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現代のマジックボックス オートチェンジャー

岩崎千明

ステレオサウンド 30号(1974年3月発行)
「現在のマジックボックス オートチェンジャー」より

 本来なら、ここでは現在市販されている「オートチェンジャー」がいかに優れているかということをページの許す限り述べ尽くし、それらの最新型に関しては、なまじっかのマニュアル(手動式)つまり普通のプレーヤーよりも正確で細かな動作をしてくれる、ということについて高級マニアにも納得させるべきなのであろうが、あえてそういうことは避ける。
 なぜか。それは、フルオートプレーヤーと呼称を変えたりしているチェンジャーをいかに述べても、動作の細部をことこまかに納納得できるまで説明したところで、いくらでもそれらを非難し、受け入れることを頑強に拒否するきっかけや言いがかりを見つけ出すにきまっている。だからといって、現在のオーソドックスなディスクプレーヤーがどのくらいまで完全であるか、ガラードの最新型チェンジャー、「ゼロ100」のそれにすら理屈の上では大方の市販品が劣るのである。
 レコードが傷むのではないか、という器具がオートチェンジャーを拒む最大の理由の最たるものだが、それではオートチェンジャーでなければレコードは決して傷つくことなく完全を保証されるか、というとこれまた必ずしもそうとは限らない。その点のみについていえば、レコード扱う者自体のテクニックとそれ以上に、「レコードそのものをいかに意識しているか」という点にこそかかってくる。レコード即ミュージシャンの心、と断じて、決しておろそかに扱えないという音楽ファンのあり方は、大いに賞賛されるべきだし、また、その域にまで達すればチェンジャーの価値をオーディオファンとしての立場を含めて、必ずや的確に判断してくれるに相違あるまい。つまりチェンジャーの説明は少しもいらない。
 けれど、世の中さまざま、あらゆるものがすべてヴァラエティに富む現代、再生音楽そのものも広範囲に拡大しつつあるし、またその聴き方もきわめて多様化している。しかし、だからといって聴き方それ自体がいい加減になるというわけでは決してない。それどころか、自らの生活環境が、ますます広げられるにしたがい、寸時も惜しんで音楽にどっぷりとつかっていたいと乞い願うのが、音楽をいささかたりとも傷つけ、軽んじ、強いては内的に遠ざけるということに果してなるであろうか。日常の寸暇も惜しんであらゆる生活タイムに音楽をはべらすという生活。これが果して、夜のしじまのありるのを見定め、あらゆる日常の煩雑を遮断して心身を改め清めて音楽に接するというのに劣り、音楽を冒瀆しその接し方そのものが軽率であるというであろうか、断じて否である。
 かくて、音楽を片時たりとも手離すのは忍びないという願う熱烈な、いや浸りきりたいという、おそらくもっとも正常なる音楽ファンにとって、レコードをまったくを手をわずらわすことなく的確に正確に演奏してくれるというプレーヤーは、再生音楽ファンに必要な、再生テクニックの点から理想的といってもよく、オーディオメカニズムに対する初心者もしくは未熟者にとって、あるいは日常を仕事雑事で忙殺される社会の多くの人びとにとって、それはまさに「福音」以外の何ものでもないと言いきってはばからない。
 つまり、再生音楽を純粋に「音楽」そのものの形で、日常生活の中に融けこませるべき現代のマジックボックス、それがオートチェンジャーなのである。
 マジックは、それを目の当りに接し、その不思議な魔的な力を体験したものでなければ納得もしないし、認めることもできまい。しかし、それが虚妄のものでなくて確かな存在として、ひとたびその先例を受けるや、魔力はその者の観念を根底からくつがえしてしまうに違いない。
 魔法の例えは話を無形のものに変えて、本筋を不確かなものとしてしまうと思われよう。
 だが、現実にオートチェンジャーの新型製品は、間違いなく同価格のオーソドックスなプレーヤーより、多くの若いファンにとって、より確実に正確にレコードの演奏をしてくれるマジックボックスとして存在するのだ。
 若いファン、という言葉がもし気になるならば、「新しい技術や商品を認めるのに否定的でない」と言い直してもよい。
 なぜなら、オートチェンジャーはレコードプレーヤーの革命だからであるし、それを革命として認めるか否か、この点こそがオートチェンジャーのすべてを認めることといえるからだ。

