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ティアック A-7400

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 ニュー・デザインだが、大変よくまとまったデッキだ。伝統の操作性やデザイン・イメージのよい面を残しフレッシュなメカニズムに生れ変った2トラック38cm/secデッキだ。

ソニー TC-6360A

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 ソニーが長い間磨きあげた1モーター・メカニズムによる3ヘッド・4トラックデッキで、信頼性のある中級機。ヘッドはフェライト&フェライト、音のバランスは良好だ。

フィデリティ・リサーチ FR-54

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 各機能を合理的にすっきりレイアウトしたアームとして高く評価できる製品。その洗練されたデザインもともかく、仕上げの美しさが魅力を大きくしている。

SME 3009/S2 Improved

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 イギリスSME社のナイフエッジ式のトーンアームは最高級アームとして世界に君臨するにふさわしい安定した動作と高い感度をもっている。優美な姿体も魅力的である。

トーンアーム/フォノモーターのベストバイを選ぶにあたって

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 プレーヤーシステムを構成する部品としてフォノモーターとトーンアームを単体で選ぶとなると、それなりにシビアな見方をせざるを得なくなる。その点では、現在市販で得られるものには率直のところ、単体でなくてはならないという意味を感じるものが少なくないのが残念だ。そのほとんどが、システムとして売られている高級機器の枠を越えるものではないからである。それを忠実に守ると、きわめて少数しか挙げられないので、ここではある程度の妥協をしている。特にモーターは、もっと超弩級のものが単体で存在してほしいと思う。

マランツ Model 500

菅野沖彦

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 250W×2のパワーアンプ。堂々たる外観にふさわしい内容をもつ。パワフルで明るい音質は、ややキメの細かさには欠けるが、たくましく充実している。王者の風格だ。

オーディオテクニカ AT-15E

菅野沖彦

スイングジャーナル 3月号(1975年2月発行)
「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ・システム紹介」より

 AT15Eはオーディオ・テクニカが同社のオリジナルであるVM型の発電機構を持ったカートリッジとして何回か改良を経て完成した最新製品である。この後に普及版の、AT14シリーズを発売しているが、同じ設計思想にもとずくものだ。AT15Eのよさは、VM型の同社のカートリッジに共通のきわめて明解な音像再現に加えて、豊かな陰影やニュアンスの再現力が得られたところにあると思う。VM型の振動発電系というのは.45/45方式の現在の2チャンネル・ステレオ・ディスクの溝の構造と同系のもので、互いに45度ずつ傾いた左右の壁の振動を、ちょうど、その振動を刻み込んだカッティング・ヘッドの左右のドライビング・コイルのポジションのようにV字型に2つ独立したマグネットが設けられて変換するというものだ。その構造が、いかに音質に結びついているかを明確に断言する自信はないが、今まで聴いてきた同社のVM型に共通した音質傾向が、先に述べたように、明解な音像再現とクリアーなセパレーションにあったといえる。曖昧さのないソリッドな音の再現は、時にドライで鋭角な印象を与えられ、音楽のニュアンスによっては不満を感じる場合があった。AT15Eでは、それが大きく変化して、適度な味わいと音のタッチの快さを感じるものになったのである。カートリッジは変換器として、ディスクの溝に刻まれた信号を忠実にとり出すことが、その大きな役目であるから、こういう音のカートリッジ……というような存在や、表現は本来おかしいというのは正論である。カートリッジが音を持つことは間違いだという理屈は正しいと思う。しかし、それはあくまで理屈の上であって.現実は大きく違う。全てのカートリッジは固有の音をもっている。カートリッジだけではない。全ての機械系をもつ変換器は固有の音を持っているのが現実である。そして、そこに楽しさや、喜びを感じることは間違いだといってみてもはじまらない。いい音、快い音は、まきに好ましいのであって、感覚に正邪はないのである。私はよく自分の部屋でカートリッジをテストするが、自分の作ったレコードでは、よくそのマスター・テープと聴きくらべることがある。変換器として、マスター・テープに近い音を良しとするのは当然だが、そういう比較は遠い昔にやめてしまった。つまり、近いといえば全てのカートリッジはマスター・テープに近いし.遠いといえば全て遠いのである。そして、その差の部分は千差万別で、そこにカートリッジの音として固有の音楽的魅力の有無が存在することのほうに大きな楽しみを見出してしまっている。

