Category Archives: 菅野沖彦 - Page 8

ダリ Skyline 2000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 デンマークのダリのフラグシップモデルが、この製品である。ダリというメーカーは、スピーカーに対するキャリアも浅いし、一貫した設計思想を見出すのも難しく、製品群は創業以来バラエティに富んでいる。多彩なスピーカーアッセンブルの手段をいろいろ試し、自己の求めるサウンドへのアプローチの試行錯誤と、その時点での商品性との接点を求める段階にあると考えられる。しかし、このスカイライン2000というモデルは、こうした段階にあるメーカーが幸運に恵まれた例といってよいだろう。もちろん、それはただの偶然によるものではなく、その前提には、この製品への開発意欲と情熱が感じられる。同社のプレスティツジとして開発を意図したことから大胆な構想が生まれたのであろう。
 本機の3ウェイ4ユニット構成は、38cm口径のウーファーをベースに、スコーカーが11cm口径コーン型2基、そして縦に長いリボントゥイーターで高域を受け持たせている。この1・5cm幅1m長のリボントゥイーターが一大特徴だが、このトゥイーターの質感を全帯域の中で遊離させなかったことがこの製品の成功の鍵だろう。大口径ウーファーを後面開放で使ったことは実に見事なノウハウだと思う。200Hz、3kHzというクロスオーバーの設定も妥当で、ダイナミック型のユニットの選択も適切だ。このメーカーには、社長がその人かどうかは知らないが、耳のいい人が中心となってシステムをまとめていることがわかる。それも、ここ3年ぐらいにシステム化がうまくなった。そして、このデザインの現代的な美しさが、そのサウンドやネーミングと一致して、この製品の存在を一際、浮き彫りにしていると思う。コスメティックな要素と構成がぴたりと一致した傑作となった。デンマークのモダンなデザイン感覚を十分反映したもので、デニッシュ・メイドというアイデンティティにあふれたスピーカーシステムの一流品といえよう。

インフィニティ IRS-Beta

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのインフィニティは創立が1968年。創立者のアーニー・ニューデル氏がNASAの物理学者だったということで、きわめて理詰めの技術的特徴を打ち出した当時のニューウェーブであった。しかし、ニューデル氏は同時に大の音楽ファンで、特にクラシック音楽の造詣が深かったようだ。したがって、技術的にハード面の新しさを強く打ち出したことも事実だが、そのサウンドの基調には強烈なこだわりがあったと思う。後にニューデル氏は引退し、現在は3代目の経営者ヘンリー・サース氏に引き継がれている。
 2代目のクリスティ氏はニューデル氏と長年同社の技術に直接たずさわってきた人であり、創業以来一貫したスピーカーシステムの設計姿勢は守られながら、年々、リファインメントが続けられてきたメーカーだ。すでに4半世紀の歴史を持つメーカーではあるが、現代のアメリカのスピーカーシステムの潮流を創り出したといえる存在である。
 このIRS−・Betaという大型システムは、ウーファー4基をもつトールボーイ・エンクロージュアと、EMIM、EMITと呼ばれる独特の平面振動板によるスコーカー/トゥイーターが分離されたユニークなもので、低域は専用サーボコントロールアンプによる調整が可能。
 きわめてワイドレンジな再生周波数帯域と、L−EMIMが中低域、EMIMが中域、EMITが高域というように、ほとんどの音楽帯域はプレーナータイプの平面波によっていて、しかも、さらにシステムの前後面に高域をEMIMで放射させることで、特有の音場感を聴かせる点が特徴である。
 この平面波を再生するトゥイーターとスコーカーのもつ繊細なサウンドの美しさがインフィニティ・サウンドの大きな特質で、これを支える強力なサーボコントロールによる低音が音楽の基礎を安定させるバランス感覚に満ちている。大きな可能性を秘めているだけに、それだけの覚悟が必要だろう。

マッキントッシュ XR290

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのアンプメーカーとして今や最も伝統の一貫性に輝く名門マッキントッシュだが、スピーカーも独自の設計思想と、アンプに共通したサウンドのアイデンティティで知られている。このXR290は、同社の現行ラインナップのフラグシップモデルであると同時に、多くのアメリカ製スピーカーシステムの中でも、その風格と実力の両面でまさに王者の貫緑をもっているものだ。
 同社のスピーカーシステム群はいくつかのシリーズに分けられるが、高級シリーズはXRTシリーズが代表する。ウーファーとスコーカーを収納したエンクロージュアと、トウイーターコラムを完全に分離しているのが特徴の一つ。そして、もう一つの特徴は、ウーファーが2基、スコーカー1基、トゥイーターが23基という構成のXRT22(生産終了し、次期モデルのXRT26に交代する端境期にあるが……)に見られるように、マルチユニットを縦一列に並べた独特の構成にある。同社があえてステレオスピーカーシステムと呼ぶように、2チャンネル・ステレオフォニックの創成する豊かな音場の立体感を忠実に再生し、自然な音色を得るために必要な変換器としての特質に、独自の着眼点をもって長年の技術開発に精魂を傾注して完成させた力作だ。
 これを基本に、このXR290は一体型としてまとめたものだが、使用ユニットはウーファー4、スコーカー12、トウイーター24と合計40基ものユニット構成に拡大されている。見た眼には2メートルを超える高さのため巨大に見えるが、床の専有面積はLPレコード2枚分にすぎず設置場所は小さい。ただ、これだけの大型システムだから、その実力をフルに発揮させるには12畳以上の部屋が望ましいし、専用イコライザーMQ107によるルームアコースティックへの対応を念入りに調整するべきだ。よく調整されれば至高の再生音が奏でる夢のような音響世界が実現し、レコード音楽の至福を満喫できる。

JBL 4344

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 JBLの3文字ほど説得力の強いスピーカーもあるまい。ジェームス・バロー・ランシングという人の名前のイニシャルであることはいうまでもない。イタリア系移民の子として生まれた彼だが、名前を変えたらしい。ジェネレーションからして、オーディオの創成期から発達〜円熟期にかけて生きて、この名門の基礎を作った天才的な人物であった。
 JBLの商標は1950年代中頃に有名になったものだが、それを生み出したランシング・サウンド・コーポレーテッドという会社の創立は1946年だ。1902年生まれの彼だから44歳の時ということになる。もっとも、それ以前に彼はランシング・マニファクチェアリングという会社を創立し、すでにスピーカー作りに手を染めていた。1927年のこと、彼が25歳の頃だ。
 このJBL初の会社が後年、ウェスタン・エレクトリックから別れて出来たオール・テクニカル…つまりアルテック・サービス・コーポレーションと一緒になり、アルテック・ランシング・コーポレーションとなったわけで、ここから、さらにJBL・サウンド・インコーボレーテッドとして独立したのが、現在のJBL社の始まりなのである。したがって、そのルーツは1927年にまで遡ることができるから、実に67年もの歴史を持つメーカーだ。その彼も1949年に47歳で死んでいるが、その後今日まで45年間も彼の技術を基本としたスピーカー、アメリカを代表するスピーカーとして生き続ける。
 4344は、JBL全盛期を作った傑作モニターシステムで、わが国ではベストセラーを記録した。現在でも、このユーザーはJBL愛好者の中で最も多いのではないだろうか。4ウェイ4ユニット構成で、中高域にJBLらしいコンプレッション・ドライバーを持つ代表作。
 現在も現行製品としてカタログにあることは心強く、この製品へのユーザーの支持が強いことを証明している。素晴らしい製品だ。

