Category Archives: 菅野沖彦 - Page 5

CSE A-3000

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「SPUND SCOPE」より

 オーディオの周辺機器には様々なものがあって、にわかには、どれを信じていいやらと惑わされることが多い。「君子危うきに近寄らず」ではないが、日頃はできるだけ、そうした自分に明確に判断できないものは避けている。とはいえ、何かのチャンスで使ってみて、わずかでも効果があると無視できないのが、この道に狂ったものの人情であろう。音というものは、瞬間、直感、実感しかない抽象の世界だからである。
 じつは最近、珍しいものに出会った。スピーカーの周囲の空気をマイナスイオン化することで音がよくなるという、信じていいのやら悪いのやら……、つまり僕の知識では、その動作原理は理解困難なものなのだが、しかし、文字通り、論より証拠、機会が与えられたので聴いてみることにした次第。
 それが、ここにご紹介するCSEのA3000というトゥイーターシステムである。わが家でも本誌試聴室でも、これをつなぐとたしかに音が澄んで、魅力的になるのを体験してしまった! これを実際に体感した以上、否定するわけにはいかない。
 無論、なにかをすれば音は変る。問題はよく変るか、悪く変るかの判断である。
 トゥイーターは最近輸入されたスイス製の「エルゴ/AMT」というヘッドフォンが採用しているものと同じハイルドライバーを搭載。トゥイーターとしては、メインスピーカーにあえばいいユニットだと思う。僕の家ではJBL/075にパラレルにつないで実験したのだが、再生帯域15kHz〜30kHzをもつこのユニットは、うまくつながった。しかし、それは別にどうということはない。ただたんに、「いいトゥイーターがあらたに一つ見つかった」というだけのことで、マジックはないのである。
 問題は、これが音声信号に同期してその発生量を変化させるマイナスイオン発生器をもっていることだ。かつてない代物である。つまり、ポイントはマイナスイオン化によって音がよくなるという現象の真偽である。そこでトゥイーターの接続をはずして、イオン発生器だけを動作させて音を聴いてみたのだが、これがいいのである! 音が明らかに、独特の柔らかさ、滑らかさ、清々しさに変って聴こえるのだ。
「スピーカー周辺の空気をマイナスイオン化することの効果である!」と、開発者である、クリーン電源システムでおなじみのCSEの真壁社長はいわれるのだが、そんなものであろうか? さらに、「振動板の微小振動を妨げている原因は、振動板周辺の空気の粘性にある。その空気をマイナスイオン化すれば、粘性が低減して微小振動が生かされる」のだそうだが、理論的な証明はまだできないともいわれるのだ。
 したがって、商品としてはトゥイーターシステムとして発売されるのであろうが、しかし、マイナスイオン化による効果を経験すると、音声信号同期式の「マイナスイオン発生器」単体で少しでも安く発売されるほうが有り難いと、私は思うのだが……。

アキュフェーズ P-1000

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「EXCITING COMPONENT 注目の新着コンポーネントを徹底的に掘り下げる」より

 日本における真の意味でのオーディオ専業メーカーといえる存在はいまや数少ないが、アキュフェーズは創業以来、脇目も振らず、高い理想と信念で、オーディオ技術と文化の本道を、独立独歩、誇りを持って毅然と見続けているメーカーである。
「たとえ、それが量産の産業製品であるにしても、良きにつけ悪しきにつけ、製品には人が現われる。その背後に人の存在や、物作りの情熱と哲学の感じられないものは本物とはいえないし、そのブランドの価値もない。物の価値は価格ではなくその情熱と哲学、それを具現化する高い技術である」
 というのが、昔からの私の持論だ。人といっても、それは、必ずしも一人を意味するのではなく、企業ともなれば、複数の人間集団であるのは当然だが、その中心人物、あるいは、その人物によって確立された理念による、明確な指針と信念にもとづくオリジナリティと伝統の継承が存在することを意味することはいうまでもない。
 アキュフェーズというメーカーは「知・情・意」のバランスしたオーディオメーカーであると思う。これはひとえに創業者で同社現会長の春日二郎氏のお人柄そのものといってよいであろう。個人的な話で恐縮だが、春日氏は私が世間に出てオーディオの仕事を始めた昭和30年頃にお会いして以来、もっとも尊敬するオーディオ人である。技術者であり歌人でもあり、もちろん、熱心なオーディオファイルでもある春日氏はすぐれた経営者でもある。長年にわたり、春日無線〜トリオ(現ケンウッド)という企業の発展の中心人物として手腕を発揮されてきたが、初心である専業メーカーの理想を実現すべく、規模の大きくなったトリオを離れられ、創立されたのが現在のアキュフェーズだ。
 すでに周知のことと思えるこれらのことをあらためて書いたのは、ここにご紹介する新製品であるP1000ステレオパワーアンプの素晴らしい出来栄えに接してみて、その背後に、まさにこの企業らしさを強く感じさせるものがあったからだ。
 P1000のベースになったのは’97年発売のモノーラルパワーアンプM2000と’98年発売のA級動作のステレオ・パワーアンプA50Vである。これらのアンプはアキュフェーズの新世代パワーアンプの存在を、従来にもまして高い評価を確立させた力作、傑作であった。
 この世代から、すぐれたパワーアンプが必要とする諸条件の中でアキュフェーズがとくに力を入れたことの一つが、低インピーダンス出力によるスピーカーの定電圧駆動の完全な実現であった。ご存じのようにスピーカーのボイスコイル・インピーダンスは周波数によって大きく変化するし、また、スピーカーは原理的にモーターでありジェネレーターでもあるために、アンプによって磁界の中で動かされたボイスコイルは、同時に電力を発生しそれをアンプに逆流させるという現象を起こす。パワーアンプが安定した動作でスピーカーをドライブして、そのスピーカーを最大限に鳴らし切るためには、これらの影響を受けないようにすることが重要な条件なのである。
 われわれがよく音質評価記事で「スピーカーを手玉にとるように自由にドライブする……」などと表現するが、これを理屈でいえば前記のようなことになるであろう。
 アキュフェーズは、このパワーアンプの出力の徹底した低インピーダンス化こそが理想の実現につながるという考え方をこの製品でも実行している。低インピーダンス化にはNFBが効くが、スピーカーの逆起電力がNFBのループで悪影響をもたらすので、出力段そのものでインピーダンスを下げなければならない。
 またスピーカーのボイスコイル・インピーダンスの変化には、出力にみあう余裕たっぷりの電源回路を設計・搭載しなければならない。現在のスピーカーはインピーダンスが8Ωと表示されていても周波数帯域によっては1Ωまでにも下がるものが珍しくない。これを全帯域で完璧に定電圧駆動するとなると8倍の出力を必要とすることになる。つまり、8Ω負荷で100Wという出力表示をもつアンプでは、負荷インピーダンスが1Ωになった時、800Wの出力段と電源がなければ十全とはいえないということになる。このような出力段と電源の余裕がなければ、プロテクションが働き、音が消えることはなくても、最高の音質を得ることはできないであろうというのがアキュフェーズの考え方である。事実、堂々たるパワーアンプでも、簡単にプロテクション回路が働いてしまう場合もある。自信がもてなければ安全確保が優先するのもやむをえない。いいかえれば、一般的な8Ω100Wと表示されたプリメインアンプなどでは、その1/8の10W少々が実用範囲だといえるかもしれないのだ。それでも4Ω以下とインピーダンスが下がるほど、発熱が辛い。だからプロテクション回路が働くわけである。これがなければ出力素子が破損する。
 これが、P1000でアキュフェーズが訴求する最重要項目で、このためにこのパワーアンプの出力は8Ω125WW+125Wだが1Ω1kW(実測値1250W)が保証される。コレクター損失130W、コレクター電流15Aの素子11個のパラレルプッシュプル出力段構成は、カレントフィードバック回路とともにアキュフェーズのお家芸ともいえる技術を基本としている。
 これらの素子や回路を搭載する筐体、ヒートシンクがフェイスパネルとともにみせるこのアンプの風格は堂々たるものであるだけではなく、繊細感をも兼ね備えていて、そのオリジナリティが、じつに美しい日本的なアイデンティティを感じさせるものだと思う。それは作りの高さ、精緻な質感によるもので、海外製品とは、趣をことにする魅力を感じさせる。そして、その特質はサウンドにも顕著に現われていて、力と繊細さがバランスした独特の美の世界を持っていることを聴き手として嬉しく思う。なにかと同じような……、ということは、けっしてメーカーにとってもユーザーにとっても好ましいものではあるまい。
 ヴェルディのマクベスのプレリュードにおけるオーケストラの深々とした低音に支えられた力強いトゥッティ、サムエル・ラミーのバスの凛とした歌唱、ピアノはやや軽目のタッチに聴こえるが、透明感は素晴らしい。ホールトーンの漂いと抜けるような透明感も豊かであった。
 清々しい響きには濃厚な味わいの表現にはやや欠ける嫌いはあるが、これが日本的な美しさとして生きていて、ツボにはまると海外製品にない、あえかな情緒が心にしみる音触である。

