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パイオニア C-73

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 単体コンポーネントは、性能、デザイン、組合せおよび使用上での自由度などから、現在もっともオーソドックスなオーディオシステムのベースとなっている。
 たとえば、グレードアップの場合にも、部分的な変更で、トータルのシステムの量的・質的な向上を実現できることは、コンポーネントシステムの大きな魅力である。しかし、システム全体のデザインとなると、予想に反して完成度は、あまり高くはならないのが通例である。性能とトータルデザインという、相反する要求を満たすことを目的として開発されたものがアンプシステムで、アンプを中心にして、FMチューナー、テープデッキなどパネルサイズをラックマウントタイプに統一して、互換性をもちながら、デザイン的にも全体のバランスを崩さないことが狙いである。したがって、もっともベースとなるのはラックマウントサイズのオーディオラックであり、これに任意の単体コンポーネントをマウントして、システム化することになる。
 C73は、既発売のC77のジュニアモデルとつくられた新製品である。機能面では、最近の傾向であるユニットアンプ的な方向ではない、フル機能のオーソドックスなコントロールアンプであることが特長だ。カートリッジの負荷抵抗、容量切替、各ターンオーバーが3段切替のトーンコントロール、相互ダビング可能な2系統のテープ端子など機能は豊富である。物理的な特性面では、現代アンプらしくSN比が高く、歪率が低い特徴をもつ。

テクニクス SL-01

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このプレーヤーシステムは、ダイレクトドライブ型フォノモーターを最初に開発し、商品化をしたテクニクスが、数多くのダイレクトドライブ方式のプレーヤーシステムを送り出した経験をベースとして、再び、ダイレクトドライブ方式の原点にもどってプレーヤーシステムを見直して、つくり出したともいうべき製品で、このことは、新しい型番からもうかがい知ることができると思う。
 プレーヤーシステムとしては、色調がブラックとなり、デザインもスリムになったために、外観から受ける印象は、引き締まって、実際外形寸法よりは、かなり小型に感じられる。
 プレーヤーベースは、不要な空間を可能な限り減らす目的と、不要振動をカットするハイマス設計アルミダイキャストのキャビネットと防振構造をもつ亜鉛ダイキャストによる剛体設計のベースを粘弾性材を介し、三重構造とした、複合防振構造とし、インシュレーターには、粘弾性定数を充分に検討して決められた、大型の防振効果が高いタイプを採用して、トータルなシステムとしての耐ハウリング性、音質の向上が計られている。
 フォノモーターユニットは、基本的には、新発売のSP20と同等のものである。ターンテーブルは、直径30・1cm、重量2・7kgと、SP20よりも、直径がやや小さく、重量がやや大きく、慣性質量は330kg・㎠で、これは、少し大きな値となっているが、まず同じと考えてよいだろう。このターンテーブルの内側には、テクニクス独自のモーターのローター部分が組み込まれ、一体構造としている。サーボ系は、水晶振動子を使う基準発振器とプッシュプルFGとの組合せによる位相制御方式で、駆動電子回路には、新開発のDDモーター用ワンチップIC、AN640を使用し、全波両方向駆動により効率を高めている。なお、ブレーキ機構は、純電子式で、スムーズに働くタイプである。
 トーンアームは、亜鉛ダイキャスト製のしっかりとしたアームベースにセットされている。このアームの軸受部分は、EPA100アームに似たジンバル型で、専用ピボットベアリングの使用により、水平、垂直ともに初動感度7mgという高感度を得ている。ヘッドシェルは、オーバーハング調整付の複合防振構造である。アームのアクセサリーとしては、アンチスケートコントロールとオイルダンプ型リフターがある。
 SL01は、外観からは非常にシンプルな印象を受けるが、内容は、もっとも現代型のプレーヤーシステムらしい最新の技術をもりこんだ密度の高いものがある。実際の使用でも、アームの下側にコントロールが無いために、操作性が優れ、一条一列シマ目のストロボはLED照明で見やすい。また、音的にも、まさしくナチュラルなバランスと適度な質感の再現性があって、非常に好ましい印象の製品である。

ソニー SS-G7

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 スピーカーのユニット設計に、アポロ計画をはじめ、宇宙船の開発に応用されたNASTRANと呼ばれるコンピューター技法を導入し、聴感とデータの徹底的な検討により完成した注目すべきソニーの新製品である。
 ユニット構成は、3ウェイ・3スピーカー方式で、使用ユニットはバッフルボード面に、一線に配置されるインライン方式であるが、本機ではさらにたくユニットの音源位置を垂直線上に揃える、ブラムライン方式としている。各ユニットの音源の位置を揃える利点は、聴感上の定位感が明瞭になると同時に臨場感が豊かになることが確認されている。
 30cm口径のウーファーは、音源を揃えるために、巨大な、自動車のアルミホイールを思わせる形状の特殊成形アルミ合金フレームを採用している。コーン紙は、半頂角60度カーボコーンで、コルゲーションが設けられ、ボイスコイル直径は、10cmと大口径である。磁気回路は、直径25mm×20mmのアルニコ系鋳造磁石を14個使った内磁型で、T型ポールには特殊鋼材を使い低歪化してある。
 スコーカーは、コーン型とドーム型の中間的なバランスドライブ型で、口径は10cm、磁気回路には、120φ×70φ×17tmmの大型フェライト磁石とT型ポールピース採用である。このT型ポールピースは、磁気ギャップ内の磁束分布を均一化でき、磁場の非対称による歪みを低くできる。
 トゥイーターは、口径3・5cmのバランスドライブ型で、ダイアフラムには厚さ20ミクロンのチタンを深絞り一体成形して使用し、エッジ部分は人工皮革を採用して金属的な鳴りを抑えている。磁気回路はアルニコ系磁石を壺型ヨークと組み合わせて、16000ガウスの磁束密度を得ている。
 エンクロージュアは、バスレフ型で、バッフルボードは厚さ30mmの硬質カラ松材パーチクルボードを使用し、中高域の拡散効果を目的として格子状の加工が施してある。ACOUSTICAL GROOVEDを略してAGボードと名づけられたこの加工により、聴感上の臨場感を向上することができる。また、エンクロージュアの各壁面の放射周波数帯域を分散することにより、箱鳴りといわれて敬遠されていた現象を音色的に有効に利用している。エンクロージュア内部は、高密度フェルトを壁面に密着させ、板共振を抑え、定在波の発生を防ぐために、多量の吸音材を入れてある。
 このシステムは、各ユニットが音色的にも周波数レスポンス的にもよくつながり、音が安定している特長がある。聴感上では、さしてワイドレンジと感じないが、必要な場合には充分な帯域の伸びがわかるタイプである。音の密度は濃く、力感もあって、大人っぽい完成度の高さが、このシステムの魅力といえよう。

サンスイ SP-G300

井上卓也

ステレオサウンド 41号(1976年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 サンスイのフロアー型システムには、現在バックロードホーン型エンクロージュア採用のSP707J、バスレフ型エンクロージュア採用のSP505Jがあるが、いずれも使用ユニットは米JBL製のフルレンジユニットであり、そのシステムをベースとしてマルチスピーカー化する可能性を残した、いわば基本型といった性格が強い製品である。
 今回、新しく発売されるSP−G300は、最初から自社開発のユニット使用を前提として企画されたコンプリートなフロアー型システムで、開発にあたっては、かなりJBLのモニターシステムの影響を受けていることが、そのユニット構成、規格からも知ることができよう。
 トールボーイ型をしたエンクロージュアは、バスレフ型で西独ブラウンのスピーカーシステムと同様に、コーナーが大きくRをとってあるために、全体の印象は穏やかな感じがあり、SP707Jなどとはかなり異なっている。
 ユニット構成は、2ウェイ・3スピーカー方式で、ウーファーは、30cm口径のユニットを2個並列使用、トゥイーターは音響レンズ付のホーン型が採用されている。
 ウーファーは、ちょっと見には、単純なパラレル駆動と思われやすいが、それぞれコーン紙の形状が異なっており、性質の違ったユニットであることがわかる。タテ位置に2個取りつけてある下側のウーファーは、低域共振周波数が低く、振動系の質量が重いタイプで、本来のウーファーとしての低音を受持ち、上側のウーファーは、やや低域共振周波数が高く、振動系の質量が軽いタイプで、低音の高いパートから、トゥイーターにクロスオーバーする帯域を受持っている。このユニットは、いわばスコーカー・ウーファーと考えてもよいものだ。
 一般的には、ウーファーは重低音を要求すれば中低域に欠点が生じやすく、中低音を要求すれば重低音不足となりやすい傾向があるが、逆の声質をもつ2個のウーファーをコントロールして並列駆動として使う方法は、大変に興味深いものがある。
 考え方を変えれば、38cmウーファー1個を追い込むよりは、実効的なコーン面積がそれと等しい異なった種類の30cmウーファー2個をコントロールするほうが、ある場合には、むしろ好結果が得やすいのかもしれない。この場合にはその成功例といえる。
 トゥイーターは、本格派のハイフレケンシーユニットで、ショートホーンとスラントタイプ音響レンズの組合せで、SP6000で使用されたユニット発展型と考えてもよいのかもしれない。
 このシステムは、表情が豊かで、伸びやかな音である。ややウォームトーン型だが、低域が安定しよく響き、よくハモる。中域以上は、ホーン型とは思われないほどの細やかさと滑らかさがある。小音量でもバランスを保つのは実用上の利点で、JBLと異なった音であることが好ましい。

