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アカイ PRO 1000

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 アカイというブランドは、日本のテープレコーダーのメーカーとして世界にとどろいている。もともと、メカニズムを専門とする機械屋さんで、その昔はフォノモーターも作っていたが、本命はやはりテープレコーダーである。
 アカイの長年の間に培われたテープ技術とノウハウの蓄積が、きわめて高い密度で結集しているのが、このPRO1000である。さすがにアカイのトップランクの機種だけに、ハイクラスのアマチュアが使うにはこうありたしという要求が、ほぼ完全な形で満たされているのである。テープレコーダーとしての基本性能がきわめて素晴らしいというだけでなく、ファンクションも豊富で、しかも実用性が高い、価値ある製品だと思う。そういう意味から、このPRO1000を一流品として推したい。
 PRO1000は、2トラック38cm/sec、19cm/sec、9.5cm/secのテープレコーダーで、可搬型仕様になっていてテープトランスポート部とアンプ部に分けられ、それぞれにハンドルが付けられている。可搬型にはなっているが、トランスポート部28・3kg、アンプ部10・2kgとかなり重いがこの内容からすれば仕方がない。テープ走行系にはクローズドループダブルキャプスタン方式が採用され、安定した録音・再生が可能であるとともに、テープ走行切替スイッチは、任意にどのポジションへもすぐに切替えられるダイレクトチェンジ機構など使いやすいテープレコーダーである。

SAEC WE-308 New

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 WE308は、トーンアームに情熱をかける一人の男の姿が思い浮かぷような製品として、一流品に挙げることにしたい。トーンアームを振動系という理論大系から眺めた、ユニークなオリジナリティをもつ製品で、軸受け部には、特殊鋼材の精密研磨による無直径、無抵抗といえるダブルナイフエッジ方式が採用されている。このようにかなり精密なトーンアームをつくっているSAECは、小さな専門メーカーで、歴史もまだ浅いが、むしろ将来が楽しみだということで、あえて一流品にとりあげたわけである。
 そういう意味では、まだまだ推選したい一流品がある。たとえばオンライフリサーチのダイナベクターDV505やオーディオクラフトのAC300C、AC400Cである。前者は質量分離型のダイナミックバランス型のトーンアームで、アーム内にバネのダンパーを設けるとともに電磁粘性ダンパー使用して、トーンアームのレゾナンスピークを低減しようとした製品である。このアームはもう一つの特徴として、アームボードに穴をあける必要がなく、ボード面据置型であるのもユニークだ。
 オーディオクラフトのトーンアームは、基本に忠実につくられた製品で、オイルダンプ方式のオーソドックスなモデルといえる。

QUAD 33, 303, 405, FM3

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 創設者のP・ウォーカーは英国のオーディオ界でも最も古い世代の穏厚な紳士で、かつて著名なフェランティの協力を得てオーディオの開拓期から優秀な製品を世に送り出していた。ロンドンから一時間ほど車で走った郊外にあるアコースティカル社は、現在でもほんとうに小さなメーカーで、QUADブランドのアンプ、チューナーとコンデンサースピーカーだけを作り続けている。
 QUADは、なぜ、もっと大がかりでハイグレイドのアンプを作らないのか、という質問に対してP・ウォーカーは次のように答えている。
「もちろん当社にそれを作る技術はあります。しかし家庭で良質のレコード音楽を楽しむとき、これ以上のアンプを要求すればコストは急激にかさむし、形態も大きくなりすぎる。いまのこの一連の製品は、一般のレコード鑑賞には必要かつ十分すぎるくらいだと私は思っています。音だけを追求するマニアは別ですが……」
 こうした姿勢がQUADの製品の性格を物語っている。
 管球アンプ時代から、QUADはアンプをできるかぎり小型に作る努力をしている。ステレオプリアンプの#22は、それ以前のモノーラル・プリアンプと全く同じ外形のままステレオ用2チャンネルを組み込むという離れわざで我々をびっくりさせた。必要かつ十分な性能を、可能なかぎりコンパクトに組み上げるというのがQUADのアンプのポリシーといえる。
 この小さなアンプたちはデザインもじつにエレガントだ。ブラウン系の渋いメタリック塗装を中心にして、暖いオレンジイエローがアクセントにあしらわれる、というしゃれた感覚は、QUAD以外の製品には見当らない。このデザインは、どんなインテリアの部屋にも溶け込んでしまう。ことに、プリアンプとFMチューナーを一緒に収容するウッドキャビネットは楽しいアイデアだと思う。
 必要にして十分、と言っていたQUADも、一年前にパワーアンプの新型#405を発表した。100W×2というパワーをこれほど小さくまとめたアンプはほかにないし、そのユニークなコンストラクションは実に魅力的でしかも機能美に溢れている。
 アメリカや日本のアンプのような贅を尽した凄みはQUADの世界にはないが、33、303のシリーズの音質は、どこか箱庭的な、魅力的だがいかにも小づくりな音であった。405はその意味でいままでのQUADの枠を一歩ひろげた音といえる。この小柄なシャーシから想像できないような、力のある新鮮な音が鳴ってくる。クリアーで、いくらか冷たい肌ざわりの現代ふうの音質だ。アメリカのハイパワーアンプと比較すると、ぜい肉を除いた感じのやややせぎすの音に聴こえる。そして、405の音を聴くと、QUADはおそらく33よりも一段階グレイドの高いプリアンプと、やがてはチューナーも用意するのではないかと想像する。しかしそれはあくまでも良識の枠をはみ出すことのない、QUADらしいコンパクトな製品になるにちがいない。

フィデリティ・リサーチ FR-64S

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 フィデリティ・リサーチは、比較的歴史の新しいメーカーだが、歴史を遡れば、グレース、その前のパーマックスという、日本の錚々たるカートリッジ、トーンアーム・メーカーの技術的バックグラウンドを引き継いだメーカーである。そして、この会社の社長の、この分野にかける情熱は並々ならぬものがあるのである。そういう技術的背景から生まれた最新のFR64Sという、ダイナミックバランス型のトーンアームは、トーンアームのあるべき姿を、オーソドックスに技術的に追求し、実に繊細高度な加工技術と選び抜かれた材質で仕上げた、文字通り高級トーンアームの代表的存在だといえるだろう。

KEF Model 5/1AC, 104AB, 103

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 #5/1ACは、デュアル・チャンネルのパワーアンプとデバイダーを内蔵したモニタースピーカーだが、その原形は1950年代までさかのぼり、英国BBC放送局の研究スタッフと、KEFの社長レイモンド・クックとの長期に亙る共同研究の結果完成したモニタースピーカーLS5/1Aが基本になっている。
 LSというモデル名は、BBC放送局で正式に採用されるモニタースピーカーだけに与えられる。中でもLS5/1Aは、NHKでのAS−3001(市販名は2S−305。現在は改良型のAS−3002が主力)に相当するマスターモニターの主力機としてBBCで長期間活躍している。これをもとに、いっそうの耐ハイパワー化と、解像力に優れた現代のモニターに成長させた製品がKEF#5/1ACで、これを機にKEFでは、一般市販用の〝C〟シリーズに加えて、新たに〝リファレンス〟シリーズを作りはじめた。その名のとおり音質比較の基準としても使えるだけの優れた特性のシリーズとして、まず#104が発表され、小型であるにもかかわらずフラットでワイドな周波数特性で世界の注目を集めた。またKEFはこれらのシリーズ開発のプロセスで、コンピューターによる全く新しいスピーカーの測定・解析法を考案し、今ではこの方法が、日本でも多くのメーカーによってとり入れられて成果が上がっている。
 104に続いて発表された103は、指向性改善のためにスピーカーバッフルの向きを変えられること、そしてより一層にハイパワーに耐えることに特徴がある。最近になって、さらに進んだ解析の結果ネットワークを改良した104ABを発表したが、低音ユニットと高音ユニットり音のつながりが明らかに改善されて、見事に洗練された繊細で自然な音を聴かせる。イギリスのスピーカーの概してハイパワーに弱い性格はKEFも同様だが、家庭用として常識的な音量で鳴らすかぎり、このこまやかで上品な音質は、音を聴き込んだファンには理解されるにちがいない。

エレクトロボイス Sentry IVA

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 エレクトロボイスは、名実ともに一流メーカーと呼ぶにふさわしいアメリカの名門である。本社はミシガン州ブキャナンにあり、一九二七年創立以来、数々の高級スピーカーユニットおよびPAシステムを世に送り出してきた。同時に、量高級スピーカーシステム、パトリシアンに代表される家庭用の大型フロアータイプや、近年ではブックシェルフ型まで幅を広げ、製品化してきたのである。
 現在では、残念ながらパトリシアンは製造中止になってしまったが、今日発売されているスピーカーシステム中、最も高級なモデルがこのセントリーIVAである。外観は、明らかにプロフェッショナル・ユースであり、かつてのパトリシアンに見られたような、ファニチュアライクなフィニッシュは見られない。この点では、一流品として登場する他のスピーカーに比べて、少し味けなさすぎるという印象を持たれるかもしれないが、しかし、現在のエレクトロボイスからすれば、やはりこの機種を挙げるべきだろう。
 アルテックのA7に一脈通じるシステムだが、同社のドライバーユニット、あるいはスピーカーエンクロージュアづくりの、長年のノウハウの蓄積が凝縮した高級スピーカーシステムといえるだろう。
 エレクトロボイスとしては、私はやはり一時代前につくっていた、きわめて緻密な木工技術をいかした家具調の大型スピーカーシステムの再現を、いま希望したいところだが、同社の歴史、実力からこのシステムを一流品として挙げておきたい。

