Daily Archives: 1976年5月20日

ダイヤトーン DA-P10 + DA-A15

菅野沖彦

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 ダイヤトーンのアンプにかける惰熱がありありとわかる新製品が登場した。今月発売された一連のセパレート・アンプ・シリーズである。プリアンプ2機種とパワー・アンプ3機種が同時に発表されたが、いずれもひとつの明確な思想のもとに開発されたオリジナリティーをもったアンプである。中でも高級機が、今月の選定新製品になったDA−P10プリアンプと、DA−A15パワー・アンプである。このシリーズのアンプでまず目をひくのは、プリ・アンプとパワー・アンプを1台のインテグラル・アンプとしてカップリングできる構造をとったアイデアである。これは今迄、ちょっと考えつかなかった発想ではなかろうか。セパレート・アンプとしての純粋な形からすれば、わざわざカップリングさせるとは余計な考え過ぎという見方もできなくはないが、スペースに制限がある場合、こういう使い方ができるようになっていることはありがたい。しかも、そのドッキング機構もシンプルで確実だし、デザイン的にも、いかにもたくましいインテグラル・アンプの魅力たっぷりな姿が実現する。シャーシ・パネル構造は大変がっちりした頼もしいもので信頼感に、溢れている。
外観が先になってしまったが、肝腎の中身のほうも、セパレート・アンプとしての必然性を十分保証する密度の高いもので、DA−P10もDA−A15も、完全なモノーラル・コンストラクションを採用した本格的な高級アンプなのだ。このコンストラクションにより、従来見逃されていたクロストークの害からほとんど理想的に逃れることを可能にしているのである。両チャンネル間のダイナミックな動作状態においては、クロストークは、単にセバレーション、音像定位などに悪影響を与えるのみならず、歪による音質劣化という現象としての害をダイヤトーンは徹底的に追求したというが、たしかに、このような完全モーラル・コンストラクションによるアンプの音と従来のステレオ・コンストラクション(ただ電源が2台あるだけでは不十分の場合もあり、電源が1つでも急所を抑え余裕のあるものの場合は意外に好結果が得られる)と聴き比べて、臨場感や音像の安定感の差は瀝然なのである。筆者は、2台のステレオ・アンプを使って、この差を確認しているが、それは全体的な音質の差という聴感的な認識をもたらすほどだった。その昔、マランツがモノーラル・アンプを2台カップリングしたアンプを発売していたが、その頃、ステレオといえども、この方式に大きなメリットのあることを某社のエンジニアに話しをしたが全くとり合ってもらえなかったことを思い起こすにつけ、アンプも進歩したものだ? という妙な感慨をもったものだ。薄紙をはぐように、紙一重の音質の向上に、大切なお金と貴重な時間をさいている我々アマチュア精神の持ち主が考えることなど、いちいち聞いてもらえないのも当然だと思っていたものなのだが、最近のようにメーカーが本格的に、こうした地道な基本に目を向け、その成果を定量的なデーターとしても明らかにしてくれることは喜びにたえないのである。
 ところで、このアンプ、いくらモノーラル・コンストラクションがいいといっても、それが全てでは勿論ないし先にも書いたように、ステレオ・コンストラクションでもいいアンプはたくさんあるのだが、音質のほうも、なかなかすばらしい。特にDA−A15パワー・アンプが素晴らしい。差動2段、カレントミー・ドライブ、3段ダーリントンによるピュア・コンプリメンタリー・サーキットは余裕のある安定した電源から150W×2(8Ω)の出力を引き出す。音に深味があって、しかも解像力のよい鋭い切れ込みをきかせる。高域も決してやせないし肉がつく。これに対してDA−P10のプリ・アンプのほうが、やや声域がハーシュに響く。ダイヤトーン独特の高域の華やぎといえるが、筆者にはこれが気になる。高域はもっとしっとり、繊細さと鋭さが豊かさと肉付きを犠牲にしてはならないと思うのだ。これで、そういうニュアンスが再生されたら、倍の値段でも高いとは思えない定価がさらにこの商品の可能性と魅力を高めているのである。
 情熱に裏付けられた、よほどの販売自信がなければ、この品物をこの値段で売ることはできないのではないかと思うほどの価値をもったアンプだ。

