Category Archives: スピーカー関係 - Page 9

オンキョー Grand Scepter GS-1

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 オンキョーはスピーカー専門メーカーとして誕生した会社である。今は総合的にオーディオ製品を手がけているが、第2次大戦後間もなくの頃、オンキョーのスピーカーユニットに憧れた記憶がある。そうした体質を今でもオンキョーはもっていて、スピーカーユニットの生産量は世界で一、二を争うはずである。そのオンキョーが、売れ筋のコンポーネントシステムだけを作ることに飽き足らず、研究所レベルの仕事として取り組み開発したのが、この〝GS1〟である。1984年発売だからすでに7年を経過しているが、先頃フランスのジョセフ・レオン賞を受賞した。この賞はフランスのハイファイ協会会長によって主催されるオーディオ賞の一つだそうで、GS1の優れた技術に与えられた。このスピーカーシステムは、2ウェイ3ユニット構成のオールホーン型で、スピーカー研究の歴史に記録されるべき銘器であると私も思う。特にコンプレッションドライバーに必要不可欠のホーンの設計製造技術は、従来のホーンの解析では果せなかった新しい視点と成果を満たらせたものである。製品としては使い勝手の点などでむずかしさを残しているが、オプティマム・コントロールを条件としたこのシステムの音の純度の高さは類例のないものといってよいだろう。ワイドレンジ化や高能率化が犠牲になっていることは認めざるを得ないものだが、それでさえ、これだけ純度の高い音が得られるなら、不満にはならないレベルは達成している。いかにも日本製品らしい細部の入念な解析技術が素晴らしいのである。そのために、音楽の情緒を重視するとあまりにストレートであるから、よほど録音がよくないと不満が生じるかもしれない。しかし作りの緻密さといい、強い信念に基づく存在感の大きさといい、今後も長く存在し続け、さらにリファインされて常に同社のフラグシップモデルであり続けて欲しい魅力ある作品だと思うのである。

JBL DD55000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのJBLといえば、オーディオに関心のある人で知らない人はいない代表的なメーカーだ。ジェイムス・B・ランシングという創業者がこのメーカーを設立したのは、プロ用スピーカーの技術の水準を使って、家庭用の優れたシステムを作りたいという欲求からであったと伝えられている。それまでアルテック・ランシングというプロ用のスピーカーメーカーで仕事をしていたランシング氏は、独立して、より緻密で精度の高いプレシジョン・ドライバーと美しいエンクロージュアの組合せを夢見たのであろう。以来半世紀、ランシング氏亡き後、JBLは数々の銘器と呼ばれるにふさわしい製品を生んできた。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパスなど、美しい家庭用の高級システムは今でも大切に使われている現役の高級機である。そして、70年代からプロ用のモニターシステムの領域に踏み込んだJBLは、4300シリーズで人気を得て、わが国においてもブームをつくつた。そのシャープな輪郭の音像の精緻さと、ワイドレンジのさわやかさ、強烈なパルスへの安定したレスポンスとリニアリティという、物理特性の高い水準に裏付けられたスマートで恰好いい鳴りっぷり、鋭敏な感覚による他のコンポーネントとの組合せの明確なレスポンスがオーディオの趣味性にピッタリであった。
 4343、4344を筆頭とする4300シリーズ全盛のディケイドの跡を継いだのがこのDD55000〝エベレスト〟である。完全にコントロールされた指向性をもつ大型ホーンが特徴で、このシステムは家庭用の最高級機としてリスニングエリアの拡大を狙ったものだ。JBLらしい精緻なピントの定まった音像定位と空間性を複数のリスナーに同時に伝えられることがこのシステムの特徴である。3ウェイ3ユニットの本格的コンプレッションドライバーシステムとして、鮮やかで緻密な再生音が他の追従を許さない次元の高さを可能にする。

タンノイ Westminster Royal

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 イギリス(スコットランドに工場がある)のタンノイといえば、オーディオに興味のある人で知らない人はいないであろう。特にわが国では、タンノイは神格化されているほど、絶大な存在感をもって信奉されている。それはこのメーカーの長い歴史と伝統、つまり、半世紀以上の社歴と、その間に一貫して守られてきた設計思想や製品作りの基本理念に対するもので、一朝一夕に築かれたものではない。長い歴史の中には、いろいろ困難な時代もあったし、製品にそれが反映したこともある。しかし、常に保ち続けてきた精神は、温故知新と自社の技術への信念に満ち溢れていた。そして、イギリスという国の持っている趣味性への価値観も見逃せない。イギリス趣味は基本的には合理的であり、貴族趣味と大衆性との間に明確なカーストのようなものが存在する。オーディオ趣味が大衆化するにつれ、イギリスのオーディオ製品にも、小さくて安価な大衆趣味製品が増えてきた。現代のイギリス製オーディオ機器の大半はそうした製品といってよい。しかし、その中にあって、この製品のような堂々たる風格をもつものを作り続けてきたからこそタンノイの存在は、ますます尊敬されることになる。
 内蔵するユニットは、有名なデュアル・コンセントリック・システムという15インチ口径の同軸2ウェイで、基本的に1940年代の設計から脈々と継承されてきたものだ。
 そして、そのエンクロージュアも、フロントロードのショートホーンとバックローデッドホーンのコンパウンドシステムという伝統的なもので、これはオートグラフと呼ばれた50年代のプレスティッジモデルで採用された方式。
 細部はその時代時代の技術でリファインされ続けているが、この製品は1989年に発売されたもの。そろそろ、新ユニットに代わるかもしれないが、そうなっても旧作としての価値が失われないのがタンノイの凄いところである。

ヤマハ GF-1

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 ヤマハがスピーカー技術のすべてをかけて製造する文字通りのプレスティージモデルといえるスピーカーシステムである。低域には同社の独自の技術であるYST方式という特殊な低音再生方式を採用しているところが大きな特徴である。負性インピーダンス駆動方式と呼ばれるもので、専用の回路を必要とするが、このシステムでは4ウェイ4ユニットのすべてを、それぞれ独立した専用アンプで駆動するというマルチアンプ方式として発展させたことも特筆に値する点だ。
 スピーカーシステムとしてこのアンプ内蔵方式は、理想の方式として従来から高級機には見られたものだが、ここまで徹底した製品は珍しい。W71×H140×D63cmという大型エンクロージュアは重量が150kgに及ぶ。下から30cm、27cm口径のコーンユニット、そしてドームユニットはスコーカーが88φ、トゥイーターが30φという4ユニット4ウェイ構成を採っていて、ボトムエンドの30cm口径ウーファーがYST駆動である。つまり、いわばこれがサブウーファーで、その上に3ウェイ構成がのると見るのが妥当かもしれない。サブウーファーは60Hz以下を受け持ち、ウーファーとスコーカー間は600Hz、スコーカー/トゥイーター間は4kHzのクロスオーバー周波数だ。この周波数に固定された専用のチャンネルディヴァイダーを持っている。ユニットの振動板材料は、このシステムの開発時にヤマハが理想とするものを使ったわけで、コーン材はケブラー繊維に金蒸着を施したもの。ドーム材はヤマハが従来から使い続けているペリリウムをさらに薄く軽くして結晶の均一化を果した。これも金蒸着によりダンプしている。豊かな潤いのある艶っぼい質感とワイドレンジのスケールの大きさは見事なものである。ペアで500万円という価格だが、当然少量生産だし、これだけの力作なら納得できるのではないだろうか。音楽産業メーカー〝ヤマハ〟らしい製品だ。

ヤマハ YST-SW1000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 ヤマハはいうまでもなくわが国最大の音楽産業メーカーであり、世界的にも一流のブランドとして通用する。このメーカーは楽器という人間の感性に直結する美を生命とする道具を作って1世紀を超える社歴をもっているのだから凄い。しかも、それを現代的な産業に発展させ人間という曖昧な対象にシステマティツクに対応する術を培ってきた。この体質はオーディオに最も適するものだと思う。それは電気機具を作って売るマスの体質をもった電機メーカーが今のようにオーディオの趣味の世界を台無しにしたことを思うからである。そのヤマハも大電機メーカーとの競争、泥仕合いにまみれたのだから情けない……のだが、このところさすがに無益な競争の馬鹿馬鹿しさに気がついた同社は、先述のペア500万円のスピーカーシステムで姿勢の転換を示した。そのオリジナリティとなっているテクノロジーがYST方式と呼ぶヤマハ・サーボ・テクノロジーだ。負性インピーダンス駆動でウーファーをドライブしてエアマスで効率よく低音を再生するシステムである。口径の小さいウーファーでも豊かな低音を再生できるシステムであるため、ヤマハはこれを小型システムに導入し、それなりの成果は上げた。しかし、本来は大口径ウーファーとYSTの組合せで再生したときの低域の高品位ぶりを広くPRすべきだった。YSTは、同口径ウーファーなら最高効率で低域特性をのばすことができる方式だからである。しかも、このYSTウーファーが質的にも連り、高品位な低域再現を可能にするのは60Hz以下程度で使ったときだ。つまり、サブウーファーシステムとしても理想に近い姿は中〜大型システムとの併用だと思う。本機は30cm口径のYSTシステムで、タンノイのウェストミンスターやRHRとの併用で50Hz以上で使うと素晴らしい効果を発揮する。もちろん小型との併用が悪いわけではなく130Hz以上ならよいのe が、真価は以上述べた通りだ。

アクースティックラボ Bolero Grande, Bolero Piccolo

井上卓也

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 スイスのアクースティックラボのスピーカーシステムは、昨年に輸入されたボレロがわが国における第一弾製品であったが、発売されるとともに、その精緻な仕上げと美しく機能的なデザインをはじめ、透明感のある美しく、音楽的に優れた音により、一躍注目を集めたことは記憶に新しい。今回、そのボレロのジュニアモデルとして開発された、小型2ウェイシステム、ボレロピッコロと、ボレロの高級モデルに当たり、従来からヨーロッパでは発売されていたスリムなトールボーイ型フロアーシステム、ボレログランデに改良を加えた新ボレログランデの2モデルが新たに輸入販売されることになった。
 ボレロピッコロは、開発の初期構想では、エンクロージュアの仕上げを簡略化した、ごくふつうの小型ブックシェルフ型システムであったが、輸入元のアブサートロンの要請により、エンクロージュア竹上げはボレロと同じくピアノブラックと、非常にユニークで、インテリアとしても大変に興味深いエラブルブルーの2種類の塗装仕上げ、そしてウォールナットとオークのツキ板仕上げの計4種類のヴァリエーションモデルが用意されることになった。これらすべてのモデルは、視覚的にも楽しいばかりでなく、音響的にも優れた音質をもつシステムとして完成されている。
 ユニット構成は、12・5cmウーファーと1・9cmポリアミドドーム型の2ウェイ方式であり、エンクロージュアは、ボレロ同様に、バスレフ型を採用しているが、ポート形状は、ボレロがエンクロージュア底板を使った横幅の広いスリット型であったが、本機では一般的な紙パイプを使うコンベンショナルな設計に変っている。
 低域ユニットは、ボレロと同じく、フランスのフォーカル社製で、特徴のあるコーン表面のドープ材の処理方法で、一見してフォーカル製と識別できるユニットである。ただし、ボレロではダブルボイスコイルを使い、小型システムながら豊かな低域再生を可能とする、インフィニティのワトキンスボイスコイルに相当する設計であったが、本機は一般的なボイスコイルを採用したタイプとなっている。
 高域ユニットは、デンマークのユニットメーカーとして定評の高いヴィーファ社製ポリアミドドーム型で、磁気回路のギャップは、磁性流体で満たされ、ダンピングと冷却を兼ねた欧州系ユニットで常用される設計である。なお、磁気回路は非防磁型であり、スピーカー端子は2端子型の標準タイプである。
 ボレログランデは、既発売のボレロに、サブウーファーを加えた設計のスリムなトールボーイ型のフロアー型システムである。エンクロージュアは、ボレロとは異なった円形開口部をもつバスレフ型であるが、内部構造は、中間に隔壁を設け2分割されており、ミッドバスユニットと思われる中域ユニットとサブウーファーは、それぞれに専用の独立したキャビティをもっている。
 エンクロージュア材料は、欧州系スピーカーシステムで常用のMDF(ミディアム・デンシティ・ファイバー)が採用されているが、この材料は、微粒子状に砕いた木粉を固めて作ったもので、剛性はチップボードに比べて高いが、振動率としては共振のQが高く、エンクロージュアに採用する場合には、この材料独自の使いこなしが必要と思われ、各社各様の手法を見ることができ大変に興味深いものである。なお、エンクロージュア仕上げは、ボレロ、ボレロピッコロと同様に、4種類が選択可能であるが、ちなみにヨーロッパ仕様にはより豊富なヴァリエーションモデルがある。
 使用ユニットは、ボレロと同じく、すべてフランスのフォーカル社製で、低域と中域は同じネオフレックスコーンと米デュポン社で開発され、耐熱性材料として定評の高いノーメックスをボイスコイルボビンとし、これに、2組のボイスコイルを巻いたボレロ用ユニットと同様なコーン型ユニットである。旧ボレログランデは低域ユニットと中域ユニットには異なった仕様のユニットが採用されていた。
 高域ユニットは、表面をコーティング材で処理をしたチタン製逆ドーム型で、このユニットもフォーカル社を代表する個性的な音質の優れたユニットである。
 グランデは、高級モデルであるだけに使用部品は厳選されており、ユニットもペア選別で管理され、ステレオペアとして左右が揃うようにコントロールされている。
 ボレロピッコロは、繊細で分解能が高く爽やかで反応の速い音だ。低音感も十分にあり、程よく可愛く吹き抜けるような伸びやかな音は質的にも高く、この音は聴いていて実に楽しい。
 グランデは、さすがに大人の音で、ゆったりと豊かに響き溶け合う、プレゼンスの良さが見事だ。聴き手を引き込むような一種ソフィスティケートされた音は実に魅力的といえる。

