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オンキョー Integra A-722nII

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 A5やA7の新シリーズのグラマラスな中低音、少々野放図に感じられる音より、このアンプの音は品位では勝っている。やや細身の音と感じられる部分もあるし、中音の肉付きがもう少したっぷりしていいように感じるが、このぐらいコントロールされていたほうが、端正な音楽のバランスが得られる。帯域の広さとしてはむろん、なんの不満があるわけではなく、むしろA5、A7のほうがコントロール不足のように思えるのである。弦楽四重奏に聴かれる品のよいアンサンブルのまとまりと対照的なジャズやロックの迫力と締った音の充実感は、プリメインアンプとして第一級の実力を認めてもよいだろう。不満としては、もう少々潤沢な柔らかい艶の肌ざわりを持った弦の内声部とピアノのフェルトハンマーによる打弦感がリアルに出るといいと思われるが、このアンプについては、むしろこの気位の高い端然とした響きの姿を高く評価したと思う。

トリオ KA-7700D

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 きわめてワイドレンジを感じさせる音でありながら、音楽の表現に重要な中域の充実した聴きごたえのある音。高域に独特の色彩感と触感があってリアリティを効果づけているが、プログラムソースによっては、それが気になることがある。特に弦楽器のハーモニックが味つけ過多の印象でもう少し素直に、しなやかに響くべきではないかと思う。反面、こうした特質は、管やピアノにはプラスと働くようで、艶と輝きのある音色効果は演奏表現を魅力あるもにする。余裕のあるパワーはさすがに力強く、数Wの範囲で鳴っている時でも音が締って力強い。どちらかというとソリッドな音で、空間を漂う繊細なニュアンスの再現より、実在感のある楽器の直接音の再現に力を発揮するアンプのようである。トーン回路による音の変化は少ないほうだが、やや甘く、音がひっこむ感じになる。SN比は大変よく、特性の優秀な高性能アンプの名に恥じないものだ。

ソニー TA-5650

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 価格に比してパワーは小さいが、その分中味の充実さを買ってもらおうという意図は充分達成されたアンプだと思う。実際のパワー以上の余裕ある音質感は、音楽を豊かに再生し、神経質な線の細さを感じさせない。音の立体感があって弾力性に富み、血の通った、たくましさと暖かさをもっている。空間の再現がよく、ステレオフォニックな音場がふわっと両スピーカーの間にたちこめる様は見事である。こうした豊潤な音は、私が従来のソニーのアンプに持っていた印象とは別物であり、最近の同社のスピーカーの示した変身ぶりとも相通じるものがある。無機的な響きがどうしても気になっていたソニーのオーディオ機器が、これほど人間的な値の通いを感じさせるようになったのは同慶にたえない。音楽のように人間表現そのものが生命といってよいものにあっては、こうした血の通いや心の躍動をニュアンス豊かに再現してくれるものでなければなるまい。