 私自身の話をするのは説得力の点で大いにマイナスなのだが、オートチェンジャーを以前から長く愛用している一ファンという形で話そう。
 米国市場において、デュアルが大成功を収めるきっかけを築いたのが1019だが、その製品を米国将校の家庭でスコットのアンプやAR2aと共にみかけて、手を尽くして入手したのは9年ほど前だ。「朝起きぬけに、寝ぼけまなこでLPを楽しめる」というその年老いた空軍准将は、まさにチェンジャーの扱いやすさをズバリ表現していた。次の一枚との合い間の12秒間は、違った演奏者の音楽を続けて聴くときに貴重だ、ともいった。眼鏡なしではレーベルを読むのに苦労するという初老の彼にとって、LPを傷めることなしに1・2gの針圧でADCポイント4を音溝に乗せるのにはデュアル1019以外ないのであった。
 当時すでにハイCPのARXというベストセラーがあり、もっと高級なプレーヤーがエンパイア、トーレンスなどであるのだが、オーディオキャリアも長い彼にとっては、今やデュアルに優るものはないのだろう。
 オートチェンジャーはこわれやすいのではないだろうか、という点を気にする方がいるが、こわれやすいというよりも扱い方、操作の上での誤りが理由で、その動作がずれ、たとえばスタート点が正しい点より、わずかに内側になってしまったとか、終り溝まで達しないうちにアームが離れるとかいう原因となることがある。
 そうした狂いのもとはといえば、捜査のミス、というより最初のスタートの数秒が待ちきれずに、つい、アームに指をかけて無理な力を加えてしまうことにある。カートリッジ針先が音溝に入るまでのチェンジャーは、オーソドックス・プレーヤーと違ってスイッチを入れるやいなや表面は動かないでいても、そのターンテーブルの下では、アームの動作のためのメカが説密動作を開始している。音溝に針先の降りる十数秒間、この間はじっと待つことが必要であるし、それがチェンジャーを正しく使うために必要な知識であり、かつテクニックのすべてだ。
 この演奏開始までの十数秒間、これは、またチェンジャーのみに与えられたレコードファンの黄金の寸暇という説は、冒頭にも述べたが、本誌別冊の475頁に、黒田氏も触れて、それをこの上なく讃えておられるではないか。
 9年目の私の1019は実は三日前にアイドラーの軸中心に初めてオイルをたらした。アームの帰り動作中、しばしばキリキリと音を出し始めたからだが、注油後それすらなくなって、ターンテーブルがいくらかスタートが遅くなったような気がするだけだ。実際に使っては変らないのだが。
 さて、オートチェンジャーがいかに便利か、それによって初めて日常生活の中でハイファイ再生が、ごく容易になって、つまり特定の部屋で、特定の時間のみレコード音楽に接することから脱却する術を知って、私はさらに8年前からトーレンス224といういささか大げさな、しかしプロ仕様にも準ずるチェンジャーを、メインのシステムに加えた。さらにこれは、5年前から3年半、私のささやかなジャズファンの溜り場で、オーディオテクニックに通じるべき一人の省力化に役立って働いた。
 扱い者の不始末からロタート点での入力ONのクリックがひどくなって、オーバーホールするまでの3年間、生半可な人手よりはるかに正確に働き、その正確さはマニュアル動作の期間のほうが、レコードを傷めること、数十倍だったことからもわかる。トーレンス224う使ってそのあまりの良さに、手を尽しもう一台を予備用として入手したのだが、それが今はJBLシステムで、ひとりレコードを楽しむときの良きパッセンジャーとなっているのは、いうまでもない。ただ残念なことに224は、今トーレンスでも作っていない。
 オーディオ歴の長く、そしてしたたかなキャリアを持つベテランほど、加えて音楽を自らの時間すべてから片時も離さない音楽ファンであれば、彼のシステムのいずれかに必ずやオートチェンジャーが存在する。レコードの価値を、「量産されたるミュージシャンの魂」と理解するファンであれば、チェンジャーの存在は限りない可能性を日常生活の中に拓いてくれることを知ろう。
 最後にひとことだけ加えるならば、いかなるチェンジャーなりとも、現存するすべては「アームが音溝にすべり込んで、最後の音溝に乗るまではアームにわずかの操作力も加わることがない。その時のアームの動作状態は、マニュアルプレーヤーのアームの状態と、なんら変るものではない」ということを、チェンジャーヒステリー達ははっきり知るべきであろう。

