瀬川冬樹
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
少なくとも10年ほど前まで、私はモニタースピーカーをむしろ嫌っていた。いま、どちらかといえば数あるスピーカーの中でもことにモニタースピーカーにより多くの関心を抱くようになったことを思うと、180度の転換のようだが、事実は全く逆だ。
こんにち、JBLのモニター、あるいはイギリス系のいくつかのモニターのような、新しい流れのモニタースピーカーが比較的一般に広められる以前の長いあいだ、日本オーディオ関係者のあいだで「モニタースピーカー」といえば、それは、アルテックの604E/612Aか、三菱ダイヤトーンの2S305(NHKの呼称はAS3001)のどちらかと、相場がきまっていた。日本の放送局や録音スタジオの大半が、このどちらかを主力スピーカーとして採用していた。これら以外にも、RCAのLC1Aや、タンノイや、その他のマイナーの製品が部分的に使われていたものの、それらはむしろ例外的な製品といってよかった。
アルテックも三菱も、それぞれにたびたび耳にする機会はあったが、そのいずれも、自分の家で、自分の好きなレコードを再生するためのスピーカーとはとうてい考えられなかった。アルテックの音はあまりにも強烈で、三菱音は私には味も素気もない音に聴こえた。実際、放送局や録音スタジオのモニタールームでそういう音が鳴っていたし、数少ないながら個人でそれらのどちらかを鳴らしている人の家を訪問しても、心に訴えかけてくるような音には出会えなかった。スピーカーシステムは自分でユニットを選び、自分の部屋に合わせて組合せ調整する、というのが永いあいだの私の方法論になっていた。そして、それぞれの時期は、いちおうは満足のゆく音が私の部屋では鳴っていて、その音にくらべて、アルテックや三菱のほうが音が良いとは、一度でも感じたことはなかった。今ふりかえってみても、あながちこれは自惚ればかりではなかったと思う。
自分が考え、求め、理想とする音を鳴らしたいためにスピーカーシステムを自作するのだから、そこには自ずから自分の主張が強く反映して、はなはだ個性の強い音が鳴ってくるであろうことは道理だが、しかしその範囲内でも私の求めていたのは、その音の再生される部屋(再生音場)まで含めて、できるかぎり特性を平坦に、高音から低音までのバランスを正しく、そしてできるかぎり周波数レインジを広げたい、という目標だった。こんにちでも私自身の目標は少しも変っていなくて、言いかえればその意味ではこんにちの新しいスピーカーの目標としているところを、ずっと以前から私は目ざしていたということになる。
このことを何も自慢しようというのではない。というのは、この、平坦なワイドレインジ再生というのは、当時から急進的なオーディオ研究家の一貫して目ざしたテーマであったので、私にとって大先輩にあたる加藤秀夫氏や今西嶺三郎氏らのお宅では、事実そういう優れた音がいつでも鳴っていた。ただ、重要なことは、少なくとも十数年以上まえには、ごく限られた優秀な研究家のお宅以外に、そうした最先端の再生音に接する機会がなかったということで、その点私は極めて恵まれていた。
とりわけ今西嶺三郎氏(現ブラジル在住)からは多くのことを教えられた。今西氏の再生装置は、すでに昭和三十年以前から、おそろしいほどのプレゼンスで鳴っていたし、単に音の良さばかりでなくその装置で、ジョスカン・デ・プレやモンヴェルディや、バッハの「フーガの技法」やベートーヴェンの後期四重奏など、音楽の源流のすばらしさを教えて頂いた。当時の最新録音でストラヴィンスキーやプーランクを驚異的な生々しさで鳴らしたその同じスピーカーが、古い録音のSPからの転写さえ、すばらしい音楽として生き生きと再現するのを目のあたりに聴かされて、私は、本当のフィデリティが、レコードからいかに音楽を深く描き出すかを知らされた。今西氏には、いまでも何と感謝してよいかわからない。
こうした最高の教師に恵まれ、私は乏しい小遣いをやりくりし、自分の再生装置をあれこれくふうし、できるかぎりの音楽会通いをしてナマの音に接すると共に、先輩たちの鳴らす最高レヴェルの再生音とにかこまれて、自分の耳を鍛えては装置を改良していた。早い時期から、ワイドレインジとフラットネスを目ざしたは、こうした背景に恵まれたからだったし、このようにして本当に平坦で広帯域の再生音を聴き込んだ耳には、アルテックや三菱が不満に聴こえたのも無理ではないだろう。