「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 プリメインアンプ35機種のヒアリングテストを終えた。5万円台から10万円台まで17社の製品であった。おそらくオーディオ・コンポーネントシステムの構成に、このクラスのアンプは、最も多く使われるものだろうし、メーカーにとってもユーザーにとっても、一番重要な主力製品といえるだろう。本誌がまとめた本年の1月10日現在のプリメインアンプ価格分布表を見てもその機種数は、3万円台に次いで、5、8、6万円台がそれぞれ多い。3万円台はいわゆるシスコン風のプリメインアンプとみてもよいだろうから、本格的なコンポーネントとしてのプリメインアンプは5万円台から10万円台に分布していると見てよいだろう。ごく少数、20万円台以上の製品もあるが、そのぐらいの値段になると、セパレートアンプとオーバーラップして、むしろセパレートの価格帯域と考えてよい領域に入るであろう。したがって、今回の本誌のプリメインアンプのテストは、文字通りプリメインアンプのすべてといってもよいものだし、それだけにテストに加わった一員として、その任の重さを感ぜずにはいられなかった。
 そもそも、アンプによる音質の変化というものは、その表現が大変に難しい。私の役目は、その音質の試聴感にのみ限られていて、アンプとしての操作性や、動作、総合的なデザインや完成度などといった視点からの判断は除外されているのであるが、だからといって、そうした要素を全く切り離してアンプの音だけが純粋に評価し得たとも思わない。できるだけ、そうするように努力はしたが、人間の総合感覚として、どうしても視覚的、触覚的要素を完全に切り離すことは困難であるし、また、そうすることは不自然である。ブラインド・テストという方法は、目に見える部分を無視するか、共通・同一の条件と仮定してなら意味があっても、きわめて非現実的であって、特に私個人のオーディオ感からは全く無意味である。これについて詳しく書いているスペースはないが、要は、人間を基本に考えた、生きた評価が重要で、それ以外の定量、定性的評価は測定に頼る他はない。そして、その測定の満たせない部分を、人間的に判断する意味があるからこそ、こうしたテストがおこなわれるものだと思うのである。
そんなわけで、私のテスト記は、決して機械的正確さはないことを、はっきりお断りしておきたいのである。したがって、少々極端な表現が出て支障があるかもしれないが、それは私の性質であり、癖であるとお考え願えれば幸せである。思ったことを率直に述べるのが、私の性分なので、何とぞ御寛容のほどをお願いする次第である。この種のテスト記は、筆者が、いかなる人間であるかという理解が前提になってこそ、意味があると私は思っている。狭くは、その音と音楽への思考や思想であろうけれど、本当は、人となりすべてが大きく影響するはずだ。また、それが重要だからこそ、本誌でも一人のテスターではなく、数人のテスターにやらせているだと思う。だから、テスターによって評価が異なることは至極当然であろう。ただし、大筋において、評価が一致することも当然であろう。このことに感心をもたれ、各テスターの評価を、読者諸兄なりに総合して判断されれば、参考になるではないかと思う。よくAという人とBという人の評価が全く違うから、この種のテストは信用できない、でたらめだという批判を聞くが、それはあまりにも単純だし、音や音楽と人間との関係を無視しすぎる考えだと思う。そういう考え方では、オーディオのすべてが不信の対象になってしまうだろう。本誌の愛読者ならば、そんな考えをもっておられるはずはないとは思うが、どうしても、今一度お断りしておきたい問題なのである。
 私のテストは、瀬川冬樹氏と同時におこなわれた。二人で、同時にレコードを機器、一台一台、その場で試聴記を書いて編集部に渡すという方法であった。このほうが印象が新鮮だし、あとで現行をまとめるより、率直でいろいろな思惑に悩まされることがなく、私には好ましい方法だと考えたからだ。それも、先に述べたような考えが私にはあるからであって、もっと、総合的に、それぞれのアンプに対する評価を述べるとなったら、とてもこの方法では無理であったと思われる。他の専門家による測定その他の客観的な評価と合わせて、一つの完成した評価が、それそれの読者のイメージとして把んでいただけるのではないだろう。
 次に、35機種のプリメインアンプを試聴した全体的な印象について、個々の試聴記で述べられなかったこと幾つかを、ここに記すことにしよう。
 まず強く印象に残ったことは、アンプがよくなったということである。データを見てもわかるように、諸歪率は、ほとんどのアンプが、コンマ・ゼロ何%以下という値であり、SN比も最低70dBを越えている。こうしたデータと音質の関係は、ほとんど耳で聴いて判断は不可能であるから、これをもって、アンプがよくなったと断じるのは早計かもしれないが、計測し得るデータはよいほどよいというのが私の持論だし、音質や音色の魅力は、その上でのことだと思っている。事実、ほとんどテータに変わりのない二つのアンプが、音では全く異なった印象をもつものが珍しくないのであった。アンプの音質の差というものは、たとえていうなら、人間の体質のようなもので、スピーカーやカートリッジが、人間の顔を中心とした、体形などの造形的違いとすれば、アンプのほうは、肌のキメの違い、肉のしまり具合の違い、体温の違いとでもいった印象の差として現われる場合が多い。したがって
、こうした細かい点に注意しなければ、どんなアンプでも、美人ぞろいであって、プログラムソースや、スピーカーの造形を変えてしまうようなひどいものは、今や見当らなくなったのである。そのわかり、ひと度、そうした質に感じる感性を養った人にとっては、きわめて重要な本質的な品位と性格を決定するのがアンプの音だといってもよかろう。データが一様に向上した現在も、こうした質的な違いは、すべてのアンプに残されていたのである。今や、回路図とデータを見ても、そのアンプを知ることはできない。アンプに関するそれらの資料は、見合いの相手に関する履歴書と、慰藉の診断書みたいなものだ。高調波歪0・01%とか、周波数帯域DC〜500kHzなどというデータは、見合い写真に、胃袋のレントゲン写真を見せられたようなものだ。会ってみなければわからない。聴いてみなければわからないのである。いいアンプづくりのノウハウは「優れた回路設計と同様に、部品の選び方や、シャーシを含めたコンストラクションなどの現実の工法にウェイトがある」と語った、あるアメリカの私の友人の言葉が思い出される。設計だけでは、いいアンプは出来ないというのは当り前のようであるが、従来のアンプ製造は、どちらかといえば設計に80%以上のウェイトがおかれていたのではあるまいか。建築設計というものは、工事の現場からのフィードバックが重要なプログラムであるらしい。アンプづくりと家づくりはちょうど逆の性格をもっているのではないか。設計図なしで、立派な家を建てたのが昔の大工である。現場を知らずに精密な設計図を書くのが今の建築師である。アンプでは、今までは設計図重視であった。そして、その結果の確認は、測定データであって音ではなかった。今、現場の工事が、唯一の目的である音に大きく影響を与えることが認識されはじめたのであろう。これだけ多くの大同小異のデータをもったアンプが、それぞれ異なったニュアンスで音楽を鳴らすのを聴くにつけ、アンプがよくなったという実感とともに、面白くなった、難しくなったという感慨を持ったのである。
 もうひとつ、書き落としてならないことは、新しいものが必ずしも古いものより優れていなかったということである。もちろん、なんらかの点で、より優れたものが出来たからこそ、新シリーズとして誕生するのであろうが、実際に音楽を聴いてみて、明らかに旧シリーズのほうが勝っていたと思われるものが少なくなかったのである。データ上では、新しいものは必ず改良されているのを見るとき、何か見落としてはならない大切な問題の存在を感じるのである。
 音というものは、本当に難しい。しかし、味なものである。エレクトロニクスの粋であるアンプが、こんなに音のニュアンスに噛み合ってくる事実を知るとき、電子の存在に、一段と親しみを感じるのを覚えた次第である。

