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「テスト結果から 私の推選するプリメインアンプ」

井上卓也

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 今回、本誌では最初の試みであるテクニカルリポートを受持ったが、その結果から、テストをしたプリメインアンプのなかから、推選機種を選ぶことになった。
 テクニカルリポーターとして直接おこなったことは、実際にテスト機種を操作し、各コントロールのフィーリングをはじめ、機能面、仕上げを含む工作精度、回路図からの設計上の特長、アンプの構造などについて調べることが、第一段階の作業であり、つづいてステレオサウンドラボラトリーでの実測データの検討が第二段階の作業である。選出にあたっては、主として、この二段階結果を中心にしておこなったが、幸いにしてほとんどの新製品はサウンドクォータリーの試聴などで本誌試聴室で聴いているため、ある程度は、その結果をも加えている。
 現在のプリメインアンプは、その下限をシステムコンポーネントで抑えられ、上限をこのところ活発に新製品が登場しているセパレート型アンプに抑えられているために、今回もテスト機種の価格は、ほぼ5万円から20万円の間にあり、1対4の比率に収っている。この価格帯のなかで、各メーカーがもっとも力を注いでいるのは、10万円未満の機種であり、当然の結果ともいえるが、例外的なモデルを除いては、そのほとんどが昨年中か、今年になって発売された製品である。これに対して10万円以上の機種となると、最近とみに増加した比較的にコストの安いセパレート型アンプと価格的・性能的にも競合するレンジであり、需要層が10万円未満とは質的に異なる面もあって、まったくの新製品から、基本型を数年以上も前にさかのぼるモデルもあって、推選機種の選出は、この両者を分離しておこなう必要があるように思う。
●10万円未満の推選機種
 デンオン  PMA501
 パイオニア SA8800II
 サンスイ  AU607
 ヤマハ   CA−R1
 オンキョー IntegraA7
 パイオニア SA8900II
 デンオン  PMA701
 サンスイ  AU707
 価格順に列記すると、以上の8機種が推選機種になる。まず、実測データでは、ヤマハ、オンキョー、それにデンオン PMA701が優れた結果である。これらとタッチの差で、デンオン PMA501、パイオニアの2機種がつづき、次いでサンスイの2機種となる。また、実際の機種別チェックは、いずれも水準以上のものが充分にあって問題はなく、音的にはサンスイの2機種、ヤマハが現代アンプらしさのある音をもっている。
●10万円以上の推選機種
 トリオ   KA7700D
 ヤマハ   CA1000III
 ヤマハ   CA2000
 ラックス  5L15
 ソニー   TA−F7B
 マランツ  MODEL 1250
 以上の6機種が挙げられる。その他、やや例外的ではあるが、本誌3号のアンプ特集にそのプロトタイプが登場して以来、常にアンプ特集に登場しているラックス SQ38FD/IIも挙げたい機種である。実測データは、確かに現代アンプとは比較できないが、管球アンプとしてはよくコントロールしてある点に注目したい。実測データでは、トリオ、ヤマハの2機種とラックスが好結果を示し、なかでもラックスのクロストーク特性は驚くほどであった。また、機種別チェックでは、ソニーが回路的なユニークさで目立ち、マランツが、テープ関係の機能にオリジナリティがあった。ラックスは、別格のSQ38FD/IIと5L15の新旧の対比が、大変に興味深いコントラストを見せているのが印象に残った。

