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GAS Ampzilla

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 米国の新進アンプ・メーカーにグレート・アメリカン・サウンド社という特異な高級製品を作るメーカーがある。いかにも大げさな社名だが、作るアンプの製品名が「アンプジラ」。まるでゴジラみたいなアンプだが、’76年中には出力300ワットの物すごいのを作るといい、その名はズバリ「ゴジラ」。特異な体質のメーカーという理由は、こうした名づけ方からも推察されるのだが、こんな名前をつけられた製品は、どんなにかハッタリに満ちたものかといぶかしい眼でみられてしまうに違いない。特に日本のマニアのように、かなりまじめでオーソドックスな感覚の持ち主には、あまり好ましい先入観念は持てっこない。ところが、である。これらのどぎつい名前のアンプは、その名前からの印象とはまったく違って、きわめて正統的な設計をされ周到に作られており、そのサウンドもまた驚くほどすばらしいもだ。日本に入ってまだ半年も経たないのに、その優秀性がきわめて短時間に轟きわたり金にゆとりある高級ファンの間にちょっとしたブームさえまき起こしている。
 その中をみると、回路設計の簡潔なこと。使われている部品が重点的に最高品質を用いることに徹底している。アースは太い線ではなく、ぶ厚い銅帯を用い、ハンダ付けだけでなくボルト締めを重ねている。放熱には細心の留意をされ作られているが放熱版材料はぜいたくではない。さて、この「アンプジラ」を設計したボンジョルノ氏は多くの高級アンプを設計したキャリアもあり、初めて自尽のブランドで商品化しただけに最高を狙ったという。だがこのアンプは今回の選択から意識的に外した。理由は、間もなくより優れた設計のサーボ・ループ方式に変更されるといわれるからだ。現在、A級ドライバーを含むDCアンプだが、もっと良くなってからにしよう。ただ、アンプジラの持つ特長の数々は、現代アンプの技術的な象徴といえることは確かだ。

マランツ Model 510M

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 わが家には、いつでもスイッチさえ入れれば動作してくれるアンプが何台もあって、その多くは何んらかのスピーカー・システムが接続されている。スイッチさえ入れ、プリアンプをつないでボリュームを上げれば、すぐ音が出る。ところで、こうしたアンプのうちで、もっともスイッチを入れるチャンスの多いのはマランツのモデル2というパワーアンプだ。これは6CA7というフィリップス系のパワー管のプッシュプル接続パワー段で40ワット出力のモノーラルアンプであって、後にこれを2台結合して同じ寸法のシャーシーに収めるため出力トランスを少々小さくして35W/35Wとしたのが、有名なステレオ用モデル8Bである。さて、この管球アンプは多くの管球アンプ海外製品の中でも、もっとも音の良いアンプだ。堂々たる量感あふれるこの低音は、一度聴くと手離せなくなる。これに匹敵する製品はいくら探しても見当らず、マッキントッシュのアンプですら、300/300Wの超出力MC2300以外ない。
 永い間、このアンプに相当するものがなくて、これに近いのが同じマランツが昔作ったソリッドステートのモデル15とそのパワーアップ型、モデル16であった。モデル15の方が、かなりおとなしい中音でオーソドックスなマニア好みはするだろう。共に低音の力強さはマランツ独特のものだ。特にモデル16は今日的な意味でのクリアーな透明感があって、ある意味ではモデル2よりも好みの音である。パワー80/80が、あとから100/100ワットにパワーアップされたとはいえ、現代のアンプとしては少々力不足はいなめない。音マイク録音のすさまじい立上がりの最新録音では、クリアーな音も越しくだけになってしまうのだ。
 マランツの最新型510Mは265/265Wの超出力で、その割にコンパクトなサイズ。それは100/100ワットのモデル16の50%増程度、重量も2倍ぐらいなものだ。クォリティーは、まさにモデル16をはるかに上まわる電気特性で、より透明で鮮明なサウンドがいかにも最新型だ。

テクニクス SE-9060 (60A), SU-9070 (70A)

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 2年ほど前から、米国の新しい小さな電子メーカー、マークレビンソンのプリアンプの優秀性が話題となっている。プリアンプといっても、フォノイコライザー回路を独立させて、それに左右独立の音量調整用ボリュームをつけた形の、純粋にディスク再生のための文字通りのプリ(補助)アンプであって、トーンコントロールやフィルターさえ付いていないが、雑音発生量が極度に抑えられていて、いわゆるSN比は今までの常識よりはるかによい。そのために小さなレベルでの再生がきわだってクリアーでスッキリしている。こまやかなニュアンスもよく出る。こうした点が、高級マニアの注目するところとなった。ただ、あまりに高価で、VUメーターのついたのが90万円を軽く越し、メーターなしの超薄型のでも50万円を越すという驚くほどの価格だ。誰にでも買えるものではないが、この高価格なのが又、新たな話題となって、ますます注目されるという2重のプラス(?)を生んでいる。ただし、うまい商品であるし、商売でもあろう。
 商品としての巧妙さは、また逆にその裏をかかれることにもなるが、持ち前の電子技術を誇る日本のメーカーが黙ってみているはずがない。この半年に、マークレビンソンのフォノイコライザー・アンプを狙った製品がいくつか出てきた。その一番バッターがテクニクスの70Aだ。外観的にはよく似たアンプで、SNもかなりよく、性能的にはテープモニターを2系統プラスしている。音の方も、より暖か味ある日本のマニア好みの音だ。肝腎のSNの点で、もう一歩という所だが、7万円という価格からは止むを得ないのだろう。プリント回路の質的な面で、もう少し良ければなあと望むのは欲ばりすぎかも知れないが、パワーアンプ60Aの出来具合のすばらしさにくらべて、プリの内側はちょっと淋しい。パワーアンプ60Aは、8万円という価格の中で外観、内容とももっともユニークかつ魅力を持ったアイディアと個性にあふれた製品だ。組合わせて聴くと、おとなしい音は大人のマニア向けという感じで生々しく、自然な響きが質の高さを示す。

クワドエイト LM6200R

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 いま、わが家でもっとも多く使っているプリアンプが、この米国の業務用メーカーのクォードエイト社の作る本格的なプロフェッショナル用ポータブルミクサーLM6200にフォノイコライザーのプリント基板を組み込んだ特別型LM−6200Rだ。
 本来それぞれにレベルコントロールを独立にそなえている6回路のマイクミクサー回路と、バッファーアンプを内蔵し、マスターコントロールをつけたもので、VUメーターを別のパネルで備えて、全体をキャリングケース(可搬型)に収めてある。価格は76万円と、かなり高価だが、本来プロ用のミクサーだから高くて当り前。大型の36回路コントロール・テーブルは1千万円もするくらいで、そのミニチュア型なのだから。ところで、このLM−6200Rはマイク回路はマッチング用入力トランスが入っているが、フォノ回路はそれがないのでSNはまあまあで、おなじみのマークレビンソン並みだ。でもMC型カートリッジをヘッドアンプやトランスなしでストレートで使えることは、もちろん。その時でも、ノイズは大して気にならないほどだ。
 さてこのクォードエイトLM−6200Rは、トーンコントロールはむろん、フィルターも一切ついていないから、実質的にイコライザー回路だけの単純な構成だ。それだけに音質の方は、きわめてストレートで、一切の変形も歪もない。このアンプの堂々とした力強さでクリアーな透明感は、マランツの幻の名器といわれたプリアンプ、モデル7を、もっと澄み切った音としたものといえば、もっとも近い。だから、今までモデル7を使っていたのに、LM−6200Rを使い出したとたん、モデル7はめったに使わなくなってしまった。
 最近接したプリアンプの中で、もっとも印象的だったのはアンプジラと、ペアとなるべきプリアンプ「テドラ」だが、テドラはそのパネルのデザインが独特で扱い難い。いわゆる美的感覚にのっとった所産ではなく、マニア好み一辺倒だ。LM−6200Rは実用一点張りだが、それなりの合理性が信頼感につながる。ただフィルターがないので、パワーアンプのスイッチを低域に入れる前に、プリアンプをONにしておくこと。