マランツ Model 1250

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 確かな手応えと輝かしい魅力をもった音のアンプである。たくましい躍動感のあるベースの弾力的なはずみのある音はリズムに血が通う。華麗で艶っぽい高域は、プログラムソースによっては少々個性が強過ぎる嫌いはあるが、中低音が大変に品位が高いので、破綻としては感じられない。なにを聴いても音楽がリッチに響き、いじましさや、ドライな寒々しさは全くない音だ。空間のプレゼンスも立体的な奥行きがあって、実在感の豊かなしまった直接音を華麗に包み込み、決して野放図な空虚感にはならない。声の艶や湿感は色あせず、生き生きとして、みずみずしい。弦楽器の高域が一番このアンプに対する好みの分れるところだろうが、強調感はあるが、ゆとりのないヒステリックでドライな響きとはちがう。艶であり、輝きである。かなり明確な個性をもったアンプだが、音楽的な情緒を絶対に失わないので大きな魅力となる。昔ながらイメージの残るパネルフェイスもいい。

パイオニア SA-9900

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 パイオニアのアンプは、どれを聴いても快い質感を持っている。これを言葉で表現するにはとても与えられた次数では無理に思えるのだが、とにかく感触がいい音なのだ。このアンプも、同じように、そうしたタッチと、ウェル・バランスドな、大変まとまりのいい音であった。なにを聴いても、実によく音楽の特質を生かし、魅力をちゃんと再現するのである。コンストラクションもパネルデザインも、操作性も、この音と同じように、本当によく出来ているアンプだ。スピーカーを選ぶ傾向も他のアンプと比較して神経質ではなく、スペンドールもJBLも、その特質をよく生かして鳴らした。とびきり高級な品位と風格を備えた次元には至らないと想われるが、これだけ妥当な再生音を聴かせてくれるアンプは、ざらにはない。脱帽する。キメの細かさが立体的な力強さと相まって、なんとも聴き心地のいい音のアンプであった。

ソニー TA-F7B

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 力強い活気のある音だが、どうも電気臭い匂いが鼻についてくる。マルチトラックのミクシング・ダウンを最高のレコーディングシステムと考えている人達や、そのサウンドに何の疑問を持たずにすむ感性には大層効果的に響くアンプだろう。率直にいって、洗練された美しい音を素材とした高次元の音楽の再生には、このアンプの品位では追いつかない。おそろしいもので、声や楽器の表情が影響をうけて、演奏の品が下って聴こえてしまうのである。優れた特性をもつアンプであることは認められるのだが、ほんのちょっとしたこと、しかし、一番重要なことで、アンプの音が決定的になる。試聴に使った2台のスピーカーでは、スペンドールが全く真価が殺される。JBLのほうは、それなりに、効果的には鳴る。JBLが生きるわけでは決してないが、このスピーカーの物理特性の余裕が、こうしたエフェクティヴなサウンドにも効果を発揮するということだ。

ラックス 5L15

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 明るく抜けきった、きわめてワイドレンジの広い優秀な特性を想わせるアンプである。それでいて、弾力性のある質感と、軽くふわっと湧き上るような空間の再現のデリカシーも得られる品位の高さである。しかし、高音域のややきついヒステリックな刺激性と弱々しさが、プログラムソースによっては気になるし、スピーカーをかなり選ぶ傾向があるようにも感じられる。試聴ではスペンドールがベターであって、JBLはバランスをくずす。今までのラックスのサウンドとは画然とした違いのあるもので、品位の高さは同次元に近いが、まるでセンスの違う音という印象だ。フィッシャー=ディスカウの声には38FD/IIとはちがうけれど、品位の高さでは迫るものがあったが、弦合奏になると、高弦の破綻が現われる。ただし、これはレコーディングのアラかもしれず、38FD/IIがこれをまくこなしてしまうと判断すべきなのか? 難しいところだ。

ラックス SQ38FD/II

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音と俗なアンプの音の肌ざわりの違いは、まるでコーデュロイとヴェルヴェットのそれのようだ。フィッシャー=ディスカウの声の滑らかな艶と柔らかいニュアンスの中に、ぐっと力の入った筋肉質な喉のヴィヴラートのリアリティがこれほど魅力的に再現されたアンプは他になかったといってよい。弦楽器もしなやかで、まるで音の出方がちがうといった印象。あたかもスピーカーが変ったような、音の根本的なクォリティが上等である。ジャズやポピュラーにもその通りの品位のよさに変わりはないが、音楽の性格との違和感がある。全体にエネルギッシュなインパクトがなくなってしまう感じである。こう書いてくるとクラシック向きというようにとられる危険性があるが、たしかに結果的にそうなるのかしれない。このアンプの30Wというパワーからして、また、練りに練られた音の質感からして、デリカシーの再現が生命となるような音楽に向いていることは確かだ。

