Category Archives: プレーヤーシステム - Page 6

ソニー PS-B80

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 トーンアームを全て電子的にコントロールする電子制御アームのバイオ・トレーサーを採用した未来指向型のフルオート機だ。水平・垂直方向動作に独立した速度センサーとリニアモーターをアームに内蔵し、ワンチップマイコンと組み合わせて自動水平バランス、針圧印加、インサイドフォース、任意の部分のリピート演奏可能なメモリー機構などの多機能が前面のフロントパネルで操作できる。またバイオ・トレーサーは、速度センサーでアームの速度を検出し、リニアモーターにフィードバックするため、トーンアームの低域共振を速度フィードバックで制動でき低域の安定度向上でも利点がある。回転系は3段ブロック・クリスタルロックサーボ、マグネディスク検出リニアBSLモーターである。なお一般型の水晶制御DDフルオートシリーズ製品としてPS−X40も発売されている。

パイオニア Exclusive P3

井上卓也

ステレオサウンド 49号(1978年12月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 パイオニアからパックスに移管されたエクスクルーシヴ・ブランドに初めて本格派の重量級プレーヤーシステムP3が登場することになった。価格的制約や妥協を一切排除し技術開発力を結集して商品化するというエクスクルーシヴの思想は、このモデルにもはっきりと現われている。異方性磁石採用の10kg・cmのカッターレースに匹敵する強大なトルクをもつデュアルローター構造のリニアトルク・クォーツロックDDフォノモーターEM03は、全周積分型の回転数検出周波数を従来より3倍高くし正確かつ応答性の早いサーボ過渡特性を実現し、外乱に強く、0・003%WRMS以下の低回転ムラとし、回転系の軸受側圧と回転部分の重心を下げるため軸受構造を天地逆転させたSTABLE・HANGING・ROTER構造としている。
 トーンアームEA03は、低等価質量とトラッカビリティ、低域大振幅時の混変調歪を解決する目的で軸受上部に着脱自在レベル可変型のオイル制動をかけ、フロントのパイプは軸受に近接した位置にもコネクターのある二重構造で、P3専用のカーボンファイバーストレートパイプと汎用シェル用S字型パイプの2種類を選択可能だ。
 構造面ではモーターとアームは硫酸バリュウム積層10mm厚のアルミ板に一体懸架され総重量は12kgで、全体はインシュレーターでキャビネットから完全フロート状態にしてある。キャビネットインシュレーターは、62mm直径のスプリングとピストン構造のオイルダンプ、さらに特殊ゴムの3重構造で25kgの全重量を支え、固有振動周波数は5Hz以下である。
 機能はマニュアル専用型だがプレーヤーシステムの基本を忠実に守り重量で振動を吸収させようとする開発思想は、音質面にダイレクトに現われ、情報量が格段に大きく緻密で引締まり、充分な低域の安定度をもつため、レコードにいかに多くの音が入っているかが実感として体験できるほどのパフォーマンスを示した。