QUAD 33, 303

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 このアンプだけは、他のものと違って少々くつろいだ選択基準にのっとっている。つまり、朝に夕に、息を抜いたひとときに気軽にスイッチを入れてレコードを楽しむためのアンプとでもいえようか。特に、そうしたときに「音に対決する」といった息づまるような聴き方でなく、音楽を楽しめるコンデンサー・スピーカーを選んで、これを実用的に鳴らすことを考慮した時に必ず浮上するのが英国のアコースティック・インダストリー・マヌファクチャー社のコンデンサー・スピーカーQUAD(クォード)ESLであり、それをドライブするためのアンプとしてのクォード・トランジスタ・プリアンプ33、パワーアンプ303なのだ。
 ごく一般的な音楽の高級ファンの場合「永く聴いても疲れることのない装置」が強く望まれるものだ。QUADのシステムはこうした要求にぴったりであろう。聴く位置は固定されるが音像の確かさもすばらしいし、その品質は価格からは想像できない。まして最近のポンド下落の折で、日本での価格はこれからも高くなることはあるまい。
 クォードのアンプとして、オーディオマニアであれば、管球式のステレオ用プリアンプ・モデル22とパワーアンプ・モデル2を2台というのが、いつわらざる本音だろうし、今日、やや骨董的な価値も出てきて、マニアであればあるほど大いに気になるアンプであろう。
 ただ、今ではこれを探すのは労多く、価格的に割高のはずだ。トランジスターで間に合わせようというわけではないが、303と33でもいい。内容を見れば米国製の同価格の製品とくらべてみるとよく判ろうが、驚くほど綿密に、精緻に作られ、まるで高級測定器なみだ。プリント板の差換えでフォノイコライザーやテープイコライザーを変えられるようになっている所もいい。アンプの再生クォリティーは、今日の水準からは決して優れているというわけではないが、しかしESLを鳴らすには、この303の出力は手頃だし、最新パワーアンプ100/100ワットの405のお世話になることもあるまい。価格対内容では世界有数の製品だ。

パイオニア Exclusive M4

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 良いアンプとは、いったいなんだろう。「良い」という意味は多くある。電気的特性の良さはアンプにとって最低条件だとよくいわれる。電気的特性が良くないのでは、良い音がするわけないともいわれる。しかし、逆に良い音のアンプなのに電気的特性は現代の最新普及価格帯の総合アンプに劣るものもある。いや最近の5万円台のアンプは歪0.1%を下まわり、海外製のひとけた上の優秀なアンプよりも性能表示は優れている。しかし、音は必ずしも電気的特性に伴わない。今日のアンプの音が悪いというわけではないが、電気諸特性がずっと良いのに音を聴くと大したことないのも少なくないのである。
 ところで、こうして記していると結論が出なくなってしまいそうだが、ただアンプをみつめるのでなくて、スピーカーを接続して初めてシステムとして動作することに目をつけて、スピーカーの方から逆に見た方がよいのではないかと思われる。つまりスピーカーをよく鳴らすことが、よいアンプの条件として判断しようというわけだ。
 ところで、アンプ以上に良い悪いの判断が難しいのがスピーカーだが、高価な高級品ほどよく鳴らすのがむずかしいものである。わが家には昔作られた、昔の価格で1000ドル級の海外製高級システムから、今日3000ドルもする超大型システムまで、いくつもの大型スピーカーシステムがある。こうした大型システムは中々いい音で鳴ってくれない。トーンコントロールをあれこれ動かしたり、スピーカーの位置を変えたり。ところが、不思議なのは本当に優れた良いアンプで鳴らすと、ぴたりと良くなる。この良いアンプの筆頭がパイオニアのM4だ。このアンプをつなぐと本当に生まれかわったように深々とした落ちつきと風格のある音で、どんなスピーカーも鳴ってくれる。その違いは、高級スピーカーほど著しくどうにも鳴らなかったのが俄然すばらしく鳴る。昔の管球式であるものは、こうした良いアンプだが、現代の製品で求めるとしたらM4だ。A級アンプがなぜ良いか判らないが、M4だけは確かにずばぬけて良い。

デンオン PRA-1000B, POA-1000B

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 デンオンはこの数年来、高級プリメインアンプでもっとも成功しているブランドだ。昨今話題となっているステレオ右、左のクロストーク特性においても、製品の新型に2電源トランスを用いてアピールしている他のメーカーのような処置は何んらとっていないのだが、実際にはデンオン・ブランドのプリメインアンプのクロストーク特性ほど優れて、2電源の他社製をはるかにしのぐ。ステレオ初期から「ステレオ」用としての基本特性である左右セパレーションを重視しているから当り前であって、何をいまさらというのが、デンオンを作る日本コロムビアのメーカー側の言い分だ。当然である。
 コロムビアの昔の製品に「ステレオ・ブレンド・コントロール」というつまみが付いていたが、左右を混ぜてステレオからモノーラルの間を可変にし、2つのスピーカーの間の拡がりを変えているわけだが、こうしたステレオコントロールを付けるには、始めからステレオのクロストークを十分良くしておかなければならず、それがデンオンアンプのステレオ用としての優秀性を築いてきたのだろう。
 このように基本特性の優秀性はデータの上にはすぐ出てこないけれど、本当のアンプの良さを示すものといえよう。話題になって初めて、ある部分がクローズアップされる。本当に良い製品は、こうした部分的な面が解析されると、すでに手を打ってあって、いつの時代でも優秀性がくずれない。デンオンの新しい管球アンプ1000シリーズは、管球という昔ながらのディバイスを再認識して現代の技術で作り上げた高級品といわれる。つまり、トランジスタ技術を活用した新しい時代の管球アンプなのである。
 だから6GB8という超高性能高能率パワー管を採用し、100ワットという驚くべき出力をとり出し、しかも最新トランジスタアンプ並みの高い電気的特性を保っているだろう。その音は、無機的といるほど透明感があふれ、常識的な管球アンプの生あたたかい音では決してない。プリアンプを含め、いかにもフラット特性の無歪の道のサウンドスペースを創っているといえそうだ。

アキュフェーズ M-60

岩崎千明

サウンド No.7(1976年発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(アンプ編)」より

 ケンソニックは、トリオのトップクラスの技術者がグループを作って始めた新進メーカーだ。高級品を選んで作るという姿勢がとても好ましく、いかにもハイファイメーカーとしての基本姿勢そのものをメーカーの体臭として感じとれる。最新に作った製品P−300を始め、すべてのパワーアンプ、プリアンプがすべて海外市場で最高の賛辞を受けた実力ぶりも高く評価できる。特に日本での高級アンプが、価格的にベラボーな高価格が多かった2年前の初期から、他社とは違って実質的価格を打ち出しており、これがまたハッタリのない実力を感じさせるゆえんだ。それというのも、ケンソニックは当初から海外市場を大きなマーケットとしてこそ成り立つことを考えていたためであろう。価格的に、日本市場で極端な割高な海外製品の価格を相手とせず、その本国での価格、つまり実質価格を相手として、ケンソニックのすべての製品価格の基準としている。この辺が内容にふさわしく、海外ライバル製品に対してはるかに割安で、高級製品としても高い商品価値をそなえている理由だ。
 ケンソニックの最新製品はM60と呼ばれる300ワットのモノラルアンプだ。1台28万円、従ってステレオで56万円となるが、300Wのステレオ用となると製品は海外製を見わたしても多くない。マッキントッシュMC2300を始めSAEの2500、マランツ510など250ワット・ステレオが多い。国内製品でもラックスのM6000が唯一で、山水BA5000も250ワット・ステレオだ。M60は、だから300ワットのステレオ用でも、これでももっとも低価格アンプということになる。M60はこうした大出力なのに、驚くほど静かな音が特長だ。静かといっても、一たんボリュームを上げるとフォルテでは床を鳴らし、家をゆるがせるだけのすごいエネルギーを出せるのは、もちろんだ。しかし普段は、これで300ワットかと思うほど静かなのである。とても自然でその音はナイーブですらある。ちょっと女性的なほどだ。しかし、その芯はむろんケンソニックのすべてのアンプのように、ガッチリした力強い筋金入りで、それはここぞというときにのみ、頭をもたげるのだ。