ローテル RA-1412

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 まず、大型のアメリカ人好みの、ものものしいパネルフェイスに度肝を抜かれる。決して品のいいルックスではないが、少なくとも、国産アンプのほとんどがそうであるような画一性からは独り立ちした個性をもっているし、仕事として力の入ったものだ。ところで音だが、これがまったくルックスとは違って、耳触りのよいキメの細かいスムーズな高音のラインを響かせながら、しっかりと充実した中低域にサポートされている立派なもので、なにをかけてもちゃんとプログラムソースの特徴を再現する。フィッシャー=ディスカウの声の魅力も見事だし、対照的な大オーケストラのfffパートで、バランス、音色分析ともに乱れがない。ピアノの質感も、ややタッチが軽くなるが、明晰で音色の表現もまずまずであった。もう一つ、締って充実した音の品位の高さがあれば特級品だ。各種スイッチ類もノイズを出さないし、残留ノイズも少ない優秀なアンプである。

ヤマハ CA-2000

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音は1000IIIとは大分素性がちがう。パワーでは20W大きいのだが、音の勢いがまるでちがう。音に生命感があって、音楽が生きてくるのである。大変品のよい、洗練された質感はヤマハのアンプであることがわかるが、その品のよさだけでなく、エネルギッシュな充実感のあるプログラムソースでも、これなら不満がなく火花を散らすようなインパクトを持って鳴り切るのである。弦楽四重奏などを聴くと、端正な瑞々しさが生かされ美しいし、オーケストラでは、スケール感の大きい、しかし決して粗野にならない節度を持ったソノリティが演奏の質の高さをよく生かした。ピアノの再現も明るく透徹で、もう一つこくのある、油ののった艶のある音色の輝きが出きらない嫌いはあったが、実感溢れる生き生きしたものだった。美しい音と力がバランスしたこのアンプはMCインプット、Aクラス動作、抜群のSN比と、高級アンプの名に恥じない。

トリオ KA-9300

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 最高級プリメインアンプにランクされる製品としての実力は備えているアンプだと思う。音の品位は高いし、なにをかけてもその音楽的特質をよく再現する。フィッシャー=ディスカウの声はソフトで、たっぷりと響き、豊かだし、クヮルテットも、高域にやや味の素の利き過ぎる感じはあるが雰囲気はよく出る。オーケストラの強奏への安定性はよく堂々としたソノリティと、明解な音色の分離で混濁することはない。コーラスも透徹なさわやかさだ。ピアノは少々モノトーンに感じられ、もう一つデリカシーが足りないが、立体的な粒立ちがよい。ベースもよく弾む。ただ、全体に妙な表現で恐縮だが、ゴム質の質感があるのが聴けば聴くほど気になってくる。これば決して嫌な感触ではないし、人によっては快かろう。しかし、この粘りつくようなセクシータッチは、湿って重苦しく感じられてくる。もう一つ明快に晴れ上ってほしいものだと思う。

ダイヤトーン DA-U850

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプの音は充実している。細かいところを問題にする前に、この豊かで輝かしい音の質は高く評価したい。ところで、問題は弦楽器の高い音域での一種ヒステリックなキャラクターで、これは、金管や打楽器系の再現では気にならないが、ヴァイオリンでは明らかに癖として出てくる。弦楽四重奏を聴いて、その点を強く感じた。一つ一つの音の彫琢の深さ、音の持っている弾力性のある実感は見事なものだけに、ここがスムーズに出てくれば高級アンプとしても最高の部類に入れられると思う。フィッシャー=ディスカウの越えなどに聴かれる美しく気品にみちた再現、ピアノの芯ががっちりしたタッチ感と、その輝かしい音色の再生は立派であった。ベースもよく弾むし、力感も十分で、定位や空間の再現も申し分ないものだ。残留ノイズは、現在の高級アンプとしてもう一息といったところだろう。実力のあるプリメインアンプだと思う。

サンスイ AU-10000

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 艶と油気の多い充実したサウンドは、ジャズやポップスには大変魅力的な再生をしてくれる。音のクォリティは高く、ソリッドな密度の高い手応えのあるものだ。アン・バートンは、このアンプが今まで聴いた中ではベストといってよいほど、声の魅力が生き生きとしてくるし、「サイド・バイ・サイド」のピアノの音も大変満足した。演奏の所作とでもいえる、ちょっとしたニュアンスがアンプによってずい分変るのだが、このアンプで聴くといかにも人間味豊かな八城一夫らしいタッチの妙が生かされる。反面、フィッシャー=ディスカウの声は少々粘り、エッシェンバッハのピアノの中低音も不明瞭な感じになる。空間のレゾナンスガ中低域で強調される傾向だ。JBLを鳴らすと、実に巧みにコントロールがきいて中高域がスムーズである。弦楽四重奏には軽妙な味や品のいいデリカシーの再現が少々不満であった。トーン・ディフィートでは大きく音の鮮度が変るアンプだ。

ラックス L-309V

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 楽器や演奏の持つ美しい質感をよく再現するアンプで、ハイセンスの音の品位と風格を持っている。オーケストラの持つヴェルヴェットのようなクォリティ・トーンをよく再現するし、ピアノ一音一音のデリカシー、輝かしい音色を生き生きと再現する。こうした微妙な音色感が得られるか得られないかが、10万円を越えるアンプの評価の分れ道だと思うのだが、このアンプは、はっきりその水準を越えている。もちろん5〜6万円クラスのアンプにもそういうものがあるのだが、10万円以上のアンプでも、その再現をなし得ないものが多いのだ。ただ、文句をいいたくなるのは、ノイズレベルが最新最高の水準に至っていないことで、残留ノイズも少なくないし、ボリュウムを上げた時のノイズの増加も、ゲインに比して多過ぎる。最新の製品ではないのである程度はやむを得ないが少々気になる。見た目の風格も、さすがにベテランの落着きと重厚さで品がいい。

