岩崎千明
ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)より
プレーヤーの数少ない専門メーカーともいえるマイクロ精機が、商品ならざる製品を出した。新たなる製品ながら、新製品ととうてい言い難いのはそれが1900年代初頭の、文字通りのゼンマイ仕掛けの蓄音器をそのまま、現代に複製したのがこのいとも優雅な製品なのだ。一般にこうした場合、範をエジソンの作品を始めとする米国製品をモデルとすることが多い。小犬が首をかしげて聴きいるマーク鮮やかなるRCAブランドのオールドタイプが普通だ。
ところがマイクロの場合、さすがといえるのはヨーロッパは芸術の国フランスのこの分野で最高級といわれてきたパティマルコニー社の1905年(明治38年)製をコピーしたもので、いかにも骨董品然とした古めかしい風格が満ちている。それはまるで宝石箱かなにかのようなシンプルな作りの良いガッチリした箱の上に、薄く小さく輝く皿のようなターンテーブルを乗せ、ただでさえ重そうな太い金属管の先に幼児のこぶしほどの丸いサウンドボックスを持つ。
そしてその箱の何倍もあろうか、まさに朝顔の花をそのまま拡大した超大型のラッパが全体をおおうようだ。巨大な金属朝顔の、上半分の視覚的な重さから前に傾きそうにもなるはずだが、開口を斜上に向けたバランスの巧みさがどっしりした安定感を創り出して、それが出現した当時の驚くべき「音楽器機」を構築している。その雄大なる姿は、とうてい今日的な再生システム、ブックシェルフ型スピーカーを両脇に配した素気無いメカニズムとは格調が違う。
サウンドボックスに眼を凝らしてみるとただ一枚の雲母(マイカ)が、自然そのままただ丸く形をととのえられて収まっていて中心からのびた針金が直角に下におりた所に、鉄の蓄針(レコードバリ)が装着される。つまり、後期の蓄音器が金属のままで現代のホーンスピーカー用ドライバーユニットか、ドーム型ダイアフラムの形をしているのに対し、それはまったく平面そのままの天然マイカ板の所が純粋だ。この辺が実は凝ったカートリッジを今も作るマイクロらしい特長だろう。
と、ここまでくると、このたった一枚のマイカ板が巨大朝顔を通すと、いったいどんな音として出てくるのかが気になってくる。付属の小さなZ型の把手を小さな箱に押し込んでゼンマイを40回ほどまわすと、いっぱいに巻上げられる。これで25センチSP盤のほぼ表裏を演奏できることになる。
何より驚くのは、この音量だ。小さい部屋では、周囲の会話を不可能としてしまうほどだ。それに、音はまるで「生命を得たごとく」にいきいきとして、文字通り躍動する。特に金管楽器は、SPレコードにこれだけの音が入っていたのかと信じられぬ思いで、演奏者がその場に居合せたようなプレゼンスに聴きいってしまう。むろん帯域はせまいのだが、音楽を凝縮して必要以外を押えてしまった音といえそうだ。この蓄音器の音を聴くと、現代のオーディオが、昔ながらのどこかで取残した部分について気になり出してくるのである。
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