ビクター JA-S41

岩崎千明

電波科学 7月号(1976年6月発行)

 若いファンにとって求めやすい価格帯のいわゆる、普及形アンプの品質向上がますます加速されている。
 新製品は必らず性能的により高いレベルに要求されるし、実際にそれは遂げられている。同じ価格なら性質は良いし、同じ性能なら価格は安くなった。文字通りお買い得の新形として、常に賛辞を浴びてデビューするというのがこの頃の常識だ。
 だから、今さらここで「ビクターの今度の新形JA−S41は前のくらべて、パワーはぐんと上って65/65W、ひずみ0・05%の高性能、電源トランスは2つ付いてるし電源コンデンサは15、000μFが2つ。性能もSNも抜群、クロストークも格段にすぐれてる」と定石通りにほめ言葉を並べたところで、こんな美辞麗句に馴れっこになってしまった読者の皆さんには、大して気に止めなくなってしまった。馴れというのは恐いものだなんて、長屋のいん居のぐちみたいなことをこぼすひまはここにはないのだが、少なくとも、これだけははっきり知っておいて良い。ビクターの新形アンプJA−S41はまぎれもなく、今までのビクターのアンプ技術の一大集成ともいえる傑作で、音に接しても今までになくステレオ感も自然でくせは本当に感じられず、透明でありながら暖か味さえ伝わってくる。
 歌の生々しさは、音量さえ適切ならばびっくりするほど、眼をつぶって聴くと歌手が眼前で語りかけてくる姿が見えてくるほどだ。マイクに対してのわずかな顔の向きの変り方すら手にとるように判る。バックの演奏者の並び方から楽器の配置、その大きさなど注意して聴けば聴くほどリアルな再生ぶり。それはサウンドのバランスの良さ、音の質的な水準の高さ、さらにステレオ感、セパレーションの良さなくては得られない。
「アンプというのはエレクトロニクス技術だ。だから電気的データが何よりも大切で、これが長ければ実際の動作も音もよいはず」という説はたしかにその通りだ。しかし、電気的性能さえよければそれですべてよいというわけでは決してない。音の良くなる最低条件として電気的性能は必らず要求されるけれど、その辺を十分に認識していないと性能さえよければ音は必然的に良いはずと思い込んでしまうことになるし、それが落し穴とすらなってしまう。しかし、逆に性能なんか無視してもよいというわけでは決してないが、本当の音質の良さの基本になるべき性能の良さというものは、単なる数字で表わせる、というほど簡単なものではない。このところをよく了解しておかなくてはならない。
 たとえば今、話題となっているクロストークについても、セパレーション何dBと数字が良ければそれで本当に良いといえるかどうか。逆にデータの上で、驚異的な数値なんかを発表していなくとも実際には優れているのだってある。ビクターのJA−S41の場合、クロストークに対しての配慮とか処置とかいうだけではないだろうが、電源を左右分離するのでなく、最終出力段とドライバ段以前とを別電源としている。電流変動の大きな出力段を分離することにあって、電源全体的な電圧変動がなくなるため、特に直線性とかひずみとかに強く影著されることがなくなったわけだ。これが同じ価格帯なのにひずみが格段に減り、出力がより大きくなりしかも、ピーク出力でも直線性がよくなった理由だろう。つまり、基本的な性能を重視した新らしい技術的着眼が、アンプの今日的問題点とされているクロストークまでも格段に向上させてしまったということになる。
 それなのにこの新らしい大いなる飛躍は、それをはっきりと知らすことが単なる数値の羅列ではでき難いのである。さぞかしメーカーも歯がゆいことだろう。でもこうした良さは聴く側に耳さえあれば必らず判るものだ。こうして聴いてみることを推めよう。
①左右スピーカを一辺とした正三角形の頂点に座る。
②できれば歌の入った演奏を、ミニチュア化したステージで歌手がある程度の距離で歌っているように再生する。
③アンプのバランス中央のまま右のフォノ端子入力を外す。そのままで左ピーカへと音像、つまり歌手が移動する。次に左フォノ端子を外したときに右スピーカ側に移動する。
④これでよく判らなければ右側フォノを外してアンプ出力端子の左スピーカー側のリード線を外して、8Ωの純抵抗を接続し右側の音を聴き確める。特に高音シンバル、低音ベースなどが洩れていないか。

 JA−S41はこうしたときに数字には表されることのない良さを発揮する。JA−S41の水準にあるアンプは市場の5万台に果して何機種あるだろうか。

ダイヤトーン DA-P10 + DA-A15

菅野沖彦

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ダイヤトーンのアンプにかける惰熱がありありとわかる新製品が登場した。今月発売された一連のセパレート・アンプ・シリーズである。プリアンプ2機種とパワー・アンプ3機種が同時に発表されたが、いずれもひとつの明確な思想のもとに開発されたオリジナリティーをもったアンプである。中でも高級機が、今月の選定新製品になったDA−P10プリアンプと、DA−A15パワー・アンプである。このシリーズのアンプでまず目をひくのは、プリ・アンプとパワー・アンプを1台のインテグラル・アンプとしてカップリングできる構造をとったアイデアである。これは今迄、ちょっと考えつかなかった発想ではなかろうか。セパレート・アンプとしての純粋な形からすれば、わざわざカップリングさせるとは余計な考え過ぎという見方もできなくはないが、スペースに制限がある場合、こういう使い方ができるようになっていることはありがたい。しかも、そのドッキング機構もシンプルで確実だし、デザイン的にも、いかにもたくましいインテグラル・アンプの魅力たっぷりな姿が実現する。シャーシ・パネル構造は大変がっちりした頼もしいもので信頼感に、溢れている。
外観が先になってしまったが、肝腎の中身のほうも、セパレート・アンプとしての必然性を十分保証する密度の高いもので、DA−P10もDA−A15も、完全なモノーラル・コンストラクションを採用した本格的な高級アンプなのだ。このコンストラクションにより、従来見逃されていたクロストークの害からほとんど理想的に逃れることを可能にしているのである。両チャンネル間のダイナミックな動作状態においては、クロストークは、単にセバレーション、音像定位などに悪影響を与えるのみならず、歪による音質劣化という現象としての害をダイヤトーンは徹底的に追求したというが、たしかに、このような完全モーラル・コンストラクションによるアンプの音と従来のステレオ・コンストラクション(ただ電源が2台あるだけでは不十分の場合もあり、電源が1つでも急所を抑え余裕のあるものの場合は意外に好結果が得られる)と聴き比べて、臨場感や音像の安定感の差は瀝然なのである。筆者は、2台のステレオ・アンプを使って、この差を確認しているが、それは全体的な音質の差という聴感的な認識をもたらすほどだった。その昔、マランツがモノーラル・アンプを2台カップリングしたアンプを発売していたが、その頃、ステレオといえども、この方式に大きなメリットのあることを某社のエンジニアに話しをしたが全くとり合ってもらえなかったことを思い起こすにつけ、アンプも進歩したものだ? という妙な感慨をもったものだ。薄紙をはぐように、紙一重の音質の向上に、大切なお金と貴重な時間をさいている我々アマチュア精神の持ち主が考えることなど、いちいち聞いてもらえないのも当然だと思っていたものなのだが、最近のようにメーカーが本格的に、こうした地道な基本に目を向け、その成果を定量的なデーターとしても明らかにしてくれることは喜びにたえないのである。
 ところで、このアンプ、いくらモノーラル・コンストラクションがいいといっても、それが全てでは勿論ないし先にも書いたように、ステレオ・コンストラクションでもいいアンプはたくさんあるのだが、音質のほうも、なかなかすばらしい。特にDA−A15パワー・アンプが素晴らしい。差動2段、カレントミー・ドライブ、3段ダーリントンによるピュア・コンプリメンタリー・サーキットは余裕のある安定した電源から150W×2(8Ω)の出力を引き出す。音に深味があって、しかも解像力のよい鋭い切れ込みをきかせる。高域も決してやせないし肉がつく。これに対してDA−P10のプリ・アンプのほうが、やや声域がハーシュに響く。ダイヤトーン独特の高域の華やぎといえるが、筆者にはこれが気になる。高域はもっとしっとり、繊細さと鋭さが豊かさと肉付きを犠牲にしてはならないと思うのだ。これで、そういうニュアンスが再生されたら、倍の値段でも高いとは思えない定価がさらにこの商品の可能性と魅力を高めているのである。
 情熱に裏付けられた、よほどの販売自信がなければ、この品物をこの値段で売ることはできないのではないかと思うほどの価値をもったアンプだ。