ラックス CL32

菅野沖彦
 
スイングジャーナル 12月号(1976年11月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 世はフラット・プリ・アンプの大流行である。火をつけたのはアメリカのマーク・レビンソンだといってよいだろう。以来、アメリカには全くなんの影響をも与えていないのに、日本では大流行してしまった。この辺にも日本メーカーの性行が如実に現われているといえるのではないか。それは、ともかく、今度ラックスから発売になった、このCL−32も、プロポーションとしてはフラット・TYPEである。しかし、このフラット・アンプは同じフラットでも少々中味が異る。
 どう異るかというと、これは管球式のプリアンプなのである。このアンプを見て、その外観から、これが管球式のアンプとわかる人はいないだろう。実にすっきりしたデザイン、美しいパネルの仕上げ、見た眼にも極めて洗練された感覚がみなぎっている。真空管式のアンプ回路についてはもっとも豊かな蓄積とノウハウを持っているいってよいラックスだが、現時点で新たに、球のプリ・アンプが新製品として登場したバックグランドはなんなのであろう。いろいろ推測することが可能だが、その最大の理由は、なんといっても、ラックスの技術陣が、真空管を使いこなすことの自信にあるといってよいのではないだろうか。日進月歩のエレクトロニクスのテクノロジーのプロセスにおいて、常にニュー・フェイスとして紹介されるディバイス、つまり、各種のトランジスタは、それなりに素子として優れている点も持っている。しかし、新しい性格をもった素子が、本来の力を発揮するためには、その素子に最も適した使われ方がされなければならない。つまり、回路的に十分検討がなされ、多くの実験を経て、アンプの役目であるインプットとアウトプットの現実の条件の中で、いかに動作して、よい音を再生し得るかという試練を経なければならないと思う。その意味からいえば、真空管という素子は、もう古いと思われるほど、知り尽されたものであり、あらゆる回路技術が結びついて、その性能と性格の特色については練りに練られた素子だといってよいだろう。長年のアンプ専門メーカーとしてのキャリアを持つラックスにとって真空管は、まさに自家薬籠中のものだといえるだろう。もう一つの考えられる理由としては、これがキットでも発売されるということだ。もっとも、キット売りは後から出た案かも知れないので、勝手な推測は慎しむことにしておこう。
 とにかく、このCL−32は、大変に音のよい魅力的なプリ・アンプであって、現状で、プリ・アンプのもっている音への要求をよくみたしてくれるものだ。つまり、私の要求する、暖かさ、つぶだちのよいアキュラシー、音の積極的な表現、弱音から強音への広い質的安定感と、高い物理的S/N、こうした条件に、ほぼ、要求通りに応えてくれるのである。どうも、最近の新しいプリ・アンプは、音の品位が高く歪み感がないと思うと、雰囲気が重苦しかったり、フワーと軽やかに音場が拡がると思うと音が華やか過ぎたりといった具合で、なかなか思うように鳴ってくれないのである。こちらの要求が高くなっているためで、決して新型のアンプが悪いわけではないと思うが、このアンプを聴いて、そうした特別な傾向を強く感じずに、しかも、十分聴き応えのある音像の明確さと豊かな音場の雰囲気再現に満足させられたのだった。機能は簡素化されトーンコントロールはついていないが、実用上必要なものは不足がない。リニア・イコライザーと称するラックス独特のイコライザー・コントローラーがあって、少々のプログラム・ソースのキャラクター補正には事欠かない。最近続々発売される優れたプリ・アンプの中でも、特に強く印象に残った製品だった。
 また前述したように、別に組立てキットとして発売されているA3032という製品がある。ハンダゴテを握れる人で、暇と興味のある人は、これを組むことも楽しいのではないだろうか。特に、専門知識がなくとも、添付されているインストラクション・ブックに忠実に組立てていけば、まず、CL−32と同等に仕上りそうだ。私自身は、組んでいないので、100パーセントの自信をもって言えないが、ラックスのキットの信頼性は高いし、自分で作る楽しみはまた、格別であろう。万が一、手に負えなくとも気安く完成まで導き手助けしてくれるという。それが良い音を出せば、喜びも一入(ひとしお)大きいだろう。

ダイナベクター DV-3000, DV-8050

岩崎千明

電波科学 12月号(1976年11月発行)

 本誌の読者のように自らの手によってアンプを自作することが苦労でないオーディオマニアにとっては、一台20万、30万円という管球式アンプ、その価値をいったいどこに認めるのかいぶかしいに違いない。「この程度の物なら外観こそかまわなければ、おそらく半分の費用で作れることだろうに」というのが偽らざる気持だろう。
 ではいったいメーカーが手作り同様に手を掛け時間を掛け、少数、作り上げるこれらのアンプの「製品」の価値は一体どこにあるのだろうか。この答えの端的なあらわれが最近米国のオーディオファンの間で、こうした高価な管球式アンプが見なおされ、関心を高められている、という形ではっきり示されてきていることからもわかる。①希少価値 ②手作りによる限定生産 ③量産品、つまりトランジスタアンプに対するアンチテーゼ 以上のようなはっきりした理由から、この一年間、アメリカにおいても、日本の一部のマニアだけがひっそりと使っていた真空管アンプの良さが再認識され急激に復活している。この傾向は、再度日本のオーディオ高級ファンに逆輸入されつつある。
 ところで、これら最新の真空管アンプは、決して昔のままではなく、回路を確かめ、回路定数を調べれば、明らかなように、トラジジスタによって培われた電子回路技術が、大幅に取入れられて、電気的性能は良くなっている。周波数帯域にしても、入出力特性にしても、あるいはひずみ率特性にしても、最大出力帯域幅と、どれをとってみてもひとケタかふたケタは良くなっているし、位相特性を計れば、その基本特性の良さも、もっと良くなっていることが確められるのではある。
 さて、加うるに、もうひとつの大きな製品としての価値がある。自作アンプでは、つい、ないがしろにしてしまいがちなパネル板の厚さとか、内部構造の貧弱さとか、あるいはプリント基板の相対位置とか、配線の引き回しとか。つまりもろもろの目につき難くい、おろそかにしやすい、すべての付帯事項と思われがちなポイントで、これは実は、高級機種においては、けっして2次的なものではなくて、信頼性に直接かかわるだけでなく、S/Nにとっても、重要な関連を持つ。
 ダイナベクターのアンプの最大の特長は、なんといっても管球式アンプとは思えない明晰な音と、素嘱しいS/Nにあるのだが、この2つの点は少なくともトランジスタよりも、より大きな構造を要求される真空管アンプにおいて、それに見合った「堅固さ」が必要である。だから、分厚く、途方もない金属の塊のようなパネルも重要なるS/Nと信頼度との要求から絶対的に必然性のあるものなのである。
 高級機らしいフィーリングとよくいわれるが、それはつまみの手ざわりの感覚とか、それを廻すときの手ごたえとか、スイッチの切れ味とかを意味し、それはつまみの大きさと重さとにも大きく影響され得るファクターだ。ダイナベクターのアンプの場合、パネルに半分埋まったそれらのつまみは、すべて金属の無垢だが高級磯としては単なる目的ではなく、手段なのであることはいうまでもない。高級機らしさは、視覚的にも触覚的にも、それを受けとる側のセンスに直結したファクターであるが、ダイナベクターアンプの場合、それは必ずしも普遍的なものではなく、かなり凝ったうるさ方向きの好みを満足させる点を指摘したい。
 最近の高級アンプのはっきりした進歩は、S/Nの向上の形で具体的に音からも確かめることができる。S/Nはフォノ入力からスピーカ端子において70dB(定格出力にて)が高級機の平均の水準であったが、それが10dBは向上しなければ、いまや不十分だ。できることなら86dB以上ほしい。さらに実用レベルの1/2の音量、あるいは2/3の音量、つまり1/4出力ないしは1/3出力のS/Nが大切だ。さらに単なる数字だけでなくてノイズ成分の周波数分布、スペクトラムが大切で聴感上、ホワイトノイズとしてのうるささを感じさせないものが好ましい。真空管アンプの残留雑音は、この点からいうと、トランジスタに比べて格段に有利になる。数字が少々悪くても聴感上より有利なことはしばしば経験するが、この辺に理由がある。特にこのダイナベクターDV3000のように超広帯域をめざして設計した回路においては、数字の示すものも良いが、さらにがぜん実用性能の方が有利になってくるといえそうだ。
 しばしばその優劣が話題になるイコライザの回路における「NF形か、CR形か」という点もダイナベクターでは、きわめてはっきりと結論を下している。つまり、増幅回路には周波数に関係なく、常に一定のNFがかかることによって、安定な動作が定インピーダンスのもとに確保され、段間にCRイコライザが挿入される。したがって、きわめて広い帯域内での位相特性が保たれることになる。それがきわめてすっきりした、まるでとぎすまされた透明感を思わせる音になって、とうてい真空管の音とは思えないほどだ。しかし、よく聴けば、その限りなく澄んだ音には、けっしてつきはなされたような冷たさがないことに気付くだろう。これは特に肉声、あるいは自然な発声姿勢から歌われる歌を聴けば、はっきりと知ることができる。あくまでも人間の暖かみを失うことがないし、ただそれがのどの動きまでわかるはど刻明に再現されるだけである。あるいはヴィオラとか、ヴァイオリンとかの複数の弦を聴けば、知ることもできる。それは、豊かで、くっきりとして一弦一弦の音を聴くことができると同時に、全体の和音によって積み重ねられた豊かなハーモニーがゆったりと感じられる。そこには、わずかたりとも鋭さとか、きつい音はこれっぱかしもない。あくまでも耳当りよく、ボリウムを上げたとて、楽器が近づくだけで、うるさくはならない。少くともこうした持続音の再現には、あきらかに管球式アンプの利点を感じとりやすいものだが、ダイナベクターのアンプの場合「管球式アンプを一歩つきぬけた鮮明さ」をはっきりと示しながら、なおかつ「管球式アンプの暖かさ、ソフトなタッチ」が共存するのは、奇蹟としかいいようがないのが事実である。
 こうした現代の真空管アンプの特長的なサウンドをきわめて明瞭な形で示してくれるこのダイナベクターのアンプの良さは、むろんプリアンプ以上にそのパワーアンプDV8050の良さに関わっていることが大きい。真空管アンプの良さのひとつは、スピーカというダイナミックな動特性をもつ負荷に対する動作こそ重要だと思われるが、このためには、単にNFによる出力インピーダンスの低下を計るだけではだめで、電源回路自体の出力インピーダンスの絶対値が問題となる。低内部抵抗の出力管、さらにそれをより以上効果を上げるプッシュプル回路、加えて効率を高めるシングルエンドと重ねて凝った理想に近い構成がとられているのも、回路技術を知った所産であろう。
 なぜならば、優れたスピーカほど動作中、アンプを負荷とした強力なる発電機となり、それをなだめるには、アンプの実効出力インピーダンスの低減以外に道がないのだから。今日の録音技術の所産である立ち上りのよい音をそこなわずに再現するのは、新しいオーディオ回路技術だが、それをどぎつい音に行き過ぎるのを収めるのは、どうやら管球式アンプが切り札のようである。