チャリオ Academy 1

菅野沖彦

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 チャリオはイタリアのスピーカーシステムである。ハイパーシリーズというシステムに代って登場した新製品がこのアカデミーシリーズで、第1号の本機をアカデミー1と呼ぶ。13cm口径のネオフレックスメンブレムと称する材料を使ったコーン型ウーファーは、フランスのフォーカル社製。そして、ソフトドームトゥイーターはデンマークのスキャンスピーク社製である。この2つのユニットを1、850Hz(−24dB)でクロスさせた2ウェイシステムで、インピーダンスは8?、能率は約82dBとなっている。
 まとまりは大変美しく、ソリッドな質感の締まった中低域に支えられた、ややエッジーで緻密な高域は解像力が高く清々しい。クロスオーバーが低いのでトゥイーターの受けもつ周波数帯域がかなり広いのが特徴で、これは指向性が広く豊かな音場感の再現に、そして空間感の広がりに寄与しているものだと思う。極端に演出をしないで小型ユニットのよさを活かしたシステムだと思う。
 ソリッドな剛性の高いエンクロージュアは見事な木工製品といえるものであるが、すでにわが国に3年前から輸入されている同じイタリアのスピーカーシステムであるソナースファベル/エレクタアマトールとミニマに似ている。これほど似ているのは偶然のはずはなく、どちらもイタリア製なので、両者の間にどういう関係があるのか興味が湧く。ラウンドエッジでユニットの放射波の回折効果を避ける音響コンセプトが共通だからといって、この造形の類似は不思議である。チャリオの旧製品ハイパーXもフィニッシュに共通の性格は感じられたが、木地に近い白いフィニッシュと全体によりプレインな箱型であったため、ソナースファベルの凸凹の付いた彫琢の深い造形とは自ら趣を異にするものだった。しかし、このアカデミー1は、造形的にもかなり近いものになっていて気になるのである。同じイタリアだから両者間の話合いはついているのだろうが、日本ではエレクタアマトールが3年先に売られているから、あれがオリジナルであると考えられるのが当然だ。しかし、このアカデミー1のバックプレイトには、アートディレクターにミケランジェロ・ダ・ラ・フォンタナという名前がエンジニアのマリオ・ムラーチェと共に明記されていて、この造形が個人の著作であることを表明している。非常に美しく、ユニークなデザインと工芸的作品であることがこの両者に共通した魅力になっているだけに、強い関心が生まれる。
 専用台での試聴はできなかったが、台による低音の変化がかなりはっきりでるので注意したい。やや壁面に近づけたほうが低域のバランスがとれて安定した音になる。先述の通り、豊かな音場感は本機の特質の一つであって、空間感を生かしたステレオフォニックなソースに真価が発揮される。

RCF MYTHO 3

井上卓也

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 イタリアのスピーカーシステムがこのところ注目を集めエポックメイキングな存在となっているが、今回、成川商会により輸入されることになったRCF社のコンシュマーモデルMYTHO(ミッソ)3は、業務用音響機器メーカーで開発されたシステムという意味で注目したい製品である。
 RCF SpA社は、イタリア中部ReggigoOEmiliaで1984年に設立された業務用音響機器メーカーで、本社は、6000㎡の敷地内に工場をもち、ホーン型を含む業務用スピーカー、PA/SRスピーカー、HiFiスピーカー、カーオーディオ、およびスクリーンとプロジェクターを生産する計5セクションの部門をもち、英、仏にもプラントをもつヨーロッパ最大規模のメーカーである、とのことだ。
 MYTHO3は、繊維の粗いカーボン織りの楕円型ウーファーとチタンドーム型トゥイーターを組み合せた、スリムなプロポーションの2ウェイフロアー型だ。
 エンクロージュアは、バッフル面の横幅を限界に抑え、奥行きを十分にとった独自の設計に特徴がある。楕円形のウーファー採用もこの目的のためであり、同社の主任技師G・ジャンカーロ氏の構想に基づいたヴァーチカル・オリエンテッド方式である。外観からはわからないが、エンクロージュア内部は、ウーファー下側でキャビティが2分割されており、この隔壁部分にウーファー同様の振動系をもつ楕円型ドロンコーンユニットが取り付けてあり、下側キャビティには、さらに2本のバスレフ用パイプダクトをもつユニークな構成が、このシステムの最大の特徴である。これはバンドパス・ノンシンメトリック方式と名付けられたエンクロージュアである。2つの共鳴系をもつため、チューンにもよるが、2個所にインピーダンス上のディップがあるため、アンプからのパワーを受けると低域の再生能力が通常より向上する。このようにドロンコーンとパイプダクトという異なった共鳴系のチューンをスタガーした意味が、この方式の名称の由来である。
 この種の構想は、ドロンコーンを一般的なアクティヴ型ユニットとしたものや、隔壁部分にさらにパイプダクトを付けたものなど各種のヴァリエーションが考えられている。この種のパテントも出ているが、要するにダクト部分からの不要輻射が少なく、バンドパス特性が実現でき、超低域をカットし、聴感上での豊かな低音感が得られる点がメリットと思われる。
 エンクロージュア材料は、最近よく使われるメダイト製で、脚部は金属製スパイクが付属し、高域には保護回路を備えている。
 MYTHO3は、間接音成分がタップリとした、濃やかで、柔らかく、しなやかな表情の音だ。低域は少し軟調傾向があるが、高レベルから低レベルにかけてのグラデーションは豊かで、そのしなやかな音はかなり魅力的といえる。

インフィニティ Renaissance 80

井上卓也

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 かねてからインフィニティのカッパシリーズの改良モデルの開発が行なわれているとの噂があったが、今回、インフィニティの23年にわたるスピーカー開発の技術とノウハウを活かしスピーカーのルネッサンスの意味をこめて、ルネッサンスシリーズの新名称が与えられた3ウェイシステム/ルネッサンス80と4ウェイシステム/ルネッサンス90の2モデルが発売された。
 試聴モデルは、ルネッサンス80であるが、このシステムは、独自の射出成型法によるIMGの20cm口径ウーファーをベースに、インフィニティならではのダイナミック平面振動板を採用したEMI型を中域と高域に採用したトールボーイフロアー型システムだ。
 新シリーズは従来のカッパシリーズに比べ、〝スピーカーの永遠の理想像である小型システムながら如何に伸びやかな低音再生ができるか〟を開発テーマとしているため、かなりスリムで、スペースファクターに優れたコンパクトなシステムにまとめられている。
 低域ユニットは、直径方向に射出成型の独自のシマ模様のあるわずかにカーヴ形状をしたコーンを採用しており、同社のモジュラスに低域で初採用されたメタル系材料による凹型のコンケーブキャップに特徴が見受けられる。
 中域と高域ユニットは、完全に設計が一新された新ユニットであり、この辺りも〝ルネッサンス〟の意味合いが込められた、新世代のEMI型として注目したい。中域ユニットは外観上からも従来ユニットとの違いが明瞭に識別でき、その進歩の様が見られる。
 磁気プレート面の長方形スリットは、コーナーが丸い長楕円形になり、プレート前面にあった成型品フランジが省かれ、プレートは直接エンクロージュアに取付け可能となった。こうした取付け方法の改善と振動板材料の向上により、テンションが均等化され、いわゆるシワが皆無となり精度が大幅にアップしていろ点は見逃せない。
 高域は基本構造は中域に準じるが、磁気プレート上のスリット配列は変った。これはおそらく従来型の水平に広く、垂直に狭い指向性を均等化する目的の改良であろう。
 ネットワークは、低域ユニットに同社独自の開発で低域再生能力を向上させるダブルボイスコイルによるワトキンス型を復活させた。これにより従来のLCチューンによるインピーダンスの落込みがなく、アンプにとっては駆動しやすくなったが、低域をコントロールしなくてはならないためLC素子は物量が必要だ。
 変形6角断面のエンクロージュアは、後部脚でバッフル面角度が変る3点接地型が新採用された。また、中域バックチャンバー開口部が背面に音響抵抗をかけて開口している点が新しい。
 本機はEMI型ユニットの改良により平面型独特のキャラクターは完全に抑えられ、非常に精度感の高い反応の速い音と見事なプレゼンスを楽しむことができる。

JMラボ Utopia

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 このところヨーロッパ系のスピーカーシステムで、フランスのフォーカル社のユニットを採用したモデルが数多く見受けられるようになっている。ゴールドムンドのスーパーダイアローグやアクースティックラボのボレロなどがその例である。フォーカル社は1980年にフランスのサンテチエンヌ市に、現在もオーナーであるジャック・マエール氏が2人のメンバーと創立した会社であり、現在は75名の人員を擁するフランス最大のユニットメーカーである。
 現在フォーカル社は、車載用や他社に供給するユニットを「フォーカル」のブランドで、また、1985年頃よりスタートしたスピーカーシステムを「JMラボ」のブランドとして生産をしているという。
 JMラボのスピーカーシステムは、現在15モデルがラインナップされており、フランス国内の市場専有率では、ボーズ、JMラボ、キャバスの順位でナンバー2の位置にある。今回輸入されたユートピアは、JMラボのトップレンジのモデルで、今年の初めにラスベガスのウィンターCES(コンシュマー・エレクトロニクス・ショウ)の会場で発表された最新作である。
 JMラボのシステムは、数年前に独特のダブルボイスコイルを採用したウーファーにトゥイーターを組み合せた小型システムがサンプルとして輸入されたことがあるが、正式に製品が発売されるのは今回が初めてのことである。
 ユートピアは、海外製品としては比較的に珍しい、いわゆるハイテク材料を振動板に全面的に採用したシステムである。
 低域と2個並列動作で使われている中低域ユニットは、振動板材料に、フォーカル社が世界的に特許をもつといわれている発泡樹脂の両面にケブラー(アラミッド)シートをサンドイッチ構造とした、3層構造のポリケブラー振動板を採用している。このポリケブラーコーンは軽く、剛性が高く、適度な内部損失をもつ理想的な振動板であり、実際にユートピアの低域ユニットに触れてみれば、実感としてこの特徴が理解できるだろう。
 基本的なシステムの構成は、高域ユニットの上下に2個の低域ユニットを振り分けた仮想同軸型のシステムに、サブウーファーを加えてフロアー型とした設計である。このモデルで重要なポイントは、サブウーファーユニットの特殊な発想であろう。磁気回路は、一般的なフェライト磁石を採用した外磁型であるが、その後側に独立したもう一つのボイスコイルを備えた磁気回路がリジッドに取り付けてある。この後部磁気回路に取り付けてあるボイスコイルは、前後2重ダンパーで支持されているが、振動板としてのコーンはなく、コーンと同様の質量のバランスウェイトをもっており、この振動系は、ボイスコイルの延長方向に丸孔が開けられたハウジング内に納まっている。この独特な機構は、一般のユニットではボイスコイルを駆動する反動がスピーカーフレームを通り、エンクロージュアを駆動することになるが、この反動を機械的に打ち消すために、アクティヴなボイスコルと等価的に等しい振動系をもつ後部磁気回路を使うという設計で、これはMVF(メカニカル・ヴァイブレーション・フリー)方式と名付けられている。
 これにより、フレームやエンクロージュアの不要共振は相殺され、混濁感のない純度の高い再生音が得られることになるというが、この部分でウーファー同様のエネルギーが消耗し能率は半減するので、かなり高能率なウーファーの採用がこの方式の大前提になるようだ。
 中域ユニットは準低域的動作で、特殊イコライザー付き。高域はチタン箔表面にダイアモンドコーティングを施した逆ドーム型。エンクロージュアは、非常に木組みが美しい家具的な精度、仕上げをもつ見事な出来であるが、遠くで見るとむしろ大人しく目立たない独特の雰囲気がある。
、ネットワークは裏板部分に高グレードの空芯コイルと大型ポリプロピレンコンデンサーを組み合せているが、カバー部分が透明であるため内部構造を見ることができる。
 本機の第一印象は、広帯域型のスッキリと伸びた帯域バランスと反応の速い軽快な音である。音の傾向は、原音再生というよりも、かなりハイファイな音ではあるが、このシステムで聴く再生音楽ならではの魅力的な音楽の実体感は、まさにオーディオの醍醐味である。反応の速い、軽くて明るい低音は、本機ならではの持ち味であり、とくに各種の楽器がいっせいに鳴るパートでも、まったく音崩れしない分解能の高い低音を保つあたりは、他のシステムでは望むことができない。このサウンドは、本機ならではのかけがえのない魅力である。

