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ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 当初のセッティング、部屋の音響的処理、試聴などの全プロセスを加えると、ほぼ24時間ほどS9500を聴いたが、デザイン的な制約のある独自な構成の2ウェイシステムとしては使いやすく、モニター的に前に出るJBLの音に、奥深い音場感のプレゼンスと素直に立つ音像などの新しい魅力を加えた、見事なシステムであることを実感できた。
 プロトタイプで聴いた時の、必要帯域内のエネルギーをビシッと聴かせたナローレンジ型の音が印象に鮮明に残るが、最新モデルでは、やや低域の量感重視型と変り、量感はあるが音の芯が甘く、軟調な低域となり、この部分をいかに制御するかがポイントで、ここが使い難いシステムという印象につながっているようだ。しかし、駆動側のアンプを、今回聴くことができたグレードのモデルとすれば、極限を望まなければ、この試聴条件でも、すべて調整範囲にある。
 スピーカーシステムとしては、公称インピーダンスが3Ωであるため、駆動するアンプは低負荷時のパワーリニアリティが要求され、今回の試聴でもアンプとスピーカー間が有機的に結合した音を望むと、8Ω負荷時のパワーが200Wは必要である。また、TV電波の外乱が少ない平均的な場所での條用では、高域のクォリティは明らかに1ランク高くなり、8Ω負荷時100Wあれば、本誌試聴室の200W級よりは、明らかに優れた結果が得られると思う。
 TV電波の外乱による音の劣化は、単一の症状として表われるものではないが、全般的に、電波障害が少ない環境の良い地区で作られる海外製品は、電波対策が施されていないのが普通のようで、かなり中高域以上が乱れ、高域が遮断されたナロ−レンジ型の音となることがほとんどである。
 国内製品は、電波対策は必須条件として設計されるが、非常に強力な電界下では、当然影響は避けられず、音の透明感、鮮度惑をはじめ、音の表情が抑えられ、マットになるのは止むをえないことであろう。
 高級アンプにとり、ウォームアップによる音質、音色などの変化は、現状では必要悪して悠然と存在する事実で、これを避けて通ることは不可能なことと考えたい。
 このウォームアップ期間の変化を、どのようにし、どのように抑えるかは、まったく無関心のメーカーもあり、今後の問題といわざるをえないが、アンプを選択する使用者側でも、どの状態で今アンプが鳴っているかについて無関心であることは、寒心にたえないことである。
 今回は、各アンプとも、試聴数時間以上前に電源を入れプリヒートを行ない、試聴時間はそれぞれ2時間程度を要している。
 各試聴アンプの設置場所、AC100V系の電源の取り方、などの基本的な部分はステレオサウンド試聴室の標準仕様ともいうべきもので、同誌連載中のトリヴィアのリポートとして掲載したものを参照していただきたい。
 接続用ケーブルは、トーレンスCE100スピーカーケーブル、平衡/不平衡(バランス/アンバランス)ケーブルは、オルトフォンの7Nケーブルであり、すべて試聴室常用のケーブルである。
 CDプレーヤーは、アキュフェーズの新製品DP90とDC91の組合せで、これはすべてのアンプに共通に使用したが、出力系の平衡/不平衡は適宜、そのたびにケーブルを差し替えて使い、平衡/不平衡間の干渉を避けている。
 プログラムソースは、1960年代の録音から最新録音にいたる、各ジャンルを用意した。

50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

 50万円以上100万円未満のパワーアンプの試聴テストの基本的な試聴条件は、50万円未満のパワーアンプと同じであるが、価格に応じた性能、音質の向上に対応する目的で、一部変更を加えている。
 試聴用スピーカーは、前述のとおりにブックシェルフ型のダイヤトーンDS3000からフロアー型のDS5000に変更して、一段と情報量の豊かなモニターリングができるようにしている。
 計測上の周波数レスポンスに代表される特性は、一般的な観念からすれば、両者の間にそれほどの差はないが、ウーファーユニットの大口径化に伴うエンクロージュアの容積増加と、低域レスポンスのエンベローブが変わるバスレフ方式の採用による聴感上での低域の変化は、音色、質感、音場感再現能力など、全面的に影響を与えることになる。DS3000と比較してDS5000の最大のポイントは、ローレベル再生でのナチュラルさと、スケール感の豊かさといったフロアー型システムならではの魅力をもったところである。
 次に変えたところはアッテネーターである。試聴するパワーアンプが、50万円未満の製品に比べ、質的、量的に内容が向上してくると、アッテネーターにも、ややキャラクターを抑え気味のタイプを使ったほうが、アンプ自体の内容を聴き取る目的にふさわしいように思われる。
 アッテネーターには、カウンターポイントSA121stを使う。この製品は、本誌別冊のCDプレーヤー特集などでも使われたものだが、比較的キャラクターが少なく素直な音が得やすい。しかし、中域の一部に一種の明快さと関連性のある、少し乾いた音をもつために、今回使ったものは編集部で少し手を加えて、ほぼキャラクターのない音としている。
 このナチュラルさと引き替えに、伸びやかさ、反応の早さ、音の鮮度感など、音楽を楽しむために重要な要素が若干抑えられているが、試聴用としてはむしろ好ましいといえる。また、コントロールアンプを使わない、ダイレクトにCDプレーヤーの出力をパワーアンプに送る今回の試聴条件では、この程度のハンディキャップで本来の音質が発揮できないようでは、少なくとも、この価格帯のパワーアンプとしては失格であると思う。
 アッテネーターの変更とともに、試聴方法も一部変更して、アッテネーターを使わずにダイレクトにCDプレーヤーの出力をパワーアンプに送りこんでも、試聴している。
 そのための試聴ディスクは、ほぼ試聴に相応しい再生音量レベルを確保し、しかもローレベルから、かなりのレベルまでのダイナミックレンジを広くとって、パワーアンプの音をチェックするために、録音レベルがちょうどよいものを選択しなければならない。それに加えて、一枚のディスクのなかで数箇所の音のチェックをしやすい部分があり、音場感的にも素直な録音のものが必要である。
 選んだディスクは、インバル指揮、フランクフルト放響のマーラーの交響曲第4番(デンオンレーベルの一枚)である。録音系がシンプルであり、その部分でのノイズが少なく、物理的に素直な方式といえるワンポイント録音を採用しているために、オーディオ的なチェックをするために好適なディスクである。
 一般的な試聴を終えてから、テスト用のCDを交換しながら使った第2のソニーCDP555ESDに、このディスクをセットして、ダイレクトにパワーアンプをドライブしている。なお、ディスクの出し入れに伴う音質変化は、2、3度出し入れを行って平均化してある。CDプレーヤーからパワーアンプへのRCAピンコードは、共通に使ったオーディオテクニカ製PCOCCコードである。
 使用スピーカーとアッテネーターが変わったため、試聴室内のセッティングは、リファレンス用アンプにアキュフェーズP500を使い、主にスピーカー側のセッティングによりサイドチューニングを行った。基本的な条件は、音質チェック用を目的としているため、わずかに抑え気味とし、とくに高域での聴感上のSN比を高くするために、細部の追い込みをしている。
 試聴メモ、音質と魅力度の採点項目については、50万円未満と同じである。この二つの価格帯の試聴では、試聴用スピーカーとアッテネーターを変えているが、前述のように、かなりの数のアンプはスピーカーをDS5000にかえて重ねて試聴しているため、採点でのリファレンスレベルはかなり高いはずだ。
 結果として、音質が80〜87点、魅力度で82〜93点と数字的には差は少ない。
 音質面で、基本的に望まれることは、50万円未満の価格帯のパワーアンプとは異なり、スピーカーをドライブするパワーアンプとして、音の純度は高いが高域に偏った帯域バランスであるとか、パワー感はあるが高域の濃やかさ、伸びが足りないといったレベルでは、もはや通用しない世界だ。かなり総合的なバランスの良さが、音質面で要求されることになる。
 平均的に、このクラスの価格帯のパワーアンプでは、筐体の外形寸法も大きく、重量面でも50kgに達するヘビーウェイトである。そのため、設置場所の床の状態や構造、スピーカーとの相対的位置による音響的、機械的な振動による音の変化、100V交流電源の給電方法など、何が変化しても、音はそれに応じて予想以上に変化することになる。
 今回の試聴では、一般的なパワーアンプの使われるであろう条件よりも、充分に注意を払った使用条件を設定してあり、個別の細かいセッティング直しも行っている。いわば、あるレベル以上の音質が得られて当然、という条件でのチェックであるだけに、音質の採点は抑え気味にしてある。
 50万円以上100万円未満の価格帯になると、いわゆるモノーラル構成の左右独立した筐体をもつ製品が増加している。電気的にも、機械的にも、左右チャンネルが独立した構成は、一般的に内容が同等である場合においても、ステレオ構成と比較して、音場感情報が豊かになり、音の純度や分解能の高い音が得られやすい。いわゆる音場感や、奥行き方向のパースペクティブや、高さ方向のディフィニションのよさが本質的に得られやすいタイプといえる。
 しかし、筐体が独立しているということは、リスニングルーム内で、前述のように機械的、音響的に同じ条件に設置することが難しくなり、その点は、注意すべきだ。
 また、電気的にも電源コードが左右2本あり、同じ壁のコンセントからダイレクトに取ったとしても、コンセントの構造面で、左右共通の条件は電
気的に存在せず、左右チャンネルの差し込みを変えると音場感、音質は、それなりに誰にでも判断できるレベルで変化する。テーブルタップを使う場合でも同様なことは起きやすく、左右どちらのチャンネルの電源コードを先に差し込むか──つまりテーブルタップのコードに近い方か、遠い方かの問題であるが──これによっても音は変化を示すことになる。
 この電源コード関係の複雑化は、デジタルとアナログ用に別系統の電源コードを備えたコントロールアンプや、ステレオ構成で左右チャンネル独立の電源コードを備えたパワーアンプ、モノ構成で、+側と−側独立電源コード採用のパワーアンプの出現など、今後、実際の使用上で、かなり重要なポイントになりそうな部分である。
 魅力度の採点は、音の魅力もさることながら、筐体関係のデザイン、構造、材料の選択から加工精度をはじめ、入出力端子、メーター関係などの要点も重要なチェック項目であり、音質の魅力度のみと限定されたとしても、パワーアンプらしいデザインや姿、形は音の魅力と表裏一体のものであり、それらの影響なしに音を判断することは、むしろ至難の業というべきだろう。
 現代のオーディオ機器は、性能が向上しているだけに、いわゆるエージングやウォームアップによる音の変化が認められる。とくにハイパワーを扱うパワーアンプでは、熱容量が大きく、半導体そのものの性能が、温度と直接的に関係をもつために、電源スイッチ投入後の音の変化は、当然といってもよく、短くても1時間、とくに長い場合には、約1日という時間が、安定化するために必要なことを経験している。この電源スイッチを入れてから音が安定するまでの変化を、ここではウォームアップという表現を使っている。
 今回の試聴では、各パワーアンプは試聴前に3時間ほど電源スイッチをいれておき、抵抗を負荷としたダミーロードを使って音楽信号により約30分間のウォームアップを行い対処しているが、実際にスピーカーシステムを負荷として試聴をはじめると、再びダイナミックな意味でのウォームアップが明瞭に聴きとれるモデルが、このクラスではかなり存在している。
 パワーアンプでは、温度の変化に対応して、パワー段のバイアス電流に代表される電流のコントロールをするために、温度検出用のディバイスを使っている。パワーステージのヒートシンクの温度が上昇すれば、流れている電流を減らして温度を下げる働きを感熱素子がしているわけだが、この感度が高ければ、音への影響が直接的になりすぎるし、感度が低ければ、音の変化は緩やかになる。この変化に注意すると、聴感上でのかなりのバランス変化として聴きとれるものであることがわかる。言葉で表現すれば、適度の感度になるように感熱素子の位置決めをしてコントロールすればよいのだが、現実的にはかなり困難な問題である。それに、この辺かを当然のものとして軽視するか、問題点として認識し解決策を施すかは、いわば設計者の認識と感性の問題であることが多く、ヒアリングチェックする側でも同様に、この音の変化を認識し、問題提起としてフィードバックが充分に行われているかどうか様々のようである。
 現実に、試聴をしたパワーアンプのなかには、明快で粒子が粗く固い音から、低域から中低域に豊かさが加わり、音の粒子も滑らかで安定感のある音という例のように、変化量の代償、時間的な差こそあれ、一方通行的な変化を示すタイプが一般的である。なかには、感熱素子の動作が遅く、対面通行的にハンティングを繰り返しながら収まるモデルもあったが、それらは熱安定度の悪いアンプで、優れた音質は期待できるわけはない。また、数枚のディスクを使う程度の時間では、本来の都民質が得られるまでウォームアップをしていない製品もあるはずである。しかし、電源スイッチ投入後、合計して約4時間が経過しても、まだウォームアップ不足というのは、基本的に設計の欠陥と判断するほかない。
 ウォームアップと同様に、エージングという表現をしている部分は、オーディオ機器での、メインテナンスも含む問題による、一種の音の劣化と考えていただきたい。しばらく使っていないアンプなどでは、電源スイッチを入れて音を聴いてみると、予想以上に生彩を欠く貧相な音に驚かされることがよくあるであろう。平均的な音楽を聴くという使用頻度からすれば、設置してあった期間にもよるが、早くても数日かかるし、1年近く使っていない場合には、約1ヵ月は音が回復せず、場合によっては、らしい音に戻らないケースも往々にしてあるようである。厳密に音質をチェックする目的で、再現性を重視した条件でのセッティングをした試聴室などでは、一週間程度の使わない期間があれば、エレクトロニクス系のCDプレーヤーやアンプはもとより、スピーカーシステム、ルームアコースティックにいたる状態の変化が、音の変化となり、約半日はリファレンスレベルの音にならない例は、よく経験することである。エレクトロニクス関係のコンポーネントでは、電力扱うだけにパワーアンプで、この影響が大きい。メインテナンスの意味を含めてチェックされ、エージングされたアンプと、長期間にわたり、ほとんど使用されず倉庫などに眠っていたものをメインテナンスぬきで使ったものとの差は、想像以上に格差があり、活き活きとした反応の早い音と寝起きの悪い、ザラついた貧相な音といった程度の差は充分にある。
 今回は、パワーアンプの試聴がテーマであるだけに、各試聴用パワーアンプは、本来の性能、音質を発揮できるような状態で用意されたものと信じたいが、試聴後の実感としては、エージング不足のモデルがかなり存在していたようである。海外製品では流通面の制約もあり、この問題は或る程度不可避と考えてよいだろう。しかし、国内製品では、許されることではないだろう。最新モデルについては、使い込み不足の、一種の角ばった若さ、粗さが音に出ることはやむを得ない。しかし、既に製品として安定度を増しているはずの既発売のモデルについては、各メーカーには完全なメインテナンス上での管理体制が存在しているはずなので、なおエージング不足が聴きとれるのは、製品管理の問題か、少なくともパワーアンプに対する認識不足の現れである。高級オーディオが見直されだしている昨今の傾向も加味すれば、良い状態で自社製品の音を聴かせる条件の欠如として、考え直してほしいところである。
 50万円以上100万円未満のパワーアンプから受けた印象は、日常生活的な価値感からすれば、価格も高価格なものであるだけ
に、一種の本格的なイメージをもつモデルが多い。また、国内製品、海外製品ともに、ブランドバリエーションもそれなりに豊かであり、一部を除いてはパワーハンドリング面でも充分なものがあるようだ。これ以上の定格パワーをもつパワーアンプでは、現在の電力事情では消費電力の変化が大きく、場合によれば専用の電源ラインを設置しないと、本来の性能が発揮できない例も多い。そのため、単純なパワー志向は、むしろ音質の劣化を招きかねない。
 性能、音質の向上に伴いパワーアンプは大型化の傾向を示すが、その結果、振動面での、音質を阻害する要因はむしろ増大しがちである。
 パワーアンプは、コンポーネントのなかで、もっとも振動の発生が多いジャンルである。大電力を扱うだけに電源トランスの容量は大きくなり、スタティックにもトランスは電源周波数でうなるものであり、電力消費がオーディオ信号の強弱により変化をすれば、うなりも増減し、過度的な場合には身震いに似た、ガクンという振動を発生することもある。またヒートシンクと並列使用されることが多いパワートランジスターは、一種の音叉と共鳴箱の関係にあり、かなり鳴きやすい構造になっている。
 この2種類の振動発生源を収納する筐体は、重量物を扱うだけに、構造、材質面で、これで充分という明快な尺度はなく、重く、硬いという振動的に不利な条件を多く持っており、この部分での対策を施したと考えられる製品は、皆無に等しい。けれども、筐体を支える脚の数を平均的な4個から増加させ、設置上の問題をクリアーしようとした製品が増加しており、この部分での変化が、筐体構造全般を見直す糸口となることに期待したい。
 機能面では、業務用に準じたバランス型入力を備えるモデルが増加傾向である。業務用的意味あいではなくとも、電子スモッグに代表される空間や電源の汚染が進行している昨今では、オーディオ機器感の接続にバランスラインを採用するメリットは予想外に大きく、音質劣化への一種の歯止めとして考えるべきことである。
 バランス入力採用のメリットを延長すれば、D/Aコンバーターをビルトインするためにも、パワーアンプはスピーカーにもっとも近く、最適の部分であろう。石英系の光ファイバーを使った光系と同軸型の2種類のディジタル入力と、バランスとアンバランスの2種類のアナログ入力を備え、リモートコントロールで音量調整を可能としたパワーアンプは、振動面、電磁波輻射面、さらに発熱の問題を含み、リスニングポジションから離れたスピーカー近くに設置できるようになり、スピーカーとの接続ケーブルも短くなり、そのメリットは大きいはずである。
 試聴の結果、印象に残った特徴的なモデルをあげると、まずアキュフェーズP500とクレルKSA50MK2である。ともに、充分にコントロールされた、スムーズでしなやかな音を聴かせリファレンス的に使えるナチュラルな性格を特徴とする。音質的な洗練度とスケール感はアキュフェーズ、ややスケールは小さいが、ミネラルウォーター的な味わいはクレルのものである。
 ヤマハMX10000とパイオニア エクスクルーシヴM5は、開発年代はかなり異なるが、資質的にはかなりのものがあり、前者しなやかさをもった安定感、豊かさの魅力と、後者の現代的な明解さをもつ魅力は、外観上のデザイン、仕上がりを含め、それぞれにふさわしい。現状では、それぞれに未開発の部分を残しているが、今後にかなりの期待がもてる製品である。
 マッキントッシュMC7270とカウンターポイントSA20は、出力トランス採用と管球・半導体ハイブリッド構成という内容的な個性をベースとして、よい意味でのアメリカのアンプならではの個性的な魅力をもつ製品である。音質的には、それぞれに油絵的な性質ではあるが、華やかで明るい色彩感の豊かさと、明度、彩度を抑えたパステルトーンの滑らかさに似た対比は、国内製品に望みえない特徴である。
 サンスイB2301Lは、BTL方式とは似て非なるバランス型出力をもつユニークな製品であるが、旧B2301の押し出しのよい豪快な音から、Lに変わり、質的には向上したが、反応が穏やかに過ぎた印象があった。しかし今回試聴した印象では、中域から高域の純度が向上し、かなりナチュラルな反応を示すアンプになっている様子である。表現を変えれば、バランス出力型のメリットが音に出てきた、いえるであろう。ただしウォームアップでの音の変化は明瞭で、改善を望みたい。
 ウエスギUTY5は、モノ構成の管球パワーアンプとして、時間をかけて作りこまれており、部品の選択、配線の美しさなど、仕上げも見事であり、現在の管球アンプ中では、群を抜いた完成度の高さがある。音質面では、スムーズでよく磨かれた音をもち、適度に鮮度感もあり、精緻な水彩画を思わせる雰囲気は、誰しも認めざるを得ない領域に達しているように思われる。
 その他、QUAD510、スレッショルドSA/3、スイスフィジックス♯4などは、パワーハンドリング面での筐体構造上で有利に働き、海外製品として音の純度もそれなりに高く、特徴を引き出すセッティングを行えば、充分期待に応えてくれるアンプであると思う。