「テスト結果から 私の推選するプリメインアンプ」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 個人的に推選できる機種をあげよ、というテーマなので、その基準または根拠をはっきりさせておきたい。
 前回参加した27号でも書いたことだが(27号144ページ)、一流の音楽家が心をこめて唱い演奏した音楽が聴き手を心の底から感動させるのなら、それを正確に録音し再生できれば、レコードからでも感動を味わえる筈だ。筈、などという必要もなく現に私が永いレコード歴の中で、何度もそういう感動をこの身で体験している。そういう良いレコードと、そこから音楽のエッセンスを確かに拾い上げてくれるカートリッジと、それを可及的に正しく再現してくれるスピーカーとがあれば、その中間に置かれたアンプの良否がはっきりと聴き分けられる。物理特性がいかに優秀だと説明されても、音楽の感動、少なくとも演奏会の息づかいや気配のような人間臭さを、伝えてくれないアンプを、私は正確な増幅器だとは思えない。良いアンプは必ず、音楽を聴く喜びをもたらしてくれる。
 仮にどれほど歪みの少ない、きれいな立派な音がしても、どこか無感動に、よそよそしく、あるいは気配を少しも聴かせてくれないアンプは、私は使う気になれない、……そう、この「自分で使う気になれるアンプ」だけを、推選機種としてあげたい。価格の高い方から、ただし同一メーカーはひとつにまとめて書くと──、
■マランツ ♯1250 キリッとしまったブライトな音の魅力。これで柔らかい音の味わいがあれば申し分ない。
■ラックス 5L15 低域の量感があればさらに良いが現代的な解像力の良いクールな音が魅力。
■ラックス SQ38FD/II 5L15と対照的な、しかしそれだから存在理由のある暖かい音の魅力。
■ラックス L309V 新しさはないが安心して聴けるバランスの良さとソフトな耳ざわりの良さ。
■ローテル RA1412 上質の滑らかな音とバランスの良さ。音とデザインが少しちぐはぐだが。
■ヤマハ CA2000 上品ですっきり型だが、明るく美しい。こまやかでクールな音質。
■トリオ KA9300、KA7300D いくらか硬質の音だが、表彰の豊かさが独特。
■オンキョー A722/nII 音密度と力では最新型にわずかに及ばないが、ウェットで表情のこまやかな艶のある音色は類のない魅力。
■サンスイ AU707、AU607 607の方が表情に張りがあって若々しい。707はウェルバランスともいうべき安定感のある音質。
■デンオン PMA501 6万円を切るランクで、音の彫りの深さが魅力。ただし試聴記でふれたように、ノイズの不安定なところは? として残るが。
         ※
 次点としてはテクニクス80AとソニーTA5650があげられる。80Aは表情の豊かさまたは味わいの深さがもう少しあればよいと思ったが、やや薄味ながら歪み感のない美しい音は特筆すべき魅力。ソニーはバランスの良さと明るい力強さが良い点だが、反面、もうひとつ細やかな繊細感が出せれば素晴らしいアンプになる。また、パイオニアの各製品は、どのランクをとっても、全く美事といってよいほど中庸のバランスに仕上っていて、アンプの音にとくに個性的な音色を求めないユーザーには、むしろ安心して推められる製品だ。試聴記でも書いたことだが、音質ばかりでなくデザインや操作機能を含めて、およそこれくらい、あらゆる角度からみて中道精神で統一された製品をつくるというのは、実はかなりたいへんなことだと思う。
 それら以外にも、ダイヤトーンDA−U850、ソニーTA3650、トリオKA7100D、オンキョーA5等が、私の好みとは違うがそれぞれに良いところを持った製品だと思った。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 カートリッジの音色の違いと簡単にいわれているその「差」は、いろいろな角度からとらえられねばならない。一般的に「高域がよく出る」とか「低音感がある」という表現で伝えられる音の違いは、文字通り音域内でのスペクトラム・バランスによる違いで、全音域中のある特定周波数を中心に特定範囲のレスポンス反応が他より高いために、その帯域の音が目立って強く感じることによる音の差だ。これは再生系のどのパートにも起り得る判りやすい現象でもある。アンプの中のイコライザー回路やトーンコントロール回路がこれであるし、さらにイコライザー偏差により、同じRIAA補正されるべきはずでも、音の違いが出てしまうというのもこのスペクトラム・バランスを具体的な形で表現した周波数レスポンスの違いによるものだ。
 しかし、スピーカーとかカートリッジのような音響電気変換器においては、この周波数特性はアンプのように定規で引いた如く平坦では決してない。これら変換器が特定のレスポンスを示している。というのは、その内側に起因となるべき、音響的、機械的共振が発生している、ということを意味する。そして、この共振という言葉のもつ意味、本来音の出るべきでない部分が、微かな衝撃とか振動によって勝手に特定振動を始めて、それが全体の音に影響してしまう——という故に共振があることは、それだけで音を損うと速断されてしまう。現実には、音響電気変換器のカートリッジにおいても共振を利用し、活用することによって、高域の広帯域化を具体化しているわけだ。共振をいかに処理し、いかに生かしあるいはおさえるか、技術的経験に基づくバランス感覚をどう技術として生かすかによっている。「共振があるからだめ」でもなく「まったく押えたからいい」でもないのであって、その判断は、まさにスペクトラム・バランスそのもので、全体としてとらえねばならない問題だ。
 ただ、はっきりいえることはカートリッジの音色の違いの、大きなファクターが、まず周波数レスポンスによって表れるほんの僅かな、太い線で記入されたら差がなくなってしまうほどの僅かな凸起や凹みにある。それは範囲が広ければ、つまり「範囲」と「差」の相対関係で、共振のQ次第で音の違いとして感じ取れるし、その裏側には必ず共振現象が存在するということだ。
 共振があるから音が違う、という表現は間違いではないにしろ、決して正しくない。共振の処理次第でそれはあくまで音が変わるのだ。
 カートリッジの音色の違いは、しかし今まで述べた周波数レスポンスによる差、たとえ内側に共振現象を秘めてあるにしろ、そうしたスペクトラム・バランスによる差は質的な違いから比べれば大した問題ではない。
 もっと基本的なのは、その音の質的な差で、これはどうも今日の技術的表現、例えば周波数特性とか歪率カーブでは表わせるものではない。これはスピーカーとて同じことだが。例えば矩形波の再現能力などでそれを示そうという試みはあるが、その程度ではまったく根拠にならないほどの違いがはっきりと感じられる。ただむずかしいのはこうした場合、周波数レスポンスの上にも差が出ることが多いため、それによる音の差と混同してしまいがちになる点だ。だが、明らかに周波数レスポンスの違いどころではない根本的な音の差がある。例えばMM型において、いくらMC動作を模して尽せどMC型との間にはっきりした差がある、というのがこの一例だ。
 例えば音のひとつひとつの内側が極く緻密である、というのがこれだ。あるいは粒立ちの良さという表現にもある部分で共通しよう。しかし「緻密さ」「充実感」「立上りの良さ」「積極的」といった判りやすい表現をつきつめていくとこの音質的な違いにぶつかり、それはいわゆる周波数レスポンスとはまったく無関係のものということも気付くはずだ。
 カートリッジにおいては特に重要なポイントというべき点であると指摘しておこう。
 音色の差という表現では扱えないのが「ステレオ音像の再現性」で、これは少々やっかいだ。小形のシングルコーンでそれを確かめないとしっかりした判断をし難い。大形システム、それもユニットの数が多いほど他の要素、スピーカー自体の付帯要素が重畳してしまって判断を狂わすからだ。この場合、再生帯域の広さよりも音響輻射そのものができるだけ不自然でなく、人工的でないことを重視しなければならない。あらゆる周波数範囲で同じ輻射条件が欲しい。アンプの位相特性も重要だ。そうした再生系が整って始めて、カートリッジの音像再現性がうんぬんできる条件となるわけだ。
 ステレオ音像については多く語る必要はあるまい。レコードにより、部屋を含む聴取環境とスピーカーの位置を決められると、再生音量はおそらくぴたりとある一点に決められ、調節点は各個人差はあるにせよはっきり指定されるはずだ。その時の音像の確かさ。音楽の中のピアニシモからフォルテに至るあらゆる部分でこのステレオ音像は変動したりくずれたりしてはマイナスだ。もっとも低域に関してはアームの優劣が音色的差の場合より強く影響し、カートリッジ単独でこの問題を論じることは少しばかり無理なところがあるのではないか。MM型にくらべればMC型の方が一般的に好ましい。英国デッカの場合では他とは発電機構の違いから特殊ケースとなる。
 ステレオ音像から得られる判断に際して、ピアニシモ、フォルティシモのローレベル時とハイレベル時の差はスピーカーが原因となっている点にも留意し、確かめなければならぬのは勿論。
