Monthly Archives: 9月 1984

オンキョー D-7RX

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 オールホーン型スピーカーシステム、グランセプターでユニークなスピーカーシステムに対する姿勢を示したオンキョーからの新製品は、ウーファー振動系に、既発売のモニター2000に初めて活用された、ピュア・クロスカーボンを採用したD7RXとD5RXのシリーズ製品であるが、ここでは、上級機種、D7RXを紹介することにしたい。
 カーボン繊維を平織りなどとし、これを合成樹脂系の材料でシート状にしたものは、航空機関係をはじめスキーなどの素材として広範囲に使われているが、もともと非常に高価な材料であり、一般的にはガラス繊維を一本おきに入れて原価を抑えながら、適度の物性値を得ている例が多い。
 この高価な材料を、ピュア・クロスカーポンの名称のように、平織りシートを45度角度をズラして、2枚を特殊なエポキシ系樹脂で貼り合せてコーンとしていることは、この価格帯の製品としては 驚異的なことで、特筆すべき成果である。なお、この振動系の採用で、ピストン振動領域は高域にまで拡大され、従来のようにコーンの剛性不足で、音量を上げたときの飽和感が解消された点が確認できた。
 スコーカー振動板は、紙に比べ格段に大きな内部損失と速やかな減蓑特性をもつデルタオレフィンに添加物を配合し、剛性を4倍としたデルタオレフィン・リファインド板動板採用。トゥイーターは、オンキョー独自の振動板用薄箔マグネシュウム振動板採用のハードドーム型である。
 ネットワークはアンプ技術を導入した集中一点アースや、低音と中音・高音を2分割としたコンストラクションをとり、エンクロージュアは、レベルコントロール部分の平坦化、サランネット枠の反射対策、システム背面のバスレフポートなど、モニター2000の技術を採り入れている。ウーファーとスコーカーユニットとエンクロージュアの接触部に剛性のあるマイカとブチルゴムの混合物を充填して、不要干渉から正確なピストンモーションを保護していると発表されているが、おそらく、いわゆるパッキング材に相当する部分と思われる。この部分と振動板のピストンモーション領域との相関性があるとする説は、非常に興味深く、ぜひともその相関性をデータとして発表してほしいものである。
 適度にスムーズにコントロールされた帯域バランスと、しなやかで伸びのある音をもつシステムである。新材料ピュア・クロスカーボンも第2弾製品のためかほどよくコントロールされ、大音量時の芯の強さ、腰の坐った低域は、従来のデルタオレフィンとは別世界の安定感だ。情報量が多いLC−OFCスピーカーケーブルを使い、細かくセッティングを追いこめば、新製品らしい魅力を充分に味わえるはずである。

ティアック PD-11

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 オープンリールやカセットデッキでは、古くからの伝統を誇り、多くのファンに確実にバックアップされているTEACから、同社のCDプレーヤーシステム第一弾作品であるPD11が発売された。
 世界に先駆けて、レーザーピックアップ方式によるPCMディスクプレーヤーを開発した実績をTEACはもっているだけに、レーザーピックアップは音楽信号を読み取るメインビームとトラッキングサーボ専用の2個のサブビームを備えた3ビーム方式を採用。それとともに、ディスクの反りに対応して、フォトダイオード上に結ぶレーザービームの像の形を検出し、この像が常に真円であるように対物レンズを制御し、信号検出レーザービームの焦点を正確に保つ高精度フォーカスサーボにより、情報の読取りは、きわめて正確である。
 音質上重要なフィルターは、デジタルフィルター採用で、サンプリング周波数を2倍とした後にブロードなローパスフィルターを使うタイプで、音楽の雰囲気やニュアンスの表現に重要な超高域を確実に保護しているとのことだ。
 横能面は、タイマースタートやディスク挿入だけのオートスタート、1曲ごとまたはリピート1回ごとのポーズができる3ウェイオートオペレーション機能、23曲までのメモリーとメモリー再生時に自動的に3秒の曲間スペースを設定するほか、メモリー全曲の演奏時間の表示ができるクイックイージープログラミング機能、ディスク全曲、メモリー全曲、A・B間の3ウェイリピート横能、演奏中の曲の頭出しと次の曲の頭出し、音出し低速と高速さらに音無し高速の3モードが使えるミュージックサーチボタンなどの他に、PD11の動作状態が確認できるマルチファンクションディスプレイ、ディスク装着状態を確認できるディスクインジケーターなどが備わっている。なお、外形寸法は、横幅が、346mmのコンパクトサイズである。
 他社でいえば、すでに、第二世代から第三世代の製品に置換えられている現時点で、第一弾製品として登場してきたモデルだけに、総合的にはかなり手憬れた感覚で作られている。最初の製品に見られるトラブルめいたものが存在しないのは、当然の結果とはいえ本機の特徴である。
 音の傾向は、RCAピンコードの種類でかなり大幅に変化を示すタイプだが、基本的には、中高域に適度の華やかさのある軽快な音をもつ製品である。CDのハイクォリティさを引出すというよりは、機能面でのCDの特徴を活かして、フールプルーフにイージーオペレーションで音を楽しむのに適したモデルであろう。実用面では、外部振動の影響を受けやすい傾向をもつために、設置場所はアナログプレーヤーなみに注意することがポイントになる。

NEC CD-607

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 NECのCDプレーヤーは、第1号機として極めて高度な内容をベースとして立派な音を聴かせたCD803、操作性を改善し使いやすい高級横として開発されたCD705と、今回発売された、基本性能を重視して開発されたCD607の合計3機種となった。そのすべてが、外形寸法的に横幅430mmのパネルをもつ、標準サイズであることが特徴だ。
 音の入口を受持つピックアップ系は、小型化、軽量化を図った、振動に強い新開発のタイプであり、小型ハイブリッド化した信号処理回路をはじめとする専用設計LSI、ICを採用している。フィルター関係は、CD803、CD705で実証したNEC独自の16ピットデジタルフィルターを搭載し、広いダイナミックレンジとセバレーションの優れたCD独特の豊かな音場感情報を聴かせるということだ。
 機能面は、10キーは省咤してあるが、最大15曲までをランダムにプログラム選曲できるランダムプログラムメモリー、任意の曲から演奏可能な一発選曲機能、プレイ中にFF、REWキーの操作で行なうキューレビュー機能、ディスクをローディングメカにセットしプレイボタンを押せば最初の曲から演奏をはじめるワンタッチイージーオペレーション、メモリープレイ時にはプログラムされた曲を、メモリーのないときにはディスク全曲をリピートするリピート機能、タイマー再生可能なオートスタート幾能をはじめ、動作状態が一目で確認できる大型ディスプレイは、ディスクの有無、曲番号、インデックス番号、メモリープレイ、リピートが表示できるほかに、現在演奏している曲のリアルタイム、残り時間、ディスクの最初からのリアルタイム、ディスク最後までの残り時間、メモリープレイ時では、メモリーされている全曲のトータル時間と残り時間の6種類の時間表示が可能である。
 CD607は、刺戟性のないスムーズでクォリティの高い音が最大の特徴だ。平均的に、このクラスの価格帯のCDプレーヤーは、音質コントロールの不足に起因する、音の粗さや、不備な面が音に出やすいが、このモデルの非常に抑制の効いた穏やかで、充分にコントロールされた音は、特筆に値するものがある。第1号横のCD803の安定感のある低域をベースとしたパワフルでストレートな音とは、典型的に好対照となるタイプの音である。美しく、キレイに音を聴きたいファンには好適のものだが、音楽をアクティブに楽しむタイプの聴き方をすれば、古典的な音と受取れるだろう。これが、CD607の個性である。
 外部振動に対しては非常に強く、外乱に強い特徴があり、比較的に置き場所にはブロードに反応するが、やはり質的に聴けば設置場所の選択がポイントである。

Lo-D DAD-600

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 昨年6月に発売したDAD800をベースに、信号処理ユニットだけに採用していたIC化モジュール化を一段と進めた、標準サイズの横幅をもつパネルを採用した、ワイヤレスリモコン標準装備の新製品だ。
 ピックアップ系は、反射プリズムによるレーザー光反射の影響を除去した2軸直交光学系採用のコンパクトな3ビームタイプで、トラッキング訂正信号とフォーカスエラー訂正信号に対して対物レンズを敏速に移動するLo−D独自の2次元駆動アクチュエーター方式で、スピーカーのボイスコイルに似た駆動部は、訂正信号に対してレンズを上下、左右の2方向に高速移動し高精度なトラッキングフォーカスを実現しており、ディスク駆動モーターは独自のブラッシュレス・コアレス・スロットレスのCD専用ユニトルクモーターを新開発し、ワウ・フラッターを低減し、信号エラー率を下げることに成功している。
 DAD600でのモジュール化は、ディスクモーター制御、ローディングモーター・ピックアップ制御と、プリアンプ部の3ブロックの回路を大幅に集積化し、信頼度を向上しているのが新しい特徴である。
 ワイヤレスリモコンユニットRB600は、すべての10キー入力ボタンをはじめ、再生、ストップ、FF、REWなど多彩な機能をコントロールできる。
 機能面は、好みの曲を任意の順で15曲選曲できるランダムメモリー選曲、演奏中やポーズ時にも好みの曲をダイレクトに頭出しできるダイレクトプレイ、インデックスナンバーを利用するインデックスサーチ、FFボタンを押しつづけると約4倍速、約15倍速、約30倍速の3段階に早送りできる3段階マニュアルサーチ、電源スイッチONで、自動的に1曲目から再生をするタイマースタート、全曲・選曲・1曲と二点間の4種類のリピートをはじめ、選曲後ポーズを押すと頭出し後演奏スタンバイをする選曲頭出しポーズ機能など、多彩な機能を装備している。
 試聴では偶然に製品番号の異なった2モデルを聴くチャンスがあったが、細部の些少な違いはあるにせよ、機能面、音質面、ディスクのローディングメカニズムの動きと動作音などの諸点でも、さすがに第三世代の製品であるだけに、充分にコントロールされており、その信頼性は高い。
 試聴はヘッドフォンレベルと連動している出力ボリュウムを上げて行なう。バランス的には高域にシャープな輝きがある、クリアーでやや細身なサウンドであり、適度に活気のあるCDらしい音が特徴だ。
 外部振動に対しては、さすがに第三世代の製品らしく強いが、クォリティを要求する再生では、充分に強度があり固有の共振や共鳴のない場所を選ぷ必要がある。適度にコントロールされた好製品と思う。

パイオニア S-180D

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 1978年秋に発売されたS180は、ほぼ、2年毎に改良が加えられ、S180A、S180IIIを経て、今回3度目のモディファイにより、S180Dにリフレッシュして登場することになった。
 基本構成は、第3世代のS180III以来の高域にリボン型トゥイーターを採用した3ウェイ・バスレフ型システムだが、内容の変化は、完全に新モデルと呼ぶに相応しく、実質的なグレイドアップだ。
 まず、ウーファーは、S9500で採用した、ダブルボイスコイルのEBD方式が最大の特徴だ。2重綾織りダンパー、ロープロファイルウレタンロールエッジとカーボングラファイトコーンの振動系に、磁気回路の振幅歪を低減する、ボールピースの切れ込みとサブポールを使ったリニア・ドライブ・マグネティック・サーキット方式を併用する。S1801IIIと比べ、外径は165mmと共通だが、厚みを12mmから17mmに約40%増したストロンチュウムフェライト磁石採用の強力磁気回路が目立つポイントだ。
 スコーカーは、基本型はS180以来のものだが、振動系は一新され、コーン周辺部に折曲げリブ構造をもつワンピースの一体成形タイプに発展し、ボイスコイルと振動板の接着にはS9500で初採用した特殊接着剤により伝達ロスを抑え、エッジは3層構造の新タイプを採用している。
 トゥイーターは、ペリリュウムリボンに新形状のホーンを組み合せ、指向性とエネルギーバランスを改良して、クロスオーバー4kHzを達成した新タイプである。
 エンクロージュアは、内部定在波をコントロールするため、奥行きを小さくし、S180IIIより吸音材を少なくした高剛性タイプである。
 S180Dは、このクラスの製品としては、異例ともいうべき物量投入型で、しかも、新方式、新構造を採用した注目すべき新製品である。最大の特徴たるEBD方式は、エンクロージュア容積を2倍にしたことに相当する豊かな低域再生を可能とし、重低音再生に特徴があるが、S9500よりは、聴感上でタイトにまとめてある。
 ほぼ、1ランク上級機種に相当する強力なユニットから再生される音は、内容がギッシリと詰った印象があり、音の伸びも鮮烈である。基本的な帯域バランスは、充分に低域に向かって伸びた柔らかい低域をベ−スに、抜けのよい中域と適度に華やかで輝きのある高域が、巧みに3点バランスを形成したタイプだ。内容があるだけに使いこなしでトータルなサウンドが大幅に変わり、セッティングとか、併用するアンプ系やプログラムソース系の欠点を、スピーカーの欠点と誤認しやすい点に注意したい。
 性能の高さを音として活かすには、正しい使いこなしがぜひとも必要であり、使いこなしを要求する見事なシステムである。

