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マークレビンソン ML-7L + クレル KSA-100

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 この組合せは、どちらのアンプの持味も強調されるといった感じであった。いずれも素晴らしいアンプだから、その結果の音が悪かろうはずはないのだが、一つの音として決っているとはいえない。つまり、KSA100のあの魅力的な高域は、さらに強調され、ML7Lの彫琢の深い厳格な音の陰影も、より隈取りが濃くなるといった印象だ。このように絶妙なバランスとはいえないが、客観的には、実に立派な音としかいえない。

マークレビンソン ML-7L + パイオニア Exclusive M5

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 精緻な音。よく締まったソリッドな音像感、豊かに迫る押し寄せるかの如き力のある音の幕。ディテールの再現も緻密で透徹であった。少々、マーラーには情緒性に乏しい音の世界のように感じられたけれど、立派な音には間違いない。ストラヴィンスキーなどはもっとよいだろうと感じた。ヴォーカルは、透明で淡彩な中に粘りのある不思議な感覚で聴いた。これは男声にも女声にも感じた。これが正確な音色再現かもしれないが……?

マッキントッシュ C33 + MC2500

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 MC2255との組合せも高品位の音だったが、この組合せはいちだんと素晴らしかった。従来、質的なデリカシーでは、MC2255のほうに歩があるという印象であったが、今回の試聴では、質量ともにMC2500との組合せが勝っていた。マーラーの響きは、重厚で柔軟性に富み、絢爛としたオーケストラの細部も見事に浮彫りにしながら、圧倒的な安定感のあるトゥッティの迫力。ピアニッシモも、十分繊細でしなやかな弦の音。見事な音だ。

マッキントッシュ C33 + MC2255

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 元気潑剌とした鳴りっぷりでいて、決して荒くならない。ただ、いつも僕が聴くこの組合せでは、もっとキメの細かい透明な音だったが、ここでは勢いのよさのほうが前面に出た印象である。ピアノ伴奏ヴォーカルでは、この組合せでは、低域の盛り上りはなくなり、きわめて豊かだが締った低域で、ヴォーカルもかぶらない。ジャズのベースも弾力性に富み、決して混濁しないで、豊かで力強い。質感ともによいバランスだ。

マッキントッシュ C33 + デンオン POA-8000

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 やや肌ざわりの冷たい音だが、滑らかさはあるし、ワイドレンジにわたって締まった音。マーラーの響きとしては、もっと熱っぽい音がほしいと思ったが、これはこれで現代的な響きで決して悪くない。組合せとしては、少々異質であることが、ヴォーカルを聴くとよくわかり、どこといって欠点として指摘するほどのことではないのだが、声質にはやや不自然な感じが出る。中低域の力と量感に対して、高域が質的にうまくバランスしない感じだ。

マッキントッシュ C33 + サンスイ B-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 どういうわけか、低音が出すぎる。もの凄い量感だ。前にもこの組合せで聴いたことがあるが、そのときはこんなではなかった。しかし、音の質感はしっかりした骨格と芯の周囲に、弾力性のある適度な肉づきと、滑らかな皮膚がほどよくバランスした自然なもので、マーラーの響きの重厚さと絢爛さは素晴らしい。ヴォーカルの質感も暖かく、リアリティのあるもの。ジャズでは前述のようにベースが重すぎ、やや鈍重にすぎたようだ。

クレル PAM-2 + マークレビンソン ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 キメの細かさ、滑らかさ、充実したソリッドな質感などでは、クレルKSA100に匹敵する高品位な再生音だと感じた。しかし、どこかに、こちらのほうがひややかな感触があって、マーラーの響きにやや熱さの不足を感じる。僕の受けとっているこのレコードの個性とは、やや異質なものを感じた。ピアノの低音が少々ダンゴ気味になり、ジャズのベースも、音色的に鈍さがあって、重くなりすぎる嫌いがあった。

クレル PAM-2 + パイオニア Exclusive M5

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 明晰で、広い拡がりをもったステレオフォニックな響き、鮮かな音色の鳴らし分けは見事といってよい。このマーラーの音としては、やや厚味とこくに欠けるものとはいえ、大変魅力的なサウンドであった。フィッシャー=ディスカウの凛とした声の響きは立派。反面、彼独特の口蓋を生かしたふくらみのある響きは、やや不満がある。つまり、響きに硬さ一色に流れるような傾向があるようだ。ジャズではソリッドで明快な素晴らしさだ。

クレル PAM-2 + エスプリ TA-N900

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 KSA100のときのような特徴的な音ではなくなるが、大変よいバランスで、楽器の質感の響き分けもよい音。やや輝きの勝った音で、くすんだ陰影といったニュアンスには不足するが、明快な音が美しい。ただ、ごく細かいハーモニックスの再現には不十分なようで、楽音がどこかつるっとして、食い足りなさが残るのが気になった。ジャズのベースなど、中低域の質感に、ときにそうした感じが強く、力感は十分なのだがいま一つの不満。