JBL 4343, 4350

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 その音を耳にした瞬間から、価格や大きさのことなど忘れてただもう聴き惚れてしまう。いい音だなあ、凄いなあ、と感嘆し、やがて音の良し悪しなど忘れて音楽の美しさに陶酔し茫然とし、鳴り止んで我に返って改めてああ、こういうのを本当に良い音というのだろうな、と思う……。スピーカーの鳴らす音の理想を書けば、まあこんなことになるのではないか。それは夢のような話であるかもしれないが、少なくともJBL#4350や#4343を、最良のコンディションで鳴らしたときには、それに近い満足感をおぼえる。
 JBLの創始者ジェイムズ・B・ランシングは、アルテックのエンジニアとしてスピーカーの設計に優れた手腕を発揮していたが、シアター用を中心として実質本位に、鋳物の溶接のあともそのままのアルテックの加工法に対して、もっと精密かつ緻密な工作で自分の設計をいっそう生かすべく、J・B・ランシング会社を設立した。その最初の作品である175DLHは、ショートホーンに音響レンズという新理論も目新しかったが、それにもまして鋳型からとり出したホーンの内壁をさらに旋盤で精密に仕上げるという加工法、また、アルニコVと最上級のコバルト鉄による漏洩の極度に少ない高能率の磁気回路の設計や、油圧によるホーン・ダイアフラムの理想的な整形法に成功したことなどにあらわれるように、考えられる限りの高度で最新の設計理論と、材料と手間を惜しまない製造技術によって、1950年代の初期にすでに、世界で最も優れたスピーカーユニットを作りあげていた。続いて設計された375ドライバーユニットは、直径4インチという大型のチタンのダイアフラムと、24000ガウスにおよぶ超弩級の磁気回路で、今に至るまでこれを凌駕する製品は世界じゅうにその類をみない。375のプロ・ヴァージョンの#2440は、#4350の高域ユニットとして使われているし、175の強力型であるLE85のプロ用#2420が、#4343の高域用ユニット、という具合に、こんにちの基礎はすでに1950年代に完成しているのである。驚異的なことといえよう。
 JBLのユニット群は、エンクロージュアに収めてしまうのがもったいないほどのメカニックな美しさに魅了される。1950年代はむろん飛び抜けて斬新で現代的な意匠に思えたが、四半世紀を経た今日でも相変らず新しいということは、不思議でさえある。が、その外形は単に意匠上のくふうだけから生れたのではなく、理想的な磁気設計や振動板の材質や形状、それらを支えて少しの振動も許さないダイキャストの頑強なフレーム構造……など、高度な性能を得るための必然から生まれた形であり、その性能が今日なお最高のものであるなら、そこから生まれた外観がいまなお新しいのも当然といえるだろう。
 JBLのエンクロージュア技術も、ユニットに劣らず優れている。最大の特長は、裏蓋をはじめとしてどこ一ヵ所も蓋をとれる箇所がなく、ひとつの「箱」として強固に固められていること。そしてユニットのネットワーク類はすべて、表からはめ込む形でとりつけられる。現在では多くのメーカーがこれに習っているが、長いあいだこの手法はJBLの独創であった。それはエンクロージュアが絶対に共振や振動を生じてはならないものだ、というJBLの信念が生んだ考案である。その考案を生かすべくJBLのエンクロージュアは板と板の接ぎ合わせの部分が、接着ではなく「溶接」されている。JBLではこれをウッドウェルド(木の溶接)と呼ぶ。パーティクルボードまたはチップボードは、木を叩解したチップ(小片)を接着剤で練り固めたものだ。その一端を互いに突き合わせ高周波加熱すると、接触部の接着剤が溶解して、突き合わせた部分は最初から一枚だった板のように溶接されてしまう。だからJBLのエンクロージュアは、輸送や積み下ろしの途中で誤って落下した場合つき合わせた角がはがれるよりも板の広い部分が割れて破壊する。ふつうのエンクロージュアなら、接着した角の部分がはがれる。そのくらいJBLのエンクロージュアは、堅固に作られている。
 ユニットやエンクロージュアへのそうした姿勢からわかるように、JBLのスピーカーシステムは、今日考えられる限りぜいたくに材料と手間をかけて作ったスピーカーだ。多くのメーカーには商品として売るための何らかの妥協がある。JBLにもJBLなりの妥協がないとはいえないが、しかし商品という枠の中でも最大限の手間をかけた製品は、そうザラにあるわけではない。JBLが高価なのは、有名料でもなければ暴利でもなく、実質それだけの材料も手間もかかっているのだ。JBLだからと、ユニットだけを購入してキャビネットを国産で調達しようとする人に私は言おう。ロールスロイスが優れているのは、エンジンだけではないのだ、と。あなたはエンジンだけ買ってシャーシやボディを自作して名車を得ようというのか。材質も加工法も全然違うエンクロージュアに、ユニットだけを収めてもそれはJBLの音とは全然別ものだ。
 JBLの栄光に一層の輝きを加えた作品が、新しいプロ用モニタースピーカー#4350であり#4343である。どちらも、低・中・高の3ウェイにさらにMID・BASSを加えた4ウェイ。#4350は低音用の38センチを2本パラレルにした5スピーカー。こういう構成は従来までのスピーカーシステムにあまり例をみない。その理由について解説するスペースがないが、JBLは必要なことしかしない、と言えば十分だろう。こんにちのモニタースピーカーに要求される性能は、広く平坦な周波数特性。ひずみの少ない色づけ(カラーレイション)の少ない、しかも囁くような微細な音から耳を聾せんばかりのハイパワーまで、鋭敏に正確に反応するフィデリティ、そして音像定位のシャープさ……。そうした高度な要求に加えてモニタースピーカーは、比較的近接して聴かれるという条件を負っている。こういう目的で作られた優れたスピーカーが、過程での高度なレコード観賞にもまた最上の満足感をもたらすことはいうまでもない。
 #4350も#4343も、外観仕上にグレイ塗装にブラック・クロスのスタジオ仕様と、ウォルナット貼りにダークブルーのグリルがある。どちらのデザインも見事で、インテリアや好みに応じていずれを選んでも悔いは残らない。

B&O Beogram4002, Beogram6000

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 デンマークのバンク・アンド・オルフセン社は、家庭用のミュージックシステムからテレビに至る、普及品から高級品までの非常に製品バリエーションの豊かな、いわゆる総合電機メーカーである。一九二五年にピーター・バンクとシュベント・オルフセンという二人のニンジニアによって屋根裏部屋の一室からスタートしたこの会社は、その後次々に斬新なアイデアに満ち、二人の卓越した技術の結晶ともいえる魅力ある製品が、今日もなお生まれ統けているのである。
 およそデンマークという国柄は、クラフツマンシップを伝統的に持っているが、いわずもがな、私の好きなデンマークのパイプには、世界のファンシーパイプとして、クラフツマンシップの粋が見られる。またデンマークは、ファニチュア、モダンアート、インテリアデザインの面でも世界の最高水準を確保している国でもあるのだ。そういう国柄のバックグラウンドをも感じさせるオーディオ製品として、私はこのベオグラム・プレーヤーシステムを一流品として挙げたわけである。このプレーヤーシステムが持っている一流品としての所以は、私はデンマークという国が持っているセンスとテクノロジーの風格だとあえていいたい。
 一九七二年に発表されたベオグラム4000、その改良型の4002、6000は、必ずしも現代のプレーヤーの中で、最高の性能をそなえているというわけではない。しかし、ユニークなエレクトロニクスコントロールのフルオートプレーヤーを、これだけ美しいデザインで、しかもリニアトラッキングという理想的なトーンアームのムーブメントを備えたプレーヤーを、かくもフラットな、誰が見ても素敵というデザインでまとめたことは、一つの驚異的な仕事であると同時に、ずば抜けたセンスの良さを感じないわけにはいかない。実際に使ってみても、カートリッジを自由に交換ができないというハンディもあるが、操作性がスムーズであり、素晴らしいプレーヤーのひとつに数えられるものだと思う。
 ベオグラム6000は、同社のベオシステム6000用として特別に設計されたプレーヤーシステムで、このスリムなプレーヤーべースの中にCD-4用のディモデュレーターが内蔵され、2チャンネル再生時と切り替えて楽しむことが可能だ。カートリッジには、同社のムービング・マイクロクロス型という独特の発電方式によるトップランクの製品MMC6000が専用としてビルトインされている。
 ベオグラム4002は、前記のベオグラム6000からCD-4ディモデュレーターを省略したモデルと考えてよい。両者は外観からはほとんど区別がつけにくく、わずかにエレクトロニクスコントロール・パネル上部の型名表示と、ペオグラム6000の右サイドに付けられている2チャンネル/CD-4切替スイッチの有難を調べる以外にない。外形寸法は全く同じである。
 いまやダイレクトドライブ全盛といえるプレーヤーシステム部門において、この2モデルはベルトドライブ方式だが、そのメリットを巧みにいかした美しい薄型のデザインは、まさに一流品としての品位を備えている。

