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インフィニティ Renaissance 90

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 インフィニティのスピーカーシステムはEMIT、EMIMというトゥイーター、スコーカーを特徴としていて、あの美しい音のニュアンスは、豊かな低域に支えられた、これらの繊細な中・高域によるものである。プレイナー型と呼ばれる平面振動板による放射波は、そのトランジェントのよいメンブレン振動板のもつ軽妙さとともに魅力的な世界をつくっている。しかし、従来このEMIT、EMIMには高入力に対するダイナミックレンジに問題があった。つまり、大入力へのリニアリティの限界が意外に余裕が少なかったため、このユニットを多数使用したIRS−Vはともかく、それ以外のシステムでの中高域のダイナミックレンジに不満がなきにしもあらずであった。〝シズリング〟現象という癖が私には気になっていたのである。それを超えると明らかにクリッピングを起したものだ。
 これが、〝ルネッサンス〟シリーズから改良をうけ、大きく完成度を高めたのだからうれしい限りである。EMIT、EMIMの振動板並びにそのサスペンションが一新されたのである。この新ユニットは今後、すべての機種に使われることになるというから、インフィニティ・スピーカーシステムは一段と価値が上がる。あの繊細な中〜高域の透明感はやや薄らいだものの、新ユニットは十分なリニアリティをもちながら、インフィニティらしさは失ってはいない。天秤にかければ、これは明らかな改良である。こうして〝カッパー〟シリーズの後継機であるこのルネッサンス・シリーズは魅力を増すことになった。低域も従来の方式とは異なり、いわゆるワトキンス方式と呼ばれるデュアルボイスコイルによる新ユニットを採用し、エンクロージュア構造やデザインも一新されていて注目の新製品だ。姿態も美しく節度のあるトールボーイのファニチュア調に仕上げられていて、広い層に受け入れられるシステムであろう。

ソナス・ファベール Electa Amator

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 イタリアはヴィツェンツァの小さなメーカーで生産されるこのスピーカーは、まずその美しいエンクロージュアの造形と仕上げの魅力に惹かれるだろう。立体的でセクシーな造形は、いかにもイタリア的だ。ユニットのフレームがエンクロージュアの幅一杯に出ているが、これがこの造形の肉感的な魅力のポイントであると同時に、音響的にディフラクションを嫌った必然的形態であることに納得させられる。バッフル効果を避けた設計思想である。そして、そのウーファーのフレームが、トゥイーターのフロントパネルの下側へ深く食い込んでいるところも見逃せない。設計者はウーファーとトゥイーターをできる限り近づけたかったのに違いない。執念の現われである。かくしてこの製品は、見る人に強くアピールするオーラを獲得することになった。創る人の情熱が入魂の製品となったのである。そしてまた、その専用の木石台の味わいはどうだろう。画のキャンバスを置くイーゼルを彷彿とさせる木工の雰囲気がなんとも味がある。これだけ見た目に美しいたたずまいをもったスピーカーが悪い音を出すわけがない……と思いたくなるのだが、はたしてこのスピーカーの音がセクシーなのである。硬さや冷たさからはほど遠く、暖かく、時として熱く、流れるように歌い、小柄な体躯からは想像できない肉づきの豊かさで反応し歌い上げるのである。その外観のように豊かな凹凸と起伏の弾力感を感じるリズムの躍動がある。いつか、このスピーカーシステムを手に入れたいと思わせるに十分なセックスアピールをもっている。エスプレッシーボでアマービレなのである。2ウェイ2ユニット構成でウーファー口径は18cm、トゥイーターは2・8cm口径のドーム型だ。アッセンブルメーカーとして他社のユニット供給を受けても、これだけ自家薬籠中のものとして使いこなせば見事なものである。車好きな往年のアバルトを想起するかも……。

B&O Beolab Penta2

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 デンマークのB&Oはユニークなオーディオシステムを作るメーカーだ。まず、その斬新なデザインのオリジナリティが一貫してB&Oのフィロソフィとなっていることが特徴だが、一流品とはこういうものだろう。B&Oのデザインは、デニッシュ・デザインの個性が横溢していて明確なアイデンティティとなっている。次に、機能の充実に先端技術が生かされていることだ。ホームエンターテインメントシステムとしての集中的なリモートコントロール機能と、インストレーションとしてのスペース・ユーティリティを製品設計のプライオリティに置いている。とかくこうした製品は、内容が適当に妥協されたものが多いのだが、同社のオーディオ開発陣の音質へのこだわりは相当なものである。大艦巨砲型のコンポーネントではないから、音質重視設計としては限定されている。小さく薄く作らなければならない……といった枠はあるだろう。しかし、そうした条件をマイナスとして良い加減の妥協をしないところがB&Oの特質である。むしろ、それをテンションとプレッシャーとして技術的な努力をするのである。その好例がこのスピーカーシステムだ。3ウェイ9ユニットの仮想同軸型システムで、五角形の柱型である。底部に175Wのパワーアンプが内蔵される。ソフトクリッピング回路つきのこのアンプで駆動される音質は実に耳当りのよいもので、仮想同軸効果で床や天井の影響が少なく、設置の自由度が大きい。そして水平方向のディスパージョンが拡がり、ステレオフォニックな空間感が豊かである。ウーファーが13cm口径という小口径であるため、弾みのよい音が得られるし、正五角柱のエンクロージュアは定在波が立ちにくく素直で豊かな響きである。パワーアンプなしがベオヴォックス・ペンタだが、ベオラブ・ペンタの方が完成度としては高いし、製品として魅力的だ。センスのよいホーム・スピーカーシステムの一級品だ。

タンノイ System 215

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 タンノイのデュアルコンセントリックというユニットは、その同軸型2ウェイという構造のために、音像定位や位相再現の忠実度が高く、モニタースピーカーとして適している。一方において、イギリスらしい趣味性の発現性が強いタンノイ製品だが、同時にモニターシステムの開発も常に見られた姿勢である。1990年にはそのモニターシステム・シリーズを大々的にスタートし、デュアルコンセントリックユニットの基本構造を新しくリファインしてモニター用のユニットとしたことが注目される。
 最大の変更は、デュアルコンセントリックが一つの磁気回路をウーファーとトゥイーターに共有させていたものを、それぞれ独立した磁気回路としたことである。磁気回路としてより余裕のあるものになったといえるだろう。このシステム215は、そのモニター・シリーズ中のトップモデルであって、15インチ口径のコアキシャルユニットと、同口径のウーファーユニットを併せもっている。タンノイでは、このモニター・シリーズの登場を機会に、今までのクラシックな木工家具調のシリーズをプレスティージ・シリーズと呼び、二つのシリーズのコンセプトの違いを表明した。モニター・シリーズはよりシンプルなバスレフ型のエンクロージュアをもち、ノンカラレーション思想を前面に打ち出している。しかし、受取り側としては、やはりタンノイはタンノイであって、その音の充実感や造形感の確かさには共通性を感じることができる。エンクロージュアがホーンとなると、それに独特の雰囲気がついて響きに個性が出るわけだが、このシリーズではそれを意識的に避けている。デザインもより現代的にすっきりとしていて、どちらかというとドライでクールだが、さすがにタンノイらしく美しい。家庭でもモダンなインテリアとマッチするだろう。音と外観に共通性を感じさせるのはさすがに世界の一流品、タンノイのトップモデルだ。