AGI Model 511b + アキュフェーズ M-100

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 この組合せにおけるオーケストラの音は、豊かさや重厚さに欠ける。その代り、透明な中高音域の質感は、特筆に値する美しさであった。マーラーのシンフォニーの響きとしては必ずしも私の好みとはいえないが、これが古典派の曲なら捨て難い魅力だろうと思う。フィッシャー=ディスカウも、少々細身の声で、テノールがかる。ピアノの明瞭な響きは美しい。ジャズは、明瞭だが、低域の押し出すような重量感が物足らなくもう一つの感じだ。

クレル PAM-2 + KSA-100

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 KSA50のところでメモした〝クラルテ〟の魅力は、このパワーアンプも同じ。それにここでは同じクレルのプリとの組合せだけに、一段とその魅力は冴える。オーケストラのテクスチュアは、餅肌のような、しっとりと滑らかで、ふくよかだ。ちょっと聴きにはやや細身で、線の細さを感じるほどデリカシーをもった音ながら底力も十分。ヴォーカル、ピアノの音色の機微も鮮かに鳴らし分ける。ジャズも過不足なし。

カウンターポイント SA-1 + マークレビンソン ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 不思議なもので、この組合せでは、パワーアンプの個性で鳴ってくれるようだ。つまり、KSA100のときより、これはML3の音だなと感じる音になる。聴感上のナローレンジ感もそれほど感じられず、むしろ現代的ですっきりした音になる。ヴォーカルを聴いても、特に魅力が生きるとはいえないが、中低域のこもりはML3をクレルのプリと組み合わせたときより少ない。しかし、ML3の能力が十分発揮されているとはいえない。

AGI Model 511b + スレッショルド S/300

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 レンジの広いオーケストラを聴くと、この組合せはやや狭い帯域レンジのように聴こえてくる。それだけに、音楽の重要なスペクトラムが朗々と鳴り、明るい中音が魅力的だ。ハイエンドとローエンドが目立たない、落ち着いて聴ける音といえるだろう。男声の低音成分がもり上らないので、いわゆる胴間声にならない。ジャズのベースも締まって、よく弾み明快である。各レコードのもつ音の質感を、控え目だが、品のよい響きで伝える。

カウンターポイント SA-1 + クレル KSA-100

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 この優れたパワーアンプとの組合せは、正直にいって、どちらの良さも十分発揮されないもので、KSA100の高域の美しさも出てこないし、かといって、SA1らしい暖かい自然音の魅力ともいえない音になる。したがって、マーラーでは、オーケストラの帯域レンジに不満があるし、かといって、ロマンティックな表現に合った質感も不十分。ヴォーカルも、どこか把みどころのないもので、ジャズにはレンジの狭さがそのまま出てくる。

AGI Model 511b + マランツ Sm700

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 パワーアンプの変化なのか、この組合せでのオーケストラは、より柔軟なテクスチュアが感じられ、艶もついてくる。総じて、瑞々しさが増して魅力的であった。フィッシャー=ディスカウの声の艶も、この組合せだと生きてくる。ピアノの立上り、粒立ちといった鋭さにやや不満が感じられ、低域の質的な響き分けも大まかになる傾向が感じられたのが惜しい。パワーアンプの持っている音がプラス側に大きく働いているようだ。

カウンターポイント SA-1 + オーディオリサーチ Model D-90B

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 TVA1と比較すると、少し油気の抜けた、さっぱりした傾向で、熱っぽさも、ここではややさめる。しかし、感覚的には自然な、有機的な質感で、音:が区を心情的にリラックスして楽しめるよさがある。フィッシャー=ディスカウの声も、すっきりとした響きのよいもので、柔軟な声の質感をよく伝える。ピアノも中低域がこもらず、重くならない。ジャズの質感はよく、力ではもう一つ炸裂するようなスリルはないが、シズル音は聴こえる。

AGI Model 511b + ハーマンカードン Citation XI

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 明解で、切れ込みの鋭い音という印象。特にオーケストラの多彩な各楽器の音色を、際立って聴かせる音色の響き分けに優れているようだ。中高音にめりはりのきいた、やや華麗な印象であるが、オーケストラのテクスチュアとしては、ややざらつき気味。フィッシャー=ディスカウの声のふくらみも、少々柔軟さに欠け、硬質だ。ジャズ系のソースでは効果的な音で、力強く迫ってくるが、中低域に独特のふくらみ、こもりがあった。

カウンターポイント SA-1 + マイケルソン&オースチン TVA-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 決してワイドレンジではないが、それだけに、充実したマーラーの響きが聴けたようだ。暖かく血の通った音である。しかし、ノイズは気になる。プリアンプのSN比が悪すぎる。スピーカーの能率が低いと、この残留雑音は気にならないかもしれないが、その代り、ゲインを上げるとまた悩まされることになるだろう。ヴォーカルなど、古いタイプの音だが、それだけに余計な音が出ない安心感がある。ジャズではシズルの音が充分再現されない。