タンノイ Westminster Royal

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 イギリス(スコットランドに工場がある)のタンノイといえば、オーディオに興味のある人で知らない人はいないであろう。特にわが国では、タンノイは神格化されているほど、絶大な存在感をもって信奉されている。それはこのメーカーの長い歴史と伝統、つまり、半世紀以上の社歴と、その間に一貫して守られてきた設計思想や製品作りの基本理念に対するもので、一朝一夕に築かれたものではない。長い歴史の中には、いろいろ困難な時代もあったし、製品にそれが反映したこともある。しかし、常に保ち続けてきた精神は、温故知新と自社の技術への信念に満ち溢れていた。そして、イギリスという国の持っている趣味性への価値観も見逃せない。イギリス趣味は基本的には合理的であり、貴族趣味と大衆性との間に明確なカーストのようなものが存在する。オーディオ趣味が大衆化するにつれ、イギリスのオーディオ製品にも、小さくて安価な大衆趣味製品が増えてきた。現代のイギリス製オーディオ機器の大半はそうした製品といってよい。しかし、その中にあって、この製品のような堂々たる風格をもつものを作り続けてきたからこそタンノイの存在は、ますます尊敬されることになる。
 内蔵するユニットは、有名なデュアル・コンセントリック・システムという15インチ口径の同軸2ウェイで、基本的に1940年代の設計から脈々と継承されてきたものだ。
 そして、そのエンクロージュアも、フロントロードのショートホーンとバックローデッドホーンのコンパウンドシステムという伝統的なもので、これはオートグラフと呼ばれた50年代のプレスティッジモデルで採用された方式。
 細部はその時代時代の技術でリファインされ続けているが、この製品は1989年に発売されたもの。そろそろ、新ユニットに代わるかもしれないが、そうなっても旧作としての価値が失われないのがタンノイの凄いところである。

私の考える一流品

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「私の考える一流品」より

 一流品という言葉を厳密に考えるとなかなか難しい。本来、そう安易に使うべき言葉ではないと思う。しかし、現代は最大級の形容詞や感嘆詞が吟味されることなく使われる時代だから、一流品という言葉もそれほど慎重に基準に照らし合わせて考えられているとは思えないのである。一流品、一級品、高級品、特級品、銘品、逸品、絶品などと、品物の格や品位の高さを表現する言葉は数多くあって、それぞれ、少しずつニュアンスは違う。一流品という言葉は、中でも「流」という字が使われていることで、流儀や流派という意味もあるのではないかと思う。つまり、個性とオリジナリティが大切な要素で、ただ、同種の品物の中で値段が最高だとか、格づけが上だとか、あるいは、最高の性能をもつということだけが、その説明にはならないだろう。そして個性やオリジナリティが、ただ他と違っていればよいというものでないことは当然で、それは優れた普遍性をもったものでなければならないとも思う。
 その証しとして、一流品というものは、多くの人々によって長い時間を通して常に評価され、敬愛されてきた実績を必要とするのかもしれないし、それを創り出した人や企業の並はずれた努力の賜であるだろう。一流品は、それを生んだ人や企業に独特のドラマがあるものだし、積年の風雪に耐え主張を貫き通して築き上げた歴史があるはずである。
 歴史というと、何百年という長い年月が想起されるのだが、現代産業にあってはそれらが大幅に短縮され数十年、時には数年という凝縮した期間として見ることができる場合もある。とくに、エレクトロニクス製品にはこうした傾向が強く、ただ時間の長さだけで一流であるか否かを決めるわけにもいかないだろう。しかし、それが数年であったとしても、そこには一貫性が必要である。
 歴史には必ずしも一貫性を必要としないが、伝統という言葉には一貫性が必須条件である。だから、仮に数年の時間しか注いでいない企業の製品であるものを一流品と認めるからには、その数年の中での一貫性と、その強い主張や思想が、将来、永続的に存在し得る普遍性をもつものとして考えられなければならないだろう。この辺が、現代のようにテンポの速い、技術革新のめまぐるしい時代にあっては、一流品という少々古めかしい日本語を当てはめるのが難しいところである。
 その点では、一級品、特級品、高級品などの言葉のほうが気楽に使えるように思える。これらの言葉のほうが単純に同種類の品物の相対的なクラス分けの意味で使うことに抵抗を感じないですむからである。これが、銘品、逸品、絶品などとなると、人の思い入れが加味されてきて複雑になる。しかし一方で、これらの言葉には必ずしも、歴史、伝統や格付けは必須の条件ではなく、むしろ、その品物単品での評価の要素が強いともいえそうだ。
 一流品となると、どうやら、これらの条件のすべてを満たすだけではなく、現代のように品物が産業として生産される時代にあっては、それを生み出す企業が一流企業であるかどうかまでが問われかねない。しかし、一流企業からだけ一流品が生み出されるとはいえないわけで、人によっては大量生産品を一流品と呼ぶのには抵抗があるかもしれない。
 企業の一流、二流……は経営的な実績や数字、つまり経済と規模がプライオリティとなるもので、製品の品位とは必ずしも一致しないと思う。だがしかし……である。一流品であるからには、その品物がユーザーにとって、あらゆる面で信頼に足るものであるべきだという意見も当然で、そうした点からは、保証や信頼性が不安になるようなものを一流品と呼ぶのは抵抗があるだろう。経営基盤のしっかりした大規模の一流メーカーの製品なら、この点でもっとも信頼できるから、一流品の条件としてそのメーカーを問題にする考え方にも一理あり、ということになる。
 しかし、ことオーディオ製品に関していえば、ハイエンドのエンスージアストの心を動かすような製品は、往々にして小規模なメーカーの製品であることが多い。メーカーが一流企業であるか否かを問うとしたら、多くのオーディオ・コンポーネントは一流品とは呼べなくなってしまう。
 ブランド品という言葉も最近では一般的だ。有名ブランド・イコール一流品という考え方はいかがなものであろうか? 有名ブランドになったからには、そのメーカーや人が大変な努力で自己のオリジナリティを広く理解されるべく、長年にわたって築き上げた歴史があると考えられる。有名ブランドが一流品だという考え方は、あながちはずれてはいない。しかし、ブランドの知名度の上に胡座をかいて、実感が伴わなくなったものもあるだろう。だから、現実的には一流品に最も近い言葉がブランド品であるようにも思われる。特に外国製品のように、創立者や製造者の個人名がブランドとして使われ、それが世界的に有名になったというものには、それなりの必然性と重みがある。
 ブランドは個性とオリジナリティがなければ他の品物の中に埋没して、有名になるまで生き残れないだろう。また、強い信念と主張で苦難を乗り越えてこなければ同じく消えざるを得ない。こんなわけでブランド品を、ただ知名度だけと考えるのもよくないし、頭から陳腐と決めつけるのも正しくない。要は、そのブランドがいかに初心を忘れず、いつの時代にあっても誇りを保ち続け顧客の満足に応える努力をしているかが問題であろう。
 さて、こんなわけで世界の一流品といえるオーディオ機器の選択には大変苦労させられた。厳格に私の考える一流品の基準で選んだら、これだけの数の製品は選べなかったと思う。かといって一流品と呼ぶからには、ただ漠然と製品本位で良いと思われるものを拾い上げていくわけにはいかない。SS誌の「ベストバイ」とは違うし、「COTY」とも違うのだ。最近こんなに苦労させられたセレクションもない。その枠が多すぎるのか少なすぎるのか、考え方によってどちらともいえる。
 言いわけがましいが、一流品という語が高級品や高額品と同義ではないことも重々承知である。しかし、どうしても数に制約を受けて選ぶとなると、高級品に片寄ることはやむを得ないのではないだろうか。編集部から渡されたリストを見ても、中・高級機器が中心で、普及機はあまりリストアップされていない。すでに述べたように一流品と品物のクラスとは別という考えを私は持っているのだが、これが現実なのだと思う。
 しかも、オーディオは趣味
である。その製品の趣味性を考えれば当然、高級機ほど高い趣味性を満たしてくれるものが多い。実用機としての一流品もあり得るのだが、ここでは趣味の製品としてという基本条件を定めて選択した。その結果、もう一つ述べておかなければならないことが出てきた。それは外国製品の数が多いということである。
 私はこの別冊の前項で、エッセイストで時計のコレクターとして有名な松山猛氏と対談をした。松山氏にとって時計は、ただ時を知るためのメーターではなく趣味である。時計の趣味となると、その対象はアンティーク時計か、外国製(ほとんどスイス製)の時計であって、それも、クォーツではなくメカニカル・ウォッチが中心となる。
 もし、時計を趣味としてではなく、正確な時を知る道具として世界の一流品を選ぶとなれば、その内容はほとんどクォーツ・ムーヴメントをもったものになり、日本製かスウォッチの1万円内外のものが並ぶであろう。対談当日、松山氏の腕についていたフランク・ミューラーのウォッチなどが選ばれるはずはない。しかし趣味の選択なら、いま、この人の作品が載っていなければ、信用できないはずである。