デンオン PMA-701

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 このアンプで一連の試聴レコードをかけると、不思議なキャラクターが加わる。ウッドベースは、エレキベースの表情を持ち始めるし、ピアノの音の抜けも悪く、冴えがない。フィッシャー=ディスカウの声は、気品が一つ落ちるし、アン・バートンの声は、娼婦的になるのである。オーケストラのfffは、コントロールを失うようだ。全体にさわやかさや、雰囲気が再現しきれないようだ。悪いことばかり並べたようだが、これを、そのまま極端に受け取られるとあまりこのアンプがかわいそうなので弁護すると、音の肌ざわりは、とげとげしたところがなくて、なめらかなほうだし、曇りの微妙なニュアンスを問題にしなければ、いわゆる歪み感はない。だから、このアンプだけを聴いていれば、そうしたことに気がつかない人もいるだろう。しかし、全帯域のエネルギー・スペクトラムが、どこか平均していないようなノイズのキャラクターも感じられるのである。

テクニクス SU-8080 (80A)

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 高い技術レベルに支えられたアンプだということが聴いてもよくわかる。プリメインアンプとしてユニークな構成で、インプットのイコライザーからダイレクトにパワーに入れるトーンディフィートなどの発想は新しい。音は、いかにも端正で立派である。品位が高く、色づけのない素直なもので好感がもてるけれど、豊潤なソノリティを出し切れないのが、もう一つ、このアンプの魅力に欠けるところだと感じられた。クヮルテート・イタリアーノのベートーヴェンの初期の弦楽四重奏など、フィリップスの華麗な音色をコントロールして格調の高い響きで聴かせてくれるが、オーケストラの中低域のニュアンスや、ピアノの巻線領域の豊かさなどの抑揚に、もう一つ血が通わない再生音になる。自分の作ったレコードにしか自信を持っていえないが、試聴に使った一枚では、明らかに意図したリズムの豊かな躍動に不足を感じた。客観的に素晴らしいアンプだと思うのだが……。

サンスイ SP-G300

菅野沖彦

スイングジャーナル 2月号(1977年1月発行)
「SJ選定新製品」より

 ジャズをリアルにきいて、音楽的実体験をするのが私の理想である。音楽的実体験とは自分が、音楽する行為であって〝今、レコードを聴いている〟などというさめた、なまぬるいものではない。自分の頭の中、心の中、身体中にみなぎる音の表現が、スピーカーから出てくるそれと完全に同化し一体化することといっていいかもしれない。コルトレーンのレコードをかける時はコルトレーンになりきり、ロリンズではロリンズになりきるのだ。八城一夫が弾くピアノは自分が弾いているのである。こうなりきれるには、その演奏表現が自分と同化できるものでなくては駄目で、異質な表現、異なる呼吸、くい違うリズムが演奏されるとこの行為は破壊され、私は音楽から完全にはずれ、おいてけぼりを喰い、しらける。趣味のあわないセンスも決定的に、この行為を不可能にする。好きなアーティストや好きなレコードとは、この行為を可能にしてくれるものだと思っている。音楽の理解とは、こういうことなのではないかと思うのだ。嫌いだ、合わないという断を下す前には、自分自身が、その音楽の次元に至っていないことをも謙虚に内省すべきであるし、努力してその音楽と一体になるべく自分を磨くぺきだとも思う。しかし、どうしても自分に合わないものは必らず存在するものだろう。
 レコードは反復演奏が可能なために、こうした一体行為への努力をするには都合がいい。もちろん、一度も聴いたことのないアーティストの演奏会で、初めての出合いで一体化し得ることもまれにあるし、そんな時の喜びは、もう筆舌に尽し難い。
 レコードをかけて、この一体化の行為を営む時に、私にとって再生装置のクォリティや録音制作の質と性格は大変に重要なのである。それがジャズである場合、私は、どうしても、高い音圧レベル、大きな耐入力をもった余祐あるスピーカー・システムが必要なのだ。ちょっとパワーを入れると歪んだり、危っかしくなるようなスピーカーは、せっかく、好きなアーティストと素晴しい録音であるにもかかわらず、私のしたい一体化の行為、つまり、音楽的実体験に水が注がれてしまう。私が使うリアルとか、リアリティとかいう言葉は、この音楽的実体験という意味であって、決して、生と似ているという狭い範囲の意味ではない。生と似ていることそのものは結構であるがたとえ、生と比較して違いがあっても、この実体験が出来れば、私はレコードと再生装置に100%満足する。むろん、この実体験の基本的な感覚は生の音楽を聴くことにより、下手ながら楽器を弾くことにより育ったものであるが……。
 このサンスイの新しいスピーカー・システムは、私に、この実体験をさせてくれた。抜群の許容入力と堂々たる音圧レベル。まず、この最低条件をよく満たしてくれた。いくら、この条件が満たされたからといって、アンバランスな帯域特性や、耳障りな音色の癖がひどくてはやはり白けるが、この点も、まず、私の感覚に大きな異和感を生じさせない。小レベルのリニアリティーもよく、敏感にピアニッシモに反応するしスタガーに使われているという2つのウーハーとツイーターのつながりもスムースで快い。難をいえば、低音に、もう一つ、柔軟さと軽やかさがほしい。ツイーターとのつながりからも感じられるのだが、このウーハーの中音から高音へかけての質と、ネットワークによるコントロールは見事であって、それだけに、低音に欲が出るのである。実体験をしている最中に、いい意味で一体化からはぐらかされることがある。それは、あまりにも素晴しい音がスピーカーから出る時だ。聴きほれるというのだろう。このサンスイSP−G300には、そこまでの魅力はない。幸か不幸か、私の音感覚のほうが、このスピーカーよりちょっぴり洗練されているらしいと思いながら、しかし、全く白けることなくジャズを体験することが出来たのである。