サンスイ SR-929

菅野沖彦

スイングジャーナル 11月号(1976年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 プレイヤー・システムはレコードを演奏する装置であり、コンポーネントの中でも、きわめて重要な存在だ。それは、その微細なディスクに刻まれたミクロの振幅を拾い上げ、電気エネルギーに変換するというデリケートきわまりない作業をやってのけるのだ。この作業を直接果すのはカートリッジだが、いくら優れたカートリッジでも、トーンアームやターンテーブル、そして、それらを支えるプレイヤー・ペースが完全に補佐しない限り、その性能を発揮することは不可能である。ディスクの溝に刻まれた振動は、それ自体は、うねうね曲りくねったパターンに過ぎないが、これを回転させ、その溝に針を垂下させることによって、針先を動かす機械的エネルギーが生れる。針先の僅かな動きは全て電気エネルギーになってアンプへ送られ増幅され、スピーカーから育として再生される。こんな当り前のことを今さらあえていうのも、この当り前のことをちゃんと行なうことが、どうしてなかなか難しいからなのだ。つまり、針先に加わる機械振動が全部音になるというわけだから、レコードの溝に刻まれた波形が針先を動かす以外に、もし、なんらかのエネルギーが針先に加わることは、余計な音をスピーカーから出すことになる。たとえば、モーターの振動だ。これは絶対に禁物だ。最近のモーターは大変優秀で、静かな回転が得られるようになった。しかもDD式でモーター自体の回転を遅くすることによって振動がずっと少なくなったも回転速度も正確に、かつ滑らかに絶
えずコンスタントな速度で回らなければならない。毎分33 1/3回転といっても、1分間で33 1/3回転すればいいわけではない。一定速度で回転しなければ、音のピッチがゆすられて音程が保てないし、音質の劣化という現象につながる。これも、最近は、いろいろ優秀なものが登場した。バランスのとれた重いターンテーブルの慣性と、モーターの速度の僅かな誤差を検出して制御するサーボ機構の組合せ、しかも、モーターを回転させる発振源に水晶を使うという時計なみの精度をもったクォーツ・ロック・システムなどである。こうした新兵器はたしかにプレイヤー・システムの性能向上に役立っているが、実は、もっと、一見単純でしかも重要な問題がある。
 それは、プレイヤー・ベースの構造である。この土台がしっかりしていないと、絶対に音のいいプレイヤー・システムにはならない。しっかりしていなければならないといっでも、ここのところが難しい。前の針先の振動は、カートリッジのダンパーでは全部吸収されず、アームに伝わる。アームの共振はベースに伝わる。したがって、アームやベースの特性は必らずカートリッジの振動系と一体となって、一つの音色傾向を持つことになる。そんな馬鹿なという人がいるとしたらそれは体験不足というものだ。プレイヤー・システムは、全てが音に影響のある振動体なのだ。 シェルの指かけや、ターンテーブルのラバー・マットなどについても最近はやかましくいわれ出しているが、その割には、カートリッジ自体のボディーの材質や構造、ベースのそれと音の関係がまだ煮つめられているとはいえないようだ。ハウリングという、プレイヤー・システムの最も恐るべき現象に対してさえも、まだまだ、実際には配慮の足りないものもある。こうした背景の現時点で新しく登場したSR929は、かなり集中的に、これらプレイヤー・システムの諸問題が追求され成果々上げたものだと思う。勿論、回転系は、最新型のクォーツ・サーボ・システムのDDターンテーブル。トーンアームのナイフエッジとワンポイント・サポートはフィーリングとしてもう一つ不満だが、音質のよいものだ。そして、肝心のベースが力作である。コンクリートとウッドの二重構造で、フィニッシュが黒の艶出し。ピアノと同じ鏡面仕上げである。これは、プレイヤー・システムのもつべき条件を、物理的に、共振と制動の両面から追求し、感覚的には、ディスクの質感とぴったりくるピアノ塗装でまとめたという熱意の溢れた製品だと思う。きわめて品位の高い風格と音質を持っている。インシュレーターのバネ定数と総重量とのバランス、その制動をもう一つ自動車工学からでも学んでくれたら、完壁な線までいっただろうに。ハウリングにはもう一息の努力が欲しかった。

ヤマハ CA-1000III

岩崎千明

音楽専科 10月号(1976年9月発行)
「YOUNG AUDIO 新製品テスト」より

 ヤマハのプリメインアンプCA1000が、マークIIIとなって2度目の改良を受けた。もっとも、この改良は、単に改良というだけでなくて、まったく新らしく設計をしなおしたと思われるくらいに変わってしまって、もはや、改良というよりも、新型の新製品といってよかろ
 CA1000IIIは、ヤマハの高級イメージにささえられたオーディオ製品の中核をなすプリメインアンプの中で、最高のランクに地位する機種だ。その品質に関しては、デビュー当時よりもっとも高いクウォリティと、品位のある外観と、さらに、質の高いサウンドとで日本の市場におけるこの価格帯の中でもっとも優れた存在であった。オーディオアンプとしてその完成度は世界の超一流品にも匹敵するといわれてきた。デビュー以来、すでに4年目になろうとした今日、そのすべての特徴は、今も少しも色あせることはない。しかし、オーディオ志向の需要者層が大きく変わった。10万を越えるというこうした高級アンプを買おうというと若がえって、20歳をはるかに切ってしまうほどだ。
 こうした使用者の変革に伴なう使い方、デザイン感覚、さらにはサウンドへの好み、といった大きな条件を踏まえて、ヤマハにとっての「不朽の名作」CA1000を再度改めたわけだ。マークIIへの変革は、内部の改良に伴なう性能向上だけであったが、今度はそうした意味でも新製品ともいえるほどの大向上ぶりである。
 まず、もっとも目立つのは、ふたつのレベルメーターで、これは、最近の高級アンプの新しい動向である。主に、録音マニア達の好みに対応したものと思える。レコーディング・アウト・セレクターというつまみが、新しく付けられて、いわゆるテープモニター・スイッチの大巾な拡大用途に対応している。このスイッチの2つのポジションは、1→2、2→1のテープコピーとなっている。インプットセレクターには、テープ1、テープ2の2つのポジションが独立して付いている。このように単にテープモニター・スイッチを付ける今までのアンプに対してこのアンプのテープ録音への配慮は、不慣れな、初心者にも使いわけが、容易になるように心を配ったものといえる。
 今までにない新しい「フォノ・セレクター」は、カートリッジの種類とか銘柄によって、もっとも理想的使用状態になるようカートリッジの負荷抵抗を選べるようになっている。さらに、特出すべき大きなボイントだが、MC型カートリッジのためのヘッドアンプも内蔵されており、トランスとか、アダプターアンプを加えることなく、そのままフォノ1につないで使用することができ得る。
 もともとこうしたMC型カートリッジ用のヘッドアンプは、ノイズの点でたいへん難かしくて、高価にならざるをえない。だから、プリメインアンプの中に収めるということは、技術的にも価格的にも、とても難かしいことなのである。CA1000の伝統的特徴であるAクラス切換によるパワーアンプのA級動作は、タイプIIIになって、さらにパワーアップされて、用途を拡げた。普通のブックシェルフでも、夜なら充分な音量で楽しむことも、やりやすくなった。
 さて、CA1000IIIは、この改良によって、音がいかに変わったかは、大いに気になるに違いない。ひと言でいうならば、格段に明るく、力強く、特に、ボーカルとソロとが非常にくっきりと、聴ける。

スタックス DA-80

岩崎千明

スイングジャーナル 10月号(1976年9月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 8月のまだ暑さの厳しい、ある日の昼下り、SJ試聴室にふと立寄った時、見なれぬブランドのパワー・アンプが眼に入った。〝Stax〟と小さく、しかし、鮮やかな文字がパイロット・ランプ以外に何もない、そのスッキリとしたパネルにあった。知る人ぞ知る個性派ナンバー・ワンのメーカー、スタックス・ブランドのアンプということで、大いにそそられ、聴きたくなったのも当然だろう。
 SJ試聴室の標準スピーカーJBLスタジオ・モニター4341が接続され、音溝に針を落してボリュームが上がると、響きが空間を満たした。その時のスリリングな興奮は、ちょっと口では言えないし、まして、こうして文字で表わすことなどできない。なんと言ったらよいのだろうか、まず4341が、JBLがこういう音で鳴ったことは今までに聴いたことがない。それは、やわらかな肌触わりの、しなやかな物腰の、品の良いサウンドであった。いわゆるJBLというイメージの、くっきりした鮮明度の高い強烈さといった、いままでの表現とまったく逆のものといえよう。だからといって、JBLらしさがなくなってしまった、というわけでは決してない。そうした、いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ。まったく逆な方向からのアプローチであっても、それが極点に達すれば、反対側からの極点と一致するのではないだろうか。ちょっと地球の極点のように、南へ向っても北へ向っても、ひとまわりすれば極点で一致するのと同じ考え方で理解されようか。
 スタックスのアンプのサウンド・クォリティーを説明するのは、むづかしい。本当は今までになく素晴しい、といい切っても少しも誇張ではないが.それならば、どんなふうにいいのか。少なくとも、音溝のスクラッチ音が極端に静かになる。JBLのシステムで聴くと、レコードのスクラッチはきわめてはっきりと出てくるが、その同じスピーカーでありながら、スタックスのアンプでは、驚くほど耳障りにならなくなってしまう。さらに演奏者の音が、そのまわりの空間もろとも再現されるという感じで鳴ってくれる。ステージでの録音ならばそれは、良い音としての必要条件ともなるが、スタジオでのオンマイク録音においてでさえも、こうした演奏現場の音場空間がスピーカーを通して聴き手の前にリアルに表現される。優れた再生というものの重要なるファクターであるこうした音場再現性が、スタックスのこのパワーアンプDA80でははっきりと感じられる。もし聴きくらべることができる状態ならば、おそらくそうした事実は、誰もが非常にはっきりと感じとることができるのではないだろうか。それは、ちょっときざっぼい、言い方をすれば、再生音楽の限界の壁を越え得たといえる。または、生(なま)へ大きく一歩前進したともいえよう。
 さて、こうした、かってない未知の再生効果の衝撃的体験をしたときから、このアンプDA80は、私に新たなる可能性を提示し拡大してくれたのである。その製品の、オリジナリティーおよびクォリティーの高さは、スタックス・ブランドの最も誇りとするところであり、これはごく高いレベルのマニアの間でこそ常識となっているとはいうものの、「スタックス」というブランドは必らずしもよく知られているわけではない。だからSJ読者の中にも、このページの登場で初めて意識される方も多いことと思われる。スタックスは、国内オーディオ・メーカーの中でも、もっとも永いキャリアーと他に例のないユニークな技術とで知られる、今や世界にもまれになったコンデンサー・カートリッジとコンデンサー・スピーカーからそのスタートを切り、アーム、さらにヘッドフォン、そのためのアダプター・アンプと順次に作ってきて分野を序々に、しかし確実に拡げてきたのち、1年前に、パワー・アンプDA300を発表した。150/150ワットのA級アンプは、ごく一部のマニアの間で、話題になったが商品としては、高価格のため必らずしも大成功とまではいかなかったようだ。今回、このDA300を実用型として登場したのが、このDA80だ。しかし、DA80は、兄貴分たるDA300を、性能的にも再生品位の上でも一歩前進したといって差支えないようだ。AクラスDC構成アンプというその回路的な特長による技術的な優秀性だけが、決してそのすばらしさのすべてではないのだ。おそらくオーディオも商品としてもまた兄貴分DA300は、一歩を譲るに違いあるまい。