デンオン DL-103FL

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム篇」より

 デンオン・ブランドは、いまでこそ日本コロムビアのオーディオ機器やレコードのブランドとして広く普及したが、もともとプロ用機器の専業メーカーで、日本コロムビア傘下ではあったが独立企業体であった。DL103というカートリッジは、そのデンオンがスタジオユースとして開発したもので、各放送局やスタジオ、カッティングしたラッカーマスターの検聴用などにもっぱら使われていた製品であった。これが一般にも普及し、日本のMCカートリッジの代表的な製品として広く認められて三十年にもなろうか。その間、多くのタイプがヴァリエーションとして登場したが、このFLが最新のDL103である。現代のモデルとして素材に最新のものを使い、オリジナルDL103とは異なった味わいと共通した性格を併せ持たせている点が感心させられる。基本設計を踏襲しながら、線材や本体に新素材を使ったことが、音にそっくり現われているのであろう。

オルトフォン SPU Meister GE

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 アナログプレーヤー/カートリッジ/トーンアーム篇」より

 デンマークのオルトフォンは名実ともに、カートリッジの一流品である。アナログカートリッジを現役で生産続行してくれていることは、極めて意義深い。この製品は、そうした名門の作る数多くの逸品の中でもとくに光り輝く存在といってよい現行製品である。同社のSPUシリーズといえばアナログディスク再生に君臨した傑作だが、この製品の開発者であるロバート・グッドマンセン氏の在職50周年とデンマーク女王からの叙勲を記念して作られたものが本機。基本的にはSPUそのものだが、30年以上前に設計したSPUを現代ならどうするかが、設計者自身によって実現されたのが興味深い。Gシェル付きとAシェル付きの2種類が用意されている。オルトフォンという会社はアナログディスクの歴史とともに歩み、歴史を作ったメーカーで、アナログディスクの生産システムのメーカーでもあった。まさに、その生き証人がグッドマンセン氏であるからファンの思い入れも一入だ。

ヤマハ GT-CD2

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 一流メーカーの作るもの、必ずしも一流品ではないし、一流品が必ずしも一流メーカー製とも限らない。とくに日本のメーカーのように規模が大きく、作る商品のカテゴリーが多く、同じカテゴリーの商品の代表モデルから高級モデルまでを広く網羅するとなると、ますます、前述のことが強く考えられる。ヤマハは間違いなく一流メーカーであろう。楽器、オーディオに限らず、スポーツ用品からユニットバスや家具・住設に至る幅広い商品の全部が一流品なのかどうかは知らない。しかし、オーディオに限っていえば、そこにはたしかに一流品といえるクォリティと、製造者の意気込みが感じられるものを作り続けてきたと思う。
 本機は、本機の原機となったGT−CD1の妹分に当る製品である。普通、原機のヴァージョンアップ・モデルが残って妹分は消えるものだが、この場合、姉に当るGT−CD1が消えてしまった。妹分として、より低い価格ながら、音はむしろこのほうが好評であった結果であろう。
 木材を豊かに効果的に使い、アナログプレーヤーで培った響体のあり方へのノウハウを活かした独特な高剛性、重量構造を採用したもので、見た眼にも暖かい安定感を与えるCDプレーヤーである。グラス製の開閉リッドを持つトップローディングモデルで、ディスク・スタビライザーで回転の安定を得ている。
 外装関係でGT−CD1よりコストダウンをしているが性能的には同等だし、音質はこちらのほうが柔軟性があって暖かい。透明な音場の見透しがCD1で印象的であったが、このCD2でも、それは保たれている。
使いこなしのポイント
 低域のしなやかな厚味はこのCD2の方がよいと思われるが、これはインシュレーターや置き場所でかなり大幅に変化するので、ユーザーの使い方によるところが大きい。すべての回転機器に共通した性格だから、アナログプレーヤーと同じょうな感覚で使いこなしたい。

エソテリック D-3

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 CDプレーヤー/D/Aコンバーター篇」より

 エソテリックというブランドは、ティアックが作る高級オーディオコンポーネントに使われる商標である。同社は現社長の谷勝馬氏が、1953年に東京テレビ音響株式会社として発足した。その後、社名を東京電気音響、さらにTEACと変更して現在に至っている。谷氏の航空機エンジニアとしての技術が平和産業のオーディオに活かされ、アナログディスクプレーヤー、テープレコーダーなどの専門メーカーとして有名になった。メカニズムと同時にエレクトロニクスのテクノロジーの発展もティアックのもう一本の柱で、メカトロニクスの最先端をいくメーカーに発展したが、音楽好きの谷氏の情熱が同社のオーディオ製品を支えているといってよい。
 デジタル時代に入ってからも、CDプレーヤーやDATの開発を早くから進め、独創的なメカニズムや回路設計で独自の一貫生産の道を歩んでいる。CDプレーヤーのメカニズムはその高品位さが評価され高級トランスポートとして自社製品の評価を高めるだけでなく、他社への供給も行なっている。アメリカの高級CDプレーヤー、ワディア製品やマッキントッシュ製品にも同社のVRDSメカが使われるのは、その一例である。
 一方、本機に見られるように、単体のD/Aコンバーターも同社独自の回路技術と音質の洗練度が感じられる。D3はD2の上級モデルとして’93年秋に発表されたD/Aコンバーターであるが、デジタル・サーボレシオ・ロックドループ回路により、可聴帯域内のジッターの大幅な抑制のためか、すこぶる高品位な音質を得ることが可能となった。入出力まで20ビット処理能力を持ち、最新の特性を持つこともさることながら、この柔軟性と強靭性のバランスをあわせもつ音の質感の素晴らしさは、現在のところ疑いなく第一級のD/Aコンバーターである。エソテリック・ブランドにふさわしい、物へのこだわりを感じさせる作りの高さも一流品らしい。

