Category Archives: スピーカー関係 - Page 54

Lo-D HS-530

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 このメーカーの製品は、置き方(台や壁面)にこまかな注意が必要で、へたな置き方をして評価すると、このメーカーからは編集部を通じてキツーイお叱りがくるので、それがコワいから、できるかぎり慎重に時間をかけてセッティングした……というのは冗談で、どのスピーカーも差別することなく、入念にセッティングを調整していることは、ほかのところをお読み下さればわかっていただけるはず。
 さてHS530は、本誌で標準に使っている約50cmの台では、少々高すぎのようで背面を壁にぴったりつけても、もう少し低音の量感が欲しく思われたので、約20cmの低い台に代えて、背面はやはり壁につける形に設置した。もう少し台を低くして低音をいっそう補いたかったが、そうすると中~高音のバランスがくずれるので20cm台であとはアンプのトーンコントロールで、ほんの少し低音を増強ぎみにセッティングした。こういう形で低音を補強しても、低音がブーミングを生じたりせずに、パワーを上げても全音域でよくバランスを保って、にごりのないきれいな質の高い音を鳴らす。まじめな性格の音なので、アンプもCA2000のようなタイプの方が統一がとれる。
 空間的な広がりや響きを表現しにくいが、しかし直接音成分自体は、相当にきちんと鳴らすタイプで、そういうせいかカートリッジもシュアーのV15/IIIをよく生かした。

ヤマハ NS-L325

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 ヤマハの作るスピーカーの音には、作る側でどの程度それを意識しているのか知らないが結果的にみると、大別して二つの流れがある。そのひとつは、NS1000MとNS500に代表される、音の輪郭の鮮明でいかにも現代的にややクールな表現をするグループと、もうひとつはNS690IIに代表される上品で行儀のよい、どこか優雅だがしかし聴きようによってはもうひとつ色気が欲しいと思わせるような製品の流れと、である。L325は、NS690の系列に属している。私のようにハメを外した人間には、このヤマハ独特の品の良さが、とてもうらやましい(自分にはとてもこういう品の良さがないというあきらめ)とともに、その反面、もう少し音の弾みや脂気や艶っぽさが、出てきて欲しいようなもどかしさをも感じる。
 そう思うような人間にとっては、アンプがCA2000ではかえって相乗効果が過剰に思えて、KA7300Dのような、そしてカートリッジもSTS455Eのような、少々味の濃い音を組み合わせてやった方が私の欲しい音に近づいてくる。SQ38FD/IIでは、アンプの音に古めかしさの面をかえって出してしまうの避けたい。
 置き方は、約20cmの低めの台で、背面は壁から20cmほど離した方がよかった。出力の大小に対する反応はとても良く、ハイパワーでも音がくずれない。優等生という表現の似合う製品だ。

デンオン SC-104

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 本誌43号で「ややポピュラー志向的に音を作っている」と書いた点をまず訂正したい。初期の製品はその傾向が強かったが、今回のサンプルは、以前にくらべてよくこなれてきたのか、クラシックからポピュラーまで、破綻の内バランスで気持よく楽しませてくれた。
 すべての音にどことなく脂の乗った照りを感じさせ、音がとてもみずみずしくよく弾むところが、国産としてはひと味ちがう良さ。どちらかといえば弦や木管やヴォーカルの暖かい丸みがよく出るタイプだが、たとえば4000D/IIIとCA2000で、メーターが振り切るまでパワーを上げてみても、パーカッシヴな音でもくずれたり濁ったりせずに音がよく延びる。またバルバラのシャンソンでは、STS455EとKA7300Dでのしっとりした情感、そして音像定位やプレゼンスの表現も、なかなか見事だし、F=ディスカウでSQ38FD/IIにしてみると、独特の声の滑らかさが生かされる……というように、カートリッジやアンプの選り好みもせずに、それぞれの良さをうまく鳴らし分ける。
 ユニットの配置は非対称だがR・Lの区別はない。約50cmの台で背面を壁につける置き方が、音の分離やシャープネスも適度に保って良好だが、そのまま台を約20cmと低くすると、低音の量感が出て総体に落ちつきを増して、私にはこの方が好ましく思えた。この価格帯では出色の佳作。

サンスイ SP-L100

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 新製品発表会当日の、新宿ショールームでのデモンストレーションでは、小粒ながら際立った新鮮な音で魅力的な印象を残した。そのあとすぐに、自宅に借りて試聴させてもらったサンプルも、基本的な印象が変らなかったので、本誌前号(第43号、161ページ)にも、ベストバイ・パーツのひとつとして推選した。
 ところが今回はどうもイメージが違う。試聴会当日のサンプルでは、周波数レンジ、とくに高音域が非常にスムーズによく延びていると感じたが、今回のものは、とりたててハイエンドが延びているというようには聴きとれない。音楽の表情を生き生きと彫り込んでゆく感じだったのがどこか表情が固い。たとえば弦や木管や女性ヴォーカルがやや骨細に聴こえる。言いかえると音の響きあるいは空間にひろがってゆくような鳴り方がもう少し欲しく思われる。
 置き方等をくふうしてみた。まず台はやや低め(約20cm)で背面は壁にぴったりつける方がよい。ポピュラー系ではレベルコントロールを指定の幅いっぱいまで上げた方がかえって音に冴えが出てくる(ただしクラシックの弦ではやかましくなる)。カートリッジは455EやオルトフォンよりシュアーのV15/IIIの方が総体にバランスがよくなるタイプ。アンプではSQ38FD/IIが非常に相性が悪く音が古めかしくこもるので、新しい傾向のTRアンプに限るように思った。

