Category Archives: スピーカーシステム - Page 71

アドヴェント Smaller ADVENT

岩崎千明

スイングジャーナル 8月号(1974年7月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 ブックシェルフ型という形式のスピーカー・システムが登場したのは、AR1のデビューした57年以来、18年になるが、今ではスピーカー・システムといえはそれはブックシェルフ型を意味するようにまでなってしまった。つまりひとつの歴史がARによって始まったと言ってもよかろう。57年に特許を獲得したエドガー・ビルチャーのこのアコースティック・サスペンジョン方式は、しかし、商品として完成されたのはこの30センチと20センチの2ウェイというAR1によってではなく、25センチと2コの10センチの2ウェイのAR2によってなのだった。AR1の12”ウーファーを独立させて、当時評判の高かったジェンセンの中高音用コンデンサー・スピーカーと組合せるべく作ったAR1Wのみが、ARの初期の商売上の成功のすべてであった。
 その時期におけるアコースティック・サスペンジョン方式のスピーカー・システムとして実質的に市場において成功していたのはARではなくて、その特許を買ってシステムを作り出したKLH社のモデル4だったという事実は注目に価する。しかもこのモデル4以後6、7と、長い期間ARと互角に製品を送り出し、今日の総合メーカーに拡大したKLH社の基礎を固めることになったのがKLHのスピーカー・システムであり、その優れた評価なのである。そのスピーカーを創りあげるのに大きな役割を果たしてきた技術者は、AR社社長ビルチャーのもとに片腕としてスピーカー作りに重責を握っていたヘンリー・E・クロス氏だった。その彼がKLHを飛び出して、今度は自分自身で会社を興し、ブックシェルフ型スピーカー・システムを作り始めたときけば、これはもう品物が出来上る前に高い評価を得るだろうことに疑問を持つ者はいまい。その通り、アドヴェントのスピーカーは市場に送り出されるや早々に米誌コンシュマー・レポートにおいて並びいる無数の他のブックシェルフ型を押えて「A Best Buy」に選ばれてそのデビューを飾り、一躍市場のベスト・セラーに踊り出たのが4年前。以来アドヴェントはスピーカー・システムとしては、ただこの1種のみを作り続けてきた。なお、申し添えると、このアドヴェントのもう一つの有名製品はドルビー付きの「高級カセット」があり、昨年やっと一回り小型のスピーカー・システム、スモーラー・アドヴェントを送り出したのだ。日本市場でも海外製品が最近は珍らしくなくなった。特にスピーカーに関しては、人気商品の半分が海外スピーカー・システムで占められるこの頃だ。
 米国の製品は、その中でもっとも数が多くあらゆる価格レベルにおいて充実している。だから、その中にあって、たった2種しか出していない新参アドヴェント、目立つわけがない。形もオーソドックスで、何の変哲もなく、目を惹くいかなるものもないのだから、当然なのだ。米国におけるアドヴェントのようにすでに高い価値をコンシューマー・レポート誌によって認められたという無形の、しかし確かなる背景も、日本ではほとんど通用しない。
 だが、ひとたびその真骨頂であるサウンドに接すれば、たとえきわめて高いレベルのオーデオ・ファンでも、ジャズ・ファンでも、納得させられるに違いない。いや、ハイレベルのファンほど、サウンドの確かさを知らされるだろう。それは米国切っての強固なる支持を持つコンシューマー・レポートによって代表される米国のユーザーの良識によって認められたベスト・システムとしての真価なのだ。
『すべての音楽ファン、オーディオ・ファイル(マニア)の期待に応え、しかも可能な限り価格をおさえる』というこの点にアドヴェントの製品の他にみない特長がある。これは2ウェイによって最高級システムが作り得るという確信が開発・製作者にあったからこそ成し得たのだが、その自信は、すでにAR2により、またKLH4、KLH6というかつての空前のロングセラー、ベストセラーから生じた自信以外のなにものでもなかろう。
 その自信を裏づけするようにこの小型のシステム、スモーラー・アドヴェントは実にふかぶかとした、ゆとりある低域と歪感の極度に少ない中低域から中高域、ハイエンドをややおさえて得た刺激が少なく、しかも立上りよさに新鮮なサウンドを感じさせる。あらゆる虚飾を配した、ということばはまるでこのアドヴェントのスピーカーにとっておいたようなことばだが、そっけないそのスタイルには、実はもっともハイ・クォリティーのサウンドが求められているのだ。それは「羊の皮を着た狼」のスピーカー版とでもいったらわかっていただけようか。
 ジャズを聴いても、バロックにも、はたまたロックによし、ポピュラーも抜群、つまり当るに敵なしとはこのアドヴェントのシステムのことだろう。
 本来、イースト直系のシステムとしての筋金が、このアドヴェントの音作りの基盤となっているのだからバロックやオーケストラが一番得意なはずであるのだが、イイモノハイイという言葉通り、ジャズでも生々しい楽器のサウンドをいかんなく発揮してくれるし、ヴォーカルの自然なプレゼンスも見事だ。普通聴きこんでくるに従っていろいろと物足りなく思えてくるのが安物の安物たるウィークポイントなのだがアドヴェントにはそうした安物らしさがいくら聴いても出てはこない。価格の3万何千円は何びとたりとも音を聴いてる限り決して意識されることがない。
 だから、平均的リスナ一に対してアドヴェントを推める理由の最大なものは、そのリスナーの向上によってスピーカーをよりハイレベルのものに移向することを望めない場合に、もっとも発揮されることになる。
 逆にいえば聴き手がどんなに向上してもアドヴェントひとつで間に合うのである。そうなれば、もっとも平均的なジャズ・リスナーの選ぶにふさわしいコンポの一翼を担って登場させるべきであろう。だからといってそれは決して平均的という言葉から想像されるような甘いものでは決してない。もっとも現代的なハイ・クォリティー・レシーバーの代表としてサンスイ771をここに選んだが、それはトリオのKR7400であってもいいし、パイオニアのSX737であってもいい。ただひとつパワーの大きいことがアドヴェントをよく鳴らすコツであることを知っておこう。
 プレイヤーは使いやすさという点でレシーバーと共通的な気易さで接しられるオートチンジャーの高級品を選んだ。その代表的ブランド、英国の伝統に生きるBSRの高級機種はマニュアル操作でも第一級のプレイヤーで使いやすい。
 このBSRのもうひとつの大きな魅力は日本市場における特典でもあるがシュアのカートリッジが着装されている点だ。シュアもアドヴェントと同じようにジャズ、オーケストラ、歌と何でもこなすという点が高く買われているわけでその点アドヴェントとの組合せは普遍性を高めている組合せとなるわけだ。
 もし、キミがすでに大がかりなコンポーネント・システムを持っていたとしても、リスニングルーム以外でのジャズの場を持とうとするときに、あるいは持ちたいと思うときに、このスモーラー・アドヴェントを基としたシステムはハイ・クォリティー、ローコストの上、万全の信頼をもって支えてくれるに違いない。