ポークオーディオ RTA15TL

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 米国では大変にポピュラーな存在であるポークオーディオのスピーカーシステムは、独自のStereo Dimentional Array方式と呼ばれるユニット配置と特殊な位相特性コントロールにより、優れたステレオイメージを得る技術の採用がよく知られている。今回新製品としてご紹介するRTA15TLは、前記SDA方式を採用していないコンベンショナルなスピーカーで、RTAシリーズのトップモデルに位置づけられるトールボーイ型のフロアーシステムである。
 現在RTAシリーズには既発売のRTA8t、同11tがあるが、それらが2本のウーファーを搭載しているのに対し、本機ではウーファーが4本に強化されるとともに、同社の大型システムに常用されているパッシヴラジエーターをエンクロージュア前後に1本ずつ搭載している点が新しい。
 横幅対高さが約1対3とバランスの良いプロポーションをもつエンクロージュアは、トッププレートがブラック鏡面仕上げで美しく、側面はオーク調に仕上げられている。とかく安手な印象になりがちな海外製品の中級スピーカーの中にあっては、その巧みなデザインとフィニッシュは見逃せない魅力といえそうだ。
 低域は同社の標準ユニットである16・5cm口径の6500シリーズのユニットを高域を挟む格好で上下に振り分けて配置した垂直方向の仮想同軸型である。高域は2・5cm口径のシルバーコイルドーム型と呼ばれるSL3000で、上側にディフューザーを取り付けたタイプだ。注目のパッシヴラジエーターはともに30cm口径で、共振周波数は上下に分けたスタガー的な使用に特徴がある。
 本機は柔らかく豊かな低域と、やや硬質な輝きのある高域がほどよくバランスした安定感のある音が印象的である。柔らかい低域は反応の速い小口径ウーファーと重量級パッシヴラジエーターの組合せによるもので、駆動源であるウーファーとそれを受けるパッシヴラジエーターの相互関係は、さすがに長い経験を誇るボークオーディオ社だけのことはある、まったく違和感の感じられない巧みなコントロールぶりである。このパッシヴラジエーターをはじめとして、各ユニット構成、そしてエンクロージュアの作りといった総合的なバランスのよさは、結果として音に過不足なく調和しており、このあたりはさすがに見事である。
 試聴機は高域がまだエージング不足であり、若干ダイアフラムの固有音が気になることもあったが、これはしばらく使い込めばクリアーできるレベルだ。かなり大型のトールボーイ型ではあるが、大音量時よりも小音量時の再生に重点を置いたチューニングがなされているようで、小音量時も決してバランスが崩れず、高域も素直に感じられる。本機は、ややライヴな部屋で使用すれば、かなり価格対満足度の高い結果の得られるスピーカーである。

アンサンブル PA1, Reference

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 このところ、イタリアやスイスの小型スピーカーシステムが輸入され、それぞれの個性的なサウンドとデザイン、仕上げにより注目を集めているのは大変に喜ばしいところである。そして今回、初めて輸入されたアンサンブルという小型スピーカーも、個性的なシステムの多い海外製品の中にあって、なお強烈な個性を備えた非常に興味深いシステムである。
 このアンサンブルというのはディストリビュートを行なっているスイスの販売会社の名前で、実際にスピーカーを製造しているのはパウエルアコースティック社というこれまたスイスのメーカーである。このメーカーの詳細については今のところ不明だが、会社はハリーとマーカスのパウエル兄弟によって1981年に創立されたようだ。
 試聴したシステムは、同サイズのエンクロージュアを採用したPA1とリファレンスという、ともに2ウェイ構成の2モデルであるが、まずはじめに相互の価格差がかなり大きいことに驚かされる。
 PA1は、スイス・チェリーウッドとサテンブラック仕上げの2種類が用意されている。エンクロージュアは、フロントパネルが傾斜したタイムアラインメント型と呼ばれる方式で、高・低2個のユニットの発音源の位置を合せる目的の設計である。型式としては密閉型に見えるが、裏板部分のほとんどが、英国KEF社製と思われるパッシヴラジエーターで占められており、背面にパッシヴラジエーターを使用したバスレフ型ということができるだろう。
 このタイプは、エンクロージュア背面に向かって低域がかなり放射され、しかもパッシヴラジエーターの振動板の固有音も加わっているため、背面にバスレフ用ポートをもつバスレフ型以上にセッティング場所の背後の条件を考慮に入れなければならない。つまり壁面に近い場合と、部屋の中央あたりにセッティングした場合の、総合的な音質、音色がかなり変化することを頭に入れておかなければならないのだ。
 低域ユニットは、ベース材料は不明だが、表面にアルミ箔を貼り合せたストレートコーンを採用している。また、高域ユニットは口径1・9cmのドーム型と小口径ダイアフラムの採用に特徴があり、ダイアフラムの前には、ホーンロードがかけてあるため、受け持ち帯域の下側はホーン型の動作をする。クロスオーバーポイントは、小口径2ウェイシステムとしては通常より低い2・5kHzと発表されているが、フィルター特性が6dB/octとスロープがゆるやかなこともあり、組み合せるアンプの出力は、最大100Wとスペックに明示してある。
 いっぽうリファレンスは、型名が示すようにスピーカーの理想像を追求して開発された製品である。本機のエンクロージュアもPA1と同様、サンドイッチ構造の材料を使用しているが、より密度の高い特殊材料を採用しており、仕上げはサテンブラックとピアノブラックの2種類が選択できる。使用ユニットは、外見上では低域ユニットがいわゆるコーン中央部のキャップのない、完全に円錐形のストレートコーン型の一体構造になっているのが目立つ点だ。このタイプは、ボイスコイル、支持系のダンパー、磁気回路との組合せなどかなり手間がかかるが、振動板の単純化や一体性をはじめ、高域での指向性のコントロールなどが優れており、このメリットを活かす方向での採用と考えられる。なお、磁気回路は高域、低域ともに防磁型構造と発表されているが、キャンセルマグネットを使う簡易防磁型と思われる。
 このモデルでPA1にない特徴は、裏板部分に業務用マルチ端子があり、専用の極太特殊構造のスピーカーケーブル(長さ2m)が付属していることである。なお、ネットワークは定数的にはPA1と同じだが、素子のグレードは変っているうだ。
 PA1は、素直な2ウェイらしいクリアーな音と量感のある個性的な低音が、サイズを超えたスケール感でゆったりと鳴る。そして、リファレンスは、全体に非常に一体感のある全体域型的なバランスと、丹念に磨き込まれた光沢を有した独特の密度感のある音が特徴だ。この音は、PA1に格差をつけた見事さである。
 セッティングは壁からの距離を十分にとり、リスニングポイントにかなり近い位置にして聴くと、見通しのよい、プレゼンスの優れた音が聴ける。この両スピーカーシステムは、かなり趣味的な世界を味わわせてくれるので、オーディオファイルのサブシステムとして、また、この独特の世界に魅力を感じる人にとってはかけがえのないものとなるだろう。

ATC SCM50, SCM100

井上卓也

ステレオサウンド 99号(1991年6月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 英国、ラウドスピーカー・テクノロジ一社のスピーカーシステムは、74年に創立された同社の当時の社名であるアコースティック・トランスデューサー・カンパニーの頭文字ATCをブランド名として、昨年からわが国にも輸入され始めた製品である。このATCの製品は、従来の英国スピーカーの枠を超えた、新しいスピーカーの流れとして注目されている。
 昨年輸入されたモデルは、アンプ内蔵型の3ウェイシステムSCM100Aと、2ウェイシステムのパッシヴ型SCM20の2機種であるが、これに加えてLCネットワーク採用のSCM100と、3チャンネルアンプ内蔵型SCM50A、そしてLCネットワーク採用のSCM50が輸入されることになった。なおSCM50Aは前号の本誌で紹介済みなので、今回試聴をしたモデルは、ともにコンベンショナルなLCネットワークを採用したSCM100とSCM50である。
 同社のモデルナンバーの数字は、エンクロージュアの内容積を示しており、50は、50ℓの意味だ。SCM100は、3チャンネルアンプ内蔵のSCM100Aを一般的なLCネットワーク採用としたもので、単純明快に、リアパネルにあるアンプ収納部にパッシヴ型ネットワークを組み込んだタイプである。バスレフ型のエンクロージュアは、現在の製品としては珍しく、バッフルが取り外せる設計で、使用材料は、ロスの多い柔らかい木材で、制動をかけた使い方である。使用ユニットは、当然SCM100と変らず、低域がSB75-314コーン型、中域がSM75-150ソフトドーム型、高域がSH25-100ポリエ
スチルドーム型である。低域と中域の型名で、SB、SMに続く数字はボイスコイル口径であり、続く3桁数字は、いわゆる口径を表わすが、中域はホーン開口径である。
 ネットワークは、かなりグレードの高い素子を使った設計で、大型の空芯コイルと、これも大型のチューブラータイプのポリプロピレンコンデンサーの組合せである。これは3チャンネルのディバイダー組み込みのアンプを使うSCM100Aと同等のサウンドクォリティを保つための採用と思われるが、このネットワーク素子を重視する傾向は、タンノイの新スタジオシリーズにも近似したグレードのLC素子が採用されており、ヨーロッパ系スピーカーの新しい特徴として注目したいものである。
 SCM50系は、SCM100系の特徴をより小型化したシステムで実現させた小型高密度設計に最大の特徴がある。ユニット構成の基本は、上級機SCM100系を受け継いだ3ウェイ構成で、高域と中域のユニットは同じであるが、低域ユニットは口径31cmのSB75-314から1サイズ小さい口径24cmのSB75-241に変更され、バスレフ型エンクロージュアの内容積を50ℓと半減させたために、外観から受ける印象はかなり凝縮した密度感の高いものとなり、オーディオ的に十分に魅力あるモデルだ。
 最初の内は全体に軟調でコントラストの不足した反応の鈍い音であるが、約30分間ほど経過をすると、次第に目覚めたように音が立ちはじめ、それなりの反応を示しはじめる。基本的にはやや重く、力強い低域をベースとして、安定感のある中域に特徴がある重厚な音である。バランス的には、一体感がある低域と中域に比べると、高域に少し飽和感を感じるのは、SCM100Aと共通だが、聴感上でのSN比が高いのが、このモデルの最大の魅力のポイントである。かなり、ウォームアップが進むと、いかにも現代のモニターシステム的な情報量の多い音場感的な見通しの良さが聴かれるようになるが、音の表情は全体に抑制が効き、音離れが悪い面が若干あるため、ドライブアンプには駆動力が十分にあり反応の速いタイプが望まれる。最近のスピーカーシステムとしては、異例に密度感が高く、重厚で力強い音が聴けるこのシステムの魅力は非常に大きい。
 SCM50は、25cm口径の低域の特徴を出した、個性的なバランスの昔である。低音感は十分にあるが、中低域の量感がやや抑え気味で、音場感的なプレゼンスはミニマムの水準である。この傾向は特に小音量時に目立ち、音量を上げると本領が発揮されるタイプだ。
 弦楽器はしなやかで、パーカッシヴな音もナチュラルに再現し、ピアノの実体感も良く引き出す。安定しているSCM100に比べると、本機の場合はどうにかして思い通りに鳴らしてみたい、といった意欲にかられる挑戦し甲斐のあるモデルだ。