「ブラインドテストを終えて」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 アンプとスピーカーに関するかぎり、ここ二年ほどのあいだに、内外の大半の製品をテストする機会が与えられていたから、プリメインとセパレート、ブックシェルフとフロアータイプ、そしてプロ用のモニタースピーカー、と、それぞれの製品の分野での大まかな水準を掴めていたつもりだった。そして、アンプ及びスピーカーに限っていえば、ここ数年間での全体的な性能の向上は、まったく目を見張る思いだった。こうした体験を通じていえることは、少数の例外的存在を除いて、アンプもスピーカーも、大すじには価格と性能がほぼ比例していて、たとえば5万円のスヒーカーが20万円のスピーカーよりも音が良いなどということは、まあありえないと断言してもいいと思う。事実、そんなことがあれば、何かが間違っている。
          *
 プレーヤーのブラインドテストというのをさせられて、終ってから製品名と価格を種明かしされたいま、とても複雑な気持に襲われている。それは、いま書いたばかりの「何かが間違っている」状態が、プレーヤーに関してはいまところまかり通っているのではないだろう、という気持からだ。
 そのことは別項の速記録をお読み頂くことで明らかになる筈だが、少なくとも私自身に限って言っても、相当に高価なプレーヤーもそれと知らずに聴くかぎり、ローコストのプレーヤーにくらべて音質の上での明確な差を、聴き分けることができなかった。もう少し正確な言い方を心がけるなら、聴感上での音質の良し悪しと価格の高低とのあいだに、アンプやスピーカーほどの相関関係を見出すことが困難だった。たしかに音質は一台一台みな違った。だが、この音はどうも頂けない、とメモしたプレーヤーが、意外に高価であったり、一応聴くに耐える音のした製品がそんなに高価でなかったりしたのを、あとになって知ってみると、どうも複雑な気分にならざるを得ない。いったい、プレーヤーの価格の根拠はどこにあるのだろうか……と。
 こんなことを書けば、次のような反論が出るにちがいない。アンプやスピーカーをブラインドテストすれば、やっぱり同じことを言うのじゃないか、ローコストでも、高価な製品より音の良いのがあるじゃないか──。例外的にはそういう製品がないとは断言できない。けれど、アンプとスピーカーに関するかぎり、そういう作り方がいまや成り立ちにくくなっている。粗理由をくわしく書くのはこのスペースでは無理だが、スピーカーでたとえれば、借りに耐入力を犠牲にすれば、音域の広さや音色の美しさやバランスの良さを鳴らすことはできるだろう。だがいくらブラインドテストでも、パワーを入れればたちどころに馬脚をあらわす。
 アンプの場合には、パワーという要因だけでは説明しきれない。パワーを抑えればコストダウンできるが、しかし限度はある。となると、ファンクションを簡略化するとか、セパレートをやめてインテグレイテッド(いわゆるプリメイン)化するなどの手段をとる。こういう見た目の形態は、ブラインドテストではわからない。だがそうであるにしても、音の良いアンプは結局高価だ。
 正直に白状すれば、いくらブラインドテストでも、こんにち、本誌が我々をモルモットに起用する以上、この製品はたぶん入っているだろう、というような推理ぐらい働かせて試験に臨む。そして、いま鳴っているこの音は、これは各コンポーネントが相当にしっかりしていなくては鳴らないだろう音だから、もしかしたらこれがあの製品じゃないだろうか──といった推測もしている。しかし恥ずかしながら、少数の例外を除いてすいそうは見事に外れた。テープを前に憶面もなくしゃべり終えた(メーカー名や製品名を知らされないおかげで、何の気兼ねなしに悪口を言えたが)あとで、ひとつひとつの製品名を知らされて、なるほどと納得したりえ! あの音がこの製品? と青くなったりした。これがブラインドテストのおもしろいところだろう。もっとも、本当の意味でおもしろがっていたは、モルモットにされた我々よりも、それを操る編集部の諸君であったにちがいないが。
          *
 そんな状態で、プレーヤーというパーツは、アンプやスピーカーの最近の性能向上に比較すると、まだまだ見落しの多い部分であることを感じた。言うまでもなく、ターンテーブルやアームやカートリッジ、といった単体のコンポーネントパーツについては、それぞれに研究・開発の成果が実っていなくはないが、それを総合してまとめる際に、スピーカーやアンプと比較すると、まとめかたの勘どころあるいは決め手が、まだ見つかっていない、というのが本当のところなのではないかと思う。
 テストの進めかたについては別項にくわしい解説があると思うが、私自身は、とくにカートリッジのちがいによるプレーヤーの音色の変化に興味を持って臨んだ。ことに、オルトフォンMC20は、インピーダンスが2Ω近辺ときわめて低い。一方、現存するフレーやーの大半、アームの先端からアンプに接続するピンコードの直流抵抗分が大きく、大多数が、往復で2Ω或いはそれ以上の直流抵抗を持っている。これでは、理屈だけ考えてみてもMC20のようなローインピーダンスのカートリッジに対して、よい結果の得られる筈がない。
 現実に私の心配は当った。スタントン881Sでは一応の結果が得られても、MC20の場合となると、打って変って精彩のない、反応の鈍い、あるいは大切な音の一部をどこかに忘れたか落したかしてしまったかのような、おもしろみに欠けた音になってしまうものが少ないとはいえない。すでにカートリッジやアンプの受け口の部分では、MCカートリッジのブームが到来していながら、プレーヤーの専門メーカーが、意外なほどMCカートリッジのため設計を怠っている。MCカートリッジが、その本来の特性の良さでレコードに刻まれた溝の隅々から微細な音を拾ってきても、それをアンプの入口に運んでくる以前に、どこかにとり落して、魅力のひとかけらもない、つまらない音にしか聴かせない。
 あらかじめ覚悟していたものの、そういうプレーヤーが現実にとても多いことに、改めてびっくりさせられた。
 今回のブラインドテストには、リファレンスとしてEMTのプレーヤーが使われた。もともとMC20や881Sを組み合わせるための製品ではないのだから、それらが最良の結果で鳴ったとはいえない。ただ私自身は、自分の聴き馴れたプレーヤーとして、これを最良の基準としたのではなく単に、自分の耳の尺度を整える意味で、参考として頭に置いたにすぎない。
 残念なことに、今回たまたまブラインドテストの対象に選ばれたプレーヤーの中には、アンプやスピーカーの時とは異なって、一台ぜひ(例えばサブ機としてでも)欲しいと思わせるほどの音を探し出すことができなかった。いずれの製品も、部分に的には良い音を聴かせながら、同じ一枚のレコードの音を、どこかで欠落させているといった印象を拭い去ることができなかった。
 こんにち、DDモーターの再検討が論じられゴムシートや、引出コードや、ヘッドシェルや、その他部分的には細かな問題点が個別に指摘されている。そうした反面で、プレーヤーシステムとしての総合的なまとめの方法論に、もうひとつトータルな、俯瞰的な視野の広さが求められるのではないだろうか。いや、そんな小難しいことをくだくだしく言わずとも、ともかく、ヴィヴィッドでたっぷりと豊かな音を一枚のレコードから抽き出して、聴き手を心から満足させてくれるプレーヤーシステムの出現を、いまこそ強く望みたいと思った。