ソナス・ファベール Extrema

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 スピーカーのエンクロージュアとして理にかなった音響設計の必然性と美しい木製工芸の接点を求め新しいフォルムの創造に成功したイタリアのソナスファーベル社の作品は今、注目に催する。
 スピーカーエンクロージュアの造形としてこれほど刺激的なショックを与えてくれた製品は珍しいし、その小型重厚なオブジェの印象が見事に音とも一致していることで、処女作〝エレクタ・アマトール〟がわが国でも高い評価を得たのは当然である。次いで、その妹の〝ミニマ〟が誕生し、今度、姉の〝エクストリーマ〟が生まれた。
〝エクストリーマ〟は、上級モデルにふさわしく、さらに重厚で立体的、彫琢の深い造形のオブジェが迫力をもち、むしろ男性的であって、兄貴分といったほうがよいかもしれない。その筋肉質な肉体美を感じさせるエンクロージュア・ボディの凹凸と起伏豊かな力感の漲る質感はマスキュリン・ビューティと呼ぶのにふさわしい。
 19cmウーファーと2・8cmトゥイーターの2ウェイに平板のパッシヴラジエーターというユニット構成からして、決して大型システムと一般に呼べるものではないが、その力強いイメージは並の大型システムをはるかに超えるインパクトの強いものである。27×46×55cmというエンクロージュアサイズを超える存在感なのだ。そして、この大きさで重量は40kg。さもありなん、と思わせる高密度で高品位な造りであり、仕上げの高さである。一目見ただけで、そうした内容の濃密さが表現されているのは高級品と一流品の条件を完全に満たすものである。
 このエクストリーマの音は、エレクタ・アマトールからすると厳格で客観的だ。その名称からしてもソナスファーベルとしては頂点を志向した製品であるだけに情緒に溺れていないのである。それでいて、冷たくはなく、硬質でもなく、音楽の美しさを響かせるところが見事なのだ。

ダイヤトーン DS-V9000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 ダイヤトーンは日本のスピーカーの代表といってよい。三菱電機という大電機メーカーが、スピーカーシステムという分野にここまで根を下ろしたことは興味深い。電気製品の中では最もソフト要素の強い、今流行の言葉でいえばファジーでありニューロなものだし、サウンドという嗜好性の強い趣味的な世界は、このような電機メーカーにとって扱い難い分野である。NHKのモニタースピーカーを戦後間もなく開発したのが縁でダイヤトーンは今やスピーカーでは名門になってしまった。技術志向が必ずしも音のよいスピーカーに連らないこの世界で、ダイヤトーンは技術とヒューマニティのバランスを真面目に追求してきたメーカーだ。高級な大型システムの開発を常に中心においてスピーカー作りを進めてきている努力が、ダイヤトーンを国産スピーカーメーカーNo.1の地位を得さしめたのだ。その一つの項点が、このDS−V9000というモデルである。無共振思想、剛性第一主義を貫きながら、適度に柔軟な姿勢で戸惑いながらも妥協点を求める以外にスピーカーとしての完成度は得られないように思えるが、ダイヤトーンは一見、技術一点張りに見えながら、この術を心得てもいる。このバランスを保つことがいかにむずかしいか、DS−V9000はその困難を克服した現時点での成果であると思えるのだ。これをダイヤトーンはハイブリダート・シリーズと呼ぶ。高剛性と最適内部損失の調和である。トゥイーターとミッドハイに使われているB4Cという素材が現在のダイヤトーンのアイデンティティ。確かにB4Cドームユニットはレスポンスの鋭敏さにもかかわらず、音に硬質な嫌味がなく品位の高い再生音が得られる。コーンは同社得意の高剛性ハニカム構造材である。長年の使いこなしにより、この材料も使い方がこなれてきた。曖昧さのない造形の確かな再生音は立派である。味とか風格といった個性の魅力とは違うところにダイヤトーンはある。

マッキントッシュ XRT22S, XRT18S

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 マッキントッシュはアンプの専門メーカーであるため、スピーカーシステムはまだ十分認識されていないように感じられる。このXRTシリーズではXRT20を第一世代として登場したもので、現役製品は22Sがトップモデルで、18Sがそのジュニアモデルである。しかし、18には22と違って、ウーファー、スコーカー、トゥイーターが縦一列に並ぶというメリットもあって単なる普及モデルとして把えられない魅力も存在する。ともあれこのXRTシリーズは、同社が2チャンネルステレオの完全な立体感の再生を目指して実に20年以上の開発期間の末に製品化したもので、そこには数々のユニークで新しい発想による技術が盛り込まれている。歪みの少ない、位相特性の素直なタイムアラインメントの施されたこのシステムの音場感の豊かさと、素直な質感のよさは特筆に値するものだ。アンプメーカーらしい技術の追求によって生まれた理論追求型の製品だが、数あるスピーカー中でアコースティックな魅力を最大限に聴かせるものだといえるだろう。しかも、MQ107というイコライザーのコントロールで、部屋の特性への対応はもちろん、ユーザーの好みへの対応の可能性ももっているのが特徴である。入念に調整されたXRTスピーカーの音はすべての人を説得する普遍性をもっているものだと思うし、手がけると実に奥が深い。
 XRT22Sは3ウェイ26ユニットから成るが、トゥイーター・コラムによる半円筒状の放射パターンにより豊かなステレオ空間が得られる。XRT18の方は3ウェイ18ユニットで、トゥイーター・コラムがスコーカーとウーファーの真上に配置できるのがメリット。XRT22Sのリニアリティの高さは特筆に値するもので、大型のホーンシステムに匹敵する大音量再生から、小レベルの繊細な再生までをカバーする。XRT18は大音量で一ランク下がるが、一般家庭では余りあるもの。

オンキョー Grand Scepter GS-1

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 オンキョーはスピーカー専門メーカーとして誕生した会社である。今は総合的にオーディオ製品を手がけているが、第2次大戦後間もなくの頃、オンキョーのスピーカーユニットに憧れた記憶がある。そうした体質を今でもオンキョーはもっていて、スピーカーユニットの生産量は世界で一、二を争うはずである。そのオンキョーが、売れ筋のコンポーネントシステムだけを作ることに飽き足らず、研究所レベルの仕事として取り組み開発したのが、この〝GS1〟である。1984年発売だからすでに7年を経過しているが、先頃フランスのジョセフ・レオン賞を受賞した。この賞はフランスのハイファイ協会会長によって主催されるオーディオ賞の一つだそうで、GS1の優れた技術に与えられた。このスピーカーシステムは、2ウェイ3ユニット構成のオールホーン型で、スピーカー研究の歴史に記録されるべき銘器であると私も思う。特にコンプレッションドライバーに必要不可欠のホーンの設計製造技術は、従来のホーンの解析では果せなかった新しい視点と成果を満たらせたものである。製品としては使い勝手の点などでむずかしさを残しているが、オプティマム・コントロールを条件としたこのシステムの音の純度の高さは類例のないものといってよいだろう。ワイドレンジ化や高能率化が犠牲になっていることは認めざるを得ないものだが、それでさえ、これだけ純度の高い音が得られるなら、不満にはならないレベルは達成している。いかにも日本製品らしい細部の入念な解析技術が素晴らしいのである。そのために、音楽の情緒を重視するとあまりにストレートであるから、よほど録音がよくないと不満が生じるかもしれない。しかし作りの緻密さといい、強い信念に基づく存在感の大きさといい、今後も長く存在し続け、さらにリファインされて常に同社のフラグシップモデルであり続けて欲しい魅力ある作品だと思うのである。

JBL DD55000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのJBLといえば、オーディオに関心のある人で知らない人はいない代表的なメーカーだ。ジェイムス・B・ランシングという創業者がこのメーカーを設立したのは、プロ用スピーカーの技術の水準を使って、家庭用の優れたシステムを作りたいという欲求からであったと伝えられている。それまでアルテック・ランシングというプロ用のスピーカーメーカーで仕事をしていたランシング氏は、独立して、より緻密で精度の高いプレシジョン・ドライバーと美しいエンクロージュアの組合せを夢見たのであろう。以来半世紀、ランシング氏亡き後、JBLは数々の銘器と呼ばれるにふさわしい製品を生んできた。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパスなど、美しい家庭用の高級システムは今でも大切に使われている現役の高級機である。そして、70年代からプロ用のモニターシステムの領域に踏み込んだJBLは、4300シリーズで人気を得て、わが国においてもブームをつくつた。そのシャープな輪郭の音像の精緻さと、ワイドレンジのさわやかさ、強烈なパルスへの安定したレスポンスとリニアリティという、物理特性の高い水準に裏付けられたスマートで恰好いい鳴りっぷり、鋭敏な感覚による他のコンポーネントとの組合せの明確なレスポンスがオーディオの趣味性にピッタリであった。
 4343、4344を筆頭とする4300シリーズ全盛のディケイドの跡を継いだのがこのDD55000〝エベレスト〟である。完全にコントロールされた指向性をもつ大型ホーンが特徴で、このシステムは家庭用の最高級機としてリスニングエリアの拡大を狙ったものだ。JBLらしい精緻なピントの定まった音像定位と空間性を複数のリスナーに同時に伝えられることがこのシステムの特徴である。3ウェイ3ユニットの本格的コンプレッションドライバーシステムとして、鮮やかで緻密な再生音が他の追従を許さない次元の高さを可能にする。

