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ヤマハ NS-500

岩崎千明

オーディオ専科 7月号(1976年6月発行)

 ベリリウム・ツィータおよびスコーカを採用し、モニタースピーカとして好評を博しているNS1000Mの弟分として発売されたのが、NS500である。NS500は25ccmウーハー、3cm口径のペリリウム・ダイヤフラムを用いたドームツィータを配した2ウェイブックシェルフ型であり、NS1000Mをひとまわり小振りにした外観は、ツヤ消し仕上げの、非常にメカニカルな雰囲気とプロフェッショナル・ユースにも合うような大変たのもしい風格を待つ。
 ヤマハの特徴であるベリリウム・ツィータは、今回のNS500においては、口径が23mmと小型で、、そのハイエンドの周波数特性は20KHzを超える程の高い音域にいたるまで、最も理想的なピストン運動動作をたもつことが出来る。しかもこのベリリウム・ツィータの最も驚ろくべき特徴は、1800Hzという非常に低いクロスオーバー周波数でありながら、なおかつ、音楽プログラムにおいて60Wという高い耐入力を持っている点であろう。一般には小口径のツィータにおいてはボイスコイルの質量がかなり制限されるためその線材としてきわめて細い線を用いることか
ら、余り大きな耐入力を得ることでは不利なわけであるが、このベリリウム・ドームツィータでは常識をはるかに超える耐入力を得ている点に注目したい。
 25cmウーハーは当然のことながら2000Hzまでをカバーするべく今までのウーハ一に比べて、低音用の中域における特性を重視した設計がなされており、具体的にほ、コーン紙を自社で独自に開発したものを使用しており、質量が軽いうえに、高い剛性を持っているので、中音域での理想的動作を持ち得る大きな要素となっている。又、このブックシェルフの大きな特徴である重低音の再生は、このすぐれたウーハ一によるところが大きいが、NS1000Mの密閉型とは違って、NS500においてはローエンドを確保すべくバスレフ方式を採用している点を見逃すことが出来ない。このバスレフ方式によって低音域におけるローエンドがスピーカのf0よりさらに拡大されることによって、非常に広い再生帯域を低い方に確保している。これはベリリウム・ツィータによるハイエンドの確保とのバランスを考えると適切な処置といえよう。さらにこのバスレフ方式採用によって、低音用ユニットからの音響幅射が極めてスムーズなため中音での音のクリアな感じがほうふつと感じられる。さらにこのウーハ一には、55mmφ×35mmhの大型アルニコマグネットを用いて、ロスの少ない高能率な内磁型のマグネットサーキットを持ち、こうした強力なマグネットを充分に生かしたショートボイスコイル方式を採用しているため、極めて高能率かつ歪の少ない再生が可能となっている。しかもボイスコイルには200度以上の高温に耐えうる素材を採用するなど耐入力特性に秀れている。こうしたいくつかのユニットの特徴に加え、ネットワークも空芯コイルを用いた極めて豪華な金のかかったネットワークとされ、ロスの少ないことによる高能率化、また音質の劣化も充分に考慮されたものとなっている。
 さらにNS500における大きな特徴は重量級のキャビネットである。松材のパルプを用いたパーチクルボードを用いた極めて重量の重い一体構造となっているわけで、こうしたブックシェルフスピーカのなかでも20kgに近いという極めて重い重量級となっている。しかも、ブラック&シルバーの外観は、ウーハーのアルミフレームおよび支持金具が形づくるレイアウトによって、非常にめだつデザインとなっている。これはこのNS500の価格帯には他社の優秀製品がライバル製品としてひしめき合っているだけに、店頭効果を充分考慮したユニークなデザインといえよう。
 さて、NS500はNS100Mに較べて、外観上もひとまわり少さく、しかも2ウェイ構成であるにもかかわらず、その中音域での音の極めて積極的な響き方は驚ろく程で、特に歌あるいは楽器の演奏等に対して非常に力強い迫力を秘めている。このローエンドからハイエンドに至る極めてフラットな感じの一様なレスポンスを感じさせる音は、現代の最も進んだハイファイ用スピーカのひとつの典型ともいえよう。
 とくに最近増えている若い音楽ファンなどにはNS500はまさにうってつけのヤマハの高級スピーカといえよう。