トリオ LS-990A

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 トリオから、デジタルオーディオに対応したスピーカーの新技術、クラスAサスペンションを開発し、これを採用した3ウェイシステムLS990Aが発売された。
 従来からも、トリオのスピーカー技術は軽質量コーン採用の完全密閉型とか、高剛性思想に基づいたリブを付けた紙製の高剛性コーンのウーファーの採用など、ユニークな開発を特徴としている。今回の、クラスAサスペンション方式とは、ウーファーのコーン支持部分の一部である、いわゆるダンパーとかスパイダーといわれる部分を、ボイスコイルが前方に動くときと、後方に動くときと、完全に同じ動作となるようにし、かつ微少入力から大入力時までの直線性を高めるために、対称型のスパイダーを2枚組み合せて使うタイプのことを意味している。簡単に考えれば、従来からの手法であるダブルサスペンション型の発展型と考えてよいものだ。
 ちなみに、かつてトリオでは、コーン外周のサスペンションであるエッジ部分に、前後方向の振幅に対して対称的動作をさせるために特殊なS字型をした形状のタイプを開発し、採用したことがあったが、今回はスパイダー部分のみであり、エッジ部分はいわゆる在来型である。
 このところ振動板材料に新素材を導入する傾向が一段と強まっているが、トリオでは従来の高剛性思想に基づいた特徴的なリブ入りパルプコーンを脱皮して、今回はウーファーコーン材料に、HRクロスカーボンを採用している。この材料は、同社のLS1000システムでスコーカーとトゥイ−ター振動板に既採用のものだ。今回はリブ強化パルプ層、高発泡樹脂層をサンドイッチ3層構造として採用されているようだが、資料にはその詳細は発表されていない。
 スコーカーは、ボイスコイル部分を含め一体成形をしたチタンの表面に窒化系セラミックTiNをイオンプレーティングしたドーム型に、特殊処理をしたコーンをつけた複合型。トゥイーターは、スコーカードームと同様な材料によるハードドーム型だ。
 ネットワークは、相互干渉を除去した、このクラスには少ない、高・中・低の3ブロック分割型。エンクロージュアは、バッフル板に、18mm厚と12mm厚を貼り合せに使用し側板と裏板は12mm厚とした、いわばバッフル重視型の、折曲げポート付のバスレフ型である。
 本機の音は無理のない帯域バランスとメリハリの効いた輪郭のクッキリとした力強さが特徴である。あまり音を抑えてキレイに鳴らそうという傾向が感じられず、ストレートさが良さであり魅力だろう。個性型のためか、あまり置き場所の影響も受けず、活気のある鳴り方をするため、分かりやすくその商品性は高いと思う。

やわらかくふくよかな弦の音を出すための考え方、方法論

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:やさしさ、やわらかさ、ふくよかさ、鴻毛のような軽さ、そんな弦合奏が聴きたいのですが、スピーカーというものはどうして、ああも、キンキン、ギラギラ、ガリガリと鳴るのでしょう。ハイスピードだの立ち上りの鋭さなどが美音の代名詞になっているオーディオ評論には納得がいきません。充分大音量が出せて、しかも、しなやかな音を失わない、そんな装置を教えて下さい。

A:『スピーカーというものはどうして、ああも、キンキン、ギラギラ、ガリガリと鳴るのでしょう。ハイスピードだの立上がりの鋭さなどが美音の代名詞になっているオーディオ評論には納得がいきません。充分大音量が出せて、しかも、しなやかな音を失わない装置を教えて下さい』前半の音の要求は省略したが、これが、この質問の条件である。
 これが、現実のオーディオファンの気持を代表しているものとすれば、大変に困ったことである。まあ、これを本誌編集部の一種のユーモアと割切って質問を考えてみることにしたい。
 基本的には、質問に正しく答えることは、この場合不可能である。やさしく、やわらかく、ふくよかに、鴻毛のような軽さ、そんな弦の合奏が聴きたい。という前半の要求は、そのような音が出せるとしたとしても、末尾の、充分大音量が出せて……。という要求はどうして出てくるのだろうか。これが最大の難問たるところだろう。常識的には、弦の合奏を充分大音量でし再生するということは、オーディオではありえないことである。これでは、チェンバロを大音量で聴くことと同意味ではないであろうか。このあたりについては、ぜひとも、ステレオサウンド刊の書籍、五味康祐オーディオ巡礼、池田圭著『音の夕映』、オーディオ彷徨/岩崎千明遺稿集、聴えるものの彼方へ/黒田恭一著あたりをお読みいただきたいものと思う。
 次に、キンキン、ギラギラ…… 美音の代名詞になっているオーディオ評論……。についてであるが。私もすべてのオーディオ誌を読んでいるわけではないから確かなことは言えないが、そのような評論が現代スピーカーの美音ということで、書かれるはずがないと断言したい気持である。少なくとも、ここに表現された言葉は、良い音の表現には絶対に使わない言葉であるからだ。その意味では、大音量の弦合奏の再生とともに、難問ともいえるし、愚問ともいえるところである。
 まあ、簡単に考えて、やわらかく、軽く弦が聴きたい、とすると、オーディオ的な意味では、この要求は判かる部分である。というのは、現実の弦楽器は、やさしく、やわらかく、ふくよかに、のみ鳴るものではなく、非常に鋭く、刺激的な音すらも聴かせるものであるからだ。
 さて本題に戻り、弦合奏をオーディオ的な鳴らしかたという意味を含めて、やわらかく軽く聴くための条件を考えてみよう。まず、聴く部屋の問題である。広さは、最低20畳は必要で、響きがよく、雑共振や共鳴のあまりないことが要求される。つまり、頑丈で共振の少ない良い木材を使った床、壁、天井、それも充分に高さのあることが必要だろう。少なくとも、オーディオ的な吸音処理は最少限にとどめ、響きを殺さず、共振や共鳴をコントロールすることが大切である。
 スピーカーは、弦楽器を再生するとなると電磁型なら、軽く剛性のある振動板と強力な磁気回路が必須条件だ。静電型+サブウーファーも候補に挙げられるだろう。基本的には、いかに高価格なシステムといえども物量投入には制約が存在するため、質問に要求される音を再生することは不可能であろう。
 したがって、ここでは、いわゆる組合せというサンプルプランは存在しないことになり、考え方と方法論がテーマになる。
 超強力ドライバーユニットに古典的な長大なホーンを組み合せた中域以上のユニットを使い、弦楽器の細やかさ、やわらかさ、軽さを再生しようとする方法は、以前から国内の一部のファンが試みたタイプである。現実の製品には、ゴトーユニット、エール音響、YL音響などの中域ユニット、高域ユニットに、コーン型低域ユニットを、エンクロージュア、またはホーンロードをかけて使う方法である。調整は非常に難しく、かなり高度の技術が要求され、アンプは当然チャンネルアンプが前提である。開題は、音速が有限であることと、位相関係が乱されやすいこと、ホーン独特のキャラクターが残ることなどがあるが、プログラムソースとマッチした場合の音は、既製のシステムとは隔絶した見事さだ。
 静電型とサブウーファーの組合せは、米国で、試みられる例が多く、国内では、QUAD/ESL×2とハートレーのウーファーを組み合せた、マーク・レビンソンHQDシステムが知られている。基本的にESLが両側に音を出す特長をもつため、部屋のコントロールと条件は大変に難しいタイプである。
 ここまで試みたとしても、とかくオーディオで、弦とピアノは両立しえないものであることは忘れないでいただきたいことだ。
 やわらかさ、軽さ、を、ある程度の要求にとどめれば、10万円クラス以上のブックシェルフ型システムでも、らしい感じを出すことは可能である。簡単に考えれば、ソフトドームを使ったシステムの細やかさを活かす方法もあるし、平面型システムの適当に距離感をもち、奥に広がる音場感と部屋の響きを活かす方法も可能性がある。要は使いこなしであり、それも、技術的に裏付けのあるアプローチが必要である。
 ちなみに、質問のキンキン、ギラギラという音が現実に出ているとすれば、明らかに使いこなしが原因の一部であり、また、スピーカーが原因ではなく、アンプ系に問題が多いことは、常に経験するところである。
 最近の例でも、ある場所で、スピーカー、アンプ、CDプレーヤーの新製品を聴いたが、最初メタリックな音が出ていたのに、アンプ、CDプレーヤーの処理方法と使いこなしにより、ほぼ完全にメタリックな音が消え去り、しなやかで、やわらかい音が得られたことがあるが、これなどは、とかく、スピーカーに責任があると思いやすい誤認の好例である。

スタックス SR-Λ Pro

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 スピーカーとリスニング・ルームとの関係は難しい。個々の部屋は固有の音響特性を持つ。スピーカーのセッティングや、家具類、カーテン、絨緞などの配置で、その癖を出来るだけ抑え込むことが必要だが、それで理想的になるとは限らない。音響設計をして部屋を整えるというのも大変なことだし、それも常に成功するとは限らない。第一、その費用は膨大なものになるし、失敗した時のやり直しは容易ではない。遮音と室内の整音とでは互いに相反する矛盾条件を抱えているので、やるからには大変な費用を覚悟しなければならないし、その上でスペースと自然な生活環境を兼ね備えようとなると気の遠くなるようなコスト・リスクを負わねばなるまい。もともと、レコード音楽の本質は、家庭で居ながらにして音楽を楽しむというのが大前提だから、まるで、スタジオのような費用と生活の雰囲気を犠牲にするというのは決して薦められることではない。部屋に無関心でいい音を聴くのは難しいが、すべてを部屋のせいにして諦める必要もないだろう。そこで現実は、与えられた条件の中であれこれ工夫して残響周波数特性を出来るだけ整え、しっかりとした機器の設置を工夫し、反射音や、定在波に対処する努力をするわけだ。さらに、それらの音響的処理でも不十分な場合には、イクォライザーを使って電気的に調生することも悪くない。イクォライザ一素子が介入することによって音の鮮度が若干おちることは仕方がないが、大きなピーク・ディップをそのままにして聴くことと、どちらがよいか? 昔とちがって、現在の優れたイクォライザーなら、SN比の点でも、歪の点でも、大きなピーク・ディップによりマスキングされた音からすれば問題にはならないといえるだろう。ただし、この調整にはかなりの熟練を要することは当然であるが……。
 もっとも難しいのが、マイクロフォンの測定ポジションの問題である。リスニングポジションに置いての測定、数ヵ所での測定の平均値の算出など、それぞれに一理はあるが、いずれも、非現実的で、目安程度の判断にしかならないと思う。かといって、測定データを無視して、ただ聴感だけでおこなうことはもっと難しいし、危険でもあろう。一応の目安は測定により知るべきだと思う。測定データだけを頼りに周波数特性だけをそろえても、まず聴感上では好ましい音にはならないのが普通である。より大がかりで精密な測定器があれば、周波特性と各周波数での残響時間を測定することにより、もう一歩、適確に状況判断がつくが、部屋の残響周波特性は、イクォライザーでは調整不可能である。かりに、理想に近い三次元測定と、その結果の調整が可能であるとしても、それには大変な費用がかかり、かつそれで最高の音が得られるとは限らないのがオーディオの面白さ、難しさなのである。ましてや、不備な測定データを丸ごと信じて、それでよしとしていては、機器の能力をフルに発揮させることは出来ないし、美しい音の実現には程遠いといってもよいだろう。
 録音から再生までのトータルでの仕掛けでもあるオーディオのメカニズムは、それが仕掛けであるがゆえに、必要悪も、ギミックも含まれることは当然で、いい音の達成のためには、科学的な技術知識と、それを補う感性が絶対に要求されるものである。そこで、本題のスタックスのコンデンサー型ヘッドフォンについてだが、私は、このSRΛプロとSRM1MK2プロを、もともと、自分の録音したレコードの制作プロセスで、カッティングのバランスなどのチェックに重宝してきたのである。私のスピーカーシステムは、バランス的に、ある客観的なレベルにあるつもりだが、決してフラットではないし、部屋を含めた私の嗜好の範囲で鳴らしている。つまり、マイ・サウンドである。したがって、商品としてレコードにする場合、最終確認を、部屋の要素が入り込まず、細部のデリカシーもよく聴きとれて、しかも、周波数的なバランスに優れているこのヘッドフォンでチェックするのは大変有効なのである。もちろんインピーダンス制御のヘッドフォンとスピーカーを一緒にすることは出来ないし、バイノーラルとステレオフォニックなイメージを混同するものでもない。
 こうした目的に使っているうちに、いつしか、例のスピーカーのバランス調整のチェックにも利用すると便利なことに気がついた。一応の測定データに基づいて、電気的に、音響的にチューニングをした後のつめは、私の耳によって、各種の音楽レコードを聴きながらおこなっているが、人間の悲しさ、疲れていたり、情緒不安定であったりすることもないとはいえない。だから、結果的には数日、数週間、あるいは数ヵ月を要して音をつめるのだが、そうした時の感覚の大きな逸脱のブレーキとして、このヘッドフォンが役立ってくれるのである。ステレオイメージや音場感は別として、先述の音楽バランスや、音色感などは、部屋の要素が入らず、耳への周波数的時間遅れのないヘッドフォンは大いに参考になる音を聴くことができるのだ。最近は、優れたヘッドフォンが多いようだが、私が人知れず、便利に使っている、とっておきの音を聴かせてくれるのが、このSRΛプロである。そして、ヘッドフォンとスピーカーの音の相違を通して、実に多くの音響的ファクターを類推することも面白くいろいろなことを学ぶことも可能である。同時に、この優れたヘッドフォンは、頭にかぶり、バイノーラル的サランドイメージを覚悟すれば、美しい音楽の鑑賞用としても抜群だ。

知的なサウンドを聴かせるシステムとは

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:洗練された響きのヨーロッパジャズに代表される知的なサウンドを聴かせるシステムを構成して下さい。ただし、あまり高価なものでは困ります。よきアドバイスをお願いします。

