Category Archives: アナログプレーヤー関係 - Page 38

フィデリティ・リサーチ FR-64S

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 フィデリティ・リサーチは、比較的歴史の新しいメーカーだが、歴史を遡れば、グレース、その前のパーマックスという、日本の錚々たるカートリッジ、トーンアーム・メーカーの技術的バックグラウンドを引き継いだメーカーである。そして、この会社の社長の、この分野にかける情熱は並々ならぬものがあるのである。そういう技術的背景から生まれた最新のFR64Sという、ダイナミックバランス型のトーンアームは、トーンアームのあるべき姿を、オーソドックスに技術的に追求し、実に繊細高度な加工技術と選び抜かれた材質で仕上げた、文字通り高級トーンアームの代表的存在だといえるだろう。

B&O Beogram4002, Beogram6000

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 デンマークのバンク・アンド・オルフセン社は、家庭用のミュージックシステムからテレビに至る、普及品から高級品までの非常に製品バリエーションの豊かな、いわゆる総合電機メーカーである。一九二五年にピーター・バンクとシュベント・オルフセンという二人のニンジニアによって屋根裏部屋の一室からスタートしたこの会社は、その後次々に斬新なアイデアに満ち、二人の卓越した技術の結晶ともいえる魅力ある製品が、今日もなお生まれ統けているのである。
 およそデンマークという国柄は、クラフツマンシップを伝統的に持っているが、いわずもがな、私の好きなデンマークのパイプには、世界のファンシーパイプとして、クラフツマンシップの粋が見られる。またデンマークは、ファニチュア、モダンアート、インテリアデザインの面でも世界の最高水準を確保している国でもあるのだ。そういう国柄のバックグラウンドをも感じさせるオーディオ製品として、私はこのベオグラム・プレーヤーシステムを一流品として挙げたわけである。このプレーヤーシステムが持っている一流品としての所以は、私はデンマークという国が持っているセンスとテクノロジーの風格だとあえていいたい。
 一九七二年に発表されたベオグラム4000、その改良型の4002、6000は、必ずしも現代のプレーヤーの中で、最高の性能をそなえているというわけではない。しかし、ユニークなエレクトロニクスコントロールのフルオートプレーヤーを、これだけ美しいデザインで、しかもリニアトラッキングという理想的なトーンアームのムーブメントを備えたプレーヤーを、かくもフラットな、誰が見ても素敵というデザインでまとめたことは、一つの驚異的な仕事であると同時に、ずば抜けたセンスの良さを感じないわけにはいかない。実際に使ってみても、カートリッジを自由に交換ができないというハンディもあるが、操作性がスムーズであり、素晴らしいプレーヤーのひとつに数えられるものだと思う。
 ベオグラム6000は、同社のベオシステム6000用として特別に設計されたプレーヤーシステムで、このスリムなプレーヤーべースの中にCD-4用のディモデュレーターが内蔵され、2チャンネル再生時と切り替えて楽しむことが可能だ。カートリッジには、同社のムービング・マイクロクロス型という独特の発電方式によるトップランクの製品MMC6000が専用としてビルトインされている。
 ベオグラム4002は、前記のベオグラム6000からCD-4ディモデュレーターを省略したモデルと考えてよい。両者は外観からはほとんど区別がつけにくく、わずかにエレクトロニクスコントロール・パネル上部の型名表示と、ペオグラム6000の右サイドに付けられている2チャンネル/CD-4切替スイッチの有難を調べる以外にない。外形寸法は全く同じである。
 いまやダイレクトドライブ全盛といえるプレーヤーシステム部門において、この2モデルはベルトドライブ方式だが、そのメリットを巧みにいかした美しい薄型のデザインは、まさに一流品としての品位を備えている。

EMT TSD15, XSD15

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 オルトフォンSPUの音の渋い豊かさに加えて、レコードの溝のすみずみまで拾い起こすようなシャープな解像力の良さ、音の艶と立体感の表現力の幅の広さ、これ以上のカートリッジは他にない。TSDはEMTのプレーヤー専用で、日本で広く普及しているSME型コネクターつきのアームにとりつけられるようにしたものがXSDだが、そのことでEMTの真価を誤解する人もまた増えてしまった。このカートリッジは昨今の一般的水準の製品よりもコンプライアンスが低いため、アームを極度に選ぶし、高域にかけて上昇気味の特性は、下手に使うと手ひどい音を聴かせる。トランスやプリアンプを選ばないと、その表現力の深さが全く聴きとれない。難しい製品だ。

EMT 930st, 928

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 EMTは Elektromesstechnik の頭文字をとったもので(最近の同社発行の資料には Elektronik, Mess-& Tonstudiotechnik となっているが)、1940年にウィルヘルム・フランツが創立した。プロフェッショナルのスタジオ用機器と測定器が主要製品で、日本のプロの間ではターンテープルよりもむしろエコーマシン(EMT140、240。鉄板共振型のリヴァブレイションユニット)の方がよく知られているほどだ。
 ドイツの有名な Schwarzwald(黒い森)に本拠を置き、スイスにも工場を持っている。スチューダーやルポックス、トーレンス等とも親戚の関係にある。
 EMT930スタジオターンテーブルの原形は25年以前に作られているが、ステレオ用の#930stになってからでもすでに10年以上を経過している。この製品の特長を列挙すると—-
(1)きわめてトルクの強く、ダイナミックバランスの完璧で振動皆無といえる大型のシンクロナスモーターによって、超重量級のアルミ鋳造のターンテーブルをリムドライブで回転させている(78、45、33の3スピード)。周辺にストロボスコープを目盛ったプレクシグラス(硬質プラスチック)のサブターンテーブルと電磁ブレーキによって、クイックスタート(スイッチONから500ミリセコンド)とクイックストップの働作は明快。スタートとストップはリモートコントロールが可能で、そのためのスイッチと連動したリニアスライド型のアッテネーターが用意され、このアッテネーターをミクシングコンソールに組み込める。
(2)専用のカートリッジTSD15と、ダイナミックバランス型のアーム#929を標準装備し(アメリカ向きにカートリッジ/アームレスのUSAモデルもある)、さらに、イコライザーカープの切替えと遮断周波数を2〜20kHzまで変化できる高域フィルター(10dB/oct)を内蔵したイコライザーアンプ#155stが組み込まれ、200Ωまたは600Ωのラインアウトプットで、+17・5dB(約6V)までの出力が得られる。
(3)全体が強化プラスチックの堅固なシャーシに高い精度でマウントされている。針先を照明する強力なランプがついているが、ランプハウジングの凸レンズの巧妙な設計によって、アーム先端の可動範囲をきわめて明るく有効に照明する(専用カートリッジ・シェル先端のレンズは、このランプによって針先と音溝の観察を容易にするためのもの)。
(4)カートリッジは、モノーラルLP用のTMD25、SP用のTND65を追加できる。旧型のOFD、OFSシリーズもある。また最近になって新型のイコライザーアンプ#153stが発表され、交換が可能である。
 #928型はトーレンスの125を強力型に改造し、イコライザーアンプ、ブレーキ装置、照明ランプなどを加えた簡易型だが、操作感はトーレンスとは別もので、コンシュマー用とは明らかに一線を画している。

オーディオテクニカ AT-15Ea/G, AT-14Ea/G

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 オーディオテクニカのVM型カートリッジは、発電方式としてはMM型であるが、V字型に配置された2個のマグネットをもつために、同社ではVM型と呼んでいる。このタイプは、1967年の開発以来、カッターヘッドと相似形の動作を理想として数多くの製品が開発され、発展してきたが、今回のニューGシリーズは、従来のモデルをベースとして蓄積された、細やかなノウハウを集めて、一段と完成度を高めたシェル付カートリッジでいずれもオーソドックスな2チャンネルステレオ専用のタイプである。ヘッドシェルは、音質追究の結果から採用されたマグネシュウム合金製のMG10型で、すでに音の良いヘッドシェルとして高い評価を得ているものである。なお、高級モデルのAT15にかぎり、ヘッドシェルなしのタイプも用意されている。
 AT15Ea/Gは、とくに、セレクトされたプレステージモデルであるAT20型を除けば、事実上のオーディオテクニカのトップモデルであり、ニューGシリーズでは最高級製品である。
 カートリッジボディは、軽合金のダイキャスト製で、従来のAT15型の金色から銀色に変わった。また、スタイラスホルダー部分は、ボディカラーの変更にともなって、インディゴブルーとなり、ボディ前面のテクニカのマークの色も同様に変わった。また、新しくスタイラスホルダーのプロテクターの部分に、型番が記されるようになったため、ヘッドシェル装着時にも型番の識別が容易になった。
 振動系は、大幅に改良が加えられているようだ。カンチレバーは、超硬質軽合金と発表されているが、表面の色が、従来のいわゆるアルミ色から、ちょっと見には鉄に見える色に変わっているが、明らかに非磁性体である。テーパード型カンチレバーは、新開発のツイステッドワイアーで支持されるが、ダンパーの色も従来とは異なっている。また、マグネットは、これも従来の円柱状から角柱状に変わっている。
 AT14Ea/Gは、AT15Ea/Gに準じたモデルである。変わっている点は、カンチレバーを支えるワイアーが、金メッキをしたピアノ線となったことと、コイルのインピーダンスが高く、AT15Ea/Gよりも、25%高い出力電圧を得ていることである。ボディフレームは、軽合金ダイキャストと同等なシールド効果をもち、強度を高める硬質メッキ処理が施されている。スタイラスホルダーの色は、エメラルドグリーンで、ボディのシルバーと鮮やかにコントラストをつくっている。
 ニューGシリーズは、振動系が大幅に改良されているために、音質的には、従来のトーンを一段とリファインし、さらに、力強く、粒立ちがカッチリとしたクリアーさが加わっているのが目立つ。音場感的にも、前後方向の奥行きが明瞭に再現され、音像定位が安定で、明快になっていると思う。

テクニクス EPA-100

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 テクニクスの新しいユニバーサル型トーンアームは、可変ダイナミックダンピング方式という大変にユニークなメソッドを採用した、精密級の精度と仕上げをもつ高性能アームである。
 軸受構造は、ほぼ矩形の内輪と外輪を組み合わせたジンバル方式が採用され、高感度化を実現する目的で、摩擦係数が小さい、スーパーフィニッシュ・ルビーボールを5個使うベアリングを4個組み込み、共振制御式としては初動感度5mgという値を誇っている。
 パイプ部は、チタンで、アルミとくらべて質量を85%減少でき、内部損失が大きく共振が少ないメリットがある。さらに、この材料は特殊窒化法により硬化処理がおこなわれ、機械的強度を約1・6倍に高めて、軽実効質量トーンアームとしている。なお、ヘッドシェルは、粘弾性剤で防振し、無共振化したタイプで、オーバーバング調整のカーソル機構を備えている。
 本機の最大の特徴である制動可変型ダイナミックダンピング機構は、従来不可能であった使用カートリッジのコンプライアンスの変化による、トーンアームの低域共振周波数の変化に対応する制動を、任意にコントロールすることができる。これにより、各種の高性能カートリッジを、もっとも適した条件で使用することができる。つまり、ユニバーサルアームの本来の意味での発展型ということができる。実際のメカニズムは、後部のウェイトの内部に組み込まれた可動ウェイトをシリコンオイルダンプのスプリングと2個のマグネットという2組のダンピング機構で浮動保持し、アームの低域共振を制動するタイプで、共振制動周波数はセレクターにより選択可能である。なお、セレクター目盛は使用カートリッジのコンプライアンスにより決まることになる。

テクニクス SP-20

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 テクニクスの新しいフォノモーターは、同社のトップモデルであるSP10MK2を基本として、その高性能を維持しながらコストダウンをはかったコストパフォーマンスが高いモデルである。
 外観上からは、SP10MK2の本体と変わりはないが、色は黒い特殊な熱処理によるリンクル仕上げになった。
 ターンテーブルは、直径32cm、重量2・4kg、慣性質量320kg・㎠の重量級で、クォーツ・フェイズドロック方式の新開発全周積分型プッシュプルFGサーボモーターによってダイレクトにドライブされる。このモーターには、純電子式ブレーキが備わり、スタート時1/4開店で定速に達し、ロジックコントロールでワンタッチで滑らかに停止をする。負荷変動は1・5kg・cmの制動トルクに対して変化が生じないというから、針圧2gで150本のアームを同時に使っても速度変化がないことを意味しているといってよい。なお、別売のプレーヤーベースSH10B4があり、SP10MK2とSP20に使用可能である。

サテン M-18BX

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 すでに定評がある超精密工作を基盤としてつくられる純粋なMC型で、ダンパーにゴム材を使用していない特長がある。M18BXは、ベリリウムカンチレバー採用のトップモデルで、いわゆるカートリッジらしい音をこえた異次元の世界の音を聴かせる製品だ。

ソニー XL-55

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 ソニーには、従来もMC型の製品があったが、 XL55は自社開発の最新モデルである。発電方式は、コイルの巻枠に磁性体を使わないタイプで、コイルには独得な8字型をしたものが、左右チャンネル分として組合されている。カンチレバーは、軽金属パイプと炭素繊維の複合型で軽量化され、CD−4方式にも対応できる。針圧は、やや重いタイプで、音の重心が低く、安定した力強い音が特長。性能は現代的ながら音質的に表面にそれが出ないのが良い。

フィデリティ・リサーチ FR-1MK3

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 巻枠に磁芯を使わない純粋のMC型カートリッジとして登場したFR1、それを改良したFR1MK2を経て、さらに一段と発展したFRのトップモデルがFR1MK3だ。
 発言方式は、かつての米フェアチャイルドやグラドの発展型ともいうべき、FRの独自のタイプである。柔らかく、粒立ちの細やかな音である。やや大人っぽい完成度の高さが魅力であるが、性質がニュートラルで、音の輪郭を正確に画き、素直に反応するスムーズさはこのカートリッジならではのものがある。