だからといって、それなら私がどんなに立派なスピーカーを持っていたかというと、名前をカタログ的に列挙するかぎりでは、まるでお話にならないしろもので、パイオニアやフォスターやコーラルや、テクニクスやYL音響やその他の、ごくローコストのユニットを寄せ集めては、ネットワークのコイルを巻き直したりエッジを切りとって皮革のフリーエッジに改作したり、マルチアンプにしてみたり、いろいろ試み・失敗をくりかえしては、どうにか音のバランスを仕上げてゆくといった態のもので、頼りになるのは先輩諸氏の音とナマの音との聴きくらべだけだ。測定設備があるわけでもない。そうしたある日、今西嶺三郎氏に無理矢理、汚い六畳の実験室にお出かけ願って、レコードを聴いて頂いた。マルケヴィッチのバッハの「音楽の捧げもの」などを鳴らしたと思う。しばらく耳を傾けておられた今西氏が、あのいつでも酔っているみたいな口調ゆえにどこまでが本気かわからないような、しかしお世辞を絶対に言う人ではなかったが、「良いじゃないの。このぐらい聴ければ十分だよ。とっても良いよ」と言ってくださって、私はむやみに感激した。秋も近い夏の終りの一夜だった。
そのあとを飛ばして一拠に「ステレオサウンド」誌創刊以後の話になる。あれは昭和45年だったか46年だったか。本誌の組合せテストのとき、それまで全く馴染みのなかったイギリスKEF製の中型スピーカーが、試聴テストからはみ出して試聴室の隅に放り出されていた。あらかじめのノルマの組合せ作りの終ったあと、ほんの遊びのつもりで気軽に鳴らしてみた瞬間、実をいうと私は思わずうろたえるほどびくりした。久しく聴いたことのなかった、素晴らしく格調の高い、バランスの良い、おそらくは再生レインジの相当に広いことを思わせるまともな音が突然鳴ってきたからだ。正確にいえば、KEFの冷遇されていたその部屋で、この偶然出会った、しかしその後の私に大きな影響を及ぼした〝BBCモニターLS5/1A〟は、その真価を発揮したわけではなかった。いわばその片鱗から、このスピーカーが只者でないことを匂わせたにすぎなかった。たまたまその日の私の嗅覚が、このスピーカーとの出会いを決定的にしたにすぎなかった。
実をいえばこのスピーカーは、これより以前に、山中敬三氏のお宅でほんの短い時間耳にしている。当時から海外製品の紹介を担当していた彼のところに、輸入元の河村電気がしばらくのあいだ置いていたものだ。山中氏から、お前さんの好きそうな音だ、と声がかかって聴きに行ったのだが、彼の家で、アルテックA7のあいだに二台殆どくっつけて置かれて、ステレオの広がりの全く聴きとれなかったそのときの音から、私はKEF/BBCの真価を全く発見できなかった。もしもあとで本誌の試聴の際にこのスピーカーにめぐり合わなかったら、私のオーディオ歴はかなり違う方向をとっていたのではなかったか。
しかし、LS5/1Aは、最初持ちこんだ六畳の和室ではその本領を発揮しなかった。一年ほど後で、すぐ道路をへだてた向いの家を借りて、天井の高い本木造の八畳の部屋にセッティングしてから、その音の良さが少しずつ理解できるようになった。そしてまもなく、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、本当の性能が出はじめた。
LS5/1Aは、まず、それまでの私のモニタースピーカーに対して抱いていた概念を一掃してしまった。それ以前からすでに、私は研究のつもりで、アルテックの612Aのオリジナル・エンクロージュアを自宅に買いこんで鳴らしていた。その音は、身銭を切って購入したにもかかわらず好きになれなかった。ただ、録音スタジオでのひとつの標準的なプレイバックスピーカーの音を、参考までに身辺に置いておく必要があるといった、義務感というか意気込みとでもいったかなり不自然な動機にすぎなかった。モニタールームでさえアルテックの中域のおそろしく張り出した音は耳にきつく感じられたが、デッドな八畳和室では、この音は音量を上げると聴くに耐えないほど耳を圧迫した。私の耳が、とくにこの中域の張り出しに弱いせいもあるが、なにしろこの音はたまらなかった。