「最新カートリッジ123機種を聴いて」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 カートリッジの音色の違いと簡単にいわれているその「差」は、いろいろな角度からとらえられねばならない。一般的に「高域がよく出る」とか「低音感がある」という表現で伝えられる音の違いは、文字通り音域内でのスペクトラム・バランスによる違いで、全音域中のある特定周波数を中心に特定範囲のレスポンス反応が他より高いために、その帯域の音が目立って強く感じることによる音の差だ。これは再生系のどのパートにも起り得る判りやすい現象でもある。アンプの中のイコライザー回路やトーンコントロール回路がこれであるし、さらにイコライザー偏差により、同じRIAA補正されるべきはずでも、音の違いが出てしまうというのもこのスペクトラム・バランスを具体的な形で表現した周波数レスポンスの違いによるものだ。
 しかし、スピーカーとかカートリッジのような音響電気変換器においては、この周波数特性はアンプのように定規で引いた如く平坦では決してない。これら変換器が特定のレスポンスを示している。というのは、その内側に起因となるべき、音響的、機械的共振が発生している、ということを意味する。そして、この共振という言葉のもつ意味、本来音の出るべきでない部分が、微かな衝撃とか振動によって勝手に特定振動を始めて、それが全体の音に影響してしまう——という故に共振があることは、それだけで音を損うと速断されてしまう。現実には、音響電気変換器のカートリッジにおいても共振を利用し、活用することによって、高域の広帯域化を具体化しているわけだ。共振をいかに処理し、いかに生かしあるいはおさえるか、技術的経験に基づくバランス感覚をどう技術として生かすかによっている。「共振があるからだめ」でもなく「まったく押えたからいい」でもないのであって、その判断は、まさにスペクトラム・バランスそのもので、全体としてとらえねばならない問題だ。
 ただ、はっきりいえることはカートリッジの音色の違いの、大きなファクターが、まず周波数レスポンスによって表れるほんの僅かな、太い線で記入されたら差がなくなってしまうほどの僅かな凸起や凹みにある。それは範囲が広ければ、つまり「範囲」と「差」の相対関係で、共振のQ次第で音の違いとして感じ取れるし、その裏側には必ず共振現象が存在するということだ。
 共振があるから音が違う、という表現は間違いではないにしろ、決して正しくない。共振の処理次第でそれはあくまで音が変わるのだ。
 カートリッジの音色の違いは、しかし今まで述べた周波数レスポンスによる差、たとえ内側に共振現象を秘めてあるにしろ、そうしたスペクトラム・バランスによる差は質的な違いから比べれば大した問題ではない。
 もっと基本的なのは、その音の質的な差で、これはどうも今日の技術的表現、例えば周波数特性とか歪率カーブでは表わせるものではない。これはスピーカーとて同じことだが。例えば矩形波の再現能力などでそれを示そうという試みはあるが、その程度ではまったく根拠にならないほどの違いがはっきりと感じられる。ただむずかしいのはこうした場合、周波数レスポンスの上にも差が出ることが多いため、それによる音の差と混同してしまいがちになる点だ。だが、明らかに周波数レスポンスの違いどころではない根本的な音の差がある。例えばMM型において、いくらMC動作を模して尽せどMC型との間にはっきりした差がある、というのがこの一例だ。
 例えば音のひとつひとつの内側が極く緻密である、というのがこれだ。あるいは粒立ちの良さという表現にもある部分で共通しよう。しかし「緻密さ」「充実感」「立上りの良さ」「積極的」といった判りやすい表現をつきつめていくとこの音質的な違いにぶつかり、それはいわゆる周波数レスポンスとはまったく無関係のものということも気付くはずだ。
 カートリッジにおいては特に重要なポイントというべき点であると指摘しておこう。
 音色の差という表現では扱えないのが「ステレオ音像の再現性」で、これは少々やっかいだ。小形のシングルコーンでそれを確かめないとしっかりした判断をし難い。大形システム、それもユニットの数が多いほど他の要素、スピーカー自体の付帯要素が重畳してしまって判断を狂わすからだ。この場合、再生帯域の広さよりも音響輻射そのものができるだけ不自然でなく、人工的でないことを重視しなければならない。あらゆる周波数範囲で同じ輻射条件が欲しい。アンプの位相特性も重要だ。そうした再生系が整って始めて、カートリッジの音像再現性がうんぬんできる条件となるわけだ。
 ステレオ音像については多く語る必要はあるまい。レコードにより、部屋を含む聴取環境とスピーカーの位置を決められると、再生音量はおそらくぴたりとある一点に決められ、調節点は各個人差はあるにせよはっきり指定されるはずだ。その時の音像の確かさ。音楽の中のピアニシモからフォルテに至るあらゆる部分でこのステレオ音像は変動したりくずれたりしてはマイナスだ。もっとも低域に関してはアームの優劣が音色的差の場合より強く影響し、カートリッジ単独でこの問題を論じることは少しばかり無理なところがあるのではないか。MM型にくらべればMC型の方が一般的に好ましい。英国デッカの場合では他とは発電機構の違いから特殊ケースとなる。
 ステレオ音像から得られる判断に際して、ピアニシモ、フォルティシモのローレベル時とハイレベル時の差はスピーカーが原因となっている点にも留意し、確かめなければならぬのは勿論。
 最後にトレース性能だ。創始期のADC社によって提唱され、シェアー社が確立したトラッカビリティ最優先論は、カートリッジがレコードの音溝をたどるという基本的動作上至極当然だが、ステレオ初期にはこの着眼点のすばらしさに驚いたものだ。今それは当りまえになっているか、というと必ずしもそうとは限らぬのではないだろうか。例えば、再生上好ましい音のカートリッジが、意外にも針鳴きが大きい、つまりカンチレバーの機械的共振を押えることをせず、従ってレコードへの追従性は特性周波数帯で悪化している可能性が少なからず、といえる「優秀製品」がないわけではなく、それは世界中から再生品質の良さを認められている。こうしたものが現実にいくつも出てきている。むろん建て前としては、針鳴きのない静かなトレースのカートリッジならトレース性能もいいだろうし、そのレスポンスもフラットに近いものに違いない。しかし、どうもそれだけで決めてしまい難いファクターがまだあるのではないか、ということだ。
 カートリッジを「製品」として技術的な面からも捉えることにより、それが音質へどうはねかえるか、それをいかに判断したか、ということを本来論じられるべきかも知れぬ。しかしここではあえて一ユーザーの立場、音楽ファンからの視点によってのみ論じ、結果としての音そのものを今回どの角度からどう捉えて判断したかを述べた。
 できることなら諸兄もここで述べた判断方法を、自らの部屋で確かめられることを望むものだ。音の捉え方はもっと深く広い。ただほんの象の脚をなでた程度かも知れないが、それを許していただきたい。
 再生系の音の入口にあって、機械振動を電気信号に変換するカートリッジを、単に音の面から捉えようと試みるのは、聴覚と、それに繋がるセンスだけを軸にして推し進めることになり、それと交叉すべきいくつかの方向、路線から押えるということになってくる。むろんそのための路線はいくつもあるが、それを感覚的に捉えられるかどうかは、試みる側の能力次第にかかる。判るものにとっては容易だが、共通の言葉がなければすれ違いになるし、判りようがない。
 しかしここにあげたそのうちのいくつかのポイントは、読者にとって無論把握しておられる方もいようし、またそれを意識して試みようとすれば容易のはずだ。
 ただ「音から捉える」ということの難しさは、音がカートリッジによって変るのは確かであるが、そうと判断し受け取るのは、あくまでその当事者自身であり、音の差はカートリッジをばい体とした当事者の判断そのものということをはっきりと認識しなければならない。

「カートリッジ・ヒアリングテストの方法」

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 まずシェルにカートリッジを取付け確かめる。次に、アームに着装する。水平バランスをとる。針圧を適正値に調整する。インサイドフォースをたしかめる。場合によって、ラテラルバランスをたしかめる。高さを調節して、カートリッジがレコード面に対し、正しく水平位置を保ち、針先の垂直角がほぼ適正状態にあることをたしかめる。
 以上の事をカートリッジひとつひとつ毎に適確に行わなければならない。少なくともこれだけの手順を、手ぬかりなく果さなければ、カートリッジの音質うんぬんすることはできないことになる。
 ざっと計算して、ひとつ当り3分間として123個、計369分つまり、音以外の純粋な付帯雑務時間をひきりなしに続けたとして、なんと6時間! つまり、隠れたる苦労が大きかった。

試聴に使用した装置
 プレーヤーとして、マイクロのDDX1000、それにアームが同じマイクロのダイナミックバランス型MA505、FRの同じダイナミックバランスの最新型FR64の組合せをメインとした。トーレンスの125と、オルトフォンのアームRMG212の組合せは初め使っていたが、どうも横ゆれに敏感で、ハウリングは少ないがかえって使いにくくて、途中から、さけることが多くなってしまった。ビクターのTT81をターンテーブルとしたプレーヤーはクィック・スタート、クィック・ストップができ驚く程便利であった。これは使ってみないとなかなかわかるものではないが、新しい現代的プレーヤーの持つべき条件だろう。クォーツ・ロックが内部的特長ならクィック・ストップは実用的外面要素だ。
 カートリッジと、それに組み合わせるべきアームの関係は、数多い問題を内蔵する。軽針圧カートリッジが軽針圧用アームに最適といわれてきた根拠も定かでないし、確かめにくい。少なくとも現代では、軽針圧カートリッジにもっとガッチリした、いわゆる汎用アームのほうが音質的にも、特に低音に対して好ましいというのが常識でさえある。もっとも、アームは水平方向も垂直方向もきわめて高感度であることは、最低条件として当然なことだが。ここで用いたアームは、そうした意味ですべて、アーム自体が堅固といえる程にガッチリしたものを選んだ。
 音質評価のきめ手の、特に重要な部分として「スピーカー」の選定は、難かしい。ここで用いたのは、普段そぱにおいて、使いなれ、よく知りつくしているのが理由だ。アルテックの604−8Gだ。620Aという大型の箱をあたえられて、低域をずっと伸ばし、音質チェックの上で一段とよくなっている。ドライブアンプは、マランツの510だ。理由はいまさら特にいうまでもないだろう。
 プリアンプとしては、クワドエイトのLM6200Rで、むろん、トーンコントロール、フィルター等のたぐいは一切ない。
 もうひとつのスピーカーシステムを、このラインナップに加えている。これは、ごく小さなブックシェルフ型の自作のシステムで、アルテックの12cmフルレンジ・405Aをたったひとつ収めたものだ。これは、至近距離1mほどにおいて、ステレオ音像のチェックに用いたものだ。いうなればヘッドフォン的使用方法だ。シングルコーンの405Aも、コアキシャル604−8Gもともに音源としてワンスポットなのでこの点からいえば大差ないはずともいえなくはないのだが、実際は好ましかるべきマルチセラーの高音輻射より405Aの方が音像をずっとはっきりと判断できるのは、多分、単一振動板だからだろう。単純なものは必ず純粋に「良い」のをここで知らされる。それにも拘らず604をメインとしたのは、音質判断上もっとも問題とされてしまう音色バランスの判断のためである。
 セカンドシステムは、まったく別の部屋にあって、メインシステムのように音をチェックするというのではなく、もっと総合的に、音楽を確めるといったかたちで、役立たせた。
 少なくとも、SPのリカット盤や、ステレオ初期の録音盤などでは、第一システムでたとえ評価が落ちたとしても、この第二システムでまったく逆にもっとも好ましい結果を得ることが常であった。評価が逆転するということは、ある面で不合理だが確かな事実だ。
 スピーカーは、JBLハーツフィールド、38cmの今はなきウーファー150−4Cと375+537−509(現在のHL89)との2ウェイで、低音域はホーンロードで今回の水準からすると決して広帯域ではないが、ブックシェルフにない、音の生命力が強く感じられる。ドライブアンプは、マランツのモデル2とマッキントッシュのMC30で、ともに管球アンプとしてHi-Fi初期の名うての高級品である。プリアンプは、マランツのこれも管球式のモデル7。
 プレーヤーには、第一システムと同じマイクロのDDX1000とFR64の組合せと、デンオンのDP5000Fシステムの2系統を使用した。
 このようにして、ふたつのまったく違った部屋で聴いたことには大きな意味があることを知って欲しい。その意味というのは、第一システムのラインナップと第二システムのラインナップの大きな違いにあり、ひとつはまったくのプロフェッショナル・モニター系のシステムであり、一方は、まったく家庭用のハイファイシステムであるという点だ。
 この場合、プレーヤーシステムを変えてしまっては音の判定がますます混乱することになるので、共通としたことはいうまでもない。ここで再びアームについて解説を加えると、今回使ったそのほとんどがダイナミックバランス型をとっていることだ。今日の実際的なレコードのコンディションを考えると、ダイナミックバランス型が良いと言い切ってもよい。ただし、こうしたテストの場合に考えられるいくつかの落し穴をカバーするために優れたスタティックバランス型アームをも2本使用している。