ミュージック・リファレンス RM-5 + アクースタット TNT-200

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 マーラーでは響きが明るくなりすぎるし、高域がややうるさく、しなやかさが不足する。ヴァイオリン群は、もっとキメの細かい音が再現されるべきだと思う。ピアノの中低音が、この試聴スピーカー、試聴室では不明瞭になりがちだった。だが、この組合せでは、よく締り、よく抑えられて、非常にすっきり再生されてよかった。f特に無関係に、この辺りの変化が、アンプの違いによる面白いところである。ジャズのベースはやや重い。

ミュージック・リファレンス RM-5 + クレル KSA-50

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 クラルテと呼ぶにふさわしい高音は、このパワーアンプの持つ音といって間違いなかろう。50Wアンプとは思えぬ安定度と力強さをって、スピーカーをドライブする。このマーラーでは、やや重量感に欠ける異質な音も感じるが、かといって、決してオーケストラの固有の音色は変えられていない。フィッシャー=ディスカウは品位のある、きわめて繊細な発声技術が明らかに再現される。ジャズも骨格、肉づきとともによい充実さだ。

ミュージック・リファレンス RM-5 + サンスイ B-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 TVA1との組合せで聴いた血の通ったソリッドな音に、さらにキメの細かい質感の緻密な響きが加わり透明度が増した。代りに、暖かさ、熱っぽさはやや失われ、よりすっきりとした現代的な音といえるものになる。ヴォーカルも雑物がとれ、よりすっきりするが、その反面、やや冷たいともいえる感触をもってくる。ジャズでは圧倒的に力強く、安定感が増し、女性の声の艶、弾みのあるヴィヴィッドなベースが素晴らしいものだった。

ミュージック・リファレンス RM-5 + マイケルソン&オースチン TVA-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 血の通った、柔軟で立体的なふくらみの感じられる熱い音だ。オーケストラのトゥッティは充実していて、深々としたマッシヴな響きで、僕の好きなマーラーの音だった。この演奏らしい、弾力性のある重厚な響きに魅力を感じた。フィッシャー=ディスカウの声も、より透り、よく含み、表現の多才な彼らしいテクニックが生きている。ジャズも、リズムの振動が生き生きと伝わり、めりはりのきいた直接音と豊かな響きが美しいバランス。