LS5/1Aの音は、それとはまるで正反対だった。弦の独奏はむろんのことオーケストラのトゥッティで音量を上げても、ナマのオーケストラをホールで聴いて少しもやかましさもないのと同じように、そしてナマのオーケストラの音がいかに強奏しても美しく溶けあい響くその感じが、全く自然に再現される。アナウンスの声もいかにもそこに人が居るかのように自然で、息づかいまで聴きとれ、しかも左右3メートル以上も広げて置いてあるのに音像定位はぴしっと決まっておそろしくシャープだ。音自体に鋭さはなく、品の良さを失わないのに、原音に鋭い音が含まれていればそのまま鋭く再現し、弦が甘く唱えばそのまま甘い音を聴かせる。当り前のことだがその当り前を、これ以前のスピーカーは当り前に再生してくれなかった。
私は次第にこのLS5/1Aに深い興味を抱くようになって、資料を漁りはじめた。やがてこのスピーカーが、BBC放送局の研究所で長い期間をかけて完成した全く新しい構想のモニタースピーカーであり、この開発に実際面から大きく協力したが、KEFのレイモンド・クックという男であることも知った。このスピーカーの成立を含めた技術的な詳細をレイモンド・クックが書いた論文も入手できた。そして調べるうちに、このスピーカーが、かつて私の目標としていた本当の意味での高忠実度再生を、この時点で可能なかぎりの努力で具現した製品であることが理解できた。モニタースピーカーはこうあるべきで、しかもそうして作られたスピーカーが、とうぜんのことながら原音のイメージを素晴らしく忠実に再現できることを、客観的に確かめることができた。自分流に組み合わせたスピーカーでは、いかに良い音が得られたと感じても、ここまでもの確証は得られないものだ。
LS5/1A一九五五年にすでに完成しているスピーカーで、こんにちの時点で眺めると、高域のレインジが13kHzどまりというように少々狭い。但しその点を除いては、現存する市販のどんなスピーカーと比較しても、音のバランスの良さと再生音の品位の高いこと、色づけの少ないことなどで、いまだに抜きん出た存在のひとつだと確信を持っていえる。
JBLはその創立当初から、家庭用の高級スピーカーを主としていたで、ウェストレックスへの納入品を除いては、モニタータイプのスピーカーをかなり後まで手がけていない。LEシリーズの時期に入ってから、ほんの一時期、C50SMという型番で内容積6立方フィート、のちの♯4320の原形となったスタジオモニター仕様のエンクロージュアを作っている。使用ユニットは、S7(LE15A、LE85+HL91、LX5)またはS8(LE15A、375+HL93、LX5、075、N7000)で、これは初期の〝オリムパス〟C50に使われたと同じく、密閉箱でドロンコーンなしの仕様である。このほかに、同じエンクロージュアでS12(LE14A、LE20、LX8)やS14(LE14A、LE75+HL91、LX7)、それにLE14Cなどのヴァリエーションもあったが、いずれもたいした評価は得られずに、プロフェッショナル用としても広く普及せずに終ってしまった。
数年前にJBLがプロフェッショナル部門を設立した際、モニタースピーカーとしてまっ先に登場したのが♯4320で、かつてのC50SMS7を基本にしていたが、これは大成功で、ドイツ・グラモフォンがモニター用として採用したことでも証明されるように国際的に評価を高めた。日本でも、巣孤児尾用としてはもちろん、多数のアマチュアが自家用に採用した。
だが、皮肉なことに♯4320の登場した時期は、単にモニタースピーカーに限らず録音機材や録音テクニックの大きく転換しはじめた時期にあたっていた。このことがひいては演奏のありかた、レコードのありかたに影響を及ぼし、とうぜんの結果として再生装置の性能を見直す大きなきっかけにもなった。またそことを別にしても、一般家庭用の再生装置の性能が、この頃を境に飛躍的に向上しはじめていた。
それら急速な方向転換のために、せっかくの名作♯4320も以外にその寿命は短く、♯4325,そして♯4330の一連のシリーズへと、短期間に大幅のモデルチェンジをする。しかしそれができたということは、裏を返していえば、皮肉なことだがJBLがプロ用モニターとしてはまだマイナーの存在であったことが結果的にプラスになっている。というのは次のような訳がある。
♯4320より以前、世界的にみてメイジャー系の大半の録音スタジオでは、アルテックの604シリーズがマスターモニターとして活躍していた。プロ用現場で一旦採用されれば、その性能や仕様を急に変更することはかえって混乱をきたすため、容易なことでは製品の改良はできない道理になる。アルテックの604シリーズがこんにち大幅の改良を加えないのは、アルテック側での技術上の問題もあるには違いないが、むしろ右のような事情が逆に禍しているのではないかと私はみている。