ラックス C-10II

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「EXCITING COMPONENT 注目の新着コンポーネントを徹底的に掘り下げる」より

 ラックスというメーカーは日本のオーディオ専業メーカーとして最古の歴史と伝統を持つことはご存じの通り。同社の社歴は、そのまま、わが国のラジオ、オーディオ産業の発展の歴史を語るものといってもよい貴重な存在だ。多くの経営的な困難を体験しながらも、初心を忘れず、ひたすらアナログ高級アンプを中心に磨き続けてきた不屈の精神には感服せざるを得ない。
 現会長である早川斎氏は先代の築かれたこの仕事を天職として、全生涯をかけ一路邁進し続けてこられた人である。氏はオーディオを高邁な趣味としてとらえ、その製品には徹底的にこだわり抜く社風を築かれてきた。したがって、ラックスの製品には、まさに入魂ともいうべき作り込みの精神が伝統として脈々と流れているのである。
 いまや、マネージメントのトップ自身が真にオーディオ・マインドを身につけておられるという日本のオーディオメーカーは少なくなってしまった。もともと特殊な趣味であるオーディオが、1960年代あたりから大きくスケールアップして産業化し、わが国の高度経済成長にともなって一部上場企業化するところが多くなりはじめて以来、オーディオ専業メーカーの体質は変りはじめたのである。それにともない、レコード・オーディオ文化も爆発的に大衆化し、本誌の読者諸兄にとってのオーディオは、頭に「本格」の2文字をつけなければラジカセやミニコンポなどと、区別ができないような時代になった。
 大衆化自体は結構なことだし、産業の発展も喜ばしいことには違いないのだが、本来のオーディオの核心が希薄になっては、喜んでばかりもいられない。まことに痛し痒しといった感があるが、ラックスやアキュフェーズのような企業にとっては嵐に巻き込まれたような戸惑いがあることも否めない。しかしこの環境下での新製品C10II、またすでに発売されたパワーアンプB10IIをみると、ラックスらしい磨き込みが如実に感じられ、頼もしい限りなのである。
 高級アナログプリアンプC10IIは、従来モデルのC10が、1996年の発売であるから3年日のリファインでありヴァージョンアップである。今回は、とくにあらたなローノイズ・カスタム抵抗器の採用と回路定数の全面的な見直し、外乱ノイズへの対策などにより、さらなるS/Nの向上がはかられたという。プリアンプのサウンドにとって決定的な影響を与える要素はすべてといってよいが、なかでも素子の持つ物性は、その影響が大きい。
 C10で開発された、例の多接点式精密アッテネーター(スーパー・アルティメット・アッテネーター)は58接点の8回路4連式のもので、これに取りつけられる456個の抵抗のすべてが一新されたわけである。このアッテネーターでは信号経路には2個の抵抗が入るだけであるから、その純度はきわめて高い。個人的には音楽のフェイドを段階的に行なうのは、けっして好きではないし、接点間ではわずかながらノイズが発生する。
 しかし、今、あえてこの芸術的ともいってよい、手間暇とコストのかかるアッテネーターにこだわるところが、いかにもラックスらしく貴重である。これらのリファインメントは、たんにS/Nの向上としてかたづけるわけにはいかないもので、その音質のリファインも顕著で、プリアンプのもつ魅力を再認識させられるほど、いい意味での個性を感じさせられた。
 プリアンプに限らず、オーディオ機器はすべてがことなる個性をもっているが、メインプログラムソースがCDの時代になってプレーヤーの出力がラインレベルなるとプリアンプ不要論が台頭してきた。このため、オーディオファイルの多くが、不便を承知で、プレーヤーとパワーアンプ間にはアッテネーターだけを入れて使うことが、いい音への近道だという短絡的、かつ音の知的理解に偏向しているようである。
 また、プリアンプのあり方に対しても「ストレート・ワイアー・ウィズ・ゲイン」という、いかにも説得力のありそうな、非現実的な理想論を現実論にすり替えて掲げている例が多いようである。音は頭で考える前に、先入観抜きの純粋な感性でとらえ、判断しなくてはならないことはいうまでもあるまい。
 各種の入力切替えに、いちいちパワーアンプのスイッチを切って抜き差しするというのでは、まさにストレート・ワイアー症候群である。そのストイックな心理状態もわからなくもないが、とくに現在のようにメディアが多彩になれば、これらの入力を自由に切替え、スムーズに音楽再生をコントロールすることは必要ではないだろうか?
 また、プリアンプによって、しかるべきバッファー効果とインピーダンスマッチングが得られるものでもあり、プリアンプを使うことで音がより良くなるということは、プリアンプのもつ音の個性と嗜好の関係以外にも理由のあることなのである。
 さらに、有効なトーンコントロールやイコライジングというオーディオならではの便利で効果的なコントロール機能も大切だ。これらを使いこなすこともオーディオ趣味の醍醐味であろう。プログラムソースの録音の癖や部屋のピーク、ディップをそのままにしてケーブルだけを変えるより、よほど効果的なのである。