JBL 4333A, L300

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 JBLのスタジオモニター・シリーズの中で最初に評価されたのが#4320であることはよく知られているが、さかのぼればその原形は、プロフェッショナル部分を設立するよりはるか以前のC50SM型モニタースピーカーにはじまっている。C50SMにはS7(LE15A+LE85の2ウェイ)とS8(LE15A、375、075の3ウェイ)の二つの型があった。エンクロージュアのデザイン(外観および外形寸法)は#4320も全く同じだがC50SMの構造は密閉箱だったため、低音の伸びが悪く寸詰まりの感じで、良いスピーカーだという印象があまり残っていない。そのC50SM−S7を位相反転型に改良し、クロスオーバー周波数を800Hzに変更(S7は500Hz)したものが#4320だと思えばいい。こまかいことをいえばユニットその他相異はあるが大づかみにはそういう次第で、したがって#4320はプロ部門設立と同時にある日突然生まれたモニターではなく、C50SM−S7以来の十数年のつみ重ねがあったわけだ。
 #4320は、低域およびウーファーとトゥイーターのクロスオーバー附近での音質の問題点が指摘された結果、#4330および31に改良された。さらに高域のレインジを拡げるためにスーパー・トゥイーター#2405を加えた3ウェイモデルの#4332、#4333が作られた。しかしこのシリーズは、聴感上、低域で箱鳴りが耳につくことや、トゥイーターのホーン長が増してカットオフ附近でのやかましさがおさえられた反面、音が奥に引っこむ感じがあって、必ずしも成功した製品とは思えなかった。
 #4333を基本にして、エンクロージュアの板厚を、それまでの3/4インチ(約19mm)から、1インチ(25mm強)に増し、補強を加えて作ったコンシュマーモデルのL300は、家庭用スピーカーとしては大きさも手頃だし、見た目にもしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、繊細な解像力と徴密でパワフルな底力を聴かせる。音のぜい肉を極力おさえた作り方で、ダブついたような鳴り方を全くせず、やや線の細い鋭敏でシャープな音がする。
 こうしてL300が完成してみると、#4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた。そのことにJBLもとうぜん気付いたのだろう。#4333のエンクロージュアの板厚と強度を増すと同時に、位相反転のチューニングを変更し、タテ位置にもヨコ位置にも自由に使えるよう、ユニットの取付け方にくふうを凝らすなど、こまかな改良を加えた#4333Aを発売した、という次第である。#4333よりはL300が格段に良かったのに、そのL300とくらべても#4333Aはむしろ優れている。従来、内蔵ネットワーク型とマルチアンプドライブ専用型とに分かれていた#4332と33とが、#4333Aでは兼用型となったのも便利だ。

EMT TSD15, XSD15

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 オルトフォンSPUの音の渋い豊かさに加えて、レコードの溝のすみずみまで拾い起こすようなシャープな解像力の良さ、音の艶と立体感の表現力の幅の広さ、これ以上のカートリッジは他にない。TSDはEMTのプレーヤー専用で、日本で広く普及しているSME型コネクターつきのアームにとりつけられるようにしたものがXSDだが、そのことでEMTの真価を誤解する人もまた増えてしまった。このカートリッジは昨今の一般的水準の製品よりもコンプライアンスが低いため、アームを極度に選ぶし、高域にかけて上昇気味の特性は、下手に使うと手ひどい音を聴かせる。トランスやプリアンプを選ばないと、その表現力の深さが全く聴きとれない。難しい製品だ。

EMT 930st, 928

瀬川冬樹

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「世界の一流品」より

 EMTは Elektromesstechnik の頭文字をとったもので(最近の同社発行の資料には Elektronik, Mess-& Tonstudiotechnik となっているが)、1940年にウィルヘルム・フランツが創立した。プロフェッショナルのスタジオ用機器と測定器が主要製品で、日本のプロの間ではターンテープルよりもむしろエコーマシン(EMT140、240。鉄板共振型のリヴァブレイションユニット)の方がよく知られているほどだ。
 ドイツの有名な Schwarzwald(黒い森)に本拠を置き、スイスにも工場を持っている。スチューダーやルポックス、トーレンス等とも親戚の関係にある。
 EMT930スタジオターンテーブルの原形は25年以前に作られているが、ステレオ用の#930stになってからでもすでに10年以上を経過している。この製品の特長を列挙すると—-
(1)きわめてトルクの強く、ダイナミックバランスの完璧で振動皆無といえる大型のシンクロナスモーターによって、超重量級のアルミ鋳造のターンテーブルをリムドライブで回転させている(78、45、33の3スピード)。周辺にストロボスコープを目盛ったプレクシグラス(硬質プラスチック)のサブターンテーブルと電磁ブレーキによって、クイックスタート(スイッチONから500ミリセコンド)とクイックストップの働作は明快。スタートとストップはリモートコントロールが可能で、そのためのスイッチと連動したリニアスライド型のアッテネーターが用意され、このアッテネーターをミクシングコンソールに組み込める。
(2)専用のカートリッジTSD15と、ダイナミックバランス型のアーム#929を標準装備し(アメリカ向きにカートリッジ/アームレスのUSAモデルもある)、さらに、イコライザーカープの切替えと遮断周波数を2〜20kHzまで変化できる高域フィルター(10dB/oct)を内蔵したイコライザーアンプ#155stが組み込まれ、200Ωまたは600Ωのラインアウトプットで、+17・5dB(約6V)までの出力が得られる。
(3)全体が強化プラスチックの堅固なシャーシに高い精度でマウントされている。針先を照明する強力なランプがついているが、ランプハウジングの凸レンズの巧妙な設計によって、アーム先端の可動範囲をきわめて明るく有効に照明する(専用カートリッジ・シェル先端のレンズは、このランプによって針先と音溝の観察を容易にするためのもの)。
(4)カートリッジは、モノーラルLP用のTMD25、SP用のTND65を追加できる。旧型のOFD、OFSシリーズもある。また最近になって新型のイコライザーアンプ#153stが発表され、交換が可能である。
 #928型はトーレンスの125を強力型に改造し、イコライザーアンプ、ブレーキ装置、照明ランプなどを加えた簡易型だが、操作感はトーレンスとは別もので、コンシュマー用とは明らかに一線を画している。

オーディオテクニカ AT-15Ea/G, AT-14Ea/G

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 オーディオテクニカのVM型カートリッジは、発電方式としてはMM型であるが、V字型に配置された2個のマグネットをもつために、同社ではVM型と呼んでいる。このタイプは、1967年の開発以来、カッターヘッドと相似形の動作を理想として数多くの製品が開発され、発展してきたが、今回のニューGシリーズは、従来のモデルをベースとして蓄積された、細やかなノウハウを集めて、一段と完成度を高めたシェル付カートリッジでいずれもオーソドックスな2チャンネルステレオ専用のタイプである。ヘッドシェルは、音質追究の結果から採用されたマグネシュウム合金製のMG10型で、すでに音の良いヘッドシェルとして高い評価を得ているものである。なお、高級モデルのAT15にかぎり、ヘッドシェルなしのタイプも用意されている。
 AT15Ea/Gは、とくに、セレクトされたプレステージモデルであるAT20型を除けば、事実上のオーディオテクニカのトップモデルであり、ニューGシリーズでは最高級製品である。
 カートリッジボディは、軽合金のダイキャスト製で、従来のAT15型の金色から銀色に変わった。また、スタイラスホルダー部分は、ボディカラーの変更にともなって、インディゴブルーとなり、ボディ前面のテクニカのマークの色も同様に変わった。また、新しくスタイラスホルダーのプロテクターの部分に、型番が記されるようになったため、ヘッドシェル装着時にも型番の識別が容易になった。
 振動系は、大幅に改良が加えられているようだ。カンチレバーは、超硬質軽合金と発表されているが、表面の色が、従来のいわゆるアルミ色から、ちょっと見には鉄に見える色に変わっているが、明らかに非磁性体である。テーパード型カンチレバーは、新開発のツイステッドワイアーで支持されるが、ダンパーの色も従来とは異なっている。また、マグネットは、これも従来の円柱状から角柱状に変わっている。
 AT14Ea/Gは、AT15Ea/Gに準じたモデルである。変わっている点は、カンチレバーを支えるワイアーが、金メッキをしたピアノ線となったことと、コイルのインピーダンスが高く、AT15Ea/Gよりも、25%高い出力電圧を得ていることである。ボディフレームは、軽合金ダイキャストと同等なシールド効果をもち、強度を高める硬質メッキ処理が施されている。スタイラスホルダーの色は、エメラルドグリーンで、ボディのシルバーと鮮やかにコントラストをつくっている。
 ニューGシリーズは、振動系が大幅に改良されているために、音質的には、従来のトーンを一段とリファインし、さらに、力強く、粒立ちがカッチリとしたクリアーさが加わっているのが目立つ。音場感的にも、前後方向の奥行きが明瞭に再現され、音像定位が安定で、明快になっていると思う。