フィデリティ・リサーチ FR-6E

岩崎千明

スイングジャーナル 2月号(1974年1月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 今年の国内オーディオ市場の大きな特長として、海外パーツの著しい進出と、定着とが挙げられるが、とりわけブックシェルフ型システムシステムを中心としたスピーカーの積極的な売り込みとその成功が大きく目立つ。
 そうした目につきやすいスピーカーのかげにかくれて、しかし、スピーカー以上に確かな地位をきずき固めつつあるのは海外カートリッジだ。
 従来も、高級品に関しては、国産品に対して十分な満足を満たされぬことが理由で、海外製品の中から選ばれせるというのがマニアの常識ですらあった。いわく、シュアーV15、いわくオルトフォンM15スーパー、いわくエンパイア、いわくADC等々であり、それをそなえているかどうか、そのいずれをそなえるか、さらにいくつそなえるかが、オーディオ・マニアのレベルの高さ、あるいはその志向する目標の高さ、さらにはそのマニア自体の質から誇りの崇高さないしは権威の水準までを示すものとして本人にも、まわりからもひとつの必需品とまでなっている。
 もし、当事者のうちにそんなばかなことが、といって拒否する筋金があったとしても、まわりはそうはさせず、海外製カートリッジの、それも高級品のいくつかが揃っていることで、そのマニアの質やレベルを判断してしまうのは、いつわりない状況だろう。かくいう私自身にしても、出入りする周囲のそうしたまなざしを迷惑ながらも、かなり気にせざるを得なくなって心ならず気に入らぬ海外製カートリッジの5〜6個を常用オルトフォンM15スーパーの他に揃えてはいる。苦々しく、いまわしいことだがそれが実情だ。
 所で、73年の海外カートリッジの進出は、こうした高級品群から、やや下まわった製品、価格水準にして、国内メーカーの作る高級品のランクの製品が数多く出まわっている点に注目しなければならぬ点がある。シュアー91シリーズに続き、ADCのQシリーズと名づけられた新シリーズ、さらにオルトフォンのMFシリーズのあとFFシリーズ、ピカリングとその同系のスタントン。ごく最近ではかつてのベスト・クォリティーの栄光の巻き返しをはかるグラドの普及価格品。
 そうした多くの海外製品は、たしかにトレースの安定差とサウンドの確かさ、豊かさとでもいえるうるおいにおいて、特性上はるかに優れているはずの国産品を脚もとにも寄せつけず、国産高級カートリッジの細身の音を、感覚的に上まわると誰にも思わせてしまう。
 この傾向は今年後半に入って登場した海外製品が市場に出るごとに確かめられた形となった。72年までは、国産カートリッジの優秀性が海外高級品のそれに肉迫し、あるいは追いつき追い越さんとしたところ、まったをかけられこの海外製新型の登場が73年に爆発的ともいえる形で始まったのである。
 シュアーV15タイプIIIにおけるMM型の電気特性の格段の飛躍は、そのほんの一例にすぎず、海外カートリッジ攻勢の氷山の一角にすぎない。その製品群の層は厚く、強固で堅い。国内メーカーはこの大きく立ちはだかる壁を乗り越えるべく努力を始めた。それは、乗り越えなければならないオーディオ業界の国際化の、大きな波なのだから。
 そうした時期に国内メーカーの中堅、FRが新型を発表したのである。
 FRはグレースとともに国内の高品質カートリッジの専門メーカーとして高い誇りと、キャリアと実績を持つ地味ながら確かな企業だ。小さいとはいえその技術力と開発力は、カートリッジ業界にあって特に注目すべき能力を内在し、メーカー発足以来いつの時代にあっても最高級カートリッジの製品を市場に送り、多くの高級マニアの支持を受けてきた。
 今回発表したFR6は、このメーカー独特の技術であるトロイダルコアーによるMM型の高品質カートリッジである。従来同種製品に新型を加えることのなかったこのメーカーには珍らしく、FR5から発展したMM型の高級製品で飛躍的なワイド・レンジと、高域セパレーションを獲得した高性能ぶりが注目できる。
 サウンドの面においても、国産カートリッジに共通な中域の繊細さに力強い芯を豊かさで包んだともいえる再生ぶりは、従来の国産品らしからぬ良さが国産品にもそなわってきたという点に注目すると共に拍手を惜しまぬものがある。
 高級カートリッジは決して海外製品の独壇場ではないことを知った貴重なワンステップであり、その基礎たる製品がFR6であろう。