 最後にトレース性能だ。創始期のADC社によって提唱され、シェアー社が確立したトラッカビリティ最優先論は、カートリッジがレコードの音溝をたどるという基本的動作上至極当然だが、ステレオ初期にはこの着眼点のすばらしさに驚いたものだ。今それは当りまえになっているか、というと必ずしもそうとは限らぬのではないだろうか。例えば、再生上好ましい音のカートリッジが、意外にも針鳴きが大きい、つまりカンチレバーの機械的共振を押えることをせず、従ってレコードへの追従性は特性周波数帯で悪化している可能性が少なからず、といえる「優秀製品」がないわけではなく、それは世界中から再生品質の良さを認められている。こうしたものが現実にいくつも出てきている。むろん建て前としては、針鳴きのない静かなトレースのカートリッジならトレース性能もいいだろうし、そのレスポンスもフラットに近いものに違いない。しかし、どうもそれだけで決めてしまい難いファクターがまだあるのではないか、ということだ。
 カートリッジを「製品」として技術的な面からも捉えることにより、それが音質へどうはねかえるか、それをいかに判断したか、ということを本来論じられるべきかも知れぬ。しかしここではあえて一ユーザーの立場、音楽ファンからの視点によってのみ論じ、結果としての音そのものを今回どの角度からどう捉えて判断したかを述べた。
 できることなら諸兄もここで述べた判断方法を、自らの部屋で確かめられることを望むものだ。音の捉え方はもっと深く広い。ただほんの象の脚をなでた程度かも知れないが、それを許していただきたい。
 再生系の音の入口にあって、機械振動を電気信号に変換するカートリッジを、単に音の面から捉えようと試みるのは、聴覚と、それに繋がるセンスだけを軸にして推し進めることになり、それと交叉すべきいくつかの方向、路線から押えるということになってくる。むろんそのための路線はいくつもあるが、それを感覚的に捉えられるかどうかは、試みる側の能力次第にかかる。判るものにとっては容易だが、共通の言葉がなければすれ違いになるし、判りようがない。
 しかしここにあげたそのうちのいくつかのポイントは、読者にとって無論把握しておられる方もいようし、またそれを意識して試みようとすれば容易のはずだ。
 ただ「音から捉える」ということの難しさは、音がカートリッジによって変るのは確かであるが、そうと判断し受け取るのは、あくまでその当事者自身であり、音の差はカートリッジをばい体とした当事者の判断そのものということをはっきりと認識しなければならない。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 合計123個の内外のカートリッジの試聴をおこなったが、もっとも重要なポイントとしてクローズアップされたことは、本質的な試聴を終えての感想ではなく、試聴以前のリハーサル的な試聴における、カートリッジとそれを組み合わせるトーンアーム、もしくはプレーヤーシステムとの間にある問題である。
 最近のプレーヤーシステムは、以前のような、プレーヤー構成部品であるカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターを集めてプレーヤーべ-スに取り付けた、いわゆるアッセンブリー型プレーヤーが少なくなり、各構成部品がデザイン的にも、性能的にも有機的に結びついたプレーヤーシステムとしての完成度が高くなっている。
 それとは別に、DD型フォノモーターが商品化されて以来、プレーヤーシステムの焦点はフォノモーター中心に発展してきた。
 モーターの駆動力が、それまでのベルトを介さずに直接ターンテーブルをダイレクトに回転させる駆動方式の転換に主な意味があった第1世代のDD型から、ターンテーブルが1回転する間に回転数を制御するチェックアウトポイントの数を増加して、回転数をよりムラなくコントロールする、FGサーボに代表される第2世代のDD型。さらに、回転数の増減をプラス方向マイナス方向ともに制御可能であり、かつ、回転数の基準を正確なクリスタルを採用して規制をする現在の第3世代のDD型にまで発展してきた。
 たしかに、これらのターンテーブルの改良発展によって、結果的な音質が大幅に向上していることに異論はないが、プレーヤーシステムとしてトータルで考えると、ややトーンアームの問題が取り残されているように思われる。現在のプレーヤーシステム間の音の違いは、一般に考えられているよりははなはだしく大きく、同じカートリッジ同じディスクを使ってその差を比較すると、まさに驚くべき格差があり、少なくとも、現在すでに高水準にあるプリメインアンプと比較すると問題にならぬほど大きく、もっとも大きく音を支配するといわれるスピーカーシステムと比較しても、スピーカーシステムのように、設置場所によるコントロールが不可能に近いだけにこの差のもつ意味は、かなり大きいと受け取らなければならない。
 プレーヤーシステム間の音の差の原因として考えられるのは、その大半がトーンアームにあるようである。実際に、今回のカートリッジ試聴で最後までつねに問題として残ったのは、トーンアームの選択が妥当であったかどうかである。
 現在のカートリッジは、CD−4システムが発表されて以来、急速に性能が向上しているだけに、トーンアーム側はユニバーサル型を原則としている限り、大きなネックにさしかかっているようだ。ある意味では、広範囲なカートリッジの使用を前提とするユニバーサル型トーンアームは限界に達しているようである。トータルなシステムとして考えると、完成度が高まったとはいえ、なお、コンポーネントシステムのなかでは、プレーヤーシステムがもっとも多くの問題を残しており、音が良いプレーヤーシステムが出揃うまでにはかなりの時間が必要であろう。
 今回の試聴を終っての感想は、平均的にカートリッジの性能が高くなったという、月並みな結果であり毎度このような試聴をおこなうたびに感じることと同様な結果である。とくに、国内製品では、各メーカー間の個性が薄れて平均化しているのは、他のプリメインアンプやスピーカーシステムと同じ傾向であり、各メーカーの基本的な技術水準が向上して接近していることを物語るものであろう。このことは海外製品でも同様で、新しい製品は物理的な性能が高くなった反面に、音色的な個性は徐々に少なくなる傾向が感じられる。とくに、内外を問わず、CD−4システムに使用可能な高価格のモデルは、音が平均化する傾向が強いのは、大変に興味深い事実である。当然、コンポーネントシステムが高級なクォリティが高いものとなれば、平均化したなかでの差が大きな要素としてクローズアップされてくるが、平均的なコンポーネントシステムを使用するという条件があれば、その差はかなり縮まるはずである。
 今回の試聴では、テストの方法で書いたような条件を設定し、その場での音についてのリポートをすることにした。したがって、従来からの個人的な使用での先入観的な各カートリッジの音色は、まったく、今回の試聴リポートには関係なく、結果としては、経験上の音色とかなり異なったカートリッジも多い。おそらく、プログラムソース側でのディスク自体がかなり発展して質的な向上をしていることも原因であろうが、アンプ関係の性能向上も大きな要素となっていると思われる。また、今回の試聴により、従来から潜在的に、各カートリッジに感じていたことが、デメリット的に表面に問題として出てきた場合もあり、逆に、可能性としてメリットとなって、あらためて認識し、確認した例もある。やはり、カートリッジが、現在ではプレーヤーシステム、とくにトーンアームと分割されたひとつの部品として存在していることが、このように変化する要因であろうし、長期間使ってかなり判かっていたはずのカートリッジでさえも、的確に音が捕えきれない理由ではないかと思われる。
 今回の試聴で注意して聴いたポイントは、一般的なコンポーネントシステムに共通な、聴感上の周波数レンジ、周波数帯域内での量的と質的なバランス、ステレオフォニックな音場感、つまり、左右の拡がり、前後の奥行き、音像定位と音像の大きさなどがある。
 個人的な意見としては、コンポーネントシステムのなかではスピーカーシステムとアンプが基本であり、カートリッジを含めたプレーヤーシステムは、FMチューナーやテープデッキと同様にプログラムソースであると単純に考えるべきものと思う。現在のように任意にカートリッジが交換できるプレーヤーシステムでは、カートリッジはプログラムソースであるディスクとその内容によって決定するべきであろう。音的には現在のカートリッジはかなりの水準に達しているが、音楽を聴くことになれば、物理的な音としてのクォリティが高いとしても、それがすべてではない。例えば、多くの米国系のカートリッジでは、ドイツ系のオーケストラがもつ音色を充分に聴かせることが難しく、ドイツ系のカートリッジで、ロックやソウルのエネルギッシュでビートのあるリズムを聴くことは、どうにも場違いな感じが強い。しかし、このサイドに踏み込むと、用意するプログラムソースの幅が広くなり、細かく試聴を重ねていくだけの充分な時間も現実に不足するのは、試聴カートリッジの機種が多いだけに当然であろう。
 今回は、テスターが各人各様の試聴をする持廻り試聴でもあるために、基本となる音的な問題に限定して試聴をし、リポートをすることとし、音楽的な問題は、その、ほとんどを割愛することにした。
 試聴リポートに出てくる低域のダンピングという意味は、トーンアームを含んでの低域の量と質との兼ねあいに関係がある、感覚的なダンピングで、一般的なダンピングが効いた音などと表現されるものと同様に考えていただいてもよいと思う。また、聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、音に対してどのように影響を与えるかによって変化をする。物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。また、高域のレスポンスがよく伸ぴ、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、聴感上のSN比はよくなる傾向があった。