テクニクス EPA-100

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 テクニクスの新しいユニバーサル型トーンアームは、可変ダイナミックダンピング方式という大変にユニークなメソッドを採用した、精密級の精度と仕上げをもつ高性能アームである。
 軸受構造は、ほぼ矩形の内輪と外輪を組み合わせたジンバル方式が採用され、高感度化を実現する目的で、摩擦係数が小さい、スーパーフィニッシュ・ルビーボールを5個使うベアリングを4個組み込み、共振制御式としては初動感度5mgという値を誇っている。
 パイプ部は、チタンで、アルミとくらべて質量を85%減少でき、内部損失が大きく共振が少ないメリットがある。さらに、この材料は特殊窒化法により硬化処理がおこなわれ、機械的強度を約1・6倍に高めて、軽実効質量トーンアームとしている。なお、ヘッドシェルは、粘弾性剤で防振し、無共振化したタイプで、オーバーバング調整のカーソル機構を備えている。
 本機の最大の特徴である制動可変型ダイナミックダンピング機構は、従来不可能であった使用カートリッジのコンプライアンスの変化による、トーンアームの低域共振周波数の変化に対応する制動を、任意にコントロールすることができる。これにより、各種の高性能カートリッジを、もっとも適した条件で使用することができる。つまり、ユニバーサルアームの本来の意味での発展型ということができる。実際のメカニズムは、後部のウェイトの内部に組み込まれた可動ウェイトをシリコンオイルダンプのスプリングと2個のマグネットという2組のダンピング機構で浮動保持し、アームの低域共振を制動するタイプで、共振制動周波数はセレクターにより選択可能である。なお、セレクター目盛は使用カートリッジのコンプライアンスにより決まることになる。

テクニクス SP-20

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 テクニクスの新しいフォノモーターは、同社のトップモデルであるSP10MK2を基本として、その高性能を維持しながらコストダウンをはかったコストパフォーマンスが高いモデルである。
 外観上からは、SP10MK2の本体と変わりはないが、色は黒い特殊な熱処理によるリンクル仕上げになった。
 ターンテーブルは、直径32cm、重量2・4kg、慣性質量320kg・㎠の重量級で、クォーツ・フェイズドロック方式の新開発全周積分型プッシュプルFGサーボモーターによってダイレクトにドライブされる。このモーターには、純電子式ブレーキが備わり、スタート時1/4開店で定速に達し、ロジックコントロールでワンタッチで滑らかに停止をする。負荷変動は1・5kg・cmの制動トルクに対して変化が生じないというから、針圧2gで150本のアームを同時に使っても速度変化がないことを意味しているといってよい。なお、別売のプレーヤーベースSH10B4があり、SP10MK2とSP20に使用可能である。

「私の考える世界の一流品」

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 一流品という表現は、各分野で幅広く使用され、高級品の表現とも混用されているため、改まって一流品とは、と考えてみると、何が一流品かの判断は大変に難しいものがある。
 ちなみに一流の意味を手許にある岩波版『国語事典』で調べてみると、その意味は㈰その世界で第一等の地位を占めているもの、㈪技芸などでの一つの流派、㈫独特の流儀、とあり、高級とは、等級や程度の高いこと、とある。意味上での幅は、高級にくらべ、一流のほうが広く、簡単に考えればその世界で第一等の地位を占めているもの、とする㈰の意味だけと考えやすいが、オーディオ製品に限らず、趣味、趣好の世界では、㈰に劣らず、㈪または㈫のもつ意味も、かなり重要なポイントであろう。
 オーディオ製品に焦点を絞って世界の一流品を考えてみれば、世界的に、各地で開発され商品化された製品が、いちはやく輸入され、場合によっては日本市場のほうが優先することもあるほど活況を示しており、ほぼ完全に、世界中のオーディオ製品が、現実に手にとって見ることができ、その音を聴ける現状では、アンプ、スピーカーシステム、テープデッキといった各ジャンル別での世界的な製品の動向が、何を一流品とするかにあたっては、最大のポイントとなり、各ジャンル別に一流品と判断する、いわば0dBのラインが異なってくるはずである。
 一流品の条件として、一般的な、デザイン、仕上げ、精度、性能、機能、などのベーシックなポイント以上に、まず各ジャンル別に、海外製品、国内製品の概略の動向や実情をチェックする必要があると思う。
 まず、入力系、つまりプログラムソースを受持つテープデッキ、チューナー、それにプレーヤーシステムから、それぞれのジャンルでの特長を考えたい。
 テープデッキでは、現在カセット、オープンリール、それに新登場のエルカセットの3種に限定してよく、カートリッジテープについては、もはやオーディオから除外してよいだろう。
 フィリップスで開発されたカセットテープは、予想以上にソフト、ハードの両面から急速に発展し、取扱いの容易なメリットは、多くのユーザーの支持を受け、現存のテープブームの基盤となるほどの位置を占め、末端では、オーディオ製品というよりは、むしろ、日用品化しているといってよい。海外製品と国内製品の力量の比較は、性能・機能面で圧倒的に、国内製品が強く、デザイン面で強い海外製品も、ことこのジャンルでは機種が少なく、性能面でも劣り、とても互格の競争力はない。また、ソフト側のテープでも、海外製品は、高性能化の立遅れがあり、市場は国内製品の独占状況にある。
 国内製品は、各メーカーともに高い水準にあるが、高価格、高性能なカセットデッキでは、オリジナリティの高いナカミチの製品が群を抜いた存在であり、海外でも非常に高い評価を得ている。やや特殊な、というよりはカセット本来のコンパクトで機動性があるポータブルタイプの製品では、西独ウーヘルの超小型機がユニークな存在で目立っている。
 エルカセットは、国内で開発された新しいタイプで、世界的な支持を受けるか否かは、今後にかかっており、世界の一流品となると時期尚早の感が深いタイプである。独得のオートマチック動作が可能で、テープトランスポート系の優位さをもつ面では、従来のテープとは、やや異なった方向の新しいプログラムソースとしての発展を期待したい。
 オープンリールテープは、4トラックタイプと2トラックタイプにわかれるが、2トラックタイプが、高級テープファンに愛用され、4トラックタイプは、やや低調というほかはない。しかし、このタイプが、本来のメリットを失った結果ではなく、カセットの需要増大による、需要の減少と、それを原因とする新製品開発が少なくなったことの相乗効果によるもので、魅力のある製品が出現すればオーディオのプログラムソースとしては、カセットとは比較にならぬ大きなメリットがあるタイプである。
 2トラックタイプは、38cmスピードが主流を占めるが、19cm速度が、ランニングコストを含めて、もう少し注目されてよいだろう。ローコスト機は、カセット高級機と同等の価格であり、両者の性能だけを比較すると、かなりの矛盾が感じられる。また、海外製品と国内製品を比較すればコンシュマーユースに限れば、海外製品は、カセットほどではないが製品数は少ない。しかし、外形寸法が小さく重量が軽い特長をもつモデルが多く、アクティブに音源を求めて移動する録音本来の目的に使う場合に大変な利点がある。とくにマルチ電源を使うポータブルタイプでは業務用のモデルを含めて国内製品に求められない機種に、いかにも一流品らしいものがある。国内製品は、大型重量級のいわゆる豪華型が高級モデルに多く、移動には自動車が必要というものばかりであり、そのなかにあって、ソニーのポータブル機は、やや重量はあるが、性能は同じタイプの海外製高級機に匹敵する、唯一の存在である。
 チューナー関係では、限られた超高級モデルを除いて、国内製品が、総合的に高い位置にある。趣味的にみれば、高価格な製品のなかに質、実ともに一流品ににふさわしいモデルが点在しており、かなり趣味性をいかして一流品が選べる分野である。
 プレーヤーシステムでは、システムとしてはまったく性能面で海外製品の出る幕はなくなってしまった。最近の高価格なシステムに採用されている水晶制御のDD型は、音の安定度がさらに一段と向上し、この面では大変に素晴らしい。しかし、デザイン面とオート化の点では、今後に期待すべきものが残る。
 カートリッジ関係では、MC型は国内製品、MM型やMI型などのハイインピーダンス型は、海外製品というのが概略の印象であるが、最近、MM型を中心とした国内製品の性能が急速に上昇して、こと物理特性では海外製品に差をつけている。今後いかに、音楽を聴くためのカートリッジとして完成度を高めるかに少しの問題があるようだ。MC型は、海外製品はオルトフォン、EMTの2社のみであり、製品の多い点では国内製品が圧倒的であり、また、発電方式のメカニズムのオリジナリティでも各社それぞれに優れたものがある。ちなみに国内製品のMC型は、世界的に定評が高く、コンシュマー用をはじめ、試聴用としても数多く使用されている。全般的にカートリッジは、小型、軽量で輸入経費が少なく、海外製品が価格的にも、国内製品と対等に競争できる、やや特殊なジャンルで、性能もさることながら音の姿、かたち、表現力が一流品としては望まれる点である。
 アンプ関係は、プリメインアンプが主流の座を占め、国内製品は、その製品数も非常に多く、モデルチェンジが大変に激しく、その内容も確実に向上している。しかし、パワーアップ化の傾向が著しいジャンルだけに、外形寸法的な制約があって、必然的にパワーには限界を生じるはずである。最近の傾向としてセパレート型アンプの価格が下降し、プリメインアンプの高級機とオーバーラップした価格帯にあるため、一流品の選択は難しく、デザインを含めて質、量ともに、セパレート型アンプに匹敵するものが要求される。海外製品は、例外的な存在だけで平均レベルは、国内製品が圧倒的である。
 総合アンプ、つまりレシーバーでは、コンポーネントシステムとは方向が異なった印象の製品が多く、数量的にも国内市場での需要は少なく、やや特殊な例を除いて一流品らしき製品がないのは大変に残念なことである。高度な内容をもつプリメインアンプとチューナーを一体化した、一流品らしいレシーバーの出現を期待したい。
 セパレート型アンプは、海外製品、国内製品ともに活況を呈している。本来は制約がない無差別級のアンプであるだけに、現在のモデルは、多様化し、一律に考えることは不可能である。オリジナリティが高い製品から選択すれば、大半は世界の一流品に応わしいモデルともいえよう。
 スピーカー関係は、高価格な製品では圧倒的に海外製品が強く、そのすべてが文字どおりの世界の一流品であり、一流品でなければ存在しえないことになる。国内製品は、このところ急速に内容が充実しはじめ、価格帯によっては、一流品らしさのあるモデルが出はじめている。使いこなしを要求されるジャンルであり、そのモデルがいかに多くの可能性を持っているかがオリジナリティを含めて一流品に必要な最大条件である。