オルトフォン SPU

菅野沖彦

オーディオアクセサリー 27号(1982年11月発行)
「MCカートリッジの原点 オルトフォン・SPUストーリー」より

 オルトフォンからSPUカートリッジが誕生したのが1959年。ステレオレコードが売り出されたのが1957〜58年ころだから、ほんとうにステレオの初期に開発されたカートリッジである。しかも、誕生いらい20数年を経た現在、いまだに現役のカートリッジとして活躍しているということに驚く。
 しかも、たんなる骨董品としてではなく、いろいろなカートリッジを使っていながら、レコードを聴くという原点に立つとき、やはりSPUに返ってしまうというファンがたくさんいるという現実、これはまさにオーディオ界の神話といってよいだろう。
 とくに、私がSPUカートリッジに深い思い入れを感じるのは、たんにロングライフであるだけではなく、オルトフォンという会社が、SPUのみならず、音の歴史の中で非常に技術的に見て、先駆的な役割を果してきたということによる。
 もちろん、エジソンが録音再生の原理を実用化し、ベルリーナがそれをさらにリファインするというレコード音楽の歴史の中で燦然と輝く先駆者の名も出てくるわけだが、それらに優るとも劣らない数々の先駆的なテクノロジーを確立してきたのが、このオルトフォンという会社なのである。
 ここで簡単にオルトフォンの歴史を振り返ってみよう。オルトフォンはピーターセン、プールセンという2人のエンジニアによって、デンマークのコペンハーゲンで1918年に創立されている。
 そして、映画のトーキー撮影を成功させたのは他ならぬこのオルトフォンの創立者ピーターセンとプールセンなのである。
 したがって、大体第2次大戦までは、オルトフォンという会社はずうっとトーキー関係の機械をつくってきた会社であった。そして第2次大戦中に、この2人の優秀な技術者は、いろいろな開発を手がけ、まずレコードのカッターヘッドの開発を行った。ムービングコイル型のカッターヘッドの誕生である。
 ムービング型カッターヘッドをつくったら、やはりムービングコイル型のカートリッジをつくらなくてはということでもちろんモノラルではあるが、カートリッジをつくっている。
 こうしてオルトフォンは第2次大戟後は、レコード産業に非常に積極的に参入することになる。
 こうした先駆的テクノロジーをつぎつぎと生んだオルトフォン。そしてオルトフォンを生み、育んできたデンマーク。
 この、国としてのデンマークも私は好きだ。
 昔は海賊=バイキングの国だが、その民族性は非常に秀れている。総人口がわずか500万人。東京の人口の約半分である。そして国全体がフラットで、北欧ではあるが、メキシコ湾流という暖流のおかげで、気候は比較的温暖。牛や豚を飼い、チーズ、ミルク、バターの、世界でも有数の産出国でもある。そういった農業国でありながら、前述のように最新のエレクトロニクス・テクノロジーを持っている。そしてまた、超モダンなデザインの国でもある。インテリアデザインに関してはデンマークは世界をリードしているほどだ。
 こうした最新の美感覚と、そして最新のサイエンティフィックなテクノロジーとそして農業が、非常にバランスよく発達していることがデンマークという国がいかにすばらしい国であるかを物語っている。
 そして何よりも人間がすばらしい。優秀な頭脳を持ちながら、なおかつ朴訥さを失わない。温かい人柄の国民性を感じるのである。
 私はどういうわけかこの国といろいろな縁があって、ずいぶんたくさんの知り合いをもっている。そのひとつにデンマークが私の好きなパイプの生産国であるということがあり、パイプ作家の友人も数多い。
 SPUカートリッジがこれほど息長くオーディオファンの心を魅了しつづけてきた理由も、こうした豊かな風土、民族性に大きくかかわっていると私は思う。
 その後、オルトフォンにおけるレコード機器関係のビジネスは拡大し、メッキ槽やメッキシステムをほじめ、一貫生産のレコード製造システムを完成させている。こうしたレコード生産技術の高度に蓄積されたノウハウから、SPUカートリッジが生み出されてきた。だからSPUは、ステレオのほんの初期のカートリッジでありながら、いまだにムービングコイル型カートリッジのお手本とされるという先進性をもかねそなえているわけだ。実に多くのMC型カートリッジが、このオルトフォンSPUの原理構造を軸にして発展してきている。
 非常にシンプルで巧みな構造で、カンチレバーの支点から針先にかけて、平行にヨークを置き、そして、磁性材をワクに使った2組のコイルを最もカンチレバーの有効なポジションに置き、平行したNSの磁界の中をコイルを動かして、左右の出力を生むというこの基本構造ゆえに、その後、ほとんどのMC型カートリッジはそれをそのまま踏襲するか、あるいは、多少リファイン、ないしはそこからヒントを得た発想を展開してきている。
 まさにムービングコイル型カートリッジのルーツなのである。
 私が初めてこのカートリッジと出逢ったのは1962〜3年のことだと記憶している。
 59年に開発され、60年には日本に輸入され、好きな人たちの間でたいへん評判をとった。しかし、当時としても非常に高価なもので、われわれ若い人間にとってはそれを買うということは夢のまた夢。なにしろ、カートリッジだけではレコードを再生できないから、それ相当のトーンアームが必要だし、ターンテーブルも必要だということで、当時はオルトフォンのトーンアーム、さらには、SMEのトーンアームにオルトフォンのSPUを付けるというのが最高の組合せとして、マニア垂涎の的であった。
