、ボリュウムを絞っていけば、比例してノイズも減少するため、実用状態でのSN比が大幅に改善され、結果として、音場感情報が豊かになり、クリアーな音像定位や見通しのよい広い音場感が従来型に比較して得られる利点がある。このバリエーションとして、昨年来のプリメインアンプA−X900やA−X1000にスイッチ切替型として採用されているが、この切替えによるSNの向上が、いかに大きく音場感再生と直接関係しているかは、誰にでも一聴して判かる明瞭な差である。
 また、フォノイコライザーでのGmプロセッサーの応用にも注目したい。入力電圧を電流に変換増幅後、その電流をRIAA素子に流す単純なイコライザー方式は、CR型の伝送・動特性とNF型の高域ダイナミックレンジを併せ持つ特徴があり、電圧を電流に変換する変換率を変えればトータル利得を変化できるため、MMとMCポジションで性能、音質が変わらず、トータルな周波数特性はRIAA素子のみで決定されるため、RIAA偏差は自動的に100kHzまでフラットになることになる。
 フォノ3系は低出力MC用ハイゲインイコライザーで、入力感度は70μVと低いが、SN比は非常に優れているのが特徴である。外装は、ビクター独自のお家芸ともいえる高度な木工技術を活かした、21工程に及ぶ鏡面平滑塗装仕上げ、これは見事だ。
 ステレオパワーアンプM−L10は、ビクター独自のスイッチング歪をゼロとした高効率A級動作方式〝スーパーA〟の技術をベースに、スピーカー実装時のアンプの理想動作を追求した結果、全段カスコード・スーパーA回路を新採用している。この回路も、実際の試聴により、スピーカー実装時のアンプ特性劣化や、音楽再生時のTIM歪や発熱による素子のパラメーターの変化に注目した結果、優れた回路方式として採用されている点に注目したい。
 この方式は、パワー段までカスコード・ブートストラップ回路を開発し、採用しているため、出力段のパワートランジスターは数ボルトの低電圧で動作し、電流のみ変化する特徴があり、電圧と電流の位相がズレるスピーカー実装負荷でも、ダミー抵抗負荷と同じ動作、性能が確保され、アンプは負荷の影響を受けない利点がある。また、低電圧動作のパワー段は、発熱量が低く、従来型に比較してスピーカー実装時の瞬間発熱量は1/10以下となり、サーマルディストーションの改善とアイドリング電流の安定化にもメリットがある。
 構成部品は、エッチングなしのプレーン箔電解コンデンサー、高速ダイオード、高安定金属皮膜抵抗、低雑音ツェナーダイオードなど定石的な手法が各所に認められる。
 外装は、平均的に16工程程度とされるピアノ塗装を上廻る21工程の鏡面仕上げローズ調リアルウッドのキャビネット採用。
 定格出力時、160W+160W(20Hz〜20kHz・8Ωで、THD0・002%)周波数特性DC〜300kHz−3dBの仕様は、セパレート型アンプとしてトップランクの特性である。
 P−L10とM−L10のペアは、充分に磨き込まれた、安定感のある、タップリとしたナチュラルな音が特徴である。各種のキャラクターが異なるスピーカーシステムに対しても、ナチュラルな対応性を示し、それぞれの特徴を活かすセッティングも、個性を抑えたセッティングも、かなりの自由度をもってコントロールできるようだ。
 好ましいアンプというものは、個性的なキャラクターの強い音をもつものではなく、結果として、電気信号を音響エネルギーとして変換するスピーカーシステムに対して、充分なフレキシビリティをもって対応可能なことと、聴感上でのSN比が優れ、音場感的情報量をタップリと再生できるものであるように思う。
 この意味では、このセパレート型アンプのペアは、発売以来3年を迎える円熟期に入ったモデルであるが、各種のスピーカーシステムに対する適応性の幅広さと、ビクターの伝統ともいうべき、音場空間の拡大ともいうべき、音場感情報の豊かな特徴により、現時点でも、安心して聴ける音をもつ、セパレートアンプとして信頼の置ける存在である。

テクニクス SE-A1、ヤマハ 101M

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 セパレート型アンプのジャンルでは、コントロールアンプに比較して、パワーアンプに名作、傑作と呼ばれる製品が多い傾向が強いように思われる。
 こと、コントロールアンプに関しては、管球アンプの以前から考えてみても、いま、残しておきたい音というと、個人的には、管球アンプのマランツ♯7と、ソリッドステート以後ではマーク・レヴィンソンLNP2の2モデルしか興味がない。
 これに比較すれば、パワーアンプではいま聴きたい音、あるいはとっておきたい音は数限りなくあるといってもよいし、個人的にもパワーアンプのほうが好きなようで、手もとに残してある製品を考えても、パワーアンプの総数はコントロールアンプの3倍はあると思う。とくに、この号が発刊される頃(秋)は、感覚的にも、管球アンプを使いだすシーズンであり、音的には体質にマッチしないが、マッキントッシュMC275を再度入手したいような心境である。
 国内製品でも、パワーアンプには興味深い製品が数々あり、AクラスパワーアンプのエクスクルーシヴM4、全段FET構成のヤマハBI、 ハイパワー管球アンプのデンオンPOA1000Bなどは、オーディオの夢を華やかに咲かせた。それぞれの時代の名作であり、コレクション的にも興味のある作品と思う。
 パワーアンプでAクラス増幅の高品位とBクラス増幅の高効率が論議され、各社から各種のBクラス増幅のスイッチング歪とクロスオーバー歪を低減する新方式が開発された時点で、スイッチング歪とクロスオーバー歪の両方が発生せず、しかもAクラス増幅で350W+350Wという超弩級のパワーをもつ驚異的なパワーアンプとして、テクニクスから1977年9月に登場した製品がテクニクスA1だ。
 テクニクスの伝統ともいうべきか、全段Aクラス増幅のDCコントロールアンプのテクニクスA2と同時に発表されたA1は、独特のコロンブスの卵的発想によるAプラス級動作と名付けられた新方式を採用した点に最大の特徴がある。
 基本構想は、スイッチング歪とクロスオーバー歪が発生しない低出力A級増幅パワーアンプの電源の中点をフローティングし、別に独立した電源アンプで信号の出力増幅に追従するようにA級増幅アンプの電源中点をドライブするという2段構えの構成での高効率化である。
 これにより、アンプの外形寸法はA級増幅の100W+100Wなみに抑えることが可能となり、しかも強制空冷用のファンなしの静かなパワーアンプが可能となったわけだ。またこのモデルは、入力や出力のカップリングコンデンサーや、NFBループ中にもコンデンサーのないDCアンプを採用しながら、DCドリフト対策として、出力のDCドリフト成分を信号系とは別系統の系を通してDCドリフトの要因となる回路素子に熱的にフィードバックし、素子間の温度バランスを補正し、DCドリフトの要因そのものを打消すアクティブサーマルサーボ方式を採用していることも特徴である。
 機能面は、4Ω、6Ω、8Ω、16Ωのスピーカーインピーダンスによる指示変化を切替スイッチで調整可能の対数圧縮等間隔指示のピークパワーメーター、レベルコントロールによりプリセット可能な4系統のスピーカー端子、2系統の入力切替、電源のON/OFFのリモートコントロールなどが備わっている。
 周波数特性、DC〜200kHz −1dB、スルーレイト70V/μsec、350W+350W定格出力時(20Hz〜20kHz)で0・003%のTHDと、スペックのどれをとってもパワーアンプとして考えられる極限の性能を備えていた。しかも、業務用ではなく、純粋にコンシュマーユースとして開発された点に最大の特徴がある製品だ。
 柔らかく、穏やかな表情と、しなやかで、キメ細かい音が特徴であったが、余裕たっぷりの絶大なスケール感は、ハイパワーであり、かつ、ハイクォリティのパワーアンプのみが到達できる独自の魅力で、現在でも鮮やかに印象として残るものである。今あらためて、ぜひとも最新のプログラムソースと最新のスピーカーシステムで聴いてみたい音だ。また、このAプラス級増幅方式と共通の構想として、それ以後、エクスクルーシヴM5、ヤマハB2xなどが誕生していることも、見逃せない点だ。
 1982年末に、500W十500Wという超弩級ステレオパワーアンプとして初登場したモデルが、ヤマハ101Mである。外観のデザイン面からも判然とするように、ヤマハ一連のアンプデザインと異なった印象を受けるが、基本構想はレコーディングスタジオでのモニターアンプ用として開発されたモデルでナンバー末尾のMは、モニターの意味であると聞いている。
 構成は、筐体は共有しているが、内部は電源コードまでを含み完全に左右チャンネルは独立した機構設計をもっている。人力系は、欧米でのスタジオユースを考えオスとメスのキャノン型バランス入力とRCAピンのアンバランス入力とレベルコントロール、さらに、BTL切替スイッチが備わり、BTL動作時は、1500W(8Ω)のモノパワーアンプになる。なお、出力系は、切替スイッチはなく、1系統のダイレクト出力端子のみ、というのは、いかにも、プロフェッショナル仕様らしい。
 パワー段は、+−70V動作のメタルキャンケース入り、Pc200Wパワートランジスター5パラ動作をベースに、+−120V動作の4パラ動作が必要に応じて加わる方式で、ヤマハ独白のZDR方式採用でパワーパワー段での各種歪、スピーカーの逆起電力による歪までをキャンセルし、定格出力時THD0・003%は、見事な値だ。
 音の輪郭をシャープに描き出し、ストレートに力強い表現をする音は、一種の厳しさをも感ずる凄さがあり、国内製品として異次元の世界を聴かせた印象は今も強烈だ。

マランツ Sc1000, Sm1000

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 マランツの製品は、創業期から現在にいたるまで、比較的に、コントロールアンプとパワーアンプのバランスがよいモデルを送り出していることに特徴があるようだ。
 いまも聴きたい音という意味からは、かつての管球アンプ時代の♯7コントロールアンプと♯2モノパワーアンプ×2の組合せは、私個人にとってはマランツの最高傑作と信じている黄金のペア、いや、トリオである。
 コントロールアンプは、ステレオタイプとなり♯7で完成の域に達したが、パワーアンプは、♯5、ステレオタイプ♯8B、♯9と発展をする毎に、製品としての合理性、商品性、安定度などは確実に向上をしているが、パワーアンプとしての魅力は、次第に後退し、♯2の印象は♯5ですでに消失しているように感じられる。
 ソリッドステート化第一作の、♯7Tコントロールアンプ、♯15パワーアンプは、第一作という意味での不安感が少なく、完成度も充分にあり、現在でも少し古いディスクを再生するときにはなかなか楽しめる音を聴かせるペアである。
 ♯15に続く、♯16以後、しばらくの期間は、パワーアンプは、♯250、♯510と続くが、コントロールアンプが不作の時代である。
 基本設計を米国で、実際の開発と生産を国内で行なおうとする、いわば新世代のマランツの製品は、不巧の名作といわれたプリメインアンプ♯1250が代表作になるわけだが、トップランクのセパレート型アンプを目指して、より良き伝統を受継ぎながら最新のテクノロジーとデバイスをマランツらしく生かして久し振りに開発された第1弾作品が、400W+400Wのパワーを備えたステレオパワーアンプSm1000である。
 パワー段は、メタルキャンケース入りのパワートランジスター3個パラレルに対して1個のドライバーを組み合せたものを1組とし、これを、3個組み合せて、3段ダーリントン方式の出力段としている。つまり、3×3=9が+側と一側にあるわけだから、片チャンネル18個のパワートラジスターを使っていることになる。
 ハイパワーアンプの放熱対策は、重要な機構設計上のポイントになるが、Sm1000では、空冷用ファンを組込んだ、風洞型の放熱器を♯510から受継いで採用している。この方式により、400W+400Wの定格出力を持ちながら、外形寸法面でのパネルの高さを抑え、比較的に薄型にすることを可能としている。
 風洞内部には、両チャンネル用の36個のパワートラジスターと12個のドライバーが組込まれているが、風洞内で均等に各トランジスターを冷却するために、風下にいくに従って冷却効果を高めるために長さが次第に長くなっているサブ冷却フィンが整然と並んでいる様は、視覚的にも美しく、一見に値する眺めではあるが、容易に外側から見られないのが大変に残念な点である。
 電源部は、伝統ともいうべき強力タイプで、左右独立した800VAの容量をもつカットコア採用の電源トランスと20000μF、125Vのオーディオ用コンデンサーを+側と一側に2個採用したタイプで、一部を積上げ電源として使うスタック型パワーサプライ方式である。
 入力系は、レベルコントロール付で、アンバランス型のRCAピンジャックと、1と2番端子がコールド、3番端子ホットのキャノンプラグ付、出力系は、ダイレクト端子と切替可能なSUB1とSUB2の3系統をもつ。
 Sm1000は、基本的には、無理に帯域を広帯域型としないナチュラルなバランスと、クッキリと粒立ちがよく、音の輪郭をクリアーに描き出す、ダイナミックで力強い♯510系の延長線上に位置する音をもっている。いかにも、マランツらしいイメージをもつ、ストレートさが最大の魅力と思う。後継モデルのSm700の、しなやかで明るく、音場感を広く再現する性質とは対照的で、安定感のある力強い長兄と、伸びやかで、現代なフィーリングをもつ次男といったコントラストが面白い。
 コントロールアンプSc1000は、Sm1000に続くパワーアンプSm700と、ほぼ同時に開発されたマランツのトップランクコントロールアンプである。
 基本構成は、シンプル・イズ・ベストであり、ディスク再生における最高の音楽表現を目指し、入力から出力までのスイッチなどの接点数を極少とし、裸特性を極限まで追求した増幅回路、負荷電流の変動にいかなる影響も受けない超低インピーダンス化した理想的電源部などがポイントだ。
 フォノイコライザーは、A級動作、全段プッシュプル構成DCアンプを2段使ったNF・CR型、機械的に連動と非連動に変わるバランスコントロールを省いたボリュウムコントロールと、それ以後は、2系統に分かれ、それぞれ専門の出力端子をもつフラットアンプとトーンコントロールアンプをパラに設置したユニークなブロックダイアグラムを特徴としている。なお、電源部は筐体の半分を占める、各ユニットアンプ間チャンネル間の干渉を排除した8独立電源で、事実上のインピーダンスを0としたシャントレギュレ一夕一方式を採用している。また、TUNER、AUX用とTAPE入力用にバッファーアンプを備えているのも特徴である。
 基本的には、アナログディスク再生に焦点を合せたコントロールアンプではあるが1981年当時の設計としては、フラットアンプの性能が追求されており、ハイレベル入力系に対してカラレーションのない音を聴かせるのが本機の特徴である。特徴の少ない音だけに、最初の印象は薄いかもしれないが、使込んで次第に内容の高さが判かってくる。これこそ、いま、聴きたい音である。

サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 C2301というサンスイのコントロールアンプはぼくが目下、大いに興味をもっている製品である。まだ新しい製品なので、ぼくも、それほど長くじっくりと使ったわけではないし、恐らく、これからファンが増えてくるアンプだろう。ぼくにとっては、国産、海外製を問わず、多くのコントロールアンプと接触する中で、これは、本気になってつき合ってもいいなという気を起こさせるアンプなのだ。
 ぼくの部屋にはアンプ棚がある。ここには六段の棚があって、一段に2台ずつのアンプが置けるから、計12台の収納が可能である。そのうち、コントロールアンプのためのスペースとしては、使用上の高さなどからして最上段や最下段は不適当だから、中三段ぐらいということになる。しかし、他にも、CDプレーヤーやチューナーも置かなくてはならないから、4〜5台というところがコントロールアンプのためのスペースだ。ここにある時期、継綻的に収まるものは、結果的にいって、ぼくの好きな製品ということになる。もちろん、好きなものでも、古いものは他の場所に片づけたり、あるいは、一時的に他のものと入れ替えたりすることがあるし、ほとんどが使わないのに、JBLのSG520とマランツの7Tは飾り物と化して居坐ったままというのが現実である。このJBLとマランツは、コントロールアンプのデザインの、偉大で対照的なクラシックだと自分では思っているので、想い出も含めて、どうも片づけてしまう気がしないのである。それはともかく、この棚には、こんなわけで、長年、収まりかえっているものや一日か数時間で取り出されてしまうものがあって、
ぼく自身も、結果的に、自分との関わり合いの濃淡を感じさせられることになるのである。ここにひと月以上入っているというのは、明らかにぼくの気を惹いた製品、三ヵ月になると、愛の芽生えたもの、半年を超えると相思相愛、一年以上同じ場所に居続けた製品は、伴侶である。なんとなく、こんな因果が、この10年くらいの間に出来上がってしまったようなのだ。コントロールアンプのアウトプットをつなぐパワーアンプ群は、ほとんど、この棚の裏部屋に収まっているので前からは見えないが、ここにも、これと似通った状況が見られるのである。
 サンスイのC2301は、まだ、合計で数時間しか、この棚に収まったことがない。しかし、その数時間で、それっきりになってしまわないなにかが、このコントロールアンプにあることを、ぼくはずうっと意識させられていたのである。本誌70号の新製品紹介記事を書くために聴いたC2301の音の魅力が頭から去らないのであろう。あの時、ぼくは、その音を耽美的な情感に満ちていると書いた。また、音楽に人間の生命の息吹きや、感情的高揚を求め彷徨している快楽主義者であるぼく……などと気恥ずかしい告白もやってのけた。天上の音楽を奏でるに相応しい無垢の音とは感じなかったけれど、それだけ暖か味のある魅力を、このアンプから感じ取ったことはたしかである。そして、〝ぼくにとってはこれでよい。いや、このほうがよい。色気がある音だから…〟と書いたのを覚えている。C2301は、明らかにぼくの情感を刺戟した。リビドーを感じさせた。アンプによっで、こうしたレスポンスを心の中に呼び起こすものと、そうではないものとがあることは一つの不思議である。その不思議ゆえにオーディオは面白く、また、その不思議と、科学的な技術問題の関連をさぐること、識ることが、オーディオの尽きない興味である。
 ルドルフ・フィルクスニーの慈愛と高潔の精神に満ちた音が、月並みな甘美さにしか聴こえなかったり、ひどい時には脆弱で鈍い音にしか聴こえなかったりする経験をぼくは知っている。この名ピアニストの、しかも、ぼく自身が録音したレコードによってさえ、ぼく自身にあれこれ聴こえるオーディオの音は、時として面白さを越えて恐ろしくすらある。C2301は、フィルクスニーを甘美に、そして、セクシーに響かせる。そこに、ぼくはこのアンプの魅力と不安を感じているのである。この稿を書く気になったのも、その魅力と不安からであった。そして、今、再び、C2301はぼくの部屋の棚に収まっている。一日ゆっくり、いろいろなレコードを聴いてみた。そして、ぼくは、一段と大きな魅力を、このコントロールアンプに感じ始めているのである。基本的には、ぼくの第一印象は間違っていなかった。しかし、聴けば聴くほど、そのヒューマンな暖か味と、情感の魅力の再現に惹かれていく自分を発見した。

Do me wrong Do me right Tell me lies But hold me tight Save your goodbyes For the morning’s light But don’t let me lonely tonight

 ローズマリー・クルーニーの歌う一節である。この人生経験豊なべテラン歌手の歌唱は見事という他はない。まさに熟女の官能とペイソスである。都会的である。
〝今夜だけは私を一人ぼっちにしないで……。しっかり抱いて……。さよならは夜が明けるまで云わないでほしいの……。〟
 理性と感情が、官能の虜の中でゆれ動く、この円熟した女の心と身体を深く美しく歌いあげる彼女、ローズマリー・クルーニーの表現は、このC2301の音の魅力と同質である。これ一曲を聴くためだけでも、このアンプの存在価値は高いといってもよいほどだ。
 このアンプが、これから、どんな音を聴かせてくれるかは大きな期待である。B2301とのバランス接続で聴いてもみたい。まったく異質なアンプとの組合せの妙も試してみたい。私のアンプ棚で、どんな存在になるのかは、私自身にも、今はわからない……。