使用レコード
 今回の、この膨大な数にのぼるカートリッジのヒアリングテストに使われたレコードは、ジャズおよびロック系を中心としたもので、ジャズは、新しいものとステレオ初期とモノーラルの50年代初期のものと、さらに40年代以前の古い録音との4種類を選んだ。
 最新録音盤は、周波数特性とかスペクトラム的な判断に価値があったとしても、ステレオ感となるとかえって作為的で、良さの判断にはつながらず、苦労の種でしかない。ステレオ初期のレコードはこの点正直だ。50年代のジャズレコードのもつ特色は、そのまま「ジャズサウンドは、いかにあるべきか」を端的に示して、再生音楽におけるジャズ的視点を定めるのに好適といえる。古い録音のナローバンドのSN比の悪いSPリカット盤は、音楽以外の雑音や歪がどれだけ抑えられ、音楽を楽しむのに邪魔されずにすむか、を確かめるのに役立つ。現代的な意味で音の良いカートリッジが必ずしも雑音を抑えてくれるとは限らず歪も目立つ。
 ロックの場合、電気楽器の粘っこいサウンドが、大きいエネルギーで他の音を圧して中声域の混変調を起して歪のもととなりやすく、これは他の音楽にはないサウンド的な特徴で、それを確かめるのは今日の音楽ファンに対するせめてもの心がけといえようか。
 選ばれたレコードが物理的な意味で必ずしもベストのものでないことに、あるいは不満をいだく方もあろう。しかし音楽とは所詮物理的技術的結果ではなく純粋に芸術であり、それが再生音楽だとしても、受けとめているのは人間の芸術的感覚である。つまりレコードといえども厳然たる事実として「音楽」であることは誰しも認めるだろう。使ったレコードは以下の通り。
●パブロ(英国盤) エリントン/レイ・ブラウン 「ワン・フォー・ザ・デューク」
●ブルーノート(アメリカ盤) ヴィレッジヴァンガードのソニー・ロリンズ
●マーキュリー(アメリカ盤) クリフォード・ブラウン/マックス・ローチ 「イン・コンサート」
●アメリカ・コロムビア盤 チャーリー・クリスチャン 「ソロ・フライト」
●ローリングズトーン 「プルー&グレー」 ローリング・ストーンズ

マイクロ PHONOGRAPH

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)より

 プレーヤーの数少ない専門メーカーともいえるマイクロ精機が、商品ならざる製品を出した。新たなる製品ながら、新製品ととうてい言い難いのはそれが1900年代初頭の、文字通りのゼンマイ仕掛けの蓄音器をそのまま、現代に複製したのがこのいとも優雅な製品なのだ。一般にこうした場合、範をエジソンの作品を始めとする米国製品をモデルとすることが多い。小犬が首をかしげて聴きいるマーク鮮やかなるRCAブランドのオールドタイプが普通だ。
 ところがマイクロの場合、さすがといえるのはヨーロッパは芸術の国フランスのこの分野で最高級といわれてきたパティマルコニー社の1905年(明治38年)製をコピーしたもので、いかにも骨董品然とした古めかしい風格が満ちている。それはまるで宝石箱かなにかのようなシンプルな作りの良いガッチリした箱の上に、薄く小さく輝く皿のようなターンテーブルを乗せ、ただでさえ重そうな太い金属管の先に幼児のこぶしほどの丸いサウンドボックスを持つ。
 そしてその箱の何倍もあろうか、まさに朝顔の花をそのまま拡大した超大型のラッパが全体をおおうようだ。巨大な金属朝顔の、上半分の視覚的な重さから前に傾きそうにもなるはずだが、開口を斜上に向けたバランスの巧みさがどっしりした安定感を創り出して、それが出現した当時の驚くべき「音楽器機」を構築している。その雄大なる姿は、とうてい今日的な再生システム、ブックシェルフ型スピーカーを両脇に配した素気無いメカニズムとは格調が違う。
 サウンドボックスに眼を凝らしてみるとただ一枚の雲母(マイカ)が、自然そのままただ丸く形をととのえられて収まっていて中心からのびた針金が直角に下におりた所に、鉄の蓄針(レコードバリ)が装着される。つまり、後期の蓄音器が金属のままで現代のホーンスピーカー用ドライバーユニットか、ドーム型ダイアフラムの形をしているのに対し、それはまったく平面そのままの天然マイカ板の所が純粋だ。この辺が実は凝ったカートリッジを今も作るマイクロらしい特長だろう。
 と、ここまでくると、このたった一枚のマイカ板が巨大朝顔を通すと、いったいどんな音として出てくるのかが気になってくる。付属の小さなZ型の把手を小さな箱に押し込んでゼンマイを40回ほどまわすと、いっぱいに巻上げられる。これで25センチSP盤のほぼ表裏を演奏できることになる。
 何より驚くのは、この音量だ。小さい部屋では、周囲の会話を不可能としてしまうほどだ。それに、音はまるで「生命を得たごとく」にいきいきとして、文字通り躍動する。特に金管楽器は、SPレコードにこれだけの音が入っていたのかと信じられぬ思いで、演奏者がその場に居合せたようなプレゼンスに聴きいってしまう。むろん帯域はせまいのだが、音楽を凝縮して必要以外を押えてしまった音といえそうだ。この蓄音器の音を聴くと、現代のオーディオが、昔ながらのどこかで取残した部分について気になり出してくるのである。