テクニクス SB-10000

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 調整の焦点があって鳴りはじめると、どのレコードをかけてもこれまでのどのスピーカーからも聴こえてこなかった(あるいは聴こえなかったような気にさせる)ような、ディテールの明瞭で繊細な音が聴き手をびっくりさせる。レコードに入っている音なら、このスピーカーで聴こえない音はひとつもないのじゃないか、という気になってくる。この一種すがすがしい清潔な、脂気のあまりない音は、これまでJBLやイギリス系の良いスピーカーで聴いてきた音と、全く世界が違う。興味深いことは、マーク・レビンソン、SAE、オルトフォン、EMT……といった欧米のパーツがここに混じると、それは逆に異分子がまぎれ込んだような、明らかに違った血が入りこんだような違和感で鳴って、たとえばEPC100CやCA2000のような、もう明らかに日本の音で徹底させてしまわないと、かえってこのスピーカー本来の良さが生かされにくいことだ。しかしこの音は、ヴァイオリンひとつを例にとっても、E線やA線はいかにも本もののように鳴らす反面、D線やG線になるともうひとつ胴の響きや太さが出にくかったり、あるいはオーボエやクラリネットの微妙な色あいがややモノトーン的に聴こえたり、実のところ私には、もっと時間をかけて(これだけは例外的に二時間あまりかけて聴いたのだが)さらに聴き込んでみたい。そして多くのことを考えさせられるスピーカーだった。

JBL L300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 さすがにこのクラスになると、スピーカーシステムとしての格が違うという印象が強くなる。たとえば、ここまでおもに使ってきた国産4機種のアンプではもういかにも力不足がはっきりしてきて、レビンソンLNP2LとSAEシャープ2500の組合せぐらいでないと、ほんとうの良さがひき出しにくい。ただ、それではあまりに高価になりすぎる。もう少し中間のグレイドのアンプも考えられると思うが。それにしても、L65Aと同じトゥイーターがついているのに、L300になると、鳴らしこんでいないことが殆ど耳ざわりにならず、音をやわらかくくるみ込んで目立たせない鳴り方は、とてもL65Aの約2倍の価格とは思えず、この差はもっと大きいと思わせる。ブラームスP協の冒頭のトゥッティのティムパニの爆発から、もうすさまじい迫力と充実感で、それはヨーロッパのスピーカーの鳴らす自然な響きの美しさとは違ってどこか人工的な香りがつくが、こうしたクォリティの高い音にはやはり一種人を惹きつける説得力が生じる。ポップス系の良さは言うに及ばないだろうが、例えばフルトヴェングラーのモノ→ステレオ録音のようなレコードでも、十分に美しく聴かせることから、スピーカーのクォリティの大切さがわかる。ごく低いインシュレーターを介して置いた方が、音の空間的なひろがりがよく感じられるようになる。それにしてもこれはぜいたくな音だ。

アルテック Model 15

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 最近のアルテックの製品の中では、前々号のアンプテストのときに使ったモデル19にとても感心した。ほんらいアルテックのスピーカーの音には、ベル研究所からウェストレックスに至る歴史の重みに裏づけられた重厚でしかも暖かさを失わない良さがあって、古くからのレコードファンにも、どこか昔の上質の蓄音機の鳴らす音に一脈通じる懐かしさ、あるいは親しみが感じられた。さすがにA7あたりの製品には、音域的に狭さが感じられるようになってきたが、モデル19は、古くからの暖かい音の良さを維持しながら現在のワイドレンジの方向をできるとり入れて成功したスピーカーのひとつだと思った。モデル15がその弟分だということで、大きな期待を持って聴いたのは当然だ。だが、決して期待が大きかったためばかりではなく、いかに冷静に使いこなしをくふうしてみても、このスピーカーの鳴らす音は私の理解の範疇をはるかに越えてしまっている。たとえば高域端(ハイエンド)のピーク性のクセが気になるという一事にもあらわれるように、アルテックらしい暖かさまたは確信に満ちた豊かさが感じられない。とくにグラモフォン系のレコードはもう箸にも棒にもかからないという手ひどいバランスで、レベルコントロールや置き方や組合せをいろいろ変えてみても、私の耳にはどうやったら良い方向に鳴らせるのか、判断がつきかねた。