タンノイ Westminster Royal

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 イギリス(スコットランドに工場がある)のタンノイといえば、オーディオに興味のある人で知らない人はいないであろう。特にわが国では、タンノイは神格化されているほど、絶大な存在感をもって信奉されている。それはこのメーカーの長い歴史と伝統、つまり、半世紀以上の社歴と、その間に一貫して守られてきた設計思想や製品作りの基本理念に対するもので、一朝一夕に築かれたものではない。長い歴史の中には、いろいろ困難な時代もあったし、製品にそれが反映したこともある。しかし、常に保ち続けてきた精神は、温故知新と自社の技術への信念に満ち溢れていた。そして、イギリスという国の持っている趣味性への価値観も見逃せない。イギリス趣味は基本的には合理的であり、貴族趣味と大衆性との間に明確なカーストのようなものが存在する。オーディオ趣味が大衆化するにつれ、イギリスのオーディオ製品にも、小さくて安価な大衆趣味製品が増えてきた。現代のイギリス製オーディオ機器の大半はそうした製品といってよい。しかし、その中にあって、この製品のような堂々たる風格をもつものを作り続けてきたからこそタンノイの存在は、ますます尊敬されることになる。
 内蔵するユニットは、有名なデュアル・コンセントリック・システムという15インチ口径の同軸2ウェイで、基本的に1940年代の設計から脈々と継承されてきたものだ。
 そして、そのエンクロージュアも、フロントロードのショートホーンとバックローデッドホーンのコンパウンドシステムという伝統的なもので、これはオートグラフと呼ばれた50年代のプレスティッジモデルで採用された方式。
 細部はその時代時代の技術でリファインされ続けているが、この製品は1989年に発売されたもの。そろそろ、新ユニットに代わるかもしれないが、そうなっても旧作としての価値が失われないのがタンノイの凄いところである。

ヤマハ GF-1

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 ヤマハがスピーカー技術のすべてをかけて製造する文字通りのプレスティージモデルといえるスピーカーシステムである。低域には同社の独自の技術であるYST方式という特殊な低音再生方式を採用しているところが大きな特徴である。負性インピーダンス駆動方式と呼ばれるもので、専用の回路を必要とするが、このシステムでは4ウェイ4ユニットのすべてを、それぞれ独立した専用アンプで駆動するというマルチアンプ方式として発展させたことも特筆に値する点だ。
 スピーカーシステムとしてこのアンプ内蔵方式は、理想の方式として従来から高級機には見られたものだが、ここまで徹底した製品は珍しい。W71×H140×D63cmという大型エンクロージュアは重量が150kgに及ぶ。下から30cm、27cm口径のコーンユニット、そしてドームユニットはスコーカーが88φ、トゥイーターが30φという4ユニット4ウェイ構成を採っていて、ボトムエンドの30cm口径ウーファーがYST駆動である。つまり、いわばこれがサブウーファーで、その上に3ウェイ構成がのると見るのが妥当かもしれない。サブウーファーは60Hz以下を受け持ち、ウーファーとスコーカー間は600Hz、スコーカー/トゥイーター間は4kHzのクロスオーバー周波数だ。この周波数に固定された専用のチャンネルディヴァイダーを持っている。ユニットの振動板材料は、このシステムの開発時にヤマハが理想とするものを使ったわけで、コーン材はケブラー繊維に金蒸着を施したもの。ドーム材はヤマハが従来から使い続けているペリリウムをさらに薄く軽くして結晶の均一化を果した。これも金蒸着によりダンプしている。豊かな潤いのある艶っぼい質感とワイドレンジのスケールの大きさは見事なものである。ペアで500万円という価格だが、当然少量生産だし、これだけの力作なら納得できるのではないだろうか。音楽産業メーカー〝ヤマハ〟らしい製品だ。

ヤマハ YST-SW1000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 ヤマハはいうまでもなくわが国最大の音楽産業メーカーであり、世界的にも一流のブランドとして通用する。このメーカーは楽器という人間の感性に直結する美を生命とする道具を作って1世紀を超える社歴をもっているのだから凄い。しかも、それを現代的な産業に発展させ人間という曖昧な対象にシステマティツクに対応する術を培ってきた。この体質はオーディオに最も適するものだと思う。それは電気機具を作って売るマスの体質をもった電機メーカーが今のようにオーディオの趣味の世界を台無しにしたことを思うからである。そのヤマハも大電機メーカーとの競争、泥仕合いにまみれたのだから情けない……のだが、このところさすがに無益な競争の馬鹿馬鹿しさに気がついた同社は、先述のペア500万円のスピーカーシステムで姿勢の転換を示した。そのオリジナリティとなっているテクノロジーがYST方式と呼ぶヤマハ・サーボ・テクノロジーだ。負性インピーダンス駆動でウーファーをドライブしてエアマスで効率よく低音を再生するシステムである。口径の小さいウーファーでも豊かな低音を再生できるシステムであるため、ヤマハはこれを小型システムに導入し、それなりの成果は上げた。しかし、本来は大口径ウーファーとYSTの組合せで再生したときの低域の高品位ぶりを広くPRすべきだった。YSTは、同口径ウーファーなら最高効率で低域特性をのばすことができる方式だからである。しかも、このYSTウーファーが質的にも連り、高品位な低域再現を可能にするのは60Hz以下程度で使ったときだ。つまり、サブウーファーシステムとしても理想に近い姿は中〜大型システムとの併用だと思う。本機は30cm口径のYSTシステムで、タンノイのウェストミンスターやRHRとの併用で50Hz以上で使うと素晴らしい効果を発揮する。もちろん小型との併用が悪いわけではなく130Hz以上ならよいのe が、真価は以上述べた通りだ。

SME SeriesV

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 SMEはイギリスのトーンアームの専門メーカーとして知られているが、その3文字のイニシャルはScale Model Equipmentからとられたように、元来は精密模型のメーカーとしてスタートしたらしい。社長のアイクマン氏が徹底したこだわりをもって作る精密工作を基本にしたものづくりの見事さは第一級の高級品と呼ぶにふさわしい精緻さをもっている。トーンアームの生命である感度の鋭敏さと共振の防止の二つのテーマは精密な機械加工仕上げが必須条件であり、これこそSMEが最も得意とするところである。トーンアームの上下方向の支えをナイフエッジ構造とし、左右回転方向はベアリング式としたSME3009とそのロングヴァージョンの3012によって、SMEはトーンアームのリファレンスを確立したのである。ヘッドシェルをチャック式で交換可能な形にしたのが、カートリッジとトーンアームを二分することから独特の趣味の発展を促進した。それまではカートリッジとトーンアームは一体として考えられ、まとめてピックアップと呼ばれていたのである。理想的には、カートリッジとトーンアームは一体として設計されるほうがよいが、SMEのシェル交換方式はオーディオの趣味としてのあり方にぴったりときたのであろう。またたく間に全世界に普及したのである。シェルの接点やネックの規格はSMEのものがそのまま世界の標準になったほどインパクトが強かった。そのSMEが最後の理想的な作品として開発した最高級トーンアームが、このシリーズVである。精密加工は新素材の採用でさらに困難に直面したが、見事にこれを克服してアナログ最後の銘器が誕生した。詳細は他に譲るが、それまでSMEが蓄積してきたトーンアームに関するノウハウを結集した傑作である。その徹底した機能構造と材質の高品位さが、そのまま美しいフォルムの造形として昇華した見事な作品である。カートリッジは半固定式となった……。

オルトフォン SPU Classic AE

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 同社がカートリッジメーカーとして王者の地位を不動のものにしたのは、何といってもSPUシリーズだといえるだろう。ステレオレコードが発売された1950年代の後期に発表されたSPUは、MC型カートリッジの評価を確固たるものにしたのである。SPU−AとSPU−Gシリーズがシェルの形状の違いによって作られ、Gシェルは卵型のふっくらとしたシェイプで魅力的なアピールをしたし、AシェルはRをもった角型で、よりプロフェッショナルなイメージが強かった。さらに楕円針が登場してからGE、AEという末尾にEのついたモデルナンバーが登場したが、この製品はそのAEのレプリカといえるものである。もちろん、SPU−CLASSIC−GEもあるし、丸針仕様のGとAもある。いずれにしても違いは針先チップ形状とシェルの形状であり、基本的にはオリジナルSPUシリーズの忠実なリモデリングである。SPUシリーズの豊潤な音はアナログディスクの情感的魅力の再現に最もふさわしい音といえるだろう。その濃密な陰影、艶のある高域と力強い低域の再現する独特の質感は脂肪ののったバタ臭さとでもいえるであろうか。欧米の音楽の素材としての音の質感として大変魅力的なものである。