ビクター Z-1E, Z-1, X-1

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 かのフロアー型バックローディングホーンスピーカーFB5の発表で口火を切って以来、独特なスタイリングをもったセパレートアンプ、デジタルカウンターをもったクォーツロック・ダイレクトドライブターンテーブルなど、最近のオーディオ界の中でビクターの名が話題に昇ることは非常に多い。つまり製品開発の成果が、それだけ成功をおさめているともいえるのだ。その成功の中にあるビクターの最新型カートリッジは、驚異的な新技術こそもたないのは当然ながら、新型アームとともに、音を追求する高級オーディオマニアにとっては注目に値する製品だということができる。つまり新型アーム、新型カートリッジの機構そのものが、とくに良いということよりも、実際に音を出したときに、その良さを知ることができる。こうした音の良さは、最終的にターンテーブルやトーンアームを実際にアッセンブルしたときに気がつくことであり、コンビネーションの良さということができよう。
 Z1Eは、まずその力強さをもった明るい音色で、圧倒的な迫力を感じさせてくれる。ダイレクトカッティングの明解さを充分に感じさせてくれる音だが、細部の再現性については、いくらか不満が残る。ステレオ感も全体的に表現して、細かな定位感については聴きとりにくいのが欠点といえる。
 Z1は、1Eでの問題点が大幅に改善され聴感上、相当な広帯域感が得られる。左右前後の広がりも大幅に改善され、音像の再現性は1Eよりもかなり良くなっている。全体の音色は、やはり1Eに似ているが高域でのクォリティは、こちらの方が数段向上している。雑音に対しては1Eよりも気になる傾向があり、針圧の可変範囲もよりシビアになる。
 ビクターの最高級モデルであるX1は、まず音の立上りの良さが一番の特徴だ。ダイレクトカッティングの良さと、スクラッチの抜けの良さは、とくに感じられた長所といえる。全帯域にわたって鮮明で明解な音を聴かせるが、ピアニシモにおける音のディテールの再現においてやや誇張される傾向があることに気がつく。ステレオ感の再現、定位の確さは、さすがに高級カートリッジらしい良さだ。

テクニクス EPC-270C-II, EPC-405C, EPC-205C-IIS, EPC-205C-IIL, EPC-205C-IIH

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 日本のダイレクトドライブターンテーブルのパイオニアとして、テクニクスの海外での人気は、非常に高く、国内においてもSP10MkIIの発表以来、他のDDターンテーブルにまた一段と差をつけた感がある。こうした技術指向の非常に高いテクニクスは、カートリッジにおいても、新素材・新技術に積極的にとり組んだ製品が数多く、他社との製品の差もそこにあるのが大きな特徴だ。
 テクニクスのカートリッジは、昭和43年に発表されたテクニクス200C以来、独特の円盤状マグネットとワンポイント・サスペンション方式が採用されている。マグネットはエネルギー積の大きいサマリウムコバルトが使われている。テクニクスのカートリッジといえば、205C/IIシリーズに代表されるといってもよいかもしれない。205C/IIシリーズは、最近ローインピーダンス型(250Ω・1kHz)の205C/IILと、高出力型(7mV・1kHz、5cm/sec)の205C/IIHとが加わった。さらに、205C/IIもマイナーチェンジされて205C/IISに発展している。
 270Cは、テクニクスカートリッジの中でも、もっとも普及型といえる価格で、耳あたりの良い好ましいバランスをもったものだ。高域での微妙な音のニュアンスは、普及型とはいえ充分に再現してくれる点が魅力といえる。ただし、低域の量感やエネルギー感は残念ながら今ひとつ物足りなさを感じてしまう。
 405Cは、チタンカンチレバーを採用したテクニクスの高級仕様を狙った意欲作といえるものだ。全体に強く抑え込んだフラットレスポンスの特性が頭に浮かぶような、ワイドレンジ感をもたせる音だ。ただし高域にいくにしたがってエネルギー感が増し、結果として低域の量感の乏しさを感じさせてしまう。こうした印象は、どうもテクニクスのカートリッジ全般について感じられてしまう大きな特徴のようだ。この405Cのもっているそうした音の印象は、音楽を無機的な表現にしてしまい、聴き手との間に距離感をもたせることになってしまう。音楽の中に飛び込んでいくような音というよりも、融け込むことを拒否するような印象を受けてしまう傾向がありはしないだろうか。
 205C/IISは、405の実用機種ともいうべき性質で出されたカートリッジ。実用的な意味での使いやすさから出力も標準的なもので405Cに比べて、その音はいくらかおとなしいといえる。405Cが音質チェック向きとすれば、こちらの方が一般的といえそうだ。
 205C/IILは、テクニクスの中でも405Cともっとも似た性質をもち、フラットな広帯域感が強く感じられる。405Cよりもいくらかナチュラルで無機的な印象は多少是正されている。205C/IIHは、本質的な音は、これまでのテクニクスと変らないが、中域から低域にかけての音が充実し、ソロ楽器も比較的よく出る。ステレオ感も充分だ。

スペックス SD-909

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 スペックスは、古くからMC型のみを製品化してきたという長いキャリアをもちながらも、その名は一部のマニアだけに知られている程度であった。その生産数もメジャーにくらべると日産にして数十個と少ない。もっともスペックスは海外での人気の方が高く、特にアメリカでは、このところMC型カートリッジがもてはやされているようだが、その先鞭をつけたのは、ほかならぬこのスペックスだ。
 SD909は、一言でいうとオルトフォンばりの低音感、高音のブライトネスをもつといえよう。全体に昔のオルトフォンのイメージに似た力強さも感じさせてくれる。しかも帯域は、比較的広くとられ、スクラッチも少ない点で良いといえる。音像の定位は良いのだが、左右、前後の音の拡がりは普通だ。
 MM型のように、周波数によってあやふやな表現をすることがなく、いかにも高級品らしさをもっている。日本製品には珍しく音の特徴をはっきりともち、海外製品と間違えるようなキャラクターをもっている。それだけに嫌われる要素ともなるかもしれない。

ソニー XL-15, XL-25, XL-35, XL-45

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 一口に言ってハイエンドもローエンドもいかにもよく伸びた印象を与える。オーディオ界の中でもとくに現代指向の強いもので、それがわりあい明るいサウンドであるところにソニーらしい、若いファンを充分に意識している姿勢を感じ取ることができよう。
 XL45は、ラインコンタクト針、45Eは楕円針で、それぞれきわめて安定したトレース特性は国産カートリッジの中でも最上のひとつだ。あまりデリケートな扱いをしなくても、かなり優れたトレースを安定にやってのける。鮮明というほど鮮やかというわけではないが、音のディテールはかなり良くとらえて、しかもその内側の緻密さや力感も不足なく出してくる。ステレオ音像のたたずまいも、その後のバックグラウンドの部分もそれなりに感じさせてくれる。広がりの安定性もしっかりしていて安心させてくれる。
 XL35は、充分な力感をもち、明るいサウンドが身上といえる。くっきりとした音の表現は全体のバランスからみても、相当高いクォリティをもっている感じがある。XL45に比べるとまとまりとしては、この35の方にも充分良さをもっていることがわかる。ソニーの中では、このXL35がもっとも売れる製品なのではないかとさえ思わせる。
 XL25は、もっとも最近になってから出された機種ともいえるので、音はどちらかといえば、ソニーの、この一連のXLシリーズの特長でもある明るいパステルカラーのような音を再現してくれる。それほど広帯域をカバーしているわけではないが、中域にエネルギーをもったサウンドは全体のまとまりを良く感じさせる。
 XL15は、ソニーの中でのもっとも普及価格の商品として、決して単なるローコスト商品に終らぬ良さをもったカートリッジといえる。なによりも音楽のメリハリを充分に出してくれる点は、このクラスのカートリッジにとっては重要なことだ。音のクォリティよりも、初心者にとって大切な音楽の表情をそれなりに表現するのがよい。