デンオン DL-103S

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 スピーカーシステムやアンプ関係では、海外製品と国内製品は価格的に格差があり、市場で対等に戦うことはないが、ことカートリッジについては、価格、性能ともにあまり差はなく、他の分野にくらべて海外製品がかなりの占有率をもっている、やや特殊なジャンルである。しかし、発電方式をMC型に限定すれば、海外製品は欧州系のオルトフォンとEMTのみで、現在はこの2社以外にMC型を生産しているメーカーはない。これに対して国内製品は、圧倒的に銘柄が多く、その機種が多く、世界でもっとも多くMC型を生産している。国内製品のMC型は、すでにかなり以前から海外の高級ファンの一部に愛用されている。
 デンオンのMC型は、十字型の独得な磁性体の巻枠を採用した、やや高いインピーダンスをもつタイプだ。発電方式そのものが明解であり、二重カンチレバーによる軽量化を最初から採用している。第一作のDL103は、NHKをはじめ放送業務用に採用され、製品が安定し、信頼度の高さでは群を抜いた、いわば標準カートリッジといえるモデルだ。
 DL103Sは、103を改良し超広帯域化した製品で、最近の質的に向上したディスク再生では、聴感上のSN比が優れた、いかにも近代的カートリッジらしいスッキリと洗練された音を聴くことができる。製品間の違いが少ないため、信頼度が高い新しい世代のカートリッジを代表する文字通りの一流品だ。

ビクター TT-71, QL-7R

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ビクターのクォーツロック方式のダイレクトドライブ・ターンテーブルは、すでに、TT101、TT81の2モデルがあり、特長あるデザインと高い性能、とりわけ音が良いターンテーブルとして、高い評価を得ているが、このシリーズの第3弾製品として、今回、大幅にコストダウンされたTT71が発売され、同時にこのターンテーブルを使用したプレーヤーシステムQL7Rも発売された。
 TT71は、デザインが上級モデルの特長がある感じから、単体のフォノモーターとしては、オーソドックスな印象の円盤状のタイプに変わっている。ターンテーブルは、外周はストロボパターンが刻まれた直径31・3cm、重量2・2kgのアルミダイキャスト製で、慣性質量は、350kg・㎠ある。駆動モーターは、TT81と同じDC型12極・24スロットFGサーボモーターで、1回転に180個のパルスを発生するFG型速度検出機構をモーターユニットに内蔵している。このタイプは、起動特性、動的な耐負荷性、ワウ・フラッター特性が優れている特長がある。
 クォーツロック・サーボは9504kHzの水晶で発振した安定周波数をIC分周回路で周波数を低くし、これを基準信号として位相比較回路に送り、これとFGからのパルスを比較して、モーターの速度誤差があれば、2つの信号の位相差によってモーター駆動回路はコントロールされ、ターンテーブル回転を規定の速度に保つ働きをする。
 ストロボ照明電源は、商用電源ではなく水晶の安定した周波数による信号を電源としているため、ストロボのユレはほぼ皆無としている。
 ターンテーブルのコントロールは、タッチ・センサー方式で、回転数切替とストップは触れるだけで動作をするタイプだ。なお、ストップは、制動用ブレーキパッドをプランジャーでコントロールする方式で、メカニカルブレーキ独特の摺動音が聞かれるのが、いかにもディスク的な感じである。
 QL7Rのプレーヤーベースは、共振と制動を抑えた設計で、インシュレーターには、ゴムとスプリングの長所をいかし、欠点を抑えたパラレルアイソレーターで、ゴムにスプリングをコイル状に取りつけてあり、タテ、ヨコ両方向の振動吸収に高いメリットがある。
 トーンアームは、UA7045から高さ微調整機構などを省いたUA5045型で、軸受けはニュー・ジンバルサポート、パイプは防振材入り、ヘッドスクリュー部分は、2重構造のチャッキングロックタイプなどの特長をもち、ヘッドシェルは、溶湯鋳造の純アルミ製で共振がない、音のよいヘッドシェルである。
 なお、カートリッジは付属せず、上級モデルには備わっていた速度微調整は、本機では省かれて、2速度の固定型になっている。シンプルで内容の濃い製品である。

ダイヤトーン DP-EC1

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 プレーヤーシステムには、現在のように高度なメカニズムやエレクトロニクスが使用できる時代になっても、オートプレーヤーは正統派のコンポーネントではないとする考え方が残存しているようである。たしかにメカニズムを使うオート方式は、たとえばアームの動きひとつとってみても、いまだに手で操作したような、感覚的なスムーズさが得られないことが多いのは事実だが、オート化したための性能低下や、カートリッジの針先やディスクへの影響は、国内製品に限れば普及品といえども皆無である。
 DP−EC1は、エレクトロニクス・コントロールを意味する型番をもった、最新の技術を導入したフルオートプレーヤーシステムである。デザインはスリムな薄型にまとめられ、色彩的にも明るく、とかく重厚なデザインが多い高級モデルのなかでは、軽快さが特長である。機能面では、ディスクの有無、ディスクサイズと回転速度の自動選択が、光線を利用して純電気的にコントロールされ、アームの水平方向の移動速度は適度に早く、リフターの動作、アームの反転ともに連続的に休まず、滑らかに動作する。メカニズム使用の方式に慣れた感覚では、早く確実に動くために、ややドライに感じられるかもしれないが、逆に、これがエレクトロニクス・コントロールらしい新鮮な魅力である。システムトータルの音も現代的で、反応が早く、帯域の伸びた感じがあり、基本的なクォリティが充分に高いために、高級カートリッジの微妙なニュアンスの魅力をよく出して聴かせる。

マイクロ DD-6

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ソリッド5以来のスリムでシンプルなデザインを受け継いだ新製品である。
 ターンテーブルは、外周に投光式ストロボスコープをもつ直径33cm、重量1・2kgのアルミダイキャスト製で、FGサーボ型のACモーターでダイレクトにドライブされている。このタイプのモーターは、耐負荷特性が優れ、温度ドリフトが少なく、安定した回転が得られるメリットがある。
 トーンアームは、定評があるダイナミックバランス型アームMA505と同等な性能をもつタイプで、演奏中にも針圧の調整が可能であり、最近の高性能化したカートリッジの聴感上での適性針圧を探し出せる大きな特長をもっている。なお、ヘッドシェルは、共振が少なく剛性が高いH303が付属している。このアームは、別売サブウェイトを使えば、重量級カートリッジの使用が可能である。
 プレーヤーベースは、天然木を使ったスリムでコンパクトなタイプだが、穴あけ部分を最小に抑えて実効質量を大きくし、共振点を低くし、ハウリングに強い構造としている。なお、ベース側面に別売サブアームベースを使用すれば、2本のトーンアーム使用が可能となる点も見逃せない。

マイクロ DD-100

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ユニークなデザインをもつプレーヤーシステムDDX1000を発表して好評を得ているマイクロから、同社のプレステージモデルともいうべき大型のプレーヤーシステムDD100が発表された。
 このシステムは、民生機としては珍しい16インチ直径の超大型ターンテーブルを採用した点に特長がある。この種の大型ターンテーブルは、フライホイール効果が非常に大きく、一般的な30cm径のタイプにくらべて、よりスムーズな定速回転が得られるメリットがある。ちなみに、本機に採用されたターンテーブルは、直径40cm、重量5・2kg、慣性質量1500kg・㎠と驚異的に大きい。駆動モーターは、クォーツロックによるPLLサーボ方式のダイレクト型で、水晶発振器からの高精度な基準周波数でモーターからの回転周波数をフェイズロックするため確実に規定回転数が得られ、ストロボスコープを必要としない。なお、速度調整を必要とする場合には、クォーツロックを解除すれば、±6%の微調は可能である。
 トーンアームは、ダイナミックバランス型のMA505の延長型で有効長267mmあり、別売サブウェイトを使用すれば、オルトフォンSPU−Gなどの重量級カートリッジが使用可能である。
 プレーヤーベースは、剛性を高め、耐ハウリング性を向上する目的で、厚さ1mm、重量3kgの鉛板2枚をサンドイッチ状にはさんだタイプで重量は12kgもある。
 機能面では、アームベース部分に、カートリッジ負荷抵抗とコンデンサー容量切替スイッチが付属している。なお、電源部はセパレート型である。

トリオ KP-7300

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 トリオから新しく発表されたプレーヤーシステムは、比較的にローコストなモデルだが、プレーヤーシステムの基本であるプレーヤーベースをはじめ、トルクの大きなダイレクトドライブ用モーター、重量級のターンテーブルの採用などに代表される、使用部品を充分に検討して開発されたオーソドックスな製品である。
 プレーヤーペースは、プレーヤーシステムの性能を向上させるための重要な部分であるが、ここでは、骨組みとして、石綿を加えて高圧成形したコンクリート一種であるMC材を使用している。この材料は、吸水率、含水率が低く、剛性が高い特長をもち、外部振動に強いシステムとすることに大きく役立っている。また、ベースの底板部分は、1・6mm厚の鉄板を使用しているのも、この部分の共振を抑えるための配慮である。また、ダストカバーは、スピーカーからの音のエネルギーを大量に受ける上面の肉厚を厚くし、各コーナーの内側は、三角形の肉もりを施して剛性を上げ、材料には振動減衰率が大きいアクリル材を使用するなどして機械的な強度の高いカバーとしている。また、プレーヤーシステムの幾何学的中心に重心がないと、高い周波数と低い周波数の2つの共振点が出来ることになり、防振性の上で大きなマイナスになるとの見解から、ダストカバーの開閉時にも、総合的な重心の移動を極小にできるような、カバーの重心分布が考えられているとのことである。
 ターンテーブルは、最大トルク1・1kg・cmの20極・30スロットDCサーボモーターで、ダイレクトに駆動されるが、ターンテーブル自体は、直径33cm、重量2・6kgのアルミ合金ダイキャスト製で、ゴムシートを含む慣性質量は、440kg・㎠と、このクラスの製品としてはかなり大きな値を得ている。なお、ゴムシートは、肉厚が6mmあり、ターンテーブルの分割共振を抑えているとのことだ。
 トーンアームは、S字型のスタティックバランス型で、パイプ部分は、直径10mm、肉厚1mmのアルミパイプを硬質アルマイト仕上げし、パイプのネックは、真鍮材で作った充分な長さのパイプで固定してある。ヘッドシェルは、アルミダイキャスト製で、フィンガー部分も一体成型として強度を高めたタイプである。
 付属カートリッジは、デュアルマグネットタイプのMM型で、音の傾向としては帯域が広く、とくにパルシブな音が多いジャズ、ロック系の音楽に適した、ガチッとした音をもっているとのことである。
 なお、プレーヤーベース部分のインシュレーターは、再生音、耐ハウリングの両面から検討された新開発のタイプで、上下方向の防振はもとより、横方向および回転軸の動きを制動する特長があるデュアルサスペンション方式である。ストロボスコープは、付属の小型円板をターンテーブルのスピンドルに入れて使うタイプである。

テクニクス SL-01

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このプレーヤーシステムは、ダイレクトドライブ型フォノモーターを最初に開発し、商品化をしたテクニクスが、数多くのダイレクトドライブ方式のプレーヤーシステムを送り出した経験をベースとして、再び、ダイレクトドライブ方式の原点にもどってプレーヤーシステムを見直して、つくり出したともいうべき製品で、このことは、新しい型番からもうかがい知ることができると思う。
 プレーヤーシステムとしては、色調がブラックとなり、デザインもスリムになったために、外観から受ける印象は、引き締まって、実際外形寸法よりは、かなり小型に感じられる。
 プレーヤーベースは、不要な空間を可能な限り減らす目的と、不要振動をカットするハイマス設計アルミダイキャストのキャビネットと防振構造をもつ亜鉛ダイキャストによる剛体設計のベースを粘弾性材を介し、三重構造とした、複合防振構造とし、インシュレーターには、粘弾性定数を充分に検討して決められた、大型の防振効果が高いタイプを採用して、トータルなシステムとしての耐ハウリング性、音質の向上が計られている。
 フォノモーターユニットは、基本的には、新発売のSP20と同等のものである。ターンテーブルは、直径30・1cm、重量2・7kgと、SP20よりも、直径がやや小さく、重量がやや大きく、慣性質量は330kg・㎠で、これは、少し大きな値となっているが、まず同じと考えてよいだろう。このターンテーブルの内側には、テクニクス独自のモーターのローター部分が組み込まれ、一体構造としている。サーボ系は、水晶振動子を使う基準発振器とプッシュプルFGとの組合せによる位相制御方式で、駆動電子回路には、新開発のDDモーター用ワンチップIC、AN640を使用し、全波両方向駆動により効率を高めている。なお、ブレーキ機構は、純電子式で、スムーズに働くタイプである。
 トーンアームは、亜鉛ダイキャスト製のしっかりとしたアームベースにセットされている。このアームの軸受部分は、EPA100アームに似たジンバル型で、専用ピボットベアリングの使用により、水平、垂直ともに初動感度7mgという高感度を得ている。ヘッドシェルは、オーバーハング調整付の複合防振構造である。アームのアクセサリーとしては、アンチスケートコントロールとオイルダンプ型リフターがある。
 SL01は、外観からは非常にシンプルな印象を受けるが、内容は、もっとも現代型のプレーヤーシステムらしい最新の技術をもりこんだ密度の高いものがある。実際の使用でも、アームの下側にコントロールが無いために、操作性が優れ、一条一列シマ目のストロボはLED照明で見やすい。また、音的にも、まさしくナチュラルなバランスと適度な質感の再現性があって、非常に好ましい印象の製品である。