スペンドール BCIII

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 弟分のBCIIがたいへん出来が良いものだから、それより手のかかったBCIIIなら、という期待が大きいせいもあるが、それにしてはもうひとつ、音のバランスや表現力が不足していると、いままでは聴くたびに感じていた。たった一度だけ、かなり鳴らし込んだもので、とても感心させられたことがあってその音は今でも忘れられない。今回何とか今までよりは良い音で聴いてみたいといろいろ試みるうち、意外なことに、専用のスタンドをやめて、ほんの数センチの低い台におろして、背面は壁につけて左右に大きく拡げて置くようにしてみると、いままで聴いたどのBCIIIよりも良いバランスが得られた。指定のスタンドを疑ってみなかったのは不明の至りだった。ただ、本質的にはやはりモニターとしてのいくらかまじめで渋い音なので、EMTのXSD15にKA7300Dというように、やや個性の強い個性をしてみると、艶も乗ってかなり上質の音が鳴ってきた。どちらかといえばほの暗い感じの音色で、イギリス紳士的なとり澄ました素気なさもあるし、ディットン66の打てば響くというような弾みのある鳴り方はしない。バルバラの歌でも、声の暖かさや色っぽさがもうひとつ不足して、中~高域の一部にわずかに(BCIIより)不連続な面も感じられる。しかし総体にはかなりクォリティの高いスピーカーであることが今回よくわかった。

マッキントッシュ XR5

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 マッキントッシュといえば、私たちの頭の中にはやはり栄光の高級機メーカー、というイメージがまだ強い。そういうマッキントッシュに、決して安ものを作って欲しくないという気持があるせいか、このXR5というスピーカーを、あのマッキントッシュが、いったいどういう意図で世に送り出しているのかが、どうもよく解しかねる。たしかに相対的なバランスは決して悪くない。やや大きめのパワーを放り込んで、ベートーヴェンの序曲やブラームスのP協など鳴らしても、国産のスピーカーによくありがちの中~高域の硬く出しゃばったり、低域がどろどろになったりするような明らかな弱点がなく、とくにカートリッジを4000D/IIIなどにすると(意外にMC20や455Eがよくない。音がくすんで、こもる傾向)、音の粒立ちはほどよく、明るい良い音が一応は聴ける。が、やはりマッキントッシュのアンプで音作りをしているせいか、CA2000やラックス・クラスのアンプでも、どこか貧血症的な、あるいは力不足という印象が強い。それにしてはスピーカー自体の音のふくらみや脂気があまり感じられずどこかかさかさした肌ざわりで、楽器の上等の質感が鳴りにくい。適当に絞ってバックグラウンド的に鳴らしておくに悪くないが、それには高価すぎる。しかもこの価格なのに外装がビニールプリントときては、相当に失望させられる。

JBL L65A

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 まだあまり鳴らし込まれていないらしく、トゥイーターが少々きつく細い鳴り方をするので、レベルコントロール(Brilliance)を-2から-3程度まで絞って聴いた。以前のL65でもあまり高い台に乗せない方がよかったが、今回の65Aの場合には、むしろ台をやめて床(フロアー)にじかに、背面も壁にかなり近づける置き方の方が、低域の量感が増してバランスがよかった。クラシックからポピュラーまでどのプログラムソースに対しても、KA7300Dやラックス系のアンプではそのどこかウエットな音がL65Aを生かすとはいいきれず、CA2000のようなさらりとした音が、またカートリッジでは最初考えた4000DIIIでは少々音が軽くしかも輝きすぎで、ADCのZLMや、オルトフォンMC20の方がよかった。この状態でシェフィールド等をCA2000のメーターがしばしば振り切れるまでパワーを放り込んでみたが、瞬間で200Wを越えるパワーにも全くビクともせず、音域のどこかでバランスをくずしたり出しゃばったりせずに、またことさら尖鋭だの鮮明だのと思わせずに、何気なくしかも高い密度で鳴る点はさすがと思わせた。ただクォリティの面ではCA2000でもまだ少々力不足の感がある。クラシックでもバランス的にはおかしいというようなことはないが、JBLのこのクラスには4333Aなどから上の機種の聴かせるあのしっとりした味わいを望むのは少し無理のようだ。

B&W DM6

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 新着の製品を聴くたびに少しずつ改良のあとが聴きとれて、まだ改善途上のような印象も受けるが、今回のものは初期に聴いたものよりも弱点が少なく、かなりの水準に達していると思った。総体にやや細身の音、という感じはイギリス製のスピーカーによくある作り方だが、中域から高域にかけて音の定位や雰囲気がよく出る反面、中低域以下の密度や音を支える力がもう少し欲しくも思われる。たとえば、ブラームスのP協のような、音に充実感あるいは重量感の要求されるような曲では、中低域の厚みの少ないことがかなりマイナス点になる。F=ディスカウの声も(声自体の滑らかさや艶は十分に出るが)やや若くなる傾向。またバルバラはもともとやせて細い女性だが、それがいっそう細身になるし、伴奏のアコーディオンの一種独特の唸るようなうねりが出にくい。ただ、中~高域の繊細な表現はなかなか捨てがたいが良さでもあるので、高域に強調感の少なく中低域に厚みのある、たとえばSPUやVMS20Eのような系統のカートリッジ(ポップスならADCやピカリング系統)をうまく組み合わせれば、独特の味わいが生かせる。置き方の面では、付属のスタンド(脚)がついているので台は不要だ。背面に低域のコントロール(3段切換)がついているので、部屋の音響条件によって調整することができるのは便利。試聴の際は壁に近づけて-1にセットしてちょうどよかった。

