Category Archives: パワーアンプ - Page 21

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その14)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万五を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これまほどの昨日と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
 ところで、音の豊かさという点で、もうひとつのアンプについて書くのを危うく忘れるところだった。それは、イギリスの新しいメーカー、オースチンの、管球式パワーアンプTVA1の存在だ。
 管球式のアンプが、マランツ7を最後に我が家のラインから姿を消してすでに久しい。その後何度か、管球アンプの新型を聴く機会はあったにしても、レビンソンは別格としても出来のよいトランジスターの新しいアンプたちにくらべて、あえて管球式に戻りたいと思わせるような音には全くお目にかからなかった。わたくし自身は、もうおそらく半永久的に管球に別れを告げたつもりでいた。
 そういうつもりで聴いたにもかかわらず、TVA1の音は、わたくしをすっかりとりこにしてしまった。久しく耳にしえなかったまさにたっぷりと潤いのある豊かな響き。そして滑らかで上質のコクのある味わい。水分をたっぷり含んで十分に熟した果実のような、香り高いその音を、TVA1以外のどのアンプが鳴らしうるか……。
 仮にそういう良い面があったにしても、出力トランスを搭載した管球式パワーアンプは、トランジスターの新型に比較すれば概して、音の微妙な解像力の点で聴き劣りすることが多い。そういう面からみれば、TVA1の音は、レビンソンのように切れこんではくれない。それは当然かもしれないが、しかし、おおかたの管球式の、あの何となく伸びきらない、どこかで物が詰まっているかのような音と比較すると、はるかに見通しがよく、音の細部の見通しがはっきりしている。
 中音域ぜんたいに十分に肉づきのよい厚みがある。かつてのわたくしならその厚みすら嫌ったかもしれないが。
 TVA1は、プリアンプに最初なにげなく、アキュフェーズのC240を組合わせた。しかしあとからいろいろと試みるかぎり、結局わたくしは知らず知らずのうちに、ほとんど最良の組合せを作っていたらしい。あとでレビンソンその他のプリとの組合せをいくつか試みたにもかかわらず、右に書いたTVA1の良さは、C240が最もよく生かした。というよりもその音の半分はC240の良さでもあったのだろう。例えばLNPではもう少し潤いが減って硬質の音に鳴ることからもそれはいえる。が、そういう違いをかなりはっきりと聴かせるということから、TVA1が、十分にコクのある音を聴かせながらもプリアンプの音色のちがいを素直に反映させるアンプであることもわかる。
 今回の試聴では、この弟分にあたるTVA10というのも聴いた。さすがに小柄であるだけに、兄貴の豊かさには及ばないにしても、大局的にはよく似た傾向の音を楽しませる。オースチン。この新ブランドは、近ごろの掘り出しものといえそうだ。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その20)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 今回試聴したアンプは、実はここに書いた機種の倍以上の数に上る。そのすべてについて書くべきだったのかもしれないが、わたくしとして印象に深く残ったアンプに重点を置いて書くうちに、すでに指定された枚数を大幅に超過してしまった。試聴後これを書いているきょうまでのあいだに、かなりの日時が過ぎているが、裏返していえば、それだけの日時を経てなお、記憶に鮮明に浮かんでくる音は、メモを見直さないとくわしく思い出せないアンプにくらべて、やはり一段階上にある音だと考えてよいように思う。これら以外に、目立たない平凡な音、しかしそれだけに永く聴いて飽きないかもしれない音、また反対におそろしく主張の強い、主張というよりは大見得切った一大スペクタクル・サウンドとでもいいたいような音もあった。実にさまざまのアンプがある。そこがオーディオのおもしろいところだろう。いかに自分の感覚に合った音のアンプを探し出すか、自分の大切なスピーカーを、どれだけ良く鳴らすアンプを探しあてるか、そこがアンプを聴き分け、選びわける醍醐味ともいえそうだ。
     *
 しかしアンプそのものに、そんなに多彩な音色の違いがあってよいのだろうか、という疑問が一方で提出される。前にも書いたように、理想のアンプとは、増幅する電線、のような、つまり入力信号に何もつけ加えず、また欠落もさせず、そのまま正直に増幅するアンプこそ、アンプのあるべき究極の姿、ということになる。けれど、もしもその理想が100%実現されれば、もはやメーカー別の、また機種ごとの、音のニュアンスのちがいなど一切なくなってしまう。アンプメーカーが何社もある必然性は失われて、デザインと出力の大小と機能の多少というわずかのヴァリエイションだけで、さしづめ国営公社の1号、2号、3号……とでもいったアンプでよいことになる。──などと考えてゆくと、これはいかに索漠とした味気ない世界であることか。
 まあそれは冗談で、少なくともアンプの音の差は、縮まりこそすれなくなりはしない。その差がいまよりもっと少なくなっても、そうなれば我々の耳はその僅かの差をいっそう問題にして、いま以上に聴きわけるようになるだろう。
 それでも、アンプの音は無色透明になるべきだ、理想のアンプの音は、蒸留水のようになるべきだ、と感がえておられる方々に、わたくしは最後に大切なことを言いたい。
 アンプの音に、明らかに固有のクセのあることには、わたくしも反対だ。広い意味では、アンプというものは、入力にできるだけ正直な増幅を目ざすべきだ。それはとうぜんで、アンプがプログラムに含まれない勝手な音を創作することは、少なくとも再生音の分野では避けるべきことだ。
 しかし、アンプの音が、いやアンプに限らずスピーカーやその他のオーディオ機器一切の音が、蒸留水をめざすことは、わたくしは正しくないと思う。むろん色がついていてはいけない。混ぜものがあっても、ゴミが入っていても論外だ。けれど、蒸留水は少しもうまくない。本当にうまい、最高にうまい水は、たとえば谷間から湧き出たばかりの、おそろしく透明で、不純物が少なくて、純水に近い水であるけれど、そこに、水の味を微妙に引き立てるミネラル類が、ごく微量混じっているからこそ、谷あいの湧き水が最高にうまい。わたくしは、水の純度を上げるのはここまでが限度だ、と思う。蒸留水にしてはいけない。また、アンプの音が、理想の上では別として現実に蒸留水に、つまり少しの不純物もない水のように、なるわけがない。要は不純物をどこまで少なくできるかの闘いなのだが、しかし、谷間の湧き水のたとえのように、うまさを感じさせる最少限必要なミネラルを、そしてその成分と混合の割合を、微妙にコントロールしえたときに、アンプの音が魅力と説得力をモチる。そういうアンプが欲しいと思う。そして水の味にも、その水の湧く場所の違いによって豊かさが、艶が、甘味が、えもいわれない微妙さで味わい分けられると同じように、アンプの音の差にもそれが永久に聴き分けられるはずだ。アンプがどんなに進歩しても、そういう差がなくならないはずだ。そこにこそ、音楽を、アンプやスピーカーを通じて聴くことの微妙な楽しみがある。