高品性かつ豊かな感性を持つジャズ・サウンドを再現
 そんなわけで、このAT15Eに対する私の評価も、かなり柔軟な態度で音楽を聴いた上でのものであり、このところそうした味わいを聞かせてくれるカートリッジが国産でポツポツ出始めてきたことに喜びを感じているのである。ところで.このAT15Eを使って一式コンポーネントを組み合わせろという編集部の注文だが、小さなカートリッジ一個から、システムに発展させるというのは、少々こじつけがましいこともあり、本来、カートリッジは最後に決めて、なお、その上でも、いくつかのものを使い分けるという性格からすれば、この注文は少々無理があろうというものである。そこで、AT15Eの価格や実質性能、感覚的な満足度にバランスした装置を漠然と考えてみると、やはりかなり高級なシステムになるようだ。決して10〜20万の普及システムはイメージ・アップされてこない。AT15Eというのはそういうクラスのカートリッジなのだろうと改めて思った。ここに作ったシステムは、それでも、ギリギリ節約して作ったつもりのものである。プレイヤー・システムとしてはAT15Eのよさを発揮させるにはアームが重要。多くの普及、中級、時には高級システムまでが、トーンアームに問題があって、カートリッジの性能を充分に発揮しきれないのである。ひどい場合はトレース不能、ビリつきを生じて、一般にはカートリッジのせいにされている。
 デンオンDP3700Fはこの点で安心して使える。シンプルだが精度のいいアームは高感度でしかも神経質ではない。私の好きなアームの一つだ。モーターはいうまでもなくDDの有名なもの。話が前後するが、AT15Eのシェルはあまりいただけない。形は気取っているし、作りもよいが、音は最高とはいえない。他のシェルに変えて、よりよい結果が得られた経験がある。シェルに対するカートリッジ本体の食いつきもよくないし、ダンピングが不充分だ。
 アンプは同じデンオンのPMA700Zを使う。デンオンのプリメイン・アンプとしては既に定評のあったPMA700の改良でMKII的新製品である。音の透明度と実感がより確かな感触になった。よく練られた回路は高度な技術に支えられた音の品位のよさを感じさもる。味わいも豊かで、音楽の生命感がみなぎる。
 スピーカーはダイヤトーンの新製品DS28Bだ。去年の暮に発売になったばかりだが、すでにかなりの台数がファンの手許に渡っているという。ダイヤトーンのスピーカー技術が、商品としてまとめの技術とよく結びついた完成度の高いもので、とにかくよく鳴る。AT15E、

ソニー TC-5550-2

菅野沖彦

スイングジャーナル 3月号(1975年2月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 音をとる楽しみは大きい。オーディオの世界は長い間、音を聴く世界であった。専門家だけが音をとることを許され、一般アマチュアは、それを聴く楽しみに限定されていた。レコード、ミュージック・テープ、そしでラジオというように、全て与えられたプログラム・ソースの再生に楽しみの世界があった。無論、そこには大きな趣味の世界があった。一般にいわれるように、必らずしも、聴くことは受身の行動だとはいい切れない。まして、自分で再生装置を構成して、同じプログラム・ソースからありとあらゆるバリエーションをもった音を再生するオーディオの楽しみは、再生とはいいながら、かなり創造性の強い趣味の世界だといえるのである。しかし、自分で録音をするということになると、その性格は一段と明確になってくる。写真の楽しみは撮影にあるし、写真というメカニズムは、素人が撮影するというプライバシーと共に今日のような大きな発展を見た。もし、写真が、オーディオのように、撮影済みのフィルムを再現するという範囲に限られていたら、とても現在のような発展は望めなかったであろう。そして、この音をとるということの楽しさは、録音機をうまく操ったり、S/Nのいい音を録音再生するというメカニックな楽しみと共に、自分の頭の中にイメージとしである音を具現化するところに、その真骨頂があるといってよいのである。実際には自分の外にある音を対象として、これを録音するのに違いないが、ただそこに音があるから録音するというのでは次元が低くすぎるし、楽しさも浅い。自分のイメージに合った対象を求め、それをイメージ通りに録音すること、あるいは思いがけない対象を発見して、それを瞬間的に自分のイメージに火花を散らせ、自分の感じた音として適確に把えること、時には強引に自身のイメージに合わせるべく音をつくり変えてしまうこと、こうした録音の楽しみこそ、まさに創造的な制作としての楽しみであり、その世界は大きく深いといえるであろう。
 ところで、そうした目的には世の中の多くのテープレコーダーがあって、それぞれ目的と用途が設計思想の基本となっているが、ここにご紹介するソニーの新製品TC5550−2は、そうした高級な趣味層向けに、ハイ・クォリティ・サウンドで、サウンド・イメージをクリエイトするための道具として作られた高級デンスケである。同社でも、オープン・デンスケ、TypeIと称しているが、この分野での経験の豊富なソニーらしい立派なマシーンが登場して嬉しい。その昔、デンスケの呼称の元となった、ゼンマイ式の重いデンスケをかついで肩をこらせた筆者にとって、あらゆる点で、これは理想のマシーンだと思える程なのである。この種の機械の最も重要なポイントはパワー・サプライだが、これは4電源方式という便利なもので、単一乾電池8個、充電式バッテリー、カー・バッテリー、AC100Vと万全である。まず、どこへ行こうと電源に悩むということはない。メカニズムは少々繁雑だが、それだけ機能は豊富である。筆者としてはもっとシンプルなもののほうが好ましいが、メカニズムの好きな人にはその欲求が充分満たされるであろう。デザイン、仕上げにはマニア好みの格好よさが溢れているのである。トランスポートの要めはがっしりとダイカストで固め、19cm/sec、9・5cm/secの2トラック・2スピードの録音特性は素晴らしい。音楽録音にも全く心配なく使えるほどだから、野外の自然音などは完璧。あまりよいので家庭用のデッキとしても使いたくなるほどでなぜ7号リールがかけられるようにしなかったのだろうなどと、少々見当はずれの欲が出てくるほどなのである。ヘッド構成は3ヘッドの独立式、駆動モーターはDCサーボのワン・モーター、44×94mmのダ円型スピーカーがモニターとしてついている。マイクの入力はロー・インピーダンスで−72dBの感度を持つ本格的なプロ仕様。ラインは勿論、100Ω以上で−22dBである。音質は明解で安定し、バイアス、イコライザー共に3段切換で、テープに対する適応性も広く、高性能テープも使いこなせる。重量は6・8kgと決して軽くはないが、この内容としてはよく押えられている。19cm/secは勿論、9・5cm/secの音質のよさは特に印象的で、基本性能をかっしりと押えたメカニズムとエレクトロニクスのよさを感じた。