マイクロ MR-622

菅野沖彦

スイングジャーナル 12月号(1973年11月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 プレイヤー・システムというものはレコードをかける事を喜びとするものにとって、もっとも身近な親しみをもって接する機械であり、手で触れる事の多いものである事はいうまでもない。例えていうならば、車のステアリングでありトランスミッションのチェンジ・レバーであり、インストゥルメント・パネル(ダッシュボード)である。事好きにとって、ステアリングやインストゥルメント・パネルの感覚は無視できない重要なポイントであり、これらのデザインに夢を求め、そのメカニズムの確度に喜びを感じる人が少なくない。したがって、プレイヤー・システムというものは、レコードを演奏するという心情にぴったりしたデザインと感触をもったものであることが望ましいし、この意味では、まだ、現在の全てのプレイヤー・システムが夢を満たしてくれるものとはいい難いのである。私など、もう数十年もレコードをかけ続け、プレイヤーに親しんできているのだが、こういう意味から大きな満足を与えてくれたものは、どういうわけだか、SP時代の78回転のターンテーブルと数10グラムもあるようなピックアップのついたもの以外にはないのである。LP時代になってからは、どうも心情的にぴったりきたものにお目にかかったことがない。私が小、中学生の頃使っていた父の電蓄のプレイヤーは、きわめて仕上げのいい板に針箱やパイロット・ランプが美しくはめ込まれ、ターンテーブルには、いかにも曖かい高級感に溢れたラシャが張ってあり、その堂々としたピックアップのトーンアームは重厚性をもち美しく仕上げられた魅力溢れるものだった。もっとも、今の塩化ビニールのLPではラシャのようにゴミをすいつけるものは全く不適当だし、感度のよい軽量アームということになれば、見た目にも冷い軽々しいものにならざるを得ないのだろう。技術の進歩はどうして、こうも、機械から暖かさを奪ってしまう事になるのであろうか? 淋しい限りである。また車の話しになるが、昔の自動車の内装の暖かさと重厚さは今の車に求む得べくもないし、国鉄の車輛でも同じような傾向だ。昔の客車の趣きは、今のペラペラ・ムードの特急車輛とは比較にならないほどの味わいを持っていた。こういう車輛はヨーロッパにいけば現在でも見ることが出来るが、日本ではもう夢だ。
 話しがそれてしまったが、プレイヤー・システムというものが、その基本的な動作性能に加えて、そうした味わいを持つべきことは、今さら私が強調するまでもないと思う。しかし、正直なところ、日本の高級優秀プレイヤー・システムのどれが、そうした夢を叶えてくれるだろうか? 日本製に限らない。外国製でも、そういうものがどんどん少くなってきている。アルミとグレーとホワイトに代表される現代感覚とやらにはもう食傷気味だ。冷いオフィス調のタッチを家庭にまでもち込むのはごめんこうむりたい。
 ところで、マイクロの製品は、従来から、マイクロのセンスの悪さが幸いして、そうしたモダニズムに走る危険から逃れていた貴重なる存在である。MR411、MR611など堅実な機構と性能をもった手堅い製品がプレイヤーとして実用的価値が高く、好ましいものであったが、そのデザインは凡庸であった。しかし、中庸をいく、嫌味のなさは浅薄なモダニズムよりはるかにましだと思っていたし、MR411、611シリーズは私の好きなプレイヤーだった。MR711というDDモーターを使った製品はまったく未消化のもので、お世辞にもほめられたものではなかった。デザイン的にも田舎者が急に洒落れこんだギコチなさ丸出しであった。せっかくアイデアを使いながら、繁雑で完成度の低いシステムに止まっていたのである。しかし、このMR622はちがう。優れた性能を温厚なデザインで包み込んだ、さりげない高級品として高く買いたい。DDモーターの性能も健秀でDCサーボも安定している。ワウ・フラ、S/N共、広帯域大出力装置に充分使える優れたものだし、トーンアームの感度も大変よく、しかも実用的で広い自重範囲のカートリッジをカバーする。ただしカートリッジはいただきかねる。トレースはいいが音像がへばりつき、音楽の生命が躍動しない。当然よりよいカートリッジを併せ持って発しむ事になるだろう。仕上げもまずまず。推薦品だ。