アポジー Centaurus

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アポジーは、スピーカーシステムの低域から高域まで、アルミリボンという一つの素材を用いることによっていわゆるフルレンジリボンという言葉を定着させた。
 もちろん、これはたとえばコーン型ユニットでいうところのフルレンジ(一個のユニットで全帯域を受けもち、ネットワーク素子を必要としないもの)とは異なる。僕自身も使用しているカリパーシグネチュアーもフルレンジリボン型だけれど、2ウェイ構成であり、ネットワークをもっている。
 つまり、アポジーのいうフルレンジというのは、低域にもリボンを使ってるという、その画期的な事実を強調するための、いわば意味の異なるフルレンジなのだ。しかも、その低域は箱型のエンクロージュアをもたないため、設計が悪いと出がちな『箱』独特のクセから解放されたよさが聴ける。そういう事実があったからこそ、新しい時代のスピーカーと言われることになったと僕は思う。
 たとえば、リボンによるラインソース(細長い音源)は、高域の繊細感と浸透力を両立させて、平面振動板による低域はふわりとひろがる奥行き感を巧みに演出していた。おそらく、こういう絶妙なバランスは、他ではめったに聴くことができないアポジー独自の個性だと言いきることもできるはずだ。
 そのアポジーから、なんとコンベンショナルの箱型のエンクロージュアと、ダイナミック型ユニット組み合わせたハイブリッドシステム、ケンタゥルスが登場したのだ。僕は度肝を抜かれた。本当に、そう言ってもけして大袈裟じゃないほどびっくりしたのだ。
 ここではアポジー・ステージ1で採用された約60cmの長さを持つリボン型ユニットに、ポリプロピレンのダイアフラムを持つ20cmウーファーが組み合わされている。アポジーは、どちらかといえば静的な描写によるコントラストを基調とした端正な表現を得意とするスピーカーであり、低域にコーン型特有の表現法を取り込んだ場合のバランスの崩れに対する懸念がまっ先にたったのが正直なところ。
 しかし、一聴すると使いこなしが難しそうだという第一印象をいだくものの、一般家庭での平均的な音圧レベルでは、とてもバランスがいいと感じる。さりげなくピンポイントで定位する音像や、音程の変化で楽器の位置や大きさが変化しない良さはなかなかのものだ。
 ハイブリッド化の恩恵で、インピーダンスは4Ω、したがってプリメインアンプでもドライブ可能だ。すっきりとしたデザインに合わせて、たとえばオーラデザインのVA40あたりで鮮度の高い、繊細に澄んだ響きを楽しんでみるのもいいだろう。ただし、ボリュウムを上げ過ぎると、バッフル/エンクロージュアの音が出始めるので要注意だ。

ダリ・ダカーポ Planer One

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 デンマークのオーディオノート・ダンマーク社は1975年に設立され、現在では北欧諸国中、最大のスピーカーメーカーである。
 ダリ・ダカーポは同社のハイエンド・ブランドである。今回発表されたプレーナーワンは、アポジー/ケンタゥルス同様、細長いリボントゥイーターとコンベンショナルなダイナミック型コーンウーファーを組み合わせたハイブリッド構成をとっている。
 トゥイーターユニットは長さ102cm、幅25mmのアルミリボン、ウーハーは20cm口径のカーボン入りポリプロピレンダイアフラムをもつ。2つのユニットはクロスオーバー周波数450Hz、12 dB/octで橋渡しされている。
 システムとしては、これもアポジー・ケンタゥルス同様、4Ωのインピーダンスで、まあ普通のアンプでドライブ可能な範囲に収まっているといえる。ただし、聴感上の能率はケンタゥルスよりは低く、一聴すると穏やかな印象である。
 音場はやわらかくゆったりと広がり、相対的に音像はきりっとコンパクトに引き締まっている。
 異なる2つのユニットのつながりは比較的素直であり、いかにも異なるユニット同士を組み合わせたハイブリッドという印象は少ない。
 目がさめるような透明感や、輪郭のくっきりした立体感はない代りに、おだやかでやわらかな響きには春のさわやかな風のようなニュアンスがある。
 音量を上げていくとそれなりにパワーにも反応し、ハイブリッド型にありがちな音像の崩れも比較的少ない印象で、低域が鈍くこもるような感じもない。様々な楽器の相対的な位置関係の音程の変化による音像の移動は極小の部類に入る。神経質な感じを表に出さず、それでいてけっこう克明な表現もしてくれるところはなかなかのもの。シンプルでお洒落なデザイン、仕上げの良さを活かして、あまり大袈裟にならない組合せを作りたい。
 とくに音楽のジャンルを選ぶことはないけれど、当然のことながら、叩きつけるような迫力をこのスピーカーには望めない。
 これはプレーナー型に共通していることだけれど、音像のでき方や音場の感触というものが、ルームアコースティックの状態によってかなり影響を受ける。したがって、壁の左右の条件が違う部屋では曖昧になったり、音場の広がり方がいびつになって、なんとなく聴いていて落ち着かないといった心理的な悪影響をきたすことがある。思いどおりの音を再現することができなくても、スピーカーやアンプを疑う前にセッティングの工夫をして、定位感のコントロールをして欲しい。条件によっては、単純にシンメトリカルに壁からの距離を等しくセットしただけでは、いい結果は得にくいだろう。

リン Helix II

早瀬文雄

ステレオサウンド 97号(1990年12月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 リンといえば、そもそもアナログプレイヤー『ソンデックLP12』で有名になったメーカーだ。現社長のアイバー・ ティーフェンブルンによって1972年から活動を開始した同社は’70年代の中頃より、早くもスピーカーの製造を開始している。同社のスピーカーシステムは、それまで他メーカーが無視していたとしか思えない、現実的な使用状況を考慮した設計がされているのが特徴といえる。
 つまり、一般家庭内ではほとんどの場合、スピーカー背後の壁面にエンクロージュアが近接した状態で使用されるという事実だ。ちなみに、国産スピーカーシステムはあいも変らず、無響室の特性を重視して設計され、エンクロージュアの背後に壁がないフリースタンディングの状態で音決めされている。
 同社の高級システム、アイソバリックDMSなど、壁にぴったりと付けた状態でもすっきりとひろがる音場を壁の向こう側まで広げてくれる様は、実在錯覚としての音像、音場のシミュレーターとしてのスピーカーのあり方を再考させられる。
 今回発表されたヘリックスIIは、壁からの距離に関しては特に指定はない。いろいろ試してみたがステレオサウンドの試聴室では、スピーカー標準位置よりやや後ろに下げて聴いた方がバランスがとれるようだ。
 3kHzのクロスオーバーポイントを持つ19㎜のポリアミド・ドームトゥイーターと20cmカーボン混入ポリプロピレン・ウーファーで構成される2ウェイシステムである。単に物理的な情報量という観点からだけでものをいえば、国産スピーカーにはかなわないだろう。しかし、ヘリックスIIで聴けた音には、いい意味で、ちょっと醒めた、クールで個性的な響きがあり、これは見た目の直線的なデザインから受ける印象にも重なるものであり、組合せを考えるときにも全体の雰囲気を統一しやすいと思う。
 ポップスやフュージョン系の録音のいいディスクを楽しく聴かせてくれ、低音楽器もふやけたりリズムを重くひきずったりしない良さがある。
 ディテールをひたすら細かくひろっていくようなタイプではないけれど、全体の音のバランスや演奏者の意図を拾い落とすことがないところはさすがだ。
 編成の大きなオーケストラや、古い録音の名演名盤を中程度の音量で再生したときに、その演奏に内在する音楽のエネルギー、あるいは演奏者の勢いというべきものが、引き締まった音場の中に巧みに再現される。
 軽い感じの、澄んだ音のアンプが似合いそうで、温度感の高い、暖色系の響きを持ったアンプやCDプレーヤーとは相性が悪いかもしれない。あまり音量を上げすぎると、フロントバッフルのプラスティックの共振からくる付帯音がやや気になることがあった。しかし、これも一般的な聴取レベルでは問題ないはずだ。

JBL4344をCello Encore PowerampでBi Amp Driveする

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 マーク・レビンソン氏自身が主宰するチェロ・ブランドもこのところ意欲的な製品の開発、改良に取り組み、その製品も安定度を高めているようだ。
 僕自身、かつてシルバーパネルのML6というプリアンプに接し、彼の作る音の世界にノックアウトされた経験をもっている。その後ML6BLになり、つい最近までその世界に浸りきっていた。やがて、僕の嗜好も変化していくのだが、正確にいえばMLAS(マーク・レビンソン・オーディオ・システムズ)を離れたマーク・レビンソン自身が追及している音は、第三者による改良の手が入って、よりニュートラルな完成度を高めた6BLの響きにはなく、当然のことながら、自分のブランドであるチェロのアンコール1MΩやオーディオ・ スウィートということになる。特に、アンコール1MΩはいかにもプリアンプらしいデザインをもち、機能美だけを前面に押し出しているわけではなく、精度感と瀟洒な佇まいを融合した仕上がりをみせる。
 アンコール・パワーアンプはコンパクトに仕上げられ、大袈裟でない知的な感じがする製品である。たとえバイアンプで二台設置したとしても、場所をとらないスペースファクターの良さがあるといえよう。
 純正組合せ、パワーアンプ単体での響きはJBL4344自体がもつ、ある種の緊張度というものを微かに緩め、耳当たりを和らげてくれる良さがある。
 先鋭な先端思考が影をひそめたおだやかさが前面に出ているのは、マーク・レビンソン自身の人間的な変化や円熟というものが影響しているのかもしれない。製作者の個人の思い入れにささえられた、いわば芸術品的な製品は、多くの技術者が集団で完成させるニュートラルな製品に比べ、はっきりとした個人の考える音の世界というものが厳然と存在する。いや、意識してなくてもそうなってしまうに違いないのだ。それに共感できれば、この製品以外にはないという、使い手と機器がかたく結ばれる結果にもなる。
4344から情緒的な表現力を引き出し、僕の一番敏感な部分をくすぐるような響きにしてくれた。
 物理的な情報量、セパレーションがどうの歪み率がどうのといった議論を忘れさせてくれるような解像力や音場の透明感があるのはいうまでもない。このアンプの特質は4344に色彩感の豊かさを付与し、そのグラデーションをいっそう緻密に細分化した。そのせいで、楽器の音色感の変化の複雑さに見事に対応している。
 ディテールの繊細感はトップクラス。輪郭線の細さは消える一歩手前といった感じだが、音像はぼけない。これみよがしなエネルギー感、演出としての叩きつけるような音の出方というものはまるっきりない。
 バイアンプ化することで、現象面では確かにエネルギー感は増加した。しかし、ここでは4344のエネルギー感を増加させたこと自体が積極的に『改善項目』のトップにはなっていない。
 むしろ、チェロ・ブランドの、ひいては、マーク・レビンソン個人の思想がより鮮明になった。あるいは、アンコール1MΩの個性がストレートに増幅され、4344から神経質な気配がなくなった。あるいは4344が非常に上品でつつましい色気のようなものを獲得した、そんな印象なのだ。
 つまり、ここで強調したいのは、やはり物理量の改善より、情緒的な響きの純度が上がってより人の心に浸透していく力を増した点である。
 なんだか、試聴とかテストとか、そういうことをしているのだということを、うっかり忘れてしまいそうだ。しかし、仕事なのだからあえていえば、バイアンプ化で響きのスピード感、音場の透明感、色彩感のグラデーションや明暗のコントラスト、そういった項目すべてにいっそうのデリカシーがつく。おだやかで淡い光沢感のある艶、そんなものにもいっそうの情緒感が乗り、『あやうさ』といったニュアンスがある種の形而上的な雰囲気は伴ってうっすら漂い始めるのだ。ピノックによるヘンデルの演奏では、そうした個性が音楽の深度そのものをより深くする。演奏されたその場の雰囲気や空間のニュアンスがとても自然で、響きが実によく溶け合う。古楽器の響きがぎらつかず、かといって丸くやわらかくなりすぎもしない。音楽の旋律から喚起される聴き手の内的な変化を妨げたり、あの方向へ引っぱったりしない。
 個人的には、もう少し頽廃的な、いわば意識のかげりの部分にしっとりと染み込んでいくような気配とか、音のなりやんだ時の静寂の深度がさらに深まれば最高だ。自分の装置の中の一部として聴いた時に、ある日なんの前ぶれもなく、そういう響きが聴ける、たぶんそういうものなのだ。
 エンヤでは彼女の声がもっている妖しい透明感がなんだかたっぷりと、女であることのいろいろな思いが浸透しているように聴けるものの、やや少女的な感じがしなくもない、そんな風に対立的な要素が同時にひっそりと溶けこんでいるのだ。
 バイアンプのメリットとして、ディテールの繊細さは確かにここでもはっきりと聴き取れる。でも不思議なもので、たとえばディテールの細密描写的なところは十分にありながら、そのことに聴き手の意識を必要以上に集中させない表現になっている点だ。これは特に強調しておいていいことだろう。アンプの中には、4344を引き締め、とにかく、聴き手の意識をディテールへと集中力を高めることを促すような、そんな鳴り方をするものがある。たしかにそれもスリリングで、緊張感自体が快感になってくるようなことだってなくはない。4344自体、そういう鳴り方がとても得意なのだ。
 チェロの組合せでは、逆にいえば、そういう緊迫した響きのスリルというものは望みにくい。だから、そのことを不満に思う人がいてもおかしくない。問題は聴き手が今、何を求めているのか、結局は人の問題なのだ。移り変わる自己と装置をシンクロさせるのは至難だけれど、逆に静止したある瞬間の自分をそこに封印するということもできる。どちらを採るのか、それはその人次第というところなんだろう。