マッキントッシュ XRT20, JBL

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 正確には記憶していないが、多分、1967年ぐらいから、ぼくのメインシステムとしてJBLの375ドライバー十537−500(ホーン/レンズ)を中心としたスピーカーを使い始めた。当初から、3ウェイのマルチアンプシステムとして使い始めたもので、ぼくにとってこのスピーカーは、まさに妻のようなものであった。何故なら、ぼくがこれを使い始めた頃、ぼくの気持ちの中では、一生、このスピーカーとつきあおうと思っていたし、また、そうなりそうな予感もあったからである。トゥイーターは075、ウーファーは初めのうちはワーフェデールのW12RS・PST、そして後に目まぐるしく変り、結局、JBL2205に落着いて現在に至っている。もっとも、075は、その後、ぼく流に改造しているし、375ドライバーも2445Jに変ってはいるが、これは妻を変えたようなものではなく、女房教育をしたようなものである。つまり、通称〝蜂の巣ホーン〟を中心としたJBLのユニットによる3ウェイのマルチシステムという基本は、この17年間変ってないのである。もちろん、その間にも、いろいろなスピーカーに出会って、浮気心を起こしたこともあるし、そのうちの何人かは、本妻と一時的に同居させたこともあった。しかしいつも、せいぜい3〜6ヵ月で、妾のほうは追出されてしまうのが常だった。まさに浮気のようなもので、本妻と並べてみると、改めて、妻の美点がクローズアップされ、一時期血迷った自分を反省するのであった。時には妻にはない魅力を垣間見せる妾もいたが、総合的にはいつも妻のほうが上であった。それに気がついてしまうと、とても妻と妾を同居させている気がせず、妾のほうにはお引取り願うということになるのであった。
 そんなぼくとスピーカーとの関わり合いに、かつてない大事件が起きたのが、今から3年前、1982年の春である。
 その2年前、ぼくは録音の仕事でアメリカへ行き、ニューヨークで二週間ほど仕事をしたが、その間に、マッキントッシュのXRT20というシステムに出会ったのである。ぼくの浮気の虫は、にわかに鎌首を持上げ、この熟女の魅力の虜になってしまった。しかし、この時は、かろうじで理性が勝って旅先での出来事にとどめることが出来たのである。しかし日本に帰って、久しぶりにわが家で妻の歓迎を受けながらも、XRT20の妻にはない魅力が想起され、妻には悪いと思いながらも、妻との営みの最中にXRT20を空想したり、妻にXRT20の魅力を求め無理強いしたりという一年がつづいていた。しかし、再び、妻との生活に馴れ、いつしか、XRT20の記憶も薄れていったのだった。もとの落着いた心境で、夜な夜なベートーヴェンやハイドンを、バッハやモーツァルトを、そして、マーラーやブルックナーを招いて楽しい一時を過していたし、時にはソニー・ロリンズやアート・ペッパーを、また、大好きなメル・トーメやジョニー・ハートマンを招くこともあった。ジャズメンを招いた時の妻の喜々とした表情は、ことのほか魅力的で、とても15年連れそった古女房とは思えない若返りようであったものだ。
 が、忘れもしない1982年の春、日本でXRT20に再会してしまったのである
 XRT20が来日した! と聞いた時からぼくの胸は高鳴り、ニューヨークで味わった興奮が、まるで昨日のことのように甦ったのである。もう、居ても立ってもいられない。ぼくは後先顧みず、XRT20をわが家へ連れ込んでしまったのだった。彼女のために部屋を片づけ、レコード棚の一つは廊下へ出し、なんとかXRT20のために居心地のよいスペースを確保した。
 それからの数十日は、ぼくは平常心を失っていたように思う。朝な夕な、夜更けまで、ぼくはXRT20に狂っていた。柔らかく優美な肌、しなやかでいて強勒な、その肉体にのめり込んでいった。気性は妻よりややおとなしいように見えたが、どうしてどうして芯は強い。若いだけあって柔軟性に富んでいて、クラシック畑の人ともジャズ細の人とも、分け隔てなく馴染んでくれた。ぼく流の教育にも従順で、驚くほどの適応性を見せるのだった。
 この間、妻は無言であった。そしてある夜、ふと沈黙の妻の存在に気づき、久し振りにぼくは妻との語らいの一時をもった。そしてぼくはまたまた、妻の能力を再再発見したのである。妻はいった。
「私はXRT20とは違うのよ。でも、私は長年、あなたによって教育され、大人になったと思うの。それだけに新鮮味はないかもしれないけれど、XRT20とは違った心地よさをあなたに与えてあげられる自信があるの。この前、あなたの親しい瀬川冬樹さんが来られて、あなたとお話ししていらしゃっるのを聞いたわ。瀬川さんはさかんに私との離婚をあなたにすすめられていたわね。でも……私、嬉しかった。あなた絶対に首を縦に振らなかったもの。ありがとう。」
 ぼくはこの時から、長年の主義を破って妻を二人持つことに決めたのである。辛いオーディオ国の法律では重婚は禁じられていないようである。そして、新しいXRT20に、長年JBLに注ぎ込んだ情熱的教育に匹敵する努力を集中的に一年間傾注したのである。来ては去った多くの妾達とはXRT20は違っていた。他人からみるとXRT20がぼくの正妻のように見えるかもしれない。しかし、今や、堂々と、それでいて、ひかえ目に存在するJBLとは馴染んだ年輪が違う。どちらも、ぼくのとっておきの音である。
 この二人の妻と、いつまで続くかはぼくにもわからない……。

ソニー APM-8, APM-6、パイオニア S-F1、テクニクス SB-M1 (MONITOR 1))

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 平面振動板採用のユニットを使ったスピーカーシステムといえば、1970年代の末期に急激に開花した徒花といった表現は過言であるのだろうか。
 毎度のことながら、国内のオーディオシーンでは、これならではのキャッチフレーズをもった、いわば、究極の兵器とでもいえる新方式や新材料を採用した新製品が、開発され、ある時期には、各社から一斉に同様のタイプの新製品が市場に送り込まれ、盛況を見せるが、それも長くは継続せず、急速に衰退を元す、といった現象が、繰返されている。平面振動板を採用したユニットによるスピーカーシステムも、その好例であり、現在では継続してこのタイプのユニットによるシステム構成を行なっているのは、テクニクスとソニーの2社といってよいであろう。
 平面振動板は、スピーカーユニットの振動板形態としては、もっとも、シンプルなタイプであり、振動板の振動モードを検討する場合に、オルソンの音響工学にもあるように、常に引合いに出されるタイプだ。
 従来からも、平面振動板を採用したダイナミック型のユニットは、特殊なタイプとしてはすでに1920年代から存在することが知られているが、いわゆる、コーン型ユニット的に、ボイスコイルで振動板を駆動する製品としては、かつて、米エレクトロボイスにあったといわれる、木製の板を振動板としたユニット、ワーフェデールのコーン型ユニットの開口部を発泡性の合成樹脂の平らな円板でカバーしたウーファーなどが一部に存在をしたのみである。これが、急速にクローズアップされたのは、宇宙開発や航空用に開発された軽金属製のハニカムコアが、比較的容易に入手可能となり、これに、各種のスキン材を使って、振動板として要求される、重量、剛性、内部損失などの条件がコントロール可能になったためである。簡単にいえば、新しい材料の登場が、急速な平面振動板ユニット開発のベースとなっているのである。
●ソニーAPM8/APM6
 平面振動板を採用した原点は、全帯域にわたり完全に近いピストン振動をする、いわば、スピーカーの原器ともいえるシステムを開発するためといわれ、アキユレート・ピストニック・モーションの頭文字をとりAPMの名称がつけられている。
 APM8は、11978年1月に開発されたAPMスピーカーをベースに製品化された第一弾製品で、ハニカムサンドイッチ構造の角型板勤板ユニットを4ウェイ構成とし、フロアー型バスレフエンクロージュアに組込んだシステムである。アルミ箔スキンの低音は、4点駆動で、中心にローリング防止ダンパー付。中低域以上は、カーボンファイバーシートをスキン材に採用している。
 磁気回路は、アルニコ系鋳造磁石を採用し、プレートとセンターポールの放射状スリットと、磁気ギャップ近傍のプレートやボールに溝を設けるなどの機械加工による電流歪低減と、各ユニットのインピーダンスを純抵抗と純リアクタンスに近づけ、単純化し、ロスを減らし、特性をフラット化する設計が見受けられる。
 エンクロージュアは、200ℓ、自重60kgで25mm厚高密度パーチクルボード製。ネットワークは、SBMCの高圧成形の防振構造を採用している。
 ユニット性能を最重視した基本設計は、国内製品として典型的な存在である。物理的な性能は超一流のレベルにあるが、システムとしての完成度に今一歩欠けるものがあり、発表以後、改良が加えられた様子はあるが、サウンド的には未完の大器であり、非常に残念な存在である。完全にチューンナップした音が聴きたいモデルだ。
 APM6は、APMユニットをモニターとして最適といわれる2ウェイ構成とし、エンクロージュアをスーパー楕円断面の特殊型として、デフテクションの防止を図ったAPM第二弾製品である。2ウェイ構成のため、セッティングは非常にクリティカルな面を示すが、追込めばさすがに、従来型とは一線を画したスピード感のある新鮮な音を聴かせる。使い手に高度の技術を要求する小気味のよい製品だ。
●パイオニア S−F1
 世界初の平面同軸4ウェイユニットを開発し、採用した、極めて意欲的、挑戦的モデルである。基本構想は、音像定位、音場感を最優先とした設計であり、混変調歪やドップラー歪に注目して一般型としたソニーAPM6と対照的な考え方と思う。
 角型ハニカム振動板は、低域と中低域のスキン材にカーボングラファイト、中高域と高域用はベリリュウム箔採用だ。磁気回路は、同軸構造採用のため、ウーファー振動板40cm角に対して32cm型のボイスコイルであり、背面の空気の流れを確保するため非常に巧妙な考えが見受けられる。とくに、高域と中高域の同軸構造磁気回路は、シンプルでクリーンな設計である。
 エンクロージュアは、230ℓのバスレフ型で、システムとしての完成度は、相当に高いが、今後のファインチューニングを願いたい内容の濃いシステムである。
●テクニクス/モニター1
 SB7000で提唱した位相特性平坦化を平面振動板採用で一段とクリアーにした理論的追求型のシステムだ。独特のハニカムコア展開法は、振動板外周ほどコアが大きくなり、軽くなる特徴をもち、4ウェイ構成のユニットはすべて円型振動板採用。
 低域用の特殊構造リニアダンパー、高域用のマイカスキン材をはじめ、磁気回路の物量投入は、価格からみて驚威的で、非常に価格対満足度の高い製品である。特性は充分に追込まれているが、システムアップの苦心の跡としてバッフル前面のディフューズポールや、内部定在波を少し残して低音感を調整したあたりは巧みである。この製品の内容を認めて、使いこなせる人が少ないのが、現在のオーディオの悲劇であろうか。

パイオニア A-150D

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 パイオニアから、従来のA150に替わるモデルとして発売されたA150Dは、デザイン的には、オプションのサイドパネルを除き変更はないが、その内容面は、大幅な変更を受け、基本から完全に新設計された、意欲的な新製品である。
 基本的な特徴は、電源トランスを含め左右独立したモノーラル構成のパワーアンプと、同じく、電源トランスを含む、小信号系の独立したイコライザーアンプという、3ブロックに分割した内部構成にある。
 パワーアンプの左右チャンネルをモノーラル構成とするメリットは、左右の信号の相互干渉がなく、混変調歪、セバレーションが優れ、聴感上では、音場感的な空間情報量が豊かであり、音像定位がクリアーになる特徴がある。また、小信号系を分離すれば、変動が激しいパワーアンプの影響を受けず、音質向上が計れることば、セパレート型アンプのメリットにつながるものだ。
 簡単に考えれば、プリメインアンプでセパレート型アンプに近似したメリットを実現させようという考え方で、一時は、この動向がプリメインアンプの主流を占めた時代があったが、最近では、主に価格的な制約が厳しいため、採用される例は少ない。
 このタイプで問題になるのは、構造面の機構設計の技術である。プリメインアンプであるだけに、同じ筐体内に、分割したブロックを組込むためのスペース的な制約は厳しく、この部分の設計が、目的を達成するか否かにかかわる鍵を撮っている。
 パワーアンプは、A150のノンスイッチング方式を発展させた、ノンスイッチング回路タイプIIと呼ばれるタイプで、従来型の100kHzまでのノンスイッチング動作から、100kHz以上までと動作領域を広帯域化している。また、B級増幅のアイドリング電流のドリフトに起因するサーマル歪や出力段で発生する非直線歪に対して、新しくアイドリング電流を電源スイッチ投入直後や大きな信号が入った直後にも、瞬時に安定化する特殊回路が開発され、出力段の歪みは従来の1/10となっているという。
 経験的に150W+150Wクラス以上のパワーアンプでは、一般的な試聴のように、数分間程度信号を加えて音を聴き、数分間、音を止め、再び音を出す、という間欠的な動作をさせると、音を出した最初の10〜20秒位の間は、音が精彩を欠いており、これが次第に立上がって本来の音になることを常々体験し、温度上昇との因果関係をもつことを突きとめてはいるが、アイドリング電源の安定度との相関関係も非常に興味深いものがある。
 このところ、スピーカーのインピーダンスは、従来の8Ωから6Ωに主流は移行する傾向を示していることの影響をも含めて、パワーアンプの低負荷ドライブ能力が、再び、各メーカーで検討されているようだ。
 A150Dも、低負荷ドライブ能力の向上は、設計上での大きなテーマであり、パルシプな入力がスピーカーに加わった立上がり時に、見かけ上のインピーダンスが、サインウェーブで測った公称インピーダンスより低くなる動的インピーダンスに対しての駆動能力を確保する必要性を重視した結果、パワーアンプは、電流供給能力を増強した設計で、4Ω負荷時190W+190W、2Ω負荷時で270W+270Wが得られると発表されている。
 機能面は、トーンコントロール回路や、モード切替えスイッチをパスさせて、信号系路をシンプルにするラインストレートスイッチ、多様化するプログラムソースに対応するための、5系統の入力切替えスイッチと2系統のテープ切替えスイッチを備えている。なお、MC型カートリッジは、A150同様に、昇圧トランスを使い、3Ωと40Ωが切替え使用できるタイプである。
 リアパネルのスピーカー端子は、太いスピーカーケーブルの使用に対応するため、ターミナルのコード接続部の開口は、3×5φmmと大きく、構造的には、2枚の金属板を庄着するタイプが採用されている。
 試聴は、JBL4344、ソニーCDP701ES、バイオニアP3a十オルトフォンMC20IIを使う。
 外観的には、オプションのウッドボードをボンネットの両側に取付けると、かなり大人っぽい落着いた雰囲気になる。各コントロールは、適度に明解さの感じられる節度感のある感触があるが、大型のボリュウムのツマミは、A150と格差を感じる金属削り出しに格上げされ、そのフィーリングは高級磯らしい好ましいものだ。
 また、機構面も目立たないところだが、A150と比較すれば確実にコントロールされており、ボンネットや内部の機械的な共振や共鳴が抑えられ、手でたたいてみても、雑共振が尾を引いて響くことはない。
 音質面でのA150Dの最大の特徴は、従来の、豊かで柔らかい低音から脱皮した、余裕のある力強い安定した低音への変化である。この新鮮な感覚の低域をベースとして、密度感があり、気持よく抜けた中域とナチュラルな高域が巧みにバランスを保ちスムーズに伸びた帯域バランスを聴かせる。基本的なクォリティは、充分に高く、A150に対する価格の上昇を償って充分以上の内容の向上である。
 音色は、ほぼ、ニュートラルであり、アンプの本質がもっとも現われる、音場感の空間情報量や音像定位のクリアーさでも従来とは一線を画したパフォーマンスだ。
 オプションのサイドパネルを取付けると、制動効果で音は少し抑えられるが、クォリティ的には少し向上する傾向が聴き取れる。総合的に、電気系、機械系のバランスが大変に優れた、注目すべき新製品である。

ヤマハ CD-2

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 ヤマハのCDプレーヤーは、価格的にもトップランクの高級機、CD1が最初の製品であった。比較的に短期間に、CD1は、改良が加えられ、CD1aに発展するが、これと、ほぼ時を同じくして、かつてパワーFETの開発で注目を集めた、独自の半導体技術を駆使して、驚異的短期間に、CD専用LSIを完成させ、これを搭載したモデル、CD−X1は10万円のボーダーラインを最初にきった製品として、センセーショナルに登場した。
 今回、発売されるCD2は、価格的には、コンポーネントライクなCDプレーヤーが数多く存在する価格帯の、やや下に価格設定をされた、ヤマハCDプレーヤーのスタンダードモデルともいうべき新製品である。
 基本的なベースとなったものは、CD−X1であるが、外形寸法が、いわゆるコンポーネントサイズの横幅435mmにまとめられているように、筐体関係は完全に基本から新設計された、ヤマハの第3世代のCDプレーヤーである。
 CDプレーヤー独特の高度な音質と使いやすさの2点を両立させたモデルとして開発された印象を受けるCD2は、クォリティオーディオを推進するヤマハの製品らしく、その基本は当然のことながら音質を優先させた開発であることは、いうまでもない。
 現時点でのCDプレーヤーの音質についての要求は、大別してアナログ的な味わいを残したタイプと、デジタルならではの高性能さを、ストレートに音に活かしたタイプに分けられているように思われる。
 ヤマハの製品で考えれば、第一弾製品であるCD1は、やや前者寄りに属する音が特徴であり、CD−X1は、基本的な音質に重点をおいて聴けば、ある種の物足りなさを感じるのは、価格から考えれば当然のことであるが、その素姓の素直さ、という聴きかたをすれば、シンプル・イズ・ベストの例のようにむしろCD1/1aを上廻るものがあると私は思う。
 余談にはなるが、安易にコントロールアンプの上に積重ねて、CD1/1aを使っているとすれば、CD−X1を充分に使いこなして追込めば、クォリティ的にはかなり、近接した結果にすることは可能である。
 このあたりが、価格に関係なく基本性能が、ほぼ同じである、CDプレーヤーの前例のない大きな特徴であろう。
 CD2は、開発にあたり、音づくりではなく、CD本来の可能性を最高に引出すことをテーマとしており、この考えかたは今後のCDプレーヤーの標準的な流れとなるであろう。
 その内容は、音に大きく影響を与えるフィルターには、ヤマハが開発したLSIに内蔵したデジタルフィルターとアナログフィルターを組み合わせた、いわゆる音が良いフィルターを使用し、電源部には大型低インピーダンス電源トランス、配線は無酸素銅線、アース系の銅板バスバーなどを、アナログ系アンプには、アンプで手がけているクォリティパーツを導入している。
 光ピックアップは3ビーム方式で、独自のアドレス制御法により、再生系の回転変動を吸収し正確な信号読取りが可能。
 筐体関係は、機械的な設計や加工で定評のある、ヤマハの技術を充分に活かした設計で、細部にわたる振動や共鳴の制御は、CDプレーヤーにおける、独自のノウハウの産物のように思われる。このあたりが、優れたCDの音を最良に引出すための陰の立役者なのである。
 機能面は豊富であり、常時受付けの10キー、12曲までのランダムメモリー再生が可能。A−B2点間を含むリピート機能に加えて、曲間及びABリピート繰返し間に+3秒の間隔を作るスペ−ス・プレイやディスクを挿入すると自動的にプレイするAUTO、プレイボタンで再生スタートするNORM、1曲ごとにポーズ状態となるSINGLEの3段階に切換わるプレイモードが特徴的な機能である。なお付属の赤外線リモコンは、基本操作のほとんどをカバーする機能を備える。
 試聴は、JBL4344とデンオンPRA2000ZとPOA3000Zを使う。
 ディスクを装着するトレイの動きと音は軽いタイプであるが、機械的な精度は高いらしく装着時の音も、不快な共振や共鳴が抑えられたカタッと決まった印象がある。付属のRCAピンコードは、平均的なタイプで、聴感上の帯域バランスは、ハイエンドとロ−エンドを少し抑えた、いわば、安定型で、比較的にキャラクターをもつ中級ブックシェルフ型スピーカーや、機構的な追込みや、コントロールが難しい中級のプリメインアンプでは、この程度のバランスがマッチすると推測される。
 各種のRCAピンコードを試用し、追込んでみると、CD2の潜在的な能力が次第に発揮されるようになり、帯域バランスもワイドレンジ型に変わり、音場感の空間情報の豊かさや、定位感がシャープに決まるようになる。CDプレーヤーの置き場所を選び安定させると、コンパクトディスクの録音の差や、アンプ系のわずかのキャラクターも音として検知できるようになってくる。このときの音は、適度に伸びやかで、軽快なイメージのサウンドである。いわゆるデジタル的な浮上がった吾がなく、ノイズの質もかなり良い。
 使い勝手は機能が豊富だけに、ある程度の慣れが要求されるが、当然のことだろうう。総合的にみて、CDプレーヤーとして、トータルバランスが優れており、開発目的を充分に達成した印象が強い製品だ。