50万円未満の価格帯のパワーアンプ

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

 パワーアンプの試聴にあたり、まず使用機器の選択が、最初のポイントになる。従来からのパワーアンプ試聴では、アナログディスクをプログラムソースにすることもあり、何らかの、リファレンス的な性格のコントロールアンプを選択して使うことが多かった。しかし、プログラムソースにCDを使うことが多くなるとともに、CDプレーヤーの定格出力が2Vと高いこともあって、ダイレクトにパワーアンプに接続しての使用も可能になり、リファレンス用コントロールアンプを選択し、使用することの意味が、かなり微妙な問題になってきたように思われる。
 今回は、プログラムソースにCDを使うことにしているが、いかにCD時代が到来しようとも、プログラムソースとしてはアナログディスクの数量のほうが圧倒的に多いはずで、当然のことながら、アナログディスクをプログラムソースとした試聴が必要であることはいうまでもない。
 しかし、アナログディスクには、時代の変化とともに、その本来の音質を阻害する要因が、予想外の早さで増大しているようだ。そのひとつは電源の汚染である。TV、螢光灯、パソコン、ファミコン、100V電灯線を使うインターフォン、同様なリモコンによる電源のON/OFFスイッチなど、電源を通しての汚染が、微弱なオーディオ信号の音質を劣化させていることは、一部では認識されている。これに加えて、最近、アナログディスクの再生に決定的なダメージを与えるものとして登場したものが、家電業界で脚光を浴びているインバーター方式の家電製品の急増である。このタイプは、効率が高く、人に不快感を与える50Hzや60Hzの電源に起因するウナリの発生がなく、使う周波数が高いために、防音や遮音が容易で、エアコン、冷蔵庫、扇風機をはじめ、チラツキが感じられないために蛍光器具にいたるまで普及しはじめている。この方式は、かつて、高能率電源として注目されたが音質面で悪評を浴びたスイッチング電源方式そのものであり、これによるアナログディスクの音質劣化はは、誰にでも容易に判別できる音のベール感や一種のザラツキとなって現れる。
 一方、都市地域では、TV、FM、各種の業務用無線、地方でも、放送局周辺、送電線の近く、航空関係のレーダー、業務用コンピューターの端末機器などの電波による音質劣化の問題は、オーディオのみならず、電子スモッグとして、オートマチック車の暴走問題の一端として、社会問題にまで発展している。
 ちなみに、ステレオサウンド試聴室で簡単にFMチューナーを使って帯域内の雑音のチェックをしたところ、数年前のCD登場時点と比較して、予想以上に質的量的に雑音が増加していることが確認できた。
 これらの原因にもとづいた、アナログディスクの音質劣化の詳細についてはここでは割愛するが、最近では、いかにも機械的な音溝に刻まれている音をカートリッジが丹念に拾い出しているような、レコードならではの独特の実体感にあふれた、深々とした音を聴くチャンスは少ない。都市地域で、それらしい音が聴けるのは各種の放送が少なくなり、人々が寝静まった後の、日曜日の深夜のみ、というのが実情のようである。
 これらの問題を総合して、現状では、アナログディスクの音質の確保が難しい、という判断をしたため、試聴用のプログラムソースに、アナログディスクの使用を断念し、CDのみを使うことにした。
 試聴時に、音量をコントロールする(変化させる)ことは、パワーアンプの場合においても、ローレベルからハイレベルの応答をチェックするために不可欠の条件である。一部のパワーアンプには、質的に、実用レベル内に入る音量調整機構が付属しているが、ダイレクト入力専用のタイプもあり、何らかの外付けの音量を調整するアッテネーターを選択しなければならない。
 ここでは、編集部で集められた数種類のアッテネーターをチェックした結果、50万円未満のパワーアンプの試聴には、やや大型な筐体が気になるが、チェロのエチュードを使うことにした。このアッテネーターは、音の傾向として、かちっとしたシャープな音が特徴であり、程よく音のエッジをはらせて明快に聴かせる傾向が強い。質的、量的に高級機と比べてハンディキャップがあるこの価格帯のパワーアンプには、全体に音の抑揚を抑えてキレイな音として聴かせるタイプのアッテネーターよりも、よりふさわしいと思われるからだ。
 しかし、リファレンス用アッテネーターとしては、固有の性格を少し抑える必要があり、設置方法を含め、必要にして充分なレベルまで追い込んで使っている。
 試聴用のCDプレーヤーは、一種のリファレンス的なキャラクターを持つソニーCDP555ESDを2台用意し、パラレルに使用している。その主な理由は、プログラムソースの音質を可能な限り一定の範囲内に確保し、再現性のある試聴条件を保つためである。一般的に、CDプレーヤーでその音質を変化させる原因は予想以上に多いが、なかでももっとも大きな問題点でもあり、使いこなし上でも重要なことは、ディスクの出し入れ毎に生じる音の変化である。
 CDプレーヤーにディスクをセットして音を聴いてみよう。次に、一度イジェクトし、再びプレイして音を聴く。この両者の間に、かなり音質の違いがあることが多い。柔らかいソフトフォーカス気味の、おとなしい音から、ピシッとピントの合ったシャープな音に変わる、かなり激しい例から、やわらかめとシャープなどという程度の差こそあれ、ディスクの出し入れ毎に生じる音の変化は、現在のCDプレ比ヤーでは、必ず生じるものと思ったほうがよいようである。この現象は、CD初期にある理由にもとづいて見つけだし、本誌誌上でもリポートしたことがあるが、その後この変化量が少なくなっていればよいわけであるが、CDプレーヤーの基本性能、音質が向上するに伴い、むしろシャープな変化を示す傾向にあるようである。その原因のひとつとして、セッティング毎に変化する──ターンテーブルとCDとの機械的な誤差による──オフセンター量の違いによる読み取り精度や、サーボ系の変動などが考えられている。偏芯が問題であるとすれば、CDプレーヤー側での精度向上が要求されることは当然のことながら、このところCDディスクのセンターホールの誤差や偏芯の量が大きくなっているとの情報もあるだけに、もっと問題視されてしかるべきCDとCDプレーヤーの問題点であると思う。
 CDをプログラムソースとした場合に、不可避的ともこの問題を、いくらかでもクリアーしようとする目的で、一台のCDP555ESDには、試聴ディスクの、カンターテ・ドミノを常時セットしたままにし、もう一台に、他のディスクを交互に入れ、試聴をすることにした。
 スピーカーの選択は、各種の試聴でももっとも重要なキーポイントである。今回の試聴では、各種のスピーカーシステムを使い、それぞれのリポーターは単独で試聴するという編集部のプランにもとづいて、50万円未満にはダイヤトーンのDS3000、50万円以上100万円未満の価格帯の製品用には、同じくDS5000を使うことにした。
 私が担当した両価格帯共通にDS3000を使うことも考えたのが、せっかく編集部で5000と3000の2モデルを手配してあったこともあり、異なったスピーカーを使うことになったわけだ。2モデルのスピーカーシステムは、ともに同じメーカーの4ウェイ構成のシステムであり、中低域の再生能力の向上をポイントとしたミッドバス構成という共通の設計方針に基づいたタイプであり、音質的な面でも共通性が多い。
 試聴用スピーカーシステムに4ウェイ構成のシステムを使うメリットは、3ウェイ構成では音楽のファンダメンタルを受け持つウーファーの受持ち帯域が、4ウェイではミッドバスユニットと2分割されるために、重低音にポイントをおけば中低域が弱くなり、中低域を重視すれば重低音が再生しにくいといった3ウェイ特有の制約が少なく、音楽再生上重要な中低域に専用ユニットをもつメリットはかなり大きい。しかし、ユニットの数が多いだけに、ユニット配置を平均的に処理をすると、音像定位が大きくなりやすいのがデメリットだ。その点、今回の2モデルのシステムでは、平均的な3ウェイ構成と比較しても、音像定位での問題点は少ない。50万円未満の価格帯のパワーアンプはDS3000で通して試聴を行い、そのなかの約2/3の製品については、スピーカーをDS5000に変えて、再び試聴を行い、50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ間との関連性をもたせようとした。
 試聴用のコンポーネントのセッティングは、ステレオサウンド誌の新製品リポート取材に使う、私自身の方法を基準としている。2台のCDプレーヤーとアッテネーターは、それぞれ独立した(ラック同士が接触しないという意味)ヤマハGTR1Bオーディオラック上に、置き台そのもの固有音を避けるためにフェルトなどの緩衝材を介して置いてあり、3個のオーディオラック内には、他の物はいっさい置いていない状態に保ってある。
 試聴用アンプは、ほぼスピーカーの中央延長線上で、オーディオラックに近い位置に、大きなアピトン合板積層ブロック状に緩衝材を介してセットしてある。
 スピーカーは、ヤマハ製のNS2000用に作られたスタンドSP2000上に置いてある。ちなみに、重量の大きなブックシェルフ型スピーカーでは、安定した音質を引き出すためには、予想以上にガッチリしたスタンドが要求され、DS3000クラスともなると、専用スタンドDK3000か、このヤマハSP2000くらいしか使えるものはないようだ。
 電源関係は、試聴用パワーアンプは試聴室左側の壁のコンセントからダイレクトに、CDプレーヤーは反対側の壁の別系統のコンセントから分離して給電し、相互の干渉を避けている。機器間の接続ケーブルはいろいろと比較試聴した結果、基本的に情報量が多いオーディオテクニカ製の2種類のPCOCC線を、RCAピンプラグに少しの制動を加えて使っている。2台のCDP555ESD間の細かなバランス補整は、設置方法も加えて実用レベル上問題にならない範囲に近づけてある。なおスピーカーコードは、同様に試聴の結果、ステレオサウンド試聴室で常用しているトーレンスの平行2線タイプの太いコード(C100)を使った。
 まず試聴用のCDプレーヤーとスピーカーのセッティングの実際を説明しよう。
 セッティング用に使用したリファレンスアンプは、100万円未満の2種類の価格帯のパワーアンプ中で、強いキャラクターがなく、ある種の市民権を獲得しているもデルとして、アキュフェーズP500を選んだ。このアキュフェーズP500を使い、基本的なセッティングを行ったが、各種の試聴用パワーアンプのクォリティ、キャラクターに応じて、CDプレーヤーやアッテネーターの手もとでコントロールできる部分では設置条件を変えて試聴している。ただし、試聴用パワーアンプとスピーカーのセッティングは、一定の条件に固定してあり、この部分でのコントロールは行っていない。
 基本的なセッティングは、パワーアンプの性能、音質をヒアリングでチェックすることを目的としているために、必ずしも音楽を聴いて楽しい方向ではなく、やや全体に抑え気味なセッティングを行い、目的に相応しいものとしている。したがって、新製品リポート時と比較すれば、それぞれのパワーアンプは、その内容をストレートに見せる対応を示したため、かなりシビアな音が度々聴かれることになった。
 パワーアンプの試聴で、いつものポイントとなるのは、ウォームアップの問題である。試聴に先だって、各パワーアンプは約3時間電源を入れ、30分間ダミーロードを負荷として信号を加えてウォームアップさせてあるが、実際にスピーカーを負荷として試聴をはじめると、かなり大きな音質変化が見受けられる例が多い。一部の変化が多いモデルについては、それなりのリポートを加えているが、詳細については、後半の50万円以上100万円未満の価格帯のほうで記すことにしたい。
 50万円未満の価格帯のパワーアンプでは、今回試聴した最低価格の製品と上限の製品の間には、約3倍の価格差があり、もともと物量が要求されるパワーアンプであるだけに、とくに20万円未満のモデルはかなりのハンディキャップがあり、上限との価格差が約2倍の25万円クラスまで範囲を拡げてみても、これはという存在感や、明確なキャラクターをもった好ましいパワーアンプの方が、例外的な存在であったのは仕方のないことだろう。
 今回の試聴では、試聴メモ以外に、音質と魅力度の2種類の採点が編集部より要求されているが、音質というひとつの意味のなかには、スピーカーのドライブ能力、聴感上でのノイズの質と量、ウォーミングアップの音の変化傾向と変化幅などの電気系の基本的条件をはじめ、筐体構造面での共振、共鳴や、電源トランスのウナリなど、機械的な面からの音質から、音楽再生上でのいわゆる音量まで、多彩をきわめ、結果的には採点のダイナミックレンジは、かなり圧縮方向になりやすく、この価格帯では、上下10点の幅にしかならない。魅力度については、かなりエゴと独善的な傾向で判断している。
 50万円未満の価格帯のパワーアンプでは、基本的に需要が少ないこともあって、短絡的にプリメインアンプのパワー部と比較してみると、パワー当たりのコストはかなり高価にならざるをえないが、パワーアンプとしてはローコストなジャンルにあるため、パワーアンプという言葉の意味に相応しい、バランスよく力強い音やデザインを持つ製品は期待薄であるようだ。したがって、ひとつのチャームポイントがあれば、それでよしとする他はなく、とくに25万円クラスまでは、何のチャームポイントを持つかが重要である。それ以上の価格帯になると、パワーアンプらしい音質、デザインを備えたモデルが増し、パワー的にも実用上で充分のものがあり、セパレート型アンプならではの楽しみが存在すべきはずであるが、ある種の定評のあるものが、やはり好ましい結果を示すといった、フレッシュさを欠く印象が強い。
 全般的な傾向としては、編集部の洗濯基準で、いわゆるカタログモデルとしては存在するが、容易に入手することはできない、発売時期の古い製品は除いているために、結果として、予想外に海外製品が数多く存在し、国内製品が少なく、やや個性型の海外製品に対して、物量投入型の国内製品という印象が強い。
 目立った製品は、パイオニアM90、テクニクスSE-A100の2モデルである。ともに、パワーアンプは電圧・電力変換器であるという基本に忠実に、オーソドックスに設計され、完成されたモデルという感じである。
 音質的には、ともにクォリティは充分に高く、余裕をもって安定した楽しい音楽を聴かせるM90と、音の純度を高く保ちながら、良い音を正確に聴かせようとするSE-A100というように、かなり対照的な音と魅力をもっている。ともに基本に忠実に、手を抜かず、気を抜かない、といった本質が、よく音に出ている傑作だ。
 アキュフェーズP102とQUAD606は、日本的にリファインされた、しなやかで細かい音と、英国製品らしい常識をわきまえた鋭い感覚が、現代的に開花した好ましい音という、それぞれのお国ぶりが素直に音に出た良いモデルである。反応の早い、小型で高性能なスピーカーを楽しみたいときには、最適の選択になるだろう。
 管球タイプの、ラックスマンMQ360、エアータイトATM1は、ラックスマンとエアータイとのブランドが持つ雰囲気のように、しなやかで暖かいMQ360、明解で、カチッとしたソリッドな傾向があるATM1と対照的で、内容と外観がともに一致した好ライバル機だ。ともに、ソリッドステートアンプとはひと味異なった、味わい深い音が魅力である。
 デンオンPOA300ZR、ナカミチPA70は、ともに素直なキャラクターと、価格に相応しい材料を投入して開発されたモデルで、資質としては、かなりの可能性をもっている。しかし、デンオンは帯域感がいままでの同機とはやや異なり、ナローレンジ型の安定度重視型に変わり、メインテナンス面でのエージング不足傾向もあり、ややイメージの異なった音である。ナカミチは、キレイに磨かれた滑らかで純度の高い音をもっているが、KODO三宅の太鼓で電源のヤワさをみせたなど、期待できる音をもつだけに、欲求不満が感じられる、というモデルである。
 デンオンPOA2200は、発売当初の軽量級の音ではあるが、フレッシュな感覚の反応の早い魅力がやや抑えられ、穏やかな音に変わったのは、おそらくエージング不足のためで、残念な感じがする。
 ハフラーのXL280は、国内製品では得られない音づくりの巧みさが面白く、QUAD405-2は、アナログディスク向きで、CDプログラムソースでは606の魅力が光る。マランツMA7は、やや追い込み不足か。A級動作ではよいのだが、クォーターA級動作では、一種の表現しがたい不思議な音に変わる。アンプの名門ブランドだけに、この辺かはテスト機種のみの問題であるように祈りたい。
 アキュフェーズP300Vは、リファインの表現が相応しい改良であるが、ややエージング不足気味で、色彩がやや物足りないが、後日行った新製品リポート取材時には、全く同じ製品がそれらしい音を聴かせてくれた。カウンターポイントSA12も同様に、少し寝起きの悪い音が気になるが、安定感は充分にある音が聴かれた。ルボックスB242も、使いこなせばかなりの魅力が引き出せそうな音である。

テスト後記

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)
特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

●JBL4344での試聴について
 パワーアンプの試聴は特殊な聴き方を必要とする。本誌の試聴室におけるJBL4344の音にはわれわれは慣れている。とはいうものの、その体験はプレーヤー、コントロールアンプ、そしてパワーアンプがそろったトータルの音としてであり、普段は、そこからパワーアンプの音だけを意識して聴く機会は少ない。したがって、この4344がよく鳴るかどうかを単純に聴いたのでは、判断を誤る危険性があると思われる。プレーヤーやプリアンプが情緒性になんらかの形で関与しているわけで、それらを抜きにして聴くパワーアンプの試聴というものには、自ら、こちら側の姿勢にちがいがなければならないだろう。ひらたくいえば、JBL4344で楽しめる音だけを要求して評価することが難しいということになる。無論、音楽表現のあり方が最重要課題ではあるが、それの一歩手前とでもいってよい。パワーアンプの能力を聴く心構えも必要なのである。今回の試聴が、CDプレーヤーをアッテネーターを通してダイレクトにパワーアンプに入れて聴くという形がとられたことも、その現れといえるだろう。
 試聴のポイントとして私が注意した点をあげてみると、スピーカーからの音の精気、高域の質感、低域の量感と質感、全帯域の聴感上のエネルギー感のバランス、個々の楽音の音色の鳴らし分けなどである。スピーカーからの音の精気というのは私流の判断基準であるが、言いかえれば、スピーカーのドライブ能力といえるだろう。ドライブ能力の豊かなパワーアンプは、最大出力に関係なく音が生き生きしていて精気がある。逆に能力的に問題があるものは、かりに最大出力が大きくても、音に精気がなく無理に大出力を引っ張り出すといった一種のストレス感がつきまとつたり、あるいは、鈍重になる。高域の質感はヴァイオリン群によるのが私の方法である。ファンダメンタルとハーモニックスのバランスがとれていれば、弦合奏は滑らかで、しなやかで、しかもリアリティのある芯のしっかりした音になる。逆の場合は、やたらに弦がシルキーになったり、硬質に輝き過ぎたり、ひどいものはぎらついたりする。低域の量感と質感は、グラン・カサやコントラバスを注意する。よく弾み、ひきずらないで、豊かな量を感じさせながら、引き締まって抜けのよいことが大切だ。量が豊かでも鈍かったり、重過ぎるものは好ましくない。特にコントラバスは、アルコ奏法とピチカートではアンプの対応が異なる場合があることにも注意すべきだと思う(ピチカートでよく弾み、切れのよい締まった低音を聴かせても、アルコで柔らかく豊かな響きののらないものは問題である)。全帯域のエネルギー感のバランスはオーケストラのトゥッティでの正三角形的なイメージ・バランスを基準にして聴くようにしている。鋭角的になるのも鈍角的になるのも好ましくない。そして個々の楽音の音色感の鳴らし分けは、それらの要素を満たすこととは別のファクターがあるようだ。声、木管のフルート、クラリネット、オーボエなどの音色の識別、それらと金管との識別、弦合奏ではヴィオラの印象に注意する。
 これらの要素を時として同時に、あるいは個別に聴きとりながら、トータルの音楽表現としての情緒性も加味することを数分の中でおこなう。そのためには都合のよいソースを幾種類か聴くという方法が、私流のやりかたである。
     *
 個々の製品の特選、推選は編集部からの無理強いであり、私の基本的な考え方は、あるレベル以上のパワーアンプならば、使い方……コントロールアンプとの組合せ、スピーカーとのマッチングで決まり、一概に断定するのは危険だと思っている。世の中に、単独で悪い色は存在しないと私は考えている。いかに組み合わされるか、どこにどう使われるかが色を生かしも殺しもするのではないだろうか。きれいな原色ばかりがよい色であるはずがないし、混合色ばかりがよい色ともいえまい。汚れも美しい場合がある。あまり単純に理解されてほしくない。強いていえば今回の試聴条件の中で、私が気に入った順に、特選を2〜3機種、推選を5〜6機種、価格帯の中から選んで印をつけたまでのことである。その数も編集部からの注文である。
     *
 こんなわけで、JBL4344は本誌の試聴室のリファレンスとして決まっているし、私も馴染みがあるので、これをつかって試聴したが、CDダイレクトで最高の音が聴けたとは思っていない。物理的にはともかく、情緒的には楽しい音はほとんどなかった。機械丸だしの音(日本のオーディオファイルが好きなようだが……)が多かった。しかし、試聴の方法にしては適していたといえるだろう。一部のオーディオファイルは、オーディオ試聴を趣味としているようで、音楽の楽しみには至っていないように思うのだ。何故、わざわざこんな苦言を呈するかと言えば、この記事によってまたまたCDダイレクトがベストの聴き万として単純に信じ込まれては困るからである。物理的忠実度の進歩と情緒性のバランスこそがオーディオの核心であって、片よって然るべきはずがないと心得るからである。
●スピーカーとの相性テストについて
 試聴スピーカー以外のスピーカーをあとで用意したのは、その辺りの事情をふまえてのことである。
 マッキントッシュXRT18、タンノイGRFメモリー、オンキョーGS1、ダイヤトーンDS10000というそれぞれに全くちがう技術コンセプトと、音の情緒性をもった四組のスピーカーを選んだのも、それらによって、パワーアンプがどう変化するかという意味も含め、ノーマルな鳴らし方をして御参考に供したかったからだ。詳しくは個々のスピーカーの項を読んでいただければ御理解いただけると思うが、いずれの場合も、4344による試聴の時より、はるかに音楽の聴ける鳴り方であったことは明記しておきたい。特に、ジャディスJA80、テクニクスSE−A100、マッキントッシュMC2500などのアンプは、試聴時とは別物といってよい魅力があって、にやりとさせられた。パワーアンプ単体で判断することは難しいし、危険である。しかし、カタログやスペックだけからは全く判断が出来ないので、こうした試聴の意味もある。この辺り、賢明なる読者の総合的判断を期待するものである。
     *
 試聴を終えて、現在のパワーアンプを俯瞰すると、それぞれが高いレベルのアンプでありながら、依然として個々の音にちがいが大きく、スピーカーほどではないにしても、オーディオコンポーネントとして個性の豊かなものであることを感じさせられた。特にスピーカーとのマッチングの点では、パワーアンプの選択はきわめて重要な意味をもつ。今回の試聴機種の中では、広い価格帯、異なる設計のコンセプトなどの混在が原因で、それを一つの土俵の上で
比較する弊害が現れたものもあると思う。現代パワーアンプを一つの共通項でくくることは難しい。ソリッドステートの大パワーアンプ、真空管式の小さめなパワーのアンプ、あるいは、トータルシステムのコンセプトが異なるところから誕生したパワーアンプなど、いろとりどりのアンプがあった。出来るだけ、それぞれのアンプの生い立ちを理解して試聴し、判断するように努めたつもりだが、公正な結果という自信はない。ある種のスピーカーには、もっともっと魅力を発揮するアンプもあるだろうし、レコード音楽の聴き方のちがいによって、異なる尺度で認識するべきアンプもあるだろう。

0.1グラムの針圧変化を聴き分ける使いこなしの世界──その実践と結果報告について

井上卓也

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「いま話題のカートリッジ30機種のベストチューニングを探る徹底試聴」より

 リファレンスシステムを使っての全機種の試聴テスト終了後、各カートリッジを特別なプレーヤーシステムではなく、平均的と思われるプレーヤーと組み合せて、相互の結果の差をリポートすることにした。また、この第2次試聴では読者代表を一人、実際の試聴に参加してもらい、各カートリッジを使いこなし追込んだ結果から、特定のディスクを1枚選択してもらい、好みの音に少しでも近づけようという、2ステップの試聴テストを基本としている。
●10万円以下はパイオニアPL7Lで聴く
 テスト対象とした製品は、全般的な前書きで述べたように、価格が10万円以下の製品では、適宜6機種を選び、プレーヤーにパイオニアPL7Lを使い、試聴をすることにした。このプレーヤーを選択した理由は、トータルバランスが優れ、とくにユニークな防振構造の脚部を備えること、演奏状態で調整可能なインサイドフォースキャンセラーの機構をもつことなどがあげられる。なお、他の試聴用コンポーネントは、第1次試聴と同じであり、試聴レコードは、ベルリオーズの幻想交響曲をメインとした。
●10万円以上はトーレンス+SMEで
 10万円以上の第2次試聴は、プレーヤーにトーレンスTD226、トーンアームにSME3012Rと軽量級カートリッジ用として、同じくSME3009SIIIの2本を用意した。選択の理由は、趣味的な意味を含めての、需要のありかたと、実績を考えてのことであり、基本性能の高さやメカニズムとしての優位性、及び個人的な趣好とは無関係な選択である。なお、この試聴のみ、パワーアンプはアキエフエーズのP500に変更した。
●試聴条件について
 使用機器の問題は、基本に忠実に設置し、AC関係の給電、機器間の結線を行なっているが、第1次試聴でも同様な条件であったため、その概要を記しておく。
 機器を設置する置台は、比較的にスピーーカーに近く、音圧で加振されやすい条件にあるために、試聴結果を大きく左右する要素として重要な部分だ。使用した置台は、ヤマハのGTR1Bを3個使い、コントロールアンプ用に1個、PL7LとTD226用にそれぞれ1個使った。この台は、板厚50mmとリジッドで安定しているのが特徴である。なお、棚板は振動を受ける要因となるため取外してあり、置台内部には何も置いていない。また、置台の前後左右とも平均的な中央に、コントロールアンプとプレーヤーを置くことを標準にした。
 パワーアンプは、平均的には、重量があるために床に直接置くが、堅木で作ったブロック上にセットしてある。また、スピーカーは、ダイヤトーンDK5000サウンドキューブを各3個使う、3点セッティングで、前両側は1/4、後中央の1個は1/2が、JBL4344の底板で支えている状態が規準である。
 各機器の結線は、スピーカーコードは、日立電線製LC−OFC同軸コードSSX102の芯線側を−にして使用、アンプ間はアキュフェーズ製バランス型専用コード。アームコードは、PL7Lは付属コード、トーレンスに組み合せた2本のSME用には、SMEの銅線使用の標準品である。なお、第1次試聴用のSME3012R PROは、内部配線が銀線使用が特徴で、アームコードはSME製のLC−OFC型を組み合せている。
 AC電源関係の給電は、壁コンセントから直接が好しいが、実際は大容量テーブルタップから直接給電で電源をとることとし、これを異なった壁のコンセントから2系統用意し、アンプ関係とプレーヤーを分離してある。なお、AC極性は、プレーヤー・エアーポンプを含みチェックしてあるのは当然のことだ。
●チューニングテストの手順はこうだ
 カートリッジの基本調整は、まず、プレーヤーの水平度調整、アームの高さ調整、簡易的なラテラルバランスチェック、各カートリッジのオーバーハングと、SME独自の調整であるヘッドシェルの傾き調整や、インサイドフォースキャンセラーのステイの調整などの他、接点関係、コード類のクリーニングなど、かなりの量である。
 続いて針圧調整から始めるが、基本的に、針圧は音質に関係し、振動系に針圧に対応するバイアスとしてかかっている力を打消し、振動系を磁界内で最適の位置決めをする働きをする。また、インサイドフォースキャンセル量は、磁界内の左右方向の位置決めと、それぞれスタティックに関係があると考えてほしい。ともに、予想を超えた微少な変化で音は決定的に変化を示す。
 その他、置台もひとつの共振系、共鳴器であり、アンプ、プレーヤーともに位置の移動で音のバランス、表情が大きく変化をするものだ。また、平均的に使われるスタビライザー頼も、すべて固有音を持ち、功罪相なかばするもので、安易な常用は問題であり、実例を参照していただきたい。

カートリッジ30機種のベストチューニングを探る試聴テストの方法

井上卓也

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「いま話題のカートリッジ30機種のベストチューニングを探る徹底試聴」より

 本誌では久しぶりのカートリッジのテストリポートである。
 このところ、やっと、安定期を迎えたCDプレーヤーが注目を集めだし、本格的な普及が期待されている現時点で、いまさらアナログのフォノカートリッジのテストでは、読者に対してのオーディオ誌としてのインパクトが弱いのではないか? という懸念もあったように聞いている。
 たしかに、いまさらアナログのフォノカートリッジに注目しよう、というテーマでは話題性も少なく、たいして興味のある結果とはならないだろう。
 しかし、この考え方には条件が必要だ。もしも、平均的なオーディオファンが、カートリッジを最少限でもよいから使いこなしているかどうかである。かりに、カートリッジについて十分な基本的知識を持ち、独自のノウハウをも含めて、使いこなし切っている、という自信のある方は、ぜひともCDに移っていただきたい。本誌CDプレーヤー別冊でも少し述べたように、容易にはCDは使いこなせる材料ではないようだ。大きな声では言えぬことだが、メーカーサイドでも正確にオーディオ製品としてのCDの実体を把握しているとは、現実の製品を見てみると思われないふしがあまりにも多すぎる。
 伝統的なフォノカートリッジの分野でも同様なことが散見されるが、さすがに長期間にわたりオーディオのプログラムソースのトップランクの位置を占めてきただけに、その完成度はかなり高い。
 では、これを使うオーディオファン側はどうだろうか。残念なことに、全オーディオジャンルにわたり各種の製品を正しく理解し、正常な状態で動作をさせ、さらに使いこなしているとは、まったく考えられないようだ。
 昨今の高度に発達した科学と技術により開発されるオーディオ製品は、非常に高度な物理特性を獲得しており、これを実際に使って、優れた特性をベースとしたステレオならではの優れた音を得るためには、必要悪的な問題点ではあるが、使うための知識と技術レベルが要求されるわけだ。
 本来、使いこなしは、各製品の取扱説明書で製作者自身が述べなければならないはずだ。しかし残念なことに、短絡的な表現になるが、技術者でないと判らない説明、つまり判っている人だけのための取扱説明である例がすべてだ。
 ではオーディオ・ジャーナリズムはどうだろう。各製品を使うための正確な情報を伝えていたであろうか。答えは否だ。結局、最大多数の最大公約数的に、例えばカートリッジなら、トーンアームの水平バランスをとり、平均的に1・5gほどの針圧をかけ、せめて針圧対応値が記されているインサイドフォースキャンセラー(IFC)の目盛を合わせるのが平均的な使い方の実体であろう。しかし、これでは単に音が出るだけで、よほどの幸運にでも巡り合ないかぎり、適度な状態の範囲にも入らない使われ方で、カートリッジのためにも、それを購入したファンのためにも、大変に残念なことである。
●使いこなしによる音質変化を聴きとる
 そこで今回のカートリッジテストは、カートリッジの特徴をベースに、簡単な使いこなしでどのように音が変化をするかを知り、使いこなしで、カートリッジ本来の能力をフルに引出そうということを最大のテーマとしている。逆説的にいえば、あなたのご自慢のカートリッジは、まだ、その半分も能力を発揮していませんよ。少しの使いこなしで、まだまだ音が凄く良くなりますよ、というわけだ。
 テストの対象としたカートリッジのブランドとモデルは、編集部で話題の新製品を中心にして選んだということだ。
●2段階に分けた読聴テスト
 試聴テストの方法は、第一次、第二次の2回に分けて行なった。第一次の試聴テストは、対象とした30機種のカートリッジを、編集部でリファレンスシステムとして選んだマイクロSX8000IIターンテーブルシステムにSME3012R PROトーンアームを組み合わせたシステムで行なった。
 カートリッジ試聴では、組み合わせるヘッドシェル、MC型では昇圧に使うトランスやヘッドアンプのキャラクターが問題になるが、まず、メーカーまたは海外製品については、輸入元で、基本的に指定してもらうことにしている。ただし、指定のない場合は、原則として、使用したコントロールアンプ内蔵の昇圧手段を使うことにしている。
●拭聴レコードは『幻想』を中心に3枚
 試聴レコードは、アバド指揮シカゴ交響楽団のベルリオーズ作曲『幻想交響曲』をメインに、ケニー・ドリュー・トリオの『ファンタジア』と、アル・ジャロウの『ハイ・クラム』の3枚を使った。幻想交響曲は、やや条件の悪い第2楽章でおおよその調整をし、第1楽章でも確認をし、交互に聴く方法をとり、最艮と思われる針圧とインサイドフォースキャンセラーの値を決定した後に、他の2枚のA面、第1曲を使い試聴をする方法をとった。
●徹底したチューニング主体の第2次拭聴
 第2次試聴は、10万円以下の価格帯については、第1次試聴であまり結果の好ましくないものを選び、使いこなしてみようという考えであったが、実際には、何らかの興味のある製品を選んで聴くという結果になっている。
 また、10万円以上の製品については、全機種を第2次試聴の対象とし、プレーヤーシステムを変えて聴くことにした。この詳細は、第2次試聴のまえがきを参照されたい。試聴に使った各コンポーネントは、適度に知名度があり、個体差が少なく、信頼性、安定性のあるものを条件として選んでいる。
●就聴に使用した機器について
 コントロールアンプとパワーアンプは、当初、各種のMC型に対して内蔵の昇圧トランスにヘッドアンプさらに外付けの昇圧手段が選べるデンオンPRA2000ZとPOA3000Zを使う予定であったが、パワーアンプに不測のトラブルが発生しために、第2候補としたアキュフェーズC200LとP300Lのペアを使うことにした。この組合せは、コントロールアンプとパワーアンプ間が通常のアンバランス型のみでなく、バランス型の結線で結べ、そのメリットとして、ナチュラルな音場感的情報が豊かである特徴がある。
 スピーカーは、本誌リファレンスのJBL4344であるが、カートリッジの測定の項で説明する、位相の正、逆に関連して、JBLが採用している一般とは異なる逆相設計(スピーカー端子の+(赤)に電池の+をつなぐとコーンが引込む)が、かなり大きく音質に関係することが、やや気になる。
●チューニングテストのポイント
 試聴にあたり重視した部分は、針圧変化による音質変化がどのくらいあるかという点だ。カートリッジの定格にある標準的な針圧と針圧範囲については、標準、上限、下限の3点で、針圧対応値のインサイドフォースキャンセラー値で使った場合の試聴をベースに、両者を最適値に追込んだ場合との2つのテーマに基づいて試聴しているのが、従来のテスト方法と大きく異なる点である。なお、基本性能を知るための測定データも興味ある部分だ。

4枚のレコードでの20の試聴点についての補足的ひとこと

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 4枚のレコードのどこをどうきいたかは別項に記した通りである。いずれも2分にみたない時間内にそれぞれ五つずつの試聴点(チェックポイント)を定めてきいた。さらに試聴点をふやすこともできなくはなかったが、あまり多くても繁雑になると考え、それにメモをとるスピードのこともあって、五つにとどめた。
 メモにはすべての試聴点についての印象を記したが、それらのうちからきわだって特徴的なところに的をしぼって原稿にまとめた。あわてて書いたためもあって、しばらくしてメモに目を通したときには、いささか判読に苦労したところもいくつかあった。
 このような試聴点を定めてきくこともまたはなはだ主観的な作業の一種でしかありえないが、ほとんど動物的な直感でそれぞれの試聴点でのきこえ方に反応し、それをメモして次のところをきくということの連続であったから、あれこれ考えている間があるはずもなく、そのためにまことに即物的な試聴記にならざるをえなかった。ただ、もしこれら4枚のレコードのうちいずれかをお持ちで、試聴者がどこをどのようにきいたのかをお知りになろうとしたら、音楽の一応の目安の経過時間を手がかりに、それがわかるようにはなっている。
 ただ、一枚目のレコードでの第一試聴点で「弦楽器のみによる総奏のひびきのまろやかさが感じとれるか」とぼくはしたが、しかし、いかなるひびきをまろやかと感じるかは十人十色であるから純粋に客観的な試聴記になっているはずもない。そのつもりでお読みいただきたい。しかしながら、きいての印象を漠然と記すよりはいくぶんかは具体的になっているかもしれず、その具体的になった分だけこっちは逃げ隠れできないことになるから、小心翼翼の試聴者にとってはつらいことである。
 記述は、まず個々のレコードでのきこえ方について書き、ついでまとめという感じで、個々のレコードでのきこえ方をふまえて、そのスピーカーの特徴を書いた。つまり個々のレコードでのきこえ方が部分であるとすれば、まとめはその部分から読みとれた全体ということになる。

4枚のレコードでの20の試聴点(チェックポイント)

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

Disc1
「19世紀ウィーンのダンス名曲集Il」
ミハエル・ディトリッヒ指揮ウィーン・ベラ・ムジカ合奏団[ビクター VlO28081]
ヨゼフ・ランナー作曲ワルツ「ロマンティックな人々」作品167
❶−0’00″:総奏ですべての楽器がききとれるか。同時に弦楽器のみによる総奏のひびきのまろやかさが感じとれるか。
❷−0’09″:いくぶん左よりからきこえるヴァイオリンのきこえ方。きめこまかさをきわだてたヴァイオリンの音色はどうか。
❸−0’27″:右からきこえるコントラバスの音像がふくらみすぎていないか。ひびきがひきずりぎみにならないか。
❹−1’12″:フォルテで音がきつくなりすぎないか。
❺−1’18″:主部に入ってから後の左のヴァイオリンと右のコントラバスのコントラストはどうか。音場感的なひろがりはどうか。

Disc2
バーブラ・ストライサンド/ギルティ
バーブラ・ストライサンド&バリー・ギブ[アメリカCBS FC36750]
WhalKind of Fool
❶−0’00″:中央からきこえるエレクトリックピアノの音像的な大きさとそのひびきの質はどうか。
❷−0’20″:ストライサンドとギブのうたいはじめるときに吸う息のきこえ方とふたりの声のきこえ方。
❸−0’45″:ギターとベースのきこえ方。その両者の対比のされ方がこのましいかどうか。
❹−1’16″:ストリングスのひろがりは充分感じられるかどうか。
❺−!’31″:ギブの特徴のある声のきこえ方とバックコーラスとのかかわり方。

Disc3
ジョン・アンダーソン&ヴァンゲリス/ショート・ストーリーズ[ポリドール MPF1287]
キュアリアス・エレクトリック
❶−0’00″:中央でピコピコいういくぷん金属的な音のきこえ方。
❷−0’08″:ティンパニの音の貨感とそのひびきのひろがり方。
❸−0’29″:ティンパニの音の左右への動きの提示のされ方。
❹−0’37″:ブラスの力強いひびきの示され方。シンバルの音のきこえ方。音楽の疾走感が充分に感じとれるか。
❺−1’37″:次第にきわだってくるポコポコいう音の音像的な大きさはどうか。その音の切れの鋭さはどうか。

Disc4
エバーハルト・ウェーバー&ライル・メイズ/第三の扉[ECM PAP25543]
予感
❶−0’00″:ライル・メイズのひくピアノの下の音にエバーハルト・ウェーバーがベースでつけているが、そこでのベースの音のきこえ方はどうか。
❷−0’21″:ピアノの高い音が右よりに低い音が左よりにきこえるが、そのきこえ方はどうか。
❸−0’46″:シンバルのひびきの輝きが充分に感じとれるかどうか。
❹−0’51″:トライアングル、ないしはベルのきこえ方はどうであろうか。
❺−1’28″:ここから加わりはじめる木管のひびきのひろがりはどうか。同時に、これまでの部分との音色的な対比が充分についているかどうか。

スペックは向上したが、〝音楽的感銘〟はどうか?