ソノボックス SX-3E

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 ソノボックスは、モノーラル時代からのオーディオファンならば、一度はその名を聞いたことのある永いキャリアと名声をもつメーカーだといえる。かつてはMC型に主力をそそいでいた感じだったが、このSX3EはMM型のカートリッジだ。マグネットは一般的な棒状ではなく、同社が日、米に特許をもつ球状のもので、エネルギー積の大きいサマリウムコバルト・マグネットを採用している。
 このSX3Eは、いかにも現代的な、広帯域カートリッジを目指している。サウンドイメージの上では、バランスもよく、聴きやすい感じをもたせている。このカートリッジの魅力は、小編成器楽曲などの中低域が充実していて不要成分を抑えたと思える聴きやすさにあるといえる。つまり全体的にはナローレンジの感じを聴く者に与えるのだが、その帯域内の音の充実さという点で良い。
 ステレオ音場の広がりは、あまり良くないのだが、自然な感じは損なわれず、他のカートリッジにはない独得なステレオ音像を再現してくれる点は、さすがにキャリアを感じさせる。

サテン M-117E, M-117X, M-18E, M-18X, M-18BX

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 ムービング・コイル型としてはほかにない針先交換可能という、オリジナル指向をそなえたサテンの製品は、現在M117シリーズとM18シリーズの2系列にまとめられている。そして、これらの全製品は、振動系支点を明確にするために、板バネ2枚とテンションワイヤー1本とにより、厳密に一点化する機構が採用されている。この技術は明らかに音の上にも感じられ、MC型特有の、ごく澄んだ力強い音色で、密度の濃さからは独特の気品高い雰囲気に包まれる。
 それは、まさに優雅というにふさわしく、すき透った薄衣をまとったような品の良さをかもし出している。サテンというブランド名はそのまま高級な布地のきぬずれを思わせる。このサテンのピックアップの歴史は、かなり古く、モノーラル時代からのメーカーだが、Mシリーズの一連のMC型カートリッジにより、振動系の中からゴムを追放するという大きな技術テーマに取組み、現在では、その技術指向もいきつくところまで行ってしまった感さえある。こうした独特の技術指向を、おそらく気の遠くなるほど永い期間追い求めていく姿勢は、日本ではまったく珍しいといえるだろうし、現実に、研究の成果は着々と実を結んでいるといってよいだろう。
 M117Eは、まずこれまでのサテンにあったような針先のきゃしゃな感じがなくなり、扱いやすくなっているのが特徴だ。音も若いファンを意識した、立上りの良い鮮やかな音に仕上げている。色彩感も強く出し、ときとして高域のどぎつささえも感じられる。ただ、今までのもっていたサテンの一種の派手さとは種類が違って、図太いと感じさせる一面も持っている。117Xは、全体のバランスとしては、Eと驚くほどの差はないが、Eタイプで時々気になる高域の色づけが、抑えられていることが大きなメリットといえるだろう。
 M18シリーズは、ダイナミックレンジのきわめて広いレコードに対しても、そのディテールの再現性において優れ、デリケートな音に対しては絶妙にレスポンスすることができる特徴が大きくクローズアップされてくる。
 このM18シリーズの中でも、もっとも価格の安いM18Eは、全体におとなしくまとめられてはいるが、力強さに欠けるところもあり、全体に音の厚みが不足しているのが気になる。どうも、もうひとつサウンドイメージがひ弱になってしまうのだ。それに比べてM18Xは中域の厚みが増し、これまでのサテンになかったエネルギー感をもった音を再現する。ステレオ感の再現にしても好ましい音像をつくり、前後感も充分に再現しているところは、やはり高級機らしい。ただし高域については、ブラスがやや必要以上に輝くのが気になるところだ。
 ベリリュウムカンチレバーを採用したM18BXは、サテンのこれまでの技術的キャリアを一度に昇華させた意欲作といえるが、とにかく驚くべきことは、これまでのどのタイプの、どのメーカーのカートリッジにもなかった再生音を聴かせ、その音は、まさに超高忠実度再生といえるものであることに異論を唱える者はおそらく非常に少ないだろう。何といっても、そのダイナミックレンジは、これまでの数倍はあるように感じられ、それが再生音であることを忘れさせてしまうかのようだ。ただ、それがいかにもダイナミックレンジの良さを感じさせ、周波数帯域の広さ、を感じさせてしまい、結局、音楽を聴くことに集中できない人も出てくるようなことが起る可能性は十分にあるところだけが気になる。

パイオニア PC-330/II, PC-550E/II, PC-1000/II

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 オーディオの総合的メーカーとしてのパイオニアは、この十数年来、プレーヤーにおいても見事な腕前をふるってきた。本来の専門分野でないのに定評ある企画力のうまさは、プレーヤーシステムでも個々の製品に発揮されてきた。
 ただ、この場合、不思議なことに、プレーヤーのもっとも重要パーツともいえるカートリッジには、良いものはまったくなかったのだ。これは驚くべき事実といえよう。ただのひとつでも評判を得たことはないのに、プレーヤーは売れ続けていたのだから。
 しかし、地道だが試行錯誤のあと、昨年PC1000が発表された。このカートリッジは、メーカーにとって待望のものだったに違いない。パイオニアのカートリッジが初めて絶賛を博したのだ。
 ベリリウム・テーパードパイプという、まだ当時どこのメーカーもなし得なかった技術によるが故に、量産は決して容易なことではなく、だからその良さは、必ずしも多く知られていたわけではないが、このカートリッジに接した者の間で深く静かに評価されているといった風である。
 このPC1000も発表以来一年を経て早くもII型にマイナーチェンジされた。
 鮮やか過ぎるといわれることのあったサウンドイメージをすっかり改め、暖かみさえも感じられるほどで、たとえばヴォーカルの自然な響きに飛躍的な向上を知らされる。一般にこの種の新素材を用いた新しい製品では、新しいサウンド志向を示して、鮮明なクリアーな積極的な音を特徴とする。このPC1000/IIも例外ではなく、そうした傾向のサウンドには違いないが、ごく高い品質レベルでそれらが達成されており、いかにも高級品たる深い陰影を伴っているのがすばらしい。
 PC550/IIは、PC1000/IIをそのままスケールダウンしたような音で、妙にこせこせとしたところがなく、ステレオ感の再現性も充分にもつ。各部分の細かなニュアンスはトップ機種にゆずるが、落ちついた音を感じさせる。
 PC330/IIは、とくにハイファイと感じさせない自然な感じをもたせているが、その低域については好感がもてる。ステレオ音像の再現も極端にくずれることがなく、入門者には使い易い。

ダイナベクター OMC-38 15AQ, OMC-38 15BQ

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 オンライフは、オリジナリティを充分にもった管球式セパレートアンプや、最近発表したセンセーショナルな近代的トーンアームなど、新しい技術をもった日本には珍しいオリジナリティを大切にするメーカーだ。
 オンライフのカートリッジは、すべてMC型で、OMC38ダイナベクターシリーズとして、15A、15AQ、15B、15BQの四つの製品がある。ボディは赤い透明なプラスティック製で、内部構造の様子が伺い知ることができるのが特長だ。MC型ながらMM型とほとんど変わらぬ高出力で使いやすさを大切にしているのは、マニアにとってはありがたい。
 今回試聴した製品は、全体に緻密な音で、エネルギー感も充分にもち、とくに打楽器に対してはMC型の中でも群を抜く再生をする。もちろんトレース能力も安定している。ベリリウムカンチレバーをもったOMC38/15BQは、ときとしてデリケートな音の再現で、オーバーに感じられることがあるのだが、15AQは、BQに比べるとソフトな聴き易さをもち、より自然だ。一般的なMC型に比べれば、鮮明度は充分高い。