JBL L16 Decade

菅野沖彦

スイングジャーナル 12月号(1974年11月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 JBLがL26ディケイドという普及型のスピーカー・システムを出したのは、そう古い記憶ではない。今は値上りしてしまったが、発売当初は7万円ぐらいで買えたので、大きな人気を呼んだ。たしかこの欄でも私が採I)上げたと思うが、普及型ながら、まぎれもないJBLのクォリティをもった優れたスピーカーであった。アメリカでも好評であったらしく、今度、このディケイド・シリーズを上下に拡大し、L16、L36というニュー・フェイスが登場したのである。このシリーズの開発は、私の知る限りでも、かなり長い時間をかけており、ロスのカシタス・アヴェニューにあるJBL本社の試聴室には、そのプロト・タイプが前から置いてあった。昨年の春、同社を訪れた時にも、それを聴かせてもらって、その発売を楽しみにしていたものである。この1〜2年、小型ブックシェルフ・スピーカー・システムはヨーロッパ・メーカーから続々と優れたものが発売され、世界中で好評を得たというバック・グラウンドが、JBLにも、ディケイド・シリーズの拡大を考えさせる刺戟になったことは疑いない。ヘコー、ブラウンなどの製品が、同社の試聴室にあって、L16のプロト・タイプとの比較試聴に使われていたことからも、こうした事情がわかろうというものだ。
 この秋になって、ようやく輸入発売されたL16を試聴してみて、さすがにJBL! という感概を改めてもったほど、この小さな〝ジャイアンツ〟は私を魅了してしまったのである。27×49×26cmという小さなエンクロージャーに収められたこの2ウェイのコーン・スピーカー・システムの音は、とても外観から想像できないスケールの大きさと、本格的なJBLクォリティーを備えているものであって、JBL製品の成功作といってよいと思う。JBLといえども、稀れには失敗作と思える製品を発売してしまうこともあるが、そのほとんどは、最高級のJBLシステムに通じる音の質感をもっていることは見事というほかはない。ほとんどのスピーカー・メーカーからの製品は、同シリーズといえども、全く異質な音を出してみたり、ましてや、発売時期に2〜3年と隔りのあるものや、使用ユニットやエンクロージャーのサイズが違ってしまえば同質のサウンドを聴かせてくれるものはないといってよい。スピーカーというものの赦しさをそのたびに感じさせられるものである。しかし、JBLは、コーンの2ウェイからホーンを使った3ウェイに至る多くのバリエーションが見事に同質のサウンドで貫かれているということは驚異といってよいくらいである。明るく、解像力に富み、屈託のない鳴り方は音楽の生命感や現実感を見事に浮彫りにして聞かせてくれる。濁りのないシャープな音は、時にあまりにも鋭利で使いこなしの難しさに通じるが、使用者が、自分の理想音を得る場合の素材としては、これほど優れた正確なものはないと思えるのが、私のJBL観である。可能性というものをこれほど強く感じさせてくれるスピーカーは他にはない。ほとんどの所で聞くJBLスピーカーの音は、その可能性を発揮していないといってもよいので、一部ではJBLスピーカーが誤解されているようにも思えるのである。
 さて、このL16は、20cm口径のウーハーと3・6cm口径のコーン・ツイーターの2ウェイで、ウーハーは新設計のものだが.ツイーターはL26、L36、L100、4311モニターに共通のダイレクト・ラジエーターである。エンクロージャーはバスレフ型だ。JBLのユニット群は同社がスピーカー・ユニット製造の長年の歴史から得た貴重なノーハウと、確固たる信念にもとずいた、磁気回路、振動系の設計製造法によっているため、新しいシステムを出した時にも、全く別物のようなサウンドにならないといってよいだろう。それでもなお、ユニットの組合せ、エンクロージャーの違いによって、そのまとまりに出来、不出来が生じることもあるのだから、スピーカーというものは難しい。L16は、前にも書いたように、きわめて幸運?なまとまりが得られたシステムとなった。許容入力は連続で35W、音庄レベルは75dB(入力1Vで4・57mに置ける測定値)だが、ドライブするアンプは、50W×2ぐらいのパワーは欲しい。こんな小さなシステムでありながら、プリ・アンプやパワー・アンプのクォリティーを完全に識別させるほどの実力をもっているからである。