フィデリティ・リサーチ FR-64S

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 この1年間ほど米国のオーディオ誌やステレオ・レビュー誌の広告に、FRのアームが真上からみた原寸にも近い大きな姿勢で載っている。この広告は決しでFRのものでもないし、無論トーンアームの広告でもない。シェルはSMEだがアームはまぎれもなくFR54がなぜか登場しいる。おそらく広告制作者が、FR54の美しい姿態に魅せられての結果だろうということは十分察しがつくというものだ。現在世界に何10種とあるトーンアームの中で、奇をてらうことなく本格派の風格を、これほどのセンスでまとめ上げたアームは他に探すのはちょっと難しかろう。このアームに眼を止めた読者は、単純にその美しい姿を無意識のうちに理解し、更にその広告主のセンスの良さを無言の中で受けとめよう。
「名は態を表わす」というのと同じくらい「態は内側を表わす」ものだ。外観の上にその中味はにじみ出るから「美しい」ものは必らずその内容も悪かろうはずがない。これは真理だ。人の世に芸術というものがある以上、自然の法則ともいえよう。
 ところでこのFR54を外観の上でも、内容としてもはるかに凌駕する製品が出現した。このスーパースターこそFR64Sなのである。
 FRは軽量級MC型カートリッジFR1と、そのアームFR24をもってスタートした。その後、MM型カートリッジFR5を加え、さらに汎用アームFR54を加えて今日の基礎を成してきた。今、FR6シリーズ、さらにFR101とMM型カートリッジ陣を展げ さらにFR1は1度の改良を加えて性能をはるかに向上させた。そうした一連のグレード・アップともいえるカートリッジを最も理想的に動作させるため、実働性能の優れたトーンアームを既に数年前から開発中だった。実働性能といういい方は少々理解し難いかも知れぬ。例えばレコードのコンディションやプレイヤーの動作環境を考えれば、必らずしも理想状態にいつもあるとはいえない。いや逆に実際のコンディションは、理想状態とは程違いというのがディスク再生の実際なのである。
 これを考慮したとき、今日の高感度軽量級アームの基本技術といえるスタティック・バランス・タイプの全ては実用的動作で問題を内蔵することになる。レコードの偏心、ソリ、プレイヤーの傾き、水平の保持の不確かさ、こうした全てが重力をたよりにしたスタティック・バランス型では裏目に出てしまう。針圧を加えんと、カウンター・ウエイトをずらして水平バランスをくずした時から、このウイーク・ポイントに常に脅かされることになるというわけだ。アーム自体の水平バランスを完全にとった上で、スプリングによる針庄加圧をするダイナミック・バランス方式こそ理想だ。プレイヤーをほんの少し傾けてみたとき厳然たる事実として、それは誰にでも確かめられよう。プロフェッショナル用アームにおいて、ダイナミック・バランス型の多いのも理由がはっきりあるのだ。
 ところが、このダイナミック・バランス方式は機構として針圧加圧のためのスプリングを内蔵するが、これが実は難物だ。市販の量産品にこのタイプがない最大の理由がそれである。現実にEMTのプロ用アームにおいてもその1グラム単位のひと目盛は2m/m程度の大まかなものであるのは、スプリングの許容誤差を究めることが至難なことを示している。
 さて、FR64S開発に既に5年あるいはそれ以上を経たはずだが、今日の新型はなんと0・5g刻みで、1目盛は4m/m近くもある。つまり1gあたり8m/mはあろう。これはかつてあらゆる海外の業務用メーカーの達し得なかった領域で、そこに使われているスプリングの構度の極限をまさに一眼で表わしているといえよう。ダイナミック・バランス型の良さを承知していても実際上、製品化の難しいのは当事者たるメーカー各位がよく知っているはずで、最近になってやっと数種が国産製品化に成功したに過ぎない。その数少ないダイナミック・バランス型の中にあってFR64Sは、もっとも高精度のアームといってよい。加うるにステンレス・アームによる超低域特性の確固たる音は、価格5万5千円を補って余りある内容と知れば、誰しも納得してしまうことだろう。

サンスイ AU-7700

菅野沖彦

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 サンスイから新たに発売されたプリ・メイン・アンプAU7700は、一聴して歪のない快よい音が印象的であった。どこかうつろといってもよいような、それは、空胴感をもっているのである。私には、よくも、あしくも、これがこのアンプの音の特長に感じられる。だいたい、従来から、メカやエレクトロニクスのプロセスを通った録音再生音は、あまりにも音の存在感があり過ぎたように私には感じられてならない。色でいえば、不透明な顔料とでもいえるのだろう。一種特有の壁のように私の前に立ちふさがるのである。音には、それが自然音の場合、どんなに衝撃的な迫力のある音であっても空中を浮遊する美しい透明感と、突きあたりのない奥行、つまり立体感に満ちている。このアンプが私に与えた空胴感というのは、いわば、一種、この感覚に近いものであって、これは歪の多いアンプには絶対にないものだと思う。しかしである。自然音の魅力は、そうした透明感、空胴感は、確個とした実体感とバランスを保ったものであって、決して最近の低歪率音響機器と称せられる製品の多くが持っている弱々しい虚弱さとは異るのである。こう書いてくると、いかにも生の音とそっくりの再生音……つまり一頃よく云われた原音再生こそ理想だといっているようにとられる危険性を感じるが、私のいわんとしているのは、それが生であろうと、再生音であろうと、美しい音ならばいいわけで、現状では、自然音のもつ美しさに匹敵する再生音がまだ得られていないというだけのことである。透明感が得られたと思うと力がなくなり、力があると思うと歪感があるといった具合で、なかなか思うようにはいかないのである。このサンスイのAU7700というアンプも、どちらかというと、少々力が足りない。やや歪の多いスピーカーを鳴らしたほうがガッツのある音がする。スピーカーは未だ歪だらけだから、それを鳴らすアンプとしては今の所、解析されている歪は出来るだけ減らしていったほうがいいのである。しかし、問題は歪感のある音……つまり、元々、とげとげしい音、荒々しい音まで、ふんわりと鳴らしてしまうことである。残念ながら、現在の音響機器から、理解されている歪をどんどん減らそうと局部的に改善を重ねていくと、どういうわけか、そんな傾向へいってしまうようなのだ。その証拠に、現在、測定データで歪のもっとも少ないとされるスピーカーは、まるで無菌状態のように、ふぬけの音がするのである。改善が局部的というか片手落ちというか、トータルでのバランスをくずす結果の現象と推察する以外にない。
 このアンプは従来のサンスイのアンプのもっていた馬力というものより、むしろ、よく抜けたすっきりとした音というイメージが濃いが、この辺にサンスイのアンプの進歩を明らかに見出すと同時に、一抹の不安を感じさせられるのである。その不安は、このアンプそのものにあるのではなく、そういう傾向に進んだとしたら……ということだ。サンスイは音の専門メーカーとして、聴感上のコントロールを重視しているので、その心配はないかもしれないが……。音に関する限り、それが研究所内での実験ならいざしらず、テクノロジーだけに片寄っていくとそうした危険を伴う。そういった現状での電気音響技術の不完全性が商品に現われてしまうという事実を認めざるを得ない。現時点での最高のテクノロジーといえども、目的である音(感覚対象としての)を100%コントロールすることは出来ないのである。AU7700は、この点、両者がよくバランスしたアンプであって、商品としての実用性が高い。20Hz〜20kHzの帯域で両チャンネル駆動で50W+50Wの出力が保証され、高周波歪、混変調歪率0・1%以下に収められているが、合理的な設計が随所に見られる最新鋭器である。惜しむらくはデザインで、内容を充分に象徴するところまでには至っていない。リアの入出力ターミナルのパネルがリ・デザインされ便利になっているし、努力の跡は大いに認められるのだが、未消化な面取や無理なスタイリングが高級品に必要なシンプリシティを害している。電源の安定化(±2電源)、配線を極力排した基盤と直結のコネクター類、一点アースなどオーソドックスな技術面での追求によって得られた音質は、このアピアランスを上廻っているのである。初めに書いたように、力強さから、品位の高い透明感に近づいたサンスイの新しいサウンドは、音の美しさを一歩高い次元で把えるマニアに喜ばれるものだろう。