マイクロ PLUS-1, LM-20, LC-40

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 カートリッジメーカーの老舗として、まじめなオーディオマニアにとって人気のあるマイクロは、最近こそターンテーブルとアームによってその名を高めているが、VF型を始めとするカートリッジの分野では、非常に長いキャリアをもっている。現在のところ、カートリッジは機種数こそ少ないが、いかにも正直な商品だけを作り続けるまじめなメーカーとしての姿勢は、非常に好感がもてる。事実、その製品によって裏切られることも少なく、信頼度という点からも充分に満足が得られる商品をもっているのもうれしい。
 マイクロのカートリッジは、そうしたいかにもまじめな姿勢が感じられる色づけの少なさが特徴といえるだろう。単独商品としてもっとも安価のひとつが、このプラス1である。またその反面商品の中で高価かつMM型でありながら受注生産品というLM20およびMC型のLC40と、こうみると、超高級マニアと初級ファンの両極に意欲的な姿勢を、マイクロの中に見ることができよう。かつては、永い期間、プレーヤーの重要パーツとしてのカートリッジを作ってきたキャリアがあるマイクロが、技術蓄積を活かして、普及品でもバラツキを抑えた高級仕様を推進している。受注の数少ない高級品は、仕様も規格も他社より格段に厳格であることはいうまでもない。
 プラス1は、その力強く弾むようなサウンドと低域での量感とが大きな特徴だ。高出力で使いやすく、ステレオ感も適度に広く、高域のレンジもやたらに伸ばすことをせず適度な拡がりをもち、いかにも入門者向きの製品だ。価格からすれば、このトレース能力の安定感も抜群で、針圧の許容範囲も大きく扱いやすい。針先の動きが中域で充分ではないのが普及品の共通点だが、このプラス1ではそれも巧みに収めてある。
 LM20の方は、より軽針圧を目指した手作りの高級品であり、個々の特性がついている。MM型カートリッジが次々と出る中にあって、このLM20はかなり保守的な姿勢で作られている。サウンドは、全体に静かで、くせをまったく感じさせない。品の良さが少々過ぎるかと思えるほどだ。沈みがちの音であるが全体にスッキリしすぎて、そっ気ないくらいである点が判断の別れ目になりそうだ。LC40は、MC型としてはトレース能力が良く、全体にMC型特有のともすれば骨太になる音を、見事に抑えた素直な音をもっている。ステレオ感も端正で広がりもよい。

Lo-D MT-202E

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 ギャザードエッジスピーカーやダイナハーモニーという、新技術指向の非常に強い、そしてその成果が充分に認められつつあるLo-Dから出されているのが、このMT202Eだ。いかにも高級カートリッジらしい広帯域感が強く感じられ、全体の周波数特性の抑えがよく利いている印象を受ける。
 こうした高級カートリッジのもっとも大きな特徴である、スクラッチを充分に抑えた感じや、周波数特性をフラットにした感じを充分にもっている反面、高域の再生においてとぎすまされたような冷たさを感じさせるところもある。全体にやや無機的な音になる点も気になるところだ。ステレオ音場の再現性は良く、針圧印加の許容範囲も比較的良いといえる。使いやすく、性能的には文句ないところだが、いかにも高価格だ。

ジュエルトーン JT-333, JT-555

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 ジュエルトーンは、一般的にはこれまでその名をあまり聞かなかった新しいブランド名だが、そのキャリアは、比較的永い。
 ここでとり挙げているJT333、JT555は、ともにソリッドブラックと呼ばれるカーボン繊維を使用したカンチレバーが使われているのが特徴だ。
 このふたつのカートリッジに共通していえることは、全体的に広帯域を目指しているのだが、中域のある部分で機械的な共振と思われる部分があるという点だ。
 音の傾向として、JT555はウォームトーンであり、音像はふやけ気味な点が気になるところといえよう。それに対してJT333は、クリヤートーンといえる。両者とも全体に広帯域であるという感じはするが、高域に少々ヒステリックな一面をもつ。

グレース F-8L, F-8M, F-8C, F-8E, F-8L’10, F-9U, F-9L, F-9P, F-9E

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 この数年来、F8シリーズの大ヒットで、他社を寄せつけなかったほどの成果を上げてきた。F8Lから始まって、ごく最近製品のF8L’10によっても判る通り、今もこのF8シリーズはグレースの主力製品といえる。こうした同一製品に対して、交換針だけでそのサウンド指向を多数そろえるという今日的な商品構成法も、実はこのグレースのF8シリーズがその源となったわけだ。
 F8シリーズは全体に繊細感がその品位の高さを示し、その上、高帯域かつ透明なすがすがしさを強く印象づけられる。F8シリーズF8Lはそのすなおさがもっともはっきりと感じられる。
 F8Mは高出力型で力強さと高域・低域での充実感においてもはっきりと違い、広帯域感はおさえエネルギー感を考慮したのが特長で、小編成器楽曲にはむいている。
 F8CはF8ボディの特選ボディと特殊針先との組合せで、素直さにもっとも品のよい緻密なサウンドを得ている。きわ立ちのよい輝やかしい音。ステレオの音像の確かさと拡がりも、このF8シリーズ中もっともよい。
 F8Eは、ラインコンタクト型の針をつけた高級仕様といえるが、出力はやや低目でその代りに大へん広いハイエンドを感じさせ、新しいレコードでは針音(スクラッチ)が一段と耳ざわりにならぬが逆にイージーなレコードではチリチリと目立ってくる感じ。
 F8L’10は、この一年来、めっきり多くなったライバルを意識しての改良型としてデビュー。出力をやや大きくして、中域から低域へかけての充実感、器楽曲で今までF8にはなかった躍動感が付いてきた。
 F9シリーズはF8から飛躍して一層の軽針圧化と、今までの高域での細身なサウンドを突破ろうと試みた音作りへ積極的姿勢をはっきりと感じる。しかし、そのためのよりフラットレスポンスへの技術を、音へ移すのにあまりストレートであったためか、音のデリケートなニュアンスの違いを表現すべきところまでつぶしてしまったようだ。
 F9Uは最新作で、広汎な用途に適すると思われ、F9シリーズ中の標準品。もっともスッキリした音と広帯域感。ややおとなしく、中域の充実感はこのUよりもLが強く感じられる。針圧の融通性も高く使いやすい。
 F9Lは価格的に前者よりやや高価だが、音の方は中域から高域でやや派手なイメージを抱くのが意外。こちらの方が一年ほどデビューが早い。
 F9Pは円錐針の中針圧型。他の2倍といっても2・5g。さすが針圧は3gでもまた2gでもトレースOKで使いやすい。ステレオ感はやや狭まるが音像の安定はごく優れ、トーレス性も抜群。低音のどっしりした安定感が大きな魅力。
 F9Eはごく高価だが、広帯域感の十分なスッキリした自然さ。ステレオの拡がりの良さ。少々デリケートな針圧とゴミなどのついているのに対してトレースは不安定。