トリオ Supreme 700C, Supreme 700M

菅野沖彦

スイングジャーナル 10月号(1974年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 トリオが久しぶりに〝サプリーム〟という名のもとに高級アンプを発売した。かつて、マルチ・チャンネル・アンプ・システムが流行した当初、総合マルチ・アンプとでもいえる3チャンネル・アンプを発売した時からこの〝サプリーム〟(本当はシェープリームと発音すべきだが)という名前が生れたと記憶するが、その時点での同社の最高級技術とノー・ハウを集中して作られる製品にだけ使うことになっているようだ。今回の製品はモデル700Cプリ・アンプと700Mパワー・アンプの2機である。最高級アンプを目指すものだけあって、同社のこの製品にかけた努力は並々なものではなかったらしい。実際の製品のデビューが、他社のこのクラスのものより遅れた理由も、慎重な開発のためだろう。
 たしかに、現在の日本のオーディオ界は高級アンプに大きな成果をあげつつある。この一年間に各社から発売されたハイ・パワー・アンプ、それにマッチした高級プリ・アンプはそれぞれ自社の持てる力をフルに発揮した力作ばかりといってよかろう。それぞれが優れた物理特性を誇る高水準のもので平均的にいっても外国製の同クラス・アンプを凌駕するといってよい。ただし、デザインのオリジナリティ、音の風格の面ではそうとばかりはいい切れないが、音の純度の高さは最近の国産アンプの大きな特長だと感じている。私の装置は3ウェイのマルチ・アンプだが、その各帯域のパワー・アンプとして優れた性能を発揮してくれるのはむしろ国産の優秀アンプであるが、全帯域として使うと、不思議と外国アンプの魅力が生きてくるという事実を痛感している。魅力とか音楽性というあいまいな表現は、全て物理的にはネガティヴな要因、つまり、歪に起因するものという見方があるが、心のせまい思考である。それが本当に歪の存在であるかどうかも解らぬくせに、技術領域でだけに思考の輪を限り、現実の音のよさを理解もしないで、頭から否定するという貧しさである。そういう考え方の人間に限って全体を把えることなしに、部分だけに気をとられ、そこさえよくなれば全体もよくなったと錯覚する。エレクトロニクスの進歩とオーディオのトータルな世界でのバランスにおいて、未だ混沌とした情勢にある中で、各社のアンプが、それぞれに実際に鳴らしてみると、ちがう音がするという事実はきわめて当り前の結果だという気がするのである。
 このトリオの700C、700Mも、こうした現状を反映したアンプであって、特に、700Cプリ・アンプの音の強烈な個性は好き嫌いがはっきり分れる性質のものだと思う。私の手許にいくつかあるプリ・アンプ、マランツ7T、マッキントッシュC28、JBL・SG520、パイオニアC3、ソニーTAE8450、テクニクスSU9600など、一つとして同じ音のするプリ・アンプはない。そして、しかもそれらは、組み合わせるパワー・アンプとスピーカーで、さらに千変万化するという有様である。700Cを私の常用システムに繋いで鳴らした時の魅力はここでは書くまい。何故ならば、それはあまりにも個人的なものだから。ここではあくまで、700Mとの組合せでアルテックのA7をSJ試聴室で鳴らした感想に止める。音は大らかで底抜けに明るく、ウワーと前面に躍り出た。屈託のない表現の大きさは実にユニークで戸惑いを覚える程である。内向的で悪くいえば陰湿な、じめじめしたデリカシーに伏目がちに涙する日本人的気質とは程遠いのである。私自身、味や女性への好みもマルチブルで自分でも自分が解らなくなるほど浮気っぽいから、音の好みも相当多岐にわたる。700Cの持っている充実した明るい大らかな音は大変魅力的だった。細かい特性はカタログを見ていただければわかるから、ここではふれる必要もあるまいが、各種コントロール機能もよく練られ、これぞプリ・アンプといったパネル・デザインもオリジナリティこそ高く評価は出来ないが、仕上げの高さ、感触のよさなど、高級感に溢れている。700Mパワー・アンプは、170W×2の大出力らしい余裕と、中低音の豊潤さは圧倒的だ。低音の量感がするだけではなく、その質が弾力性に富んでいる。平板な量感をもつ低音ではなく、丸いのである。電源の基本特性もぜいたくに設計されている。出力段は3段ダーリントン接続コンプリメンタリー・トリプル・プッシュである。最近の大出力アンプはパワーの余裕と、よくコントロールされた低歪率のために、音質の向上は著しい。しかし、大出力アンプの共通の欠点としての残留ノイズ・レベルの高さがあげられる。高能率のスピーカーで深夜ひっそりとした中での使用は大変気になるものだ。この点、この700Mは、最近、私が接したハイパワー・アンプの中では格段に残留ノイズ・レベルが低いことを特筆しておこう。ロー・レベル再生の透明度にも影響をもたらすものだけに、残留ノイズは、全てのアンプがこの程度に押えられなければ家庭用のハイ・ファイ・アンプとはいえないのである。700C、700Mはトリオらしい強い主張をもった製品であり、手応えのある堂々とした高級機であった。