サンスイ CA-F1, BA-F1

菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポート」より

 音のまとまりは大掴みにはとれているが、緻密とはいえない。ヴァイオリンやコーラスには少々荒さがあって雑然とした響きである。音の品位、魅力という点では、セパレートアンプとして、もう一つ、磨きをかけてほしいと思う。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その3)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

     II
 余談が長くなってしまったが、そうして昭和三十年代の半ばごろまでアンプは自作するものときめこんでいたが、昭和36年以降、本格的に独立してインダストリアルデザインの道を進みはじめると、そろそろ、アンプの設計や製作のための時間を作ることが困難なほど多忙になりはじめた。一日の仕事を終って家に帰ると、もうアンプの回路のことを考えたり、ハンダごてを握るよりも、好きな一枚のレコードで、何も考えずにただ疲れを癒したい、という気分になってくる。そんな次第から、もうこの辺で自作から足を洗って、何かひとつ、完成度の高いアンプを購入したい、というように考えが変ってきた。
 もうその頃になると、国内の専業メーカーからも、数少ないとはいえ各種のアンプが市販されるようになってはいたが、なにしろ十数年間、自分で設計し改造しながら、コンストラクションやデザインといった外観仕上げにまで、へたなメーカー製品など何ものともしない程度のアンプは作ってきた目で眺めると、なみたいていの製品では、これを買って成仏しようという気を起こさせない。迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
 ともかく、マランツ7+QUAD/II(×2)という、わたくしとしては初めて買うメーカー製のアンプが我が家で鳴りはじめた。
 いや、こういうありきたりの書きかたは、スイッチを入れて初めて鳴った音のおどろきをとても説明できていない。
 何度も書いたように、アンプの回路設計はふつうにできた。デザインや仕上げにも人一倍うるさいことを自認していた。そういう面から選択を重ねて、最後に、マランツの回路にも仕上げにも、まあ一応の納得をして購入した。さんざん自作をくりかえしてきて、およそ考えうるかぎりパーツにぜいたくし、製作や調整に手を尽くしたプリアンプの鳴らす音というものは、ほとんどわかっていたつもりであった。
 マランツ7が最初に鳴らした音質は、そういうわたくしの予想を大幅に上廻る、というよりそれまで全く知らなかったアンプの世界のもうひとつ別の次元の音を、聴かせ、わたくしは一瞬、気が遠くなるほどの驚きを味わった。いったい、いままでの十何年間、心血そそいで作り、改造してきた俺のプリアンプは、一体何だったのだろう。いや、わたくしのプリアンプばかりではない。自作のプリアンプを、先輩や友人たちの作ったアンプと鳴きくらべもしてみて、まあまあの水準だと思ってきた。だがマランツ7の音は、その過去のあらゆる体験から想像もつかないように、緻密で、音の輪郭がしっかりしていると同時にその音の中味には十二分にコクがあった。何という上質の、何というバランスのよい音質だったか。だとすると、わたくしひとりではない、いままで我々日本のアマチュアたちが、何の疑いもなく自信を持って製作し、聴いてきたアンプというのは、あれは一体、何だったのか……。日本のアマチュアの中でも、おそらく最高水準の人たち、そのままメーカーのチーフクラスで通る人たちの作ったアンプが、そう思わせたということは、結局のところ、我々全体が井の中の蛙だったということなのか──。
 マランツ7の音に心底びっくりさせられたわたくしは、会う人ごとにそのすごさを説いた。その中に、当時オーディオテクニカを創設されて間もない松下秀雄氏がおられた。松下氏は早速、そのころ試聴室として公開しておられたご自宅の装置に、マランツ7を迎えられた。松下氏のそれまで使っておられたのは、わたくしなどよりよほど腕の立つエンジニアの作ったプリアンプだったはずだが、それにもかかわらず、松下氏もまた、本当にびっくりした、とわたくしに洩らされた。
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その19)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