 こういうコントロール機能をもつプリアンプを、私はオーディオシステムのコックピットと呼んで、システムには絶対必要な存在であると考えている。プリアンプ不要論などは、浅薄な電気理論だけで、オーディオを知らない人のいうことだろう。プリアンプの選び方と使い方こそ、その人のレコード音楽の演奏センスであり、オーディオセンスだと私は考えている。
 C10IIは入力が全部で8系統ある。アンバランスは負荷50kΩの6系統、バランスは100kΩの2系統である。出力はアンバランス300Ωとバランス600Ωの2系統が用意されている。トーンコントロールはトレブルのターンオーバーが3kHzと10kHzの切替え、バスのそれも300Hzと100Hzが選べる。
 これを的確に使えば、かなり広い対応ができるはずで、先述のようにケーブル交換以上に、オーディオファイルにとっては有効な音の調整ツールである。
 なにがなんでも電気的にはいっさい余計なものを廃し、スピーカーシステム、あるいはプレーヤーやアンプの設置だけで、音楽的にいい音が得られるとは思えない。それらは基本的に大切なことではあるが、それだけで音を自身の理想に近づけられるほど、オーディオは単純ではない。
 パソコンに例えれば、OSと同時にアプリケーションソフトが機能してはじめて有効に使えるように、オーディオにおいても、CDのような音楽ソフトの重要性はいうまでもないが、オーディオ機器のもつ電子機能への理解と習熟が、いい音を獲得するためには必要であることも知って欲しい。
 オーディオにおいて電子機能を利用することを頭から邪道だとするほうが間違っている。本来、電子機能による録音再生がオーディオであることを考えてみれば明白ではないか。無論、何事もその乱用は慎むべきで、的確にたくみに使いこなすことこそが肝要なのである。
 ところで、このプリアンプの音だが、まず、音触の自然さがあげられる。従来の音より楽音の質感がリアルである。いかにもラックスらしい個性的魅力という点ではオリジナルのC10のほうを好む人もおられるかもしれない。しかし、このレゾリューションの高い音はあきらかに細部のディテールがより精緻である。
 オーケストラを聴くとエネルギーバランスは標準的なピラミッド型よりやや鋭角、つまり中域が締った端正な印象を受ける。B10IIとの組合せはアキュフェーズP1000より低音が豊かになり、高音は繊細な感じの、よりワイドレンジに変化して聴こえたが、パワーアンプとの組合せで多彩に変化するようだ。多くのパワーアンプで試聴したわけではないが、P1000、B10IIの他、アキュフェーズA50V、マッキントッシュMC2600などでの印象である。ドヴォルザークのドゥムキー・トリオの冒頭のメナヘム・プレスラーのピアノやキャスリン・バトルのコロラチューラソプラノでは高域の倍音が豊かで美しく、繊細の極みといいたいような美音であり、鳥肌が立つように感じられたものだ。

ステラヴォックス ST2

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「TESTREPORT ’99 話題の新製品を聴く」より

 ステラヴォックスというブランドはかつてスイスの精密メカニズム技術を活かして作られたプロ用のアナログ・テープレコーダーで有名であることは、本誌の読者なら知っておられるであろう。デジタル時代になってからはDATレコーダーが99%完成した時点で経営が頓挫して、残念ながらついに陽の目をみることができなかった。
 じつは、このブランドはゴールドムンドを主宰するミッシェル・レヴァション氏が所有するもので、ゴールドムンドの日本代理店であるステラヴォックス・ジャパン社の社名の由来ともなっている。したがって、ここ数年は、商品のないまま、この日本の輸入代理店の社名としてわが国のオーディオファイルには広く知られていたという面白い存在のブランドだ。
 このD/Aコンバーターは、そのステラヴォックス・ブランドの復活第1弾である。プロ機のメーカーが作ったのだからプロ用なのだが、この製品、幅15cm、奥行き24cm、高さ5・4cm、重量は1・5kgで、拍子抜けするほど、小さく、さりげない筐体にまとめられ、価格もけっして高くはない。
 しかし、その音を聴くと、どうしてどうして、なかなかなものである。アキュラシーだけではなく独特のみずみずしい魅力にさえ溢れた音なのだ。
 なぜ大方の単体D/Aコンバーターがあれほどの大型で重量級の筐体なのか? と思わせるほど、その音質の品位の高さに驚かされた。小型であることのメリットを活かしたD/Aコンバーターといっていいだろう。つまり、小型だから剛性も高いしシグナルパスも短く、表面積も小さいので外部の影響は少ない。中身はハイテクのチップだからこれでじゅうぶんともいえるのではないか?
 デジタル入力は同軸2系統、バランス1系統。アナログ出力はアンバランスとバランスがそれぞれ1系統と、シンプルきわまりない。回路はゴールドムンドのDA4モジュールによるものである。

ソニー SCD-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「待望のSACDプレーヤー第1号機ソニーSCD1を聴く」より