デンオン PMA-701, PMA-501

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 デザインを変えてイメージチェンジをした2機種の新製品は、デザイン以上に大変にユニークな機能を備えていることが特長である。この機能は、カートリッジのクロストーク特性をアンプ側で電気的にコントロールするためのPCC(フォノ・クロストーク・キャンセラー)と名付けられたものである。
 一般にカートリッジのクロストークは、中域の条件が良い状態でも、−20dB〜−30dB程度で、アンプ側のフォノ入力からスピーカー端子までのクロストークにくらべて大幅に劣っていることは、よく知られていることである。カートリッジのクロストークの位相特性を調べると位相差が0°付近と180°付近にあることから、左チャンネルから右チャンネルへのクロストークを例にとると、第一に左チャンネルの信号を適当な値で取り出し、極性を反転して右チャンネルに加えれば打消しにより数dB以上の改善が期待できる。第二に、第一の方法により打消すことができないクロストーク分は、信号分との位相差が±90°の成分であり、このためには移相器が有効であろう。
 以上の予想を基本として実験の結果は、周波数によっては10dB以上の改善が見られたとのことで、実際のPCCは、L→R、R→Lの両方でキャンセラーを動作させる必要があり、各チャンネルを2個のツマミで調整することになる。なお、カートリッジのクロストークは、アームへの取付条件までを含めれば、1個毎に異なるために個別の調整が必要で、その目的のために、調整用レコードがアンプに付属している。
 回路構成上の特長は、フォノ入力回路は切替スイッチやシールド線を使用せずイコライザー段に直結とし、入力インピータンス特性を向上させ、併せてそれらによるSN比の低下を防いでいる。また、電源部はデンオンのプリメインアンプとしては、はじめてのパワーアンプのB級増幅部分での左右独立トランスの採用の電圧増幅段、プリアンプ部専用の電源トランスをもつ、3電源トランス方式が使われている。
 PMA701と501の違いは、出力が70W+70Wと50W+50W、機能的には後者には、ハイフィルターがない。
 PCCによ、カートリッジのクロストーク調整は、付属している17cm盤のテストトーンのバンドを使っておこなう。片チャンネルについて、2個のコントロールを交互に調整して、信号が最小になる位置を探せば、調整は完了する。この調整は、割合いに容易であり、PCCスイッチのON・OFFで、クロストークの改善度が確認できる。効果は、かなり大きくPCCのONで、ワーブルトーンの調整信号音は、大幅に減少することが判るはずだ。音質的な変化は、音が全体にスッキリとして、間接音成分的な、あいまいな感じがなくなり、音像の輪郭が、一段とクッキリとして浮かび上がるようになる。このような効果は、ベースとなるアンプのクォリティが充分に高くないと望めないことだけに、新しい2機種のプリメインアンプは、アンプとして、デンオンらしいクォリティの高さがあることを裏付けているわけだ。この結果から予想すれば、もし単体ユニットでPCCが発売されるとしたら、より高級機との組合せで効果がありそうだ。

ルボックス A700

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 同社のトップモデルとして作られたモデルで、業務用のスチューダーデッキなどに見られる、テープトランスポートにエレクトロニクスを多用する傾向を、このモデルも採用している。基本的な構想は、HS77MK4と同じであるが、キャプスタンモーターが水晶発振器の信号を基準とする速度制御方式となり、テープテンションにもサーボ方式が採用されている。トラック方式は、当然のことながら2トラック・2チャンネルで、最大使用リール10号、テープ速度は19cmと38cm、エレクトロニクス関係では、アンプ系がフォノイコライザーまでを内蔵した、いわばプリメインアンプといった構成であるのはHS77MK4と同様である。テープ走行系のコントロールは、大変にテープを使う側の立場を考えた、いわばテープファン好みの細かい配慮が見受けられるあたり、さすがに伝統のあるメーカーならではの素晴らしさである。このモデルは、業務用のスチューダーを思わせる、清澄で滑らかな音をもち、品位が大変に高く、この面ではHS77MK4と対照的である。

ルボックス HS77 MK4

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 テープデッキといえば、米アンペックス社とスイス・スチューダー社の製品が、テープデッキのファンにとっては東西を代表する名門ということができる。ルボックスは、スチューダーと兄弟関係にあるブランドで、古くは管球タイプのモデルG36や、ソリッドステート化されて以後、数度にわかたり改良の手が加えられたA77がよく知られている。
 HS77MK4は、A77MK4が4トラック・2チャンネル方式であるのに対し、2トラック・2チャンネル方式であり、テープ速度が19cmと38cmに変わったモデルである。このモデルは、型番からもわかるように、ソリッドステート化されて以来、基本型は変化せずマイナーチェンジが絶えずおこなわれて、つねに、いわゆる2トラック38cmデッキのスタンダードとして、時代に変わっても安定した性能と音質をもっていることは驚くべきことである。
 ヘッド構成は3ヘッド方式、それにACサーボ型のアウトロータータイプ・キャプスタンモーターに2個の6極アウトロータリー型リールモーターを組合せた、いわば標準型で、機能面でも国産デッキのような多彩さはなく、チューナーなどの入力をセレクトでき、パワーアンプを内蔵しているあたりは、テープレコーダーとして、このデッキ1台を中心としてコンポーネントシステムができる特長がある。
 この種のデッキとしては比較的に小型で軽量であり、運搬にもしいて車の使用がなくても運べるのは少なくとも国産デッキにない大きな魅力である。HS77MK4になって、従来のルボックスのサウンドとはやや変わっているように思われる。最近のヨーロッパのオーディオ製品の音がかなりアメリカ指向となっているように、このデッキもアンペックスを思わせるような、活気がある力強いダイナミックな傾向の音が感じられる。いわゆる2トラ38らしい爽快な音で、これが、さらにこのデッキの魅力をましていると思う。

ダイヤトーン DS-40C

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ダイヤトーンの新しいフロアー型システムは、既発売の3ウェイ構成のフロアー型DS50Cのシリーズ製品として開発された、2ウェイ構成のシステムである。
 エンクロージュアのプロポーションは、いわゆるトールボーイ型で、一般的なブックシェルフ型システムをタテ方向に伸ばしたようなタイプであり、床面積をあまり広く占有しないため設置上での制約が少ない利点がある。バッフルボード上のユニット配置は、変調歪みが少なく、椅子に座ったときに、音軸が耳の位置とほぼ同じ高さになるように位置ぎめされている。
 低音用の30cmウーファーは、バスレフ型エンクロージュア専用に設計してあり、クロスオーバー周波数付近の特性を良くするために、コーン紙はコルゲーション入りのいわゆるカーブドコーンを使っている。また、ボイスコイルにゴム製のダンプリングを付け、一種のメカニカルフィルターとして、ウーファーの高域特性をコントロールしている。エッジは、熱硬化性樹脂と念弾性樹脂を混合し、数回にわたりコーティングしたクロスエッジで、さらにその上から特殊なダンピング処理をしてある。
 磁気回路は、今回もっとも重点的に改良された部分である。一般の低歪磁気回路は、ポールピースに銅キャップをつける方法や硅素鉄板の積層材を使う方法があるが、ダイヤトーンで新しく開発した方法は、ポールピースに特殊な磁性合金でつくったリングをつける方法で、磁気回路での非直線歪みが、ボイスコイルにリアクションをして音の歪みとして再生されることを大幅に低減している。歪率の低下は、周波数によっては、1/10と発表されている。
 磁気回路のマグネットには、ダイヤトーンは、ウーファーに限りフェライトマグネットを使わないのがポリシーであったが、新しい低歪磁気回路の開発により、フェライトマグネットを採用しても低歪磁気回路の採用で、総合的な性能としては鋳造マグネットを上廻る、として、初めてフェライトマグネットが採用されているのも、新しいシステムの特長であろう。
 トゥイーターは、5cm口径のコーン型ユニットだが、センタードームが円錐形の独特な形状をしているためにセミ・ドーム型と呼ばれている。磁気回路は、クロスオーバー付近の特性を良くするために、磁束密度14000ガウスの強力磁気回路による磁気制動と、バックチャンバー容積を大きくして振動系を臨界制動で動作させている。なお、バックチャンバーは、楕円形でチャンバー内の残響をコントロールして、トランジェントの悪化を防いでいる。
 DS40Cは、バスレフ型の豊かな低音の味わいと、2ウェイらしいスッキリとした音がバランス下、ダイヤトーンらしい音である。低歪化のためか、クロスオーバー付近の硬さがなく、量的に不足しないのがメリットで、音像定位は明瞭で安定しているのは、ダイヤトーンの伝統である。