アカペラ 5th Avenue

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 アカペラ・ミュージック・アーツ社は、1976年西独でデビューして以来、ヨーロッパのハイエンドオーディオ・シーンで、着実にその地盤を固めつつあるメーカーだ。ドイツ製のスピーカーといえば、なんといってもシーメンス・オイロダインを筆頭にがっしりとした立体感を持った堅牢、重厚な響きが思い出される。しかしアカペラの製品は、先に紹介されたフィデリオ同様、現代的な透明感やワイドレンジ感を備えた、これまでのドイツ製品にはない繊細感を備えている点が興味深い。
 実物を見ると、まずその大きさに驚かされる。(W41×H130×D50cm)。高さ130cmというと、目の前に置くと結構圧迫感があるものだ。まあ、そういう感じがしないほど、広い部屋で鳴らすべきものなのかもしれない。
 しかし、音には圧迫感なんて全然なく、すっきりとした、どちらかといえば硬質な響きで、まじめで潔癖な印象を抱かせるものだった。
 音像は引き締って存在感がしっかりしており、蜃気楼的に漂う音の対極に位置する。しかし、トールボーイ型のメリットなのか音場の見通しはクールな爽快感を伴うほどで、特に天井がすっと抜けたような、縦方向の広がり感の演出には、ちょっとしたやり手ぶりを覗かせる。
 低域ユニットは正面から見える17cm口径のウーファーの他に、30cm口径のサブウーファーがエンクロージュアの天板に上を向けて取りつけてあり、エンクロージュア内の音響迷路(折り曲げホーンのようなものだが、ホーンのように開口面積が徐々に大きくはならない)を持つラビリンス方式を採用している。ベントは正面からは見えないが、エンクロージャーの下部に開口している。
 このサブウーファーによって、オーケストラのうねるような低音や電子楽器の持続音などを重みのあるどっしりとした響きでうまく聴かせる。しかし、ウッドベースのキレはやや甘く、時に箱の響きが気になることもあった。
 ただ、響きそのものが綺麗なので、けして耳ざわりではない。それは、ヨーロピアン・チェリーの上品な木目仕上げからも類推されよう。ユニットはトゥイーター、スコーカーともソフトトームではあるが、ピアノのアタックには実体感がきちんと出ていた。
 弦の響きも辛口でいかにも玄人好み、通好みの音だといえる。あいまいさはないが、かといってアラを拡大するようなモニター的なところはなく、この辺りが家庭用として十分に練られた成果なのかもしれない。
 なお、仕上げはヨーロピアン・チェリー、ローズと、ピアノフィニッシュブラックの3種類が用意されている。

アカペラ Triolon MKII

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「アカペラ・オーディオ・アーツ 超弩級オールホーンスピーカーを聴く」より

 最近日本でも販売されるようになった、アカペラ・オーディオ・アーツのスピーカーは、僕がこれまでドイツのオーディオ製品に抱いていたイメージとはガラッと違う、とてもマイルドな音を聴かせてくれる、印象深いスピーカーであった。
 アカペラ・オーディオ・アーツの正式な社名は、AUDIO FORUM H・WINTERS KG。同社は1976年に、元、西ドイツのシーメンス社の技術者であったヘルマン・ヴィンテルスとアルフレッド・ルドルフの二人によって設立されたオーディオメーカーだ。
 そのアカペラに、オールホーン型の超弩級スピーカーシステムがあることは、以前から海外のオーディオ雑誌によって知ってはいた。どんな音がするんだろうと、あれこれ想像していたところ、なんと日本でも聴けるようになったとの電話を編集部よりもらい、早速、輸入元である中央電機のリスニングルームに出掛けていったわけだ。
 この巨大なオールホーンシステム、トリオロンMKIIは、1986年に発表されたトリオロンの改良モデルである。
 30畳はあろうかという、中央電機のリスニングルームに、ドーンといった感じで収まったトリオロンMKIIの姿は、今でも日本に根強いファンがいる、古くからのオールホーンシステムをちょっと思い出させるようなところもあるのだが、それよりもまず、中央にある壁面の突出が目をひいた。これは、実は、スーパーウーファーなのだ。この巨大なエンクロージュアには、42cm口径のユニットが二本内蔵され、150Hz以下の音域を受け持っており、さらに壁面をホーンの一部として利用しているのだ。トリオロンMKIIの価格には、この壁に設置すべきホーンの設計料、およびシステムの調整料も含まれている。中低域は30cm口径のポリマーコーンとエクスポーネンシャルホーンを組み合わせ、150Hzから600Hzをカバー、中域は54mm口径のソフトドーム型ユニットをドライバーとして用い、600Hzから4・8kHzをうけもたせている。さて、残るは高域ユニットだが、このユニット、どこかで見たことあるな、と思われた読者も多いとおもう。それもそのはず、これは以前から輸入販売され、評価の非常に高かったATRのイオントゥイーターそのものなのだ。1986年にATR社は、ブランド名をATRからアカペラに変更していたのだ。初めて実用的な製品として送り出された、振動板を全く持たないイオンスピーカーが、トリオロンMKIIに搭載されている。
 で、肝心の音であるが、設置して間もないということで調整不足の感もあったのだが、通常のホーンの音からは想像もつかない、エネルギー感を抑制した、耳を圧迫せず、部屋全体が震えるような不思議な音響空間が提示された。相当に特殊な世界ともいえるけれども、このすさまじい存在感は貴重なものだ。

アポジー Diva + DAX

黒田恭一

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「ヴァノーニとの陶酔のひとときのためならぼくはなんだってできる」より