ソニー SS-G7

菅野沖彦

スイングジャーナル 1月号(1976年12月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ソニーが私の感覚のアンテナにひっかかるスピーカーを出してくれた。長年にわたって同社は、スピーカー・システムに力を入れてはきたが、不幸にして、これはいけるという感じを率直に持てたものがなかった。
それも大型システムほど不満があって、スピーカー・システム作りの困難さを推察していたのである。もっとも、同社が、ユニット作りから本腰を入れ始めたのは、比較的最近のことであるらしい。しかしながら、このソニーSS−G7のようなシステムを作ることが出来たのは、明らかに開発者の熱意と、オーディオの実体への認識が支えになったことを思わせるのである。変換器としての物理理論とデータの確認だけでは、良いスピーカーが出来ないという過去の事実を謙虚に受けとめ、より緻密な科学的分析と、録音再生のメカニズムのプロセスへの一層の理解と実体験を積み重ねた結果の、一つの成果が結実したことは同慶にたえない。
 SS−G7は、38cm口径をベースにした3ウェイ・システムで、ミッド・レンジが10cm口径のバランス・ドライブ型と同社が呼称するコーン・スピーカーだが形状は、ドームとコーンの中間的なもの、ツイーターは3・5cmのドーム型である。ウーハーのコーンはカーボコーンと称する同社のオリジナルで、炭素繊維とパルプの混合による振動系にアルニコ系鋳造マグネットによる効率のよい磁気回路、駆動ボイス・コイルは100φの強力型で、優れた耐入力特性と高いリニアリティを得ている。スコーカーはコーンだが、実効的にはドームに近く、ツイーターは、20μ(ミクロン)厚のチタン箔の振動板だ。これらのユニットは、バッフル上にプラムインラインという方式で取付けられているが、これは、各ユニットの取付位置をただバッフル平面上につけるのではなく、振動板の放射位相関係を調整し、音源の等価的位置をそろえるという考え方のものだ。エンクロージャーは位相反転型だが、造りのしっかりしたもので、バッフル面は、これまた同社らしい特別な呼称がつけられている。AG(アコースティカル・グルーヴド)ボードというそうで碁盤の目のように表面がカットされていて、これによって、指向性の改善が得られているという。 たしかに、このスピーカー・システムの音は、豊かな放射効果を感じさせるもので、プレゼンスに富み、音像の定位も明解だし、豊潤なソノリティが、楽音をのびのびと奏でるものだ。ユニット配置の工夫や、AGボードが生きているとしたら、これ1つをとっても、従来の無響室における軸上特性の測定などが、いかに微視的な氷山の一角を把えていたに等しいかが評明されるだろう。ユニットやネットワークにもやるべきことを真面目にやって、さらに、それを音響的に多角的な検討をしてシステムとしてのアッセンブルに移すというオーソドックスなスピーカー作りの基本を守りながら、聴感を重視して試行錯誤をくり返した努力の跡がはっきりわかるのである。とにかく、このスピーカー・システムは、音楽が楽しめる音であり、楽器らしい音が再現される点で、ソニーのスピーカー・システム中、飛び抜けた傑作であると同時に、現在の広く多数のスピーカー・システムの水準の中で評価しても、まず間違いなくAクラスにランクにされる優れたものだと思う。
 この、SS−G7の試聴感を率直にいえば、やはりウーハ一に大口径特有の重さと鈍な雰囲気がつきまとうのが惜しい。しかし、これは、この製品、SS−G7に限ったことではなく38cmクラスのウーハーのほとんどが持っている音色傾向であるといえよう。
今後の課題として、この中高域の質に調和した、より明るく軽く弾む低音も出せる大口径ウーハーが出現すれば文句なしに第一級のシステムといえる。しかし、この価格とのバランスを考慮して、商品として評価をすれば、これは賞讃に価いする。今後の同社のスピーカーにさらに大きな期待を抱かざるを得ない傑作だと思う。