A: 洗練された響きのヨーロッパジャズに代表される知的なサウンド……? 果して私がイメージするそれと、質問者のそれが合致するかどうかが少々不安である。そもそも、ヨーロッパジャズという言葉が必ずしも音楽的内容を限定したり、表現したりする明確な意味をもっているかどうかがうたがわしい。ヨーロッパのミュージシャンによるものだけで、ヨーロッパのジャズは成り立っていないし、ほとんどのヨーロッパのジャズミュージシャンは、アメリカのビッグアーティストの流れを受け継いでいる。時には、アメリカのミュージシャンが、ヨーロッパで演奏したもののほうが、よりヨーロッパ的なムードを聴かせる場合もある。こうなると、ヨーロッパで録音したジャズをヨーロッパジャズといってもよいようだ。イタリー録音のジャズに聴ける……例えば、ドン・ピューレンのしっちゃかめっちゃかな激烈なピアノなど、その反面のリリシズムやパストラールなムードと合わせ考える時、私には何がヨーロッパジャズなのか、正直なところ把握しかねるのである。キース・ジャレットの〝ケルン・コンサート〟に代表されるようなロマンティシズムとリリシズムは明らかにヨーロッパジャズだと感じられるようだが、あれは果して、純粋なヨーロッパジャズといってよいかどうか? むしろ、アメリカンのヨーロッパへの憧憬と、ヨーロッパによる触発というべきかもしれない。知性派ベーシストのアデルハルト・ロイディンガーなど、特に、彼のリーダー・アルバム、〝ヨーロピアン・ラプソディ〟に聴けるファンタスティックな世界を垣間見ると、これがヨーロッパジャズだとうなずけるものもなくはない。NYのロフト・ジャズ・シーンがパリで展開したってよいのである。〝クロスカレント/サム・リバース〟なんかはその好例だろう。そして、また、サウンドとなれば、必ず音楽的内容だけではなく、録音が大きな影響力をもってくるのである。その証拠に、私が録音した〝サンベアーコンサート〟のキース・ジャレットなどは、私自身で聴いても、ヨーロッパ・サウンドといっても違和感のないものになっている。ミュンヘンのドミツェルで聴いたマル・ウォドロンは、日本のステージでの彼とはちがって、こっちの受け取り方だけではなく、かなりヨーロッパ的であった。古くは、ビル・エバンスのモントルー・フェスティバルの録音にもそれを感じた。
 というようなわけで、正確、かつ、明確にヨーロッパジャズに代表される知的なサウンドのイメージは私の中に湧いてこないので、ここは〝ジャズの知的なサウンド〟とい言葉に集約させて、そこに、ヨーロッパ的サウンドの雰囲気を加味したオーディオ・コンポーネンツの性格をブレンドして御期待に沿うことにさせていただこう。〝あまり高価格なものではなく……〟という条件も考慮して苦慮して選んだ組合せの一例が次にあげるものになったが、いかがなものだろう。
カートリッジ オルトフォンMC10スーパー
プレーヤー ケンウッドKP880D
プリメインアンプ ヤマハA2000
スピーカー B&O M150−2
 このシステムの場合、合計価格は60万円強といったところで、決して安くはないが、音の品位や主張の筋は通っていると思う。つまり、再生装置としては一級品といえるものだが、こうなると、価格はどうしてもこのぐらいになってしまうだろう。
 M150−2スピーカーの音は、造形のしっかりした明快な音像が、透明な空間感のデリケートな雰囲気と相俟って、決して華美に堕さないクォリティをもっている。俗にいうシックなサウンドで、ヨーロッパジャズ……という質問者のイメージを具現すると、こういう音になるのではなかろうか? このスピーカーを十二分に鳴らし切るには、アンプが重要で、この点、ヤマハのA2000なら、相手にとって不足はない。透明度が損われることなく、豊潤な響きが味わえるはずだ。プレーヤーは中級機として、手堅い内容をもつた実力横、トリオのKP880Dであり、これに、オルトフォンの低価格ながら、立派にオルトフォン・サウンドを聴かせるMC10スーパーを装備する。外観的にも、操作感の点でも気は配ったつもりであるから、システムとして、部分的な違和感は少ないはずだ。感性の世界であるオーディオ・レコード音楽に遊ぶ人達にとって、この事も、音と同じぐらい重要な要素になるはずだ。
 それにしても、オーディオ機器個々のもつ個性と、それらをシステムアップした時に発揮するトータルサウンドの性格は興味深いものだ。エレクトロニクスやメカニズムの技術の総合的発達と、オーディオ技術の熟練が、コンポーネンツの水準を上げ、忠実な伝送、増幅、変換の性能を高度に達成した今日でさえ、サウンドの個性的雰囲気や質感は厳然として存在し、奏でる音楽を彩色する。ジャズは、音楽の中で、明らかに特徴を強く主張するから、その音楽的特徴が曲げられては困る。アメリカ的であれ、ヨーロッパ的であれ、そうしたジャズの本質的な表現の特徴は、エモーショナルにもフィジカルにも、ダイレクトにメッセージを伝えるところにあると私は解釈している。それは、弾き手にとっても、聴き手にとっても、共通する音楽的特徴といえるだろう。これを音としてオーディオ機器がハンドリングするにあたって必要なことは、充実した中音域と、明確な音像エッジの再生に条件をしぼれるように思う。逆に中音城が貧しく、エッジのボケる音は、ジャズの魂を失わせてしまう。こうしたリアルな骨格に、いかなる肉付きと肌合いをもたせるかは、ジャズのセンスであり、知性であろう。極端にいえば、〝歪んだ音でもジャズは死なない〟のである。

BOSE 901SS-W, 301MM-II

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「BEST PRODUCTS」より

 ボーズからの新製品は、同社のトップランクモデルとして開発された、901SS−Wシステムである。その基本型は、前面と背面の2通りの使い方ができるバイフェイシャル方式のユニークなモデルとして発売された901SSで、これに数々の改良が加えられた新モデルであり、901シリーズIVとは、異なったラインの製品である。
 このモデルの最大の特徴は、エンクロージュアの仕上げが、落着いたローズウッド調のダークブラウン系にまとめられていることで、エンクロージュア底面には、入力端子と天井取付金具CB1、スピーカースタンドSS5が使えるように、ナットが埋込まれており、別売のスタンドには色調を揃えた茶系のPS4SSが用意される。
 発表資料によれば、901SS−Wの音質面での特徴は、高域における繊細さをさらに洗錬させるための改良を随所に施し、SN比の向上、ダイナミックレンジの拡大と併せて、音楽性をより一層高めた、とある。
 インピーダンス0・9Ωのフルレンジユニットを9個直列接続にして、8・1Ωとしていることをはじめ、エンクロージュアの基本構造はシリーズIVと変わらないが、細部においては、合成樹脂系の成形品で作られている内部構造材と木製のジャケット的な外皮でエンクロージュアとしシリーズIVと比べ、内部構造材そのものだけでエンクロージュアを形成してこの部分の気密性を高めてあること、ユニット関係では、振動系の外観上の変化は少ないが、高域の歪の低減をはじめ、耐入力、耐破損性を高めるとともに、コーン裏側に施したダンプ材料のコーティングなど、細部を含めればシステムとして100箇所あまりの改良が加えてあるというのが、ドクター・ボーズのコメントであるとのことだ。
 なお、専用イコライザーは、初期の901SSでは、ブラックパネルに2個のレベルメーターが付いたタイプであったが、これが新タイプに発展したブラック仕上げが901SS用であるが、この901SS−W用には、シルバー仕上げのイコライザーが専用として用意されている。
 301MM−IIは、発売以来すでに4年が経過し、仕様を変更して、今春シリーズ IIに発展している。これにともない301MMのカラーバージョン301MM−WもシリーズIIに変わった。
 主な変更点は、まず、ユニット構成が従来と同様に2ウェイ方式であるが、トゥイーターが2個になり、エンクロージュア内部で一定の角度で前後に向けて固定され、旧型のフォーカシングコントロールがなくなったことが最大の特徴である。その他、前面と側面のウレタン製グリルが布製になり、BOSEのエンブレムが固定式となった。また、左右グリル間の木製の板が成形品となったことも印象が異なる。
 エンクロージュアの外形寸法は旧型と同様だが、板厚が数mmほど厚くなったためPR3以外の従来の取付金具は使用できず、新タイプの金具が用意されている。
 ユニット関係は、振動系コーンの色調がグレイ系から新製品共通のブルー系のコーン材料に変更され、裏側にダンピング材料がコーティングされている手法は901SS−Wと共通なところだ。
 901シリーズの音は、小口径フルレンジユニットを前面に1個、背面に8個分散させ、実際のコンサートホールでの直接音と間接音の比率をリスニングルームに再現するというユニークな構想に基づいた特徴に加えて、小口径フルレンジユニットの音に不連続な面がなく、緻密で、いきいきとしたサウンドの特徴を活かした点にある。低域と高域の不足を電気的なイコライザーで補い、その技術的内容がダイレクトに音として感じられる、プレゼンスとサウンドの魅力がメリットである。
 901シリーズIVが、穏やかなまとまりを示しながらも、緻密で内容の濃い音を聴かせるのに比べ、901SSは、同じようにダイレクト/インダイレクトの使いわけをしても、適度に広帯域型で、分解能が向上したクリアーで現代的なクールな音と雰囲気が、コントラストを作っていた。今回の901SS−Wは、901SS系をベースに分解能が一段と向上した印象である。細やかさ、しなやかさが、穏やかで暖かな雰囲気のなかにまとまって、熟成されているのが魅力であろう。
 この性質は、直接音を大きくして使う、サルーンスぺクトラムの場合でも、901SSとの性質の違いとなってあらわれるが、エンクロージュア左右に一対として付属しているフィンが、901SS−Wでは、木製ということもあって、バイフェイシャルな使いかたで、音とプレゼンスが大きく変化する。一例として、壁面から数十cm離して設置し、901シリーズIVと同様にフィンを閉じた状態と、外側のフィンを壁と平行とし、内側のフィンを各種の角度で使ってみると、音のバランスをはじめ、音像定位、音場感が相当に変化をするのが聴き取れるだろう。つまり旧301MMのフォーカシングコントロール的に考えればこの2枚のフィンは、サウンドキャラクターとプレゼンスのコントローラーとして使いたいユニークな機能である。この901SS−Wの小型高密度タイプでありながらクォリティが高く、音場感的プレゼンスに富むところは、他に類例のない魅力である。
 なお、301MM−IIは、旧型よりキメ細かく、しなやかとなり聴感上でのSN比が良いのが特徴だ。2個の固定した高域を活かすためには、使用にあたり内側と外側に置換えて調整するのがポイントだ。

オンキョー Grand Scepter GS-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
「興味ある製品を徹底的に掘り下げる」より

 グランセプターについての概要は、本誌71号の《ビッグサウンド》に既述した。しかし、限られたスペースで、このスピーカーのもつ特徴のすべてにふれることは不可能であったし、ようやく市場に導入され始めたこのスピーカーに大きな関心をもつ方もおられることと思うので、その後のこのスピーカーと私の触れ合いも含めて、さらにグランセプターの実像を浮彫りにすることを試みてみたい。
 前にも書いたが、このスピーカーシステムは、オンキョーの技術陣が、新しい視点でスピーカーを見直し、多くの成果をあげたニューカマーである。この製品は現在までに存在した世界の数々のスピーカーシステムが成し得なかった性能を具備していることは明らかであり、スピーカー技術史上に記憶されるべきシステムだといっても過言ではない。ただ誤解の危険性もあるので、あえていわせていただければ、個人の嗜好を含めて、即、最高の音が鳴るシステムだといいきることは難しい。すべてのスピーカーは、その技術の新旧に関わらず、そして、程度の差こそあるかもしれないが、必ず固有の音色や、音場イメージをもつものであり、それらが、個人の音感覚やコンセプトと結びついての好き嫌いの判定という問題は、絶対的なものだ。これをすべて否定し去ることはレコード鑑賞やオーディオの価値を著しく低下させるものであり、人間性の無視にも繋がる。ごく控え目にいっても、オーディオの楽しさを半減させる不毛の論理ともいえるだろう。限りなき科学的追求と芸術性の追求こそが、オーディオに大きな実りをもたらすものであり、そのバランスの達成が、この道の本道だ。録音空間という、いわばオーディオのインプット空間と、リスニングルームというアウトプット空間との異次元ともいえる条件の違いの中で機能するオーディオシステムの本質をわきまえれば、そして、さらには人の感性と情緒を満たすことを唯一のエイムとすれば、右のような結論にならざるを待ない。
 このような立場にたって、このグランセプターを見る時に、このスピーカーが、その科学的追求の歩を大きく進めたものであることが明らかに理解される。と同時に、高忠実度再生を家庭の部屋の中で大きく前進させる可能性をもつものだとも思う。しかし、すべての人の嗜好性への対応という点では、多くのスピーカーシステム群の中で、依然として〝ワン・オブ・ゼム〟の存在であることも認めざるを得ない。それでいいし、また、それは当然である。聴き手は常に自己の感性と情緒を満たす自由をもち、何人もこれを犯すことは出来ないことは、いまさらいうまでもない。しかし、それ故に、聴き手は常に自己の感性を磨き、情緒を豊かにし、正しいコンセプトをもつ努力をしなければならず、そうすることにより、より大きな幸せを得ることが出来るものだ。そこにオーディオの趣味としての存在価値と、オーディオを趣味とする人々の生甲斐の大部分があると考えるのである。

●グランセプターの技術的特徴
 グランセプターの特徴的な技術の概要を記すことにしよう。
 その第一は、これが、家庭用として設計されたオールホーン型システムであるということだ。ホーン型スピーオーは、他のシステムにない良さが認められているにもかかわらず、現在は家庭用のシステムとして決して主流とはいえず、極端に数が少ない。そして、そのほとんどが、中域以上でしかホーンロードはかけられておらず、このシステムのように、全帯域のオールホーンシステムは珍しい。現役製品の中からさがしてみると、コンパウンド(複合)型ホーンを採用したタンノイのウェストミンスター、フォールデッド・フロントローディングホーン(クリップシュホーン)のヴァイタヴォックスCN191、その他エレクトロボイスやアルテックなど外国製品にわずか見られる程度で、大半は特殊な業務用の色彩が濃いものだ。そして、その低域用のドライバーのほとんどはコーン型の大口径ウーファーで、、 オールホーンとはいうものの、そのダイレクトラジェーションを併用しているものが多く、純粋にオールホーンといえるものは少ないのである。ホーンスピーカーには過渡特性や高調波歪率などの点で、たいへん優れた点がありながら、同時に、ホーン特有の癖がつきまとい、また、オーソドックスな低音ホーンは極度に大型化するなどの難点もあった。したがって、最近はコーン型、ドーム型などのダイレクトラジェーターが主流となり、ホーン型は1950~60年頃をピークとして、一般用のシステムとしての開発は休眠状態に入っていたといえるだろう。オンキョーの技術陣は、現時点において、このホーンシステムの良さを改めて認識しなおし、かつ、その問題点を現代の技術でメスを入れたのである。
 ホーンの形状の見直しにとどまらず、その材質の検討には並々ならぬ努力を要したことが、このグランセプターから窺い知ることが出来る。アメリカのアルテックや、JBL、エレクトロボイスなども、新しい理論により、ホーンの研究開発を行ない、それぞれのコンセプトにもとづく成果をあげているが、実用的なオールホーンシステムとしては結実していないし、そのコンセプトも、やや局面的にとどまっているように私には思える。その点、このグランセプターのホーンの設計開発のコンセプトは、トータルサウンドとしての把握がベースにあって、音のよさと物理特性を新たな見地からとらえたユニークなものなのだ。