タンノイ Berkeley

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 同じ英国製で、価格的にもセレッションの66との比較に興味のある製品だ。ひと口でいえば、ディットン66があくまでも肌ざわりの暖かさ、柔らかさでまとめているのに対して、タンノイは総体に辛口で、やや硬質に音の輪郭をくまどって聴かせる。たとえばベートーヴェンのセプテットでは、ヴァイオリンなど弦の音が、セレッション66よりも金属室の感じが増してやや硬くなるが、それは必ずしも悪い意味ではない。その証拠に、クラリネットなど木管の音も決して不自然さがないし、ただその存在を66よりもきわ立たせるように聴かせる。ブラームスのP協で、ピアノの高弦の打鍵音が、小気味よくビインと響く。弦合奏のトゥッティではやや硬さが目立つが、この辺になると、ホーントゥイーターのエイジングを待たなくては正当な評価が下しにくい。バルバラの歌は、66よりも硬めの艶があってよく張り出すが奥行きも十分に聴かせるので空間のひろがりもよく再現される。66の方がどこかほんのりした感じで聴かせるのに対し、バークレイの方がもっと直接的で音源に肉迫した印象だ。その点はシェフィールドで66よりも尖鋭で鋭角的な表現になることからもわかる。総じてカートリッジは455EよりもMC20の密度の重さがよく合うし、むろんSPUの充実した渋さも良い。アンプは38FD/IIの柔らかさも悪くないが、TR(トランジスター)のグレイドの高い製品の方がいっそう密度の高い音を聴かせる。

エレクトロボイス Sentry V

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 脚がないのでブックシェルフのようでもあるし、大きさからいえばフロアータイプのようでもあり、どういう置き方が最良なのか、かなり大幅に試みてみた。まず20cmねどの台でインシュレーターを介してみる。低域がやや軽く、中~高域が少々硬い。次にブロックを寝かしてインシュレーターを介してみるが、あまりしっくりこない。そこで台をやめてインシュレーターのみ介して置いてみる。背面をかなり壁につけた方が低音がしっかりする。結局、インシュレーターも何もなしで床の上にそのまま、背面を壁にぴったり密着させたときが、最も落着いてバランスがよかった。E-Vの作る音は昔からわりあいに穏便で、とりたてて誇張というものがない。クラシックのオーケストラも十分に納得のゆくバランスで鳴らす点はさすがだ。しかしヨーロッパの音のようなしっとりした、ウエットで艶のある味わいとは違って、本質的にアメリカの乾いた風土を思わせる。こういう音の場合、カートリッジやアンプも、4000DIIIやCA2000のように、ウエットさのない音で徹底させる方が、明るさ、分離のよさ、アタックのよく伸びる気持良さが生かされる。シェフィールドのレコードでパワーを思い切り放りこむと、ヨーロッパや日本のスピーカーの決して鳴らすことのできない、危なげのなく音離れのよい、炸裂するような快適な音が聴こえてくる。大づかみだがカンどころをとらえた鳴り方だ。

ビクター FB-7

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 低音が非常に締っている、と思ったがよく聴くと重低音がまるで出てこない。できるだけ低音を補うために、床に直接置くのはむろんのこと、背面を壁にはほとんどぴったりつけて置いてみた。さらにアンプのトーンコントロールで重低音を増強してみる。バックロードホーンの低音の難しさを久々に思い知ったが、ただ、こうして低音を補強する使い方をしてもホーン特有の共鳴音がほとんど耳ざわりにならないほどよく抑えられている点はみごとだ。が、その「抑えた」印象は低域ばかりでなく全帯域をぎゅっと引締めたようで、聴感上のレンジが必ずしも広く思われない点とあいまって、総体にあまりにも音楽の情感を拒んだ素気ない作り方のように思える。以前、ビクター大和工場で聴いた試作品とはずいぶん違う印象で、前のはもっと開放的で、高音域にももっと鮮かさがあったが、その反面のややにぎやかというか派手な鳴り方をおさえたつもりなのか、しかしこれでは少しおさえすぎのようで、たとえばシェフィールドやオーディオラボのポップス、ジャズでも、リズムに乗りにくい硬い表情が先に立ちすぎる。能率がおそろしく高いのでアンプのパワーの点で楽なこと、また、国産のある種の製品にありがちの暗く、重く、粘った鳴り方の欠点がなく、さっぱりした鳴り方は良い面といえるが、それにしてももう少し表情を柔らかく、反応をシャープにしたい感じだ。