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年11月号掲載)

Micro

トーレンス TD125MKIIAB

岩崎千明

スイングジャーナル 11月号(1973年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 我家にはなぜかトーレンスのプレーヤーが4台ある。
 そしてもう1台はもっともふるくからわがリスニング・ルームの主役として活躍していたTD124IIだ。
 アイドラとベルトの2重ドライヴによる4kgのターンテーブルにアルミの2重ターンテーブル機構で、この軽量アルミのテーブルを浮かすことによりクイック・ストップのできるいかにもプロ用らしいメカニズムが気に入っていつも手元から手離せない。駆動源であるモーターの力をベルトによりアイードラーに伝え、それを介して重量級ターンテーブルを駆動するというメカニズムは類の少ないというよりトーレンスにあって始められた優れた機構であり、これにより、モーターの振動をおさえ高いSN比を得ることができ、高いトルクを保ったままでその高性能を得られる点、いかにも業務用機器を作って来たトーレンスならではのターンテーブルであり、TD124が全世界の高級マニアに常に愛用されトーレンス・ブランドを高級ファンの間に確固として固定した業績は誰も否定できまい。
 シンクロナス・モーターを用い電源周波数によって回転数の決る特有の性能を利用して、これに電燈線電源を接続するのではなく、新たに正確な電圧の周波数を保つ電源電圧をつくり出し、これによってシンクロナス・モーターを廻すという新しい理論にのっとったターンテーブル。それがTD125であった。
 この125のただひとつのウィーク・ポイントがモーターの回転数を変えるための、この電源の周波数切換えと速度徴調整の複雑さ等にある。これをより改良する目的でマークIIが誕生したとも言えよう。
 ターンテーブルはめったに買い換えがきかない点、誰しも同じで、一応気に入ったこの124はこの9年間主役を演じ、125が出たときも、それに置きかえることを拒んできた。
 新型125がいくらプロ用とはいえその構造が本来家庭用であるべき150と同じメカニズム、つまり2重ターンテーブルのベルト・ドライヴ機構である点とクイック・ストップのないことに不満が残ったからであった。しかし、今春のヨーロッパ紀行の経験はこうした単純な考え方を変えてしまった。
 ヨーロッパを歩きその各国のメーカーをまわり、スタジオを見、そしてディーラーのサーヴィス・セクションをのぞいた折、そのひとつとしてトーレンスTD125以外を使用しているところはないことを確かめたからである。
 もっとも信頼性の高い確実な高性能動作を常に保ってくれるというのがこのTD125に対する評価のすべてであった。
 しかし技術の進歩はターンテーブルのSNをさらに要求した。2年来、国産DDモーターがわが国のオーディオ・マニアの聞で急速にアピールしたのもその端的な表われであるし、DDモーターは国産にとどまらずデュアルからもオート・プレイヤーに着装されて商品化され日本にも入ってきた。
 世界最高と自他共に認めてきたトーレンスのターンテーブルはDD流行の波を受けてマークIIとしてマイナー・チェンジされ新たなるディーラー山水電気の手によって日本の市場に姿を呪わした。マークIlとなって電子制御回路を改め従来の複雑な回転速度調整を取り除くことにより一層の安定度と信頼性を獲得して確かさを一歩進め得たといえよう。
 ターンテーブルとアームを乗せた7kgのダイキャスト・ベースはモーターと電子制御回路を取りつけたメイン・シャーシーつまりプレイヤー・ケースからスプリングにより浮かせてモーターや外部からの振動・ショックに対して、またハウリングに強いトーレンスの特長をさらに高めより完全なものにし得たのである。
 こうした超重量級ターンテーブルにみられる立上りのおそい欠点もクラッチ機構により補い、このクラスではプロ仕様に指定されるに足るレベルにまで達し加えてベルトの僅かな伸びなども吸収してしまう工夫もなされている。さらに新たに設計されたアームは軽量針圧ながらダイナミック・バランス(スプリング加圧式)という理想的なものでオルトフォンなきあとの現在世界最高の軽針圧アームと断定してよかろう。