「ヒアリングテストのポイント」

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か」より

 ──まさか「ステレオサウンド」を読むほどの方には、そんな方がおいでになるとは思えないけれど、一般的には、プレーヤーで音が変るの? という人が多いよ。
 ──うん、たしかに、多いね。ターンテーブルが同じようにまわっているんだから、音がそんなに変るはずがないと考えているのかもしれないな。でも、そのように考えている人が多いのには、それなりに理由があると思うんだ。つまり、音が変るといったって、たとえばスピーカーやカートリッジをかえたときのような変化はないからね。
 ──そう、だから、表面的にはわかりにくいということもいえるんじゃない。たとえばだよ、町を歩いている人をみて、あの人は美人だとか、あの人の着ているスーツはいかにも上等そうだとか、あの人はずいぶん背が高いなとか、そういうことはわかるけれど、今すれちがった人が病気にかかっているのかどうかなんて、とてもわからないし、わかろうともしないものね。夏休みで海にでもいったのだろう、まっ黒にやけていて、みるからに健康そうだけれど、もしかすると胃がわるかったりするかもしれないし……
 ──なるほど、シロートにはプレーヤーシステムの音の差がわかりにくいということになるのかな。
 ──いや、そうじゃないよ、シロートもクロートもない、こっちがそのつもりでみれば、わかることだけれど、普段は、顔かたちとか、背の高さとか、着ているものとかに、どうしても目をうばわれてしまうだろう。
 ──それでは、試聴にあったっては、そのつもりになってことにのぞんだというわけか。さしずめ、美人コンテストの審査員の目ではなく、内科の医者の目でみたことになるね。
 ──まあ、無理にこじつければ、そういうことになるかな。
 ──それで、どうだった。何人に聴診器をあてたの。
 ──聴診器をあてたといういい方は、どうもひっかかるな。ただきいただけだよ。いつものように下手な字でメモをとりながらね。きいたは、二十二機種だった。すくなくともぼくにとっては、それぞれのプレーヤーシステムごとの音のちがいが、ごく本質的なところでのものだったから、ききやすかったな。いいプレーヤーシステムはカートリッジがかわっても、それなりにそれぞれのカートリッジのよさをひきだしていたし、問題があるなと思ったのは、カートリッジがかわって急によくなるなどということはなかったな。
 ──それで、その二十二機種をきいての、おおまかな感想を、まずきこうか。
 ──そうだな、思った以上に、健康な人がすくなかったというべきかな。
 ──しかし、よくいわれるように、オーディオは趣味の世界のものだろう。だとすれば、きみが問題ありとしたものに対して、他の人は高い評価を与えるかもしれないじゃないか。
 ──オーディオは趣味の世界のものだということは、よくいわれるし、たしかにそう思える部分もなくもないと思うけれど、そのことがいわれすぎることに、ぼくはひっかかるんだよ。逆にうかがうけれど、趣味の世界のものだといってしまえるようなところまで、今のオーディオはいっているのかな。
 ──いや、この議論は、なかなかおもしろそうだけれど、本題からはずれすぎるので、また別の機会にということにしようよ。
 ──うん、そうしよう。ただ、ぼくがプレーヤーシステムについていいたかったことと、そのこととは、無関係ではないんだ。スピーカーなり、カートリッジなり、あるいはアンプにしてもそうかもしれないけれど、その音について、趣味の世界のこととして、つまり好き嫌いで語れるところがなくもないと思うんだけれど、プレーヤーシステムの音については、その部分が極端に少ないように思うな。たしかに、それぞれのプレーヤーシステムにそれぞれの音があって、Aのプレーヤーシステムの音が好きだという人もいれば、Bのプレーヤーシステムの音の方がいいという人もいると思うけれど、でも、音のキャラクターについて考える以前に、まず音のクォリティについて考えざるをえないのが、プレーヤーシステムだと思う。ずっとそう思っていて、はからずも今回の試聴で、その考え方を確認したような気持だな。
 ──いいたいことはわからなくもないが、もう少し具体的にいてくれないかな。
 ──ひとことでいえば、基本性能がしっかりしていなければどうしようもないということになるかな。またさっきのたとえをつかわせてもらうとすれば、容姿の点で幾分いたらない点があった場合、それを愛矯でカヴァーするというようなこともあるのかもしゃないけれど、胃に潰瘍ができていたら、いくらニコニコしてもしかたがないものね。
 ──まあ、それはそうだけれど……
 ──つまり、表面的なとりつくろいが通じにくいということだよ。
 ──きいていれば、そこところがあらわになると……
 ──そう。
 ──それで、試聴にあたって使ったレコードは……。