オルトフォン論

菅野沖彦

オルトフォンのすべて(ステレオサウンド別冊・1994年2月発行)
「信頼と憧憬 オルトフォン論」より

 オルトフォンといえば、カートリッジの代名詞といってよいぐらい人口に膾炙している名ブランドネームである。とくに我が国においては神格化されるほど、この名前はオーラを放つ。しかも、それは、1950年代にまで遡って、多くの人々の絶大な信頼と憧憬の対象となってきたのであった。ご承知のように、LPレコードの45/45のステレオ方式が実用化したのが1957〜58年のことであるが、この方式が世界規格として普及し始めたと同時に、オルトフォンはSPUシリーズのカートリッジを開発し発売したのであった。以来35年を経た今日まで、このSPUシリーズの人気は衰えることなく、92年に発売されたSPUマイスターにいたるまで同シリーズはたえず改善に改善を重ね、驚異的なロングランを続けているのである。オルトフォンのステレオカートリッジとしては、このSPUの他にSLシリーズ、VMSシリーズ(M、MF、F型など)、MCシリーズなど、それぞれ構造の異なるシリーズが存在することもいまさらいうまでもないことだが、SPUシリーズの日本での存在感の大きさは特異といってよいもので、日本のオーディオ文化のひとつの象徴として捉え、考慮するのに値する現象だと思うのである。
 本書の発刊にあたり、その巻頭のオルトフォン論を書くように命じられたわけだが、僕としては、このSPU現象を自身のオーディオ歴を通して振り返りながら、その私的考慮をもって代弁させていただこうと思うのだ。
 SPレコード時代からオーディオマニアでもあった僕の装置は、ステレオ実用化の成った1958年当時は当然モノーラルであって、それは、かなりの大がかりなものであったため、おいそれとステレオ化する気持ちも、また財力も持ち合わせなかった。なにしろ、中学生時代から、高校〜大学を通して、自作システムでレコードを聴くことに最大の楽しみを見出していたオーディオマニアであったから、そのころには一応、自分としては終着に近い満足出来る再生装置になっていたのである。記憶をたどって大ざっばにそのラインナップを記そう。スピーカーシステムは12インチ口径のフリーエッジコーン型ウーファーで、磁気回路はフィールド型だ。ダイナックス(不二音響製)FD12というユニットで、これを自分で図面を書いて近所の家具屋さんに注文して作ってもらったコーナ型の密閉箱に収めたものだ。この低音部にコーラル(福洋音響製)D650、6・5インチユニットを3個をスコーカーとして使ったが、これはウーファーエンクロージュアの上部に平面バッフルを使って、3方向に振って固定した。そしてトゥイーターは東亜特殊電器製のHW7+AL1(ホーン+ディフユーザー)を使い、3ウェイシステムを構成したものだ。アンプは、プリ/パワー/電源と分離した。いまでいうセパレート型で、もちろん、管球式の自作だ。プリが12AX7を2本使ったCR型イコライザーで、当時のLPレコードの録音特性に5種類のカーブで対応させたマニアックなもの。RIAA、AES、CBS、NAB、FFRRという5種の異なったイコライザー特性に対応させたものだ。しかもロールオフとターンオーバーは別々の独立した多接点ロータリースイッチによるもの。パワーアンプの初段は6SJ7、位相反転に6SN7(1/2)もう1/2はパワー管のスクリーングリッドの定電圧用。終段のパワーは5932×2のプッシュプルでオートフォーマーは日本フェランティ製だった。電源部はアンプ用とスピーカーのマグネット励磁用とあって、整流にはアンプ用に5V4、スピーカー用にKX80を使ったと思う。肝心のプレーヤーシステムだが、これが一番思い出せないので困っている。ターンテーブルは、はじめは不二音響製のP6というリムドライブ型を使い、トーンアームがグレースのオイルダンプ(アメリカのグレイの製品のデッドコピーで、カートリッジも同じグレースのF2かF3(アメリカのピッカリングのコピー)だったと思う。しかし、この当時から、この道の先達が、オルトフォンのカートリッジについて技術雑誌にかかれていたのを見たりしてすでにこのブランドは知っていた。しかし、とてもとても身近に感じられるはずもなく、外国製のコピー段階にしかなかったが、国産のグレース製品の高性能で満足していたのだった。
         ●
 こんな装置であったから、ステレオのレコードが登場したからといって、このアンプ系とスピーカー系を2チャネルにすることは夢の夢。ここまでくるにも、〝ひいひい〟言いながら工面したお金であるから、とても無理な話。意地を張って、モノーラルで十分、否、モノーラルのほうが音の密度が高く、リアリティがあって、フワフワしたステレオ感や、左右への拡がりなどの効果に堕するステレオなんか……と頑張っていた。事実、どこでステレオを聴かせてもらっても、自宅のシステムを2倍にして対応したレベルのものがなく、カートリッジやトーンアームも45/45システムに経験が不足するせいか、実体感のないエフェクト走りの音が多かった。スタート時のことだから録音もステレオ効果の演出に気をとられたものが多かったように思う。
 しかし、レコードは新しいものが、どんどんステレオで発売され、それらの演奏を聴きたいとなると、プレーヤーからステレオ化を始め、L+Rのモノーラルで聴くのがよいと思い始めるようになるのである。この辺からが、プレーヤーの記憶が混乱し始めるのであって、スピーカーシステムやアンプ群は明確に記憶しているわりには、プレーヤーシステムのそれがあやふやなのである。
 ところが、いつかは、はっきりしないけれど、オルトフォンのSPU−GTカートリッジを買った記憶は実に鮮明なのである。たぶん、’63〜’64年ぐらいの時期だと思う。トーンアームは