ともかく4320の成功に力を得てJBLはスタジオモニターのシリーズの完成を急ぎ、比較的短期間に、マイナーチェンジをくりかえしながら、こんにちの4350、4343,4330シリーズ、4311,4301という一連の製品群を生み出した。
私自身はといえば、♯4320の発売当時、これは信頼しうるモニタースピーカーであると考え、KEF/BBCとはまた少し違ったニュアンスのモニターをぜひ手もとに置きたいと考えて、購入の手筈をととのえていた。ところが、入手間際になって♯4320は製造中止になって、♯4330、32、33という四機種が誕生したというニュースが入った。♯4320の場合でも、自家用としては最初からスーパートゥイーター♯2405を追加して高域のレインジを拡張するつもりだだから、新シリーズの中では最初から3ウェイの♯4333にしようときめた。
このときすでに、♯4341という4ウェイのスピーカーも発売されたことはニュースでキャッチしていた。これの存在が気になったことは確かだが、このころはまだ、JBLのユニットを自分でアセンブリーしたマルチウェイスピーカーをKEF/BBCと併用していたので、本格的なシステムはあくまでも自分でアセンブリーすることにして、とりあえずは、以前アルテック612Aを購入したときと同じようないささか不自然な動機から、単にスタジオモニタースピーカーのひとつを手もとに置いて参考にしたり、アンプやカートリッジやプログラムソースを試聴テストするときのひとつのものさしにしよう、ぐらいの気持しかなかった。そういうつもりで♯4341を眺めると、♯4350と♯4330シリーズの中間にあってどうも中途半端の存在に思えたし、その後入手した写真で判断するかぎりは、エンクロージュアのプロポーションがどうも私の気に入らない。そんな理由から、♯4341は最初から頭になかった。
やがて♯4333が運び込まれたが、音質は期待ほどではなかった。ウーファーとトゥイーターの音のつながりがやや不自然だし、箱鳴りが耳ざわりでいかにも〝スピーカーの鳴らす音〟という感じが強い。それより困ったことは、左右二台のうち片方が、、輸送途中でかなりの衝撃を受けたらしく、エンクロージュアの角がひどく傷んでいて、おそらくそのショックによるものだろう、スーパートゥイーター♯2405が、ひどくクセの強い鳴り方をする。ここではじめて♯4341の音を聴いてみたくなった。ちょうど具合の良いことに、、貸出用の1ペアが三日間なら東京にあるので、持って行ってもいいという山水電気の話である。さっそく借りて、♯4333と♯4341の聴き比べをしてみた。
しかしこれは三日間比較するまでもなかった。ちょっと切りかえただけで両者の優劣は歴然だった。価格の差以上にこの性能の差は大きいと思った。4333のほうは、どうしても音がスピーカーのはこの中から鳴ってくるが、♯4341にすると、音はスピーカーを離れて空間にくっきりと浮かび、とても自然なプレゼンスを展開する。これは比較にならない。片側のトラブルを理由に4333は引取ってもらって、♯4341が正式に我家に収まった。これが現在に至るまで私の手もとにある♯4341である。
もともとは、さきにも欠いたようにスタジオモニターを参考までに手もとに置いておこう、ぐらいの不純な動機だったものが、♯4341が収まってからは、それまでメインのひとつだった自作のJBL・3ウェイも次第に鳴りをひそめるようになり、やがてKEF/BBCも少しずつ休むことが多くなって、そのうち♯4341一本になってしまった。とはいっても、♯4341がKEFよりあらゆる点で優れているというわけではない。現在の私の狭い室内では、スピーカーの最適の置き場所が限られて、二組のスピーカーに対してともに最良のコンディションを与えることが不可能だからだ。KEFを良い場所に置けばJBLの鳴りが悪く、♯4341をベストポジションに置けばLS5/1Aはまるで精彩を失う。少なくともこの環境が変わらないかぎりは二組のスピーカーのいずれをも等分に鳴らすことは不可能なので、当分のあいだは、どちらか一方を優先させなくてはならない。