ヤマハ NS-470

菅野沖彦

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ヤマハのスピーカー・システムとして最新型のNS470を聴いた。新しいNSシリーズのスピーカー・システムは、NS650、NS690を頂点としていずれも、まともな音を再生するスピーカーという印象で好きなものだが、(事実、まともな音を再生するスピーカーがいかに少いかというのが実感だから……)、今度のNS470という、いわば普及価格のシステムも一口にいって、バランスのよい、音楽本来の姿を再現してくれるシステムであった。やはり、さすがに楽器作りの長年のキャリアを待ったヤマハらしい体質が感じられる。このシステムは、NS690などで使われているものと同系の振動材を使ったソフト・ドーム・ツイーターを新開発のコーン使用の25cm口径ウーハーと組み合わせた2ウェイであって、クロスオーバーは2kHz、エンクロージャーは密閉型のアコースティック・サスペンション式、ブックシェルフ・システムである。300×577×275・5(mm)というサイズは、ブックシェルフらしいプロポーションで、比較的重い13・5kgという重量だが、これなら、たしかに棚へ乗せて使う事が出来そうだ。あまりにも大きく、重いブックシェルフ・システムが多いので、このシステムぐらいの大ききのものをみるとほっとするのである。正面グリルはオレンジとグリ−ン系の2種が用意され、好みで選択出来るが、モダーンなカラー・タッチは若い層に喜ばれるだろう。エンクロージャーの仕上げはきわめて高く、木工の得意なヤマハらしい美しい仕上げである。ただし、表面木目の仕上げ材はツキ板でなく木目プリントのビニール材である。つまり偽物である。コストからして、こうせざるを得ないのかもしれないが、私個人の気特を率直に述べれば、趣味の世界に偽物が入りこんで来るのは不快である。もし、木が使えないならば、ビニールらしい仕上げでカラフルにする事を考えたほうがまともではないか。わざわざ木目プリントをしてまでも木にみせようという根性のデコラやビニールや紙を見ると、いじましくて嫌になる。デコラやビニールそのものを否定しているのではなく、無理に木に見せようとする態度が嫌なのである。このスピーカーの性能や音質は、明らかに、コンポーネント・システムとしての品位の高さを持っていると思うので、それだけに、この仕上げにはどうしても不満なのである。あまりにも巧みに張ってあるので初めは解らなかったが、解った途端に音まで悪く聞えてしまった。こんなことはどうでもいいという人には音だけについて語らねばなるまいが、音は本物である。ステレオフォニックなプレゼンスの豊かさ、音場の奥行の再現、モノフォニックな音像の定位の明解さと、楽音のリアリティに満ちたタッチの鮮やかさは、このクラスのスピーカーとしては高い讚辞を呈したい。小型ながら、かなりの音圧レベルも再現し、ジャズのパルシヴな波形にも頼りなさがない。弦楽器やピアノの倍音のデリカシーもよく出るし、小音量での音のぼけや鈍い濁りもない。ドーム・ツイーターは能率をあまりかせげないので、ウーハ一に対してのレベルのノーマル・ポジションはほぼマキシマムに近いが、ウーハーの中高域が軽く明るいので、部屋の特性か低域上昇タイプでも重く暗くなることがない。32、000円という価格は、NS650と比較してやや割高という感じもするが、実際には値上げをしていないNS650が割安だという評価が妥当だと思う。上手に組み合わせれば、10万円台でトータル・コンポーネントとして組み上げる可能性をもったシステムで、これだけバランスのよい、音質も美しく、しっかりしたスピーカー・システムは決して多くないと思う。ジャズを大音量で聞くというケースでは、さすがに低域の敏感と力強さには物足りなさも残るけれど、全体のバランスを考えれば、これは我慢するべきといえるだろう。スピーカー・システムというものは、必らず、どこかを重視すればどこかが犠牲になるという宿命をもっている。ましてや、ある範囲でコストを限定すれば、これはしかたのないことなのである。総合的に見て、このNS470いう新製品はヴァリュー・フォー・プライス、つまり、買って損のない価値をもった快作といえると思う。最近好調なヤマハのオーディオ製品への力がよく発揮されたシステムである。

アルテック Crescendo (605B)