オンキョー Integra A-7, Integra A-5

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 新しいインテグラは、型番がシンプルな1桁に変わり、デザイン面でもまったく従来のイメージを一新している。
 このシリーズは、開発当初からアンプ動特性を重視し、音楽的な完成度の高さが追求されてきたが、今回一歩進んで、〝ローインピーダンス化4ポイント方式による強力電源回路と給配電ライン〟を中心とした設計により、音楽の感動、興奮といった物理上のハイファイ再生とは次元を異にした芸術領域の音楽成分を充分に再現できる、豊かな芸術性を秘めた新インテグラに発展しているとのことである。
 ローインピーダンス化4ポイント方式とは、①等価直列抵抗を特に小さくした大容量電解コンデンサー ②極太のローインピーダンスケーブル ③大型パワートランス ④徹底したブス(母線)アースラインの採用でアースを含めた給配電ラインと電源部との総合インピーダンスを可能な限り低く設計し、これにより、左右チャンネル間および同一チャンネル内における相互干渉を排除するとともに、強力なエネルギー供給体制をとり、とくに大振幅時の立上がり特性の改善とピークパワーの確保を計ろうとするものである。
 回路構成は、差動1段A級プッシュプルのイコライザー段、差動1段3石構成のオペレーショナルアンプ型のトーンコントロール段、ドライブ段にA級プッシュプル方式を採用したパワーアンプである。
 A7とA5の違いは、パワーが60W+60Wと45W+45W、イコライザー許容入力が230mVと170mVをはじめ、パネル面の機能では、A5でボリュウムコントロールのdB表示、セレクターでのAUX入力、トーンコントロールのターンオーバー切替、ハイカットフィルター、スピーカー切替スイッチのA+Bが、それぞれ省かれている。

サテン M-18BX

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 すでに定評がある超精密工作を基盤としてつくられる純粋なMC型で、ダンパーにゴム材を使用していない特長がある。M18BXは、ベリリウムカンチレバー採用のトップモデルで、いわゆるカートリッジらしい音をこえた異次元の世界の音を聴かせる製品だ。

ソニー XL-55

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 ソニーには、従来もMC型の製品があったが、 XL55は自社開発の最新モデルである。発電方式は、コイルの巻枠に磁性体を使わないタイプで、コイルには独得な8字型をしたものが、左右チャンネル分として組合されている。カンチレバーは、軽金属パイプと炭素繊維の複合型で軽量化され、CD−4方式にも対応できる。針圧は、やや重いタイプで、音の重心が低く、安定した力強い音が特長。性能は現代的ながら音質的に表面にそれが出ないのが良い。

