Monthly Archives: 6月 1976

パイオニア C-21, M-22

岩崎千明

ジャズランド 7月号(1976年6月発行)

 高級パワーアンフが海外製、国産合わせて40機種あまりも市場にあって、互いにその高性能ぶりを競いあっている。そのメーカーにとって最高の位置に存在すべきより抜きの製品の中で、製品としてもっとも成功したのが、パイオニアの特級ブランド「エクスクルーシヴ」の名を冠したM4であることは、よく知られる。
 Aクラス・アンプM4は、海外製のもっとも優れた製品と比較しても、なおそれをしのぐ。アンプをM4に換えれば、音質の差として、聴くものにはっきりと違いを感じとることができるは無論だが、それが品の良いスッキリした響きとして誰でもが質的な向上を知らされるはずだ。
 ただM4はあまりにも高価だ。35万という価格は一般的オーディオ・ファンにとって決して容易ではない。50/50ワットの規格出力のことになると、単位出力当り、世界でもっとも高価なアンプといってよいが、最高を望むにはこれくらいの出費を覚悟しなければならないのだろうか。M4を作った当事者たるパイオニアがそのひとつの解答を与えてくれた。
 Aクラス・アンプM22がその答えだ。価格12万、出力30/30ワットで、M4と変わらぬ高品質のサウンドを与えられたアンプだ。M4の3分の1の価格で6割の出力となると、ざっと計算して、このM22はM4に較べて2倍の価値を持つことになる。
 M4を欲しくても持ってなかったファンがM22に期待し注目するのも当然だといえよう。
 M4が大型のアンプ・ケースに収められたごく標準的な箱型であるのに対し、このM22は昔ながらの、パワーアンプ然として、平なシャーシーの上に中央にトランスを、左右に大きな放熱器を配した、マニアの自作するアンプのようだが、全体はかなり大型でありながら、ごく薄く、いかにも現代的な製品だ。鋳物で造られた軽金属のヒートシンカーはシャーシー上の2分の1を占めて、M22の外観の大きな特徴をなしている。
 Aクラス・アンプとしての動作が、あらゆる意味でM4の特長であるのと同様に、M22においても「Aクラス・アンプである」ということがそのすべてだ。
 Aクラス動作の大きな特徴は、極めて大きな電流をパワー・トランジスタに流すということによってもたらされる高熱発生を前提とすることである。M4の場合は低速回転の放熱ファンによってこれに対処したが、コストを抑えたM22では先程述べた大型の放熱器がこれを受けもつ。つまりM22の特長のすべては外観同様、この放熱器に象徴されるともいえそうだ。
 Aクラス・アンプがオーディオ再生になぜこれほどの優秀性を発揮するかの解析は難しく、現代の技術をもってしても詳かではない。しかし、Aクラス・アンプで優れた設計をなされたアンプは、間違いなくベストな再生を約束するはずだ。
 もし本当にクォリティ本位の選択をするなを、M4あるいはその弟分たるM22を選ぶのに何のためらいもあるはずがない。

 M22とペアになるべきプリアンプがC21だ。プリアンプといっても、それは従来の常識的なプリアンプではなくて、その一部のフォノ・イコライザー回路を独立させ、それに音量調節用ボリューム回路を加えたものだ。だから回路的にトーンコントロールもなく極めてシンプルであり、従ってそれを収めるべきスペースも大きくとる必要はないし、そのフロント・パネルはつまみが極端に少いので小さい面積で済む。
 そうしたC21の基本的特長をズバリ、全体のプロポーションで表明せんとするかの如く、C21はごく薄い形にまとめられている。この特長的な薄型は、だから商品アピールというよりも、本質的な内容を象徴するわけなのだ。
 なぜ、こうした単純化を極度に推進したかというと、「入力信号の純粋性を大切にする」ためだ。今日のように高級アンプはすべての面で充実させようという「万能志向」が、実はその本質を見落してしまう根拠になっていたが、この事実はもう早くから気付いていて、この三年来、高級プリアンプにおいて単純化を求める模索が続けられ、例えば海外製の一部、マークレビンソンのプリアンプなどに成果がみられた。
 パイオニアC21もこうした点を追求して得られたひとつの結果なのである。海外製の価格の上では10倍近い製品と較べても、SNの点ではるかに勝るというべき驚くべきフリアンプがこのC21だ。
 C21はプリアンプの常識的機能をすべて取り去ったマイナスを考慮したとしても、より大きい成果をも生みだした。それは極限まで高められたSN、驚異的低歪率、信号回路の単純化による波形的損失の徹底的な追放等々である。しかし、こうしたデータの上に認められる向上だけを認識するのでは、C21の真の素晴しさを知るには物足りない。
 やはり、C21の良さはそれを優れたパーツで構成されたオーディオ・システムの中に置いて、音楽を演奏したときにはじめてはっきりと体験することができよう。
 それ以外の方法は目下ないのである。

ヤマハ NS-500

岩崎千明

オーディオ専科 7月号(1976年6月発行)

 ベリリウム・ツィータおよびスコーカを採用し、モニタースピーカとして好評を博しているNS1000Mの弟分として発売されたのが、NS500である。NS500は25ccmウーハー、3cm口径のペリリウム・ダイヤフラムを用いたドームツィータを配した2ウェイブックシェルフ型であり、NS1000Mをひとまわり小振りにした外観は、ツヤ消し仕上げの、非常にメカニカルな雰囲気とプロフェッショナル・ユースにも合うような大変たのもしい風格を待つ。
 ヤマハの特徴であるベリリウム・ツィータは、今回のNS500においては、口径が23mmと小型で、、そのハイエンドの周波数特性は20KHzを超える程の高い音域にいたるまで、最も理想的なピストン運動動作をたもつことが出来る。しかもこのベリリウム・ツィータの最も驚ろくべき特徴は、1800Hzという非常に低いクロスオーバー周波数でありながら、なおかつ、音楽プログラムにおいて60Wという高い耐入力を持っている点であろう。一般には小口径のツィータにおいてはボイスコイルの質量がかなり制限されるためその線材としてきわめて細い線を用いることか
ら、余り大きな耐入力を得ることでは不利なわけであるが、このベリリウム・ドームツィータでは常識をはるかに超える耐入力を得ている点に注目したい。
 25cmウーハーは当然のことながら2000Hzまでをカバーするべく今までのウーハ一に比べて、低音用の中域における特性を重視した設計がなされており、具体的にほ、コーン紙を自社で独自に開発したものを使用しており、質量が軽いうえに、高い剛性を持っているので、中音域での理想的動作を持ち得る大きな要素となっている。又、このブックシェルフの大きな特徴である重低音の再生は、このすぐれたウーハ一によるところが大きいが、NS1000Mの密閉型とは違って、NS500においてはローエンドを確保すべくバスレフ方式を採用している点を見逃すことが出来ない。このバスレフ方式によって低音域におけるローエンドがスピーカのf0よりさらに拡大されることによって、非常に広い再生帯域を低い方に確保している。これはベリリウム・ツィータによるハイエンドの確保とのバランスを考えると適切な処置といえよう。さらにこのバスレフ方式採用によって、低音用ユニットからの音響幅射が極めてスムーズなため中音での音のクリアな感じがほうふつと感じられる。さらにこのウーハ一には、55mmφ×35mmhの大型アルニコマグネットを用いて、ロスの少ない高能率な内磁型のマグネットサーキットを持ち、こうした強力なマグネットを充分に生かしたショートボイスコイル方式を採用しているため、極めて高能率かつ歪の少ない再生が可能となっている。しかもボイスコイルには200度以上の高温に耐えうる素材を採用するなど耐入力特性に秀れている。こうしたいくつかのユニットの特徴に加え、ネットワークも空芯コイルを用いた極めて豪華な金のかかったネットワークとされ、ロスの少ないことによる高能率化、また音質の劣化も充分に考慮されたものとなっている。
 さらにNS500における大きな特徴は重量級のキャビネットである。松材のパルプを用いたパーチクルボードを用いた極めて重量の重い一体構造となっているわけで、こうしたブックシェルフスピーカのなかでも20kgに近いという極めて重い重量級となっている。しかも、ブラック&シルバーの外観は、ウーハーのアルミフレームおよび支持金具が形づくるレイアウトによって、非常にめだつデザインとなっている。これはこのNS500の価格帯には他社の優秀製品がライバル製品としてひしめき合っているだけに、店頭効果を充分考慮したユニークなデザインといえよう。
 さて、NS500はNS100Mに較べて、外観上もひとまわり少さく、しかも2ウェイ構成であるにもかかわらず、その中音域での音の極めて積極的な響き方は驚ろく程で、特に歌あるいは楽器の演奏等に対して非常に力強い迫力を秘めている。このローエンドからハイエンドに至る極めてフラットな感じの一様なレスポンスを感じさせる音は、現代の最も進んだハイファイ用スピーカのひとつの典型ともいえよう。
 とくに最近増えている若い音楽ファンなどにはNS500はまさにうってつけのヤマハの高級スピーカといえよう。

デンオン DA-307

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 デンオンの新製品は、ダイナミック・ダンピング方式を採用した、スリムなユニバーサル型トーンアームである。
 ダイナミック・ダンピング方式は、簡単にいえば、トーンアームの軸受を中心として、従来は、後のバランス用ウェイトとその軸であるアームの後部をゴムなどのクッションを介してフレキシブルに結合したのと逆に、ヘッドシェルを拭くんだ、アームの前の部分を、回転軸受に近い部分で、フレキシブル結合した方式と考えてよい。
 この方式の採用により、カートリッジの針先コンプライアンスとトーンアーム自体の等価質量で決まる低域共振を効果的にダンプすることができ、レコードの音溝にたいする追従能力が一段と向上している。したがって、オイルダンピング型アームのような追従性不良による低域の混変調歪や一点支持のための使いにくさ、オイル漏れがないというメリットがあり、さらに、プレーヤーキャビネットなどから伝わりやすい振動からカートリッジを保護でき、ハウリングにも強いために、使用するカートリッジの性能を充分に引出し、大音量再生が可能になったとのことである。
 軸受部は、ピボットベアリングとミニアチュアベアリングを採用した高精度、高感度設計で、感度は、水平、垂直ともに0・025g以下である。
 バランス用ウェイトは、太い筒型の後部アームの内部を移動するタイプで、針圧目盛は0・1gステップ、1回転が2・5gになっており、適合カートリッジ自重範囲は、5〜10gである。
 付属するヘッドシェル、PCL−5は、自重約6gのマグネシュウム合金ダイキャスト製で、DL−103を付け、針圧2・5gのときの、アームの等価質量は、20gと発表されている。
 付属機構は、オイルダンプタイプのアームリフターと、マグネチックコントロール方式のインサイドフォースキャンセラーがある。このインサイドフォースキャンセラーは、無接触方式であり、かつ、レコード位置によるインサイドフォースの変化にも対応することができる。また、アームのバランス調整時などでは、インサイドフォースのキャンセル量をコントロールするツマミを引出せば、完全にフリーの状態とすることができる。このタイプは、無接触型のため、クリティカルなカートリッジを使用中にでも、インサイドフォースのキャンセル量を演奏中に細かく調整できるメリットがある。
 このトーンアームは、パールトーンに仕上げてあるが、この仕上げが、従来のデンオンのアームにくらべても、格段に優れており、大変に素晴らしいできである。実用上では、各部の動きは滑らかであるが、独得なメカニズムをもっているために、シェルを交換したときや、アームのバランス調整をするときなどでは、何とはなく、グニャグニャして最初は少し使い難いようだ。

ビクター JL-B37R

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ビクターのプレーヤーシステムは、つねに定評があるモデルを市場に送り込んでいる点に特長がある。今回の新プレーヤーシステムは、基本的には、クォーツロックを外した、TT−81型相当のフォノモーターを中心にして構成された、高性能なモデルである。
 ターンテーブルは、厚みがある、直径32・8cm、重量2・15kgの重量型で、1kg・cm以上の大きなトルクをもつ、12極・24スロットのFGサーボ付ブラシレスDC型サーボモーターで、ダイレクトにドライブされる。
 トーンアームは、高級トーンアーム、UA−7045の構造を受継いだ実効長245mmニュージンバルサポートのS字型で純アルミを溶湯して高圧で鋳造成形した特殊なヘッドシェルと、チャッキングロック方式のネックシリンダーを備えている。なお、付属カートリッジは、X−1の設計を受継いだZ−1Sで0・5ミル針付である。
 このJL−B37Rは、各単体部品に、ビクターの高級モデルがもつ基本性能を落とさずに簡略化して使用してあるために、価格からは、想像できないシステムとしてのパフォーマンスが高いメリットがある。プレーヤーベースは充分に強度があり、ターンテーブルは外乱に対して機敏にサーボを効かせている。ストロボは煩雑を避けるために331/3回転だけがターンテーブル外周に刻まれているが不都合はあまりない。

ビクター TT-81

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 コンポーネントシステムのなかでは、音の入口にあるプレーヤーシステムの優劣が音を決定する大きな要素であり、各機種間の音の差は、予想外に大きいのが現実である。ダイレクトドライブ型ふぉのーモーターの第3世代ともいうべき、クォーツロック方式のダイレクトドライブ型フォノモーターは、価格的に高価であるが、この、TT−81は、上級モデルのTT−101の多くの特長を受継いだ新製品である。
 TT−81の主な特長は、クォーツロックを外さないで速度微調整ができる1Hzステップのピッチコントロール、速度変化に敏感に反応するプラス・マイナスサーボシステム、見やすい大型のクォーツ電源で照明する反射式ストロボスコープ、電気ブレーキを使うクイックストップなどがある。
 本機の基準となる水晶発振子は、9504kHzで、これを分周して100Hzの基本信号を得ている。これと180個の検出をもつFGが発生する100Hzの信号を位相比較して、その差を位相制御回路に送りモーター駆動回路をドライブしている。
 ピッチコントロールは、440Hzにたいして、1Hzステップで、±6Hzコントロールできるタイプであり、±サーボシステムは、速度が速い場合にも、遅い場合にもサーボは動作するため、45回転から331/3回転の切替が瞬時に移行し、クイックストップは、駆動回路に逆電流を流して、電気ブレーキとする方式である。

ヤマハ CT-V1

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 CA−V1のペアチューナーとして開発されたモデルだが、内容的にはCT−7000で使った選択度と歪率を両立させる微分利得直視法導入のIF段等X1同様の高SN比、低歪率のNFB型PLL・MPX回路を採用し、機能面では、333Hz録音レベル較正発振器内蔵。操作面では、滑らかで精密な機構を備えている。