岩崎千明

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 大口径スピーカーのみの持てる、ハイ・プレッシャー・エナジーの伝統的な迫力の洗礼を受けたのは、アルテックの15インチによってであった。38センチという言い表わし方ではその迫力の象徴を表現するには絶対的に不足で、オレにはどうしても15インチ以外はピンとこない。
 それは昭和26年頃の、まだ戦後の焼跡の生々しい銀座の松坂屋裏のちっぽけな喫茶店であったっけ。重いドアを押して中に一歩踏み入れた途端、奥まで紫煙が立ちこめ、そこに群がる黒人兵達の嬌声やらどなり声を圧するが如く、ニューオリンズ・ジャズのホーンの音のすさまじさ。動くこともできず思わずその場にたたずんではしばし、呆然としていた。
 初めは本物のバンドが紫煙の奥に在るのかと、いぶかしくなるほどにそのサウンドは生々しくリアルで力に満ちていた。奥に入っていって、そのジャズ・エネルギーがなんとスピーカーであることを知らされた。その名、アルテックの603Bは、死ぬまで忘れられない名としてオレの脳裏に刻み込まれたのだった。この邂逅はその後のオレのオーディオ・ライフへの道を決めてしまった劇的なものであった。
 この戦後の東京では最も古いに違いない喫茶店「スイング」は今も渋谷は道玄坂の一角で、その時のあの15インチ〝603B〟が、今もなお健在で集まってくる若人に20年前と同じ圧倒的な迫力をもって応じている筈である。
 この603Bが、今日の新たなる技術をもってリファインされたのが「クレッセンド」のユニットの605Bに他ならない。
 さて、15インチ2ウェイ・コアキシャル型の605Bは、その名から推測されるようにプロフェッショナル・モニター用として名の轟く604Eを基準とした製品だ。ユニット自体は604Eの11万強に対して約9万と安い。だから、しばしば604Eの普及型というとらえ方をされる。事実外観上の差はほとんどなく、マグネット・カバー上の型番を見るまでは見分けることすら難しい。
 だが、604Eが音質チェックを目的としたモニター(監視用)であるのに対して605Bはあくまで音楽再生を目的とした、アルテックきっての高級スピーカーなのである。つまり、音楽をサウンドとしてではなく、音楽とのかかわりを深く求めんとして再生する限り、この605Bの方がより好ましいのである。それは音色の上にもはっきりと現れて604Eがしばしばクリアーであるが、堅い音として評されるのに対して、605Bのそれは何にも増して「音楽的な響きをたたえた暖か味」を感じさせる。604Eの力強いがなにかふてぶてしく、鮮烈であるが華麗ではないサウンドに対して、605Bはこのうえなくバランス良く豊麗ですらある。
 つまりいかなるレベルの音楽愛好者といえどもこの605Bの魅力の前にはただただ敬服し、感じ入ってしまう品の良いサウンドであることを知らされるに違いない。しかもこのサウンドは、単に音が良いというだけでなくしばしば言われる〝シアター・サウンド〟を代表するアルテックという、世界で最もキャリアのある音楽技術に裏付けられた物理特性あっての成果なのだ。電気音響界きっての誇りと伝統と更に現代技術の粋とを兼ね備えた音楽再生用スピーカーとしての605Bの優秀さは、もっと早くから日本市場にも紹介されるべきであったのだ。
 これがかくも遅れたのは、このスピーカーが抜群の高音響出力を持つためだ。高いエネルギーを可能とすることには付随的なプラスαとして無類の高能率があるのだ。そうした場合、スピーカー・ユニットを組込むべき箱は実に難しく、多くの点を規制され充分な考慮をせずには成功しない。箱の寸法とか補強措置や板厚のみならず、その材料にまで充分に注意を払わねばならない。つまり箱に優れたものをなくしては優れた本来の性能を出せなくなってしまうのだ。
 幸いなるかな日本市場では605Bは「クレッセンド」と呼ぶシステムとして優れたエンクロジュアに組込まれた形でユーザーの手に渡ることになっている。つまり605Bの良さは損なわれることなく万人に知られ得るに違いないし、それはしばしば誤られるごとく「ウエスト・コースト・サウンド」といわれるものではなく、この30年間常に、いや創始以来ずっとハイファイをリードし続けた、アメリカのオーディオ界の良識たるアルテック・サウンドの真髄を発揮した「サウンド」なのである。
 まずクレッセンドが比類なく高能率、高音響出力という前提では、アンプにはさして大出力は不要ということになる。その結論はひとつの正しい判断として間違いないし、そうした決定から国産の平均的アンプ、40/40W程度のものを対象としても、アルテック・クレッセンドはその実力を充分に発揮してくれ、そのサウンドは、間違いなくそこに選ばれたアンプが「かくも優れたものであったか」ということを使用者におそらく歴然とした形で教えるに相異あるまい。
 だからといって、このひとつの結論としてのそのサウンドがアルテック・クレッセンドの良さをフルに引き出したのかというと、残念ながら決してそうではないのである。国産の40/40Wのアンプは矢張りその価格に見合った性能しか秘めていない。倍にも近い価格の、だから多分高出力になっているに違いないより高級なアンプの持っている諸特性を考えれば40/40Wの手頃な価格のアンプはやはりそれなりの特性でしかないのだ。
 つまりクレッセンドの内蔵する
アルテックの605B、その輝やかしい歴史と伝統に支えられた15インチ・コアキシャルは、もっとずっと、否、最高級のアンプで鳴らした時にこそ、最高の性能を発拝してくれるのである。
 それはイコライザー回路から、トーン・コントロールから、およそ回路の隅々にまで至るすべての点に最高を盛り込んだアンプのみがアルテックの傑作中の傑作を最も本格的に鳴らしてくれるのである。
 そしてそういう結論を大前提とし、なおかつ、大出力は必要条件ではないとしてもすべてを満たし得るアンプ、その少なくない国産品から選べば、次の3機種こそアピールされてよかろう。①ソニー:TA−8650②オンキョー:Integra711③ヤマハ:CA1000 以上のアンプは最大出力は100/100Wを下回るものの価格的にはヤマハを除いては割安とは言い得ない。つまり、メーカーとしてはどれもがそのメーカーの最高機種としての誇りと技術を託した高級アンプなのであり、そうしたベストを狙ったもののみがクレッセンドの良さを最も大きく引き出せよう。特にヤマハのアンプは品の良さと無類の繊細感で.この中では最高のお買物として若い人にはアピールされよう。ソニーの場合新開発FETアンプの持つ真空管的サウンドを買ったのだ。オンキョー711については、使うに従ってその良さが底知れぬ感じで期待でき、是非これに605Bを接いでみたい誘惑にかられているのだ。プレイヤーはプロ志向の強いトーレンスTD125MKII。カートリッジとしては、使い易さと音の安定性からズパリ、スタントン600EEを推そう。

フェログラフ S1

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 いわゆる英国の音がもつ伝統を守りながら新しい英国系モニタースピーカーは大幅なグレイドアップをなしとげたようだ。比較的小型で奥行きが深いプロポーションをもち、拾い周波数レンジと能率が極めて低いことが共通な特長といえよう。S1システムは、バランス上、やや高域と低域の周波数レスポンスが少々する傾向をもつが、ステレオフォニックな拡がりと、定位の鮮明さに優れる。格調が高く緻密な音は素晴らしい。

