瀬川冬樹
ステレオサウンド 36号(1975年9月発行)
特集・「スピーカーシステムのすべて(上)最新40機種のテスト」より
10号、16号以来久しぶりの単独テストである。合同テストにはそれなりのメリットもあるが、反面テスト機器やレコードの選び方、コントロールのしかた、あるいは聴取位置などの面で、ほかのメンバーへの気兼ねも含めて制約が多い。今回は、一人で自由に聴けるという条件を、できるかぎりメリットとして生かすよう工夫してみた。
数多いスピーカーを、ある程度限られた期間内に、できるだけ正確に聴き分けるには、次のようないろいろな面に対して考慮する必要がある。
比較の順序の問題
従来のテストの場合は、価格別に並べて、国籍やメーカーを問わず機械的に聴く順序が決められる。これは一面公正のようだが、別の問題が生じる。というのは、別項でくわしく解説しているように、スピーカーの鳴らす音には、その製品を生んだ国の風土や国民性や音楽の歴史が色濃く影響している。イギリスの音色に馴染んだ耳でアメリカを聴けば、あるいはアメリカを聴いた耳で日本を聴けば、いままで鳴っていた音色に、少しも影響されずに次の製品を正確に掴むということは、訓練された耳をもってしても、相当に困難なことだと私は断言してもいい。それだから、従来の合同テストでも、途中で何回も、聴き終わったスピーカーをもう一度登場させて比較し、ダメ押しをしている。
そういう経験から、今回の私の場合は、イギリス製品を聴く日、アメリカでまとめる日……というように、国籍や風土に重点を置いて、同じ傾向の音色は同じ日のうちに比較してしまうようプログラムを組んでみた。結果からいえば、少なくとも従来の方法よりは、同じ国、あるいは同じメーカーの中でのランクやグレイドの差、あるいは同じ風土の中での微妙な音色の違いを、私としては正確に掴むことができたつもりである。もちろん、各グループごとに目ぼしい製品は残しておいて、別のグループを聴くときの比較参照にしてダメ押しをしたことは言うまでもない。
テストするという気負いをなくす
前回のテスト(28~29号)のときも、またそれ以外のときでも度々書いてきたことだが、私がこういうテストに好んで参加するのは、ひとりの気ままなオーディオマニアとして、まだ自分の知らないパーツを聴いてみたいという好奇心と、それに加えて、自分がいま愛用している製品よりも少しでも優れたパーツが見つかるのではないかという期待からと言っていい。
製品テストは本誌第3号以来、あるいはそれ以前の小規模なテストを含めればもう10年以上もやっているから馴れっこになっているとはいうものの、そのひとつひとつは、メーカーが、オーバーに言えば社運を賭けて作りあげた自信作で、それを、短期間にテストしようというのだから、できるかぎり見落し聴き落しのないよう、細心の注意を払わなくてはならない。
しかしそうするためには、逆のようだが、これからテストにのぞむのだ、などという気負いをなくすような、リラックスした心理状態に自分を置く努力をすることが、案外重要なことだと、これは長い間の経験から言える。ひとりオーディオマニアとして、と書いたのも、右のような理由を含んでいるのである。
そういう意味で、今回のように単独で聴けるという条件はありがたかった。というは、あらかじめ編集部から、リポーターが全部で6人と、いままでにない人数になると聞かされていたからである。それは私にとって、次のように解釈できた。
各自がそれぞれ自由に聴くとなれば、レコードの選び方にも聴き方にも、一人一人の個性が大きく反映するだろう。少なくとも、互いに個性を豊かに発揮する方が、結果がおもしろくなるはずだ。いままでと違って、あるいはいままで以上に、正反対とも思える意見が出てくるに違いない。それなら、私自身もできるかぎり、自分の気ままな聴き方を許してもらおう。それには、一人のアマチュアが、自宅にいろいろのパーツを持ち込んで、楽しみながら比較しているというような状況をつくり出してみるべきだろう。その方が、気負った聴き方よりもむしろ本質をつかむことができるはずだ。
レコードを選ぶ
たとえばいま、あるスピーカーが目の前に置かれる。すべてのスピーカーに対して、まず、全体の性格を掴むためにオーケストラのレコード(カラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェン序曲集。又はアバド/ウィーン・フィルのチャイコフスキー第六。別項参照)を鳴らす。このレコードだけは40機種に共通のテストレコードである。
これでスピーカーの大まかな性格が掴めてしまうと、そこで何となく、このスピーカーならアルゲリッチのショパンをうまく鳴らしてくれそうだ、とか、しかしアン・バートンのあの色っぽさは少しものたりないのじゃないか……などと、一曲聴いているあいだに、連鎖的に次に鳴らしたいレコードが決まってくる。次に鳴らしたいレコードは、スピーカーによってそれぞれに違う。言いかえれば、いま鳴っているスピーカーの音が、次に聴きたいレコードを暗示する。レコードファンであれば、新しい装置を揃えて試聴をはじめたとき、そうだ、こんどはあのレコードを聴いてみようと連想が湧いてきて、一曲終わるのも待ち切れずに次から次とレコードをかけかえる、あの気持をわかってもらえるだろう。私は全く、そういう気持でスピーカーを聴いた。中には聴くにつれて次第に、音楽を聴きたいという気持のしぼんでしまうような音もある。そういうスピーカーは、まずダメな製品だ。良いスピーカーは、必ず、次に鳴らしたいレコードを誘導してくれる。というより、音楽を楽しむ気持をふくらませてくれる。絶対にこれは断言できる。
そういう聴き方をするために、いつものようなテスト用のレコードのほかに、近ごろ自宅で何となくとり出して楽しむ機会の多いレコードの中から、できるだけ広いジャンルに亘るよう、そしてなるべく録音のいいものを、約40枚あまり選び出した。この全部を1台のスピーカーで鳴らすのでなく、いまも書いたように、スピーカーが連想させてくれるままに、勝手気ままに鳴らしてみるのである。そういう目的には30枚ではとても足りないが、自宅から一度に運べる枚数としてはこのくらいが限度だった。
だから私の場合、40台のスピーカーに共通のレコードはむしろ少ない。持って行ったのに、一~二回しかかけないレコードもあったけれど、それが案外自宅で楽しんでいるのと同じ気分にさせてくれて、割合にひとつひとつのスピーカーの素性を掴めたの
ではないかと思っている。
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紙数が尽きて、評価の基準や根拠について書けなかったが、28~29号を通じて書いたことと私の態度は変っていない。ただ、一年半前にくらべて国産の躍進が目立ったのはうれしいことだった。
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