ヤマハ CA-V1

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 多角的なサウンドへの展開の第1弾となった、X1シリーズに続く、第2弾製品がブラックフェイスのメカニカルなデザインをもつ、新しいV1シリーズである。
 フロントパネルは、やや、薄型となり、両側に取手が付いて、引締ったシャープな表情になっている。2個のレベルメーターは対数圧縮型で50Wまで直読でき、芯ファンクションとして、レコードを聴きながらFMエアチェックができるREC・OUTセレクターがあり、このスイッチにはデッキを使用しないときに信号系から切離すREC・OUT・OFF位置がある。
 回路構成上は、過渡応答を重視したディスクリート2段直結イコライザーは、低歪高SN比設計であり、トーン回路は、ディスクリート構成のアンプを使う、高SN比なヤマハ方式CR・NF混合型トーンコントロールで中央のウネリが少なく、パワーアンプは、カレントミラー回路を使った初段差動1段の全段直結ピュアコンプリメンタリーOCLタイプである。

ビクター JT-V45

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このチューナーは、一連のプリメインアンプと任意にペアが組めるように、性能と機能を重視してAMを除き、FM専用機として開発された特長がある。RF1段増幅バッファー付局発回路と7連バリコン使用のフロントエンド、PLL、MPX部などを採用し、機能面では、333Hz基準レベルとピンクノイズ発振器の内蔵、正確な同調点を保持するチューニングホールド回路、左右チャンネル独立型出力レベル調整があり、操作性がよい同調機構を備えている。

ビクター JA-S41

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ビクターの新製品は、JA−S51とS31の中間に位置する65W+65Wのパワーをもつプリメインアンプである。
 機能面では、JA−S51に準じた、5段切替モードスイッチ、前面録音端子をもつが、入力切替がフォノ1系統でカートリッジ負荷抵抗切替がなく、テープが2系統になった他、高音フィルターが低音フィルターに替わり、実用性が増している。
 回路構成上では、初段FETで入力コンデンサーを除いたICL型イコライザー、4連ボリュウム採用のプリアンプ部、ドライバー段以後と以前を分離した独立電源をもつパワーアンプを備えている。
 このアンプは、一連のビクタープリメインアンプのなかでは、もっともストレートで明快な音をもっている。とくに、低域の腰が強く、リズミックで活気があるのがメリットである。

Lo-D HA-630

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 この新製品も、セパレート型パワーアンプ、HMA−8300に採用されたと同様な、ダイナハーモニーと名付けられた、E級動作のパワーアンプ部をもったプリメインアンプである。
 回路構成では、イコライザー段に、差動1段の初段をもつ3段直結型が採用され、2・3mVの入力感度にたいして1kHzの最大許容入力は、230mVである。トーンコントロール段は、高利得、高安定度のIC、HA−1456を使ったNF型である。パワーアンプは、差動2段をもった、4電源方式の全段直結高能率ピュアコンプリメンタリーOCLで、20Hzから20kHzにわたり、8Ω負荷で60W+60Wの実効出力があり、1kHzでは8Ω負荷で85W+85Wのパワーが得られる。
 ボリュウムコントロールは、32接点のディテントボリュウムと、−15dB、−30dBに切替わるゲインセレクタースイッチの組み合わせであり、12dBのローカットフィルター、6dB型のハイかっとフィルター、それに、高音と低音を補正するラウドネスコントロールを備えている。
 HA−630は、低歪率設計をシンボライズしたような、柔らかで、歪感がない音をもっている。音のキャラクターが少ないだけに、ダイナミックパワー320Wというパワー感は、聴感上ではさして感じられない。このアンプの際立った特長は、クロストークが抜群に少ないことである。

サンスイ AU-3500, AU-1500

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 サンスイから普及型のプリメインアンプが2モデル発売された。2機種ともに、共通のフラットフェイスのパネルをもち、ブラック仕上げになっている。
 AU−3500は、35W+35Wのパワーをもつモデルである。フロントパネルの機能は、プッシュボタンによるフォノ、チューナー、AUX3系統の入力切替、テープモニター、それに、モード切替があり、レバースイッチによるミューティング、ラウドネス、高音と低音フィルターをもつほかにマイクミキシング回路を備えていることが、このクラスのアンプに応わしいところである。
 回路構成上のイコライザー段は、最大許容入力が2・5mV感度で230mV(1kHz)あり、RIAA偏差は±0・5dB以内に調整してある。トーンコントロール段は、2段直結アンプによるCR型であるのが珍しい点だ。ボリュウム及びトーンコントロールは、クリックステップ型ボリュウムを採用している。パワーアンプは、初段にデュアルトランジスターを採用した全段直結型ピュアコンプリメンタリーOCL方式で、電子回路とリレーを使ったスピーカー及びパワートランジスターの保護回路が備わっている。なお、プリアンプの電源も、±2電源タイプでスイッチ切替時のクリックノイズを抑えている。
 AU−1500は、パワーが22W+22Wとなり、機能が2つ少ない。

トリオ KT-7700

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 チューナーの新製品では、性能重視型のFM専用機が増加しているが、このKT−7700も、同様なポリシーで開発されたニューモデルである。
 ダイアルスケールは、読取り精度が高いミラー付ロングスケールで、シグナルとチューニングメーターとマルチパス兼放送局の変調度を指示するデビューションメーターがビルトインしてある。フロントエンドは、局部発振回路組込みの7連バリコンを使ったRF2段タイプで、選択度2段切替型のIF部は、12素子セラミック型と8ポールLC集中型フィルター採用である。MPX部はFETによる復調スイッチング回路を使う低歪率設計であり、オーディオ部は、差動直結±2電源オペレーショナルアンプを使い、ローパスフィルターには7素子ノルトン型を採用するなど、高性能なFM専用チューナーに応わしい新技術が各ブロックに導入されている。

トリオ KA-9300

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 プリメインアンプのパワーアップは、普及機クラスから、徐々に中級機に波及してきたが、量と質のバランスを要求される高級機ともなると、単なる量的なパワーアップだけでは、シビアなユーザーの要求に答えることは不可能である。
 KA−9300は、一連のプリメインアンプのハイパワー化に加えて性能、音質ともにグレイドアップした高級モデルに相応しいプリメインアンプである。
 回路構成上は、初段FET差動4段直結型ICLイコライザー段、初段FET差動3段直結アンプを使った、高音と低音が分離したターンオーバー切替付NFBトーンコントロールなどをもつプリアンプ部は、43ステップの4連ディテント型ボリュウム採用で聴感上のSN比がよく、左右チャンネル独立電源をもつパワーアンプ部は、FET差動を初段とする差動3段パラレルプッシュプルのICL、OCL、DCアンプで、120W+120Wのパワーがあり、スピーカー端子には切替スイッチをとおらず直接アンプとスピーカーが接続可能なDIRECT端子がある。
 このアンプは、パワーが充分にあるために、低域に安定感があり、クリアーでストレートな音のメリットがよく出ている。聴感上では、さしてワイドレンジを感じさせないバランスをもつが、誇張感がなく、ストレートで素直な音をもっている。このタイプの音は、えてして音の芯が弱く軽い音になりやすいが、充分にあるパワーが低域をサポートしているためにソリッドで安定感のある好ましさにつながっている。DCアンプ採用というとワイドレンジを思い出すかもしれぬが、聴感上は、誇張感がなくナチュラルである。
 操作性は機能が整理されており、使いやすいが、ロータリータイプのスイッチは、フィーリングが不揃いで硬軟の差があり、高級モデルとして他の部分のバランスがよいだけに、ぜひ改良を望みたい。

パイオニア TX-8900II, TX-8800II

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 共通の特長は、新開発の4種類のパイオニア専用高集積度ICを採用することで、各ブロックごとをこのICで固め、従来のディスクリートでは得られぬ高SN比、低歪率、高域周波数特性改善を実現している。また、2機種ともに本格的なWIDE・NARROWの選択度切替型IF部をもつ音質重視設計であり、TX−8900IIでは、業界に先がけて、村田製作所と共同開発のIF用SAW(表面弾性波)フィルターを採用し、歪みの改善に優れた性能を発揮している。
 TX8900IIは、RF増幅2段と混合にデュアルゲートMOSFETを使い局部発振はバッファー付5連バリコン使用のFMフロントエンド、バンド切替とSAWフィルター採用のIF段、超広帯域直線検波器、新開発MPX用PLL・ICに特長がある。
 機能面では、エアチェックに便利な2個のICを使ったREC・レベルチェック信号内蔵、マルチパス端子とスピーカーにより、音で聞けるオーディオマルチパススイッチ、スライド式メモリーマーカーなどを備えている。

ビクター S-3

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このシステムは、このところ、新しい価格帯として注目されている2万円台のスピーカーシステムとして開発された、S−5のジュニアシステムである。
 基本的な設計方針は、当然のことながらS−5と共通であるが、ウーファーの口径が20cmとなっているのが大きく変っている点である。このウーファーは、軽合金センターキャップ付で、フレームはアルミダイキャスト製である。なお、トゥイーターは6cm口径コーン型で、S−5に採用してあるユニットと同じものだ。
 S−5は、この種の2ウェイシステムとしては、バランスがとりやすい25cmウーファーをベースとしているだけに、帯域バランスがよく保たれ、メリハリが効いたコントラストがクッキリと付いた音をもっている。音色が明るく活気があるのは、やはりビクターらしい特長である。
 S−3は、S−5にくらべると低域が軽くなった反面、スケール感は小さくなる。一般的には、アンプ側のトーンコントロールで補整したほうが、トータルなバランスはよい。トゥイーターは、このクラスとしては粗さが少ないために、適度にクリアーで輝き、トータルなシステムに活気を与えているようである。

「カートリッジ・ヒアリングテストの方法」

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

ダイレクトカッティング盤を中心に試聴

 この種のオーディオコンポーネントの試聴で問題になるのは、試聴テストの原点である、0dBをどこにセットするかである。基本的には、従来から私の個人的な孝えではあるが、試聴テストにはいわゆる使いこなしはしないこと、を条件にしてある。カートリッジをベースとして、そのカートリッジの最大限の性能を引き出すために、併用するプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを選び出すことはもちろん可能ではあるが、すべてのカートリッジにたいして、同程度のウェイトをかけて使いこなすこと自体が難しいことである上に、これはいわゆる試聴テストの枠をこした、使いこなしの領域のものであると思う。試聴テストはあくまで同一の設定条件のなかで、各テスト製品がどのように変化をし、どのような音を聴かせてくれたかに徹すべきである。オーディオに限らず、すべてコンテスト的要素のあることは、同一舞台上での比較にすぎない。
 コンポーネントシステムのもっとも入口に位置するプレーヤーシステムのなかでは、カートリッジが、トランスデューサーとして音を決定する最大の要素であることに異論はない。しかし本来は、カートリッジとトーンアームが一体化しているピックアップアームを、バーサタイルな組合せが可能であるように、カートリッジとトーンアームに分割したのが現状であるだけに、カートリッジの試聴テストをおこなう場合には、どのプレーヤーシステム、もしくはトーンアームを使用するかが大きな問題点としてクローズアップされてくる。そのため、テストに先だって、現在市販されているプレーヤーシステムの代表的と思われるモデルを数多く集めて準備段階での試聴をおこなってみた。
 その結果は、経験を含めて予測されたように、各システム間の格差が大きく、音質的な違いがはなはだしく存在していることを再確認することができた。一方、単体で発売されているユニバーサル型のトーンアームは、現在かなりの機種があり、その性能も高くプレーヤーシステムに使用されているトーンアームよりも一般的に高性能なものが多い。

試聴に使用した装置
 そこで、まず、トーンアームの選択からはじめてみることにした。現在のプレーヤーシステムでは、数は少ないが2本もしくは2本以上のトーンアームが使えるモデルがある。そのなかから、3本のトーンアームが任意に取付可能なプレーヤーシステムとして、基本的な性能が高く、ユニークなデザインをもつマイクロのDDX1000を選ぴ、これにより、トーンアームの選択をおこなった。
 10種類程度の候補アームのなかから、このプレーヤーシステムに、アダプター形式で取付可能なものの試聴を繰り返し、最後に3機種のトーンアームが残った。それらは、重量級のアームとして、ダイナミックバランス型を採用した、FR FR64、軽量アームとして、ユニークなダンピング方式を採用した、デンオン DA307、それに中間的な存在である、ビクター UA7045である。マイクロ DDX1000に、これらの3本のアームをセットし、各種の性格が異なったカートリッジを組み合わせ試聴した結果、平均的に各種のカートリッジの個性を引き出した、ビクターUA7045を使うことに決定した。
 トーンアームの選択が終れば、次はフォノモーターの選択である。フォノモーターはトーンアームの選択に使ったマイクロDDX1000の使用も考えられるが、できたら、第3世代のDD型フォノモーターとして注目を集めているクリスタルロックのDD型を使うほうが、話題のフォノモーターであるだけに好ましく思われる。これで、かなり候補モデルは限定され、結果としては、今回の持廻り試聴のメリットである、各人各様の異なったシステムを使って、現在のカートリッジを試聴することの意味を含めて、幸いに、私の試聴予定が岡氏、岩崎氏の試聴後であり、使用されたプレーヤーシステムが判かっていたために、ほぼ自動的に、ビクター TT101を使用することになった。結果的には、トーンアーム、フォノモーターともに異なった条件で選択していったわけだが、同じビクターの組合せになったため、プレーヤーべースも、当然こうなればビクター製を使うことにしたほうが妥当と考え、TT101システムをカートリッジ試聴のベースとなるプレーヤーシステムとした。
 このプレーヤーシステムは、聴感上での帯域バランスが安定しており、周波数レンジでも、現在のカートリッジ試聴用として充分な広さがある。音の傾向は、低域の量と質のバランスが保たれ、安定した音であり、中域は充実しているが、中高域の一部にわずかながら輝きがあり、そのあたりでは、やや音の分離が他の帯域にくらべて気になる面が残る。高域は比較的に素直に伸びた感じがあり、強調感が少ないメリットがある。
 使用するアンプは、本誌臨増「世界のコントロールアンプ/パワーアンプ」での試聴結果をベースとして考えた結果、コントロールアンプ、パワーアンプともに、リファレンス用として使い、充分に性能を発揮した、マークレビンソン LNP2とマランツ モデル510Mを選ぶことにした。
 この組合せは、コントロールアンプ、パワーアンプともに現代のセパレート型アンプにふさわしい性能と音質を備えている。
 聴感上のSN比とクロストーク特性が優れ、パワーも、新しいレコードがもつピークを充分に再生できるだけの余裕がある。この組合せは、聴感上で、かなりワイドレンジ型の帯域バランスであり、低域、高域ともに、伸び切った音であるが、中域はやや薄い傾向がある。
 スピーカーシステムは、私の場合には、いつものように試聴場所をステレオサウンド試聴室としたために、JBL 4320を使うことにした。このスピーカーシステムは、このところレギュラーに本誌試聴室で使用しているために充分にエージングが済み、音が安定しているメリットがあることと、このシステムが中型フロアータイプともいえるブックシェルフ型と大型フロアー型との中間的存在であり、プレーヤーシステムの選択の一部条件としたテスター各氏の使用スピーカーシステムとコントラストをつける意味もある。
 JBL 4320は、このモデルをベースとして改良した4331と比較すると、やや聴感上の周波数帯域が狭く、帯域バランス上では、比較的に中域の量感があるのが特長である。低域は大型フロアーシステムのように伸ぴてはいないが、ブックシェルフ型やコンシュマー用の中型フロアーシステムよりは量感があり、高域も必要にして充分な伸びがあり緻密さがあるのが特長である。