●グランセプターの性能的特徴
〝グランセプター〟オールホーン型システムの最大の性能的特徴は〝時間を正しく再生する〟というテーマに基づく研究開発の成果である。オンキョーでは、これを二つの代表的なファクターとしてとらえ、その解析と理想値の達成に大きな努力を払った。
 これが、グランセプターの第二の技術的特徴である。
 音は、それがピュアなサインウェーヴでもないかぎり、たとえ単音といえども、複雑な周波数成分から成立っているのが普通である。楽音では、それが条件でさえある。ピアノの440HzのAのキーをたたいても、440Hzは基音で、これに数次の高調波成分が重なり、また、ピアノのメカニズム、構造から発する複雑な低域成分ものっている。それがピアノのピアノらしさという音の表現である。この、異なった周波数成分の比率を正しく鳴らすには、周波数特性がフラットでなければならず、波形を変形する歪などはもってのほかである。しかし、これだけでは不十分で、各周波数成分が時間的にずれを生じてはならないというのが、このグランセプターの最大の主張なのだ。つまり、ピアノのAの音に含まれるすべての周波数成分は、スピーカーから寸分の遅れもなく、きちんと同時に再生されなければ、音色が正しく伝わらないということだ。
 たしかに、従来のスピーカーにおいては、この点は、帯域別という大ざっばな範囲では位相特性として着目され、各ユニットの音源の位置をそろえたり、ネットワークでタイムアライメントをとるという方法で対処され、それなりに成果があった。しかし、一つのユニットの守備範囲での時間の遅れについては、ダイレクトラジェーター(コーン型やドーム型)にあっては、それほど問題にする必要はないので、おろそかにされていたし、低域のf0附近での位相のずれに起因する時間の遅れも、より低域までフラットに再生するという意欲が勝って放置されていたのは事実である。これは、あらゆるタイプのスピーカーを作っているオンキョー自身が一番よく知っているはずだ。
 また、それだけに、現代スピーカーの音色の不満を、もう一歩つっこんで解決する意欲をもった時に、この時間のずれをなんとか解決しなければならないという考えになったに違いない。しかも、それが、ホーンシステムであれば、ダイレクトラジェーターとは比較にならない大きな要素としてクローズアップしてきたはずである。ホーンくさい、ホーンが鳴くなどの、ホーン型の泣きどころは、ほとんど、この時間特性の劣化(時間歪)に起因するものだからである。オンキョーは、これをマルチパス・ゴースト歪とリバーブ歪として提唱している。

●マルチパス・ゴースト歪とは
 マルチパス・ゴースト歪は、ドライバーから放射された音波がホーン開口面での反射による低域レスポンスの乱れとして音色に悪影響を与えるという従来からの定説とは別に、ホーン内部での反射による時間的遅れがきわめて有害で、これは、あたかもFM放送やTVの電波のマルチパスにも似た現象として捉えられるというものだ。セクトラルホーンやディフューザーつきホーンはもちろんのこと、ホーン内面の凹凸や段差、そして、急激な形状の変化などのすべては、音の反射を生じ、反射された音は、主信号から少し遅れて出てくるため、本来の音の質や色合いを害するというものである。たしかに納得できる説であり、微妙な音色の問題を追求する時にはおろそかに出来ないことだと思う。
 私が愛用しているJBLのHL88ホー
ン(537-500)などは、これの極端なもので、複雑に反射させて、ぶつけ合い、トータルとしては平均化して、かえって強い癖から脱しているのかもしれない……などと自らをなぐさめているのだが……。
 オンキョーによれば、ある種のマルチパス・ゴースト歪は音が華やかになり、これが好まれる場合もあるという。毒も薬だ。

●リバープ歪とは
 リバーブ歪とは、いわゆる鳴きといわれる、ホーンやエンクロージュアの振動によって発生する共振音のことで、これは時間遅れの残響音であるから明らかに時間歪と理解できるだろう。残響はすべて歪ということになるが、理論的にはたしかにその通り。だから、理論的に正しい音響再生空間は無響室であるべきなのである。しかし、いわゆる部屋の残響は時間的に差が大きく、方向感の識別も出来るもので、これは主信号と一つになって、それを害す印象にはならないから、感覚的にプラス効果として利用するのが得策だというのが現在のリスニングルームについての考え方になっている。このリバーブ歪も、時には毒も薬で、これを適度に利用して良い音のスピーカーが出来あがっているのも事実である。しかし、正しい、純度の高い再生音を得ようとするならば、その嘗は無視出来ないはずだ。
 これらの問題を設計製造の入念周到な努力によって解決したグランセプターは、ホーンの形状・材質そして木部の構造、仕上げに最大限の注意が払われて作られていることはもちろん、使われているドライバーも並のものではない。特に低音用のウーファーは220φ×110φ×25mmという大きく強力なマグネットに10cm口径のボイスコイルをもつ28cm口径の振動板で(振動板自体の実効径は23・5cm)、もはやコーン型スピーカーとは呼びにくい代物だ。f0での共振のQが小さく、低域の時間遅れを極力少なくしている。クロスオーバーは800Hz、12dB/octによる2ウェイ構成で、当然のことだがウーファーとトゥイーターの位置関係による時間のずれは起きないようにコントロールされている。十分とか、完全とかいう言葉を不用意に使うつもりはないが、よくここまでやった! というのがこのスピーカーに接した時の実感である。
 このように、かなり厳密に追求されたスピーカーだけに、その真価を発揮させるのは非常に難しいのではないかと感じられる方が少なくないだろう。事実、私の今までの経験でも、まるでこのスピーカーらしからぬ音で鳴ったのを聴いたことがある。リバーブ歪を考えても、現実に生活空間に置いた時に、スピーカーから離れたところではまだしも、すぐそばの壁面や物の反射や共鳴の影響が大いに気になる。また、マルチパス・ゴースト歪についても、まるでヘッドフォンと耳の関係のようなところまでスピーカー自体はつめがおこなわれているだけに、室内での反射があれば、その細かい努力も徒労に終るのではないか……という気もしてくるだろう。このスピーカーの他のスピーカーの音とは違う何かには、確かに、そうした技術的な特徴が音として出ているはずだから、そのデリケートな良さが損われてしまっては、比較的よく出来たホーンスピーカーシステムというに留まってしまうだろう。よほどよく出来た部屋でなければその特徴が聴けないのかもしれない……。
 これが、このスピーカーを紹介する時の用者側の努力を要求しないイージーな機械がはびこり過ぎたおかげで、真剣にオーディオと取り組む人が減っているようにも思えるので、これはこれでいいではないかと開き直る気持ちもなくはない。それにしても、私が、このシステムの試作段階から聴いてはっきり把んでいる特質と魅力をある水準以上で再生するにはどうしたらよいか? というのは気がかりなことである。他のスピーカーからは聴き難いデリカシー、ディフィニション……それは、あたかも、よく出来たヘッドフォンを聴くような音の質感である。
 そこで、次に、このシステムを本誌試聴室に運びこんで、オンキョーの技術者にアドバイスを受けながら、セッティングの実際を実験してみたので、ユーザーがこのスピーカーを使われるときのセッティングの参考として御紹介してみよう。

菅野 最初のセッティングは、スピーカーの軸が耳からずれており、また、左右のスピーカーまでの距離も違っていました。それを、きちんと合せたところ、いままで不満に思えた点──ややもたつきぎみの音──がなくなり、優れたホーンスピーカーらしい立ち上がり見事な音になり、このスピーカー本来の音に近づきましたね。
オンキョー このスピーカーの使いこなしでまず重要なポイントは、音の軸と距離合せです。ですから、できるだけ正確にやってください。具体的には、細いひもを使いリスナーの顔の中心から左右のスピーカーまでの距離をきちんと合わせてください。音の軸合せの方法は、懐中電灯を用い、ホーンのノドに光をあて、奥がリスナーのほうを向くようにやってください。このとき、最初にウーファー部、それからトゥイーターを合わせてください。さらに、トゥイータ一部分はうしろの足で高さ(傾き)調整が可能ですので上下方向の軸も合せるように。
菅野 フリースタンディングにちかいこの状態ですと、音のクォリティは非常に高いのでずが、やや低音の量感が不足していますので、これを補うため試しにコーナーに置いてみましょう。
(コーナーに置いて試聴)
菅野 普通コーナーに置きますと、低音の量感は増すものの、音がかぶりぎみで不明瞭になりがちですが、このスピーカーはそういったことがまったくなく、低音の量感のみ増えました。オーケストラではグランカッサがよりはっきり量感を増して聴こえるようになり、かぶりすぎて聴けないのではないかと思えたジャズのアコースティックベースもかぶりなく量感のみ増して、きほどのフリースタンディングの状態よりも全体のバランスがよくなりました。
 これは、いったいどうしてなんでしょうね。
オンキョー 一般のスピーカーは、無響室において周波数特性がフラットになるように設計されていますので、コーナーに置くと低音がかぶりすぎてしまいます。このグランセプターは2π空間で聴感上の周波数特性がフラットになるようにしていますので、無響室での特性は、低域がややだらさがりぎみです。そのため、コーナーに置いてちょうどいいバランスになったのでしょう。それと他のスピーカーと比べて本体の奥行きがあり、そのおかげでコーナーの悪影響を受けずに、コーナーセッティングの良さだけがでてきたのだと思います。
 セッティングのポイントは、スピーカーのまわりの音を聴いて、スピーカーの前面よりも横のほうが低音がでていたらそちらの方向にスピーカーをずらしてみてください。
 この鳴りかたですと、このスピーカーのつくり手であるわれわれとしましても非常に満足できます。
 しかし、もうすこしよく鳴らしてみたい欲もありまして、スピーカーの両サイドの壁にソネックス(吸音材)を粘ってみましょう。
(試聴)
菅野 さらに、このスピーカー本来の音にちかづきましたね。いかにもいい条件でスピーカーを鳴らしている感じで、音像が引き締まり、定位もぴしっと決まります。ただ、私個人の好みでいえば、壁に何も粘らないほうが、スピーカーを意識しなくてすみ、音が少し位相差をもって部屋全体にナチュラルにひろがってくれるので、好きです。ただし、これはソースの録音状態にもよりますが。
 ソネックスを貼られたのは、壁からの一次反射を取り除くためですか。
オンキョー その通りです。一次反射はスピーカーから耳に到達するまでの時間が直接音とそれほど変わらないため、一種のマルチパス現象を起こし音を濁してしまいます。二次、三次反射は時間差が大きいため直接音には悪影響は与えず、むしろ、響きとして音を豊かにしてくれます。
 一次反射が発生しているかどうかは、視覚的に簡単に確認できます。両サイドの壁、スピーカー前面の床を鏡に見立てて、リスニングポジションから壁、床を見てスピーカーが見えるようであれば一次反射が起こっていると考えてください。その場合には、その場所に雑共振のないものを置いて乱反射させ、一次反射がリスナーの耳にとびこまないようにしてください。一次反射は低音ではなく、中、高域に影響を与えますのでカーテン、ソネックス等の吸音材を貼っても十分効果はあります。
 今回は試聴室というオーディオ機器以外はなにも物がないという特殊な条件でしたのでいろいろと後処理をしましたが、適度に物の置いである普通の部屋ですと、それほどシビアに一次反射について悩むことはありません。ただし、スピーカー前面の床は極力かたづけてください。
菅野 吸音材を貼るよりも、物を置いて乱反射させたほうが響きを殺さずにすみ、いい結果が得られるでしょうね。また、吸音材を使うときは、床一面にジュータンを貼るよりもスピーカー真ん前に適度の量を貼ったほうがいいと思います。
 このスピーカーを使いこなす上で、大事なことはこのスピーカーが持っている優れた性能をできるだけ素直に引き出し、それを生かす方向で使っていただきたい。
 そうやって使った場合には、このスピーカーは、録音再生の変換伝送のアウトプットとしてひとつの正しいありかたを具現したものだとはっきりいえます。録音の違いをこれほど出してくれるスピーカーはまずありません。その意味でこれは、シビアなモニタースピーカーといえます。
オンキョー 同じ曲でCDとレコードを聴き比べますと、CDはセバレーションのよさでさ一っとひろがります。アナログディスクですとやや真ん中に音が固まり、どちらかといえばこちらの方が自然にきこえます。しかし、録った状況からいえば、CDのほうが正しいと思います。
菅野 ソースの違いもよく出しますが、録音の差も非常によく出してくれますね。
 一般のユーザーの言う『いい録音』とは、オシロスコープで位相特性を見るとリサージュが縦横一直線に近いもののことをいうことが多いのですが、われわれは、リサージュがマリモのようにひろがるのをよしとします。後者の録音ですと、このスピーカーで軸を合せても、自然な音場感を出してくれます。ところが、縦横軸独立型のものですと、右と左が完全にセパレートして、たとえば弦が左側に偏ってしまい、スピーカーの軸をややずらしたほうが、自然に聴こえがちです。
 こういう録音の違いは、このスピーカーにとって重要となります。これを理解せずして、このスピーカーの良さを感じとることはできませし、使いこなすのも無理でしょう。
オンキョー われわれとしては、百人なら百人のユーザーすべてにこのスピーカーを理解してもらうのは無理だと思っています。ただし、理解していただけた人は、いままでのスピーカーでは聴けなかった音が聴けるはずです。
菅野 まさにその通りですね。
 スピーカーには、BOSEに代表される、あら取る方向に音を拡散する音場型のものと、このグランセプターのように、聴取ポイントを一点に決め、そこに音を集中するものとに分けられます。現在では、スピーカーの在りかたとしてどちらが正しいとは言えませんが、グランセプターは、後者の項点にたつスピーカーのひとつと言えます。
 さきほど、アンプ、コードも変えてみましたが非常にその差をだしますね。
オンキョー この辺も使いこなしで大切なことで、チューニングのひとつのポイントです。
菅野 それは私も感じました。今回は、ピンコードを普通のOFCのものとLC-OFCのものとをきいたわけです。OFCはLC-OFCと比べるとやや不明瞭、よくいえば雰囲気的ですLC-OFCは、ひとつひとつの音がクリアーによく聴こえますが、それだけにバランスも違い、LC-OFCのほうがワイドレンジです。これは、好みの問題でしょう。
オンキョー 何度も言いますけれども、この辺のことをよく理解しませんと、スピーカーを取替えただけでは決していい音はでてきません。
菅野 このスピーカーに取替えますと、いままでのスピーカーとは全然音がちがってとまどうことになると思います。その違いになれ、その違いが、何が原因で起こるのかをちゃんと見きわめる必要があります。その状態で、置きかた、家具の配置、コードの問題を解決して、かなりいい方向にもっていった段階で、初めてアンプに手をつけるべきでしょう。
 このレベルのスピーカーを使う人になると、技術的な高度のものを求め、また、それをもっている人も多いとおもいますが、一般的に言いますと、強烈な嗜好をもっている人のほうが多い。しかし強烈な嗜好だけではこのスピーカーは決してうまく鳴ってくれません。技術的なものをもっていないと、特にこのスピーカーは誤解してしまいますので注意していただきたいものです。