私とJBL

菅野沖彦

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「私とJBL」より

 僕のオーディオライフにとってJBLはきわめて大きな存在だ。どう大きいのかとなると一口にはいえない……。まず、僕の人生の一大転換期と、僕がJBLを使い始めた時期が一致しているということは忘れ難い。
 それは1967年に遡る。もう26年も前で、今も使っている375ドライバーと537−500ホーン、そして075トゥイーターを手に入れたのがその年であった。この年まで僕は録音制作の仕事をサラリーマンとしてやっていた。独立を考え始めたのは’66年頃からだったが、その考えがいよいよ固まってきたのは,’67年後半。そして実際に会社を辞めて独立したのが翌’68年であったと思う。録音制作の仕事で独立するとなると、プロとして最低限の録音機械が必要だった。身一つでフリーになって、仕事は貸スタジオでやるか、必要な機械はレンタルで……というような考えは今の話で、当時はそんな世の中ではなかった。特に僕の場合、スタジオ録音をサラリーマンとしてやり続けてきた揚句、自分が本当にやりたい仕事は、対象となる音楽にふさわしい自然な音響環境を得ることからスタートするものだったから、録音機械は持ち込むのが原則。しかも、僕は子供の頃からのオーディオマニアであったから、機器への愛着が強く、自分の触角としての使い馴れた機械でこそ、自分の納得のいく仕事が出来るという考えを強く持っていた。そんなわけで、その都度レンタルで機器を調達する方法や、貸スタジオでの録音だけに依存して独立することは考えられなかったのである。当時、プロのカメラマンとして独立するのに必要最低限の機械購入にはどのぐらいの金額が必要かは、仕事のつき合いのある親しいカメラマン達から約100万円と聞いていた。ところが、録音となるとフリーの仕事としては全く前例がなかったので、自分で判断する以外になかった。絶対必要なテープレコーダーだけでも150万円はしたし、マイクロフォンも10万〜15万円はした。正確な記憶はないが、当時の僕としては相当な額の借金をしたのである。また録音機械もさることながら、自分の再生装置も趣味と仕事の両方にかなうものにしておくことが必要と考えていた。つまり、録音制作の仕事に加えて20歳代の頃からやっていたオーディオやレコードに関する評論も本格的に始めるつもりであったから、自分の音の基準として納得が出来る再生装置を整えることも仕事上の責任と考えていたのである。
 こんなわけで当時の僕の再生装置であったワーフェデールの3ウェイマルチアンプシステムをJBLのホーンドライバーによるものに変更し、客観的にも、より説得力のあるものにしようと思ったわけだ。ずっと、僕の自作システムは、コーン型のスピーカーユニットでマルチウェイを構成してきたのだが、その間、いつも一度は外国製のコンプレッションドライバーとホーンを使ってみたいものだと憧れ続けていたのである。
 ところで、こうしてJBLを自分で使い始める時期より前に、僕は375+537−500と075の組合せが聴かせる音に圧倒的ショックを受けた経験がある。それは、後に山水電気の社長になられた伊藤瞭介氏が、新宿ショールームの所長時代のことで、伊藤氏が当時ぞっこんほれ込んでJBLの代理権を取った直後のことである。ドラムスのスネアーの響き、タムの鳴り、ジルジャンのシンバルの倍音、ピアノのリアルなタッチ、そしてヴァイオリンの艶っぼく、ぬれたような擦過音の魅力に大ショックを受けた。その音は今でも思い出せるほどだ。それまで、その癖のために、ホーン嫌いで通してきた僕だったが、この体験で僕は目が覚めた。JBLは明らかに僕の耳を開き、オーディオの可能性についての認識を改める大きな役割を演じてくれたのだった。それ以前にもハーツフィールドやパラゴンなどの、あまりにも美しく立派なJBLの姿は知っていたけれど、その立派さ故に、若い僕には無縁の存在だと決め込んでいた。それに自作時代でもあったから、メーカー製のシステムには、ユニットに対するほど興味と関心がなかったのかもしれない。しかし、よく考えてみると、あの美しいデザインのエンクロージュアにはやはり畏敬の憧れは持っていたようだ。20歳の僕にとって、あの家具のような立派な装飾品は自分の所有物の範疇にはなく、社長さんや重役さん、あるいは大臣のような偉い人のものだという感覚があったのかもしれない。今のオーディオにはどうしてそんな風格のものがないのだろう? 今は、子供でも好きならJBLの3文字のついた商品を買える。コントロールマイクロでもJBLはJBL。ペアで3万6千円で買えるというのは羨ましいような、可哀相なような……。
 僕にはJBLの3文字は尊い尊いものである。異国文化の豊かな香りが馥郁と漂い、手の届かぬ神秘のようなテクノロジーへの憧れの象徴である。

アインシュタイン Integrated Amp.

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 今年の秋に本邦にデビューしたドイツ製のプリメインアンプである。新しいメーカーの新しい製品を一流品として紹介するのは勇気のいることである。一流品は一流メーカーが作るものでなければならないが、一流メーカーとは一朝一夕に出来上るものとは限らない。もちろん、企業の規模とは無関係とはいうものの、あまりにも経営基盤が弱かったり、不安定であったりすれば、どんなに高邁な姿勢であってもユーザーに不信を与えることは畢竟だからである。また、いかに大資本であっても、その姿勢が営利の追求だけのようなメーカーは、ここで一流メーカーとして扱いたくないし、そういうメーカーの製品を一流品とするわけにはいかない。
 この会社は’87年の創業だから、まだ4年足らずの新しいメーカーだ。ロルフ・ハイファー(技術担当副社長)の開発になる同社の製品は、このアンプの他にチューナー、スピーカーシステムがあり、さらにスーパーD/Aコンバーターを開発進行中である。もう一人の副社長フォルカー・ボールマイヤーはハイファイ事業に経験の豊かな人らしく、この他にもいくつかの製品の開発製造にかかわっているという。社長のゲルハルト・ロルフ・ファン・ベルズワード・ウォールラブが財務担当の資本家らしい。また、管球式アンプやEMTとの提携によるカートリッジ製作など、強いハイファイ志向を持った企業であることがわかる。さらに、アインシュタイン社にはRIFFというレーベルのレコード制作部門もあるらしい。この25mm厚のアルミ削り出しフロントパネルにステンレスケースの美しいアンプを一目見れば、この社のオーディオへのセンスと情熱が理解できるはずだ。8Ω60Wのパワーは1Ω負何400Wまで保証される実力をもったもので、MC/MMのフォノイコライザーも備える完全なインテグラルアンプである。電源まわりを見ても本格派の設計であり、その音の純度の高さが納得できるものだ。

テクニクス SE-A5000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 テクニクス・ブランドというのは、いまさらいうまでもなく、松下電器がオーディオ製品の本格派にだけ使うブランドとして誕生したものである。しかし、一時は大メーカーの節操のなさといおうか……このブランドが作ったイメージの良さを普及製品に大々的に使って、ナショナル・ブランドと差のないものにしてしまった。ここ20年間くらいのことだろうか……。かくしてオーディオという理想郷は消滅し、ただのファッショナブル電機産業と堕してしまったかの観がある。〝テクニクス〟がその本来の主旨を一貫して守り、それにふさわしい〝クォリティセールス〟の体質を築き上げていれば、いまのオーディオ業界もファンの質も違っていただろう。そうした意味で、このブランドの歩みは象徴的であった。同社の一般ブランドはナショナル、そして音響機器にはパナソニックを用いているが、そうした中でこの〝テクニクス〟は今後、本来のクォリティオーディオに使われるようになるらしい。それにしても松下は、長年オーディオの研究開発に終始一貫して真正面から取り組むメーカーであり、とっくに撤退してしまった他の大電機メーカーとは異なる。〝テクニクス〟が本格的なクォリティオーディオの象徴として新しい時代を築くことを信じている。このSE−A5000は、そうした背景の中で〝テクニクス〟を厳選したスペシャルブランドとすべく誕生したパワーアンプであって、プリアンプSU−C5000とペアを成すものである。多様化した現代のプログラムソースをコントロールする多目的プリアンプであるが、フォノイコライザーも持つ。それだけにその出力をパワードライブするSE−A5000の質へのこだわりにはテクニクス・ブランドに恥じないだけの内容を実現した。きわめて繊細な美しさを持つ音のマチエールは独特の魅力をもち、日本の製品ならではの精緻さといってよいもの。決して濃厚ではないが、透明でしなやかだ。