 SACDがついに具体的に商品として、その姿を現わした。本誌の発行元であるステレオサウンド社では、オーディオファイルでもある原田社長が、ことのほか熱心に、早くからその誕生を切望されていた。従来のCDの足を引っ張るから、あまり騒がないで欲しいといった批判もあったと聞くが、それはあまりにも近視眼的な意見だと思う。私は、この技術革新の時代を全面的に肯定するものではないが、ここ15年間のデジタル技術の進歩は目覚ましい。現在のCDフォーマットはすでに16年以上も経過している。1982年当時のパソコンと現在のそれを比べてみれば、その差は天と地ほどもある。16ビット/44・1kHzというフォーマットは当時としては精一杯のものであったとしても、決して十全とは言えなかったもので、フォーマットで音の可能性の上限が決まるデジタルにあっては、そのままでよいはずはないだろう。デジタル技術の進歩により、プロ機器の上位フォーマット化やビットストリーム技術が生まれ、それに伴ってより高密度のマスター録音情報を16ビット/44・1kHzの器のなかに収録するマッピング技術なども、CDの音質を向上させてきたことはご存じの通りである。CDも当初からするとたいへん音がよくはなった。しかし、それはあくまでCDの限界のなかでのことで、基本的なブレークスルーを果たすための上位フォーマットの誕生は時間の問題であったと言うべきであろう。
 このような技術的な背景を持つにいたった今日の時点で、CDフォーマットに加え、新たなスーパーCDフォーマットが生まれたのは、自然な流れと受け止めるべきだろう。それがこのSACDの登場であり、やがて発売されるDVDオーディオでもある。
 私は、CDが誕生した1982年秋に、すでにその必要性を感じていたほどだし、1985年夏に上梓した拙著《オーディオ羅針盤》(音楽之友社刊)のP164『CDの完成度』の項のなかで「スーパーCD」の登場を希望的にほのめかしてもいる。
 以上の経緯から、私自身がSACDをどう考えているかがお解りいただけるのではないだろうか。
 しかし、これが即、音の良さや音楽の感動につながるという短絡的思考は危険である。これは、あくまで、メディアの持つ物理的な可能性が拡大したというだけの話であって、よい音、よい録音音楽には、素晴らしい演奏の存在と、高い質とセンスによる録音制作の持つウェイトのほうがはるかに大きいという、いつの時代にも当然の事実の認識こそが大切である。
 今回、SACDプレーヤーの歴史的1号機であるSCD1を聴いたが、時期的に第1回新譜の一部による試聴という限られた条件では、本当の実力は解らないと思う。私の場合、たまたま、自身が制作した北村英治と塚原小太郎のデュオ・アルバム『ドリーム・ダンシング』を、DSD方式のハードディスク録音機からのCDと、ソニーとSMEがテスト・プレスしてくれたSACD(非売品)の2枚を比較できた。プリ・マスタリング工程は違うため、厳密なものではないが、その差をある程度の確度を持って聴けたのは幸いであった。
 結論から言えば、その差は僅差とも大差とも言えるもので、ソニーの出井社長の言葉を借りれば、凡庸なワインと最高のそれとの微妙な味わいの差と言っていいだろう。解る人にはかけがいのない貴重な差であり、解らない人には違うような気がするという程度かもしれない。しかし、長年培った本誌と読者とのコンセンサスからすれば、これは明らかに大差と言っていい。
 わが家ではマッキントッシュのXRT20と私流の4チャンネル・5ウェイシステム、本誌の試聴室ではSCD1と同時発売のソニーのフルシステムで聴いたのだが、いずれのシステムによっても差は歴然であった。しなやかな高音域の質感、透明な空間感、そして、低音の音触、音色感の明確な判別はまさに旬の味わいだ。また、このSCD1のノーマルCDプレーヤーとしての出来栄えも素晴らしいものだと思う。強いて欠点と言えば、アクセスが遅いことで、CDとSACDを切り替えた時には30秒以上もかかる。しかし、実際にわが家で1週間ほど使った現在では、これも必ずしも欠点とは言えないような気がしてきた。つまり、試聴などの場合はともかく、音楽を真摯に聴こうとする者にとっては、この音の出るまでの時間が心の準備につながり、集中につながるからである。あまりにも日常的にイージーになっていたCDプレーヤーが、いつの間にかわれわれから奪っていたサムシングを取り戻してくれることを実感したものである。50万円のCDプレーヤーとして、SACD機能をおまけと考えても、これは高く評価できるプレーヤーであった。

フィデリックス SH-20K

菅野沖彦

ステレオサウンド 130号(1999年3月発行)
「いま聴きたい魅惑のコンポーネント特選70機種」より

 数年前に本機SH20KをSS編集部から借用して試用した経験があったが、その効果が忘れられず、今回あらためて使ってみた。結果として現在のCD再生にとっては「レコード演奏家」のツールとして有効なものであることを確認したので、ここで取り上げることにしたものである。これを使ってみると、楽音に含まれる音響成分の周波数帯域として、20kHz以上の成分が、われわれ人間の耳と脳の感じる自然感、あるいは快感にとって重要であることが認識されるであろう。このことはここ数年実験しているスーパーCDの聴感テストでも明白な事実である。DVDオーディオやSACDは、周波数帯域を従来の20kHzの録音限界を大幅に拡張するだけではなく、ダイナミックレンジやレゾリューションをも飛躍的に向上し得るものであるから、その効果は高域にとどまらない。低域の解像度及が上がることによる音質改善も私自身、実際に録音再生を通して確認している。しかし、ハードとのバランスでスーパーCDがプログラムソースとして豊富に提供されるには、未だかなりの時間が必要と思われるし、現行CDの豊富なレパートリーは、永遠に貴重な音楽の宝庫である。したがって、デリケートな耳の持ち主は、それらをよりよい音で聴きたいのは当然であろう。20kHz以上の高域ノイズ成分を加えるというと、ノイズという言葉に知的拒絶感を起こす人が多いようだが、音を知性だけで聴いてはいけない。第一、それらの超高域成分は、まったく同じとは言わないが、自然音響に含まれるものも、人間の聴感能力からしてみても、もはや、限りなくノイズに近い成分と考えられる。先入観は禍いのもとである。そして、ここでも音楽と絵画にとっては音と色自体には、優劣、正邪はないと言えるのである。感じて欲しい。