パイオニア P-D90

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 P−D90は、D70ベースの音質重視設計の新製品である。
 考えてみれば、大変に不思議なことであるかもしれない。CD開発当初より驚異的な特性を基盤として、超ハイファイをキャッチフレーズにしてスタートしたCDプレーヤーは、当然、音質最優先であるはずである。この、はずが実は問題なのだ。
 CDプレーヤーの基本性能は、f特でこそ、上限が20kHzとアナログに劣るが、SN比、ダイナミックレンジ、セバレーション、ワウ・フラッターなど、さすがにデジタル機器らしく、アナログディスクとは、比較にならぬ次元のデータを示している。この優れたデータが、結果としての音質や音場感情報量に活かすことができれば、超ハイファイになるはず、というのが、いわば希望的観測であるわけだ。
 音質的にも、CD発売以前は、一部ではデータが驚異的なだけに、CDプレーヤー間で、差が出ないのではないかとの話しもあったが、先行したEIAJ規格のPCMプロセッサーでの結果と同じく、機種間、メーカー間の音の差が、明確に存在しているのは衆知の事実である。
 CDプレーヤーで音質が変わる部分は、その構成部品すべてであるといっても過言ではない。一般的には、DAコンバーターからフィルター、それにアナログアンプに、そのもっとも大きな原因があるとされているが、それも現在の段階では、という但し書きをつけてのことである。
 P−D90の基本メカニズムは、D70を受継ぐ、独自の方式を採用した自社開発によるものだ。対物レンズをフォーカス方向と半径方向のトラッキングを独立させ、トレース能力を向上させたクロスパラレル支持方式、プリズム、コリメーターレンズ、対物レンズなどの光学系を一直線上に配置し対物レンズをはさんで2個の磁気回路と2個のコイルでダブル駆動とし駆動系の感度アップと高精度化を計ったフォーカスパラドライブ方式の2点がピックアップ系の特徴である。
 一方、ディスクまわりのメカニズムは、D70で採用されたタイプに手を加えたもので、メカニズムの機械的な検討がボイントであろうが、この部分も予想以上に大幅に音質を変化させるキーポイントである。
 これらの高精度化されたピックアップ系の採用にともないデジタル信号処理回路には、2チップからなる高性能LSIを採用、ディスクの反りや、ピットのばらつき、キズなどによる信号の欠落に対して、最大12フレームにおよぷドロップアウトを原信号に戻す強力な誤り訂正能力を実現している。
 DAコンバーター以後のアナログ回路は、パイオニアのオーディオ技術を駆使したもので、各オーディオアンプ基板上に専用の定電圧電源を置くとともに、オーディオ回路のオペアンプやアナログスイッチ類を全てシングルタイプとしたシングル駆動の採用、さらに電源ライン、アースラインとも、デジタル系とアナログ系を完全分離する処理がD70にないD90の特徴である。
 また、回路部品の高音質C・R、オリエントコア使用の電源トランスやOFCで絶縁体にも音質対策を施し、極性表示された音質が優れた電源コードなど、高級アンプと共通の部品選択が見受けられる。
 機能面は、D70と共通ではあるが、電源のON・OFF以外のすべてのコントロールができるワイヤレスリモコンが標準装備される。なお外装は、ブラックとシルバーの2モデルが選ペるのもD70と異なるD90の魅力である。
 試聴は、スピーカーにJBL4333、アンプは、デンオンPRA2000ZとPOA3000Zを組み合せて使う。
 CDプレーヤーでは、基本的な情報量が多いだけに、アンプと接続するRCAピンコードの種類でかなり大きく音質が左右され、簡単にこれがこのモデルの音といった結論は出しがたいものである。
 基本としては、付属コードもしくは、メーカー指定のコードで聴くことが原則と考えるが、意外にこのあたりは軽視されがちで、専用コードの指示を依頼しても、確答のないメーカーがある例や、雑誌の試聴室でも、比較的に良さそうなコードが適当に使われているのが実情である。
 この点、D90の付属RCAピンコードは、金メッキ処理されたプラグ付の無酸素銅線便用で、平均的な使用では、充分に安心して使える品質をもつだけに有難い。
 操作系は、テンキーをもたないが、シンプルで、実用上文句のない使い勝手である。CDディスクをトレイに入れ、ディスクが装着されるまでの機械音は、メカニズム系の状態の概略を知るうえで、かなりの手掛かりとなる。とかく、軽視されがちで、プラスティック成形品が使われやすいトレイ部分は、軽金属ダイキャスト製でスライド中のノイズも少なく、フィーリングも良い。なお、装着時のカタッとかパシャッとかいうメカノイズも水準以上で、メカニズムが適度に調整されていることが感知できる。あるレベル以上の製品で、この装着時のノイズが、パシャとかカチャッとかのように、機械系のガタや共鳴音が出る場合には音質面に悪影響を与えるため、要注意だ。
 置場所は、充分に堅く、共鳴や共振のない木製の台に置きたい。聴感上の帯域バランスは、適度に力があり豊かな低域をベースとしたナチュラルなタイプで、クォリティは高く、いわゆるデジタル的な軽々しさや、表面的な表現にならないのが好ましい。音場感の拡がりはナチュラルで、定位もクリアーで過不足はない。ノイズも質もよくさすがに、第3弾CDらしい好製品である。

音楽に専念したい人に

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:完成度の高いシステムで、音楽に専念したい。グレードアップや買い換えの必要のないものを推選して下さい。

A:この質問を見ると、グレードアップや買い換えの必要のないもの、完成度の高いものとあり、値段の条件もかかれていない。ごく普通に考えれば、これは最高級のものという意味にとれる。少々俗っぽく考えれば、これ以上、高いものはないというシステムを意味するようにも思える。しかし、それならば、なにも、わざわざ質問をするまでもない。一番高い値段のものを組み合せれば、いとも簡単だ。そこを、あえて質問を寄せられたからには、どうやら、オーディオシステムの性格を知っておられるように思える。しかし、それにしては、音楽に専念したいとあるだけで、自分の好みについて何も触れていないのもおかしい。とすると、オーディオについてはそれほど理解はないけれど、高級品と高額品の違いをはっきり認識しておられる人にちがいない。世の中をよく御存知なのだ。しかし、Q氏(かりにそう呼ばせていただこう)が、それを承知なほどの方ならば、この質問が、いかに無理難題であるかも判っておられるはずだ。音楽に専念したいという一言で目的を説明出来たと思っておられるならば、それは少々単純過ぎるが、音楽への理解がなさ過ぎるというものだ。オーディオ機器は、機械であるから、最高のものなら、何をかけてもちゃんと、正しく、レコードに入っている通りの音を鳴らすものと思われているかもしれないが、それが、そうではないところに、オーディオの問題点も、興味もあるのであって、また、それ故にこそ、オーディオが趣味になっていることも御理解いただきたいのである。そしてまた同時に、どんな機械でも、その成果は使い手次第であることも認識していただきたいのである。クラシック向き、ジャズ向き、あるいは、弦楽器向き、ピアノ向き、ヴォーカル向きなどということを不用意に言うつもりはないが、千人千通りの嗜好があって、千機種千通りの音色があるとすれば、ことはそれほど単純ではないことは理解していただけるであろう。グレードアップとか、買い換えというのは、ただ購買欲をあおるメーカーの戦略ならいざ知らず、事実は、ドン・ジュアンの女漁り以上に切実で、純粋な美の探究者たちの求道の軌跡なのである。しかし、それは決して苦難の連続の泥沼などとは考えないでいただきたい。それは、むしろ、永遠に尽きることのない百花繚乱の花園に遊びながら、彷徨の中から美の高みへ導かれ自分も磨かれ、高められていく実り多い旅であるとお考え願いたい。
 親愛なる読者Q氏に申し上げたい。あなたが、ほんとうに良いものを求められる時、それが、あなたにとって価値ある対象であるならば、自身にとって最適なものを選ぶという主体性なくしては選べないことを、私が今、申し上げるまでもなく、あなたは御存知なはずである。あなたの生活にとって、何が最も価値あるものかは私が知る由もないことだが、かりに、オーディオ機器で音楽を聴くことが、あなたの生活の伴奏程度なら、私も気軽にお答えすることが出来るであろう。しかし短いながら、あなたの質問に書かれた、いくつかの言葉の意味は、私をそう気軽にさせない重味をもっている。もしかりに、私の友人が、車の好きな私に同じような質問をしたとしても、私は答えに窮することだろう。彼が、車を日常の足としてしか関心を持たないことを私が知っていれば、それなりの返事も出来るだろうが、グレードアップや買い換えの必要のない車で、ひたすら走りに専念したいといわれたら、いかに私がシビックの新しいモデル25iがいい車だと思っていても、それを推薦するわけにはいかないであろう。かといって、いかなる走りに専念するのかが判らないままに、私の大好きなポルシェ911を推める自信も私にはない。かつて、私は、そのような愚かな事をして、せっかく買ったポルシェを「あんなひどい車は乗れない!」といって一と月で手離された苦い経験をもっている。その人にも悪いことをしたと思ったし、それ以上にポルシェには申し訳ないことをしたと思ったものだ。
 Q氏! ましてや、あなたの質問されているオーディオ機器は、人の感性と情緒を通し、人の精神にも訴えかけることを目的とした存在で、音楽という深い芸術に関与するものなのだと私は思う。そして、値段のことなどをいうと、あなたに失礼なのかもしれないが、現時点でもグレードアップや買い換えの必要のないシステムともなると、一式で、ポルシェが一台ぐらい買える価格になるのである。Q氏が人生で得られた、数々の重な体験と価値観の中で、オーディオを考えていただけるならば幸いである。
 最後に、せっかくの御質問なので、これなら、多くの人々が失望を味わわないであろうと思われるシステムを御参考までに御紹介することにしよう。決して最高級でも、最高価格品でもないが、音楽に専念するに足るものだと思うし、価格面も考慮して価値あるものだとも思える私の推薦組合せである。
 プレーヤー:トーレンス TD126MKIIIBC
 トーンアーム:SME 3010R
 カートリッジ:トーレンス MCHII
 プリメインアンプ:マランツPm84
 スピーカー:ボスンアコースティック A400
 右のシステムは、クォリティの高さに比して、大きさも、それほど大げさではないし、値段的にも中級辺りで価値の高いものだといえるだろう。音楽に専念したいというQ氏の言葉を、オーディオ機器にはそれほどこだわらないレコードファンと解釈すれば、グレードアップや、買い換えの必要性も少ないと思うである。そして、何より、使いこなしはそれほど難しくないはずだ。ただしプレーヤーだけは専門家にきちんと取付調整をしてもらうことを条件とする。

オンキョー Monitor 2000

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 モニター2000は、価格帯からみれば、1ランク上のゾーンにあるシステムではあるが、今回の比較試聴に加えた製品である。
 早くから巷の噂では、オンキョーの高級機種に、2000、3000、5000の3モデルがあるとのことであったが、その第一弾として発売されたモデルがこのモニター2000である。
 オンキョーのスピーカーシステムは、ユニット形式のうえからもバラエティが豊かであり、ときには、非常にユニークな発想に基づいたシステムの開発が特徴である。最近では、小型なGR1システムが、その好例だ。
 伝統的には、ホーン型ユニットの開発に独自の技術があり、他の形式のドーム型などでも、中域や高域ユニットを優先開発する傾向が、従来は感じられた。ウーファー関係については、ポリプロピレン系のデルタオレフィン振動板の開発と採用が、新材料導入の実質的な出発点と考えてよい。
 今回モニター2000に新しく採用されたピュア・クロスカーボン・コーンは、平織りのカーボン繊維を三層に角度を30度ずらせて重ね合わせた構造をもっている。カ−ボン繊維の軽質量、高剛性を活かし、コーンに要求される内部損失を、カーボン繊維を張り合わせるエポキシ系接着材で確保するという考え方が、その基本設計思想である。
 この新コーンの開発で、特許面を含めて制約の多かったデルタオレフィン系コーンから完全に脱皮し、従来から独自に開発していたマグネシュウム振動板採用の中域、高域ユニットの性能を充分に活かした、総合的にバランスがとれたシステムへと一段の発展をとげることになった。
 モニター2000は、新開発のピュア・クロスカーボンを採用したウーファーに最大の開発エネルギーを投入してつくり出されたシステムである。そのことは、使用ユニットを眺めれば一目瞭然である。ウーファーユニットは、38〜40cm口径の大型ウーファー用に匹敵するφ200×φ95×25tの巨大なバリュウムフェライト磁石を採用した磁気回路をもち、情報量が多く、エネルギーを要求されるベーシックトーンを完全にカバーしようとする設計だ。
 中域ユニットは、独自のマグネシュウム合金振動板を採用し、軽量高剛性の基本性能に加えて、マグネシュウム系が適度な内部損失をもつことに着眼点を置いた素材選択に特徴がある。このため、材料独特の内部損失を活かして、ドーム内部に制動材などを入れずに素材そのものの音を素直に引出すという設計方針である。なお、中域の振動板形式は、φ65mmマグネシュウム合金振動板と10cmコーンとの複合型で、純粋ドーム型と比較して高能率であることが特徴である。いわば手慣れた材格の特徴を最大限に引き出しさりげなく仕上げたユニットが、このスコーカーである。
 トゥイーターは、マグネシュウム合金振動板採用のドーム型で、振動板周辺のフレーム形状で軽くホーンロードをかけた設計が、オンキョー独特のタイプと考えられ、このあたりにもホーン型ユニットに伝統があるオンキョーのオリジナリティが感じられる。
 エンクロージュアは、バスレフポートからの不要輻射を避けた背面ポート型で、裏板に28mm厚のアピトン合板、他は25mm厚パーティクルボード使用という構造も、一般的にバッフル部分を厚くする設計と異なった特徴である。また、バッフル面から不要輻射の原因であるバッジ類やアッテネーターパネルを廃し、ツマミのみを最少限の大きさとして残し、聴取時にはツマミが引込み、バッフル面はフラットになる設計が見受けられる。アッテネーターをバッフル面に取付けないとシステムの商品価値が失われるとする主客転倒的な考え方が定着している現状では、リーゾナブルな処理であるといわなければならないだろう。
 今回対象としたランクのスピーカーシステムでは、基本的に6万円前後の価格帯の製品とは比較にならぬ質的な高さが要求されているが、せっかく優れたユニットを採用しているにもかかわらず、慣例的にアッテネーターを前面バッフルに取付け、総合的なクォリティを劣化させていることは、見逃せない問題である。実際に、アッテネーターやバッジ類を良質の薄いフェルトなどで覆って試聴をしていただきたいものだ。この変化を聴き取れない人がいないとは考えられないほどの音質の向上が認められる。
 関連した問題として、響きを重視するエンクロージュアにアッテネーターパネル用の孔をあけること自体すでに好ましいものではない。また、電気的、磁気的にみても、リーケージフラックスが非常に多い一般的な外磁型フェライトマグネットの磁気回路に近接して、コイル状に抵抗線を巻いた抵抗器や信号系の配線が存在することは、簡単に歪の増加として検出されることなのである。
 もちろん、この程度のことは設計側では旧知の事実だけに、使用者側が良識をもって判断すれば、このクラスのスピーカーの性能と音質は、確実に飛躍的な向上を遂げるはずだ。
 モニター2000は、基本的に、やや広帯域型の現代的なレスポンスをもつ安定感のある音をもっているが、いわゆる、聴かせどころの要所を的確に抑えた表現力のオリジナリティに大きな特徴がある。
 セッティングは、他機種と同じコンクリートブロックでスタートしたが、システムの特徴である低域の表現力を活かし、一段と力強い音を求めて、ここでは変則的ではあるが、木製キューブの3点サポートを試みてみた。少なくとも、SS試聴室ではこのセッティングが、カタログコピーにある多彩な表現力を満すためのベストセッティングで、大変に気持のよい鳴り方である。
 組合せは、しなやかで、響きが美しく、適度に緻密さのあるアンプと、オーディオ的に充分にコントロールされた音のCDプレーヤーが望ましい。