使用レコード
 プログラムソースには、マイクロフォンからの信号をテープデッキを通さずに直接カッティングレースに送りこむ、ダイレクトカッティング盤を中心にして選ぶことにした。現在までに、ダイレクトカッティング盤として発売されたディスクのなかから、かつてコロムビアでカッティングした45回転のダイレクトカッティング盤を6枚、米シェフィールドレコードの第2集、第3集、それに最新盤を含めて3枚、その他に、日本フォノグラムから発売されている「ザ・スリー」を選んで今回のメインプログラムソースとした。
 合計123個のカートリッジは、編集部で各カートリッジメーカーに問い合せて決めたヘッドシェル、もしくは、もっとも相応しいと判断したヘッドシェルに取り付けてあり、各カートリッジの外形寸法的な違いからおきるオーバーハングの誤差は、取付時に調整してヘッドシェルのネック部分と針先位置間の寸法は一定にセットしてある。
 針圧は、カートリッジの試聴で、もっとも問題のある部分である。一般にカートリッジの針圧は、ある値からある値の間で指定してあることが多く、場合によれば、この他に標準的な針圧が発表されていることも多い。今回は、原則として指定針圧の幅のなかでの最大値にセットすることにした。この場合、最大値では、見かけ上で針先が沈み込み過ぎる状態になるときには試聴をおこないながら、ほぼ標準的と判断できる値にまで針圧を減らす方向でコントロールをすることにした。なおこの場合の針圧は、ビクター UA7045の針正目盛で読んでいるため、精密な針圧ゲージでの値とは、ある程度の誤差は生じていると思われるが、試聴結果に影響を及ぼすほどの誤差ではない。また、インサイドフォースキャンセラーは、今回は使用せず、常時、0位置にセットしてある。なお、当然のことながら標準としたプレーヤーシステムは、前後左右の水平度を確認し、できるだけニュートラルな状態として使用した。
 なお、低出力型のMCカートリッジには、昇圧用トランスが必要であるが、各モデルともに、メーカー、もしくは輸入代理店で指定したトランスを使用することを原則としており、一部の指定トランスがないモデルの場合には、ユニバーサル型の、昇圧トランスFRFRT4を使うことにした。

ビクター S-5

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 最近のスピーカーシステムは、共通して音色が明るく、活気のある音をもった製品が多くなっているが、このビクターの新製品も、現在流行しているディスコサウンドやクロスオーバーなどの、ジャズロック系のプログラムソースにマッチした、力強くいきいきした音を狙ってつくられたスピーカーシステムである。
 エンクロージュアは、前後のバッフルに比重が大きい針葉樹系高密度パーチクルボードを、側版には硬質パーチクルボードを合板でサンドイッチ構造にした特殊ボードを採用し、トータルな音の響きをコントロールするとともに、マルチダクトをもつバスレフ型が採用してある。
 ユニット構成は、25cmウーファーと6cmコーン型トゥイーターを組み合わせた2ウェイシステムである。ウーファーは、アルミダイキャストフレームを使い、コーン紙には米ホーレー社製の、腰が強く軽い、ハイ・ヤング率コーンが選び出され、コーン紙中央のキャップは、分割共振が少ない特殊合金製で、いわゆるドーム鳴きを抑えながらクロスオーバー周波数付近のレスポンスをコントロールしている。
 トゥイーターは、ウーファーと同様に、ホーレー社製のコーン紙を採用したコーン型で、最高域のレスポンスを補整するために軽合金製キャップが付けてある。
 各ユニットのクロスオーバー周波数は、2000Hzと発表されているが、クロスオーバーネットワークのコイルには、磁気飽和が高いケイ素鋼板コア入りのタイプを使い、高耐入力、低歪率設計である。なお、レベルコントロールは連続可変型である。

「現代カートリッジ論」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

1 SME型コネクターの普及が、カートリッジの交換を容易にした
 一昨年の秋、イギリスのSME社を訪問した際、創設者であり原設計者であるA・ロバートソン・エイクマンに、私はひとつの質問を用意して行った。
「あなたは現在、シュアーのカートリッジの愛用者らしいが、SME創設当時はオルトフオンSPU-Gタイプを使っていたはずですね」
 それを言ったら、お前はどうしてそんなことを知っているのか、とびっくりしていた。まさに図星だったのである。
 SMEは、一九五九年に最初の製品を市販している。ステレオディスクが発売された早くも翌年だから、ステレオ用の高級アームとしてはきわめて早い。その初期のモデルには、いまと違ってオルトフォン製の黒いプラスチックのG型シェル(旧Gシェル)が標準装備になっていたし、後部のバランスウェイトもSPU-G/T(ヘッドシェルとカートリッジで、トランスを含めて約32グラム)をカバーするだけの重量級がついていた。おそらくエイクマンは、オルトフォンSPU-Gを完璧に生かすために、あの精密なアームを考案したにちがいないと、だから私は想像していたので、右の質問をしてみたわけだ。
 いまではもう、SMEタイプ、とさえ呼ばれるようになったあの4端子プラグインタイプのヘッドシェル・コネクターは、もとをただせばデンマーク・オルトフォンがG型およびA型のヘッドシェル交換のために作ったものだ。これと寸法的には類似するのが、ドイツ・ノイマンおよびEMTのスタジオ用プレーヤーのヘッドシェル・コネクターで、オルトフォンとドイツ・プロ規格とは、端子配列が45度傾いていることとロッキングナットで締めつけるコネクターのピンが上向きと下向きのちがいがあるだけだ。
 SMEは、最初のモデル発売までにいろいろなプロトタイプを試作した形跡があるが、精密機械工作によるモデル製作工場の経営者でありオーディオマニアであったエイクマンが、はじめはアマチュアの立場でいろいろなアームを作ってはこわし、失敗を重ねながら少しずつ今日のSMEを完成に近づけていったであろうことは想像するまでもない。そしてその頃の彼の愛用カートリッジが、オルトフォンのSPU-Gタイプであったことから、彼は最初おそらく何気なく、ただ、交換に便利だという程度の理由からSPU-Gのコネクターをそのまま踏襲したのに違いない。当のエイクマン自身は、これがきっかけになってこのコネクターが日本のアームの大半に採用され、そのことからやがて世界じゅうのプレーヤーあるいはアームにまで大きな影響を及ぼすであろうことなど、予想してもみなかっただろう。
 ともかくSMEは、ほかのどの国よりもまず日本のアームに多大の影響を与えた。ステレオディスク出現の初期に、設計の理論的な拠りどころとしても、また、精密高級アームのデザインや表面処理の模範としても、SMEは絶大な存在だった。何か目標がなくてはものを開発・発展させられない、しかもイミテーション上手という、日本人のあまり名誉でない特性がアーム作りに見事に発揮されて、ひと頃は、SMEの動作を少しも理解しない外観だけのしかもきわめてまずいイミテーションまで出現したが、怪しげな製品の淘汰された後に残ったSMEの置き土産が、オルトフォン型の4端子プラグインヘッドだった、ということになる。こんにち日本で製造されるヘッドシェル交換式のパイプアームのおそらく90%以上が、このオルトフォン/SMEタイプに共通の構造を採用しているはずである。そのおかげで、日本ほどカートリッジ交換の互換性に富んだ国はほかにないというような状況になっている。
 意外に知られていないことだが、このオルトフォン/SME型のコネクターは、日本以外の欧米では、そんなに普及しているわけではない。日本と違って、オートマチックのレコードプレーヤーまたはチェンジャーの普及率がきわめて高い。しかもそれらオートマチックプレーヤーやチェンジャーのメーカーは、ヘッドシェルの交換に各社全く独自の構造を採用しているために、カートリッジの交換はSME方式ほど容易ではない。しかもメーカー相互の互換性は全くない。したがって欧米では、日本のオーディオファンのように自由にたくさんのカートリッジを交換するという楽しみを最近まで持っていなかった。カートリッジ交換によるデリケートな音質の変化を、日本人ほど敏感には受けとらないという国民性の問題も無関係とはいえない。
 ところが最近になって異変が生じてきた。日本独自の開発によるダイレクトドライブ・ターンテーブルが、欧米のオーディオ界で高い評価を与えられはじめたのである。そうなると、永いことはオートマチック全盛だった欧米のレコードプレーヤーのシェアに、オートマチックは普及品で、ダイレクトドライブ式のマニュアルプレーヤーこそ今後の高級機、というような風潮が、生まれはじめたのだそうだ。たとえばここ一~二年のあいだ、イギリスやパリで開催されるオーディオショーには、SMEが、日本のDDモーターにSMEを組み合わせたプレーヤーを積極的に展示している。当社の高級アームは、こういうふうに使ってくれ、という意味である。そうなると、モーター単体ではなく、国産のDDタイプのマニュアルプレーヤーまでが一躍脚光を浴びはじめる。言うまでもなくそれらのプレーヤーについているアームのほとんどは、SMEと互換性のあるヘッドシェル・コネクターを備えている。そのことから最近の欧米では、このコネクターのカートリッジ交換の容易さや互換性に富んだ合理性などが、改めて評価されはじめたらしい。このコネクターを普及させれば、新しくカートリッジを追加購入するユーザーも増えるとにらんだ欧米のカートリッジメーカーの商魂までからんで、SMEコネクターは、むしろこれからますます普及しそうな気配なのである。日本ではすでに、このコネクターを普及させてしまったためにアーム設計に大きな制約が生じていることを嘆く声も出はじめているというのに、この分では、むしろこれから当分、SMEコネクターは増加の一途をたどるにちがいない。ただ私自身は、アームの設計の多少の制約よりも、ヘッド交換のこの合理性ゆえにここまで普及してしまったSMEコネクターが、当分消えるはずがないし、またこの便利な方式を消すべきではないとも考えているが……。
 ──とまあ、SMEコネクターの説明で前置きがひどく長くなってしまったが、こんないきさつから、日本のオーディオファンが世界でいちばん、カートリッジ交換の容易さとその楽しみに恵まれている、という次第なのである。

2 理想のカートリッジとはどういうものか……
 この号でテストするカートリッジの一覧表をみせてもらったら、約一二〇個がリストアップされている。これでも現役製品の約2/3だというから、実際には二〇〇近い製品が市販されていることになる。ただ、カートリッジの場合には、特性上にほんのわずかの差をつけただけで外観も中身もほとんど変えずに価格の差をつけて多機種をとり揃える、という方法で機種を増やすケースが多いので、スピーカーやアンプの機種の多いこととは少し意味合いが違うから、実質的な製品の数はこの1/3以下、つまり五~六〇機種がいいところだろうが、そう考えてもまだ決して少ない数とはいえない。
 たしかに、アンプやスピーカーにくらべてカートリッジの交換は楽にできるために、誰もが手軽にもう一個……と追加しやすい。しかしそれにしても、レコードの溝から音を拾い上げるというひとつの目的のために、どうしてこれほど多くのカートリッジが作られているのだろうか。どうも少々イージーに機種を増やしすぎるのじゃないか、という疑問を消すことができない。ただ、そういう疑問を持つからには、カートリッジのあるべき姿について、何らかの定義をしておかなくてはならないだろう。単に、目先の変わった音を鳴らし分けて楽しむというのであれば、いくらでも新種が作られてかまわないわけだから。
 最も素朴なところから考えてゆくと、カートリッジは発電機と同じだ(*註)。レコードには、現実の音や音楽の複雑きわまりない音が、一本の溝の凹凸やうねりの形に姿を変えて刻み込まれている。ピックアップの針先がその溝をたどってゆくときに、針先は音溝のうねりのとおりに動かされ、ピックアップの内部で、その針先の運動に正しく比例した電流が発生すれば、カートリッジはその目的を達したことになる。言いかえれば、レコードの音溝に刻まれた音を、そっくりそのまま、何の変形も加えずに拾い上げる(ピックアップする)ことが、カートリッジの理想である。もしもこの理想が100%かなえられれば、異なった二種類のカートリッジを交換しても、音質の差は生じないことになる。ところが現実には、同じメーカーのカートリッジでさえ、二種類を聴き比べれば音質が違う。ということは、現実の製品には、右の理想を満たすものがまだない、ということになる。
 そうした観点から、理想に近いカートリッジを探そうと、マスターテープとの比較試聴というようなテストを行なう場合がある。こまかく言えばいくつかの方法があるが、大要は次のような形をとる。
 まず、レコードにカッティングするもとであるカッティング用マスターテープを用意する。曲あるいは演奏は、音質の判定をしやすいものを任意に選ぶ。このテープをもとにして、ラッカー盤にカッティングしてテスト用レコードを作る。カッティングの際には、テープに録音された音そのままを溝に刻むために、イクォライゼイションその他の加工を一切加えない。
 こうして作られたレコードを各種のカートリッジで再生し、同時にカッティングのもとになったマスターテープをプレイバックして両者の音を聴きくらべて、テープの音に少しでも近いカートリッジが、すなわちレコードに刻まれた音を正しく再生する理想に近いカートリッジだと定義する、という方法である。
 このやりかたは、レコードやカッティングについての正しい知識のない人には、実に公正で正確無比なテストのように思えるだろう。ところがこの方法には実に多くの問題点があるのだ。ひとつひとつあげて解説するだけでも与えられた枚数を超過してしまうので要点のみ箇条書きにしてみる。
① テープから加工せずにカッティングするといっても、カッターヘッド自体にもカートリッジと同様あるいはそれ以上の音質の差がある。(レコードメーカーが、新型カッターでカッティングし直して音質が向上することを宣伝文句にうたっているように、カッティングシステム自体が──カッターヘッドばかりでなく、ヘッドをドライブするアンプも含めて──特定の音色を持っている)
② テープをプレイバックする際、テープデッキにも固有の音色がある。アンペックス、スカリー、3M、スチューダー、ノイマンその他、同一のテープでもプレイバックデッキによって音質が異なる。同じ銘柄のデッキでも、2台を比較すれば音色が異なる。プレイバックカーブに0・2dB程度以上の偏差が生じれば、それでもマスターテープの音が変わる。
③ 比較のためのカートリッジは、どういうヘッドシェル、どういうアーム、どういうプレーヤーシステムを使うのか。同一のカートリッジでも、ヘッドシェルやアームを変えれば音が変わることはすでに常識化している。また、右のようなテストをするときには、カートリッジ自体の周波数特性のくせを、一台一台調整して合わせたイクォライザーでフラットに補正すべきではないのか。それとも、RIAAカーブで補正するだけで、カートリッジ自体の周波数特性は放っておいてよいものか。ハイインピーダンス型の場合は負荷抵抗や負荷容量を変えても音は相当に変わる。シールドコードの影響や、温度、湿度の影響も無視できない。
 ──細かく言い出せばキリがないが、テストというものは、厳密に行なおうとすればするほど、右のような細かなエラーを無視したのでは無意味になる。どのみち、レコードに刻まれた音はカートリッジで拾って聴いてみないかぎりわからない道理なので、これはカートリッジに限らない、アンプでもスピーカーでも、現在の技術のレベルでは、どのパーツが最も正しい音を再生するのか、という証明は、論理的に不可能なのだ。
 不可能ではあるにしても、しかし再びカートリッジに話を限るとして、レコードに刻まれた音を、大幅に歪めたり、刻まれた音を明らかに拾い落したりはしないように、というひとつの目標について、異論を唱える人はいないだろう。その同じ目標に向って多くのメーカーが、地道な研究の積み重ねによって着実に前進していることもまた確かである。それでありながら、一〇〇個のカートリッジが微妙とはいっても一〇〇通りの異なった音色で鳴る。そこに好みや主観という要素が入りこみ、さらに価格とのバランスとか使いやすさとか、針交換のしやすさとかトレースの安定度など、人さまざまに重点の置き方が異なって、選ばれるカートリッジも人さまざま、という結果になってくる。ただ、10年前にくらべると、明らかに飛び抜けて音色の違うというようなカートリッジは少なくなった。それだけ技術のレベルが揃っているという証明にもなるし、レコードからできるだけ正しい音を拾い出すという目標に大局的には接近しているという証拠にもなる。
(*注)MM-IM、MC……等、電磁型、動電型のカートリッジ、および圧電型のカートリッジに限って、発電機の同類といえるが、コンデンサー型、光電型、半導体型などは正確には発電機ではなく、別に用意された電源から供給されるバイアス電流を、音溝のうねりで変調して音声電流に変換する。