マイクロ MR-422

マイクロのアナログプレーヤーMR422の広告
(スイングジャーナル 1973年10月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年9月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年7月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年6月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年5月号掲載)

Micro

パイオニア MU-3000

パイオニアのターンテーブルMU3000の広告
(スイングジャーナル 1972年4月号掲載)

MU3000

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年4月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年3月号掲載)

micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年2月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1973年1月号掲載)

Micro

マイクロ

マイクロの広告
(スイングジャーナル 1972年12月号掲載)

micro

オーディオテクニカ AT-VM35, AT-VM35F

オーディオテクニカのカートリッジAT-VM35、AT-VM35Fの広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

at-vm35f

パイオニア PL-61

パイオニアのアナログプレーヤーPL61の広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

pl61

デュアル 1229, 1218

デュアルのアナログプレーヤー1229、1218の広告(輸入元:東志)
(ステレオ 1972年12月号掲載)

dual

オルトフォン M15E Super, AS212

オルトフォンのカートリッジM15E Super、トーンアームAS212の広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

ortofon

BSR 810X

BSRのアナログプレーヤー810Xの広告(輸入元:BSRジャパン)
(ステレオ 1972年12月号掲載)

bsr

ナガオカ 0.5mil DIAMONDSTYLUS, MUKU

ナガオカの交換針0.5mil DIAMONDSTYLUS、MUKUの広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

nagaoka

デンオン DP-3500, DP-3000

デンオンのアナログプレーヤーDP3500、ターンテーブルDP3000の広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

dp3000

ADC ADC220X, ADC220XE, ADC10E/MKIV, ADC25, ADC26, XLM

ADCのカートリッジADC220X、ADC220XE、ADC10E/MKIV、ADC25、ADC26、XLMの広告(輸入元:今井商事)
(ステレオ 1972年12月号掲載)

adc

エクセル ES-70EX, ES-70EX4

エクセルのカートリッジES70EX、ES70EX4の広告
(ステレオ 1972年12月号掲載)

es70ex