マッキントッシュ MC7150

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のパワーアンプが1946年出願の特許による基本回路の伝統の延長線上にあることはMC2600の項で述べた通りである。このMC7150は最新の製品であるが、伝統のオートフォーマーを搭載している。150W+150Wというパワーが2Ω、4Ω、8Ωで確実に得られるのはOPTのためだし、アンプ保護やスピーカーへの保証の役目も果すのがこのトランスのメリットである。しかし、さらに重要なことは、このトランスによる音質の有機感といおうか、暖かく血の通ったサウンドの質感にトランスが寄与しているという点である。トランスのもつバンドパスフィルターとしての性格は、良きにつけ悪しきにつけ音質に影響をもつものだが、マッキントッシュ・アンプの音の肌ざわりの自然感は、このOPTと無縁ではないと思われる。加えて、マッキントッシュのパワーアンプには〝パワーガード・サーキット〟という、許容出力以上になると動作する一種のリミッターがついていて、決してクリッピングを聴かせることがないことも大きな特徴だろう。ソリッドステートアンプのハードディストーションがわずかなピークでアンプの音の印象に与える悪影響に着目した、前社長のゴードン・ガウ氏時代に開発されたこの回路によって保証される安定した再生音は、特にこのMC7150のような小パワー?(それでも同社のパワーアンプとしては最小である)のアンプの場合に特に有効である。グラスパネルにブルーメーターとレッド、グリーンのイルミネーションは、この製品をさらに魅力的なものにしている。フルグラスパネルの不売僧こそマッキントッシュのアイデンティティとして高く評価され、多くのユーザーの憧憬となっているものだ。39万円で本物のマッキントッシュのパワーアンプが買えるというのがこの製品の最大の魅力だが、この明朗で透明なサウンドはスピーカーの能率さえ高ければ上級機無用のものである。

マッキントッシュ MC7300

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のアンプの特質については、そのフラグシップモデルMC2600の項で述べた通りであり、総合的に同社のアンプは世界一の優れた製品だと思う。最近ますますこの信念を確認させてくれるのであるが、それは同社が一貫して伝統的な主張を曲げずに新しいテクノロジーでリファインしたニューモデルを出してくるからだと思う。新製品のための新製品を矢つぎ早に出したり、ただ昔のものを作り続ける姿勢ではなく、必然性をもった新製品を出すからである。この製品はMC7270という従来の代表モデルの後継機として6年ぶりに発売されるもので、すでに発売されたMC2600とMC7150の中間に位置する製品だ。これでパワーアンプの新シリーズ3機種がそろったわけで、次は多分プリアンプの新シリーズが出てくるだろう。フルグラスパネルとなったMC7300は、外見上はパネル面がさらにマッキントッシュ・イメージを強く表現しているが、本体はカバーで被われたためトランスやコンデンサーが直接目に触れなくなった。この点、やや平凡な箱型アンプ化した感じでもあるが、中味は従来よりさらに充実し、ソリッド化している。新設計の出力トランスは大型化したため、今までのものとは逆向きにシャーシ底部にギリギリ下げて搭載され、トランス上にドライバー基板がおかれるという変更を受けている。全体のサイズを拡大しないで300W強/チャンネルに実力アップし、歪みを一桁以上低減した結果だ。カバーをとるとぎっしりつまった内容に驚かされる。無駄な空間は皆無。まるでソリッドな鉄の塊のようで、外から見た印象で持ち上げようとしても上がらないほど重い。しかし、その音はふっくらと豊かで、透明で、漂うような空間感を聴かせる。従来の同社のアンプの重厚さは実音のマスに十分現われているが、この明るく楽しい軽やかな空間感は新鮮だ。 価格は他の他の輸入品と比べるとこの倍でも十分通用する。

アキュフェーズ P-800

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 アキュフェーズはC280Vのところでも記したように、日本のオーディオメーカーとしては最もむずかしい規模と企業サイズを維持してアンプ専門に発展してきた。大きすぎても小さすぎてもユーザーを満足させる製品の開発と営業姿勢を保ち難いのが、このような趣味製品を製造販売する企業の抱える問題点である。製品の種類や製造量を増やすことは大メーカー化することであり、量産量販の世界へ踏み込むことになってしまう。かといって、あまりに小規模のままでは、やがて経費だおれで老化の道は目に見えている。しかし、これに取り組んでこそ真のオーディオ製品を作り得るし、結果的に真のオーディオマーケットから支持される。玩具を洪水のようにマーケットにぶちまけて利益を上げ、その余力で本格的なオーディオ製品を作っても、ユーザーはついてこない。メーカーの体質としても、技術も営業も、量産量販と少量集中型とでは全く異なるはずである。オーディオの一流品のむずかしいところはここである。いくら一品生産の高級品とはいっても、ガレージメーカー製の信頼度の低いものは一流品とは認め難い。また、一部上場の一流企業の製品だから一流品などと呼ぶのはとんでもない誤解である。
 P800は同社のステレオパワーアンプのフラグシップモデルで、8Ω400W×2のパワーをもつ。この上に8Ω1kWのM1000というアンプがあるが、モノーラルアンプだ。低インピーダンス負荷への対応も考慮され、インピーダンス切替スイッチで1Ω600W×2の対応が可能。使用条件によってはオプションで冷却ファンも用意されている。同社のアイデンティティといえる大型パワーメーターをもつパネルフェイスが印象的だが、緻密で繊細な解像力は日本の製品らしい端正さを感じる。いかにも専門メーカーの製品らしい造りの確かさと上質な仕上げは、音の特徴とも一致して微粒子感の精緻な質感をもっている。