 以上が、セッティングの実際の試みであって、以前思っていたより扱い易いスピーカーという印象だ。そこで、今度は、私の部屋へ運び込んで、このグランセプターを鳴らしてみることにした。
 実のところ、もう、ずい分前に、このシステムを、バラックのような試作段階で、わが家へ持ち込まれて聴いたことがある。その時、私は、その音の素姓に、従来のスピーカーでは聴けない良さを発見し、その商品化を強く要望したのであった。新しい発想と技術で努力した成果が、音に表われているか、いないかが試聴のポイントであり、システムとしての完成度には程遠いものであったし、バランスや音楽性を云々出来る段階ではなかったが〝栴檀は双葉より芳し〟と見てとった。
 しかし、以来、グランセプターをわが家では聴いたことがなかったのである。いよ
いよ商品として完成したグランセプターをわが家で聴く。たいへん楽しみであったし、不安でもあった。外で聴いてもかなりのものとは思っていたし、それだから本誌でもすでに紹介記事で讚辞を呈した次第だが、自室で確認するのは今度が初めてであった。
 わが家のリスニングルームは約20畳。しかし、正面には常用のJBLの3ウェイ・マルチシステムとマッキントッシュのXRT20が収まっている。右の壁面はレコード棚が天井高くまであるし、左の壁面には窓と、その前に家具がある。背面はアンプ棚だ。したがって、試聴スピーカーはXRT20の前に置くしかない。決して理想的な置き方は出来ない。しかし、前に試作機を聴いた時も同じ位置であったし、いつも試聴スピーカーはその位置へ置いて聴く。だから、最上の状態とはいかなくても、私にとってはもっとも適確に、被試聴機の特徴を把握することが出来る条件である。また、私の部屋は、私の考え方からして特に音響設計は施していない。一般家庭の音響条件に近いはずだ。放っておけばオーディオ機器の倉庫のようになるのを、努力して、出来るだけ普通の部屋のように保っている。音楽を楽しめる雰囲気を最小限にでも確保したいからだ。
 グランセプターが運びこまれた。本誌の編集部のスタッフが汗だくになって玄関の階段をかつぎあげてきた。ごく、単純に、XRT20の直前に置いて結線した。使用したスピーカーコードは何の変哲もない……というより、人がみたらびっくりするような貧弱なビニール被覆の平行線(これでよく鳴らないようなスピーカーは問題にしないことにしている)。プレーヤーはトーレンスのリファレンスにSME3010Rゴールド、カートリッジはゴールドバグのブライヤー、CDプレーヤーはヤマハのCD1a、プリアンプはマッキントッシュC32、アキュフェーズC280、クレルPAM2、ウエスギU・BROS1など、パワーアンプはマッキントッシュMC2255、MC2500、クレルKMA100、ヤマハB2x、サイテーションxI、エクスクルーシヴM5などで鳴らしてみた。
 編集スタッフのいる時に、ちょっと確認のため鳴らしたのは、C32とヤマハB2xであったが、これが、何もしないのに、結構な音で鳴った。ほんの10分くらい鳴らしただけで、編集部の人々は帰って行った。それから翌日の午前中でしか、グランセプターはわが家に滞在しない。限られた時間ではあったが、一人で、いろいろな組合せで鳴らしてみた。わずかではあるが、スピーカーのポジションも調整した。どんどんよくなる。少なくとも、今まで何回か外で聴いたグランセプターの音よりずっとよく鳴る。正確な音という印象を越えて、夜の9時頃からは楽しめる音になってきた。風格のある音にすらなってきた。クレルのプリとメインで鳴らした澄明で瑞々しい音の魅力、ウエスギのU・BROS1+M5のしなやかな質感は印象的だった。アンプの音のちがいはきわめて明瞭である。合う、合わないを書けるほどは聴いていないから何ともいえないが、概して、低域の豊かなアンプのほうが向いていると思う。結局、最後は、マッキントッシュのC32、MC2500の組合せに落ち着いた。
 外で聴いていた時には、いつも低音に物足りなさを感じたグランセプターであったが、わが家では違った。試みに、リスニングポジションで測ってみたが、低域は50Hzからスムースに下って、20Hzで8dB落ちという特性を示した。30Hzまでは確実だ。この辺は少しアンプでブース卜してやるといっそう好ましい音になる。低域の位相特性による時間のずれが起きるとオンキョーのエンジニアに怒られそうだが、このシステムの音色再現の忠実性を乱すようなことはなさそうだった。トランジェントのよい音の自然な立上りはダイレクトラジェーターの及ぶところではない。ホーンの独壇場であろう。それでいて、たしかに癖のない音が聴けるのだから嬉しくなってしまう。いつまでも聴いていたいと思った。これで、もっとセッティングを整え、スピーカーコードもしっかりしたものに変え、鳴らしこんだらさぞ……と思える音であった。
 翌日、編集部が引上げに来た。昨夜の最終状態の音を、ちょっとだけ聴いてみないかと私は編集部のM君にいった。M君に明らかな反応があった。
「たった一晩で、こんな鳴り方に変るもんですかねえ? 昨日とちがって、もう何年もここで鳴っているような感じ……」
 たしかに、私にもそう感じられたのだった。しっとりと鳴る弦、リアリティに満ちたピアノの音色の精緻な再現、ヴォーカリストの発声の違いの細部の明瞭な響き分け、たった一晩のグランセプターとのわが家におけるつき合いであったが、このスピーカーはそんな正確な再生能力に、しっとりと、ある種の風格さえ加えて鳴り響いた。
 このわずかのつき合いの間に、私は、このスピーカーを欲しくなっている私自身を発見した。ただ、せっかくの仕上げの高さにもかかわらず、あの〝グランセプター〟のエンブレムはいただけない。前面だけならまだしも、サランをはずした時にはホーンの開口部にまで〝ONKYO〟と貼ってある。このユニークな傑作は誰が見てもオンキョーの製品であることを見誤るはずがない。本当はリアパネルだけで十分だ。エンクロージュアやホーンと看板とをごちゃまぜにしたようなものだ。
 私がこのシステムを買わないとしたら、このセンスの悪いブランドの誇示と、内容からして決して高いとは思わないが、とにかくペアで200万円という大金を用意しなければならないという理由ぐらいしか見つからない。

京セラ DA-910

黒田恭一

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 名古屋には、まるで渡り鳥のように、一年に一度、毎年同じ時期にいく。さる音楽大学で大学院の集中講義をするためである。一週間の集中鼓義が終わった土曜自の午後はいつもきまって、名古屋の友人の家で、彼が「宇宙一の音」と冗談半分に自慢する音をきかせてもらうことになる。
 集中講義の期間中はホテルに泊まっているので、当然のことにろくな音はきけないまま一週間をすごす。したがって、土曜日ともなれば、まるで砂漠を旅してきた旅人が喉のかわきを訴えるように、まともな音に対する欲求が切実なものとなっている。そういうところにきかされるその友人の家の音であるから、さしずめオアシスの水のようなもので、ひときわ美味しく感じられる。
 音楽のききかたで共感できる友人の再生装置の音をきかせてもらうのは、とても勉強になる。これはぼくにかぎっていえることではないと思うが、オーディオでは、とかくひとりよがりに陥りがちである。その悪しきひとりよがりから救ってくれるのが、信じられる友人の音である。なるほどと思いつつきいていて、自分の家の音のいたらなさに気づいたりする。
 今年も例年通り、彼の家で、さらにくわえて今年は、ぼくもかねてから親しくつきあわせていただいている彼の友人の家でも、音をきかせてもらった。ただ、今年の砂漠の旅人は、単に喉の乾きを癒しただけではなく、とんでもない宿題をおしつけられてしまった。どうやら、そのさりげない宿題の出題は、彼らふたりが結託してなされたようであった。
 ソニーが非売品としてだしているコンパクトディスクに、「コンパクトディスク、その驚異のサウンド」(ソニーYEDS・6)とタイトルのつけられたデモンストレイションディスクがある。そのコンパクトディスクのなかに、京都の詩仙堂で録音されたとされているししおどしの音をおさめたトラックがある。そのトラックを、名古屋の友人の家で、さらに彼の友人の家で、いかにもさりげなくきかされた。しゃくなことに、それはなかなかいい音であった。ご参考までに書いておくと、そのふたりの使っているコンパクトディスクプレーヤーは、ソニーのCDP5000Sである。
 その「コンパクトディスク、その驚異のサウンド」というコンパクトディスクは、ぼくも以前から持っていた。ただ、もともとレコードにしろ、デモンストレイション用のものをきくのがあまり好きでないので、これまできかないできた。ところが、名古屋の友人たちのところできかされたとなると、妙に気になってしかたがなかった。それで、一週間の集中講義をすませた後だったので、かなり疲れてはいたが、家に帰ってからすぐ、その件のししおどしをきいてみた。十全に満足するところまではいかないが、ほどほどの音がした。
 それから数日して、ぼくの部屋に五人ほどの友人が集まった。暑いさかりでもあったので、ほんのちょっとサーヴィスのつもりで、そのししおどしのトラックをリピートにしたままにしておいた。必然的に部屋ではししおどしの音が連続してきこえつづけた。遅れてやってきた、若い、しかし端倪すべからざる耳の持主である友人が、ぼそっとこういった、「なんだ、この家のししおどしはプラスティックか!」
 これにはまいった。その友人のいったことは、当たらずといえども遠からずであった。それは自分でも薄々は感じていたことであったので、反論の余地はなかった。たしかにその友人のいう通り、竹の音にしてはいくぶん軽すぎるきらいが、わが家のししおどしの音にはなくもなかった。
 それからしばらくして、京セラのコンパクトディスクプレーヤーDA910を、この部屋できく機会にめぐまれた。深夜、ひとりで、こっそり(なにもそんなにこそこそする必要もないのに!)そのコンパクトディスクプレーヤーでししおどしの音をきいてみた。これが素晴らしかった。プラスティツクが竹に近づいた。
 その後、いまだに、あの端倪すべからざる耳の持主には、ししおどしの音をきいてもらっていないものの、これなら、「なんだ、この家のししおどしはプラスティックか!」とはいわれないに違いないと思えるいささかの自信がある。むろん、名古屋の「宇宙一の音」とは一対一の比較ができるはずもないので、それをいいことに、どうだ、ぼくのししおどしだって満更ではないぞ、とひとりで悦にいっているのであるが、こういうことはオリンピックとは違うので、多少曖昧な部分を残しておいた方がお互いのためといえなくもない。
 敢えてつけくわえるまでもなく、京セラのコンパクトディスクプレーヤーDA910が、その持前の威力を発揮したのがししおどしの音にかぎられるはずもない。ともするとプラスティックの筒の音にきこえがちな音を、しっかり竹の音にきかせるだけの能力のあるコンパクトディスクプレーヤーであれば、おのずとピアノの音はよりピアノの音らしくなって、音としてのグレイドが一段階アップしたのは、まぎれもない事実であった。
 京セラのDA910のなににもましていいところは、音にとげとげしたところがなく、響きに安定感のあるところである。このような音であればCDアレルギーを自認する人でも、ことさら抵抗なく楽しめるのではないか。