アイワ AD-4200

岩崎千明

ジャズランド 9月号(1976年8月発行)

 AD4200の大きな特徴はまずその外観に求められる。スラントデッキと名付けられた20度の傾斜をもつユニークな操作パネルは、テープの走行状態やメーターの監視、そしてつまみの操作を大変容易にしている。
 カセット・デッキにおいては、いわゆるコンポ・スタイルの縦型操作のデッキがすっかり主流となった感があるが、カセット本来の目的や実際の使用状態を考えると平型デッキも捨て難く、また水平メカニズムの安定性を思えば、特に普及型においてこうした製品が開発されるのは十分納得できる。
 もちろん基本性能にも十分留意しており、ワウ・フラッター0・09%、SN比62dBという値は4万2800円という価格を考えれば、特筆に値するものといえよう。また、フェリクローム等の高性能テープに対応すべく、イコライザー、バイアスの独立3段切換が可能であり、いかなるテープに対してもその能力を最大限に発揮させることができる。
 その他の付属機能もローコストとは思えない充実ぶりで、ドルビー・システムの内蔵をはじめ、テープの頭出しの容易なクイックレビュー・キュー、テープが終了するとメカニズムが停止するオート・ストップ機構などは便利。またカセット・イジェクトのオイルダンプ・メカニズムのソフトなフィーリングも高級機の風格がある。
 さて、AD4200の再生音だが、普及型らしからぬ本格派で、デッキ側での音作りを排した姿勢が好ましい。歪も少なく、すっきりとした誇張感のない音はこのクラスでは貴重である。レンジはそう広い方ではないが、バランスがよくとれているので、全体によくまとまっている。
 最近発売されたパブロのカセット・シリーズを聴くと、アコースティックなパブロ・サウンドを伸び伸びと再現してくれた。
 諸特性もこのクラスでは抜群で、エアチェックなどには威力を発揮するだろう。
 カセットの性能向上の努力はカセットそのものの枠を突破し、遂にエルカセットの登場をみたが、カセットデッキ自身も高価格商品が続々と発表されている。このようなカセットの高級化志向の一方で、きわめて完成度の高い普及型商品が着実に企画されているのは大変歓迎すべきである。
 AD4200の魅力は、その高性能に比しての価格の要さに集約されるが、その性能はオーディオ機器としての十分な水準を維持している。

ヤマハ NS-500

岩崎千明

音楽専科 9月号(1976年8月発行)
「YOUNG AUDIO 新製品テスト」より

 ヤマハNS500は、ヤマハの数あるスピーカーの中で、最新の実力機種だ。ヤマハには、NS1000Mという世界に誇るスピーカーシステムがある。つい先頃、ヨーロッパの中でも特に音にうるさいスウェーデンにおいて国営放送が、このヤマハのNS1000Mをモニタースピーカーに選んだという。総数1000本も使われるというこの大事な役割も、品質のそろっている事が前提でなければならない。ヨーロッパ始め世界のメーカーの作るモニタースピーカー数ある中からヤマハNS1000Mが選ばれたのは、もっと注目すべきだろう。
 ところで、このNS1000Mは、1本で10万を超すという高価格だ。誰にでも推められ、また買えるというのでもないだろう。特に最近の若いファンにとっては、いくら世界一の音といっても、スピーカーだけで20万を払うというのは、とても無理で、よほど恵まれていなければ、実現性がない。そこで、この弟分のデビューは、待ちこがれていた。
 NS500は、この待ちにまったNS1000Mの実用型弟分なのである。
 その最大の特長とするところは、ヤマハ独特の技術によって生れたベリリウムダイヤフラムを振動板とした高音用スピーカーだ。NS1000Mでは、中音用と高音用がこの技術で作られたユニットで、それに低音用を加えた3ウェイ・スピーカー・システムだったのが、NS500では、高音がベリリウム・トゥイーターで、それに低音用の25cmウーファーを加えた2ウェイ・システムだ。つまり、ひとまわり小さい外観だけでなく、中味も弟分だ。
 さて、このベリリウム、金属のくせにモーレツに硬くて、その硬さは、宝石なみの超硬度だ。プレスも曲げることもできやしない。それを、半球上の薄膜に作るなんていうことは、とてもできるわけがなくて、だから、いくら理想的な材料といわれていながら、今まで作られていなかった。
 ピアノやオートバイの部品から作っているヤマハが、この難かしい問題を解決して、理想的スピーカーを作りあげたというわけだ。ベリリウム・トゥイーターのおかげで難しいといわれていた高音用の動作が理想的になったため、理論どおりの設計が具体的に製品として、出来あがるようになった。
 NS500は、NS1000Mを作る時に得た技術的なノウハウをさらに加えたという点で、あるいは、NS1000Mよりも一歩一前進したスピーカーということもできる。その力強く、輝きに満ちて、素晴しい音の粒立ちのある再生能力は、NNS1000Mとまったく同じレベルにあるが、さらに、NS500には、もうひとつのプラスがある。それは、歌や、インストルメンタルのソロが、ぐいぐいと間近にせまってくるという形で、再生される事だ。NS1000Mのやや控えめなのにも比べて、音が積極的だともいえよう。
 だから、NS500は、若いファンにとって、今考えられる最も高いレベルの推薦スピーカーであると断言しよう。日本の市場には、多くの海外製を含め国産の限りない製品がひしめきあっていて、それに毎年のように新型が加わり、せっかく新しく手に入れたとしても、2、3年で色あせてしまう。つまり、買う時に、いますぐだけの事でなく、2年先、3年先の事を考えておかなければ損をする。
 だから、ヤマハのNS500を推めたいのだ。ヤマハが世界に誇るベリリウム・トゥイーター付きの自信作なのだから。

ソニー TTS-8000

岩崎千明

スイングジャーナル 9月号(1976年8月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 DDモーターが登場して、それが世界を、少なくともプレイヤーの、今までの常識をすっかり変えてしまってから、もう何年になるだろうか。
 いつの時代にも、まったくといってよいほど、変わる所のなかったフォノモーターが、おそらく始まって以来、革命的な向上を果したといってよいのが、ダイレクト・ドライブ・ターンテーブルであった。ところが、さらにいま、この方式は水晶による、驚異的一定周波数発振器を内蔵させることによって、それを回転の定速制御の中に、くり入れることによって得た、新しい技術〝クォーツロック・ダイレクト・ドライブ方式〟として、ひとつの完成を成しとげたことになった。
〝クォーツロック〟あるいは、クリスタル・ロックと略称される新しいターンテーブルがこれであり、こうした新製品が、主要メーカーからポツリ、ポツリと市場に送られてきつつある。ソニーのTTS8000も、こうした新しいターンテーブルのひとつである。
 注目すべきは、このTTS8000が、ソニーの手によるクォーツロック・ターンテーブルという点なのだ。
 DDモーターの出る以前に、すでに電子制御によって、回転数を一定にしようとする試みは、世界中の主要ターンテーブル・メーカーが、これを試みていた。現在でも、世界的に信頼されている、スイス・ブランドのT社を筆頭に、国内メーカーからも、こうした電子制御モーターが、数多くあったが、その中でもいち早くスタートを切り、大成功を収めたのが、かくいうソニーのTTS3000であった。それは、機構的にはベルト・ドライブ方式であったが。したがって、電子制御に関しては、ソニーは他社に先んずる技術を持っていた。それはテープレコーダーという、新しい回転機器を作り、育ててきたソニーならではの技術でもある。テープ走行用の技術は、ターンテーブルの定速回転のために、拡大応用された、といってよい。
 本来、オーディオという分野は、電気、科学、機械、材料、と幅広い部門の上に成り立ち、その上に音楽的感覚が加わるという、広い範疇の総合技術である。にもかかわらず、オーディオ・メーカーといわれる中で「オリジナル技術」ないしは「個性的技術として、誇るにたるノウハウ」を持っているメーカーが、果して何社あろうか。ソニーはそうした意味でもっとも強力な技術と、ノウハウを持つといい得る、世界にも誇るぺき、技術志向の強いメーカーである。技術のソニーは、トランジスターを創り、TRラジオを創り、テープ・デッキを創り、TRテレビを創ってきた。さらには、TRアンプを加え、電子制御ターンテーブルをものにしてきた。そのキャリアが、クォーツロックド・ダイレクト・ドライブ方式のプレイヤーを完成させた。先に発表された高級プレイヤーPS8750がこれである。このクォーツロック・プレイヤー、DDモーターの最終極点にあるとも言える水晶制御だけに、価格も高い。とても一般のユーザーが、気遅れなしに入手できるといえる程の価格ではない。加えて、この高価格にしては、黒と金属のツートーンのデザインは、あまりにもメカっぽく、音楽をたしなもうという雰囲気に、どうもそぐわないと感ずるファンも少なくないだろう。音楽は、いわゆる人間の精神の奥に根ざすべき感情活動をともなう芸術である。冷たい感触は、こうした人間味を薄めかねまい。
 今回、TTS8000として、ターンテーブルのみが、単独商品として発表された。割安な価格という、プラスも大きいが、それ以上にその使い手の好みに応じて、プレイヤーを創ることができ、ケースを自分の趣味で選び、あるいは装うことができるという、プラスの要素が、価値としては大きいのではないだろうか。
 クォーツロック方式による、回転精度の向上、ワウやフラッターの低減などの電気的、機械的な性能向上は、いわずもがなだが、さらに、クイック・スタート、クイック・ストップの強い良さも、付加的なメリットだ。おそらく一度使ったら手ばなさなくなる使い良さは、かつての名作、TTS3000以来のソニーのモーター技術の伝統でもあろう。