 ふっくらとした丸味を持った、重厚なSPUのスタイリングが、どれほどわれわれオーディオ好きな人間の心をとらえたかわからない。
 いま思い出しても、あの赤いレザー張りの木箱に納められた、真っ黒の立体的なSPUを見るときのゾクゾクした気持ちは一生忘れられない。見るからに、すばらしい音がしそうなカートリッジであった。ヤマハの銀座店などへ、SPUを見によく行ったものだ。
 当時のカートリッジというと、マイクログループのレコードができてきて、小型で繊細な感じのカートリッジがふえてゆくなかで、あのSPUのGシェルが、非常に堂々と大きく立体的にこんもりと盛り上がった何ともいえないものであった。とくにSPU−A、SPU−G、SPUーGTとさまざまのバリエーションがあるのも魅力である。
 Gシェルはこんもりと盛り上がった丸いシェル、Aシェルは角型の、しかしやはりRのついたふっくらとした角型のシェル、そして、Gシェルの中に昇圧トランスを内蔵したGT。大きく分ければこの3つのバリエーションがあり、それぞれ異った魅力を漂わせる。
 とくにトランスがあのGシェルの中に組み込まれたGTの緊密感、密度の高いフィーリングがなんともたまらない魅力だった。しかもオルトフォンのつくったトランスだから、最も相性がいいに違いないという信頼感もあり、私はオルトフォンのSPU−GTを買いたいと思いつづけて、何年かの時を無為にした。それだけに手にしたときの喜びの大きさはたとえようもないほどで、いまだに大切に持ちつづけているほどだ。
 買った当時は、レコードを聴いたらすぐはずして、またこの木箱の中へ納め、フタを閉めたかと思うとまた開けて聴く。そうこうするうちに、夜寝るときは枕元へ置いては眺めるというぐらい気に入って、とにかくためつすがめつといった状態であった。
 とにかく、そこまで入れ上げて、SPU−GTを使ったわけだが、出てくる音が、血のかよった何んとも暖く、逞しく、ふくよかで、ドッシリとした重量感に加え、艶と輝きに満ちた楽器か何かのような実在感に圧倒される思いであった。
 音楽がとにかく豊かに表現力をもってわれわれに迫ってくる。他のカートリッジを持ってしては、逆立ちしても、こういう音は聴き得なかった。もちろん、それまでにはいろいろな国産のカートリッジや、アメリカ製のカートリッジを使っていたが、このオルトフォンのSPU−GTで聴く音の充実感というもの、そして感激はいまだに忘れずに残っている。
 その感激は、自分の持っているレコードを全部もう1度聴き直してみたい衝動に駆りたて、実行させるほどだった。脂がのったといおうか、とにかくすばらしい音の世界をくりひろげる魔力を持ったカートリッジである。
 毎日がレコードとSPUカートリッジの日々。とにかく、SPUカートリッジを見る、触れるのが嬉しかった。
 それを黒々と照り映えるレコードの上にスーッと置いて、ボリュームをスーッと上げた時に出てくるドッシリとした響き、腰のすわった響きがなんとも形容しがたい魅力であった。
 だいたい私は、低音が充実して、地に足のついた、ドッシリとした構えの音に惹かれる。音とか、人間の感覚の実の根源はそこにこそあると思う。思想でも、精神でも、美意識でも、すべて大地というものが根源に成り立っていなければよしとはしない。
 そういう意味で私はドイツ音楽をとくに好む。ドイツ音楽の和声の特徴というのは、非常にドッシリとした低音の上にバランス良くピラミッド型に積み上げられている。ベートーヴェンのオーケストラのトゥッティなどを聴くと完全にそのとおりで、非常にガッチリとした建築物を思わせるような、安定した堂々とした和音が聴かれる。こういう特徴が、私はオルトフォンのSPUカートリッジにあるように思う。これはノイマンのマイクロホンや、カッティング・イクイップメントにも感じられる共通した特徴である。オルトフォンのカートリッジは長くずっとノイマンなどのプレイバックカートリッジのスタンダードとして使用されていることを見ても、こうした一貫性が見てとれよう。
 そのオルトフォンが一方では新しい現代カートリッジを生み出しており、常にカートリッジ界のテクノロジーをリードしている。MC10II、MC20II、MMC30などがそうだが、これはSPUシリーズの流れをくんだサラブレッドである。もちろん細部には多くの改良を施してはいるが、基本的な原理構造はSPUに準じている。いわゆる現代の物理特性にリファインしていっているわけである。
 脈々といまだにSPUの基本技術はこれら後継モデルたちに流れ続けているわけである。しかもそのSPUカートリッジがいまだに現役として生きているということは、孫や、ひ孫と一緒に、カクシャクとして活躍しつづける気骨ある祖父といった風情で、実にすばらしい光景といえよう。
 私はオルトフォンの技術者とも、様々なカートリッジ議論を重ねたが、その都度、教えられることがある。それは、彼等はただひたすら忠実なカートリッジをつくることに頑固であるということだ。いかに優れた特性のカートリッジをつくろうかということに全力を傾けている彼等の姿勢にいつも心うたれる。
 私は、オルトフォンのこうした基本に忠実な姿勢、進歩的であり、かつ保守的であるという、進歩と保守がつつましくバランスしているところに魅力を感じる。
 実に大人の魅力であり、老舗のもつシットリとにじみ出てくるような優しさが私は大好きだ。