セレッション Ditton 66

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 柔らかく暖かい、適度に重厚で渋い気品のある上質の肌ざわりが素晴らしい。今回用意したレコードの中でも再生の難しいブラームス(P協)でも、いかにも良いホールでよく響き溶け合う斉奏(トゥッティ)の音のバランスも厚みも雰囲気も、これほどみごとに聴かせたスピーカーは今回の30機種中の第一位(ベストワン)だ。ベートーヴェンのセプテットでは、たとえばクラリネットに明らかに生きた人間の暖かく湿った息が吹き込まれるのが聴きとれる、というよりは演奏者たちの弾みのついた気持までがこちらに伝わってくるようだ。F=ディスカウのシューマンでも、声の裏にかすかに尾を引いてゆくホールトーンの微妙な色あいさえ聴きとれ、歌い手のエクスプレッション、というよりもエモーションが伝わってくる。バルバラのシャンソンでも、このレコードのしっとりした雰囲気(プレゼンス)をここまで聴かせたスピーカーはほかにない。こうした柔らかさを持ちながら〝SIDE BY SIDE〟でのベーゼンドルファーの重厚な艶や高域のタッチも、決してふやけずに出てくるし、何よりも奏者のスウィンギングな心持ちが再現されて聴き手を楽しい気持に誘う。シェフィールドのパーカッションも、カートリッジを4000DIIIにすると、鮮烈さこそないが決して力の弱くない、しかしメカニックでない人間の作り出す音楽がきこえてくる。床にじかに、背面を壁に近づけ気味に、左右に広く拡げる置き方がよかった。

フェログラフ S1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 おだやかで、おとなしく、永く聴いて聴き疲れのしないバランスの良い音がする。言いかえれば近ごろの国産スピーカーのよく鳴らすような、聴き手を驚かせるような鮮明さはないし、アメリカのスピーカーのあのハイパワーでどこまでも音がよく伸びるダイナミックな快さとも違う。やはりこれはヨーロッパの音だ。国産スピーカーの音が何機種か並んだあとに、この音が鳴るとなおさらそう思う。かなり寿命の長いスピーカーだが、ごく初期の製品の聴かせた、あのシャープで恐ろしいほどの音像定位の、ことに空間のひろがりの中にソロがピシッと定位するあの鳴り方は、その後の製品からは聴きとれなくなってしまったのが何ともふしぎなだが、反面、その当時の製品では、高域端(ハイエンド)に明らかにクセがあったし、中域など少しおさえすぎて、イギリスの少し前の世代のスピーカーに共通の高低両端の誇張されすぎたバランスだった。ここ数年来のものは、その点バランスがよくなって、しかもバルバラのシャンソンのレコードなどで、旧製品ほどとはいえないにしてもその雰囲気の描写はやはり見事だ。ただ、能率がかなり低く、しかもハイパワーを加えると音がつぶれる傾向があるので、平均音量としては90dBまでがいいところ。高域のソフトドームの特徴であるアタックの丸い音なので、新しいポップス系のレコードの切れ味の面白さはやや不得手なタイプのプログラムソースといえる。

オンキョー Scepter 10

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 置き方あるいは置き場所にやや神経質な面のあるスピーカーだ。まず定石どおりにフロアーにじかに置いたが、壁からの距離をいろいろ調整しても、どうも低音のどろどろとこもる感じが抜けきらない。約7~8cmほどの低い台に乗せてみると、やや救われる方向が聴きとれたので、さらにその台とスピーカーとのあいだに、ゴム製のインシュレーターを挿入してみた。これで背面を壁から約30cmほど離して置いたところで、低音のこもりがかなり除かれた。レベルコントロールはオンキョー独特の3段切換で、単にトゥイーターのレベルを変えるだけでなくウーファーとの音のバランスのモードを三様にセレクトするという方式だが、いろいろのプログラムソースに対してはやはり中点(NORMAL)が妥当だった。低域が前述のようにやや重い傾向があるが、中~高域も(国産に概して多いが)クラシックのオーケストラでは、たぶん1~2kHzあたりと思うがやや硬い芯を感じる。F=ディスカウの声では、やはりホーン特有の音色が感じられる(サンスイG300もこの点は同じだった)。ホップス系では、パーカッションの音などもう少し音離れをよくしたいが、試みに前面の音響レンズを取り外してみると(指向性やバランスは多少くずれるが、そしてかえって低域の重さを意識してしまうが、高域に関しては)曇りがとれて抜けの良い鮮度の高い音が楽しめた。

サンスイ SP-G300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 同じサンスイでも、SP-L100と逆に、試作当初の製品よりずっとこなれてきて、以前はもう少し派手な音、あるいはやや華やかすぎのところがあって、クラシックよりはポップス系に焦点を合わせたスピーカーのように感じていたのが、今回聴いた製品では、ベートーヴェンの序曲(概して国産のニガ手なソース)でも、意外といっては失礼かもしれないが一応納得のゆくバランスで鳴った。背面を壁にやや近づけぎみの方が低域端(ローエンド)の豊かさがよく出る。クラシックではトーンコントロールで更に低域をわずかに補った方がいいが、それでもソニー、ヤマハ、ダイヤトーン等では多少感じられた箱っぽい低音がG300にはあまりなく、明るく音離れのいい、よく弾む音で聴いていて楽しいし不自然さが少ない。さすがにブラームスのP協等でパワーを上げてくると、中~高域にやや硬さが出てくるし、F=ディスカウの声も必ずしも十分滑らかとはいい難いが、国産スピーカーの鳴らすクラシックとしてはかなり良い方だ。バルバラのシャンソンや、ジャズ、ポップスになると、がぜん精彩を発揮して、新鮮で音像がクリアーで、ハイパワーでもよく伸びて音がくずれない。アンプやカートリッジは、ハード型ドライ型を避けて、しっとりした音の、グレイドの高い製品を組み合わせたい。ゆかの上にじかに置いても音がこもったり音離れの悪さなどの欠点が出ないので、台は不要だ。