JBL 4320

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLプロフェッショナルシリーズのモニタースピーカーは現在4機種あるが近日中に、さらに充実したシステムがシリーズに加わると予測されている。4320は旧D50SMモニターをベースとしてモディファイしたプロフェッショナルモニターの中心機種である。とかくモニターといえばドライ一方の音になりやすいが、表現力が豊かであり強烈なサウンドも、細やかなニュアンスも自由に再現できるのは近代モニターの魅力だ。

JBL L26 Decade

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLの新世代を象徴する新しい魅力をもったシステムである。米国では約130ドルで現在ではJBLのもっともローコストなシステムであるが、このディケードの音は、まさしくJBLの、それもニュージェネレーションを感じさせる、バイタリティのあるフレッシュで、かつ知的なサウンドである。米国内でも爆発的な人気らしく、JBLのラインのほとんどがこのシステムでしめられていたのを見ても裏付けられるようだ。

アメリカ・タンノイ Mallorcan

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 マローカンは、英タンノイのユニットでは比較的なじみの薄いモニター12ゴールドを米タンノイがブックシェルフ型エンクロージュアに収納したシステムである。英国の音のティピカルな存在である。タンノイの音から想像すると驚かされるほど、このマローカンの音はボザーク、KLHと共通性をもった米東岸の音をもっている。まさにニューイングランドの音といってよいだろう。小型ながら適度のスケール感と高品位な音が魅力。

ブラウン L710

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ブラウンには同じようなユニットを組み合わせた一連のシステムのヴァリエーションがあるが、私は620、710が好きだ。この上の810はウーファーが二つで、やや低音が重く中域の明瞭度をマスクする。ブラウンの滑らかな音は、充分解像力にも優れるし、音楽が瑞々しく、ハーモニーがよく溶け合う。白とウォールナットがあるが、断然ウォールナットがいい。仕上げも美しく虚飾のないすっきりしたデザインは極めて高いセンスだ。

JBL 4320

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 本来プロのモニター用として開発されたシステムだが、その充実した音の緻密さは、すべての音楽プログラムを一分のあいまいさもなく再生する。デザインだって、プロ用とはいいなから、家庭の部屋へ持ち込んで少しもおかしくない。むしろ、その直截な現代感覚はモダーンなインテリアとして生きる。シャープな写真が魅力的で、しかも、正直に対象を浮き彫りにして魅力的であるように、この明解で一点の曇りのない音は圧倒的だ。

タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ガイ・R・ファウンテンのシグナチュアーで保証される英国タンノイの最高級システム。大型コーナーのフロント・バックロード・ホーンに同社が長年手塩にかけて磨き込んだ傑作ユニット、〝モニター15〟を収めたもの。音質は、まさに高雅と呼ぶにふさわしく、華麗さと渋さが絶妙のバランスをもって響く。ただし、このシステム、部屋と使い方によっては、悪癖まるだしで惨憺たるものにも変わり果てる。

ヤマハ NS-690

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 JBLのL26〝ディケード〟とほとんど前後して発表されて、どちらが先なのかよくわからないが、むしろこの系統のデザインの原型はパイオニアCS3000にまでさかのぼるとみる方が正しいだろう。最近ではビクターSX5や7もこの傾向で作られ、これが今後のブックシェルフのひとつのフォームとして定着しそうだ。NS690はそうしたけいこうをいち早くとらえ悪心つも含めて成功させた一例としてあげた。

アルテック A5

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 アルテックの劇場用大型システム。とても家庭に持ち込めるような代物ではないという人も多いが、それは観念的に過ぎる。絶対安心して鳴らせるスピーカー、つまり、どんなに大きな音でびくともせず、よく使い込んでいくと小さな音にしぼり込んだ時にも、なかなか詩的な味わいを漂わせてセンシティヴなのである。形は機械道具そのもの。デザインなどというものではない。これがまた、独特の魅力。凄味があっていい。

フェログラフ S1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ほかのスピーカーにちょっと類型のないほどのシャープ音像定位が、このスピーカーの第一の特徴である。左右に思い切り拡げて、二つのスピーカーの中心に坐り、正面が耳の方を向くように設置したとき、一眼レフのファインダーの中でピントが急に合った瞬間のように鮮鋭な音像が、拡げたスピーカーのあいだにぴたりと定位する。独特の現実感。いや現実以上の生々しさか。デザインのモダンさも大きな魅力。

タンノイ Autograph

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 コーナータイプという構造の制約から、十分に広い条件の良いリスニングルームで、左右に広く間隔をとって設置しなくてはその良さを発揮できず、最適聴取位置もかなり限定される。大型のくせにたった一人のためのスピーカーである。オートグラフのプレゼンスの魅力はこのスペースでは説明しにくい。初期のニス仕上げの製品は、時がたつにつれて深い飴色の渋い質感で次第に美しく変貌するが、最近はオイル仕上げでその楽しみがない。

QUAD ESL

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 コンデンサー・スピーカーという独特の構造を最高に生かしたデザイン。赤銅色のパンチング・メタルは金属の冷たさよりは逆に渋味のある暖かい感触とさえ言え、一度は部屋に持ち込んでみたい魅力がある。むろん音質も好きだ。夾雑物のないクリアーな、しかし外観と同じように冷たさのないしっとりとした雰囲気をかもし出すような、演奏者と対話するようなプレゼンスを再現する。黒い仕上げもあるようだが赤銅色の方が断然良い。

JBL 4320

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 同じJBLでもパラゴンと4320は別ものといえるくらい音質が違う。プロ用、家庭用という意味でなく、明らかに新しいジェネレーションの透徹したクールな鳴り方で、プロ用としての無駄のない構成、少しザラザラしたグレイの塗装と黒いネットのコントラスト、あらゆる面で現代のスピーカーである。アルテック612A、三菱の2S305、フィリップスのモニター等にも、機能に徹した美しさがみられるが、4320は抜群だ。

JBL D44000 Paragon

瀬川冬樹

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 3ウェイのオールホーンを、しかもステレオでこれほど見事に造形化したスピーカーはほかにない。低音ホーンを形成する前面の大きな湾曲はステレオの音像定位の面でも理にかなっているが、音質そのものは、必ずしも現代風の高忠実度ではなくことに低音にホーン独特の共鳴もわずかに出る。がそうした評価より、この形の似合うインテリアというものを想定することから逆にパラゴンの風格と洗練と魅力を説明することができる。