 ──以前にも、たしかスピーカーの試聴のときにつかったレコードなんだけれど、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」の全曲盤なんだ(グラモフォン MG8200〜1)。カルロス・クライバーの指揮した、一九七五年に録音されたレコードの、第二面の冒頭のところを三分ほどきいた。第二面の冒頭のところというと、ロザリンデ(ユリア・ヴァラディ)とアデーレ(ルチア・ポップ)の会話があって、そこにアイゼンシュタイン(ヘルマン・プライ)が加わり、そのまま三重唱に入れこむ──というところで、その三重唱の途中まできいたことになるんだけれど……
 ──レコードは、それだけ?
 ──そう。
 ──いつもは、何枚かきくんじゃなかったの?
 ──時間的に余裕があれば、さまざまなレコードをとっかえひっかえきいてもよかったのだけれど、その点でむずかしかったのと、それに、これまではなしてきたような理由から、何枚もきかなくてもいいと思ったからなんだ。
 ──なるほど。
 ──実は、はじめは、傾向のちがう音楽をおさめた三枚のレコードをきいていたんだけれど、三枚きくことはないと思ったんだよ。なんといっても、一台のプレーヤーシステムに三つのカートリッジをつけかえてきくわけだからね、作業としても大変だったわけさ。カートリッジことの変化があきらかになる方が、この場合には大切で、それがこれでレコードがふえてしまうと、煩雑になりすぎるという編集部側の考えもあったしね。
 ──それで、ポイントはどこにしぼってきいたわけ?
 ──ポイントをしぼったというわけでもないんだ。むしろポイントは、おのずとしぼられたというべきだろうな。つまり、試聴に先だって、ここがポイントだからということで、その点にことさら耳をそばだてたということではないんだよ。きいて、ききながらとったメモを読みかえしてみたら、一種の共通因数とでもいうべきものがみえてきたといった方が正直ないい方になるだろうな。思いこみを持って試聴にのぞむのが嫌だったからね。
 ──もう少しまわりくどくなく、ストレートにいってくれないかな。
 ──いや、あらかじめポイントをきめていたわけではなく、きいているうちにポイントがうかびあがってきたということさ。
 ──わかった。で、そのポイントを具体的にいってくれないかな。
 ──ひとつは、音像が過剰に大きくなっていないかどうかということで、もうひとつは、ひびきの力だな。結局、具合のよくないプレーヤーシステムというは、ひとことでいえば、ひびきに力がないんだ。そために音像が肥大するということもあるだろうし、こっちにおしだされてくるべき音がひっこんでしまうということもあったようだな。
 ──きみのいうひびきの力というのは、音の強さのこと?
 ──いや、むろんそれも含まれるけれど、それだけではないんだ。たとえば、今度使ったレコードに即していえば、三重唱に入る前のセリフのところで、アイゼンシュタインが凍えではなすところがあるよね。ああいうところの声は、ひびきに力がないと、あいまいになっしまう。だから、音の強さは当然示されるべきなんだけれど、それと同時に強い音とはいえない音が、しっかりささえられているかどうかが問題になると思うんだ。ひびきの力というのは、そのことなんだけれどね。
 ──わかるような気がするよ。そういわれてみると、プレーヤーシステムによる音の変化が基本的なところでの変化だということも、納得できるな。
 ──あらかじめわかっていたことではあるんだけれど、今度、試聴をしてみて、あらためて、プレーヤーシステムのコンポーネントの中での重要性について考えさせられてしまったよ。
 ──限られた予算内でなんとかしていこうと思うときに、どうしてもプレーヤーシステムは後まわしになるというか、予算を他のところにまわしがちだからね。
 ──いや、それはいちがいにいえないよ。本当にわかっている人は、まずプレーヤーシステムからと考えているかもしれないからね。今度の試聴では、機能面については、ぼくのうけもちでなかったので、なにもふれなかったけれど、その点でも、さらに積極的にさまざまな試みがなされていいように思うな。
 ──それはそうだけれど、きみのはなしをきいていると、まず音の面で、より一層充実することの方が先じゃないの?
 ──それはそうだ。なんといったって、プレーヤーシステムは、コンポーネントの土台だからね。そこがしっかりしていなければ、いかにいいカートリッジをつかい、いいアンプをつかい、いいスピーカーシステムをつかっても、極端なことをいえば、砂上の楼閣になりかねないからね。
 ──ずいぶんおどかすじゃないか。
 ──いや、おどかしているわけじゃないよ。事実をいっているだけだよ。
 ──それで、しめくくりの言葉は、どうなるわけ?
 ──プレーヤーシステムに対してより一層のご注目を!──ということになるだろうな。むろん、これは自分に対していう言葉でもあるんだけれど。