ダイヤトーン DS-1000

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 ダイヤトーンスピーカーシステムの当初からの伝統的なコンセプトともいうべき、小型高密度設計の思想を現在に伝えるモデルが、このDS1000である。
 外観上は、この価格帯のシステムとしてひとまわり小型であり、サイズが重要な商品価値とすれば、物足りない印象を受けることもあるだろう。しかし、エンクロージュア形状に、回折効果を抑えて音場感情報が豊かなラウンドバッフル構造を採用しているあたりは、放送モニター2S305のイメージを残した、高性能タイプらしい主張が感じられる。
 基本的な構想は、新世代のダイヤトーンシステムとして開発されたDS505以来培われてきたハニカムコンストラクションコーンとDUD構造が、すでに完成期を迎えたことをひとつの契機として出発している。つまり、ユニット全体の完成度をさらに一段と高める目的で、ユニットを構造面から再検討し、見直すというアプローチである。
 この構造面からの検討というのは、逆に考えれば、独自の材質と構造をもつハニカムコンストラクションコーンやDUD構造の潜在的能力をさらに引出そうという意図でもある。つまり、従来構造をベースに検討された振動系の可能性の限界が、新しく、理論的に合理化さされた構想を土台とすれば、さらに未知の領域にまで発展する可能性があることを意味している。
 ウーファーフレームは異例に大型で、磁気回路全体を覆い、後から磁気回路をフレームに強固に保持する構造が特徴である。
 現在の国内製品では、磁気回路とフレームはネジ止めされているが、それは、前側のプレートとフレームのみであり、磁石とボールを含む後側のプレートは、接着材で固定されているのが普通だ。
 磁気回路とフレームの重量は、振動系の重量よりは圧倒的に大きく、振動系の動きに対しての反動は無視できる値とするのが常識的な様子である。しかし、海外製品を見ると、アルテック、JBL、タンノイなどでは、前後のプレートは、磁石を間にはさんでネジ止めされ、そして、前側のプレートとフレームが別のネジで固定されるという構造である。このあたりは、機械的な部分に伝統的な強みをもつ彼等らしい確実な手法である。
 このタイプを一段と発展させ、フレームで磁気回路を抑え込む構造がDS1000のウーファーの特徴だ。
 中域と高域ユニットは、ウーファーとは異なった手法である。いうなれば、シンプル・イズ・ベストの考え方による単純化が行われている。従来は、ユニットをエンクロージュアに取付けているフレームにまず振動系を取付け、さらにこれを磁気回路に、ネジ止めしていたわけだが、DS1000では、磁気回路の前側のプレートそのものをフレームとし、これに振動系を取付けるという単純化がなされている。振動系にとっては、支持されている位置が、磁気回路自体なのか、間接的なフレームなのかの違いだが、この差は大きく、高速応答性面での改革が果されている。
 音としての基本ラインは、ワイドレンジ高速応答タイプのサウンドであるが、中、高域ユニットのSN比が向上し、いわゆるダイレクトで、シャープなDUDボロンドームのキャラクターと従来いわれていたものの大半が実はフレーム関係の共振や共鳴が原因であったことが判かったようだ。
 一方、土台を受持つウーファーは、余裕があり、安定感が増し、音が鮮明になったことが特徴だ。また、音場感的な空間情報の量が大幅に増大したことは、このDS1000独自の特徴で、これは新しい次元への展開を予感させる。
 使いこなしのポイントは、まず関連機器のメインテナンスが先決条件であり、システム系の問題点を、サラッと音として聴かせるため、これをスピーカー自体のキャラクターと誤認することが多いであろう。
 試聴時でも、置台は平均的な左右間隔、前後位置も基準位置としたままで、CDプレーヤーの置きかた、アンプの位置決めなどの差が、かなりクリアーに聴きとれた。とくにアンプ系の筐体構造面から生じる機械的な共振や共鳴は、中域から中高域のメタリックな響きとなってかならずと言っていいほど音に出るため、細心の注意が必要である。
 置台の間隔は、ブロックの幅2/3程度が底板に重なる位置、前後方向は、中低域の量感で伸びやかに鳴るように、中心からやや後に偏った位置が良かった。このシステムも、響きの美しさを引き出す意味においては、ブロックよりも、木製ブロックかキューブを是非とも使いたい。ブロックの場合には、上にフェルトを敷く必要があり、またブロックの孔の部分、および床とスピーカー底板の間の空洞には、吸音材を入れ、中域から高域の良い意味での高い分解能、ハイスピード応答の魅力を引き出したい。、本来の意味でのハイスピードとは、ナチュラルな反応のしなやかさと鮮度感であり、むしろ、物足らないほどの印象を受けることもあるだろう。
、ネジ類の増締めは、順序を追って適度を守って行えば、反応はかなりシャープに変化をする。とくに、スピーカーターミナル部分の増締めは、全体に音が静かになり、音場感の空間情報量が確実に増す。しかし、取付けネジが木ネジのため、取扱いに注意が必要なことは他のモデルと共通の要点だ。
 左右は、メーカー推奨のLRでよい。アッテネーター、バッジなどのオーナメントがいっさいないため、この部分での問題は生じないが、サランネットを取付けると平均的システム+αの範囲に留るため、質的な要求度が高いときには、ネットは取り外したい。
 コード関係は、大きくその影響を受けるため、OFCやLC−OFC系の同軸タイプで追い込みたい。少しのキャラクターを残しても情報量の豊かさが重要で、あとは置台の選択と、台上でのわずかな位置調整で、バランスの修整は比較的に安易である。

テクニクス SB-M3

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 平面型振動板採用のシステムは、一時期各社から開発され、盛況を呈したが、現状では、ひとつのユニット形式として市民権を獲得していると思う。
 もともと、振動板解析の基本には、円形の平板を使う手法が古くから行われているように、平面振動板は、ある意味では、理想の振動板形態ということができる。この理想的な振動板を採用した数多くのシステムが、なぜ古典的なコーン型や、比較的に新しいドーム型ユニットなどと、少なくとも同等以上の成果が得られなかったのだろうか。短絡的に考えれば、平面型振動板駆動方式などを含めた、スピーカーユニットとしての完成度に問題があったようだ。
 各方式の平面型振動板を採用したシステムのなかにあって、テクニクスの製品は、ユニット自体の完成度がもっとも高いということが際立った特徴である。
 テクニクスの平面型振動板は、軽金属のハニカムコアを採用することでは標準的であるが、単純にコアをカットして両面にスキン材を張るという方法ではなく、コロンブスの卵的発想ともいえる独自の2段階のステップをもつコアの展開方法により、中央ではコアが密に、周辺ではコアが粗になる独特の構造を採用しているのが特徴である。いわば、コアが均一ではなく、質量分散型ともいえるコア構造のため、コア内部の空洞共振や共鳴が分散され、振動板の構造としては、通常型よりも好ましい。さらに、コア両面に張るスキン材が、外周の端末部分で両側から巻き込まれているために、端末部分の断面でコアが露出して不要共振が発生することを抑制している点も見逃せないところだ。
 また、ローリングを生じやすい平面型振動板をコントロールする目的で節駆動方式が採用されているが、ボイスコイルダンパーは、角型状に四方に対称形のギャザーを配した特殊形状のリニアダンパーが特徴的である。
 また、国内では比較的に軽視されやすいシステムの上下方向の指向特性を改善するために、トゥイーター用マグネットは、長方形型を採用し、スコーカーとの間隔を狭めたユニット配置としている。
 かつでSB7000で国内最初にテクニクスが提唱したリニアフェイズ方式は、当初においては、ユニットにドーム型やコーン型を混用していたため、エンクロージュア構造を変えて、ウーファーに対してスコーカー、トゥイーターを後方に偏らせることで実現されていた。しかし、平面型振動板の開発と全面的な採用により、通常型のエンクロージュアでリニアフェイズ方式としたアプローチは、いかにもテクニクスらしく、オーソドックスな、しかも、理詰めの手法であると思う。
 SB−M3は、4ウェイ方式フロアー型システムとして異例の価格で登場したSB−M1、その3ウェイ版であるSB−M2に続いて開発されたモニターシリーズの第三弾製品である。デジタル時代のモニターシステムとして、広大なダイナミックレンジ、SN比の良さ、音像定位の明解さが要求されるが、このSB−M3では、リニアダンパー採用のパワーリニアリティに優れたウーファーをベースに、振動板前面に音源中心がくる平面型ユニットの特徴が活き、シャープさ、リニアフェイズ方式独特の位相特性面での優位性が積極的に表われている。特に、音場感の空間情報の豊かさ、素直な広がりが目立つシステムである。
 基本的にキャラクターが少なく、ナチュラルで適度に抑制の効いたサウンドをもつだけに、使いこなしは容易なタイプだ。低域は軽く、いわゆる重低音を志向したものでないだけに、中低域の豊かさ、反応の軽快さを活かしたバランスをつくり、奥行き感のある平面型独自の魅力に加えて、実体感のある音像を充分に前へ引き出すことを狙うのが使いこなしのポイントになる。
 置台は、ブロック一段なら間隔は基準よりも狭めとし、やや、柔らかい傾向をもつエンクロ−ジュアの音を引締める。前後方向は、基準より少し前方とし、重低域を狙わず、中低域と低域のバランスを重視して決める。いわゆるモニター的サウンドを志向するならば、コンクリートブロックよりも密度が高く、重量がある台形のコンクリートを置台に使い、その上に、数mm程の厚さのフェルトを敷くのがよい。
 左右は、バスレフポートを外側にするのが原則だ。残念なことは、SB−M3では、ポートと対称位置に二個のアッテネーターがあることだ。この部分の共振の影響は、素直な平面型振動板の特徴にデメリットとして働き、中域以上の分解能、SN比を劣化させている。試みに、1mmほどの薄いフェルトでアッテネーター前面をマスクしてみると音源が遠いと感じやすいSB−M3の個性が薄らぐ。しかし、抜けがよくなり、音像は一段と前に定位し、実体感が加わって、積極的な意味での平面型振動板の良さと、リニアフェイズ方式のメリットが聴感上にはっきりと感じられるようになる。
 この中高域以上の改善は、本来、柔らかく、穏やかな性格のウーファーにも影響を与え、反応は一段と早まり、鮮度感や力感の表現すら可能になる。この変化は、現実に体験をしないと判からないほどに劇的なもので、スピーカーならではの使いこなしの楽しさであり、魅力である。
 ネジ関係の増締めは、素直に反応を示すが、前面から鬼目ナットを装入するタイプで、2〜3回転は簡単に廻わり、最後でジワッと固くなる特徴がある。なおスピーカー端子は、ゆるみが少ないことが、M2ともどもテクニクスの特徴と思う。
 コード類は、太い平行二芯やFケーブルは不適当で、無酸素銅同軸の外皮を+に用いる使用が好適であった。最新のLC−OFCも、その情報量の多さから試みたいコードだ。
 組合せには、素直でキャラクターが少なく、適度に伸びやかさが加わったアンプと、軽快なワイドレンジタイプの音をもつCDプレーヤーを使う。

CDのメリットを活かすためには

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:CDのメリットをはっきり聴きとれるレベルのベーシックシステムを構成するとどの程度のものになるのでしょうか。選択上の注意点を含めて、具体的に製品をあげて下さい。

A:質問を読んでみると、まず、問題となるのは、『CDのメリットをはっきりと聴きとれるレベルのベーシックシステムを構成する』という日本語としての意味をどのように解釈するかが、この質問を解決する鍵であるようだ。
 では、CDのメリットとは何だろうか。ここでは、どのような人が、どのような部屋もしくは場所で、何の目的でCDを聴きたいのか、が判からなければ、解答するだけの経験と情報を私が持っていたとしても、答えられるはずはない。条件を設定しないことが今回の質問の面白さとかが編集部の見解であるようだが、質問の次のポイントである、ベーシックシステムという奇妙なカタカナの持つ意味の漠然とした点をも含めて、改めて編集部に確認をとるために電話をかけたところ判かったことは、CDを聴くための、もっとも簡単なシステムを組み合せろ、ということが質問の意味であるということであった。
 とかく、オーディオでのいわゆるQ&Aと称する項目には、誤った解答を含め、数多くの問題点が存在するが、それはさておいて、引き受けた以上は何か解答めいたことを書かなければならない。
 CDが登場して以来、アナログかデジタルかとか、伝統的なアナログディスクの芸術性をけがすものとかの記事がオーディオ誌上をにぎあわせたが、嵐のあとの静けさのように、話題性が薄れた現在ではかつてのアンチCD論を唱えた人々も、現実にはひとつのプログラムソースとして使っているというのが実状であるようだ。
 では、CDが実用化されて、オーディオはどのように変わっただろうか。漠然とCD登場以来の新製品、オーディオ誌上でのいわゆる音質評価のリポートなどを眺めていればそれほどの変化は認められず、スピーカー、アンプ関係、カセットデッキ、テープ関係の広告コピーに、『デジタル対応』という表現がしばしば見受けられる程度というのが平均的な見方であるだろう。
 この『デジタル対応』なる言葉はときには新鮮なひびきに受取られるであろうが、簡単に考えて、従来から使われてきたいわゆる新製品とか、新型とかと同義語と受取るとよい。でないと、『デジタル対応型』とそうでないものの間に差があるということもになりかねない。現実に、CDプレーヤーを管球タイプの古いアンプに組み合せても、同時代のスピーカーシステムを使っても、音楽を楽しむ点でで問題があろうはずはない。
 ただし、CDのスペック上の特徴である、ワウ・フラッター、クロストーク、SN比、ダイナミックレンジなどの項目での従来のプログラムソースに比べて圧倒的な優位性を活かすためには、現用のシステムに接続するだけでは、CDのもつ情報量の豊かさを音に活かすことはできないことに注意したい。
 つまり、トータルなシステムの再点検や、より高度な使いこなしが要求されるわけだ。
 オーディオでは、周波数特性的な面が重視され、CDの再生機器が問題にされやすいが、従来のプログラムソースに比較して約20dB増加したダイナミックレンジは、ダイナミックレンジ的なフィデイリティの高さであり、クロストークやワウ・フラッター、SN比が優れていることは、音場感的な空間情報量が圧倒的に優れていることを意味するものだ。したがって、モノーラル時代から受継がれてきた、サウンドバランスのみを重視する聴き方では、CDのもつ特徴は聴きとれないだろう。かつての4チャンネル時代以後、2チャンネルステレオでの音場感情報をいかに増すかについて努力を続けてきたメーカー側の技術開発や新素材の導入に対しての過少評価については、反省してほしいことと思う。つまり、サウンドバランスだけで2チャンネルステレオを聴くことはナンセンスである。
 音質面、音場感情報の豊かさ以外にも、CDには機能面、外形寸法的な特徴で、従来のディスクとは比較にならぬ優位性がある。
 この使いやすさ、一度ディスクをセットすれば、イジェクトしない限りにおいて安定性や再現性に優れるため、かつてのアンチCD論者も、開発側のメーカーでも、最近ではプログラムソースとしてCDを使う例が非常に多くなっている。このことが、アンプやスピーカーに結果として表われているようだ。
 例えばコントロールアンプの開発では、従来は、アナログディスクをプログラムソースとするため、基本データーが得られたあとの音質面でのチェックは、まず、MCヘッドアンプ、RIAAイコライザーを追込み、次いでハイレベル入力以後、コントロールアンプ出力までのフラットアンプやトーンコントロールアンプ、フィルター段などを調整するため、結果として、RIAAイコライザーを受けるハイレベル入力以後コントロールアンプ出力までの増幅段は、いわば、パワーアンプとの間のサウンドやキャラクター調整用アンプといった性格が強く、各社のコントロールアンプで、この部分のみを比較すると音の違いに驚かされたものだが、昨年あたりの新製品では、CDを使うことが多いためか、まず、この部分から追込みが始められているようで、ハイレベル入力以後の増幅段の質が大幅に向上しているようだ。このあたりは、プログラムソースと共存して進歩するオーディオ機器の姿をクリアーに表わしている面だと思う。
 そろそろ、本題の解答の組合せをまとめたいが、簡単にCDの機能と音質を楽しむ目的なら、CDプレーヤーは、10万円未満の、ヤマハ、オーレックス、ケンウッドで好みのモデルを、スピーカーで聴くとすれば、ボーズ101MM+1701アンプで、あまりコンポーネントシステムらしくなく、気軽に、それも、予想よりもダイナミックな音で楽しむのが、ユニークな方法だと思う。

CDの導入にあたって予算50万円をどう使うか

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:予算50万円で、アナログプレーヤーのグレードアップを考えるべきか、それともCDプレーヤーを新規に購入すべきか迷っています。ただ、CDプレイヤーにはこの価格帯のものはありません。正直なところCDの音はアナログのそれを越えているのでしょうか。

A:この質問は解釈が難しい。簡単に受け取ることも出来るが、難しく考えると、アナログVSデジタル論にならざるを得ないのである。質問のポイントも曖昧だ。50万円で、プレーヤーのグレードアップというが、今まで使っていたプレーヤーがなんなのか、どの程度のものだったのかは不明である。こんな質問に答えろというのだから無茶な話である。この質問の意味するところは50万円ぐらいのプレーヤーで鳴らしたアナログディスクの音と、CDプレーヤーによるコンパクトディスクの音を比較して答えてほしいようにもとれる。CDプレーヤーの場合、50万円ぐらいの価格のものがないことは質問者はよく御存知だから、どの辺のもので比較論を述べよといわれるのか? 何から何まで意味の不明確な質問である。
 仕方がないから、ここは、この質問を一つのヒント・テーマとして考えてみることにしよう。
 CDが発売されて一年半ほどになるが、タイトル数も2000を越えたといわれ、CDプレーヤーも、すでに各メーカー共に、第三世代の製品も市場に送り出すところである。私の手許にも、もう200枚を越える数のCDが集まっているし、自分でも、CDを制作してみた。CD制作を通しては特に数々の興味深い体験をして、デジタル録音の理解を深めることが出来たし、音というものの複雑微妙な性格を改めて思い知らされた気もする。そして、今の私は、CDや、デジタル録音には何の嫌悪感もアレルギーも、偏見も持っていない。それどころか、むしろ、この新しいテクロジーに対して畏敬の念までもっているものだ。しかし、だからといって、デジタル一般やCDが、音の点で、アナログのそれを越えているなどとも思っていない。強いて、現時点でのCDとアナログディスクとの音を比較して述べるならば、部分的には一長一短、総合的には甲乙つけ難しというのが私の感想だ。部分的、総合的というのは少々説明を要するかもしれないが、簡単にいうことにしよう。つまり、部分的といったのは、ノイズがあるかないか、解像力の優劣、微弱音、間接音などのローレベル再生の雰囲気、弦の質感、打楽器の、あるいは管楽器のそれといった、音色の個性への適応性などを微視的に分析して聴き、比較した話であり、総合は、それらの部分的な優劣のプラス・マイナス、さらに扱い易さ、機能、価格などを加えて、全体としての商品の魅力としての評価を意味したつもりである。とするならば総合的には、甲乙つけ難しというCDは、誕生して、わずか二年足らずの商品だということを考える時、その技術の先進性が可能にする将来の発展性の大きさへの期待がふくらんでくるのである。また、アナログディスクについては、技術的に決して現段階が最終的なものではないわけで、まだまだ、将来への発展の可能性があるにもかかわらず、デジタルの出現により、急速に、デジタルとのドッキング方向に向ってしまっている事実を認識しなければなるまい。現に、すでに現在、アナログディスクの新譜の多くはオリジナルがデジタル録音である。今後、アナログディスクが消えてなくなることはないとしても、純血のアナログディスクは生れにくい。おそらく、80年代をもって、純アナログディスクの制作は終焉を迎えることになるだろう。そして、今までに制作された厖大なアナログディスクはゆるやかに下降をたどり、中で優れたものはCD化される方向へ行くのではないだろうか。ただ、ヒットソングのような、いわゆるシングル盤に対するCDの対応が遅れているから、事はそう単純にはいかないと思うが……。ポピュラー分野でのアナログ技術は、まだまだ根強いと思われる。レコーダーのデジタル化が端緒についたばかりであって、その他、録音制作に必要な関連機器のデジタル化はまだまだ先のことである。
 こうした現実の中で、私自身は、録音再生のオーディオ技術へのデジタルテクノロジーの参入は尊ぶべきことであって、アナログ技術と対立させて優劣を云々すべきものではないと考えている。ただ、強調しておきたいことは、新しいテクノロジーなるが故に、何が何でもデジタルが優勢であると考えてしまう誤った感覚、そして、同じことだが、アナログ技術を過去のものとして、前向きに捉えての研究開発を怠る姿勢の危険についてである。アナログにはまだまだ大きな可能性が秘められているはずだ。そして、デジタル技術も、その録音再生に関与してみると、まだまだ未完成な技術であることが判る。
 さて、そこで、質問者の迷いに答えることにしよう。結論的にいって、今現在使用中のアナログプレーヤーに大きな不満がなければ、予算50万円のうち、15万円ほど、CDプレーヤーにお使いなさい。そして残りの35万円のうち、とりあえず、10万円ほどはCDを買ってみる。25〜30タイトルのCDが買えるはず。これは、全発売タイトルの1%にも満たないわけで、結構、選択の楽しさ、難しさを味わえるはず。そこで、残りの25万円については、気が乗れば、さらに大量のCDを買い込むもよし、アナログディスクを買い足すのもよいだろう。あるいは、25万円あれば、現在のアナログプレーヤーのグレードアップも、かなりのレベルで出来るのではないだろうか。アナログディスクに、オープンリールテープ、カセットテープ、FM/AMチューナー、そして、新たにコンパクトディスクが加わったというように考えて、この新しいメディアのもつ数々の特徴を楽しんだらいかがなものだろう。もし、質問者が、徹底的にアナログだけの追求をやりたいというのなら、それもまた素晴らしい。しかし、50万円では徹底的追求にはほど遠いグレードのプレーヤーに留まるともいえるだろう。

