瀬川冬樹
ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか」より
デンオンは、数年以前に、プリメイン型のPMA500、700でその技術のたしかさを強く印象づけて以後、いつまにか方向を転換してしまったのか、最近までの製品は、どことなくかつてのあのぐいぐいと聴き手の心をとらえる音がしなくなってしまっていた。
それが、今回の新型セパレート、PRA2000とPOA3000との登場で、一挙に飛躍をはかったと聴きとれた。PRA2000のほうがひと足先に完成しているが、試作初期の段階では、どちらかといえば今どきこんな音のプリじゃどうしようもない、というような印象だった。ところが、二度めに聴かされたプリプロ(量産直前の生産モデル)機では、一転して、音の質の良さ、鮮度の高さ、解像力と立体感の表現のよさ、あらゆる点からみて、第一級のプリアンプに仕上っていた。
POA3000は、試聴時の製品はプリプロ機なので、量産に移った製品がこの音質を保つかどうかは、いましばらく確認の時間と機会を待たなくてはならないが、しかし現時点での音をひとことでいうと、きわめて上質のウエルバランス、とでも言ったらいいのだろうか。
国産アンプの性能が一様に高い水準に達した現在でも、その音色、音の質(品位、クォリティ)、そしてバランス、音の鮮度(フレッシュネス)、そして音の生きている感じ、などといったいろいろの角度からみるかぎり、満点のつけられる製品は決して多くはない。概して国産アンプの音色は湿り加減、というよりも湿気を含みすぎているようだ。それだからときとしてアムクロンのような、乾いた音の快さを感じるのかもしれない。音の質はよく磨きあげられて粗さはほとんどおさえられているが、それと同時に音の生命感までも抑え込んでしまって、音楽の躍動感、実在感が希薄になってしまうようなアンプも少なくない。バランスという点では、これも概して低音の量感、ほんとうの意味での量感が不足している例が多い。ニセの量感で鳴るアンプはある。けれど音楽を確かに形造る腰の坐りのよい、しかし重くならないで、生き生きとよく反応する機敏さを保ちながら、十分の量感で土台を支える音は、アンプばかりでなく国産の音の最もニガ手の部分だろう。
デンオンがそうした面のすべてをうまく鳴らす、などとオーバーなことはこの際言わないけれど、まず鳴りはじめから、国産らしからぬ、嫌な湿度を感じさせない快く乾いた質感にオヤ? と思わせられる。十分にひずみ感の取除かれた美しい音質だが、某社のようにどこか作りもの的な、まるでノイズストレッチャーを通したかのような人工的な白痴美の音でもないし、反対に血の通わないメカニックな正確さでもない。また、これぞ解像力といったような音の鮮度をことさら誇示するわけでもなく、要するにそれらが過不足なくよくバランスしている。つまり鳴っている音の部分部分に気をとられることなく音楽そのもの、または楽器自体の持っている美しさとその美しさを形造っている音色の特質を、十分にとまではゆかないまでも、こんにちの最高クラスのアンプと比較してもなお、相当の水準で鳴らし分ける。ことさらの作為を感じさせない。音のまとめ方──というより聴かせ方は、アムクロンとも一脈通じるかもしれないが、アムクロンほど即物的でなく、力感と繊細さ、男性的な堂々とした印象と女性的な色艶とが、くどいようだが十分とまではゆかないにしても、対比されつつ鳴ってくる。必要な音が必要なだけ出てくるという感じで、むろんボリュウムを思い切りあげてみても、たとえば「ダイアログ」のバスドラムの音の力感もまず不足はない。たまたま、IVIEの簡易アナライザーで某氏が測定していたところ、バスドラムの低音で、32Hzの目盛が109dB/SPLまで振れた。そういうパワーを鳴らし続けても、聴き手に不安を与えない点もまたみごとといえる。
少しほめすぎになってしまっただろうか。ともかく、パワーアンプがプリプロ機であったから、前述のように量産に入ってからぜひもう一度聴き直してみたいアンプであった。
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