アコースティックリサーチ AR-2aX, KLH Model 4

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 8つのスピーカー・システムということで、それを考えると、いざ名前を挙げるに従って8銘柄では少々物足りないのに悩んでしまう。
 8番目は、英国の名器とうわさ高い「ヴァイタボックス」の大型システムか、あるいは米国のかつてのビッグ・ネーム「クリプシュ」の現在の大型システムか、この2つのうちのひとつを挙げるのが、まず妥当なとこだろう。次点として、英国のローサの、これもコーナー型のホーンシステム。どれをとっても、低音はコーナーホーンで折返し形の長いホーンをそなえている。どれかひとつ、といういい方で、この中のひとつを絞るのは実は不可能なのだが、あえていうならヴァイタボックス。
 但し、これらは手元において聴いてみたいと思っても、それを確かめたことは一度もない。だから、人に勧めるなどとは、とてもおこがましくてできないというのが本音だ。そこで、よく知りつくしたのを最後に挙げよう。
 AR2aXまたはKLHモデル4だ。
 ARは今や2aXとなったが、その原形のAR2を今も手元で時折鳴らすこともあるくらいに気に入った唯一の本格的ブックシェルフ型。ARの低音はしばしば重すぎるといわれるが、それはAR3以後の低音で、AR2においては決して重ったるい響きはない。あくまでスッキリ、ゆったりで豊かさの中にゆとりさえあって、しかも引き緊った冴えも感じられる。高音ユニットは旧型がユニークだが、今日の新型2aXの方が、より自然な響きといえよう。
 KLHのモデル4は、同じ2ウェイでもブックシェルフとしてARよりひと足さきに完成した製品で、ブックシェルフ型の今日の普及の引き金となった名器だ。今でも初期の形と少しも変わらずに作り続けられているのが嬉しい。AR2よりも、ずっとおとなしく、クラシックや歌物を品よく鳴らす点で、今も立派に通用するシステムだ。持っていたい、たったひとつのブックシェルフといってよいだろう。

ヤマハ NS-1000M

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 ヤマハのオーディオ技術は他社と違って、はっきりした特長がある。それはオリジナル技術を持っている点で、アンプのV-FET、スピーカーのベリリューム・ダイアフラムだ。ともに他社にその類似製品があるが、ヤマハの場合、独力に近い形で一から始めて商品化に成功し、製品化にこぎつけたという点でユニークだ。
 ベリリューム・ダイアフラムは、それまでのジュラルミン系のダイアフラムにくらべ2倍も硬度が高く、重さはかえって軽いという驚くべき金属で、これが高音用に用いられると、同じ口径なら1オクターブ上の周波数範囲までピストンモーションが確保される。つまり理想状態でスピーカーが動作する。
 NS1000Mとして中音、高音にこのベリリューム・ダイアフラムを着装したシステムは、おそらく始めて海外製品を越えたサウンドを得たと断言できる。このシステムを聴いて海外メーカーの技術者は、おそらくどれほど驚いたことだろう。
 オーディオファンとして、JBLのシステムと切換えて、それに匹敵するサウンドの国産品が誕生したことを、半ば信じられない形で驚嘆した。それは、もう1年も前か。今、その第2弾としてヤマハNS500がデビューしたばかりだが、普及価格帯にまでベリリューム・ダイアフラムが登場したことには、オーディオ王国・日本の誇りと心強ささえ感じたものだ。
 さて1000Mのデビュー以来、このシステムはいろいろな形で常に座右にあってモニター用としての威力をふるっているが、そのすばらしさは誰かれとなくスピーカーにおいての国産品を見直すきっかけを作ってきた。
 10万円のスピーカーにしては1000Mの外観は少々おそまつかも知れぬが、それは実質本位のなせるためで、黒檀仕上げの14万円の1000の方が、より風格も雰囲気もあるのは当然だ。しかし10万円のシステムというラインの中でのNS1000Mのサウンドの魅力は、何にも増して強烈だ。マニアほどそれを鳴らさんと、やる気を起こさせる。

ダイヤトーン 2S-305

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 世界のスピーカーがすべて「ローディストーション、ワイドレンジ、フラットレスポンス」を目指す今日、その先見の銘をもっていたのがダイヤトーンの305だ、といったら誰かになじられようか。事実、三菱がハイファイ・スピーカーに志向し始めたとき、その目標としたのが前提の3項目であるし、それはなんと今から20年も前のことだった。
 その最初の成果が30センチの2ウェイ305であり、続く2弾が16センチのP610であり、どちらも20年以上の超ロングセラーの製品なのだ。305は最初、良質なる音響再生に目をつけたNHKによってモニター用として使用され始め、今日にいたるも、その主要モニターとして活躍し続けている。30センチの大型ウーファーに5センチの高音ユニットを、1500Hzのクロスオーバーで使うこの2ウェイ構成は、なんとごく最近の英国KEF製のBBCモニターにおいてトゥイーターユニットが2つだが、まったく同じ組合わせの形をしている。これは果たして偶然なのであろうか。KEFのモニターが、よく聴いてみればダイヤトーン22S305と酷似しているのは当然すぎるほど当然だ。三菱305の場合、日本のマニアからみれば国産品という点において、いわゆる舶来品との違いが商品としての魅力の点で「差」となってしまうのが落し穴なのだ。
 だから、もう一度見直して、いや聴き直してみたい。それがこの2S305だ。いくつかの驚くべき技術が305には秘められているが、そのひとつはウーファーのボイスコイルだ。そのマグネットは巨大で、ヨークの厚さに対してボイスコイルが短かい、いわゆるロングボイスコイルの逆の、ショートボイスコイル方式だ。これはダイヤトーンのウーファー以外には、JBLの旧タイプのウーファーだけの技術である。国産品の中にJBLの技術にひけをとらないといい得るのは、なんとこの305だけなのである。JBLなみに手元におきたいモニターシステムというのは、その理由だ。