CDの魅力を十全に聴きとるには(組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:コンパクトディスクならではの魅力を(機能の豊富さを含めて)完全に聴きとれるシステムを構成したいと思います。CDの良さが十分に発揮されるコンポーネントの組合せをお願いします。

A:他のCDについての質問と言葉の意味上で差別の少ない設問である。『コンパクトディスクならではの魅力を(機能の豊富さを含めて)十全に聴きとれるシステムの構成を』がポイントである。この件について、編集部に問合わせたところ、いわゆるCDを聴く現状でのリファレンスシステムの組合せをつくれ、ということであるとの答を得た。それにしても、オーディオ的な日本語の表現は大変に、意味を把握することが難しいものだ。
 この質問は、問合わせの結果としてリファレンス的なシステム、という目的が判かっているだけに、考え方はあるはずである。
 リファレンスという意味も、オーディオではよく使われる言葉であるが、これも、実際には相当に幅広い意味で使われているようだ。必ずしも、リファレンスシステムだから現代の最高級(最高価格かもしれない)コンポーネントを集めて組み合せればよいとはかぎらない。巷には、とにかく、最高価格の製品を可能なかぎり多数組み合せて、これぞ最高のシステムとする風潮が一部にはあるらしいが、集めただけで、素晴らしい音楽が、音が聴けるという保証があろうはずはなく、集めて組み合せた時点が出発点であり、それ以後、技術的な感覚的な意味をも含んだ使いこなしの結果が、目的とする素晴らしい音楽、音に到着する道のりであり、どの程度の期間が必要かはまったく予測することができないほど遠い道のりであるのは事実だ。とかく、使いこなしが軽視され、というよりは忘れ去られ、コンポーネントを買うことが終着駅的な風潮が平均的になったことが、オーディオを面白くなくさせ、業界は低迷を続け、基本方針も明確でないAVとやらが登場すると、オーディオがだめならAVがあるといって安易に転向することになるわけだ。
 ちなみに、オーディオコンポーネントシステムの中央に、チューナー部分を省略したわりには高価格なモニターテレビとハイファイVTRを置けばAVシステムになるのだろうか。もしかりに、高画質、高音質がAVのメリットだとしたら、一般的に家庭用のテレビの画質に神経をとがらせ、何年に一度アンテナを交換し、いつCRTを交換しようかと考える人がどれだけ居ることだろうか。ハイファイVTRが出現して急激にAV時代が釆たとするならば、AVの前途は、まさにバラ色に輝いた末来があるはずである。家庭のテレビは、もともとAVなのである。
 やや横道にそれたが、本題にもどして、設問にあるCDのためのリファレンスシステムを考えよう。まず、リファレンスとなるCDプレーヤーをどう考えたらよいのだろうか。
 CD登場以来、一年半の年月が経過し、製品としては、ほぼ第三世代のプレーヤーが市場に登場しているが、大勢は、価格低減化の競争にあり、この争いが一段落しないと、いわゆるオーディオ的な意味でのCDの規格を活かした優れた製品は開発されないであろう。
 では、現在の製品でどのクラスのCDプレーヤーを選べば、リファレンス的に使えるのだろうか。ここでは考えなければならぬ点はCDの特異性である。スペック上で見れば、99800円から180万円まであるCDプレーヤーで基本的なスペックは細部を除けば同一であるということだ。少なくとも、このようなオーディオ製品はアナログ系では存在しえなかったものだ。これが、PCMプロセッサーを含み、デジタル系のコンポーネントの際立った特徴である。
 オーディオを科学の産物とすれば、スペックが同じであれば、正しい使い方をすれば、ほぼ、類似した結果である音は得られるはずではないだろうか。現実は、市販のCDプレーヤーは、アナログ系のコンポーネントよりは、いくらか差は少ないとしても、音的な差は、かなり大きい。しかし、現状のCDプレーヤーの問題点を正しく把握していれば、それぞれの機種に応じた使いこなしで、かなり接近した結果に導くことは可能である。
 その問題点は大きく分けて二つある。その一は、機械的な振動に非常に敏感であり、音質、音場感情報が大きく変化することである。簡単に考えて、アナログプレーヤーより一段と設置場所の選択に注意が必要と判断すべきである。外形寸法的に小型であるため、安易に、プリメインアンプやコントロールアンプの上に乗せて使うことは厳禁である。しかし現状は、しかるべき権威のある団体のCDプレーヤーの試聴会場で、CDプレーヤーを積み重ねて試聴をしていた例もあるほど、この件に関しては、特例を除いて業界全体が認識不足である。例えば好例として、メーカーのCD試聴会場で、CDプレーヤーの上にCDのケースを乗せたままヒアリングをすることが多いが、その場合は、メーカー自身もCDプレーヤーを使う心得がないと判断されたい。
 その二は、CDプレーヤーのACプラグをどこから取るかの問題だ。基本は、アナログ系のアンプ類と異なった壁のACコンセントから取ることで、誤ってもコントロールアンプのスイッチドACコンセントから取ることは避けたい。この理由は、数多くの問題点を含んでいるために説明は現状では出来ない。
 組合せを作らねばならないが、現時点での組合せ方法論は、CD登場以前とは根本的に変化をしており、いわゆる長所を活かす方法とか、欠点を補いあう方法では好結果は望めない。ここではスペース的な制約があるため、あえて在来型でまとめることにするが、要は使いこなしにつきることを注意したい。CDプレーヤーは、他社にないアプローチがユニークな京セラのDA910、アンプは同じく、C910、B910が好適だが、プリメインなら、パイオニアA150DかビクターA−X900あたりが機構設計上の長所で候補作だ。スピーカーは、聴感上のSN比が優れたダイヤトーDS1000、次いでビクターZero100。

パイオニア S-9500

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 昨年9月発売のS9500は、価格設定から考えると、ユニット構成は物量投入型で、内容が充実している。さらに、エレクトロニクス・バスドライブ方式という国内最初のダブルボイスコイルを使う新しい武器をも備えた、NS1000Mにとっては、かつてなかった強力なチャレンジャーだ。
 デジタルプログラムソース時代に対応するスピーカーシステムとして、低域再生能力の向上とダイナミックレンジの拡大という二大技術的目標をもって開発されたこのモデルは、パイオニアのトップランクモデルとして長期間にわたりシンボル的な存在である955シリーズでの基本技術に加え、独自の通気性二重綾織ダンパーと、改良されたカーボングラファイトコーン、さらに、新技術EBD方式を搭載した、明らかに新世代のパイオニアスピーカーシステムの登場を思わせる製品である。
 システムとしての最大の特徴は、低域のEBD方式である。ボイスコイルは2組あり、一方は、標準的なバスレフ動作で使用し、やや腰高だがフラットレスポンスからシャープに低域がカットされる特性である。他方は、システム共振周波数以下の帯域でのみ動作させ、システムとしての低域特性を一段と向上させようとするもので、発表値によれば、この外形寸法のエンクロージュアで、50Hzまでフラット再生が可能という、驚異的な値だ。
 この低域レンジの拡大をベースとすれば、スコーカーに要求される条件は、受持帯域の下側のエネルギー量が充分にあるユニットの開発である。
 一般的に、3ウェイ方式のシステムでは、ウーファー帯域が音楽信号の最大のエネルギー量をふくむ帯域を受持つため、最低域と中低域のバランスを両立させることが、システムアップの技術で鍵を揺る部分である。この解決策のひとつが、中低域専用のミッドバスを加えた4ウェイ方式であるが、ユニットの数が増しただけ変化要素が複雑になり、価格の上昇もさることながら、システムアップの難易度は、3ウェイ方式とは比較にならない。
 ちなみに、比較同時試聴でも、3機種の比較は容易だが、4機種となると急に難しくなることに類似している。
 ここで、EBD方式はダブルボイスコイルを採用しているから、一般のウーファーとは違うのではないか、という疑問が生じることだろう。簡単に考えて、ウーファーのボイスコイルを収める磁気回路のギャップの体積は、諸条件がからみあまり大きく変更できない。しかし、ここに2組のボイスコイルを収めるダブルボイスコイル方式は、通常タイプの受持帯域のエネルギーを減らした分だけを最低域用に振替えるタイプで、基本的には通常タイプと同等に考えるべきものと思う。
 さて、前述した要求条件を満たすためのスコーカーは、市販製品では最大の口径をもつ76mmドーム型ユニットが開発され採用されている。振動板材料は、独自のベリリュウム技術をもつパイオニアならではのダイアフラムで、方向性がなく、大パワーでも亀裂が生じない特徴を誇るタイプだ。なお、磁気回路のマグネットは、外径156mmのヤマハと同サイズを採用しているが、ボイスコイル直径が、ヤマハの66mmに対して76mmと大きいため、約10%も磁力が強いストロンチウムフェライト磁石を採用している。大口径スコーカーを採用すると、トゥイーターも受持帯域の下側のエネルギーが必要になる。独自のベリリュウムリボン型ユニットは、従来より一段と低域特性を改善して、ウーファーと共通思想で開発されたダイナミック・レスポンス・サスペンション方式を採用している。
 なお、パイオニアのスピーカーシステムの特徴として、ネットワーク回路が、業務用機器の600Ωラインに採用されているタイプと同じ、バランス型であることがあげられる。このタイプは、通常タイプと比較して、音場感の空間情報が多いのが特徴。
 使いこなしの要点は、量的に充分にある低域の豊かさを活かすことだ。誤った使用方法では、低域がダブつき、反応の鈍い、焦点のボケたシステムと誤認するだろう。現実に、市場でこのシステムの評価がいまひとつ盛上らないのは、使いこなし不在が、その最大の要因である。
 置台は、前例と同じブロック一段とする。左右の間隔は、基準より狭く、ブロックの外側とシステム側板が一致するあたりだ。置台が一段では少し低いため、間隔をつめて、システムの底板の鳴りを制動気味にする必要がある。前後位置は、前方に動かしたほうが全体にシャープ志向のモニター的サウンドとなり、後方に動かせば、伸びやかに闊達に鳴る開放的な響きとなる。当然使い手の好みで判断すべきだが、変化は穏やかで予想以上に使いやすい。ここでは、豊かさと適度なライブネスがあり、音場感の空間情報が多い方向が、システム本来の構成、性格から好ましいと判断して、やや基準点より後方にセットをした。
 積極的に使う場合には、置台は、コンクリートブロックよりも、堅木のブロックもしくはキューブが、響きのナチュラルさの点で好ましい。低域の量感が豊かなため、置台とシステムの間の空間には適量の吸音材を入れ、中域以上の透明感、SN比を向上させるべきであろう。
 ネジ関係の増締めは、適量を厳守されたい。無理をすると比較的容易に破損する。
 左右の置きかたは、バスレフボートを外側にするのが原則。ポートからのパルシブな圧力波的なものが音場感を乱し、大音量時には耳に圧迫感がある。音量レベルは家庭内の平均レベル程度がベストで、低域の量感の豊かな特徴が棲極的に活かせるし、大口径中域の余裕あるエネルギー感が楽しめる。スピーカーコードは、低域が豊かだけに、OFC、LC−OFCなどの情報量の豊かなものを使用し、固有のキャラクターを抑えて、充分に物量の投入された豪華なシステムの特徴を活かしたい。

ヤマハ NS-1000M

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 発売当初は、スリリングなまでに鮮烈なイメージを受けた独自のサウンドも、年月を経過するにしたがい、現在では激しさは姿をひそめ、むしろ、ナチュラルで、標準的な音をもったシステムという印象だ。
 この変化は、単に時代の変化という言葉で片づけることもできようが、その背景には、数多くの要素が複雑に絡みあっていると思う。
 まず、スピーカーシステムは、その基本的な部分が機械系のメカニズムをもつためいわゆるメカニズムとしての熟成度の向上が大きい要素だろう。平均的に言って、スピーカーシステムでは、試作段階のタイプより、生産ラインに乗せてひとたび生産ライン面でのクォリティコントロールが確保されてからの製品のほうが、よりスムーズで、穏やかな、安定感のある音となる傾向が強いようだ。
 経験上では、NS1000Mもこの好例のひとつで、初期の製品よりも、序々に生産台数が増加するにつれ、角がとれた大人っぼい印象の音に変化をしている。
 また、ある期間にわたって使い込んでいく間にみせるエージングの効果も明瞭にあり、前にも述べたが、トゥイーターの音が滑らかになるとともに、スコーカーは、受持帯域の下側が豊かになり、ウーファーとのつながりが厚く、一段と安定感のあるバランスに移行する。
 一方、超ロングセラーを誇るモデルだけに、細部のモディファイやリファインが行われているようで、気のついたことをあげれば、まず低域の質感と音色の変化である。初期製品は、中低域の量感を重視した、当時新開発のコーン紙を採用していたためか、いわゆるダイナミックな表現力を志向して、重低音と感ずる帯域に、力強く、ゴリッとした印象のアクセントを持っていた。しかし、しばらく期間が経過した後に、重低音の力強さは一歩退き、豊かで、まろやかな質感へと変化している。
 当然のことながら、材料の性質をナチュラルに活かしたものとして好ましいモディファイであると思う。ちなみに、巷の話では、現在の中低域の豊かさを保ちながら、重低音の厚み、力強さが出ればベスト、といった説明や解説がみられる。質的なものを犠牲にすれば、不可能ではないが、質的なレベルを維持するかぎり、平均的な構成の3ウェイシステムでは、ウーファーの受持帯域内の聴感上のレスポンスは重低域を重視すれば、中低域の量感は減じ、逆に、中低域の量感を得れば、垂低域のアクセントは消失するもので、それを両立させようという要求は、原理的に不可能な要求である。
 その理由は、特別な処置をしないかぎり、アンプからウーファーのボイスコイルに送られるエネルギー量は一定であるからだ。現実にコントロールできるのは、この一定のエネルギーを、聴感上で、どの帯域に分布させるかが、チューニングの基本である。もちろん、機械的な共振や空気的な共鳴を利用すれば、聴感上でのエネルギー感は増加をするが、クォリティの確保はできない。
 話題が少し外れたが、再びNS1000Mに戻れば、低域の変化に続いて、この低域とバランスをとるためか、高域の音の輪郭が少し強調され、表現を変えれば、質感が少し粗いと感じられたこともあった。
 また、2〜3年前頃だと思うが、ネットワーク関係が見直され、中域、高域のクォリティが向上し、音場感的な空間情報量が豊かになり、聴感上でのSN此が改善されるというリファインもあった。
 もちろん、振動板系においては、他の金属と合金を作りやすい特徴を活かした素材的な進歩があり、品質の向上が早いテンポでおこなわれる接着剤関係の改良、そして配線用線材なども、おそらく変更されているのではないかとも思われる。
 熟成し、完成度が高い現在のNS1000Mは、平均的には、使いやすいタイプである。なお、5モデルのスピーカーは、パイオニアP3aとオルトフォンMC20II、ソニーCDP701ESS、デンオンPRA2000Z、POA3000Zを組み合わせて試聴をおこなった。
 置台には、表面にビニール系のテーブルクロス状の布を張った本誌試聴室で使っているコンクリートブロックを、一段、横置きにして使う。左右間隔は、底板が半分乗った基準位置、前後方向は、中央より少し前側が、この部屋では好ましい位置だ。
 順序に従って、ユニット取付ネジなどの増締めを行なうと、その効果もクリアーで、かなり、リフレッシュしたサウンドに変わる。
 使いこなしの要点は、左右スピーカーを、メーカー指定とは逆に、アッテネーターが外側にくるようセットすることである。その理由は、大きなヤマハのエンブレム、2個のアッテネーターパネルとツマミからの輻射や雑共振が、中高域から高域の音を汚しているからで、逆に置けば、聴感上のSN比は向上し、音場感的な拡がりは明瞭にクリアーになる。
 概略のセッティングを完了し、ここでスピーカーコードを常用のFケーブルから日立製OFC同軸コードの外皮を+、芯線を−とする使用に変える。Fケーブルでの、中域重視型ともいえる、ややカマボコ型のレスポンスが、フラット傾向の誇張感のない、ややワイドレンジ型になり、分解能が一段と向上した反応の早い音は、現時点でも立派だ。
 結論としては、完成度が高く、構成部品のバランスが優れているところが、このモデルの際立つ特徴で、使い込めば、現代でも第一級のクォリティが得られる見事な内容を備える。ただし、ウーファー前面のパンチングメタルの共鳴が少しきついのが、アキレス腱的存在である。しかし、取外したとしても、トータルバランスは劣化するから要注意。
 組み合わせたのは、音場感情報が多くなったアンプと重量級CDのペアだ。使いこなしの要点を整理し、順序を守ってトライすれば好ましい結果は比較的容易に得られよう。

オンキョー Grand Scepter GS-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
「THE BIG SOUND」より