     *
 少し脱線したが、国産アンプの中で、いまふれたトリオは、価格とのかねあいという上で評価されるべき製品といえるのに対して、さきのデンオン、そして最後にふれるアキュフェーズなどは、価格の割には……といった注釈なしに受け入れることのできる、現在最高水準をゆく音、といってよいと思う。
 アキュフェーズのC240、P400、T104の新シリーズは、昨年秋からことしにかけて、順次発表された。C240は、わりあい早い時期から試聴の機会にめぐまれたが、この音は、ほんとうに久々にわたくしをわくわくさせる素晴らしい出来ばえだった。LNP2Lがわたくしの最近最も永いあいだの常用かつ標準機だが、C240の音は、それと比較してどうこうというよりも、LNPとはまた別の路線上で、ひとつの完成度に到達したみごとな音質だといえる。LNPの音は、どこまでも切れこんでゆく解像力のよさ、芯のしっかりした、一音一音をくっきりと浮かび上らせる,それでいながら音どうしが十分に溶け合い、響き合い、立体感と奥行きを感じさせる。
 C240の音は、LNPよりもいくぶんウェットだ。そこはいかにも日本のアンプだ。そしてLNPのようにどこまでもこまかく音を解像してゆくというよりも、複雑にからみあい響き合い溶け合う音を、できるかぎり滑らかに、ことさらに音の芯を感じさせずに、自然に展開させてゆく。その音のウェットさゆえに、そしてまたLNP2LやM6の透明感のある解像力と比較するといくぶん曇りを感じさせる点に、ネガティヴな意見を言う人があるが、私はむしろそこを含めて、音のマッスとしての響きの滑らかさを好む。一見見通しがよくないようだが、よく聴くと細かな音は十分に過不足なく解像され、音のマッスの中にきれいにならんでいる。パワーアンプにオースチンのTVA1を組合わせたときの音の良さについてはすでに書いたが、本来のP400がこれに加わってみると、C240の音には意外にシャープな面もあることが聴きとれて興味深い。あるいはP400のほうに音のシャープネスが強調されていてそれをC240がうまく中和するのかとも思えるが、いずれにしてもこの組合せから得られるとても滑らかでありながらよく切れ込み、そしてよく溶け合い響き合う音の快さは、近来類のない質の高い音だと思う。このところアキュフェーズの音には、個人的にかなりシビれているものだから、ついアバタもエクボになっているかもしれないが、しかしデンオンといいアキュフェーズといい、これ以前までの各機種は、これほどまでに完成度の高い、説得力ある音を鳴らしはしなかったことを思うと、今回の新型の、ともに水準の高さがいっそう際立った快挙に思えてくる。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その16)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 ここまで触れたアンプはオースチンTVA1を除いてすべてアメリカ製であった。これ以外にも、アメリカ系の音をかなりまとめて聴いている。そのあとに、突然QUADが鳴った。その瞬間、あ、これはもうどうしてもアメリカでは鳴らせない音だ、と思った。
 QUADから♯405が発売されてからもうずいぶん経っている。最初の頃は405に組合わせるプリが出るものと期待したが、一向にその気配もない。ピーター・ウォーカー(QUADの創設者、現会長)に、そのことを質問すると、「♯33の音でどこか不満か?」逆に質問されて、ぐっとつまった話はもう以前にも書いたが、しかし♯44が発売されてみると、どうやら我々はP・ウォーカーにすっかりとぼけられていたらしい。実は昨年の秋のオーディオフェアの頃、来日したKEFのレイモンド・クックからは、QUADが新型のプリを作っている、という情報を聞いていた。ともかく、いかにもQUADらしいのんびりした製品開発だが、しかし鳴ってきた音は、なるほど、と唸らせるだけのことはあると思った。
 ♯44と♯405の音は、従来のQUADと同じく、どちらかといえば骨細だし、スケール感も決して堂々たるといった感じにはならない。どこか小じんまりとして、ひっそりしている。けれど、この音が鳴っていると、しぜんに、レコードもモーツァルトや、フランス近代や、室内楽などに手がのびる。そしてまたそういう曲への期待を裏切らない音がするし、そのままずっとテストをやめて音楽に身をゆだねたいという気持になってゆく。こういうしっとりした味わいは、アメリカのアンプのどれを持ってきても決して聴くことができないというのが実にふしぎだ。そしてQUADの音をしばらく耳に馴染ませてしまうと、いったい何を好んでアメリカ製のあの高価で大げさなアンプに灯を入れて、スペクタルなサウンドを鳴らす必要があるのだろう、という気分になってくる。なにしろ、レコードを次から次へとかけかえ、トーンコントロールなども適度に調整しながら、音楽をしばらく聴きふけりたいと思わせたのは、今回、QUADとマッキントッシュと、それにさっきのC240+TVA1の三機種だけだった。そしてマッキントッシュは、アメリカ製とはいうもののむしろこんにちのアメリカの高級アンプの水準からみれば、ひかえめなほどひとつの枠の中で世界をきずきあげていることを思うと、結局、音楽を楽しむためのアンプというもののありかたを、もういちど考えさせられてしまう。
 だがそうはいっても、それならお前、いますぐマーク・レビンソンその他の大型アンプをきっぱり捨てて、QUADか、せいぜいマッキントッシュの世界に切りかえられるか、と問いつめられたとしたら、やっぱりそれはできそうもない。せめてC240+TVA1なら、けっこう満足するかもしれない。ただ、TVA1のあの発熱の大きさは、聴いたのが真夏の厚さの中であっただけに、自家用として四季を通じてこれ一台で聴き通せるかどうか──。
 そう思いながら、しかしQUADやマッキントッシュの完結した小宇宙は、ひどくわたくしを誘惑する。いまある装置を一切放り出して、ギリギリに切りつめた再生装置一式を揃え直して、もう音うんぬんを考えるのをやめて、楽しくレコードを聴きたいという気持に襲われる。夏の疲れのせいばかりではない。やはりわたくしの中に、こういう簡潔な装置にあこがれる気持が、昔から一貫して流れつづけているらしい。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その18)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