試聴後記

瀬川冬樹

ステレオサウンド 37号(1975年12月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(下)最新40機種のテスト」より

 前号の試聴後記で、採点の基準及び根拠について書くスペースがなかったのでその点を補足させて頂く。
採点の基準と根拠
 100点満点法によっているが、実際には最低点を0点でなく65点付近でおさえてある。私個人としては、せめて50点ぐらいまで最低線を落としたかったのだが、編集長から「そんな点をつけてごらんなさい。50点なんていう製品を買う気になれますか!」と口説かれてみると、なるほど、それじゃまるで欠陥製品という印象になりそうなので、それはやめにした。
 もうひとつ、この採点は音質ばかりでなく、価格とのバランス、デザインその他の要素を総合した点数なのだから、そうなると音質もデザインも違うスピーカーシステムに1点という僅差をつけることは、どうも理くつに合わないようにおもわれたので、100点を基準としてそこから3点ずつ減点しててゆく、という方法をとることにした。また、100点というのはいわば完全無欠ということで、そういう製品はないと思うから、現実にはマイナス3点の97点が私の最高点となっている。
 そこのところをもう少し具体的に分析すると──
 97~94点……市販品として、価格とのバランスを含め最高水準の製品。
 91~88点……最高製品に準ずる製品。
 85点…………一応水準に達している製品。合格点。
 82~79点……価格その他からみてまあまあ。
 76~73点……二~三の注文または条件つき。
 70点以下……やや難点多し。もう一息。
 ──というような意味あいになる。
 製品によっては必ずしも評価は3点きざみではなく、1点前後の補整をしてあるが、原則的に右のような基準によっているために、同点の製品が多い。しかし仮に点数は同じでも、ある製品は音質が良いがデザインに難があり、別の製品ではデザイン良く価格が安いが音質はもうひと息、というように、決して同じ水準というわけではない。これはくり返すが総合評価点なのだ。
 したがって、音質に関していえば、3万円台の91点のスピーカーよりも5万円台の85点の方が音が良い場合が多い。この点に誤解が多く、10万円台の88点よりも3万円台の91点の方が音が良いかのように取り違えないで頂きたい。
国産スピーカーについて
 36号で国産の躍進したことを書いたが、今回のテストでは必ずしもそう言い切れないことを再び感じたことは残念だ。というのは、前回のテストに入っていた製品は、各メーカーが時間をかけて十分に練り上げた自信作が多かった。ところが今回は、おそらくこの暮の商談に割り込もうということなのか、テストの期日ぎりぎりにかろうじてまとまったというような(正確にいえばまだまとまっていない)試作品あるいは量産以前の少量生産品がいくつか混じっていた。もう少し時間をかければもっと完成度の高い音質に仕上がるだろうに、と思える製品でも、スピーカーばかりは実際に量産に移って街に流れてみなくては、確かな評価ができにくい。そこで不本意ながらも、明らかな試作品については-3~-6点、または市販ホヤホヤの初期ロットの製品については-3点前後、それぞれ減点した。今回は右の理由からかなりの製品が減点対象になったため、総体に36号よりも国産品に辛いように見えると思う。
     *
  テストに使った機器およびレコードは36号と共通なのでその評価は、前号100ページ、118~119ページ、120ページを、それぞれご参照いただきたい。また関連事項として、現代のスピーカーの特徴やその流れについて書いた、前号74~96ページの文を参照願えれば幸甚である。

スピーカーシステムの試聴を終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より

 10号、16号以来久しぶりの単独テストである。合同テストにはそれなりのメリットもあるが、反面テスト機器やレコードの選び方、コントロールのしかた、あるいは聴取位置などの面で、ほかのメンバーへの気兼ねも含めて制約が多い。今回は、一人で自由に聴けるという条件を、できるかぎりメリットとして生かすよう工夫してみた。
 数多いスピーカーを、ある程度限られた期間内に、できるだけ正確に聴き分けるには、次のようないろいろな面に対して考慮する必要がある。
比較の順序の問題
 従来のテストの場合は、価格別に並べて、国籍やメーカーを問わず機械的に聴く順序が決められる。これは一面公正のようだが、別の問題が生じる。というのは、別項でくわしく解説しているように、スピーカーの鳴らす音には、その製品を生んだ国の風土や国民性や音楽の歴史が色濃く影響している。イギリスの音色に馴染んだ耳でアメリカを聴けば、あるいはアメリカを聴いた耳で日本を聴けば、いままで鳴っていた音色に、少しも影響されずに次の製品を正確に掴むということは、訓練された耳をもってしても、相当に困難なことだと私は断言してもいい。それだから、従来の合同テストでも、途中で何回も、聴き終わったスピーカーをもう一度登場させて比較し、ダメ押しをしている。
 そういう経験から、今回の私の場合は、イギリス製品を聴く日、アメリカでまとめる日……というように、国籍や風土に重点を置いて、同じ傾向の音色は同じ日のうちに比較してしまうようプログラムを組んでみた。結果からいえば、少なくとも従来の方法よりは、同じ国、あるいは同じメーカーの中でのランクやグレイドの差、あるいは同じ風土の中での微妙な音色の違いを、私としては正確に掴むことができたつもりである。もちろん、各グループごとに目ぼしい製品は残しておいて、別のグループを聴くときの比較参照にしてダメ押しをしたことは言うまでもない。
テストするという気負いをなくす
 前回のテスト(28~29号)のときも、またそれ以外のときでも度々書いてきたことだが、私がこういうテストに好んで参加するのは、ひとりの気ままなオーディオマニアとして、まだ自分の知らないパーツを聴いてみたいという好奇心と、それに加えて、自分がいま愛用している製品よりも少しでも優れたパーツが見つかるのではないかという期待からと言っていい。
 製品テストは本誌第3号以来、あるいはそれ以前の小規模なテストを含めればもう10年以上もやっているから馴れっこになっているとはいうものの、そのひとつひとつは、メーカーが、オーバーに言えば社運を賭けて作りあげた自信作で、それを、短期間にテストしようというのだから、できるかぎり見落し聴き落しのないよう、細心の注意を払わなくてはならない。
 しかしそうするためには、逆のようだが、これからテストにのぞむのだ、などという気負いをなくすような、リラックスした心理状態に自分を置く努力をすることが、案外重要なことだと、これは長い間の経験から言える。ひとりオーディオマニアとして、と書いたのも、右のような理由を含んでいるのである。
 そういう意味で、今回のように単独で聴けるという条件はありがたかった。というは、あらかじめ編集部から、リポーターが全部で6人と、いままでにない人数になると聞かされていたからである。それは私にとって、次のように解釈できた。
 各自がそれぞれ自由に聴くとなれば、レコードの選び方にも聴き方にも、一人一人の個性が大きく反映するだろう。少なくとも、互いに個性を豊かに発揮する方が、結果がおもしろくなるはずだ。いままでと違って、あるいはいままで以上に、正反対とも思える意見が出てくるに違いない。それなら、私自身もできるかぎり、自分の気ままな聴き方を許してもらおう。それには、一人のアマチュアが、自宅にいろいろのパーツを持ち込んで、楽しみながら比較しているというような状況をつくり出してみるべきだろう。その方が、気負った聴き方よりもむしろ本質をつかむことができるはずだ。
レコードを選ぶ
 たとえばいま、あるスピーカーが目の前に置かれる。すべてのスピーカーに対して、まず、全体の性格を掴むためにオーケストラのレコード(カラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェン序曲集。又はアバド/ウィーン・フィルのチャイコフスキー第六。別項参照)を鳴らす。このレコードだけは40機種に共通のテストレコードである。
 これでスピーカーの大まかな性格が掴めてしまうと、そこで何となく、このスピーカーならアルゲリッチのショパンをうまく鳴らしてくれそうだ、とか、しかしアン・バートンのあの色っぽさは少しものたりないのじゃないか……などと、一曲聴いているあいだに、連鎖的に次に鳴らしたいレコードが決まってくる。次に鳴らしたいレコードは、スピーカーによってそれぞれに違う。言いかえれば、いま鳴っているスピーカーの音が、次に聴きたいレコードを暗示する。レコードファンであれば、新しい装置を揃えて試聴をはじめたとき、そうだ、こんどはあのレコードを聴いてみようと連想が湧いてきて、一曲終わるのも待ち切れずに次から次とレコードをかけかえる、あの気持をわかってもらえるだろう。私は全く、そういう気持でスピーカーを聴いた。中には聴くにつれて次第に、音楽を聴きたいという気持のしぼんでしまうような音もある。そういうスピーカーは、まずダメな製品だ。良いスピーカーは、必ず、次に鳴らしたいレコードを誘導してくれる。というより、音楽を楽しむ気持をふくらませてくれる。絶対にこれは断言できる。
 そういう聴き方をするために、いつものようなテスト用のレコードのほかに、近ごろ自宅で何となくとり出して楽しむ機会の多いレコードの中から、できるだけ広いジャンルに亘るよう、そしてなるべく録音のいいものを、約40枚あまり選び出した。この全部を1台のスピーカーで鳴らすのでなく、いまも書いたように、スピーカーが連想させてくれるままに、勝手気ままに鳴らしてみるのである。そういう目的には30枚ではとても足りないが、自宅から一度に運べる枚数としてはこのくらいが限度だった。
 だから私の場合、40台のスピーカーに共通のレコードはむしろ少ない。持って行ったのに、一~二回しかかけないレコードもあったけれど、それが案外自宅で楽しんでいるのと同じ気分にさせてくれて、割合にひとつひとつのスピーカーの素性を掴めたの
ではないかと思っている。
     *
 紙数が尽きて、評価の基準や根拠について書けなかったが、28~29号を通じて書いたことと私の態度は変っていない。ただ、一年半前にくらべて国産の躍進が目立ったのはうれしいことだった。