「俺さあ……」
 Fのはなしは、いつも、このひとことからはじまる。
 しかし、問題なのは、その後につづくことばである。いつだって、その後につづくFのことばは、こっちの意表をつく。
「俺さあ……」
 しばらく間があった。
「今夜のミミ、よかったと思うんだよ」
 Fとぼくは、そのとき、ウィーンの国立歌劇場で「ボエーム」をきいた後であった。もともと、その夜のミミには、チェチーリア・ガスディアが予定されていた。しかし、ガスディアが急病ということで、ポーランド出身のソプラノ、ヨアンナ・ボロウスカがミミをうたった。
「そんなによかったかな、あのミミ?」
「うん。よかった。よかったと思う」
 そういいながら、Fは、しきりにうなずいていた。どうやら、Fは、ヨアンナ・ボロウスカの声や歌についてではなく、彼女の容姿についていっているようであった。そんなことがあって後、ぼくは、二日ほどウィーンを離れた。ウィーンに戻ったとき、Fは、こういった。
「俺さあ……、ヨアンナと食事したんだけれど……」
 Fは、ヨアンナを楽屋に訪ね、深紅のバラの花束をとどけた。大いに感激したヨアンナは、Fの招待に応じ、食事をともにした、ということのようであった。ところが、ヘビー・スモーカーであり、おまけにヘビー・ドリンカーでもあるFは、オペラ歌手であるヨアンナを前にして、タバコをすいつづけ、ワインをのみつづけたために、ヨアンナのひんしゅくをかった、ということを、別の筋からきいた。相手がオペラ歌手であるにもかかわらず、煙草をすいつづけるところがFのFならではのところであった。
 Fの「俺さあ……」の後には、どのようなことばがつづくか、予断をゆるさない。Fが「俺さあ……」といったときには、心して耳をすます必要がある。Fは、これはと思えば、ウィーン国立歌劇場の歌い手に花束をとどけ、食事に誘うぐらいのことは、すぐにもやってのけるのである。
 Fは、写真家で、普段は、ウィーンの、もともとは修道院として十六世紀に建てられたという、おそらく由緒があると思える建物に住んでいて、ときどき日本にもどってくる。Fが日本にもどってきたときには、ぼくの部屋で、Fとぼくとの共通の恋人であるオルネラ・ヴァノーニのCDなどをききながら、あれこれ、どうということもないことをはなしながらすごす。
 そのときである。また、「俺さあ……」であった。
「めったに東京にもどってこないしさあ、今の部屋はでかすぎるから、小さな部屋にかわろうと思うんだよ」
 そこまではよかった。そうか、そうか、それもいいだろう、といった感じできいていた。ウィーンで住んでいるところも大きいから、きっと東京のFの住処も馬鹿でかいのであろう、と想像しながら、なま返事をしていた。
「このアポジーさあ、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」
 Fのはなしには、いつでも、飛躍が或る。つまり、エフとしては、このようにいいたかったのである。小さな部屋にかわるにあたっては、チェロのパフォーマンスなどという非常識に大きいパワーアンプが邪魔であるから、お前がつかってみては、どうか。Fがチェロのパフォーマンスをつかっているのは、前にきいたことがあって、しっていた。
 冗談じゃない。あんな、ごろっとしたものを一セットおいておくだけでも、めざわりでしかたがないのに、もう一セットおくなどとんでもない、と思い、適当にうけながしておいた(ご参考までに書いておけば、チェロのパフォーマンスは、幅と奥行がそれぞれ47cm、高さが22cmの本体と電源部が、それぞれ二面ずつで一セットである)。そのとき、ヘビー・ドリンカーのFは、かなり酔ってもいたので、いい案配に、自分がいったことも忘れているであろうと、たかをくくっていた。
 数日して、電話があった。
「おぼえているかな?」
「なにを?」
「アンプのことなんだけれど……」
 そういわれれば、おぼえていない、とはいえなかった。
 そのようにして、ぼくは、自分が愚かなことをしているのを自覚しながら、乱気流のなかにつっこんでいた。
「マルチ」は、オーディオにとびきり熱心なひとがするべきものであって、ぼくのような中途半端なオーディオ・ファンが手をだせば火傷をするのがおちである、と自分にいいきかせていた。したがって、ぼくとしては、これまで、「マルチ」をやっている友だちのはなしをきかされても、ごく冷静にうけとめてきた。
 しかし、今や、「マルチ」を対岸の出来事と思っていることはできなかった。Fのところからチェロのパフォーマンスがもう一セットはこびこまれてくる、という現実を前に、ぼくはすくなからずうろたえ、とるものもとりあえずM1に電話した。このときのM1の電話の対応を、できることなら、おきかせしたいところである。あのとき、M1は、サディスティックな快感に酔っていたにちがいなかったが、けんもほろろに、こういってのけたのである。
「ただアンプを2台(4台か)にしても、さしてよくはなりませんよ。電源のこともあるから、かえって悪くなるかもしれないし……、いずれにしろチェロのパフォーマンスをもう一セットつかえるかどうかアンペア数をチェックしたほうがいいですね」、そういっておいて、憎きM1は、いかにも嬉しそうにクックックと笑った。
「どうすればいい?」
 こっちは、ほとんど、ザラストロの前にひきだされたパミーナのような心境になり、おずおずと尋ねないではいられなかった。
「DAXという、アポジーのためのエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークがあるから、それをつかうんですね」
 ぼくは、それまでの状態で充分に満足していたので、おそらく、「このアポジー、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」、といったのがFではなかったら、いささかのためらいもなく断わっていた。しかし、困ったことに、ぼくは、人間としてのFも、Fの仕事も好きであった。それに、それまで自分のつかっていたアンプをぼくにつかわせようと考えたFの気持も、うれしかった。
 これはやっかいなことになったかな、と思いながら、ぼくは、受話器のむこうのM1に、こういった、
「そのDAXという奴をつかうと、どうなるの?」
「音の透明度が格段によくなるんですよ」
 M1のことばは自信にみちていた。
「それでは、それにしてみようか」
「それしかないですね」
 そういって、M1は、また、クックックと笑った。
 その数日後、DAXがとどけられた。そして、ぼくは、ああ、こういう音のきこえ方もあるのか、と思った。そのとき、ぼくの味わった驚きは、それまでに味わったことのないものであった。そして、なるほど、オーディオに深入りしたひとたちの多くが「マルチ」をやるのもわからなくはない、と遅ればせながら、納得した。そうか、そうだったのか、と思いつつ、その日は、窓の外があかるくなるまで、とっかえひっかえ、さまざまなCDやLPをききつづけた。
 いわゆる音の質的な変化であれば、これまでも再三経験してきたから、あらためて驚くまでもなかった。「マルチ」にしたことでの変化は、ただの音の質的な変化にとどまらなかった。基本的なところでの音のきこえかたそのものが、「使用前」と「使用後」では大いにちがった。そのための、そうか、そうだったのか、であった。
「使用前」と「使用後」でちがったちがいのうちのいくつかについて書いてみると、以下のようになる。すでにオーディオに熱心にかかわっている諸兄にあっては先刻ご存じのことと思われるが、駆けだしの素朴な感想としてお読みいただくことにする。
 最初に気づいたのは、音の消えかたであった。
 コンサートなどで、演奏が終ったか終らないか、といったとき、間髪をいれずに、あわてて拍手をするひとがいる。あの類いの、音楽の余韻を楽しむことをしらないひとには関係がないと思われるが、CDなりLPなりをきいていて、もっとも気になることのひとつが、最後の音がひびいた、その後である。もし、そのとききいていたのがピアノのディスクであると、ピアニストがペダルから足を離して、ひびきが微妙にかわるところまできくことができる。
 その部分の微妙な変化が、より一層なまなましく、しかも鮮明になった。ぐーと息をつめてきいていって、最後の音の尻尾の先端を耳がおいかけるときのスリルというか、充実感というか、これは、いわくいいがたい独特の気分である。
 ぼくは、コンサートで音楽をきくのも好きであるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、ひとりでCDやLPをきくのが好きである。その理由のひとつとして、CDやLPでは、望むだけ最後の音の尻尾の先端を耳でおいかけはられることがあげられる。コンサートでは、無法者に邪魔されることが多く、なかなか、そうはいかない。
 したがって、音の消えていくところのきこえかたは、ぼくにとって、まことに重要である。思わず、息をのむ、というのは、いかにもつかいふるされた表現で、いくぶん説得力に欠けるきらいがなくもないが、ぼくは、DAX「使用後」、まず、その点で、息をのんだ。
 そのこととどのように関係するのかわからないが、次に気づいたのは、大きな音のきこえかたであった。
 おそらく、心理的なことも影響してのことであろうが、大きな音は近くに感じる。しかし押し出されすぎる大きな音は゛音としての品位に欠けるように思え、どうしても好きになれない。わがままな望みであることは百も承知で、たとえ大きな音であっても、音と自分とのあいだに充分な距離を確保したい、と思う。むろん、そのために、大きな音が大きな音たりうるためにそなえているエネルギーが欠如してしまっては、それでは、角を矯めて牛を殺す愚行に似て、まったく意味がない。
 あらためてことわるまでもないことかもしれないが、このことは、いわゆる音場感といったこととは別のところでのことである。今ではもう、かなりシンプルな装置でさえ、大太鼓はオーケストラの奥のほうに定位してきこえるようになっている。しかし、多くの装置では、音量をあげるにしたがい、どうしても、楽器や歌い手が、全体的に前にせりだしてきてしまう。
 ぼくは、かならずしも特に大きい音で再生するほうではないが、その音楽の性格によっては、いくぶん大きめの音にすることもある。たとえば、最近発売されたディスクの例でいえば、プレヴィンがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音したリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」(日本フォノグラム/テラーク PHCT5010)などが、そうである。このディスクをききながらも、ひびきは、充分に壮大であってほしいが、押しつけがましく前にせりだしてきてほしくない、と思う。
 しかし、DAX「使用前」には、クライマックスで、どうしても、ひびきが手前のほうにきがちであった。「使用後」には、もうすこし静かに、というのも妙であるが、ひびきが整然としてしかもひとつひとつの音の輪郭がくっきりとした。
 しかし、この頃は、楽しみできくディスクといえば、「アルプス交響曲」のような大編成のシンフォニー・オーケストラによる演奏をおさめたディスクであることは稀で、せいぜいが室内管弦楽団の演奏をおさめたディスクであることが多くなった。俺も、年かな、と思ってみたりするが、大編成のシンフォニー・オーケストラによってもたらされる色彩的なひびきは、音響的にも、心理的にも、どうも家庭内の空間とうまくなじまないようにも感じられる。
 最近、好んできくCDのひとつに、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮して録音したモーつ。るとのディヴェルティメントのディスクがある(ワーナー・パイオニア/エラート WPC3280)。このディスクには、あのK136のディヴェルティメントをはじめとして、四曲のディヴェルティメントがおさめられている。アムステルダム・バロック管弦楽団は、その名称からもあきらかなように、オリジナル楽器による団体である。
 当然、DAX「使用後」にも、このディスクをきいた。特にK136のディヴェルティメントなどは音楽のつくりの簡素な作品であり、また演奏が素晴らしいので、各パート間でのフレーズのうけわたしなども、まるで目にみえるように鮮明にききとれて、楽しさ一入である。しかし、このディスクにおいてもまた、「使用前」と「使用後」では、きこえかたがとてもちがっていた。
 ここでのちがいは、演奏者の数のわかりかたのちがい、とでもいうべきかもしれなかった。「使用前」でも、弦合奏の各パートのおおよその人数は判断できた。しかし、「使用後」になると、わざわざ数えなくても、自然にわかった。むろん、演奏者の顔までわかった、などとほらを吹くつもりはないが、あやうく、そういいたくなるようなきこえかたである、とはいえる。
 ただ、ここで、ひとつおことわりしておくべきことがある。
 今回もまた、前回同様、複合好感をおこなってしまったことである。今回は、アポジーDAXを導入しただけではなく、WADIA2000に若干手をいれてもらった。ぼくのところにあるWADIA2000は、いわゆる「フレンチカーブ」といわれる最初のバージョンのものであったが、それに手をくわえて最新の「ディジマスター/スレッジハンマー」仕様にしてもらった。「フレンチカーブ」と「ディジマスター/スレッジハンマー」では、特に音のなめらかさの点で、かなりのちがいがあるように思えた。ただ、「ディジマスター/スレッジハンマー」より「フレンチカーブ」のほうがいい、というひともいなくはないようであるが、ぼくは、「ディジマスター/スレッジハンマー」のなめらかさに軍配をあげる。
 つまり、ここでいっておきたいのは、これまで書いてきたことは、WADIA2000を「フレンチカーブ」から「ディジマスター/スレッジハンマー」にかえたことも微妙に関係していたかもしれない、ということである。
 これを、幸運というべきか、不幸というべきか、それはよくわからないが、ともかく、これまでずっと、ぼくには、M1に目隠しされたまま手をひかれてきたようなところがあって、いつも、なにがどうなったのか正確には把握できないまま歩いてきてしまった。それで、結果が思わしくなければ、M1を八裂きにしてやるのであるが、残念ながら、というべきか、喜ばしいことに、というべきか、いつも、M1に多大の冠者をしてしまうはめにおちいる。その点で、今回もまた、例外ではなかった。
 そして、もうひとつ、これは、恥をしのんで書いておかなければならないことがある。DAXには、当然のことながら、高音や低音を微妙に調整するためのつまみがついているが、ぼくは、まだ、それらのいずれにも手をふれていない。調整する必要をまったく感じないからである。
 むろん、つまみういろいろ動かせば、それなりに音が変化するであろう、とは思う。しかし、すくなくとも今のぼくは、なにをどう変化させたらいいのか、それがわからないのである。多分、ぼくは、今の段階で、現在の装置のきかせてくれる音を完全には掌握しきれていない、ということである。
 完全なものなどあるはずもないから、現在のぼくの装置にだって、あちこちに破綻もあれば、不足もあるにちがいない。しかし、それが、ぼくにはみえていないのである。このような惚けかたは、どことなく結婚したばかりの男と似ている。彼には、彼の妻となった女のシミやソバカスも、まだみえないのである。彼が奥さんのシミやソバカスがみえるようになるためには、多少の時間が必要かもしれない。シミやソバカスがみえてきたとき、ぼくはDAXのつまみを、あっちにまわしたり、こっちにまわしたりするのかもしれないが、できることなら、そういうことにならないことを祈らずにいられない。
 パフォーマンスのアンプをもう一セットふやし、DAXを導入したことで、今、一番困っているのは熱である。パフォーマンスのアンプにはファンがふたつついている。ということは、アンプのスイッチをいれると、合計八つのファンがまわりだす、ということである。八つのファンからはきだされる熱気は、これはなかなかのものである。普通の大きさのクーラーをかけたぐらいでは、ほとんどききめがない。おまけに、今年の夏はやけに暑い。はやく涼しくなってくれないか、と思いつづけている。
 DAXが設置された日、朝までききつづけていて、最後にきいたのは、「IL GIRO DELMIO MOND/ORNELLA VANONI」(VANI;IA CDS6125)であった。そのときのぼくの気持は、最後に食べるために大好きなご馳走をとっておく子供の気持とほとんどかわりなかった。このアルバムの一曲目である「TU MI RICORDI MILANO」が、まるで朝もやが消えていくかのように、静かにはじまった。音にミラノの香りがあった。「トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ……」、ヴァノーニが軽くうたいだした。この五分間の陶酔のためなら、ぼくはなんだってできる、と思った。
 この音は、どうしてもFにきかせなければいけないな、と思い、翌日、電話をした。Fはすでにウィーンに戻ってしまった後で、電話はつながらなかった。