ボザーク B310, B410

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ニューイングランドサウンドを代表する貴重な存在といえる大型システムである。ユニットは、すべてコーン型で会社創設以来、基本設計を変えないR・T・ボザークの作品である。システムは、すべて手づくりで丹念につくられた、いわば工芸品であって、工業製品でないところが魅力である。この音は深く緻密であり重厚である。音の隈どりの陰影が色濃くグラデーション豊かに再現されるのはボザークならではの絶妙さである。

JBL L25 Prima

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ブックシェルフ型というイメージを一掃し、カラフルなユニット風のシステムは実用性の高い未来志向を強く持ち合わせ大きな魅力。
 サウンドは定評のL26と同形で低域の自然さは一歩ゆずってもバランス良い聞きやすさは、プリマの大きなプラスだ。
 多くを語るより、「まあ使ってみて」といおう。良さは音だけでなく、オーディオとして以上のより多くを君に感じさせるに違いないから。

エレクトロリサーチ Model340

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 国産品めいたこけ驚かし的なマルチユニットのちっぽけなブックシェルフ型から、これほどの魅力的な華麗鮮烈なサウンドが出てこようとは。無類の「音の良さ」を秘めたシステムだ。一般のブックシェルフにありがちな重苦しい低音も、またそれを避ける結果しばしばみられるふぬけた超低域もこれにはない。レベルを上げてもくずれない低域は力強く冴え瑞々しいほどの中音から高音の迫力とよくバランスし、抜群の広帯域感が溢れる。

ダルクィスト DQ10

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 新しいオーディオ界を目指しつつある米国において、特にスピーカーの新興勢力はめざましいばかりだ。ESS、ヴェガと並んで好評の、新参ダルキストの風変りな容姿と、澄みきったサウンドは新進メーカー中の白眉だ。その提唱するところの新たなる基本理論よりも音楽的、音響的なセンスが無類にすばらしい。その滑らかな中高音をそのまま超低域まで拡張したサウンドが、新たなる時代に羽ばたく要素となった傑作といえる。

JBL Sovereign I

岩崎千明

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

「ヴェロナ」がカタログから消えてしまって、今やJBLのフロア型もクラシックなスタイルで豪華なたたずまいの製品はこの「サブリン」だけになってしまった。だから「ヴェロナ」に対する愛着と願望とが「サブリン」に妥協した、といってもよい。フロア型に対する望みがブックシェルフ型と根本的に違うのは、室内調度品としての価値をもその中に見出したい点にあるが、それがサブリンに凝縮したともいえる。

タンノイ Autograph

井上卓也

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 英タンノイのスピーカーシステムは、すべて、デュアルコンセントリックと名付けられた同軸型ユニットを1個使用していることに特徴がある。このオートグラフはモニター15ゴールドをフロントショートホーン、リアをバックローディングホーンとした大型のコーナーエンクロージュアに入れたシステムでけっして近代的な音をもってはいない。けれどもアコースティックの蓄音器を想い出すような音質は、かけがえのない魅力だ。

ESS amt1

ESSのスピーカーシステムamt1の広告(輸入元:ティアック)
(スイングジャーナル 1974年4月号掲載)

ESS

良い音とは、良いスピーカーとは?(最終回)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)