試聴テストを終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 29号(1973年12月発行)
特集・「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(下)」より

 28号と続けて合計120機種以上のブックシェルフスピーカーを聴いたことになる。もしも聴くことが強制的なノルマのようなものだったら、常人ならとうに発狂してしまうかもしれない。幸か不幸か当方はすでにマニアと呼ばれ自分でも音に関してはキチガイのつもりだから、つまりとうの昔に発狂済みだからこそ、この重労働に耐えられた。
 というのは、まあ半分は冗談だが、ほんとうに120もの音を聴き分けそれをまた記憶してノートして書き分けるというのは、こんな仕事には馴れたつもりの私にもいささか手に余った。本当に疲れた。そして正直に書けば、全部を聴き終えてしばらくのあいだは、オーディオが全く嫌になった。オーディオ雑誌、が目につくところに置いてあるのを見るのさえ、嫌になった。一種のノイローゼにちがいない。で、それから1ヵ月も経たないのに、もう、ニコニコしながらオーディオ仲間と話をしているのだから、やっぱり馬鹿か気狂いに違いないと再び確信している次第だが、そんな思いをしてまでスピーカーを聴くのは、ほんとうは、仕事という意識でなく私が一人のオーディオ・ファンとして、そして殊にスピーカーというパーツに最も興味を持っているマニアの一人として、どこかに、まだ私の知らない優秀なスピーカーがあるのではないか、どこかに、いま自宅で聴いている音よりももっと良い音があるのではないかという大きな期待を持って、新製品に接しているのである。そういうものを一度にならべて聴く機会があるのなら、頼み込んでも参加してみたいという、要するに物好きなアマチュアの一人として、ともかく聴いてみたい、という単純な発想から、試聴テストに加わっているにすぎない。
 だから本当を言えば、アンプでもスピーカーでも数多くをテストし試聴した後で、自分でもこれなら買って聴いてみたいと思える程度の製品が例え一つでも出てきて欲しい。そういう製品を発見することは、たいへん楽しいことで、その期待があるからこそ、テストに喜んで参加する。今回もまた、三つや四つのそういうスピーカーは見付かったが、ほとんど130あまり聴いた中でのそれだから、割合からいえば3パーセントにも満たない。だとすると、これだけの数を全部聴く機会のないユーザーだったら、自分の本当に欲しい音にめぐり会えるまでに、やっぱり何度か失敗せざるを得ないと思う。
 私は、失敗なしで自分にぴったり合う品物にめぐり会うことなどできないと信じているが、しかし反面、ぴったり来るも来ないもそれ以前の、言わば欠陥商品に近いものが堂々と売られて、そういう製品が数多くののさばってユーザーをいたずらに迷わせるとなると、また話は違ってくる。水準以上の性能を具えていてこそ、その次に好きか嫌いか、自分の理想に近いかどうか、などという話になってくるのが道理で、好き嫌いの言えるというのは実は相当に水準の高いところでの話なのである。
 ところが現状では、欠陥商品──もっとはっきり言えば音楽を鳴らすにはあまりにも音の悪いスピーカー──までが、好き嫌いという絶好の言い訳をタテにとってまかり通っている。そういうスピーカーを、仕事とはいえ聴いて、メモして、しかも製作者を傷つけない程度に表現を工夫しながら書かなくてはならないという、これぐらい腹の立つ仕事はない。そういうものを書いたあと、きまってオーディオが嫌になる。
     *
 私がずいぶん主観的な書き方をしているように思われるかもしれない。大体お前は主観的にものを評価しすぎると昔から言われる。この問題は、前からテーマに与えられている「オーディオ評論のあり方」という本紙の論壇でいずれくわしく書かせて頂くことになるが、オーディオに限らずあらゆる批評の分野で、自分という存在をとり除いた機械的な評価などというものは存在しえない。自分自身が、何十年かの失敗と模索の体験の中から肌で掴んできた確固たる尺度に照らし合わせて物や事に当る以外に、どんな確かな方法があるのか。自分がそうした体験の中から掴みとった考え方が、自分にとって正しいたったひとつの世界であり理想像であり、そのこと以外に自分の頼るものさしは作ることはできないものなのだ。
 いまオーディオ批評の分野で言われている主観とか客観などという言葉は、本来のこれらの言葉の正しい定義とは全く別もので、単に、私用に比較的熱しやすい性質(たち)人間の態度と、もっと突き放して冷静な距離を置いて物事に当ることのできる人との違いにすぎないと、私は考えている。いずれにしても自分の尺度でしか物を言えないという点に変りのあるわけがない。いったいどうやって、他人の考え方、他人の感じ方に従って発言できるというのか。
 だから私は自分の尺度、自分が確かに聴きとり掴みとり考え抜いた尺度に照らしてしか、物を判断しない。自分の尺度に照らして悪いものは悪いというしか、ない。その悪いものをどうしたらいいかというのはそれから後の話になる。
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 そこでもういちど120機種の試聴に話を戻すが、さっきから120だの130だのと書いて、実際に本紙に載ったのは28号の60機種と今回の56機種の合計116機種。ところが実際にはそれ以上のスピーカーを聴いている。載らない製品のいくつかは、あんまりひどいので掲載をとりやめたスピーカーなのである。しかし実際に市販されている内外の製品はこれよりはるかに多い二百数十機種だから、ここには載らなかったからといっても、まだ半分以上の製品を聴けなかったことになる。同じメーカーの同じシリーズの中にも出来不出来があって、たまたまテストした製品があまり良い評価でなかったとしても、むしろそれより安いランクで優秀な製品があったりすることが多いことを思うと、理想を言えば全部のスピーカーを聴かなくては物が言えないということになりかねない。が、現実にはどうやってみても、完璧なテストなどというものはありえないので、聴き洩らした中にもおそらくよい音があるにちがいないと、欲ばりの私はいつも残念な思いをする。
 もうひとつ残念なことは、できるだけ多くの機種を一度にとりあげ、複数のテスターで合同評価するという本誌の方針には違いないにしても、テストしそれを書く私の立場から言えば、一機種ごとに与えられるスペースがあまりにも僅かで、現在のように四百字詰め原稿用紙で一枚あまりという狭い枠の中では、私の文章力では聴きとり分析した内容の全部を言うことが殆ど不可
能なことで、この点だけは何度くりかえしても歯がゆく残念に思う。自分のメモにはもっと多くの内容を書きとっているつもりだし、できれば音質だけでなく他の要求──たとえばデザインや材質やそのメーカーのポリシーなど──にもくわしく言及できれば、一機種ごとの製品の性格をもっと立体的にお伝えできるのに、と、これはいくらか編集長に対してのうらみごとめくが、やはり狭いスペースに凝縮すると、どうしても公正を欠く強い表現をとる傾向が強くなる。

 今回は、テスト及び評価の立脚点についてほとんどふれなかったが、それらのことは前回(28号)の同じ欄に多少書いたし、また個人的にはさらに28号の解説(88ページより)と、もしできることなら27号の114ページも併せてご参照願えれば、私のテストの姿勢をご理解頂けると思う。短いスペースでは誤解を招くおそれがあるので、あえて右の記事をあげさせていただいた。