瀬川冬樹

ステレオサウンド 57号(1980年12月発行)
特集・「いまいちばんいいアンプを選ぶ 最新34機種のプリメインアンプ・テスト」より

 プリメイン(インテグレイテッド)型というタイプに関する限り、いまや国産のアンプは世界のオーディオアンプの中で主導権を握っているといっても過言ではないほど高い水準にある。例えば、十万円以下の手頃な価格のプリメインでさえ、Aクラスまたはそれに準じた出力段、そして豊富でしかも充実した操作機能。100Wを超える充分なパワー。そして全体の絶え間ない質的な向上への努力といった点で、世界の他のオーディオメーカーを遠く引き離している感がある。そしてまた周知のように、この分野はここ数年来、各メーカー間の競争の最も激しい分野でもあり、ほとんど半年ないし1年という周期で、各メーカーが新製品を発表し、そのたびごとに新しい回路、新しい方式がユーザーの前に提示される。こうした動きを見ている限り、ここ数年間で国産のプリメインアンプは恐るべき進歩を示しているはずだ、と思うのが自然だろう。今から6ないし7年以上前、デンオンのPMA300、500、700あたりをひとつのターニングポイントとして、国産プリメインアンプの音質が真の意味で向上しはじめた時期からあとを追って、ヤマハCA2000のようなきわめて性能の高いプリメインが誕生した。それから今日までの決して短いとはいえない年月の中で、果してそれらを大幅に超えるといるだけ、国産アンプの性能・音質が向上したのだろうか。今回のプリメインアンプのテストに参加しての、私の第1の関心点はそこにあった。確かに、物理データを見る限り、プリメインアンプの性能はここ数年来、格段にという表現が誇大でない程度の向上を見せていることは確かだ。例えば高調波歪率(THD)にしても、数年前0・01%オーダーであったものが、今日では0・00のオーダーまで低減され、またSN比も非常に向上している。同じような構成のプリメインが数年前の2倍近い最大パワーを出せるようになっている。そして、回路設計技術の安定、それをふまえての広帯域低歪率、そして、ここ1、2年来のひとつの傾向を示しはじめたAクラス動作の新しい回路……。こうした側面を眺める限り、アンプの性能は格段に向上している。けれど、我々が新しいアンプを求める理由の第1は、あくまでもレコード(FM、テープ)から、より多くの音楽的感銘を引き出したいからではないだろうか。音楽的感銘という言葉が曖昧すぎれば、いっそうよい音、それも音楽的にみていっそうバランスの整った、そして音楽が聴き手に与える感銘を、できる限りそこなわないアンプを我々は求める。その意味でアンプの音質が本当に向上したか、という疑問を私はあえて提しているのだ。
 したがって今回のテストで最も重視したのは、最近になって格段に録音の向上したクラシックのオーケストラ録音、それもできる限り編成の大きく、かつ複雑な音のするパートを、いかにあるべきバランス、あるべきニュアンスで再現してくれるかどうか、ということ。もうひとつは、音楽のジャンル(クラシック、ジャズ、ポップス……)にかかわらず、あらゆる種類の音楽をできる限りあるがままの姿で聴かせてくれるアンプ。例えばクラシック、例えばポップスに対象をしぼってしまった場合、オーディオ機器の音は、よく言えばかなり個性的。悪く言えば欠点ないし弱点があった場合でも、それなりに聴き手を納得させることはできる。けれども今日、あらゆる意味で性能の向上した周辺機器および録音をとに、あらゆる音楽を楽しもうという場合には、アンプに限ったことではないが、明らかな物理特性の欠陥のあるオーディオ機器では、もはや聴き手を納得させない。特にアンプは、純電気的・電子的なパーツであるために、明らかな物理的または電気的な欠陥があっては困る。また、今日ここまで技術の向上した国産アンプに、今どきそうした欠点があってもらいたくないという気持もある。とはいうものの、やはりその点をシビアにテストする必要があると考え、あえてやや「いじわるテスト」に属するといえるようなテスト方法も試みている。一例をあげれば、我々がアンプのテストをする場合にはたいてい、レコードまたはテープがプログラムソースに使われ、その反復でアンプの音質をつかむ。ところが、ユーザーが1台のアンプを自分の再生装置のラインに組みいれた場合には、当然のことながら、アンプの入力端子にはレコードプレーヤーのほかにもFMチューナー、テープデッキその他の周辺機器がすべて接続されたままの形で聴かれる。言いかえれば、レコードを聴いている間でもチューナー端子にはFMの入力が加わっていることになる。こういう接続をしたままボリュウムを上げた場合、時としてレコードを聴取しているにもかかわらずに、チューナーからのシグナルがかすかに、時に盛大に、混入してきて聴き手を惑わすというアンプがある。その点をチェックするために、今回の試聴ではチューナー端子には常にFMチューナーを接続したまま、フォノ聴取時にボリュウムをかなり上げてみて、チューナーからの音洩れの有無を確かめてみるというテストをした。その結果、数は少なかったとはいいながら、中にはかなり盛大にFMからの音が洩れてくる機種もあり、今日のアンプにあるまじき弱点ではないかと思う。
 最近のプリメインアンプには、わずかの例外を除いてほとんど、MCカートリッジ用のヘッドアンプないしはMCカートリッジをダイレクトに接続できるMCポジションが設けられているのがふつうである。そうであれば当然、別売(外附)のトランスまたはヘッドアンプを用意することなく、各種MCカートリッジをそのままつないで、MCカートリッジの特徴である音の緻密な充実感または繊細なニュアンスを充分に聴かせてくれなくては、MCポジションの意味が半減する。にもかかわらず、MCポジションのテストをしてみると、大半のアンプが落第だった。まず第一にノイズが多い。レコードをプレイバックする際の、実用的な(ことさらに大きくはない)音量でさえ、音の小さなピアニッシモの部分では、明らかに耳につく程度のノイズ、時にハムの混入した耳ざわりな雑音の多いアンプが、必ずしも少ないとはいえない数あった。また、MCポジションまたはヘッドアップ入力での音質も、MCカートリッジの音よさを十分に生かすとまではいわないまでも、せめて、あえてMMでなくMCを使っただけのよさを聴かせてくれなくては困る。
 ノイズに関連して、別の意味で、レコードまたはその他のプログラムソースの聴取時に、ボリュウムをある程度上げたままで、各種のファンクションのボタンまたはスイッチを操作した時に、耳につくようなくりっクイズが出るというのは、やはり望ましいことではない。それらの点もアンプのチェック項目として重視した。なお、本文試聴記中には、特に詳しくはふれていないが、ヘッドフォン端子での音のよさ、またヘッドフォン端子で十分な音量が出るか出ないかもテストのポイントに加えた。もうひとつ、最近になって一部の人たちが指摘しはじめたACプラグの極性(ポラリティ)(電源プラグを逆向きに差し換えた時に音質が変化するという現象)もテスト項目に加えた。ただし、私見を述べれば、こうした部分であまり音の性格が極端に変化するアンプは、回路設計あるいは構造設計上、何らかの弱点をもっているのではないかと思われ、一定水準以上の音質の音が再生されることが望ましいわけで、あまり極端に変化するアンプは好ましくないと考える。

リファレンス機器
カートリッジ──大別してMCとMM、そしていずれのカートリッジにも、対照的な性格があることを考慮し、まずMCカートリッジは、オルトフォンMC30(低出力低インピーダンス型)と、デンオンDL303(比較的出力が高く、インピーダンスも高め)の2機種を用意した。また、この両者は音質の上でもかなり対照的なので、MCを聴くにはこの2機種があれば一応のテストができると考えた。MMカートリッジでは、一方にオルトフォンVMS30MKII(テストに使ったのは最新の改良型の方である)のようにヨーロッパ系の、いくぶんソフトな肌合いで、特にクラシックのレコードをプレイバックした時の全体的なバランスのよさといくぶんウェットなニュアンスをもった製品。これに対して、エムパイア4000DIIIのような、アメリカのカートリッジならではの音の力、乾いた音感のよさ明るさをもったカートリッジ、の2機種を対照させてみた。なお、もうひとつ、個人的に近頃気づいていることだが、フォノ・イコライザー回路の可聴周波数以上の帯域(超高域ないし高周波領域)の部分での高域特性のコントロールいかんによっては、高域にかけて特性の上がりぎみのカートリッジで、なおかつ傷みぎみのレコードをプレイバックした時に、極度に音の汚れるタイプのアンプと、そうした部分をうまく抑えて音楽的にバランスをととのえて聴かせてくれるタイプのアンプがあることに気づいたため、そのチェック用としてエレクトロアクースティック(エラック)ESG794Eという、高域がややしゃくれ上った傾向をもったカートリッジを用意し、その場合の試聴レコードはテストを重ねていくぶん溝の荒れたレコードをあかて使うという、独特のチェック法を試みた。
MCカートリッジ用ステップアップトランス──テストしたアンプのMCポジションでの音質およびノイズをチェックするために、素性のわかったよいトランスを用意する必要があると考え、オルトフォンT30およびオーディオインターフェイスCST80(E30とE40)を適宜つなげ分け、チェックに使用した。
プレーヤーシステム──用意したカートリッジのそれぞれの性格をある程度きちんと鳴らし分けるだけのクォリティの高さおよびテストの期間中を通して性能が一貫して安定している、という条件から本誌55
号プレーヤーテストの結果をふまえ、エクスクルーシヴP3を標準機として用いた。
スピーカーシステム──全機種を通じて、標準に使ったのはJBL4343BWXで、これは個人的に聴き慣れているということもあり、また同時に、特性上の弱点が少なく、アンプの音のバランス、歪、ニュアンスといった要素をつかむのに、最も適していると考えたからである。ただし、4343B(および4343)には、基本的なクォリティのやや貧弱なアンプもある程度聴かせる音に変えてしまう──いいかえればスピーカーの特性の幅の広さまたは深さの部分で、アンプの特性の悪さをカバーしてしまう──というような傾向がなきにしもあらずなので、これとは逆に、アンプのクォリティを比較的露骨にさらけ出すタイプのスピーカーとして、アルテック620Bカスタムを併用した。このスピーカーは、アンプの良し悪しにきわめて敏感であり、基本的なクォリティの優れたアンプでないと、楽しめる音になりにくいという、いささか気難しい性格をもっている。さらに、第3のスピーカーとして、前記2種とはまったく音の傾向の違うヨーロッパ系のスピーカーとしてイギリス・ロジャースのPM510を用意した。このスピーカーもまた、アンプのクォリティおよびもち味によって、鳴り方の大きく左右されるスピーカーだが、テスト全機種を通じて鳴らすことはせず、明らかにこのスピーカーを鳴らせると革新のもてるアンプの場合にのみチェックのために接続するという方法をとった。したがって、主に使ったスピーカーはJBLとアルテック。この性格を異にする二つのスピーカーで、アンプのスピーカーに対する適応性、いいかえればアンプのスピーカーに対する選り好みの傾向がほぼつかめたと思う。
 以上の機器は、試聴に際して切替スイッチをいっさい通さずに、すべてテストアンプに直接接続するという方法をとった。今日のオーディオ機器の、非常に微妙な音質の変化の部分をつかむには、よほど良い切替スイッチを使っても、その性格の差が聴き分けにくくなるために、すべての機器を直接接続するという方法が最も有効であり、またテストに際して必要なことでもあると思う。したがってカートリッジはそのたびごとに付け替えし、針圧調整をし、なおかつスピーカーは、AB切替えがないしプでは、そのたびごとに接続しなおすという手間をかけた。また、接続コードの類は特殊なものを使わず、ごく広く普及した、ふつうのコード類を使った。

試聴レコードとその聴きどころ
リムスキー・コルサコフ/シェエラザード──主に、最終楽章の後半、この曲の中の最もいりくんだオーケストレーションの部分からフィナーレにかけて、ピアニシモに移る部分での音のダイナミックスの変化およびそのニュアンスをテストに使った。
ストラビンスキー/春の祭典──話題の新録音で、第1部および第2部のラストにかけての盛り上がりの部分、これは特にアンプのダイナミックスと解像力のチェック。また、ロマン派以前の曲ではつかみにくいアンプの別の性格をチェックするのに有効であった。
ヴェルディ/アイーダ──話題のカラヤンのEMI新録音、有名な凱旋行進曲の部分での、音の華麗なダイナミックスの再現をチェック。
ウェーバー/ピアノ小協奏曲──シューマンの方がタイトルロールだが、B面ウェーバーの方が録音しては優れている。特に、ピアノのタッチがすばらしく艶やかで、ヨーロッパのホールに特有の比引きがよくとらえられ、オーケストラとのバランスも素晴らしい。このピアノのタッチの美しさとオーケストラとのバランスがどの程度うまく再生されるかどうか。
フォーレ/ヴァイオリン・ソナタ──テストに使用した部分は、第2楽章、時として第1楽章のフィナーレから第2楽章にかけてだが、特に第2楽章のしっとりとした味わいが、度程度ニュアンス豊かに再生されているかどうか。ヴァイオリンの胴鳴りの響き、そしてピアノとヴァイオリンの融け合う美しさ。このレコードは本来のニュアンスがなかなか再生されにくい難物といえる。
メンデルスゾーン/フィンガルの洞窟──このレコードは、交響曲第5番「宗教革命」の余白の部分にはいっているが、私のレコードはたびたびのテストに使って溝がきわめて荒れている。エレクトロアクースティック(エラック)ESG794Eでも、このレコードの傷みがどの程度耳ざわりでなく抑えられながら音楽的なバランスがととのえられ再生されるかというのがチェック項目。大半のアンプが落第であった。しかし、中に数機種とはいいながら、レコードの傷んでいることを忘れさせる程度にきかせてくれるアンプもあった。
ベートーヴェン/交響曲第九番「合唱」──たまたま、某誌でのベートーヴェンの第九聴き比べという企画で発見した名録音レコード。個人的には第九の録音のベスト1としてあげたい素晴らしい録音。音のひろがりと奥行き、そして特に第4楽章のテノールのソロから合唱、そしてオーケストラの盛り上がりにかけての部分は、音のバランスのチェックに最適。しかも、このレコード独特の奥行きの深い、しかもひろがりの豊かなニュアンスというのは、なかなか再生しにくい。
チャック・マンジョーネ/サンチェスの子供たち──ここ1、2年来、一貫してテストに使っているフュージョンの代表レコードのひとつ。序曲の部分のヴォーカルから、パーカッションの強打に移行する部分で、音のニュアンスおよびダイナミックスが、的確にテストできる。
ドン・ランディス&クェスト/ニュー・ベイビィ──最近のシェフィールドの録音は、また一段と向上し、ダイナミックレンジが驚異的に拡張されている。例えば、正確なパワーメーターを見ながら再生すると、この第1曲「イージィー」などでも、それほど大きな音量を出していない場合でも、ごく瞬間的に、きわめて大きなパワーの要求されるパートがある。この曲では意外なことにそれは、最も注意をひくパーカッションの音よりも、ハモンド風の音を出すキーボードの部分で、パワー不足のアンプはその部分でビリついたり、クリップしたりする。このレコードを使ってアンプの表示パワーと聴感上の音量感の伸びとが必ずしも直接的な関係のないことがわかって興味深かった。
 他にも、別掲のリストにあげたレコードを、必要に応じて使用した。

価格ランク別ベスト3
5万円台──意外につぶぞろい。中には、6~7万円台のアンプの必要がないといってよい製品もある。むろんそれは、6万円以下という価格の枠を頭に置いた上での結論であるにしても、価格に似合わぬ出来栄えのよさが、この価格帯の特徴。
 その中でも無条件特選がテクニクスSU-V6。この値段では安すぎるくらい内容が充実。ただし、パネルデザインはいただけない。
 オンキョー/インテグラA815。オンキョー独特の音色に好き嫌いがありそうだ。
 サンスイAU-D7。いくぶん華やかなタッチ、しいていえばポップス系の音楽に特徴を発揮する。
6~7万円台──製品による、出来、不出来のたいへんに目立った価格帯であった。中に二~三、優れた製品があり、5万円台の出来栄えのよい機種と比べ、やはりどこかひと味違う音がする。しかし全体的には、メーカーとしては、このランクは製品の作り方の割合むずかしい面があるように思う。個人的には、もう少し予算をとって、思いきって1ランク上からよいアンプを探すのも、買い物上手な方法かと思った。
 ベスト3は、まずテクニクスSU-V7。V6の改良モデルだけに、パネル面の意匠も洗練され、内容も充実。
 デンオンPMA540。音質はなかなか充実して聴きごたえがあり、価格を考えるとよくできたアンプのひとつ。デザインはいささか野暮。
 ラックスL48A。力で聴かせるタイプではないが、ラックスの伝統的な音の優雅さが生かされた佳作。
8万円から10万円──5~6万円台のアンプに比べ、明白に内容が充実してきたことが、音の面からはっきりと聴きとれる。とはいうものの、出来栄えの差はやはりあり、全体として充実しながらも、それらの中で一頭地を抜いた製品があった。
 無条件ベスト1がビクターA-X7D。国産のアンプが概して中~高域に音が固まりがちな中で、めずらしく中域から低域にかけての支えのどっしりした、いわゆるピラミッド型のバランスが素晴らしい。
 次がサンスイAU-D707F。中~高域の音のニュアンスに独特の特徴があり、パワー感も十分。ポップスでエネルギー感を聴かせながら、クラシックでも捨てがたいニュアンスを聴かせる。
 デンオンPMA550。パワーも十分大きく、基本的な音の質がこの価格としてはかなり練り上げられている。
10万円台以上──今回の分類では、10万円以上、20万円台の後半までを一括しているため、大掴みな言い方ではとらえきれない。したがって、あえて20万円で一戦を引くと、10万円台のアンプは、8~10万円あたりの価格帯で、最新技術と良心的な製造技術によって、優れた出来栄えを示す製品に比べ、あまり明白な差がつけにくいという事情があるのではないだろうか。
 その点、20万円あるいはそれを超えるとさすがに、プリメイン最上級機種だけのことはあり、基本的な音の質が磨かれ、緻密かつ充実し、十分な手ごたえ、満足感を聴き手に与えてくれる。と同時に、この価格になると、明らかにメーカーの製品に対する姿勢、あるいはそれぞれのメーカーがどのような音を求めているかということが、明白に聴きとれるようになってくるのもまた興味深い。
 ベスト3は10万円台以上で一括すれば、ベスト1はアキュフェーズE303。基本的な室の高さに支えられた上に、独特の美しい滑らかな音が十分な魅力にまで仕上っている点、特筆したい。新製品ではないが、今日なお注目製品。
 どこを推してもよく出来ているという点では、デンオンPMA970。いくぶん硬調ぎみの音ながら、質のよさに支えられ、ややポップスよりながらクラシックまで十分こなせる質の高さ。
 ヤマハA9。あらゆるプログラムソースに対して、一貫して破綻のない、安定したプレイバックを示す。個人的には、音の魅力感がいまひと息というところだが。
 次点として、ケンウッドL01A、ラックスL68Aをあげておく。

「価格を考慮しないクォリティ絶対評価の9項目採点表について」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 ❶の「音域の広さ」は、測定上とは別に、聴感上、音域が広く感じられるかどうか、をあらわす。❷の「バランス」もこれに関連があり、特定の音域の強調等で、聴感上の音域が狭く感じられることがある。
 バランスの整っているという点は私の最重視項目で、すへての音楽で、特定のクセがついたり不自然に聴こえるのは困る。
 音の鮮度の高い感じ。歪が少なく磨き上げられたようなクリアーな音。そういう要素を「音の質感の良さ(❸)としている。どこか薄汚れたような品位の低い音、曇り空のようなどんよりした生気のない音、は質感の点数が低い。
 たとえば優れたピアノ録音を再生したとき、眼前にグランドピアノのあの胴体の大きさが十分に展開されるかどうか。ひと言でいえばそれが「スケール感(❹)だ。また、オーケストラ等が十分にスケールと広がりを保ちながらソロ楽器やヴォーカルが、その広がりの中にピタリと定位し、発音源の大小の対比が明確に聴きとれ、さらには奥行きまで感じとれるような音を「ステレオ効果(❺)」の再現がよい、という。
「耐入力、ダイナミックレンジ(❻)では、文字どおりどこまでパワーが安定に入れられるか、と共に、その逆に、音量を絞ったとき、ピアニシモのとき、などでも、バランスをくずさず、クリアネスを保っているものをよしとする。
 以上の各項目のいかに点数がよくとも、そこにもうひとつ「音の魅力(❼)が加わらなくては、私は良いスピーカーだといわない。鳴りはじめた音に、つい、聴き惚れてしまうような、つい惹き込まれて一枚もう一枚と、次々にレコードを聴きたくさせるような音の魅力。これのあるのは本物の良いスピーカーであることを、永い体験の上から確信している。
 最後の二項は、以上の総合的な性格を抽き出すための組合せの難易と設置および調整の難易度をあらわす。特定のアンプや特定のカートリッジでなくては、そして入念に最良の設置条件や調整のポイントを探さなくては、そのスピーカーの魅力が十分に抽き出しにくいというような場合には、よほどそのスピーカーに惚れ込んでいなくてはできない。そうでないことが望ましいが、しかし中には、そういう作業の末に、思いもかけない魅力で鳴り出すスピーカーが数少ないながら存在する。そういうポイントを探り出すために、相当入念に試聴をしたつもりである。

採点項目
❶音域の広さ
❷バランス
❸質感
❹スケール感
❺ステレオエフェクト
❻耐入力・ダイナミックレンジ
❼音の魅力度
❽組合せの自由度
❾設置・調整

20万円コンポのためのプリメインアンプ18機種徹底レポート

瀬川冬樹

別冊FM fan 25号(1979年12月発行)
「20万円コンポのためのプリメインアンプ18機種徹底レポート」より

 二十万円コンポシリーズも、前号、前々号での総論を卒業し、いよいよ各論に移るが、今回トータル二十万円の予算でコンポーネントを組むのに適当であろう価格帯のプリメインアンプを一同に集めてテストしてみた。テストの対象にしたアンプは四万五千円から十万円迄のアンプで、まず市販品の中で比較的人気の高い製品、そして新しい製品を中心に集めた。人気という点からいうと、決して新製品とはいえないアンプも何台かまじっている。そのことは逆にの一年ないし二年の間でのアンプの性能がどれだけ進歩したか、しなかったか、ということを知るものさしともなるわけで、これだけアンプがそろうと、二十万円コンポ族にとっていろいろおもしろいことがわかってくるだろう。
 試聴アンプは一応編集部からメーカーに試聴テストするという話をしたうえで、貸してもらった。メーカーから辞退してきたもの、あるいは諸般の事情でテストの対象にならなかったものもあり、このクラスの市販品全部を網羅するというわけにはいかなかったことをあらかじめお断りしておく。