ビクター SX-10 spirit

菅野沖彦

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底解剖する」より

 今さらのような気もするが、スピーカーというものは、物理情報を忠実に処理するハードマシーンという面と、感覚・情緒的に人の心を満たす個性的美学をもったソフトマシーンという二つの側面をもっているのが現実である。このことは、スピーカーの設計思想に始まり、それを使って音を聴くリスニング思想にまで一貫して流れており、オーディオの世界を多彩にいろどることになっている。そしてまた、考え方の混乱のもとにもなっているようだ。どちらに片寄っても十分な結果は得られないもので、この二面の寄り添い加減が、よいスピーカーとそうでないものとの違いになっていると思わざるを得ない。物理特性志向で技術一辺倒の思想のもとに作られたスピーカーが、音楽の人間表現を享受しようというリスナーの知情両面を満たし得るとは思えないし、同時に、変換器としての技術をないがしろにして、よいスピーカーができるはずもない。この二つの要素を1と0という信号に置き換えたとすれば、まさに、あの複雑な情報処理を行なうコンピューターのごとく、その組合せによってありとあらゆる性格を備えたスピーカーシステムができ上ることになるし、複雑なオーディオ・コンセプトにまで発展することにもなるのである。
 今回、日本ビクターから発表されたSX10スピリットの開発思想は、明らかにソフトマシーンとして、人の感性と情緒を捉えることを目的にしているように思える。その手段として、長年のスピーカー作りの技術の蓄積が駆使されていることはいうまでもないだろう。ユニットの設計からエンクロージュアの材質、加工・仕上げにいたるまで、このシステムには並々ならぬ努力と情熱が傾注されていることが解るのである。このような角度から、このSX10スピリットを少し詳しく見ていくことにしよう。
 まず、外側からこのシステムを見てみると、エンクロージュアは凝りに凝ったもので、材質や造りに、かなり楽器的な思想が見られる。つまり、バッフルボードはエゾ松 ──ピアノの響板に使われる材料──のランバーコアであり、天地および側板には針葉樹系のパーティクルボードを使う。表面材はヴァイオリンに用いられるカエデ材、そして、六面一体留めの構造、内部にはコントロールのきく響棒を採用するといった具合に、変換器としてのエンクロージュアの有害な鳴きに留意しながらも、美しい響きを殺すことを嫌った意図が明白である。また、SX10のマークは、24金メッキ仕上げのメタルエンブレムで、ピアノの銘板のように象眼式に埋め込み、さらに磨き上げるという入念なものである。全体の仕上げは19工程もの艶出し仕上げを経て、深い光沢に輝いているのである。カエデ材の木目を活かすために、このような色調が選ばれたのであろうが、その色合いはやや癖の強いもので、好みの分れる危険性をもっているようだ。
 ユニット構成は、3ウェイ・3ユニットであるが、SXシリーズでビクターが自家薬籠中のものとしたソフトドーム・トゥイーターとスコーカー、そしてコニカルドーム付のクルトミューラー・コーンによるウーファーが採用されている。もちろん、すべてのユニットは新たに設計し直されたものであり、従来の経験を生かしたリファインモデルといってよいだろう。各ユニットの口径は、ウーファーが32cm、スコーカーが6・5cm、トゥイーターが3・5cmで、クロスオーバー周波数は450Hzと4kHz、減衰特性は12dB/octに設定されている。ネットワークに入念な配慮と仕上げをもつのはビクターの特長だが、ここでも徹底した低損失化と低歪率化が行なわれている。
 このように、SX10スピリットは、ビクターのスピーカー作りの技術を集大成したものといってもよい。現時点でこれだけの情熱的な力作を作り上げた姿勢に、敬意を表したい。作る側のこうした誠意と情熱は、必ず受け手にも伝わるものである。仏作って魂入れず式のマスプロ機器が全盛の現在、この姿勢は実にさわやかだ。そしてまた、ともすると技術に片寄った志向が目立ちがちな日本のオーディオ界にあって、先述したハードとソフトのバランスの重要性を示す姿勢としても、大いに共感できるものだ。
 音は豊かであり、柔軟である。やや重くゴツゴツした感じの低音が気になるが、この程度の難点は、現在内外を問わず、どんなスピーカーシステムにも感じられる程度のものである。そして、この辺はユーザーの使いこなしによって、どうにでもなる部分なのだ。このSX10スピリットの快い質感こそは、ナチュラルなアコースティック楽器特有の質感に共通したものであり、こうしたスピーカー自体の素性こそ、使いこなしではどうすることもできないものだから、大変貴重なのである。弦楽器の中高音に関しては最も耳あたりのよいスピーカーの一つといってもいい。ヴォーカルのヒューマンな暖かさも出色である。
 SX10は、いかにも歴史の長い音のメーカーらしい企画である。ビクターの精神を象徴する〝スピリット〟という命名が、作り手の意気込みを表現しているのだろう。スケールの大きな再生音も、豊かさと力でその気迫を反映しているかのようだ。