キャバス Sampan Leger

菅野沖彦

スイングジャーナル 8月号(1974年7月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ムッシュ・キャバスによって1950年創立されたフランスの音響機器専門メーカーについては日本ではあまり知られていない。従来、製品が本格的に輸入販売されていなかったからである。今回、試聴する横合を得たサンパン・リーガー31000というシステムが、私にとっては同社の製品との初対面であった。
 キャバス社は資料によると、もともとスピーカーの専門メーカーとしてスタートし、その後アンプにも着手、主にプロ機器を手がけてきたメーカーである。ヨーロッパではかなりの実績をもつメーカーなのである。このブックシェルフ・システムを聞いても、並々ならぬ実力が感じられるのである。生産は比較的小量らしく、入念な作り方をされているようだが、素朴ともいえる何の変哲もないシステムに見えながら一度音を出すと、その素晴しさ、オリジナリティの美しさに、すっかり魅せられてしまった。
 3ウェイ3スピーカーで使用ユニットはオール・コーン、63×40×31(cm)の比較的大型のブックシェルフ・システムである。外見上変っているところといえば、ハイ・フリクエンシー・ユニットのボイス・コイル・ボビン前面に、普通ならダスト・カバーか、それ兼用のドーム型のキャップがつけられているが、この製品では、それが円筒状のプラスチック製キャップつきのポールピースとなっているくらい。しかしコーン紙の質はよく見てさわるとなかなかユニークで、どこかしっとりとした感触をもっていて、適度な内部損失を推測させる。深いコーンをもったウーハーのエッジ・サポート部分などにも一見それとわからぬが細かい工夫と独創性がある。特に上出来とはみえないエンクロージャーだが、材料と構造には豊かな経験とデータの蓄積が生んだ吟味が感じられる。バッフルへのユニット取付にもフェイズを充分考慮に入れた跡が感じられ、このメーカーの質の高さが理解できる。一見きわめて無雑作でありながら、ポイントだけはしっかり押えられたかなり緻密な科学技術力による設計生産品であることが感じられた。
 3ウェイのレベル・アッテネーターはなく各ユニットのレベル・バランスは調整不能であるが、これにも同社の強い姿勢を感じる。こんなところに金をかけて、基準を失うようなことはする必要なしといわんばかりである。しかし、プロ用ならともかく、一般用として、特に輸出までするとなると、どんな再生条件になるかわからないのだから、中高域のレベル・アッテネーター(ノーマルから±に増減できるもの)はやはり必要だと思う。
 ところで、この音についてもう少し詳しく感想を述べると、私にはやはりフランスの音という個性が感じられてならない。メーカーとしては無響室データーを基準につくっていて、特に意鼓した個性的表現はおこなっていないというかもしれないが、この音は明らかに一つの美しく強い個性である。センスである。ふっくらと豊かで透明な中音域の魅力! 音楽のもっとも重要な音域が、こんなに充実して味わい深く鳴るスピーカーはめったにない。楽器がよく歌う。もちろん、低音も高音もよくバランスしているからこそ、調和した美しさが前提でこそ、こうした中域の魅力が語られ得る。まるでルノアールの女像のように水々しく柔軟でいて腰ががっしりしている。ジャズをかけても大きなスケール感も、微視的に拡大するシンバルやハイ・ハットの質も、ベースの弾みも、リードやブラスの歌も文句ない。それでいて全体に潤沢で、輝かしく、しかも特有のニュアンスを持つ。色合いは深く濃い。しかし、決してくどくない。モーツァルトのデュポールのヴァリエ−ションが素敵な佇いと、うるわしいとしかいいようのないソノリティで私を魅了してしまったのである。全く別な持味で私を魅了したブラウンのスピーカーと対象的に、惚れこんでしまったのであった。惜しむらくは、エンクロージャーのデザイン、フィニッシュが一級とはいえないことだ。ウォルナット、チーク、オーク、マホガニーという4種類の仕上げが用意されているらしいが、実際に4種共が輸入されるかどうかは知らない。今回聴いたものはチーク・フィニッシュのものだった。
 このスピーカーの高い品位を十分に発揮させるためには、優れたハイ・パワー・アンプが必要だと思う。試聴はマッキントッシュC28、MC2300というコンビでおこなったが、ピークで1150Wはラクラクと入る。このスピーカーの許容入力は35Wであるが、これはコンティヌアスなマキシム・パワーであるから、瞬間的なピークなら、200〜300Wには耐え得る。安全と必要との合致点からみて70〜100Wクラスのアンプがほしいところだろう。
 近来、稀に得た、フレッシュな音の世界の体験であった。

ヤマハ NS-470

菅野沖彦

スイングジャーナル 7月号(1974年6月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ヤマハのスピーカー・システムとして最新型のNS470を聴いた。新しいNSシリーズのスピーカー・システムは、NS650、NS690を頂点としていずれも、まともな音を再生するスピーカーという印象で好きなものだが、(事実、まともな音を再生するスピーカーがいかに少いかというのが実感だから……)、今度のNS470という、いわば普及価格のシステムも一口にいって、バランスのよい、音楽本来の姿を再現してくれるシステムであった。やはり、さすがに楽器作りの長年のキャリアを待ったヤマハらしい体質が感じられる。このシステムは、NS690などで使われているものと同系の振動材を使ったソフト・ドーム・ツイーターを新開発のコーン使用の25cm口径ウーハーと組み合わせた2ウェイであって、クロスオーバーは2kHz、エンクロージャーは密閉型のアコースティック・サスペンション式、ブックシェルフ・システムである。300×577×275・5(mm)というサイズは、ブックシェルフらしいプロポーションで、比較的重い13・5kgという重量だが、これなら、たしかに棚へ乗せて使う事が出来そうだ。あまりにも大きく、重いブックシェルフ・システムが多いので、このシステムぐらいの大ききのものをみるとほっとするのである。正面グリルはオレンジとグリ−ン系の2種が用意され、好みで選択出来るが、モダーンなカラー・タッチは若い層に喜ばれるだろう。エンクロージャーの仕上げはきわめて高く、木工の得意なヤマハらしい美しい仕上げである。ただし、表面木目の仕上げ材はツキ板でなく木目プリントのビニール材である。つまり偽物である。コストからして、こうせざるを得ないのかもしれないが、私個人の気特を率直に述べれば、趣味の世界に偽物が入りこんで来るのは不快である。もし、木が使えないならば、ビニールらしい仕上げでカラフルにする事を考えたほうがまともではないか。わざわざ木目プリントをしてまでも木にみせようという根性のデコラやビニールや紙を見ると、いじましくて嫌になる。デコラやビニールそのものを否定しているのではなく、無理に木に見せようとする態度が嫌なのである。このスピーカーの性能や音質は、明らかに、コンポーネント・システムとしての品位の高さを持っていると思うので、それだけに、この仕上げにはどうしても不満なのである。あまりにも巧みに張ってあるので初めは解らなかったが、解った途端に音まで悪く聞えてしまった。こんなことはどうでもいいという人には音だけについて語らねばなるまいが、音は本物である。ステレオフォニックなプレゼンスの豊かさ、音場の奥行の再現、モノフォニックな音像の定位の明解さと、楽音のリアリティに満ちたタッチの鮮やかさは、このクラスのスピーカーとしては高い讚辞を呈したい。小型ながら、かなりの音圧レベルも再現し、ジャズのパルシヴな波形にも頼りなさがない。弦楽器やピアノの倍音のデリカシーもよく出るし、小音量での音のぼけや鈍い濁りもない。ドーム・ツイーターは能率をあまりかせげないので、ウーハ一に対してのレベルのノーマル・ポジションはほぼマキシマムに近いが、ウーハーの中高域が軽く明るいので、部屋の特性か低域上昇タイプでも重く暗くなることがない。32、000円という価格は、NS650と比較してやや割高という感じもするが、実際には値上げをしていないNS650が割安だという評価が妥当だと思う。上手に組み合わせれば、10万円台でトータル・コンポーネントとして組み上げる可能性をもったシステムで、これだけバランスのよい、音質も美しく、しっかりしたスピーカー・システムは決して多くないと思う。ジャズを大音量で聞くというケースでは、さすがに低域の敏感と力強さには物足りなさも残るけれど、全体のバランスを考えれば、これは我慢するべきといえるだろう。スピーカー・システムというものは、必らず、どこかを重視すればどこかが犠牲になるという宿命をもっている。ましてや、ある範囲でコストを限定すれば、これはしかたのないことなのである。総合的に見て、このNS470いう新製品はヴァリュー・フォー・プライス、つまり、買って損のない価値をもった快作といえると思う。最近好調なヤマハのオーディオ製品への力がよく発揮されたシステムである。