サンスイ SR-929

菅野沖彦

スイングジャーナル 11月号(1976年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 プレイヤー・システムはレコードを演奏する装置であり、コンポーネントの中でも、きわめて重要な存在だ。それは、その微細なディスクに刻まれたミクロの振幅を拾い上げ、電気エネルギーに変換するというデリケートきわまりない作業をやってのけるのだ。この作業を直接果すのはカートリッジだが、いくら優れたカートリッジでも、トーンアームやターンテーブル、そして、それらを支えるプレイヤー・ペースが完全に補佐しない限り、その性能を発揮することは不可能である。ディスクの溝に刻まれた振動は、それ自体は、うねうね曲りくねったパターンに過ぎないが、これを回転させ、その溝に針を垂下させることによって、針先を動かす機械的エネルギーが生れる。針先の僅かな動きは全て電気エネルギーになってアンプへ送られ増幅され、スピーカーから育として再生される。こんな当り前のことを今さらあえていうのも、この当り前のことをちゃんと行なうことが、どうしてなかなか難しいからなのだ。つまり、針先に加わる機械振動が全部音になるというわけだから、レコードの溝に刻まれた波形が針先を動かす以外に、もし、なんらかのエネルギーが針先に加わることは、余計な音をスピーカーから出すことになる。たとえば、モーターの振動だ。これは絶対に禁物だ。最近のモーターは大変優秀で、静かな回転が得られるようになった。しかもDD式でモーター自体の回転を遅くすることによって振動がずっと少なくなったも回転速度も正確に、かつ滑らかに絶
えずコンスタントな速度で回らなければならない。毎分33 1/3回転といっても、1分間で33 1/3回転すればいいわけではない。一定速度で回転しなければ、音のピッチがゆすられて音程が保てないし、音質の劣化という現象につながる。これも、最近は、いろいろ優秀なものが登場した。バランスのとれた重いターンテーブルの慣性と、モーターの速度の僅かな誤差を検出して制御するサーボ機構の組合せ、しかも、モーターを回転させる発振源に水晶を使うという時計なみの精度をもったクォーツ・ロック・システムなどである。こうした新兵器はたしかにプレイヤー・システムの性能向上に役立っているが、実は、もっと、一見単純でしかも重要な問題がある。
 それは、プレイヤー・ベースの構造である。この土台がしっかりしていないと、絶対に音のいいプレイヤー・システムにはならない。しっかりしていなければならないといっでも、ここのところが難しい。前の針先の振動は、カートリッジのダンパーでは全部吸収されず、アームに伝わる。アームの共振はベースに伝わる。したがって、アームやベースの特性は必らずカートリッジの振動系と一体となって、一つの音色傾向を持つことになる。そんな馬鹿なという人がいるとしたらそれは体験不足というものだ。プレイヤー・システムは、全てが音に影響のある振動体なのだ。 シェルの指かけや、ターンテーブルのラバー・マットなどについても最近はやかましくいわれ出しているが、その割には、カートリッジ自体のボディーの材質や構造、ベースのそれと音の関係がまだ煮つめられているとはいえないようだ。ハウリングという、プレイヤー・システムの最も恐るべき現象に対してさえも、まだまだ、実際には配慮の足りないものもある。こうした背景の現時点で新しく登場したSR929は、かなり集中的に、これらプレイヤー・システムの諸問題が追求され成果々上げたものだと思う。勿論、回転系は、最新型のクォーツ・サーボ・システムのDDターンテーブル。トーンアームのナイフエッジとワンポイント・サポートはフィーリングとしてもう一つ不満だが、音質のよいものだ。そして、肝心のベースが力作である。コンクリートとウッドの二重構造で、フィニッシュが黒の艶出し。ピアノと同じ鏡面仕上げである。これは、プレイヤー・システムのもつべき条件を、物理的に、共振と制動の両面から追求し、感覚的には、ディスクの質感とぴったりくるピアノ塗装でまとめたという熱意の溢れた製品だと思う。きわめて品位の高い風格と音質を持っている。インシュレーターのバネ定数と総重量とのバランス、その制動をもう一つ自動車工学からでも学んでくれたら、完壁な線までいっただろうに。ハウリングにはもう一息の努力が欲しかった。

ソニー TTS-8000

岩崎千明

スイングジャーナル 9月号(1976年8月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 DDモーターが登場して、それが世界を、少なくともプレイヤーの、今までの常識をすっかり変えてしまってから、もう何年になるだろうか。
 いつの時代にも、まったくといってよいほど、変わる所のなかったフォノモーターが、おそらく始まって以来、革命的な向上を果したといってよいのが、ダイレクト・ドライブ・ターンテーブルであった。ところが、さらにいま、この方式は水晶による、驚異的一定周波数発振器を内蔵させることによって、それを回転の定速制御の中に、くり入れることによって得た、新しい技術〝クォーツロック・ダイレクト・ドライブ方式〟として、ひとつの完成を成しとげたことになった。
〝クォーツロック〟あるいは、クリスタル・ロックと略称される新しいターンテーブルがこれであり、こうした新製品が、主要メーカーからポツリ、ポツリと市場に送られてきつつある。ソニーのTTS8000も、こうした新しいターンテーブルのひとつである。
 注目すべきは、このTTS8000が、ソニーの手によるクォーツロック・ターンテーブルという点なのだ。
 DDモーターの出る以前に、すでに電子制御によって、回転数を一定にしようとする試みは、世界中の主要ターンテーブル・メーカーが、これを試みていた。現在でも、世界的に信頼されている、スイス・ブランドのT社を筆頭に、国内メーカーからも、こうした電子制御モーターが、数多くあったが、その中でもいち早くスタートを切り、大成功を収めたのが、かくいうソニーのTTS3000であった。それは、機構的にはベルト・ドライブ方式であったが。したがって、電子制御に関しては、ソニーは他社に先んずる技術を持っていた。それはテープレコーダーという、新しい回転機器を作り、育ててきたソニーならではの技術でもある。テープ走行用の技術は、ターンテーブルの定速回転のために、拡大応用された、といってよい。
 本来、オーディオという分野は、電気、科学、機械、材料、と幅広い部門の上に成り立ち、その上に音楽的感覚が加わるという、広い範疇の総合技術である。にもかかわらず、オーディオ・メーカーといわれる中で「オリジナル技術」ないしは「個性的技術として、誇るにたるノウハウ」を持っているメーカーが、果して何社あろうか。ソニーはそうした意味でもっとも強力な技術と、ノウハウを持つといい得る、世界にも誇るぺき、技術志向の強いメーカーである。技術のソニーは、トランジスターを創り、TRラジオを創り、テープ・デッキを創り、TRテレビを創ってきた。さらには、TRアンプを加え、電子制御ターンテーブルをものにしてきた。そのキャリアが、クォーツロックド・ダイレクト・ドライブ方式のプレイヤーを完成させた。先に発表された高級プレイヤーPS8750がこれである。このクォーツロック・プレイヤー、DDモーターの最終極点にあるとも言える水晶制御だけに、価格も高い。とても一般のユーザーが、気遅れなしに入手できるといえる程の価格ではない。加えて、この高価格にしては、黒と金属のツートーンのデザインは、あまりにもメカっぽく、音楽をたしなもうという雰囲気に、どうもそぐわないと感ずるファンも少なくないだろう。音楽は、いわゆる人間の精神の奥に根ざすべき感情活動をともなう芸術である。冷たい感触は、こうした人間味を薄めかねまい。
 今回、TTS8000として、ターンテーブルのみが、単独商品として発表された。割安な価格という、プラスも大きいが、それ以上にその使い手の好みに応じて、プレイヤーを創ることができ、ケースを自分の趣味で選び、あるいは装うことができるという、プラスの要素が、価値としては大きいのではないだろうか。
 クォーツロック方式による、回転精度の向上、ワウやフラッターの低減などの電気的、機械的な性能向上は、いわずもがなだが、さらに、クイック・スタート、クイック・ストップの強い良さも、付加的なメリットだ。おそらく一度使ったら手ばなさなくなる使い良さは、かつての名作、TTS3000以来のソニーのモーター技術の伝統でもあろう。

デンオン DA-307

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 デンオンの新製品は、ダイナミック・ダンピング方式を採用した、スリムなユニバーサル型トーンアームである。
 ダイナミック・ダンピング方式は、簡単にいえば、トーンアームの軸受を中心として、従来は、後のバランス用ウェイトとその軸であるアームの後部をゴムなどのクッションを介してフレキシブルに結合したのと逆に、ヘッドシェルを拭くんだ、アームの前の部分を、回転軸受に近い部分で、フレキシブル結合した方式と考えてよい。
 この方式の採用により、カートリッジの針先コンプライアンスとトーンアーム自体の等価質量で決まる低域共振を効果的にダンプすることができ、レコードの音溝にたいする追従能力が一段と向上している。したがって、オイルダンピング型アームのような追従性不良による低域の混変調歪や一点支持のための使いにくさ、オイル漏れがないというメリットがあり、さらに、プレーヤーキャビネットなどから伝わりやすい振動からカートリッジを保護でき、ハウリングにも強いために、使用するカートリッジの性能を充分に引出し、大音量再生が可能になったとのことである。
 軸受部は、ピボットベアリングとミニアチュアベアリングを採用した高精度、高感度設計で、感度は、水平、垂直ともに0・025g以下である。
 バランス用ウェイトは、太い筒型の後部アームの内部を移動するタイプで、針圧目盛は0・1gステップ、1回転が2・5gになっており、適合カートリッジ自重範囲は、5〜10gである。
 付属するヘッドシェル、PCL−5は、自重約6gのマグネシュウム合金ダイキャスト製で、DL−103を付け、針圧2・5gのときの、アームの等価質量は、20gと発表されている。
 付属機構は、オイルダンプタイプのアームリフターと、マグネチックコントロール方式のインサイドフォースキャンセラーがある。このインサイドフォースキャンセラーは、無接触方式であり、かつ、レコード位置によるインサイドフォースの変化にも対応することができる。また、アームのバランス調整時などでは、インサイドフォースのキャンセル量をコントロールするツマミを引出せば、完全にフリーの状態とすることができる。このタイプは、無接触型のため、クリティカルなカートリッジを使用中にでも、インサイドフォースのキャンセル量を演奏中に細かく調整できるメリットがある。
 このトーンアームは、パールトーンに仕上げてあるが、この仕上げが、従来のデンオンのアームにくらべても、格段に優れており、大変に素晴らしいできである。実用上では、各部の動きは滑らかであるが、独得なメカニズムをもっているために、シェルを交換したときや、アームのバランス調整をするときなどでは、何とはなく、グニャグニャして最初は少し使い難いようだ。

ビクター JL-B37R

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ビクターのプレーヤーシステムは、つねに定評があるモデルを市場に送り込んでいる点に特長がある。今回の新プレーヤーシステムは、基本的には、クォーツロックを外した、TT−81型相当のフォノモーターを中心にして構成された、高性能なモデルである。
 ターンテーブルは、厚みがある、直径32・8cm、重量2・15kgの重量型で、1kg・cm以上の大きなトルクをもつ、12極・24スロットのFGサーボ付ブラシレスDC型サーボモーターで、ダイレクトにドライブされる。
 トーンアームは、高級トーンアーム、UA−7045の構造を受継いだ実効長245mmニュージンバルサポートのS字型で純アルミを溶湯して高圧で鋳造成形した特殊なヘッドシェルと、チャッキングロック方式のネックシリンダーを備えている。なお、付属カートリッジは、X−1の設計を受継いだZ−1Sで0・5ミル針付である。
 このJL−B37Rは、各単体部品に、ビクターの高級モデルがもつ基本性能を落とさずに簡略化して使用してあるために、価格からは、想像できないシステムとしてのパフォーマンスが高いメリットがある。プレーヤーベースは充分に強度があり、ターンテーブルは外乱に対して機敏にサーボを効かせている。ストロボは煩雑を避けるために331/3回転だけがターンテーブル外周に刻まれているが不都合はあまりない。

ビクター TT-81

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 コンポーネントシステムのなかでは、音の入口にあるプレーヤーシステムの優劣が音を決定する大きな要素であり、各機種間の音の差は、予想外に大きいのが現実である。ダイレクトドライブ型ふぉのーモーターの第3世代ともいうべき、クォーツロック方式のダイレクトドライブ型フォノモーターは、価格的に高価であるが、この、TT−81は、上級モデルのTT−101の多くの特長を受継いだ新製品である。
 TT−81の主な特長は、クォーツロックを外さないで速度微調整ができる1Hzステップのピッチコントロール、速度変化に敏感に反応するプラス・マイナスサーボシステム、見やすい大型のクォーツ電源で照明する反射式ストロボスコープ、電気ブレーキを使うクイックストップなどがある。
 本機の基準となる水晶発振子は、9504kHzで、これを分周して100Hzの基本信号を得ている。これと180個の検出をもつFGが発生する100Hzの信号を位相比較して、その差を位相制御回路に送りモーター駆動回路をドライブしている。
 ピッチコントロールは、440Hzにたいして、1Hzステップで、±6Hzコントロールできるタイプであり、±サーボシステムは、速度が速い場合にも、遅い場合にもサーボは動作するため、45回転から331/3回転の切替が瞬時に移行し、クイックストップは、駆動回路に逆電流を流して、電気ブレーキとする方式である。

「カートリッジ・ヒアリングテストの方法」

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

ダイレクトカッティング盤を中心に試聴

 この種のオーディオコンポーネントの試聴で問題になるのは、試聴テストの原点である、0dBをどこにセットするかである。基本的には、従来から私の個人的な孝えではあるが、試聴テストにはいわゆる使いこなしはしないこと、を条件にしてある。カートリッジをベースとして、そのカートリッジの最大限の性能を引き出すために、併用するプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを選び出すことはもちろん可能ではあるが、すべてのカートリッジにたいして、同程度のウェイトをかけて使いこなすこと自体が難しいことである上に、これはいわゆる試聴テストの枠をこした、使いこなしの領域のものであると思う。試聴テストはあくまで同一の設定条件のなかで、各テスト製品がどのように変化をし、どのような音を聴かせてくれたかに徹すべきである。オーディオに限らず、すべてコンテスト的要素のあることは、同一舞台上での比較にすぎない。
 コンポーネントシステムのもっとも入口に位置するプレーヤーシステムのなかでは、カートリッジが、トランスデューサーとして音を決定する最大の要素であることに異論はない。しかし本来は、カートリッジとトーンアームが一体化しているピックアップアームを、バーサタイルな組合せが可能であるように、カートリッジとトーンアームに分割したのが現状であるだけに、カートリッジの試聴テストをおこなう場合には、どのプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを使用するかが大きな問題点としてクローズアップされてくる。そのため、テストに先だって、現在市販されているプレーヤーシステムの代表的と思われるモデルを数多く集めて準備段階での試聴をおこなってみた。
 その結果は、経験を含めて予測されたように、各システム間の格差が大きく、音質的な違いがはなはだしく存在していることを再確認することができた。一方、単体で発売されているユニバーサル型のトーンアームは、現在かなりの機種があり、その性能も高くプレーヤーシステムに使用されているトーンアームよりも一般的に高性能なものが多い。