ラックス PD121, PD131

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 ラックスは、トランス、アンプリファイヤー・メーカーとしては日本最古のメーカーといえるが、プレーヤーシステムの部門においてはそれほどの歴史はない。しかし、アンプの一流メーカーから生み出されたこのプレーヤーは、同社のオーディオの分野における信条と感覚がよく反映され、見事な雰囲気が漂っている。その点において、私はこのPD121、PD131に高い評価を与えたいと思う。
 一口にしていえば、デザインの美しさということになるかもしれない。しかし、ラックスはプレーヤーの専門メーカーではなく、もちろん自社でパーツを作っているわけではないが、非常に高級なパーツをアセンブルして、このようにセンスのいい一品に仕上げるということは、やはり一流の感覚をもつプロデューサーがいなければ出来ないことである。レコードをかける心情にピタッとくる繊細さと、オーソドックスなプレーヤーらしい形を備えた美しい製品だ。

マランツ Model P3600, Model P510M

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 この四半世紀アメリカの高級アンプリファイヤーの部門を、マッキントッシュとともに二分する一方の最高級メーカーとして、マランツのブランドは不動の地位を確立してきた。ソウル・B・マランツによってニューヨークのロングアイランドに工場を設立されたマランツ社は、それ以来きわめて優れたテクノロジーとオリジナリティをもった最高級アンプリファイヤーづくりに徹し、#7や#9など数々の名器を生んだのである。それらの数々のアンプリファイヤーが、世界中のほとんどのアンプメーカーの行き方に与えた影響は、デザイン面あるいはサーキットの面において大なり小なりといえども計り知れないものがある。したがって、マランツの名前が、今日世界最高のブランドとして光輝いているのも当然のことだろう。
 しかし、残念ながら現在のマランツは、スーパースコープ社の傘下に入り、ソウル・B・マランツが退いて同社の体質は変化し、普及機までもつくるようになったが、ただ単にブランド名だけが受け継がれたのではないことは、現在のトップランクのアンプリファイヤーを見れば理解できる。アメリカのメーカーの良いところは、ある会社を受け継ぐ、あるいは吸収するときに、そのメーカーが本質的に持っていた良さを生かす方向に進むということだ。マランツもそういう意味で、ソウル・マランツ時代のイメージが消えてはいない。特に、このP3600とP510Mという、同社の現在の最高級アンプリファイヤーは、やはり一流品としての素晴らしさを維持し、マランツの歴史に輝くオリジナリティと物理特性の良さを持っているのである。そして、デザインも明らかに昔からのマランツの血統を受け継いだものといえるし、クォリティも昔のマランツの名を恥ずかしめない実力を持つアンプリファイヤーである。パネル・フィニッシュなどには昔日のようなクラフツマンシップの成果を偲ぶことが出来ないのが残念だ。
 コントロールアンプのP3600、パワーアンプのP510Mは、同社のコンシュマーユースの最高峰に位置するMODEL3600、MODEL510Mの特に優れた物理特性を示すモデルに〝プロフェッショナル〟の名を冠した機種である。フロントパネルは、厚さ8mmのアルミのムク材をシャンペンゴールドに仕上げ、プロフェッショナル・ユースとしての19型ラックマウントサイズになっている。この二つのセパレートアンプは、マランツのステータスシンボルだけに、最新のエレクトロニクス技術の粋を結集し、シンプルな回路と高級なパーツで、オーソドックスなアンプの基本を守り、音質も、マランツらしい力感と、厚みを感じさせる堂々たるもの。中高音の艶やかな輝やきは、まさにマランツ・サウンドと呼ぶにふさわしい魅力をもっている。パネル仕上などには昔日のような繊密さがないと書いたが、現時点で求め得る最高のフィニッシュであることを特筆しておこう。ソウル・マランツ時代の血統が脈々と生きていることは心強い限りである。

マッキントッシュ MC2300

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 マッキントッシュ・ラボラトリー・インクは、すでにご承知のとおり、アメリカ合衆国のニューヨーク州ビンガムトンに本拠を置く、高級アンプリファイヤー・メーカーとして広く知られている。創設以来ほぼ30年という歴史は、他の分野からみれば決して長いとはいえないが、創立当時の会社組織と首脳陣に変更がないという点では唯一のメーカーともいえ、アンプリファイヤー・メーカーのみならず、他の部門を見渡してみても最古の歴史をもつメーカーといえるだろう。
 有名なマッキントッシュ・サーキットという、独特のユニティ・カップルと称する特殊巻線方式によるアウトプットトランスを中心とする回路を、かたくななまでに守り続ける商品づくりの強固な姿勢で一貫している。現代のエレクトロニクス技術の最先端をいくものと比較すれば、いまや古い回路技術だという見方ももちろんできる。私もそれを否定はしない。しかし、自分たちが信ずる方向を全く妥協せずに、一つの商品としての主張を通し、長年の間に磨きに磨きをかけて生かしきってきたマッキントッシュの姿勢は、まさに私は一流メーカーの名に恥じないものがあると思う。そして、その製品はきわめてグレードが高く、あたかもメルセデス・ベンツのごとく、マッキントッシュと名前の付けられたアンプリファイヤーは、最も安価な製品といえども高級アンプであるという、確固たる地位を築いてきているのである。
 多くのマッキントッシュ・アンプリファイヤーの中で、特にこのMC2300というパワーアンプは、同社のソリッドステート・パワーアンプ中、最大のパワー(300W+300W)を誇り、しかも、同社の長年の間に培われた技術の蓄積がフルに生かされた製品である。そういう意味において、私はこのMC2300をパワーアンプの一流品とし躊躇なく挙げたい。このMC2300は、同社の管球式アンプのステータスシンボルともなっていた、350Wというとてつもない大出力のモノーラルパワーアンプMC3500のシャーシをそのまま継承したソリッドステート・モデルで、現在のマッキントッシュの象徴として、パワーといい、重量といい、このガッチリとした堅牢なつくりといい、まさに王座に君臨しているのである。また、このパワーアンプは、モノーラル切替スイッチによって、600Wのシングルチャンネル・アンプとして使用できるという、驚異的なマシーンでもある。
 先に述べたような、マッキントッシュ社が目ざす姿勢は、外観にもはっきりとオリジナリティを持ったデザインとして表われているが、性能面でも独自のマッキントッシュ・サーキットが再現する、非常に重厚な、マッキントッシュならではの安定したバランスのよい音が聴ける。そして、このチャンネル当り300Wというハイパワーに支えられた、次元を異にする充実した立体音は、まさにアンプリファイヤーの一流品として、堂々たる風格を備えているのである。