     * 
 国産セパレートアンプでは、トリオの07/IIシリーズに、ずっと、音楽の表現力の豊かさという点で好感を持っていた。愛好家の集まりなど、行く先々でこれを用意してもらってよく鳴らすが、平均して性能も安定している。ところが、今回の試聴ではひとつ妙なことがあった。私の装置に07IIを接続して鳴りはじめ、むろんその音はすでに何度も聴き馴染んだいつもの音が聴こえていたのだが、立ち会っていた編集部のM君が、変だ変だと句碑をかしげるのである。理由を聞いてみると、今回のステレオサウンド試聴室でのテストでは、07IIの音があまり芳しくなくて、日頃07IIを指示していた菅野氏らも、今回の結果に首をひねっていたという。そこから話が発展して、それでは試聴に使った07IIと、別の同じ機種と二組集めて、わたくしの家で比較してみようということになった。翌日早速、前日と同じ条件で、つまり編集部でのテストと同様にあらかじめ三時間以上電源を入れておいて、しかも入力信号を加えて十分に鳴らし込んだ状態で、二組の07IIを比較してみた。しかし結果は前日同様、どちらもとてもよい音がしたし、むしろこの試聴によって、07IIの製造上のバラつきがたいへん少ないことさえ証明された。
 そうなると、同じ機種が試聴の条件によってそれほど違った音を聴かせるという理由は何だろうと疑問が残る。試聴室の音響特性の違い、というのはまず誰でも思いつく。けれど、こういう皮革を何十回となく過去に繰り返してきた本人として、そういう違い、つまり試聴室の差はおろか、試聴するスピーカーやカートリッジやレコードが変ったとしても、少し時間をかければまず正しく掴むことができることを、体験から断言できる。
 しかしそうなると問題は少しも解決しない。いったいどういうことなのか。
 ひとつ言えることは、一台のアンプを、鳴らす条件が変ってもひとりの人間が操作するかぎり、前述のようにその結果は大局において相違はない。けれど、仮に扱う人間が変れば、ボリュウムコントロールのセッティングひとつとってみても、鳴ってくる音には意外な違いの出ることがあることを、これも体験的にいえる。音量もまた音質のうち、なのである。むろん原因はそれひとつといった単純なものではないが、ただ音量のセッティングひとつとってみても、微妙に音質の違いが生じるとすれば、アンプを操作するオペレーターが変れば、アンプにかぎらずオーディオ機器は別の鳴り方をする。同じカメラで同じ場面を撮影しても、半絞りの差でときとして色彩のニュアンスに大きな違いのあることがある。音もまた同様だ。
 だからといって、前述の差を、単に扱い方の問題ひとつに帰してしまうのもまた短絡的すぎる。本当のところ、どういう理由またはいかなる原因で、同じアンプの音が違って鳴るのかは、まだよくわかっていない。ただ、そういうことは珍しくないという事実は、テストの数を重ねた人間は日常体験している。なぜかよくわからないが、たしかに違った音で鳴る。この問題は、今後大いに追求する必要のある重要なテーマだろうと思う。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その15)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 アムクロンは、かなり早い時期に大出力のDCアンプ、DC150で日本にも知られている。しかし初期の製品は、アメリカのPA用ハイパワーアンプの例によく見受けられるように、1ワット以下での日本の愛好家の多くの常用パワーでは、むしろ歪が多く、音のキメが粗くて過程での音楽鑑賞用という感じではなかった。IOCという名で改良されてからのモデルにはその弱点が薄れて、これは立派に現代の尖端をゆく優れたパワーアンプだという感想を持った。そして今回はさらに新型のプリとメインになって試聴に登場した。ただひとつ、しかし最も特徴的であるのは、この最新の電子式コントロールアンプにはフォノイクォライザーが組み込まれていない点で、そのことからみても、このアムクロンが、ここ数年来アメリカではPA用としてつとに名を高めていることと考えあわせて、一般的なレコード鑑賞用のアンプとして企画されたのではないことがはっきりといえる。それでいて、音の質は、鑑賞用として聴くに耐えるだけの磨かれた美しさを持っている。そしてこの音にはわたくしは相当に好感を抱いた。
 それは、プロ用として堅実に徹した音だけが持つ爽快感とでもいったらいいだろうか。本質的に音が乾いている。つまり鳴ってくる音にうじうじした湿り気がない。言いかえればどこかあっけらかんとした明るさがあるのだが、しかし、コンシュマー用のアンプのある種の製品によく聴かれる、聴き手への媚がない。あるいはことさらの音の誇示または顕示がない。聴かせてやろう、とか、こう聴かせたらお前らしびれるだろう、的な悪い作為がまったく感じられない。ただ正確に、安定に、電気的性能をきちっとおさえて作った、という印象で、そこが聴いていてまことに爽やかである。パワーを上げても音の腰の坐りがよく、安定感があって危なげが少しもない。コントロールファンクションをいろいろいじってもよくこなれているのは、プロ用としては当然だろうが、ボタンに触れるだけで音量が増減し、デジベル数値がディジタルで表示されるボリュウムコントロールの感触も楽しい。まあ、どことなく「クロウトさんのお使いになるアンプ」といったイメージがあるが、しかしこういう中庸を得た媚のない音の快さというものは、近ごろあまり聴くことができなかったように思う。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その12)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 ところで、ML6の音は良いと思い、ML2Lの音にまた感心し、両者を組合わせたときの音の素晴らしさに惚れ込みながら、しかしその音だけでは十全の満足が得られないように思われる。それは一体何だろうか。
 おそらく、音の豊かさ、それも、豊潤(あるいは芳醇)とか潤沢とか表現したいような、うるおいも艶もそして香りさえあるかのような豊かさ。光り輝くような、それも決してギラギラとまぶしい光でなく、入念に磨き込まれた上品な光沢、といった感じ。
 そんなリッチな感じが、レビンソンの音には欠けている。というよりもレビンソン自身、そういう音をアンプが持つことを望んでいない。彼と話してみてそれはわかるが、菜食主義者(ヴェジタリアン)で、完璧主義者(パーフェクショニスト)で、しかもこまかすぎるほど繊細な神経を持ったあの男に、すくなくとも何か人生上での一大転換の機会が訪れないかぎり、リッチネス、というような音は出てこないだろうと、これは確信をもっていえる。
 いわゆる豊かな音というものを、少し前までのわたくしなら、むしろ敬遠したはずだ。細身で潔癖でどこまでも切れ込んでゆく解像力の良さ、そして奥行きのある立体感、音の品位の高さと美しさ、加えて音の艶……そうした要素が揃っていれば、もうあとは豊かさや量感などむしろないほうが好ましい、などと口走っていたのが少し前までのわたくしだったのだから。たとえば菅野沖彦氏の鳴らすあのリッチな音の世界を、いいな、とは思いながらまるで他人事のように傍観していたのだから。
 それがどうしたのだろう。新しいリスニングルームの音はできるだけライヴに、そしてその中で鳴る音はできるだけ豊かにリッチに……などと思いはじめたのだから、これは年齢のせいなのだろうか。それとも、永いあいだそういう音を遠ざけてきた反動、なのだろうか。その詮索をしてみてもはじまらない。ともかく、そういう音を、いつのまにか欲しくなってしまったことは確かなのだし、そうなってみると、もちろんレビンソン抜きのオーディオなど、わたくしには考えられないのだが、それにしても、マーク・レビンソンだけでは、決して十全の満足が得られなくなってしまったこともまた確かなのだ。
 それならそういう音を鳴らすアンプが現実にあるのか──。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その11)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