 オンキョーは、 もともと、スピーカー専門メーカーである。そのンキョーが今回発売した「グランセプター」は、同社の高級スピーカーシステム群「セプター・シリーズ」の旗艦として登場した。しかし、このシステムは元来商品として開発されたものではなく、研究所グループが実験的に試作を続けていたもので、それも、ごく少数の気狂い達が執念で取組んでいた仕事である。好きで好きでたまらない人間の情熱から生れるというのは、こういう製品の開発動機として理想的だと私は思う。ただ、情熱的な執念は、独断と偏見を生みがちであるから、商品としての普遍性に結びつけることが難しい。
 変換器として物理特性追求と具現化が、どこまでいっているかに再びメスを入れ、従来の理論的定説や、製造上の問題を洗い直し、今、なにが作れるか、に挑戦したオンキョーの研究開発グループの成果が、この「グランセプター」なのである。そして、その結果が音のよさとしてどう現われたか? このプロトタイプを約一年前に聴く機会を得た私は、条件さえ整えば、今までのスピーカーから聴くことのできないよさを、明瞭に感知し得るシステムであることを認識したのであった。
 限られた紙面で、そのすべてを説明することは不可能であるが、このシステムの最も大きな特徴と、その成果を述べることにする。
 オールホーンシステムである「グランセプター」は、ホーンスピーカーのよさであるトランジェントのよい音のリアリティ、ナチュラリティを聴かせるのに加え、従来のホーンシステムのもっていた、いわゆる〝ホーン臭い〟という癖を大きく改善している。それは、ホーン内の乱反射による時間差歪を徹底的に追求した結果として理解出来るのだが、それが実際、こんなに音の違いとして現われたというのは、新鮮な驚きであった。可聴周波数帯域内での時間特性の乱れは、スピーカーの音色に大きな影響を与えるものであることは知られていた。
 ここでいう時間特性というのは、周波数別に耳への到達時間がずれるかずれないかを意味するもので、ユニットから放射された音がホーンの開口から放射される前に、内部で起きる反射や回折によって時間的遅れを生むのを極力防ぐことに大きな努力が払われたのが、このシステムの一大特徴である。一般に、この時間が2〜3ミリセコンド以下なら人間の耳は感知しないといわてきた。
 そして、屋内での空間放射の現状を知ると、システムそのものの時間特性の僅かなずれは問題にならないと考えるのが常識であった。「グランセプター」では、ウーファーとトゥイーターのユニット間の時間特性をコントロールするという大ざっぱなことではなく、一つのドライバーが受け持つ帯域内での時間のずれまでを可能な限りコントロールしているのが注目すべきところである。前述のように、ダイレクトラジェーターと異なり、ホーンドライバーの場合、ホーン内の反射回折、ホーン鳴きなどはすべて時間特性の乱れとして見ることが出来るので、これを、ホーンのカーブと構造、その精密な加工技術、材質の吟味を、途方もない計算と試作の積重ねによって徹底的に微視的追求をおこなっている。これによって、あたかもヘッドフォンと耳との関係に近いところまで時間のずれをなくすべく努力が払われているのだ。この効果は、例えば、ピアノやヴァイオリンの単音の音色の忠実性にも現われるはずで、単音に含まれる複雑な周波数成分の伝送時間のずれがもたらす、音色の変化が少ない。ましてや、オーケストラのトゥッティのような広帯域成分の音色では、たしかに、大きな差が出る。耳と至近距離にあって時間ずれの起きないヘッドフォンの音色の自然感に通じるものなのである。
 オールホーンの2ウェイシステムで、能率が88dBというのは、異常なほどといってよい低能率ぶりである。ウーファーのホーンロードのかかりにくい帯域に合わせてそのf特とトゥイーターのレベルを抑え込んだ結果である。ウーファーはデルタオレフィン強化のリングラジェーターをもつ強力なドライバーで、波のコーン型ウーファーではない。振動板実効口径は23cm。これが800Hzまでを受け持つ。トゥイーターは65φの窒化チタンのグラデーション処理──つまり、断層的に窒化の施されたチタン材である。いい変えればセラミックと金属のボカシ材だ──を施したダイアフラムを採用。剛性とロスのバランスを求めた結果だろう。
 指向性は、水平方向に30度、垂直方向に15度と比較的狭角である。これも放射後の位相差を招かないためであり、従って、リスニングエリアはワンポイントである。厳密なのだ。無指向志向や反射音志向とは全く異なるコンセプト、つまり、技術思想が明確である。反面、左右へリスニングポジションを動かした時の定位は比較的安定している。
 使用にあたっては、かなり厳格に条件を整えなければならない。決してイージーに使えるようなシステムではない。それだけに条件が整った時の「グランセプター」は得難い高品位の音を聴かせるのである。
 とにかく、この徹底した作り手側のマニアックな努力と精神は、それに匹敵した情熱をもつオーディオファイルに使われることを必要とし、また、そうした人とのコミュニケイションを可能にする次元の製品である。そして過去の実績を新たなる視点で洗い直して、歩を進めるという真の〝温故知新〟の技術者魂に感銘を受けた。

ユニットの美学──ヤマハNS1000M以降、現代日本スピーカーの座標を聴く

井上卓也

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 現在の日本のオーディオ産業の実力は、もはや、その質、量ともに、世界の頂点に位置づけされるまでに到達している。
 しかし、その実力を発揮出来るのはエレクトロニクス技術にもとづくアンプ、チューナー、カセットデッキ、そしてCDプレーヤー、PCMプロセッサーの分野であるとする見解もある。トランスデューサー関係のスピーカー、カートリッジ、マイクなどの分野では、いまだに欧米製品に一日の長があるとするその見解は、根強く残っているようすである。
 スピーカー関係に的を絞って考えれば、たしかに1970年代までは、欧米製品の優位性を認めることはできる。しかし、それ以後、海外メーカーの開発能力に一種の陰りが見受けられ、かつてのように際立った新製品の登場が稀になっていることに加えて、国内製品は、新素材の導入、新技術の開発を繰り返してその水準はここ数年のあいだに確実に向上し、世界のトップランクの位置を確保しようとしているようだ。
 欧米メーカーといっても、国内市場で名実ともに認められたブランドは、予想外に少ない。それらのメーカーの特徴は、かつてはとても国内製品に望めなかった、優れた基本設計と材料をベースに充分な物量を投入して開発した強力なスピーカーユニットにあったわけで、米国系のアルテック、JBLや、英国系のタンノイが典型的な例であることは、いうまでもない。
 この、いわば強力なスピーカーユニットをベースにしたシステムづくりの動向は、国内製品にも強い影響を与えたのは事実である。ここしばらくは、ユニット開発を最優先とした傾向が強かったことが、国内製品の最大の特徴であろう。
 ことに、振動板関係の新素材の導入と開発はますます激化し、ベリリュウム、ボロン、航空・宇宙開発の産物であるハニカムコアに各種のスキン材を組み合わせたタイプ、カーボングラファイト、発泡軽金属、カーボン繊維などと、新素材の導入は、いまや珍しいものではなく、感覚的には、常識化されているといっても過言ではあるまい。
 現在では、普及機クラスのシステムにおいても、平均的な傾向は、物量投入型である。強力なユニット、オーバーデコレーション気味のデザインが標準であり、この二点が国内製品の特徴を明確に示している。
 残された問題は、エンクロージュア関係のチューニング技術の確率や、ネットワーク系、磁気回路系の内部的、外部的な干渉や妨害の検討を含め、総合的にバランスの優れたシステム開発を行うことである。
 現在の国内スピーカーシステムの実力を聴くために選んだ機種は、価格的に10万円を少し超した価格帯の製品であり、形態的には、ブックシェルフ型のモデルである。
 簡単に考えると、現在市販されているスピーカーシステムのなかで、いわゆるシスコン用としてメーカー独自のトータルシステムにも組み込まれるタイプを除いて、単体のコンポーネントと思われるランクの製品は、5万円前後の製品以上としてよいであろう。
 この、5万円をボーダーラインとする考え方は、スピーカーの分野に限らず、プリメインアンプやカセットデッキなどでも、従来から慣例的に行われてきたことである。いわゆる、〝売れ筋〟という表現でいえばスピーカーシステムにおいても従来から最大の需要をまかなってきた価格帯の製品だ。
 さらに細かく分類すれば、5万円前後とはいっても、5万円未満の25~28cm級ウーファー採用の3ウェイ構成の製品と、5万円以上の30~33cm級ウーファー採用の3ウェイシステムに区別されるが、ここでは、後者の価格帯の製品についてその内容を眺めてみよう。
 いわゆる標準的なブックシェルフシステムという見方をすれば、30cm級以上のウーファーを採用しているだけに、エンクロージュアの外形寸法は、このクラスですでに標準サイズ的な大きさになり、ユニット構成が3ウェイ方式であるかぎり、10万円以上のクラスの製品にいたるまで、この外形寸法にさして変化はない。これが、ブックシェルフ型システムの国内製品に見られる特徴である。
 一方、デザイン面から見ても、いわゆる売れ筋の価格帯の製品であるだけに外観は重視され、基本的に音質、性能と関係のない装飾用のオーナメント類にかなりの予算が投入されている。これは、むしろ10万円以上のクラスの製品よりも華美をきわめているといってよいだろう。
 このデザイン面と共通したこととして、国内のブックシェルフ型システムは、その初期から、取外し可能なサランネットが標準装備であり、この部分についても10万円以上の製品と変わらない必須条件とされているようだ。
 6万円前後のブックシェルフ型システムは以上の2点のような、より高価格なシステムと共通の要求条件を満たしながらも価格を守り、しかも年々その内容は次第に高まってはいる。しかし、エレクトロニクス関係が計算機付クォーツ時計の例のように急速に価格低減が可能な特徴をもつことに比較して、基本的にメカニズムであり、単純な構造をもつだけに、スピーカーの合理化による価格の低減は非常に至難の技である。すでに現状で、価格を維持すれば、その内容的な向上は飽和領域に入っている思われる。
 短絡的な表現をすれば、2000ccの排気量の自動車に、より排気量の少ない平均的な効率のエンジンを搭載した車種、といった比喩ができるのが、このクラスのブックシェルフ型システムといえる。
一方、10万円後半から20万円クラスのブックシェルフ型システムを見れば、外形寸法的にもかなりの自由度があり、ユニット構成も、3ウェイ方式、4ウェイ方式と共通性は少ない。したがって、平均的に、国内製品のスピーカーシステムの実力を試す目的には、やや外れた印象がある。やはりこのランクは、ブックシェルフ型システムのスペシャリティクラスと考えるべきで、それだけに、いわゆるオーソドックスな使いこなしのノウハウがなければ、簡単にはその高い物理的性能を音として還元しきるものではないと考える。
 現状では、10万円前半の価格帯のブックシェルフ型システムが、コンポーネント用としては、標準的な性能と内容を備えた製品である。
 この価格帯のブックシェルフ型として定着したのは、ヤマハのNS1000Mが、その最初の製品であり、現在に至るまで、稀に見る超ロングセラーを誇っているモデルである。
 標準的な仕上げと前面にサランネットを備えた、家具としても見事な仕上げをもつNS1000の、米国流にいえばモニター仕上げタイプとして開発されたNS1000Mは、当時としては、非常に個性的なブラック仕上げのアクセントの強いデザインで登場した。いわゆるエキゾチックマテリアルとして注目を浴び、当時としては驚異的なベリリュウム振動板を採用して、高域ドーム型ユニットは鮮烈なシャープネスを得、ブックシェルフ型の当時のイメージとは一線を画したダイナミックな低音により検聴用モニター的な受取りかたがされた。そして、急速にファンを獲得して不動の地盤を形成し、現在に至っている。
 この間、各社からそれぞれ強力な内容を備えた、価格的にも15万円クラスまでの挑戦者が送り込まれたが、NS1000Mを倒すまでにはいたらず、姿を消していった製品の数も多い。
 しかし、昨年来より再び、価格的にもNS1000Mに焦点を合わせた新製品が登場しはじめ、この価格帯の状況は、にわかに興味深いものになりだしたようだ。
 私見ではあるが、NS1000Mが超ロングセラーを誇る理由をここで考えてみたい。発売時期の1975年でさえ、現在の物価感覚と比較して、当時としては非常に高価な145000円のNS1000と同じユニットを採用したモデルであっただけに、108000円というその価格は、もともと価格対満足度の優れた製品であったことが最大のポイントである。つまり、強力なユニットをベースとして開発された特徴は、JBLやアルテックなどの製品のもつ優位性と共通であり、物価上昇を加味すれば、それ以後に登場する挑戦モデルは、開発が新しいほど不利になる。
 もちろん、価格を維持する目的と性能を向上する目的からNS1000Mもモディファイはされている。しかし、ウーファーと同等の強力な磁気回路とボイスコイル直径65mmのベリリュウムダイアフラムを採用したスコーカーは、エージングが進むにつれてウーファーとのつながりの部分が豊かになり、低域から中域の厚みが充分にあることがわかる。これは、NS1000Mの特徴で、比較的に使いやすく、音に安定感があり、ピアノの音の魅力ある再生に代表される好ましいキャラクターが、他のシステムにない強みとなっているようだ。
 例えば、スピーカーのセッティングに少しの問題を残したとしても、このスコーカーの威力は非常に大きく、場合によっては、3ウェイ方式ながらもスコーカーだけですべてのバランスをとっているといってもよい鳴りかたをするように思う。
 一方において、プログラムソース側の質的な向上や、ドライブをするアンプ側の確実な進歩も、現時点でいえば、物量投入型のシステムの力を引出す、背景にもなっていると感じる。
 結果としては、強力なスコーカーの存在がNS1000Mの鍵を握ってはいるが、このシステムは、いわゆるユニット最優先型の国内製品とは異なった部分がある。
 それは、次の各点である。第一に、完全密閉型のエンクロージュアは、一般型とは構造が異なり、かつてのタンノイ社のレクタンギュラーヨークに代表される欧州系の手法と思われる、エンクロージュア内部に中央を抜いた隔壁をもつ特異なタイプであること。第二に、吸音材処理方法に独自の手法が見受けられること。第三に、モニター仕上げであり、サランネットがないために、試聴時にはネットを外し、実際にはネットを取付けて聴くという、特性的にも音質的にも問題を残す国内製品独特の特異性が基本的に存在しないこと、などである。また、システムを構成する各パートのバランスが、当時としては異例に高かったことが、潜在的な特徴であると思う。
 このNS1000Mを中心に比較するシステムは、昨年来より急激に物量投入型の開発をはじめたパイオニアS9500を筆頭に、特許問題で最適な材料が使いにくいポリプロピレン系の振動取を脱皮してカーボンクロスコーンを新採用したオンキョー/モニター2000、独自の優れたハニカム構造の平板型ユニットを推進するテクニクスSB-M3、ユニット構造の基本から洗いなおした小型高密度タイプのダイヤトーンDS1000の4機種を加えた5機種で、現在の国内スピーカーの実力を聴いてみようということになった。
 結論からいえば、このクラスの製品を選んでおけば、あとは使いこなし次第でかなり高度な要求にも応えられるであろうし、今後、長期間にわたり、安心して楽しむことができるとすれば、価格も高くはない。
 現在の各コンボーネントのなかで、もっとも基本性能が高度なものは、エレクトロニクス系のアンプであろう。例えば、歪率(THD)をとってみても、スピーカーシステムに比較すれば、2桁は異なるはずだ。
 しかし、その優れた特性のアンプも、特性の劣るスピーカーで聴かなければ音質は判からない。これは、かのオルソン氏の、現在でも通用する名言である。
 最近の傾向として非常に困ったことは、スピーカーというのは、買ってきて、例えば、コンクリートブロックの上に乗せて結線をすれば、それで正しく鳴るものだ、とする風潮である。
 かつては、スピーカーシステムを使いこなすことに悪戦苦闘をすることは常識でさえあり、故瀬川冬樹氏のように、異常とも思える情熱をスピーカーの使いこなしに注いだ人もいたが、最近では雑誌も興味がないらしく、表面的な、床に近く置けば低音再生に有利になり、壁に近く置いても同様とする程度の認識で、セッティングに関してのかつての常識は、もはや皆無といってさえよいようだ。いまどきオーディオに携わる人々が、スピーカーシステムの置き台の差や、わずかのセッティングのちがいで音が大幅に変化することに驚いていたりすること自体が、大変に奇妙な話である。そればかりでなく、左右のスピーカーの置き台が異なっていても平気で製品の試聴をおこなう例などはもはや論外ともいうべきである。また、メーカーがセッティングした試聴の場合でも、左右のスピーカーコードの長さが異なっている例や、場合によっては、長いコードがコイルのように巻かれたままになっていることに驚かされるのは、いつものことなのである。
 この、使いこなしの不在。つまり、シスコンのように、買ってきて配達の人にセッティングをして賓ったらそれで終り、とする風潮がオーディオを面白くないものとし、オーディオビジネスを不況に導いた最大の理由なのである。
「コンポーネントシステム」というからには、各製品を選択し、基本に忠実にセッティングをしたときが終着駅なのではなく、その時点が実は出発点であるはずである。
 スピーカーシステムを新しく購入したとしよう。このときに要求されるのは、スピーカーのセッティングではなく、まず、従来から使用してきたシステムの総占検なのである。ここでは、細部にわたり書くだけの紙数がないために、基本的な部分のみ簡単に記しておく。
■AC電源関係
①プリメインアンプなどのアンプ類は、壁のコンセントから直接給電する。セパレート型は、プリアンプ、パワーアンプを、それぞれ壁コンセントから単独に給電する。不可能な場合は、大容量のコードを使ったテーブルタップを使う。
②アナログプレーヤーも①に準ずるが、プリアンプのACアウトレット使用時は、アン・スイッチドから給電する。
③デジタル系のCDプレーヤーは、アンプ系と異なる壁コンセントから給電する。
④AC電源の極性は、対アース電位の低い方を基準とする。メーカー側で極性表示をしてある場合でも、マーク側がホットか、グランドかは、メーカーによっても異なるし、場合によれば、同一メーカーでも、アンプとアナログプレーヤーで異なる例もあり、実測が基本である。
⑤アナログプレーヤー使用時は、CDプレーヤー、FMチューナー、TV、VTRなどの電源スイッチはOFFにする。
⑥アナログプレーヤーの近くに照明用に螢光灯は使ってはいけない。
■結線関係
①RCAピンコードは、よく吟味をし、最適なものを選択するとともに、プラグの先端-分、アンプなどのジャック部分をクリーニングする。
②スピーカーコードは、左右同じ長さを使用し、スピーカーに給電する経路、位置などを左右対称にするとともに、最短距離にカットして使う。また、端末処理は芯線を切らないように注意し、ターミナルは確実に締めること。
 線材は、平行2線タイプの充分に容量のある線を基本とし、チューニングアップ時には、同軸型、スタッカード型などの構造的な違いや、OFC、LC-OFCなどを状況に応じて試用する。
■セッティング関係(スピーカー以外)
①アナログプレ-ヤーの設置場所は、充分に剛性があり、固有の共鳴や共振がない場所を選び、ハウリングマージンに注意する。カートリッジの針圧は、MC型、MM型を問わず、最適針圧を中心に0・1gステップで軽・重両側に調整する。
②アンプ関係は、積み重ねず、アナログプレーヤーに準じた状況に置くこと。
③CDプレーヤーの置き場所は軽視されがちだが、アナログプレーヤー以上に置き場所の影響を受けるため、設置場所は、充分に注意をし、誤ってもプリアンプなどの上に乗せて使用しないこと。
 概略して以上の諸点は必ずチェックをしていただきたい最少限のことである。
■スピーカーのセッティング
①左右の条件を可能なかぎり同等にする。
②置き台に乗せるときには、グラつきを抑えないと低音の再生能力は激減する。
③置き台にグラつきや、ガタがある場合には床と置き台の間に適当なスペーサーを入れスピーカーと置台の間には入れないこと。
④一般的なコンクリートブロックを使う場合を例にする。簡単にするために、横方向に一段だけ使うとすれば、左右ブロックの間隔は、スピーカーの底板がブロックに半分かかる位置が基準。前後方向の位置も、底板に対してブロックの前後が等しくなる。つまり、ブロックの中央に置く位置が基準。
 左右の間隔は、システムの低域のダンピングに関係し、広くすれば、明るく、開放的な傾向を示し、低域の量感も増す。狭くすれば、制動気味になり、タイトな低域になるが、量的には減る傾向を示す。
 順序は左右間隔の調整を先行させる。
 最適間隔を決定後、前後方向の位置決めをする。変化量は、ウーファー帯域のレスポンスが変化した印象となり、前に動かすと、低域の下側の量感が増し、ややモニター的な音となる。後に動かすと、低域の上から中低域の量感が増し、伸びやかな音になる傾向がある。左右、前後とも極端に動かし、傾向をつかんでから、少なくとも、2~3cmきざみで追い込む。
⑤ブロックとスピーカー底板の間には、フェルトなどのクッション兼ダンピング材を入れ、ブロックの固有共鳴を抑える。ブロックのカサカサした響きが中域以上に悪影響を与えるからである。
⑥ブロックと床面、それにスピーカー底板で形成する空洞の反射、共鳴を避けるため、吸音材的なものを軽く充たす。これは、中域以上の分解能、SN比を飛躍的に向上させる決め手として重要な処理だ。
■ユニットの増し締め
 概略のセッティング終了後、高域・中域・裏板部分のスピーカー端子取付ネジ・低域の順序でステップ・バイ・ステップ、結果を確認しながら適度の増し締めをす
る。概略的には1/8~1/16回転ほどの余裕を残して増締めをすること。とくに木ネジの場合は、「適度な増し締め」を絶対に厳守されたい。ネジ構造は、ゆるめて取外してみれば明瞭だ。無理な増締めは故意の破壊であり、クレームの対象とはならないことを、くれぐれも注意していただきたい。