オルトフォン MC5000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 オルトフォン社はデンマークで1918年に創立されたメーカーだから歴史と伝統は古い。レコード産業機器の総合メーカーとしてプレス機からカッティングマシーンとヘッド、そしてそのアンプなど一貫したプラントメーカーとしての全盛時代が懐しい。オーディオ再生の分野では何といってもMC型のカートリッジとトーンアームのメーカーとしての印象が際立っている。このMC5000は、そのオルトフォンの最新最高のカートリッジであるが、その本機がトレース針圧を最適値2・5gと定めているのが興味深い。線材からマグネット、カンチレバー、針先チップ、筐体のすべてを現代のハイテクでつめた最新のMC5000の素晴らしさは数々あるが、それらを2・5gを標準とする針圧でトータルバランスさせたところが、いかにも老舗らしい回答ではないか。発電系を含め、トーンアームやディスク溝の実情、さらに家庭での実用性のトータルから決定されるべき適正針圧は2〜3gというのが正しいことを示した一流メーカーと一流品の見識というべきだろう。アナログ機器を今も作り続けるオルトフォンこそ、やはり最後までカートリッジの専門メーカーであり純粋なオーディオメーカーだった。

トーレンス Prestige

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム/その他篇」より

 トーレンスというブランドは1883年にスイスで誕生している。こんなに古いブランドで現役のオーディオ製品に生きているものは他にないのではないだろうか? しかも、その製品がオルゴールというのだから、当時の機械式音楽演奏装置ということでは現在のオーディオシステムと共通のカテゴリーのものである。エジソンのフォノグラフ発明は1877年、ベルリナーのディスク式グラモフォンが1887年の考案だから、このブランドがいかに古く伝統的なものかが推測していただけるであろう。時代の変化のために決して隆盛とまではいえないにしても、現在までトーレンス・ブランドは脈々と継承され続けてきたのである。これこそ名門という言葉で呼ぶ以外にあるまい。トーレンス家が現在何代目に当るのか? 現在の当主レミー・トーレンス氏に聞きそこねているが今度会ったら是非聞いておこう。オルゴールから蓄音器、そして現在のプレーヤーシステムに至るトーレンスの歴史は、そのままオーディオの歴史の教科書のようなものである。そのトーレンスにとってCDの出現は大きな出来事であったに違いないが、一貫してアナログプレーヤーを作り続けてきた姿勢は、誇りと信念に満ちた毅然とした貴族の精神性を見るような感慨である。苦しい経営面の障害を耐えに耐えているトーレンスに敬意と励ましの気持ちを捧げたい。一流品中の一流品、名門中の名門トーレンスへの敬意の念からも、私も自家用の〝リファレンス・プレーヤー〟を末長く愛用したいと思っている。このリファレンスが発売されたのが1980年、CD登場前夜であった。その名の通り自社製のプレーヤーのクォリティ・リファレンスとして作られたものを一部のマニア用に市販したのが〝リファレンス〟だが、それを元にある程度の量産化を図り、商品化したのが、この〝プレスティージ〟である。物量と全体のバランスの妙で再生音の情感を豊かに聴かせる銘品である。

マッキントッシュ MCD7007

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 オーディオメーカーの名門マッキントッシュはアンプの項で触れたように名実ともにこの世界の一流品を作り続けているが、最も古い歴史と伝統を重んじる頑固な姿勢の反面、きわめて新しいテクノロジーに積極的なメーカーでもある。その現われの一つが、アメリカにおいて最も早くCDプレーヤーを商品化したことである。このMCD7007はすでに3世代目の製品であり、原器MCD7000は1985年発売だ。その後MCD7005を経て’88年にこの製品が発売された。アンプの専門メーカーからスタートした同社は’50年代後半にはすでにスピーカーの研究開発に入っていたし、’60年代後半には商品化している。そして、’80年代にはアナログプレーヤーシステムがほとんど完成していたのだが、CDの登場によりそのプロジェクトは中止されたのである。凝りに凝ったトーンアームを当時社長のゴードン・ガウ氏自らが熱心に開発を進めていたのだが、CDの将来性を見てとったのであろう。ガウ氏は自宅で、ADとCDを熱心に試聴しADの音のよさを主張していたのだが、CDの可能性や技術的興味に強く惹かれたことも事実である。ある夜、突如私に国際電話をかけてきてCDプレーヤーをマッキントッシュ・ブランドで出すよ! といってきた。私のほうが戸惑ったほどである。来週オランダのフィリップスヘ行くというのである。あのADプレーヤーはどうするのだ? と聞くと、残念ながらビジネス的に無理だと判断したという返事であった。一流品のメーカーは、一流メーカーであり続けるためには先見性と勇気のある決断力が必要であることを教えられた。その2年後にMCD7000が発表されたのだが、マッキントッシュ・サウンドを実現したCDプレーヤーであったのに安心したものだ。MCD7007は、先述のようにこれをリファインしたもので、そのしなやかで自然な高域はCDの癖を感じさせないし、厚く暖かいサウンドだ。

ソニー CDP-R1a + DAS-R1a

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 ソニーというメーカーはブランドイメージの演出が大変うまい。このメーカーの売上げの大半は実用的で簡便な小型機器なのに、ブランドイメージは〝高級感〟を保っているのである。技術の先進性と国際感覚の調和が現代の象徴のようなメーカーだから、その〝良さ〟だけが受け入れられて〝悪さ〟が目立たないのであろう。誰に聞いても〝ソニー〟は一流なのである。しかし、ソニーがオーディオメーカーであることを納得させてくれる製品というと、決してCDラジカセやミニコンではないし、ましてやポータブルのウォークマン・シリーズなどは〝オーディオ〟のカテゴリーとはいえないものだ。自動車でいうならば、ウォークマンやCDラジカセは軽自動車ともいえないほどで、スクーターのようなものである。ミニミニコンあたりが軽自動車であって、コンポーネントシステムは特殊なスポーツカーにたとえられるものなのである。いわゆる5〜3ナンバーの乗用車に匹敵する本格的で、しかも一般的に使いやすいオーディオシステムというものはソニーに限らず、いまオーディオ産業界には存在しない。コンポーネントでその分野のすべてを埋めてきたというわけだが、ここへきてその無理が目立ってきている。
 趣味のオーディオとなると、当然軽自動車やスクーターではないわけであるが、このCDプレーヤーのような製品をつくるところに〝ソニー・ブランド〟の高級イメージの秘密があるのかもしれない。さすがにCDの開発者をフィリップスとともに自負するソニーだけあって、この分野での情熱は大変なものがある。早くからCDプレーヤーのセパレート方式を提案し、よりよい音の再現に努力してきたソニーの代表的製品がこれである。デジタルのハイテクは当然のこととして、オーディオの洗練が十分盛り込まれた気の入ったプレーヤーである。きわめて緻密で精緻な微粒子感のある音は美しい。無個性のようでいて強い個性だ。