ダイナベクター SS-Adp

菅野沖彦

ステレオサウンド 130号(1999年3月発行)
「いま聴きたい魅惑のコンポーネント特選70機種」より

 ダイナベクターのSS−Adpは本誌でも試用記事をご紹介した製品で、同社の社長で、波動工学の専門家でもある富成博士の独自の新しい音響波動理論に基づく、SSS再生のためのプロセッサーである。詳しくは、本誌127号の記事を参照していただきたいが、富成博士はホール空間における演奏が創成する複雑な音響成分の解析の結果、従来、立体感の要素として知られてきた位相差や時間差とはまったく別の、異なる音速現象に着目され、これが空間感はもちろんのこと、人間の耳による音響体験のリアリティに重要な効果を持つことに注目された。これは今日までまったく無視されてきた未解析の要素と言ってよぃであろう。したがって、これは今日広く普及しているDSPによるアンビエンス・プロセッサーとは別物なのである。このプロセッサーを、音楽音響再生の総合的な理解とセンスで上手に使えば、アンビエンス効果が表現上必要な性格を持つカテゴリーの音楽にとっては、素晴らしい効果が得られると同時に、顕著な音質改善にもつながる「レコード演奏家」のためのツールである。音楽は音による無限のイメージ表現であるから、空間感を拒否する音楽もあるし、音楽にとっては素材である音の美しさというものは、画家にとっての色彩と同じであって、音や響き自体、そして色自体には優劣、正邪はない。音楽によっては間接音や残響感を拒否するものもあることはいまさら言うまでもないことである。録音コンセプトにもよるが、ホール音響の響きが大切なクラシック音楽の多くにあっては、現在の2チャンネル・ステレオ録音には極めて豊かな音響成分が収録されているソースが少なくない。このプロセッサーは、そこからリアリティに重要な成分を創成するもので、それはマルチチャンネルでは不可能なアンビエンス成分が得られるものなのである。

ソニー MDR-R10

菅野沖彦

ステレオサウンド 130号(1999年3月発行)
「いま聴きたい魅惑のコンポーネント特選70機種」より

 環境さえ許されるのならヘッドフォンを常用することは薦めない。ヘッドフォン・ステレオは、スピーカーによる空間を介在させて聴く自然さに欠けるからである。そのかわり、室内空間が持つ固有の音響現象による悪影響がない利点がある。私がヘッドフォンを使うのは、条件が限られた録音のモニターとしてか、スピーカーの置かれた室内の音響条件の影響を回避して、プログラムソースそのもののバランスをトータルにマクロ的に確認したい時である。そうは言っても、譬えスピーカーシステムよりヘッドフォンのほうがバランスのいいものが多いとしても、何でもいいわけではない。ある意味では、限られたサイズと、音源が鼓膜から至近距離にあるという特殊な条件のもとでバランスを取るということには、設計製造上、また別の難しさがある。肉体に直接密着させるものだけに、スピーカーとは違う配慮も必要である。スピーカーのコーンやダイアフラムと呼ばれる振動体には、材質の持つスティフネスやロス、そして比重といったような固有の物性が、音の質感にデリケートだが重要な影響として現われることがよく知られているが、ヘッドフォンについても例外ではない。いや、むしろ耳もとで振動するものであるだけに、より敏感に音のタッチ、風合いといった質感が感知されると言ってもいいだろう。
 こうしたことにこだわり抜いて作られたのが、このソニーのMDR-R10という高級かつ高価格のヘッドフォンである。バイオセルロースの振動膜、響きがよくて軽量な、樹齢200年以上の樫材のハウジングを使うという徹底ぶりだが、価格が3300種近くある同種製品中の最高のものであろうと思われる。発売以来10年以上経つと思うが、その音質の良さとバランスの良さは抜群であり、物としても作り手の気概が感じられるヘッドフォンの逸品である。

ビクター SX-V1X

菅野沖彦

ステレオサウンド 130号(1999年3月発行)
「いま聴きたい魅惑のコンポーネント特選70機種」より

 このビクターの小型スピーカーシステムSX−V1Xは、長年の日本製スピーカーシステム特有の弱点を払拭しただけではなく、日本製であるアイデンティティと美徳を備えた傑作であると思う。変換器としての物理特性や、物としての作り、仕上げの高さにおいて国際レベルでの一級品の技術水準を達成しているだけではなく、音楽を奏でる音として、心のひだに浸透する「響き」を持っているのである。そして、この日本製ならではの風情を感じさせる音の純粋さやデリカシーが、海外製品にはない魅力なのである。しかも、これがわれわれが聴く西欧の音楽表現に違和感を感じさせることなく、発音に新鮮で美しい感覚を与えるというところが素晴らしい。
 では、その日本製特有の弱点とは何か? それは、わが国のオーディオ技術が一世紀もの長きに渡り、外来の理論技術の学習を基礎に発展してきたことをバックグラウンドにもつ宿命がもたらしていた、物理特性偏重姿勢による手軸足棚と言ってもいいものだと私は考えている。それは、真面目で勤勉な国民性と、西欧への憧れは強くても、残念ながら、一人一人の血となり肉となり得ていなかった社会の文化性が要因として考えられるのではないだろうか。この20年間に、オーディオの技術水準では欧米を追い越すまでになったわが国だが、より忠実な音を再生するという技術の進歩発展の過程にあっては、さして問題にならなかったことでも、オーディオ文化が成熟し、スピーカーによる再生音が音楽表現の芸術性や美の対象としての観点から論じられるようにまでなった今日では、より人の感性が評価する「音質」が重要視されるようになった。日本製オーディオ機器の輸出の実態から見ても、国際的に高く評価されているエレクト三クス機器は多いが、スピーカーシステムだけはふるわない。多くの伝統芸術、工芸の水準の高さは世界的であり、料理の世界では日本料理はもちろんのこと、西欧の料理でさえ、世界のグルメを驚歎させる水準にある日本人の感性が、なぜ世界的に評価されるスピーカーシステムを作り得なかったかは、私の長年の疑問であった。このスピーカーシステムはそのブレークスルーの可能性を感じさせてくれた。
 オーディオ機器全般に言える大事なことだが、特にスピーカーシステムには作る人の情熱と感性が絶対に不可欠だ。しかし、工業製品であるからには、これを製品化し得る企業の理解と力のバックアップもまた重要である。この製品が14・5cm口径ウーファーの2ウェイ小型システムであるということは、多くの人が広く良質のオーディオ再生音の素晴らしさを知ることに役立つという意味でも大きい。なお、専用スタンドは、音と美観の両面からも必要である。