試聴に使用した装置
 そこで、まず、トーンアームの選択からはじめてみることにした。現在のプレーヤーシステムでは、数は少ないが2本もしくは2本以上のトーンアームが使えるモデルがある。そのなかから、3本のトーンアームが任意に取付可能なプレーヤーシステムとして、基本的な性能が高く、ユニークなデザインをもつマイクロのDDX1000を選ぴ、これにより、トーンアームの選択をおこなった。
 10種類程度の候補アームのなかから、このプレーヤーシステムに、アダプター形式で取付可能なものの試聴を繰り返し、最後に3機種のトーンアームが残った。それらは、重量級のアームとして、ダイナミックバランス型を採用した、FR FR64、軽量アームとして、ユニークなダンピング方式を採用した、デンオン DA307、それに中間的な存在である、ビクター UA7045である。マイクロ DDX1000に、これらの3本のアームをセットし、各種の性格が異なったカートリッジを組み合わせ試聴した結果、平均的に各種のカートリッジの個性を引き出した、ビクターUA7045を使うことに決定した。
 トーンアームの選択が終れば、次はフォノモーターの選択である。フォノモーターはトーンアームの選択に使ったマイクロDDX1000の使用も考えられるが、できたら、第3世代のDD型フォノモーターとして注目を集めているクリスタルロックのDD型を使うほうが、話題のフォノモーターであるだけに好ましく思われる。これで、かなり候補モデルは限定され、結果としては、今回の持廻り試聴のメリットである、各人各様の異なったシステムを使って、現在のカートリッジを試聴することの意味を含めて、幸いに、私の試聴予定が岡氏、岩崎氏の試聴後であり、使用されたプレーヤーシステムが判かっていたために、ほぼ自動的に、ビクター TT101を使用することになった。結果的には、トーンアーム、フォノモーターともに異なった条件で選択していったわけだが、同じビクターの組合せになったため、プレーヤーべースも、当然こうなればビクター製を使うことにしたほうが妥当と考え、TT101システムをカートリッジ試聴のベースとなるプレーヤーシステムとした。
 このプレーヤーシステムは、聴感上での帯域バランスが安定しており、周波数レンジでも、現在のカートリッジ試聴用として充分な広さがある。音の傾向は、低域の量と質のバランスが保たれ、安定した音であり、中域は充実しているが、中高域の一部にわずかながら輝きがあり、そのあたりでは、やや音の分離が他の帯域にくらべて気になる面が残る。高域は比較的に素直に伸びた感じがあり、強調感が少ないメリットがある。
 使用するアンプは、本誌臨増「世界のコントロールアンプ/パワーアンプ」での試聴結果をベースとして考えた結果、コントロールアンプ、パワーアンプともに、リファレンス用として使い、充分に性能を発揮した、マークレビンソン LNP2とマランツ モデル510Mを選ぶことにした。
 この組合せは、コントロールアンプ、パワーアンプともに現代のセパレート型アンプにふさわしい性能と音質を備えている。
 聴感上のSN比とクロストーク特性が優れ、パワーも、新しいレコードがもつピークを充分に再生できるだけの余裕がある。この組合せは、聴感上で、かなりワイドレンジ型の帯域バランスであり、低域、高域ともに、伸び切った音であるが、中域はやや薄い傾向がある。
 スピーカーシステムは、私の場合には、いつものように試聴場所をステレオサウンド試聴室としたために、JBL 4320を使うことにした。このスピーカーシステムは、このところレギュラーに本誌試聴室で使用しているために充分にエージングが済み、音が安定しているメリットがあることと、このシステムが中型フロアータイプともいえるブックシェルフ型と大型フロアー型との中間的存在であり、プレーヤーシステムの選択の一部条件としたテスター各氏の使用スピーカーシステムとコントラストをつける意味もある。
 JBL 4320は、このモデルをベースとして改良した4331と比較すると、やや聴感上の周波数帯域が狭く、帯域バランス上では、比較的に中域の量感があるのが特長である。低域は大型フロアーシステムのように伸ぴてはいないが、ブックシェルフ型やコンシュマー用の中型フロアーシステムよりは量感があり、高域も必要にして充分な伸びがあり緻密さがあるのが特長である。

使用レコード
 プログラムソースには、マイクロフォンからの信号をテープデッキを通さずに直接カッティングレースに送りこむ、ダイレクトカッティング盤を中心にして選ぶことにした。現在までに、ダイレクトカッティング盤として発売されたディスクのなかから、かつてコロムビアでカッティングした45回転のダイレクトカッティング盤を6枚、米シェフィールドレコードの第2集、第3集、それに最新盤を含めて3枚、その他に、日本フォノグラムから発売されている「ザ・スリー」を選んで今回のメインプログラムソースとした。
 合計123個のカートリッジは、編集部で各カートリッジメーカーに問い合せて決めたヘッドシェル、もしくは、もっとも相応しいと判断したヘッドシェルに取り付けてあり、各カートリッジの外形寸法的な違いからおきるオーバーハングの誤差は、取付時に調整してヘッドシェルのネック部分と針先位置間の寸法は一定にセットしてある。
 針圧は、カートリッジの試聴で、もっとも問題のある部分である。一般にカートリッジの針圧は、ある値からある値の間で指定してあることが多く、場合によれば、この他に標準的な針圧が発表されていることも多い。今回は、原則として指定針圧の幅のなかでの最大値にセットすることにした。この場合、最大値では、見かけ上で針先が沈み込み過ぎる状態になるときには試聴をおこないながら、ほぼ標準的と判断できる値にまで針圧を減らす方向でコントロールをすることにした。なおこの場合の針圧は、ビクター UA7045の針正目盛で読んでいるため、精密な針圧ゲージでの値とは、ある程度の誤差は生じていると思われるが、試聴結果に影響を及ぼすほどの誤差ではない。また、インサイドフォースキャンセラーは、今回は使用せず、常時、0位置にセットしてある。なお、当然のことながら標準としたプレーヤーシステムは、前後左右の水平度を確認し、できるだけニュートラルな状態として使用した。
 なお、低出力型のMCカートリッジには、昇圧用トランスが必要であるが、各モデルともに、メーカー、もしくは輸入代理店で指定したトランスを使用することを原則としており、一部の指定トランスがないモデルの場合には、ユニバーサル型の、昇圧トランスFRFRT4を使うことにした。

「現代カートリッジ論」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

1 SME型コネクターの普及が、カートリッジの交換を容易にした
 一昨年の秋、イギリスのSME社を訪問した際、創設者であり原設計者であるA・ロバートソン・エイクマンに、私はひとつの質問を用意して行った。
「あなたは現在、シュアーのカートリッジの愛用者らしいが、SME創設当時はオルトフオンSPU-Gタイプを使っていたはずですね」
 それを言ったら、お前はどうしてそんなことを知っているのか、とびっくりしていた。まさに図星だったのである。
 SMEは、一九五九年に最初の製品を市販している。ステレオディスクが発売された早くも翌年だから、ステレオ用の高級アームとしてはきわめて早い。その初期のモデルには、いまと違ってオルトフォン製の黒いプラスチックのG型シェル(旧Gシェル)が標準装備になっていたし、後部のバランスウェイトもSPU-G/T(ヘッドシェルとカートリッジで、トランスを含めて約32グラム)をカバーするだけの重量級がついていた。おそらくエイクマンは、オルトフォンSPU-Gを完璧に生かすために、あの精密なアームを考案したにちがいないと、だから私は想像していたので、右の質問をしてみたわけだ。
 いまではもう、SMEタイプ、とさえ呼ばれるようになったあの4端子プラグインタイプのヘッドシェル・コネクターは、もとをただせばデンマーク・オルトフォンがG型およびA型のヘッドシェル交換のために作ったものだ。これと寸法的には類似するのが、ドイツ・ノイマンおよびEMTのスタジオ用プレーヤーのヘッドシェル・コネクターで、オルトフォンとドイツ・プロ規格とは、端子配列が45度傾いていることとロッキングナットで締めつけるコネクターのピンが上向きと下向きのちがいがあるだけだ。
 SMEは、最初のモデル発売までにいろいろなプロトタイプを試作した形跡があるが、精密機械工作によるモデル製作工場の経営者でありオーディオマニアであったエイクマンが、はじめはアマチュアの立場でいろいろなアームを作ってはこわし、失敗を重ねながら少しずつ今日のSMEを完成に近づけていったであろうことは想像するまでもない。そしてその頃の彼の愛用カートリッジが、オルトフォンのSPU-Gタイプであったことから、彼は最初おそらく何気なく、ただ、交換に便利だという程度の理由からSPU-Gのコネクターをそのまま踏襲したのに違いない。当のエイクマン自身は、これがきっかけになってこのコネクターが日本のアームの大半に採用され、そのことからやがて世界じゅうのプレーヤーあるいはアームにまで大きな影響を及ぼすであろうことなど、予想してもみなかっただろう。
 ともかくSMEは、ほかのどの国よりもまず日本のアームに多大の影響を与えた。ステレオディスク出現の初期に、設計の理論的な拠りどころとしても、また、精密高級アームのデザインや表面処理の模範としても、SMEは絶大な存在だった。何か目標がなくてはものを開発・発展させられない、しかもイミテーション上手という、日本人のあまり名誉でない特性がアーム作りに見事に発揮されて、ひと頃は、SMEの動作を少しも理解しない外観だけのしかもきわめてまずいイミテーションまで出現したが、怪しげな製品の淘汰された後に残ったSMEの置き土産が、オルトフォン型の4端子プラグインヘッドだった、ということになる。こんにち日本で製造されるヘッドシェル交換式のパイプアームのおそらく90%以上が、このオルトフォン/SMEタイプに共通の構造を採用しているはずである。そのおかげで、日本ほどカートリッジ交換の互換性に富んだ国はほかにないというような状況になっている。
 意外に知られていないことだが、このオルトフォン/SME型のコネクターは、日本以外の欧米では、そんなに普及しているわけではない。日本と違って、オートマチックのレコードプレーヤーまたはチェンジャーの普及率がきわめて高い。しかもそれらオートマチックプレーヤーやチェンジャーのメーカーは、ヘッドシェルの交換に各社全く独自の構造を採用しているために、カートリッジの交換はSME方式ほど容易ではない。しかもメーカー相互の互換性は全くない。したがって欧米では、日本のオーディオファンのように自由にたくさんのカートリッジを交換するという楽しみを最近まで持っていなかった。カートリッジ交換によるデリケートな音質の変化を、日本人ほど敏感には受けとらないという国民性の問題も無関係とはいえない。
 ところが最近になって異変が生じてきた。日本独自の開発によるダイレクトドライブ・ターンテーブルが、欧米のオーディオ界で高い評価を与えられはじめたのである。そうなると、永いことはオートマチック全盛だった欧米のレコードプレーヤーのシェアに、オートマチックは普及品で、ダイレクトドライブ式のマニュアルプレーヤーこそ今後の高級機、というような風潮が、生まれはじめたのだそうだ。たとえばここ一~二年のあいだ、イギリスやパリで開催されるオーディオショーには、SMEが、日本のDDモーターにSMEを組み合わせたプレーヤーを積極的に展示している。当社の高級アームは、こういうふうに使ってくれ、という意味である。そうなると、モーター単体ではなく、国産のDDタイプのマニュアルプレーヤーまでが一躍脚光を浴びはじめる。言うまでもなくそれらのプレーヤーについているアームのほとんどは、SMEと互換性のあるヘッドシェル・コネクターを備えている。そのことから最近の欧米では、このコネクターのカートリッジ交換の容易さや互換性に富んだ合理性などが、改めて評価されはじめたらしい。このコネクターを普及させれば、新しくカートリッジを追加購入するユーザーも増えるとにらんだ欧米のカートリッジメーカーの商魂までからんで、SMEコネクターは、むしろこれからますます普及しそうな気配なのである。日本ではすでに、このコネクターを普及させてしまったためにアーム設計に大きな制約が生じていることを嘆く声も出はじめているというのに、この分では、むしろこれから当分、SMEコネクターは増加の一途をたどるにちがいない。ただ私自身は、アームの設計の多少の制約よりも、ヘッド交換のこの合理性ゆえにここまで普及してしまったSMEコネクターが、当分消えるはずがないし、またこの便利な方式を消すべきではないとも考えているが……。
 ──とまあ、SMEコネクターの説明で前置きがひどく長くなってしまったが、こんないきさつから、日本のオーディオファンが世界でいちばん、カートリッジ交換の容易さとその楽しみに恵まれている、という次第なのである。