3 カートリッジを選ぶ根拠は何か?
MM型、MC型……というタイプの違いか、価格の違いか、メーカーか……
 同じ目的のために作られるカートリッジに、なぜ、MM型、MC型……というようなタイプの違いが生じるのだろう。それは、アンプの場合ならトランジスターと管球式、あるいは同じトランジスター型でも直流アンプというように、またスピーカーならコーン型とホーン型あるいはドーム型……というように、メーカーの技術力や得手不得手、方法論のちがい、等の理由によって、それぞれのメーカーが自社の主張に応じて異なった構造を採用するのだ。どんなタイプにも、メリットがあれば、その反面に必ずデメリットがつきまとう。うまいことだらけ、というような話はありえない。ただ、メーカーはつねにメリットの方を宣伝材料に使って、デメリットについては触れたがらない。もしも客観的にみて、誰が見ても誰が考えても唯一最良の方式というのがあれば、世界じゅうのカートリッジがそのひとつのタイプで作られるはずだ。そうならないで各社各様のタイプを押しているという現実が、すでに、メリットの反面にデメリットのあるという事実を裏書きしているようなものだ。
 では現実にカートリッジを探し、選ぶ段になったとき、いったいどういう問題点を根拠にしたらいいのだろうか。MM、MCというようなタイプの違いか。ブランド名か、あるいは国籍か。それとも価格や使用条件によって何か大きな違いがあるのか。カタログデータ上で何か拠りどころになる数字や項目があるのか──。以下にいくつかの項目をあげながら考えてみよう。
■原盤試聴用あるいは放送局用など、プロ用の特殊なカートリッジがあるか?
 レコード会社がカッティングしたラッカー盤やメタル(マザー)盤をチェックするときに、どんなカートリッジを使っているのだろうか。
 ノイマンのカッティングシステムでは、オルトフォン(SPUまたはSL)、シュアー(V15/III)、またはエラック(STS555E)などが標準装備となっているし、他のカッティングシステムやレコード会社によっては、EMT、デッカ、ピカリングまたはスタントン、ADC、エンパイア、その他、要するに私たちに馴染みの深い製品が適宜選ばれていて、どこにも特殊なカートリッジの使われている例はない。ことにメタル盤の検聴の際は、針の磨耗がおそろしく早いことと、メッキの素材であるニッケルが磁石の強いカートリッジを引きつけてしまうなどのやや特異な条件から、MMまたはIM系の、むしろあまり高価でないカートリッジの針をどんどん使い捨てるケースが多い。
 放送の場合はどうか。日本では、NHKおよびFM東京などFM局で、DENONのDL103が標準カートリッジに採用されていることはすでによく知られているが、これとてアマチュアにとって別に珍しい製品ではなく自由に入手できる。AMの民放局ではこれ以外にも主に国産品が適宜使われる。海外の放送局となるともう全く自由で、それにしても私たちに縁の遠いカートリッジというのはまず使われていないといってよい。
 スピーカーの場合は、本誌36号の「現代スピーカーを展望する」で詳述したように、シアター用など広い場所で強力な音声をサービスするものと、比較的狭いモニタールームで検聴用に使うスピーカーと一般家庭用とでは、用途によってその構成も規模も大幅に違う場合が多い。けれどカートリッジの場合は、対象がレコードの溝一本だから、目的とか用途による違いというのは、スピーカーのように別々にはならない。
 もうひとつ、スピーカーの場合には、少数とはいえ十年前十数年前の製品がいわゆる名器として残っている例があるが、カートリッジの方は、ほんのわずかの例外を別にすれば、原則として、旧製品は消えてゆかざるを得ない宿命を負っている。それはカートリッジが、レコードにカッティングされた音溝を忠実にたどるという目的を持っているからで、カッティングシステムの改良にともなって、より振幅の大きな、より複雑な音溝が刻まれるようになると、旧型の設計のカートリッジでは、その振幅を正しくトレースしてゆくことができなくなってしまうからで、スピーカーの方は、アンプから送り込まれた音が出てこないだけだから故障などの実害のないのにくらべると、カートリッジの旧型はレコードの溝を正しくたどりきれずに溝をいためてしまうという害が生じる。したがって、少数の例外を除いて、カートリッジは新型・新型と移り変わってゆかざるをえない宿命にある。
■タイプによる違いと、国籍やブランドによる違いと、どちらの差が大きいか
 ムービングコイル型(MC型)は音のキメがこまかい、とか、ムービングマグネット(MM)型は音が柔らかい、などと、タイプによる音の違いが言われている。たしかに、タイプによって本質的に持っている音というのはある。
 しかしその反面、カートリッジの音質の違いはタイプじゃない、要するにブランドによる違いであり機種による違いなのだから、タイプにこだわらずに音を聴いて決めるべきだ、という意見もある。
 そうした、一見相反する意見があるということは、そのどちらが正しいのでもなく、どちらも半面の真理を言っているのだ。メーカーあるいは国籍による個性、そして素材とその料理法によって、さらには同じメーカーの製品ならば価格の高低によって、それぞれ微妙に音の差があって、それが一見、タイプとは無関係のようにさえ思えるが、しかし本質的にはやはり、タイプによって基本的に決まる音の傾向がなくなりはしない。たとえばMC型の音のこまかな切れこみは、他のタイプから聴くことは無理だし、MM型の、音ぜんたいを柔らかく包みこむような鳴り方をMC型は概して聴かせてくれない。そういう基本的な性格の上に、ブランドやランクや素材などのさまざまの要因が加わって、1個のカートリッジの音の性格ができ上がっている。だから、タイプ論もブランド論も、それぞれ半面の説明はしていることになる。ただ、タイプがすべてを支配するというようなことは起りえないし、さきほどのくりかえしになるが、客観的に唯一最良のタイプがもしもあるのなら、世界中のカートリッジが同じひとつのタイプを採用するはずだ。
 そういう話を前提にしておいて、そこであえて私個人のカートリッジ選びの基準をいえば、第一にタイプ、第二に国籍またはメーカーの個性、第三に同一のメーカーの製品体系の中でのランクづけ、の三つの面から考える。言いかえればこれらの要素が、カートリッジのできばえにそれぞれかなり大きな影響を及ぼしていると、私が感じているからだ。そのことをもう少し掘り下げて考えてみよう。
■MMグループとMCグループ
 こまかなことを言う前にまず、私自身のカートリッジの使い分けをふりかえってみると、レコードを真剣に聴くときはMC型、くつろいだり聴き流したりするときはMM型、という聴き方がわりあい多い。読書しながら、あるいはお茶や酒を飲みながら聴き流すとき、針交換のめんどうなMC型を使うのは何となくもったいない気がするし、それよりもMC型の音はどこかこちらをくつろがせにくい、聴き手を音楽の方にひきずりこんでしまうような雰囲気を持っている。レコードに入っている音をどこまでも細かく細かく拾ってくる感じが、つい、音楽を一生けんめい聴く姿勢にさせてしまうのではないだろうか。
 一旦MC型の良い製品を良いコンディションで聴いた直後、同じレコードをMM型で再生してみると、MM型はMC型にくらべて、何か大切な情報量を掴み落してくるのではないだろうかといった気持になる。くどいようだが、さきにも書いたようにタイプですべてがきまるわけではないから、MCの中にも不出来な製品が少なからずあることは断わっておくが、MC型の方が明らかに同じレコードからより豊富に音を拾い出してくる。そのことが、逆に聴き手をくつろがせにくい、あるいは聴き流しできないような気分にさせてしまうのかもしれない。そこでつい身を乗り出して、音楽にのめり込んで聴き入ってしまう結果になる。
 ただしかし、聴き手の主観以外にも問題がないわけではない。第一に、レコード自体にMC型の解像力に見合うだけの豊かな情報量が入っているかどうか。演奏の良否から録音・盤質まで含めて、優れたレコードであるかどうか。第二に、アンプやスピーカーが、その豊富な情報量を十分に再現できるだけの能力を具えているかどうか。
 正直をいって私自身は、MC型を嫌う人の音の受けとめ方が全く理解できない。しかし一方で、MCでは鳴りにくい音のあることだけはわかる。それだから、自分でもMC一辺倒でなく、MM系(IM型も含めて)を使っている。たとえばジャズの場合──。
 バリトンあるいはテナーサックスの、あのふてぶてしい、太い真鍮の管が共鳴して豊かに唱うあの鳴り方が、MC型では私には十分満足できない。管の太さ、みたいな感じが、IM系のカートリッジでなくてはよく鳴らないように思える。あるいはスネアドラムのスキンのよく張った乾いた音。……そう、この乾いた感じというのが、MC型ではどうも出にくく思えるのだ。MC型の音はどこか音をひきずるように、いくぶんウェットに、ふてぶてしい音さえもどこか品良く、繊細な艶を乗せて鳴らす。もっとカラッとしていなくてはジャズではない、そういういら立ちさえ感じさせる。ジャズばかりではない。アメリカの現代のさまざまのポップミュージック──ロックやソウルやフォークやウェスタンなどの、新しい流れのポップミュージック──の、ことにリズムセクションの、ストッ! と切れる感じの、重量感がありながら粘らない、あの一種爽やかな迫力を、私の知るかぎりのMCは鳴らしてくれない。そういう音を聴かせてくれるのは、IM型の、それも特に断わっておかなくてはならないことは、それがアメリカの東海岸(イーストコースト)系のカートリッジにほとんど限られるのだ。
 そう。私は再ぴここで、音響パーツを生み・育てた風土の問題にぶつかった。同じような構造の、似たようなカートリッジが、イギリスで、ドイツで、あるいは日本で作られると、なぜ、イーストコーストのあの、乾いた気持のいい音が鳴らないのか。そしてまたイーストコーストのカートリッジには、どうして、ヨーロッパ製のそれから聴くことのできる繊細でややウェットな余韻の美しさが欠けているのか──。
■同じMM型でも風土が違えば音質も変わる──エラックとシュアーの例──
 たしかに、カートリッジの音はそれぞれに違う。同じメーカーの、同じタイプの製品でも、価格のランクによって音が変る。だから、カートリッジの音のちがいを、タイプだの風土だのでいうのはまちがっているという意見もある。が私は、それは音をあまりこまかく見すぎてもっと大掴みな重要な違いを聴き落していると思う。
 そういう違いを聴きわける最も良いサンプルはアメリカ・シュアーと西独エラックだ。余談になるが、エラックという商標を日本では使えないで、エレクトロアクースティックという名で呼んでいる。日本のある商社がむかしエラックを輸入していたころ、勝手に Elac の商標を登録して日本ではその商社を通さなくては使えないようにしてしまった、というのが真相だ。日本だけのばかげた現象で、何とも腹の立つ話だ。もうひとつ、日本では最も普及しているMM型は、もともとシュアーとエラックが共同で特許を所有しているもので、欧米ではこの二社以外はこの構造のMM型を作っていないし、日本でもオーディオテクニカのような独自の構造以外の製品は、特許料を払わないと海外に輸出できない。
 シュアーとエラックをくらべてみるとよくわかるが、この二社の製品は、右のような理由から、基本的にはよく似た構造をとっている。もしも構造(タイプ)が音質を支配するというのなら、シュアーとエラックはよく似た音がするはずだ。だが試みに、シュアーのV15/IIIとエラックのSTS555Eを聴きくらべてみるといい。もしもできれば、エラックのSTS155までの一連の製品を聴き、シュアーのM75やM91のシリーズをひと通り聴いてみるといい。エラックの製品だけでも、155と255、355、455……みな少しずつ音が違う。シュアーもまた、75Gと91EDとV15/IIIとでは当然音が違う。けれど、エラックとシュアーをまとめて聴いてみれば、エラックの中でどれほど違う音でもそれは決してシュアーの方に似てはいないし、シュアーのどの製品をとっても、シュアーよりはエラックに近いなどという音はしない。明らかにシュアーはシュアー、エラックはエラックの音がするのである。
 そのことを単にメーカーの個性とみるのは自由だが、私はそこに、カートリッジの音をコントロールしてゆく人間の音感を、そういう音感の人間を生み・育てた風土の問題を考えずにいられない。そしてメーカーが最もそのメーカーらしい、言いかえればメーカーの主張を最も端的に表現するのは、同じ機種の中の最高のランクの製品である。シュアーならV15/III、エラックならSTS555Eまたは655D4である。それで私は、自分でカートリッジを買うときは、まずそのメーカーの最高のランクの製品を聴いてみる。一方そのシリーズの最低と中間とを同時に比較すれば、そのメーカーの主張はおおかた理解できる。
 カタログの項目で参考になるのは、出力電圧とインピーダンスと、針圧とコンプライアンス。前者はアンプまたはトランスとのマッチングをとるために、後者はアームとの組合せを考えるために、つまり使いこなしの際に必要な数字であって、カートリッジを選ぶ段にはたいして役に立たない。周波数特性をこまかく比較する人があるが、ばからしいからおやめなさい。同じ機種で安いのから高いのまで、五千円きざみにとり揃えているようなメーカーの製品の周波数特性を見くらべてみれば、価格のランクにともなって、少しずつ特性が良くなるように書いてある。これなどは、この前の製品で10Hzから30、000Hzと書いてしまったから、今度のは8Hzから32、000Hzにしておこうか、というようなアホらしい操作を、メーカーの方がしているだけの話だ。
■優れたカートリッジほど音楽に血を通わせ生き生きと蘇らせる。
そして、レコードを、音楽を、次々と聴きたい気持をふくらませてくれる
 菅野沖彦氏がおもしろい指摘をしておられる。内外の軽針圧型のカートリッジが、概して針先にまつわりつくゴミやホコリに弱く、レコード一面をかけ通さないうちに音がビリついたり、針先が浮いてしまったりするのが多い。しかし、EMTやオルトフォンSPUのような3g前後の針圧を要するものは別としても、軽針圧型であってもたとえばエラックやシュアーなどは、よほどのことがないかぎりレコードの一面ぐらい、何の苦もなくトレースする、というのである。
 そう言われて考えてみると、私は右のようなトラブルにあまり遭遇していない。しかしそれには注釈が必要なので、ふりかえってみて私の場合、いくつかの例外を除けば一個のカートリッジでレコードを何枚も続けざまに聴くということを、おそらくほとんどしていない。テストの際にはレコードの特定のある部分だけを鳴らしながら次々とレコードを換えてゆく。そのたびごとに針先のゴミを払う。そういう扱い方をしているかぎり、菅野氏の指摘されるような現象は発見できない道理だ。
 ということは、私のカートリッジ・テスト法がもしかすると杜撰であるのかもしれないが、しかしレコード一枚さえ通して聴かないとあえて書くのは、私にとって、レコード一枚、いや片面だけでさえも、始めから終わりまで通して聴き込む気持を持続させてくれるカートリッジが、きわめて少なかったと言いたいためだ。
 新しいカートリッジを入手すると、最初にアイドリング(エイジングともいう。いわゆる馴らし運転)のために、オートマチックのプレーヤーにとりつけて、馴らし運転専用の(傷んでも惜しくない)レコードをざっと十数時間トレースさせる。このときは音をきかない。エイジングが済むと、あらかじめ選んである何枚かの、それぞれ音楽のジャンルも楽器構成も異なるレコードの特定の部分を次々とかけてヒアリングテストする。針圧を変えてみたり、ヘッドシェルやアームをとり換えたり、むろん負荷の条件も変えてみる。これでカートリッジの素姓はまず90%掴むことができる。
 こうしてテストした結果、これはもう少し時間をかけて聴き込んでみたいという気持を誘発させてくれるほどのカートリッジなら、一応、相当の水準にあるといえる。そういう製品は、テスト用とは別に気分のおもむくままに、楽しみながら聴き込んでみる。良いカートリッジは、そうして聴くうちに次々と、そうだ、こんどはあれを聴いてみよう、という具合に、次にかけたいレコードを思いつかせてくれる。つまりレコードを楽しむ気持をふくらませてくれる。同じことを私は、本誌36号のスピーカーテスト後記で書いた(36号119ページ)アンプでもカートリッジでも、この点は同じだ。
 ところが、たいていのカートリッジが、テストレコードが一面の終わりまで行かないうちに、いや、ミルシュテインのグヮルネリの中音はもっと線の太い一種ふくみ声のような音色で鳴らなくてはおかしいはずだ、とか、このバルバラの声には人生の厚みが感じられない、とか、菅野氏のこの録音はもっと楽器の鮮度が高く聴こえるはずだ……というような不満が生じたり、なんだこの程度の音かとがっかりしたり腹が立ってきたり、そうでなくとも、ことさら指摘できるような弱点がないにもかかわらずどういうわけか聴き馴れたレコードがとてもよそよそしく聴こえたりして白けた気持になったりして、途中で聴くのをやめてしまうことが多い。
 こんなはずはないのにと思って、ヘッドシェルをかえてみる。アームをかえてみる。プレーヤーシステムをかえる。針圧や負荷を再調整する。別のレコードをかける……。要するに相当にこまかく条件をかえ、日をかえて気分を新たにして聴き直してみたりもする、こんなテストをして生き残った製品が、ここ一年あまりでいえば、オルトフォンVMS20E、エラックSTS455E、ゴールドリングG900SE、エンパイア4000D/III、ピカリングXUV4500Q等であった。これ以外にも、レコードの内容や、その日の気分や、組み合わせる装置のちがいによっては鳴らす機会のあるのが、シュアーのM75シリーズやスタントン681シリーズ、ADCのスーパーXLM/II、それにAKG、B&O、DECCAなどである。右にあげたのはしかし私にとってあくまでもサブ用、あるいはその時点での水準を知るための参考比較用であって、常用はEMTとオルトフォンである。つい最近では、国産の一~二の製品が、もうしばらく聴いてみたいグループに加わっている。あと数ヵ月しないと本当の結論は出ないだろう。カートリッジの素性を正確に掴むには、それぐらい時間と手間がかかる。

