知的なサウンドを聴かせるシステムとは

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より

Q:洗練された響きのヨーロッパジャズに代表される知的なサウンドを聴かせるシステムを構成して下さい。ただし、あまり高価なものでは困ります。よきアドバイスをお願いします。

A: 洗練された響きのヨーロッパジャズに代表される知的なサウンド……? 果して私がイメージするそれと、質問者のそれが合致するかどうかが少々不安である。そもそも、ヨーロッパジャズという言葉が必ずしも音楽的内容を限定したり、表現したりする明確な意味をもっているかどうかがうたがわしい。ヨーロッパのミュージシャンによるものだけで、ヨーロッパのジャズは成り立っていないし、ほとんどのヨーロッパのジャズミュージシャンは、アメリカのビッグアーティストの流れを受け継いでいる。時には、アメリカのミュージシャンが、ヨーロッパで演奏したもののほうが、よりヨーロッパ的なムードを聴かせる場合もある。こうなると、ヨーロッパで録音したジャズをヨーロッパジャズといってもよいようだ。イタリー録音のジャズに聴ける……例えば、ドン・ピューレンのしっちゃかめっちゃかな激烈なピアノなど、その反面のリリシズムやパストラールなムードと合わせ考える時、私には何がヨーロッパジャズなのか、正直なところ把握しかねるのである。キース・ジャレットの〝ケルン・コンサート〟に代表されるようなロマンティシズムとリリシズムは明らかにヨーロッパジャズだと感じられるようだが、あれは果して、純粋なヨーロッパジャズといってよいかどうか? むしろ、アメリカンのヨーロッパへの憧憬と、ヨーロッパによる触発というべきかもしれない。知性派ベーシストのアデルハルト・ロイディンガーなど、特に、彼のリーダー・アルバム、〝ヨーロピアン・ラプソディ〟に聴けるファンタスティックな世界を垣間見ると、これがヨーロッパジャズだとうなずけるものもなくはない。NYのロフト・ジャズ・シーンがパリで展開したってよいのである。〝クロスカレント/サム・リバース〟なんかはその好例だろう。そして、また、サウンドとなれば、必ず音楽的内容だけではなく、録音が大きな影響力をもってくるのである。その証拠に、私が録音した〝サンベアーコンサート〟のキース・ジャレットなどは、私自身で聴いても、ヨーロッパ・サウンドといっても違和感のないものになっている。ミュンヘンのドミツェルで聴いたマル・ウォドロンは、日本のステージでの彼とはちがって、こっちの受け取り方だけではなく、かなりヨーロッパ的であった。古くは、ビル・エバンスのモントルー・フェスティバルの録音にもそれを感じた。
 というようなわけで、正確、かつ、明確にヨーロッパジャズに代表される知的なサウンドのイメージは私の中に湧いてこないので、ここは〝ジャズの知的なサウンド〟とい言葉に集約させて、そこに、ヨーロッパ的サウンドの雰囲気を加味したオーディオ・コンポーネンツの性格をブレンドして御期待に沿うことにさせていただこう。〝あまり高価格なものではなく……〟という条件も考慮して苦慮して選んだ組合せの一例が次にあげるものになったが、いかがなものだろう。
カートリッジ オルトフォンMC10スーパー
プレーヤー ケンウッドKP880D
プリメインアンプ ヤマハA2000
スピーカー B&O M150−2
 このシステムの場合、合計価格は60万円強といったところで、決して安くはないが、音の品位や主張の筋は通っていると思う。つまり、再生装置としては一級品といえるものだが、こうなると、価格はどうしてもこのぐらいになってしまうだろう。
 M150−2スピーカーの音は、造形のしっかりした明快な音像が、透明な空間感のデリケートな雰囲気と相俟って、決して華美に堕さないクォリティをもっている。俗にいうシックなサウンドで、ヨーロッパジャズ……という質問者のイメージを具現すると、こういう音になるのではなかろうか? このスピーカーを十二分に鳴らし切るには、アンプが重要で、この点、ヤマハのA2000なら、相手にとって不足はない。透明度が損われることなく、豊潤な響きが味わえるはずだ。プレーヤーは中級機として、手堅い内容をもつた実力横、トリオのKP880Dであり、これに、オルトフォンの低価格ながら、立派にオルトフォン・サウンドを聴かせるMC10スーパーを装備する。外観的にも、操作感の点でも気は配ったつもりであるから、システムとして、部分的な違和感は少ないはずだ。感性の世界であるオーディオ・レコード音楽に遊ぶ人達にとって、この事も、音と同じぐらい重要な要素になるはずだ。
 それにしても、オーディオ機器個々のもつ個性と、それらをシステムアップした時に発揮するトータルサウンドの性格は興味深いものだ。エレクトロニクスやメカニズムの技術の総合的発達と、オーディオ技術の熟練が、コンポーネンツの水準を上げ、忠実な伝送、増幅、変換の性能を高度に達成した今日でさえ、サウンドの個性的雰囲気や質感は厳然として存在し、奏でる音楽を彩色する。ジャズは、音楽の中で、明らかに特徴を強く主張するから、その音楽的特徴が曲げられては困る。アメリカ的であれ、ヨーロッパ的であれ、そうしたジャズの本質的な表現の特徴は、エモーショナルにもフィジカルにも、ダイレクトにメッセージを伝えるところにあると私は解釈している。それは、弾き手にとっても、聴き手にとっても、共通する音楽的特徴といえるだろう。これを音としてオーディオ機器がハンドリングするにあたって必要なことは、充実した中音域と、明確な音像エッジの再生に条件をしぼれるように思う。逆に中音城が貧しく、エッジのボケる音は、ジャズの魂を失わせてしまう。こうしたリアルな骨格に、いかなる肉付きと肌合いをもたせるかは、ジャズのセンスであり、知性であろう。極端にいえば、〝歪んだ音でもジャズは死なない〟のである。

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