 さて、ここにこれも新型のML3(パワーアンプ)を持ってくるとおもしろい。いままでの話は、パワーアンプにML2Lまたはその他のメーカー製品を組合わせていたときのことだが、ML6とML3の組合せでは、どこか頼りないというあの感じがいっそう際立ってくる。全体に柔らかく甘い雰囲気が漂っていて、LNP2L+ML2Lのようないくぶん硬質のピシッと締った音とはかなり傾向を異にしている。したがって、ヴァイオリンのソロなど、それもやや硬めに録音されたレコードなどでも、高域がことさらきつくなるようなことがない。ただ、ジャズ等の場合でのドラムスやスネアの、打音の力感、あるいはスネアドラムの引締った乾いた音を求めて聴くときには、ML3ならむしろLNPでドライヴしたほうがピントが合ってくるし、逆にML6のどこまでもこまかく切れこんでゆく解像力を生かすのなら、パワーアンプはML2Lのほうが正解ではないかと思う。
 言うまでもなくML2Lは純Aクラス・モノーラル構成で公称25ワット、ML3はABクラスのステレオ構成で公称200ワット。この両者を比較すれば、ML3のほうがよほど力のあるアンプのように思えるが、現実に鳴ってくる音はどちらかといえばむしろ逆で、ML2Lの力感は音を聴いているかぎり25ワットの出力などとは(輸入元の話では最近のモデルは50ワット以上出ているそうだが、それにしても)とうてい信じ難い。引締った打音の迫力や、ぜい肉を少しもないしかし徹底的に鍛えた筋力をみるようなしなやかな力感は、さすがと思わせる。一方のML3は、200ワットという出力への期待の割には、低音域での力を露に感じさせない。その点ではML2Lのほうが、コリコリと硬質の低音を聴かせるのにML3の低音は、芯をほぐして量感をややおさえる感じだ。つまりレビンソンに関する限り、小出力のML2Lのほうが総体に硬めの音がして、大出力のML3のほうが柔らかく、弦やヴォーカルの滑らかな感じが一見よく出るかに思わせる。
 LNP以来レビンソンの音を気に入って愛用しているひとりとして、現時点でどれをとるかといわれれば、ML6+ML2L(×2)ということになりそうだ。この組合せが最も音の透明度が高く、そしてML6がML2Lの内包している音の硬さを適度にやわらげてくれる。ML6のコントロール・ファンクションの全くないこと、そしてボリュウムなどが連動しないモノーラル構成のためやや扱いにくいこと、はこの際言ってもはじまらない。わたくし個人はトーンコントロールのないプリアンプはレコードを聴く側として大いに不満なのだが、しかしML6の音の透明感は、そうしたコントロール・ファンクションを省略したからこそ得られたものにちがいないことが、音を聴いて納得させられてしまう。その点、従来からあったいくつかの内外のプリアンプが、トーンコントロール類を省略してもなおかつ、LNPの透明感にさえ容易に及ばなかったのにまさに雲泥の相違といえるだろう。それにしてもML6は、手もとに置いて永く使っていると、その音質にますます惚れ込んでゆきながら、それと反比例してコントロール類のいじりにくさ、少なさに、次第に欲求不満がこうじてきそうな気がするのはわたくしひとりだろうか。しかし音が良い。困ったものだ。

最新セパレートアンプの魅力をたずねて(その10)

瀬川冬樹

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より

     *
 レビンソンは、最初LNP2とJC2という二種類のプリアンプと、MCヘッドアンプしか発売しなかったから、せっかくのLNP2の透明な音質を生かすために、パワーアンプにはずいぶん迷った。エクスクルーシヴのM4をやや長いあいだ聴いているうちにSAEのMARK2500を聴く機会があった。このパワーアンプは、300W+300Wという大出力ながら、それ以前のアメリカの大出力アンプに共通の、弱音での音のにごりや汚れの感じられない点に好感を持ったが、それよりも、LNP2と組合わせたときに、MARK2500の、どちらかといえば手綱をゆるめた感じの低音、それゆえのふっくらした豊かな鳴り方、が、LNPの、というよりレビンソンの本質的に持っている線のやや細い、いくぶん冷たい音質をうまく補ってくれて、総合的にとても良い組合せだと感じた。MARK2500のごく初期のサンプルを知人がいち早く購入してその音の良さは知ってはいたが、決して安くはないので少々ためらっていたところ、本誌特別増刊のアンプ特集号(昭和51年/1976年)の試聴で、その当時気になっていたいくつかのアンプと比較しても、LNP+SAEの組合せに感じていた好ましい印象は全く変らなくて、少なくともわたくしにとっては最良の組合せに思えたので、MARK2500を購入。この組合せが、永らくわたくしの愛機でもあり比較のときの標準尺度ともなっていた。レビンソンからは、やがてML2Lが発表された。聴けば聴くほど、その音の透明でどこまでも見通しのよい感じの解像力の高さや、ひずみ感の全くない音の品位の高い美しさに惹きつけられた。反面、LNPと組合わせたときに、とうぜんのことながらレビンソンの体質そのものとでもいいたいような、いくぶんやせすぎの、そしてどこか少々強引なところも感じられる音を、果して自家用としたときに永く聴き込んでどうなのか、見きわめがつかないまま、購入を見送っていた。わたくし個人には、やはりSAEと組合わせたときの音の豊かな印象のほうが好ましかったからだ。
 昨年の暮に新しいリスニングルームが完成し、音を出しはじめてみると、こんどは残響を長く、部屋の音を豊かにと作ったせいか、SAEの鳴らす低音を、心もちひきしめたくなった。そこで試みにML2Lを借りてきてみると、以前よりは気にならないし、なにしろその解像力の良さはどうしても他のアンプでは及ばない。それでML2L×2も自家用のラインに加えて、ここしばらくは、組合せをときどき変えながら様子をみてきた。
 そこに今回の試聴である。
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
 ともかくML6の音は、いままで聴きえたどのプリアンプよりも自然な感じで、それだけに一聴したときの第一印象は、プログラムソースによってはどこか頼りないほど柔らかく聴こえることさえある。ML6からLNPに戻すと、LNPの音にはけっこう硬さのあったことがわかる。よく言えば輪郭鮮明。しかしそれだけに音の中味よりも輪郭のほうが目立ってしまうような傾向もいくらか持っている。