スピーカーの新しい傾向
     1
 アメリカを例にとれば、一方をKLHに、他方をJBLに代表させると説明がしやすい。KLHのくすんだ色彩を感じさせる渋い鳴り方。細部(ディテール)をこまかく浮き彫りするよりもむしろ全体の調和を大切にして、美しく溶け合う重厚なハーモニィを響かせるあの鳴り方。おっとりした、暖かい、気持のいい、くつろぐことのできる、しかしやや反応の鈍い……などといった表現の似合う音に対してJBLの、第一にシャープさ、明快さ、細かな一音もゆるがせにしないきびしさ、余分な肉づきをおさえた清潔さ、鈍さの少しも無いクリアーな、反応の敏感な、明るい陽ざしを思わせるカラッと乾いた軽い響き。あらゆる点が正反対ともいえる鳴り方は、とても同じアメリカのスピーカーという分類の中には、とても収まりそうにない。それは、KLHを生んだボストンと、JBLの生まれたロサンジェルスという土地柄と切り離して考えることのできない性質のものだ。
 ボストン。アメリカよりむしろヨーロッパの街並を思わせる古い煉瓦作りの建物。夏などはじっとりと汗ばむほど湿度が高く、そして冬は身を刺すような寒風の吹きまくる、日本でいえば京都や神戸のように、ふるさと新しさが混然と一体になり、むしろ街が古いからこそ新しいものに憧れ、しかも新しさをとり入れることで古いものの良さを壊すようなことをしないで良識のある街。ヨーロッパの古い様式で作られた有名なシンフォニー・ホールで聴くボストン・シンフォニーの音に、わたくしはKLHの体質をそのまま感じる。ARの古いタイプにもそういう響きはあった。AR7あたりから後の新しいARの各モデルの音そして同じ流れを汲むアドヴェントの音は、KLHのような暖かさが薄れてきているとわたくしには聴こえる。それにしてもしかし、なぜ、AR、KLH、アドヴェントというスピーカーたちが、ボストンに生まれ育ったのか、これは興味のあることだ。そう、それにもうひとつBOSEを加えなくてはいけないが。
 ロサンジェルス・シンフォニーを、あの有名なパビリオンのホールで聴くと、同じようなシンフォニー・オーケストラがこれほどまでに軽やかな明るさ、おそろしく明晰でクールな肌ざわりで響くことにおどろかされる。そして聴いているうちに次第に、JBLのスピーカーの音が結局はこれと同質のものだということに気づきはじめる。ボストン・シンフォニーがKLHの音を思い起させるのと同じプロセスで、しかもその音はあらゆる点で正反対に。
 ロサンジェルスに住む友人の紹介で、その土地のオーディオ・マニアと友達になった。その彼がわたくしに、BOSEやARの音をどう思うか? と質問してくる。彼は言う。あの重苦しい音、もたもたした低音、切れ味の悪さ、あんなのがお前、音だと言えるか……。そうだそうだ、オレもそう思うよ、とわたくしは彼と握手してバーボンの水割りで乾杯するのだ。
 ところが東海岸側(イーストコースト)では事情は逆転する。「ハイ・フィデリティ」誌の編集者たちが、ニューヨーク郊外の古い館を改造したレストランで昼食をご馳走してくれたあと、外に出ると夕立が上って、向うの山腹で雷鳴がまるで大砲を撃つようにとどろいたとき、中の一人が、ほうら、JBLだ、ドカァン、ドオーンだ! と、さもおかしそうに揶揄するのである。つい今しがた、互いに使っている再生装置を紹介しあって、わたくしがJBLの3ウェイの名を上げたら彼らの顔に一様に不思議そうな表情の浮かんだ意味がそれで氷解した。彼らはJBLをちっとも良いと思っていない。
 ハイ・フィデリティ誌ばかりでなく、〝ステレオ・レビュウ〟誌でも〝オーディオ〟誌でも、あなたがたが最も良いと思うスピーカーは何か、と質問したのだが、答の中に一番に出てくるのが、決まってARのLSTだった。ステレオ・レビュウ誌の編集者の一人はなかなかの通らしく、LSTのレベル・コントロールのポジション1か2が良い、とまで言い切った。もちろんAR以外のスピーカーの名前も出たのだが、JBLの名はほとんど出てこない。そして重要なことは、これらの出版社の所在地が、全くニューヨーク地区──つまり東海岸のそれもほんの一ヶ所──に集中している、という点である。ニューヨークとボストンは東京と名古屋ぐらいの近い距離だが、そのボストン/ニューヨークの目の出は、ロサンジェルスより三時間も早い。北のボストンと、もう少し下ればメキシコという南の街ロサンジェルスとは、もう全く別の国といってもいいくらい、気候も人の感受性も違っている。ボストン・シンフォニーの音もLPOの音も、そういう音をつくろうとしてできたのではなく、彼らの血が、つまり彼らの耳が自然にそういう個性を作り育てた。その同じ血がスピーカーを作っている。日本人のような単一民族にはこのことは容易に理解できない不可解な、しかし歴然とした事実なのである。話をヨーロッパにひろげても日本に戻してもその点は全く同じことだろう。ただ、少なくともアメリカ国外でそれくらい評価の違うボストンの音(AR、KLH、アドヴェント)とロサンジェルスの音(JBL、アルテック)が、ヨーロッパでも日本でも確かに良い音だと評価され受け入れられているのに対して、日本のスピーカーの音が、海外では殆ど評価の対象になっていないというのも確かな事実である。さきにもあげたアメリカの代表的オーディオ誌三誌、それに、業界誌の〝ハイファイ・トレンド・ニュウズ〟誌を訪れてそのどこでもきまって出てくる質問が二つあった。ひとつは、日本の4チャンネルの現状がどうなっているのか、であり、もうひとつは、日本のエレクトロニクスがあれほど進んでいるのにスピーカーだけはどうしてあれほど悪いのか、お前たちはあの音を良いと思っているのか、であった。ステレオ・レビュウ誌の編集部では、読者調査のカードをみせてくれ、それにはパーツ別に分類したブランド名ごと普及率が整理してあり、アンプやテープデッキでは日本のメーカーが上位を占めているのに、スピーカーばかりはべすと10の銘柄(ブランド)のうち、日本のメーカーはわずかに一社。しかも、これだって音が良くて売れているんじゃない。アンプその他で強力な販売ルートを作り上げて、スピーカーは抱き合わせで無理に販売店に押しつけているんだ、品ものがいいからじゃないんだ、とくりかえして説明してくれる。いままで、日本のスピーカーが海外で認められない、と書くと、、日本のメーカーから、海外でもこんなに出ているという数字をみせられたことがあるが、必ずしも「良い」から売れているとは限らない、という例を、はからずもアメリカの雑誌の編集者たちが証明してくれたわけだ。くやしいかぎりだが仕方がない。風土がスピーカーの音作るとなれば、日本という国に、良いスピーカーを作るだけの土壌があるかどうか、という問題にまでさかぼらなくてはならなくなってくる。前途多難である。