マッキントッシュ MC2105

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 C28プリアンプをはるかに上回るパネルデザイン。片チャンネル150ワットの大出力と、重厚な音のイメージは、このアンプの大きさ、重さ、デザインと完全に一体になっていて、どこにも無峻や違和感がない。ブルーにイルミネイトされる出力レベル・メーターの色のギリギリの線で嫌らしく青くなるのを押えた明度と色調。まさにアクアブルーの自然の神秘さを再現する。これを真似た国産のアンプのすべては嫌らしい失敗作である。

マッキントッシュ MC2300

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 超弩級ハイパワーアンプ。片チャンネル300ワットのモンスター・アンプ。その次元の違う再生音のスケールの大きさは、鳴らしてみれば納得するだろう。少々ちゃちなスピーカーでもガッシリと鳴る。ただし、いい気になってパワーを入れるとヴォイス・コイルが焼けてすっ飛ぶ。8ℓFFキャディラック・エルドラードを思わせるアンプだ。重さに匹敵する価値を感じる事だろう。こういうアンプを他に先がけて商品化する底力が凄い。

マランツ Model 500

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 マッキントッシュも一目おく優れたアンプ。いかにもアメリカを感じさせる力量アンプである。伝統のゴールド・アルマイト・フィニッシュのパネルにシンプルな、それでいて美しいツマミ。メーター周りは、特に、よきにつけ、あしきにつけアメリカ的だ。音も凄い。すっきりした透明感で、しかし力に溢れた量感。ほかのアメリカ製ハイパワーアンプより一桁上のクォリティ。品位の高さではMC2300に匹敵する両雄だ。

マッキントッシュ C28

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 シンメトリックなツマミ配置が完成の域に達したコントロール・アンプ・デザイン。なんといっても、イルミネーションのグラス・パネルが創り出す、ファンタジックな効果が印象的。絶対に指紋をつけっぱなしにしておけないという代物だ。もし、これを指紋だらけで平気で使っていられるとしたら、そんな無神経な奴は死んでしまえ! である。重厚な落着いたサウンドは、やや陰りを感じさせる渋さで黒光りといったイメージだ。

トリオ Supreme 700C

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 トリオの新しい高級アンプである。特にこのプリアンプの音の魅力は大変に個性的で、オリジナリティがある。中高域の明るく透明で、量感のある魅力は強烈だ。嫌いな人もあろう。しかし、世界の数多くの高級アンプの中で、これくらい個性が強く、しかも、絶対感覚的に美しく、快い、と感じさせる音をもった日本製のアンプも貴重である。デザインはマランツをお手本にしてトリオナイズしたものでオリジナリティはない。

ブラウン L710

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ブラウンには同じようなユニットを組み合わせた一連のシステムのヴァリエーションがあるが、私は620、710が好きだ。この上の810はウーファーが二つで、やや低音が重く中域の明瞭度をマスクする。ブラウンの滑らかな音は、充分解像力にも優れるし、音楽が瑞々しく、ハーモニーがよく溶け合う。白とウォールナットがあるが、断然ウォールナットがいい。仕上げも美しく虚飾のないすっきりしたデザインは極めて高いセンスだ。