2 理想のカートリッジとはどういうものか……
 この号でテストするカートリッジの一覧表をみせてもらったら、約一二〇個がリストアップされている。これでも現役製品の約2/3だというから、実際には二〇〇近い製品が市販されていることになる。ただ、カートリッジの場合には、特性上にほんのわずかの差をつけただけで外観も中身もほとんど変えずに価格の差をつけて多機種をとり揃える、という方法で機種を増やすケースが多いので、スピーカーやアンプの機種の多いこととは少し意味合いが違うから、実質的な製品の数はこの1/3以下、つまり五~六〇機種がいいところだろうが、そう考えてもまだ決して少ない数とはいえない。
 たしかに、アンプやスピーカーにくらべてカートリッジの交換は楽にできるために、誰もが手軽にもう一個……と追加しやすい。しかしそれにしても、レコードの溝から音を拾い上げるというひとつの目的のために、どうしてこれほど多くのカートリッジが作られているのだろうか。どうも少々イージーに機種を増やしすぎるのじゃないか、という疑問を消すことができない。ただ、そういう疑問を持つからには、カートリッジのあるべき姿について、何らかの定義をしておかなくてはならないだろう。単に、目先の変わった音を鳴らし分けて楽しむというのであれば、いくらでも新種が作られてかまわないわけだから。
 最も素朴なところから考えてゆくと、カートリッジは発電機と同じだ(*註)。レコードには、現実の音や音楽の複雑きわまりない音が、一本の溝の凹凸やうねりの形に姿を変えて刻み込まれている。ピックアップの針先がその溝をたどってゆくときに、針先は音溝のうねりのとおりに動かされ、ピックアップの内部で、その針先の運動に正しく比例した電流が発生すれば、カートリッジはその目的を達したことになる。言いかえれば、レコードの音溝に刻まれた音を、そっくりそのまま、何の変形も加えずに拾い上げる(ピックアップする)ことが、カートリッジの理想である。もしもこの理想が100%かなえられれば、異なった二種類のカートリッジを交換しても、音質の差は生じないことになる。ところが現実には、同じメーカーのカートリッジでさえ、二種類を聴き比べれば音質が違う。ということは、現実の製品には、右の理想を満たすものがまだない、ということになる。
 そうした観点から、理想に近いカートリッジを探そうと、マスターテープとの比較試聴というようなテストを行なう場合がある。こまかく言えばいくつかの方法があるが、大要は次のような形をとる。
 まず、レコードにカッティングするもとであるカッティング用マスターテープを用意する。曲あるいは演奏は、音質の判定をしやすいものを任意に選ぶ。このテープをもとにして、ラッカー盤にカッティングしてテスト用レコードを作る。カッティングの際には、テープに録音された音そのままを溝に刻むために、イクォライゼイションその他の加工を一切加えない。
 こうして作られたレコードを各種のカートリッジで再生し、同時にカッティングのもとになったマスターテープをプレイバックして両者の音を聴きくらべて、テープの音に少しでも近いカートリッジが、すなわちレコードに刻まれた音を正しく再生する理想に近いカートリッジだと定義する、という方法である。
 このやりかたは、レコードやカッティングについての正しい知識のない人には、実に公正で正確無比なテストのように思えるだろう。ところがこの方法には実に多くの問題点があるのだ。ひとつひとつあげて解説するだけでも与えられた枚数を超過してしまうので要点のみ箇条書きにしてみる。
① テープから加工せずにカッティングするといっても、カッターヘッド自体にもカートリッジと同様あるいはそれ以上の音質の差がある。(レコードメーカーが、新型カッターでカッティングし直して音質が向上することを宣伝文句にうたっているように、カッティングシステム自体が──カッターヘッドばかりでなく、ヘッドをドライブするアンプも含めて──特定の音色を持っている)
② テープをプレイバックする際、テープデッキにも固有の音色がある。アンペックス、スカリー、3M、スチューダー、ノイマンその他、同一のテープでもプレイバックデッキによって音質が異なる。同じ銘柄のデッキでも、2台を比較すれば音色が異なる。プレイバックカーブに0・2dB程度以上の偏差が生じれば、それでもマスターテープの音が変わる。
③ 比較のためのカートリッジは、どういうヘッドシェル、どういうアーム、どういうプレーヤーシステムを使うのか。同一のカートリッジでも、ヘッドシェルやアームを変えれば音が変わることはすでに常識化している。また、右のようなテストをするときには、カートリッジ自体の周波数特性のくせを、一台一台調整して合わせたイクォライザーでフラットに補正すべきではないのか。それとも、RIAAカーブで補正するだけで、カートリッジ自体の周波数特性は放っておいてよいものか。ハイインピーダンス型の場合は負荷抵抗や負荷容量を変えても音は相当に変わる。シールドコードの影響や、温度、湿度の影響も無視できない。
 ──細かく言い出せばキリがないが、テストというものは、厳密に行なおうとすればするほど、右のような細かなエラーを無視したのでは無意味になる。どのみち、レコードに刻まれた音はカートリッジで拾って聴いてみないかぎりわからない道理なので、これはカートリッジに限らない、アンプでもスピーカーでも、現在の技術のレベルでは、どのパーツが最も正しい音を再生するのか、という証明は、論理的に不可能なのだ。
 不可能ではあるにしても、しかし再びカートリッジに話を限るとして、レコードに刻まれた音を、大幅に歪めたり、刻まれた音を明らかに拾い落したりはしないように、というひとつの目標について、異論を唱える人はいないだろう。その同じ目標に向って多くのメーカーが、地道な研究の積み重ねによって着実に前進していることもまた確かである。それでありながら、一〇〇個のカートリッジが微妙とはいっても一〇〇通りの異なった音色で鳴る。そこに好みや主観という要素が入りこみ、さらに価格とのバランスとか使いやすさとか、針交換のしやすさとかトレースの安定度など、人さまざまに重点の置き方が異なって、選ばれるカートリッジも人さまざま、という結果になってくる。ただ、10年前にくらべると、明らかに飛び抜けて音色の違うというようなカートリッジは少なくなった。それだけ技術のレベルが揃っているという証明にもなるし、レコードからできるだけ正しい音を拾い出すという目標に大局的には接近しているという証拠にもなる。
(*注)MM-IM、MC……等、電磁型、動電型のカートリッジ、および圧電型のカートリッジに限って、発電機の同類といえるが、コンデンサー型、光電型、半導体型などは正確には発電機ではなく、別に用意された電源から供給されるバイアス電流を、音溝のうねりで変調して音声電流に変換する。

3 カートリッジを選ぶ根拠は何か?
MM型、MC型……というタイプの違いか、価格の違いか、メーカーか……
 同じ目的のために作られるカートリッジに、なぜ、MM型、MC型……というようなタイプの違いが生じるのだろう。それは、アンプの場合ならトランジスターと管球式、あるいは同じトランジスター型でも直流アンプというように、またスピーカーならコーン型とホーン型あるいはドーム型……というように、メーカーの技術力や得手不得手、方法論のちがい、等の理由によって、それぞれのメーカーが自社の主張に応じて異なった構造を採用するのだ。どんなタイプにも、メリットがあれば、その反面に必ずデメリットがつきまとう。うまいことだらけ、というような話はありえない。ただ、メーカーはつねにメリットの方を宣伝材料に使って、デメリットについては触れたがらない。もしも客観的にみて、誰が見ても誰が考えても唯一最良の方式というのがあれば、世界じゅうのカートリッジがそのひとつのタイプで作られるはずだ。そうならないで各社各様のタイプを押しているという現実が、すでに、メリットの反面にデメリットのあるという事実を裏書きしているようなものだ。
 では現実にカートリッジを探し、選ぶ段になったとき、いったいどういう問題点を根拠にしたらいいのだろうか。MM、MCというようなタイプの違いか。ブランド名か、あるいは国籍か。それとも価格や使用条件によって何か大きな違いがあるのか。カタログデータ上で何か拠りどころになる数字や項目があるのか──。以下にいくつかの項目をあげながら考えてみよう。
■原盤試聴用あるいは放送局用など、プロ用の特殊なカートリッジがあるか?
 レコード会社がカッティングしたラッカー盤やメタル(マザー)盤をチェックするときに、どんなカートリッジを使っているのだろうか。
 ノイマンのカッティングシステムでは、オルトフォン(SPUまたはSL)、シュアー(V15/III)、またはエラック(STS555E)などが標準装備となっているし、他のカッティングシステムやレコード会社によっては、EMT、デッカ、ピカリングまたはスタントン、ADC、エンパイア、その他、要するに私たちに馴染みの深い製品が適宜選ばれていて、どこにも特殊なカートリッジの使われている例はない。ことにメタル盤の検聴の際は、針の磨耗がおそろしく早いことと、メッキの素材であるニッケルが磁石の強いカートリッジを引きつけてしまうなどのやや特異な条件から、MMまたはIM系の、むしろあまり高価でないカートリッジの針をどんどん使い捨てるケースが多い。
 放送の場合はどうか。日本では、NHKおよびFM東京などFM局で、DENONのDL103が標準カートリッジに採用されていることはすでによく知られているが、これとてアマチュアにとって別に珍しい製品ではなく自由に入手できる。AMの民放局ではこれ以外にも主に国産品が適宜使われる。海外の放送局となるともう全く自由で、それにしても私たちに縁の遠いカートリッジというのはまず使われていないといってよい。
 スピーカーの場合は、本誌36号の「現代スピーカーを展望する」で詳述したように、シアター用など広い場所で強力な音声をサービスするものと、比較的狭いモニタールームで検聴用に使うスピーカーと一般家庭用とでは、用途によってその構成も規模も大幅に違う場合が多い。けれどカートリッジの場合は、対象がレコードの溝一本だから、目的とか用途による違いというのは、スピーカーのように別々にはならない。
 もうひとつ、スピーカーの場合には、少数とはいえ十年前十数年前の製品がいわゆる名器として残っている例があるが、カートリッジの方は、ほんのわずかの例外を別にすれば、原則として、旧製品は消えてゆかざるを得ない宿命を負っている。それはカートリッジが、レコードにカッティングされた音溝を忠実にたどるという目的を持っているからで、カッティングシステムの改良にともなって、より振幅の大きな、より複雑な音溝が刻まれるようになると、旧型の設計のカートリッジでは、その振幅を正しくトレースしてゆくことができなくなってしまうからで、スピーカーの方は、アンプから送り込まれた音が出てこないだけだから故障などの実害のないのにくらべると、カートリッジの旧型はレコードの溝を正しくたどりきれずに溝をいためてしまうという害が生じる。したがって、少数の例外を除いて、カートリッジは新型・新型と移り変わってゆかざるをえない宿命にある。
■タイプによる違いと、国籍やブランドによる違いと、どちらの差が大きいか
 ムービングコイル型(MC型)は音のキメがこまかい、とか、ムービングマグネット(MM)型は音が柔らかい、などと、タイプによる音の違いが言われている。たしかに、タイプによって本質的に持っている音というのはある。
 しかしその反面、カートリッジの音質の違いはタイプじゃない、要するにブランドによる違いであり機種による違いなのだから、タイプにこだわらずに音を聴いて決めるべきだ、という意見もある。
 そうした、一見相反する意見があるということは、そのどちらが正しいのでもなく、どちらも半面の真理を言っているのだ。メーカーあるいは国籍による個性、そして素材とその料理法によって、さらには同じメーカーの製品ならば価格の高低によって、それぞれ微妙に音の差があって、それが一見、タイプとは無関係のようにさえ思えるが、しかし本質的にはやはり、タイプによって基本的に決まる音の傾向がなくなりはしない。たとえばMC型の音のこまかな切れこみは、他のタイプから聴くことは無理だし、MM型の、音ぜんたいを柔らかく包みこむような鳴り方をMC型は概して聴かせてくれない。そういう基本的な性格の上に、ブランドやランクや素材などのさまざまの要因が加わって、1個のカートリッジの音の性格ができ上がっている。だから、タイプ論もブランド論も、それぞれ半面の説明はしていることになる。ただ、タイプがすべてを支配するというようなことは起りえないし、さきほどのくりかえしになるが、客観的に唯一最良のタイプがもしもあるのなら、世界中のカートリッジが同じひとつのタイプを採用するはずだ。