アンプは3時間以上エージングした
 さてテストの方法だが、まずテストに先立ち、アンプを十分にエージングするということを心がけた。すでに一、二年前からよく知られた始めたことだが、アンプに電源スイッチを入れ、音を鳴らし始めると、スイッチを入れた直後よりも一時間、二時間後にだんだんと音が柔らかくこなれてくるアンプが近ごろ増えている。いまとなってみるとすべてのアンプがそういう性質をもっていたのだが、そういう違いが聴き分けられるほど、最近のアンプ自体の基本性能あるいは周辺の機材というものが向上してしまったということにもなる。そこでテストに当たってはそういうハンデを避けるためにすべてのアンプを少なくとも三時間以上十分に鳴らし込んだ状態でテストすることにした。写真にもあるようにテストするプレイヤー以外に三台のプレイヤーを用意し、常にその次にテストするアンプを鳴らし込んでおくような配慮をした。
なぜJBL4343BにエクスクルーシヴP3なのか
 アンプのテストをする場合にはスピーカー、プレイヤー、カートリッジあるいはテストソースとしてのレコードといったものの選び方については多くの意見が出るところだが、今回のテストに関しては、アンプの持っている性質そのものをできるだけ十分に聴きとろうということで、アンプの価格帯にふさわしい機器を選ぶのではなく、むしろ現在市販されている中から得られる最高水準のスピーカー、レコードプレイヤー、カートリッジというものを用意し、アンプをベストの状態で聴き取るようにした。したがって、これから後の試聴記に出てくるアンプの音質というのは、このアンプのもっているほぼ基本的な性質と考えていただいて差し支えない。それを後でどんなスピーカーやどんなカートリッジと組み合わせると一層生きるかということは、試聴記の中に二、三ヒントを述べてはあるが、また改めて別の機会にこれらのアンプを中心とした組合せとしてさらに詳しく取り上げてみたいと思う。
 そういうわけでスピーカーにはJBLの4343の新しいBタイプ、レコードプレイヤーにはエクスクルーシヴのP3という、ともに市販されている中でも最高のグレードのものを組み合わせた。
カートリッジはMMとMCを用意
 次にカートリッジだが、大きく分けてMM系のカートリッジとMC系のカートリッジ、これを両方用意した。というのは、現在四万五千円あたりから上のアンプになると、大半のアンプがMCヘッドアンプを内蔵しており、そのMCヘッドアンプのテストをするためには、ぜひともMCカートリッジが必要だからだ。さらにMCカートリッジについてはオルトフォンのMC20MKIIとデンオンのDL103Dという二つのタイプを用意した。その理由というのはMCカートリッジにも大きく分けるとインピーダンスの高いMC型と、比較的インピーダンスの低いMC型の両極端があり、出力が低いタイプと出力が高いタイプの両方あるということから、どうしても二つのタイプが必要となる。オルトフォンのMC20MKIIはインピーダンスが3Ωであるのに対して、デンオンDL103Dは33Ωとほぼ十一倍のインピーダンスの差がある。また出力電圧もこれはカタログデータの公称だから、そのまま比較にはならないが、オルトフォンが0・09mVに対してデンオン103Dが0・3mVというように、これも三倍以上の差がある。こういう違いがMCヘッドアンプの性能に大きく響いてくる。特にオルトフォンの3Ωという低いインピーダンス、そして0・09mVという非常に低い出力電圧は、MCヘッドアンプに対しては非常にきびしい条件なので、これが十分に鳴らせるMCヘッドアンプは相当なものであることがいえるわけだ。半面、デンオンの33ΩというようにMCとしては比較的高めのインピーダンスと0・3mVという、これもMCとしては大きめの出力というのは、大方のMCヘッドアンプに対しては十分であろうということがいえる。そしてまた出力とインピーダンスの違いだけでなく、MC20MK20IIとデンオン103Dとは音質もだいぶ違い、これを含めてアンプのテストに利用した。
 さてMM型のカートリッジだが、これは西ドイツのエラックの新シリーズ794Eと、アメリカのスタントン881Sという、西ドイツとアメリカという全く違った国の、違ったキャラクターをもったMMカートリッジを用意した。というのは、エラックの方は非常に繊細で切れ込みがよく、多少ウェットな面ももっており、どちらかといえばクラシックのプログラムソースを非常に美しく、ハーモニー豊かに聴かせてくれるカートリッジであるのに対して、スタントン881Sはどちらかといえば現在の新しいポピュラー・ミュージックに本領を発揮する音の厚み、力強さ、そして音の明快さをもったカートリッジであるということだ。さらに比較参考用としてもっとローコストなカートリッジということで私がよく性質をしっている同じエラックの793Eも併用し、随時それを比較の参考にした。
 次に試聴レコードだが、なるべく広い範囲のレコードから選択した。新旧の録音あるいは非常に大きな編成からデリケートな編成のものまで、そしても内容も弦あり、管あり、ボーカルあり、パーカッションあり、また編成の大きなものでもクラシックの場合とポピュラーの場合と、できる限り多彩なソースを用意したつもりだ。ただテストに要する時間を考えるとできるだけレコードは少数に絞りたいということもあり、私がここ数年来テストに使っているレコードに最近の新しいレコードを何枚か加えた。このレコードの中のそれぞれたいてい三分以内の部分がテストに使われている。
八畳間の感じにセッティング
 試聴の場所は本誌で使っているかなり床面積の比類試聴室を使わせてもらった。アンプのテストをする場合、あまり広くていい音のする試聴室だと、アンプの隠れた欠点を全部覆い隠してしまうという恐れがあるので、私の主義だがなるべくスピーカーに近づいて聴くようにした。もう少し具体的にいうと、和室で六畳ないし八畳ぐらいの広さの部屋でスピーカーとリスナーの関係位置が保てる程度に近づいて聴くということが必要だと思うわけだ。二つのスピーカーの中心から中心の間隔を約3m弱、スピーカーから聴き手の位置もそのくらい。八畳の中でこの程度のセッティングができるだろうというような関係位置をこしらえて、試聴にのぞんだ。
 アンプのテストにあたって切り替えスイッチを一切用いていない。というのは現在の最新アンプをテストする時に、切り替えボックスを通してしまうと、どうしても接点の抵抗、あるいはそこに要するコードの余分な長さなどで、アンプの本当の性能が発揮できないということがいわれており、アンプはすべてプレイヤーから直接コードをつなぎ、スピーカーに直接つなぐということで確実な接続をし、一台一台入念なテストをした。
 また、何台か聴いた後でもう一度前のアンプに戻るといういわゆるクロステストを行い、十分に念を入れて聴き落しのないようにしたつもりだ。MCヘッドアンプのテストをするアンプ以外の電源をすべて切って、周囲の漏えいなどの影響を受けないようにしたことはもちろんのことだ。
試聴を終わって
 結果をちょっと大ざっぱにいうと、大半のアンプにMCヘッドアンプが組み込まれていた。もうひとつは、アンプの音質をできるだけぎりぎりのところまで追求しようということで、多くのアンプに、メーカーによって違いはあるが、各種のスイッチでアンプのトーン・コントロールその他の付属回路を飛ばして、イコライザーとパワーアンプを直結するという、非常にシンプルな構成にするという考え方が取り入れられていた。これは確かに現在の時点でアンプをより一層ピュアーに改善するための手段であることは認める。音質を劣化させる回路を飛ばしてしまって、できるだけアンプの構成を簡潔、シンプルにして音質を改善しようという純粋な発想であるということはわかるが、半面それはトーン・コントロールその他の回路の音質向上に対する技術的努力を怠っているという見方ができなくはないと思う。少なくともそうした回路を積極的に音楽を聴くときに生かしたいという人にとっては、アンプの音質を犠牲にせざるを得ないわけで、そこのところは次の段階ではぜひともトーン・コントロール回路を入れて、なおかつ音質が劣化しないような方向で、さらに技術的な追求をしていくのが本筋ではないかと思う。付属回路を飛ばしてしまうということは極端ないい方をすれば、アンプの回路を片輪にしてしまうことだ。言いすぎといわれそうだが、私はそう考える。
 MCヘッドアンプもテストした結果からいうと、少なくとも半数以上がただカタログの上にMCヘッドアンプ内蔵と書きたいためのつけ足しにすぎないのではないかという印象をもたざるを得ないようなアンプが少なからず合った。こういうものが無理してカタログ・データを充実させるために組み込まれるのであったら、MCヘッドアンプなど入れないで、そのぶんだけ音質向上に振り替えるか、あるいはそのぶんだけコストダウンするか、という方がユーザーにとっての本当の親切になるのではないかと思う。もし付けるのならばもっと本当の意味で実用に耐えるものを付けてほしい。少なくともMCヘッドアンプ以外のアンプの性能のよさと見合うだけのものが組み込まれなければ、これは片手落ちではないかというように思う。
 それからもうひとつ、今回はヘッドホン端子での音の出方、音質ということについてもテスト項目に入れている。というのはやはりわれわれはこの狭い、住宅事情の悪い日本に住んでいる限り、どうしても深夜など音楽を十分に楽しむためにはヘッドホンのお世話にならざるを得ないわけで、ヘッドホン端子はやはりアンプそれぞれのもっている音質の傾向をはっきり出し、同時に、ヘッドホン端子で十分に音量が楽しめるだけの出力が出てくれないと困るわけだ。これもテストした結果からいうと、概してヘッドホン端子での出力を少し抑えすぎているように思う。それからすべてのアンプではないが、何台かのアンプがヘッドホン端子ではずいぶん音質が劣化するものがある。ヘッドホン端子での音の出方というものをもう少し真剣に検討する必要があるのではないだろうか。その点をメーカーへ要望したい。
 細かくはこれ以後の試聴記をみていただくことになるが、試聴したアンプの出来栄えについて星が付いている。これは星の数が一つ、二つ、三つ、それから星印なしというように分かれており、星印がないからといって決して悪いアンプということではない。少なくとも星が一つ付いたということはその価格帯で印象に残ったアンプであり、二つ付いたアンプというのは、その価格帯の中で大変出来栄えのいいアンプであり、三つ付いたアンプは文句なく大変いい、音楽を実に音楽らしく聴かせてくれるという意味で、テストをし終わった後々まで、いいアンプだなという印象を残した優れたアンプだというような意味に受けとっていただきたい。

「ヒアリングテストのポイント」

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か」より

 ──まさか「ステレオサウンド」を読むほどの方には、そんな方がおいでになるとは思えないけれど、一般的には、プレーヤーで音が変るの? という人が多いよ。
 ──うん、たしかに、多いね。ターンテーブルが同じようにまわっているんだから、音がそんなに変るはずがないと考えているのかもしれないな。でも、そのように考えている人が多いのには、それなりに理由があると思うんだ。つまり、音が変るといったって、たとえばスピーカーやカートリッジをかえたときのような変化はないからね。
 ──そう、だから、表面的にはわかりにくいということもいえるんじゃない。たとえばだよ、町を歩いている人をみて、あの人は美人だとか、あの人の着ているスーツはいかにも上等そうだとか、あの人はずいぶん背が高いなとか、そういうことはわかるけれど、今すれちがった人が病気にかかっているのかどうかなんて、とてもわからないし、わかろうともしないものね。夏休みで海にでもいったのだろう、まっ黒にやけていて、みるからに健康そうだけれど、もしかすると胃がわるかったりするかもしれないし……
 ──なるほど、シロートにはプレーヤーシステムの音の差がわかりにくいということになるのかな。
 ──いや、そうじゃないよ、シロートもクロートもない、こっちがそのつもりでみれば、わかることだけれど、普段は、顔かたちとか、背の高さとか、着ているものとかに、どうしても目をうばわれてしまうだろう。
 ──それでは、試聴にあったっては、そのつもりになってことにのぞんだというわけか。さしずめ、美人コンテストの審査員の目ではなく、内科の医者の目でみたことになるね。
 ──まあ、無理にこじつければ、そういうことになるかな。
 ──それで、どうだった。何人に聴診器をあてたの。
 ──聴診器をあてたといういい方は、どうもひっかかるな。ただきいただけだよ。いつものように下手な字でメモをとりながらね。きいたは、二十二機種だった。すくなくともぼくにとっては、それぞれのプレーヤーシステムごとの音のちがいが、ごく本質的なところでのものだったから、ききやすかったな。いいプレーヤーシステムはカートリッジがかわっても、それなりにそれぞれのカートリッジのよさをひきだしていたし、問題があるなと思ったのは、カートリッジがかわって急によくなるなどということはなかったな。
 ──それで、その二十二機種をきいての、おおまかな感想を、まずきこうか。
 ──そうだな、思った以上に、健康な人がすくなかったというべきかな。
 ──しかし、よくいわれるように、オーディオは趣味の世界のものだろう。だとすれば、きみが問題ありとしたものに対して、他の人は高い評価を与えるかもしれないじゃないか。
 ──オーディオは趣味の世界のものだということは、よくいわれるし、たしかにそう思える部分もなくもないと思うけれど、そのことがいわれすぎることに、ぼくはひっかかるんだよ。逆にうかがうけれど、趣味の世界のものだといってしまえるようなところまで、今のオーディオはいっているのかな。
 ──いや、この議論は、なかなかおもしろそうだけれど、本題からはずれすぎるので、また別の機会にということにしようよ。
 ──うん、そうしよう。ただ、ぼくがプレーヤーシステムについていいたかったことと、そのこととは、無関係ではないんだ。スピーカーなり、カートリッジなり、あるいはアンプにしてもそうかもしれないけれど、その音について、趣味の世界のこととして、つまり好き嫌いで語れるところがなくもないと思うんだけれど、プレーヤーシステムの音については、その部分が極端に少ないように思うな。たしかに、それぞれのプレーヤーシステムにそれぞれの音があって、Aのプレーヤーシステムの音が好きだという人もいれば、Bのプレーヤーシステムの音の方がいいという人もいると思うけれど、でも、音のキャラクターについて考える以前に、まず音のクォリティについて考えざるをえないのが、プレーヤーシステムだと思う。ずっとそう思っていて、はからずも今回の試聴で、その考え方を確認したような気持だな。
 ──いいたいことはわからなくもないが、もう少し具体的にいてくれないかな。
 ──ひとことでいえば、基本性能がしっかりしていなければどうしようもないということになるかな。またさっきのたとえをつかわせてもらうとすれば、容姿の点で幾分いたらない点があった場合、それを愛矯でカヴァーするというようなこともあるのかもしゃないけれど、胃に潰瘍ができていたら、いくらニコニコしてもしかたがないものね。
 ──まあ、それはそうだけれど……
 ──つまり、表面的なとりつくろいが通じにくいということだよ。
 ──きいていれば、そこところがあらわになると……
 ──そう。
 ──それで、試聴にあたって使ったレコードは……。
 ──以前にも、たしかスピーカーの試聴のときにつかったレコードなんだけれど、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」の全曲盤なんだ(グラモフォン MG8200〜1)。カルロス・クライバーの指揮した、一九七五年に録音されたレコードの、第二面の冒頭のところを三分ほどきいた。第二面の冒頭のところというと、ロザリンデ(ユリア・ヴァラディ)とアデーレ(ルチア・ポップ)の会話があって、そこにアイゼンシュタイン(ヘルマン・プライ)が加わり、そのまま三重唱に入れこむ──というところで、その三重唱の途中まできいたことになるんだけれど……
 ──レコードは、それだけ?
 ──そう。
 ──いつもは、何枚かきくんじゃなかったの?
 ──時間的に余裕があれば、さまざまなレコードをとっかえひっかえきいてもよかったのだけれど、その点でむずかしかったのと、それに、これまではなしてきたような理由から、何枚もきかなくてもいいと思ったからなんだ。
 ──なるほど。
 ──実は、はじめは、傾向のちがう音楽をおさめた三枚のレコードをきいていたんだけれど、三枚きくことはないと思ったんだよ。なんといっても、一台のプレーヤーシステムに三つのカートリッジをつけかえてきくわけだからね、作業としても大変だったわけさ。カートリッジことの変化があきらかになる方が、この場合には大切で、それがこれでレコードがふえてしまうと、煩雑になりすぎるという編集部側の考えもあったしね。
 ──それで、ポイントはどこにしぼってきいたわけ?
 ──ポイントをしぼったというわけでもないんだ。むしろポイントは、おのずとしぼられたというべきだろうな。つまり、試聴に先だって、ここがポイントだからということで、その点にことさら耳をそばだてたということではないんだよ。きいて、ききながらとったメモを読みかえしてみたら、一種の共通因数とでもいうべきものがみえてきたといった方が正直ないい方になるだろうな。思いこみを持って試聴にのぞむのが嫌だったからね。
 ──もう少しまわりくどくなく、ストレートにいってくれないかな。
 ──いや、あらかじめポイントをきめていたわけではなく、きいているうちにポイントがうかびあがってきたということさ。
 ──わかった。で、そのポイントを具体的にいってくれないかな。
 ──ひとつは、音像が過剰に大きくなっていないかどうかということで、もうひとつは、ひびきの力だな。結局、具合のよくないプレーヤーシステムというは、ひとことでいえば、ひびきに力がないんだ。そために音像が肥大するということもあるだろうし、こっちにおしだされてくるべき音がひっこんでしまうということもあったようだな。
 ──きみのいうひびきの力というのは、音の強さのこと?
 ──いや、むろんそれも含まれるけれど、それだけではないんだ。たとえば、今度使ったレコードに即していえば、三重唱に入る前のセリフのところで、アイゼンシュタインが凍えではなすところがあるよね。ああいうところの声は、ひびきに力がないと、あいまいになっしまう。だから、音の強さは当然示されるべきなんだけれど、それと同時に強い音とはいえない音が、しっかりささえられているかどうかが問題になると思うんだ。ひびきの力というのは、そのことなんだけれどね。
 ──わかるような気がするよ。そういわれてみると、プレーヤーシステムによる音の変化が基本的なところでの変化だということも、納得できるな。
 ──あらかじめわかっていたことではあるんだけれど、今度、試聴をしてみて、あらためて、プレーヤーシステムのコンポーネントの中での重要性について考えさせられてしまったよ。
 ──限られた予算内でなんとかしていこうと思うときに、どうしてもプレーヤーシステムは後まわしになるというか、予算を他のところにまわしがちだからね。
 ──いや、それはいちがいにいえないよ。本当にわかっている人は、まずプレーヤーシステムからと考えているかもしれないからね。今度の試聴では、機能面については、ぼくのうけもちでなかったので、なにもふれなかったけれど、その点でも、さらに積極的にさまざまな試みがなされていいように思うな。
 ──それはそうだけれど、きみのはなしをきいていると、まず音の面で、より一層充実することの方が先じゃないの?
 ──それはそうだ。なんといったって、プレーヤーシステムは、コンポーネントの土台だからね。そこがしっかりしていなければ、いかにいいカートリッジをつかい、いいアンプをつかい、いいスピーカーシステムをつかっても、極端なことをいえば、砂上の楼閣になりかねないからね。
 ──ずいぶんおどかすじゃないか。
 ──いや、おどかしているわけじゃないよ。事実をいっているだけだよ。
 ──それで、しめくくりの言葉は、どうなるわけ?
 ──プレーヤーシステムに対してより一層のご注目を!──ということになるだろうな。むろん、これは自分に対していう言葉でもあるんだけれど。

ヒアリングテストのポイント

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

聴き手の心を音楽にむかってふくらませるかどうか
●ヒアリングテストのポイント

 アンプの比較試聴を永年くりかえしてきて、ここ数年間で以前とはっきり違ってきた点が二つある。
  第一は、アンプの性能の限りない向上によって、現時点ではもはや、切換回路を通してスイッチで切換えたのではアンプ個々の微妙な音質の差が正しく掴めなくなっていること。第二に、アンプによってはスイッチを入れて音が鳴りはじめてから動作が安定状態に入るまでの一~二時間のあいだに、ごく微妙ではあっても音質の次第に変化するものが増えてきたこと。
 とうぜん、切換スイッチに何台か同時に接続して一斉に電源を入れて、はい聴きましょうといった単純な比較では、もはや個々の音の性格を正しく掴みとれなくなっている。
 本誌ではすでに数年前から切換スイッチの使用を廃止しているが、さらに、前回のプリメインアンプテスト(42号)のとき以来、試聴するアンプをあらかじめ最低3時間以上実働させてから試聴に入るというめんどうな方法をとっている。くわしくは別項(試聴テストの方法)をご参照頂きたい。
     *
 こうして一台一台を、切換回路を通さずに実際の使用状態と同様に正しく接続し入念に試聴すると、ふつうに切換スイッチでパチパチと瞬間比較するときには殆んど見落しがちの性格がよく聴き分けられる。
 テストレコードはいわば試聴用の素材にすぎないわけだが、しかし目の前に置かれた、一台のアンプのボリュウムを上げれば、機械をテストしようという態度よりはもっとふつうの愛好家の心理状態と同じに、さあこれからレコードを聴こう、という気持に自然になってくる。
 少なくとも私自身は、今回のテストにかぎらず常に、そうしたレコード愛好家としての心理状態を保ち続けるよう心がけているつもりだ。いわゆる単独試聴のときはもちろんだが、今回のような一部合同試聴の際にでも、おもて向きは嫌々ながらといったふうをよそおいながら、自分の手でレコードをのせてアンプの操作系を買って出るのも、そうした方がレコード愛好家としての心理状態を保つために、実をいえば私には具合がいいからだ。
 前にも書いたことだが、こうして一枚一枚のレコードを音楽として楽しみたいという態度で臨んだとき、そういう聴き手の心理をふくらませ、音楽を聴くことを楽しく思わせ、もっと先まで聴きたい、ボリュウムを絞りたくない、という気持にさせるような音がすれば、アンプでもスピーカでもそれが私には好ましい製品といえる。本当に良い音になってくると、もう何十回も繰り返し聴いている同じレコードの同じ部分を、つい我を忘れて聴き惚れて、しばらく捜査の手を忘れてしまい、同席の岡、井上両氏に叱られることもある。
 だが残念なことにそういう音は決してたびたびは聴こえてこない。とくに今回のテストでは、発売後かなりの時が流れてすでに一般的評価の定着した製品もいくつか登場しているが、私自身の評価はそれと必ずしも一致しなかったというのも、右に書いたように音楽を聴かせ幸せな気分にさせてくれるアンプでなくては、たとえ物理的にどんなにワイドレインジで歪が少なく音の立上りが良いという製品でも、それだけでは私には何の価値も認めらないからだ。せめてほんの少しのパッセージでいい、ふっと比較試聴という時間を忘れさせ、聴き惚れるまで行かなくてもつい耳を傾けさせる音のするアンプ。それが私の絶対の基準尺度だ。価格の高低、出力の大小、機能の多少などとはそれは全く無関係なことなので、今回の試聴でも、ことにコントロールファンクションの多い少ないはほとんど無視している。
 だが現実には、私にとってコントロールファンクションは意外に重要な項目だし、デザインのよしあしも大きな要素になる。そのことは別項の推薦機種の選定の中でふれている。

レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー

菅野沖彦

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

単純ではないモニタースピーカーの定義
 実際に世界中のプロの世界では、どんなモニタースピーカーが使われているのだろうか。オーディオに興味のある方はぜひ知りたいと思うことだろう。実際に、私が見てきた限りでもアルテックあり、JBLあり、あるいはそれらのユニットを使ったモディファイシステムあり、エレクトロボイスあり、というように多種多様である。時には、モニターというのは結果的に家庭用のプログラムソースを作るのだから、家庭で使われるであろうソースを作るのだから、家庭で使われるであろう標準的なシステムがいいということで、KLHなどのエアーサスペンションタイプのブックシェルフ型を使っているところもある。
 昔のように、ある特性のメーカーがシュアをもっていた時代と違って、現在のように多くのメーカーがクォリティの高いスピーカーを数多く作り出している時代では、世界的にこれが最もスタンダードだといえる製品はないといってもよい。むしろ、日本におけるNHK規格のダイヤトーンのモニタースピーカーの存在は、いまや世界的にみて例外的といってよいほど、使用されているモニタースピーカーは千差万別である。
 では、一体モニタースピーカーとはどういうスピーカーをいうのだろうか。現在では、〝モニター〟と冠されたスピーカーが続々と登場してきているので、ここで整理してみるのも意義があるだろう。
 モニタースピーカーとは、訳せば検聴である。つまり、その音を聴いてもろもろのファクターを分析するものである。例を挙げれば、マイクロと楽器の距離は適当かどうか、マイク同士の距離は適当か、あるいは左チャンネルに入れるべき音がどの程度右チャンネルに漏れているか、SN比はどの程度か、歪みは起きていないかというような、アミ版の写真の粒子の一つ一つを見るがごとき聴き方を、ミキサーはするわけである。もちろん、そういう聴き方だけをしていたのでは、自分がいま何を録音しているのかという、一番大事なものを聴き失ってしまうので、同時に、一つのトータルの音楽作品としても聴かなければならないので或る。そのためのスピーカーがモニタースピーカーというものである。
 しかし、一口にモニタースピーカーといっても、単純に定義することはできない。なぜならば、使用目的や用途別に分類しただけでも、かなりの種類があるからである。大別すれば、放送局用とディスクを制作するための録音スタジオ用に分けることができるが、その録音スタジオ用といわれるものをみても、またいくつかの種類に分けられるのである。
 たとえば、まず録音をするときに、演奏者が演奏している音をミキサーがチェックする、マスターモニターと呼ばれるモニタースピーカーがある。この場合ミキサーは、マイクアレンジが適当かどうか、音色のバランスはどうか、雑音は入っていないかなど、細部に亘ってチェックしながら聴くわけである。当然のことながらクォリティの高いスピーカーが要求されてくるわけであるが、一般的にモニタースピーカーと呼ばれているのは、このときのスピーカーを指しているのである。
 そして、その録音を終えたあとで、演奏者が自分の今の演奏はどうだったかを聴くための、プレイバックモニターがある。これには最初のマスターモニターと共通の場合と異なる場合とがある。つまり、調整室に置いてあるスピーカーと演奏場(スタジオ内)に置いてあるスピーカーが異なる場合は、すでに三種類のモニタースピーカーが存在することになるわけである。
 それから、録音したテープを編集する作業のときに使われるモニタースピーカーがある。編集といっても非常に広い意味があり、一つには最近のマルチトラック録音のテープから2チャンネルにミックスダウンする──つまり、整音作業である。この場合は、全くモニタースピーカーに頼って、音色バランス、左右のバランス、定位位置などを決めていくという、音質重視の作業になり、ここでも相当クォリティの高いモニタースピーカーが要求される。この作業には、マスターモニターと同一のスピーカーを使う場合が一般的には多いようである。もう一つの編集作業としては、演奏の順序を決めたり、演奏者のミスのない最高の演奏部分を継ぐ、いわゆるエディティング、スプライシングすることでこの場合にはそれほど大がかりでなく、小規模なモニタースピーカーが使われるようである。
 さらに、ラッカー盤にカッティングするときのモニター、テスト盤のモニターと数えあげればきりがないほど多くのモニタースピーカーが使われる。
 放送局の場合は、録音スタジオの場合のカッティング工程以前まではほぼ同じと考えてよく、その後に、どういう音でオンエアされているかの確認用モニター、中継ラインの途中でのモニター、ロケハン用の野外モニターなどが加わってくる。
 このように、一口にモニタースピーカーと呼ばれるものにも、かなり多くの種類があるということをまず認識しておいていただきたい。たとえば、読者の方々がよくご存知の例でいえば、JBLの4350は、JBLとしてはスタジオモニターとして作っているが、あの4350を録音用モニターとして使うことはまずないはずである。むしろ、スタジオにおけるプレイバックモニターシステムとして使われる場合の方が多いと思う。なぜかといえば、調整室は最近でこそ広くとれるようになってきたが、どうしてもスペースに限りがあり、ミキシングコンソールからスピーカーまでの距離をそれほど離せない。また、録音をしていてモニタースピーカーがあまり遠くなるのは、自動車の運転をするときにボンネットがかなり長いという感じに似ていて、非常にコントロールしにくいのである。やはりある程度の距離にスピーカーがないと、それに十分な信頼がおけなくなるという心理的な面もあって、あまり遠くでスピーカーを鳴らすことは録音用モニターの場合はないといってよい。そういう意味から、4350のように多くのユニットの付いた大型システムは、録音用モニターにはあまり向かないのである。
 そういう点から、録音用モニターとして標準的なのは、アルテックの604シリーズのユニットを一発収めたいくつかのスピーカーであり、JBLでは4333Aクラスのスピーカーということになるわけである。それ以下の大きさ、たとえばブックシェルフ型スピーカーももちろんモニターとして使えなくはないが、生の音はダイナミックレンジが相当広く、許容入力の大きなスピーカーでないとすぐに使いものにならなくなってくる。そういう点から、604シリーズや4333Aのような、あらゆる意味でタフなスピーカーがモニターとして選ばれているわけである。

