黒田恭一
ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より
名古屋には、まるで渡り鳥のように、一年に一度、毎年同じ時期にいく。さる音楽大学で大学院の集中講義をするためである。一週間の集中鼓義が終わった土曜自の午後はいつもきまって、名古屋の友人の家で、彼が「宇宙一の音」と冗談半分に自慢する音をきかせてもらうことになる。
集中講義の期間中はホテルに泊まっているので、当然のことにろくな音はきけないまま一週間をすごす。したがって、土曜日ともなれば、まるで砂漠を旅してきた旅人が喉のかわきを訴えるように、まともな音に対する欲求が切実なものとなっている。そういうところにきかされるその友人の家の音であるから、さしずめオアシスの水のようなもので、ひときわ美味しく感じられる。
音楽のききかたで共感できる友人の再生装置の音をきかせてもらうのは、とても勉強になる。これはぼくにかぎっていえることではないと思うが、オーディオでは、とかくひとりよがりに陥りがちである。その悪しきひとりよがりから救ってくれるのが、信じられる友人の音である。なるほどと思いつつきいていて、自分の家の音のいたらなさに気づいたりする。
今年も例年通り、彼の家で、さらにくわえて今年は、ぼくもかねてから親しくつきあわせていただいている彼の友人の家でも、音をきかせてもらった。ただ、今年の砂漠の旅人は、単に喉の乾きを癒しただけではなく、とんでもない宿題をおしつけられてしまった。どうやら、そのさりげない宿題の出題は、彼らふたりが結託してなされたようであった。
ソニーが非売品としてだしているコンパクトディスクに、「コンパクトディスク、その驚異のサウンド」(ソニーYEDS・6)とタイトルのつけられたデモンストレイションディスクがある。そのコンパクトディスクのなかに、京都の詩仙堂で録音されたとされているししおどしの音をおさめたトラックがある。そのトラックを、名古屋の友人の家で、さらに彼の友人の家で、いかにもさりげなくきかされた。しゃくなことに、それはなかなかいい音であった。ご参考までに書いておくと、そのふたりの使っているコンパクトディスクプレーヤーは、ソニーのCDP5000Sである。
その「コンパクトディスク、その驚異のサウンド」というコンパクトディスクは、ぼくも以前から持っていた。ただ、もともとレコードにしろ、デモンストレイション用のものをきくのがあまり好きでないので、これまできかないできた。ところが、名古屋の友人たちのところできかされたとなると、妙に気になってしかたがなかった。それで、一週間の集中講義をすませた後だったので、かなり疲れてはいたが、家に帰ってからすぐ、その件のししおどしをきいてみた。十全に満足するところまではいかないが、ほどほどの音がした。
それから数日して、ぼくの部屋に五人ほどの友人が集まった。暑いさかりでもあったので、ほんのちょっとサーヴィスのつもりで、そのししおどしのトラックをリピートにしたままにしておいた。必然的に部屋ではししおどしの音が連続してきこえつづけた。遅れてやってきた、若い、しかし端倪すべからざる耳の持主である友人が、ぼそっとこういった、「なんだ、この家のししおどしはプラスティックか!」
これにはまいった。その友人のいったことは、当たらずといえども遠からずであった。それは自分でも薄々は感じていたことであったので、反論の余地はなかった。たしかにその友人のいう通り、竹の音にしてはいくぶん軽すぎるきらいが、わが家のししおどしの音にはなくもなかった。
それからしばらくして、京セラのコンパクトディスクプレーヤーDA910を、この部屋できく機会にめぐまれた。深夜、ひとりで、こっそり(なにもそんなにこそこそする必要もないのに!)そのコンパクトディスクプレーヤーでししおどしの音をきいてみた。これが素晴らしかった。プラスティツクが竹に近づいた。
その後、いまだに、あの端倪すべからざる耳の持主には、ししおどしの音をきいてもらっていないものの、これなら、「なんだ、この家のししおどしはプラスティックか!」とはいわれないに違いないと思えるいささかの自信がある。むろん、名古屋の「宇宙一の音」とは一対一の比較ができるはずもないので、それをいいことに、どうだ、ぼくのししおどしだって満更ではないぞ、とひとりで悦にいっているのであるが、こういうことはオリンピックとは違うので、多少曖昧な部分を残しておいた方がお互いのためといえなくもない。
敢えてつけくわえるまでもなく、京セラのコンパクトディスクプレーヤーDA910が、その持前の威力を発揮したのがししおどしの音にかぎられるはずもない。ともするとプラスティックの筒の音にきこえがちな音を、しっかり竹の音にきかせるだけの能力のあるコンパクトディスクプレーヤーであれば、おのずとピアノの音はよりピアノの音らしくなって、音としてのグレイドが一段階アップしたのは、まぎれもない事実であった。
京セラのDA910のなににもましていいところは、音にとげとげしたところがなく、響きに安定感のあるところである。このような音であればCDアレルギーを自認する人でも、ことさら抵抗なく楽しめるのではないか。
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