真に明確な設計思想を反映するものなら素晴らしい魅力をもち得る

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 オーディオ製品の魅力を具体的に表現することは難しい。もし、それが出来るなら、私は世界一の魅力的なオーディオ機器を自分でつくってしまえる。従って、これについて書く事は、やはり、ある程度、抽象的な表現になってしまうと思うのだ。オーディオ機器に限らず、機械というものの魅力は、第一に、その機械が目的とする機能を果す上で最高の性能をはっきしていなければならないということだろう。これは当り前の事のようだがなかなか難しい。そもそも目的とする機能といったけれど、この目的の考え方が大問題なのである。車の目的一つを考えてみても、その難しさがわかろうというものだ。車は速くなければならない。遅い車は無意味である。遅くてよければ、歩いて事足りる。カゴでも馬車でもよい。また、ただ速いといっても、その速さにもいろいろある。急激に加速する速さと、巡航できる最高速度とは別物である。ランナーの短距離と長距離のような性格かもしれぬ。次に、車は自由にあらゆる道路を走破できるものでなければならぬ。電車や汽車のように予め設置された線路を走るものとはちがう。直線もカーブも、平坦な道もデコボコな道も坂も走らなければならない。つまり、あらゆる状態に対応できる操舵性をもっていなければならない。そして、もっとも重要な事は、そうした性能が常に安全も保障された上で発揮できなければならない。車は、確実に停れなければいけない。人間と車は常に一体のものだから、肝心の人間が、極度に疲れたり、危険に身をさらされたのではなんの意味もないどころか、その存在理由は根底から覆るだろう。ちょっとあげただけのこれだけの条件を完全に満たすだけでも容易ではないわけで、車の設計者は、全ての条件を満たす事を理想としながらも、現実可能な範囲で、どこかにポイントをしぼらざるを得ない。速さ一点ばりのスポーツカーにするか、快適第一の大型セダンにするか、客本位の乗用か、貨物本位のトラック化。つまり、目的はさらに細分化され選択整理されるのである。この選択整理のされ方が、設計の思想の根源となり、出来上るものの性格を決定づけるといってもよいであろう。この段階で、よほど煮つめられていないと、出来上る段階までに、何度か設計変更や手直しがあって、結果的に、中途半端な無性格なものになってしまうものだと思う。
 オーディオ機器の目的とは何か? いわずとしれた音の再生である。しかし、ここにもまた、車の場合と同じように、いくつかの目的の細分化が生れるのである。小さい音、大きい音、徹底的にワイド・レンジな音、耳を刺激しない適度なレンジの音、専門家が使うか素人が使うかによって分れる機能や操作性のちがい、何でも適度に満足させるか、一点重点主義でいくか……等々、多くのバリエーションが考えられるだろう。手近な例をあげれば、一体型のものとコンポーネントでは、本質的に、この目的の細分化や整理の考え方は異るのである。また、もし細かい話しをすれば、ツマミの数を少しでも減らして操い易くするが可変できるものは全てツマミでコントロール出来るようにするかといった事も含まれる。このように、その機器が、目的をどう定めるかという思想の確固たるバックボーンを持っていないものは魅力はないし、また、当然、最高の性能は出し得ないのである。作る人間の頭の良さと才能、精神が、まずこの第一段階で、機器に明確に反映してくるのである。私はスポーツ・カーも好きだし、セダンも好きだ。ジープも好きだ。と同じように、コンポーネントも、一体型も、小さなカセット・ラジオでさえも好きである。それが、真に明確な設計思想を反映するものならば、皆、それぞれに素晴らしい魅力を持ち得ると信じている。
 さて、このような基本的な事柄だけで、私のいわんとしていることは終りのようなものだし、後は全て、その基本精神をいかに製品に生かし切れるかというテクニックの問題なのだが、もう少し話しを発展させてみようと思う。
 オーディオ機器に限らず、機械の魅力の重要な要素の一つは、なんといっても、見てさわって感じられる感覚である。大きな意味でのデザインといってよいだろう。そして、機械美、メカニズム・ビューティというものの第一条件は、必然から生れたものでなければならない。つまり、虚飾はこの世界では通用しないのだ。というと、何の味気もない、シンプルなものを想像されるかもしれないが、そうとばかりは限らない。ボーイング747のコックピットを見たまえ。もの凄い複雑な計器類が並んで、まるでメーターのジャングルである。決してシンプルなものとはいえない。しかし、あれは、全て必要欠くべからざるものばかりなのだそうだ。DOHCエンジンのエンジン・ヘッド・カバーを開けて見たまえ。エンジンの中には虚飾はない。凄く複雑だ。美しい。ヘマなデザインの時計は文字板よりも中味の方がはるかに美しい。アンプもそうだ。いいアンプというものは、中味が実に美しい。いいかげんなアンプは、外観は勿論、中味も美しくない。非合理的な部品の配置。チャチなパーツ。安っぽいビスやシャーシーやビニール線が乱雑である。こんなアンプは特性も音も絶対にいいわけがない。一方、シンプルなほうはどうか。私はかつて、父親が所有していた関の孫六という日本刀の素晴らしさに唸った記憶がある。柄や鍔や莢も凄かった。しかし、何といっても私を夢見心地にさせたのは、刀身そのものであった。シンプルきわまりない刀の姿、その形と質感の与える魅力は、いかなる複雑な装飾にも勝って大きな感動を与えたのである。匠が全智全能を傾けて焼き入れた鉄、その硬軟の美しいバランスは実際の切れ味を超えて美しく冴えていたことを思い出す。ダイムラー・ベンツやポルシェに使われている特殊鋼も、それ自体、魅力に溢れた質感で私を把えてしまう。ただのナマクラな鉄とは次元を異にした味である。こっちは、日本刀の匠に代って現代科学のなせる業である。このように、私は機械の美しさは、必然的に、その性能を追求した時に生れる味わいだと思うのである。そして、そういう味わいをもつ機械は、性能も必ずいいものだ。オーディオ以外の話しが多くて恐縮だが、オーディオ機器の魅力も同じ次元で把えることが出来ると思う。デザインや質感、触感のよいオーディオ機器も、きっと優れた特性をもち、素晴らしい音を出してくれるものではなかろうか。内容とは無関係な感覚や次元でデザインされたパネル。コストの制約からか安っぽい素材を無理にゴマかした使い方。ギクシャク、ザラザラした操作スイッチやボリュームの類。そんな機器で良い音を出したものには未だ一度もお目にかかったことがない。私の手許にあるオーディオ機器で真に魅力にとんだものはそう多くはないが、マランツの7や7Tのパネルは一級品だ。素材と仕上げの良さが感じられ、感覚的にはシンプルな、プリ・アンプはこうあるべしという設計者の思想や頑固な精神が沁み出ている。JBLのSG520のプリ・アンプも、少々劣るけれど、やはり一級品だろう。なによりも、そのデザイン感覚のシャープさが、このプリ・アンプの音と実によくマッチしている。マッキントッシュは全然、違う感覚だ。夢である。ロマンである。メカニズムの美というものの把えかたを私とは全く違う角度からアプローチして見事に調和させている。手許にはC28、MC2105があるが機械屋が、機械の冷たさ硬さに愛情をもって衣を着せたのが、これらのアンプのパネルの魅力だ。JBLの375ドライバーに537-500ホーンをつけたもの、それに075をむき出しで使っているが、必然から来た、これらのスピーカー・ユニットの外観は、それこそなんの虚飾もない。人はどう思うか知らないが、私はとても好きである。なにかで、おおいかくそうなどという気は全く起さない。仕事で使っているノイマンやアンペックスの機器も同じである。プロ機器はなおさら虚飾はない。
 最後に正直に一つ告白しよう。いろいろ理屈を並べたてたけれど、オーディオ機器は音のいいものは形もよくみえてくる。つまり、見た眼の悪いものからはいい音がしないといったけれど、中には、見た眼の悪さが気にならなくなってくるものもある。音がよほどいいのである。ただ、そういうものには見た眼にも虚飾だけはないのである。