 そういう話を前提にしておいて、そこであえて私個人のカートリッジ選びの基準をいえば、第一にタイプ、第二に国籍またはメーカーの個性、第三に同一のメーカーの製品体系の中でのランクづけ、の三つの面から考える。言いかえればこれらの要素が、カートリッジのできばえにそれぞれかなり大きな影響を及ぼしていると、私が感じているからだ。そのことをもう少し掘り下げて考えてみよう。
■MMグループとMCグループ
 こまかなことを言う前にまず、私自身のカートリッジの使い分けをふりかえってみると、レコードを真剣に聴くときはMC型、くつろいだり聴き流したりするときはMM型、という聴き方がわりあい多い。読書しながら、あるいはお茶や酒を飲みながら聴き流すとき、針交換のめんどうなMC型を使うのは何となくもったいない気がするし、それよりもMC型の音はどこかこちらをくつろがせにくい、聴き手を音楽の方にひきずりこんでしまうような雰囲気を持っている。レコードに入っている音をどこまでも細かく細かく拾ってくる感じが、つい、音楽を一生けんめい聴く姿勢にさせてしまうのではないだろうか。
 一旦MC型の良い製品を良いコンディションで聴いた直後、同じレコードをMM型で再生してみると、MM型はMC型にくらべて、何か大切な情報量を掴み落してくるのではないだろうかといった気持になる。くどいようだが、さきにも書いたようにタイプですべてがきまるわけではないから、MCの中にも不出来な製品が少なからずあることは断わっておくが、MC型の方が明らかに同じレコードからより豊富に音を拾い出してくる。そのことが、逆に聴き手をくつろがせにくい、あるいは聴き流しできないような気分にさせてしまうのかもしれない。そこでつい身を乗り出して、音楽にのめり込んで聴き入ってしまう結果になる。
 ただしかし、聴き手の主観以外にも問題がないわけではない。第一に、レコード自体にMC型の解像力に見合うだけの豊かな情報量が入っているかどうか。演奏の良否から録音・盤質まで含めて、優れたレコードであるかどうか。第二に、アンプやスピーカーが、その豊富な情報量を十分に再現できるだけの能力を具えているかどうか。
 正直をいって私自身は、MC型を嫌う人の音の受けとめ方が全く理解できない。しかし一方で、MCでは鳴りにくい音のあることだけはわかる。それだから、自分でもMC一辺倒でなく、MM系(IM型も含めて)を使っている。たとえばジャズの場合──。
 バリトンあるいはテナーサックスの、あのふてぶてしい、太い真鍮の管が共鳴して豊かに唱うあの鳴り方が、MC型では私には十分満足できない。管の太さ、みたいな感じが、IM系のカートリッジでなくてはよく鳴らないように思える。あるいはスネアドラムのスキンのよく張った乾いた音。……そう、この乾いた感じというのが、MC型ではどうも出にくく思えるのだ。MC型の音はどこか音をひきずるように、いくぶんウェットに、ふてぶてしい音さえもどこか品良く、繊細な艶を乗せて鳴らす。もっとカラッとしていなくてはジャズではない、そういういら立ちさえ感じさせる。ジャズばかりではない。アメリカの現代のさまざまのポップミュージック──ロックやソウルやフォークやウェスタンなどの、新しい流れのポップミュージック──の、ことにリズムセクションの、ストッ! と切れる感じの、重量感がありながら粘らない、あの一種爽やかな迫力を、私の知るかぎりのMCは鳴らしてくれない。そういう音を聴かせてくれるのは、IM型の、それも特に断わっておかなくてはならないことは、それがアメリカの東海岸(イーストコースト)系のカートリッジにほとんど限られるのだ。
 そう。私は再ぴここで、音響パーツを生み・育てた風土の問題にぶつかった。同じような構造の、似たようなカートリッジが、イギリスで、ドイツで、あるいは日本で作られると、なぜ、イーストコーストのあの、乾いた気持のいい音が鳴らないのか。そしてまたイーストコーストのカートリッジには、どうして、ヨーロッパ製のそれから聴くことのできる繊細でややウェットな余韻の美しさが欠けているのか──。
■同じMM型でも風土が違えば音質も変わる──エラックとシュアーの例──
 たしかに、カートリッジの音はそれぞれに違う。同じメーカーの、同じタイプの製品でも、価格のランクによって音が変る。だから、カートリッジの音のちがいを、タイプだの風土だのでいうのはまちがっているという意見もある。が私は、それは音をあまりこまかく見すぎてもっと大掴みな重要な違いを聴き落していると思う。
 そういう違いを聴きわける最も良いサンプルはアメリカ・シュアーと西独エラックだ。余談になるが、エラックという商標を日本では使えないで、エレクトロアクースティックという名で呼んでいる。日本のある商社がむかしエラックを輸入していたころ、勝手に Elac の商標を登録して日本ではその商社を通さなくては使えないようにしてしまった、というのが真相だ。日本だけのばかげた現象で、何とも腹の立つ話だ。もうひとつ、日本では最も普及しているMM型は、もともとシュアーとエラックが共同で特許を所有しているもので、欧米ではこの二社以外はこの構造のMM型を作っていないし、日本でもオーディオテクニカのような独自の構造以外の製品は、特許料を払わないと海外に輸出できない。
 シュアーとエラックをくらべてみるとよくわかるが、この二社の製品は、右のような理由から、基本的にはよく似た構造をとっている。もしも構造(タイプ)が音質を支配するというのなら、シュアーとエラックはよく似た音がするはずだ。だが試みに、シュアーのV15/IIIとエラックのSTS555Eを聴きくらべてみるといい。もしもできれば、エラックのSTS155までの一連の製品を聴き、シュアーのM75やM91のシリーズをひと通り聴いてみるといい。エラックの製品だけでも、155と255、355、455……みな少しずつ音が違う。シュアーもまた、75Gと91EDとV15/IIIとでは当然音が違う。けれど、エラックとシュアーをまとめて聴いてみれば、エラックの中でどれほど違う音でもそれは決してシュアーの方に似てはいないし、シュアーのどの製品をとっても、シュアーよりはエラックに近いなどという音はしない。明らかにシュアーはシュアー、エラックはエラックの音がするのである。
 そのことを単にメーカーの個性とみるのは自由だが、私はそこに、カートリッジの音をコントロールしてゆく人間の音感を、そういう音感の人間を生み・育てた風土の問題を考えずにいられない。そしてメーカーが最もそのメーカーらしい、言いかえればメーカーの主張を最も端的に表現するのは、同じ機種の中の最高のランクの製品である。シュアーならV15/III、エラックならSTS555Eまたは655D4である。それで私は、自分でカートリッジを買うときは、まずそのメーカーの最高のランクの製品を聴いてみる。一方そのシリーズの最低と中間とを同時に比較すれば、そのメーカーの主張はおおかた理解できる。
 カタログの項目で参考になるのは、出力電圧とインピーダンスと、針圧とコンプライアンス。前者はアンプまたはトランスとのマッチングをとるために、後者はアームとの組合せを考えるために、つまり使いこなしの際に必要な数字であって、カートリッジを選ぶ段にはたいして役に立たない。周波数特性をこまかく比較する人があるが、ばからしいからおやめなさい。同じ機種で安いのから高いのまで、五千円きざみにとり揃えているようなメーカーの製品の周波数特性を見くらべてみれば、価格のランクにともなって、少しずつ特性が良くなるように書いてある。これなどは、この前の製品で10Hzから30、000Hzと書いてしまったから、今度のは8Hzから32、000Hzにしておこうか、というようなアホらしい操作を、メーカーの方がしているだけの話だ。
■優れたカートリッジほど音楽に血を通わせ生き生きと蘇らせる。
そして、レコードを、音楽を、次々と聴きたい気持をふくらませてくれる
 菅野沖彦氏がおもしろい指摘をしておられる。内外の軽針圧型のカートリッジが、概して針先にまつわりつくゴミやホコリに弱く、レコード一面をかけ通さないうちに音がビリついたり、針先が浮いてしまったりするのが多い。しかし、EMTやオルトフォンSPUのような3g前後の針圧を要するものは別としても、軽針圧型であってもたとえばエラックやシュアーなどは、よほどのことがないかぎりレコードの一面ぐらい、何の苦もなくトレースする、というのである。
 そう言われて考えてみると、私は右のようなトラブルにあまり遭遇していない。しかしそれには注釈が必要なので、ふりかえってみて私の場合、いくつかの例外を除けば一個のカートリッジでレコードを何枚も続けざまに聴くということを、おそらくほとんどしていない。テストの際にはレコードの特定のある部分だけを鳴らしながら次々とレコードを換えてゆく。そのたびごとに針先のゴミを払う。そういう扱い方をしているかぎり、菅野氏の指摘されるような現象は発見できない道理だ。
 ということは、私のカートリッジ・テスト法がもしかすると杜撰であるのかもしれないが、しかしレコード一枚さえ通して聴かないとあえて書くのは、私にとって、レコード一枚、いや片面だけでさえも、始めから終わりまで通して聴き込む気持を持続させてくれるカートリッジが、きわめて少なかったと言いたいためだ。
 新しいカートリッジを入手すると、最初にアイドリング(エイジングともいう。いわゆる馴らし運転)のために、オートマチックのプレーヤーにとりつけて、馴らし運転専用の(傷んでも惜しくない)レコードをざっと十数時間トレースさせる。このときは音をきかない。エイジングが済むと、あらかじめ選んである何枚かの、それぞれ音楽のジャンルも楽器構成も異なるレコードの特定の部分を次々とかけてヒアリングテストする。針圧を変えてみたり、ヘッドシェルやアームをとり換えたり、むろん負荷の条件も変えてみる。これでカートリッジの素姓はまず90%掴むことができる。
 こうしてテストした結果、これはもう少し時間をかけて聴き込んでみたいという気持を誘発させてくれるほどのカートリッジなら、一応、相当の水準にあるといえる。そういう製品は、テスト用とは別に気分のおもむくままに、楽しみながら聴き込んでみる。良いカートリッジは、そうして聴くうちに次々と、そうだ、こんどはあれを聴いてみよう、という具合に、次にかけたいレコードを思いつかせてくれる。つまりレコードを楽しむ気持をふくらませてくれる。同じことを私は、本誌36号のスピーカーテスト後記で書いた(36号119ページ)アンプでもカートリッジでも、この点は同じだ。
 ところが、たいていのカートリッジが、テストレコードが一面の終わりまで行かないうちに、いや、ミルシュテインのグヮルネリの中音はもっと線の太い一種ふくみ声のような音色で鳴らなくてはおかしいはずだ、とか、このバルバラの声には人生の厚みが感じられない、とか、菅野氏のこの録音はもっと楽器の鮮度が高く聴こえるはずだ……というような不満が生じたり、なんだこの程度の音かとがっかりしたり腹が立ってきたり、そうでなくとも、ことさら指摘できるような弱点がないにもかかわらずどういうわけか聴き馴れたレコードがとてもよそよそしく聴こえたりして白けた気持になったりして、途中で聴くのをやめてしまうことが多い。
 こんなはずはないのにと思って、ヘッドシェルをかえてみる。アームをかえてみる。プレーヤーシステムをかえる。針圧や負荷を再調整する。別のレコードをかける……。要するに相当にこまかく条件をかえ、日をかえて気分を新たにして聴き直してみたりもする、こんなテストをして生き残った製品が、ここ一年あまりでいえば、オルトフォンVMS20E、エラックSTS455E、ゴールドリングG900SE、エンパイア4000D/III、ピカリングXUV4500Q等であった。これ以外にも、レコードの内容や、その日の気分や、組み合わせる装置のちがいによっては鳴らす機会のあるのが、シュアーのM75シリーズやスタントン681シリーズ、ADCのスーパーXLM/II、それにAKG、B&O、DECCAなどである。右にあげたのはしかし私にとってあくまでもサブ用、あるいはその時点での水準を知るための参考比較用であって、常用はEMTとオルトフォンである。つい最近では、国産の一~二の製品が、もうしばらく聴いてみたいグループに加わっている。あと数ヵ月しないと本当の結論は出ないだろう。カートリッジの素性を正確に掴むには、それぐらい時間と手間がかかる。