モニタースピーカーとしての条件
 それでは、ここで録音用モニター(マスターモニター)に限定して、モニタースピーカーに要求される条件としてどのようなことが挙げられるのか、を考えてみたい。
 最初に結論的なことをいうと、結局録音をする人にとって、かなり馴染んでいるスピーカーがベストだということである。しかし、実際にはもう一つ非常に重要なことで、それと矛盾することがあるのだ。それは、それぞれの人が自分で慣れているモニタースピーカーを使った場合には、それぞれが違うスピーカーを使うことになってしまうことである。なぜそれが問題なるのかというと、プロの仕事の場合、互換性ということが大変に重要になるからだ。この互換性というのは、つまりレコード会社の場合、そのレコード会社のサウンドを確保するため、いくつかある録音スタジオ共通の、特定の標準となるスピーカーが、モニタースピーカーとして選ばれなければならないということである。いわば、その会社のものさし的なスピーカーがモニタースピーカーであるといえる。モニタースピーカーとしての条件のむずかしさは、つまるところ、この二つの相反する問題が常にからみ合っているところにあるのである。
 一般的には、モニタースピーカーの条件を挙げることは案外やさしい。たとえば、録音の現場で使われるスピーカーであるために、非常にラフな使い方をされるので、まず非常にタフでなければいけないということである。と同時に、そのタフさと相反する条件だが、少なくとも全帯域に亘ってきわめて明解なディフィニション、音色の分離性をもち、しかも全帯域のバランスが整っていて、ワイドレンジであってほしいということだ。つまり、タフネス・プラス・ハイクォリティがモニタースピーカーには要求されるわけである。
 現在のモニタースピーカーの一部には、その条件を達成させるために、マルチアンプ駆動のスピーカーもあり、最近では任意のエレクトロニック・クロスオーバーとパワーアンプと使ってマルチアンプ駆動のしやすいように、専用端子を設けているスピーカーもふえてきている。
 たた、そういう条件を満たすスピーカーというのは、ご承知のように、大体マルチウェイシステムになるわけである。このマルチウェイシステムで問題になることは、スピーカーから放射される全帯域の位相に関することである。録音の条件にはいろいろな事柄があるが、その中で現在の、特にステレオ時代になってから、録音のマイクアレンジメントをモニタースピーカーによって確認する場合に、非常に重要な要素の一つは、この位相の監視なのである。つまり、この位相というのは、音像の大きさをどうするか、あるいは直接音と間接音の配分をどうするか、全体の残響感や奥行き感をどうするか、ということの重要な要素になるわけである。その音場に置いたマイクの位相関係が、はたしてスピーカーから素直に伝わるかどうか。これが伝わらなくてはモニタースピーカーとしては落第になるわけで、その意味では、モニタースピーカーは全帯域に亘って位相特性が揃っていることが、条件として挙げられるわけである。ところが、マルチウェイスピーカーには、各ユニット、あるいはネットワークの介在により、一般的に位相特性が乱れやすいという宿命を背負っているのである。
 したがって、多くのモニタースピーカーの中で、いまだに同軸型のユニット一発というシステムがモニターに向いていると言われ、事実、同軸型システムの方がマルチウェイシステムより定位や位相感を監視できる条件を備えているわけである。
 それでは、同軸型システムならすべてよいかというと、私の考えでは必ずしもそうとはいえないように思う。つまり、同軸型は逆にいえば、低域を輻射するウーファーの前にトゥイーターが付けられているので、高域は相当低域による影響を受けるのではないかということである。確かにある部分の位相特性はマルチウェイシステムにより優れているが、実際に出てくる音は、どちらかといえば低域と中高域の相互干渉による歪みのある音を再生するスピーカーがあり、同軸型がベストとは必ずしも思えない。
 以上のようなところが、理想的なモニタースピーカーの条件として挙げられるが、現実にはいままで述べた条件をすべて満たしているスピーカーは存在していない。そのため、レコード会社あるいは個人のミキサーは、現在あるスピーカーの中から自分の志向するサウンドと、どこかで一致点を見つけて、あるいは妥協点を見つけて選ばざるを得ないのである。
 したがって、モニタースピーカーとしての条件を裏返してみれば、〝モニター〟として開発されただけでは不十分であり、実際にそれが、プロの世界でどの程度使われているかという、実績も非常に重要なポイントになるということである。ちなみに、モニタースピーカーのカタログや宣伝物をみていただいてもおわかりのように、どこのスタジオで使われているかが列記されているのは、単なる宣伝ではなく、そのスピーカーの、モニタースピーカーとしての客観性を示す一つのデータなのである。

モニタースピーカーはものさしである
 私は、長年レコーディングミキサーとして仕事をしてきており、そのモニタースピーカーには、アルテックの605B一発入りのシステムを使用している。605Bを選んだ理由は、そのタフネスとともに能率が高いという点からである。私の場合は、録音するのにあちこち持ち運ぶ必要上、大出力アンプや大型エンクロージュアは適さず、限られた範囲内でできるだけワイドレンジで、位相差も明確にわかるという点からこれを選んだわけである。では、なぜ604Eではなく605Bかというと、ダンピングが甘い605Bの方が、同じ容積の小さいエンクロージュアに収めた場合、バランス的に低音感がいいと思えるからである。そして、それを一旦使い始めると、何度も録音を繰りかえしているうちに、モニターとしてどんどん私に慣れてきて、いまだに私の録音の標準装置になっており、今後も壊れない限り使い続けていくいつもりである。
 私にとって、その605Bを使っている限り、そのスピーカーから出てくる音がいいか悪いかではなく、その間に聴いた多くのスピーカーやお得の部屋で接した総合的な体験によって、このスピーカーでこういう音が出ていれば、他のスピーカーではこういう音で再生されるだろうということが想像できるのである。つまり、完全に私の頭の中にそういう回路が出来上っているのである。ここで急に他のモニタースピーカーに替えたとしたら、そのスピーカーから出てきたその場での音しか頼りようがなくなってしまうことになる。もしそのスピーカーのその場の音だけを頼るとなれば、その部屋での音を基準に、改めてレコードになったときの音を考えなければならない。そういうことは、プロの世界では間違いを犯しやすく、非常に危険なことなのである。
 そういう意味からいって、そこにある特定のスピーカーの、特定の音響下での音だけを頼りにしてということでは、録音の仕事はできないのである。そのためにも、モニタースピーカーはしょっちゅう替えるべきではないと私は思う。これが、私が終始一貫して605Bを長い間使っている理由である。もちろん、605Bそのものには、多くの不備もあり、このスピーカーでレコード音楽を楽しもうとは一切思っていない。
 私の場合、そういう意味で、605B(モニタースピーカー)は、録音するための一つのものさしなのである。そのスピーカーで再生された音から、レコードになったときの音が想像できるということは、たとえていえば、1mが三尺三寸であるとすぐに頭の中に思い浮かべることができるということである。各レコード会社が、それぞれ共通のモニタースピーカーを使っているという理由は──先に互換性が重要だと述べたが──、それはとりもなおさず、音のものさしを規定したいがためである。

試聴テストの方法
 レコード音楽の聴き方には、大きく分けて二通りあるように思う。一つは、いわゆる音楽愛好家的聴き方、もう一つはレコーディングミキサー的聴き方である。前者は、どちらかといえばあまりにも些細なことに気をとられないで、トータルな音楽として楽しもうという姿勢であり、後者は微に入り細に亘って、まるでアミ版の写真の粒子の一つ一つを見るかのごとき聴き方である。
 同じことがスピーカー側にもいえるように思う。つまり、鑑賞用スピーカーとして、聴きやすい音の、音楽的ムードで包んでくれるような鳴り方をするスピーカーと、ほんのわずかなマイクロフォンの距離による音色の差まで出してくれるスピーカーとがあるようだ。
 最近では、オーディオが盛んになってきたのにつれて、徐々に後者のような聴き方をするオーディオファンがふえ、また、そういう要求に応えるべきスピーカーも続々と登場してきている。〝モニター〟と銘打たれたスピーカーが、最近になって急速にふえてきているのも、そういう傾向を反映しているように思われる。
 ところで、今回のモニタースピーカーのテストのポイントは、やはり録音状態がどこまで見通せるか、ということを優先させたことである。つまり、このスピーカーでどんな音楽の世界が再現されるのだろうかという、普段の音楽の聴き方でのテストとは違った方法でテストしたわけである。そのために、自分で録音したプログラムソースを主眼としている。これは、少なくとも自分でマイクアレンジをし、ミキシングもしたわけだから、こういう音が入っているはずだという、一番はっきりした尺度が自分の中にあるためである。それがいろいろいなモニタースピーカーでどう再現されるかを聴くには、私にとって一番理解しやすい方法だからである。
 もちろん、モニタースピーカーといえども一般の鑑賞用システムとしても十分使えるので、そのために一般のレコードも試聴の際には併せて聴いている。
 試聴に使用したレコードは、私か録音した「ノリオ・マエダ・ミーツ・5サキソフォンズ」(オーディオラボ ALJ1051dbx)、「サイド・バイ・サイド2」(オーディオラボ ALJ1042)の2枚と、ジョージ・セルの指揮したウィーン・フィルの演奏によるベートーヴェンの「エグモント」付帯音楽(ロンドン SLC1859)の合計3枚を主に使用した。これらのレコードのどこを中心に聴いたかというと、まず、二つのスピーカーから再生されるステレオフォニックな音場感と、音像の定位についてである。たとえば、ベートーヴェンのエグモントのレコードは、エコーが右に流れているのだが、忠実に右に流れているように聴こえてくるかどうか。この点で、今回のテスト機種の中には、右に流れているように聴こえないスピーカーが数機種あったわけだが、そう聴こえないのは、モニタースピーカーとしては具合が悪いことになってしまう(しかし、家庭で鑑賞用として聴くには、むしろその方が具合がいいかもしれないということもいえる)。
 当然のことながら、各楽器の音量のバランスと距離感のバランス、奥行き、広がりという点にもかなり注意して聴いた。先ほども延べたことだが、スピーカーシステムの位相特性が優れていれば、それは非常に忠実に再現してくれるはずである。そういう音場感、プレゼンス、雰囲気が意図した通りに再現されるかどうかが、今回の試聴の重要なポイントになっている。
 それから、モニタースピーカーのテストということなので、試聴には2トラック38cm/secのテープがもつエネルギーが、ディスクのもつエネルギーとは相当違い、単純にダイナミックレンジという表現では言いあらわしきれないような差があるためである。ディスクのように、ある程度ダイナミックレンジがコントロールされたものでだけ試聴したのでは、モニタースピーカーのもてる力のすべてを知るには不十分であると考えたからでもある。テープは、やはり私がdbxエンコードして録音したもので、八城一夫と川上修のデュエットと猪俣猛のドラムスを中心としたパーカッションを収録しており、まだ未発売のテープをデコーデッド再生したわけである。そのテープにより、スピーカーの許容入力やタフネスという、あくまで純然たるモニタースピーカーとしてのチェックを行っている。
 再生装置は、まずテープレコーダーに、私が普段業務用として使っているスカリーの280B2トラック2チャンネル仕様のものを使用した。レコード再生については、やはりテストということもあり、スピーカー以外の他の部分はできるだけ自分でその性格をよく知っている装置を使用している。まずカートリッジには、エレクトロアクースティックのSTS455E、コントロールアンプは現在自宅でも使用しているマッキントッシュのC32、パワーアンプはアキュフェーズのm60(300W)である。台出慮のパワーアンプを使った理由には、再三述べていることだが、スピーカーシステムのタフネスを調べたいためでもある。なお、プレーヤーシステムには、ビクターのTT101システムを、それにdbx122を2トラック38cm/secテープのデコーデッド再生に使用している。
 テストを終えて感じたことは、コンシュマー用スピーカーとの差がかなり近づいてきているということである。そして、今回聴いたスピーカーは、ほとんどすべての製品が、それなりのバランスできちんとまとめられていることである。もちろん、その中には低音感が不足したり、高音域がすごく透明なものがあったりしたが、それはコンシュマー用スピーカーでの変化に比べれば、きわめて少ない差だといえる。したがって、特別個性的なバランスのスピーカーは、今回テストした製品の中にはなかったといってもよいだろう。逆に言えば、スピーカーそのもののもっている音色ですべての音楽を鳴らしてしまうという要素よりも、やはり録音されている音をできるだけ忠実に出そうという結果が、スピーカーからきちんと現れていたように思う。
 ところで、今回の試聴で一番印象に残ったスピーカーは、ユナイテッド・レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズ=UREIの813というスピーカーである。このスピーカーは、いわゆるアメリカらしいスピーカーともいえる製品で、モニターとしての能力もさることながら、鑑賞用としての素晴らしさも十分に併せもっている製品であった。
 それから、K+Hのモニタースピーカーが2機種ノミネートされていたが、同じメーカーの製品でありながら、若干違った鳴り方をするところがおもしろい。私としてはO92の方に、より好ましいものを感じた。こちらの方が全帯域に亘って音のバランスがよく整っているように思われる。鑑賞用として聴いた場合には、OL10とO92は好みの問題でどちらともいえない。
 意外に好ましく思ったのは、スペンドールのBCIIIである。いままで鑑賞用としてBCIIのもっている小味なニュアンスに惚れて、BCIIIを少し低く評価してきたが、モニタースピーカーとしてはなかなかよいスピーカーだという印象である。
 アルテックのスピーカーは、612C、620Aともに604-8Gのユニットで構成されたシステムで、両者とも低域の再現がバランス上、少々不足しているが、私にとってはアルテックのスピーカーの音には非常に慣れているために、十分モニタースピーカーとして使用することができる。しかし、今回のテストで聴いた音からいうと、UREIやレッドボックス(今回のテストには登場していない)のように、同じ604-8Gを使い、さらにサブウーファーを付けたスピーカーが現われていることが裏書しているように、やはり低域のバランス上の問題が感じられる。
 国内モニタースピーカーについては、検聴用としての音色やバランスの細部にわたってチェックするという目的には、どの製品も十分使用できるが、それと同時にトータルとしての音楽も聴きたいという要望までは、まだ十分には満たしてくれていないように思われた。

モニタースピーカーと私

瀬川冬樹

ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より

 少なくとも10年ほど前まで、私はモニタースピーカーをむしろ嫌っていた。いま、どちらかといえば数あるスピーカーの中でもことにモニタースピーカーにより多くの関心を抱くようになったことを思うと、180度の転換のようだが、事実は全く逆だ。
 こんにち、JBLのモニター、あるいはイギリス系のいくつかのモニターのような、新しい流れのモニタースピーカーが比較的一般に広められる以前の長いあいだ、日本オーディオ関係者のあいだで「モニタースピーカー」といえば、それは、アルテックの604E/612Aか、三菱ダイヤトーンの2S305(NHKの呼称はAS3001)のどちらかと、相場がきまっていた。日本の放送局や録音スタジオの大半が、このどちらかを主力スピーカーとして採用していた。これら以外にも、RCAのLC1Aや、タンノイや、その他のマイナーの製品が部分的に使われていたものの、それらはむしろ例外的な製品といってよかった。
 アルテックも三菱も、それぞれにたびたび耳にする機会はあったが、そのいずれも、自分の家で、自分の好きなレコードを再生するためのスピーカーとはとうてい考えられなかった。アルテックの音はあまりにも強烈で、三菱音は私には味も素気もない音に聴こえた。実際、放送局や録音スタジオのモニタールームでそういう音が鳴っていたし、数少ないながら個人でそれらのどちらかを鳴らしている人の家を訪問しても、心に訴えかけてくるような音には出会えなかった。スピーカーシステムは自分でユニットを選び、自分の部屋に合わせて組合せ調整する、というのが永いあいだの私の方法論になっていた。そして、それぞれの時期は、いちおうは満足のゆく音が私の部屋では鳴っていて、その音にくらべて、アルテックや三菱のほうが音が良いとは、一度でも感じたことはなかった。今ふりかえってみても、あながちこれは自惚ればかりではなかったと思う。
 自分が考え、求め、理想とする音を鳴らしたいためにスピーカーシステムを自作するのだから、そこには自ずから自分の主張が強く反映して、はなはだ個性の強い音が鳴ってくるであろうことは道理だが、しかしその範囲内でも私の求めていたのは、その音の再生される部屋(再生音場)まで含めて、できるかぎり特性を平坦に、高音から低音までのバランスを正しく、そしてできるかぎり周波数レインジを広げたい、という目標だった。こんにちでも私自身の目標は少しも変っていなくて、言いかえればその意味ではこんにちの新しいスピーカーの目標としているところを、ずっと以前から私は目ざしていたということになる。
 このことを何も自慢しようというのではない。というのは、この、平坦なワイドレインジ再生というのは、当時から急進的なオーディオ研究家の一貫して目ざしたテーマであったので、私にとって大先輩にあたる加藤秀夫氏や今西嶺三郎氏らのお宅では、事実そういう優れた音がいつでも鳴っていた。ただ、重要なことは、少なくとも十数年以上まえには、ごく限られた優秀な研究家のお宅以外に、そうした最先端の再生音に接する機会がなかったということで、その点私は極めて恵まれていた。
 とりわけ今西嶺三郎氏(現ブラジル在住)からは多くのことを教えられた。今西氏の再生装置は、すでに昭和三十年以前から、おそろしいほどのプレゼンスで鳴っていたし、単に音の良さばかりでなくその装置で、ジョスカン・デ・プレやモンヴェルディや、バッハの「フーガの技法」やベートーヴェンの後期四重奏など、音楽の源流のすばらしさを教えて頂いた。当時の最新録音でストラヴィンスキーやプーランクを驚異的な生々しさで鳴らしたその同じスピーカーが、古い録音のSPからの転写さえ、すばらしい音楽として生き生きと再現するのを目のあたりに聴かされて、私は、本当のフィデリティが、レコードからいかに音楽を深く描き出すかを知らされた。今西氏には、いまでも何と感謝してよいかわからない。
 こうした最高の教師に恵まれ、私は乏しい小遣いをやりくりし、自分の再生装置をあれこれくふうし、できるかぎりの音楽会通いをしてナマの音に接すると共に、先輩たちの鳴らす最高レヴェルの再生音とにかこまれて、自分の耳を鍛えては装置を改良していた。早い時期から、ワイドレインジとフラットネスを目ざしたは、こうした背景に恵まれたからだったし、このようにして本当に平坦で広帯域の再生音を聴き込んだ耳には、アルテックや三菱が不満に聴こえたのも無理ではないだろう。
 だからといって、それなら私がどんなに立派なスピーカーを持っていたかというと、名前をカタログ的に列挙するかぎりでは、まるでお話にならないしろもので、パイオニアやフォスターやコーラルや、テクニクスやYL音響やその他の、ごくローコストのユニットを寄せ集めては、ネットワークのコイルを巻き直したりエッジを切りとって皮革のフリーエッジに改作したり、マルチアンプにしてみたり、いろいろ試み・失敗をくりかえしては、どうにか音のバランスを仕上げてゆくといった態のもので、頼りになるのは先輩諸氏の音とナマの音との聴きくらべだけだ。測定設備があるわけでもない。そうしたある日、今西嶺三郎氏に無理矢理、汚い六畳の実験室にお出かけ願って、レコードを聴いて頂いた。マルケヴィッチのバッハの「音楽の捧げもの」などを鳴らしたと思う。しばらく耳を傾けておられた今西氏が、あのいつでも酔っているみたいな口調ゆえにどこまでが本気かわからないような、しかしお世辞を絶対に言う人ではなかったが、「良いじゃないの。このぐらい聴ければ十分だよ。とっても良いよ」と言ってくださって、私はむやみに感激した。秋も近い夏の終りの一夜だった。
 そのあとを飛ばして一拠に「ステレオサウンド」誌創刊以後の話になる。あれは昭和45年だったか46年だったか。本誌の組合せテストのとき、それまで全く馴染みのなかったイギリスKEF製の中型スピーカーが、試聴テストからはみ出して試聴室の隅に放り出されていた。あらかじめのノルマの組合せ作りの終ったあと、ほんの遊びのつもりで気軽に鳴らしてみた瞬間、実をいうと私は思わずうろたえるほどびくりした。久しく聴いたことのなかった、素晴らしく格調の高い、バランスの良い、おそらくは再生レインジの相当に広いことを思わせるまともな音が突然鳴ってきたからだ。正確にいえば、KEFの冷遇されていたその部屋で、この偶然出会った、しかしその後の私に大きな影響を及ぼした〝BBCモニターLS5/1A〟は、その真価を発揮したわけではなかった。いわばその片鱗から、このスピーカーが只者でないことを匂わせたにすぎなかった。たまたまその日の私の嗅覚が、このスピーカーとの出会いを決定的にしたにすぎなかった。
 実をいえばこのスピーカーは、これより以前に、山中敬三氏のお宅でほんの短い時間耳にしている。当時から海外製品の紹介を担当していた彼のところに、輸入元の河村電気がしばらくのあいだ置いていたものだ。山中氏から、お前さんの好きそうな音だ、と声がかかって聴きに行ったのだが、彼の家で、アルテックA7のあいだに二台殆どくっつけて置かれて、ステレオの広がりの全く聴きとれなかったそのときの音から、私はKEF/BBCの真価を全く発見できなかった。もしもあとで本誌の試聴の際にこのスピーカーにめぐり合わなかったら、私のオーディオ歴はかなり違う方向をとっていたのではなかったか。
 しかし、LS5/1Aは、最初持ちこんだ六畳の和室ではその本領を発揮しなかった。一年ほど後で、すぐ道路をへだてた向いの家を借りて、天井の高い本木造の八畳の部屋にセッティングしてから、その音の良さが少しずつ理解できるようになった。そしてまもなく、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、本当の性能が出はじめた。
 LS5/1Aは、まず、それまでの私のモニタースピーカーに対して抱いていた概念を一掃してしまった。それ以前からすでに、私は研究のつもりで、アルテックの612Aのオリジナル・エンクロージュアを自宅に買いこんで鳴らしていた。その音は、身銭を切って購入したにもかかわらず好きになれなかった。ただ、録音スタジオでのひとつの標準的なプレイバックスピーカーの音を、参考までに身辺に置いておく必要があるといった、義務感というか意気込みとでもいったかなり不自然な動機にすぎなかった。モニタールームでさえアルテックの中域のおそろしく張り出した音は耳にきつく感じられたが、デッドな八畳和室では、この音は音量を上げると聴くに耐えないほど耳を圧迫した。私の耳が、とくにこの中域の張り出しに弱いせいもあるが、なにしろこの音はたまらなかった。
 LS5/1Aの音は、それとはまるで正反対だった。弦の独奏はむろんのことオーケストラのトゥッティで音量を上げても、ナマのオーケストラをホールで聴いて少しもやかましさもないのと同じように、そしてナマのオーケストラの音がいかに強奏しても美しく溶けあい響くその感じが、全く自然に再現される。アナウンスの声もいかにもそこに人が居るかのように自然で、息づかいまで聴きとれ、しかも左右3メートル以上も広げて置いてあるのに音像定位はぴしっと決まっておそろしくシャープだ。音自体に鋭さはなく、品の良さを失わないのに、原音に鋭い音が含まれていればそのまま鋭く再現し、弦が甘く唱えばそのまま甘い音を聴かせる。当り前のことだがその当り前を、これ以前のスピーカーは当り前に再生してくれなかった。
 私は次第にこのLS5/1Aに深い興味を抱くようになって、資料を漁りはじめた。やがてこのスピーカーが、BBC放送局の研究所で長い期間をかけて完成した全く新しい構想のモニタースピーカーであり、この開発に実際面から大きく協力したが、KEFのレイモンド・クックという男であることも知った。このスピーカーの成立を含めた技術的な詳細をレイモンド・クックが書いた論文も入手できた。そして調べるうちに、このスピーカーが、かつて私の目標としていた本当の意味での高忠実度再生を、この時点で可能なかぎりの努力で具現した製品であることが理解できた。モニタースピーカーはこうあるべきで、しかもそうして作られたスピーカーが、とうぜんのことながら原音のイメージを素晴らしく忠実に再現できることを、客観的に確かめることができた。自分流に組み合わせたスピーカーでは、いかに良い音が得られたと感じても、ここまでもの確証は得られないものだ。
 LS5/1A一九五五年にすでに完成しているスピーカーで、こんにちの時点で眺めると、高域のレインジが13kHzどまりというように少々狭い。但しその点を除いては、現存する市販のどんなスピーカーと比較しても、音のバランスの良さと再生音の品位の高いこと、色づけの少ないことなどで、いまだに抜きん出た存在のひとつだと確信を持っていえる。
 JBLはその創立当初から、家庭用の高級スピーカーを主としていたで、ウェストレックスへの納入品を除いては、モニタータイプのスピーカーをかなり後まで手がけていない。LEシリーズの時期に入ってから、ほんの一時期、C50SMという型番で内容積6立方フィート、のちの♯4320の原形となったスタジオモニター仕様のエンクロージュアを作っている。使用ユニットは、S7(LE15A、LE85+HL91、LX5)またはS8(LE15A、375+HL93、LX5、075、N7000)で、これは初期の〝オリムパス〟C50に使われたと同じく、密閉箱でドロンコーンなしの仕様である。このほかに、同じエンクロージュアでS12(LE14A、LE20、LX8)やS14(LE14A、LE75+HL91、LX7)、それにLE14Cなどのヴァリエーションもあったが、いずれもたいした評価は得られずに、プロフェッショナル用としても広く普及せずに終ってしまった。
 数年前にJBLがプロフェッショナル部門を設立した際、モニタースピーカーとしてまっ先に登場したのが♯4320で、かつてのC50SMS7を基本にしていたが、これは大成功で、ドイツ・グラモフォンがモニター用として採用したことでも証明されるように国際的に評価を高めた。日本でも、巣孤児尾用としてはもちろん、多数のアマチュアが自家用に採用した。
 だが、皮肉なことに♯4320の登場した時期は、単にモニタースピーカーに限らず録音機材や録音テクニックの大きく転換しはじめた時期にあたっていた。このことがひいては演奏のありかた、レコードのありかたに影響を及ぼし、とうぜんの結果として再生装置の性能を見直す大きなきっかけにもなった。またそことを別にしても、一般家庭用の再生装置の性能が、この頃を境に飛躍的に向上しはじめていた。
 それら急速な方向転換のために、せっかくの名作♯4320も以外にその寿命は短く、♯4325,そして♯4330の一連のシリーズへと、短期間に大幅のモデルチェンジをする。しかしそれができたということは、裏を返していえば、皮肉なことだがJBLがプロ用モニターとしてはまだマイナーの存在であったことが結果的にプラスになっている。というのは次のような訳がある。
 ♯4320より以前、世界的にみてメイジャー系の大半の録音スタジオでは、アルテックの604シリーズがマスターモニターとして活躍していた。プロ用現場で一旦採用されれば、その性能や仕様を急に変更することはかえって混乱をきたすため、容易なことでは製品の改良はできない道理になる。アルテックの604シリーズがこんにち大幅の改良を加えないのは、アルテック側での技術上の問題もあるには違いないが、むしろ右のような事情が逆に禍しているのではないかと私はみている。
 ともかく4320の成功に力を得てJBLはスタジオモニターのシリーズの完成を急ぎ、比較的短期間に、マイナーチェンジをくりかえしながら、こんにちの4350、4343,4330シリーズ、4311,4301という一連の製品群を生み出した。
 私自身はといえば、♯4320の発売当時、これは信頼しうるモニタースピーカーであると考え、KEF/BBCとはまた少し違ったニュアンスのモニターをぜひ手もとに置きたいと考えて、購入の手筈をととのえていた。ところが、入手間際になって♯4320は製造中止になって、♯4330、32、33という四機種が誕生したというニュースが入った。♯4320の場合でも、自家用としては最初からスーパートゥイーター♯2405を追加して高域のレインジを拡張するつもりだだから、新シリーズの中では最初から3ウェイの♯4333にしようときめた。
 このときすでに、♯4341という4ウェイのスピーカーも発売されたことはニュースでキャッチしていた。これの存在が気になったことは確かだが、このころはまだ、JBLのユニットを自分でアセンブリーしたマルチウェイスピーカーをKEF/BBCと併用していたので、本格的なシステムはあくまでも自分でアセンブリーすることにして、とりあえずは、以前アルテック612Aを購入したときと同じようないささか不自然な動機から、単にスタジオモニタースピーカーのひとつを手もとに置いて参考にしたり、アンプやカートリッジやプログラムソースを試聴テストするときのひとつのものさしにしよう、ぐらいの気持しかなかった。そういうつもりで♯4341を眺めると、♯4350と♯4330シリーズの中間にあってどうも中途半端の存在に思えたし、その後入手した写真で判断するかぎりは、エンクロージュアのプロポーションがどうも私の気に入らない。そんな理由から、♯4341は最初から頭になかった。
 やがて♯4333が運び込まれたが、音質は期待ほどではなかった。ウーファーとトゥイーターの音のつながりがやや不自然だし、箱鳴りが耳ざわりでいかにも〝スピーカーの鳴らす音〟という感じが強い。それより困ったことは、左右二台のうち片方が、、輸送途中でかなりの衝撃を受けたらしく、エンクロージュアの角がひどく傷んでいて、おそらくそのショックによるものだろう、スーパートゥイーター♯2405が、ひどくクセの強い鳴り方をする。ここではじめて♯4341の音を聴いてみたくなった。ちょうど具合の良いことに、、貸出用の1ペアが三日間なら東京にあるので、持って行ってもいいという山水電気の話である。さっそく借りて、♯4333と♯4341の聴き比べをしてみた。
 しかしこれは三日間比較するまでもなかった。ちょっと切りかえただけで両者の優劣は歴然だった。価格の差以上にこの性能の差は大きいと思った。4333のほうは、どうしても音がスピーカーのはこの中から鳴ってくるが、♯4341にすると、音はスピーカーを離れて空間にくっきりと浮かび、とても自然なプレゼンスを展開する。これは比較にならない。片側のトラブルを理由に4333は引取ってもらって、♯4341が正式に我家に収まった。これが現在に至るまで私の手もとにある♯4341である。
 もともとは、さきにも欠いたようにスタジオモニターを参考までに手もとに置いておこう、ぐらいの不純な動機だったものが、♯4341が収まってからは、それまでメインのひとつだった自作のJBL・3ウェイも次第に鳴りをひそめるようになり、やがてKEF/BBCも少しずつ休むことが多くなって、そのうち♯4341一本になってしまった。とはいっても、♯4341がKEFよりあらゆる点で優れているというわけではない。現在の私の狭い室内では、スピーカーの最適の置き場所が限られて、二組のスピーカーに対してともに最良のコンディションを与えることが不可能だからだ。KEFを良い場所に置けばJBLの鳴りが悪く、♯4341をベストポジションに置けばLS5/1Aはまるで精彩を失う。少なくともこの環境が変わらないかぎりは二組のスピーカーのいずれをも等分に鳴らすことは不可能なので、当分のあいだは、どちらか一方を優先させなくてはならない。
 私という人間は、一方でJBLに惚れ込みながら、他方でイギリス系の気品のある響きの美しいスピーカーもまたたまらなく好きなので、その時期によって両者のあいだを行ったり来たりする。ここ二年あまり♯4341を主体に聴いてきて、このごろ再び、しばらくのあいだKEFに切りかえることにしようかと、思いはじめたところだ。KEFにない音をJBLが鳴らし、JBLでは決して鳴らせない音をKEFが、そしてイギリスの優れたスピーカーたちが鳴らす。どんなに使いこなしを研究しても、このギャップを埋めることは不可能だ。
 理くつをこねるなら、理想のスピーカーとはアンプから送り込まれた音声電流を100%音波に変換することが目標のはずで、その理想が達成できさえすれば、JBLとKEFの差はおろか、世界じゅうのすぴーかーの音の違いは生じなくなるはず、だが、現実にはそうはいかない。というより、少なくともあと十年やそこいらで、スピーカーの理想が100%達成できるとは私には考えられないから、その結果としてとうぜん、スピーカーの音を仕上げる製作者の、生まれた国の風土や環境や感受性が、スピーカーの鳴らす音のニュアンスを微妙に変えて、それを我々は随時味わい分けるという方法をとらざるをえないだろう。そして私のような気の多い人間は、結局、二つの極のあいだを迷い続けるだろう。
 モニタースピーカー作り方が、かつてのアルテックに代表される中域の張ったきつい音から、つとめて特性をフラットに、エネルギーバランスを平坦に、そしてワイドレインジに、スピーカー自体の音の色づけを極力おさえる方向に、動きはじめてからまだそんなに年月がたっていない。それでも、アメリカではJBLのモニターの成功を機に、イギリスではそれより少し古くBBC放送局のモニタースピーカーに関するぼう大な研究資料をもとに、そしてそれら以外の国を含めて、モニタースピーカーのあり方が大きく転換しはじめている。そことがコンシュマー用のスピーカーの方法論にまで及んできている。
 そうした世界じゅうのモニターの新しい流れは、モニタースピーカーの好きな私としてはとても気になる。実をいえば、本誌でモニタースピーカーの特集をしようと、もう数年前から私から提案し希望し続けてきた。今回ようやくそれが実現する運びになって、とても嬉しい思いをさせて頂いた。正直のところ、気になっていたスピーカーのすべてを聴くことができたとはいえない。今回の試聴に時間的に間に合わなかったり何らかの事情からリストアップに洩れた製品の中にも、ぜひ聴いてみたいものがいくつかあったが、仕方ないとあきらめた。
 別にモニタースピーカーと名がついていなくとも、優れたスピーカー、良さそうなスピーカーであれば、私はいつでも貪欲に聴いてみたくなる人間だが、こんにち世界じゅうで開発されるスピーカーの流れを展望すると、コンシュマー用としては本格的に手のかかった製品が発売されるケースがきわめて少なくなって、必然的にプロフェッショナル向けの製品でなくては、これはと思えるスピーカーがきわめて少なくなっているのが現状だ。その意味で今回の試聴は非常に興味があった。
     *
 ところで、改めて書くまでもなく私自身がモニタースピーカーに興味を抱く理由は、なにも自分が録音をとるためでもなく、機器のテストをするためでもなく、かつて今西氏の優れた装置で体験したように、本当の高忠実度再生こそ、録音の新旧を問わずレコードからより優れた音楽的内容を描き出して聴くことができるはずだという理由からで、とうぜんのことに、モニタースピーカーをテストするといっても、それをプロフェッショナルの立場から吟味しようというのではなく、ひとりのレコードファンとして、このスピーカーを家庭に持ち込んで、レコードを主体とした鑑賞用として聴いてみたとき、果してどういう成果が得られるか、という見地からのみ、試聴に臨んだ。
 しかも大半の製品はすでに何らかの形で一度は耳にしているのだから、今回のように同一条件で殆ど同じ時期に比較したときにのみ、明らかになるそれぞれの性格のちがいを、できるだけ聴き取り聴き分けることを主眼とした。
 そうした目的があったから、試聴装置やテストレコードは、日頃からその性格をよく掴んでいるものに限定した。とくにプレーヤーはEMT-930stをほとんどメインにして、それ以外のカートリッジは、ほんの参考程度にしたのは、日常個人的にEMTのプレーヤーの音に最も馴染んでいて、このプレーヤーを使うかぎり、プログラムソース側での音の個性を十分に知り尽くしているという理由からで、客観的にはEMT自体の個性うんぬんの議論はあっても、私自身はその部分を十分に補整して聴くことができるので、全く問題にしなかった。プリアンプにマーク・レビンソンLNP2Lを使ったのも、自分の自家用として十二分に性格を掴んでいるという理由からである。
 これに対してパワーアンプは、マランツ510M、SAE2600,マーク・レビンソンML2L×2、ルボックスA740という、それぞれに性格を異にする製品を四機種、切り換えながら使ったが、それは、スピーカーによってはおそらくパワーアンプの選り好みの強いものがあるだろうという推測と、それに対応しうる互いに性格を異にするしかし性能的にはそれぞれ第一級のパワーアンプを数組用意することによって、スピーカーの性格をいっそう容易かつより正確に掴むことができるだろうと考えたからだ。
 テストレコードは別表のように約20枚近く用意したが、すべてのスピーカーに共通して使ったものはほぼ7枚であった。それ以外はスピーカーの性格に応じて、ダメ押しのチェックに使っている。
 リファレンス・スピーカーとしてJBL♯4343を参考にしたが、それは、このスピーカーがベストという意味ではなく、よく聴き馴れているためにこれと比較することによって試聴スピーカーの音の性格やバランスを容易に掴みやすいからだ。そして興味深いことには、従来のコンシュマー用のスピーカーテストの場合には、大半を通じてシャープ4343の音がつねに最良に聴こえることが多かったのに、今回のように水準以上の製品が数多く並んだ中に混ぜて長時間比較してみると、いままで見落していた♯4343の音の性格のくせや、エネルギーバランス上での凹凸などが、これまでになくはっきりと感じられた。少なくとも部分的には♯4343を凌駕するスピーカーがいくつかあったことはたいへん興味深い。
 中でもとくに印象に残ったのは、キャバスの「ブリガンタン」のフランス音楽に於ける独特の色彩感。JBL♯4301とロジャースLS3/5Aの、ともに小型、ローコストにかかわらず見事な音。K+H/OL10のバランスのよさ。そしてUREIのいささが人工的ながら豊かで暖かな表現力。そして試聴できなくて残念だったスピーカーはウェストレーク、ガウス、シーメンスなどであった。
 なお個々の試聴記については、今回選ばれたスピーカーがいずれも相当に水準の高い製品(少なくともプロ用としてオーソライズされた製品)であることを前提として、あえて弱点と感じた部分をかなり主観的に拡大する書き方をしているため、このまま読むとかなり欠点の多いスピーカーのように誤解されるかもしれないがいまも書いたようにリファレンスのJBL♯4343を部分的には凌駕するスピーカーの少なくなかったという全体の水準を知って頂いた上で、一般市販のコンシュマー用のスピーカーよりははるかに厳しい評価をしていることを重々お断りしておきたい。