「コンポーネントステレオにおける世界の一流品をさぐる」

菅野沖彦

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 本誌がオーディオ・コンポーネントの世界の一流品を特集するそうだ。これだけ多くのオーディオ製品が、世界各国で作られ売られている現状からすれば、それも意味のないことではないし、どんなものが結果として一流品の折り紙をつけられるかは、私自身にとっても大変興味深い。そういう当の私も、具体的な製品選びの一員として選出に加わったのである。これがなかなか難しいことであって、いざ商品の選択に直面してみると、そもそも、一流品とは何か? という問題の定義にぶちあたり苦慮させられるのであった。だいたい、一流という言葉自体が、いわめて曖昧であり、ものにランクをつける言葉でありながら、そこには複雑微妙な心情的ニュアンスが入りこんでくるという矛盾をもったものである。一流品としての定義を形成するために、いくつかの条件をあげると、必ず、その条件のすべてを満たさない一流品が現われたり、条件のすべてを満たしていながら一流品として認められないようなものが出てくるのである。もっとも、ここでは、一応道具としての機能をもつものに限定していってもよいと思われるので、比較的気楽なようだ。これが人や芸術作品に及ぶと、問題はもっと難しく大きくなってしまうのである。しかし本当は、一流という言葉は、人についていわれるべき言葉なのであって、ものの場合には一級品というべきなのではないかと思うのだ。一級という、文字通りのクラスづけが困難な曖昧さをもった対象、つまり、人とか作品とかに対して、情緒的な表現のニュアンスを含んだ言葉が一流という言葉なのかもしれない。また、流という言葉ほど、いろいろな意味に使われるものは少ない。これは、水の流れに始って、流儀、流派、主流、亜流、他流、日本流、外国流、上流、中流、名流……等々、一流も、この種の流の使われ方の一つではないだろうか。そして、これらの言葉の中から、一貫して感じられるニュアンスは、歴史と伝統そして家といった意味合いである。流が本来もっている水の流れの意味のごとく連綿として続いた線のニュアンスが濃厚なことはたしかである。だから言葉にうるさい人、言葉を大切にする人は、うかつに一流という言葉を使わない。そう呼ぶ必要がある場合には、まず一級といっておく。そして、そのもののバックグラウンドを調査して、真に一流と呼ぶに値することがわかったときだけ、それを一流と呼ぶのである。私も、この考え、この姿勢には賛成である。一流品と呼ばれるに足るものは、いかなるバッグラウンドから生れたかということが一つの重要な条件なのではないか。もののバックグラウンドとして第一に考えられるのは、それを作った人の存在であり、その人の存在は、人自体の能力、才能、感覚、思想、精神など、そして、その人の生れた環境、血統などが、当然問題とされるのだろう。つまるところ、そのものを生む文化なのである。一級品には文化の香りが必ずしも必要ではない。
 こう考えてくると、真に一流品と呼ぶに値するものは決して多くないし、一流品という言葉を素直に使えるジャンルやカテゴリーも限られてしまうのだ。特に、近頃のように、歴史や伝統の断絶の、こま切れ文化の世の中にあってはなおさらのことであるし、歴史の短い機械製品については、本来の一流品の意味をそのままあてはめて云々するには無理がある。現実には、一流が氾濫していて、星の数ほどの自称他称の一流会社や一流ブランドや一流製品が、洪水のごとく溢れているのを見ると、心寒い気持ちになるのは私のみではあるまい。一般的意味合いでの合理主義からは、一流品は生れないし真の一流品は、そうした人達にとって、おそらく価値は認められない。みずから、自らの考えや感じ方も問わずに、大きな世間の流れの中で無自覚に右へならえの生き方をして、なんの疑問も持たずに生きている。こうした現代の合理的人種? にとって一流品は存在の必要性がほとんどないのではないか。それだけに、現在の一流品は、その本質を評価されないままに、本質を離れたところで、一部金持ちの周辺我を満たす虚飾として使われ、誤示されているようにも思える。そして、それが、もっと淋しいことには、その現実の上澄みだけを利用して、一流品の名の下に、似つかわしくない製品を大量につくる。あるいは一流ブランドの上にあぐらをかいて、実質を欠いた利潤だけを目的にした品物を作るメーカーや業者が氾濫している現実である。先祖が化けて出るのではないか。さらに悪いことは、宣伝で大金をばらまき、虚名をつくり、自称一流の名乗りをあげて、一流まがいのものを、ものの価値のわからぬ小金持ちに売りつける連中だ。そして、もう、あきれて開いた口がふさがらないことは、一流ブランドとデザインの盗用と偽物作りの氾濫である。売るほうも買うほうも、このインチキ・ビジネスが成り立つということは、なにおかいわんやである。グッチ、ルイ・ビュトン、フェンディ、サザビー、ナザレノなどのバッグやエルメスのベルトなど、そっくりの偽物が問題となっている現実はいまさらいうまでもあるまい。こうした例はオーディオの機械にも、枚挙にいとまがないほどある。こういうことが平然とまかり通る社会構造と現代人のメンタリティやモラルの中で、真の一流品が、いかに生れにくいか、生き続けることが困難であるかは容易に想像がつく。
          ※
 ところで、一流品の条件として考えられることを私なりに挙げてみることにしよう。
 先に述べたように、いい製品は、一朝一夕には出来上らない。時間が必要である。そして、その費やされる時間を真に生かすためには、その目的への線が、常に一直線でなければいけない。目的が定まっていてさえ、そこへ到達する手段の発見には多大な苦労があるはずだ。まして、目的がふらふらしていたり、目的が明確でなかったりすれば、いくら時間をかけても、そこには一つの流れが生れないし、歴史も伝統も生きない。歴史とか伝統というと、数百年、短くとも一世紀という時間が想像されるだろうが、必ずしもそうではない。それがたとえ10年であっても、その姿勢と努力の集積は歴史を作り得る。伝統の礎ともなり得る。エレクトロニクスなどのような世界では、それ自体の歴史が浅いし、最新のテクノロジーが要求される分野の製品が多い現代においては、それを手段として行使してものを生みだす人間の精神に生きる文化性をメーカー自体の歴史と伝統におきかえて考えるべきであろう。昨日出来たメーカーでもよい。問題は、そのメーカーを支える人の中に、どれだけの技術と文化が集積され、強い精神に支えられているかではなかろうか。いまや、ただ創立年月の古さを誇りにして、内容がともなわない虚体こそ、真の合理主義によって糾弾されるべき時だからである。
 フィレンツェに生れたグチオ・グッチは一九〇六年に自分の店を持ち、高級馬具の製造と販売を始めた。金具には自分のイニシャルGGを相互にあしらった、かの有名なマークを使った。ちょうど70年前である。現在は三代目、ロベルト・グッチの時代である。GGマークは依然として象徴となっているが、ロベルトは、かつての馬具時代、その腹帯に使われた緑赤緑の帯を復活させデザインに生かした。世界最古の自動車メーカーとして、世界最高のメーカーの重みを決定づけているダイムラー・ベンツ社は、一九二六年に、ゴットリーブ・ダイムラーが一八九〇年に創設したダイムラー社とカール・ベンツが一八八三年に創設したベンツ社の合併によって生れた。この頃から自動車が、本格的な普及段階に入ったことを見ても、グチオ・グッチやエルメスなどの馬具商の衰退が理解できそうだ。第一次大戦後の不況もありエルメス同様グッチも、自らの技能を生かしてカバン、靴などの革製品に切り換えた。馬具以来、常にその製品は最高級のものだけであった。最高級製品をつくり、その製品にふさわしい売り方をする。これはすべての一流品の製造販売の鉄則であろう。一流品は、それを持つ人に実質的価値を与えるだけでは足りないのである。人の心の満足を得なければならない。そのものへの愛を把まなければならない。一流品は愛されるに値するすべてを持たなければいけないのである。グッチ・マークは、かつてはステイタスシンボルだった馬車に高級馬具の象徴として輝き、緑赤緑の腹帯とともに明確に識別されたことであろうし、今でも、その流行鞄を持っていれば、ホテルのベル・キャプテンやドアボーイの尊敬が得られるに足るはずなのである。だから、鞄負けのする人間は断じて持つべきではないのである。いまや、グッチより実質の優れた鞄は、どこかで売っているだろう。より丈夫で、より安く。自分が持ち心地のよい鞄を持てばよいのだ。しかし、グッチの鞄を悠然と持ち心地よく持てる人間になるべく努力することは決して悪いことでも下らないことでもないはずだ。努力もせずに、持っている人間をひがんでみるより、はるかによい。
 ところで、一方のダイムラー・ベンツ社を眺めてみることにしよう。ダイムラーは一八八五年に単気筒エンジンを開発し2輪車を走らせた。ベンツは一八八一年に2ストロークのガス・エンジンを完成させ、一八八六年には3輪車を走らせている。そして、一九一一年にはブリッツェン・ベンツで228km/hのスピード記録まで作っている。一九二六年にダイムラー・ベンツ社が出来て、その商品名をメルセデス・ベンツとしたダイムラー・ベンツ社は以後、最高の車づくりに専心して現在に至っているが、一九三〇年には、有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が技師長として名車SSKを完成しているという輝かしい歴史と伝統を持つ。しかも、現在にいたるまで、多くの困難に打ち勝ち企業として成長に成長を続け、あの数年前のオイル危機の年にも、世界中で売り上げを増進した自動車メーカーは、ここだけだったという注目すべき実績を持つ。コンツェルン全部で16万人にも及ぶ社員を擁し(多分、日産、トヨタより多い)世界的水準での高級車だけをつくり続け、着実に企業が成長していることは驚異であろう。マスプロ、マスセール、マーケッティングリサーチにより、大衆の好みを平均化し、合議制でデザインを決定し、魂の入らないアンバランスな高級車を作っているのとは大違いである。
 車の雑誌ではないので、あまり車の話に誌面をさくことははばかられるが、一流品とは何かという与えられたテーマへの回答として、読んでいただければ幸せである。
 現在の技師長、ルドルフ・ウーレンハウトは、車造りの姿勢について、商売上の思惑や原価計算にうるさい経理マンによって左右されることを断じて拒否し、圧力に屈して俗趣味に迎合し、大衆の好みに形を合わせることを絶対にしないといっている。圧力に屈することは不名誉であり、商業主義に陥って設計工学をはなれ、やってはならないこと、つまり不良自動車をつくることになるともいっているのである。また、これも考えさせられる多くの問題を含んでいる事実だと思うのだが、ダイムラー・ベンツ社は、工場要員として民族性の異なる外国人の導入(ヨーロッパでは至極当然のことになっている)を好まないそうだ。ドイツ人と同じ考えを持たない外国人労働者が100%同社の意志にそった製品造りに協力してくれないと考えているからだという。工場に働く人の10人の1人は検査員、絶対に妥協しないというドイツ人魂の一貫性こそが、あのクォリティを支えているとみてよいだろう。ドイツを旅行して、実に多くの外国人労働社がいる現実を知ると、ベンツが、いかに、この問題を大切に考えているかが納得させられるのである。名実ともに一流品と呼べる車の少なくなったこの頃、メルセデス・ベンツ、BMW,ポルシェという三車は、一流という文字と最も組合せの難しい大衆製品を見事にマッチさせたVWとともに、ドイツ民族資本を守り通した体質の中から生れ出る一流品といえるだろう。一流品の持つべきバックグラウンドの一コマの証明になるだろうか。
          ※
 日本人の私が、日本製品の中に一流品を見出そうとすると、何故か、もっと難しい。
 いまや世界的に日本製品の優秀性が認められ、その品質のよさで世界市場に雄飛しているというのに、これは一体どうしたことなのだろうか。私自身、決して素朴な舶来かぶれだとは思っていないのだが、心情的にどうしても難しいのである。同国人として、あまりに楽屋裏を知っているせいかもしれないし、日本人特有の、おかしな謙譲の美徳のなせる業かもしれぬ。もっとも、これが日本独特のものである場合は話は別だ。和服や和家具や、伝統的な工芸品においては、自分の知識と体験の範囲でなら、一流品として躊躇なく上げられるものがいくつかあるし、和食と洋食なら、和食のほうが、洋食より本物と偽物のちがいを区別することが容易のように思える。つまり、知り過ぎていることが、一流品を上げにくい理由だとは思えない。やはり、欧米にオリジナリティのあるものについては、明らかに一流品と呼べるレベルにおいては、日本製品にはその最も大切な根が、文化が、ないということではないだろうか。
 江戸小紋や友禅、紬など、和服の粋でしゃれた感覚の中から一流とそうではないものとを選びわけることは、何が何だかわからない洋服地より私にとってやさしいように思えるのである。洋服でわかることは布地の良さぐらい、あとは、好みの領域を出ないのである。自分で洋服を着ているのにおかしなことだ。しかも和服や日本の伝統的な美術品については、全く、なんの知識もないのだし、大きなことはいえないが、これが血というものかもしれない。ところが、欧米にオリジナリティのあるもので、自分が関心を強く持っているものに関しては、これが一流品なんだといわれ、それを信じ、それを所有して、よさを体験してきた結果、育った眼があることを感じるのである。関心のない欧米のものについては、知識に頼る以外に方法がない。このように、白紙で見て識別することと知識によるそれとの問題は、きわめて興味深いことなのだが、この問題を考えることはテーマからはずれるので、ここでは追及しないことにする。しかし、それより、ここで考えなければならないのは、知識による一流品の識別、つまり俗にいえば、一流品という折り紙への信頼感、ときには無定見な盲信と、その誤示という卑しき姿勢に人を走らせる要素を、一流品といういい方がいつもどこかに匂わせていることだろう。世の中には、その分野で、最高の価格のものを買って持っていないと気がすまないという人がいる。私がオーディオの相談を受けて、ある製品を推めると、それが最高の値段でなかった場合、安過ぎるといって拒否する恵まれた不孝者が結構いるのである。それなら、私などに相談する必要は全くないわけで、専門店に行って一番高いものを買い集め組み合わせればよいのである。また、商人は馬鹿げた金はとらないという信念を持った人もいるが、あながち、そうともいいきれないのではないか? 「高い値段をつければ売れますよ」と金持を冷笑している商人は結構多いのだ。世界中の商品全部に内容と反比例する値段をつけたらおもしろいことが起きるかもしれないのだ。冗談はさておいて、一流品という識別語がもっているニュアンスは、真実と虚偽の入り雑じった混沌が実態だといってよかろう。それだけに、一流品を持つ人の自己に対する責任は大きい。どんなに人が美辞麗句を並べ立て、それが一流品であることを強調しても、自分で納得できない限り、一流品は買うべきではないといってよかろう。まずは、あえて一流品とされないものの中から、自分で選ぶべきである。その結果、満たされない欲求を満たしてくれる実質をもった一流品に出逢ったときには、どんなに無理しても、それを手に入れるべきだ。一流品の値段の高さが生きるときである。この意味において私は一流品は値段が高くて然るべきだと思う。いいものをつくれば値段が高くなることも当然であると同時に、高い出費を強いられ、その困難を克服する努力、覚悟は情熱の証左であるからだ。痛くも痒くもない出費、あるいは、何の努力も要しない代価で、人は大きな満足や幸福を買うことは出来ないのである。所詮、ものは買える幸福でしかないと思っている人もいるだろう。私も、ほとんど、そう思っている。ほとんど、そう思っているというのはおかしい表現だが、ほとんど以外のところに私へのものに対する執着と愛情がある。それは、そのものが持っているものの実在以上の世界である。そのものの向こう側にある、ものを生みだした人間や、風土や、環境の文化までが、そのものを通して所有者の心に伝えられる世界がある。しかし、現実は、一流品という商業的呼称が出来てしまった以上、名と実は一致するとは限らない。名実ともに一流品は少ないのだ。名は多く実は少ないといい変えたほうがいいかもしれぬ。
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 工業製品である以上、マスプロは当然だ。世の中には、それが、マスプロというだけで、一流品でないといい切る人もいる。一面正しいが、多くの面で、それは間違っている。マスプロが一流品でないという理由は次のようなものらしい。同じものが沢山あるということは、希少価値がない。また、マスプロは生産コストが合理化されるから値段が安くなる。一流品は高価でなければならぬ。マスプロは作りが雑である。他にもあるかもしれないが、だいたいこうした理由で、マスプロ製品は一流品の資格を失う。しかし、ここで重要なことは、マスプロという言葉の使い方とそのシステムに対する単純性急な偏見であろう。マスプロといういい方はそもそも間違いで、正確には機械生産というべき場合が多い。いくら手造りは素晴らしいといっても、手造りでは絶対に出来ない高く精巧な仕上げを工作機械はしてくれる。一般に、機械生産とマスプロを混同しているふしが多いのには困らされるのである。品質の安定性も機械生産のほうが高い。問題はやはり、そうした作られ方だけで判断できるものではなく、いかなる英知と精神が、その手段として、手造りと機械生産とを充分活用しているかであって、製造者の理念と、それを表現する能力の問題なのである。
 しかしながら、私の好きなパイプだけは、たしかに、手造りは機械生産とは根本的にちがう味を持っている。パイプだけではないだろう。人間の使うものの中には絶対に手造りの味を必要とする種類の製品があるものだ。もちろん、ハンドメイド・パイプもアマチュアならいざ知らず、プロのものは全面的に手造りではない。なにも、大きなコロ、あるいはエボーションの段階から、手でけずっていく必要はない。しかし、最終のフィニッシュは絶対に手である。そうあらねばならぬと私は思う。それも無心で自然な制作者の手でなければならぬ。意識と強制の手では駄目なのだ。つまり、量産工場の労働者の手では駄目だ。デンマークのパイプの父ともいわれるシクスティーン・イヴァルソンの手造りと、同じ、彼のデザインになるスタンウェル社の機械製品を比べれば歴然である。前者は心と血の通った生物であり、後者は、同じように見えても、形骸である。その差は人によっては皆無に思えるだろうし、紙一重の僅差かもしれぬ。しかし、その差を感じる人には実に決定的な大差である。パイプのような素朴な手工芸品だから、こういえるのだろう。これが、オーディオ製品のような機械の場合には、問題は別だといわれるかもしれない。私もある程度そう思う。しかし、どんなに複雑な機械であり、自動化されたシステムによって量産されるものであっても、初めから機械が作り出すのではない。オリジナルは人間が作り、そのレプリカが商品となるのである。いい加減なオリジナルが、より優れたレプリカになるわけはないが(細部の加工精度は別として)、素晴らしいオリジナルを作る精神と能力で、いかに機械生産システムを利用し、どこを機械でやり、どこを人がやらねばならぬかを知っていれば、オーディオ機器のようなものにも、心と血の通った対話が可能な機械が生れる可能性はあるはずだ。事実、数は少ないが、そうした機械があるからこそ、この特集が成り立つわけだろう。ただ、先述したグッチやエルメス、ベンツやポルシェ、あるいはイヴァルソンやアンネ・ユリエのパイプなどのように、名実ともに一流品と呼ぶにふさわしいものと同じ、質的水準と、心情で、一流品を呼ぶことは、オーディオ機器の場合は難しいと思う。事実私も難しさを感じた。世界のオーディオ機器メーカーの現実の中で、オーディオ機器なりの一流品としての基準に修整を加える必要はあった。
 一流品とは、自称するものではなく、時間に耐え、厳しい批判をしのぎ、人に選ばれ、賞賛されるものだから、それを作り出す人々は不屈の精神の持主であると同時に、それを天職と感じ、大きな情熱と愛を持っている人や人達でなければならないだろう。こうした人間の精神性が、資本主義の巨大なコマーシャリズムの中で、どう活路を見出していくかは決して容易なことには思えない。しかし、それを育てるのも、つぶすのも、結局、その価値を見出すお客の存在如何にかかっていることは間違いない。いまや、一時代前のようにステイタスシンボルという存在が、素直に考えられるはずもない社会構造の中で、そうした背景と密接な連りを持って育ってきた一流品と、そして、一流品という言葉の意味が再確認されねばならないときであろう。市井では一流品ばやりで、特に日本では、国民全般の経済的余裕にともなって世界中の一流品が大量に輸入され、気軽に庶民の心の満足の一役を担っているように見える。これが、いいことか悪いことかは別にして、大きく変ったことだけは間違いない。OLが月払いでハワイ旅行をし、ホノルル市外で拾うタクシーのボンネットにはキャディラックの月桂樹のエンブレムがついているという時代なのだ。かつて、階級制度とはいえなくとも、大金持や有名スターのステイタスシンボルであったキャディラックだが、ホノルルのタクシーに使われているド・ヴィルやカレーは、オールズモビルの上級車よりも安いモデルである。これは何を意味するか。GMも背に腹はかえられぬのたとえ通り、キャディラックといえども、庶民相手に大量生産をしなければならなくなったのだし、同時に、庶民の中には、かつての栄光のシンボルであるキャディラックへの憧れを消すことが出来ない人達がたくさんいることを物語っているのだろう。そこをくすぐって、安いキャディラックを作り、売るのだ。日本では、つい先頃まで、ドイツの国民車VWが外車というステイタスシンボルになっていたぐらいだし、今でも、その名残りはある。VWビートルは本当にいい車だから文句はいわないが、国産以下の内容で、値段だけ高い外車に憧れて乗るという無知と非見識さは、そろそろ慎むべきときが来ているのだ。運転が示すあなたのお人柄という標語が流行っているぐらいだから、乗る車も注意したほうがよさそうである。オーディオも同じこと、いまや、ブランド名や、外国製というだけでは、ものの実態はわからない。
 こういう時代だから、一流品という言葉の持つ時代感覚のずれに大いに気づくところなのだが、反体制派で然るべきヤング達の間で一流品ブームだというのだから不思議なものだ。本当に、それが選ばれているのか。自信がないから銘柄に頼るのか。人が持っているから一つ自分も……式なのか。
 こういう時代になると、一流品は名実ともに優れたもの、名門だが、内容は必ずしもというものは名流品とか、単に銘柄品、名やバックグラウンドはなくても内容の優れたものは一級品というように、呼称に区別をしないと誤解をまねく。
 先にも書いたように、日本には機械文明のオリジナリティはない。しかし、いまや決して短いとはいえない、時の積み重ねを持ってきた。にもかかわらず、この分野で、名実ともに一流品と呼び得るものが少ないのは残念なことだ。私流に定義をすれば、文明と文化の二本の柱をこの背景に持つことが一流品の条件だ。文明と文化と簡単にいうけれど、それぞれの意味も、その違いも充分な論議の対象であろう。しかし、ごく一般的な意味で、物質的な文明、精神的な文化という側面だけでみてもよい。明治維新と第二時大戦後の二度にわたって、惜しげもなく自身の文化を捨てすぎた観のある、あきらめのいい日本人。しかし、その代償に値するだけの機械文明の吸収を成し遂げ、いまや、それを凌ぐほどの成果をあげている優秀な日本人が、自問自答して姿勢を定め、こまぎれ文化を独自の文化に育てあげるとき、真に一流品と呼べるものが増えるだろう。