サンスイ B-2302 Vintage

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 サンスイはトランスメーカーからスタートしてオーディオの総合メーカーとして発展。少々発展しすぎた点では同業で当時〝オーディオ御三家〟といわれたパイオニアやトリオ(ケンウッド)と共通した体質変化であった。パイオニアはLDの開発をはじめ、かなりマルチプルに大企業として発展を遂げたし、トリオは今は中級オーディオに的をしぼっている。サンスイは経営的困難を抱えながら高級〜普及機の広レンジのオーディオで頑張ってきたが、ついに外国資本が入って再建中である。しかし、従来からの体質は現体制下でも維持し続け、本来のオーディオの一流メーカーたり続けようという意欲をもっているのが喜ばしい。高級オーディオ機器の代表ということになるとこのパワーアンプが挙げられるが、B2301を原器としてリファインし続けてきた熟成の製品である。バランス伝送、バランス増幅という基本的回路コンセプトを土台に最新の素材とテクノロジーを投入し、入念な練り上げをおこなったアンプである。パワー素子LAPTは、サンスイのオリジナル開発で東芝が製造するハイリニア素子で、従来のトランジスターより格段に高い遮断周波数特性をもつ。すでに同社のプリメインアンプに採用され評価も高い。このパワー素子以外のパーツも抵抗、コンデンサー、線材のすべてにわたって試聴により最終セレクトされたアンプであり、作りっぱなしでよく鳴るただのアンプとは次元を異にするオーディオ製品らしいオーディオ製品だ。各所に剛性と防振の見直しがなされているし、ノイトリック製バランス入力端子やWBT製スピーカー端子が使われるなど並々ならぬこだわりの見られるのがうれしい。音は力強く弾力性に富んだ低音の深々とした響きに支えられたウェルバランスなものだ。しかし、従来のアンプよりさらに鋭敏で、素直な音色の多彩な変化が印象的である。楽音の変化に対するレスポンスが見事である。ゴールドパネルも新鮮だ。

ボルダー 500AE

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 ボルダーは昨年から日本にも導入されたアメリカ製のアンプである。コロラド州ボルダーにあるメーカーで、ブランドは地名からとったらしい。製造者ジェフ・ネルソンはスタジオ・エンジニアとしてのキャリアの後、故郷のボルダー・コロラドで、この仕事を始めたと聞いている。いかにも、そうしたスタジオのプロとしての経験が生きているアンプ作りで、外観にもデザイン(回路設計)にも、そして音にもプロサウンドのイメージが濃厚である。メーカーとしては新しいので、背景やブランドを一流品として扱うのは早いと思うが、この製品に接してみて、一級品であることは間違いないところ。あとは、この製品がどう一般に評価されるか、そして、その結果このメーカーの存在がどう定着していくかによって、名実ともに一流品として認められることになる。それには、メーカーとしての技術レベル、フィロソフィ、そして企業としての堅実性などが問われるわけだ。一流品は出来ても、一流ブランドは一朝一夕にして出来上るものではない。しかも、オーディオのような趣味製品は一流企業ならよいものが出来るというものではをいから、一にも二にもユーザーの評価にかかっているといえるだろう。プリアンプとパワーアンプでスタートしたボルダーの成長を期待したい。このパワーアンプ5500AEは、500シリーズの基本モデルとでもいうべきものなのだが、発売順ではこれにボリユウムや各種インジケーターの付いた製品が先に出て、シンプルな500AEは後で発売された。プロ機らしいモジュール構成的思想はボルダーの特徴だが、非常に合理的で高性能なアンプだと思う。音もプロ機らしい安定感を第一の特徴とし、豊かな力感と厚みのある質感は、一聴して高いクォリティを感じさせる。陰影の濃密な立体的な音像の出方はリアリティが豊かで、ウェイトが感じられる。低域がしっかりしていてグラマラスなバランス感だが重すぎない。

マッキントッシュ MC2600

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のパワーアンプのオリジナリティとアイデンティティ……それは1946年にF・H・マッキントッシュとG・J・ガウの両名によって発表され特許出願されたマッキントッシュ回路にそのルーツがある。この回蹄の特許は1949年に下りて、マッキントッシュ社の創立、第1号機発売ということになるのであるが、この回路のポイントはSEPP回路での画期的な歪みの低減にあった。B級プッシュプルの高効率とNFBによる低歪率とを高い次元で両立させたこのマッキントッシュ回路には、バイファイラー巻きによるユニティカップルドのOPTが力を発揮した。1次線と2次線が同時に巻かれたこのトランスがあってこそ実用になった回路なのである。当時日本のアマチュアが、この回路を技術誌で見て製作に挑戦したものだが、トランスの入手が不可能なため失敗に終ったという話は有名だ。マッキントッシュとOPTはこのように誕生時より切っても切れない関係だし、もちろん同社の製品に使われるOPTはすべて自社製である。
 ソリッドステートパワーアンプに移行したのは1968年のMC2105からだが、OPTレスにメリットがありと信じられていたソリッドステートパワーアンプが、OPT付きで登場したことに世間はあっと驚かされたのである。当然議論百出したが、今ではOPT付きのメリットが完全に認められてしまった。一時はマッキントッシュの技術は古いからトランス付きなのだというデマも飛んだが、マッキントッシュは平然と安価な製品からOPTをはずしてしまっている。つまり高級アンプがOPT付きなのだ。MC2600は、マッキントッシュのフラッグシップモデルの最新ヴァージョンだが、OPTが新設計され、さらに低歪率化とワイドレンジ化が実現した。600W×2のハイパワーアンプとしては信じられないほど繊細で美しくもあり、当然重厚で力に満ちてもいる。しかもすごく安くお買得だ。

レステック Vector, Exponent

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 わが国には新しく紹介されるドイツの製品である。ドイツにはこのところきわめてエンスージァスティックなハイエンド・オーディオメーカーの台頭が目立っている。20年ぐらい前までは、プロ機器はともかく、一般用の再生オーディオ機器の分野にはテレフンケンやグルンディッヒのような大きなメーカーの一体型の製品が多く、いわゆるコンポーネントは目につかなかった。この理由として、ドイツ帰りの通と呼ばれる人たちは、どんな小都市にもオペラやコンサートホールがあるドイツではレコードやオーディオは趣味として成り立たないのだと説明してくれたものである。しかし、それは全くの誤りであって、当時ドイツはただ単にオーディオの後進国であっただけである。その証拠に、いまやドイツのハイファイは年々隆盛で、ドイツ製のコンポーネントの種類はメーカーの数とともに年ごとに増大している。わが国への輸入も徐々に増え、スピーカーシステム、アンプリファイアーともにドイツらしい造りのしっかりした高級品が見られる。このレステックというブランドも耳新しいが、製品を見ればその強固な主張と明確なコンセプトが理解できる一級品であって、トータルシステムが構成できる全カテゴリーの製品が用意されている。その一貫したフィロソフィを音として確認するためにはトータルで使用すべきかもしれないが、アンプを独立したコンポーネントとして使ってみても、このメーカーのクォリティへのこだわりと音への主張が理解できるであろう。ヴェクトルもエクスポーネントも一貫してソリッドで磨きぬかれた輝きの質感と、力感に溢れる音のウェイトをもっている。厚く丸く、きりっと締った魅力的な高密度な音である。 その外観の絢爛さはドイツ製品らしさであり、一時代前のメルセデス・ベンツの雰囲気だ。不思議なことだが、他のドイツ製高級アンプと共通のこの重厚なポリュウム感とソリッド感は、ドイツの音の特徴ともいえる個性である。