マッキントッシュ C26

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 マッキントッシュ・アンプリファイヤーのパネルデザインはゴージャスな雰囲気をたたえた、じつにユニークなオリジナリティを持っている。そして、仕上げにも緻密な神経が行き届いている。特にコントロールアンプは、ガラスのパネルを使い、イルミネーションによって、ゴールドの文字をグリーンに変えるというアイデアは透逸である。そのデザインにはアンプとしての機能の必然性があり、音楽を聴くために使う道具としての、同社のミスター・ガウがいうところの〝エモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージック〟ということまでを考えた、アンプのパネルデザインのもつ一つの究極の姿を完成させたことは、やはり高く評価されるべきものだと思う。
 どちらかというと、マッキントッシュの得意とする部門はパワーアンプリファイヤーであり、コントロールアンプに関して、同社の製品を世界一とするにはいささか抵抗がなきにしもあらずだが、しかし、さすがにテクノロジーを高い水準で維持しているマッキントッシュらしく、このC26というコントロールアンプは、トランジスターライズドされた初期の頃の製品でありながら、より新しい機種であるC28や、近々発表されるであろうC30に比べて、スペックの面ではいろいろと問題はあるかもしれないけれども、いかにもマッキントッシュらしい、重厚な、落ち着いた、線の太い堂々とした音を再現してくれるという点において、そして、先ほども触れたガラスのパネルデザインの、完成した最初の製品だという意味において、私は一流品に値するコントロールアンプとして推選したい。

デンオン DP-3700F

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 デンオン・ブランドをもつ日本コロムビアの歴史は大変に古く、日本ビクターとともに日本のレコード会社の草分け的存在である。と同時に、かつて日本電気音響として、プロフェッショナルのエクィプメントを、専門に生産してきたハードウェアのメーカーを同社の傘下に収めた。そのブランドがデンオンとして残り、日本コロムビアのオーディオ製品の高級機に使われているのである。
 そういう歴史的背景をもつブランドにふさわしい高性能高級プレーヤーシステムとして、このDP3700Fを一流品に挙げたわけである。このプレーヤーについて詳しく申し上げる余裕はないわけだが、少なくとも最新のテクノロジーを用いた、ターンテーブルとしては最高性能のものであり、トーンアームも実用的な意味合いとトーンアームのあるべき物理特性とを巧みにバランスさせた、高性能かつ高実用度の、音のいいものである。そして、ベースはシンプルでありながら、きわめてハウリングマージンの大きい設計である。このプレーヤーシステムほど何のためらいもなく安心して使える製品も少ない。
 デザイン面や風格という点では、まだ私は一流品として挙げるに少々の不満が残るが、総合的に見て、信頼性、性能の高さなどから、プレーヤーシステムの一流品として推選しても恥ずかしくない製品だと思う。

テクニクス RS-1500U

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 テクニクスというブランドは、日本の大電機メーカー松下電器のオーディオ製品につけられるものだ。最近でこそ同社の普及クラスにまで付けられてはいるけれども、本来は高級オーディオ・コンポーネントにのみ採り入れられていた名称である。したがって、このブランド名は、同社の最高技術を象徴するものだと考えてもいいだろう。
 一流品としてリストアップしたRS1500Uは、まさにテクニクスのテープレコーダー部門の技術の結集が見られる、最高級2トラックマシーンである。このマシーンの性能からすると値段は安い。これは、私は大メーカーの良さとしてまず評価したいと思う。内容は非常に充実したテープレコーダーで、オリジナリティも豊かに持ち、そしてそれが高いテクノロジーに裏づけられているのである。
 テクニクスではアイソレートループと呼んでいる、独特のテープのヘッドハウジングに、何といってもこのオープンリール・テープレコーダーの象徴が見られるわけだが、このハウジングの左側に4トラック再生用と2トラック消去用、右側に2トラック録音用と2トラック再生用のそれぞれのヘッドが取り付けられている。このアイデアは必ずしもオリジナルとはいえないが秀逸といえるだろう。また、モーターは、ダイレクトドライブ方式の老舗だけに、すべてDD方式で、キャプスタン駆動用にはクォーツロックが導入されている。このように、現在の水準からいっても最高度のメカニズム、エレクトロニクスの性能をもつマシーンとして一流品に推したいと思う。