トーレンス Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 トーレンスのリファレンスに大金を投じたのは、マッキントッシュXRT20というスピーカーとの出会いが刺戟になってのことである。このスピーカーの魅力の虜になった私が、何とかして、このスピーカーの最大限の能力を引出してみたいと思うようになったからである。
 それまで、JBLのユニットを使った3ウェイのマルチアンプシステムと15年も取組むうちに、その明解な音像輪郭の描き出す音に満足しながらも、時として、少々、肩肘張り過ぎる音の出方が気になってもいた。また、ターンテーブルやプレーヤーシステムも、いわゆる高級・高額品というものには物量が投じられ、剛性を確保したものがほとんどで、それらには同じ傾向が強いことに疑問を抱いていた。たしかに、音が明確な存在感をもって響くのはある種の快感である。締まった低音、曖昧さのない確固たる音像と定位、立上がりの鋭い切れのよい打楽器類の鮮烈なリズム感などは、いい加減にもやもやした鈍い音からすれば質は高いだろう。しかし、時として、それが行過ぎになる傾向がオーディオにはあるように感でいたのである。そうした傾向のプレーヤーでは必ず、本来、もっとも柔軟でしなやかであるべき弦楽器の音が刺戟的な方向で鳴るし、ピアノの打鍵は一様に鋭いパルスが勝って、あの楽器特有のボディのあるソフトな質感が出にくいのである。いくらピアノが、打楽器の仲間で鍵盤を打って音を出す楽器だといっても、まるで鉄のハンマーで打弦するような、金属音が支配するようでは音楽の表現もモノトーンになるし、絶妙なピアニスティックなタッチの変化や音色の多彩なニュアンスは聴くことが出来ない。最近の優秀録音やハイファイシステムは、どうも、その傾向が強く辟易させられる。これは、マイクロフォンに始まって、再生スピーカーに至るまでの数多くのオーディオ機器のもつ、ある種の歪が原因だと思うし、また、それを、ただ無定見に新鮮な魅力として、これを誇張するような録音再生のソフトまで流行しているように思うのである。
 人間、ごく単純にいえば、弱いより強いものに、低いより高いものに、柔らかいものより硬いものに、暗いより明るいものに……といった具合に、量的に優位なものに気をそそられるのが普通である。また、オーディオ機器や、その使い方の中で、人は、元の音のあるべき姿を知らないと、一対比較で、音を判断し、この量的優位の感覚で決めてしまう危険性がある。長年のレコード制作で、私がよく体験することであるが、オリジナルテープの音よりカッティングされた音を喜ぶ人が多いもので、それは何らかの原因で、機械式変換のプロセスが音を硬い方向へもっていくことに起因しでいるようなのだ。
 よく、超高級のターンテーブルなどで、レコードにはこんな音まで入っていることに驚かされる……といった説明を聴くが、私には、それが必ずしも、レコードに入っている音ではなく、むしろ、ターンテーブルシステムの創造する音ではないかという疑問が浮かんでくるのである。Qの高い金属製ターンテーブルにレコードを直接置くようなプレーヤーの使い方は、私にはどうしても納得出来ない。不自然な音の質感をもつものが多いのだ。この理由の説明は長くなるので、ごく簡単にいおう。レコード製造課程で作られる金属原盤(マザー)と、そこから作られるスタンパーでプレスした塩ビのレコードの音とを聴きくらべると、工程からいって当然、マザーのほうが波形の忠実度が高いのに、その音は明らかに金属的な質感で、よりクリアーで迫力はあっても不自然である。よりクリアーで迫力があれば不自然でもよいというのなら何をか言わんやだし、何が自然なのか解らない人にはそれでもよいかもしれないが、微妙な音楽の質感を大切にする耳には塩ビのレコードの音のほうがはるかによい。金属原盤のQの高さが害を生むのであろう。現在の塩ビのレコード材料が、Qの点からもスティフネスの面からも最上のものかどうかは疑問があるが、これ以上Qの高い材料にすることは賛成出来ないように思う。
 もちろん、これはカートリッジやアームの問題とも密接に関連することだが、現行の汎用カートリッジやアームで使うには明らかに、このことがいえる。レコードを金属ターンテーブルに密着させるということは、塩ビとターンテーブルの一体化によりQを高い方向へもっていくことになるだろう。吸着式はレコードの平面性の確保という点ではたしかにメリットがあるだろうが……。もし吸着させるなら、可聴周波数帯域内に害をもたらさないQの小さな材料か、複合材でダンプをすべきではないだろうか。数キロもある金属と一体化に近い状態になったレコードからは、たしかに、曖昧なシートにのせられたものとはちがソリッドで明確な音が出てくるが、これを単純により優れた音と判断するのは感覚的にも教養的にも淋しい話と思えてしかたがない。
 マッキントッシュのXRT20が、私のJBLのシステムと違う最大のポイントは、音楽の自然な質感であった。それに触発されて、それまで、いろいろな点で不満であったターンテーブルシステムの充実をはかることにしたのである。自然な質感を失わず、しかも、機械変換機能をもつもののベースとして十分な質量をもたせ、メカニカルフィードバックにも対処させる方向で。その私の考えの線上に浮上したのがリファレンスであった。案に違わず、このシステムは、超弩級のシステムでありながら、トータルバランスを重視した設計で、決してエキセントリックな音を出さない。リファレンスの名にふさわしい妥当な音だ。レコードで音楽を楽しむひとときに、なくてはならない、とっておきのプレーヤーである。

ケンウッド L-02A

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 管球アンプ時代のアンプといえば、ブリアンプとパワーアンプという、セパレート型アンプが一般的なタイプであり、それもプリアンプと専用電源部、パワーアンプと専用電源部という構成のものも多く存在し、プリメインアンプ、つまり、プリアンプとパワーアンプを一つの筐体に組込んだモデルが特殊な存在であった。
 ステレオ時代に入ると次第に管球アンプもプリメインアンプの形態をとることが多くなり、ソリッドステート化されるに及び、プリメインアンプがアンプの主流を占めるようになる。
 その基本的な回路構成は、フォノイコライザーアンプ、フラットアンプ兼トーンコントロールアンプとパワーアンプという3ブロック構成がスタンダードなタイプである。シンプル・イズ・ベストの思想とアンプ構成の単純化による原価低減、さらにMCカートリッジが主流を占めるなどの背景により、現在のプリメインアンプは、ハイゲイン・フォノイコライザー部とパワーアンプの2ブロック構成がベーシックな回路構成になっている。
 一方において、シンプル・イガ・ベストの思想に基づいてアンプとしてのクォリティの向上を追求する傾向が古くから一部に存在し〝イコライザー付きパワーアンプ〟をキャッチフレーズとして最初に開発されたモデルが、たしか、ラックスの5L15であったように思う。
 この、二つのプリメインアンプの動向をベースに、ここで、取上げた、ケンウッドL02Aを考えてみることにしたい。
 もともと、トリオのプリメインアンプには、初期から利得配分で他社にない特徴があったようだ。ソリッドステートアンプが完成期を迎えた時期のトリオの名作プリメインアンプといわれたKA6000では、フォノイコライザーアンプ、ゼロ利得のトーンコントロールアンプと、ハイゲインパワーアンプの3ブロック構成で、パワーアンプの入力電圧は、たしか0・2V程度でフルパワーとなる、いわば英クォードのセパレート型アンプ的な特徴があった。つまり簡単に考えれば、一般的には20dB程度の利得をもつ、フラットアンプ兼トーンコントロールアンプを通すことによる音質の劣化を避けた点に特徴があるともいえる設計である。
 L02Aは独立した電源部とプリメインアンプ部の2ブロック構成をもち、機械的にアンプ部と電源部を一体化してブリメインアンプ化も可能であり、その回路構成は、ハイゲイン・フォノイコライザー部とパワーアンプ部の2ブロック構成という特異性の強いモデルである。各種の条件から考えて、やはりトリオ/ケンウッドのブランドにおいてもっとも誕生しやすい土壌があったと考えてよいだろう。
 この、特異ともいうべき超高価格な製品を、ブリメインアンプの最高峰に位置するモデルとして市民権を獲得し、世に認めさせるとともに、営業的にもそれなりの成功を収めたことは、その性能に裏付けさせられた音質面の優位性、ブランドの信頼感の高さに加えて開発スタッフのオーソドックスなアプローチと努力の賜として賞讃を送りたいものである。
 一方において、L02Aはプリメインアンプという形態を採用しているだけに、これとペアになるチューナーの存在も大きな意味を持つことになる。この点でもFMのトリオに相応しく、FM専用チューナーL02Tの存在は不可欠なものだ。
 ちなみに、このL02Tの音は、数多くの高級FMチューナーが存在するが、バリコンを同調回路に使うFMチューナーとして、かつてのマランツの♯10Bの再来を思わせる素晴らしさであると思う。
 L02TとL02Aのペアは、個人的にも、リファレンスFMチューナーとリファレンス用プリメインアンプとして、長時間にわたり、その大役を果している。L02Aは、CDや、ハイファイVTR登場以前の開発であるため、現状ではややファンクション系の不足があること、セパレート電源部方式を採用しているため、アンプと一体化しても、電源供給ラインにコネクターが入ってしまう点などの小さな問題点も存在はするが、上昇量が切替可能であり、パラメトリックイコライザー的に周波数が可変できるラウドネスコントロールは、各種のスピーカーをコントロールルするときに予想以上に有効に働く機能であり、ナチュラルな帯域バランスと、素直な音色、ストレートで伸びやかであり誇張感のない音は、基本的なクォリティが高く、作為的な効果を狙った印象が皆無であるのが好ましい。
 また、いろいろと話題を提供した独自の㊥ドライブ方式も、スピーカーコードの影響を皆無とすることは不可能であるが、スピーカーシステムをアクティブにコントロールし、追込んで使いたいときにはかなり有効な手段であると思う。
 L02Aは、プリメインアンプの頂点をきわめた立派なモデルであるが、マルチプログラム時代になり、高品位、ハイレベル人力のプログラムソースが増加する今後のオーディオにとっては、セパレートアンプよりも合理的なアンプの原型として、この形態は、見直してしかるべきものと思う。

ビクター P-L10, M-L10

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 ビクターのラボラトリーシリーズのコントロールアンプP−L10とパワーアンプM−L10は、いま、聴いておきたい音、というよりは、いま、安心して聴ける音、といった性格のセパレート型アンプである。
 従来からもビクターには、オーディオフェアなどで見受けられた一品生産的な特殊なモデルを開発する特徴があったが、その技術をベースに、薄型コントロールアンプの動向に合せた7070系のコントロールアンプと、いわゆるパルス電源を初めて採用したモノ構成の7070パワーアンプをトップランクの製品として持ってはいたが、ビクターのセパレート型アンプとして最初に注目を集め、多くのユーザーの熱い期待を受けたモデルは、パワーアンプのM7050であろう。
 これらの従来から築きあげた基盤の上に、アンプの基本思想として、忠実伝送と実使用状態における理想動作を二大テーマとして、ラボラトリーシリーズのセパレート型アンプとして1981年秋に開発されたモデルが、P−L10とM−L10である。
 コントロールアンプP−L10は、かつてのソリッドステート初期に、グラフィックイコライザー(SEA)を搭載した超高級コントロールアンプとして注目を集めたPST1000以来、久しぶりに本格派のコントロールアンプとして総力を結集して開発された意欲的なモデルである。
 最新の技術的産物としてのアンプではなく、音楽性追求のための技術という考え方を基本にして開発されただけに、例えば、音量を調節するボリュウムコントロールには、一般的に抵抗減衰型のタイプが使われるが、これでは可変抵抗器が信号ラインに入り接点をもつために、位置による音質のちがいが生じやすい点が問題にされ、アンプの利得を可変にすることにより音量を変える新開発Gmプロセッサー応用のボリュウムコントロールが採用されている。
 このタイプは、ボリュウムを絞っていけば、比例してノイズも減少するため、実用状態でのSN比が大幅に改善され、結果として、音場感情報が豊かになり、クリアーな音像定位や見通しのよい広い音場感が従来型に比較して得られる利点がある。このバリエーションとして、昨年来のプリメインアンプA−X900やA−X1000にスイッチ切替型として採用されているが、この切替えによるSNの向上が、いかに大きく音場感再生と直接関係しているかは、誰にでも一聴して判かる明瞭な差である。
 また、フォノイコライザーでのGmプロセッサーの応用にも注目したい。入力電圧を電流に変換増幅後、その電流をRIAA素子に流す単純なイコライザー方式は、CR型の伝送・動特性とNF型の高域ダイナミックレンジを併せ持つ特徴があり、電圧を電流に変換する変換率を変えればトータル利得を変化できるため、MMとMCポジションで性能、音質が変わらず、トータルな周波数特性はRIAA素子のみで決定されるため、RIAA偏差は自動的に100kHzまでフラットになることになる。
 フォノ3系は低出力MC用ハイゲインイコライザーで、入力感度は70μVと低いが、SN比は非常に優れているのが特徴である。外装は、ビクター独自のお家芸ともいえる高度な木工技術を活かした、21工程に及ぶ鏡面平滑塗装仕上げ、これは見事だ。
 ステレオパワーアンプM−L10は、ビクター独自のスイッチング歪をゼロとした高効率A級動作方式〝スーパーA〟の技術をベースに、スピーカー実装時のアンプの理想動作を追求した結果、全段カスコード・スーパーA回路を新採用している。この回路も、実際の試聴により、スピーカー実装時のアンプ特性劣化や、音楽再生時のTIM歪や発熱による素子のパラメーターの変化に注目した結果、優れた回路方式として採用されている点に注目したい。
 この方式は、パワー段までカスコード・ブートストラップ回路を開発し、採用しているため、出力段のパワートランジスターは数ボルトの低電圧で動作し、電流のみ変化する特徴があり、電圧と電流の位相がズレるスピーカー実装負荷でも、ダミー抵抗負荷と同じ動作、性能が確保され、アンプは負荷の影響を受けない利点がある。また、低電圧動作のパワー段は、発熱量が低く、従来型に比較してスピーカー実装時の瞬間発熱量は1/10以下となり、サーマルディストーションの改善とアイドリング電流の安定化にもメリットがある。
 構成部品は、エッチングなしのプレーン箔電解コンデンサー、高速ダイオード、高安定金属皮膜抵抗、低雑音ツェナーダイオードなど定石的な手法が各所に認められる。
 外装は、平均的に16工程程度とされるピアノ塗装を上廻る21工程の鏡面仕上げローズ調リアルウッドのキャビネット採用。
 定格出力時、160W+160W(20Hz〜20kHz・8Ωで、THD0・002%)周波数特性DC〜300kHz−3dBの仕様は、セパレート型アンプとしてトップランクの特性である。
 P−L10とM−L10のペアは、充分に磨き込まれた、安定感のある、タップリとしたナチュラルな音が特徴である。各種のキャラクターが異なるスピーカーシステムに対しても、ナチュラルな対応性を示し、それぞれの特徴を活かすセッティングも、個性を抑えたセッティングも、かなりの自由度をもってコントロールできるようだ。
 好ましいアンプというものは、個性的なキャラクターの強い音をもつものではなく、結果として、電気信号を音響エネルギーとして変換するスピーカーシステムに対して、充分なフレキシビリティをもって対応可能なことと、聴感上でのSN比が優れ、音場感的情報量をタップリと再生できるものであるように思う。
 この意味では、このセパレート型アンプのペアは、発売以来3年を迎える円熟期に入ったモデルであるが、各種のスピーカーシステムに対する適応性の幅広さと、ビクターの伝統ともいうべき、音場空間の拡大ともいうべき、音場感情報の豊かな特徴により、現時点でも、安心して聴ける音をもつ、セパレートアンプとして信頼の置ける存在である。