パイオニア XL-1650

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 音像は大きめだ。とりわけ張った声に誇張感がある。ひびきの微妙な推移・変化がききとりにくい。もう少しシャープな反応が示されてもいいだろう。このプレーヤーシステムにはあわないカートリッジか。

●デンオンDL103Sで聴く
 すっきりしたよさはあるが、全体にそっけなさすぎるように思う。音像は小さめだが、細部にこだわりすぎているといえなくもないようだ。歌い手の呼吸が誇張ぎみに示されている。

●シュアーV15/IVで聴く
 きつさはない。しなやかとはいいがたいが、ひびきに脂がつきすぎていないもはいい。ただ、ひびきに、もうひとつこくがないので、どうしても表面的になる傾向があるのがおしい。

ヤマハ PX-1

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 音像を肥大させないところにこのプレーヤーシステムのよさがあるというべきだが、総奏でのひびきの力の提示にもう一歩ふみこんでの積極性がほしい。ひかえめなところはこのましいのだが。

●デンオンDL103Sで聴く
 さわやかだし、すっきりとしているが、ひびきのこくといった点で、多少ものたりない。声など、もう少し、声ならではの湿りけが感じられた方がいいだろう。細部の鮮明な提示はいいが。

●シュアーV15/IVで聴く
 示すべきものをすっきり示して、しかし決しておしつけがましくならないよさとでもいうべきか。もう少し力感がほしいと思わなくもないが、リズムの切れに鋭く反応するあたりはいい。

ソニー PS-X9

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 たっぷりしたひびきが、積極的におしだされる。総奏でのひびきの重量の提示など、見事だが、軽やかさ、さわやかさという点で、もう一歩だ。そのために全体としての印象が幾分重い。

●デンオンDL103Sで聴く
 このプレーヤーは、中域のひびきに対しての反応のたしかさによさがあるようだが、ここでそれが示されている。くっきりした、あいまいさのないさまざまなひびきへの反応はよい。

●シュアーV15/IVで聴く
 腰のすわった音とでもいうべきか。音像は大きくなりがちだが、くっきりと示す。強い音に対しての対応は、なかなかのものだ。微細なひびきに対してさらにシャープに反応すれば、よりこのましいのだが。