フィデリティ・リサーチ FR-101, FR-101SE, FR-5E, FR-6SE, FR-1MK2, FR-1MK3

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 高級カートリッジを唱えてスタートしたFRは、国内カートリッジメーカーの中でも、もっとも密度の濃い製品を作り、オリジナル技術を常に目指す意欲的なメーカーだ。あらゆる面で製品は、必ず他社にさきがけ、あるいは、他社をよけつけぬオリジナリティをもつ。それはMC型カートリッジにしても、あるいはライバルの多いMM型にしても、はっきりした特徴をもっている。最近の製品FR101は高品質低価格を目指した意欲的製品だ。この小さな専門メーカーが品質と量産とをいかに妥協するかが101の見どころだが、音の上からは確めにくい。やや中域のはなやかさと、積極的な音というのが第一印象だが、細かくつき正すと、結構広帯域かつ緻密な音だが、これに低域のひきしまった量感が加われば申し分ない。高出力であるのも、低価格であるとともに、ビギナーにすすめたくなる大きな理由だ。一段と高級な101SEは、音の分解能の点で一段と向上してアンサンブルの中の楽器の音像のきわだちが感じられる。FR5Eは、このメーカーの最初のMM型だ。トレースの安定性に、ちょっとばかり不足をかこってはいるが、それにしても、FRの透明なサウンドの特徴がはっきり出ていて、やや冷いその音は小編成の器楽曲やジャズには特にいい。
 FR6SEはFR6の向上型だが初期から格段に進歩して、もはや初期のおもかげがないくらいに現代的な傑作となっている。FRのいかにも透明なサウンドに、ますます磨きがかかり、その上、力強さも一層加わって、MM型ながらMC型に近いということば通りに器楽曲で、アタックや響きが鮮やかだ。歌やステージの歌劇など、つまり自然な発声とアリア風な発声の両面の歌に対して、大へんナチュラルな響きを感じとる。
 FRのMM型はただひとつのウィークポイントがあるようだ。それはトレースの対許容性ともいえるもので針圧にクリティカルな面がある。それもトレースそのものはかなり適応性があって20%やそこらの±に対しても、一向に差支えないのだが、針先の傷み方、あるいは針先がもぐってしまうトラブルを、過針圧によって起しやすい、といったらよいだろう。
 MM型でもトレーシングの優れているといわれるものにしばしばみられるこの現象にFRファンも気をつけねばなるまい。音の素質自体がよいだけに、愛用者からの忠告でもある。
 FR1はFRのオリジナル技術ともいえるMC型カートリッジの第一号製品だ。初期製品に比べてトレース力は抜群に向上し、針先も頑丈になり、音もずっとすなおに、しかもクリアーさも失わず、音の方は力強くなった。MK2は特にトレース特性が向上して、針先の損傷も今までの心配がうそのようだ。ただMC型特有の力強さがFRのMCにはなかったが、最近のMK3に至って静かななかに力強さもはっきりと感じられる。
 透明ということばに冷たさがつきまとうがMK3は冷たくなくて、かえって暖かみがある。節度のある折目正しい音という品位の高い、仕上し尽くされた感じの音だ。時々オーケストラなどにおいて、ふと、キャシャなもろさが出ることがなければ世界でも一級だ。

エクセル ES-70S/II, ES-70EX/II

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 市販品中でもっとも安い価格のカートリッジを作るメーカーとして、エクセルの名はとくに初級者にとって親しみがあるかもしれない。プレーヤーを単体で買ったユーザーは、おそらく最初にカートリッジを買うときにこうしたクラスを狙うであろうし、そうしたときに、少なくとも支払った金額だけのバランスだけはかなり良いが、とくに広帯域ということでもなく、中級ないしは普及製品にあるような音の細やかな変化が、そのまま表現できないというところがいつわらざるところだ。
 ちょっと聴いて、くっきりしているようなイメージを受けるが、それはあくまで音溝の音に比例しているわけではなく、とりこぼしがあるのは、高級カートリッジをつければわかる。高域での帯域をやや伸ばしたEXはCD−4対応型だが、出力がへって高域のかがやきがかえって薄くなりシンバルのあつみも物足りない。

デンオン DL-107, DL-109R, DL-109D, DL-103, DL-103S

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 放送局のレコード再生システムを多く作る専門的業務用機のメーカー、デンオンのブランドをそのまま冠して、同じく業務用に開発されたカートリッジを基本として、市販品を作ってキャリアの長いメーカーだ。その質は、悪かろうわけがない。
 デンオンの場合、たいへんに明確で、はいっている音をくまなく拾いだすというピックアップ本来の働きを音のイメージとしてもっている。やや骨太のところもなきにしもあらずだが、高域のキラキラした鮮やかさが、全体の音のバランスに有効に作用して、デンオンならではのすばらしい音の世界を作る。MC型独特の美しさと共に、ステレオ音像のすばらしく整った様も大いに称賛できる。音質チェック用として、多くの現場でもつかわれており、その用途のために信頼性も高い。つまりデンオンのカートリッジのバラつきの少ないのはおおいに注目すべき特徴だ。
 DL107は、MM型カートリッジとしてデンオンが初めて、安定性と使い易さとを、価格をおさえた形で実現した製品。更にそれがDL109に発展して、帯域は驚く程拡大されて、現代風になった。一般にこうした改良にともなって、出力の低下をきたすのが普通だが、109の場合は逆に出力向上を得ているが改良というよりも、まったくの新種といえるだろう。さらに新しい傾向に即して針圧をやや軽くしたことによって、今まで市販品の平均水準より重い傾向であったのを、補うことになった。107にくらべ幾分か繊細感が加わって全体にフラットレスポンスをはっきり感じさせる。とくに唄において、この109Rの再現性は、国産カートリッジ中でも、もっとも優れたひとつであることをつけ加えておこう。針先を円錐から特殊楕円にした109Dは、帯域を5万HzまでのばしてCD−4対応型としたものだが、超高音はかえってうすい感じとなっている。中域もやや希薄に受けとれるのが少しばかり気になる。
 DL103はデンオンの最も初期からある代表的MCカートリッジだ。やや武骨な、ガッチリした音が、いかにも業務用というイメージを作り、それが103の個性として、多くの人に受けとられている。103の再生水準に関して、それを認めたとしてもこの骨太な音を好みに合わないと思うファンもいるだろう。DL103Sは、103の軽針圧、広帯域型として誕生した。価格的に一躍20%以上上昇だが、再生帯域の方は、かなり伸びているし、それも6万HzというMC型には信じられない広帯域であって、単なる楕円針の成果ではない。聴感的なワイドレンジ化よりも、全帯域をおさえこんでしまったという感じが強くて、特に中音域での、デンオン独特の充実感を少々うすめすぎたのではないかと思われる点が残念である。低域での量感もやや力を欠いて聴えるのはなぜか。どうやらステレオ音像の定位の良さからいうと、103Sも103同様に大変リアルな、きわめて明確かつ率直で、あらゆる音域において高い次元にあるといえよう。ただ、103の演奏楽器のスケール感が乏しい。

コーラル 777E, 666EX

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 スピーカーの専門メーカーのコーラルのことだ。スピーカーと同じようにコイルと振動系からなる同じような変換器を作るのだから、当然優れたものが出てくるだろうと判断するわけだ。事実MC型の777Eにおいて、少々粗いが力強さも量感もあるサウンドが、かなり良く出ていて、いかにもMC型らしい内容の濃さを思わせる。しかも、これだけのカートリッジが、今までMC型はおろかカートリッジの経験がないのだから。
 価格を考えれば決して高くはないにしても、これだけの名のあるメーカーなら、もう少し品の良さが音の中にあっても、と思う。MM型の666EXの方は、これもCD−4対応ということが建前のためであろう。本当はもう少し価格を下げても良かったのではないか。せっかくの高域の冴えも、少々浮足立っている感じ。

オーレックス C-550M, C-404X

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 オーレックスのカートリッジは、現在エレクトレットコンデンサー型とムーヴィング・マグネット型の2系列の製品構成だ。特にエレクトレットコンデンサー型は世界でも珍しい存在といえる。
 大変真面目な姿勢で、音に立向っているのは大企業らしく、カートリッジのような、ちょっと考えるとこの企業規模から、想像できない小粒の製品に、これほどの力をそそぐのが不思議なほど。その大きな成果がエレクトレットコンデンサー・カートリッジであるのは瞭然だが、そのあとのMM型でも結構、小さな専門メーカーなみのきめのこまかさを感じる。
 やや、無機的な感じのそっ気ない音は、大へん高い水準だが、少々スッキリしすぎて、豊かさはまったく感じられず、骨だけですけすけなほどの、肉不足の傾向だ。広帯域、かつフラットレスポンスはよいが、楽しさを音楽の中から引出してくれない。MM型の550Mでも幾分、こうした冷たさがおさえられているとはいえ、基本的に同じような音の姿勢である。音像の定位は小レベルまでも大へん良い。