私という人間は、一方でJBLに惚れ込みながら、他方でイギリス系の気品のある響きの美しいスピーカーもまたたまらなく好きなので、その時期によって両者のあいだを行ったり来たりする。ここ二年あまり♯4341を主体に聴いてきて、このごろ再び、しばらくのあいだKEFに切りかえることにしようかと、思いはじめたところだ。KEFにない音をJBLが鳴らし、JBLでは決して鳴らせない音をKEFが、そしてイギリスの優れたスピーカーたちが鳴らす。どんなに使いこなしを研究しても、このギャップを埋めることは不可能だ。
理くつをこねるなら、理想のスピーカーとはアンプから送り込まれた音声電流を100%音波に変換することが目標のはずで、その理想が達成できさえすれば、JBLとKEFの差はおろか、世界じゅうのすぴーかーの音の違いは生じなくなるはず、だが、現実にはそうはいかない。というより、少なくともあと十年やそこいらで、スピーカーの理想が100%達成できるとは私には考えられないから、その結果としてとうぜん、スピーカーの音を仕上げる製作者の、生まれた国の風土や環境や感受性が、スピーカーの鳴らす音のニュアンスを微妙に変えて、それを我々は随時味わい分けるという方法をとらざるをえないだろう。そして私のような気の多い人間は、結局、二つの極のあいだを迷い続けるだろう。
モニタースピーカー作り方が、かつてのアルテックに代表される中域の張ったきつい音から、つとめて特性をフラットに、エネルギーバランスを平坦に、そしてワイドレインジに、スピーカー自体の音の色づけを極力おさえる方向に、動きはじめてからまだそんなに年月がたっていない。それでも、アメリカではJBLのモニターの成功を機に、イギリスではそれより少し古くBBC放送局のモニタースピーカーに関するぼう大な研究資料をもとに、そしてそれら以外の国を含めて、モニタースピーカーのあり方が大きく転換しはじめている。そことがコンシュマー用のスピーカーの方法論にまで及んできている。
そうした世界じゅうのモニターの新しい流れは、モニタースピーカーの好きな私としてはとても気になる。実をいえば、本誌でモニタースピーカーの特集をしようと、もう数年前から私から提案し希望し続けてきた。今回ようやくそれが実現する運びになって、とても嬉しい思いをさせて頂いた。正直のところ、気になっていたスピーカーのすべてを聴くことができたとはいえない。今回の試聴に時間的に間に合わなかったり何らかの事情からリストアップに洩れた製品の中にも、ぜひ聴いてみたいものがいくつかあったが、仕方ないとあきらめた。
別にモニタースピーカーと名がついていなくとも、優れたスピーカー、良さそうなスピーカーであれば、私はいつでも貪欲に聴いてみたくなる人間だが、こんにち世界じゅうで開発されるスピーカーの流れを展望すると、コンシュマー用としては本格的に手のかかった製品が発売されるケースがきわめて少なくなって、必然的にプロフェッショナル向けの製品でなくては、これはと思えるスピーカーがきわめて少なくなっているのが現状だ。その意味で今回の試聴は非常に興味があった。
*
ところで、改めて書くまでもなく私自身がモニタースピーカーに興味を抱く理由は、なにも自分が録音をとるためでもなく、機器のテストをするためでもなく、かつて今西氏の優れた装置で体験したように、本当の高忠実度再生こそ、録音の新旧を問わずレコードからより優れた音楽的内容を描き出して聴くことができるはずだという理由からで、とうぜんのことに、モニタースピーカーをテストするといっても、それをプロフェッショナルの立場から吟味しようというのではなく、ひとりのレコードファンとして、このスピーカーを家庭に持ち込んで、レコードを主体とした鑑賞用として聴いてみたとき、果してどういう成果が得られるか、という見地からのみ、試聴に臨んだ。
しかも大半の製品はすでに何らかの形で一度は耳にしているのだから、今回のように同一条件で殆ど同じ時期に比較したときにのみ、明らかになるそれぞれの性格のちがいを、できるだけ聴き取り聴き分けることを主眼とした。
そうした目的があったから、試聴装置やテストレコードは、日頃からその性格をよく掴んでいるものに限定した。とくにプレーヤーはEMT-930stをほとんどメインにして、それ以外のカートリッジは、ほんの参考程度にしたのは、日常個人的にEMTのプレーヤーの音に最も馴染んでいて、このプレーヤーを使うかぎり、プログラムソース側での音の個性を十分に知り尽くしているという理由からで、客観的にはEMT自体の個性うんぬんの議論はあっても、私自身はその部分を十分に補整して聴くことができるので、全く問題にしなかった。プリアンプにマーク・レビンソンLNP2Lを使ったのも、自分の自家用として十二分に性格を掴んでいるという理由からである。