dbx SF1

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 これまで、ニュージェネレーション・スピーカーの技術の指向するポイントが、エネルギー変換器としてのスピーカーから音場変換器としてのスピーカーへ移行しつつあるということをずっと述べてきたわけです。そのためには、様々なアプローチと音場の聴かせ方があって、単に指向性を改善するもの、あるいはユニットのレイアウトを工夫するもの、あるいはバッフル効果によって自律的な音場を作るもの、あるいは、レコードにおいて人工的に強調され過ぎた音をスピーカーの側で少しコントロールし、生のイリュージョンを雰囲気として聴かせようとするものなどがあり、かなりバリエーション豊かな新世代が、いかにもアメリカらしくいっせいに開花しつつあるわけですね。
 そういう中で、dbxのSF1というスピーカーは、それだけでは足りない、むしろ積極的に音場を創成してゆこうというアプローチに基づいたスピーカーです。
 具体的にどうなっているのかというと、スピーカーエンクロージュアの四面にウーファーとスコーカー、そして項部に6個のトゥイーターがぐるりと取りつけられていて、一見無指向性のように見えるのですがそうじゃないんですね。エネルギーのラジエーションパターンが、卵型の楕円を描き、しかも音圧の一番強い方向が、左右スピーカーの向い合う内側なんです。逆に、左右スピーカーの外側、つまり壁に向かう方向が音圧は最も低い。そして、単に音圧レベルを変えてあるだけではなく、左右スピーカーの対向方向から外側にかけて、ネットワーク内部でタイムディレイがかけられているんです。従来のスピーカーというのは、どんな形式をとるにしても、リスナー方向に音軸が定められ、f特も指向特性も、そこを規準に考えられてきたわけです。ところが、このSF1は、左右スピーカーの作り出すトータルな音場、つまりリスニングルーム内にどういうパターンでエネルギーが分布すればもっとも豊かな立体音を形成するのか、そして2本のスピーカーからできるだけ複雑な位相成分を出そうということを、人間の音響心理、音響生理学的な見方も加えて考案されて
設計されているんじゃないかな。ですから、最初から音場の変換器としてペアスピーカーを考えるという徹底したアプローチでしある点が、これまで聴いてきたどのニュージェネレーションのスピーカーと比べても、なお斬新なところなんですね。
 プログラムソースに入っているものをそのまま忠実に、という発想ではなく、むしろ積極的に音場を創成してゆこうという姿勢ですね。もともとdbxというメーカーは、その名の通り、デシベルをエクスバンドにするという、いわゆるノイズリダクションシステムで、プロの分野で70年代に一躍脚光を浴びたメーカーです。その後、エレクトロニクステクノロジーをどんどん積極的にソフトウェア化する方向に向かい、サブ・ハーモニックシンセサイザーや、帯域別にダイナミックレンジを拡大するエクスバンダーを、コンシュマー化し、近年はさらにもう一歩進んで、20/20という音場補正用のイコライザーを手がけたわけです。
 おそらく、その時点から、dbxにおいて、音場というものに対する関心が、にわかに高まったのではないかと想像します。端的に言えば、dbxにとって、「SNから音場へ」というセカンドステップを実現したのが、このSF1なんです。
 20/20の開発において、音場のエネルギー特性を補正するプロセスを経験するうちに、dbxは極めて好奇心の強い会社で、しかも天才的な発想、自由な発想を待った会社ですから、エレクトロニクスでは伝送系の一部をコントロールできるにすぎないことから、アコースティックに直接タッチせざるをえないようになったんだと思います。
 エレクトロニクス技術で、アコースティックな変換系をコントロールするとすれば、ひとつには先に言ったイコライザーであり、もうひとつは位相のコントロールがあります。つまり、部屋の中に展開する音の運動波、波状をエレクトロニクスでコントロールできるのは、位相、時間特性の変化なんですね。
 このSF1には、SFC1というプロセッサーユニットが付属し、その特徴的なフィーチェアが、その位相成分のコントロール機能に当てられ、スピーカーの独特なエネルギーラジェーションに相乗効果として働くよう設計されています。
 中域の和信号(L+R)をプロセッサー内で加え、たとえばヴォーカリストの中央定位をより明快にしたり、ソロを際立たせるという使い方や、逆に差信号である逆相成分を元の信号に加えて、左右の広がりをスピーカーの外側にまでイメージさせようという内容で、おそらくプログラムソースの内容により使いわけるということが、原則としては考えられるでしょう。
 かつて、「4チャンネル」が流行したときに、マトリックス再生という方法があったんですが、そういうプロセッサーを作ることはdbxにとっては、いたって簡単なことだったろうし、それに対するソフトウェアを彼等はものすごく実験しているはずです。おそらく、様々なリスニングルームの特性をデータ化し、分析するということを前提としてやっていると思います。
 これまでのスピーカーが、レコード再生における新しいクォリティの発見として音場をとらえているとすれば、このSF1はさらにそこから一歩進んで音場の創成に向かっているということですね。
 実際に音を聴いてみて、興味深いのは、たとえば、ステージ中央で歌っている歌手の位置が、リスニングポイントを左右に大きく動いても、空間のある一点に定位したまま動かないということです。これは考えてみれば当然で、もしリスニングポイントが右へ移動すれば、左側のスピーカーのエネルギーの強い射程に入り、かつ右チャンネルは、音圧の低くなる方向となるわけですから、単純に言ってしまうとコントロールアンプのバランスコントロールを左チャンネル側へ回したようなことになるわけです。おそらく、SF1というスピーカーシステムは、リスニングエリアを広くとりたい、あるいはどこで聴いても、音像が動かないことを狙ったんでしょうね、その効果は、明瞭に聴きとれる。しかし、そういうモノ的な定位だけではなく、位相差成分を活かした、もっと効果的なステレオエフェクトも積極的に作りだせるはずで、逆相成分をコントロールした音場の楽しみ方も可能でしょう。
 もし、これが単純な無指向性スピーカーにすぎないとすると、左右のレベル差だけで定位している音像というのは、無指向性であるが故に、リスニングポイントが移動したときに定位も移動してしまうんですね。SF1のラジェーションパターンを見れば理解されると思いますが、リスナーがどちらかへ寄った場合、寄ったほうのスピーカーのエネルギーが弱くなる設計で、しかも、ディレイが入るという、非常に凝った設計になっています。
 SFC1というコントローラーは、SF1から出るそうした音の波の状態を積極的に変化させようというものであって、20/20のような補正的な考え方ではない。やっぱり創があるんですね。
 さらに考えられることは、たとえばスピーカーの間にビデオプロジェクターなりモニターテレビを置いて、そのプログラムソースが、ボーカリストを中心にしたものであった場合、複数の人間が観賞するときにも、音像が移動しないというのは大きなメリットになります。両端で聴いている人にとっても、歌手がブラウン管の位置から聴こえてくるという、音像と映像の定位の一致という点で、ぼくはとても興味深いスピーカーであると思います。
 このスピーカーシステムの一番のポイントというのは、一言ではいい言葉がないんですが、プログラムソースというものを一つの素材として、それをより立体的な生演奏のイメージに近づけようという発想にあり、ハイフィデリティというよりも、ハイクリエイティヴィテイという姿勢に近いと思います。ですから、ナイーブリアリズムの対極にあるという見方もできると思いますよ。アメリカの経験主義的な合理精神というか、プラグマティズムを感じますね。
 過去のオーディオの歴史において、様々な考え方が流行しましたが、かつては、忠実なプログラムソースの再生にはデッドな部屋のほうがいいという考え方があって、極端に言えば、現実無視の無響室のような部屋が、ハイファイに適しているという理想論だったんですね。しかし、現在では逆にある程度、ライブネスを待った部屋の中で聴いたほうが、より自然であり、より美しい音が聴けるという方向へ変わってきいます。
 つまり、すでに、なにがなんでもプログラムソースに忠実でなければならないという発想が、現実を前にして破綻しているんですよ。その方向をぐうーんと押し進めてゆくと、スピーカー設計の最初の段階から音場創成を前提にするというコンセプトは、さして驚くべきことでもないとも言えるんです。このシステムを、エキセントリックな見方でとらえることは誤りでしょう。
 今回聴いたニュージェネレーションのスピーカーの中では、ある意味では一番進歩的な発想で作られているということが言えるかもしれない。音場型の典型的なスピーカーであると言っていいと思うんです。やはり、テクノロジーのソフトウェア化に長けたdbxならではのスピーカーシステムだと思います。

アクースタット Model 2M

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 エレクトロスタティック型の発音原理というのは、ダイナミックスビーカーと同じくらいの歴史をもつ古いもので、その構造自体がニュージェネレーションであるという判断は誤りでしょう。むしろ、70年代においてアメリカでセイデンが多スピーカーの音が好まれたということに、より大きな意味がある。エレクトロスタティックならではの良さというのは、何と言ってもトランジェントがいい、つまりマスレスな動作による自然な音の肌合い、繊細で誇張感のない音色にあり、その良さを基本的に満たしたうえで、充分な音圧を確保すべく改良が重ねられてきたのが、アクースタット社のスピーカーです。
 冒頭に、インフィニティの音の肌合いに静電型に通じるマスレスの思想があるということを述べましたけれども、そのほかにプラズマスピーカーというような、本当にマスの存在しない発音原理、つまり空気をイオン化して直接発音させるという実験的な試みも、アメリカでは盛んにやられていた。そういう音の感受性というのは、かつてのAR、JBL、アルテックの時代には存在していなかったもので、スネルのところでも言いましたけれど、完全にアメリカのニュージェネレーションを代表する感受性のひとつなんです。
 じゃあ、このアクースタットはスネルのようなナイーブリアリズムなのかというとこれはとても単純には言い切れない。ナイーブリアリストだったら、やはりライブの音場感、空間の定位に素朴に生演奏のイメージを求めるということが基本にありますね。しかし、アクースタットの場合、平面波による音場合成ですから、リスニングルーム内に立体音場を再現しようという方法ではないのです。まるでヘッドフォンのように、頭の中で合成してステレオフォニックな定位を得るという平面波特有のエフェクトがあるわけです。つまり、平面波の場合、それを二つの耳で聴くことによって、人間の両耳効果の属性によって立体感のイリュージョンを、スピーカー側にあたかも展開するように聴くことになるんですね。ナイーブリアリストは、おそらくそこに違和感を感じるかもしれない。しかし、その違和感というのは、このスピーカーにしか求められない独自のイリュージョニスティックな音場でもあるんですよ。
 平面波というのは、距離をおいても、多少は散らばるとはいえ、あくまで平面波で押してくる。したがってドーム型や、ホーン型にディフユーザーを付けたドライバーのように距離に比例して指向性がブロードに広がってゆく性格をもたないために、平面面波独特の波状効果による音場体験を聴くことになるんですね。これは、自然条件において、たとえばコンサートなどで聴く音場とは違います。ですから、ぼくはそれを違和感と言ったけれども、ある意味では現実の現象としては存在しないが故のスーパーリアリズムに通じる部分があるかもしれない。
 さらに、このスピーカーの場合、非常に広い面積から音が放射されるため、そのことも一種独自の音場感に役立っていることも事実でしょう。
 しかし、ぼくはこのスピーカーの場合、空間よりも、むしろ質感にひかれてゆくナイーブリアリズムではないかと思います。つまり、生の音に通じるデリカシー、美しさをアクースタットは求めて静電型を選んでいるのではないかという判断なんです。弦楽器の優しい表情、細やかな旋律の起伏、どこにも強制的な、人工的な鳴り方のない音の魅力というのは、やはり目方のある振動板から音が出ているというスピーカーとは根本的に異なるクォリティですよ。音の立ち上がりの軽さ、トランジェントの良さというのは、生の音の良さに通じるんですね。
 逆に言うと、一般のスピーカーがだらしないとも言えるんですね。オーディオスピーカーここにあり、という鳴り方に辟易しているわけですよ。そこは、やっぱりナイーブリアリストに共通したところなんです。
 70年代に、そういった様々な意味でナイーブリスナー、あるいは音楽ファンを迎え入れるスピーカーが数多く登場してきたことの背景には、オーディオのメカニズムにあたかも支配されたようなサウンドを、ある意味では全面否定しようという共通意識があったからでしょう。それが、質感の徹底したナチュラリズムへ向かうのか、音場のナチュラリズムへ向かうのか、いずれにしても「自然へ帰れ」的な共通意識を感じます。
 ナイーブリアリストというのは、低音域の大振幅によるダイナミックな再生というのは望んでいないということも言えそうですね。つまり、先のスネルにしてもアクースタットにしても、実際に生の音楽では低域の大振幅を感じさせる大袈裟な鳴り方じゃないという認識が、出発点にあったはずです。つまり、音楽の聴き方として、一方がダイナミズムや音量的な満足感を求める聴き方にウェイトを置くとすれば、他方、ナチュラルな音響空間を求める聴き方にウェイトを置くこともあるわけで、ニュージェネレーションの聴き方のひとつはそこに求められていると言うこともできるでしょう。
 ただ、それはどっちかに片寄っていいということではない。ぼくだったら、このスピーカーを活かすために、まあ夢のような話かもしれないけれど、背面の壁は完全な反射面にして、後方へ出たエネルギーも積極的に利用したい。その場合に、壁は平面じゃなくて、曲面に仕上げるわけですよ。それで、反射音と直接波のブレンドをうまくバランスさせると、相当にラウドネスの限界は超えられると思う。
 いずれにせよ、ユーザー、リスナーの志向がどこを向いているのかが明快に問われるほど、ある意味では今日のオーディオシーンは多様化しているんですね。かつてのように、極端な個性と個性のぶつかり合い、思い入れのようなものから脱しているということなのかもしれない。それは、個性の普遍化へ向かいつつあることの証しでもあると思います。

エレクトロボイス baron CD35i

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 エレクトロボイスのニュージェネレーションを代表するバロンCD35iは、これからのオーディオ産業そのものの国際化を考えるうえで、非常に重要な位置にあるスピーカーです。つまり、企業が国際化してゆくということと、音の個性の国際化というレベルの問題を、これほど鮮明に打ち出した製品はかつてなかった。
 まずこれはとても美しいデザインとフィニッシュワークが、大きな魅力のひとつになっているわけで、本当のヨーロッパ製スピーカーでもなかなかこれだけのセンスのあるまとめ方というのは少ない。
 音のうえからも、男性的な、どちらかと言えば骨太のしっかりとしたエレクトロボイス伝統のサウンドをちゃんと継承し、そのうえさらにニュージェネレーションのスピーカーと呼ぶにふさわしいプレゼンスの豊かさを持っています。指向性の改善というのは、このスピーカーのひとつのポイントだけれども、いわゆる音場型スピーカーと呼ばれるスピーカーにややもすると感じられるひ弱なところがまったくない。これは、70年代にアメリカで登場した新世代スピーカーとまったく異なるところで、先のJBL/L250同様に、しっかりと伝統を踏まえた音作りがされています。
 とてもおもしろいことだと思うのは、今、オーディオ製品というのはエレクトロボイスに限らず、どんどん国際的な作られ方がされるようになっていて、パーツや素材供給のレベルでは、様々な国籍のものが使用されています。アメリカ製のアンプの中をのぞいて、日本製のパーツがあったり、北欧製のパーツが入っていたりというのは日常化している。これも、ニュージェネレーションのひとつの特徴でしょうね。
 なにも、オーディオに限ったことではなく、すでにカメラやクルマ、およそすべての工業生産品は現地生産あるいは協同開発という国際的な展開が日常化しつつあるわけです。あの頑固なポルシェをして三菱のパーツが使われるという時代なんですね。
 少し話が飛躍するかもしれないけれど、世界には様々な国があって、今後は、産業分担主義で行かないことには成り立たないんじゃないかと、ぼくは考えているんです。日本は日本が一番得意とする産業で世界中を賄う、アメリカはアメリカで、という具合にね。
 たとえば、現在の飛行機の開発というのは、最終的な仕上げ、アッセンブルはアメリカがやるけれど、ある部分はフランス、ある部分は日本という形で分担することが可能になっている。このバロンというスピーカーは、エンクロージュアデザインをスイスのE−Vが担当し、サウンドのコンセプトはアメリカのE−Vが担当するという形で、商品の完成度はとても高い。
 ところが、世の中には、まったくそれとは逆の意味での国際化、というよりも国籍不明の均一化という現象もある。ヨーロッパのものがアメリカナイズされたり、最近では外国製品と言えどもジャパンナイズされてゆく傾向があるんです。文化の独自性が生きるような国際社会を目指さないと、音のアイデンティティ、個性が失われてゆくことになりますからね。デラシネ・オーディオじゃ駄目なんだ。
 今、日本だけではなく、ヨーロッパでもPAシステムにエレクトロボイスやJBLが使われるというのは極く当然なこととしてあるわけです。つまり、サウンドの輸出という意味で、明らかに文化交流的なレベルで音の国際化は進行している。で、文化交流というのは、文化ごちゃ混ぜ、均一化ということではなく、自分たちの音に対する感覚、嗜好とは異質な音をより広く、深く知ろうということにあるわけでしょう。つまり、自分とは異質なもの、他国の音を聴くことで、さらに自分たちの音の文化を高めようということになるんですね。
 オーディオというのは、科学技術ですから、その面での国際化、均一化は急速に進みます。しかし、それは、産業レベルの話であって、音の個性、それを育んだ地域性の根は、洗練されながらも国際舞台に乗ることで、より広いファンを得てゆく。音の国際化、普遍化というのは、そういう意味でなければならないんです。
 エレクトロボイスのバロンというスピーカーが、ニュージェネレーションのスピーカーの中で果している役割は、ですから非常に重いと言えます。インターナショナルサウンドというのは、音の無国籍化であってはならない。
 個性というと癖のように、個人の勝手気ままな性格のように思われるけれども、じゃベートーヴェンが、マーケットリサーチをして音楽を作ったのか、受けようと思って作曲したのかといえば、そうじゃない。あれほど強烈に自己主張を主観的に押し出した音楽が、これほど普遍性をもっているという事実が、なによりも音の普遍化を説明しているでしょう。
 たとえば、国際化、普遍化がもっと進めば、現在のように特に日本向けに作る、あるいはアメリカ向けに作るということのナンセンスさが問われてくるでしょう。オーディオはたしかに音楽を伝達する道具には違いないけれども、オーディオを楽しむということは、オーディオ機器に個性を求める、選択するということに意味があるわけで、何でもいいやということにはならない。国籍不明のオーディオや、日本向けオーディオという発想は、非常に危険なことであるということを、このスイスメイドのエレクトロボイスが警告しているといっていい。