オーラの悲しみ

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 彼女の流暢な英語をFM放送で聴いている人はいっぱいいるはずだ。
 いわゆる、バイリン・ギャルの彼女は、超堅物のイギリス人のお父さんと、シックな大和撫子の間にうまれた。
 今は仕事の関係上、港区の一画にあるマンションで独り暮らし。それも初めての経験なのでとても淋しいという。
「大袈裟だけど、ホームシックになるのよ」と英語っぽい日本語で言う。
 まあ、そういうものなのかもしれない。
     ☆
 その夜、僕たちは五人のグループで、とあるカフェバーで飲んでいた。ちょっとしたカタカナ職業の飲み友達のグループである。僕がちょっとした事情からこのグループの一人と親しくなり、ときおり誘われて輪に加わっていたのだ。
 彼女は、FMでDJをやっているくらいだから、当然のこととして大変な音楽愛好家である。
「オーディオにも興味あるわ。パパがエンスーしてるし」
 そういう彼女は本誌の読者でもあるという。ありがとうございます。
「いろいろ考えて、やっと自分のセットが揃ったの」
 そういう彼女の話を、僕は黙って聞いていた。
「ハヤセさんはオーディオ・ジャーナリスト?」と彼女が訊いた。
 まあ、そんなところだと僕は答えておいた。僕は彼女がどんな装置を組み合わせたのかとても興味があった。けれど、その場で質問するのも、妙なものだったからどうしようかと思案していた。その時、彼女の友人の一人が、これからその新しいステレオを聴かせて貰いましょうよ、とちょっとばかり酔いのまわった黄色い声で言った。そのおかげで、僕は彼女のオーディオの音を聴くチャンスに恵まれたというわけだ。
 今年二十三歳になる彼女は童顔のせいでどう見ても十八、九にしか見えない。
「よく未成年だと思われて苦労するの」と言う。
 彼女の部屋は無駄な装飾のないこざっぱりしたインテリアでまとめられ、ある意味ではあまり女の子らしくない空間を作っていた。
 まっしろな壁にかけられた、ゴールドのプレーンな額縁。そこに嵌め込まれたグスタフ・クリムトの油彩、ユーディットII・サロメ、のポスターがひときわ目についた。
 そして、そこに、やけにストイックな顔をして佇むJBL4312XPの白いウーファーが音を出す前からあたりの空気をぐっと引き締めてるように見えた。
 彼女はオープンキッチンにたち、僕たちのために水割りを作ってくれている。
 スモークガラス製のサイドテーブルには英国のニューブランド、オーラデザインのシンプルなプリメインアンプがそのクロームのパネルのクールな輝きに、ひっそりとあたりの光景を写しこんでいる。
 そして、ケンウッドのコンパクトなCDプレーヤー。軽くさわやかな音のするプレーヤーだ。
「かわいいアンプだね」とメンバーの一人が言った。
「おしゃれよね」と女の子の友人が言う。そう言って、みんな僕の顔を一瞬みた。僕が肩をすくめると、みんなどっと笑った。
 僕は水割りを飲みながら、彼女がいったいどんな曲をかけるのだろうかと、会話に花をさかせながらも、そのことばかりが気になっていた。
 彼女が最初にかけたのは、ジョン・アバークロンビーの最新アルバム『アニマート』に入っているシングル・ムーンと言う曲だった。アニマート……、生命を吹き込むっていう意味だ、たしか。
 そして次にかかったのはアジタート。ファースト・ライト、フォー・ホープ・オブ・ホープと続いていった。リモコンで彼女が選曲したのだ。グループの面々は会話に花を咲かせていたし、彼女も適当にそれに対応してるようにみえた。
 僕は、ときおり飛んでくる質問に短く答えながら、その場の空気から隔絶したような、おそろしく澄んだ音を出しているBGMに耳をそばだてていた。彼らは皆とても紳士的だったし、僕にたいしてもとても親切に気を使ってくれていた。
 やがて、同じジョン・アバークロンビーが二年前に出したアルバム『ゲッティン・ゼア』から五曲目のタリアが鳴り始めた時、僕はふと思いついて彼女に訊いた。
「ねえ、ひょっとして、ヴィンス・メンドーサが好きなんじゃない?」と。
 彼女が選曲したのはすべて彼の曲だったのだ。
「そう。わかった?」
 そう言って彼女は淡く微笑む。
「クロンビーの曲の中だと何が好きなんですか?」と逆に訊ねられた。
「ゲッティン・ゼアなら、リメンバー・ヒムとチャンス。アニマートなら……」
 一瞬考えてから「ブライト・レイン」と言った。
「ふうん」と彼女は言ったきり黙った。
 なんとなくシリアスな沈黙がほんの一瞬あたりを支配した。
 でも、誰かが、もっと明るい曲をかけようよ、と提案し、同時に部屋の空気も明るくシンプルになった。
 僕は壁のクリムトを見た。一見華麗なのに、ひどく空虚で頽廃的な空気と、残酷に断裂するような官能といったものがまじりあっている画だ。性と死が装飾的な画風の中に浮き上がっている。
 4312XPとオーラデザインVA40の組合せが、こんなにも悲しげに澄んだ響きを出してくれたのは、けして偶然なんかじゃないだろう。おそらくはJBLのどこか醒めて遠のいていくような響きの情感と、オーラデザインの可憐で穏やかな透明感がうまくまじりあってくれたのだろう。ケンウッドP-D90の軽くて淡い音の質感だってうまく作用しているに違いないのだ。
 偶然の結晶、それはあまりにも美しい結晶だった。
     *
FMでDJをしているキュートな彼女が使用していたスピーカーはJBL4312XP。白いコーティング剤が塗布された30cmウーファーの2213Hは新しい、アクション・モールデッド・フォームと呼ばれる特殊な樹脂によるフロントバッフルを得て、全体のデザインの中で新鮮な印象を放っている。4311が原型になっているがロングセラーを更新し、地道な改良が加えられ、今回JBLの最近のフューチュアである前記リアクション・モールデッド・フォームだけでなく、バッフルの不要な反射を軽減するネオプレーン・フォーム等も採用されている。スコーカー、トゥイーターとも信頼性の高いユニットが配されている。アンプは英国のオーラデザイン社のデビュー作、VA40プリメインアンプだ。CDプレーヤーはケンウッド製、P-D90である。コンパクトな同社のシステムコンポーネントシリーズに含まれるCDプレーヤーだが、単売もされている。コンパクトに凝縮され、かつ無駄のないデザインは、下手な高級コンポ顔負けの雰囲気をもち、液晶表示のインデックスの色合いや照度も含め、全体に大人っぽいまとまりを見せている。筆者自身この組合せにはいたく感動、サブシステムとしてそっくりそのまま採用してしまった。

JBL 4344のバイアンプドライブ

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 今やマルチアンプという言葉の意味をどれだけの人が理解しているだろう。淋しいけれど、その壮大なシステムは一部の超マニアを除き、おそらくはほとんど忘れられつつあるというのが実情だろう。ちなみに、本誌レギュラーライターである菅野沖彦、柳沢功力氏も、自宅のシステムをマルチアンプ化されている。
 さて、マルチアンプとは一体どういうシステムのことを指すのだろう?──3ウェイを例に簡単にいえば、高域のトゥイーター、中域のスコーカー、低域のウーファーといった各スピーカーユニットを個別のパワーアンプで直接ドライブする方式である、ということになる。
 それはいわばオーディオの究極、一歩間違えるとクレージーと紙一重のきわどい状態にもなり兼ねないものであることは、なんとなく想像がつくと思う。しかし、英国のスピーカーメーカーであるKFFが1975年に発表したBBCモニター/5/1ACは、高域、低域用の二つのアンプとチャンネルデバイダー(後述)を内蔵していたし、当時のJBLプロ用モニターである#4330、4332、4340、そして4350なども、完全にバイアンプ駆動専用モデルであったことからもわかるように、パワーハンドリングやモニタリングに必要なディティールの再現性の向上を期待しての手段であるだけに、我々オーディオファイルとしても、無視できなな方式なのだ。
 しかし、実際に使いこなすとなると、単に情熱だけではなく、センスと努力を必要とすることも事実だ。成功すればシングルアンプ駆動では絶対に到達的な異次元の音場空間に突入できる可能性を秘めてる以上、ここでその意義を再確認しておきたい。マルチアンプの技術的な詳細は追って述べるとして、今回はその入門編としてバイアンプドライブに挑戦する素材に、スピーカーを一切改造することなく、スイッチ一つで簡単にバイアンプドライブが可能なJBL4344を選択した。本誌の愛読書の中にも使用者が多いと思われるこのスピーカーを俎上に乗せ、いくつかのアンプでバイアンプトライブの効果のほどを確認してみた。
 本号以降、回を追って4344以外にもマルチアンプ化に対応可能なスピーカーシステム、例えばアポジー・ディーバーやダイヤトーンの4ウェイシステムなども使用し、さまざまなテストを試みていく予定だ。けしてイージーではないかもしれない、しかし、そこにはオーディオのエンスージアスティックな醍醐味があり、簡便なオーディオの対極的な存在として、マニアなら一度試してみたいと思うに違いない。そうした夢を現実にしたいという時、この企画がその一助となれば幸いである。
 ──バイアンプ、つまり、一組のステレオ用スピーカーを二組のアンプで駆動するという方式のことだ。
 普段ならその間に介在するスピーカーシステム内蔵のディバイディングネットワークをパスしてしまう。しかし、そのままではトゥイーターに低域の信号が入ってユニットが壊れてしまうから、当然各ユニットに適した周波数に分配した信号をパワーアンプに送り込まないといけない。
 こうしてパワーアンプにインプットされる信号を事前に処理するのがチャンネルディバイダー(エレクトロニッククロスオーバー)である。
 今回は4344の背面にある。切替えスイッチを使用し、38cmウーファーとその上の帯域を分割した。上三つのユニットはそのまま内蔵のネットワークを通してドライブされる。今回、チャンネルディバイダーとしては同じJBLブランドの5235を使用した。
 これはかつて僕自身も使ってみて、その価格を超えた可能性や使い勝手の良さから、バイアンプの入門期として最もふさわしいと思えたからだ。
 バイアンプのメリットに簡単にふれると、およそ次のようになると思う。
①高域をドライブするアンプに低域信号がインプットされない。
②高域をドライブするアンプには当然だが、ウーファーをドライブする必要がない。したがって、ウーファーからの逆電力がまったく戻ってこない。
 以上、①②の理由により、高域用アンプはきわめて動作が楽になり、ゆとりが出てくる。
③低域用アンプはウーファーに直結され、ネットワーク中の数十mにおよぶ高域をカットするための長いコイルの中を信号が通過しなくてすむ。
 以上のようなメリットのほかに、4344のバイアンプ駆動ならではのさらに別の要素も加わる。
 JBL4344は、ウーファーのクロスオーバーは、内蔵のネットワークでは320Hz、遮断特性は12dB/octになっている。遮断特性の12dB/octというのは、周波数が倍(または1/2)になるごとにレベルが1/4になるということを意味している(6dB/octでは1/2、18dB/octでは1/8)。
 クロスオーバーとは、ちなみに二つの帯域に分割する、その分岐点の周波数ポイントのことである。
 さて、4344では、スピーカー端子の下部にある切替えスイッチを『エクスターナル・クロスオーバー』側にすると、ウーファーが完全にネットワークから離脱される一方、ミッドバスに加わる320Hz以下の低域をカットするLC(コイルとコンデンサー)もパスされる。しかも、バイアンプ化するときのクロスオーバー周波数と遮断特性を、JBLでは290Hz、18dB/octと指定しているのだ。つまり、バイアンプ化でウーファーの高域成分をよりシャープにカットするとともに、クロスするポイントを下げ、ミッドバストのつながりをよりスムーズになるよう意図しているのだ。というわけで、ここではこの特性を持った5235の4344のフィルター基板、51-5145を用いることにしたが、250Hz、12dB/octの52-5121も入手できるから差し替えて、実際の音がどれだけ変化するのか、遊んでみても楽しいと思う。
 バイアンプに挑戦する第一回の今回、選んだパワーアンプは、スレッショルド、マークレビンソン、チェロ各ブランドの代表的なモデルである。同一ブランドの同一モデルを二機種使用することが原則だが、マークレビンソンではより高域に研ぎ澄まされた美しさのあるNo.27Lがふさわしいと判断し、あえて採用することにした。

エピキュア MODEL 1 SYSTEM

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底試聴する」より

 米国エピキュア社より最新シリーズが本邦に紹介される運びとなった。
 今回聴くことができたのは、同シリーズ中トップエンドにある4ウェイ5スピーカーという構成をもつシステムである。
 トゥイーターは2・5cmポリカーボネイトドーム、パラレル駆動されるスコーカーは、ウーハー同様、鉱物材を混入したミネラル・フィルド・ポリプロピレン(MFP)で口径は10cm。そしてダブル使用のウーファーは20cm口径だが、二つのユニットは異なる帯域で使用され、上のユニットはミッドバス的に用いられている。
 エンクロージュア下方のスリットはバスレフのベントである。
 ユニークなのは低域コントロール用のイコライザーを持つことで、プリとパワーの間に挿入し、スピーカーが置かれる状況の変化に対応しようとするものだ。
 低域は30Hzあたりを中心に最大15dBブーストでき、また、40Hzでプラス2dB、60Hzでマイナス3dBといったうなりを付けることも可能な点が、狭い日本の住宅での使用で威力発揮しそうだ。さらにミッドバスコントロールとの併用で使いこなしの幅を広げている。
 エンクロージュアはサイドパネルがテーパー状に絞りこまれ、背面にむけてコーナーはラウンド化されているので内部定在波が発生しにくく、かつ音場感の再現性の向上にも寄与している。
 箱そのものは、響きを抑えるリジットな構成ではなく、本機はむしろ積極的に鳴きを利用していく作りがなされているようだ。
 さて、注目のサウンドだが、見た目の現代的な雰囲気からすると、かたすかしをくらうほどオーソドックスで、やや古典的ともいえる響きで驚く。
 カラーのカタログ写真のように、ほのかにくすんだ色彩感の提示をし、ここには原色のまぶしさというものはまったくない。落ち着いて、安心して音楽が楽しめるチューニングだ。
 また、音場感の提示もわざとらしい透明感を強調するタイプではなく、落ち着いた光りで音像を浮かびあがらせていくような鳴り方だ。陰影感の表現に何かしらくすんだ気配のようなものがつく点がある種の音楽をよりいっそうリアルにし、くらがりに沈み込むような情緒的な響きを自然に捉えてくれる。
 ディティールを分析的に鳴らすほうではないが、かといって、ぼけた音ではなく、ヴァイオリンのきりっとしたテンションの高い響きや深みのある、抑制の効いた艶もいい。これを渋いといってしまうと何かしら全体を一色に塗りつぶしてしまうような印象を与えがちだが、モデル1は芯のしっかりした実在感や色彩感を失なうことがなかった点がとても印象深かった。