タンノイ HPD385

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 タンノイという名称が意味するのは、今やスピーカーの中でも、もっとも英国的、ジョンブル的な色合いを強く残した響きを感じさせる。事実、タンノイは昨年、米国企業に合併された今日といえども、もっとも英国的なスピーカーを作るメーカーとして日本の高級ファンに受け止められている。戦前は英国の車載用音響機器のメーカーとして知られたキャリアーをもつが、戦後はもっばら高級ハイファイ・スピーカー・メーカーであるとされてきた。
 その作るユニットはたった3種、10インチ、12インチ、15インチのそれぞれの口径のコアキシアル2ウェイ・ユニットで、特長とするところは中央軸にホーン型高音用ユニットを備えており、低音のマグネットを貫通したホーンが、そのまま低音コーンのカーブを利用して大きな開口となっていて、1500Hzという比較的低いクロスオーバーをそなえた2ウェイ・ユニットなのだ。これは、アルテックの604を範にして作られたものだが、細部は独創的で音響的にも英国製品としての生すいの血筋を感じさせる。中音のやや高めの音域の充実感は、いかにもクラシック音楽の中核たる弦楽器をこの上なく、よく再生する。
 タンノイのこうした魅力は、かなり米国的になった現在のニュータンノイといわれるもの以前の製品に色濃く感じられるので、できることなら、その旧タイプのユニットが望ましい。ワーフデルとかグッドマンとかの、かつての英国サウンドが今やみる影もなく、ちょう落してしまった今日、僅かにタンノイにおいてのみ、その栄光が残されているうちに、マニアならば入手しておきたいという心情は、単なる良い音へのアプローチという以上のノスタルジックなものも強くこめられている。それは今日の隆盛をきわめるハイファイの引金となったに違いない英国のオーディオ技術、サウンド感覚の没落を悲しむ、ひとつのはなむけでもあるし、日本武士のたしなみでもあろう。じゃじゃ馬ともいわれるその使い馴らしの難しさも、今や大きな魅力となろう。

QUAD ESL

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 スピーカーが振動板というひとつの重量物、いくら軽いとはいってもそれは重さのあるものだが、それを動かして空気中で音波を作り出すことを土台としている以上、作り出した音波自体が避けたくとも、大きな制限を受けることになる。楽器の中に限ったとしても、打楽器以外の天然の音はすべて、重さのある振動板によって作られた音ではないから、もしそれを本物らしく出そうとすると、振動板は「重さ」があってはならない。
 例えば管楽器のすべてがそうだ。木管ではリードが振動して音源となるが、リードは竹の小片で高音用スピーカーの振動板なみに軽い。しかし高音用ユニットでは、木管の音は出そうとしても出るわけがない。ときおり、もっと重い振動板によって軽やかな管楽器の音を出そうということになる。それがバイオリンのような小がらの弦楽器になると、もっとひどいことになる。バイオリンの弦の重さは、高音用ユニットの振動板よりも軽いくらいだから。
 ESLと呼ばれて、今日世界に例の少ないコンデンサー型・スピーカーが高級マニア、特に弦楽器を主体としたクラシック音楽のファンから常に関心を持たれるのは、そうした理由からだ。コンデンサー型システムの音は、あくまで軽やかだが、それは振動板がごく薄いプラスチックのフイルムだからであり、それは単位面積あたりでいったら、普通のスピーカーのいかなる標準よりも2ケタは低い。
 つまり、あるかないか判らないほどの軽い振動板であり、ボイスコイルのような一ケ所の駆動力ではなくて、その振動板が全体として駆動されるという点に大きな特長がある。つまり駆動力は僅かだが、その僅かな力でも相対的に大型スピーカーの強力なボイスコイル以上の速応性を持つ点が注目される。過渡特性とか立上がりとかが一般スピーカーより抜群のため、それは問題となるわけがない。ただ低音エネルギーにおいてフラット特性を得るため、過大振幅をいかに保てるかが問題だが、ESLはこの点でも優れた製品といえる。

アルテック 604-8G

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 アルテックが日本の高級オーディオ・ファンにとって、どうしても重要なイメージを持つのは、それがウェスターン・エレクトリックの音響機器製造部門としてスタートしたメーカーであるからだ。もうひとつは、米国を中心とした全世界の音楽産業において、もっとも古くから、もっとも広く使用されているスタジオ用モニター・スピーカーのメーカーであるからだ。
 モニターということばがスピーカーに用いられる最初の動機は、このアルテックの有名なコアキシアル大型ユニット604であった。もっとも最初は601であったが、602を経て604となり、その原形が今日とほぼ同じとなって30年は経つ。音楽が再生系を経てリスナーの耳に達するのが常識となった今日、プロフェショナルの関係者の使用するモニター用スピーカーが何であるのか、それを使うことによって、もっとも原形に近い再生状態が得られるに違いないと信ずるのは、ごく当然の帰結であろう。
 その604は今75年後期に大幅の改良を経て604-8Gとなった。8Gは8オーム型、16Gは16オーム型なので、日本では8Gが一般用として出ているが、当然16オームの16Gも現存することになる。今までの604Eにくらべて、ウーファーのf0を1オクターブ半以上も下げることにより、ローエンドの再生帯域を拡大し、また高音ユニットのダイアフラムの改良で、ハイエンドをよりフラットにして実効帯域内の高域エネルギーをずっと高域まで平均化して、フラットを完ぺきに獲得した。
 今までは、高域になるに従ってエネルギーが次第に増えるハイ上がりの特性であったのが、ごくフラットな平坦特性を得たため、ずっと聴きやすく、はるかにスッキリした再生特性を持つことになった。つまり、アルテックの現代性志向をはっきりと反映した新型ユニットといえよう。いままでアルテックをモニター用、音の監視用といういいわけで避けてきたマニアも、604-8Gは音楽再生用として受け止めよう。

JBL L400

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 JBLの最新最強力のシステムが、間もなく始まる6月の米国CEショーで発表される。これはL400と呼ばれる4ウェイシステムで、JBLのコンシューマー用初の4スピーカーシステムだ。おそらく、日本では70万円前後の価格で年内に発売されることになろうが、その母体はすでにあるスタジオモニター4341であろう。L200がスタジオモニター4331・2ウェイシステムと同格、L300が同じく4333・3ウェイと同じランクにあるのと同じように。
 このL400は、当然ながら38センチの低音ユニット、25センチの中低音用。ホーン型中高音用はLE85相当のユニットつき。それに077相当の高音ユニットの4ウェイ構成で、その狙うところは低歪、広帯域フラット再生だ。現代のハイファイ技術をそのままの姿勢でスピーカーに拡大した形といえよう。
 ところで、こうしたスピーカーのあり方は今日の全世界では共通なのだが、それがJBLシステムとして、他社との違いは何か、という点を具体的に追い求めていくと、D130ユニットになってしまう。D130は38センチ形のフルレンジだが、30センチ版がD131という名として知られており、これは4ウェイ5スピーカーのスタジオモニター4350の中低音用として、今日もっとも注目され、アピールされている。
 このように、JBLユニットのフルレンジの原形たる38センチD130から発したJBLサウンドが、もっとも現代的な形でまとまったのがL400に他ならない。L400はJBLの一般用システム中パラゴンを除き、最高価格のシステムになる。パラゴンは左右ひと組で3、600ドル。L400はひとつで1、200ドルは下るまい。ステレオで、3、000ドル近くでパラゴンに近い。L400の良さは具体的に接してみないと定かではないが、モニター4341から発展した音楽用で、低音をより充実して、ハイファイ志向に強く根ざした広帯域リブロデューサーの最強力形には違いあるまい。