パイオニア C-21, M-22

菅野沖彦

スイングジャーナル 9月号(1976年8月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 パイオニアというメーカーは企画のうまさでは抜群である。それも、ちゃんと内容のともなった製品を作るし、タイミングも実によい。パイオニアの製品群にはいくつかの本質的相異を見出すことができるようだ。第1はわれわれが大喜びする超マニア・ライクな高級機器である。第2はそのイメージを、たくみに合理化した中級・上級の製品、第3がパイオニアの商品の武器とでもいうべき、オーディオ的スパイスの効いた大衆商品である。この3本の柱を有機的に組み合せ、強固な商品構成を作りあげているのであろう。
 20番シリーズのアンプ類は、そうした分類からすれば、当然第1のグループに属するものだ。それにしては、C21プリアンプが60、000円、M22パワーアンプが120、000円という価格はそう高くないと思われるかもしれないが、30W+30Wのプリメイン・アンプで、しかも、バス、トレブルの音質調整回路つまりトーン・コントロール機能がなしで、180、000円というのは決して安いものではないことに気がつくであろう。プリメインアンプが1W当り1、000円とかいう、おかしな相場からすれば、これはその6倍強の値段である。いうまでもなく、これは、現在のエレクトロニクス技術とオーディオロジーを結びつけた音質の品位の高さを得るために必然的に出た値段である。〝本当の商人は無駄な銭をとらない〟といわれるがまさにその通りであって、むしろ、あまり安いものはうたがったほうがよさそうだ。もっとも、オーディオのように、見ることも触れることも出来ない音を目的とした商品は、買手が要求しないようなところにコストをかけても無意味であるから、いわゆる大衆商品というものは形だけ整えて、見えない音のほうはそこそこにして成り立ち、いうなれば客が馬鹿にされているわけだが、客がそれでよければ何をかいわんやなのである。その道に、客の要求が高ければ高いほど、目に見えないところにコストと時間をかけて、いいクォリティーの音を追求しなければならず、これが、オーディオ製品の一見同じように見えていながら、大きな価格の差をもった製品が出てくる所以であろう。
 C21、M22はまさにクォリティー製品であって、その性能は、同社の最高価格のC3、M4のコンビに劣らないほどなのである。いや、ある面ではむしろ優れているとさえいえる部分もある。トーン・コントロール回路をもたないC21は、信号系路を徹底的にシンプルにしてSNや歪の劣化を嫌う思想から作られただけあって、きわめてピュアーな音が得られる。選ばれたパーツも高級品であるし、よく音質検討がなされていて、洗練された最新の回路構成でまとめられている。機能的には先に述べたように、まったくシンプルなものだが、これは、コンパクトなシステムとして、マルチプルにシリーズ化する意図を持った製品群の中で占めるプリアンプという明確な姿勢を持っているのである。M22パワーアンプは、M4で実証したA級動作のノッチング歪のない音質の透明度と滑らかさを受け継ぐもので、音の柔軟性はきわめて高く、スムースこの上ない。ただ30Wというパワーはいかにも小さく、よほど高能率のスピーカーでもない限り、これでジャズをガンガン鳴らすというわけにはいかぬ。試聴にもいくつかのスピーカーをつないでみたが、アルテックのA7クラスだと、まず十分なラウドネスを得ることができるし、Dレンジもまずまずだが、ほとんどのブックシェルフ・スピーカーでは、フォルテを犠牲にしなければならなかった。つまり、このパワーアンプの本当の使われ方は、小音量で、最高の質の音でイメージの再生を目的とするクラシック・ファン向きか、あるいは、マルチ・アンプ構成としてその中域か高域に使うことだ。エネルギー的に大きな中低域両域は、現在の水準からして最低100Wを必要とする、というのが私の持論であって理想としては、低域を同社のM3、中域をM4、高域をこのM22というラインアップを組むことである。パイオニアもこれを考えてか、ちゃんと、この20番シリーズでは、クロスオーバー・ネットワークD23を同時に用意して発売しているのである。この本質をわきまえて、この一連のハイ・クォリティー・アンプを活しきったら素晴しい装置が構成し得るであろう。

テクニクス SB-007

黒田恭一

ジャズランド 8月号(1976年7月発行)
「音と音楽・音楽と音──ピストルを持たない007」より

 小さい方がいい。小さい方が、おおむね、美しい。アンプにしても、プレーヤーにしても、ましてカセットデッキにおいておやだ。タバコの箱ぐらいのスピーカーがあればいいのに──といって、笑われたことがある。笑われながら、釈然としなかった。今のところは、やはりどうしても、ゆったりとした、底力のある低音がききたかったら、俗にフロア型といわれるどでかいスピーカーが必要のようだ。スピーカーの原理から説明されれば、なるほどと納得せぎるをえない。しかし、不可能を可能にするのが技術だろうなどと、にくまれ口のひとつもたたいてみたくをる。
 大きい方が、立派にみえるからいいというのは、なんとなく、さもしい。やけに図体ばかり大きい、そのくせにのぞいてみると中がすかすかのアンプなどをみると、音をきく前から、さむざむとした気特になってしまう。その種の手合が、これで結構多いから、困る。そしてメーカーは、ふたことめには、「ユーザーのニーズ」などという。もし柄を大きくしてもらうことが、本当にユーザーのニーズなら、そのユーザーの根性は、なんともさもしい。
 本当にそんな、メーカーのいう「ユーザー」がいるのかと、思う。そこでいわれている「ユーザー」とは、所詮、メーカーが、ユーザーとはこんなものさと思った、その「ユーザー」ではないのか。そこには、一種の、たかくくりの精神が、ちらつく。そういうメーカーが悲しい。そんな風に甘くみられたユーザーも悲しい。
 マニア訪問とか、あるいはオーディオ装置のある部屋とかいったページが、オーディオ雑誌等には、かならずといっていいほどある。そして、いわゆる名器といわれるアンプやプレーヤーがみがきあげられて棚に並んでいる写真がのっている。しかもごていねいに、カラーであることさえすくなくない。ぼくもこれまでに、そういう写真を何度か、とられたことがある。恥しかった。それに、なんとなく、無駄をことをしているように思えてしかたがなかった。その写真をうつす人の腕が、いかにすぐれていても、この部屋でなっている音はうつせないのだから、うつされていて、申しわけなかった。
 その雑誌の編集者だって、本当は、音そのものをうつしたかったのだろうが、それができないので、やむをえず、再生装置というものとか、それをつかっている人間といういきものをうつさざるをえなかったのだろう。音はみえないので、あくまでもやむをえずの処置だったにちがいない。
 たのしもうとしているのが音楽であるかぎり、目は、あくまでも二義的を感覚器官でしかない。肝心なのは耳だ。だとすれば、オーディオ機器は、大きくて目ざわりなのより、小さくて目だたない方がいい。小さいアンプやカセットデッキが美しく感じられるのと、そのこととは、関係があるのではないか。
 小さなスピーカーをきかせてもらった。試作品なので、市販はされていないということだった。そういう特殊な機器について書くのは、なんとなく気がひける。自分だけきけたので、いいきになって、自慢ばなしをしているように思われるのではないかと思うからだ。しかし、その小さくて、粋な姿が気に入ったので、そのスピーカーのことを書いてみることにした。
 テクニクスのスピーカーで、俗称は007というのだそうだ。例の、テクニクス7の、ミニアチュアだ。すべての部分が10分の6の大きさになっている。むろん、あの特徴的な頭の部分もついている。
 普段つかっているJBLのスピーカーの横において、コードをつなぎ、ならしてみた。その姿にふさわしい、かわいい音がした。かわいい音──といういい方には、多分、説明が必要だろう。
 こういう時に、かっこうをつけてもしょうがない、正直に書こう。ターンテーブルの上にのっていたのは、山崎ハコの二枚目のアルバム「綱渡り」だった。すでにそのレコードは、JBLのスピーカーで、一度ならずきいていたから、どんな音がするかは、知っていた。必然的に、あれとこれとでは──といったきき方になってしまった。ちびの007と大きなJBL四三二〇とでは、勝負になるはずもない。007の表面面積は、ざっとみて四三二〇のほぼ三分の一といったところだ。
 そのうちに、段々、007の音になれてきた。それと同時に、山崎ハコの歌をなにかとても懐しい歌をきいているようを気持できいている自分に、気づいた。ぼくは、なんとなく、くつろいでいた。部屋にはひどくインティメイトな雰囲気があった。しんみりときいた。
 音楽の途中で音量つまみをちょこちょこうごかすのが嫌いだ。よく、レコードをかけてしまってから、途中で、大きくしたり、小さくしたりする人がいるが、あれはどうなんだろう、あまり好ましいこととは思えない。よほ大きすぎた時とか、逆に小さすぎた時ならともかく、よほどのことがないと、ぼくは音量のつまみを途中でいじらない。このレコードならこの程度といったことは、あらかじめわかっている。昨日今日レコードをききはじめたわけではないからそのぐらいのことはわかる。
 その、007をはじめてきいた時も、そうだった。その直前にきいたからこそ、山崎ハコのレコードが、ターンテーブルの上にのっていたわけで、そのまま、007できいたことになる。その間に、音量つまみには、一切手をふれていなかった。
 007は、JBL四三二〇より、小型だから当然というべきか、能率がわるい。この辺がちょっと困ったところで、小さなスピーカーをつかおうと思えば、ハイパワーの、したがって大きいアンプをつかわなければならなくなる。具体的にいうと、パイオニアの、C二一+M二二のくみあわせなど、値段を考えると、本当にすてきなアンプだと思うけれど、つかっているスピーカーがフロアタイプならいいが、ブックシェルフだと、30W+30Wということで、充分な結果は得られないのではないか。小さなスピーカーをつかおうとすれば、大きなアンプが必要になり、大きなスピーカーをつかっていればアンプは小さくてもいいというのは、どうしようもないパラドックスのようだ。
 パワーをいれたら、007は、その愛らしい姿に似あわず、張りのある音をだしたが、それはどうやら彼の(007だから、やはり、彼というべきだろう)本領ではないようだった。
 自分のきく位置を、普段より前に、つまりスピーカーの近くにしてみた。音がかなりなまなましくなった。007の横腹は、ローズウッドというのか、小し赤っぽい木でできている。ともかく、その木の材質は、ぼくのつかっている机と同じで、そのことから思いついて、ぼくの机の幅は一七五センチあるが、机の両すみにおいてみた。スピーカーの横腹の材質と机のそれとが同じだから違和感は、まったくなかった。それに、音も、さらにチャーミングなものとをった。
 結局、その夜は、レコードをあれこれとりかえながら、机にむかって、007をきいてすごした。楽しい夜だった。ごく親しい、気のおけない友だちと、のんぴりすごした後のようをここちよさが、残った。
 しかしぼくは、次の日の朝、机の上の007をおろしてしまった。理由はふたつあった。ひとつは、しごく単純なことだった。仕事をする時、ぼくは机の上にさまざまな資料をひろげてする習慣で、その際、スピーカーがふたつも場所をとっていてはじゃまだったからだ。もうひとつの理由は、少し複雑だった。ごく親しい、気のおけない友だちと、のんびり時をすごす──ことに対しての、不安を感じたからだった。それはむろん、わるいことじゃない。大変に楽しいことというべきだろう。できることなら、くる日もくる日も、そうやってすごしたいと思うほどだ。
 しかしぼくは、同時に、音楽をきくことを、精神の冒険たらしめたいとも思っている。せっかくレコードをきくのだったら、あそび半分にはききたくないと思う気持がある。そう思っているききてにとって、ききてをくつろがせる007の音は、危険きわまりない。この007は、ききてをおびやかさない。ピストルを持たない、つまり凶器をもたない007だ。007に対決すべきスペクターは、けっこうのんびりできてしまう。007は、やはり、安全装置をはずしたピストルの銃口を、こっちにむけていてほしいと思ったりした。
 ぼくは、自分でもあきれるほど、ケチだ。せっかく買ってきたレコードだから、そのレコードに入っている音は全部ききたいと思う。もしそのレコードがライヴレコーディングされたものなら、聴衆のひとりのしわぶきひとつききのがしたくないと思う気持がある。なんのはずみでかポケットからころげおちた十円玉をひろおうとしてタクシーにひかれそうになるのがぼくだとすれば、テクニクス007には、そんなぼくを、お前はなんてケチなんだ、もっとおっとりしていたらどうなんだといさめるところがある。007のいうことは、もっともだと思う。もっともだと思いつつ、腰を丸めて十円玉をおいかける自分が悲しい。そこで気どっていられないところに俺の、俺だけの栄光があるんだなどと、見栄をはったって、誰も相手をしてくれるわけではない。
 プレーヤーやアンプのつんである台には車がついているから、それを机のそばまでひっぱってきて、「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」のうちのあれこれを、つまみぎきした。話はそれるが、その全百枚の「遺産シリーズ」は、きいて本当に勉強になるし、おもしろい。特に、ジェリー・ロール・モートンの巻などは、傑作だ。最近は、朝がはやい。きがついたら、東の空がぼんやりと白くなっていた。結局ぼくは、ピストルを持たない007と、朝まで、レコードをききつづけたことになる。
 山椒は小粒でもぴりりと辛い──という言葉を思いだしたのは、翌日、目をさましてからだった。ききては、いずれにしろ、ぴりりと刺されることを期待しているのではないか。甘やかされると、甘やかされたことを不満に思うようなところが、ききて一般にあるといえるかもしれない。
「山椒」の「ぴりり」が、007にほしいと思った。望みすぎになるのだろうか。たっぶりとした、底力のある低音は、でればそれにこしたことはないが、それは多分、フライ級のボクサーにアリみたいをボクシングをしろということになるだろう。もしそんな音がでてきたら、それはそれですばらしいことにちがいないが、ぼくはその時、007のチャーミングを容姿を、いぶかしみの目で見るにちがいない。
 蜂が尻からチロチロっとだす針のような高音がここからきこえた時、007の前のスペクターは、音楽をよりヴィヴィットにうけとめられるようになるだろう。指でつままれて、蜂は、チロチロと尻から針をだす。針先に夏の太陽が光って美しい。蜂の針は、蜂がいきていることの、なによりのあかしだろう。そういうきらめき、かがやき、生気がほしい。小柄な女の子がきらっと瞳を光らせると、とってもチャーミングだ。なのに、この007は、なんとなく伏目がち。
 三〇畳も四〇畳もある広い部屋に住んでいれば、どうということもないのだろうが、そうではないものだから、山のようなスピーカー、岩のようをアンプを、敬遠したくなる。そのためのスペースがあるなら、レコードや本をおいておきたい。おそらくこういう考え方は、おそらく非オーディオ・マニア的発想ということになるだろうが、ぼくはそう思う。当然、小さい方が好ましいということになる。しかしその一方で、再生装置は道具でもあるから、性能ということが問題になる。小さければ小さいほどいいといいきれないところにむずかしさがある。それともうひとつ、使い勝手のことも考えないといけない。いろいろのことを考えあわせないといけないからむずかしい。
 今、普段は、壁につけた大きをスピーカーできき、夜中になって、よほど大音量でききたくなったらヘッドフォンをつかうという方法をとっているが、007を机の上にのせてつかって気がついたことがある。ヘッドフォンとスピーカーの中間のもの、つまりごく近くできいてはえるもの、たとえば面とむかってきくからフェイスフォンとでもいうようなもの、そんなものは考えられないのだろうか。むろんそのフェイスフォンにも、蜂の針のチロチロがほしい。
 どうも今のオーディオ機器全般は、こうあるべきものというところにとどまっていて、つかいてに対しての歩みよりにかけるところがあるように思えてならない。