音の浮遊力

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 五年間、それは彼にとってもけして短くはない歳月だったはずだ。その重たい時間、彼はフランスとドイツの間を行き来しながらワインの勉強していた。プロのソムリエ(ワインの鑑定家)としての修行を重ねるためだ。
「日本の空気もずいぶん変ったね」
 帰国後、開口一番に言った彼の言葉だ。
それから一ヵ月たったとある午後、僕は彼のリスニングルームを訪ねた。
「来月で三十五歳になっちゃうんだ。三十五だよ、折り返し地点をとうとう過ぎたって感じだね」
 彼は、ターンテーブルにレコードを乗せながら、誰に向かって語るでもなく、小さなため息まじりにそう言った。
「でも、これからじゃない? 五年間じっくり修行してきたんだし」と僕は言ってみた。たしかに一面においてはその通りだ、と彼は言う。
 アンプのボリュウムを上げる前に、彼はテーブルの上に二種類のワイングラスを置くと、その二つのグラスに同じワインをほぼ等量だけ注いだ。
「グラスの形が違うと、同じワインでも香りや味が変化するんだ」と彼は言う。僕は恐る恐る、二つのグラスを交互に手にとり、その違いを確かめてみた。一つをワインテイスティングに用いる国際規格品。やや細長い形をしている。もう一つはブランデーグラスのようにふっくらしたものだ。
そして、僕はそこには予想以上の違いがあることに気づき驚かされる。やがて、そのことについての専門的な話がしばらく続いた。
「オーディオだってそういう変化をすることがあるでしょ?」と彼は言う。
 たしかにそうだ。同じスピーカーやアンプが別物のように鳴るという事実にはよく遭遇する。もう五年も前の話になるけれど、彼の部屋には国産の大型4ウェイスピーカーとセパレートアンプがセットされていた。
「まあ、ずっと放りっぱなしにしてあったんだから、いくら家族が時々鳴らしてたにしても、やっぱり駄目だよね。それに、ずっとヨーロッパの空気にひたっていたせいで僕自身も変化したし、求めてる音も変ってしまったんだ。久し振りに自分自身の過去の音を聴いてみると、なんだか大切なものが致命的に欠落してるような気がしたんだ。何かが欠けてるってね……」
「わかるような気もする……」と僕。
「それはひとことで言うと縦割りに食い込んでくるような精神的飢餓感のようなものかな」と彼は言った。
 それで装置をすべて入れ替えてしまったのだと彼は続けた。
「たしかに、そういう求心的な要素は希薄だったかもしれない。でも、あの、ちょっと蒸留水みたいな音にはそれなりの悲しみってものが浸透してたように思うな」と僕は言った。
「時間は確実に進んでいたんだ」
 彼はきっぱりとそう言った。
「ヨーロッパのオーディオ界の動向や空気というものに触れているうちに、いろいろと考えさせられたんだ。それまではドイツとフランスのアンプを組み合わせるなんて、悪い冗談みたいなことは思いつきもしない。そうだろ?」と彼は自嘲的な笑いを浮かべて言った。
「だけど、そういう一般論的偏見を一時的に放棄してみると、いろいろなことが見えてくるんだ」
 そういう彼の装置は、たしかにこれまでの常識からいえば、やや破天荒といえそうなラインナップだった。
 しかし、彼にはちょっとした予感があったのではないだろうか。つまり、ドイツとフランスの違いというものを包括的に捉え、二つの国の空気の違いというもので、彼の中にあった彼自身の枠を崩そうとしたのではないだろうか。
 日本という閉鎖社会にいる僕たちの常識では思いつかないような、意外性のあるマテリアルを融合してみると、そこにある種のリアリティが現れる。それをごく自然に彼には受け入れることができたのだろう。
「だけど、二つの国の間にはちょっとした共通点だってなくはないんだ」と彼は続ける。
「芸術的なものに対する日常的な感じ方とか、接し方とかね。僕はその部分に賭けてみたんだ。だから、ブルメスターとレクトロンが持っている音の立体感や、色彩感の深み、あるいは熟成度の高さ、複雑にいろいろな要素がまじりあい、それでいてバランスしているうま味、そういうものを生かしたかった」
 たしかに、そこで聴かせてもらった音には異質なものが複雑にからみあい、共振しあい、それがよい意味で新しい味を発酵させていたような気がする。
 プレーナータイプ特有の、音像に浮力がついたような漂いに立体感をつけ、しかも音色の変化をややくすんだ落着きのある表現で聴かせる。甘口のようでいて辛口、そういう二律背反するものをうまく溶かしこんでいるのだ。
 管球アンプとしては独特の辛口で引き締った音を持つレクトロンと、ブルメスターの律儀な職人気質を感じさせる真面目さがうまく反応した結果だろう。
「レクトロンは君が好きなジャディスとはずいぶん違うんじゃない? 確かジャディスはもっと艶っぽくて華麗で、かすかに仄暗い頽廃的な要素ももっている。違う?」
「そうだね」と僕は答えた。
 彼はゆっくりとディスクに針を落し、アンプのボリュうまみムを上げた。フランスで買ったというパトリシア・カースの二枚目のLP。なんだか、彼女の声に含まれる妖しげに屈折したような情感が、とても自然に解放されていくような鳴り方だった。そのことによって、彼自身がどこかに辿り着くことができたかどうかは、また別の問題だろう。でも、この音はたしかに前進する彼の意思の一つの表現なのだろうと、僕は密かに確信することができた。
 響きの色彩変化や浮遊する音像と前に向かってくる音の対比に、はっとさせるものがあった。
     *
ソムリエのS氏宅で使用されていたスピーカーは、マーチン・ローガンのシークウェルIIで、フルレンジの静電型ユニットと25cmスーパーウーファーを組み合わせたいわばハイブリッド型。透明なダイアフラムは、特殊な導電物質が表面から2ミクロンの深さに均一に埋め込まれ、従来の静電型のように導電物質(カーボンや微金属粉)をダイアフラムの表面にコーティングする方法を採っておらず、ダイアフラム表面の帯電ムラを起さない点が特徴とされている。入力はアナログのみで、カートリッジはMC型オルトフォンMC3000。トーンアームはオラクル仕様のSME・モデル345S。ターンテーブル同じく、オラクル社のトップモデルであるプレミアMKIVである。プリアンプとして、西ドイツ・ブルメスター社製フォノ(ここではMC専用)専用プリアンプ838MKIIにライン専用プリアンプ846MK IIを組み合わせている。どちらも独立電源を持つ。838単体でもフォノ入力のみなら使用できるが、他の機器(CDやテープ)の接続も考慮し、846と組み合わせたとのことだ。パワーアンプはジャン・ヒラガ設計によるフランスのレクトロンJH50。出力管は5極管であるEL34をプッシュプル動作させ、出力トランスは英国パートリッジ社製の特注品を採用している。

意識の曲率

早瀬文雄

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「Music Consolette 偶然の結晶を求めて」より

 それは、残暑がささやかに尾をひいていた夕方のことだ。
 僕と友人のKは堤防の上をだらだらと歩いていて、沖合にはゆっくりと航行する大型のクルーザーや可愛らしいヨットが見えた。
「夏も終りだね」と彼は淋しそうに言い、僕はただ黙って頷くだけだった。
 心なしか風もすこし乾き始め、時々すれちがう人も皆うつむきがちで、何かしら考えこんでいるような表情をしていた。
 人影もまばらな砂浜には無人のライフガードの塔がもの悲しくて取り残され、夏の盛りにはまるで朝の満員電車みたいに人々を繋ぎとめていた熱い季節は音もなくどこかに吸い込まれてるように消えていた。
 まあ、仕方のないことではある。
「そろそろ戻ろう」と彼は言った。
 彼は実に無口な男なのだ。いつだって無駄を削ぎ落とした、必要最小限の言葉のやりとりしかしない。そして、そのことになじめない人はたいていあからさな反発を示した。
     ☆
 そこが海の近くであるということを忘れてしまうような、シックな洋館の一部に部屋を借り、彼は作曲の仕事をしていた。
 仕事部屋には電子ピアノやシンセサイザーがあり、ミディ制御されるいくつかの電子機器もセットされていた。
 コンピューターを駆使して生み出される曲はおおむね優しい旋律をもち、透明な悲しみがクールに漂っていた。彼の作品は昔からそういうタイプの曲が多かった。
 出来上がった曲はテープからおたまじゃくしが踊る譜面に記号化され、ファックスで『受注先』に送られる。まあ、いってみればかなり量産される音楽、大量に消費される音楽が手際よく作られているわけだ。
「でもね、一つ一つに思い入れがないわけじゃない。売るための『商品』ばっかりじゃないんだ」
「知っている」と僕は言った。
 彼は肩をすくめると「ぼちぼちセットしてくれる?」と言った。
 僕は彼に頼まれて選んだアンプとスピーカーを車に積んで持参していた。
 仕事部屋の隣に十畳ほどの板の間があった。漆喰の白い壁高い天井、響きは悪くなさそうである。
 僕たちは手分けして、てきぱきと新しい装置をセットした。
「なんだか、新しくても古いというか、古くて新しいというか……」
 ビアードのアンプを見た彼はそう言って目を輝かせた。
「きっと気に入ってもらえるはずなんだ」彼は心身ともに疲れきっているはずだった。しかし、その時ばかりは期待にわくわくする単純な子供みたいにしか見えなかった。やがてセットが完了し、とりあえずアンプに火を入れる。
「ちょっと部屋の明かりを落としてみよう」と言って、彼はパチンと電気のスイッチを切った。
「いやぁ、暖かな、懐かしい光だ……」真空管がほんのりと赤熱したようすを見つめ、彼は嬉しそうに言った。実に無邪気な笑顔だった。
 ウォームアップが済む前に、乾杯しようということになって、キッチンに置いてあった旧式の丸っこい冷蔵庫から出してきた缶ビールを飲んだ。
「もう、音を出してもいいかな?」と彼が訊いた。僕は黙って頷く。
 彼はラックから一枚のCDを取り出して僕に手渡した。エマーソン・ストリング・カルテットのディスクだ。彼の指定でその中から、ボロディンの弦楽四重奏曲、第二番をかけた。
「ボリュームは自分で上げてくれよ」と僕は一応言ってみることにした。
「そうだな」
 そう言うと、彼は初めて恋人と手をつなぐシャイな男の子みたいな手つきで、ボリューウムのノブに触れた。
「いや、なんて柔らかな音なんだろう」茫然として、彼はそう言った。
「本当に温かい、人のぬくもりを感じる音だね……」
 僕は黙ったままビールを飲み、彼はしきりに独りごとを言っている。次々にディスクをかけ替え、そのたびに感嘆の声を上げた。
 温かく包みこむような音を彼は求めていたのだ。僕にはそのことがよくわかっていた。彼の曲を聴き、彼の愚痴を聞いていればたいていのことはわかる。よほど鈍感な人間じゃないかぎり、彼が消耗し、すっかり精神的に萎えていることは誰にだってわかるのだ。
 そんな時、研ぎ澄まされた緊張度の高い音はかえって彼に物事を分析的に考えさせてしまうに違いなかった。
 こういう風に、文句なく人の心をなごませてくれるおだやかで上品なテイストをもった響きに出会うと、ほんとうにほっとする。僕は装置によってこれほどまでに違った音を出すという事実を不思議さを改めて考え直していた。
「発生した次の瞬間から消退していく音、その音からなる音楽をデジタルと言う記号で複製し、無限に繰り返して聴けるCDの魔力、それはひょっとすると現実の中に隠された根深い不在感をさらに分厚いヴェールで覆い隠すのかもしれないね」と彼は言った。でも、そのことの意味は今は誰にもわからないのだ。
「こうしてみると、オーディオは音楽のたんなるシミュレーション、あるいは人工的な復元以上のものだってことがよくわかる」
 そういう彼の横顔に、僕は久し振りに彼らしさが回復されているのを確認した。
     *
作曲家のK氏が使用していたのは、スピーカーが英国ワーフデール社製コーリッジで、これは20cm口径のウーファーをベースに2.5cmドームトゥイーターを組み合わせたバスレフ型2ウェイシステムであり、ここでは別売の専用スタンドを使用。アンプはビル・ビアード設計になる英国B.B.A.P.社製の管球式プリメインアンプ、BB100だ。パワーアンプ部はE L84のトリプルプッシュプルで、35WまではA級動作、それ以上50WまではB級動作させている。各真空管にはLEDによる異常動作警告灯が配され、これが赤く点灯することによって真空管の寿命を知らせるという、英国の家庭用オーディオ機器らしい配慮がなされている。CDプレーヤーはエソテリックのP10が用いられているが、D/Aコンバーターにはあえてその音色やコンパクトなデザイン、トータルのコンセプトを評価して、英国DPA社製、1ビット・ビットストリーム方式採用のPDM1シリーズ2を組み合わせている。潜在的に柔らかな音を求める思考がここにも隠されているようで、興味深い選択である。