4 カートリッジの鳴らす音色とその背景に横たわる風土との関係を
もう少し個々に論じてみると……

 シュアーとエラックが、似たような構造でありながらそれぞれに異なった個性で鳴ることをすでに書いたように、むろんカートリッジの鳴らす音に限らずスピーカーにもアンプにもレコードにも楽器にもあるいはその奏法にも、民族性や国柄や風土が映し出される。その点を解明することがここ数年来の私の興味の中心になっている。では、カートリッジの場合、それがどういう音のちがいになってあらわれてくるのか。それを国別に少し細かく調べてみよう。
■日本のカートリッジは歪みをおさえた色づけの少ない音がする
 たとえば欧米のカートリッジの一部には、トータルの音のバランスは悪くないが細部あるいは弱音部でのデリカシーを欠いて、いかにも音の粒の粗いものがある。その点国産のカートリッジは、たとえローコストの中にも、歪みっぽい音や粗い音を鳴らす製品はほとんどないと言い切ってもいいだろう。聴感上の音の粗さや歪みっぽさを注意深くおさえて、強音でも圧迫感のない、すっきりとおとなしい、節度のある音を聴かせる。
 歪みあるいは音のバランス上明らかなピーク性のクセ、ないしはトレースの不良……などの客観的な欠点や弱点を、ひとつひとつ取り除いて製品を仕上げてゆく能力にかけては、日本人のこまやかな神経は世界一といっていい。カートリッジばかりではない。国産のワインが渋味や酸味を注意深く除いて作ること、同じく国産のウィスキーがたとえ安物であってもアルコール臭や醸成の若さ・鋭さをよく抑えること、時計の進み、おくれを嫌うこと、日本人の国民性はこうした面に発揮される。
 こうした作り方が長所として実った製品も数少ないながら数えあげることができるが、ただ、一部の製品の中に、やや消極的というのか行儀がよすぎるというのか、どこか静的で平面的で、音の表情をおさえすぎたり、音の肉乗りの薄いあるいはコクのない、ボディーの厚みのない音に聴こえるのがある。
 もうひとつこれは別の機会にも書いたことだが、西欧の音楽が低音の豊かなメロディーの上に構築されているのに対して日本の音楽は、伝統的に低音はリズム楽器で支えられてメロディーそのものは高音の、しかも原則としてモノディとして成立していた。こうした歴史の流れの中で、日本人の耳が低音の音の厚みや中~低音のハーモニィの複雑な音色を聴き分けることに往々にして弱点をみせる反面、中~高音域での音色や音の美しさをデリケートに聴き分ける能力の鋭敏なこともまた、世界に誇れる。このことが、カートリッジにかぎったことではないが音の仕上げに影響を及ぼすことが少なくないように思う。
 その特質がおそらく、国産カートリッジの多くを、実におとなしくきれいな音に仕上げるのだろう。けれど次のようなことはある。
 たとえばソロ楽器、あるいはコンボ、クラシックの場合なら室内楽かせいぜい室内オーケストラ程度、要するに小編成の曲を鳴らすかぎり、おおかたの国産カートリッジの音はたいへんバランスも良く、キメのこまかな美しい描写をする。ところが大編成のオーケストラがトゥッティで鳴ったほんの一瞬、音のバランスが中~高域に片寄るように、低域の厚みのある支えを欠いて、キャンつきはしないがやや薄手の音を鳴らすカートリッジが、一部とはいえ無視できない程度の数はある。たとえば最近の本誌でテストレコードとして使われる機会の多い、クラウディオ・アバド指揮/ウィーン・フィルの『悲愴』(独グラモフォン2530350)。その第一楽章の中間部でクラリネットからファゴットのピアニシモで消えた次の一瞬、フルオーケストラがフォルティシモで鳴りはじめるあの部分。そこがジャン! と鳴ったほんの一瞬で、聴きなれてくるとカートリッジの低音から高音までのエネルギーのバランスを瞬間的に聴きとることができる。ある製品は低音が重く鳴る。別の製品は高域の上の方でキラッと光る音を鳴らす。しかし私が最も低い点をつけるのは、キャン! という感じで低音の厚みがなくなってしかも中高域の一部分にエネルギーが固まる感じの音。カートリッジにかぎらず、アーム、ゴムシート、プレーヤーシステム全体からさらにアンプ、スピーカーまでこのテストは最も短時間に音のバランスのダイナミックなテストができる。
 もうひとつはMCとMMの項で書いたようなジャズあるいは新しいポップスの、一種ふてぶてしい、あるいは音が粘らないでスカッと切れる乾いた爽やかさ、などの感じがどれほど鳴らせるか。そしてその反対に、クラシックの弦や木管のたおやかなやさしさ、そしてヴォーカルの声帯の湿った温かさがどれほど聴けるか……。カートリッジの音の判定はとても難しい。
 国産のカートリッジの話のはずがつい脱線して、カートリッジのテスト法になってしまった。そこで話をもとに戻して、仮に一部とはいっても国産のカートリッジの中に、もっと低音の豊かな弾み、ことにオーケストラのトゥッティでの豊かさと音楽の表情、そして音にもう少し脂気あるいは艶が乗ってきたら、全体の水準はグンと上がるのに──と、まあえてして身内にはきぴしくなりがちだというが、これが日本人である私の願いである。
■イギリスの音はどうして細い感じで鳴るのだろうか……
 イギリスという国は、ずいぶん古くからカートリッジを作っているが、わずかにデッカ一社を除いては、国際的に通用する名品は、最近では全くといってよいほど生れなかった。つい先ごろ、古いメーカーのゴールドリングが久々の新製品として発表したG900SEがもしもたいした製品でなかったら、カートリッジの話の中でイギリスを独立した項目にたてることもなかったかもしれない。
 デッカ(MKV)とゴールドリンク(900SE)のふたつは、スピーカーの場合にも説明したイギリスの古いジェネレイションと新しいジェネレイション(本誌36号参照)の音の違いを端的に代表している。スピーカーでいえばタンノイやリークの鳴らすやや硬質の艶で聴かせるのがデッカなら、その音をもう少し柔らかくまろやかにしたのがゴールドリングで、それをスピーカーでいえばスペンドールBCII(本誌36号P317参照)を思わせるバランスのよさとクセのなさを持っている。デッカの中~高域の、黒田恭一さん流にいえばコリッとした感じのタッチ。その輪郭をくまどる線は鮮明だがいかにも細い。イギリスの音はスピーカーでもそうだが概して中低域に肉がつくことを、音がぼてっと厚くなることを嫌って、痩せぎすに仕上げる。デッカの音はときとして少し骨ばって聴こえ、ゴールドリンクはその骨をあからさまには感じさせない程度に耳あたりを良く、そしてイギリス製にしては──というより以前の800シリーズからみたら──総体にフラットに、バランス的に過不足なしに仕上げているがしかし、やや細い感じであることに変わりはない。
 その意味ではデッカの音もゴールドリングの音も、国産のカートリッジの中によく似た音があるように思えるし、いま書いたような範囲では似ている製品も事実ある。ただし国産とイギリスとがやや違っている点は、しっとりと脂の乗った、そして中低域が薄いために一聴すると低域が弱いように思えるがよく聴くと、ローエンド(低域端)での音はたっぷりと量感を持っていて、細いけれどつくべき肉はちゃんとついているし、ボディーに厚みも奥行きもあることがわかる。そして音楽のこまやかな表情の変化に、実にしなやかに寄り添ってゆく。
 ただしかし、概してイギリスの音はスケールがあまり大きくない。スピーカーでもタンノイのオートグラフ(すでに製造中止)とヴァイタヴォックスのCN191はむしろ例外的な存在で、アンプでもプレーヤーでも、繊細な神経でこまかく仕上げてゆく反面、それが大がかりになることを好まない傾向がある。それが音にもあらわれている。
■ドイツの音はいっそうBODYが厚く、そして音のけじめがはっきりしている
 イギリスの持っている音の艶、それもデッカ型のやや硬質の艶にさらに脂を乗せて、中低域での音の細い部分の弱点をなくしたような音──ドイツの音を、大掴みなバランスからいえばこういう感じになる。
 ここでもまた、ドイツのスピーカーの鳴らす音や、ドイツのオーケストラの音、さらにはドイツの工業製品、たとえばカメラや自動車の操作性にも一脈通じるフィーリング、そういう感じがカートリッジの場合でも例外ではないことをまず言っておきたい。むろんドイツの音といっても、オーケストラの音を思い起こすまでもなくそれを一括して言うのは乱暴すぎるが、カートリッジでいえば、現時点ではEMTとエラックの二種類に代表させればよいので、話は比較的簡単だ。
 たとえばブラウンのスピーカー。音のけじめのはっきりした、明瞭かつ鮮明な感じの音のくまどり。大まかに言えばエラックにもEMTにもその感じが共通している。
 もうひとつ、ベンツやBMWに乗ってみると(私は運転ができないので、友人たちに乗せてもらうだけだが)、アメリカや日本の車よりもクッションが固い感じが第一印象として際立っている。スポーツタイプでないふつうのセダンで、坐った尻の下のクッションの感じが、ブラウンやヘコーのあのけじめのはっきりした硬質の音に似ている。これでは走り出したらいかにも固くて疲れるのじゃないだろうか、と思っているとその予想は裏切られる。固くてやわらかいとでもいったらいいのか、明晰さで包まれた豊かさ、とでもいうべきなのか、それは固い一方でなく、というより第一印象で固いと感じたのは実はほんとうに固いのではなく、馴れるにつれてそれがドイツ車の──いや、ドイツの音の表現の基本になっていることに気付かされる。道路の小石を踏んだことさえ乗り手に鋭敏に伝えながらしかもドライバーを疲れさせないどこか柔らかで豊かなあの感じを、EMTのカートリッジの鳴らす音に聴くことができる。
 エラックの音も基本的には同じだ。ただ、これがおそらくMCとMMのちがいなのだろう。EMTのおそろしいほどの解像力に裏づけられた豊かな情報量にくらべると、エラックの音はもう少し甘い表現になる。EMTとエラックをくらべればそうだが、そのエラックをシュアーとくらべると……それはさっき書いたとおりだ。
■北欧が生んだ名作オルトフォン。そして同じ国のB&O
 デンマークは、オルトフォンやB&O、それにカートリッジではないがオーディオ用測定器として世界じゅうで標準原器のように使われているブリューエル&ケア(B&K)を生んでいて、北欧諸国、というよりヨーロッパ諸国の中でも、オーディオの面でかなり大きな存在である。特にオルトフォンは、レコーディング用のカッターヘッド等も作ってプロフェッショナルの分野でも高く評価されて、中でもSPUシリーズのMC型カートリッジは、その基本構造がドイツのEMT、日本のデンオン、FR、マイクロ、スペックス、オンライフ等に影響を及ぼしている優れた発想によって、独自の地位を築いている(もっともEMTのカートリッジは、TSD15の旧型時代はオルトフオンで作っていた)。SPUだけが聴かせる音の自然で厚みのある、一見反応が鈍いようでいて実はおそろしく緻密でコクのある音は、すでに十余年を経ても一向に古くならない。はじめの方で、カートリッジの世界に旧製品は通用しにくいことを書いたが、その例外的存在がオルトフオンSPUでありEMTである。オルトフォン製時代のEMTは、SPUとくらべるともう少しナイーヴな柔らかさの中に、実に繊細な解像力を持っていた。ドイツで作るようになってからは、基本構造にはほとんど変化がないのに、もっと鋭角的で明晰な、近代的で緻密な音質に変わっている。こういうところにも、タイプの分類からは説明しきれない国柄や風土の問題を聴きとることができる。