マランツ Model 1250

岩崎千明

ジャズランド 8月号(1976年7月発行)

 今日、米国のオーディオ界で最も成功しているメーカーとして、名前を挙げるのがマランツだ。それは一度でも米国に行ったことのある人なら、否応なしに知らされる事実だ。
 ところで、日本のオーディオ界を考えると、オーディオの各パーツのなかで、アンプが他の部分より成功していることは誰もが気がつくだろう。事実日本の多くの製品が世界のオーディオ界に進出しているけれど、なかでもアンプは他の追随を許さないほどの成功を収めているのだ。こうした、国産アンプの優秀さは国内市場においても明らかで、アンプに関する限り、海外ブランドは超高級品以外は、全く国産ブランドの独壇場といってもよいくらいだ。たった一つの例外を除いて……。
 それが、実はマランツなのである。
 マランツのファンは大きく分けて、二つの世代に分れるといえる。その一つはいわめるオールド・マランツの支持者達であり、今はなきマランツの旧製品を愛する古くからのファンだ。それに対して、黒い窓枠を与えられた個性的なフロント・マスクに代表される新しい製品群を手許に置き、あるいは置きたいと願う若い世代のファンがいる。この両者は重なり合うこともあるし、はっきり区別されることもある。
 ただ、これを個々の製品の内側からみると、ニュー・マランツにおいても、マランツの伝統を踏まえたサウンドを持ち、その意味ではまぎれもなくマランツそのものだ。ただこの二つが違っているのは、ニュー・マランツの、現代のアンプとしての多機能性を盛り込むためにデザインされたフロント・パネルの違いだけだ。
 マランツの製品の最高ランクのプリメイン・アンプとして登場したMODEL1250の大きな特長として指摘できるのは、1150などのそれとははっきりと一線を画したそのフロント・デザインから、かってのマランツのイメージをより豪華にアレンジしてパネルに盛り込んだという点である。高い完成度に優雅さを漂わせたともいえるそのデザインは大いに魅力だ。
 内容的には1150をさらにパワー・アップし、130W+130Wというハイパワーを誇り、テープ回路等に使い易さを拡大した点にある。漸新な回路技術を駆使して得られたその成果は、1250がマランツのみならず、全てのオーディオ・アンプの中の最前線に位置することを示している。
 1250は20万弱と決して安いアンプではない。しかし、オールド・マランツ・ファンも納得し、新しい若い世代のオーディオ・マニアにも熱い眼差しを向けさせるだけの、マランツ・ブランドの最高級たるに相応しいプリメイン・アンプなのである。

ラックス SQ38FD/II

岩崎千明

ジャズランド 8月号(1976年7月発行)

 近く行われる米国大統領選挙に、民主党からはジミー・カーター氏が候補者として指名された。カーター氏はディープ・サウスのジョージア州の出身ということだが、もし米国大統領になりでもすれば、これは大変なことに違いない。ジャーナリズムはカーター氏に対して、大方好意的な評価を下しているようだが、少なくともベトナム戦争やウォーターゲート事件を通過した米国民が本来の民主主義の復活を望んでいることだけはいえそうな気がする。
 これとは無関係ではあるが、偶然にも米国オーディオ界で管球式アンプの復権が著しい。もちろん、管球式アンプが民主主義だというつもりはないが、複雑になる一方のトランジスター・アンプ全盛のなかで、シンプルな管球式が復活し、しかも音もいいとなると、何となくオーディオ界の現状と米国大統領選挙がオーバーラップしてきたというわけだ。
 とはいえ、管球式アンプの復活は、古い形そのままではなくて、現代に通用する新しさを、回路技術的にも、特性的にも、サウンド的にも盛り込んでいるのだ。とにかく、管球式アンプでなければ夜も日もあけぬという、くらいの米国の高級オーディオ、マニア達に最近、その優れた管球式アンプ群によって、俄然注目を浴びているメーカーがある。それがラックスだ。
 ラックスはいうまでもなく、わが国でも数少ない管球式アンプの製造を継続しているメーカーの一つだ。もちろん、ラックスにおいても主力はトランジスター式だが、あたかもこのような情況を見通していたか如く、他社が相次いで管球式アンプの製造を中止していくなかでも、頑なといえるほどにそれを維持し、むしろ新製品を発表したりしているぐらいなのである。これはラックスが当時においても管球式アンプの良さをはっきりと認識し、その可能性さえも予想していたというべきだろう。
 そのラックスの管球式アンプは、最近シカゴで行われたCEショーでも高い評価を得たと伝えられるが、米国でもラックス・アンプの良さを認めるマニアは確実に増えている。
 そうしたラックスの管球式アンプ群のなかでも、わが国のファンに最もなじみ深いのが、世界でも稀な管球式プリメイン・アンプSQ38FDだ。
 発表以来12年、4回のモデル・チェンジを経て、現在の型番となったが、その間、常にわが国の管球式アンプの中心的存在となってきた。
 30W+30Wと出力は控え目だが、一般の家庭で使用する場合、スピーカーの選択さえ誤らなければ、パワー不足になることはないはずで、その気品のある音質は、内容を知れば知るほど価値の高まるものだ。
 技術の進歩の早いハイファイ界において、このようなアンプが生き続けているのは奇跡といわずして、何といおうか。