アキュフェーズ DP-80L + DC-81L

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 アンプの専門メーカーとして高級アンプを中心にエレクトロニクスとアコースティックの接点を追求している同社の最高級CDプレーヤーが、このDP80L+DC81Lというセパレート型のシステムである。オリジナルモデルは86年に発売され、88年にLシリーズとなった。CDというプログラムソースとそのプレーヤーにアキュフェーズが大きな関心をもち、自社のオリジナリティで電子回路を組み、メカニズムは他社の優れたものを買ってアッセンブルするという作られ方である。トランスポートとD/Aコンバーターを含むプロセッサー部を分離したセパレート型を早期に採用し、互いのインターフェアランスを避けて、よりピュアな音を実現するというこのタイプは今でこそ珍しくもないし、D/Aコンバーター単体のコンポーネントも多数あるが、86年当時にこのセパレート型で完成商品とした同社の姿勢は、他メーカーへの大きな刺激となったものである。エレクトロニクスでの大きな特徴は、D/AコンバーターにICを使わずディスクリートで構成したことである。これにより、一台一台調整を施してわずかな誤差もなくし、音質の高品位化を実現する考え方である。初めに書いたようにエレクトロニクスとアコースティックの関連についての蓄積をもつ同社として、CDプレーヤーをだまって看過することができなかったのだと思われるが、そのポイントがD/Aコンバーターにあったといえるだろう。事実、その後D/Aコンバーターの変遷は各社ともにCDプレーヤーの改良のポイントとなったが、ディスクリートにこだわるのはここだけである。チップは経済性に優れる1ビット型が全盛となっているが、これは20ビットのディスクリートを特徴とするもので、明晰な全帯域にわたる質感の統一とリファレンス的な端正なバランスは、今のところ1ビット型では得られない精緻さがある。一流品は頑固さがつきものだし、挑戦的であってほしい。

エソテリック P-2 + D-2

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 ティアックのプレスティージモデルに冠せられるブランドがエソテリックである。アメリカでは〝エソテリック・オーディオ〟という言葉が盛んに使われるが、エンスージアスト向きのクォリティオーディオのことを指していう。エソテリックという言葉は辞書を引くと「秘教的な」「奥義の」「秘伝の」あるいは「内密の」といった訳を見出すだろう。したがって、これがオーディオに使われると若干、眉唾物のようなニュアンスが感じられないでもないが、それは違う。むしろ、趣味的な一品生産の銘品という解釈の方が当っている。音は抽象的で複雑微妙に人間の観念や心理的な影響を受け、そこにオーディオのような科学技術の論理が絡むと、とかくもっともらしい迷信が生まれやすいことから、エソテリックの秘の文字と結びつくのもわからないではない。CDプレーヤーと音の関係などには相当な未解析の問題がありそうだから、エソテリックといわれるとどうも曖昧な感じがする。しかし、ティアックのエソテリックは、CDの初期から独特の音質対策への配慮が見られ、オリジナリティのあるノウハウが盛り込まれていて、このブランドにふさわしい内容をもっている。その一つが、テーパードディスクにCDをマグネットの力で圧着して回転させるメカニズムである。二つ目は、ディザ方式という歪みを減らすテクニックだ。これは、D/Aコンバーターの変換誤差を分散させて歪みを低減するディストーション・シェイビングである。これによってデジタルが宿命的にもっているローレベル時の歪みをかなり改善するというもの。これらは、いってみればティアック秘伝の奥義なのかもしれない。事実、このP2+D2の音はきわめて滑らか〜微粒子感とでも表現したい甘美なニュアンスをもったハイエンド、深い奥行きを感じさせる立体感の再現に優れていて、低域は豊潤で力強い。オリジナリティをもった一流品といってよいCDプレーヤーである。

EMT 981

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 EMTはアナログのプレーヤーで馴染みの深いドイツのプロ機器メーカーである。もともとその社名〝エレクトロニック・メジャーメント・テクノロジー〟の頭文字EMTをとったところからして測定器メーカーとしてスタートしたらしい。アナログプレーヤーの927、930はクォリティにうるさい日本では一般用として多くが使われているが、元来はスタジオ用で放送機器として開発されたものである。また、録音スタジオで使われるエコーマシーンも有名で鉄板エコーの代表であった。このEMTを買収したのが、ビデオプロジェクターで有名なべルギーのバーコ社で、現在は社名も商標もB.A.RCO−EMTとなっている。このEMTがCDプレーヤーとして発表した2世代目の製品が981であるが、第1世代の980は少量生産で終ったらしい。
 981はプロポーションこそラックマウント式のインテグラルプレーヤーで平凡なものだが、その音質には素晴らしい陰影感と立体感があって、外観以上の魅力をもっている。高域はしなやかで滑らかだが明確なエッジと造形の確かなディテールが聴け、豊かで引き締った中〜低域とのバランスが整っていて安定感が美しい。プロ機というとどこかそっ気ないドライな印象を持たれるかもしれないが、この音はどうしてどうして、むしろ再生系のニュアンスを活かす正確さというべき端正さをもっていて魅力的である。内容としては、スチューダーのA730と同等と見てよいと思うが、アナログ出力はバランスだけである。デジタル出力、クロックシンクロ入力、ワードクロック出力などを備え、機能もヴァリアブルスピードコントロールやモニターSP、頭出しの正確なフレーム検索機能などはプロ機器として当然完備している。トレイ式のメカニズムはフィリップスのCDM1MKIIを使っているし、4fS16ビットD/Aコンバーターもフィリップスのシルバークラウンを搭載している。

スチューダー A730

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 フィリップスとスチューダーが協力して開発したプロフェッショナルユースの製品である。CDの開発者としてのフィリップスが、プロ用のレコーダー、回転機器の専門メーカーであるスチューダーのファクトリーで生産したものだ。ブランドとしてはCDプレーヤーのサラブレッドであることを疑う余地はあるまい。スチューダー&フィリップスCDシステムズAGという名称の新会社が生みの親である。メカニズムはフィリップス製CDM3を使ったトップローディング式を採用している。CD−ROM用に開発されたアルミダイキャストベースの信頼性の高いものだ。プロ用であるから、機能は豊富で一部一般用としては必要のないものもあるが、使いこなせば大変便利である。振作系はフレーム単位のキューイングが可能で大型のサーチダイアルを持つのが特徴。±10%のヴァリアブルスピード機能(ピッチコントロール)、曲の開始と終了をチェックするレビューキー、内蔵のモニターSP、ディスク識別をして三つのキューポイントを設定してメモリーできるという特殊機能をもっている。4fSオーバーサンプリング・デジタルフィルターとDACは厳選された高精度ICのみを使っている。出力系は、XLR端子によるフローティング・バランス出力、固定アンバランス出力、可変アンバランス出力の3系統がアナログである。デジタル出力はプロ規格のXLRフローティング・バランスのみである。この他、外部機器とのインターフェイスが可能な外部クロック端子、リモート用、SMPTE用EBU・BUS端子などと多彩である。これがW320×H131×D353mmというコンパクトなインテグラルユニットにまとめられ、重量はわずか6kgというのが驚異的である。その驚異をより現実のものにするのが、幅と厚みのある彫りの深い音の印象だ。重く大きく、二分割されたどこかのCDプレーヤー顔負けのクォリティを聴かせてしまうのである。

ラックス L-570

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 ラックスマンは、伝統のラックス・ブランドを継承するクォリティ・プロダクツにつけられる名称である。普及品にはアルパイン/ラックスマンというブランドが使われる。メーカーはどちらもラックス株式会社だ。錦水堂がラックス・ブランドでラジオを発売したのがこのメーカーの起源とすれば、実に76年の歴史をもつ老舗である。世界的にオーディオブランドの伝統的な名門といえるであろう。現在の社長である早川斉氏で3代目の世襲である。高周波チューナーからスタートしたが、その後のラックスは、トランス、高級アンプリファイアーなどオーディオプロダクツの専門メーカーとして定着した。現在の製品をみても、オーディオアンプにはマニア気質の強い主張と情熱が感じられてうれしい。〝こだわり〟のラックスマンとして本当にオーディオを愛する人から信頼され支持されているメーカーだ。こうした姿勢が現在のオーディオ界には最も大切であり、マニアの夢を満たしてくれる製品が誕生する背景として必須の条件ともいえるフィロソフィである。多くの日本のメーカーはこのところ、このようなフィロソフィから転向してしまった結果、今日のオーディオ不況を生み出したのである。過去20〜30年の経済発展に伴うマスプロ・マスセールのフィロソフィが今揺らぎ始めている。
 この一流ブランドを冠せられたL570は、まさにプリメインアンプの一級品として光り輝く存在である。プリメインアンプという形態は本来かくあるべきものであったのだが、今や1台3万円の安物からあって、35万円のこの製品は最高級のランクである。ピュアA級の50W+50Wの品位の高い音の風情は、まさに本格オーディオの醍醐味を味わえる魅力の探みを感じさせるに十分である。鳴らすスピーカーには高能率のものを推めたいが、公称パワーよりドライブ力があってスピーカー負けがしない。情感が濃やかである。