オーディオクラフト AC-10E

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 オーディオクラフトは、オイルダンプ型トーンアームで一躍脚光を浴びたメーカーだが、最近ではフラットタイプのシンプルなプリアンプAC3001を発表した。
 アームをスタート台にした、このもっとも新しいブランドのカートリッジは、新進メーカーらしく、新しい音を狙っている事はよく理解できる。決して単なる広帯域再生だけを求めず、バランスの良さの中に、音楽性を少しでもあざやかに盛り込もうと考えている。しかし力強さが音域の中の高域に片寄っているためか、演奏曲によってはそれが少しばかり気になって低域での充実感が欲しくなってくる。歌の声の乾いた感じも少し気になる。楽器なら輝やきというプラスも声ではそうではなくなってきてしまうのが残念だ。ステレオ感の再現性についても、かなり自然さをもっていて無理がないのだが、しっかりとした安定感をもう少し望みたいと思わせるところがあり、今ひとつ決らないもどかしさが感じられてしまう。つまり、ダイレクトカッティングの良さが別な意味で、その良さを薄くしてしまうのが残念だ。

オーディオテクニカ AT-11d, AT-13d, AT-14E, AT-14Sa, AT-15E, AT-15Sa, AT-20SLa

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 同じムービング・マグネット型でも、はっきりした特徴をVM型なりに音の上に示す。高出力かつ緻密な音色は、VM型の技術による確かな結果といえよう。初期の製品において充分に感じられなかった高域の繊細感も新製品では、他社の製品をしのぐほどにもなった。
 AT11dは、8千円という普及価格なのに、堅固なシェルをつけて、使いやすい高出力で、実用上針圧に対してもラフな使い方が許され、まさに一般初心者のすべてに気楽にすすめられる。しかし、全体から受ける印象として帯域の物足りなさ、音の大づかみなところが、高級カートリッジとしての条件に欠ける理由だ。力があって、出力も高いのは、いかにもこのメーカーの特徴を端的に示している。むろん単独商品の価値は充分だ。
 AT13dは、シバタ針をつけて前者を向上させたものだ。しかし針先の変化そのものが、音そのものに強く反映するとは、とても信じられないぐらい変ってしまった。単純に力まかせという感があった11dに比べ、音のメリハリというか、節度がはっきりとそなわって、まるで一桁も二桁も上のクラスのような明解さをもつ。さらに、今までやや不鮮明だったステレオ感もきわだって良くなったのも見逃せない。この価格帯の推選品。
 AT14シリーズは、テクニカがはっきりとその方向を新しい音の路線に求めることを意識したシリーズのように思われる。一口でいうならば、今までのどちらかというとくっきりした音から、もっと耳当りの良さを追うことを考えたのではあるまいか。このシリーズだけがおっとりとした甘さ、ないしは暖かさに通じる、といえばいい過ぎか。ただ高域に関しては広帯域感はかなり強くなる反面、低域の力強い量感が抑えられている。
 AT14Eは、楕円針の標準の状態で出力もやや大きく誰にでも使える良さをもっている。
 シバタ針つきのAT14Saはやや高域のすみきった感じが出てきた。ステレオ用にも良いが、CD−4にも対応できる割安な製品。
 AT15シリーズは、テクニカの目下の高級グループで、15Saは、針を下すやそのスクラッチの静けさと、その広帯域感からいかにも高水準をねらった音がする。非常に細かな繊細感が音楽の中のひとつひとつの音をはっきりと聴かせてくれるのが大きな特徴。
 しかも、こうしたカートリッジがしばしば音のひ弱さと言われてしまうのにテクニカではこれがない。AT15Eは音の鮮明さということばどおりの輝きを保ちながら、つめたくならないのも良くさすがに高級品というイメージをもった音だ。
 AT20SLaは、さすがに高級機種らしく超高域でのステレオ感を安定し、スクラッチの質もよく、音楽のジャマをしないのはさすがだ。

スタントン 500AA, 600EE, 680EL, 680EE, 681EE, 681EEE

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 スタントン・マグネディックスは、アメリカ・オーディオ界のボス的存在として知られるフォルダー・O・スタントンを社長とするピカリングと同系の会社である。本来業務用のみのカートリッジをつくる専門的なプロユースのメーカーだが、そのブランドイメージが高くなったことから高級オーディオマニアから注目を浴び、コンシュマーの手にも入ることになったという。ピカリングの技術を土台とした、安定志向の兄弟ブランドといえる。
 スタントン500AAは、このメーカーの中では低価格のクラスに属する手頃な製品といえる。出力は、聴感上非常に高く感じるが、とくに広帯域化を狙った音ではなく、力強い中低域をもつ安定した響きをもつ。左右に大きく拡がるタイプではなく、適度な音響をつくるが、全体に聴き手に近づく音だ。
 600EEは、500シリーズと同じブロードキャスト・スタンダードシリーズに入る。
 その音は、周波数バランスはかなりナローレンジと感じさせるが、帯域内でのピーク・ディップがあまり感じられず、聴きやすい音だ。音のクォリティそのものは相当高く、中域での音離れも良いので、比較的リズミックな表現は得意だ。
 680シリーズに入る680ELと、ハイファイ志向の680EEとがある。680ELは、まさに放送局用ともいえる音を再生し、帯域内での音の緻密さを充分にもってバランスは悪くない。ステレオ音像の広がりも、カベをつき抜けるような空間の広さは感じられないが、音楽の確かさを充分に感じさせる。それに対して680EEは、家庭再生用としての音のバランス、やはり中域の確かさをもちながらも、広帯域感は充分にもち、トレース能力もきわめて良いのが特徴といえる。このシリーズは、まさにスタントンの本領を出しているが、次に出る681シリーズは、現在のスタントンの2チャンネル専用のトップモデルにふさわしいクォリティを聴かせてくれた。
 681EEは、比較的オーソドックスなサウンドイメージをもちながらも、他のアメリカ・カートリッジとは多少違ったハイグレードな再生音が得られる。渋さを感じさせる落着いた中低域と、鮮やかすぎない適度なブライトネスを持った高域をもつ。全体にスタントン・カートリッジは、広帯域感が過剰にならないのが特徴となっているが、この681EEの場合は、それにもまして音の粒立ちをみがき上げている点で、ハイクォリティ・サウンドということができる。ステレオ感も、これまでになく、安定して拡がりが得られる。
 681トリプルEは、681EEのグレードアップ版といえる高性能タイプだ。スタントン・ニューキャリブレーション・スタンダードシリーズと呼ばれる。この音は、まさに大人の音を感じさせる。どのプログラムソースに対しても高級品のイメージをくずすことなく、まったく音楽を安心して楽しむことができる点で、他のメーカーのトップ機種に通じている。ステレオ感の安定した再生ぶりは、もちろん優れているが、それ以上にレコードにおさめられているスペクトラムの再生はシュアーV15に対しても、一歩もひけをとらない。トレース能力も一段と安定して、スタントンのキャリアを充分に感じさせてくれる。

ソナス Red Label, Blue Label

岩崎千明

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
特集・「世界のカートリッジ123機種の総試聴記」より

 アメリカの軽針圧カートリッジの旗手として有名なP・E・プリチャードが新しく起したカートリッジ専門メーカーがソナースだ。彼はインデュースド・マグネット方式の発電機構を考案した。ソナースというブランド名をそのまま型名とし、針先の交換により三種類のバリエーションをもっている。サウンドイメージは、やはりADC・Qシリーズにつながる明るい音だ。
 最高価格のブルーラベルは、積極的な音をもち、リズミックに弾む低域は力強さも充分にもつ。中域から高域にかけては、緻密な粒立ちのよい音を聴かせ、全体にフラットだがより現代的な音楽再生に向いている。
 レッドラベルは、聴いていて耳当りのよいソフトな再生音が得られる。音楽ジャンルにとらわれない特徴はこの二機種に共通した良さといえるが、レッドラベルの場合、音像もソフトに表現する。