試聴レコード
●ラヴェル:シェラザーデ
 ロス=アンヘレス/パリ・コンセルバトワール
 (エンジェル 36105)
●珠玉のマドリガル集/キングズシンガーズ
 (ビクター VIC2045)
●孤独のスケッチ2バルバラ
 (フィリップス FDX194)
●J.Sバッハ:BWV1043, 1042, 1041
 フランチェスカッティ他
●ショパン:ピアノソナタ第2番
 アルゲリッチ
 (独グラモフォン 2530 530)
●ブラームス:クラリネット五重奏曲
 ウィーン・フィル
 (英デッカ SDD249)
●ブラームス:ピアノ協奏曲第1番_第2番
 ギレリス/ヨッフム/ベルリン・フィル
 (グラモフォン MG8015-6)
●バラード/アン・バートン
 (オランダCBS S52807)
●ブルーバートン/アン・バートン
 (オランダCBS S52791)
●アイヴ・ゴッド・ザ・ミュージック・イン・ミー/テルマ・ヒューストン
 (米シェフィールド・ラボ-2)
●サイド・バイ・サイド3
 (オーディオラボ ALJ-1047)
●ベートーヴェン序曲集
 カラヤン/ベルリン・フィル
 (独グラモフォン 2530 414)
●ベートーヴェン:七重奏曲
 ウィーン・フィル室内アンサンブル
 (グラモフォン MG1060)
●ヴェルディ:序曲・前奏曲集
 カラヤン/ベルリン・フィル
 (グラモフォン MG8212-4)
●ステレオの楽しみ
 (英EMI SEOM6)

「曖昧沼からの脱出ができればと思って」

黒田恭一

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(下)」より

 結局は、主観な作業でしかないのはわかっているが、だからといって恣意的な発言がゆるされるというものではないだろう。せめてどのレコードのどの部分のどのあたりをきいたのかを、はっきりさせようと思った。そのことから考えついた、ごく大雑把なものでしかないが、試聴につかった部分を図表にして、特に注意してきいた部分で、しかもああ、あそこのことかと、それらのレコードをきいたことのある方に、すぐにわかっていただけそうな部分を、それぞれのレコードについて書きだした。
 ききとってメモにしるしたのは、その五つにとどまれなかったが、あまり数をふやして、煩雑になることをおそえ、五つにとどめた。
 当然、そこで言葉は、しごくそっけないものにならざるをえなかった。ひとつのポイントについて30字以内で書かなければならないという制約もあった。しかし、試聴してのメモには、本来、美辞麗句が入りこみようがないものと思う。即物的な言葉でことたりた。そのようにすることで、多少なりとも、あいまいさからのがれられたといえるかもしれない。
 できるかぎり音楽を構成する音に即して、きいて印象をしるそうとしたがゆえの、ひとつの方法だった。むろん充分にその目的を達しえているなどとは思わないが、多少なりとも、あいまいさから遠ざかることができたかもしれない。

レコードA
「カラヤン/ヴェルディ、序曲・前奏曲集」

カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
(グラモフォン MG8213-4 録音=1975年9月22日〜30日、10月21日、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)より、オペラ「仮面舞踏会」前奏曲 演奏時間=4分32秒。

 ヴェルディがその中期に完成したオペラ「仮面舞踏会」のための前奏曲は、オペラの内容を実にたくみに暗示したすぐれたものだ。ヴァイオリンのピッチカートで開始され、それにフルートとオーボエがピアニッシモでこたえる。そして次第に音の厚みをましていってクライマックスに達するが、そうした推移のうちに、中期のヴェルディならではの、手のこんだ、しかも有効な楽器のあつかい方が示される。その微妙な響きの色調の変化をどこまでききとりうるかが、ひとつのポイントになるだろう。

0’→
❶=ヴァイオリンによるピッチカートが左から鮮明にききとれるか。それにこたえるフルートのとオーボエのピアニッシモによるフレーズの音色が充分にわかるか。

0’53″→
❷=チェロとコントラバスによるpppのスタッカートが、あいまいにならず、いくぶん奥の方にひろがっているか、ここで響きがぼけると、スタッカートである意味が薄れる。

1’35″→
❸=主旋律を奏するフルート、オーボエ、クラリネットに、第1ヴァイオリンがフラジオレットでからむ。その独特な音色が充分にききとれるかどうか。

2’05″→
❹=第1ヴァイオリン以外の弦楽器はピッチカートを奏している。主旋律はエスプレッシーヴォと指示された第1ヴァイオリンで、ピッチカートがふくれず、ゆたかに響くか。

3’35″→
❺=ホルン4本、トロンボーン3本、それにオフィクレイド等も加わっての、フォルティッシモの総奏が、音がわれたりにごったりせずに、ききとれるか。

レコードB
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団
(フィリップス X7700 録音=1975年12月18日〜20日、ロンドン、ウェンブリー)より、第3楽章の冒頭1分20秒。

 ここでつかったのは、K482のコンチェルトの、第3楽章の冒頭である。この第3楽章は、アレグロで、ロンド形式によっている。ピアノと弦楽器で、ロンド主題が示されて、曲は開始されるわけだが、ここでまずきくべきは、「室内管弦楽団」の響きの軽やかさと、フルート、クラリネット、ファゴット等の木管楽器の響きの色調だろう。ブレンデルによってひかれたピアノの音には、独特のまろやかさがあるが、それがオーケストラの響きといかにとけあっているかも、むろんポイントのひとつになる。

0’→
❶=弦楽器群にかこまれて、8分の6拍子の軽やかなメロディを奏しはじめるピアノの音像が大きくなりすぎることなく、中央にくっきり定位することが望ましい。

0’26″→
❷=2ほんのファゴット+2ほんのホルンによる和音と、それにつづく2本のクラリネット+2本のホルンによる和音の、音色的な対比が充分についているかどうか。

0’43″→
❸=オーケストラのフォルテによる総奏が、「室内管弦楽団」によるものならではの軽やかさをあきらかにできているかどうか、それがこの部分のポイントになる。

1’→
❹=そよ風を思わせる、第1ヴァイオリンの、8分音符+8分音符による単純なフレーズが、これみよがしにならず、しかもすっきりと、左からきこえるかどうか。

1’05″→
❺=ソロをとるファゴット、ついでフルートの音色が、ここでみさだめられる。それらの楽器がことさらはりだすことなく、しかし鮮明にきこえることが望ましい。

レコードC
ヨハン・シュトラウス:オペレッタ「こうもり」全曲

ヘルマン・プライ(バリトン)、ユリア・ヴァラディ(ソプラノ)、ルチア・ポップ(ソプラノ)他 カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
(グラモフォン MG8200-1 録音=1975年10月〜1976年3月 ミュンヘン、ヘルクレスザール)より、第2面の冒頭2分20秒。

 第2面の冒頭とは、ロザリンデ、アイゼンシュタイン、アデーレによる三重唱(第4曲)に先だつセリフの部分から、三重唱の途中までということだが、セリフで語られるドイツ語は、声のひびき方をきくのに絶好だ。そして三重唱に入っての、声とオーケストラのバランスも、スピーカーによって、きこえ方がちがった。オーケストラの中のソロをとる楽器の音色についても充分に注意をはらう必要がある。

0’02″→
❶=ロザリンデに呼ばれて、やってくるアデーレの言葉 “Ja, gnadge Frau?” が、少し離れたところから近づいて来るよう
にききとれるか。

0’22″→
❷=アイゼンシュタインが、言葉にならない言葉を口にしつつ、足音とともに登場する。その接近感があきらかにならないと、この場の雰囲気はあきらかにならない。

1’→
❸=ロザリンデがうたいはじめた時、オーケストラでまず耳につくは、分散和音を奏するクラリネットだ。そのクラリネットの音がまろやかに響くかどうか。

1’52″→
❹=ここでロザリンデは、”Aus Jammer werd’ ichg’wiβihn schwarz und bitter trinken.Ach!” とうたって、声をはるが、その時、はった声が硬くなっていないか。

2’15″→
❺=ロザリンデ、アデーレ、アイゼンシュタインの3人がうたいだしたところで、音楽は4分の2拍子になるが、そこでタンブリンがきこるかどうか。

レコードD
「キングズ・シンガーズ/珠玉のマドリガル集」

キングズ・シンガーズ
(ビクター VIC2045 録音=1974年、ロンドン)より、今や五月の季節(トマス・モーリー)。演奏時間=1分48秒。

 キングズ・シンガーズは、カウンターテナー2人、テナー1人、バリトン2人、バス1人といった6人構成のグループだが、トマス・モーリーの「今や五月の季節」をうたうキングズ・シンガーズは、左から右へ、カウンターテナー、テナー、バリトン、バスの巡でならんでいる。その、いわゆる定位が、ちゃんとききとれるのかどうかは、このレコードの場合、最大のポイントになる。それからむろん、うたわれている言葉がどれだけはっきり示されるのかも、問題になる。多少残響が多めのこのレコードの特徴がネガティヴに働くこともあるからだ。

0’→
❶=左端のカウンターテナーから右端のバスまでの定位がきちんとききとれかどうか、それをまず、ここでききとる。

0’09″→
❷=これまでにうたった部分を、今度は、声量をおとしてくりかえす。声量をおとしたことで、言葉が不明瞭になっていないか。

0’30″→
❸=第2節は、”The spring, clad all in gladness” とうたいだされるが、残響のために、言葉の細部がききとれないということはないか。

1’03″→
❹=第2節をしめくくる、ソット・ヴォーチェでの「ファラララ……」で、各声部のからみあいが明確にききとれるか。

1’45″→
❺=最後の「ラー」が、残響をともなって、のびているか。うたい終ってポツンとされてしまっては困る。

レコードE
浪漫(ロマン)

タンジェリン・ドリーム
(コロムビア YX7141VR 録音1976年8月、ベルリン、オーディオスタジオ)より、「ロマン」の冒頭2分30秒。

 タンジェリン・ドリームは、クリス・フランケ、エドガール・フローゼ、ペーター・バウマンといった3人の音楽家によって構成されている。彼らは、それぞれ、いわゆるマルチ・プレーヤーで、だからここでもさまざまな楽器を演奏して、まことにアーティフィシャルなサウンドをうみだしている。そういうサウンドの特徴が十全に感じとれることが望ましい。たとえばムーグ・シンセサイザーによる浮遊感のある響きの再現のされ方によって、ふたつのスピーカーの間の空間が、広くもなればせまくもなる。むろんその空間が広ければ広いだけ、タンジェリン・ドリームの音楽がききとりやすくなる。

0’→
❶=ピンという高い音とポンという低い音が、音色的にそして音場的に充分にコントラストがついて、示されているか。ここで提示されるリズムは、ここでの基本的リズムだ。

0’11″→
❷=後方から、シンセサイザーによるものと思える響きが、シンプルなメロディを奏してしのびこむ。それが次第に、それとわからぬように、クレッシェンドしていく。

0’25″→
❸=ヒュ、ヒュという音が、とびかう。その音が充分に浮遊感をもつことなく、しめってひびくと、ここで提示される空間は、せまくるしくなる。

0’55″→
❹=ピヨ、ピヨと書くより他に手がないひびきが、ひろがる。このひびきと、後方のシンプルなメロディーとが、前後の隔たりを示すことがのぞましい。

1’45″→
❺=オルガン的なひびきが、ひっそりとしのびこんできて、大きくふくれあがるが、そのピークで音がひずんだりしないか。またそのふくれ方が自然かどうか。

レコードF
アフター・ザ・レイン

テリエ・リビダル(エレクトリック・ギター、アクースティック・ギター、ストリング・アンサンブル、ピアノ、エレクトリック・ピアノ、ソプラノ・サクソフォン、フルート、チューブラ・ベルス、ベルス)
(ECM PAP9055 録音=1976年8月、オスロ、タレント・スタジオ)より、「アフター・ザ・レイン」の冒頭1分45秒。

 テリエ・リビダルは、ノルウェー出身のギタリストだが、ここでは、さまざまな楽器をひとりで演奏し、それ多重録音して、作品を完成している。しかし、ここできけるサウンドの特徴は、ひとことでいえば、透明感ということになるだろう。透明な響きの中に切りこんでくるエレクトリック・ギターのソリッドな響きがあり、その対比が充分に示されなければならない。

0’→
❶=後方での、ほんのかすかな、しかしひろがりを充分に暗示する響きが、透明感をもって示されるかどうか、それがここでのポイントになる。

0’07″→
❷=エレクトリック・ギターによる音が、中央からきこえてくる。この音は、音楽の進展にともない、次第に前にせりだしてくるが、それが感じとれるかどうか。

1’06″→
❸=タムタムとおぼしき音がきこえる。この音は人工的なひびきの中で、奇妙な実在感を示すが、それがあいまいにならずに、ききとれるかどうか。

1’21″→
❹=ベルス、つまり鈴が、そのきらびやかな音で、アクセントをつける。これは、音色的にまるでちがうが、先のタムタムと同じような効果をあげる。

1’25″→
❺=他のひびきの中に埋めこまれた鈴の音がきこえる。これは、きわめてかすかにひびくものだが、スピーカーによって、きこえたり、きこえなかったりする。

レコードG
ホテル・カリフォルニア

イーグルス
(ワーナー・パイオニア P
10221Y 録音=1976値本3月〜10月、マイアミ、クリテリア・スタジオ、ロス・アンジェルス、レコード・プラント)より、「ホテル・カリフォルニア」の冒頭2分。

 イーグルスの、レコードできける音は、重低音を切りおとした独特のものだ。そのために、ベース・ドラムなどにしても、決して重くはひびかない。そういう特徴のあるサウンドが、あいまいになっては、やはり困る。そして、ここでとりあげた2分の、前半の50秒は、インストルメンタルのみによっているが、その後、ヴォーカルが参加するが、そこで肝腎なのは、うたっている言葉が、どれだけ鮮明にききとれるかだ。なぜなら、「ホテル・カリフォルニア」はまぎれもない歌なのだから。

0’→
❶=左から12弦ギターが奏しはじめるが、この12弦ギターのハイ・コードが、少し固めに示されないと、イーグルスのサウンドが充分にたのしめないだろう。

0’25″→
❷=ツィン・ギターによって、サウンドに厚みをもたせているが、その効果がききとれるかどうか。イーグルスの音楽的工夫を実感できるかどうかが問題だ。

0’37″→
❸=ハットシンバルの音が、乾いてきこえてほしい。ギターによるひびきの中から、すっきりとハットシンバルの音がぬけでてきた時に、さわやかさが感じられる。

0’51″→
❹=ドラムスが乾いた音でつっこんでくる。重くひきずった音ではない。ドン・ヘンリーのヴォーカルがそれにつづく。声もまた、乾いた声だ。

1’44″→
❺=バック・コーラスが加わる。その効果がどれだけ示されるか。”Such a lovely place, such a lovely face” とうたう際の、言葉のたち方も問題になる。

レコードH
ダブル・ベース

ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ(ベース)
(スティーブル・チェイス RJ7134 録音=1976年2月15日、16日)より、「イエスタディズ」(ジェローム・カーン)の冒頭1分30秒。

 ここでは、ニールス・ペデルセンとサム・ジョーンズというふたりのベーシストが、演奏している。ペデルセンが右、そしてサム・ジョーンズが左に、定位している。ペデルセンによってひかれたベースの音は輝きにみちているが、サム・ジョーンズのものはしぶい色調をおびている。定位の点で、あるいは音像的に、さらには音色面、音量的に、両者の対比が示されなければならない。スピーカーによっては、サム・ジョーンズによるものが、音色的な性格が関係してのことか、音像的に小さく感じられるものもなくはなかったが、それでは困る。

0’→
❶=右からきこえるペデルセンによるベースの音が、充分に力強く、スケール感ゆたかにひびくかどうか。ダブルベースならではの迫力が示されなくてはいかんともしがたい。

0’08″→
❷=指を弦の上を走らせている音がきこえる。これはかなりオンで録音したことをものがたると同時に、録音のなまなましさをあきらかにしている。

0’25″→
❸=弦をはじいた後に、音が尾をひいて消えていく。その消え方がききとれるのか、それともプツンときれてしまうのか、そのちがいは、決して小さくない。

0’53″→
❹=力強い、しかしこまかい音の動きが、あいまいにならず示されているか。スピーカーが音に対してシャープに反応しないと、音の動きがわからなくなる。

1’02″→
❺=ここからサム・ジョーンズが参加する。両者の音色的、音像的、音量的対比が正しく示されなければなるまい。さもないとドゥエットの意味がなくなってしまう。

レコードI
タワーリング・トッカータ

ラロ・シフリン(キーボード)、エリック・ゲイル(ギター)、ジョー・ファレル(フルート)、ジェレミー・スタイグ(フルート)、スティーヴ・ガット(ドラムス)他
(キング GP3110 録音=1976年10月、12月、ヴァン・ゲルダースタジオ)より、「燃えよキング・コング」の冒頭1分

 すべての音が積極的に前に出てくることを特徴としている。ラロ・シフリンによる手のこんだスコアは、よく考えられたもので、なかなか効果的だ。ただ、さまざまな音が積極的に前にでてくることによって、見通しがわるくなっては、ラロ・シフリンがねらった効果は、半減してしまう。おしだしてくる音を通して、耳の視線がどこまでとどくか、それがこのレコードできいた場合の、ひとつのポイントになるだろう。

0’→
❶=左手からつっこんでくるドラムスのひびきで開始される。これがシャープに切りこんでこないと、この音楽のアタックの強さがあいまいになる。

0’09″→
❷=ブラスが中央を切りひらいてきこえてくる。この音に、ブラスならではの輝きや力が感じとれるかどうか。さもないと音色対比が不充分になる。

0’17″→
❸=フルートの力にみちた吹奏が、前の方にはりだすかどうか。この極端なクローズ・アップがこ音楽の性格を明確にするのに有効な働きをしている。

0’29″→
❹=トランペットが後方、幾分へだたったところからきこえてくる。しかし、くっきりとききとれねばならない。それがしかも、次第に近づいてくるのが、わからなければならない。

0’52″→
❺=左できざまれるリズムが、ふやけることなく、提示できているかどうか。それがあいまいになると、この音楽のめりはりがつきにくくなる。

レコードJ
座鬼太鼓座(ZAONDEKOZA)

(ビクター SF10068 録音データ不詳)より、「大太鼓」の冒頭1分。

 鬼太鼓座(おんでこざ)による大太鼓の演奏がおさめられている。その大太鼓の音は、エネルギーにみちたものだが、そのエネルギーの大きさは、多少離れたところからきこえる尺八の音と対比されてきわだつ。尺八の音がフルートの音のようにきこえては困るし、大太鼓の音にそれなりのエネルギーがなくては困る。ここで問題になるのは、音の消え方だろう。大太鼓がうちならされて音が生じ、それが次第に消えていく。その消え方が明らかにならないと、大太鼓の大きさが示されにくいということがあるようだ。サウンド的に決して複雑とはいいがたいこのレコードの音のポイントはその辺にあるといえよう。