フィデリティ・リサーチ FR-64S

岩崎千明

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 この1年間ほど米国のオーディオ誌やステレオ・レビュー誌の広告に、FRのアームが真上からみた原寸にも近い大きな姿勢で載っている。この広告は決しでFRのものでもないし、無論トーンアームの広告でもない。シェルはSMEだがアームはまぎれもなくFR54がなぜか登場しいる。おそらく広告制作者が、FR54の美しい姿態に魅せられての結果だろうということは十分察しがつくというものだ。現在世界に何10種とあるトーンアームの中で、奇をてらうことなく本格派の風格を、これほどのセンスでまとめ上げたアームは他に探すのはちょっと難しかろう。このアームに眼を止めた読者は、単純にその美しい姿を無意識のうちに理解し、更にその広告主のセンスの良さを無言の中で受けとめよう。
「名は態を表わす」というのと同じくらい「態は内側を表わす」ものだ。外観の上にその中味はにじみ出るから「美しい」ものは必らずその内容も悪かろうはずがない。これは真理だ。人の世に芸術というものがある以上、自然の法則ともいえよう。
 ところでこのFR54を外観の上でも、内容としてもはるかに凌駕する製品が出現した。このスーパースターこそFR64Sなのである。
 FRは軽量級MC型カートリッジFR1と、そのアームFR24をもってスタートした。その後、MM型カートリッジFR5を加え、さらに汎用アームFR54を加えて今日の基礎を成してきた。今、FR6シリーズ、さらにFR101とMM型カートリッジ陣を展げ さらにFR1は1度の改良を加えて性能をはるかに向上させた。そうした一連のグレード・アップともいえるカートリッジを最も理想的に動作させるため、実働性能の優れたトーンアームを既に数年前から開発中だった。実働性能といういい方は少々理解し難いかも知れぬ。例えばレコードのコンディションやプレイヤーの動作環境を考えれば、必らずしも理想状態にいつもあるとはいえない。いや逆に実際のコンディションは、理想状態とは程違いというのがディスク再生の実際なのである。
 これを考慮したとき、今日の高感度軽量級アームの基本技術といえるスタティック・バランス・タイプの全ては実用的動作で問題を内蔵することになる。レコードの偏心、ソリ、プレイヤーの傾き、水平の保持の不確かさ、こうした全てが重力をたよりにしたスタティック・バランス型では裏目に出てしまう。針圧を加えんと、カウンター・ウエイトをずらして水平バランスをくずした時から、このウイーク・ポイントに常に脅かされることになるというわけだ。アーム自体の水平バランスを完全にとった上で、スプリングによる針庄加圧をするダイナミック・バランス方式こそ理想だ。プレイヤーをほんの少し傾けてみたとき厳然たる事実として、それは誰にでも確かめられよう。プロフェッショナル用アームにおいて、ダイナミック・バランス型の多いのも理由がはっきりあるのだ。
 ところが、このダイナミック・バランス方式は機構として針圧加圧のためのスプリングを内蔵するが、これが実は難物だ。市販の量産品にこのタイプがない最大の理由がそれである。現実にEMTのプロ用アームにおいてもその1グラム単位のひと目盛は2m/m程度の大まかなものであるのは、スプリングの許容誤差を究めることが至難なことを示している。
 さて、FR64S開発に既に5年あるいはそれ以上を経たはずだが、今日の新型はなんと0・5g刻みで、1目盛は4m/m近くもある。つまり1gあたり8m/mはあろう。これはかつてあらゆる海外の業務用メーカーの達し得なかった領域で、そこに使われているスプリングの構度の極限をまさに一眼で表わしているといえよう。ダイナミック・バランス型の良さを承知していても実際上、製品化の難しいのは当事者たるメーカー各位がよく知っているはずで、最近になってやっと数種が国産製品化に成功したに過ぎない。その数少ないダイナミック・バランス型の中にあってFR64Sは、もっとも高精度のアームといってよい。加うるにステンレス・アームによる超低域特性の確固たる音は、価格5万5千円を補って余りある内容と知れば、誰しも納得してしまうことだろう。