 オルトフォン自体も、初期のSPUと現在のとくらべると、音の解像力が一層向上し、歪みも減少している。反面、旧型のもう少しおっとりしたあたたかな肌ざわりを懐かしむ声もないではない。とくにSPU以後、SLシリーズという別の音──もっと現代的な、シャープな解像力を加味したクールで細身の音──が生れているのだから、SPU自体は、できれば旧EMTのような、繊細な柔らかさとあたたかみの方向でまとめてくれてもよいのではないかと、これは私個人の勝手な希望を持っている。しかしそれにしても、SPUシリーズの厚みとコクのある音は、いまや貴重な存在で、数年前すでに書いたことだが、こういう音はもはやオルトフォンという一メーカーの製品であることを越えて、ひとつの文化ともいえる存在になっていると私は思う。この音は絶対になくしてはならないと思う。EMTもまた同様である。
 製造に手間のかかるMC型を嫌って、オルトフォンはその後IM型に手を出した。初期の製品は、SPUやSLシリーズのあの秀才型の音にくらべてあまりにもでくのぼう然とした鈍い音がして私は好きになれなかったが、VMS20E以降は、SPUタイプの音をIMで仕上げたとでもいったニュアンスが聴こえはじめて、SPU-G/Tの重量(約31~32g。市販のアームでは使えないものが多い)やSPU-Gのトランスの問題などでためらう人には、ぜひとも奨めたいカートリッジのひとつになっている。
 オルトフォンについて少しばかり書きすぎてしまったかもしれないが、B&Oもまた特異な存在といえる。旧SPシリーズの頃から、腰の坐った強靱な、しかしナイーヴな音の魅力で愛用していた。いまSP15を経て、MMC3000、4000、6000等の新しい製品が揃ったが、新しい製品になるにつれて、強い個性がおさえられ、ナチュラルな音質に仕上がってきている。ある意味ではSP15を含めて旧製品の方が、類形のない特徴のある音に魅力があったともいえるが、しかしそうした強いキャラクターをおさえて自然な音に変わってゆくのは、なにもB&Oだけのことではなく、世界的なオーディオの傾向に違いない。そしてB&Oの音が自然と書いたけれど、やはりそれを他の国のカートリッジの中に混ぜて聴くと、北欧の空のあのいくらか暗いクールな感じが、たしかにB&Oやオルトフォンからは聴きとれる。それがオルトフォンのSLシリーズやB&OのSP15のように、高域のやや上昇ぎみの、ふつうならキラキラと華やぐ傾向になりがちの部分でさえも、北欧の冬の太陽のあの白っぽい光のようで、まぶしくなく、エキサイトした感じにならず、しかもイギリスや日本のような線の細いところがなく、ドイツのあの透明で硬質な光沢とも違う。やはり生れた国の音はあると思う。
■アメリカ。なぜ西海岸にはカートリッジメーカーが出てこないのだろう?
 東海岸(イーストコースト)のカートリッジの音の大まかな特徴は前にも書いてしまったが、いうまでもなくその音は、ARやKLHや、アドベントやボーズやボザークなどのスピーカーの鳴らす音と本質において全くおなじだ。スピーカーの音の特徴については、本誌36号(「現代スピーカーを展望する」)にくわしく書いたが、世界的にみてアメリカ東海岸は、高域の、ことにハイエンド高域のごく上の方)の強調感をことに嫌う。たとえばKLHの新しいスピーカー “Classic four” の背面にトゥイーターレベルを二段に切替えるスイッチがついている。そして一方にFLAT、他方にNORMALと書いてある。測定しても聴いてみても、この “NORMAL” ポジションは高音をいくぶん下降させている。日本人やヨーロッパ人の感覚なら、そしておそらく同じアメリカでも中央部から西海岸にかけてなら、FLATのところが即NORMALであるはずだ。ところが東海岸では、FLATをNORMALとは感じない。前記36号ですでに紹介ずみの話だが、この一例は東海岸の音の感覚を実にみごとに説明してくれる。
 ADCやエンパイアの、それもADCなら現在のXLM以前の、エンパイアなら1000ZE/Xまでの各モデルの音に、私がどうしても馴染めなかったのは、なにしろ高音域が全然延ぴていないようなナロウレインジに聴こえたからだ。実際に測定してみると特性はむしろフラットなのだが、特性とは別に聴感上は高域が落ちて聴こえる。やはり東海岸の製品なのだなあと、つくづく感じさせる。
 ADCがスーパーXLM/IIになり、エンパイアが4000D/IIIになって、周波数特性上は目立った変化はないのに、聴感上は、はるかに高域が延びてきた。私の耳にもそれで一応なじめるようになって、以前よりはずっと本気で聴き込みはじあた。すると、前にも書いたような、ジャズやアメりカンポップスのある部分──ヨーロッパや日本のカートリッジではウェットになったり柔らかくなりすぎたり、妙に音をこまかく鳴らしすぎたりして不満のある部分──が、ADCやエンパイアやスタントンだとうまくゆくことが少しずつ理解できはじめた。
 しかし、そうだということは、裏がえしていえばアメリカ東海岸のカートリッジの鳴らす音が、ヨーロッパや日本のカートリッジとくらべると、それほど違うという説明になる。明るく乾いた肌ざわりで音を細かく拾うよりはもっと大きく掴んで、音を輪郭で描くよりもっと即物的に鳴らしてゆく。これは私の個人的な偏見として頂いてかまわないが、アメリカ東海岸の鳴らす音は、いまや世界的なオーディオの流れの中でむしろ特異な存在だと、私には感じられる。二~三の例外的なメーカーの製品を除いて、そう思える。
 例外的な存在をカートリッジに限って探してみれば、最近のピカリングのXUV4500Qなどはどうだろう。このカートリッジは、東海岸にはめずらしく、高域に硬質で線の細い強調感があって、それはドイツの音に一脈通じるかのようでさえあるが、ただしかし本質的に音の乾いている点は明らかにイーストコーストの音だ。だが少なくとも音のバランスと輪郭の面で、ヨーロッパや日本のある種の製品が鳴らすようなシャープな切れ味を持っている点がこれまでの東海岸の音と違っている。
 それにしても、ADC、エンパイア、ピカリング、スタントン等の製品のどれをとっても、私にはクラシックを鳴らせるカートリッジだという実感は湧いてこない。クラシックを鳴らすためには、音が乾いていては困るのだ。こう見事に余韻のこまやかさを断ち切ってしまっては困るのだ。その裏返しの意味で、ジャズやポップスを鳴らすとき、かけがえのないカートリッジとしてイーストコーストの中から私は選ぶのである。
     *
 同じアメリカでもシュアーとなると話は少し違ってくる。いや違っていたと言うべきだろう。シュアーはイリノイ州にある。大まかにいえばエレクトロボイスや3Mと同じくミシガン湖をはさんだアメリカ中央部である。スピーカーでいえば、東海岸が高域の強調を嫌うのに対して西海岸側ではむしろ逆に、しかも新しい製品になるにつれて高域を延ばしあるいは強調する作り方をしている。その両極にはさまれてE-V(エレクトロボイス)は、昔から最も穏健な音を鳴らしていた。
 シュアーの音にもそういう面があった。M3からV15のタイプIIにいたるシュアーの歩みは、アメリカの中ではむしろヨーロッパ的とでもいいたいような、ことさら際立った特徴もないかわりに極端に走らない良識に裏づけられた音の良さがあった。しかしV15はIII型になってから、すこし音の方向を変えたように思える。
 V15/IIIの音を研究してみると実に興味深いことがわかってくる。シュアーはおそらくこれを計画するにあたって、現時点で世界的に普及しているブックシェルフ型のスピーカーを中心としてアンプその他の周辺機器を、かなり正確に調査しその性能を見きわめたのではないだろうか。というのは、V15/IIIをそういうクラスの装置に組み合わせると、解像力の良い鮮度の高い音で、なまじの高級カートリッジからグンとかけはなれたグレイドで装置を生かす。それは繰り返しになるが、シュアーが、カートリッジ単体として性能を向上したのではなく、現代のオーディオ再生の平均水準を確かに掴んで、そのトータルとしてのカートリッジの設計に成功したからだと思う。その点に私は、V15/IIIの人気の秘密があると思う。いわゆる商品計画のうまさを、これくらい見せつけられる製品は少ないと思う。
 ただ、私個人はタイプIIIを常用カートリッジの中には加えていない。私の装置は、本誌38号にも紹介されたようにスピーカーがJBL#4341。プリアンプがマーク・レビンソンLNP-2。パワーアンプはその後SAE#2500に変わっている。という具合で標準にはならないからこれは全く私個人の主観であることをお断りしておくが、たとえば弦や木管や女性ヴォーカルの、ふくよかさ、しっとりした艶、あるいは余韻の消えてゆくときのデリケートなニュアンスを、EMTとオルトフォンSPUは別として同格のMM、IM系でも、オルトフォンVMS20EやエラックSTS455EやB&Oやデッカの方がつややかに、潤いをもって鳴らす。逆にジャズやポピュラーのドラムス、パーカッションそして金管やヴァイブやベースの、太い響き、乾いた躍動感、切れ味の鋭さなどなら、エンパイアやADCやスタントンやピカリングが、それぞれにうまく鳴らしてくれる。
 概してヨーロッパのカートリッジが弦やヴォーカルそしてクラシック全般を、そして東海岸(イーストコースト)が金管や打楽器を中心にポピュラー系を、それぞれ最善に鳴らす反面、互いにその逆の傾向の音楽には弱みをみせる。
 そういう意味では、シュアーというカートリッジはV15にかぎらず一貫して、音楽のジャンルの区別なしに、どの傾向の音楽でもどんな編成でも、それなりにうまく鳴らすことを目標にしていると思う。これは正道であり立派なことだ。ただ、現在の私の装置では、右に書いた各種のカートリッジがそれぞれに適所を得て最高の能力を発揮したときの最良の音に、シュアーの平均的再生能力ははるかに及ばないように、私は思うのであえてV15/IIIを鳴らす必要を感じないのだ。ある意味ではタイプIIや、それ以前のつまり最初のV15の方が、弱点もあったが音の品位や魅力では一段上だったように、私には思える。
     *
 アメリカのカートリッジを語る上では、ここでどうしても西海岸に目を──といいたいところだが、なぜか西海岸には、アンプやスピーカーの名器はいくつもあるのに、カートリッジのメーカーが全くない。これは私にとって大きな謎のひとつだ。西海岸の連中がレコードを聴かないわけではない。レコード会社だってないわけではない。どうしてカートリッジが生れないのだろうか。
 現実には、西海岸のオーディオマニアは、アメリカや日本の、すでにあげた製品をそれぞれに選んでいる。おもしろいことに、スタックスやスペックスの評判がかなり高い。オルトフォンやEMTといっても名前さえ知らない連中が多い。ヨーロッパの製品はアメリカ西海岸までは出回りにくいことを知らされて意外に感じる。それにしても、なぜ、カートリッジができないのだろう。JBLみたいな音のカートリッジが、一個ぐらい生まれないものだろうか。