トーレンス Reference

菅野沖彦

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
「THE BIG SOUND」より

 モスグリーンとブラウン、そして、ゴールドというカラーコーディネイションはシックでソフィステイケイテッドな美しさだ。そして、この感覚、まさにヨーロッパ的洗練といえるだろう。ヨーロッパの秋から冬にかけての、女性の装いで、よく僕の眼を惹く美しさと共通した、それは色合いなのである。ある晩秋の午後、アルスター湖のほとりのカフェで見かけた美しい婦人の着こなしを想い出す。ソフトなグレイがかったブラウンのスーツ、胸元に、大きく美しいリボンとフリルのついたベージュのブラウス、そして、彼女がしなやかに席を立ったとき、その肩にはおられたコートはモスグリーンであった。それらは、美しい金髪と見事に調和し、足元に踏みしめる枯葉とも、灰色の空を突き刺すように寒々と立ち並ぷ冬の樹々とも、そして、どんよりとした雲を映す湖面とも溶け合っていた。僕は、カフェのガラス越しに歩み去る彼女が見えなくなるまで、小さな感動を味わいながら凝視し続けたのを忘れない。
 トーレンス・リファレンスのフィニッシュのセンスは、こうしたヨーロッパの人々のセンスと無関係であるはずがない。その、あまりにも機械そのもののオブジェだからこそ、トーレンスは、この色を選んだのだろう。もともと、市販することを考えずに、自社の実験用として作った機械だが、それが家庭に入り込むことになったとき、彼らは、ごく自然に、この色を選んだ。当初の実験機は白く塗装されていた。また、このリファレンスの姉妹機である、EMTのプレーヤーのフィニッシュは、うたがいなくスタジオ・ユースとしてのセンスが見られる。このリファレンス、粗末ながらも、我家の生活のインテリアの中においてこそ、周囲と調和し、いちだんと美しく見えるから不思議である。
 とはいうものの、このプレーヤー・システムは、決して流麗な姿とはいえないし、デザインが優先したものでもない。機械としての必然性が、この造形となったと見るぺきものだ。総重量90kgのウエイトは、視覚からも感じられる。この重量は、プレーヤーにあっては即、クォリティといってよい。優れたプレーヤーは重くなければ駄目だというのは真理であるからだ。しかし、ただ重ければ、剛性が高ければよい、というのは間違いであることを、このリファレンスは強い説得力をもって我々に訴えている。100年になんなんとするトーレンスの音のメーカーとしての歴史が、連綿とノウハウを蓄積し、アナログ・ディスクから、いかにして良い音を引き出すかという課題に対する解答をここに提示しているのである。これを、より詳細に理解するために、我々は、ここに、このプレーヤーをワッシャー一枚に至るまで分解することを試みた。賢明な読者は、前々頁に掲載した写真をじっくり眺められれば理解されることと思うが、多少の解説を試みることにしよう。
 まず、各部の重量配分である。俗にターンテーブルの重量ばかりを気にする風潮があるが、これは、きわめて片寄った近視眼的見方であって、ターンテーブル・システムのトータルとしてのパフォーマンスは、ターンテーブルを支えるベースとの重量配分が絶対に重要である。ターンテーブル自体の重量は、慣性モーメントによる回転のスムース化に益のあることば確かだが、慣性モーメントの数値の大きさだけを部分拡大解釈して、即、プレーヤーのパフォーマンスの優秀性と思い込むのは素人である。さらに、それだけを売物にしているかのような商品も見受けるが、バランス設計のなんたるかを理解しないアマチュア・メーカーと断ぜざるを得ない。このバランス設計ということは、ことターンテーブル・システム自体の問題に止まるわけではなく、大きく、録音再生のトータルの視点、また、一般家庭で使う現実性をも踏まえたものでなければならないのである。リファレンスのターンテーブル自重は6・6kgである。材質はアルミ・ダイキャストに木材が付加されている。木材については後述するが、この6・6kgという重量は、決して軽いほうではないが、必要かつ充分な重量で、馬鹿重くはない。慣性質量にして、1300kg/㎠ぐらいになるだろう。これに対して、ベースの総重量は、約80kgある。このベースは二重構造で、写真で解るように巧妙なサスペンションによって、4本柱で吊られているフローティング・ベースと、そのサポート・ベースに分れている。そして、ターンテーブル自体は、フローティング・ベースに取付けられていることはいうまでもないが、この共振点を2・5Hz~9Hzに可変できるアジャスタブル機構が設けられている。4本のゴールドフィニッシュ・ポールの外側にあるワイヤー・テンション・コントローラーにより調整する構造である。そして、このフローティング・ベースだけでも、約50kgの重量を持っている。しかも、このフローティング・ベースの周辺部には、アイアン・グレインと呼ぼれる粒状の鉄をオイルで練ったものがぎっしりとつめられ、Qの小さい集中マス・コントロールを施してある。因みに、リファレンスにおいて、ターンテーブルとベースの重量配分は6・6kg対80kgとなり、約1対12である。一般に超弩級とされるターンテーブル・システムのほとんどが、1対4の割合であることを知るとき、その差に驚かされる。つまり、もし、ターンテーブルが6・6kgなら、ベースは27kgほどでしかない。中には20kgもあるターンテーブルのベースが僅か、50kg強、その3倍弱というものさえある。無論、これも単純に考えては過ちを犯すことになるが、ターンテーブルの自重だけに目を向けることの反省としていただければ幸いである。