これに対してパワーアンプは、マランツ510M、SAE2600,マーク・レビンソンML2L×2、ルボックスA740という、それぞれに性格を異にする製品を四機種、切り換えながら使ったが、それは、スピーカーによってはおそらくパワーアンプの選り好みの強いものがあるだろうという推測と、それに対応しうる互いに性格を異にするしかし性能的にはそれぞれ第一級のパワーアンプを数組用意することによって、スピーカーの性格をいっそう容易かつより正確に掴むことができるだろうと考えたからだ。
テストレコードは別表のように約20枚近く用意したが、すべてのスピーカーに共通して使ったものはほぼ7枚であった。それ以外はスピーカーの性格に応じて、ダメ押しのチェックに使っている。
リファレンス・スピーカーとしてJBL♯4343を参考にしたが、それは、このスピーカーがベストという意味ではなく、よく聴き馴れているためにこれと比較することによって試聴スピーカーの音の性格やバランスを容易に掴みやすいからだ。そして興味深いことには、従来のコンシュマー用のスピーカーテストの場合には、大半を通じてシャープ4343の音がつねに最良に聴こえることが多かったのに、今回のように水準以上の製品が数多く並んだ中に混ぜて長時間比較してみると、いままで見落していた♯4343の音の性格のくせや、エネルギーバランス上での凹凸などが、これまでになくはっきりと感じられた。少なくとも部分的には♯4343を凌駕するスピーカーがいくつかあったことはたいへん興味深い。
中でもとくに印象に残ったのは、キャバスの「ブリガンタン」のフランス音楽に於ける独特の色彩感。JBL♯4301とロジャースLS3/5Aの、ともに小型、ローコストにかかわらず見事な音。K+H/OL10のバランスのよさ。そしてUREIのいささが人工的ながら豊かで暖かな表現力。そして試聴できなくて残念だったスピーカーはウェストレーク、ガウス、シーメンスなどであった。
なお個々の試聴記については、今回選ばれたスピーカーがいずれも相当に水準の高い製品(少なくともプロ用としてオーソライズされた製品)であることを前提として、あえて弱点と感じた部分をかなり主観的に拡大する書き方をしているため、このまま読むとかなり欠点の多いスピーカーのように誤解されるかもしれないがいまも書いたようにリファレンスのJBL♯4343を部分的には凌駕するスピーカーの少なくなかったという全体の水準を知って頂いた上で、一般市販のコンシュマー用のスピーカーよりははるかに厳しい評価をしていることを重々お断りしておきたい。
試聴レコード
●ラヴェル:シェラザーデ
ロス=アンヘレス/パリ・コンセルバトワール
(エンジェル 36105)
●珠玉のマドリガル集/キングズシンガーズ
(ビクター VIC2045)
●孤独のスケッチ2バルバラ
(フィリップス FDX194)
●J.Sバッハ:BWV1043, 1042, 1041
フランチェスカッティ他
●ショパン:ピアノソナタ第2番
アルゲリッチ
(独グラモフォン 2530 530)
●ブラームス:クラリネット五重奏曲
ウィーン・フィル
(英デッカ SDD249)
●ブラームス:ピアノ協奏曲第1番_第2番
ギレリス/ヨッフム/ベルリン・フィル
(グラモフォン MG8015-6)
●バラード/アン・バートン
(オランダCBS S52807)
●ブルーバートン/アン・バートン
(オランダCBS S52791)
●アイヴ・ゴッド・ザ・ミュージック・イン・ミー/テルマ・ヒューストン
(米シェフィールド・ラボ-2)
●サイド・バイ・サイド3
(オーディオラボ ALJ-1047)
●ベートーヴェン序曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
(独グラモフォン 2530 414)
●ベートーヴェン:七重奏曲
ウィーン・フィル室内アンサンブル
(グラモフォン MG1060)
●ヴェルディ:序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
(グラモフォン MG8212-4)
●ステレオの楽しみ
(英EMI SEOM6)
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