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 スピーカーの音の違いというものを、しかし風土や土地柄からだけでは説明しきれない。たとえばARをみてもJBLやアルテックをみても、またイギリスやドイツのスピーカーをみても、この数年のあいだに音のバランスのとり方が明らかに変ってきている。それにはいろいろの原因が考えられるが、わたくしはいま三つの理由をあげる。
 第一はスピーカーの設計、製作の技術や材料の進歩。これによって、従来そうしたくてもできなかったことが可能になる。
 第二に、スピーカー以外のオーディオ機械類の進歩。たとえばテープを含む録音機会の進歩、それを再生するピックアップやテープデッキやFMチューナー、アンプリファイアーの進歩によって、同じスピーカーでさえ音が変り、ひいては新しいスピーカーの出現をうながす。
 第三。音楽の変遷、そして同じ音楽でも演奏様式の変遷。たとえばロックの台頭と普及によって、従来とは違う楽器、演奏法が誕生し、聴衆の音楽の聴き方が変わる。クラシック畑でもその影響を受ける。とうぜんそれが録音様式の変化をうながし、録音・再生機械の進歩をも促進させる。
 再生音の周波数レインジに関していえば、40から一万二、三千ヘルツまでがほぼ平坦に、歪少なく美しく再生できれば、音楽音色をほとんど損なうことなく実感を持って聴くことができる、という説は古く一九三〇年代にベル・ラボラトリーやE・スノウらによって唱えられ、それはごく近年まで訂正の必要が認められなかった。蛇足と知りつつあえてつけ加えるが、40から一万三千ヘルツをほとんど平坦に、というテーマは現在でも容易に達成できる目標とはいえない。カタログ・データはいざ知らず、現実に市販されているスピーカーの周波数特性だけを眺めても(たとえば本誌28、29号スピーカー特集の測定データを参照されたい)、右の条件がなま易しいものでないことはご理解頂けると思う。わたくし自身も、かつてハイカット・フィルターによって実験した際、少なくともクラシック及び通常のジャズ、ポピュラーのレコードに関するかぎり、13キロヘルツ以上の周波数を急峻にカットしても楽器自体の音色にはもはやほとんど変化の聴きとれないことを確認している。
 しかし──、ロックに代表される新しい音楽、それにともなう新しい奏法の出現によって、オーディオからみた音楽の音色は大きく転換した。低音限界の40ヘルツは一応よいとしても、シムバルそのほかの打楽器、雑音楽器(特定の音程を持たないリズム楽器や打楽器類を指していう)などの頻用とより激しいアタックを強調する奏法によって、音源自体の周波数レインジはより高い方に延びはじめた。打楽器はその奏法によって高域のハーモニクス成分の分布が大幅に異なり、アタックの鋭い音になるにつれて高域にいっそう強いスペクトラムが分布しはじめる。シムバルの強打では、20キロヘルツ以上にまで強い成分が分布することもすでに報告され、実際にも13キロヘルツぐらいでフィルターを入れると──もちろん録音・再生系の全体がそれより高い周波数まで正確に再生する能力をもっている場合にかぎっての話だが、明らかに音色が鈍くなることがわかる。昔とくらべて、はるかに刺激的な音を多用する新しい音楽の出現によって、録音も再生も、より広い高域のレインジが要求されはじめたのである。
 その明らかな現われのひとつに、たとえばJBLの新しいプロフェッショナル・シリーズのスピーカー・ユニットの中の、♯2405型スーパー・トゥイーターをあげることができる。本誌27号の本欄で書いたように( 80ページ)、劇場(シアター)用、ホール或いはスタジオ用のスピーカーには、いわゆる超高音域は不必要であった。古いプログラムソースには、10キロヘルツ以上の音はめったに録音されていなかったし、したがってそれ以上の高音域を平坦に延ばしてもかえって雑音(ノイズ)ばかりを強調するという弊害しか無かったのである。したがってシアター用スピーカー、或いは良質の拡声装置スピーカーに、スーパー・トゥイーターに類する高音ユニットを加えた例は従来ほとんど無く、大半が2ウェイどまりであることはご承知のとおり。わずかに家庭用の高級システムの場合に、エレクトロヴォイスのT350、JBLの075等の、3ウェイ用のトゥイーターが用意されていた。それでも、JBL/075の周波数特性は、10キロヘルツから上ですでに相当の勢いで下降をはしめる。E-Vだって日本のいわゆるスーパー・トゥイーターからみれば決してワイド・レインジとはいえない。むしろこの点では、日本やヨーロッパ、ことにイギリスの方が高域のレインジというかデリカシーを重んじていた。それは、アメリカのスピーカーのいわば中域にたっぷり密度を持たせて全体を構築するゆきかたに対して、より繊細な、音色のニュアンスの方を重視したからだろうと思う。
 しかし新しいJBL/2405の特性を初めて見たとき,わたくしは内心あっと驚いた。6キロヘルツあたりから20キロヘルツ以上に亘って、ホーン・トゥイーターとしてはめったにないほど、見事にフラットな特性が出ている。内外を通じてこれほど見事な高域特性のスーパー・トゥイーターはほんとうに少ない(ただし製品ムラが割合に多いといわれている。やはりこれだけの特性を出すのは、よほど難しいことにちがいない)。
 世界的にみても高域レインジを延ばすことには最も無関心にみえたアメリカで、こういうトゥイーターが作られなくてはならなかった必然的な理由を考えてゆくと、先に述べた音楽やその奏法の変遷に思い至る。なにもポピュラーの分野ばかりではない。クラシックでも、たとえばメータの率いるLPOの音色、あるいはパリ管弦楽団、いまではカラヤンが指揮するときのベルリン・フィルでさえもが、昔のオーケストラからみればはるかにアタックを強く、レガートよりもむしろスタッカートに近い奏法を多用し、いわゆるメリハリの利いた鋭い音色を瀕繁に出す。新しい録音は、そういう奏法から生まれる高域のハーモニクスをより鮮明にとらえる。あきらかに、オーケストラのスペクトラムは高域により多く分布しはじめている。この面からおそらくは、現在の音響学の入門書に出てくるオーケストラや楽器のスペクトラムの説明は書き改められなくてはならないだろうと思う。すでに現代の聴衆は、耳あたりの柔らかさよりは明晰な、歯切れのよい鮮やかな音を好みはじめている。カラヤンはそういう聴衆の好みを見事にとらえ、ことに演奏会では実に巧妙に聴衆を酔わせる。現在でいえば室内オーケストラほどの編成で演奏されたハイドンの94番のシンフォニーに聴衆が〝驚愕〟して飛び上ったのは、もはや遠い昔の物語になってしまった。
 むろん音楽全体がそうだとは決して言わない。わたくし自身の好みを別にしても、音楽が、またその奏法がそういう方向に変ってゆくことの意味、そのことの良し悪しはここでは論じない。少なくとも、音楽を演奏し録音し再生するプロセスで、大勢が右のような方向に動きつつあり、スピーカーの作り方の中で高域のレインジの拡張というたったひとつの事実をとりあげてみてもそのことを証明できるということを、ここでは言っておきたいだけだ。そして、高域のレインジをより拡げることが、単に楽器の音色のより忠実な再現という範囲にとどまらず、すでに28号の144ページその他にも書いたようなレコード音楽独特の世界が開けるという点の方を、ほんとうは強調したいのだが。(この点については、いまはもう残りの紙数も少なく今回はくわしくふれることができない。もし機会が与えられれば、レコード再生のプレゼンスについて、とでもいったテーマで書いてみたいと思う。)