5 結局、一個または少数のカートリッジに惚れこんで
それを徹底的に生かすくふうをすることではないか……

 どう論じようと現実に、カートリッジを二個聴きくらべれば音色が微妙に変わる。買いかえやすいパーツであるだけに、ほとんど誰もが、最初の一個に間もなくもう一個を加える。聴き馴れたレコードの音が微妙にあるいは相当大幅に変化し、カートリッジの交換だけで自分のアンプやスピーカーの別の面が抽き出されることに驚き、やがて次々とカートリッジを買い足すことになる。私自身もそうして年月を重ねて、いま、モノーラル時代のそれを別としてステレオ用になってからでも、正確に数えてないが百五〇~六〇個以上のカートリッジのほとんどが、いつでも鳴らせるようにヘッドシェルにつけられ待機している。始めに書いたオルトフォン/SME型コネクターの普及によって、どのカートリッジでも、いつでも差し換えて鳴らせる。中にはもう数年以上鳴らさないで、コネクターの接点の錆ぴついているのがあるが……。
 しかし私の性分をいえば、カートリッジやアンプやスピーカーは、仕事でテストするときを除いてはできるかぎり切換えたくない。少なくともレコードを楽しみはじめたら、このレコードはどのカートリッジ、どのアンプ……などと切換えることを考えていると、せっかくの音楽もたのしめなくなって、結局音の方ばかり気になってしまう。だから私は、自分の楽しみのときにはカートリッジをやたらに交換するのは嫌いだ。レコードジャケットの裏に、このレコードは何のカートリッジ……とメモを書いていろいろ交換する、という人の話を聞いたことがあるが、私にはそういう趣味がない。
 何度も書いたように、私の常用は数年前からほとんどEMTとオルトフォンSPUだが、EMTのファンとして、蛇足を承知でどうしてもつけ加えておきたいことがひとつある。最近ではいくつかの機会に測定データが公表されて知られているように、EMT・TSD(およびXSD)15の周波数特性は、10kHz近辺から高域にかけてかなり目立った上昇をして、20kHzでは6ないし8dB以上の増加を示す。したがってこれを、ふつうのRIAAのカーブでイクォライズしたままでは、高域端の過剰な、弦のオーヴァートーンや子音に金属質の強調感のある、またシンバルの高音の妙にささくれ立った、不自然でクセの強い音に聴こえがちだ。しかしTSD15を、同社のスタジオプレーヤーシステム#930または#927シリーズに内蔵されている#155stイクォライザーを通して測定すると、高域はほぼ完全に、ほんとうの意味でイクォライズされて、20kHzまで±2dB程度に(カートリッジ自体にバラツキがあるので)収まった平坦な特性になって出てくる。私がEMTの音……と言うのはこの専用イクォライザーを(といってもこれ自体では使えないので、結局930または927プレーヤーシステムを)通した音のことであって、TSD/XSD15を裸のまま特性で使わざるをえないときは、アンプの方で高域をわずかに下降させたり、トゥイーターのレベルセッティングをやり直す必要さえ生じることがある。むろんこれはEMTだけの特例ではなくて、どんなカートリッジであっても、このように特性上の補正を加えて聴くのが理想なのだ。
 かつてステレオの初期の時代に作られたアンプは、その大半が入力にTAPE・HEADというポジションがあった。一九六〇年代半ば頃までのアンプをお持ちなら、入力セレクターにその表示があるはずだ。当時はテープデッキの再生ヘッドを、そのままアンプの入力に接続することを考えていた。
 ところが、テープヘッドはデッキによってその特性がバラついていて、とても一本の再生補正特性ではイクォライズできないことから、次第に、デッキ側にヘッド特性を含めて補正するイクォライザーを組み込むことが常識になった。
 カートリッジの周波数特性は、テープヘッドよりは相互の偏差は少ない。ましてテープスピードに応じてイクォライザーの特性を変えるなどの問題がない。しかし現在のように、RIAAのイクォライザー特性の偏差を0・1dBのオーダーで論じるような精度になってきてみると、それにくらべてカートリッジ側の2ないし6dB以上、ときに10dB以上にも達する特性の偏差は、とうてい無視できない大きなバラつきといえるのではないだろうか。そういうオーダーでものを考えてみると、本当は、レコードプレーヤーの内部にイクォライザーアンプが組み込まれて、それにはカートリッジの特性の偏差を補正できるようなトリミング調整回路がもうけられていて、カートリッジの特性込みでRIAAに対してフラットに補正してAUXライン相当のレベルで送り出してくれる(EMTのスタジオプレーヤーがそうなっているが)ようになることが好ましいという理くつになる。
 そうはいっても、現在世界的に普及してしまったシステム──カートリッジの出力はレコードプレーヤーから送り出されてアンプに内蔵されたRIAAの(カートリッジの特性に無関係の)イクォライザーで再生する、というこの方式を、急に変えることは事実上困難をきわめる。それならせめて、これからのアンプのイクォライザー回路に、カートリッジの特性偏差に対するトリミングコントロールが組み込まれることが望ましい。
 そんなことを考えてゆくと、こんにちのように、カートリッジがきわめて自由に、かつ容易に、交換できるようになってしまったこと自体にも、一端の問題があるように思えてくる。そしてその原因となったのが、はじめに書いたオルトフォン/SMEのこの便利なコネクターの普及であったというのは、何とも皮肉な現象だ。
 ──とここまで書いてきて、おや、私はカートリッジの交換を暗に否定するような話をしているのかな、と気がついた。そうではない。カートリッジを交換して音が変わるのは、実に楽しい。私だって、新しいカートリッジが発表されるたびに、こんどはどうか、こんどこそきっと……という気持で買ってくるじゃないか。やっぱり、新しいカートリッジを加えることは楽しいことなのだ。けれど、その交換の手軽さに寄りかかるあまり、カートリッジ一個、十分にその本質を抽き出さないで捨ててしまうことがあるのじゃないか。そのことを云いたくて、イクォライザーの問題点に、最後にちょっと触れておきたかったのだ。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 カートリッジの音色の違いと簡単にいわれているその「差」は、いろいろな角度からとらえられねばならない。一般的に「高域がよく出る」とか「低音感がある」という表現で伝えられる音の違いは、文字通り音域内でのスペクトラム・バランスによる違いで、全音域中のある特定周波数を中心に特定範囲のレスポンス反応が他より高いために、その帯域の音が目立って強く感じることによる音の差だ。これは再生系のどのパートにも起り得る判りやすい現象でもある。アンプの中のイコライザー回路やトーンコントロール回路がこれであるし、さらにイコライザー偏差により、同じRIAA補正されるべきはずでも、音の違いが出てしまうというのもこのスペクトラム・バランスを具体的な形で表現した周波数レスポンスの違いによるものだ。
 しかし、スピーカーとかカートリッジのような音響電気変換器においては、この周波数特性はアンプのように定規で引いた如く平坦では決してない。これら変換器が特定のレスポンスを示している。というのは、その内側に起因となるべき、音響的、機械的共振が発生している、ということを意味する。そして、この共振という言葉のもつ意味、本来音の出るべきでない部分が、微かな衝撃とか振動によって勝手に特定振動を始めて、それが全体の音に影響してしまう——という故に共振があることは、それだけで音を損うと速断されてしまう。現実には、音響電気変換器のカートリッジにおいても共振を利用し、活用することによって、高域の広帯域化を具体化しているわけだ。共振をいかに処理し、いかに生かしあるいはおさえるか、技術的経験に基づくバランス感覚をどう技術として生かすかによっている。「共振があるからだめ」でもなく「まったく押えたからいい」でもないのであって、その判断は、まさにスペクトラム・バランスそのもので、全体としてとらえねばならない問題だ。
 ただ、はっきりいえることはカートリッジの音色の違いの、大きなファクターが、まず周波数レスポンスによって表れるほんの僅かな、太い線で記入されたら差がなくなってしまうほどの僅かな凸起や凹みにある。それは範囲が広ければ、つまり「範囲」と「差」の相対関係で、共振のQ次第で音の違いとして感じ取れるし、その裏側には必ず共振現象が存在するということだ。
 共振があるから音が違う、という表現は間違いではないにしろ、決して正しくない。共振の処理次第でそれはあくまで音が変わるのだ。
 カートリッジの音色の違いは、しかし今まで述べた周波数レスポンスによる差、たとえ内側に共振現象を秘めてあるにしろ、そうしたスペクトラム・バランスによる差は質的な違いから比べれば大した問題ではない。
 もっと基本的なのは、その音の質的な差で、これはどうも今日の技術的表現、例えば周波数特性とか歪率カーブでは表わせるものではない。これはスピーカーとて同じことだが。例えば矩形波の再現能力などでそれを示そうという試みはあるが、その程度ではまったく根拠にならないほどの違いがはっきりと感じられる。ただむずかしいのはこうした場合、周波数レスポンスの上にも差が出ることが多いため、それによる音の差と混同してしまいがちになる点だ。だが、明らかに周波数レスポンスの違いどころではない根本的な音の差がある。例えばMM型において、いくらMC動作を模して尽せどMC型との間にはっきりした差がある、というのがこの一例だ。
 例えば音のひとつひとつの内側が極く緻密である、というのがこれだ。あるいは粒立ちの良さという表現にもある部分で共通しよう。しかし「緻密さ」「充実感」「立上りの良さ」「積極的」といった判りやすい表現をつきつめていくとこの音質的な違いにぶつかり、それはいわゆる周波数レスポンスとはまったく無関係のものということも気付くはずだ。
 カートリッジにおいては特に重要なポイントというべき点であると指摘しておこう。
 音色の差という表現では扱えないのが「ステレオ音像の再現性」で、これは少々やっかいだ。小形のシングルコーンでそれを確かめないとしっかりした判断をし難い。大形システム、それもユニットの数が多いほど他の要素、スピーカー自体の付帯要素が重畳してしまって判断を狂わすからだ。この場合、再生帯域の広さよりも音響輻射そのものができるだけ不自然でなく、人工的でないことを重視しなければならない。あらゆる周波数範囲で同じ輻射条件が欲しい。アンプの位相特性も重要だ。そうした再生系が整って始めて、カートリッジの音像再現性がうんぬんできる条件となるわけだ。
 ステレオ音像については多く語る必要はあるまい。レコードにより、部屋を含む聴取環境とスピーカーの位置を決められると、再生音量はおそらくぴたりとある一点に決められ、調節点は各個人差はあるにせよはっきり指定されるはずだ。その時の音像の確かさ。音楽の中のピアニシモからフォルテに至るあらゆる部分でこのステレオ音像は変動したりくずれたりしてはマイナスだ。もっとも低域に関してはアームの優劣が音色的差の場合より強く影響し、カートリッジ単独でこの問題を論じることは少しばかり無理なところがあるのではないか。MM型にくらべればMC型の方が一般的に好ましい。英国デッカの場合では他とは発電機構の違いから特殊ケースとなる。
 ステレオ音像から得られる判断に際して、ピアニシモ、フォルティシモのローレベル時とハイレベル時の差はスピーカーが原因となっている点にも留意し、確かめなければならぬのは勿論。
 最後にトレース性能だ。創始期のADC社によって提唱され、シェアー社が確立したトラッカビリティ最優先論は、カートリッジがレコードの音溝をたどるという基本的動作上至極当然だが、ステレオ初期にはこの着眼点のすばらしさに驚いたものだ。今それは当りまえになっているか、というと必ずしもそうとは限らぬのではないだろうか。例えば、再生上好ましい音のカートリッジが、意外にも針鳴きが大きい、つまりカンチレバーの機械的共振を押えることをせず、従ってレコードへの追従性は特性周波数帯で悪化している可能性が少なからず、といえる「優秀製品」がないわけではなく、それは世界中から再生品質の良さを認められている。こうしたものが現実にいくつも出てきている。むろん建て前としては、針鳴きのない静かなトレースのカートリッジならトレース性能もいいだろうし、そのレスポンスもフラットに近いものに違いない。しかし、どうもそれだけで決めてしまい難いファクターがまだあるのではないか、ということだ。
 カートリッジを「製品」として技術的な面からも捉えることにより、それが音質へどうはねかえるか、それをいかに判断したか、ということを本来論じられるべきかも知れぬ。しかしここではあえて一ユーザーの立場、音楽ファンからの視点によってのみ論じ、結果としての音そのものを今回どの角度からどう捉えて判断したかを述べた。
 できることなら諸兄もここで述べた判断方法を、自らの部屋で確かめられることを望むものだ。音の捉え方はもっと深く広い。ただほんの象の脚をなでた程度かも知れないが、それを許していただきたい。
 再生系の音の入口にあって、機械振動を電気信号に変換するカートリッジを、単に音の面から捉えようと試みるのは、聴覚と、それに繋がるセンスだけを軸にして推し進めることになり、それと交叉すべきいくつかの方向、路線から押えるということになってくる。むろんそのための路線はいくつもあるが、それを感覚的に捉えられるかどうかは、試みる側の能力次第にかかる。判るものにとっては容易だが、共通の言葉がなければすれ違いになるし、判りようがない。
 しかしここにあげたそのうちのいくつかのポイントは、読者にとって無論把握しておられる方もいようし、またそれを意識して試みようとすれば容易のはずだ。
 ただ「音から捉える」ということの難しさは、音がカートリッジによって変るのは確かであるが、そうと判断し受け取るのは、あくまでその当事者自身であり、音の差はカートリッジをばい体とした当事者の判断そのものということをはっきりと認識しなければならない。

タンノイ Cornetta(ステレオサウンド版)

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「マイ・ハンディクラフト タンノイ10″ユニット用コーナー・エンクロージュアをつくる」より