0’→
❶=尺八が左奥からきこえる。これがあまりに奥でも困る。あまりにはりだしても困る。程よく距離感が示されていなければなるまい。

0’→
❷=同時に、尺八の音色が、西洋楽器の笛、たとえばフルートのそれのように脂っぽくてはいけないだろう。尺八独自の音色が十全にききとれるかどうか。

0’25″→
❸=一種のゴーストと思える、かすかな音で、大太鼓の音がきこえる。その音がきこえるスピーカーと、きこえないスピーカーとがある。

0’30″→
❹=大太鼓のスケールゆたかなひびきがききとれるかどうか。それと、大太鼓の音の消え方が伝わるかどうかも、この場合には、肝腎である。

0’40″→
❺=ふちをたたいていると思える音が、かすかに入っている。その音がきこえるのときこえないのとでは、雰囲気的にすくなからずちがってくる。

試聴テストを終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

各スピーカーの評価ばかりでなく、組合せや使いこなしのヒントまでをテーマに聴いた
 上下二回に亙る予定の試聴テストの前半を終えた。30機種のスピーカーに共通のテストの方法について書いておく。
■試聴装置の選定──アンプ──
 各スピーカーの評価ばかりでなく使いこなしを含めて解説するように、というテーマが私には与えられていたので、アンプやカートリッジには、それぞれ性格を異にする製品を数多く集めて、幅広くテストするよう配慮した。アンプはプリメイン型の中から大幅にキャラクターの違う三機種として
 ①トリオ KA7300D
 ②ヤマハ CA2000
 ③ラックス SQ38FD/II
 を選んだ。②と③については42号の試聴記および推選機種の解説で書いたように、一方は最新型のTR(トランジスター)高級機、他方は旧製品ながらユニークな管球式ということで、全く対照的な音がするが共に優秀な製品だ。ただいずれも十五万円以上のいわゆる高級機に属するので、スピーカーによってはもう少し価格の安いプリメインアンプとのマッチングを確認する意味で、42号以降に発売された新製品の中から、私のテストした中では最も優秀だと思うトリオKA7300Dを加えた。中級機の中では音の品位の高いことと、音楽の表情をとてもよく生かす秀作だと思う。このトリオのいくらか味の濃い音に対して、ヤマハのややサラリと軽く明るい音との二つで、スピーカーの傾向をかなりよく掴むことができたと考えている。またSQ38FD/IIの場合は、この少々古めかしいところのある音を、暖かい良さとして生かすスピーカーと、逆に弱点として鳴らすスピーカーとがあって興味深かったが、結果的にはみれば、トランジスターの最新モデルのフレッシュな音と、38FD/IIのことに弦やヴォーカルで聴かせる滑らかな暖かさとを、それぞれに魅力として聴かせるようなスピーカーの方が、総じて優秀なスピーカーだと言える。こまかくは各試聴記をご参照頂きたいが、しかし私に与えられた枚数の中では、こういうこまかな面についてまで補足を加えるスペースがとれなくて残念な思いをした。
 アンプとしては右以外に、セパレートの高級機を加えておく必要もあると考えて、
 ④ラックス 5C50+5F70+5M20+5E24
 ⑤マーク・レビンソン LNP2L+SAE MARK2500
 の組合せを用意した。⑤は私の個人用のシステムで最も扱い馴れたいわばリファレンス用としての意味も持っているが、④の方は、最近の国産セパレートタイプの中でも、プリとメインの両方の出来栄えでバランスのとれたアンプという意味で使ってみたが、音質の点では十分に満足できた。またトーンコントロールアンプ5F70によって、周波数特性をかなり細かく調整して各スピーカーのくせを掴むことができたし、ピークインジケーター5E24でスピーカーに送り込まれるパワーを正確に読むことができてとても安心できた。ただ、5M20にはこういうテストには少々パワー不足に思えることがあって、せめて200W×2以上の出力が欲しかったが、その面はSAEの300W×2で補った。
■試聴装置の選定──プレイヤーとカートリッジ──
 レコードプレーヤーは、それ自体しっかりしたものであればスピーカーのテストにはそう厳密なことを考える必要がないと思ったので、おそらく延べ数十時間に亙るであろうテストのあいだじゅう、レコードを何百回となくかけるたびに不愉快な思いをさせないでくれるように、デザインや操作性の面で個人的に気に入っているラックスのPD121とオーディオクラフトのAC300Cの組合せを用意した。
 カートリッジは、オルトフォンMC20+マーク・レビンソンJC1AC/Pと、エレクトロアクースティック(エラック)STS455Eを最も多く使った。日頃常用して素性がよくわかっているからだが、このほかに、ADC(ZLM、XLM/III)、エンパイア(4000D/III)、EMT(XSD15)、ピカリング(XSV3000、XUV4500Q)、シュアー(V15/III)、オルトフォン(SPU-G/E、VMS20E)、テクニクス(EPC100C)などを、確認のために準備し、スピーカーによって使い分けてみた。なおこれ以外にも、本誌試聴室には市販のほとんどのカートリッジが揃っているので、必要に応じて随時各種を試みた。それらについても、アンプ同様、スペースの制約から細かなことを書けなかった点は残念だった。
■レコードについて
 試聴用に選ぶレコードについてかなり誤解があるようなので解説を加えておきたい。おそらく別項にあるように、私の使うレコードは必ずしもすべてが最新録音ではないし、いわゆる話題の名盤というわけでもない。中にはここ数年来変らず使うレコードもある。それは、ごく限られた短い時間の中で、ほとんど瞬間的に音を聴き分け、評価するという目的のためには、自分の身体に染み込んでしまうほど永いあいだ何百回となく聴き馴染んだプログラムソースを使う方がよいと考えているからだ。最新録音盤では、まだそのどこにどういう音が入っているのかが、身体に染み込むほど耳に入りきっていない。少なくとも数ヵ月以上、毎日のように聴いた部分でなくては、自信の持てるようなテストができない。
 また、いわゆる話題の名演、名盤をあまり使わないのは、私自身の全くの個人的な理由による。というのは、もしも自分が本当に音楽そのものを楽しみたいほどの良いレコードであれば、総試聴といういわば仕事の場ではなるべく耳にしたくない。プライベートの場で、菊機会を十分に選んで、音楽にのめり込みたい。そう思わせるほどのレコードを、何百回もの荒っぽい反復使用でキズものにしたくないし、どんな名演でも部分的に何百回も耳にすれば、感激も薄れてしまうだろう。そういうレコードは、原則としてテストには使わない。
 もうひとつ、いまも書いたようにテストの場合は、一枚のレコードの中のせいぜい3分から長くても5分あいだぐらいの特定の部分だけを、何百回も反復して使う。とうぜん傷みも激しい。しかしまた、部分的にビリつきやポップノイズを生じはじめたような傷んだレコードも、その部分を正確に知っていれば、ポップノイズはトランジェントレスポンスのテストになるし、ビリついたプログラムソースが潜在的な歪を露頭させるため
に有効に働くことがままあるのだ。
 要するに、テストソースというのは私にとってオシレーターの波形同様に音源としての方便のひとつにすぎないので、このレコードのこの部分がこう聴こえれば、あのレコードのあの部分がああ聴こえるはずだという計算が、頭の中で正確にできるような、自分にとって有用な基準尺度として使えることが条件だ。そのためには、あえて録音のよくないレコードを使うこともあるが、そういうレコードを私以外の人が入手しても、どの部分をどう聴きとるか、の基準が違えば何の約にも立たないだろう。
     *
 試聴装置およびレコードを選んだ理由は以上のとおりである。これをもとに、本誌試聴室に用意してある各種のスピーカー置台やインシュレーターをいろいろ試み、レベルコントロールを大幅に動かしてみ、音量も大幅に変えながら、それぞれのスピーカーの隠れた性格まで読みとるべくテストした。
 なお今回の試聴直前に、本誌試聴室に一部改修が加えられて音響特性が変ったが、部屋の音を十分に耳に馴染ませる時間が少なかったので、判断に誤りの生じないよう、リファレンス用としてJBL♯4343を用意して、常時参考にして比較した。今回の改修で従来よりも残響時間が短めになったせいとリファレンスを用意したために、むしろいままでよりも各スピーカーの差がはっきりと掴めたと思う。

■試聴レコード
●ベートーヴェン序曲集
 カラヤン/ベルリン・フィル(独グラモフォン 2530 414)
●ブラームス:ピアノ協奏曲第1番・第2番
 ギレリス/ヨッフム/ベルリン・フィル(グラモフォン MG8015/6)
●ベートーヴェン:七重奏楽曲 op.20
 ウィーン・フィル室内アンサンブル(グラモフォン MG1060)
●シューマン:リーダークライスop.24
 フィッシャー=ディスカウ(グラモフォン MG2498)
●孤独のスケッチ/バルバラ(フィリップス SFX5123)
●サイド・バイ・サイドVol.3
 八城一夫ほか(オーディオ・ラボ ALJ-1047)
●アイヴ・ゴット・ザ・ミュージック・イン・ミー/テルマ・ヒューストン(米シェフィールドラボ-2)
その他、数枚適宜使用

「プリメインアンプを総合的に診断するための新設『テクニカルリポート』欄について

井上卓也

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 今回のプリメインアンプ特集にあたり、より総合的に各機種の実態を解明するために、試聴リポートと別に〝テクニカルリポート〟という項目をたて、より立体的な取材をおこなうことになった。
 テクニカルリポートは、従来の解説と実測データに加えて、デザイン、仕上げ、加工精度、機能、それにプリメインアンプの基盤とも考えられる回路設計、構造などを、各機種ごとにチェックしようというものである。そのほか、そのモデルのメーカー内における位置づけ、従来モデルと関連性、さらにメーカー側で、その機種について、広告、カタログなどのPRの場で、主張していること、また、その意義についても検討を加えることにした。
 最近のように技術的な面が発展し性能が向上してくると、いきおい最新モデルが持っている回路構成上の特長が、かなり似てくることが多い。現に、昨年末「最初の3電源方式を採用したプリメインアンプ」というキャッチフレーズで3社から同時に発表されたこともあったくらいである。
 プリメインアンプのようなエレクトロニクス技術が表面に出やすい性質の分野では、カートリッジやスピーカーシステムのようなトランスデューサーと異なり、回路設計の成否が結果的な性能や音に直接関係をもつ。そのためか最近の各メーカーの広告やカタログを見ると、かなり技術的な知識をもっている人でも難解なことが多く、それだけに耳慣れない名称をもった新しい回路方式を採用していること自体が、高性能なプリメインアンプであるかのように見られやすい。この点はユーザーによく注意してもらいたいとおもう。
 たしかに、新回路による性能向上がプリメインアンプとして性能がアップすることに深い関係はあるが、回路方式はそれぞれに長所ばかりを備えているものではなく、、必ず短所を持っているものである。いわば両刃の剣のようなもので、いかに長所を引出し短所を抑えられるかは、その回路の使用法によって大きく変ってくると考えなければならない。
 実例として、最近のプリメインアンプの傾向である左右チャンネル独立電源方式を考えてみよう。2電源方式は立場を変えてみれば、従来の単独の電源を共通に使う方式に絶対の優位をもつとは断言できないのである。たしかに左右チャンネル独立電源方式は、アンプでもっとも重要なポイントであり、経費がかかる電源回路を通して左右チャンネル間に生じやすい干渉や影響を避けるために意義のある方式ではなるが、クロストーク特性ひとつを考えてみても、この方式のメリットは、低域についてのみであり中域以上の広い周波数帯域には、ほぼ関係ないと言っても差しつかえない。中域以上のクロストークは、そのほとんどが左右チャンネル共通のファンクションである入力セレクタースイッチ、モードスイッチ、トーンコントロール、フィルターなどの左右チャンネルの配線が近接する場所で生じやすく、つまり、いかに左右チャンネルの配線を分離するかという機械的なアンプ自体の構造や部品の選択の方がより重要なファクターになる。高い周波数になれば、左右チャンネルの配線を近づけるだけでクロストーク特性が劣化することは、AMやFMチューナーのアンテナ端子にアンテナを近づけるだけでシグナルメーターの指針が右に振れて入力が大きくなって、音量も大きくなる例からも容易に予測できるだろう。
 また、実際の音楽では、例えば右チャンネルにドラムスのパルシブな強いエネルギーが入り、左チャンネルは、ピアノが弱く鳴っているような場合には、左右独立電源方式では、左チャンネルの電源の余裕分は利用できず、出力が50Wなら、右チャンネルは、50Wのパワーしかスピーカーに送り込めないことになる。これが、共通電源なら、電源部は左右チャンネルを充分に供給できる能力があるために、両チャンネル同時動作で50W+50Wなら少なくとも片チャンネル動作では、10%程度のパワーの増加は見込めることになる。実際に、あまり強力な電源を採用できない価格帯の製品では、左右チャンネル独立電源方式を採用したために、電源の電解コンデンサーの容量が現在の平均値より少なくなり、むしろ、左右チャンネルの電源をパラレルにして使ったほうが好結果が得られるのではないかとも考えられる。いうまでもないことだが、大切なことは電源部を独立させることが目的なのではなく、性能を向上する目的での採用でなければならないということだ。
 アンプの機構的な構造は、一般的には、いわゆる回路設計よりも一段と低い位置にあるかのような判断がある。しかし、基本的な回路設計が、いかに卓越していたとしても、実際のプリメインアンプとするためには、回路設計を活かすだけの充分の機構設計がサポートしなければ優れた製品とはなりえないものである。最近のプリメインアンプの性能向上には驚くべきものがあるが、その背後には、電気的な回路設計の進歩もさることながら、機構設計の進歩の方が、はるかに貢献していると思われる。つまり、現在のプリメインアンプは、回路図を見ただけでは、性能の予測は難しく、機械的な構造、使用部品により大きく結果が左右されることを知るべきである。
 測定の面では、時間的、掲載する紙面の制約などから、現在のような高度な性能を持つプリメインアンプの実際の性能を知るに足るだけの測定項目であったとは思われないが、基本的には、従来から本誌でおこなってきた測定項目、つまりアンプのベーシックな性能をチェックするための項目に、現在のプリメインアンプの傾向を反映した測定項目を加えることにした。基本的項目は、従来は、片チャンネルのみの測定をおこなってきたが、今回は、2チャンネルステレオプリメインアンプとしての原点から見なおすために、できるだけ、左右両チャンネルの測定をおこなっている。各実測値は、絶対値としてはたしかに優れているが左右チャンネルの対称性となると、かなり良いとはいえまだ多くの問題を残しているように思われる。
 新しく加えた測定項目は、クロストーク特性とカートリッジ実装状態でのSN比である。クロストーク成分の波形については充分にチェックできなかったのは、残念なことである。このあたりをチェックしておかないと、例えば左右チャンネルのクロストーク特性が不揃いであったり、サインウェーブでの特性が優れていたとしても、実際のディスクからの音楽再生では、聴感上でクロストークが聴かれるようなことが生じやすい。
 また、カートリッジ実装のSN比は、メーカーで発表されているフォノ入力端子をショートした状態ほど機種間の差が開かず、ほぼ10dB程度の幅に圧縮された値を示していることが大変に興味深いことである。今回実測したのは、フォノ入力からスピーカー出力端子間でのカートリッジ実装状態でのSN比であるため、例えば、気宇面でのカートリッジ負荷抵抗切替や負荷容量切替をはじめ、入力感度切替のある機種ではそれらの機能を持たない機種にくらべて、配線の引回しによってSN比が予想よりも良くならない場合があったように思われる。いわば、多機能な機種ほどSN比はウィークポイントになりやすく、逆に考えれば多機能をもちながら高いSN比が得られた機種は、総合的な技術力が非常に高い水準にあると見ていい。
 当初は全般的に測定項目は少なく、各機種間の格差は生じないのではなかろうかと懸念されたが、高度な水準にあるとはいえ、予想以上の格差が生じたことは、工業製品としての性格が濃いプリメインアンプで量産ラインでの性能の確保が、いかに至難な技であるかを物語るようである。また、最近ではひとつのモデルの製品寿命が極端に短くなり、モデルチェンジが繰返されることに問題があるが、反面には、モデルチェンジごとに性能が向上していることは大変に好ましいことである。
 今回のプリメインアンプ特集に集めた製品では、10万円程度以上の価格帯の機種は、かなり新旧の対比が目立っている。管球式の製品を除いても、以前からある原型を改良しながら発展してきた機種と新開発の機種では、数少ない測定項目ではあるが、実測データの優劣は、かなり明瞭に出てくることがその裏付けとなるだろう。プリメインアンプは電気的な増幅器であるだけに、基本的な物理性能が優れていることがミニマムの条件であろう。よく、特性を向上しすぎたために結果的な音が悪くなる、との声をきくがそんなことはあり得ない。一面の特性を向上したために他の特性が劣化したか、または、基本的な電源回路や機械的な構造などが不備で本来の性能が結果に結びつかないと考えるべきであろう。

「カートリッジ・ヒアリングテストの方法」

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

ダイレクトカッティング盤を中心に試聴

 この種のオーディオコンポーネントの試聴で問題になるのは、試聴テストの原点である、0dBをどこにセットするかである。基本的には、従来から私の個人的な孝えではあるが、試聴テストにはいわゆる使いこなしはしないこと、を条件にしてある。カートリッジをベースとして、そのカートリッジの最大限の性能を引き出すために、併用するプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを選び出すことはもちろん可能ではあるが、すべてのカートリッジにたいして、同程度のウェイトをかけて使いこなすこと自体が難しいことである上に、これはいわゆる試聴テストの枠をこした、使いこなしの領域のものであると思う。試聴テストはあくまで同一の設定条件のなかで、各テスト製品がどのように変化をし、どのような音を聴かせてくれたかに徹すべきである。オーディオに限らず、すべてコンテスト的要素のあることは、同一舞台上での比較にすぎない。
 コンポーネントシステムのもっとも入口に位置するプレーヤーシステムのなかでは、カートリッジが、トランスデューサーとして音を決定する最大の要素であることに異論はない。しかし本来は、カートリッジとトーンアームが一体化しているピックアップアームを、バーサタイルな組合せが可能であるように、カートリッジとトーンアームに分割したのが現状であるだけに、カートリッジの試聴テストをおこなう場合には、どのプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを使用するかが大きな問題点としてクローズアップされてくる。そのため、テストに先だって、現在市販されているプレーヤーシステムの代表的と思われるモデルを数多く集めて準備段階での試聴をおこなってみた。
 その結果は、経験を含めて予測されたように、各システム間の格差が大きく、音質的な違いがはなはだしく存在していることを再確認することができた。一方、単体で発売されているユニバーサル型のトーンアームは、現在かなりの機種があり、その性能も高くプレーヤーシステムに使用されているトーンアームよりも一般的に高性能なものが多い。

試聴に使用した装置
 そこで、まず、トーンアームの選択からはじめてみることにした。現在のプレーヤーシステムでは、数は少ないが2本もしくは2本以上のトーンアームが使えるモデルがある。そのなかから、3本のトーンアームが任意に取付可能なプレーヤーシステムとして、基本的な性能が高く、ユニークなデザインをもつマイクロのDDX1000を選ぴ、これにより、トーンアームの選択をおこなった。
 10種類程度の候補アームのなかから、このプレーヤーシステムに、アダプター形式で取付可能なものの試聴を繰り返し、最後に3機種のトーンアームが残った。それらは、重量級のアームとして、ダイナミックバランス型を採用した、FR FR64、軽量アームとして、ユニークなダンピング方式を採用した、デンオン DA307、それに中間的な存在である、ビクター UA7045である。マイクロ DDX1000に、これらの3本のアームをセットし、各種の性格が異なったカートリッジを組み合わせ試聴した結果、平均的に各種のカートリッジの個性を引き出した、ビクターUA7045を使うことに決定した。
 トーンアームの選択が終れば、次はフォノモーターの選択である。フォノモーターはトーンアームの選択に使ったマイクロDDX1000の使用も考えられるが、できたら、第3世代のDD型フォノモーターとして注目を集めているクリスタルロックのDD型を使うほうが、話題のフォノモーターであるだけに好ましく思われる。これで、かなり候補モデルは限定され、結果としては、今回の持廻り試聴のメリットである、各人各様の異なったシステムを使って、現在のカートリッジを試聴することの意味を含めて、幸いに、私の試聴予定が岡氏、岩崎氏の試聴後であり、使用されたプレーヤーシステムが判かっていたために、ほぼ自動的に、ビクター TT101を使用することになった。結果的には、トーンアーム、フォノモーターともに異なった条件で選択していったわけだが、同じビクターの組合せになったため、プレーヤーべースも、当然こうなればビクター製を使うことにしたほうが妥当と考え、TT101システムをカートリッジ試聴のベースとなるプレーヤーシステムとした。
 このプレーヤーシステムは、聴感上での帯域バランスが安定しており、周波数レンジでも、現在のカートリッジ試聴用として充分な広さがある。音の傾向は、低域の量と質のバランスが保たれ、安定した音であり、中域は充実しているが、中高域の一部にわずかながら輝きがあり、そのあたりでは、やや音の分離が他の帯域にくらべて気になる面が残る。高域は比較的に素直に伸びた感じがあり、強調感が少ないメリットがある。
 使用するアンプは、本誌臨増「世界のコントロールアンプ/パワーアンプ」での試聴結果をベースとして考えた結果、コントロールアンプ、パワーアンプともに、リファレンス用として使い、充分に性能を発揮した、マークレビンソン LNP2とマランツ モデル510Mを選ぶことにした。
 この組合せは、コントロールアンプ、パワーアンプともに現代のセパレート型アンプにふさわしい性能と音質を備えている。
 聴感上のSN比とクロストーク特性が優れ、パワーも、新しいレコードがもつピークを充分に再生できるだけの余裕がある。この組合せは、聴感上で、かなりワイドレンジ型の帯域バランスであり、低域、高域ともに、伸び切った音であるが、中域はやや薄い傾向がある。
 スピーカーシステムは、私の場合には、いつものように試聴場所をステレオサウンド試聴室としたために、JBL 4320を使うことにした。このスピーカーシステムは、このところレギュラーに本誌試聴室で使用しているために充分にエージングが済み、音が安定しているメリットがあることと、このシステムが中型フロアータイプともいえるブックシェルフ型と大型フロアー型との中間的存在であり、プレーヤーシステムの選択の一部条件としたテスター各氏の使用スピーカーシステムとコントラストをつける意味もある。
 JBL 4320は、このモデルをベースとして改良した4331と比較すると、やや聴感上の周波数帯域が狭く、帯域バランス上では、比較的に中域の量感があるのが特長である。低域は大型フロアーシステムのように伸ぴてはいないが、ブックシェルフ型やコンシュマー用の中型フロアーシステムよりは量感があり、高域も必要にして充分な伸びがあり緻密さがあるのが特長である。

使用レコード
 プログラムソースには、マイクロフォンからの信号をテープデッキを通さずに直接カッティングレースに送りこむ、ダイレクトカッティング盤を中心にして選ぶことにした。現在までに、ダイレクトカッティング盤として発売されたディスクのなかから、かつてコロムビアでカッティングした45回転のダイレクトカッティング盤を6枚、米シェフィールドレコードの第2集、第3集、それに最新盤を含めて3枚、その他に、日本フォノグラムから発売されている「ザ・スリー」を選んで今回のメインプログラムソースとした。
 合計123個のカートリッジは、編集部で各カートリッジメーカーに問い合せて決めたヘッドシェル、もしくは、もっとも相応しいと判断したヘッドシェルに取り付けてあり、各カートリッジの外形寸法的な違いからおきるオーバーハングの誤差は、取付時に調整してヘッドシェルのネック部分と針先位置間の寸法は一定にセットしてある。
 針圧は、カートリッジの試聴で、もっとも問題のある部分である。一般にカートリッジの針圧は、ある値からある値の間で指定してあることが多く、場合によれば、この他に標準的な針圧が発表されていることも多い。今回は、原則として指定針圧の幅のなかでの最大値にセットすることにした。この場合、最大値では、見かけ上で針先が沈み込み過ぎる状態になるときには試聴をおこないながら、ほぼ標準的と判断できる値にまで針圧を減らす方向でコントロールをすることにした。なおこの場合の針圧は、ビクター UA7045の針正目盛で読んでいるため、精密な針圧ゲージでの値とは、ある程度の誤差は生じていると思われるが、試聴結果に影響を及ぼすほどの誤差ではない。また、インサイドフォースキャンセラーは、今回は使用せず、常時、0位置にセットしてある。なお、当然のことながら標準としたプレーヤーシステムは、前後左右の水平度を確認し、できるだけニュートラルな状態として使用した。
 なお、低出力型のMCカートリッジには、昇圧用トランスが必要であるが、各モデルともに、メーカー、もしくは輸入代理店で指定したトランスを使用することを原則としており、一部の指定トランスがないモデルの場合には、ユニバーサル型の、昇圧トランスFRFRT4を使うことにした。

「カートリッジ・ヒアリングテストの方法」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 まずシェルにカートリッジを取付け確かめる。次に、アームに着装する。水平バランスをとる。針圧を適正値に調整する。インサイドフォースをたしかめる。場合によって、ラテラルバランスをたしかめる。高さを調節して、カートリッジがレコード面に対し、正しく水平位置を保ち、針先の垂直角がほぼ適正状態にあることをたしかめる。
 以上の事をカートリッジひとつひとつ毎に適確に行わなければならない。少なくともこれだけの手順を、手ぬかりなく果さなければ、カートリッジの音質うんぬんすることはできないことになる。
 ざっと計算して、ひとつ当り3分間として123個、計369分つまり、音以外の純粋な付帯雑務時間をひきりなしに続けたとして、なんと6時間! つまり、隠れたる苦労が大きかった。

試聴に使用した装置
 プレーヤーとして、マイクロのDDX1000、それにアームが同じマイクロのダイナミックバランス型MA505、FRの同じダイナミックバランスの最新型FR64の組合せをメインとした。トーレンスの125と、オルトフォンのアームRMG212の組合せは初め使っていたが、どうも横ゆれに敏感で、ハウリングは少ないがかえって使いにくくて、途中から、さけることが多くなってしまった。ビクターのTT81をターンテーブルとしたプレーヤーはクィック・スタート、クィック・ストップができ驚く程便利であった。これは使ってみないとなかなかわかるものではないが、新しい現代的プレーヤーの持つべき条件だろう。クォーツ・ロックが内部的特長ならクィック・ストップは実用的外面要素だ。
 カートリッジと、それに組み合わせるべきアームの関係は、数多い問題を内蔵する。軽針圧カートリッジが軽針圧用アームに最適といわれてきた根拠も定かでないし、確かめにくい。少なくとも現代では、軽針圧カートリッジにもっとガッチリした、いわゆる汎用アームのほうが音質的にも、特に低音に対して好ましいというのが常識でさえある。もっとも、アームは水平方向も垂直方向もきわめて高感度であることは、最低条件として当然なことだが。ここで用いたアームは、そうした意味ですべて、アーム自体が堅固といえる程にガッチリしたものを選んだ。
 音質評価のきめ手の、特に重要な部分として「スピーカー」の選定は、難かしい。ここで用いたのは、普段そぱにおいて、使いなれ、よく知りつくしているのが理由だ。アルテックの604−8Gだ。620Aという大型の箱をあたえられて、低域をずっと伸ばし、音質チェックの上で一段とよくなっている。ドライブアンプは、マランツの510だ。理由はいまさら特にいうまでもないだろう。
 プリアンプとしては、クワドエイトのLM6200Rで、むろん、トーンコントロール、フィルター等のたぐいは一切ない。
 もうひとつのスピーカーシステムを、このラインナップに加えている。これは、ごく小さなブックシェルフ型の自作のシステムで、アルテックの12cmフルレンジ・405Aをたったひとつ収めたものだ。これは、至近距離1mほどにおいて、ステレオ音像のチェックに用いたものだ。いうなればヘッドフォン的使用方法だ。シングルコーンの405Aも、コアキシャル604−8Gもともに音源としてワンスポットなのでこの点からいえば大差ないはずともいえなくはないのだが、実際は好ましかるべきマルチセラーの高音輻射より405Aの方が音像をずっとはっきりと判断できるのは、多分、単一振動板だからだろう。単純なものは必ず純粋に「良い」のをここで知らされる。それにも拘らず604をメインとしたのは、音質判断上もっとも問題とされてしまう音色バランスの判断のためである。
 セカンドシステムは、まったく別の部屋にあって、メインシステムのように音をチェックするというのではなく、もっと総合的に、音楽を確めるといったかたちで、役立たせた。
 少なくとも、SPのリカット盤や、ステレオ初期の録音盤などでは、第一システムでたとえ評価が落ちたとしても、この第二システムでまったく逆にもっとも好ましい結果を得ることが常であった。評価が逆転するということは、ある面で不合理だが確かな事実だ。
 スピーカーは、JBLハーツフィールド、38cmの今はなきウーファー150−4Cと375+537−509(現在のHL89)との2ウェイで、低音域はホーンロードで今回の水準からすると決して広帯域ではないが、ブックシェルフにない、音の生命力が強く感じられる。ドライブアンプは、マランツのモデル2とマッキントッシュのMC30で、ともに管球アンプとしてHi-Fi初期の名うての高級品である。プリアンプは、マランツのこれも管球式のモデル7。
 プレーヤーには、第一システムと同じマイクロのDDX1000とFR64の組合せと、デンオンのDP5000Fシステムの2系統を使用した。
 このようにして、ふたつのまったく違った部屋で聴いたことには大きな意味があることを知って欲しい。その意味というのは、第一システムのラインナップと第二システムのラインナップの大きな違いにあり、ひとつはまったくのプロフェッショナル・モニター系のシステムであり、一方は、まったく家庭用のハイファイシステムであるという点だ。
 この場合、プレーヤーシステムを変えてしまっては音の判定がますます混乱することになるので、共通としたことはいうまでもない。ここで再びアームについて解説を加えると、今回使ったそのほとんどがダイナミックバランス型をとっていることだ。今日の実際的なレコードのコンディションを考えると、ダイナミックバランス型が良いと言い切ってもよい。ただし、こうしたテストの場合に考えられるいくつかの落し穴をカバーするために優れたスタティックバランス型アームをも2本使用している。