それよりも重要なことは、カートリッジに出来るだけ余計な共振性をもたせないことである。つまり、ごく大ざっばにいえば、トーンアームの設定共振点(低域は8Hz近辺のものが多い)以下に、ベーシックなf0を抑え、かつ、ターンテーブルのQを下げて、ターンテーブル鳴きの害をカートリッジの針先に与えないことだ。トーレンスは、このリファレンスにおいて、6・6kgのターンテーブルによって、必要な慣性質量をもたせながら、シャフト、ベアリング、サスペンションの実用精度とその耐久力、安定性を確保し、ターンテーブルの内側にがっちりと木枠を圧入することによりQをコントロールしている。そして、ターンテーブル表面には、特殊なウール材を張り、極力ターンテーブル自体の鳴きを殺し、これを、その12倍もの重量ベースにマウントすることによって、静謐な回転系を構成しているのである。
 この静粛な回転の原動力は、重量級システムとしては、驚くほどさりげない小型のシンクロナス・モーターである。おそらく、リファレンスに長く接したことのない誰もが抱く不安であろう。いうまでもなく、6・6kgの重いターンテーブルをベルトドライブさせるにしては、トルク不足の印象を与えがちである。電子コントロールによって3スピードの選択が行える、このシンクロナス・モーターは、プーリーの外径から判断して、低速モーターであり、特にSN比に気を配った設計がなされているとはいえ、もう少しトルクが欲しいと思わせるほどに小さい。にもかかわらず、トーレンスは、これをハイ・トルク・シンクロナス・モーターと称している。
 モーター本体は、固定ベースの上に立てられた3本のアルミシャフトに取付けられている。前述したように、フローティング・ベースは、コイル・スプリングとリーフ・スプリングの二重構造によって固定ベースから吊られており、モーターの機械振動が、信号系に対して絶縁される構造になっている。しかし、強力な大型モーターの採用を避けることで、よりいっそうの静かさを達成することができるとすれば、起動トルクの小ささにあえて目をつむることは、動かし難い必然性を滞びてくるだろう。どのような微小なレベルの信号も汚したくないという設計理念の高さが、この小さなモーターを使わしめたのである。
 リファレンスは、局用のターンテーブルではない。一般のレコード再生において、少なくとも立上りにやや時間を要するということ以外に、トルクの不足はない。また、これ以上のトルクを望むことが、まったく馬鹿げたことに思われるほどに、定速に達した、大きなイナーシャを持つターンテーブルは、安定した回転を得ている。ただ、このプレーヤーの難は、ドリフトがやや大きいことだ。クォーツ・ロック式のターンテーブルに馴れた人には、やや気になることかもしれない。これは、将来、是非とも改良してほしい点だ。
 リファレンスにはアーム・ベースが3台付属していて、フローティング・ベースの構造と同じように、アルミダイキャスト・ベースにはアイアン・グレインが充填されている。もちろん、これでベースの共振を抑えているわけだが、さらに、アーム取付けボードは木製となっている。アーム・ベースという小さな部分にさえ、Qを下げて共振を柔らげようという思想が貫かれているわけである。アーム・ベース自体のQが大きくなっては、アームを伝わったベースの鳴きが、再生音に悪影響を及ぼすことはいうまでもない。しかも、アーム・ベースはフローティング・ベースに金属面を境にして直接触れるのではなく、アーム・ベース底面に貼られたフェルト・テープを介して固定される。ここにも、剛性を上げることだけでは、良い再生音につながらないという徹底した設計コンセプトが伺えよう。
 約1・2kgの重量をもつアーム・ベースの中に、マイクロ・モーターが組み込まれ、アームリフターが動作する。リフタ一組込みベースは背がやや高く、アームによってはターンテーブルに対して水平がとれない場合がある。この場合は、低いベースが用意されているので、それを用い、リフターは、アーム付属のものを使えばよい。この辺りが、いかにも、メーカーが自社の実験用リファレンス(比較原器)として作ったものらしく、商品としての未完成要素を感じるところだが、それほど重大な欠陥ではない。かつて私が、この機械に惚れ込むあまり、これを購入し、その親しみ故に、設計ミスなどという言葉を不用意に使って愛のムチをくれたことが針小棒大に伝わり、誤解を招き、戸惑ったものだ。欠点のない人間はいないのと同じように、欠点のない機械もない。強い主張をもって作り出された機械であればあるほど、見方をかえれば、そのコンセプトや、センスを欠点として指摘することも容易である。現代は、むしろ、そうした製品が少なく、高級機にしか、真の個性が発揮されない淋しいオーディオ界である。ディジタル時代が云々される中で、ここまで徹底したアナログ・プレーヤー・システムを作ったトーレンスの心意気と、その豊富なノウハウの蓄積による主張は、まことに小気味よく爽快である。もとより、全くの手作業による少量生産であるため、大変高価ではあるが、この価値を認める人の数は少なくはないはずだ。それは、このプレーヤーにふさわしいトーンアームとカートリッジを使い、正しく調整した時に得られる音を聴けば何より明白である。そして、このリファレンスの〝存在感〟は、そうした優れたパフォーマンスと相俟って、時には、それを超える大きな喜びを味わえる。レコードをかけることの楽しさとは、本来、このようなものであるはずだ。それは、使う人、つまりレコードをかける人の知性と感性と情緒の介在の余地を無限に残す世界だからである。