サンスイ SR-838

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 シュアーではききとりにくかった背後でひびくホルンがききとれる。オーケストラのひびきはむしろせりだしぎみだ。ひびき全体にべとつきが感じられなくもない。音像が大きめなのはシュアーと同じ。

●デンオンDL103Sで聴く
 音像は小さくまとまるが、オーケストラのひびきを分解してきかせる傾向があり、幾分つきはなしたようなつめたいところがある。声に、もう少しうるおいがほしい。はった声が硬くなる傾向がある。

●シュアーV15/IVで聴く
 音像は大きめ。したがって歌唱者は、かなり間にでてきた感じになる。音楽の表情は強調されがちだ。弦のひびきには、もう少しまろやかさがほしい。積極的なところをもってよしとするかどうか。

デンオン DP-7700

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 声のなめらかさはかなりのものだ。きつくなりすぎないよさがある。音像は、幾分大きめだが、気になるほどではない。はった声も、硬くも、薄くもならない。ピッチカートも、たっぷりひびくが、ふくらみはない。

●デンオンDL103Sで聴く
 実に鮮明だ。細部の見通しということでは、他のふたつのカートリッジよりはるかにまさる。それにここでのひびきには、つきはなしたようなそっけなさがない。はずみのあるひびきへの対応もいい。

●シュアーV15/IVで聴く
 音像はきりりとひきしまり、ひろびろとした音場感を感じる。すっきりとしていて、とてもききやすい。誇張も、ねじまげも、無理もない。相反するひびきが、それなりに自然に提示される。

ダイヤトーン DP-EC1MKII

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 このカートリッジのよさに素直に反応しているといった印象だった。ひびきはきめこまかく、しかし音像のふくらみをおさえていた。はった声が硬くならず、まろやかさをたもっていた。

●デンオンDL103Sで聴く
 鮮明だ。決して消極的ではないが、ひびきははしゃぎすぎていない。細部への見通しは大変いい。ピッチカートなど、ふくらみすぎずに、しかし効果的にひびく。もう少ししなやかさがあればと思わなくもない。

●シュアーV15/IVで聴く
 弦楽器のひびきのきめのこまかさは特徴的だった。すっきりさわやかなひびきだが、それに加えて、いきいきとしたところがあってよかった。ピッチカートなどももう少しくっきり提示されてもいいが。

テクニクス SL-1300MK2

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 ひっそりとしたひびきが特徴的だ。声など、なかなかなまなましい。ただ、リズムのきれが幾分甘く感じられる。とげとげしいひびきを出さないのはいいが、ピッチカートのひびきはふくれぎみだ。

●デンオンDL103Sで聴く
 ひびきの角をシャープに示す。クラリネットとオーボエのひびきの対比など、不自然さがなく、このましい。もう少ししなやかさがあってもいいだろうが、このすっきりした提示は魅力的だ。

●シュアーV15/IVで聴く
 すっきりしたよさがある。音像は小さく、誇張感もない。さまざまなひびきを、余分なものをそぎおとして、提示する。そのために、ひびきのあじわい、ないしはこくに欠けるといえなくもない。

ビクター QL-A7

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 このカートリッジのよさをあきらかにしている。なめらかで、いきいきとしている。総じて、ひびきは、シュアーV15タイプIVのときより、積極的に前にはりだしてくる傾向がある。

●デンオンDL103Sで聴く
 音像はきりっとひきしまっている。誇張感はない。たとえば声などは、もう少ししなやかでもいいと思うが、徒らにふくらまず、すっきりしているのはいい。ひびきの明るさもこのましい。

●シュアーV15/IVで聴く
 音像が小さく、すっきりひろびろとした音場感は、特徴的で、このましい。ひびきのこくとか、つや、それに厚みといったことでは、もう一歩だが、独特のさわやかさがあっていい。

マイクロ DQX-500

井上卓也

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 DDX1000の方向を発展させシステム化した製品。セパレート電源方式採用のクォーツロックPLL方式DD型モーターと、ユニークなストレート型パイプアームの採用はデザイン的にも美しい。

トリオ KP-7700

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 声はなめらかだ。すっきりしている──といえないこともないが、力強い音に対しての反応で、幾分ものたりないところがあるので、すっきりとしているよさがいかしきれないというべきだろう。

●デンオンDL103Sで聴く
 ここでのきこえ方は、デンオンDL103としては、異色だった。ひびきは他のふたつのカートリッジの場合より、前にはりだした。その分だけ積極的になったということもできなくはない。