ソニー SS-G7

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 周波数レンジは十分に広い。帯域内での目立った凹凸もなくよくコントロールされている。指向性も悪くない。音の濁りや歪みは感じられない。大音量でもくずれたりせず、小音量でも細かな音がよく聴きとれる。……こうして耳をいわば測定器のように働かせて聴くかぎり、平均点以上の点数をとる。しかし少なくとも私には、音楽的にいって聴きどころのよく掴めないスピーカーだ。たとえばクラシック。ベートーヴェンの序曲やブラームスのP協では、ダイヤトーンほどではないにしても中~高域に硬質の芯があって、弦のしなやかなトゥッティが聴こえてこない。高域端に爽やかさがないのが一層その感じを強める。低音域の一部で、こもるといっては言いすぎだが箱の中で音の鳴る感じがわずかだがあって自然さを損ねる。F=ディスカウでは、MIDレベルをやや絞ると一応彼の声らしくなるが、バルバラのシャンソンでバックの伴奏とのあいだに奥行きが感じられず同一平面で鳴る感じが強い。ジャズやポップスでは、どうも音が濁って重い感じで、スウィングしない。聴き手の心が弾んでこない。4500Qのようなクセの強いカートリッジで強引にドライブしてやると、多少のおもしろみは出てくるが……。置き方はいろいろ試みたが、ごく低い(約8cm)台に乗せ、背面は壁から離す方がよかった。

KEF Cantata

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 全音域に亙って周到にコントロールされた、誇張の少しもないバランスのよさ。それは国産スピーカーを聴いてきたあとでは、しばらくのあいだ物足りないくらい柔らかな音に聴こえる。が、ベートーヴェンの序曲やセプテット、あるいはブラームスのピアノ協奏曲第一番などを鳴らしてみると、やはりこれがクラシックの鳴り方として本当だと思える。もう少し正確にいえば、この方が確かに欧米の音楽ホールで聴こえてくる(日本の多目的ホールで鳴る音とは違う)本もののバランスだ。旧Cシリーズのように中域が引っこんだり、ハイエンドが出しゃばったりせず、全く安定な音を聴かせ、パワーにも強くなったが、能率は最近の平均値からみるとやや低い方なので、もしもポップス系の音楽までこなすならかなりハイパワーのアンプを用意した方がいいし、中・高各音域のレベルコントロールを一段ずつ上げた方が音の鮮度が増した感じになる。またクラシックの場合でも、私個人の好みでいえば、カートリッジは455EやEMTのような、またアンプは(今回用意したものの中では)KA7300Dのような、やや味の濃い組合せの方が楽しめる音になる。言いかえればもうひと味、色どりというかトロリとした味わいがあってもいいのではないかと思えるが、手もとに置いて永く聴きこむには、案外この穏やかな音が飽きのこない本ものなのかもしれない。

セレッション Ditton 66

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より
スピーカー泣かせのレコード10枚のチェックポイントの試聴メモ

カラヤン/ヴェルディ 序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
❶ピッチカートは遠くひびく。全体的に遠い。
❷低音弦の動きに鮮明さと張りが不足している。
❸各楽器のひびきのとけあい方は悪くない。
❹第1ヴァイオリンがたっぷりひびくところはいい。
❺一応のもりあがりは示すが、細部くっきり型とはいいがたい。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管弦楽団
❶ピアノの音像が大きく、たっぷりひびく。
❷音色対比は充分で、よくとけあう。
❸室内オーケストラのものとしては、ひびきが重すぎる。
❹一応の特徴は示すが、さわやかとはいいがたい。
❺音色の特徴をきわだたせる傾向がある。

J・シュトラウス:こうもり
クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団
❶音像はかなり大きい。吸う息、吐く息を誇張しがちだ。
❷接近感はききとりにくい。残響をひっぱりすぎるためだ。
❸オーケストラと声とのとけあい方は悪くない。
❹はった声のかたくならないのはいいが、鮮明さに欠ける。
❺各々の音色を充分に示すものの、鮮明さが不足だ。

「珠玉のマドリガル集」
キングス・シンガーズ
❶音像が大きいので、横一列の並び方がききとりにくい。
❷ひびきがひきずりがちなため、音楽の鮮明さが不足する。
❸かなりたっぷり残響をひっぱっているので、細部は不鮮明だ。
❹各声部のからみあいは、はっきりしにくい。
❺最後のひびきは一応ひっぱられている。