使用レコード
 今回の、この膨大な数にのぼるカートリッジのヒアリングテストに使われたレコードは、ジャズおよびロック系を中心としたもので、ジャズは、新しいものとステレオ初期とモノーラルの50年代初期のものと、さらに40年代以前の古い録音との4種類を選んだ。
 最新録音盤は、周波数特性とかスペクトラム的な判断に価値があったとしても、ステレオ感となるとかえって作為的で、良さの判断にはつながらず、苦労の種でしかない。ステレオ初期のレコードはこの点正直だ。50年代のジャズレコードのもつ特色は、そのまま「ジャズサウンドは、いかにあるべきか」を端的に示して、再生音楽におけるジャズ的視点を定めるのに好適といえる。古い録音のナローバンドのSN比の悪いSPリカット盤は、音楽以外の雑音や歪がどれだけ抑えられ、音楽を楽しむのに邪魔されずにすむか、を確かめるのに役立つ。現代的な意味で音の良いカートリッジが必ずしも雑音を抑えてくれるとは限らず歪も目立つ。
 ロックの場合、電気楽器の粘っこいサウンドが、大きいエネルギーで他の音を圧して中声域の混変調を起して歪のもととなりやすく、これは他の音楽にはないサウンド的な特徴で、それを確かめるのは今日の音楽ファンに対するせめてもの心がけといえようか。
 選ばれたレコードが物理的な意味で必ずしもベストのものでないことに、あるいは不満をいだく方もあろう。しかし音楽とは所詮物理的技術的結果ではなく純粋に芸術であり、それが再生音楽だとしても、受けとめているのは人間の芸術的感覚である。つまりレコードといえども厳然たる事実として「音楽」であることは誰しも認めるだろう。使ったレコードは以下の通り。
●パブロ(英国盤) エリントン/レイ・ブラウン 「ワン・フォー・ザ・デューク」
●ブルーノート(アメリカ盤) ヴィレッジヴァンガードのソニー・ロリンズ
●マーキュリー(アメリカ盤) クリフォード・ブラウン/マックス・ローチ 「イン・コンサート」
●アメリカ・コロムビア盤 チャーリー・クリスチャン 「ソロ・フライト」
●ローリングズトーン 「プルー&グレー」 ローリング・ストーンズ

テストの実践方法

瀬川冬樹

ステレオサウンド 16号(1970年9月発行)
特集・「スピーカーシステム最新53機種の試聴テスト」より

 本誌10号で50機種のブックシェルフ・スピーカーをテストしたときと今回とでは、テストの方法、採点法、およびテストに参加したメンバーにかなりの違いがあるので、その点を中心に解説を加えたい。なお、本誌10号の井上卓也氏の解説と比較していただければ、前回との相違点について詳細にご理解頂けると思う。
■試聴室
 本誌四号以来同じ本誌の試聴室で行なった。広さ約12畳の洋室。床面は二重にカーペットを敷きつめ、ガラス窓の面には厚手のカーテンをひいてあり、洋間としては反響の少ない、ややデッドな吸音状態になっている。
 この部屋の四方の壁面の一面だけ残して、あとの三面に、コの字型にぐるりとスピーカーが配置された。53機種もあると、ほとんど床から天井近くまで積み上げられる。これだけ大量のスピーカーを並べると、互いにレゾネーター(共鳴体)として動作するので、その影響は必ずしも無視できないが、方法としてやむをえないだろう。加えて、スピーカーは置き場所によって相当に音のバランスが変る。前回では、一回の試聴が終るたびに配置を少しずつ変えるという手間をかけたが、今回は編集部の事情によって積み変えは行なわれなかった。しかし前回でも、配置を変えてみても音の素性の悪いものはそんなことぐらいでは良くならないし、素性の良いスピーカーは少しぐらい不利な場所にあっても時間をかけてていねいに聴きこんでゆけば、必ず浮かび上ってくるという事実を体験しているので、置き場所による採点ミスは、ほとんどあるまいと思われる。もしもこの点で正確を期すのなら、ひと組ずつ全く同じ場所に53回入れ換えるべきだということになる。それでは瞬間切換はできないし、実際問題としても不可能に近い。
■テストのメンバーと試聴の方法
 ヒアリングテストに参加したメンバーは前回どおり四人だが、前回は、岡、菅野、山中、瀬川で、今回は上杉佳郎、岡俊雄、長岡鉄男の各氏と瀬川の四人でテストを行なった。なお井上卓也氏が53機種の構造及び特徴について解説されているのは前回同様である。
 試聴の方法は、互いの話し合いを避けることと、一人ひとりが納得のゆく形で自由に時間を使えるように、一日一人ずつ、後退で試聴した。14号のアンプのように、音の微妙なニュアンスを云々する場合には合同テストの良さがあるが、試聴者の立脚点によって大きな違いの生じるスピーカー・テストでは、テスターの一人としてみてもこの方がやりやすい。今回は結果からみると、一人あたり平均二十時間、四人の合計で八十時間をかけた。時間の使い方はテスターに一任されていたので、短かい人は二日足らず、長い人は四日を使っている。平均して前回よりやや短かいが、前回のようなブラインド(目かくし)テストでないために、音の傾向を掴むまでの暗中模索の時間が少なくて済んだのだろう。
■テスト装置
 別図のブロックダイアグラムに示すように、プログラムソースはディスク・レコードによった。これについては何度も解説しているように、同じ部分を即座に反復再生できることや、レコードのかけかえなど、操作上最も有利だというのが主な理由である。
 ピックアップ・カートリッジは、NHKのFM放送の標準であるデンオンDL103が主に使われたが、テスターの好みや馴れによって、他の製品も自由に使われている。デンオンの場合、トランスはFRのFRT-3を使った。
 アンプは、これほど数多いスピーカーをごちゃまぜにするテストには、管球式よりトランジスター式が──というよりも出力トランス付きのアンプよりOTLアンプの方が──有利である。というのは、出力トランス付きのアンプでは、インピーダンス4Ωと8Ωの切換えをしなくてはならない。そういう理由からTRアンプを、そしてスピーカーを最良の状態で鳴らすために、今回のJBLが使われた。なお参考として国産のプリメイン・アンプ数機種が一応用意されたが、アンプがローコストになるにつれて、スピーカーの良否の幅が減る──というより、本来良いスピーカーでも、アンプのグレードが下ると、スピーカーの良さもおさえられてしまい、高級品には損な評価になる。しかし逆に、今回のようにアンプに良いものを使うと、ローコストのスピーカーが実力いっぱいの音で鳴ることになり、ローコスト製品には徳な結果が出る。それに加えて、スピーカー・キャビネットを隙間なくぎっしり積み重ねると、互いのバッフル効果を助長するため、小型のスピーカーでも実力以上の低音が出るということもあって、なおのことローコスト製品が点数をかせぎやすい。そういう採点エラーをどうカヴァーするかは、テスター個人個人の判定にまかされている。
 53機種のスピーカーは、レベル・コントロールのあるものは、メーカーが指定したノーマル・ポジションに固定してある。例外的に2~3確認のため変更したものもあるが、原則として、メーカーが作ったバランスをそのまま評価するという立場をとった。厳密には1台ごとに最適レベルセットを探るべきかもしれないが、前述の置き場所の問題ともからんで、へたにいじるとかえって評価をあやまらせるおそれがある。
■前回と大きく変えた採点の項目
 10号では、オーケストラ、室内楽、ジャズ、ポピュラー、ムード……というように、音楽のジャンル別に採点したが、こういう採点法は、スピーカーのキャラクターによって、音楽の内容に適不適があるといった誤解を招く結果になりかねないことと、前回の項目からは、スピーカー音質の全体的な傾向が必ずしも正しく浮び上らないという問題があったため、今回は次のような項目に分類してみた。これも実際に採点してみると、まだ多くの不備があることがわかったが、いままでの採点法に今回の経験を加えて、さらに完璧なステレオサウンド誌独特の採点法を完成するよう、いっそう研究したい。以下、項目別に補足を加えると──
①大編成/クラシック、ポピュラーを問わず、シンフォニー、管弦楽、ビッグバンド、映画音楽、ムード等あらゆるジャンルの音楽の、編成の大きなオーケストラを包括している。いわばスケール感、音のひろがり、トゥッティでの音の解像力等が聴きどころになる。
②小編成/室内楽、コンボ・ジャズ等、小人数での演奏の音像再現性や、キメのこまかさが聴きどころ。
③独奏曲/ピアノでも弦でも、楽器ひとつだけの場合の音色やニュアンスの再現性。
④声楽/独唱も合唱も含めて、人の声の自然さは、音質判定の重要な項目になる。ここまでが楽器別楽曲別の採点項目である。
⑤バランス/低音がとくに強いとか、中音が張り出すとか、目立ったくせがあるかないか、要するに音域全体でのバランスの問題。
⑥音域の広さ/音のバランスが良くても音域がそう広くないものもあるし、重低音も超高音もたっぷり出るが、バランスの悪いものもある。
⑦音の品位/音域の広さとか低音や高音がどんなバランスで出るかという前の項目は、料理でいえば甘さ辛さや香辛料の入りぐあいにそうとうするが、この「品位」とは、たとえてみれば、スープやつゆの旨さに相当する。一見何でもない味が、舌に乗せて味わうほどに奥ゆかしい深い味わいを持っていたり、はじめうまいと思っても味わってみると、安っぽい香辛料でごまかされていることに気がついたり、というように、これは物理的に絶対測ることのできない項目で、しかもリスナーが熟練を積まないとごま化されやすい。音の品位さえ良ければ、塩あじ砂糖あじはトーンコントロールでもある程度加減できるが、生まれついて品位が悪いものは、いかに音域が広く、音のバランスが良くても、永く聴いていられない。
⑧能率/これはJISできめた物理的な、算術平均知的な能率でなく、聴感上の音量感といった意味からの採点で、とうぜん、⑤のバランス項目とも関連がある。つまり中低音域が盛り上っていれば、音がたっぷり豊かに聴こえるし、中高域が盛り上れば、張りのある明快さで音が張り出して聴こえる。とうぜん、音のバランスにくせのある製品は、試聴するプログラムソースによって大きくバラつきが出るから、テスターによってかなり変る筈だ。いずれにしても、能率の良いスピーカーはパワーの小さいアンプでよく鳴るし、能率の悪いスピーカーにはハイパワーアンプを用意しなくてはならない。一方、能率は許容入力とも関係がある。能率が悪いのにパワーを入れると音が割れてしまうようなものは、ダイナミックレンジのせまい、貧弱な音になる。
 今回テストした53機種の能率のいちばんいいものと最も悪いものとでは、音量感で20デシベル近くの差があったから、アンプのパワーでいえば、ざっと100倍の開きがあるわけだ。とにかく、能率のよくないスピーカーには、予想以上にパワーにゆとりのあるアンプが必要になる。
⑨デザイン/外観の意匠、プロポーション、仕上げ、あるいはネットをとり外せるものは外したときの感じなど、毎日手もとに置いて愛用する以上、デザインは無視できない。しかしこれは、あるレベル以上になると好みそのものといったことになるので、この項目によって、逆にテスター各自の好みの性向を探られる結果になるかもしれない。
⑩コスト・パフォーマンス/以上の9項目の採点を総合した上で、価格とみあわせて、コスト・パフォーマンスの採点がきまる。価格が高くても、各項目の評価が高ければお買徳品になるし、いくら易くても、安かろう悪かろうでは採点も悪くなる。多少の弱点があっても、価格がそれ以上に安ければ、コスト・パフォーマンスは良い点をとるというように総合点であるだけにきわめて流動的である。
     *
 以上のような採点と、あわせて簡単な印象記によって、製品の性格は10号の場合よりも性格に浮き彫りされるのだろうと思う。総合的な採点の結果、特選、推薦、準推薦の機種を各テスターが選び出している。
 なお、今回はテストレコードについて一切ふれてないが、テスター個人個人が自宅から持ち寄ったものと、編集部が用意したものとで、枚数で云えばきわめてぼう大な数に上る。クラシック、ジャズ、ポピュラー、ムード、歌謡曲、ドキュメント等々、あらゆる分野に亘っている。

ブラインド試聴者の立場から

菅野沖彦

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より

 50機種のスピーカー・システムをブラインドで聴いてチェックするという、無茶苦茶な難行苦行をやらされた。なんとも物凄いテストで、どこから手をつけていいかといった状態が何度もあった。単独でのクオリティ・チェックと、相互の比較試聴を限られた時間内でおこなうのだから楽ではない。比較試聴などでは、隣合わせの10種類ぐらいが限度ではないかと思う。1・2・3と比較していって20ぐらいになれば1、2はごちゃごちゃになってしまう。
 そこで、元へもどっていると、今度は先を忘れてしまうという、ていたらくであった。そこで何日かのデーターをそろえて総合して判定したわけだが、とにかく疲労困憊の仕事だった。それにしても、いろんな音のスピーカーがあるもので、興味深くあきれたことだった。

■試聴テストのポイント
 これほど多くのスピーカー・システムを瞬時切換して聴く場合には、条件として実に困難な問題が起ってくる。つまり、すべてのスピーカーを同条件化で鳴らし、しかも、同条件の聴き方をすることの難しさは、テストにとって大切な問題なので初めにこれについて私の考えを述べておくことにする。
 スピーカーが設置場所によって大きくその再生音にちがいが出ることは周知のことだ。そして50機種を一つの室内の同じ場所に置くことは神さまでも無理だ。そこで、私の場合、配置を三回変更した状態で聴いて総合して判定したが、なおかつ、部屋とその場所による音質傾向を私自身の頭の中で適宜補整して聴いたつもりだ。次に能率の差だが、これはその都度ボリュームをコントロールして感覚的にはそろえて聴いた。また、極度によく聴こえたり、その逆に悪く聴えたものについては特に時間をかけて数多くの比較確認をおこなった。プログラム・ソースは試聴に際して用意されたものと私自身の愛聴盤を併用した。
 さて、このような配慮をしても、それはもとより、ほんのわずかなコントロールにすぎず、問題の解決にはほとんど役立たないだろう。この試聴テスト・リポートは、あくまで、この条件下におけるものとして受取っていただかないと問題が残ると思う。
 だが、こうした条件下で試聴した時に、いくつかの着眼点ならぬ着耳点があるが、それについてここに書いておくので、採点表、ならびに各スピーカー・システムについてのメモと照合して判断していただきたい。
 第一のポイントはバランスである。これは単に周波数特性の問題ではないが結果的には再生周波数の凹凸、分布の平均性ということで、プログラム・ソースの音楽的情報がスピーカーからいかなる感覚的エネルギー・バランスで再生されるかということである。私にはあらゆる音響器材の諸特性の中で、このバランスを第一に考える。それだけに置き場所のちがいの条件は厳しかった。派ランスは音色と連なると思う。
 第二にクオリティ。音質である。これは、周波数特性のパターンなどで左右されない本質的な性格、いわば、金物が鳴るか、木が鳴るかという類のものだ。振動系の質量、コンプライアンス、材質、磁気回路、箱の性質など多くのファクターによって出来上るクオリティなのだろうが、これはスピーカーの特性になかなか現われない大事な要素だと思っている。勿論、測定に現われる諸歪みによっても大きく影響を受けるものだろうが、この辺のところは専門家に聴いても明確ではない。興味の的である。
 第三が左右のペアで聴いた時のプレゼンス。スピーカーとしては指向特性による影響の最も大きいファクターである。これも、位置関係が鋭く関係するので、あまり今回の試聴では重点をおかなかった。
 音の分解能、抜け、ダンピングなどといった細かい特徴はすべて、これらのポイントに含まれると思う。今回テストの対象にできなかった重要な特徴として、音量に関するものがある。小音量と大音量の音量のちがい、入力特性などについての細かい聴感試聴は残念ながら能力的にも時間的にも余裕がなかった。勿論、ブックシェルフの性格上ある程度のパワーを入れるべきもののあることなどは充分考慮して試聴したつもりである。

ブラインドテスト実践方法

井上卓也

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より

 今回のブックシェルフ型スピーカーシステムのテスト方法は、私と編集部の間で慎重に検討した結果である。50機種というのは、わが国で発売されているブックシェルフ型のほぼ全部といえるくらいであるが、これだけ多くの機種をテストするということ自体、かなり無理があることは否定できない。しかし、音響製品全般についていえることだが、完全なテストというのは、実際にはありえないことである。
 例えば、スピーカーテストの場合、組み合わせるアンプやカートリッジの相性の問題、スピーカーを設置する部屋の問題、テストソースの問題、さらにはテストする人間のコンディションによる判定能力に差がでるという問題、等々……。数えあげればキリがない。
 それでは、機種を減らして厳密なテストを行なうか、という意見もあったが、テスター諸氏の確信のもてる範囲内で、やはり機種はなるべく多い方をとるべきであると考えたわけである。非常に数少ない機種を何回かにわけてテストするということは、その何回かにわたる回数が多ければ多いほど横のつながりが不明瞭になる。微妙な音質の差を頭脳に正しく長期間記録させることは、事実上不可能である。やはり、その場で短時間でもよいから相互比較をやる方がまず妥当といえよう。
 今回のテストでは、テスター一人当り約40時間をかけた。40時間といえば充分といえないまでも、一機種、約50分間を聴いたことになるわけだが、本誌のテストに常に参加される岡、菅野、瀬川、山中の四氏であるから責任のもてるテストができると判断した次第である。
     *
 今回のテストはステレオサウンド始まって以来の完全ブラインドホールドにして行なった。音質とか使いやすさだけでなく、デザイン等にも、大きくポイントを置く本誌にしては珍しいブラインドですとだが、純粋に音だけを評価するという意味ではもっとも妥当な方法だといえよう。オーディオ製品のテスト方の一つということで採用したわけである。
 以下にテスト方法について紹介しよう。

■試聴室
 今回のブラインドテストも、いつもの本誌試聴室で行なった。洋間の12畳で、床には二重にじゅうたんを敷き、側面はカーテンを張りつめた部屋である。部屋の残響は標準的な状態で、この試聴室のテスト結果が、例えば和室の場合と、もっとライブな洋間に大幅にかわるということはないと思われる。

■ブラインドの方法
 ブラインドの方法は前項写真の通り音質を損なうことのない音の透過のよい薄手のカーテンを張りつめ証明は50組のスピーカーシステムを切りかえるスイッチボックスと氏プ、プレーヤーの周辺のみ当てるようにした。従って、テスター諸氏には鳴っているスピーカーが何物かはいっさい不明の状態であった。

■テストスピーカーの切替え方法
 50機種のスヒーカーシステムの切替えは50コのスナップスイッチ(二機種双投型)を使った切替えボックスをつくり、標準アンプのJBL SA600プリメインアンプにつないだ。このスイッチボックスは、とかくハイパワーのアンプを要求しがちなブックシェルフ型だけに、できる限りスイッチの接触抵抗による出力低下とか、DF(ダンピングファクター)の変化をなくすため良質のスナップスイッチを使った。テストの状態では50組のシステムはいつでも、どの機種でも任意に選択肢鳴らせるようにした。
 各スナップスイッチには、①から㊿番までの番号が打ってあり、テスターはその番号によって採点することにした。

■標準スピーカーシステムにAR3aを使用
 これだけ多くのブラインドテストとなると、何か一つの基準がある方がテストがかなり楽になることはいうまでもない。そこで本誌がブックシェルフ型スピーカーシステムの標準機としてAR3aを選んで、あらかじめテスターに明示しておいた。

■テストは計160時間
 今回のブラインドテストでは、テスター同志の話合いをさけるためと、厳格な比較テストを実施してもらうため、岡、菅野、瀬川、山中の四氏に一人づつ四日間計十六日間にわたりテストを依頼した。短い人でも一日8時間、長い人では14時間くらいにおよび、一日平均して10時間としても、一人40時間、四人合計して160時間というもうれつなテストだった。もちろん、これで完全だとはいえないと思うが、四氏ともほぼ確信のもてる状態で音質評価をしてもらった。

■スピーカーの置き場所
 ブックシェルフ型スピーカーでは、システムを置く位置によって、その評価にかなり差のあることはよく知られている。そこで、各氏それぞれ四通りのスピーカー配置で試聴してもらった。たとえば、下段に置いたシステムはその次の日には、中段に、その次には上段にというように積み変えた。さらに正面、右側、左側もそれぞれアレンジしてできる限り場所を入れかえてテストした。

■スピーカーの能率による音質の差
 今号でテストした50機種は、口径も違えば、構成も違い、当然スピーカーの能率の良し悪しによって、再生レベルが変わってくる。特に比較試聴の場合、音量の大きい方が得をする場合が多いが、今回はテスターに手許にアンプを置き、スピーカーを切替えた都度ボリュームを調整してもらって、聴感上なるべく音量を揃えるようにした。

■レベルコントロールのセットポイント
 テスト機種のスピーカー構成は、シングルコーンのユニットを1本使用したものから、4ウェイのマルチウェイシステムまであり、50機種のうち9機種を除いた41機種は何らかのレベルコントロール装置がついている。これらのレベルセットは、ノーマルあるいはナチュラルなどの表示のあるものはその点に合わせ、表示の内連続可変型のものはメーカーの指定した位置に合わせた。

■テストに使用した機種
 今回のテストに使用した機種は次の通り。
JBL SA600 プリメインアンプ
 このアンプは本誌第3号および第8号の氏プテストでトランジスターのプリメイン型のアンプである。
シュアー V15/タイプII
オルトフォン SL15/ME
 この両カートリッジは、いうまでもなく本誌のテストに必ず使用する世界第一級のカートリッジである。
FR FRT3 ステップアップトランス
 オルトフォンのカートリッジを昇圧するためにFRのトランスを使用した。このトランスも本誌7号のカートリッジ/プレーヤーシステム特集号で好評を得たものである。
グレース G560L
 トーンアームにはグレースのG560Lを使用した。国産の第一級トーンアームであることはユーザーの多いことをみればうなずけるところである。
ティアック TN202
 これもフォノモーターとして定評のある製品。

試聴記と採点の基準について
 今回のテストリポーター四氏のうち、岡、菅野両氏には試聴記を担当してもらい、瀬川、山中両氏には、総合評価で推選、特選になった機種のみ、試聴記を担当してもらった。
 各氏にそろって記入してもらったのが、各機種ごとにある「ブラインドテスト評価表」で、
 ◉ 特選に値いするもの
 ◎ 推選に値いするもの
 ○ 準推選に値いするもの
 □ 次点
の四段階にわけて次のジャンル別7項目についてそれぞれ評点をつけてもらった。
 項目
 1 オーケストラ
 2 室内楽
 3 ピアノ
 4 声楽
 5 ポピュラー・ムード
 6 ポピュラー・ヴォーカル
 7 ジャズ
 たとえばオーケストラで特選のスピーカーはその項目のところに◉印がついている。従って、もしオーケストラ曲がたいへん好きな方であれば、なるべくオーケストラの項目に◉印の多い機種を、また、ジャズの好きな方はジャズの欄に◉印の多いスピーカーを購入の指針にされるとよい。
 8 コストパフォーマンス
 前記の7項目の採点が終了した時点で、各テスターにテスト番号によって価格を明示し、コストパフォーマンスを10点満点でつけてもらった。
 音質と価格をにらみ合わせて、最もお買得と思われる機種に10点、最もお買損と思われる機種に1点、従って5点近辺が価格相応といったところになるだろう。
 なお各機種の型名の後とブラインドテスト評価表、ならびに岡氏と菅野氏の試聴記の頭についている番号はテスト番号、つまり、スピーカー切替用スナップスイッチの番号と同じである。

ブラインド試聴者の立場から

瀬川冬樹

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴 純粋聴感で選ぶベストシステム」より

 これがアンプの場合だったら、せいぜい同じカテゴリーの中で音のバランスやニュアンスが多少違うという程度なのに、スピーカーときたら、同じレコードがよくもこれほど違って聴こえるものだと呆れるくらい、五十組が五十通り、それぞれ違った音で鳴るのだから、はじめのうちしばしば途方に暮れた。
 ところが、二日、三日と聴き込んでゆくにつれて、スイッチのナンバーと出てくる音とが、少しづつ結びつくようになってくる。終りの頃は、ほかの人にスイッチを押してもらっても、たいていの音を当てられるし、当然、細かな相違もわかるようになってきた。ブラインドテストのやり方についても、いろいろ考えさせられる貴重な体験だった。

■試聴テストのポイント
 スイッチによる聴きくらべ、それもブラインドテストの場合には、心理的に陥りやすい罠が数多くあって、その一つひとつはスペースの関係で詳しく解説できないが、わたくしとしては、できるだけその面での弊害は除くよう、慎重に考慮したつもりである。ただ、ブックシェルフ型のスピーカーは、とくに置き場所によって音のバランスが変わりやすく、しかもこれほど数多く並らべ積み上げた場合には、多少とも互いに共鳴するという現象もあって、物理的に完璧を期すことは無理だと思う。少なくともそういう現象によってマイナス点がでないように、聴く位置を変えてみたり、トーンコントロールを大幅に変化させてみたり、また、それでもおかしいものは、置き場所を移動してもらう等、できるかぎりの確認を試みた。結果としては、音の質そのものが良くないスピーカーは、そうして条件を変えてみても決して点数が良くはならないし、音の素性がもともと良いものは、少しぐらい不利な場所におかれても、時間をかけて聴き込んでゆくと必ず浮かび上ってくるものだということが分った。しかし、あくまでも、この結果は本誌試聴室でのものであり、条件が大幅に変われば、また違った結果が出るかもしれないことは、想像に難しくない。わたくしとしては、ともかく与えられた条件の中で、最善の努力をしたつもりである。

 採点にあたって与えられた分類法は、○や□の印による四段階法であり、採点法に個人的には疑問が残っているが、一応、試聴した五十組の中で最良のものを三重丸とし、以下順位を割り振った。従ってこの中に、もう一つでも、もっと大型の本格的なスピーカーシステムが比較用にでも入っていたら現在の三重丸が◎か○になってしまう可能性は無いわけではない。いずれにしても、○印そのものは、音の硬さ柔らかさ、音の分離や切れ込みの良否といった音質そのものを決して現わさないから、○の数が多いからといって、これは聴感上の好みとはあまり関係が無いという矛盾を含んでいる。
 コストパフォーマンスについては、わたくしの基準は8以上がいわゆる買徳品、6~7は大体価格相応、4~5がその下のランクで、3以下は価格が高すぎるか音質に難点が多すぎるかのどちらか……といった採点である。
 音質の評価は、前述の理由から音のバランスそのものは重視せず、低音ではトーンコントロールで強調しても箱鳴りその他の欠陥が無いもの。中~高音では妙なクセ或いはトゥイーター等の欠陥によって針音やテープヒスが強調されないもの。そして中音域で音がスムーズにつながるものに良い点をいれるようにした。総体的には、音のクオリティ(品位、品格)そのものの良し悪しに重点を置いて、特に楽音のニュアンスやコントラストを正しく美しく再現するものを選んだ。また、わたくし自身は、ステレオの再生では音像定位の再現性を重視しているが、今回のようなスピーカー配置ではこの点の評価は無理だったので、一切ふれていない。
 なお、念のため、わたくし自身試聴した五十組のほとんどをまだ知らずに居る。テストを終ったいま、編集部ではいつでも教えてくれるというが、たまには、印刷された本誌を手にとるまで、知らずにいた方が楽しみが多い。