JBL 4320

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 本来プロのモニター用として開発されたシステムだが、その充実した音の緻密さは、すべての音楽プログラムを一分のあいまいさもなく再生する。デザインだって、プロ用とはいいなから、家庭の部屋へ持ち込んで少しもおかしくない。むしろ、その直截な現代感覚はモダーンなインテリアとして生きる。シャープな写真が魅力的で、しかも、正直に対象を浮き彫りにして魅力的であるように、この明解で一点の曇りのない音は圧倒的だ。

タンノイ Autograph

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 ガイ・R・ファウンテンのシグナチュアーで保証される英国タンノイの最高級システム。大型コーナーのフロント・バックロード・ホーンに同社が長年手塩にかけて磨き込んだ傑作ユニット、〝モニター15〟を収めたもの。音質は、まさに高雅と呼ぶにふさわしく、華麗さと渋さが絶妙のバランスをもって響く。ただし、このシステム、部屋と使い方によっては、悪癖まるだしで惨憺たるものにも変わり果てる。

アルテック A5

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 アルテックの劇場用大型システム。とても家庭に持ち込めるような代物ではないという人も多いが、それは観念的に過ぎる。絶対安心して鳴らせるスピーカー、つまり、どんなに大きな音でびくともせず、よく使い込んでいくと小さな音にしぼり込んだ時にも、なかなか詩的な味わいを漂わせてセンシティヴなのである。形は機械道具そのもの。デザインなどというものではない。これがまた、独特の魅力。凄味があっていい。

アンペックス AG440B

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 アンペックスのプロ用のマス・プロ・デッキ。特性的には不満がなくはない。しかし、この音の生気あふれる輝きは、一度とりこになったら離れられない。デッキのトランスポートも、エレクトロニクスもデザインも抜群。プロ用のテレコで、現役製品中随一のものだ。リレー・スイッチのボタンの色彩感、直線的でシンプルなモノトーン・イメージのパネル。ただし日本製のコンソールのデコラの色や仕上げは少々興ざめする。

オルトフォン SPU-G

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 こんな古い特性の悪いカートリッジは、いかに過去の最高級品とはいえ、技術的に見れば取り上げることにためらいを感じるのが当然だ。しかし、現在入手可能だということと、その音の味わいが、現在のハイ・コンプライアンス・カートリッジのもつ、音のボディの欠落の傾向への警鐘としても価値があると考え、あえて、ここに取り上げる。とにかく、この音は理屈には叶わなくてもいい、堂々とした充実感が大きな満足感を与えてくれる。

シュアー V15 TypeII

菅野沖彦

ステレオサウンド 31号(1974年6月発行)
特集・「オーディオ機器の魅力をさぐる」より

 現在のシュアーの現役最高級品はタイプIIIである。しかし、私としてはどうしてもタイプIIが捨てられない。このカートリッジの安定性、つまり常にいかなるレコードに対しても安定なトレースを示してくれるという信頼感は抜群だ。そして美しくバランスのとれた音質はレコードの特長をよく出してくれる。全てのカートリッジに難はある。それは聴く人の個性とのぶつかり合いだといってもよい。V15IIはまるで君子のような製品なのだ。