SUMO THE POWER

SUMOのパワーアンプTHE POWERの広告(輸入元:バブコ)
(スイングジャーナル 1979年7月号掲載)

SUMO

ラックス MQ36

井上卓也

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」より

 現在でも管球式アンプをつくりつづけているラックスには、それぞれの時代に名を残した名作が多いが、そのなかでも傑出した製品は、このMQ36をおいて他にないだろう。
 管球式のパワーアンプでは、パワー管とスピーカーのインピーダンスマッチングのために必然的に出力トランスを使わざるをえない。出力トランスの得失はあるにせよ、アンプの物理的な特性を向上するには、この出力トランスの存在が大きなネックとなり、出力トランスを使わないアウトプット・トランス・レスの方式がかなり以前のモノーラル時代から研究され、特殊なハイインピーダンスのスピーカーを前提として製品が海外で開発された例もあった。
 現在では、アンプがソリッドステート化され、OTL方式は当然のこととなり、逆に出力トランスを採用したパワーアンプのほうが例外的な存在となっているが、かつてはOTL方式は夢のパワーアンプとして考えられはしても、現実の製品は海外製品を含めて無にひとしい時代であった。
 MQ36は、管球式からソリッドステート式に移りかわる時代に、管球式パワーアンプの性能限界に挑戦するかのように開発された、同社トップランクのパワーアンプであるとともに、管球式パワーアンプの代表作としてデザイン、性能、音質を含めて、オーディオの歴史に残るラックスの最大傑作である。
 特殊双三極管6336Aを片チャンネルあたり2本をSEPP構成としたステレオパワーアンプで、物量を投入した回路構成もさることながら、シャーシーを含むパワーアンプのコンストラクション、オーバーオールのデザインなど、どの点をとってもパワーアンプの頂点に位置するものがあり、現在に生きている素晴らしい製品である。

マランツ Model 2

井上卓也

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」より

 マランツの製品は、最初から単純なコントロールアンプとパワーアンプの組合せではなく、モノーラル時代としては前衛的な、エレクトロニック・クロスオーバーを含めたマルチ・チャンネル方式に発展可能な、いわばシステムアンプの構想をもっている点が、他には見られないユニークさである。
 パワーアンプMODEL2は、その後MODEL5,8B、9とつづく一連のマランツのパワーアンプの原点と考えられる作品である。シャーシーコンストラクションは、他のマランツのモデルとは大きく異なり、パワートランスとアウトプットとランスを組み込んだ長方形の重量感のあるブロックが構造的な基盤であり、これから、片持ち式にひさし状の真空管や電源部のコンデンサーなどを取り付ける、いわゆるシャーシーが取り付けられ、この部分を包むように、横方向からパンチングメタルのカバーがかかる特殊な構造である。
 メインブロックには、出力管のバイアス、ACとDCバランスをチェックするためのメーターとチェック用スイッチがあり、いわゆるシャーシー部分には、出力管を3極管接続と5極管接続に切替使用するスイッチ、ダンピングファクターコントロール、グリッド直結ジャックを含む3系統の入力端子、それに、ダンピングファクターコントロール用端子をもつ出力端子などがある。
 回路構成は、出力管に6CA7/EL34をプッシュプル構成で使い、6CG7のカソード結合位相反転段でドライブするタイプで、電源部の整流管の使用と、出力が40WであることがMODEL5や8Bと異なっている。
 内部の部品配置、配線は見事なもので、丹念に手がけられており、音質も、マランツのアンプのなかで、もっとも素直でクリアーな印象である。

マッキントッシュ MC275

菅野沖彦

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」より

 マッキントッシュが世界のアンプメーカーの雄として君臨することになったのは、多分このMC275によるといってよいではなかろうか。このアンプが発売されたのは一九六一年待つであるから、もう18年前のことである。六一年といえば、ステレオレコードがようやく本調子になって普及した頃であり、このMC275は、業務用としても最高級のステレオアンプとして、多くのレコード会社でカッティングにも使用された。マッキントッシュ社の創業は一九四九年(前3年は準備期間とみてよい)だから、このアンプが出るまでに、すでに10数年を経ている。同社独自の高能率で、優れた特性をもつB級動作のアンプ技術は、バイファイラーワインドトランスとともに磨きをかけられ、その設計開発、製造技術の頂点に達した絶頂期の傑作なのである。そしてまた、管球式アンプの最後の最高の作品としても、オーディオ誌上に不滅の存在といってよいアンプであろう。その堂々たる風格は、アンプの造形美といってよいもので、全くの必然性からのみ構成された一つのオブジェだ。その質感とフィニッシュの高さは内に秘められた優れた動作特性、そして、それらの印象といささかの違和感をも感じさせない緻密で重厚な風格をもつサウンドと相まって、理解力のある人には、見ているだけで最高のオーディオの世界を感じさせずにはおかない魅力的な芸術品といってもよいだろう。10年以上にわたって製造され続けたが、残念ながら今はない。