モニタースピーカー論

菅野沖彦

JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「モニタースピーカー論」より

「モニタースピーカーとは何か?」というテーマは、オーディオの好きなアマチュアなら誰もが興味を持っている問題であろう。また、プロの録音の世界でも、専門家達によってつねに議論されているテーマでもある。私も長年の録音制作の仕事の経験と、半世紀以上の私的レコード音楽鑑賞生活を通じて、つねにこの問題にぶつかり、考え続けてきているが、録音再生の実体を知れば知るほど、一言で定義できない複雑な命題だと思わざるをえない。モニタースピーカーをテーマにして書いたことや、話をしたことは、過去にも数え切れないほど多くあったが、そのたびに明解な答えが得られない焦燥感を味わうのが常であった。モニタースピーカーの定義は、オーディオとは何か? の問題そのものに深く関わらざるを得ないものだからだと思っている。つまり、オーディオの代表と言ってよい、変換器コンポーネントであるスピーカーと、それが置かれる再生空間(ホール、スタジオ、モニタールーム、家庭のリスニングルームなど)の持つアコースティックの諸問題、さらには、各人の技術思想や音と音楽の感覚的嗜好の違いなどに密接に関係することを考えれば、その複雑さを理解していただけるのではないだろうか。いまや、モニタースピーカーを、単純に変換器としての物理特性の定量的な条件だけで定義することはできないという認識の時代になったと思う。
 モニタースピーカーには目的用途によって望ましい条件が異なる。本来は、再生の代表であるから、そのプログラムが聴かれる再生スピーカーに近いものであることが望ましい。しかし現在では、5cm口径の全帯域型からオールホーンの大型4ウェイ、5ウェイシステムなどといった多くのスピーカーシステムがあるわけだから、このどれを特定するかが問題である。AMラジオやカーオーディオからラジカセ、ミニコン、本格オーディオまでのすべてをひとまとめにするというのも無茶な話ではある。つまり、特定することは不可能であり、現実はかなりの大型モニターをメイン・モニタースピーカーとし、それと小型のニア・フィールド・モニターを併用し、この2機種に代表させているのが一般的であるのはご存じの通りである。また、各種の編集用やマスタリングなどのそれぞれに、最適のモニターのあり方は複雑である。厳密に言えば制作者のためのコントロールルーム・モニタースピーカーと、演奏者のためのプレイバック・モニターでも異なる必要がある場合もある。通常はスタジオ・ホールドバックはメインモニターと共通のものが多いようだ。演奏者のためのキューイング用ヘッドフォンやスピーカーも一種のモニターとして重要であるがこうなると切りがない。これは録音のための詳しい記事ではないのでこうした具体的な詳細については省略するが、とにかく、モニタースピーカーシステムの概念は単純に考えられるものではないことだけは強調しておきたい。
 モニタースピーカーだからといって、基本的には、観賞用スピーカーシステムと変るところがあるわけではないが、鍛えられたプロの耳にかなうべく、音響的にその時代の水準で最高度の性能を持つものであることが望まれると同時に、なによりも少々のことでは壊れないタフネスと制作者が音楽的判断がしやすく、長時間聴いても疲れない、好ましいバランスと質感のサウンドを兼ね備えるものであることが望ましい。周波数的にワイドレンジであり、リニアリティに優れ、歪みが少なく、全帯域にわたる位相特性が重視されるなどといった基本的な物理特性は、モニタースピーカーだけに特に要求される条件ではないわけだから、そんなことを、あらためて条件として述べる必要はないだろう。指向特性や放射波パターンは現在のところでは特定されていない。当然のことだが、理屈を言えば、肝心のモニターする部屋の問題はさらに重要である。かといって、特に音響設計をした部屋であらゆる音楽制作の仕事ができるわけでもないし、だいいち、モニタールームの理想的音響特性というものにも見解は不統一である。当然これに関しても、世界各国の多くの機関が推奨特性を提案してはいるが、世界中の録音スタジオのコントロールルームを同じ特性に統一できるはずはないし、コンサートホールの録音に部屋を担いでいくわけにはいかない。案外、放送局が使っている中継車が使いなれていれば、正解かもしれない。
 私個人のモニタースピーカーとしての条件をあえて言えば、「当人が好きで、聴きなれたスピーカーシステム」としか言えない。しかし、そう言っては元も子もなく、「多くの人間が共通して使える普遍性」というスピーカーシステムの本質にとってもっとも困難な問題こそがモニタースピーカーの条件なのである。
 過去には、ラジオ放送局や電気音響機器に関する各種の技術基準を定める関連団体が、サウンドのリファレンスとしてのモニタースピーカー規格を作成し、少なくとも単一団体やネットワークの中での共通項として定め、仕事の質的向上と組織化や円滑化に役立てられてきたのがモニタースピーカーと言われるものであった。そして、その機関は専門家の集団であり、放送局のように公共性を持つものだったことから、そこが定める規格は、それなりの権威とされたのはご存じの通りである。その代表的なものが海外にあってはRCAやBBCのモニタースピーカー規格であり、内にあってはNHKのBTSモニタースピーカー規格などである。この規格に準じた製品はメーカーが共同開発、あるいは設計、仕様書に基づいて製品を受注生産することになる。さらに一般マーケットでの販売に拡大し、一定の生産量を確保してコストの低下を図ることになる。そうなれば、そのような、ある種の権威ある機関が定めた規格を売り物にするという商業的傾向も生まれて当然であろう。その制定機関の承認を得て名称を使い、一般コンシューマー市場で、モニタースピーカーとししてのお墨付を優れた音の信頼の証しとするようになったのである。かくしてオーディオファイルの間でも、プロのモニターという存在が盲目的信仰の対象に近い存在になっていったと思われる。当時の技術水準とオーディオマインドのステージにあっては、こうしたお墨付が大きな意味があったのは、やむを得ないであろう。オーディオの文化水準もいまのようではなかったし、つねに自分の再生音に不安を持つのがアマチュア共通の心理である。プロのモニターというお墨付は、何よりの安心と保証である。
 この状況は、いまもオーディオファイル
に根強く残っているようではあるが、大きく変りつつある面もあり、実際に、そうしたお墨付の製品は少なくなっているようだ。それは、時代とともに(特に1960年代以後)、レコード産業や文化が発展し、オーディオ産業がより大きく多彩な世界に成長したことが要因と思われる。電気音響技術と教育の普及と向上も、放送局のような特定の公的機関や団体に集中していた技術や人材を分散させ、オーディオは広範囲に拡大化した。モニタースピーカーにも多様な用途が生まれてきたし、変換器としてプロ機器とコンシューマー機器をかならずしも共通に扱えないという認識も生まれてきた。また、技術レベルの格差も縮まり、物によっては逆転と言える傾向さえ見られるようになったのが現状である。一般にオーディオと呼ばれるレコード音楽の録音再生分野に限ってもモニタースピーカーの設計製作をする側も、仕事や趣味でそれを使う側でも、音への認識が高まり、スピーカーや室内音響の実体と本質への理解が深くなったことで、スピーカーを一元論的に定義する単純な考えは通用しない時代になったと思われる。