 一方の低音に関していえば、モノーラル時代はいまよりはるかに低音の本格的な再生を重視していたことはだいぶ前に書いた。ステレオの出現によって、あまり低い音まで再生しなくても低音感が豊かに聴こえるという心理的な問題から、低音の再生がおろそかになりはじめ、ARのスピーカーの出現のあとブックシェルフ・スピーカーの安物が増加するにつれて低音の出ないスピーカーが大勢を占めはじめ、一方、フォノモーターの唸りを拾わないためにも、またそういうモーターの性能に寄りかかったレコード製作者側の甘さも加えて、いつのまにか、世の中から本ものの低音が消えてしまっていた。いまのオーディオ・ファンで、本当の40ヘルツの純音を聴いた人はごく僅かだろう。ブックシェルフ・スピーカーにテスト・レコードやオシレーターで40ヘルツを放り込んで、ブーッと鳴る低音はたいていの場合40ヘルツそのものでなく、第三次高調波歪みにほかならない。ほんものの40ヘルツは身体全体が空気で圧迫されるような感じであり風圧のようでもあって、もはや音というより一種の振動に近い。そんな低音を再生できるスピーカーがいかに少ないか、その点でも28~29号の測定データはおもしろい見ものである。
 しかしむしろいま急にそういう低域を確かに再生できるスピーカーが多数使われるようになったりすれば、殆どのレコード・プレーヤーは使いものにならなくなるだろうし、大半のレコード自体に超低域の振動が録音されていることがわかって、針が乗っているあいだじゅう妙な振動音に悩まされてしまう。すでにレコードもレコード・プレーヤーも、現在普及しているプアな特性のスピーカーでモニターされ作られている。むしろ大半のスピーカーが60ヘルツぐらいから下が切れていることが幸いしているとさえいえる。低音に関しては、基本波(ファンダメンタル)を正確に再現しなくても、倍音(ハーモニクス)を一応正しく再生できれば楽器のそれらしい音色は聴きとることができるという人間の耳のありがたい性質のおかげで、全体としては低音をそれほど再生できなくとも、あまり不都合を感じないで済んでいるというだけの話なのである。しかし、ほんとうにそれでよいのかどうか──。
 JBLのプロフェッショナル・モニター4320、4325などでは、従来のスタジオモニターSM50にくらべて低域の拡張が計られている。高域は必要に応じて2405を加えることができる。前号でふれたアルテックのモニター・スピーカーも、新型の9846-8Aでは従来の604E/612Aにくらべてより低域特性を重視し低域補正回路まで組み込まれた。
 そこで再びBBCモニター。KEFの新しい資料によれば、すでにふれたLS5/1Aに次いで model 5/1AC という新型が発表された。最も大きな改良点は、デュアル・チャンネルアンプリファイアー、いわゆる高・低2チャンネルのマルチアンプになったこと。これにともなって最大音圧レベル112dB/SPLとより強大な音圧が確保され、低域補償回路が組み込まれて低音再生をいっそう強力化している。これはLS5/1AとちがってBBCモニターの名で呼ばれていないので、放送モニターよりもむしろレコーディング・スタジオ用として改良されたものと考えることができる。また、前回のBBCモニターの新型としてLS5/5型をご紹介したが、その後の調査もこのモデルがBBCで現用されているという確証が現在のところ掴みきれない。ロジャースで製作されているとの情報によって同社の資料をとり寄せてみたところ、たしかにBBCモニターというのが載っていたが、モデル名をLS3/6といい、”medium size studio monitor” と書いてあって、ちょうど三菱の2S305に対する2S208のような位置にある中型モニターのように思える(外形寸法は25×12×12インチ。スタンド込みの全高は37インチ。20センチ型のウーファーをベースにした3ウェイ型)。
 JBLの新型モニターといい、アルテックのニュー・モデルといい、またKEFの5/1AC、ロジャースのLS3/6といい、また28~29号を通じて最も特性の優れていたKEFのモデル104といい、新しいこれら一群のスピーカーが、従来までのそれとくらべると段ちがいに優れた物理特性──、より広い再生レインジとより少ない歪み、あるいは広い指向性、あるいは再生音圧の拡大──をそれぞれに実現させはじめた。明らかに、スピーカーの設計に新しいゼネレーションの台頭が見えはじめている。この項を書きはじめた頃、わたくし自身にまだ右のようなスピーカーの出現は予測できなかった。けれど、わたくしは一貫して、まず本当の意味での高忠実度再生スピーカー、広く平坦な周波数特性と、それに見合う諸特性の向上を、スピーカーの目ざすべき第一の目標だと主張し続けてきたつもりである。現在問題にされているオーディオ再生のさまざまな論議は、過去の極めて不完全なスピーカーを前提になされてきた。それらを原点に戻すには、まず、スピーカー固有の色づけ(カラーレイション)を可能なかぎり少なくしてみること、いわばカメラのレンズ固有のくせ──ベリートやタンバールの独特の描写に寄りかかった制作態度を一旦捨ててみるところから、新たな問題提起が始まるべきだということを言いたかった。ほんとうのワイドレインジの音など聴いたこともない人が、ナロウレインジでも音楽は十分に伝わる、などとしたり顔で説明することが許せなかった。嬉しいことに、わたくしたちの廻りに右のような新しいワイドレインジ(決してまだ十分とはいえないまでも)のスピーカーが揃いはじめた。わたくし自身、ナロウレインジの、あるいは旧型の固有の性格の強いスピーカーから再生される音の独特の魅力にも惹かれるし、そのことを否定するものでは決してない。また、すべてのオーディオ機器がワイドレインジであるべきなどと乱暴な結論を出すつもりも少しもない。むしろ現在のオーディオ再生では、すでにふれたように再生音域の拡張はいま急にはむしろ弊害を生じる場合が多く、すでにKEF♯104を入手されたユーザーから、いままで聴こえなかったレコードや針の傷み、アンプの歪みなどがかえって気になりはじめ、アンプを交換してはじめて104の良さがわかった、という話も聞いている。わたくしのこの小論から、にわかにワイドレインジを目指すようなあやまちは避けて頂きたいとくれぐれもお願いするが、また一方、注意深く調整された広帯域の再生装置が、いかに多くの喜びをもたらしてくれるものか。ほんとうは、そこのところを声を大にしてくりかえしたいのである。
 アンプに限らずスピーカーもまた、物理データの本当の意味での向上が、聴感上でもやはりより良い音を聴かせてくれるということを、新しい優れたスピーカーたちが教えてくれている。BBCモニターLS5/1Aは、完成までには何度もスタジオでの原音との直接比較と精密な測定がくり返され、改良が加えられたという。こうして注意深く色づけ(カラーレイション)を取り除いたスピーカーが、一般市販のレコード再生しても本当にくつろぐことのできる楽しい音を聴かせてくれるという一事から、わたくしは多くのことを教えられた。