マッキントッシュ MC7300

菅野沖彦

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 関西方面の言菓に「まったり」というのがある。本誌の編集発行人である原田勲氏から説明を聞くと「まったり」というのはマッキントッシュのアンプの音のようなことを表現する言葉だという。「まったり」という言葉の音調からすると、この言葉を使わない我々関東の人間は、もったり、ねっとり、べったりといった形容詞を連想するが違うようだ。言葉というものは、その意味から発展して、語韻が独自の機能をもつ場合も多いが、どうやらこの「まったり」という語は、「全り」からきたものらしい。言語学者に確かめたわけではないので、素人の推測に過ぎないが、原田氏によると、完全無欠とか、過不足ないといった意味のニュアンスを含むらしいことから、私は勝手にこう考えた。全しという言葉を私は時々使う。たいてい今の若い編集者に『?』をつけられるので、この頃はやめてしまったが、「まったし」とよむこの語は、辞書にちゃんとのっている。手許にある岩波国語辞典には「完全だ」が第一にのっている。第二には「安全だ」。「−・きを得る」と書いてある。しかし「まったり」のほうはのっていない。「まったり」は多分、これを形容詞化した語ではないかと思うのだが……識者のご意見をお聞かせ願えれば幸いである。
 原田勲氏のいう「まったり」なマッキントッシュの音は、古い製品についてのものであったけれど、この最新モデルMC7300パワーアンプの音は、より「まったり」で、「まったし」なのである。300W+300Wのこのパワーアンプは、旧MC7270の後継機として開発されたもので、すでに先行発売されたMC2600とMC7150の中間に位置する同社の中堅機種、いいかえれば代表的な標準モデルといってよいものであろう。MC2205、MC2255、MC7270という系譜の最新モデルであって、6年振りのモデルチェンジということになる。
 新しい改良点は、MC2500〜MC2600への改良点と共通しているもので、主なポイントは、パワーの10%アップ、オートフォーマーの歪のさらなる低減、プリドライヴ回路以降にバランス型のシンメトリック・サーキットの採用、これにともなって、入力にはアンバランスとバランスの2系統が設置され、インプットでインピーダンス変換が行なわれる回路になった。また電源もリファインされ、より低インピーダンス化の徹底と、フラックス対策が施されている。こうした新しいリファインメントによってトータル歪は一桁は確実に低減されている。パワーガードサーキット、カレントリミッターサーキットは従来通りで、いかなる状態においても耳障りなクリッピング歪はスピーカーから聴くことができない。また、いかなる使い方をしても、モトローラ社製TO−3パッケージのCANタイプのトランジスターを±それぞれ5個使用した出力回路はオートフォーマーのガードで安全だし、スピーカーを破損することもない。抜群の信頼性は、まったく従来のマッキントッシュパワーアンプ伝来の特徴といえるであろう。
 MC2500からMC2600への発展で、音質が明るく透明感を増し、従来私の感覚に若干不満を感じさせていた暗さと重さがなくなったことは本誌98号の特集記事中(240頁)で述べたが、このMC7300も、MC7270との変化は傾向として同じだといえるが、その差はより大きい。その音質については冒頭に述べたように「まったり」をさらに高次元で達成したものであるのだが、とにかく不満なところがないというのが正直なところである。実に清々しく、透明で、力強く、濃密なのだ!!
 この大きな矛盾は、常に多くのアンプに存在するものである。つまり、清々しいけれど力感に乏しい……か、透明だが濃密さが物足りない……というアンプが普通である。アンプやスピーカーが、何らかの個体個性をもつ限り、次元のちがいや、程度の差はあっても、こうした傾向はつきものである。それが、このMC7300は、一聴した時には、その通念を超えた印象を与えるアンプなのだ。もちろんオーディオの無限の可能性は、将来さらなる境地の開拓を体験させてくれるであろうが、今、このアンプの音を聴いて表現するとなると「まったし」という言葉を使わずにはいられない。
 外観的にはフルグラスパネルになって、よりマッキントッシュのアイデンティティが強調されたが、反面、カバーで覆われ単調になった全体のイメージが寂しいところもある。しかし、このサイズの中にびっしりつめられた各ブロックのデンシティーは恐るべき高密度で、もはやトランスもコンデンサーも外からは見ることができない。この組み込みで、この透明な音が得られているのが不思議なほどだ。