 このように、モニタースピーカーは、より多元的に論じられる時代になったと言えるだろうし、現に録音現場で採用されているプロのモニタースピーカーも、むかしとは比較にならないほど多種多彩で種類が多い。同じ企業の中で数種類のモニターが使われている例も珍しくはなく、同じ放送局内でさえ、ブランドはもちろんのこと、まったく異なる設計思想や構造によるスピーカーが、メインモニターとしてスタジオ別に設置されている例が見られるようになった。局が違いレコード会社が違えば、もはや、ある基準値による音の客観的標準化(本来有り得ないものだが)や、規格統一による互換性などは、ほとんど希薄になっていると言わざるを得ないであろう。多様化、個性化といった時代を反映しているのだろうが、これもまた、少々行き過ぎのように思われる面もある。
 私は、1971年のアメリカのJBL社のモニタースピーカー市場への参入を、このような、言わば「モニタースピーカー・ルネッサンス」と呼んでよいエポック・メイキングな動きの一つとして捉えている。
 そしてその後、中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニタースピーカーとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、歴史的、文化的、そして商業的に重要な材料だと思っている。ここでは本論から外れるから詳しくは触れないが、この問題を多面的に正確に把握することは、現在から近未来にかけてのオーディオ界の分析と展望に大いに役立つはずである。
 いまの若い方達はたぶん意外に感じられると思うのだが、JBLはもともとプロ用モニタースピーカーの専門メーカーではなかった。プロ機器(劇場用とモニター)の専門メーカーであったアルテック・ランシング社を離れ、1946年創立されたJBL社は、高級な家具調のエンクロージュアに入ったワイドレンジ・スピーカーシステムに多くの傑作を生み出している。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパス、ランサーなどのシリーズがそれらである。これは、マーケットでのアルテック社の製品群との重複を避けたためもあるらしい。(実際、JBLの創設者J・B・ランシング氏は、アルテックの副社長兼技術部長時代に、アルテックのほとんどの主要製品、288、515、604、A4などを設計開発していた!)
 JBLがモニタースピーカーと銘打って登場させた最初のスピーカーシステムは、一般には1971年の4320だとみなされている。実際には、1962年にC50SM(スタジオ・モニター)というモデルが発表されているが、広く使われたものではなかったようであり、また4310というシステムが4320とほぼ同時に発売されているが、このモデルは、30cmウーファーをベースにした、オール・コーン型のダイレクトラジエーターによる3ウェイシステムだから、その後同社モニタースピーカーとして大発展をとげるシリーズがすべて、高城にホーンドライバーを持つシステムであることからすれば、4320を持ってその開祖とするのも間違いではない。4320は2215型38cmウーファーをベースに、2420+2307/2308のドライバー+ホーン/音響レンズで構成される2ウェイシステムである。
 1972年にはヴァリエーション機の4325も登場するが、同時にこの年、38cmウーファー2230A2基をベースとした4ウェイ5ユニット構成の大型スタジオモニターシステム、4350が発表となるのである。これは従来、モニタースピーカーはシングルコーン型か同軸型、せいぜいが2ウェイシステムと言われていた定説に真っ向から挑むものとしてエポック・メイキングな製品と言えるもので、その後の、世界中のスタジオモニターのあり方に大きな影響を与えたものであったと同時に、一足先に3ウェイ以上のマルチウェイ・システムに踏み込んでいたオーディオファイルの世界に、喜ばしい衝撃となったことは重大な意味を持っていると、私は考える。マルチウェイでもプロのモニターができたのか! という我が意を得たりと感じたファンも多かったと思う。かつての放送局規格のモニタースピーカーとはまったくの別物であった。私の知る限りでは、これらJBLのプロ・モニターは自称であり、どこかの機関の定めた規格に準拠するものではないと思う。
 アメリカでは歴史上の必然からウェスタン・エレクトリックとアルテック・ランシングがプロ用スピーカーシステムの標準のようなポジションを占めてきた。特にスタジオモニターとして、当時、独占的な地位とシェアを誇っていたのが、38cm同軸型ユニットの604Eを銀箱という愛称のエンクロージュアに納めたアルテックの612Aであったが、このJBLのプロ市場参入をきっかけとして、落日のように消えていったのである。既成概念の崩壊は雪崩のごとくプロ市場を襲い、その頃から多くのカスタムメイドのモニタースピーカーメーカーも登場したのである。ウーレイ、ウェストレイクなどがなかでも有名になったメーカーだ。
 さて、そうしたモニター・ルネッサンスを生み出したJBLの製品は、4320、4325、4331、4333、4341と続き、’76年に発表され大ヒットとなった4343、4343WXで、最初の絶頂期を迎えることになるわけだ。4343は、
2231Aウーファー、2121ミッドバス、2420+2307/2308ミッドハイ、2405トゥイーターという4ウェイ4ユニットが、4面仕上げの大型ブックシェルフ(?)タイプのエンクロージュアに納められた、以後お馴染みになる4ウェイシステムの原器である。その後、改良型の4343Bとなり、1982年には4344、さらにダブルウーファーモデルとして1983年には4355と発展したのである。
 しかし、その発展は、モニター・ルネッサンスというプロ業界での尖兵としての健闘もさることながら、JBLを商業的に支えたのは、むしろ、これが援兵となったコンシューマー・マーケットでの尖兵達の敢闘であった。特に日本のオーディオファイルはこれをハイファイのスタンダードという認識を待ったようである。ペアで100万円以上もするシステムが売れに売れたという1970年〜1980年のわが国のオーディオ界であった。4344は、1996年に4344MkIIが発売された時点でも残っているという人気ぶりで、ロングライフの名機となったのである。
 プロとコンシューマーの別はこうして取り除かれた。そしてたしかに、JBLによって’70年代から’80年代にかけて日本のオーディオ文化は円熟の時を迎えた。その結果、爛熟がカオスを招いたことも事実である。したがって、モニタースピーカーとは何か? という進路をも不透明にしてしまったように思える。その後JBLはバイラジアル・ホーンを持つモニターを発表し、さらにはプロジェクト・シリーズで気を吐くが、自らの進路を定めていない。むしろ、個々に鑑賞用として優れた魅力的なシステム群である。
 モニタースピーカーは録音再生の、いわば「音の羅針盤」だ。JBLが創り出したといってよい世界の現代モニタースピーカーのカオスから、なんらかの方向が定まることを期待したい。まさに群雄闊歩の時代なのである。