JBL D44000 Paragon

岩崎千明

サウンド No.6(1976年5月発行)
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」より

 ステレオ全盛の今日、ステレオ用として十分に意識され考えられたスピーカー・システムが果たしていくつあろうか。ステレオ初期からあった「ステージ感のプレゼンス」を考慮して、高音を周囲360度に拡散するとか、音の直接放射を壁面に向けて壁からの反射音によって「拡大されたステレオ感」と「遠方音源」の両面から「ステージ感」を得ようとする試みはヨーロッパ製を始め、多くの英国製品にみられた。
 しかし、リスニング・ポジションをかなり限定されてしまうという点で、今日の主流となっている全エネルギー直接輻射型システムと何等変わることはない。つまり、現在のスピーカー・システムをステレオ用として使うことは、モノラルにおけるほど広い融通性を持っているわけではなくて左右2つのスピーカーの間の、ごく限られた一定場所においてのみ、正しいステレオ音像が得られるにすぎない。そのスピーカーの大小、部屋の大小に拘らず、理想的にはただ1人だけに限られる。
 パラゴンの場合、驚くべきことに、その設置された部屋のどこにあっても、ステレオ音像はほとんど変わることなく、両スピーカーの中心にある。たとえ部屋のどこにいて聴こうが、変わることはない。こうしたスピーカーが他にあるだろうか。
 しかも特筆すべきは、このシステムが低音、中音、高音各ユニットともホーン型のオール・ホーンシステムであるという点である。
 パラゴンが、現存するオール・ホーン型の唯一のシステムであるということだけでも、その価値は十分にあると、いってよいが、パラゴンの本当の良さは、ホーン型システムというより以上に、ステレオ用としてもっとも優れた音響拡散システムであるという点を注目すべきだ。ただ1人で聴けば、コンサートホールのステージ正面の招待席で、ステージを見下ろすシートを常にリスニングポジションとして確保できる。また部屋を空間と考えれば、その空間のどこにあっても、もっとも優れたステレオ音像を獲得できる。パラゴンでなければならぬ理由だ。

ヤマハ C-2, B-2

岩崎千明

スイングジャーナル 4月号(1976年3月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 市場の数ある高級セパレート・アンプの中で高い評価を得たひとつにヤマハCIとBIのペアを上げるのは妥当であろう。V−FETという現代的なデバイスを基にした技術がアピールされたパワー・アンプBI。至れりつくせりのフル機能の内側をそのままのパネル、デザインの豪華にして、ぜいたくなプリ・アンプCI。ともに「豪華型」において、ひとつのはっきりした特長をズバリと明確にし、ユーザーにポイントをはっきりと把握させることができた点がひときわぬき出た成功の源動力となったといえよう。それというのもこれだけ大きく取り上げて謳い上げ得る特長を持ち、それを外観的デザインに完成させた。
 ところで、こうしたBI、CIの初期段階での華麗なる成功があっただけに次なる豪華型アンプはひどくむつかしくならざるを得ない。大スターのあとに続くスターは、前者を乗り越えなければ成功につながらない、という宿命を内蔵し、それが思い通りに事の運ばぬ大きな理由ともなるものだ。
 ヤマハのC2、B2は、こうした点でCI、BIよりもはるかに試練を受けるべき立場にある。CI、BIの成功が大きければ大きいほど、こうした宿命ともいうべきものを背負ってしまうということになるのである。
 C2、B2はこうした背景のもとに早くから多くの関係者から強く期待され、その期待は時とともに高まった。
 そのヤマハのC2、B2がやっと姿をあらわした。
 ごく一部に片鱗が伝えられていた通りに、C2はCIとはすべての点で、まったく違っている。フル機能ともいい得るほど、考えられるすべての使用用途に応じられるスイッチ類や、コントロール類を盛り込んだCIに対して、C2はすべての点で簡略化されている。外観的にも、C2は高さ8センチにも満たない超薄型の形態にまとめられて、デザイン以上に構造上からもユニークだ。
 プレイヤーがそのまま乗りそうな大きな上面パネルは、側面と一体で全体の強度の中心となっていて、分厚いダイキャストの引きぬきだ。
 全体は上品な艶消しの黒で仕上げられでいるが、ともすると重い感じに陥りがちなこのイマージュを、ケースの縁との断ち落されたようなシャープなラインが外側を囲むように包んでいて、この鮮かなカットが現代的な感覚を強めているため、全体としてスッキリとした格調の高いイメージを強く訴えている。
 裏ぶたを取ると単純化された回路ブロックごとに整然とした配列が、大きなプリント基板の上に見られ、その細かなパーツは整然と並んで僅かの乱れもみせない。回路の部品点数こそ多くないが、そのひとつひとつが大変高い精度であることは、パーツの外観からも確かめられる。数少ないスイッチやコントロール・ボリュームも密閉式であったり、スイッチの接点の金属の輝きにも厳選された高級品としての格調がはっきりと認められるのも、ヤマハの超高級アンプらしい。
 こうした細かいひとつひとつの積重ね、集積がその全体のサウンドの上にも如実に表われているのは響きの澄んだ冴え方から判断できる。
 単純化イコール純粋というパターンの典型が、このC2のすべてでもある。アンプの電子回路的な見地からもパーツからの視点でも、さらにその創り出すサウンドの世界からもこのパターンをはっきりと聴くものに知らされるのだ。CIとの比較試聴がこの特長をひときわきわだたせる。つまり、CIが至れり尽せりの回路の完全性で、非のうちどころのないサウンドとして我々を驚かせるのに対して、C2は自然感そのもの、ナチュラルな響きと素っ気ないまでの素直なことこのうえないスッキリした再生ぶりだ。すっかり賛肉を取去ったこのC2こそ、まさに現代ハイファイが求める音の方向なのだ。
 C2に多くを語ったためB2へのスペースが少なくなってしまったが、そのV−FET出力回路の技術はBIからの直系のもので、特に中出力(といっても100W十100W)の実用的高出力でゆとりをもって鳴らすさまは、BIと置きかえても羞を感じさせないほどの再生クォリティーといってよかろう。
 願わくは、この日本の誇る豪華型アンプがより多くの方の耳にいっときも早く達することを。