浪漫(ロマン)
タンジェリン・ドリーム
❶ポンという低い音のひびき方が鈍い。
❷後方へのひびきのひきは、一応とれている。
❸もう少しひびきに浮遊感がほしい。
❹前後のへだたりはとれているが、音ののびに自然さがない。
❺ピークで示される迫力はなかなかのものだ。

アフター・ザ・レイン
テリエ・リビダル
❶後方でのひびきにもう少し透明感がほしい。
❷ギターの音像があまりに大きすぎる。
❸ひびきが大きくふくらんで、本来の効果を発揮しえない。
❹かなりこれみよがしにめだってひびく。
❺他のひびきの中にうめこまれてしまっている。

ホテル・カリフォルニア
イーグルス
❶いかにも豊満にひびきすぎて、異色だ。
❷重厚ではあるが、このグループのサウンドらしからぬものがある。
❸必ずしも乾いているとはいいがたい。
❹ドラムスの音像は大きく、力を強調する。
❺声は総じてうめこまれがちで、効果的とはいえない。

ダブル・ベース
ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ
❶音像はきわめて大きいが、力強いとはいいがたい。
❷指の動きのみならず、息づかいまでもきかせる。
❸幾分誇張ぎみに音の尻尾をきかせる。
❹力を感じさせるが、こまかい音の動きに対しては問題がある。
❺音像的な対比は自然でないところがある。

タワーリング・トッカータ
ラロ・シフリン
❶重くひびくドラムスに切れの鋭さがほしい。
❷ブラスのつっこみは、力強くはあるが、輝きに不足している。
❸きわめて積極的に前方に張りだしている。
❹音の見通しがよくないので、トランペットの効果はいきない。
❺もう少し鋭くリズムが刻まれると、めりはりがつくだろう。

座鬼太鼓座
❶比較的近くできこえるので、距離感がない。
❷さらに脂っぽさがなくなれば、尺八の特徴が示せるだろう。
❸ききとれるものの、末広がりのひびきではない。
❹力感ゆたかなきこえ方がして、迫力はある。
❺きこえる。しかし大太鼓の消え方は示せていない。

ダイヤトーン DS-50CS

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 ダイヤトーンの音は、つねに中音域の密度に最も重点を置いた作り方が特徴だ。スピーカー作りの方法論的にいえば、中音域(ごく大まかにいえば500Hz近辺から2kHzあたりまで)に密度を感じさせるためには、いわゆる手抜きのない正攻法の設計が要求される。人間の耳に最も敏感な帯域であるだけに、張りすぎればやかましくなるし、おさえすぎると迫力や緻密さが失われる。プログラムソース別にみると、ポップス系にはやや張り気味に、そしてクラシック等にはやや抑え気味に作る方がいい。ダイヤトーンの音は、その意味でポップス系に焦点を合わせてあると聴きとれる。言いかえれば、オーケストラのトゥッティ等では、もう少し中域のかたまりを解きほぐして音の表情をやわらげ、空間のひろがりを出したいと感じる。またこれもDS40Cと共通のことだが、たとえばソロに対するバックが同じ平面状で鳴るように聴こえる傾向がある。つまり音像がよく張り出す反面、奥行きの表現に弱点がある。40Cよりも明らかにグレイドの高い音質だが、部分的には中域をもう少しおさえたいし(この点はレベルコントロールを一段絞ることでやや改善される)、低域端(ローエンド)でももう少し開放的な弾みが、そして高域端(ハイエンド)のもっとよく延びて繊細な感じが、それぞれ欲しい。置き方についてはフロアーに直接、そして背面を壁からやや離すのがよい。

ダイヤトーン DS-40C

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 このスピーカーにとくに向いているプログラムソースは、たとえばシェフィールドのダイレクトカッティング・レコード等の鳴らす一種鮮烈なポップス系の音楽だ。そして音量をあまり絞らずに、少なくとも平均85dB以上、できれば100dBぐらいの平均音量になるくらいのパワー(本誌試聴室での場合、おおよそ3ワットから30ワット以上)を放り込んで鳴らすと、ブラスの輝きや迫力、あるいはパーカッションの力強さや弾みがおもしろいように浮かび出て、聴き手を楽しませる。ところがクラシック系の音楽、あるいはポップス系でも、とくに弦楽器や女声あるいは木管のように、しなやかさ、しっとりした艶、あるいは暖かい息づかいなどを要求したい傾向の楽器を、音量を絞って楽しみたいという場合には、このスピーカーの本来内包している力の強さが逆にマイナスになりがちだ。もしもそういう音楽までこなそうとする場合には、中域の張ったカートリッジやアンプを避けて、できるだけ繊細な表情の出る組合せをくふうしたい。試みにトゥイーターのレベルを一段絞ってみたが、ウーファーの中高域の張り出すところが逆に強調されてつながりが悪くなる。むしろ一段上げてこの鮮明な迫力に徹してしまう方がおもしろいと感じた。フロアータイプなので台は不要。背面は壁からやや離す方がよかった。