タンノイ Kingdom

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 タンノイ初の4ウェイ。中〜低域の振幅を抑えた波型エッジによる30cmデュアルコンセントリック+46cmウーファーという構成に注目。100Hzでクロスする最低域を肥大させないで駆動するのが、本機を活かす秘訣。結論的にうまく鳴らせるパワーアンプはかなり限定されると思う。タンノイらしい音の品格は健在。身震いするような凄い音が聴ける。

タンノイ Edinburgh/TWW

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 プレスティッジ・シリーズの中堅機で12インチ・デュアルコンセントリックによるシステム。バランスはスターリングと双璧で15インチより好ましいとさえ言える。改良を重ねるたびに、ユニットをはじめ細部がリファインされ、TWWでは重厚なタンノイ・サウンドを基本にしなやかで滑らかな高域が見事な質感を再現する。

B&W Matrix 801S3

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 今やクラシック録音界でのモニター・システムのスタンダードと言える存在になったB&Wの代表作。モニターとしてはアキュラシーが厳格とは言い難く、むしろ耳馴染みの良い音。高域は美化する傾向があるがバランスは最高にいい。したがって観賞用に薦めても間違いのないシステムだ。S3でより滑らかになった。

JBL 4344MkII

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 4344の最新モデルだが、内容には見た目以上の新しい技術によるリファインが感じられる。ユニット、ネットワークからターミナル、線材などなど、あらゆる箇所が見直されている。しかし全体の形状、4ウェイ4ユニットの基本は変らず、さすがに原器の持つ良さを残し、より洗練した音に仕上がっている。

マークレビンソン No.37L + No.36L

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 No.39Lが出たので、この製品の特徴がセパレート形態そのものになった。両者を聴き比べる機会がないので優劣についてはなんとも言えないが、これはそれぞれ優れたCDトランスポートとDACである。特にDACの持つ切れ込みがシャープでいて深い響きは、ウェイトの感じられる音ともに聴き応えのあるものだ。

タンノイ Stirling/TWW

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 イギリスの名門タンノイのプレスティッジ・シリーズ中で最も小型なモデル。とはいっても一般的には中型のフロアータイプである。10インチ口径デュアルコンセントリック・ユニットを質の高いクラシックな格調あるエンクロージュアに納めた傑作だ。シリーズ中最もバランスのよいシステムといっていいだろう。

アキュフェーズ DP-90 + DC-91

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 強いて言えばDC91により大きな魅力が感じられるが、本来ペアで開発されているだけに、両者のコンビでメーカーの本来の意図が生きる。精緻極まりない細密画を見るような音は見事である。セパレートタイプのCDプレーヤーの音の次元を実感させるのに十分な高品位サウンドで、CDの可能性を拡大する。

ダイヤトーン DS-205

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 ダイヤトーンの今年の新製品であるが、本家帰りというイメージの佳作である。往年のモニターシステムのよさを再認識したのだろう。ラウンド・コーナーのエンクロージュアにも、ユニット設計、システム構成思想にも明らかにそれが現われている。しかし技術はまったく新しい。温故知新の優れた製品である。

マークレビンソン No.39L

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 このメーカー初の一体型CDプレーヤーで、同ブランドらしい高品位なブラック・フィニッシュとサウンドが魅力的である。分厚い音の質感が力強く、音場感も豊かだ。メカニズムはNo.31系のトップローディングは採用されずトレイタイプだ。No.37Lにボリュウム付きのNo.36Lを組み合わせたものだ。

AR AR-303A

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 一時代を画したアメリカARの代表機種のリヴァイヴァルモデルで、アコースティック・サスペンション方式やユニークなソフトドームスコーカーなどの特徴が忠実に生かされている。このスピーカーならではの音は貴重であり、ノスタルジーを超えて今、存在価値が認められてよいと思う。重厚、豪快で温かい音だ。

ボウ・テクノロジーズ ZZ-Eight

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 デンマークの新しいメーカーであるが、素晴らしいセンスとこだわりの情熱を感じる逸品である。外観と音がこれほど高い次元で一致しているCDプレーヤーは少なかろう。さらに、手にずっしりとした重さを感じれば、これがただものではないと悟るはずだ。陰影に富んだ隈取りの濃い、艶のあるサウンドである。

アキュフェーズ DP-75

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 同社一体型CDプレーヤーの最高級モデル。セパレート型に準じるもので、ディジタル回路には共通の特徴であるSFC、MMB方式を採用している。豊富な入出力機能はディジタル・コントロール・センターとして新時代へのコンセプトをも明確に具現化している。精緻な音はCDプレーヤーのリファレンスともいえる。

ラックス D-700s

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 ラックス久々のCDプレーヤーの新製品だ。従来のアイデンティティであったトップローディングではなく、平凡なフロントローディングになったが、音はラックスらしい柔軟性と弾力性に富んだもの。明晰な解像力を誇示するようなところがなく、楽器の有機的な音触が楽しめる。広く薦められる中級機である。

デンオン DCD-S10

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 Sシリーズの普及型だが、実に素晴らしい出来栄えのCDプレーヤー。発音に独特の解放感と拡散性があり、実に朗々と屈託なく鳴るのが特徴だ。それでいてデリカシーや柔軟性にも不満がない。ALPHAプロセッサーがデンオン独自の技術である。発売以来2年以上経過するが、今もまったく同じ音であることを祈る。

プラチナム Solo

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 その名の通りプラチナのような存在を感じさせるスピーカーシステム。つまり、抽象的な言い方だが、シックな貴金属のイメージを象徴するような魅力をもつ製品である。小型ながら高密度な内容と高い価値感を感じさせるものだ。かっちりと締まった音の精緻さは見事なものである。しかも生硬さがなく、ヴィヴィッドである。