トリオ KA-9300

菅野沖彦

スイングジャーナル 4月号(1976年3月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 トリオが昨年一年間にアンプに示した積極的な姿勢は目を見張らせるものであった。その初期に展開したCP戦略は、必らずしも私の好むところではなかったが、見方を変えれば、トリオの生産力の現われとして評価することもできるだろう。KA3300を皮切りに1W当り1000円という歌い文句は少々悪乗りが過ぎたし、オーディオ専門メーカーとしての真摯な態度とは私にはどうしても考えられなかったけれど、その後、KA7300、そして今日のこのKA9300に至って、矢張り本来のトリオであったことを実感させられて嬉しくなった。近視眼的に見れば安い製品の出現や、安売り販売店の横行は、ユーザ一に利をもたらすかのごとく見えるものだが、度を超すと、それが、いかに危険な悪循環の遭をたどるかが明確やある。オーディオを愛す専門のメーカーとして、ここまで、共にオーディオ界の発展向上に尽してきたメーカーならば、こんな事は百も承知のはずで、昨日今日、その場限りの儲け主義で、この世界に入りこんできた連中の無責任さと同じであっては困るのである。まあ、過ぎた小言はこのぐらいにしてKA9300について話しを進めよう。トリオが、アンプの特性と音質の関係について、恐らく業界でも一、二を競う熱心な実験開発の姿勢をとってきていることは読者もご存じかもしれない。いささかの微細なファクターも、音に影響を与えるという謙虚な態度で、回路、部品、構成の全てに細心の注意を払って製造にあたっていろ。その姿勢の反影が、このKA9300に極めて明確に現われているといってよいだろう。前作KA7300という65W十65Wのインテグレイテッド・アンプが左右独立のセパレート電源を採用して成果を上げ、本誌でも、その優秀性について御紹介した記憶があるが、KA9300も、この電源の基本的に優れた点を踏襲し、アンプの土台をがっしりと押えている。この左右独立方式は、パワー・アンプのみならず、プリ部にも採用されて、電源のスタビリティーの高さを図っているものだ。二個のトロイダル・トランスの効率の高さは熱上昇の点でも、インテグレイテッド・アンプには有利だし、それに18000μFの電解コンデンサーを4個使って万全の構えを見せてくれている。この電源への対策は、アンプの音の本質的なクォリティの改善に大きく役立つもので、建前でいえば、基礎工事にあたる重要なものだから、こうした姿勢からも、トリオがアンプに真面目な態度で臨んでいることがわかるだろう。出力は、120W+120Wと大きいが、このアンプの回路は、大変こったものであることも御報告しておかねばなるまい。それは、パワー・アンプにDCアンプ方式を採用していることである。DCアンプは今話題の技術であるが、これが、音質上いかなるメリットを持つものであるかは、まだ私の貧しい体験からは断言できない。しかし、世の常のように、ただDC動作をさせているから音がよいという短絡した単純な考え方はしないほうがよいだろう。DCアンプともいえども、それだけで、直に音質の改善につながると思い込むことは早計であり過ぎるのではないか。アンプの音は、部品の物性、配置、構成などのトータルで決るものだからである。しかし、ごく控え目にいって、このアンプのもつ音は素晴らしく、きわめて力強い、立体的な音が楽しめる。音の質が肉質なのだ。つまり有機的であって、音楽に脈打つ生命感、血のさわぎをよく伝えてくれるのである。DCアンプで心配される保護回路については、メーカーは特に気を配り、ユーザーにスピーカー破損などの迷惑は絶対にかけないという自信のほど示してくれているので信頼しておこう。低い歪率(0・005%定格出力時8?)、広いパワー・バンド・ウィガス、余裕ある出力と、よい音でスピーカーを鳴らす物理特性を備えていることも、マニア気質を満足させてくれるであろう。ベースの張り、輝やかしいシンバルのパルスの生命感、近頃聴いたアンプの中でも出色の存在であったことを御報告しておこう。そして特に、中音域の立体感と充実が、私好みのアンプであったことも……。

「アレグロ・エネルジーコ」

黒田恭一

ステレオサウンド 38号(1976年3月発行)
特集・「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」より

上杉佳郎様

 今日はまことに、痛快でした。まず、その痛快な時をすごさせていただいたことに、お礼を申しあげたいと思います。痛快さは、当然のことに、上杉さんのきかせてくださった音、ひいては上杉さんの人柄によっています。
 三十インチ・ウーファーが横に四本並んだところは、壮観でした。それを目のあたりにしてびっくりしたはずみに、ぼくは思わず、口ばしってしまいました、なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか。そのぼくの失礼な質問に対しての上杉さんのこたえがまた、なかなか痛快で、ぼくをひどくよろこばせました。上杉さんは、こうおっしゃいましたね──オーディオというのは趣味のものだから、こういう馬鹿げたことをする人間がひとりぐらいいてもいいと思ったんだ。
 おっしゃることに、ぼくも、まったく同感で、わが意をえたりと思ったりしました。オーディオについて、とってつけたようにもっともらしく、ことさらしかつめらしく、そして妙に精神主義的に考えることに、ぼくは,反撥を感じる方ですから、上杉さんが敢て「馬鹿げたこと」とおっしゃったことが、よくわかりました。そう敢ておっしゃりながら、しかし上杉さんが、いい音、つまり上杉さんの求める音を出すことに、大変に真剣であり、誰にもまけないぐらい真面目だということが、あきらかでした。いわずもがなのことをいうことになるかもしれませんが、上杉さんは、そういう「馬鹿げたこと」をするほど真剣だということになるでしょう。
 したがってぼくの感じた痛快さは、その真剣さ、一途さゆえのものといえるようです。実に、痛快でした。
 神戸っ子は、相手をせいいっぱいもてなす、つまりサーヴィス精神にとんでいると、よくいわれます。いかにも神戸っ子らしく、上杉さんは、あなたがたがせっかく東京からくるというもので、それに間にあわせようと思って、これをつくったんだと、巨大な、まさに巨大なスピーカーシステムを指さされておっしゃいました。当然、うかがった人間としても、その上杉さんの気持がわからぬではなく、食いしん坊が皿に山もりにつまれた饅頭を出されたようなもので、たらふくごちそうになりました。
 ただ、そのスピーカーを設置されてから充分な時間がなかったためでしょう、きかせていただいた音に、幾分まとまりのなさを感じたりもいたしましたが、上杉さんが求められたにちがいない、こせついたところのないひろびろとした音を、ぼくはこの耳でたしかめることができました。テレビの人気番組のタイトル風に申しあげれば、ドンとやってみようといった感じでならさた音で、そための気風のよさがあったように思われました。それしてそれは、神戸っ子としての上杉さんにふさわしいものといっていいものだったようです。
 ぼくにとってひとつだけ残念だったのは、この機会に、上杉さんのつくられた、いわゆるウエスギ・アンプがどんなものか、きかせていただきたいと思っていたのに、たしかにウエスギ・アンプでならしてはくださったのですが、スピーカーが、すくなくともぼくにとってあまりに異色のものだったので、その特徴を見さだめられなかったことです。またの機会に、あらためて、きかせていただきたく思います。
 ヴォルフのメーリケ歌曲集のレコードをかけて下さったのには、驚きました。それもまた、ぼくがヴォルフの歌曲が好きだと見ぬいての、神戸っ子ならではのもてなしだったでしょうか。そのレコードでの、ピアノの、どこにも無理のない、ふっくらした響きは、すてきでした。
 上杉さんは、お目にかかっての印象や、三十インチ・ウーファーを4本もつかってのスピーカーシステムをおつくりになることから、大きなもの、ダイナミックなものを求められていらっしゃるのかと、つい思ってしまいがちですが、一概にそうとはいえないようだということが、さまざまなレコードをきかせていただいているうちに、わかってきました。きかせていたたいた音は、まだ上杉さんのものになりきっていないという印象はのこりましたが、そこで上杉さんがならそうとしていらっしゃるものには、ある種のこまやかさもあったようでした。
 今日は、心からのおもてなし、本当にありがとうございました。ご自愛を祈ります。

一九七六年一月二十七日
黒田恭一

オーレックス C-550M

井上卓也

ステレオサウンド 38号(1976年3月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このカートリッジは、発電方式は、MM型であるが、振動系のカンチレバーにカーボンファイバーを採用している。カンチレバーは、グラスファイバーの0・37mm径のソリッド材を使用し、針先には、オーレックスで開発したエクステンド針を使っている。このタイプは、音溝との接触が、カッティングレースのカッター針に近い、ラインコンタクトタイプで、高域の分解能が優れ、接触面積が大きいために、針先、音溝両方の摩耗が少ない特長がある。この針は、ダイヤモンドと同等の硬度をもつコランダム結晶を研磨している。

サンスイ SR-323

井上卓也

ステレオサウンド 38号(1976年3月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 サンスイからの新しいプレーヤーシステムは、シンプルなデザインをもつ、ベルト・ドライブ方式の製品である。
 直径30.3cmのアルミ合金ダイキャスト製のターンテーブルは、重量が1.1kgあり、4極シンクロナスモーターで、ベルト・ドライブで駆動される。
 トーンアームは、実効長220mmのS字型ユニバーサル型であり、針圧は、メインウェイトを回転して印加する。トーンアームの付属機構は、ラテラルバランサーと、SMEタイプのインサイドフォースキャンセラーがある。回転軸受部分にSMEと逆方向に出たバーがバイアスカーソルで、0.5gステップで2gまで針圧対応でバイアスをかけることが可能である。付属カートリッジは、MM型で0.5ミル針付である。