ラックス L-5, L-10, L-309X, 5L15, LX38, MQ68C

ラックスのプリメインアンプL5、L10、L309X、5L15、LX38、パワーアンプMQ68Cの広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

MQ68C

Lo-D HS-50, HCC-50, HMA-50

Lo-DのスピーカーシステムHS50、コントロールアンプHCC50、パワーアンプHMA50の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Lo-D

EMT 927Dst, TSD15, XSD15, KEF Model 105, Model 104aB, UREI Model 813, K+H OL10, スチューダー A68, B67

EMTのアナログプレーヤー927Dst、カートリッジTSD15、XSD15、KEFのスピーカーシステムModel 105、Model 104aB、UREIのスピーカーシステムModel 813、K+HのスピーカーシステムOL10、スチューダーのパワーアンプA68、オープンリールデッキB67の広告(輸入元:河村電気研究所)
(ステレオ 1979年2月号掲載)

Kawamura

ソニー TA-E88, TA-N88, TA-N9, TA-D88

ソニーのコントロールアンプTA-E88、パワーアンプTA-N88、TA-N9、エレクトリッククロスオーバーTA-D88の広告
(ステレオ 1979年2月号掲載)

TA-N9

GAS Thaedra II, Ampzilla IIa, Thalia, Grandson, ピラミッド T1H

GASのコントロールアンプThaedra II、Thalia、パワーアンプAmpzilla IIa, Grandson、ピラミッドのトゥイーターTiHの広告(輸入元:バブコ)
(スイングジャーナル 1979年1月号掲載)

GAS

ラックス M-6000

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「第1回ステート・オブ・ジ・アート賞に輝くコンポーネント49機種紹介」より

 ハイパワーアンプのジャンルでは、現在においても開発のコンセプトが、いわゆる業務用に重点が置かれるのは、実際の使われ方から考えても当然のことに思われる。とくに、300Wクラスともなれば、業務用途に開発されたモデルが圧倒的に多く、そのほとんどが、いわゆる19サイズのラックマウント仕様のフロントパネルとコンストラクションを備えている。
 ラックスのM6000は、一九七五年に商品化され、すでに3年経過しているが、現時点においてもその開発意図はいささかも古くなく、むしろ、コンセプトを限って企画された発想は最新製品にはない趣味性豊かな魅力として感じられるようだ。そのコンセプトを限って企画されたと感じられる点は、何をおいてもそのデザインに色濃く現われている。フロントパネル面は、別系統のピークレベルメーターを内蔵する2個の大型パワーメーター、dB目盛の左右独立型入力レベル調整、矩形をした大型パワースイッチのいずれを見ても、パネルフェイスをフラットに見せようとする思想で統一され、フロントパネルに続くウッドケースも、額縁状に一端くびれて後部の上部が開閉可能なウッドボンネットにつながる独特のデザインは、ラックスの創成期以前の早川商店が、ガラス輸入商であり、次に額縁商に転じた歴史を象徴するものという、もっともラックスらしく、ラックスでなくては成しとげられない雰囲気をかもしだすものである。これは、19サイズのラックマウントパネルをもち、純粋に機能面から要求されるデザインをもつ多数のハイパワーアンプと、このM6000が全く異なったコンシュマーユースのために開発されたハイパワーアンプであることを明確に示す事実以外の何物でもない。
 M6000の300W十300Wのハイパワーは、コンシュマーユースとしては過ぎたものとの意見もあるであろう。たしかに、平均的な使用と要求度からすれば、正しいと思うが、かつて今は亡き岩崎千明氏が再生音量が極めて大きいことを質問された答として、ディスクに刻まれているローレベルの音をクリアーに聴きたいために、結果として音量が大きくなる、との名言にも現われているように、量的なものと解釈されやすいパワーは、平均的な音量の場合にもいつ訪れるかもしれない強烈なピークを再生するためのリザーベーションパワーの有無として、またスピーカーからのアンプに及ぼすリアクションを制御するためにもパワーの余裕は高度な再生を要求するときには不可欠の条件となり、聴感上ではパワーもまたクォリティにほかならない。
 現実にピークマージンが強烈に高い2トラック38cm速度や76cm速度のテープ再生では、ディスクと同じ平均音量で再生をしても、ピークでは簡単にプロテクターが動作することは、250W+250Wのパワーアンプと、93dB程度の現在の平均的出力音圧レベルをもつスピーカーシステムの組合せでも常時経験することである。これは、最近のカッティングレベルが高くなった最新のディスクでも、パワー不足の状態では本釆ディスクのもつ性能の向上が実感として聴きとれないことにもなるわけだ。ちなみに、カッティングレベルが3dB上昇すれば、ピーク値ではアンプのパワーは2倍必要となり、6dB上昇すれば4倍を必要とすることは単純な計算でも容易にわかることなのである。つまり、M6000の300W+300Wのパワーは、高度なディスク再生を要求すれば必須の条件であり、しかもローレベル時の低歪率化を重要視した設計方針からみても、ラックスがハイパワーアンプを純粋なコンシュマーユースとして開発しなければならなかった背景がうかがい知れるというものである。
 回路構成は、片チャンネル12石構成のダブル・トリプルプッシュブルの出力段、A級動作のプリドライブ段とB級動作の出力段との間に2石構成のエミッターフォロアーを設け、スピーカー負荷によるインピーダンス変動がプリドライブ段に及ぶのを防止する設計、2個の独立パワートランスを使い出力段を別系統にし、ブリドライブ段の定電圧化などオーソドックスな設計方針が見られる。