JBL L250

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 JBLの技術的な特徴というのは、かつてはハイエフイシェンシー、ハイパワードライブという業務用から派生したヘヴィデューティな性格にあったと思うのですが、JBLというメーカーの創設意図というのは、本来、家庭用の高級フロアースピーカーを作ることにあった。例えば、ランサー101、L200、L300といったホーンドライバーを用いたシステムが代表的な存在でしょう。L250は、コンセプトとしては、JBLの家庭用フロアースピーカーのカテゴリーに入るのですが、その独特なプロポーションとユニット構成は、JBLの家庭用スピーカーの歴史の中で異彩を放っています。しかし、L200、L300とこのL250を歴史的に埋める位置にあたるL222Aというトールボーイのシステムを見てみると興味深いことに、3ウェイ構成でトゥイーターはホーン型、スコーカーは13cmコーン型なのですが、そこに波型プレートの音響レンズがつけられていた。つまり、JBLとしては、家庭用として旧来のホーン型からコーン型へ移行する経過をよく表わしていると思うんです。エンクロージュアも、側板にテーパーがついて、定在波や剛性の面でも独創的なデザインを採用し、このピラミッド状のL250へ連なるものでしょう。
 しかし、もっと遡ってみると、L250の原点というのは、実は、かつてJBLのラインナップの中で異色な位置を示めていたアクエリアス・シリーズのあたりからだと思いますね。74年頃に一時期輸入されたことがあり、それまでのJBLの考え方とは全く異なったコンセプト、つまりスピーカーを1チャンネルの中だけで考えたシグナルの忠実な変換器としてステレオ用に2本使うというのではなく、最初から家庭内でステレオフォニックな拡がりというものを意図し、ホームインテリアにも溶けこむようなデザインから無指向性のペアスピーカーとして設計されていました。ですから、ユニットに、強烈なドライバーや大口径ウーファーを使ってエネルギー変換の忠実度を上げるというよりも、音の拡散とそのコントロールにウェイトが置かれていた。結果的にアクエリアス・シリーズというのは、JBLにおいて失敗に終ってしまったんですが、ひとつには実験的な性格が強過ぎたということもあったんじゃないかと思います。
 ステレオフォニックな音場というのは、位相差、時間差、レベル差というものによる立体感、つまり奥行きと拡がりのあるソリッドな空間ということですね。で、この2チャンネルの伝送変換というのは、モノーラルが単純に二つになったということとはまったく違います。ところが、2チャンネルの関連を使って、和差信号、位相差を空間で再生するためのステレオスピーカー技術というものは、アメリカにおいては70年代にようやく始まったと言え、アクエリアス・シリーズも当時にあってはJBLの解答のひとつだったわけです。
 70年代までというのは、とにかくエネルギーの忠実な変換器ということに技術が偏っていたように思います。偏っていたというのは悪い表現なんで、徹底していた。徹底していたからこそ、4343のような4ウェイ構成でもって、全帯域を緻密にエネルギー変換できるクォリティの高いスピーカーが生まれえたわけですよ。
 それに対して、アクエリアス→L222A→L250という系譜が語る別のラインというのは、忠実なエネルギー変換器であることに加えて、ステレオ空間の変換に対する忠実度を高めようというアプローチの上に礎かれてきた、もうひとつのJBLの歴史なんです。もちろん、音場変換器としてのスピーカーというとらえ方は、ボストンにも、先のスネルにも濃厚に表われていて、これはアメリカのスピーカーのニュージェネレーションに共通した問題なんですね。JBLとしては、バイラジアルホーンの開発というのも、明らかに指向性コントロールをステレオ音場の変換というポイントから取り入れた技術で、JBLにあっては、ホーンドライバーが音場変換に適していないとは判断していないことがうかがえます。
 ですから、そういう意味でL250を眺めてみると、これは完全に左右ペアスピーカーとして考えられており、ステレオフォニックな空間再生としてのあるべき技術的なポイントがどこにあるのかということに、大きなウェイトを置いて開発されたスピーカーなんです。
 ただし、JBLのように伝統のあるメーカーの場合、基本的にユニットを大幅に変えるということはしないで、柔軟に対応してゆくということはあるわけで、ユニットの設計そのものは従来のようにハイリニアリティ、ローディストーションという物量の投じられた内容をもち、L250の場合、エネルギー変換器としての忠実度を基本的に満たした上で、さらにエネルギーレスポンスのフラット化、位相コントロールという考え方が後からアダプトされている。このあたりの慎重な対応が、伝続あるJBLらしいところなんですね。
 L250の音の上での良さというのは、指向性がブロードになり、エネルギーレスポンスがフラット化されているためか、ステレオフォニックなプレゼンスによる響きの柔らかさということがまず聴き取れると思います。とはいっても、あくまでも芯のしっかりとした、輪郭の明確なJBLサウンドを継承していますね。
 それから、これはJBLの嫌いな人に言わせると、中低域にJBLのスピーカーというのはかなり特徴があり、ややボクシーな音がする。なにか容れ物の中から音が出てくるというイメージを彷彿させる。
 逆に言えば、聴きごたえのする、迫力のようなものが得られるという解釈もできるんですが、L250を聴いても、その中低域の、悪く言えばボクシーな感触というのがやはりありますね。エンクロージュアのプロポーション、バスレフボートの位置など、ボクシーな感触をある意味では避けた配慮がみられますが、やっぱりJBLの音であるな、という感想が出てくる。
 そうした意味においては、70年代に生まれたニュージェネレーションのスピーカーメーカーとは、一味も二味も違うスピーカーであるという、やはり大人なんですね。
 JBLファンというのは、最もJBL的な音が円熟して、まるで19世紀のヨーロッパの爛熟した貴族文化のように確立した時代に求めず、たしかに、JBLのヴィンテージが、そこにあったことは事実でしょう。
 それからすれば、L250のようにコーン型、ドーム型ユニットを用いたシステムというのはどうも……ということになるかもしれないけれども、スピーカーは空間の変換器であるべきだというこの客観的な共通意識を、実際のリスニングレベルでどう感じるのかということがかかわってくることなのでしょう。
 ただ、JBLくらいの大規模なメーカーになれば、ひとつの技術的な理想を実現するために、ホーン型は絶対に使えない、これからはコーン型しかないんだというような短絡した見方はしない。
 ニュージェネレーションは、じゃホーンシステムでは実現できないのかというとそれも妙なことでしょう。ホーンによって、いつの日か、もっと指向性が良くて、球面波再生を実現した呼吸球のようなホーンスピーカーができないとは言い切れないでしょう。それから、まったく逆に、指向性を自在にコントロールできるホーンの設計が可能になれば、意図的に指向性を狭くして、サービスエリアのコントロールをすることもできる。それらは、すべてニュージェネレーションに属した発想なんですね。
 ニュージェネレーションを迎え入れるために、我々はもうひとつのファクターを、まったく違ったアングルからとらえる必要があります。スピーカーというのは、リスナーの趣向に対応して鳴り響くものであるけれども、というよりもまさにそれゆえに、人間というのは本質的に飽きる、感覚が麻痺する、何か別の違うものを要求するという本能があるわけで、人間の広い感性の中でオーディオを見る見方が必要だと思うんです。それをただ縦の線上に並べて云々する、妙なヒエラルキーの中に閉じこもってしまうというのは、オーディオをどんどん袋小路へ追い込んでゆくことになるんですね。精神的には、プアーなオーディオになってしまう。
 たしかに、オーディオはテクノロジーの世界だから、良い悪いをテクノロジカルに表現して、縦の線で順序付けることは可能かもしれない。しかし、そのこと自体はオーディオの楽しみ、快楽とは無関係な、あくまでもテクノロジーの世界での話でしょう。もっとそこに、人間や音楽が立体的に絡んでくるより大きな世界がオーディオですよ。ですから、ニュージェネレーションのスピーカー群は、その意味で、フレッシュなるがゆえの魅力、まったくそれまで追求してきた自分のオーディオの方向を逆に振ってくれるような魅力が問われていることも事実なんですね。
 極端なことを言えば、それまでと違えばいいんです、変化が与えられればいい。
 その変化というのは、善悪、良し悪しの価値判断とは、まったく別問題なんです。ところが、そこをいい加減に混乱させてしまうために、オーディオのコンセプトに様々な混乱が生じている。混乱しているために、それを逃がれるかのように極端な保守的な考え方に閉じこもったりするわけだ。
 人間が、何か違うものを欲しがる、これは本能なんです。とりわけ、音に対する感性や情緒というのは、そういう本能のもとに常にさらされている。また、それを制約する規制があっては本質的に困るんですよ。
 変わる場合には良く変わらなきゃならないということは、絶対的な知性だけれど、それが良いのか悪いのか判断する物差しは趣味判断であり、個性であるという複雑な二面性をオーディオはもっている。
 ですから、ニュージェネレーションに共通したファクターが、音場、つまり時空間の変換器としてのスピーカーという新しいスピーカー像を提示していることは、客観的に認めうるとしても、それだけでは片手落ちですよ。人間の感性、情緒という本能に基づいたニュージェネレーションという見方が、基本には必要なんですね。
 イーストコーストサウンドは、その意味では一変した。しかもいい意味で一変したんだけれども、JBLの場合、伝統がある故にその伝統に引きずられている面もあると言えるし、新世代への対応はやはり慎重であると言えるでしょう。なぜ、アクエリアス・シリーズのオムニディレクショナル(無指向性)が成功を収めなかったのか、その教訓を誰よりもJBL自身が受けとめているはずなんです。

スネルアクースティック Type A

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 ぼくはこのスピーカーは今回初めて聴くんですが、スネルという会社はさっきのボストンと同様にイーストコーストに位置し、少し北のニューベリーボートというところにあるメーカーです。初めて聴くスピーカーなんですけれども、ぼくはこのスピーカーを作ったエンジニアの気持ちがとても良くわかります。一口で言うと、オーディオ臭い音が大嫌いなんです。逆に、ライブのコンサートの音のイメージに近く鳴らそう、鳴らそうとしている。ですから、レコードに入っている音を忠実に再生しようという気はまったくないと言ってもいい。つまり、コンサートで受ける音のイメージをスピーカーから忠実に再生しようという〝コンサートフィデリティ〟に基づいたコンセプトであることが強列に音に出ています。
 ジャズを例にとれば、ピアノトリオの場合に、アコースティックベースはエネルギーが足りないから、録音の際にブースターを使うなり、レベルバランスを上げて録音するわけですが、このスピーカーでそういうレコードを再生しても、ベースはバランス上やはり足らない。前へは出てきません。
 ハイドンのシンフォニーを聴いてみても、明らかにコントラバスセクションが足りないというバランスなんですね。しかし、実際、生演奏で、コンサートホールの中でコントラバスがブンブン響くということはありえないし、ジャズの場合でも、ウッドベースはドラムスとピアノの影に隠れてほとんど聴きとれないような音量バランスが現実なんです。
 このスネルというスピーカーは、そうした実際のコンサートで聴かれるバランスこそベストパフォーマンスなのだという出発点からスピーカーを設計している。やや短絡的な見方かもしれませんが、レコードにどんな音が録音されていようが、そんなことはともかくとして、スピーカーから再生される音の雰囲気が、おれが普段体験しているような生演奏のプレゼンスに近ければいいスピーカーなんだ、そういうフィロソフィがうかがえるんですね。
 しかも、ステレオフォニックな奥行き、プレゼンスを豊かにするために、スコーカーとトゥイーターは曲面バッフルにマウントされ、ディスパージョンを広げようとしているし、トゥイーターは、センター方向に指向性が強く出ないよう、ダイアフラムの直前のセンターチャンネル側にフェルトが固定され、左右方向の広がりを自然に再現しようとしている跡がみられる。
 それから、ウーファーというのはどうもドスンドスンという不自然な量感しかもたらさない以上、オムニディレクショナルにスッと拡散させたほうが、実際の生の会場の音場に近いということから、かなり低いところへクロスオーバー周波数(275Hz)を設定し、指向性に影響が出ない低域を下向きに取りつけたユニットから間接的に部屋の中へ放射させようという構造にしてある。ですから、たしかに低音の実体感、実存感は薄れますが、逆に、ライブパフォーマンスに近い残響感が含まれ、むしろ自然な音域に近いわけで、当然、そのことを取って作られたスピーカーなんです。
 構造を見ても、音を聴いても、これを作った人間がそこにいます、見えますね、ぼくには。その人が言いたいことを全部言えると思います。
 ですから、マルチトラックレコーディングによるオンマイク録音主体のレコードよりも、ペアマイクのワンポイントに近い録音、たとえば北欧のプロプリウスレーベルのような教会の長い残響感を活かしたようなレコードにうってつけなスピーカーであるとも言えます。
 ここで、オーディオマニアを含めて、音楽ファンの聴き方について少し考えてみよ
うと思うんです。
 まず基本的にレコードの録音と再生というのを知れば知るほど、レコードと生とは根本的に違うんだということがわかってきて、ポジティヴな面でもネガティヴな面でもそのことは肯定せざるを得ない事実としてある。そういうメカニズムに魅力を感じているのが大半のオーディオマニアであるとすれば、そういった一切に魅力を感じない人を、通常は音楽ファンと呼び、その中にもレコードというのを全然聴かないコンサートファンの三種類がいます。
 全くレコードを無視する、あれは作りものだということでレコードを聴かない、音楽は生が最高であるという音楽ファンがいて、その対極に、レコードの音が好きで、様々なスピーカーの音に興味があり、生と違うことを知っていてもなおかつオーディオ独自の音の魅力を追求してゆく音楽ファンとしてのオーディオマニアがいるとすると、このスピーカーの聴かせる音の世界というのは、生の雰囲気をオーディオという人工空間の中に再現しようというやや特異な位置を占めています。
 つまり、オーディオというエレクトロニクス、メカニズムの再生系に対し、非常にナイーブ、つまり素朴なリアリズムを要求している。ですから、レコードに録音されているすべての情報を正確に引き出そうという考え方で、このスピーカーに接したら失望する。しかし、生の演委で得られるライブな雰囲気をそのまま再生装置に求めようというコンサートファンにとっては、とてもマッチングがいい。ですから、このスピーカーの評価というのは、その人のレコード音楽の受け取り方によって、決定的に変わってしまうところがありますね。
 このスピーカーを作った人というのは、絶対にクラシックファンですね。しかも、ボストンのところで申しあげたように、イーストコーストのメーカーのつくるかつての重苦しい低音に相当に嫌気がさしたはずだね。そのことがすごくよくわかると同時に、このスピーカーは、実は、現代のハイテクノロジーに支えられたオーディオ機器に対してひとつの強烈なアンチテーゼを浴びせようという意図がありますね。
 つまり、現代の録音のメカニズム、それから絶対クォリティを追求したオーディオのメカニズム、そういったことは彼にとってはまったく関心外か、あるいは逆に物すごくそのメカニズムを知り抜いて、徹底的に批判している。少なくとも、クラシック録音で言えばカラヤン的な録音は大嫌いなはずだし、ホーンスピーカーなんて論外でしょう。
 これは、アメリカだからこそ生まれえたひとつの狂気といっていい。スピーカーから再生しようとしているのは、ナイーブリアリズムで、とても単純で素直なんだけれど、その単純さと素直さの狂気なんです。
 全然、話は変わってしまいますが、アメリカには、しなびたような野菜を好んで食べる自然主義者というのがいるでしょう。自然栽培とかいって、化学肥料による野菜は絶対に口にしない、ビタミン剤は飲まない、味の素は大嫌い、とにかく自然栽培の見てくれの悪い、しわしわの野菜しか食べないという徹底した自然主義者の狂気メリカには存在するわけ。オーディオにおける狂気の自然主義が、このスピーカーなんです。
 ですから、レコードをとても自然に鳴らしてくれるという意味で、このスピーカーの良さというのは明確に理解されますけれども、現状のオーディオ界の中での共通理解に立って、自然に音楽を鳴らすという表現は誤解を生むと思います。もっと明快に「自然に帰れ」というポリシーが、ある意味では非常に過激に表明されている。
 つまり、録音と再生のメカニズム系を飛び越えて、いきなりコンサートホールへ行こうという考え方なんです。
 たとえば、このスピーカーの音量レベルの一番いいポイントというのは、中音量から下へかけてのローレベルにあります。生の音楽会へ行って、決して大音量でガーンと鳴るということはありえないわけで、そのあたりにもナイーブリアリズムの性格が色濃く出ていると思います。
 狂気に属すものとして、例えばコンデンサースピーカーもそういうナイーブリアリズムから派生してきたものだと思うんです。特に音の肌合い、色艶、質感といった面で、自然な再生を求めてゆくと、静電型という答えが出てくる。その対極に位置しているのが、JBLであり、アルテックであり、昔のARだったと思うんです。「オーディオスピーカーここにあり!」という鳴り方とは正反対な方向にあるのが、静電型やこのスネルなんですね。オーディオスピーカーが大勢を支配していることは事実だけれど、これを作った人はそのことに対する物すごい怒りを込めて作ったと思いますよ。
 やはり、アメリカのように個性が共存し合う国だからこそ出てきたスピーカーですね。ただ、こういう考え方のスピーカーというのは、世界的に見ると劣勢の立場にあるでしょう。少なくとも、録音と再生のオーディオメカニズムのエフェクトを全面否定していますから。だけど、マジョリティというのは、そういうテクニカル・エフェクトにすぐいかれる、というと悪い表現だけれども、そこでまた録音と再生側の進歩が促されるという事実を見逃したら、オーディオも録音もエンジニアリングの意味がなくなってしまうんですよ。
 ぼくは、このスピーカーの音を聴いて、昔のドイツ・グラモフォンのピアノ録音を思い出しました。当時は、低域をかならずカットしたんです。特にケンプなんか、完全に低域がない。というのは、ホールでピアノ演奏を聴いたときに、ピアノの低音というのは今日のレコードから聴けるような、うなりを上げるような低音では絶対にないわけで、あくまでもコンサートのイメージに忠実に、つまりナイーブリアリズムでもって録音しようとすると低音はある程度カットしたほうがリアリティがあるんですね。
 それに対して、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルに君臨し、ドイツ・グラモフォンに発言権を持つようになってから、録音がずいぶん変わったように思うんです。
 彼の指揮した最もいい例は、チャイコフスキーの四番のシンフォニーがあるんですが、そのレコードを聴いてぼくが推測するマイクアレンジメントは、オンマイクとオフマイクで全体のバランスをとったものがあり、そのそれぞれにサブマスターがあって、その全体がマスターに入るというミキシング・レイアウトになっている。そして、音楽の情景、場面によってオンマイクになったり、オフマイクになるわけです。
 こういったことは、先ほど申しあげたコンサートフィデリティから言ったら、明らかにおかしい。オーケストラが向こうを行ったり、こっちへ来たりするわけですからね。ところが、音楽家にとっては、こういうことはあまり大した問題じゃない。
 たとえば、フルートのソロになったときもっと遠くから聴こえるように吹けという指示があるとすると、実際に遠くへ行くことは不可能なんだから、イメージの上でそういう音色が欲しいということでしょう。そういう音色の変化というのは、ミキシングテクニックでレコードのメカニズム内でどうにでもコントロールできます。音楽家は、まったく音楽的な欲求から、そういう録音を要求してくる。
 ところが、実際にレコードになってそれを聴いてみると、オーケストラが遠くなったり近くなったりするという不自然さが目立つんですよ。ぼくは、レコードとしてそれはいいレコードじゃないと思うんです。
 しかし、レコード制作者側の意図として、生の演奏だと絶対に聴きとれないような音をもスコアに忠実に録音するということがあったとしても、それは誤った考え方と決めつけることはできないんです。つまり、作り手の論理として、録音という機能を使いこなして、音楽家の要求、表現上の要求に対応することは、あくまで正論なんです。
 そうしますと、録音の側でもコンサートフィデリティとスコアフィデリティという対極的な考え方があり──現実にはなんらかの形でそのバランスを取るわけだけれども──再生側にも、エネルギー変換器としての忠実度を求めたモニタースピーカー的な考え方と、このスネルに代表されるように、コンサートフィデリティ、音場に対する忠実度を素朴に追求しようという二派に分極すると言っても過言ではないでしょうね。
 このスピーカーは、そういう意味で、録音と再生系のテクノロジー、そしてその目的といった本質的な問題を考えさせる上で、非常に示唆的な内容を提示していると思います。