 完成したコーネッタのエンクロージュアには、295HPDとIIILZ MKIIの新旧2種のユニットを用意して試聴再確認をおこなうことにする。この場合、295HPDは、このユニットのデータを基準としてエンクロージュアが設計してあるため問題は少ないが、IIILZ MKIIについては、まったく振動系が異なるため、あくまでテストケースとして使用可能かがポイントになる。なお、IIILZ MKIIでは、低域に何らかのコントロールをする必要があるが、バスレフのポートの全面もしくは一部に吸音材を入れる方法か、板をポートの幅か高さに合わせてカットし、その量を調整する方法が考えられるが、今回は、ポート断面の半分に吸音材を入れた状態が、かなり好結果をしめした。
 295HPDをプロトタイプに入れると壁面を離れたフリースタンディンクの状態でも、低域から中低域にかけて量感が増し、中域が薄く聴える、いわゆるカブリをおこし、ネットワーク補正後でも、コーナー位置ではかなり低い周波数にウェイトをおいたバランスで、音としてはグレイドが高いものであったが、いわゆるタンノイの音のイメージとは、かなり異なった音である。
 最終モデルのコーネッタは、コーナー位置でオートグラフを想い出すバランスと音色を狙っただけに、低域が柔らかく量感があり、中域はわずかに薄く、高域が輝く、タンノイ的バランスの音である。しかし、ユニット自体がワイドレンジ型であるため、トータルの音は、柔らかく、キメが細かいソフトなものとなり、いわゆるタンノイの硬質な魅力とは、やや異なった現代型の音色である。この音はスケール感が大きく、コーナー型特有のピンポイント的なクリアーな音像定位と、充分に引きがある空間のパースペクティブを聴かせる特長があり、あきらかに、ブックシェルフ型エンクロージュア入りの295HPDとは、大きく次元が異なった別世界の音である。
 IIILZ MKIIにすると低域の伸びは抑えられるが低域はソリッドに引き締まり、中域が充実した密度が高く凝縮した音になり、タンノイ独得の高域が鮮やかに色どりをそえるバランスとなる。この音は、すでに存在しない旧き良きタンノイのみがもつ燻銀の渋さと、高貴な洗練さを感じさせる、しっとりとした輝きをもったものだ。まさしく、甦ったオートグラフの面影であり次から次へとレコードを聴き漁りたい誘惑にかられる、あの音である。
 カートリッジは、エレクトロ・アクースティックのSTS455Eや、オルトフォンのVMS20E、M15Eスーパーが柔らかく透明になるソフトでデリケートな音であり、オルトフォンのSPUシリーズが音のくまどりが鮮やかで密度が濃く格調の高い音となるが、とりわけSPU−Aが抜群の音である。アンプは、295HPDには50Wクラス以上のハイクォリティなソリッドステートタイプが現代的な伸ぴやかで粒立ちが細かい音で相応しく、IIILZ MKIIには、ソリッドステートタイプでも充分であるが、パワーアンプには、少なくとも30Wクラス以上の管球タイプを使うと磨きこまれたまろやかな、柔らかく拡がる音場空間をもった立派な音となって、素晴らしい音を聴かせる。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 合計123個の内外のカートリッジの試聴をおこなったが、もっとも重要なポイントとしてクローズアップされたことは、本質的な試聴を終えての感想ではなく、試聴以前のリハーサル的な試聴における、カートリッジとそれを組み合わせるトーンアーム、もしくはプレーヤーシステムとの間にある問題である。
 最近のプレーヤーシステムは、以前のような、プレーヤー構成部品であるカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターを集めてプレーヤーべ-スに取り付けた、いわゆるアッセンブリー型プレーヤーが少なくなり、各構成部品がデザイン的にも、性能的にも有機的に結びついたプレーヤーシステムとしての完成度が高くなっている。
 それとは別に、DD型フォノモーターが商品化されて以来、プレーヤーシステムの焦点はフォノモーター中心に発展してきた。
 モーターの駆動力が、それまでのベルトを介さずに直接ターンテーブルをダイレクトに回転させる駆動方式の転換に主な意味があった第1世代のDD型から、ターンテーブルが1回転する間に回転数を制御するチェックアウトポイントの数を増加して、回転数をよりムラなくコントロールする、FGサーボに代表される第2世代のDD型。さらに、回転数の増減をプラス方向マイナス方向ともに制御可能であり、かつ、回転数の基準を正確なクリスタルを採用して規制をする現在の第3世代のDD型にまで発展してきた。
 たしかに、これらのターンテーブルの改良発展によって、結果的な音質が大幅に向上していることに異論はないが、プレーヤーシステムとしてトータルで考えると、ややトーンアームの問題が取り残されているように思われる。現在のプレーヤーシステム間の音の違いは、一般に考えられているよりははなはだしく大きく、同じカートリッジ同じディスクを使ってその差を比較すると、まさに驚くべき格差があり、少なくとも、現在すでに高水準にあるプリメインアンプと比較すると問題にならぬほど大きく、もっとも大きく音を支配するといわれるスピーカーシステムと比較しても、スピーカーシステムのように、設置場所によるコントロールが不可能に近いだけにこの差のもつ意味は、かなり大きいと受け取らなければならない。
 プレーヤーシステム間の音の差の原因として考えられるのは、その大半がトーンアームにあるようである。実際に、今回のカートリッジ試聴で最後までつねに問題として残ったのは、トーンアームの選択が妥当であったかどうかである。
 現在のカートリッジは、CD−4システムが発表されて以来、急速に性能が向上しているだけに、トーンアーム側はユニバーサル型を原則としている限り、大きなネックにさしかかっているようだ。ある意味では、広範囲なカートリッジの使用を前提とするユニバーサル型トーンアームは限界に達しているようである。トータルなシステムとして考えると、完成度が高まったとはいえ、なお、コンポーネントシステムのなかでは、プレーヤーシステムがもっとも多くの問題を残しており、音が良いプレーヤーシステムが出揃うまでにはかなりの時間が必要であろう。
 今回の試聴を終っての感想は、平均的にカートリッジの性能が高くなったという、月並みな結果であり毎度このような試聴をおこなうたびに感じることと同様な結果である。とくに、国内製品では、各メーカー間の個性が薄れて平均化しているのは、他のプリメインアンプやスピーカーシステムと同じ傾向であり、各メーカーの基本的な技術水準が向上して接近していることを物語るものであろう。このことは海外製品でも同様で、新しい製品は物理的な性能が高くなった反面に、音色的な個性は徐々に少なくなる傾向が感じられる。とくに、内外を問わず、CD−4システムに使用可能な高価格のモデルは、音が平均化する傾向が強いのは、大変に興味深い事実である。当然、コンポーネントシステムが高級なクォリティが高いものとなれば、平均化したなかでの差が大きな要素としてクローズアップされてくるが、平均的なコンポーネントシステムを使用するという条件があれば、その差はかなり縮まるはずである。
 今回の試聴では、テストの方法で書いたような条件を設定し、その場での音についてのリポートをすることにした。したがって、従来からの個人的な使用での先入観的な各カートリッジの音色は、まったく、今回の試聴リポートには関係なく、結果としては、経験上の音色とかなり異なったカートリッジも多い。おそらく、プログラムソース側でのディスク自体がかなり発展して質的な向上をしていることも原因であろうが、アンプ関係の性能向上も大きな要素となっていると思われる。また、今回の試聴により、従来から潜在的に、各カートリッジに感じていたことが、デメリット的に表面に問題として出てきた場合もあり、逆に、可能性としてメリットとなって、あらためて認識し、確認した例もある。やはり、カートリッジが、現在ではプレーヤーシステム、とくにトーンアームと分割されたひとつの部品として存在していることが、このように変化する要因であろうし、長期間使ってかなり判かっていたはずのカートリッジでさえも、的確に音が捕えきれない理由ではないかと思われる。
 今回の試聴で注意して聴いたポイントは、一般的なコンポーネントシステムに共通な、聴感上の周波数レンジ、周波数帯域内での量的と質的なバランス、ステレオフォニックな音場感、つまり、左右の拡がり、前後の奥行き、音像定位と音像の大きさなどがある。
 個人的な意見としては、コンポーネントシステムのなかではスピーカーシステムとアンプが基本であり、カートリッジを含めたプレーヤーシステムは、FMチューナーやテープデッキと同様にプログラムソースであると単純に考えるべきものと思う。現在のように任意にカートリッジが交換できるプレーヤーシステムでは、カートリッジはプログラムソースであるディスクとその内容によって決定するべきであろう。音的には現在のカートリッジはかなりの水準に達しているが、音楽を聴くことになれば、物理的な音としてのクォリティが高いとしても、それがすべてではない。例えば、多くの米国系のカートリッジでは、ドイツ系のオーケストラがもつ音色を充分に聴かせることが難しく、ドイツ系のカートリッジで、ロックやソウルのエネルギッシュでビートのあるリズムを聴くことは、どうにも場違いな感じが強い。しかし、このサイドに踏み込むと、用意するプログラムソースの幅が広くなり、細かく試聴を重ねていくだけの充分な時間も現実に不足するのは、試聴カートリッジの機種が多いだけに当然であろう。
 今回は、テスターが各人各様の試聴をする持廻り試聴でもあるために、基本となる音的な問題に限定して試聴をし、リポートをすることとし、音楽的な問題は、その、ほとんどを割愛することにした。
 試聴リポートに出てくる低域のダンピングという意味は、トーンアームを含んでの低域の量と質との兼ねあいに関係がある、感覚的なダンピングで、一般的なダンピングが効いた音などと表現されるものと同様に考えていただいてもよいと思う。また、聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、音に対してどのように影響を与えるかによって変化をする。物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。また、高域のレスポンスがよく伸ぴ、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、聴感上のSN比はよくなる傾向があった。

パイオニア SA-8900II, SA-8800II

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 パイオニアのプリメインアンプとしては中堅機種であるSA−8900/8800が、音質重視の最新回路技術を導入して、IIシリーズに発展改良された。
 新シリーズ共通の特長は、SN比を高め、低歪率化をするために、使用部品を厳選するとともに左右チャンネル間の干渉を防ぎ、音質を向上する目的で電源部には左右チャンネルが独立した、2電源トランスを採用している。
 SA−8900IIは、イコライザー段に初段差動3段直結A級SEPP型アンプを採用し、最大許容入力300mV、RIAA偏差±0・2dB以内という特性と、負荷抵抗、負荷容量ともに、4段に切替わるカートリッジロードスイッチが付属している。トーンコントロールは、パイオニア独自のツインコントロールで、初段差動の2段直結アンプを採用している。
 パワーアンプは、差動2段の全段直結ピュアコンプリメンタリーOCLで、パワートランジスターは並列使用で80W+80Wのパワーがある。
 電源部は、ドライバー以後出力段まで、左右チャンネルが独立した巻線と電流回路をもち、さらにプリアンプ部とパワーアンプ部のプリドライバー段まで、左右独立した安定化電源をもっている。
 SA−8800IIは、イコライザー段の構成は似ているが、許容入力が250mVになり、カートリッジロード切替は、容量だけが4段切替である。トーンコントロールは、ターンオーバー3段切替のレギュラータイプになっている。なお、パワーアンプは、似た構成だが、60W+60Wのパワーである。これ以外については、ほぼSA−8900IIと同じ特長をもっている。

スタントン 500AA, 600EE, 680EL, 680EE, 681EE, 681EEE

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 スタントンは、米国系のカートリッジとしては、素直で標準的な音をもち、個性的な魅力を聴かせるタイプでないのが珍しい。
 681EEEは、音の粒子が細かくスッキリとして磨き込まれている。聴感上の帯域はフラットで爽やかによく伸びている。音に汚れがなく、滑らかで美しさがあるが、表情がおだやかで、やや控えめである。ヴォーカルは少し線が細く、キレイではあるが、力感が不足気味で実体感が薄らぎ、ピアノは澄んだ透明な感じが美しいが、迫力に乏しく、スケールが充分に感じられない。クォリティは充分に高く、音場感はホールトーン的によく拡がり、音像も平均的に立つ。このカートリッジは、力強い表現には向かないが、線が細くキレイな特長は、それなりにかなりの魅力があると思う。
 681EEは、EEEよりもスッキリとしてクリアーな音である。粒立ちはやや粗いが、SN比で気になることはない。帯域バランスはフラット型でカラリゼーションは少ないタイプである。低域は質感がよく音の変化がわかりやすい。ヴォーカルは、スッキリとして、ややハスキー調で子音を強調するが、バランスは崩れず、明るい感じがある。ピアノは、カッチリとした音で、響きも美しく、スケール感もある。細部のニュアンスを拾い出して美しく聴かせるところは、681EEEが優れるが、バーサタイルに使用する場合には、この681EEの方が、爽やかで明快な音をもち、音色が明るく開放感があって使いやすいと思う。
 680ELは、粒立ちが粗く、SN比が気になる。低域から中低域は腰が強く、エネルギーが充分にあって安定度は大きいが、中域以上は明快だが線が太く、しなやかに細部を拾い出して聴かせるわけにはいかない。
 680EEは、粒立ちは、681EEより粗くなり、SN比が少し気になる。帯域バランスはナチュラルで、全体の音はソリッドに引き締まり、適度に音にコントラストをつけて、フレッシュに聴かせる。低域は標準型で甘すぎず、安定しており、中域以上の音をよくサポートしている。ヴォーカルは、ストレートな感じで押し出しがよく、ピアノもカッチリとスケール感がある。
 600EEは、メリハリ型のクッキリとした音である。やや線が太く、骨組みがシッカリとして男性的な感じがあり、低域の腰が強く、エネルギーがタップリとあって堂々とした安定感のある音が特長である。ヴォーカルは子音を強調気味でハスキー調となるが、音像は大きく、前にグッと出て定位する。ピアノはアタックの力が強くダイナミックにスケール感があって、よく鳴る感じだ。トータルバランスはよく、安定した音をもつが、粒立ちは粗く、SN比が少し気になる。
 500AAは、全体に音にラフな感じがあり、充分の力感がないために、表面的に音にコントラストをつけて聴かせる傾向がある。中低域から低域は安定しているが、中域以上は粗く、やや硬調で、音の密度もあまり濃いタイプではない。

ソナス Red Label, Blue Label

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 ブルーラベルは、全体にサラリとしたストレートな現代的な音をもっている。聴感上の帯域は標準的なバランスをもつが、メリハリが効いているために、ややハイファイ調にいかにも音の分離がよいように聴こえるタイプである。低域は、最低域が重く感じられ、その上が少し弱く、結果としてやや抑えられたように感じることもある。中低域は質感が軽く響きはキレイだ。性質は少しドライで割切りのよい特長がある。
 レッドラベルは、コントラストが強い押出しのよい音をもっている。メリハリが効いた明快な感じは開放感があり、力強く男性的である。この音はややラフではあるが力感があるために、ストレートな、もって廻らぬ、一種の説得力があり、好みにより結果は大きく分かれるタイプであろう。

シュアー M75G TypeII, M91GD, SC35C, M95ED, V15 TypeIII

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 シュアーは、当初からMM型の発電方式を採用したカートリッジをつくりつづけており、ステレオ初期以来、つねに新製品は、数々の話題を投じている。音色は、適度にコントラストがついた、耳あたりがよく活気がありキレイに音を聴かせる、いわば演出型の音が他にない個性となっている。
 V15/IIIは、粒立ちはまず標準的という感じで、最近の高級カートリッジと比較すると、さして細かさは感じられない。帯域バランスは、低域から中低域に独得なスケール感を感じさせる音があり、中域から中高域にも、やや硬調な効果的に輝く個性がある。ヴォーカルは、ちょっと聴きには、スッキリと抜けてニュアンスが充分にわかる感じがあり、音像がクッキリと立つタイプであるが、聴き込むと、キリッとした輪郭がなく、ピアノはスケール感はあるが低音が甘くベトつき気味である。プログラムソースにはフレキシブルに対応して気持よく聴かせる特長がある。高級コンポーネントシステムよりも、中級以下のシステムの場合に見事な音を聴かせる傾向があるが、システムのクォリティが高くなると、薄味の華やかさになり、音がベタツキ気味になるのが興味深い。
 M95EDは、柔らかく耳あたりがよい音をもっている。中低域に量感があって、軽くよく響くが、やや粘る感じもあって奇妙にスッキリと爽やかにならない面がある。ヴォーカルは表情が甘く、声量がなく、オンマイク録音のように細部を見せるが、表現が表面的で実体感が乏しいようだ。ピアノはソフトで適度に輝くが、クリアーにカッチリとした音にならない。
 M91GDは、低域のダンプが適度であり、音の粒子は上級モデルよりも粗くなり、聴感上のSN比がときおり気になることがある。音の傾向は、M95EDよりもクリアーでスッキリとした感じがあり、暖かみがあり、ベトツキがなくなっている。低域は、量感があって、少し甘く感じられるが、弾力性もあってリズミックな表現も充分にこなすだけの力量がある。ヴォーカルは、子音を強調気味でハスキー調となるが、適度にコントラストをつける効果があり、力感もあるために、スッキリとクリアーな印象がある。ピアノは、スケール感もかなりあって、響きが美しく明快である。トータルバランスはかなりコントロールされて巧みにとられているために、音の魅力ではM95EDを上廻り、活気があり、リズミックに音を楽しく聴かせるメリットが大きい。
 SC35Cは、帯域が狭く、線の太いマクロ的に音をまとめるタイプだ。粒立ちは粗くノイズが耳ざわりである。低域から中低域にかなりエネルギーが感じられる、腰が強いソリッドなメリットをもつが、全体に音が大味にすぎて、細部の表現がかなり不足する。
 M75G/2は、粒立ちは粗いタイプだが、あまり聴感上のSN比が劣化しない特長がある。帯域はナローレンジ型で、全体に音の傾向は甘く柔らかい。普及型システムと使うと、安定した面白味がある音になる。