アキュフェーズ DP-80 + DC-81

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

「興味ある製品を徹底的に掘り下げる」より

 CDプレーヤーが誕生して、今年は4年目を迎える。正確な数字ではないが、この間、恐らく30社以上のブランドが200機種に余るプレーヤーを製造して売り出したと思われる。そして、CDソフトのほうも急速に充実が計られ、今年中には12000種に及ぶものと見込まれている。オーディオコンポーネントの中で、CDプレーヤーは今、もっとも注目されている花形であり、やや低調気味なオーディオ業界の救世主のような存在である。レコード会社のレコードの売り上げも、ここ数年低迷を続けてきたが、CDの出現のおかげで、総売り上げで約2%、ほんの少しではあるが前年増となっている。前年減のくり返しが続いたことを思えば、これは明るいニュースに違いない。
 エジソン以来100年余りのレコードの歴史の中で、このCDの登場は、アコースティックが電気に変わったこと以上に、画期的な技術革新と言ってよいものだと、ぼくは思う。いろいろな技術革新が続いた。蠟管から円盤、縦振動から横振動、機械録音から電気録音、SPからLP、モノーラルからステレオ、テープレコーダーの発明と普及etc、全て大きな技術革新と成果だが、それらがもたらしたショック以上に大きなショックを、CDの登場はもたらしたと思うのだ。しかし角度を変えて見れば、従来のイノヴェイションが、使い手側にとって、常にある程度のコンパチビリティをもってスライド式に発展出来たり、あるいは原理的には相似式記録方式……つまりアナログ方式の発展という形で推移したのに対して、CDはソフト、ハード共にコンパチビリティは全くなく、符号式記録……つまりデジタル方式という全く異なる原理の上に成り立つという純粋に新しい方式の登場であるだけに、混乱は少なかったともいえる。
 今まで、ハイファイオーディオのメインプログラムソースであったステレオレコード(アナログディスク)と並行してCDが存在することになったわけであり、すでに膨大なレパートリーとなったアナログディスクが、一挙に無用の長物になったわけではない。それどころか、アナログディスクのもつよさは、CDに対しても高く評価する人が大ぜい存在するし、オーディオホビィに関しては、アナログプレーヤーのもつ精妙な曖昧性が、人の頭と腕を使う領域を多く残し、知識や経験、そしてセンスの生かせる趣味の本質を包含する魅力において、優位性をもっていることも言えるだろう。
 何ら手を施す余地のないブラックボックス的存在のCDプレーヤーは、この点だけでは、たしかに面白くない存在である。CDプレーヤーの登場は明らかに、先進テクノロジーが現代文化に及ぼしている様々な諸現象と同質の影響をレコード音楽とオーディオの領域に持ち込んだものであり、全面的に美徳をたたえるわけにはいかない。しかし、この技術の成果は、さらに大きな可能性をもたらし、レコード音楽とオーディオのレベルを向上させたものであることは間違いないし、先述の、人の趣味性に関しても、新たな世界を創造する力を秘めているとも思われる。この面では現在は未だ、その発展の過渡期であると思うのである。
 CDおよびCDプレーヤーの、この4年間の推移を見ていると、たしかに急速に普及し、多くの音楽愛好家を楽しませているようだが、残念ながら、従来からの他のオーディオコンポーネントに比して、中級以下のものにメーカーの力が入り、ハイエンドユーザーの心や要求を満たす製品分野は弱い。そもそも、デジタルテクノロジーは、ちゃんと動作すれば出てくる音に違いは生じないという、浅はかな考え方が喧伝され過ぎたようである。そして、また、そこそこの機械から出てくる音の水準は、同クラスのアナログプレーヤーに比べれば、はるかに高く、作る側も使う側にも、これで十分というような安易な満足感が生まれがちである。メーカーにとってみれば、コストダウンが、アナログ系の機械のように、如実に音の悪さとして出てこないCDプレーヤーはありがい。なんといっても安いものは数多く売れる。質より量でいくほうが適した面のある製品ともいえる。高度なテクノロジーによる製品ではあるが、きわめて量産向きの製品でもあるので、こうした特質が、まず活用された。安い価格でクォリティのよい音をという大義名分と共に、価格蓉争という傾向にまっしぐらに向かってしまったようである。当然、熱心なオーディオファイルがこういう状況下におけるCDプレーヤーに満足するはずはなく、一部の真面目な音質追求派の人達の間においては、むしろCDへの反感さえ生まれたように思えるのである。本誌で、ぼくが訪問しているベストオーディオファイルの諸氏のような熱心なファンの間で、CDを取り入れている例は極めて少ないのに驚かされる。こうした、いわばオーディオファイルのエリート達のCDの所有率は数%であろう。CDの全般的な普及率からすると、異常に低いといってよいと思う。
 一方、ぼくを初め、ぼくの周囲のオーディオの専門家達の間では、100%の普及率といってよい。仕事上当然の事と思われるかもしれないが、必ずしもそうではなく、個人として楽しむ時間でも、CDをプレイすることが多いのである。アナログディスクとCDとの演奏時間の割合は、半々か、ややCDのほうが多いというのが実状だと思う。これに関して分析を始めると長くなってしまうのでやめておくが、CDの実体は、多くのオーディオファイルの間で正しく認知されていないことは確かである。それには、こうした熱心なオーディオファイルが、本気になって取り組む気を起こさせるCDプレーヤーが少ないことが、大きな原因の一つのように思うのだ。
 こうしたバックグランドの中で、期待を担って登場したのが、ここに御紹介するアキュフェーズのセパレート型CDプレーヤー、DP80とプロセッサーDC81のシステムである。アキュフェーズは今さら御説明するまでもなく、日本のアンプ専門メーカーとして、創業以来、質の高いオーディオ技術と、自らオーディオを愛してやまない信条の持ち主たちの集団により、数々の優れた製品を生んできた。量産量販の体質を嫌い、本来のオーディオのあり方を反映させるべく、生産販売一貫して専門メーカーらしい努力を続け、ファンの間で高い信頼をもって迎えられている。多くのメーカーが、大型化したことにより招いた諸々の問題点を教訓として、ユーザーと共に真にオーディオを楽しめるメーカーという印象をぼくは持っている。社長の春日二郎氏、副社長の出原眞澄氏をはじめ、社員全員がオーディオファイルという感じである。それでいて、立派に経営の基礎を作り、堅実に成果を上げていることが喜ばしい。単純にいって、社員一人当りの売り上げは大きく、効率のよい優良企業である。『自らが納得するものを作り、その製品の理解者に買ってもらう』という、メーカーとしての根本的な本質をわきまえた企業なのだ。売れるものだけを作る……、あるいは、売れないものでも売ってしまう……といった経営哲学がぼくは大嫌いである。もちろん、自らが納得するものという意味には幅がある。人様々、そして、その納得するものもまた様々であるからだ。
 こういうアキュフェーズからCDプレーヤーが出るという話を耳にして以来、ぼくは、ひたすら、その登場を待ち続けていた。2年にはなるだろう。アキュフェーズでは、CDが産声をあげた頃から、このシステムのもつ優れた特質に眼を向け、研究開発に怠りがなかったようだ。第1号機の本機の誕生には3年の開発期間をかけたそうだ。今春、初めて本機に接し、その音を自宅のシステムで聴いたのだが、一聴して、このCDプレーヤーのもつ音の品位の高さに胸を踊らせたのである。
 CDプレーヤーは、登場以来、当初の音は全部同じという前宣伝とはうらはらに、機種別の音のちがいに驚かされたものだった。そして、ほぼ半年おきに現れる新製品には明らかな音質改善が重ねられ、そこから、CDの音の大きな可能性を予感させられ続けてきたものだ。もともと、期待した以上に音がよかったというのも事実だが、それでも、初期のCDプレーヤーの音には、不自然でメカニカルな質感を強く感じたことが多かったものである。
 時を経るにつれ、各メーカーは、それぞれ独自の技術的な改良点をあげ、新製品をアピールし始めた。そのどれもが確かに音に現れ、音質改善の成果として認められたのである。あるメーカーは光学系にメスを入れ、別のメーカーはメカニズムの振動系に対策を施し、さらには、フィルター、コンバーター、ディグリッチャーなどのオーディオ回路に、あるいは基本的な電源や、伝送系のノイズ対策など、数えあげればきりがないほどの改良ポイントの発表があった。まさに各社各様、あちらこちらから、多くのアイデアが生まれ出てきたのである。この機械が、まあまあな音が出るという段階で見切り発車したものであることを証明するようなものだった。
「だから、いわないことじゃない。CD技術は十分研究所内で暖めて、もっともっと音楽再生装置としての微妙な点まで煮つめ、21世紀の新システムとして登場させればよかった。それまでは、世界のオーディオメーカー間のサミットで、現行のアナログで十分実をとるビジネスを続けるべきだ。しかも、アナログには、まだまだ技術開発の余地が大きく残されている。つまり、ビジネスとしても、技術開発としても、そしてユーザー達の幸せのためにも、そのほうがよい。そんなに急いでどこへ行く? 死に急ぐことはあるまいに……」
 これが、ここ数年間、ぼくが言い続けてきた言葉だった。だが、出てしまった以上、これは繰り言に過ぎない。繰り言をくり返しながら、ぼくは現実のCDとCDプレーヤーをアナログと並行して楽しみ、日に日によくなっていくこの世界の音の成果に、大きな期待を寄せてきたことも事実だったのである。
 このアキュフェーズのプレーヤーには、現時点までに各社によって試みられた多くの改良点と、音質の鍵となるポイントの攻めが全て盛り込まれているといってよいだろう。そして、それだけでなく、未だ、どのメーカーもがおこなっていない世界で初めての試みも見られる。つまり、アキュフェーズが独自に盛り込んだ努力だが、それらは、3年という開発期間をおき、よく技術の流れを観察し、情報を集め、音を聴き続けた成果にちがいない。アキュフェーズのCD開発室は賢明であった。そして多くのメーカーがやったように、他社へ製造を依頼してブランドだけをつけるというような商行為には眼も向けなかったのは立派だ。このメーカーとしては、そうする必要もなかったのだろう。自らが納得の出来るものを作るまで、じっくりねばっていたのである。