4 カートリッジの鳴らす音色とその背景に横たわる風土との関係を
もう少し個々に論じてみると……

 シュアーとエラックが、似たような構造でありながらそれぞれに異なった個性で鳴ることをすでに書いたように、むろんカートリッジの鳴らす音に限らずスピーカーにもアンプにもレコードにも楽器にもあるいはその奏法にも、民族性や国柄や風土が映し出される。その点を解明することがここ数年来の私の興味の中心になっている。では、カートリッジの場合、それがどういう音のちがいになってあらわれてくるのか。それを国別に少し細かく調べてみよう。
■日本のカートリッジは歪みをおさえた色づけの少ない音がする
 たとえば欧米のカートリッジの一部には、トータルの音のバランスは悪くないが細部あるいは弱音部でのデリカシーを欠いて、いかにも音の粒の粗いものがある。その点国産のカートリッジは、たとえローコストの中にも、歪みっぽい音や粗い音を鳴らす製品はほとんどないと言い切ってもいいだろう。聴感上の音の粗さや歪みっぽさを注意深くおさえて、強音でも圧迫感のない、すっきりとおとなしい、節度のある音を聴かせる。
 歪みあるいは音のバランス上明らかなピーク性のクセ、ないしはトレースの不良……などの客観的な欠点や弱点を、ひとつひとつ取り除いて製品を仕上げてゆく能力にかけては、日本人のこまやかな神経は世界一といっていい。カートリッジばかりではない。国産のワインが渋味や酸味を注意深く除いて作ること、同じく国産のウィスキーがたとえ安物であってもアルコール臭や醸成の若さ・鋭さをよく抑えること、時計の進み、おくれを嫌うこと、日本人の国民性はこうした面に発揮される。
 こうした作り方が長所として実った製品も数少ないながら数えあげることができるが、ただ、一部の製品の中に、やや消極的というのか行儀がよすぎるというのか、どこか静的で平面的で、音の表情をおさえすぎたり、音の肉乗りの薄いあるいはコクのない、ボディーの厚みのない音に聴こえるのがある。
 もうひとつこれは別の機会にも書いたことだが、西欧の音楽が低音の豊かなメロディーの上に構築されているのに対して日本の音楽は、伝統的に低音はリズム楽器で支えられてメロディーそのものは高音の、しかも原則としてモノディとして成立していた。こうした歴史の流れの中で、日本人の耳が低音の音の厚みや中~低音のハーモニィの複雑な音色を聴き分けることに往々にして弱点をみせる反面、中~高音域での音色や音の美しさをデリケートに聴き分ける能力の鋭敏なこともまた、世界に誇れる。このことが、カートリッジにかぎったことではないが音の仕上げに影響を及ぼすことが少なくないように思う。
 その特質がおそらく、国産カートリッジの多くを、実におとなしくきれいな音に仕上げるのだろう。けれど次のようなことはある。
 たとえばソロ楽器、あるいはコンボ、クラシックの場合なら室内楽かせいぜい室内オーケストラ程度、要するに小編成の曲を鳴らすかぎり、おおかたの国産カートリッジの音はたいへんバランスも良く、キメのこまかな美しい描写をする。ところが大編成のオーケストラがトゥッティで鳴ったほんの一瞬、音のバランスが中~高域に片寄るように、低域の厚みのある支えを欠いて、キャンつきはしないがやや薄手の音を鳴らすカートリッジが、一部とはいえ無視できない程度の数はある。たとえば最近の本誌でテストレコードとして使われる機会の多い、クラウディオ・アバド指揮/ウィーン・フィルの『悲愴』(独グラモフォン2530350)。その第一楽章の中間部でクラリネットからファゴットのピアニシモで消えた次の一瞬、フルオーケストラがフォルティシモで鳴りはじめるあの部分。そこがジャン! と鳴ったほんの一瞬で、聴きなれてくるとカートリッジの低音から高音までのエネルギーのバランスを瞬間的に聴きとることができる。ある製品は低音が重く鳴る。別の製品は高域の上の方でキラッと光る音を鳴らす。しかし私が最も低い点をつけるのは、キャン! という感じで低音の厚みがなくなってしかも中高域の一部分にエネルギーが固まる感じの音。カートリッジにかぎらず、アーム、ゴムシート、プレーヤーシステム全体からさらにアンプ、スピーカーまでこのテストは最も短時間に音のバランスのダイナミックなテストができる。
 もうひとつはMCとMMの項で書いたようなジャズあるいは新しいポップスの、一種ふてぶてしい、あるいは音が粘らないでスカッと切れる乾いた爽やかさ、などの感じがどれほど鳴らせるか。そしてその反対に、クラシックの弦や木管のたおやかなやさしさ、そしてヴォーカルの声帯の湿った温かさがどれほど聴けるか……。カートリッジの音の判定はとても難しい。
 国産のカートリッジの話のはずがつい脱線して、カートリッジのテスト法になってしまった。そこで話をもとに戻して、仮に一部とはいっても国産のカートリッジの中に、もっと低音の豊かな弾み、ことにオーケストラのトゥッティでの豊かさと音楽の表情、そして音にもう少し脂気あるいは艶が乗ってきたら、全体の水準はグンと上がるのに──と、まあえてして身内にはきぴしくなりがちだというが、これが日本人である私の願いである。
■イギリスの音はどうして細い感じで鳴るのだろうか……
 イギリスという国は、ずいぶん古くからカートリッジを作っているが、わずかにデッカ一社を除いては、国際的に通用する名品は、最近では全くといってよいほど生れなかった。つい先ごろ、古いメーカーのゴールドリングが久々の新製品として発表したG900SEがもしもたいした製品でなかったら、カートリッジの話の中でイギリスを独立した項目にたてることもなかったかもしれない。
 デッカ(MKV)とゴールドリンク(900SE)のふたつは、スピーカーの場合にも説明したイギリスの古いジェネレイションと新しいジェネレイション(本誌36号参照)の音の違いを端的に代表している。スピーカーでいえばタンノイやリークの鳴らすやや硬質の艶で聴かせるのがデッカなら、その音をもう少し柔らかくまろやかにしたのがゴールドリングで、それをスピーカーでいえばスペンドールBCII(本誌36号P317参照)を思わせるバランスのよさとクセのなさを持っている。デッカの中~高域の、黒田恭一さん流にいえばコリッとした感じのタッチ。その輪郭をくまどる線は鮮明だがいかにも細い。イギリスの音はスピーカーでもそうだが概して中低域に肉がつくことを、音がぼてっと厚くなることを嫌って、痩せぎすに仕上げる。デッカの音はときとして少し骨ばって聴こえ、ゴールドリンクはその骨をあからさまには感じさせない程度に耳あたりを良く、そしてイギリス製にしては──というより以前の800シリーズからみたら──総体にフラットに、バランス的に過不足なしに仕上げているがしかし、やや細い感じであることに変わりはない。
 その意味ではデッカの音もゴールドリングの音も、国産のカートリッジの中によく似た音があるように思えるし、いま書いたような範囲では似ている製品も事実ある。ただし国産とイギリスとがやや違っている点は、しっとりと脂の乗った、そして中低域が薄いために一聴すると低域が弱いように思えるがよく聴くと、ローエンド(低域端)での音はたっぷりと量感を持っていて、細いけれどつくべき肉はちゃんとついているし、ボディーに厚みも奥行きもあることがわかる。そして音楽のこまやかな表情の変化に、実にしなやかに寄り添ってゆく。
 ただしかし、概してイギリスの音はスケールがあまり大きくない。スピーカーでもタンノイのオートグラフ(すでに製造中止)とヴァイタヴォックスのCN191はむしろ例外的な存在で、アンプでもプレーヤーでも、繊細な神経でこまかく仕上げてゆく反面、それが大がかりになることを好まない傾向がある。それが音にもあらわれている。
■ドイツの音はいっそうBODYが厚く、そして音のけじめがはっきりしている
 イギリスの持っている音の艶、それもデッカ型のやや硬質の艶にさらに脂を乗せて、中低域での音の細い部分の弱点をなくしたような音──ドイツの音を、大掴みなバランスからいえばこういう感じになる。
 ここでもまた、ドイツのスピーカーの鳴らす音や、ドイツのオーケストラの音、さらにはドイツの工業製品、たとえばカメラや自動車の操作性にも一脈通じるフィーリング、そういう感じがカートリッジの場合でも例外ではないことをまず言っておきたい。むろんドイツの音といっても、オーケストラの音を思い起こすまでもなくそれを一括して言うのは乱暴すぎるが、カートリッジでいえば、現時点ではEMTとエラックの二種類に代表させればよいので、話は比較的簡単だ。
 たとえばブラウンのスピーカー。音のけじめのはっきりした、明瞭かつ鮮明な感じの音のくまどり。大まかに言えばエラックにもEMTにもその感じが共通している。
 もうひとつ、ベンツやBMWに乗ってみると(私は運転ができないので、友人たちに乗せてもらうだけだが)、アメリカや日本の車よりもクッションが固い感じが第一印象として際立っている。スポーツタイプでないふつうのセダンで、坐った尻の下のクッションの感じが、ブラウンやヘコーのあのけじめのはっきりした硬質の音に似ている。これでは走り出したらいかにも固くて疲れるのじゃないだろうか、と思っているとその予想は裏切られる。固くてやわらかいとでもいったらいいのか、明晰さで包まれた豊かさ、とでもいうべきなのか、それは固い一方でなく、というより第一印象で固いと感じたのは実はほんとうに固いのではなく、馴れるにつれてそれがドイツ車の──いや、ドイツの音の表現の基本になっていることに気付かされる。道路の小石を踏んだことさえ乗り手に鋭敏に伝えながらしかもドライバーを疲れさせないどこか柔らかで豊かなあの感じを、EMTのカートリッジの鳴らす音に聴くことができる。
 エラックの音も基本的には同じだ。ただ、これがおそらくMCとMMのちがいなのだろう。EMTのおそろしいほどの解像力に裏づけられた豊かな情報量にくらべると、エラックの音はもう少し甘い表現になる。EMTとエラックをくらべればそうだが、そのエラックをシュアーとくらべると……それはさっき書いたとおりだ。
■北欧が生んだ名作オルトフォン。そして同じ国のB&O
 デンマークは、オルトフォンやB&O、それにカートリッジではないがオーディオ用測定器として世界じゅうで標準原器のように使われているブリューエル&ケア(B&K)を生んでいて、北欧諸国、というよりヨーロッパ諸国の中でも、オーディオの面でかなり大きな存在である。特にオルトフォンは、レコーディング用のカッターヘッド等も作ってプロフェッショナルの分野でも高く評価されて、中でもSPUシリーズのMC型カートリッジは、その基本構造がドイツのEMT、日本のデンオン、FR、マイクロ、スペックス、オンライフ等に影響を及ぼしている優れた発想によって、独自の地位を築いている(もっともEMTのカートリッジは、TSD15の旧型時代はオルトフオンで作っていた)。SPUだけが聴かせる音の自然で厚みのある、一見反応が鈍いようでいて実はおそろしく緻密でコクのある音は、すでに十余年を経ても一向に古くならない。はじめの方で、カートリッジの世界に旧製品は通用しにくいことを書いたが、その例外的存在がオルトフオンSPUでありEMTである。オルトフォン製時代のEMTは、SPUとくらべるともう少しナイーヴな柔らかさの中に、実に繊細な解像力を持っていた。ドイツで作るようになってからは、基本構造にはほとんど変化がないのに、もっと鋭角的で明晰な、近代的で緻密な音質に変わっている。こういうところにも、タイプの分類からは説明しきれない国柄や風土の問題を聴きとることができる。
 オルトフォン自体も、初期のSPUと現在のとくらべると、音の解像力が一層向上し、歪みも減少している。反面、旧型のもう少しおっとりしたあたたかな肌ざわりを懐かしむ声もないではない。とくにSPU以後、SLシリーズという別の音──もっと現代的な、シャープな解像力を加味したクールで細身の音──が生れているのだから、SPU自体は、できれば旧EMTのような、繊細な柔らかさとあたたかみの方向でまとめてくれてもよいのではないかと、これは私個人の勝手な希望を持っている。しかしそれにしても、SPUシリーズの厚みとコクのある音は、いまや貴重な存在で、数年前すでに書いたことだが、こういう音はもはやオルトフォンという一メーカーの製品であることを越えて、ひとつの文化ともいえる存在になっていると私は思う。この音は絶対になくしてはならないと思う。EMTもまた同様である。
 製造に手間のかかるMC型を嫌って、オルトフォンはその後IM型に手を出した。初期の製品は、SPUやSLシリーズのあの秀才型の音にくらべてあまりにもでくのぼう然とした鈍い音がして私は好きになれなかったが、VMS20E以降は、SPUタイプの音をIMで仕上げたとでもいったニュアンスが聴こえはじめて、SPU-G/Tの重量(約31~32g。市販のアームでは使えないものが多い)やSPU-Gのトランスの問題などでためらう人には、ぜひとも奨めたいカートリッジのひとつになっている。
 オルトフォンについて少しばかり書きすぎてしまったかもしれないが、B&Oもまた特異な存在といえる。旧SPシリーズの頃から、腰の坐った強靱な、しかしナイーヴな音の魅力で愛用していた。いまSP15を経て、MMC3000、4000、6000等の新しい製品が揃ったが、新しい製品になるにつれて、強い個性がおさえられ、ナチュラルな音質に仕上がってきている。ある意味ではSP15を含めて旧製品の方が、類形のない特徴のある音に魅力があったともいえるが、しかしそうした強いキャラクターをおさえて自然な音に変わってゆくのは、なにもB&Oだけのことではなく、世界的なオーディオの傾向に違いない。そしてB&Oの音が自然と書いたけれど、やはりそれを他の国のカートリッジの中に混ぜて聴くと、北欧の空のあのいくらか暗いクールな感じが、たしかにB&Oやオルトフォンからは聴きとれる。それがオルトフォンのSLシリーズやB&OのSP15のように、高域のやや上昇ぎみの、ふつうならキラキラと華やぐ傾向になりがちの部分でさえも、北欧の冬の太陽のあの白っぽい光のようで、まぶしくなく、エキサイトした感じにならず、しかもイギリスや日本のような線の細いところがなく、ドイツのあの透明で硬質な光沢とも違う。やはり生れた国の音はあると思う。
■アメリカ。なぜ西海岸にはカートリッジメーカーが出てこないのだろう?
 東海岸(イーストコースト)のカートリッジの音の大まかな特徴は前にも書いてしまったが、いうまでもなくその音は、ARやKLHや、アドベントやボーズやボザークなどのスピーカーの鳴らす音と本質において全くおなじだ。スピーカーの音の特徴については、本誌36号(「現代スピーカーを展望する」)にくわしく書いたが、世界的にみてアメリカ東海岸は、高域の、ことにハイエンド高域のごく上の方)の強調感をことに嫌う。たとえばKLHの新しいスピーカー “Classic four” の背面にトゥイーターレベルを二段に切替えるスイッチがついている。そして一方にFLAT、他方にNORMALと書いてある。測定しても聴いてみても、この “NORMAL” ポジションは高音をいくぶん下降させている。日本人やヨーロッパ人の感覚なら、そしておそらく同じアメリカでも中央部から西海岸にかけてなら、FLATのところが即NORMALであるはずだ。ところが東海岸では、FLATをNORMALとは感じない。前記36号ですでに紹介ずみの話だが、この一例は東海岸の音の感覚を実にみごとに説明してくれる。
 ADCやエンパイアの、それもADCなら現在のXLM以前の、エンパイアなら1000ZE/Xまでの各モデルの音に、私がどうしても馴染めなかったのは、なにしろ高音域が全然延ぴていないようなナロウレインジに聴こえたからだ。実際に測定してみると特性はむしろフラットなのだが、特性とは別に聴感上は高域が落ちて聴こえる。やはり東海岸の製品なのだなあと、つくづく感じさせる。
 ADCがスーパーXLM/IIになり、エンパイアが4000D/IIIになって、周波数特性上は目立った変化はないのに、聴感上は、はるかに高域が延びてきた。私の耳にもそれで一応なじめるようになって、以前よりはずっと本気で聴き込みはじあた。すると、前にも書いたような、ジャズやアメりカンポップスのある部分──ヨーロッパや日本のカートリッジではウェットになったり柔らかくなりすぎたり、妙に音をこまかく鳴らしすぎたりして不満のある部分──が、ADCやエンパイアやスタントンだとうまくゆくことが少しずつ理解できはじめた。
 しかし、そうだということは、裏がえしていえばアメリカ東海岸のカートリッジの鳴らす音が、ヨーロッパや日本のカートリッジとくらべると、それほど違うという説明になる。明るく乾いた肌ざわりで音を細かく拾うよりはもっと大きく掴んで、音を輪郭で描くよりもっと即物的に鳴らしてゆく。これは私の個人的な偏見として頂いてかまわないが、アメリカ東海岸の鳴らす音は、いまや世界的なオーディオの流れの中でむしろ特異な存在だと、私には感じられる。二~三の例外的なメーカーの製品を除いて、そう思える。
 例外的な存在をカートリッジに限って探してみれば、最近のピカリングのXUV4500Qなどはどうだろう。このカートリッジは、東海岸にはめずらしく、高域に硬質で線の細い強調感があって、それはドイツの音に一脈通じるかのようでさえあるが、ただしかし本質的に音の乾いている点は明らかにイーストコーストの音だ。だが少なくとも音のバランスと輪郭の面で、ヨーロッパや日本のある種の製品が鳴らすようなシャープな切れ味を持っている点がこれまでの東海岸の音と違っている。
 それにしても、ADC、エンパイア、ピカリング、スタントン等の製品のどれをとっても、私にはクラシックを鳴らせるカートリッジだという実感は湧いてこない。クラシックを鳴らすためには、音が乾いていては困るのだ。こう見事に余韻のこまやかさを断ち切ってしまっては困るのだ。その裏返しの意味で、ジャズやポップスを鳴らすとき、かけがえのないカートリッジとしてイーストコーストの中から私は選ぶのである。
     *
 同じアメリカでもシュアーとなると話は少し違ってくる。いや違っていたと言うべきだろう。シュアーはイリノイ州にある。大まかにいえばエレクトロボイスや3Mと同じくミシガン湖をはさんだアメリカ中央部である。スピーカーでいえば、東海岸が高域の強調を嫌うのに対して西海岸側ではむしろ逆に、しかも新しい製品になるにつれて高域を延ばしあるいは強調する作り方をしている。その両極にはさまれてE-V(エレクトロボイス)は、昔から最も穏健な音を鳴らしていた。
 シュアーの音にもそういう面があった。M3からV15のタイプIIにいたるシュアーの歩みは、アメリカの中ではむしろヨーロッパ的とでもいいたいような、ことさら際立った特徴もないかわりに極端に走らない良識に裏づけられた音の良さがあった。しかしV15はIII型になってから、すこし音の方向を変えたように思える。
 V15/IIIの音を研究してみると実に興味深いことがわかってくる。シュアーはおそらくこれを計画するにあたって、現時点で世界的に普及しているブックシェルフ型のスピーカーを中心としてアンプその他の周辺機器を、かなり正確に調査しその性能を見きわめたのではないだろうか。というのは、V15/IIIをそういうクラスの装置に組み合わせると、解像力の良い鮮度の高い音で、なまじの高級カートリッジからグンとかけはなれたグレイドで装置を生かす。それは繰り返しになるが、シュアーが、カートリッジ単体として性能を向上したのではなく、現代のオーディオ再生の平均水準を確かに掴んで、そのトータルとしてのカートリッジの設計に成功したからだと思う。その点に私は、V15/IIIの人気の秘密があると思う。いわゆる商品計画のうまさを、これくらい見せつけられる製品は少ないと思う。
 ただ、私個人はタイプIIIを常用カートリッジの中には加えていない。私の装置は、本誌38号にも紹介されたようにスピーカーがJBL#4341。プリアンプがマーク・レビンソンLNP-2。パワーアンプはその後SAE#2500に変わっている。という具合で標準にはならないからこれは全く私個人の主観であることをお断りしておくが、たとえば弦や木管や女性ヴォーカルの、ふくよかさ、しっとりした艶、あるいは余韻の消えてゆくときのデリケートなニュアンスを、EMTとオルトフォンSPUは別として同格のMM、IM系でも、オルトフォンVMS20EやエラックSTS455EやB&Oやデッカの方がつややかに、潤いをもって鳴らす。逆にジャズやポピュラーのドラムス、パーカッションそして金管やヴァイブやベースの、太い響き、乾いた躍動感、切れ味の鋭さなどなら、エンパイアやADCやスタントンやピカリングが、それぞれにうまく鳴らしてくれる。
 概してヨーロッパのカートリッジが弦やヴォーカルそしてクラシック全般を、そして東海岸(イーストコースト)が金管や打楽器を中心にポピュラー系を、それぞれ最善に鳴らす反面、互いにその逆の傾向の音楽には弱みをみせる。
 そういう意味では、シュアーというカートリッジはV15にかぎらず一貫して、音楽のジャンルの区別なしに、どの傾向の音楽でもどんな編成でも、それなりにうまく鳴らすことを目標にしていると思う。これは正道であり立派なことだ。ただ、現在の私の装置では、右に書いた各種のカートリッジがそれぞれに適所を得て最高の能力を発揮したときの最良の音に、シュアーの平均的再生能力ははるかに及ばないように、私は思うのであえてV15/IIIを鳴らす必要を感じないのだ。ある意味ではタイプIIや、それ以前のつまり最初のV15の方が、弱点もあったが音の品位や魅力では一段上だったように、私には思える。
     *
 アメリカのカートリッジを語る上では、ここでどうしても西海岸に目を──といいたいところだが、なぜか西海岸には、アンプやスピーカーの名器はいくつもあるのに、カートリッジのメーカーが全くない。これは私にとって大きな謎のひとつだ。西海岸の連中がレコードを聴かないわけではない。レコード会社だってないわけではない。どうしてカートリッジが生れないのだろうか。
 現実には、西海岸のオーディオマニアは、アメリカや日本の、すでにあげた製品をそれぞれに選んでいる。おもしろいことに、スタックスやスペックスの評判がかなり高い。オルトフォンやEMTといっても名前さえ知らない連中が多い。ヨーロッパの製品はアメリカ西海岸までは出回りにくいことを知らされて意外に感じる。それにしても、なぜ、カートリッジができないのだろう。JBLみたいな音のカートリッジが、一個ぐらい生まれないものだろうか。