テクニクス SB-5500

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 いろいろな台を試みたが、ゆかの上にそのまま置くのがいちばん良かった。フロアータイプなのだから当然と言われるかもしれないが、兄貴分のSB7000は、適当な台に乗せてやらないと低音がダブつく傾向がある。SB5500はその必要がなかったというわけ。ただ、背面は壁から適度に離して、できるだけ左右に大きくひらいて置く方が、このスピーカーの特長である、音像のひろがりと定位がいっそうよく出る。
 かなりウェットな感じの音に聴こえるが、それは、おそらく1~2kHzあたりの音の力がやや薄らいでいるせいかもしれない。そのもう少し上の中高音域では、逆にやや張り出し気味に聴こえるせいか、総体に線の細い、またプログラムソースによっては力の不足したややカン高い音で鳴ることがあるので、アンプやカートリッジでその面を補う組合せをくふうする必要がありそうだ。たとえばカートリッジでも、V15/IIIやXSV3000のように中音域の明るく張る音がいい。アンプはSQ38FD/IIはウェットになりすぎて、CA2000のやや素気ない音がかえってうまくゆく。どちらかというと、うまく鳴らすまでにやや時間のかかったスピーカーで、ということは、スピーカー自体が相当に個性の強い音色を持っているということになるのかもしれない。以前テストしたものの方がもう少しクセの少ない音がした。

フェログラフ S1

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より
スピーカー泣かせのレコード10枚のチェックポイントの試聴メモ

カラヤン/ヴェルディ 序曲・前奏曲集
カラヤン/ベルリン・フィル
❶ピッチカートは、いきいきとひびく。
❷スタッカートは、重さを強調せず、ひろがりを示して好ましい。
❸各々のひびきの音色的な特徴をよく示している。
❹低音弦のピッチカートがふくらまないのがいい。
❺迫力には幾分とぼしいが、しなやかなひびきがいい。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ブレンデル/マリナー/アカデミー室内管弦楽団
❶ピアノは、音像が小さく、軽いひびきで示される。
❷各々のひびきがきわめてさわやかに、音色対比充分に示される。
❸室内オーケストラのひびきの特徴をすっきり示す。
❹細身のひびきでさわやかに提示する。
❺鮮明だが、音にもう少し力があってもいいだろう。

J・シュトラウス:こうもり
クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団
❶音像がほどほどで、セリフの声にわざとらしさがない。
❷接近感が無理なく、誇張感なく、自然に示される。
❸楽器と声との、小味だが、バランスのいいとけあいが好ましい。
❹はった声がかたくならないのはいいが、もう少し前にでてほしい。
❺オーケストラと声とのバランスがいいため効果的だ。

「珠玉のマドリガル集」
キングス・シンガーズ
❶横一列にすっきりならんでいるのがよくわかる。
❷声量をおとしても言葉は不鮮明にならない。
❸声に自然なのびがあるために、細部の表現も無理がない。
❹ひびきに一種の軽やかさがあるためだろう、明瞭だ。
❺しめくくりは、ポツンと切れることなく、のびている。

浪漫(ロマン)
タンジェリン・ドリーム
❶音色的、,音場的対比がよく、無理なく示される。
❷奥へのひきもよく、ひろがりを獲得できている。
❸ひびきの身軽さが、ここでこのましく示される。
❹ひびきの流れがとどこおることなくひろがる。
❺幾分力不足ぎみだが、一応の効果はあげる。

アフター・ザ・レイン
テリエ・リビダル
❶透明感をもったひびきがすっきりと後にひいている。
❷ギターの音像が小さめに、くっきりと示される。
❸ひびきがふくらみすぎていないのがいい。
❹さわやかに、すっきりと、効果的にひびく。
❺他のひびきの中からその存在を主張する。

ホテル・カリフォルニア
イーグルス
❶ほっそりしたひびきで、このサウンドの特徴を示す。
❷厚みはあるが、さわやかさを失わない。
❸ひびきは充分に乾いていて、効果的だ。
❹ドラムス、声、いずれも望ましくきこえる。
❺声の重なりがよく示されて、有効だ。

ダブル・ベース
ニールス・ペデルセン&サム・ジョーンズ
❶力感ゆたかとはいえないが、シャープな反応がいい。
❷くっきりききとらせるものの、誇張感はない。
❸きこえなくはないが、特に特徴的とはいいがたい。
❹こまかい音の動きを、くっきり示す。
❺音色的、音像的、音量的対比に不自然さはない。

タワーリング・トッカータ
ラロ・シフリン
❶力感に不足するものの、シャープなつっこみはみごとだ。
❷ひびきのコントラストが充分についている。
❸一応の効果はあげるものの、特にきわだってはいない。
❹音の見通しがいいために、トランペットは有効な働きをする。
❺リズムの提示がはなはだシャープだ。

座鬼太鼓座
❶尺八は充分にへだたったところからきこえてくる。
❷ひびきに脂っぽさはないが、特に秀れているとはいいがたい。
❸かすかな音できこえるが、特徴的ではない。
❹大きさは感じさせないが、力感はある。
❺はなはだ効果的にひびいて、雰囲気をたかめている。