テストを終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 16号(1970年9月発行)
特集・「スピーカーシステム最新53機種の試聴テスト」より

 10号のときと違って今回はブラインド・テストではなかったが、結果からみると、ブラインド的な聴き方をしてしまった。とにかく53個のプッシュボタンを切換えながらの比較だから、手もとの対照表を見さえすればどのスピーカーかすぐにわかわけだが、スイッチのナンバーと採点表の各項目を結びつけ、加えて音質についてメモをとるだけで手一杯で、いま押したボタンが何社の何型かまで考えるゆとりがない。
 トランプに「神経衰弱」というゲームがあるが、あれがわたくしには大のにが手でいくらひっくり返しても、カードの位置と記憶とが整理できない。それと同じように、たとえばNo.40がJBL、ぐらいはすぐに憶えるけれど、53このボタンすべてが、メーカーの型番と結びつくようには、なかなかならないもので、結局今回は丸3日かけてしまったが、三回目の試聴で、ボタンのナンバーと出てくる音とが(メーカー名と型番までは記憶が及ばないが)いちおう結びつくようになったので、最終的な採点に踏み切ったというわけである。
     *
 53機種の中には、よく聴き馴染んだ製品も少なからず入っていて、あとで採点表とつき合わせてみると、意外に思うケースが少なくなかった。前回(10号)のときも同じことだが、数多くのスピーカーを部屋いっぱいに積み上げると、隣接したキャビネットの共鳴音や、おかれる場所による特性のちがいなどの悪影響が思いのほか出てくるもので、置き方が変れば、また違った音になるだろうと想像されることがしばしばあったが、わたくしとしては、与えられた条件の中で最善を尽くしただけのことで、条件が変れば評価も変ることがありうるという点については、改めてお断りするまでもない。
 そういう次第だから、前回の経験などともあわせて、置き場所や試聴室の条件等になるべく左右されにくい要素として、音の品位の良し悪しという項目を、最も重視している。音の質そのものが良いスピーカーは、多少バランスが悪くても使いこなしでカヴァーしうるし、もともと品位のよくない音は、いかにワイドレンジでも、いかに特性がフラットでも、聴いていて永続きしないものだから。
 もうひとつ、わたくしの場合、トーンコントロールをごく大幅に変化させて一機種ごとに音のバランスを大幅に変えて試聴してみたことをつけ加えておきたい。こうすると、単純な切換えでは、音のバランスが良くないというだけで聴き逃しかねない隠れた長所を探し出すことができるし、逆に、低音や高音を強調することによってユニットやキャビネットの共鳴音やトランジェントの悪さなどの欠点を探すことができた。むろん音量も大幅に変化させた。その場合、大きなパワーでも音がくずれないということも大切な条件だが、音量をぐんと絞りこんだ場合にも音像がしっかりして、音の形がくずれないということの方を、さらに重要視した。
 試聴にかかる前には、できるだけ各製品の長所を探す態度で臨もうと考えていたのに、やはりこれほど数多い機種を与えられた短時日に採点しようとすると、いわゆる減点法というのか、欠点の目立つものから落してゆくという方法をとらざるをえなくなるため、結果として、ややアラ探し的な採点法になってしまったが、精一杯、甘い点をつけたつもりである。

テストを終えて

瀬川冬樹

ステレオサウンド 12号(1969年9月発行)
特集・「最新カートリッジ40機種のブラインド試聴」より

 39個というと多いみたいに思えても、いまわが家でいつでも鳴る形にシェルにマウントしてあるカートリッジが間もなく80個になろうとしているありさまだから、その大半は一度は耳にしている筈で、今回はじめて聴く製品は数種類しかないわけだけれど、ブラインドで銘柄を想像できたのは10個にも満たなかった。いくら音が違うといったところで、カートリッジの差というものは、たとえてみれば、同じメーカーのスピーカーでせいぜい1ランクちがいの音の差ていどが、カートリッジでいえばピンからキリまでぐらいの差にあたるといった程度で、そういうこまかな差を文字に書き表わすと、どうしても新聞を虫メガネでたどるように、写真の網点や活字のニジミがことさら誇張されるといった感をまぬがれ得ない。
 また一方、レコードあってのカートリッジの音ということを考えると、スピーカーが部屋や置き場所によってガラリと音質が変わるようにひとつのカートリッジの評価が、レコードによって、かわることは当然といえる。その点、今回テスト用として選ばれたレコードは、カートリッジのテスト用としては、どちらかというとカートリッジのかくれた欠点をえぐり出すというソースでなかったから、結果としては、ずいぶん点数が甘くなっていると思う。少なくとも、わたくし個人が対象にしている室内楽や器楽曲、声楽曲のとくに欧州系の凝ったレコードを再生したら、またいわゆる優秀録音ではないSPからのダビングものや年代の古い録音を再生したら、もっと辛い評価になったろうとも思う。加えて、カートリッジという商品は承知のように一個ごとの製品ムラがあるし、室温やその他の外的条件による適性針圧のちがい、負荷のちがい、またMC型ではトランスやヘッドアンプのキャラクターなど、さまざまの条件が複雑にからみあうので、カートリッジの本質を正しく掴もうとするなら、こういう短期間の比較にはもはや限界があるし、さらにつっこんで考えてみれば、ブラインドテストという方法に、根本的に無理があることに気がつく筈だ。
 実際の話、10号のスピーカー、今回のカートリッジと二回のブラインドテストを経験してみてわたくし自身は、目かくしテストそのものに、疑いを抱かざるをえなくなった(本誌のメンバーも同意見とのことだ)。目かくしテストは、一対比較のようなときには、先入観をとり除くによいかもしれないが、何十個というそれぞれに個性を持った商品を評価するには、決して最良の手段とはいい難い。むろん音を聴くことがオーディオパーツの目的である以上、音が悪くては話にならないが、逆に音さえ良ければそれでよいというわけのものでは決してありえなくてカートリッジに限っていってもいくら採点の点数が良かろうが、実際の製品を手にとってみれば、まかりまちがってもこんなツラがまえのカートリッジに、自分の大事なディスクを引掻いてもらいたくない、と思う製品が必ずあるもので、そういうところがオーディオ道楽の大切なところなのだ。少なくとも、ひとつの「もの」は、形や色や大きさや重さや、手ざわりや匂いや音すべてを内包して存在し、人間はそのすべてを一瞬に感知して「もの」の良否を判断しているので、その一面の特性だけを切離して評価すべきものでは決してありえない。あらゆる特性を総合的に感知できるのが人間の能力なので、それがなければ測定器と同じだろう。そういう総合能力を最高に発揮できるもののひとつがオーディオという道楽にほかならない。
 この原稿を渡した後で、コスト・パフォーマンスの点数を入れるために、価格を知らせてもらうわけで、とうぜん製品の推測もつくことになるが、どういう結果が出ようが、わたくしとしては右に書いた次第で、あくまでも今回与えられた条件の中で採点したにすぎず、この採点は商品としてのカートリッジの評価とは必ずしも結びつかないことをお断りしておきたい。

ブラインド試聴者の立場から

菅野沖彦

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より

 50機種のスピーカー・システムをブラインドで聴いてチェックするという、無茶苦茶な難行苦行をやらされた。なんとも物凄いテストで、どこから手をつけていいかといった状態が何度もあった。単独でのクオリティ・チェックと、相互の比較試聴を限られた時間内でおこなうのだから楽ではない。比較試聴などでは、隣合わせの10種類ぐらいが限度ではないかと思う。1・2・3と比較していって20ぐらいになれば1、2はごちゃごちゃになってしまう。
 そこで、元へもどっていると、今度は先を忘れてしまうという、ていたらくであった。そこで何日かのデーターをそろえて総合して判定したわけだが、とにかく疲労困憊の仕事だった。それにしても、いろんな音のスピーカーがあるもので、興味深くあきれたことだった。