テクニクス SB-4500

岩崎千明

スイングジャーナル 8月号(1976年7月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より

 テクニクスにおけるオーディオの姿勢は、その着手の当初からひじょうに明確であって、オーディオをあくまで技術的、理論的視点から正しくとらえ、推進してきたといってよかろう。いわゆる電気的請特性、調査と計測によるあらゆるデーターを土台にし、開発が進められてきたのだろう。その時期その時期において発表された製品は、非常に長い期間諸特性の優秀さという点で.他社製品に一歩優先してきたものが少なくない。ロングセラーの優秀品がテクニクス・ブランドには指おり数えるほどに多いのも、こうした技術的裏付けがあってのことというべきだろう。
 永い間、低迷し、初期のモノーラル時代における輝やかしいキャリアが途絶えていたスピーカーが、この一年間驚くべき成功をなしとげた。その源は単に計測一辺倒だったスピーカー開発テクニックを、新たなる実際的な手段によって音楽的完成度を得たからだ。SB7000を筆頭とするシリーズの質の高さについてはすでに多く述べられ、いまさらここにいうまでもないが、比較試聴を最終的な決め手として今までになく重要視した成果といえよう。
 マルチ・ウェイの各スピーカー・ユニットを、聴き手から正確に等距離におき、ボイス・コイルを同一平面上に配置するという具体的な手法を採用して、各ユニットからの音波の位相をそろえるという国産スピーカーでは始めての特徴をアピールして、それが、過去の不評を根絶するのに大きく役立ったことも効果的だった。
 テクニクスのスピーカー・システムは、国内市場の数ある製品の中で、最も注目され、関心をそそられる製品として今や位置づけられることになったのである。SB7000を筆頚に、6000、5000とシリーズの陣容が整ったところで、このシリーズをたたき台とした新しいスピーカーのシリーズが誕生した。SB4500である。
 今までのシリーズに比べて、外観的にも、それははっきり特徴づけられる。ウーファーのエンクロージャーの上に、まったく独立して、ドーム型高音ユニットが箱の上にのせてあるという感じで設けられていた今までのシリーズに比べ、今度のSB4500は、コーン型に変更された高音ユニットは、25cmウーファーのエンクロージャーの上部を一段後退させた部分に取付けられている。従ってスピーカー・システムとしては、上端をへこませたブックシュルフ型といってもよかろう。
 少なくとも、今までのシリーズの一般のブックシェルフ型より不便をかこつ欠点は、新しいシリーズにおいては、解消されたといえる。これは、小さいことのようだが、実用上非常に大きなプラスであり、商品としての完成度を高めている。ところで、SB4500が登場した本当の意義、ないし狙いは、その音と、26、000円台という価格に接する時、始めて判断できよう。今までのテクニクスのスピーカーのもつ共通的特徴から明らかに別の方向に大きく一歩踏み出すという姿勢と、更にその成果とをはっきりと知らされる。今までの、ともすると「品がよくて、耳当りのよい素直な音」というイメージではない、「力」をまず感じさせる。その「力」も、この言葉を使うときに、例外なしにいわれる低音のそれではない。いわゆる中音域、中声部、あるいは、歌とか、ソロとかいわれる音楽のなかの最も情報量の多い、従ってエネルギー積分値の大きい音域で、力強さをはっきりと感じさせてくれる。今までのテクニクスのスピーカーにはなかった音だ。あるいは、今までが優等生なら、今度のSSB4500は少々駄々っ子だが、魅力的個性を発揮するタイプといったらよかろうか。だからその音は、いきいきして、躍動的で、新鮮だ。深く豊かな低音と、澄んだ高音が、この力ある鮮度の高い中音を支えて、スペクトラム・バランスもいい。さらにテクニクスの伝統的な技術的裏付けもデータから、はっきりとうかがうことができ、うるさ型のマニアも納得させることだろう。こうした新路線のサウンド志向は、今日的な音楽に対向するものであることはいうまでもないが、これを受け入れる層の若い年令を考慮して2万円台の価格となったに違いない。しかし、このサウンドを獲得するのに必要なユニットへのマグネットなど物的投資を確めると、この価格は驚くほど安いといえるだろう。

パイオニア C-21, M-22

岩崎千明

ジャズランド 7月号(1976年6月発行)

 高級パワーアンフが海外製、国産合わせて40機種あまりも市場にあって、互いにその高性能ぶりを競いあっている。そのメーカーにとって最高の位置に存在すべきより抜きの製品の中で、製品としてもっとも成功したのが、パイオニアの特級ブランド「エクスクルーシヴ」の名を冠したM4であることは、よく知られる。
 Aクラス・アンプM4は、海外製のもっとも優れた製品と比較しても、なおそれをしのぐ。アンプをM4に換えれば、音質の差として、聴くものにはっきりと違いを感じとることができるは無論だが、それが品の良いスッキリした響きとして誰でもが質的な向上を知らされるはずだ。
 ただM4はあまりにも高価だ。35万という価格は一般的オーディオ・ファンにとって決して容易ではない。50/50ワットの規格出力のことになると、単位出力当り、世界でもっとも高価なアンプといってよいが、最高を望むにはこれくらいの出費を覚悟しなければならないのだろうか。M4を作った当事者たるパイオニアがそのひとつの解答を与えてくれた。
 Aクラス・アンプM22がその答えだ。価格12万、出力30/30ワットで、M4と変わらぬ高品質のサウンドを与えられたアンプだ。M4の3分の1の価格で6割の出力となると、ざっと計算して、このM22はM4に較べて2倍の価値を持つことになる。
 M4を欲しくても持ってなかったファンがM22に期待し注目するのも当然だといえよう。
 M4が大型のアンプ・ケースに収められたごく標準的な箱型であるのに対し、このM22は昔ながらの、パワーアンプ然として、平なシャーシーの上に中央にトランスを、左右に大きな放熱器を配した、マニアの自作するアンプのようだが、全体はかなり大型でありながら、ごく薄く、いかにも現代的な製品だ。鋳物で造られた軽金属のヒートシンカーはシャーシー上の2分の1を占めて、M22の外観の大きな特徴をなしている。
 Aクラス・アンプとしての動作が、あらゆる意味でM4の特長であるのと同様に、M22においても「Aクラス・アンプである」ということがそのすべてだ。
 Aクラス動作の大きな特徴は、極めて大きな電流をパワー・トランジスタに流すということによってもたらされる高熱発生を前提とすることである。M4の場合は低速回転の放熱ファンによってこれに対処したが、コストを抑えたM22では先程述べた大型の放熱器がこれを受けもつ。つまりM22の特長のすべては外観同様、この放熱器に象徴されるともいえそうだ。
 Aクラス・アンプがオーディオ再生になぜこれほどの優秀性を発揮するかの解析は難しく、現代の技術をもってしても詳かではない。しかし、Aクラス・アンプで優れた設計をなされたアンプは、間違いなくベストな再生を約束するはずだ。
 もし本当にクォリティ本位の選択をするなを、M4あるいはその弟分たるM22を選ぶのに何のためらいもあるはずがない。

 M22とペアになるべきプリアンプがC21だ。プリアンプといっても、それは従来の常識的なプリアンプではなくて、その一部のフォノ・イコライザー回路を独立させ、それに音量調節用ボリューム回路を加えたものだ。だから回路的にトーンコントロールもなく極めてシンプルであり、従ってそれを収めるべきスペースも大きくとる必要はないし、そのフロント・パネルはつまみが極端に少いので小さい面積で済む。
 そうしたC21の基本的特長をズバリ、全体のプロポーションで表明せんとするかの如く、C21はごく薄い形にまとめられている。この特長的な薄型は、だから商品アピールというよりも、本質的な内容を象徴するわけなのだ。
 なぜ、こうした単純化を極度に推進したかというと、「入力信号の純粋性を大切にする」ためだ。今日のように高級アンプはすべての面で充実させようという「万能志向」が、実はその本質を見落してしまう根拠になっていたが、この事実はもう早くから気付いていて、この三年来、高級プリアンプにおいて単純化を求める模索が続けられ、例えば海外製の一部、マークレビンソンのプリアンプなどに成果がみられた。
 パイオニアC21もこうした点を追求して得られたひとつの結果なのである。海外製の価格の上では10倍近い製品と較べても、SNの点ではるかに勝るというべき驚くべきフリアンプがこのC21だ。
 C21はプリアンプの常識的機能をすべて取り去ったマイナスを考慮したとしても、より大きい成果をも生みだした。それは極限まで高められたSN、驚異的低歪率、信号回路の単純化による波形的損失の徹底的な追放等々である。しかし、こうしたデータの上に認められる向上だけを認識するのでは、C21の真の素晴しさを知るには物足りない。
 やはり、C21の良さはそれを優れたパーツで構成されたオーディオ・システムの中に置いて、音楽を演奏したときにはじめてはっきりと体験することができよう。
 それ以外の方法は目下ないのである。

ヤマハ NS-500

岩崎千明

オーディオ専科 7月号(1976年6月発行)

