瀬川冬樹
世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より
聴き手の心を音楽にむかってふくらませるかどうか
●ヒアリングテストのポイント
アンプの比較試聴を永年くりかえしてきて、ここ数年間で以前とはっきり違ってきた点が二つある。
第一は、アンプの性能の限りない向上によって、現時点ではもはや、切換回路を通してスイッチで切換えたのではアンプ個々の微妙な音質の差が正しく掴めなくなっていること。第二に、アンプによってはスイッチを入れて音が鳴りはじめてから動作が安定状態に入るまでの一~二時間のあいだに、ごく微妙ではあっても音質の次第に変化するものが増えてきたこと。
とうぜん、切換スイッチに何台か同時に接続して一斉に電源を入れて、はい聴きましょうといった単純な比較では、もはや個々の音の性格を正しく掴みとれなくなっている。
本誌ではすでに数年前から切換スイッチの使用を廃止しているが、さらに、前回のプリメインアンプテスト(42号)のとき以来、試聴するアンプをあらかじめ最低3時間以上実働させてから試聴に入るというめんどうな方法をとっている。くわしくは別項(試聴テストの方法)をご参照頂きたい。
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こうして一台一台を、切換回路を通さずに実際の使用状態と同様に正しく接続し入念に試聴すると、ふつうに切換スイッチでパチパチと瞬間比較するときには殆んど見落しがちの性格がよく聴き分けられる。
テストレコードはいわば試聴用の素材にすぎないわけだが、しかし目の前に置かれた、一台のアンプのボリュウムを上げれば、機械をテストしようという態度よりはもっとふつうの愛好家の心理状態と同じに、さあこれからレコードを聴こう、という気持に自然になってくる。
少なくとも私自身は、今回のテストにかぎらず常に、そうしたレコード愛好家としての心理状態を保ち続けるよう心がけているつもりだ。いわゆる単独試聴のときはもちろんだが、今回のような一部合同試聴の際にでも、おもて向きは嫌々ながらといったふうをよそおいながら、自分の手でレコードをのせてアンプの操作系を買って出るのも、そうした方がレコード愛好家としての心理状態を保つために、実をいえば私には具合がいいからだ。
前にも書いたことだが、こうして一枚一枚のレコードを音楽として楽しみたいという態度で臨んだとき、そういう聴き手の心理をふくらませ、音楽を聴くことを楽しく思わせ、もっと先まで聴きたい、ボリュウムを絞りたくない、という気持にさせるような音がすれば、アンプでもスピーカでもそれが私には好ましい製品といえる。本当に良い音になってくると、もう何十回も繰り返し聴いている同じレコードの同じ部分を、つい我を忘れて聴き惚れて、しばらく捜査の手を忘れてしまい、同席の岡、井上両氏に叱られることもある。
だが残念なことにそういう音は決してたびたびは聴こえてこない。とくに今回のテストでは、発売後かなりの時が流れてすでに一般的評価の定着した製品もいくつか登場しているが、私自身の評価はそれと必ずしも一致しなかったというのも、右に書いたように音楽を聴かせ幸せな気分にさせてくれるアンプでなくては、たとえ物理的にどんなにワイドレインジで歪が少なく音の立上りが良いという製品でも、それだけでは私には何の価値も認めらないからだ。せめてほんの少しのパッセージでいい、ふっと比較試聴という時間を忘れさせ、聴き惚れるまで行かなくてもつい耳を傾けさせる音のするアンプ。それが私の絶対の基準尺度だ。価格の高低、出力の大小、機能の多少などとはそれは全く無関係なことなので、今回の試聴でも、ことにコントロールファンクションの多い少ないはほとんど無視している。
だが現実には、私にとってコントロールファンクションは意外に重要な項目だし、デザインのよしあしも大きな要素になる。そのことは別項の推薦機種の選定の中でふれている。
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