サンスイ AU-7700

菅野沖彦

スイングジャーナル 6月号(1976年5月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 サンスイから新たに発売されたプリ・メイン・アンプAU7700は、一聴して歪のない快よい音が印象的であった。どこかうつろといってもよいような、それは、空胴感をもっているのである。私には、よくも、あしくも、これがこのアンプの音の特長に感じられる。だいたい、従来から、メカやエレクトロニクスのプロセスを通った録音再生音は、あまりにも音の存在感があり過ぎたように私には感じられてならない。色でいえば、不透明な顔料とでもいえるのだろう。一種特有の壁のように私の前に立ちふさがるのである。音には、それが自然音の場合、どんなに衝撃的な迫力のある音であっても空中を浮遊する美しい透明感と、突きあたりのない奥行、つまり立体感に満ちている。このアンプが私に与えた空胴感というのは、いわば、一種、この感覚に近いものであって、これは歪の多いアンプには絶対にないものだと思う。しかしである。自然音の魅力は、そうした透明感、空胴感は、確個とした実体感とバランスを保ったものであって、決して最近の低歪率音響機器と称せられる製品の多くが持っている弱々しい虚弱さとは異るのである。こう書いてくると、いかにも生の音とそっくりの再生音……つまり一頃よく云われた原音再生こそ理想だといっているようにとられる危険性を感じるが、私のいわんとしているのは、それが生であろうと、再生音であろうと、美しい音ならばいいわけで、現状では、自然音のもつ美しさに匹敵する再生音がまだ得られていないというだけのことである。透明感が得られたと思うと力がなくなり、力があると思うと歪感があるといった具合で、なかなか思うようにはいかないのである。このサンスイのAU7700というアンプも、どちらかというと、少々力が足りない。やや歪の多いスピーカーを鳴らしたほうがガッツのある音がする。スピーカーは未だ歪だらけだから、それを鳴らすアンプとしては今の所、解析されている歪は出来るだけ減らしていったほうがいいのである。しかし、問題は歪感のある音……つまり、元々、とげとげしい音、荒々しい音まで、ふんわりと鳴らしてしまうことである。残念ながら、現在の音響機器から、理解されている歪をどんどん減らそうと局部的に改善を重ねていくと、どういうわけか、そんな傾向へいってしまうようなのだ。その証拠に、現在、測定データで歪のもっとも少ないとされるスピーカーは、まるで無菌状態のように、ふぬけの音がするのである。改善が局部的というか片手落ちというか、トータルでのバランスをくずす結果の現象と推察する以外にない。
 このアンプは従来のサンスイのアンプのもっていた馬力というものより、むしろ、よく抜けたすっきりとした音というイメージが濃いが、この辺にサンスイのアンプの進歩を明らかに見出すと同時に、一抹の不安を感じさせられるのである。その不安は、このアンプそのものにあるのではなく、そういう傾向に進んだとしたら……ということだ。サンスイは音の専門メーカーとして、聴感上のコントロールを重視しているので、その心配はないかもしれないが……。音に関する限り、それが研究所内での実験ならいざしらず、テクノロジーだけに片寄っていくとそうした危険を伴う。そういった現状での電気音響技術の不完全性が商品に現われてしまうという事実を認めざるを得ない。現時点での最高のテクノロジーといえども、目的である音(感覚対象としての)を100%コントロールすることは出来ないのである。AU7700は、この点、両者がよくバランスしたアンプであって、商品としての実用性が高い。20Hz〜20kHzの帯域で両チャンネル駆動で50W+50Wの出力が保証され、高周波歪、混変調歪率0・1%以下に収められているが、合理的な設計が随所に見られる最新鋭器である。惜しむらくはデザインで、内容を充分に象徴するところまでには至っていない。リアの入出力ターミナルのパネルがリ・デザインされ便利になっているし、努力の跡は大いに認められるのだが、未消化な面取や無理なスタイリングが高級品に必要なシンプリシティを害している。電源の安定化(±2電源)、配線を極力排した基盤と直結のコネクター類、一点アースなどオーソドックスな技術面での追求によって得られた音質は、このアピアランスを上廻っているのである。初めに書いたように、力強さから、品位の高い透明感に近づいたサンスイの新しいサウンドは、音の美しさを一歩高い次元で把えるマニアに喜ばれるものだろう。