ラックス MQ70

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 出力管にポピュラーな5極管6CA7をプッシュプル動作で使用したステレオパワーアンプである。出力トランスは、SGタップ、カソード巻線付の2次巻線を単一巻線とした新設計の低損失型で、初段は差動増幅、ラックス高電圧ドライバー管6240G使用の差動増幅ドライバーの3段構成だ。CL36とペアの音は、音の表現力が従来より一段と高まり、適度に活気のある実体感を伴った管球アンプならではの魅力的なサウンドである。

マランツ Sc-7, Sm-7

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 マランツのセパレート型アンプの新製品である。デザイン的には、♯3600、♯3250で2度の全面変更があったが、今回は3度めの変更で、全体に大変華やかな色調をもちながら、コントロールアンプにまで、かつての♯9や♯500に採用された小型のツマミ付サブパネルがフロントパネルの中央下側に付けられた。現代的で、かつノスタルジックな雰囲気をもつ従来にないユニークなデザインとしているのが特長である。
 Sc7は過渡的音楽信号を忠実に再現するために低TIM設計を導入し、DC構成の各アンプは全てオープンループ利得を下げ、NF位相補正技術により入力信号と出力信号間の時間差、位相差を抑える設計方針で開発されている。機能面では、左右独立型で中音も含めたトライコントロールがTAPE・COPY時にも切替使用が可能となり、その他にカートリッジの負荷抵抗をMC型4段、MM型5段に切替えるセレクター、イコライザー段出力を直接出力端子に送り出すバイパススイッチ、DC構成のMCヘッドアンプが新しく加えられた。なお、2台のテープデッキ用の独立したレコーディングセレクターは、♯1250の機能を受け継いだデッキファンには魅力的な機能であり、500mWのヘッドフォンアンプを備える。
 Sm7は、低TIM設計の150W+150Wの出力をもつDC構成パワーアンプである。パワートランジスタ一には従来のマルチエミッター型のバラスト抵抗の電圧降下による高域特性の低下を改善した新デバイスを4個並列接続とし、2次巻線を左右分割した左右独立電源と伝統的な大容量、高性能電解コンデンサーを使った強力な電源回路、エネルギーセンサー型保護回路、大型対数圧縮型出力メーター、それに電力増幅段に直接つながるダイレクトスピーカー端子、AB2組のスピーカー切替スイッチを傭えている。
 Sc7とSm7の組合せは、現代のアンプらしい音の粒子が細かく、滑らかで伸びきった広いfレンジをもち、150W/チャンネルのハイパワーアンプならではの充分に厚みのある力強いサウンドを聴かせる。質的にも量的にも♯3250、♯170DCを確実に1ランク上回った信頼にたるべき価格に相応しいセパレート型アンプに思われる。

オンキョー Integra P-307, Integra M-507

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 最新のオンキョーのセパレート型アンプは、DCアンプが特性面でDCまで伸びた帯域の広さが逆に音質面に及ぼすデメリットを技術面で検当している。その結果、不要な超低域をカットすることにより音楽信号のエンベロープ再生を明確にし、音楽信号の分解能の向上、NF回路を含めた結合コンデンサーの除去の2点を達成できる新回路方式スーパーサーボを開発し全面的に採用しているのが特長である。
 P307は、MCヘッドアンプ、イコライザー、トーンコントロールの3ブロック構成で各段共に新方式を採用している。機能面ではトーンコントロール用にラウドネスコントロールとフィルターを組み合わせた全てパッシブ素子構成で信号経路内にコンデンサーのないダイレクトトーン方式を採用し、トーンコントロールとしてはボリュウム位置が12時付近までは通常のトーンコントロール動作、それ以上は位置に応じてブースト量が減少する独特のタイプとしている。
 M507パワーアンプは、ABクラス動作で、しかもスイッチング歪が極小な特殊バイアス回路をもつ、リニアスイッチング方式を採用したスーパーサーボ方式で不要な超低域成分をマイナス70dBまで排除した、左右独立直結給電方式ハイスルーレート型で、150W十150Wのパワーをもつ。
 この組合せは豊かで弾力的な低域をベースとし、滑らかでキメ細やかな中域から高域がバランスした明るく伸びやかな音をもつのが特長である。

ローテル RC-5000, RB-5000

井上卓也

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 19型ラックマウントサイズの分厚い黒色仕上げのパネルをもった大型のコントロールアンプとパワーアンプである。
 RC5000は、機能面で3系統のテープ入出力端子、同じく3系統で1系統はMC専用入力となるフォノ入力、各2段切替の高音、低音フィルター各3段切替のミューティングとラウドネスコントロールをはじめ、10素子のオクターブイコライザー、左右独立したマイクミキシング回路など、まったくのフル装備であり、AUX1の入力と出力は600Ωバランス型でキャノン端子を使用している。各アンプユニットはすべてDC構成で、電源部は3電源方式を採用している。
 RB5000は、定格出力500W+500Wの超弩級パワーを誇る大型のパワーアンプである。内部のコンストラクションは、左右対称に2個のDC構成パワーアンプを置くタイプで左右チャンネル間の干渉が動的にも静的にも無視できるほど少なくした設計である。パワー段はハイパワートランジスターを各チャンネル4個パラレルで使用し、特性の対称性が優れたダイアモンド回路応用のパーフェクトコンプリメンタリー方式と呼ばれるタイプで、AB級動作である。電源部は、超大型トロイダルトランスと22、000μFの電解コンデンサーが2組左右チャンネル用に使用されており、重量は53kg。機能面では、感度3段切替の対数圧縮型パワーメーターと各チャンネル8個のLEDを使用したピーク表示ランプ、アンプの電源投入後ウォームアップ完了を指示するスタンバイインジケーター、3系統のスピーカー端子、キャノン端子とRCA型ピン端子が切替使用できる入力端子がある。