5 結局、一個または少数のカートリッジに惚れこんで
それを徹底的に生かすくふうをすることではないか……

 どう論じようと現実に、カートリッジを二個聴きくらべれば音色が微妙に変わる。買いかえやすいパーツであるだけに、ほとんど誰もが、最初の一個に間もなくもう一個を加える。聴き馴れたレコードの音が微妙にあるいは相当大幅に変化し、カートリッジの交換だけで自分のアンプやスピーカーの別の面が抽き出されることに驚き、やがて次々とカートリッジを買い足すことになる。私自身もそうして年月を重ねて、いま、モノーラル時代のそれを別としてステレオ用になってからでも、正確に数えてないが百五〇~六〇個以上のカートリッジのほとんどが、いつでも鳴らせるようにヘッドシェルにつけられ待機している。始めに書いたオルトフォン/SME型コネクターの普及によって、どのカートリッジでも、いつでも差し換えて鳴らせる。中にはもう数年以上鳴らさないで、コネクターの接点の錆ぴついているのがあるが……。
 しかし私の性分をいえば、カートリッジやアンプやスピーカーは、仕事でテストするときを除いてはできるかぎり切換えたくない。少なくともレコードを楽しみはじめたら、このレコードはどのカートリッジ、どのアンプ……などと切換えることを考えていると、せっかくの音楽もたのしめなくなって、結局音の方ばかり気になってしまう。だから私は、自分の楽しみのときにはカートリッジをやたらに交換するのは嫌いだ。レコードジャケットの裏に、このレコードは何のカートリッジ……とメモを書いていろいろ交換する、という人の話を聞いたことがあるが、私にはそういう趣味がない。
 何度も書いたように、私の常用は数年前からほとんどEMTとオルトフォンSPUだが、EMTのファンとして、蛇足を承知でどうしてもつけ加えておきたいことがひとつある。最近ではいくつかの機会に測定データが公表されて知られているように、EMT・TSD(およびXSD)15の周波数特性は、10kHz近辺から高域にかけてかなり目立った上昇をして、20kHzでは6ないし8dB以上の増加を示す。したがってこれを、ふつうのRIAAのカーブでイクォライズしたままでは、高域端の過剰な、弦のオーヴァートーンや子音に金属質の強調感のある、またシンバルの高音の妙にささくれ立った、不自然でクセの強い音に聴こえがちだ。しかしTSD15を、同社のスタジオプレーヤーシステム#930または#927シリーズに内蔵されている#155stイクォライザーを通して測定すると、高域はほぼ完全に、ほんとうの意味でイクォライズされて、20kHzまで±2dB程度に(カートリッジ自体にバラツキがあるので)収まった平坦な特性になって出てくる。私がEMTの音……と言うのはこの専用イクォライザーを(といってもこれ自体では使えないので、結局930または927プレーヤーシステムを)通した音のことであって、TSD/XSD15を裸のまま特性で使わざるをえないときは、アンプの方で高域をわずかに下降させたり、トゥイーターのレベルセッティングをやり直す必要さえ生じることがある。むろんこれはEMTだけの特例ではなくて、どんなカートリッジであっても、このように特性上の補正を加えて聴くのが理想なのだ。
 かつてステレオの初期の時代に作られたアンプは、その大半が入力にTAPE・HEADというポジションがあった。一九六〇年代半ば頃までのアンプをお持ちなら、入力セレクターにその表示があるはずだ。当時はテープデッキの再生ヘッドを、そのままアンプの入力に接続することを考えていた。
 ところが、テープヘッドはデッキによってその特性がバラついていて、とても一本の再生補正特性ではイクォライズできないことから、次第に、デッキ側にヘッド特性を含めて補正するイクォライザーを組み込むことが常識になった。
 カートリッジの周波数特性は、テープヘッドよりは相互の偏差は少ない。ましてテープスピードに応じてイクォライザーの特性を変えるなどの問題がない。しかし現在のように、RIAAのイクォライザー特性の偏差を0・1dBのオーダーで論じるような精度になってきてみると、それにくらべてカートリッジ側の2ないし6dB以上、ときに10dB以上にも達する特性の偏差は、とうてい無視できない大きなバラつきといえるのではないだろうか。そういうオーダーでものを考えてみると、本当は、レコードプレーヤーの内部にイクォライザーアンプが組み込まれて、それにはカートリッジの特性の偏差を補正できるようなトリミング調整回路がもうけられていて、カートリッジの特性込みでRIAAに対してフラットに補正してAUXライン相当のレベルで送り出してくれる(EMTのスタジオプレーヤーがそうなっているが)ようになることが好ましいという理くつになる。
 そうはいっても、現在世界的に普及してしまったシステム──カートリッジの出力はレコードプレーヤーから送り出されてアンプに内蔵されたRIAAの(カートリッジの特性に無関係の)イクォライザーで再生する、というこの方式を、急に変えることは事実上困難をきわめる。それならせめて、これからのアンプのイクォライザー回路に、カートリッジの特性偏差に対するトリミングコントロールが組み込まれることが望ましい。
 そんなことを考えてゆくと、こんにちのように、カートリッジがきわめて自由に、かつ容易に、交換できるようになってしまったこと自体にも、一端の問題があるように思えてくる。そしてその原因となったのが、はじめに書いたオルトフォン/SMEのこの便利なコネクターの普及であったというのは、何とも皮肉な現象だ。
 ──とここまで書いてきて、おや、私はカートリッジの交換を暗に否定するような話をしているのかな、と気がついた。そうではない。カートリッジを交換して音が変わるのは、実に楽しい。私だって、新しいカートリッジが発表されるたびに、こんどはどうか、こんどこそきっと……という気持で買ってくるじゃないか。やっぱり、新しいカートリッジを加えることは楽しいことなのだ。けれど、その交換の手軽さに寄りかかるあまり、カートリッジ一個、十分にその本質を抽き出さないで捨ててしまうことがあるのじゃないか。そのことを云いたくて、イクォライザーの問題点に、最後にちょっと触れておきたかったのだ。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 カートリッジの音色の違いと簡単にいわれているその「差」は、いろいろな角度からとらえられねばならない。一般的に「高域がよく出る」とか「低音感がある」という表現で伝えられる音の違いは、文字通り音域内でのスペクトラム・バランスによる違いで、全音域中のある特定周波数を中心に特定範囲のレスポンス反応が他より高いために、その帯域の音が目立って強く感じることによる音の差だ。これは再生系のどのパートにも起り得る判りやすい現象でもある。アンプの中のイコライザー回路やトーンコントロール回路がこれであるし、さらにイコライザー偏差により、同じRIAA補正されるべきはずでも、音の違いが出てしまうというのもこのスペクトラム・バランスを具体的な形で表現した周波数レスポンスの違いによるものだ。
 しかし、スピーカーとかカートリッジのような音響電気変換器においては、この周波数特性はアンプのように定規で引いた如く平坦では決してない。これら変換器が特定のレスポンスを示している。というのは、その内側に起因となるべき、音響的、機械的共振が発生している、ということを意味する。そして、この共振という言葉のもつ意味、本来音の出るべきでない部分が、微かな衝撃とか振動によって勝手に特定振動を始めて、それが全体の音に影響してしまう——という故に共振があることは、それだけで音を損うと速断されてしまう。現実には、音響電気変換器のカートリッジにおいても共振を利用し、活用することによって、高域の広帯域化を具体化しているわけだ。共振をいかに処理し、いかに生かしあるいはおさえるか、技術的経験に基づくバランス感覚をどう技術として生かすかによっている。「共振があるからだめ」でもなく「まったく押えたからいい」でもないのであって、その判断は、まさにスペクトラム・バランスそのもので、全体としてとらえねばならない問題だ。
 ただ、はっきりいえることはカートリッジの音色の違いの、大きなファクターが、まず周波数レスポンスによって表れるほんの僅かな、太い線で記入されたら差がなくなってしまうほどの僅かな凸起や凹みにある。それは範囲が広ければ、つまり「範囲」と「差」の相対関係で、共振のQ次第で音の違いとして感じ取れるし、その裏側には必ず共振現象が存在するということだ。
 共振があるから音が違う、という表現は間違いではないにしろ、決して正しくない。共振の処理次第でそれはあくまで音が変わるのだ。
 カートリッジの音色の違いは、しかし今まで述べた周波数レスポンスによる差、たとえ内側に共振現象を秘めてあるにしろ、そうしたスペクトラム・バランスによる差は質的な違いから比べれば大した問題ではない。
 もっと基本的なのは、その音の質的な差で、これはどうも今日の技術的表現、例えば周波数特性とか歪率カーブでは表わせるものではない。これはスピーカーとて同じことだが。例えば矩形波の再現能力などでそれを示そうという試みはあるが、その程度ではまったく根拠にならないほどの違いがはっきりと感じられる。ただむずかしいのはこうした場合、周波数レスポンスの上にも差が出ることが多いため、それによる音の差と混同してしまいがちになる点だ。だが、明らかに周波数レスポンスの違いどころではない根本的な音の差がある。例えばMM型において、いくらMC動作を模して尽せどMC型との間にはっきりした差がある、というのがこの一例だ。
 例えば音のひとつひとつの内側が極く緻密である、というのがこれだ。あるいは粒立ちの良さという表現にもある部分で共通しよう。しかし「緻密さ」「充実感」「立上りの良さ」「積極的」といった判りやすい表現をつきつめていくとこの音質的な違いにぶつかり、それはいわゆる周波数レスポンスとはまったく無関係のものということも気付くはずだ。
 カートリッジにおいては特に重要なポイントというべき点であると指摘しておこう。
 音色の差という表現では扱えないのが「ステレオ音像の再現性」で、これは少々やっかいだ。小形のシングルコーンでそれを確かめないとしっかりした判断をし難い。大形システム、それもユニットの数が多いほど他の要素、スピーカー自体の付帯要素が重畳してしまって判断を狂わすからだ。この場合、再生帯域の広さよりも音響輻射そのものができるだけ不自然でなく、人工的でないことを重視しなければならない。あらゆる周波数範囲で同じ輻射条件が欲しい。アンプの位相特性も重要だ。そうした再生系が整って始めて、カートリッジの音像再現性がうんぬんできる条件となるわけだ。
 ステレオ音像については多く語る必要はあるまい。レコードにより、部屋を含む聴取環境とスピーカーの位置を決められると、再生音量はおそらくぴたりとある一点に決められ、調節点は各個人差はあるにせよはっきり指定されるはずだ。その時の音像の確かさ。音楽の中のピアニシモからフォルテに至るあらゆる部分でこのステレオ音像は変動したりくずれたりしてはマイナスだ。もっとも低域に関してはアームの優劣が音色的差の場合より強く影響し、カートリッジ単独でこの問題を論じることは少しばかり無理なところがあるのではないか。MM型にくらべればMC型の方が一般的に好ましい。英国デッカの場合では他とは発電機構の違いから特殊ケースとなる。
 ステレオ音像から得られる判断に際して、ピアニシモ、フォルティシモのローレベル時とハイレベル時の差はスピーカーが原因となっている点にも留意し、確かめなければならぬのは勿論。
 最後にトレース性能だ。創始期のADC社によって提唱され、シェアー社が確立したトラッカビリティ最優先論は、カートリッジがレコードの音溝をたどるという基本的動作上至極当然だが、ステレオ初期にはこの着眼点のすばらしさに驚いたものだ。今それは当りまえになっているか、というと必ずしもそうとは限らぬのではないだろうか。例えば、再生上好ましい音のカートリッジが、意外にも針鳴きが大きい、つまりカンチレバーの機械的共振を押えることをせず、従ってレコードへの追従性は特性周波数帯で悪化している可能性が少なからず、といえる「優秀製品」がないわけではなく、それは世界中から再生品質の良さを認められている。こうしたものが現実にいくつも出てきている。むろん建て前としては、針鳴きのない静かなトレースのカートリッジならトレース性能もいいだろうし、そのレスポンスもフラットに近いものに違いない。しかし、どうもそれだけで決めてしまい難いファクターがまだあるのではないか、ということだ。
 カートリッジを「製品」として技術的な面からも捉えることにより、それが音質へどうはねかえるか、それをいかに判断したか、ということを本来論じられるべきかも知れぬ。しかしここではあえて一ユーザーの立場、音楽ファンからの視点によってのみ論じ、結果としての音そのものを今回どの角度からどう捉えて判断したかを述べた。
 できることなら諸兄もここで述べた判断方法を、自らの部屋で確かめられることを望むものだ。音の捉え方はもっと深く広い。ただほんの象の脚をなでた程度かも知れないが、それを許していただきたい。
 再生系の音の入口にあって、機械振動を電気信号に変換するカートリッジを、単に音の面から捉えようと試みるのは、聴覚と、それに繋がるセンスだけを軸にして推し進めることになり、それと交叉すべきいくつかの方向、路線から押えるということになってくる。むろんそのための路線はいくつもあるが、それを感覚的に捉えられるかどうかは、試みる側の能力次第にかかる。判るものにとっては容易だが、共通の言葉がなければすれ違いになるし、判りようがない。
 しかしここにあげたそのうちのいくつかのポイントは、読者にとって無論把握しておられる方もいようし、またそれを意識して試みようとすれば容易のはずだ。
 ただ「音から捉える」ということの難しさは、音がカートリッジによって変るのは確かであるが、そうと判断し受け取るのは、あくまでその当事者自身であり、音の差はカートリッジをばい体とした当事者の判断そのものということをはっきりと認識しなければならない。