マッキントッシュ C34V

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 1949年の創立になるマッキントッシュ社は、今やスピーカーもCDプレーヤーも製品群にもつ総合メーカーだが、もともとアンプの専門メーカーとしてスタートした。アンプの一流品としては現在最古のブランドといってよいだろう。初代社長フランク・マッキントッシュ氏の氏名がそのままこの社のブランドになっている。2代目の社長ゴードン・ガウ氏は創立時から実際にマッキントッシュアンプを設計した技術者であった。1950年代にはマッキントッシュとガウの連名で回路特許が見られるが、今や2人ともこの世を去ってしまった。しかし、マッキントッシュの製品は頑固なまでにオリジナリティとアイデンティティを守る体質によって、一貫してマッキントッシュらしさに満ちているし、このアンプの存在がオーディオの世界をここ30年余りにわたって豊かに彩り、重厚な深みを与えてきた功績は大きい。まさに一流メーカー、一流ブランドの見本のような足跡がマッキントッシュの歩んできた道である。昨年からこの社のオーナーシップが日本のクラリオン株式会社となり注目されたが、旧来のマッキントッシュ社の伝統と実績の延長上でさらなる発展飛躍に向けて意欲的な再出発を始めることとなった。パワーアンプMC2600、MC7300、MC7150の3機種はこうした新しいマッキントッシュから発売された最新機であるが、すべてマッキントッシュらしさをいささかも失うことなく、新しいテクノロジーでリファインされている。プリアンプも計画中と聞くが、現在のところこのC34Vが最高級機の位置にある。発売以来5年経つが、これだけ豊富な機能をもつ使いよいコントロールセンターとしての機能と、音質のよさを併せもっている製品は他に類がない。まさにマッキントッシュならではのプロの腕の冴えが感じられる製品で、美しいグラスイルミネーションには持つ喜びと使う喜びが満たされる。豊潤で明るく、かつ重厚な音だ。

アキュフェーズ C-280V

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 アキュフェーズは高級アンプ専門メーカーとして1972年に設立された。来年で20周年を迎える。旧トリオ株式会社(現ケンウッド)の事実上の創立者である春日仲一、二郎兄弟がトリオと別れて組織した純オーディオ企業である。現社長の出原眞澄氏も創業時に参加した一人で、個人的にもオーディオを愛するエンスージアストである。創業時には社名がケンソニック株式会社で、商標がアキュフェーズであったが、10年後にアキュフェーズに統一された。高級セパレートアンプ群を中心にブリメインアンプやチューナー、CDプレーヤー、グラフィックイコライザー、チャンネルディヴァイダーなどのエレクトロニクスとサウンドテクノロジーの専門技術集団としてソリッドな体質に徹し、いたずらに営業規模の拡大に走ることを戒めてきた企業である。当然、その体質は製品に反映して多くのファンの支持と信頼を得ている一流品であり、ブランドである。C280Vは、現在同社の最新最高級のプリアンプであるが、その原器は1982年発売のC280である。その後、C280Lを経て、3世代目のこの製品に発展した。オリジナC280において実現した基本構成はそのままに、細部の改良リファインを行なってきたものだ。電源部からすべてを完全にツインモノーラル・コンストラクションとした内部のレイアウトはメカニカルビューティと呼ぶにふさわしい魅力をもつ。各ブロックをシールドケースに収納した美しい造形である。全段A級プッシュプルDCサーボアンプ方式で、入力は安定性の高いカスコード・ソースフォロア。出力段はコンプリメンタリー・ダーリントン・プッシュプルである。本機で最も大きなリファインはCP抵抗素子による4連動ボリュウムコントローラーの採用だろう。この低歪率ボリュウムが象徴するかのように、一際透明でシャープな音像への迫真が鮮かに実感される音が得られている。

BOSE 901VC

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのボーズ社については、もう今さら説明の必要もないほど有名なブランドになった。MITの教授であるアマー・ボーズ博士が創立したこのメーカーの理念といってよいのが、この901である。1966年に8分の1球体というユニークな呼吸球フルレンジユニット22個を使った2201がその原形として作られたが、翌年、これを商品性を高めてリデザインしたシステムが901である。つまり、901はすでに四半世紀の歴史をもつているが、その現行モデルが901VCである。
 901というナンバーが示すように、システムは11・5cm口径の全帯域ユニットを9個内蔵し、その中でリスナーに向かって直接音を放射するユニットは1個だけ。残り8個はすべて後面に取り付けられている。アコースティックマトリックス型と呼ばれるエンクロージュアもユニークで、9個のユニットの内圧を実に巧みに処理してアコースティカルコントロールをしている。アクティヴイコライザーが付属しているが、スタンドや吊金具は別売である。ボーズ博士の直接音と間接音の比率が、自然な音の録音再生の重要なファクターとなるという理論を実践したのがこのシステムであるから、ボーズある限りこのシステムは存在し続けるであろう。小口径ユニットの高リニアリティの技術はボーズ社の得意とするところだが、それはこの901シリーズのために必要な技術であった。今や小型システムを一つのカテゴリーとして確固たるものにしたばかりではなく、そのハイリニアリティ性とパワーハンドリングの大きさでPAやSR用としても大きなシェアをもつボーズ社のシンボル的銘器といえるのだから、この901VCの存在感は大きい。一流品たる所以である。大き目の部屋で、このシステムと壁との距離をカット&トライで調整し成功した時の901の音の素晴らしさを知る人は意外に少ない。それだけ、取組み甲斐のある趣味的スピーカーでもある。

アクースティックラボ Bolero Grande

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 スイスのアクースティックラボから発売されているスピーカーシステム〝ボレロ〟シリーズのトップモデルである。この会社は1984年の創立だからまだ7年目という若い企業である。しかも社長のゲルハルト・シュナイダーは現在25歳というから、驚くべきことに18歳でこの仕事を始めたことになる。実際の製品は1986年から世に出たということだが、それにしても彼が20歳のときである。ベルン州レングナウ村の時計メーカーで働き、生来の音楽好きの性格から収入のほとんどをオーディオに注ぎ込んでいたらしい。時計製造の職人としての修行で精密な手仕事を身につけ、趣味のオーディオ機器の製造業で一本立ちしたというわけだ。彼の処女作〝アルゴン〟という小型システムは日本へは輸入されなかったが、スイスでは高い評価を得て順調なスタートを切った。昨年わが国に輸入された〝ボレロ〟はやはり小型システムであるが、その輝くように緻密でソリッドな音の質感に私は魅せられた記憶がある。ピアノフィニッシュの美しいエンクロージュアに納まった2ウェイシステムで、本誌の90年度コンボーネンツ・オブ・ザ・イヤー賞にノミネートしたが、惜しくも入賞はしなかったものだ。その後、さらに小さい〝ボレロ・ピッコロ〟が輸入されたが、この〝ボレロ・グランデ〟は3ウェイのトールボーイ型の上級機種である。とはいっても、ウーファー口径が125mmだから決して大型システムではない。エンクロージュアはピアノフィニッシュのブラックとブルー、それにウォールナットとオークの4種あり、高剛性の緻密な造りだ。3ウェイとはいえ125mm口径の全帯域的な使い方によるスコーカーが中心であるため、自然な帯域バランスの美しいまとまりを持つ。〝ボレロ〟と共通のジュウェリーでクラルテな響きを持ちながら、無機的な冷たさを感じさせない魅力と高品位なクォリティは、このサイズのシステムとして間違いなく一級品である。