 それでは少し具体的に、このDP80/DC81コンパクトディスクプレーヤーシステムについて述べてみよう。
 まず外観から。シャンペンゴールドのアキュフェーズアンプと共通のパネル仕上げをもつ。どういうわけだか、黒パネルばかりのCDプレーヤーの中にあって、これは全く、そうした世間の動向に左右されず、しかも、堂々と自社のアンプとのシリーズ・デザインとしたところもこのメーカーらしい。プレーヤー部DP80を一目見れば、その操作系が、きわめてシンプルであることに気づくだろう。スイッチは最小限に整理され、プレイ、トラック、サーチ2個、ポーズ、そしてトレイのオープン/クローズだけである。ストップはトレイスイッチに兼用させているらしい。もちろん、これでは、あまりに機能がシンプル過ぎるが、実はたいへんな多機能である。それらの操作スイッチは、全て蓋つきのサブパネル内に収められているのである。これみよがしに10キーがずらりと並び、マイコンルックのプレーヤーが多い中で、このコンセプトはユニークであり、かつ、レコードを聴くものの心に寄り添う心配りとも感じられるのである。プロセッサー部DC81も同じデザインであるのはもちろん、両者共に、これもアキュフェーズ・イメージとして定着したパーシモンの側板つきである。
 プレーヤー部とプロセッサー部は、統一規格の75Ωフォノジャックで結合される他、専用のオプティカル・カップリングが設けられている。そして出力は50Ωのバランス型のキャノンプラグと、アンバランス型のフォノジャックが固定出力、可変出力の2系統、合計3系続設けられている。両方共、脚には真ちゅうムク材の削り出しが使われている。プレーヤー部はもちろん、リモートコントロールコマンダー付属である。どちらも重厚で剛性の高い作りと防振対策が入念に施され、目方は、並のCDプレーヤーより桁違いに重く、ずっしりとくる。見るからに高級プレーヤーとしての質感もあり、これならば、かなりのオーディオファイルにとって、第一関門をパスできる風格ではないだろうか。時間的に経済的に、そして情熱を傾けて完成したオーディオシステムのメインプログラムソースとして、チューナーかカセットデッキの安物と見間違うような軽薄なCDプレーヤーを組み込む気になれるはずがない。はっきり言って、ぼくのシステムのなかで49、800~69、800円のCDプレーヤーを常用しろといわれても無理である。価格だけにこだわるのは愚かかもしれないが、ものにはバランスというものがある。数百万円のシステムのメインプレーヤーが、49、800円とはいかないまでも10万円そこそこということに、何のアンバランスも感じないような人間がいるだろうか? もし、CDプレーヤーというものが、49、800円以上のコストは無駄で、よりよくしようがないとしても、本気になって使う気がしないだろう。ましてや現実はまだまだ音のよいCDプレーヤーを作り得る可能性がはっきりしているのだから。オーディオファイルの心を満たすCDプレーヤーは、必然性をもったハイ・プライス……つまり、内容、外観、価格が、自然にそのものの価値観とバランスする製品でなければならないと思う。この機械は、先ず、この第一の条件を適える製品として評価出来る。
 さて、中身についてだが、トレイの動作を含むアクセスは第一級と折り紙をつけてよい。出入りの速さ、フィーリング、アクセスタイムのスピードと確実性、そして、リニアモーター使用のレーザーピックアップ系、そのメカニズムは定評のあるS社製だろう。アキュフェーズからは確認がとれないが、まず間違いあるまい。現在、もっとも優れたメカニズムである。アキュフェーズのようなメーカーにとって、こうしたパーツが提供されることは幸せであり、提供したS社の姿勢も好ましい。ここ当分、このメカ系を世界の高級CDプレーヤー各社に提供することを勧めたい。と同時にまた、さらにこれを上廻るメカニズムの開発をも期待したいものだ。
 このシステムの最も特徴となるところはD/Aコンバーターである。CDプレーヤーの音質を左右するファクターは無数にあるといってよく、そのトータルバランスが音に出ると思われるが、デジタル信号をアナログ信号に変換するD/Aコンバーターが、中でも重要な位置を占めることは明らかである。本機では、16ビットのD/Aコンバーターを、既成のICを使うことなく、世界で初めて、ディスクリートによって構成した。これによって理論値に近い実動作の達成を目指したものである。これだけで音質を云々することは危険だが、このシステムの音質の優れた要因として、このコンバーターの存在は大きいものと思われる。
 また、アキュフェーズというメーカーは、アンプ専門メーカーであるが、チューナー技術に関して第一級のレベルを誇ってもいる。確かに、もともと同社の社長、春日二郎氏は、高周波専門の技術者であり、トリオ(現ケンウッド)の創始者である。そのバックグランドからして、アキュフェーズが優れたチューナーを作っていることは領けるであろう。こうした高周波チューナー技術のキャリアは、デジタル信号のもつVHF帯域の扱いに関して活きないわけはない。CDプレーヤーにとって、これらのデジタル信号の不要成分は全て有害なノイズであり、オーディオ信号を攪乱して音質劣化させる悪さをする。
 フォトカプラーや光伝送はそうしたことに対する方式として使われ始めたのだが、本機においても、その技術がよく生かされ、デジタル部とアナログ部は34個の高速オプト・アイソレーターによって電気的に分離されながら信号の伝送をおこなっているし、プレーヤー部とプロセッサー部にも標準仕様の同軸ケーブルの他に、専用の光伝送方式を採用し、ユーザーが選択使用出来るようになっている。他のプロセッサーとの組合せにはともかく、このシステムの結合には、光ファイバーによる場合のほうが音質的に優利であり、両者の比較をやってみたが、光ファイバー結合のほうが音に一種の滑らかさが感じられるようだ。
 D/Aコンバーターは左右独立、またその前に高域不要成分のカットに挿入されるローパスフィルターも、左右独立の2倍オーバーサンプリング方式のデジタルフィルターとしている。前段がデジタル・ローパスフィルターだと、カット周波数の下限が高くとれるため、サンプリングホールド後のローパスフィルターは負担が軽くなり、現在はデジタルフィルターが主流になっている。とはいうものの、後段のローパスフィルターは、スプリアス成分のカットという本来の目的だけではなく、フィルターによってアナログ信号の音色が異なるようだ。本機では、アクティヴタイプの9次バタワース型フィルターを採用している。リップルの少ないバタワース型で、9次のものを使って減衰特性を確保しているのであろう。
 他にチェビシェフ型、ベッセル型などのフィルターがあるが、この辺の選択は音質に対する鋭敏な耳で決めるのが最終的な決め手となるのではないだろうか。因みに減衰特性ではチェビシェフ型、位相特性ではベッセル型、帯域内リップルではバタワース型が優利ということになっている。
 なお本機のローパスフィルターは、ディスクリートで、その後にディエンファシス回路、バッファーアンプと続くが、そのゲインは0dBでDCカスコード・プッシュプルというアキュフェーズらしいもので、バッファーからの出力端子は直結である。
 電源部はデジタルとアナログはもちろん、LRも分離、またプリントボードもLR独立構成とするなど、内部の構成はきわめて整然として美しい。外観と内容がマッチしたオーディオファイルに認められる風格をもったCDプレーヤーシステムといえるだろう。
 ゴールデンウィークの期間、ぼくは自宅で、このCDプレーヤーシステムで数多くのCDを聴いた。音が分厚くて密度が高く、重厚である。それでいて、透明度が高く、聴感上のS/Nがすこぶるよい。面白かったのは、この艶と輝きやその質感は明らかにアキュフェーズ・アンプに一貫したものであったことだ。CDプレーヤーにも人が出る。メーカーが出る。全く他のオーディオコンポーネントと変わらない。実に興味深いことである。
 CDプレーヤーは音が冷たいとか、固いとか、あるいは、弦がキンキンしてメカニカルだといった声が聞かれる。しかし、このプレーヤーで聴いた、オリジナルがアナログ録音のレーグナ一指揮ベルリン放送管弦楽団のマーラーの交響曲第3番、第6番が入った3枚組のCDアルバムは、そんな風評とは無縁の素晴らしい音であった。この2曲はアナログディスクでも持っているが、このドイツ・シャルプラッテンの録音は、アナログ録音の最高峰といってよい優れたものだ。そこに聴かれる弦のしなやかでくすんだ音色の妙、ブラスの輝きと重厚さなど、各楽器の質感の再現は実に見事なものだ。そして、これがCDでもちゃんと聴かれたのである。
 改めて、最近SMEシリーズVを取り付けた、自宅のトーレンスのリファレンスで(カートリッジはオルトフォンMC20スーパー)、アナログディスクを聴いてみた。そして、CDがハイファイメディアとして素晴らしいものであることを再確認したのである。むろん、違いはなくはない。ノイズがちがうだけでも音色の印象は変わる。伝送系の違いがこれほどあって、寸分違わぬ音がするわけはない。しかし、CDは弦がキンキンするとか、何か情報が欠落するといったような表現は当たらない。CDで弦がキンキンするとしたら、まず、そのCDのオリジナル録音と製造プロセスを疑うべきだ。このマーラーのようにオリジナルの録音のよいものは、CDでもちゃんとよさが出る。次にその特定のCDプレーヤーの問題となる。たしかにプレーヤーによってはかなり大きな差があるのだから……。
 ごく限られた経験だけで、CDはこうだと決めるのは、乱暴過ぎる。情報が欠落しているようだというのもよく聞かれる不満であるが、これもー概には言えない。むしろ情報量が多いともいえるぐらいだ。だいたいにおいて、情報が欠落しているという人の多くは、アナログディスクが、再生系の機器を含めて創生する、情報ノイズや位相差成分などの、微妙な歪に慣れ親しんでいる場合が多いようである。しかもそれが、情緒性としてその人にとって美しく快いとあれば、否定し去るわけにはいかないのが、この世界の面白さであり難しさでもある。
 こんなことを書いて憚らない気にさせてくれたのが、このアキュフェーズのDP80とDC81のCDプレーヤーシステムであった。
 CDの世界は、オリジナル録音から再生システムまでの全プロセスにおいて、今後、まだまだよくなる可能性をもっている。