■試聴テストのポイント
 これほど多くのスピーカー・システムを瞬時切換して聴く場合には、条件として実に困難な問題が起ってくる。つまり、すべてのスピーカーを同条件化で鳴らし、しかも、同条件の聴き方をすることの難しさは、テストにとって大切な問題なので初めにこれについて私の考えを述べておくことにする。
 スピーカーが設置場所によって大きくその再生音にちがいが出ることは周知のことだ。そして50機種を一つの室内の同じ場所に置くことは神さまでも無理だ。そこで、私の場合、配置を三回変更した状態で聴いて総合して判定したが、なおかつ、部屋とその場所による音質傾向を私自身の頭の中で適宜補整して聴いたつもりだ。次に能率の差だが、これはその都度ボリュームをコントロールして感覚的にはそろえて聴いた。また、極度によく聴こえたり、その逆に悪く聴えたものについては特に時間をかけて数多くの比較確認をおこなった。プログラム・ソースは試聴に際して用意されたものと私自身の愛聴盤を併用した。
 さて、このような配慮をしても、それはもとより、ほんのわずかなコントロールにすぎず、問題の解決にはほとんど役立たないだろう。この試聴テスト・リポートは、あくまで、この条件下におけるものとして受取っていただかないと問題が残ると思う。
 だが、こうした条件下で試聴した時に、いくつかの着眼点ならぬ着耳点があるが、それについてここに書いておくので、採点表、ならびに各スピーカー・システムについてのメモと照合して判断していただきたい。
 第一のポイントはバランスである。これは単に周波数特性の問題ではないが結果的には再生周波数の凹凸、分布の平均性ということで、プログラム・ソースの音楽的情報がスピーカーからいかなる感覚的エネルギー・バランスで再生されるかということである。私にはあらゆる音響器材の諸特性の中で、このバランスを第一に考える。それだけに置き場所のちがいの条件は厳しかった。派ランスは音色と連なると思う。
 第二にクオリティ。音質である。これは、周波数特性のパターンなどで左右されない本質的な性格、いわば、金物が鳴るか、木が鳴るかという類のものだ。振動系の質量、コンプライアンス、材質、磁気回路、箱の性質など多くのファクターによって出来上るクオリティなのだろうが、これはスピーカーの特性になかなか現われない大事な要素だと思っている。勿論、測定に現われる諸歪みによっても大きく影響を受けるものだろうが、この辺のところは専門家に聴いても明確ではない。興味の的である。
 第三が左右のペアで聴いた時のプレゼンス。スピーカーとしては指向特性による影響の最も大きいファクターである。これも、位置関係が鋭く関係するので、あまり今回の試聴では重点をおかなかった。
 音の分解能、抜け、ダンピングなどといった細かい特徴はすべて、これらのポイントに含まれると思う。今回テストの対象にできなかった重要な特徴として、音量に関するものがある。小音量と大音量の音量のちがい、入力特性などについての細かい聴感試聴は残念ながら能力的にも時間的にも余裕がなかった。勿論、ブックシェルフの性格上ある程度のパワーを入れるべきもののあることなどは充分考慮して試聴したつもりである。

ブラインドテスト実践方法

井上卓也

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より

 今回のブックシェルフ型スピーカーシステムのテスト方法は、私と編集部の間で慎重に検討した結果である。50機種というのは、わが国で発売されているブックシェルフ型のほぼ全部といえるくらいであるが、これだけ多くの機種をテストするということ自体、かなり無理があることは否定できない。しかし、音響製品全般についていえることだが、完全なテストというのは、実際にはありえないことである。
 例えば、スピーカーテストの場合、組み合わせるアンプやカートリッジの相性の問題、スピーカーを設置する部屋の問題、テストソースの問題、さらにはテストする人間のコンディションによる判定能力に差がでるという問題、等々……。数えあげればキリがない。
 それでは、機種を減らして厳密なテストを行なうか、という意見もあったが、テスター諸氏の確信のもてる範囲内で、やはり機種はなるべく多い方をとるべきであると考えたわけである。非常に数少ない機種を何回かにわけてテストするということは、その何回かにわたる回数が多ければ多いほど横のつながりが不明瞭になる。微妙な音質の差を頭脳に正しく長期間記録させることは、事実上不可能である。やはり、その場で短時間でもよいから相互比較をやる方がまず妥当といえよう。
 今回のテストでは、テスター一人当り約40時間をかけた。40時間といえば充分といえないまでも、一機種、約50分間を聴いたことになるわけだが、本誌のテストに常に参加される岡、菅野、瀬川、山中の四氏であるから責任のもてるテストができると判断した次第である。
     *
 今回のテストはステレオサウンド始まって以来の完全ブラインドホールドにして行なった。音質とか使いやすさだけでなく、デザイン等にも、大きくポイントを置く本誌にしては珍しいブラインドですとだが、純粋に音だけを評価するという意味ではもっとも妥当な方法だといえよう。オーディオ製品のテスト方の一つということで採用したわけである。
 以下にテスト方法について紹介しよう。

■試聴室
 今回のブラインドテストも、いつもの本誌試聴室で行なった。洋間の12畳で、床には二重にじゅうたんを敷き、側面はカーテンを張りつめた部屋である。部屋の残響は標準的な状態で、この試聴室のテスト結果が、例えば和室の場合と、もっとライブな洋間に大幅にかわるということはないと思われる。

■ブラインドの方法
 ブラインドの方法は前項写真の通り音質を損なうことのない音の透過のよい薄手のカーテンを張りつめ証明は50組のスピーカーシステムを切りかえるスイッチボックスと氏プ、プレーヤーの周辺のみ当てるようにした。従って、テスター諸氏には鳴っているスピーカーが何物かはいっさい不明の状態であった。

■テストスピーカーの切替え方法
 50機種のスヒーカーシステムの切替えは50コのスナップスイッチ(二機種双投型)を使った切替えボックスをつくり、標準アンプのJBL SA600プリメインアンプにつないだ。このスイッチボックスは、とかくハイパワーのアンプを要求しがちなブックシェルフ型だけに、できる限りスイッチの接触抵抗による出力低下とか、DF(ダンピングファクター)の変化をなくすため良質のスナップスイッチを使った。テストの状態では50組のシステムはいつでも、どの機種でも任意に選択肢鳴らせるようにした。
 各スナップスイッチには、①から㊿番までの番号が打ってあり、テスターはその番号によって採点することにした。

■標準スピーカーシステムにAR3aを使用
 これだけ多くのブラインドテストとなると、何か一つの基準がある方がテストがかなり楽になることはいうまでもない。そこで本誌がブックシェルフ型スピーカーシステムの標準機としてAR3aを選んで、あらかじめテスターに明示しておいた。

■テストは計160時間
 今回のブラインドテストでは、テスター同志の話合いをさけるためと、厳格な比較テストを実施してもらうため、岡、菅野、瀬川、山中の四氏に一人づつ四日間計十六日間にわたりテストを依頼した。短い人でも一日8時間、長い人では14時間くらいにおよび、一日平均して10時間としても、一人40時間、四人合計して160時間というもうれつなテストだった。もちろん、これで完全だとはいえないと思うが、四氏ともほぼ確信のもてる状態で音質評価をしてもらった。