 ベリリウム・ツィータおよびスコーカを採用し、モニタースピーカとして好評を博しているNS1000Mの弟分として発売されたのが、NS500である。NS500は25ccmウーハー、3cm口径のペリリウム・ダイヤフラムを用いたドームツィータを配した2ウェイブックシェルフ型であり、NS1000Mをひとまわり小振りにした外観は、ツヤ消し仕上げの、非常にメカニカルな雰囲気とプロフェッショナル・ユースにも合うような大変たのもしい風格を待つ。
 ヤマハの特徴であるベリリウム・ツィータは、今回のNS500においては、口径が23mmと小型で、、そのハイエンドの周波数特性は20KHzを超える程の高い音域にいたるまで、最も理想的なピストン運動動作をたもつことが出来る。しかもこのベリリウム・ツィータの最も驚ろくべき特徴は、1800Hzという非常に低いクロスオーバー周波数でありながら、なおかつ、音楽プログラムにおいて60Wという高い耐入力を持っている点であろう。一般には小口径のツィータにおいてはボイスコイルの質量がかなり制限されるためその線材としてきわめて細い線を用いることか
ら、余り大きな耐入力を得ることでは不利なわけであるが、このベリリウム・ドームツィータでは常識をはるかに超える耐入力を得ている点に注目したい。
 25cmウーハーは当然のことながら2000Hzまでをカバーするべく今までのウーハ一に比べて、低音用の中域における特性を重視した設計がなされており、具体的にほ、コーン紙を自社で独自に開発したものを使用しており、質量が軽いうえに、高い剛性を持っているので、中音域での理想的動作を持ち得る大きな要素となっている。又、このブックシェルフの大きな特徴である重低音の再生は、このすぐれたウーハ一によるところが大きいが、NS1000Mの密閉型とは違って、NS500においてはローエンドを確保すべくバスレフ方式を採用している点を見逃すことが出来ない。このバスレフ方式によって低音域におけるローエンドがスピーカのf0よりさらに拡大されることによって、非常に広い再生帯域を低い方に確保している。これはベリリウム・ツィータによるハイエンドの確保とのバランスを考えると適切な処置といえよう。さらにこのバスレフ方式採用によって、低音用ユニットからの音響幅射が極めてスムーズなため中音での音のクリアな感じがほうふつと感じられる。さらにこのウーハ一には、55mmφ×35mmhの大型アルニコマグネットを用いて、ロスの少ない高能率な内磁型のマグネットサーキットを持ち、こうした強力なマグネットを充分に生かしたショートボイスコイル方式を採用しているため、極めて高能率かつ歪の少ない再生が可能となっている。しかもボイスコイルには200度以上の高温に耐えうる素材を採用するなど耐入力特性に秀れている。こうしたいくつかのユニットの特徴に加え、ネットワークも空芯コイルを用いた極めて豪華な金のかかったネットワークとされ、ロスの少ないことによる高能率化、また音質の劣化も充分に考慮されたものとなっている。
 さらにNS500における大きな特徴は重量級のキャビネットである。松材のパルプを用いたパーチクルボードを用いた極めて重量の重い一体構造となっているわけで、こうしたブックシェルフスピーカのなかでも20kgに近いという極めて重い重量級となっている。しかも、ブラック&シルバーの外観は、ウーハーのアルミフレームおよび支持金具が形づくるレイアウトによって、非常にめだつデザインとなっている。これはこのNS500の価格帯には他社の優秀製品がライバル製品としてひしめき合っているだけに、店頭効果を充分考慮したユニークなデザインといえよう。
 さて、NS500はNS100Mに較べて、外観上もひとまわり少さく、しかも2ウェイ構成であるにもかかわらず、その中音域での音の極めて積極的な響き方は驚ろく程で、特に歌あるいは楽器の演奏等に対して非常に力強い迫力を秘めている。このローエンドからハイエンドに至る極めてフラットな感じの一様なレスポンスを感じさせる音は、現代の最も進んだハイファイ用スピーカのひとつの典型ともいえよう。
 とくに最近増えている若い音楽ファンなどにはNS500はまさにうってつけのヤマハの高級スピーカといえよう。

デンオン DA-307

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 デンオンの新製品は、ダイナミック・ダンピング方式を採用した、スリムなユニバーサル型トーンアームである。
 ダイナミック・ダンピング方式は、簡単にいえば、トーンアームの軸受を中心として、従来は、後のバランス用ウェイトとその軸であるアームの後部をゴムなどのクッションを介してフレキシブルに結合したのと逆に、ヘッドシェルを拭くんだ、アームの前の部分を、回転軸受に近い部分で、フレキシブル結合した方式と考えてよい。
 この方式の採用により、カートリッジの針先コンプライアンスとトーンアーム自体の等価質量で決まる低域共振を効果的にダンプすることができ、レコードの音溝にたいする追従能力が一段と向上している。したがって、オイルダンピング型アームのような追従性不良による低域の混変調歪や一点支持のための使いにくさ、オイル漏れがないというメリットがあり、さらに、プレーヤーキャビネットなどから伝わりやすい振動からカートリッジを保護でき、ハウリングにも強いために、使用するカートリッジの性能を充分に引出し、大音量再生が可能になったとのことである。
 軸受部は、ピボットベアリングとミニアチュアベアリングを採用した高精度、高感度設計で、感度は、水平、垂直ともに0・025g以下である。
 バランス用ウェイトは、太い筒型の後部アームの内部を移動するタイプで、針圧目盛は0・1gステップ、1回転が2・5gになっており、適合カートリッジ自重範囲は、5〜10gである。
 付属するヘッドシェル、PCL−5は、自重約6gのマグネシュウム合金ダイキャスト製で、DL−103を付け、針圧2・5gのときの、アームの等価質量は、20gと発表されている。
 付属機構は、オイルダンプタイプのアームリフターと、マグネチックコントロール方式のインサイドフォースキャンセラーがある。このインサイドフォースキャンセラーは、無接触方式であり、かつ、レコード位置によるインサイドフォースの変化にも対応することができる。また、アームのバランス調整時などでは、インサイドフォースのキャンセル量をコントロールするツマミを引出せば、完全にフリーの状態とすることができる。このタイプは、無接触型のため、クリティカルなカートリッジを使用中にでも、インサイドフォースのキャンセル量を演奏中に細かく調整できるメリットがある。
 このトーンアームは、パールトーンに仕上げてあるが、この仕上げが、従来のデンオンのアームにくらべても、格段に優れており、大変に素晴らしいできである。実用上では、各部の動きは滑らかであるが、独得なメカニズムをもっているために、シェルを交換したときや、アームのバランス調整をするときなどでは、何とはなく、グニャグニャして最初は少し使い難いようだ。

ビクター JL-B37R

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 ビクターのプレーヤーシステムは、つねに定評があるモデルを市場に送り込んでいる点に特長がある。今回の新プレーヤーシステムは、基本的には、クォーツロックを外した、TT−81型相当のフォノモーターを中心にして構成された、高性能なモデルである。
 ターンテーブルは、厚みがある、直径32・8cm、重量2・15kgの重量型で、1kg・cm以上の大きなトルクをもつ、12極・24スロットのFGサーボ付ブラシレスDC型サーボモーターで、ダイレクトにドライブされる。
 トーンアームは、高級トーンアーム、UA−7045の構造を受継いだ実効長245mmニュージンバルサポートのS字型で純アルミを溶湯して高圧で鋳造成形した特殊なヘッドシェルと、チャッキングロック方式のネックシリンダーを備えている。なお、付属カートリッジは、X−1の設計を受継いだZ−1Sで0・5ミル針付である。
 このJL−B37Rは、各単体部品に、ビクターの高級モデルがもつ基本性能を落とさずに簡略化して使用してあるために、価格からは、想像できないシステムとしてのパフォーマンスが高いメリットがある。プレーヤーベースは充分に強度があり、ターンテーブルは外乱に対して機敏にサーボを効かせている。ストロボは煩雑を避けるために331/3回転だけがターンテーブル外周に刻まれているが不都合はあまりない。

ビクター TT-81

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 コンポーネントシステムのなかでは、音の入口にあるプレーヤーシステムの優劣が音を決定する大きな要素であり、各機種間の音の差は、予想外に大きいのが現実である。ダイレクトドライブ型ふぉのーモーターの第3世代ともいうべき、クォーツロック方式のダイレクトドライブ型フォノモーターは、価格的に高価であるが、この、TT−81は、上級モデルのTT−101の多くの特長を受継いだ新製品である。
 TT−81の主な特長は、クォーツロックを外さないで速度微調整ができる1Hzステップのピッチコントロール、速度変化に敏感に反応するプラス・マイナスサーボシステム、見やすい大型のクォーツ電源で照明する反射式ストロボスコープ、電気ブレーキを使うクイックストップなどがある。
 本機の基準となる水晶発振子は、9504kHzで、これを分周して100Hzの基本信号を得ている。これと180個の検出をもつFGが発生する100Hzの信号を位相比較して、その差を位相制御回路に送りモーター駆動回路をドライブしている。
 ピッチコントロールは、440Hzにたいして、1Hzステップで、±6Hzコントロールできるタイプであり、±サーボシステムは、速度が速い場合にも、遅い場合にもサーボは動作するため、45回転から331/3回転の切替が瞬時に移行し、クイックストップは、駆動回路に逆電流を流して、電気ブレーキとする方式である。

ヤマハ CT-V1

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 CA−V1のペアチューナーとして開発されたモデルだが、内容的にはCT−7000で使った選択度と歪率を両立させる微分利得直視法導入のIF段等X1同様の高SN比、低歪率のNFB型PLL・MPX回路を採用し、機能面では、333Hz録音レベル較正発振器内蔵。操作面では、滑らかで精密な機構を備えている。

ヤマハ CA-V1

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 多角的なサウンドへの展開の第1弾となった、X1シリーズに続く、第2弾製品がブラックフェイスのメカニカルなデザインをもつ、新しいV1シリーズである。
 フロントパネルは、やや、薄型となり、両側に取手が付いて、引締ったシャープな表情になっている。2個のレベルメーターは対数圧縮型で50Wまで直読でき、芯ファンクションとして、レコードを聴きながらFMエアチェックができるREC・OUTセレクターがあり、このスイッチにはデッキを使用しないときに信号系から切離すREC・OUT・OFF位置がある。
 回路構成上は、過渡応答を重視したディスクリート2段直結イコライザーは、低歪高SN比設計であり、トーン回路は、ディスクリート構成のアンプを使う、高SN比なヤマハ方式CR・NF混合型トーンコントロールで中央のウネリが少なく、パワーアンプは、カレントミラー回路を使った初段差動1段の全段直結ピュアコンプリメンタリーOCLタイプである。

ビクター JT-V45

井上卓也

ステレオサウンド 39号(1976年6月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 このチューナーは、一連のプリメインアンプと任意にペアが組めるように、性能と機能を重視してAMを除き、FM専用機として開発された特長がある。RF1段増幅バッファー付局発回路と7連バリコン使用のフロントエンド、PLL、MPX部などを採用し、機能面では、333Hz基準レベルとピンクノイズ発振器の内蔵、正確な同調点を保持するチューニングホールド回路、左右チャンネル独立型出力レベル調整があり、操作性がよい同調機構を備えている。