テクニクス SE-A1、ヤマハ 101M

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 セパレート型アンプのジャンルでは、コントロールアンプに比較して、パワーアンプに名作、傑作と呼ばれる製品が多い傾向が強いように思われる。
 こと、コントロールアンプに関しては、管球アンプの以前から考えてみても、いま、残しておきたい音というと、個人的には、管球アンプのマランツ♯7と、ソリッドステート以後ではマーク・レヴィンソンLNP2の2モデルしか興味がない。
 これに比較すれば、パワーアンプではいま聴きたい音、あるいはとっておきたい音は数限りなくあるといってもよいし、個人的にもパワーアンプのほうが好きなようで、手もとに残してある製品を考えても、パワーアンプの総数はコントロールアンプの3倍はあると思う。とくに、この号が発刊される頃(秋)は、感覚的にも、管球アンプを使いだすシーズンであり、音的には体質にマッチしないが、マッキントッシュMC275を再度入手したいような心境である。
 国内製品でも、パワーアンプには興味深い製品が数々あり、AクラスパワーアンプのエクスクルーシヴM4、全段FET構成のヤマハBI、 ハイパワー管球アンプのデンオンPOA1000Bなどは、オーディオの夢を華やかに咲かせた。それぞれの時代の名作であり、コレクション的にも興味のある作品と思う。
 パワーアンプでAクラス増幅の高品位とBクラス増幅の高効率が論議され、各社から各種のBクラス増幅のスイッチング歪とクロスオーバー歪を低減する新方式が開発された時点で、スイッチング歪とクロスオーバー歪の両方が発生せず、しかもAクラス増幅で350W+350Wという超弩級のパワーをもつ驚異的なパワーアンプとして、テクニクスから1977年9月に登場した製品がテクニクスA1だ。
 テクニクスの伝統ともいうべきか、全段Aクラス増幅のDCコントロールアンプのテクニクスA2と同時に発表されたA1は、独特のコロンブスの卵的発想によるAプラス級動作と名付けられた新方式を採用した点に最大の特徴がある。
 基本構想は、スイッチング歪とクロスオーバー歪が発生しない低出力A級増幅パワーアンプの電源の中点をフローティングし、別に独立した電源アンプで信号の出力増幅に追従するようにA級増幅アンプの電源中点をドライブするという2段構えの構成での高効率化である。
 これにより、アンプの外形寸法はA級増幅の100W+100Wなみに抑えることが可能となり、しかも強制空冷用のファンなしの静かなパワーアンプが可能となったわけだ。またこのモデルは、入力や出力のカップリングコンデンサーや、NFBループ中にもコンデンサーのないDCアンプを採用しながら、DCドリフト対策として、出力のDCドリフト成分を信号系とは別系統の系を通してDCドリフトの要因となる回路素子に熱的にフィードバックし、素子間の温度バランスを補正し、DCドリフトの要因そのものを打消すアクティブサーマルサーボ方式を採用していることも特徴である。
 機能面は、4Ω、6Ω、8Ω、16Ωのスピーカーインピーダンスによる指示変化を切替スイッチで調整可能の対数圧縮等間隔指示のピークパワーメーター、レベルコントロールによりプリセット可能な4系統のスピーカー端子、2系統の入力切替、電源のON/OFFのリモートコントロールなどが備わっている。
 周波数特性、DC〜200kHz −1dB、スルーレイト70V/μsec、350W+350W定格出力時(20Hz〜20kHz)で0・003%のTHDと、スペックのどれをとってもパワーアンプとして考えられる極限の性能を備えていた。しかも、業務用ではなく、純粋にコンシュマーユースとして開発された点に最大の特徴がある製品だ。
 柔らかく、穏やかな表情と、しなやかで、キメ細かい音が特徴であったが、余裕たっぷりの絶大なスケール感は、ハイパワーであり、かつ、ハイクォリティのパワーアンプのみが到達できる独自の魅力で、現在でも鮮やかに印象として残るものである。今あらためて、ぜひとも最新のプログラムソースと最新のスピーカーシステムで聴いてみたい音だ。また、このAプラス級増幅方式と共通の構想として、それ以後、エクスクルーシヴM5、ヤマハB2xなどが誕生していることも、見逃せない点だ。
 1982年末に、500W十500Wという超弩級ステレオパワーアンプとして初登場したモデルが、ヤマハ101Mである。外観のデザイン面からも判然とするように、ヤマハ一連のアンプデザインと異なった印象を受けるが、基本構想はレコーディングスタジオでのモニターアンプ用として開発されたモデルでナンバー末尾のMは、モニターの意味であると聞いている。
 構成は、筐体は共有しているが、内部は電源コードまでを含み完全に左右チャンネルは独立した機構設計をもっている。人力系は、欧米でのスタジオユースを考えオスとメスのキャノン型バランス入力とRCAピンのアンバランス入力とレベルコントロール、さらに、BTL切替スイッチが備わり、BTL動作時は、1500W(8Ω)のモノパワーアンプになる。なお、出力系は、切替スイッチはなく、1系統のダイレクト出力端子のみ、というのは、いかにも、プロフェッショナル仕様らしい。
 パワー段は、+−70V動作のメタルキャンケース入り、Pc200Wパワートランジスター5パラ動作をベースに、+−120V動作の4パラ動作が必要に応じて加わる方式で、ヤマハ独白のZDR方式採用でパワーパワー段での各種歪、スピーカーの逆起電力による歪までをキャンセルし、定格出力時THD0・003%は、見事な値だ。
 音の輪郭をシャープに描き出し、ストレートに力強い表現をする音は、一種の厳しさをも感ずる凄さがあり、国内製品として異次元の世界を聴かせた印象は今も強烈だ。

マランツ Sc1000, Sm1000

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 マランツの製品は、創業期から現在にいたるまで、比較的に、コントロールアンプとパワーアンプのバランスがよいモデルを送り出していることに特徴があるようだ。
 いまも聴きたい音という意味からは、かつての管球アンプ時代の♯7コントロールアンプと♯2モノパワーアンプ×2の組合せは、私個人にとってはマランツの最高傑作と信じている黄金のペア、いや、トリオである。
 コントロールアンプは、ステレオタイプとなり♯7で完成の域に達したが、パワーアンプは、♯5、ステレオタイプ♯8B、♯9と発展をする毎に、製品としての合理性、商品性、安定度などは確実に向上をしているが、パワーアンプとしての魅力は、次第に後退し、♯2の印象は♯5ですでに消失しているように感じられる。
 ソリッドステート化第一作の、♯7Tコントロールアンプ、♯15パワーアンプは、第一作という意味での不安感が少なく、完成度も充分にあり、現在でも少し古いディスクを再生するときにはなかなか楽しめる音を聴かせるペアである。
 ♯15に続く、♯16以後、しばらくの期間は、パワーアンプは、♯250、♯510と続くが、コントロールアンプが不作の時代である。
 基本設計を米国で、実際の開発と生産を国内で行なおうとする、いわば新世代のマランツの製品は、不巧の名作といわれたプリメインアンプ♯1250が代表作になるわけだが、トップランクのセパレート型アンプを目指して、より良き伝統を受継ぎながら最新のテクノロジーとデバイスをマランツらしく生かして久し振りに開発された第1弾作品が、400W+400Wのパワーを備えたステレオパワーアンプSm1000である。
 パワー段は、メタルキャンケース入りのパワートランジスター3個パラレルに対して1個のドライバーを組み合せたものを1組とし、これを、3個組み合せて、3段ダーリントン方式の出力段としている。つまり、3×3=9が+側と一側にあるわけだから、片チャンネル18個のパワートラジスターを使っていることになる。
 ハイパワーアンプの放熱対策は、重要な機構設計上のポイントになるが、Sm1000では、空冷用ファンを組込んだ、風洞型の放熱器を♯510から受継いで採用している。この方式により、400W+400Wの定格出力を持ちながら、外形寸法面でのパネルの高さを抑え、比較的に薄型にすることを可能としている。
 風洞内部には、両チャンネル用の36個のパワートラジスターと12個のドライバーが組込まれているが、風洞内で均等に各トランジスターを冷却するために、風下にいくに従って冷却効果を高めるために長さが次第に長くなっているサブ冷却フィンが整然と並んでいる様は、視覚的にも美しく、一見に値する眺めではあるが、容易に外側から見られないのが大変に残念な点である。
 電源部は、伝統ともいうべき強力タイプで、左右独立した800VAの容量をもつカットコア採用の電源トランスと20000μF、125Vのオーディオ用コンデンサーを+側と一側に2個採用したタイプで、一部を積上げ電源として使うスタック型パワーサプライ方式である。
 入力系は、レベルコントロール付で、アンバランス型のRCAピンジャックと、1と2番端子がコールド、3番端子ホットのキャノンプラグ付、出力系は、ダイレクト端子と切替可能なSUB1とSUB2の3系統をもつ。
 Sm1000は、基本的には、無理に帯域を広帯域型としないナチュラルなバランスと、クッキリと粒立ちがよく、音の輪郭をクリアーに描き出す、ダイナミックで力強い♯510系の延長線上に位置する音をもっている。いかにも、マランツらしいイメージをもつ、ストレートさが最大の魅力と思う。後継モデルのSm700の、しなやかで明るく、音場感を広く再現する性質とは対照的で、安定感のある力強い長兄と、伸びやかで、現代なフィーリングをもつ次男といったコントラストが面白い。
 コントロールアンプSc1000は、Sm1000に続くパワーアンプSm700と、ほぼ同時に開発されたマランツのトップランクコントロールアンプである。
 基本構成は、シンプル・イズ・ベストであり、ディスク再生における最高の音楽表現を目指し、入力から出力までのスイッチなどの接点数を極少とし、裸特性を極限まで追求した増幅回路、負荷電流の変動にいかなる影響も受けない超低インピーダンス化した理想的電源部などがポイントだ。
 フォノイコライザーは、A級動作、全段プッシュプル構成DCアンプを2段使ったNF・CR型、機械的に連動と非連動に変わるバランスコントロールを省いたボリュウムコントロールと、それ以後は、2系統に分かれ、それぞれ専門の出力端子をもつフラットアンプとトーンコントロールアンプをパラに設置したユニークなブロックダイアグラムを特徴としている。なお、電源部は筐体の半分を占める、各ユニットアンプ間チャンネル間の干渉を排除した8独立電源で、事実上のインピーダンスを0としたシャントレギュレ一夕一方式を採用している。また、TUNER、AUX用とTAPE入力用にバッファーアンプを備えているのも特徴である。
 基本的には、アナログディスク再生に焦点を合せたコントロールアンプではあるが1981年当時の設計としては、フラットアンプの性能が追求されており、ハイレベル入力系に対してカラレーションのない音を聴かせるのが本機の特徴である。特徴の少ない音だけに、最初の印象は薄いかもしれないが、使込んで次第に内容の高さが判かってくる。これこそ、いま、聴きたい音である。

サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 C2301というサンスイのコントロールアンプはぼくが目下、大いに興味をもっている製品である。まだ新しい製品なので、ぼくも、それほど長くじっくりと使ったわけではないし、恐らく、これからファンが増えてくるアンプだろう。ぼくにとっては、国産、海外製を問わず、多くのコントロールアンプと接触する中で、これは、本気になってつき合ってもいいなという気を起こさせるアンプなのだ。
 ぼくの部屋にはアンプ棚がある。ここには六段の棚があって、一段に2台ずつのアンプが置けるから、計12台の収納が可能である。そのうち、コントロールアンプのためのスペースとしては、使用上の高さなどからして最上段や最下段は不適当だから、中三段ぐらいということになる。しかし、他にも、CDプレーヤーやチューナーも置かなくてはならないから、4〜5台というところがコントロールアンプのためのスペースだ。ここにある時期、継綻的に収まるものは、結果的にいって、ぼくの好きな製品ということになる。もちろん、好きなものでも、古いものは他の場所に片づけたり、あるいは、一時的に他のものと入れ替えたりすることがあるし、ほとんどが使わないのに、JBLのSG520とマランツの7Tは飾り物と化して居坐ったままというのが現実である。このJBLとマランツは、コントロールアンプのデザインの、偉大で対照的なクラシックだと自分では思っているので、想い出も含めて、どうも片づけてしまう気がしないのである。それはともかく、この棚には、こんなわけで、長年、収まりかえっているものや一日か数時間で取り出されてしまうものがあって、
ぼく自身も、結果的に、自分との関わり合いの濃淡を感じさせられることになるのである。ここにひと月以上入っているというのは、明らかにぼくの気を惹いた製品、三ヵ月になると、愛の芽生えたもの、半年を超えると相思相愛、一年以上同じ場所に居続けた製品は、伴侶である。なんとなく、こんな因果が、この10年くらいの間に出来上がってしまったようなのだ。コントロールアンプのアウトプットをつなぐパワーアンプ群は、ほとんど、この棚の裏部屋に収まっているので前からは見えないが、ここにも、これと似通った状況が見られるのである。
 サンスイのC2301は、まだ、合計で数時間しか、この棚に収まったことがない。しかし、その数時間で、それっきりになってしまわないなにかが、このコントロールアンプにあることを、ぼくはずうっと意識させられていたのである。本誌70号の新製品紹介記事を書くために聴いたC2301の音の魅力が頭から去らないのであろう。あの時、ぼくは、その音を耽美的な情感に満ちていると書いた。また、音楽に人間の生命の息吹きや、感情的高揚を求め彷徨している快楽主義者であるぼく……などと気恥ずかしい告白もやってのけた。天上の音楽を奏でるに相応しい無垢の音とは感じなかったけれど、それだけ暖か味のある魅力を、このアンプから感じ取ったことはたしかである。そして、〝ぼくにとってはこれでよい。いや、このほうがよい。色気がある音だから…〟と書いたのを覚えている。C2301は、明らかにぼくの情感を刺戟した。リビドーを感じさせた。アンプによっで、こうしたレスポンスを心の中に呼び起こすものと、そうではないものとがあることは一つの不思議である。その不思議ゆえにオーディオは面白く、また、その不思議と、科学的な技術問題の関連をさぐること、識ることが、オーディオの尽きない興味である。
 ルドルフ・フィルクスニーの慈愛と高潔の精神に満ちた音が、月並みな甘美さにしか聴こえなかったり、ひどい時には脆弱で鈍い音にしか聴こえなかったりする経験をぼくは知っている。この名ピアニストの、しかも、ぼく自身が録音したレコードによってさえ、ぼく自身にあれこれ聴こえるオーディオの音は、時として面白さを越えて恐ろしくすらある。C2301は、フィルクスニーを甘美に、そして、セクシーに響かせる。そこに、ぼくはこのアンプの魅力と不安を感じているのである。この稿を書く気になったのも、その魅力と不安からであった。そして、今、再び、C2301はぼくの部屋の棚に収まっている。一日ゆっくり、いろいろなレコードを聴いてみた。そして、ぼくは、一段と大きな魅力を、このコントロールアンプに感じ始めているのである。基本的には、ぼくの第一印象は間違っていなかった。しかし、聴けば聴くほど、そのヒューマンな暖か味と、情感の魅力の再現に惹かれていく自分を発見した。