■スピーカーの置き場所
 ブックシェルフ型スピーカーでは、システムを置く位置によって、その評価にかなり差のあることはよく知られている。そこで、各氏それぞれ四通りのスピーカー配置で試聴してもらった。たとえば、下段に置いたシステムはその次の日には、中段に、その次には上段にというように積み変えた。さらに正面、右側、左側もそれぞれアレンジしてできる限り場所を入れかえてテストした。

■スピーカーの能率による音質の差
 今号でテストした50機種は、口径も違えば、構成も違い、当然スピーカーの能率の良し悪しによって、再生レベルが変わってくる。特に比較試聴の場合、音量の大きい方が得をする場合が多いが、今回はテスターに手許にアンプを置き、スピーカーを切替えた都度ボリュームを調整してもらって、聴感上なるべく音量を揃えるようにした。

■レベルコントロールのセットポイント
 テスト機種のスピーカー構成は、シングルコーンのユニットを1本使用したものから、4ウェイのマルチウェイシステムまであり、50機種のうち9機種を除いた41機種は何らかのレベルコントロール装置がついている。これらのレベルセットは、ノーマルあるいはナチュラルなどの表示のあるものはその点に合わせ、表示の内連続可変型のものはメーカーの指定した位置に合わせた。

■テストに使用した機種
 今回のテストに使用した機種は次の通り。
JBL SA600 プリメインアンプ
 このアンプは本誌第3号および第8号の氏プテストでトランジスターのプリメイン型のアンプである。
シュアー V15/タイプII
オルトフォン SL15/ME
 この両カートリッジは、いうまでもなく本誌のテストに必ず使用する世界第一級のカートリッジである。
FR FRT3 ステップアップトランス
 オルトフォンのカートリッジを昇圧するためにFRのトランスを使用した。このトランスも本誌7号のカートリッジ/プレーヤーシステム特集号で好評を得たものである。
グレース G560L
 トーンアームにはグレースのG560Lを使用した。国産の第一級トーンアームであることはユーザーの多いことをみればうなずけるところである。
ティアック TN202
 これもフォノモーターとして定評のある製品。

試聴記と採点の基準について
 今回のテストリポーター四氏のうち、岡、菅野両氏には試聴記を担当してもらい、瀬川、山中両氏には、総合評価で推選、特選になった機種のみ、試聴記を担当してもらった。
 各氏にそろって記入してもらったのが、各機種ごとにある「ブラインドテスト評価表」で、
 ◉ 特選に値いするもの
 ◎ 推選に値いするもの
 ○ 準推選に値いするもの
 □ 次点
の四段階にわけて次のジャンル別7項目についてそれぞれ評点をつけてもらった。
 項目
 1 オーケストラ
 2 室内楽
 3 ピアノ
 4 声楽
 5 ポピュラー・ムード
 6 ポピュラー・ヴォーカル
 7 ジャズ
 たとえばオーケストラで特選のスピーカーはその項目のところに◉印がついている。従って、もしオーケストラ曲がたいへん好きな方であれば、なるべくオーケストラの項目に◉印の多い機種を、また、ジャズの好きな方はジャズの欄に◉印の多いスピーカーを購入の指針にされるとよい。
 8 コストパフォーマンス
 前記の7項目の採点が終了した時点で、各テスターにテスト番号によって価格を明示し、コストパフォーマンスを10点満点でつけてもらった。
 音質と価格をにらみ合わせて、最もお買得と思われる機種に10点、最もお買損と思われる機種に1点、従って5点近辺が価格相応といったところになるだろう。
 なお各機種の型名の後とブラインドテスト評価表、ならびに岡氏と菅野氏の試聴記の頭についている番号はテスト番号、つまり、スピーカー切替用スナップスイッチの番号と同じである。

ブラインド試聴者の立場から

瀬川冬樹

ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴 純粋聴感で選ぶベストシステム」より

 これがアンプの場合だったら、せいぜい同じカテゴリーの中で音のバランスやニュアンスが多少違うという程度なのに、スピーカーときたら、同じレコードがよくもこれほど違って聴こえるものだと呆れるくらい、五十組が五十通り、それぞれ違った音で鳴るのだから、はじめのうちしばしば途方に暮れた。
 ところが、二日、三日と聴き込んでゆくにつれて、スイッチのナンバーと出てくる音とが、少しづつ結びつくようになってくる。終りの頃は、ほかの人にスイッチを押してもらっても、たいていの音を当てられるし、当然、細かな相違もわかるようになってきた。ブラインドテストのやり方についても、いろいろ考えさせられる貴重な体験だった。

■試聴テストのポイント
 スイッチによる聴きくらべ、それもブラインドテストの場合には、心理的に陥りやすい罠が数多くあって、その一つひとつはスペースの関係で詳しく解説できないが、わたくしとしては、できるだけその面での弊害は除くよう、慎重に考慮したつもりである。ただ、ブックシェルフ型のスピーカーは、とくに置き場所によって音のバランスが変わりやすく、しかもこれほど数多く並らべ積み上げた場合には、多少とも互いに共鳴するという現象もあって、物理的に完璧を期すことは無理だと思う。少なくともそういう現象によってマイナス点がでないように、聴く位置を変えてみたり、トーンコントロールを大幅に変化させてみたり、また、それでもおかしいものは、置き場所を移動してもらう等、できるかぎりの確認を試みた。結果としては、音の質そのものが良くないスピーカーは、そうして条件を変えてみても決して点数が良くはならないし、音の素性がもともと良いものは、少しぐらい不利な場所におかれても、時間をかけて聴き込んでゆくと必ず浮かび上ってくるものだということが分った。しかし、あくまでも、この結果は本誌試聴室でのものであり、条件が大幅に変われば、また違った結果が出るかもしれないことは、想像に難しくない。わたくしとしては、ともかく与えられた条件の中で、最善の努力をしたつもりである。

 採点にあたって与えられた分類法は、○や□の印による四段階法であり、採点法に個人的には疑問が残っているが、一応、試聴した五十組の中で最良のものを三重丸とし、以下順位を割り振った。従ってこの中に、もう一つでも、もっと大型の本格的なスピーカーシステムが比較用にでも入っていたら現在の三重丸が◎か○になってしまう可能性は無いわけではない。いずれにしても、○印そのものは、音の硬さ柔らかさ、音の分離や切れ込みの良否といった音質そのものを決して現わさないから、○の数が多いからといって、これは聴感上の好みとはあまり関係が無いという矛盾を含んでいる。
 コストパフォーマンスについては、わたくしの基準は8以上がいわゆる買徳品、6~7は大体価格相応、4~5がその下のランクで、3以下は価格が高すぎるか音質に難点が多すぎるかのどちらか……といった採点である。
 音質の評価は、前述の理由から音のバランスそのものは重視せず、低音ではトーンコントロールで強調しても箱鳴りその他の欠陥が無いもの。中~高音では妙なクセ或いはトゥイーター等の欠陥によって針音やテープヒスが強調されないもの。そして中音域で音がスムーズにつながるものに良い点をいれるようにした。総体的には、音のクオリティ(品位、品格)そのものの良し悪しに重点を置いて、特に楽音のニュアンスやコントラストを正しく美しく再現するものを選んだ。また、わたくし自身は、ステレオの再生では音像定位の再現性を重視しているが、今回のようなスピーカー配置ではこの点の評価は無理だったので、一切ふれていない。
 なお、念のため、わたくし自身試聴した五十組のほとんどをまだ知らずに居る。テストを終ったいま、編集部ではいつでも教えてくれるというが、たまには、印刷された本誌を手にとるまで、知らずにいた方が楽しみが多い。