フィデリティ・リサーチ FR-1MK3

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 巻枠に磁芯を使わない純粋のMC型カートリッジとして登場したFR1、それを改良したFR1MK2を経て、さらに一段と発展したFRのトップモデルがFR1MK3だ。
 発言方式は、かつての米フェアチャイルドやグラドの発展型ともいうべき、FRの独自のタイプである。柔らかく、粒立ちの細やかな音である。やや大人っぽい完成度の高さが魅力であるが、性質がニュートラルで、音の輪郭を正確に画き、素直に反応するスムーズさはこのカートリッジならではのものがある。

デンオン DL-103S

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
特集・「コンポーネントステレオ──世界の一流品」より

 スピーカーシステムやアンプ関係では、海外製品と国内製品は価格的に格差があり、市場で対等に戦うことはないが、ことカートリッジについては、価格、性能ともにあまり差はなく、他の分野にくらべて海外製品がかなりの占有率をもっている、やや特殊なジャンルである。しかし、発電方式をMC型に限定すれば、海外製品は欧州系のオルトフォンとEMTのみで、現在はこの2社以外にMC型を生産しているメーカーはない。これに対して国内製品は、圧倒的に銘柄が多く、その機種が多く、世界でもっとも多くMC型を生産している。国内製品のMC型は、すでにかなり以前から海外の高級ファンの一部に愛用されている。
 デンオンのMC型は、十字型の独得な磁性体の巻枠を採用した、やや高いインピーダンスをもつタイプだ。発電方式そのものが明解であり、二重カンチレバーによる軽量化を最初から採用している。第一作のDL103は、NHKをはじめ放送業務用に採用され、製品が安定し、信頼度の高さでは群を抜いた、いわば標準カートリッジといえるモデルだ。
 DL103Sは、103を改良し超広帯域化した製品で、最近の質的に向上したディスク再生では、聴感上のSN比が優れた、いかにも近代的カートリッジらしいスッキリと洗練された音を聴くことができる。製品間の違いが少ないため、信頼度が高い新しい世代のカートリッジを代表する文字通りの一流品だ。