Do me wrong Do me right Tell me lies But hold me tight Save your goodbyes For the morning’s light But don’t let me lonely tonight

 ローズマリー・クルーニーの歌う一節である。この人生経験豊なべテラン歌手の歌唱は見事という他はない。まさに熟女の官能とペイソスである。都会的である。
〝今夜だけは私を一人ぼっちにしないで……。しっかり抱いて……。さよならは夜が明けるまで云わないでほしいの……。〟
 理性と感情が、官能の虜の中でゆれ動く、この円熟した女の心と身体を深く美しく歌いあげる彼女、ローズマリー・クルーニーの表現は、このC2301の音の魅力と同質である。これ一曲を聴くためだけでも、このアンプの存在価値は高いといってもよいほどだ。
 このアンプが、これから、どんな音を聴かせてくれるかは大きな期待である。B2301とのバランス接続で聴いてもみたい。まったく異質なアンプとの組合せの妙も試してみたい。私のアンプ棚で、どんな存在になるのかは、私自身にも、今はわからない……。

マッキントッシュ XRT20, JBL

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 正確には記憶していないが、多分、1967年ぐらいから、ぼくのメインシステムとしてJBLの375ドライバー十537−500(ホーン/レンズ)を中心としたスピーカーを使い始めた。当初から、3ウェイのマルチアンプシステムとして使い始めたもので、ぼくにとってこのスピーカーは、まさに妻のようなものであった。何故なら、ぼくがこれを使い始めた頃、ぼくの気持ちの中では、一生、このスピーカーとつきあおうと思っていたし、また、そうなりそうな予感もあったからである。トゥイーターは075、ウーファーは初めのうちはワーフェデールのW12RS・PST、そして後に目まぐるしく変り、結局、JBL2205に落着いて現在に至っている。もっとも、075は、その後、ぼく流に改造しているし、375ドライバーも2445Jに変ってはいるが、これは妻を変えたようなものではなく、女房教育をしたようなものである。つまり、通称〝蜂の巣ホーン〟を中心としたJBLのユニットによる3ウェイのマルチシステムという基本は、この17年間変ってないのである。もちろん、その間にも、いろいろなスピーカーに出会って、浮気心を起こしたこともあるし、そのうちの何人かは、本妻と一時的に同居させたこともあった。しかしいつも、せいぜい3〜6ヵ月で、妾のほうは追出されてしまうのが常だった。まさに浮気のようなもので、本妻と並べてみると、改めて、妻の美点がクローズアップされ、一時期血迷った自分を反省するのであった。時には妻にはない魅力を垣間見せる妾もいたが、総合的にはいつも妻のほうが上であった。それに気がついてしまうと、とても妻と妾を同居させている気がせず、妾のほうにはお引取り願うということになるのであった。
 そんなぼくとスピーカーとの関わり合いに、かつてない大事件が起きたのが、今から3年前、1982年の春である。
 その2年前、ぼくは録音の仕事でアメリカへ行き、ニューヨークで二週間ほど仕事をしたが、その間に、マッキントッシュのXRT20というシステムに出会ったのである。ぼくの浮気の虫は、にわかに鎌首を持上げ、この熟女の魅力の虜になってしまった。しかし、この時は、かろうじで理性が勝って旅先での出来事にとどめることが出来たのである。しかし日本に帰って、久しぶりにわが家で妻の歓迎を受けながらも、XRT20の妻にはない魅力が想起され、妻には悪いと思いながらも、妻との営みの最中にXRT20を空想したり、妻にXRT20の魅力を求め無理強いしたりという一年がつづいていた。しかし、再び、妻との生活に馴れ、いつしか、XRT20の記憶も薄れていったのだった。もとの落着いた心境で、夜な夜なベートーヴェンやハイドンを、バッハやモーツァルトを、そして、マーラーやブルックナーを招いて楽しい一時を過していたし、時にはソニー・ロリンズやアート・ペッパーを、また、大好きなメル・トーメやジョニー・ハートマンを招くこともあった。ジャズメンを招いた時の妻の喜々とした表情は、ことのほか魅力的で、とても15年連れそった古女房とは思えない若返りようであったものだ。
 が、忘れもしない1982年の春、日本でXRT20に再会してしまったのである
 XRT20が来日した! と聞いた時からぼくの胸は高鳴り、ニューヨークで味わった興奮が、まるで昨日のことのように甦ったのである。もう、居ても立ってもいられない。ぼくは後先顧みず、XRT20をわが家へ連れ込んでしまったのだった。彼女のために部屋を片づけ、レコード棚の一つは廊下へ出し、なんとかXRT20のために居心地のよいスペースを確保した。
 それからの数十日は、ぼくは平常心を失っていたように思う。朝な夕な、夜更けまで、ぼくはXRT20に狂っていた。柔らかく優美な肌、しなやかでいて強勒な、その肉体にのめり込んでいった。気性は妻よりややおとなしいように見えたが、どうしてどうして芯は強い。若いだけあって柔軟性に富んでいて、クラシック畑の人ともジャズ細の人とも、分け隔てなく馴染んでくれた。ぼく流の教育にも従順で、驚くほどの適応性を見せるのだった。
 この間、妻は無言であった。そしてある夜、ふと沈黙の妻の存在に気づき、久し振りにぼくは妻との語らいの一時をもった。そしてぼくはまたまた、妻の能力を再再発見したのである。妻はいった。
「私はXRT20とは違うのよ。でも、私は長年、あなたによって教育され、大人になったと思うの。それだけに新鮮味はないかもしれないけれど、XRT20とは違った心地よさをあなたに与えてあげられる自信があるの。この前、あなたの親しい瀬川冬樹さんが来られて、あなたとお話ししていらしゃっるのを聞いたわ。瀬川さんはさかんに私との離婚をあなたにすすめられていたわね。でも……私、嬉しかった。あなた絶対に首を縦に振らなかったもの。ありがとう。」
 ぼくはこの時から、長年の主義を破って妻を二人持つことに決めたのである。辛いオーディオ国の法律では重婚は禁じられていないようである。そして、新しいXRT20に、長年JBLに注ぎ込んだ情熱的教育に匹敵する努力を集中的に一年間傾注したのである。来ては去った多くの妾達とはXRT20は違っていた。他人からみるとXRT20がぼくの正妻のように見えるかもしれない。しかし、今や、堂々と、それでいて、ひかえ目に存在するJBLとは馴染んだ年輪が違う。どちらも、ぼくのとっておきの音である。
 この二人の妻と、いつまで続くかはぼくにもわからない……。

ソニー APM-8, APM-6、パイオニア S-F1、テクニクス SB-M1 (MONITOR 1))

井上卓也

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 平面振動板採用のユニットを使ったスピーカーシステムといえば、1970年代の末期に急激に開花した徒花といった表現は過言であるのだろうか。
 毎度のことながら、国内のオーディオシーンでは、これならではのキャッチフレーズをもった、いわば、究極の兵器とでもいえる新方式や新材料を採用した新製品が、開発され、ある時期には、各社から一斉に同様のタイプの新製品が市場に送り込まれ、盛況を見せるが、それも長くは継続せず、急速に衰退を元す、といった現象が、繰返されている。平面振動板を採用したユニットによるスピーカーシステムも、その好例であり、現在では継続してこのタイプのユニットによるシステム構成を行なっているのは、テクニクスとソニーの2社といってよいであろう。
 平面振動板は、スピーカーユニットの振動板形態としては、もっとも、シンプルなタイプであり、振動板の振動モードを検討する場合に、オルソンの音響工学にもあるように、常に引合いに出されるタイプだ。
 従来からも、平面振動板を採用したダイナミック型のユニットは、特殊なタイプとしてはすでに1920年代から存在することが知られているが、いわゆる、コーン型ユニット的に、ボイスコイルで振動板を駆動する製品としては、かつて、米エレクトロボイスにあったといわれる、木製の板を振動板としたユニット、ワーフェデールのコーン型ユニットの開口部を発泡性の合成樹脂の平らな円板でカバーしたウーファーなどが一部に存在をしたのみである。これが、急速にクローズアップされたのは、宇宙開発や航空用に開発された軽金属製のハニカムコアが、比較的容易に入手可能となり、これに、各種のスキン材を使って、振動板として要求される、重量、剛性、内部損失などの条件がコントロール可能になったためである。簡単にいえば、新しい材料の登場が、急速な平面振動板ユニット開発のベースとなっているのである。
●ソニーAPM8/APM6
 平面振動板を採用した原点は、全帯域にわたり完全に近いピストン振動をする、いわば、スピーカーの原器ともいえるシステムを開発するためといわれ、アキユレート・ピストニック・モーションの頭文字をとりAPMの名称がつけられている。
 APM8は、11978年1月に開発されたAPMスピーカーをベースに製品化された第一弾製品で、ハニカムサンドイッチ構造の角型板勤板ユニットを4ウェイ構成とし、フロアー型バスレフエンクロージュアに組込んだシステムである。アルミ箔スキンの低音は、4点駆動で、中心にローリング防止ダンパー付。中低域以上は、カーボンファイバーシートをスキン材に採用している。
 磁気回路は、アルニコ系鋳造磁石を採用し、プレートとセンターポールの放射状スリットと、磁気ギャップ近傍のプレートやボールに溝を設けるなどの機械加工による電流歪低減と、各ユニットのインピーダンスを純抵抗と純リアクタンスに近づけ、単純化し、ロスを減らし、特性をフラット化する設計が見受けられる。
 エンクロージュアは、200ℓ、自重60kgで25mm厚高密度パーチクルボード製。ネットワークは、SBMCの高圧成形の防振構造を採用している。
 ユニット性能を最重視した基本設計は、国内製品として典型的な存在である。物理的な性能は超一流のレベルにあるが、システムとしての完成度に今一歩欠けるものがあり、発表以後、改良が加えられた様子はあるが、サウンド的には未完の大器であり、非常に残念な存在である。完全にチューンナップした音が聴きたいモデルだ。
 APM6は、APMユニットをモニターとして最適といわれる2ウェイ構成とし、エンクロージュアをスーパー楕円断面の特殊型として、デフテクションの防止を図ったAPM第二弾製品である。2ウェイ構成のため、セッティングは非常にクリティカルな面を示すが、追込めばさすがに、従来型とは一線を画したスピード感のある新鮮な音を聴かせる。使い手に高度の技術を要求する小気味のよい製品だ。
●パイオニア S−F1
 世界初の平面同軸4ウェイユニットを開発し、採用した、極めて意欲的、挑戦的モデルである。基本構想は、音像定位、音場感を最優先とした設計であり、混変調歪やドップラー歪に注目して一般型としたソニーAPM6と対照的な考え方と思う。
 角型ハニカム振動板は、低域と中低域のスキン材にカーボングラファイト、中高域と高域用はベリリュウム箔採用だ。磁気回路は、同軸構造採用のため、ウーファー振動板40cm角に対して32cm型のボイスコイルであり、背面の空気の流れを確保するため非常に巧妙な考えが見受けられる。とくに、高域と中高域の同軸構造磁気回路は、シンプルでクリーンな設計である。
 エンクロージュアは、230ℓのバスレフ型で、システムとしての完成度は、相当に高いが、今後のファインチューニングを願いたい内容の濃いシステムである。
●テクニクス/モニター1
 SB7000で提唱した位相特性平坦化を平面振動板採用で一段とクリアーにした理論的追求型のシステムだ。独特のハニカムコア展開法は、振動板外周ほどコアが大きくなり、軽くなる特徴をもち、4ウェイ構成のユニットはすべて円型振動板採用。
 低域用の特殊構造リニアダンパー、高域用のマイカスキン材をはじめ、磁気回路の物量投入は、価格からみて驚威的で、非常に価格対満足度の高い製品である。特性は充分に追込まれているが、システムアップの苦心の跡としてバッフル前面のディフューズポールや、内部定在波を少し残して低音感を調整したあたりは巧みである。この製品の内容を認めて、使いこなせる人が少ないのが、現在のオーディオの悲劇であろうか。