●シュアーV15/IVで聴く
 誇張感のないことはよしとすべきだろう。ただ、音像が総じて奥まってしまう。敢ていえば弱さが、気にならなくもない。声とオーケストラの、きこえ方のバランスは、きわめて特徴的で、声は後方からきこえた。

デンオン DP-50M (L)

井上卓也

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
「SOUND QUARTERLY 話題の国内・海外新製品を聴く」より

 磁気記録スピード検出方式、両方向サーボによる電子ブレーキ付のクォーツロック方式DDモーターを中心とした新製品だ。ターンテーブルは、直径30cm、重量1・5kgのアルミダイキャスト製、トーンアームは、ラテラルバランスとアンチスケートが付いたS字型スタティックバランスタイプで、付属カートリッジはない。レーザーホログラフィ解析を利用したゴムシート、水晶発振器でパルス点灯するストロボを備える。なお、DP50Mはマニュアル機、50Lはオートリフト機能をもったセミオート化が導入されたモデルだ。

ソニー PS-X700

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 ひびきの表情を誇張ぎみだ。音像も、シュアーV15タイプIVとはうらはらに、大きい。その他の点においても、シュアーV15タイプIVとは、まったくちがう。ひびきは、総じて、重く、ねばりぎみだ。

●デンオンDL103Sで聴く
 ひびきの角を鋭く示す。ひびきは、総じて、薄味で、こくに不足するが、あいまいにならないところがいい。軽量級のひびきですっきり提示するのが、ここでの美点というべきかもしれない。

●シュアーV15/IVで聴く
 ぼてっとしたひびきをいさぎよくそぎおとしている。そのためにきわめてすっきりしている。すっきりしすぎているというべきかもしれない。声などに、もう少しなめらかさがほしい。

パイオニア XL-A800

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 ひびきそのものにきめこまかさがあるが、音像は大きい。クラリネットの音などで、なめらかでこのましいものの、声は、すくなからず脂っぽい。リズムは重く感じられる。オーボエの音のかすれが感じとりにくい。

●デンオンDL103Sで聴く
 このカートとリッジの音としては異色なことながら、声が暗くおもい。そして、オーボエの音も脂っぽい。ひびきの輪郭があいまいにならないのはいいが、弦楽器の堂々としたひびきは特徴的だ。

●シュアーV15/IVで聴く
 すべての音がたっぷりひびく。細部へのこだわりをすてて、全体を大きくつかまえた音とでもいうべきか。その意味でなかなか積極的だ。ひびきの表情を拡大して示す傾向がなくもない。

ダイヤトーン DP-EC3

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 総じて音像は大きくなる。ピッチカートもたっぷりひびくし、声のまろやかさも示されるが、ひびきが重くなりすぎる。はった声も硬くならないのはいいが、もう少し鮮明さがほしい。

●デンオンDL103Sで聴く
 音像はかならずしも小さいとはいえないものの、すっきりきかせるよさがある。ただ、オーケストラのひびきのとけあいより、個々のひびきを分解して示す傾向がある。弦のひびきにこくがほしい。

●シュアーV15/IVで聴く
 音像も大きくないし、誇張感がないのがこのましい。弦楽器によるピッチカートもふくらまない。きいての印象は、幾分消極的だが、すっきりきかせるよさがある。声にももう少しまろやかさがほしい。

ヤマハ YP-D9

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 ここでも音像は大きい。オーケストラより声の方が積極的に前にでる。チェロのひびきが太くなる。リズムの切れは、もう少し鋭くてもいいだろ。低域の反応でいささかのにぶさを感じる。

●デンオンDL103Sで聴く
 一応すっきりした印象を与えるが、やはりここでも、音像は大きめだ。オーケストラの個々のひびきを、分解して提示する。ひびきの角を強調する傾向がなきにしもあらずである。

●シュアーV15/IVで聴く
 音像はふくれぎみだ。音をおしだしてくるような傾向がある。それでひびきの中味が充実すればいいのだろうが、その点で幾分ものたりないところがあるので、表面的な印象をききてに与えてしまう。

デンオン DP-50L

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)

特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か プレーヤーシステムによって同じカートリッジの音がどのように変わったか」より

●オルトフォンMC20で聴く
 音像は大きめで、オーボエよりクラリネットのひびきの方がきわだつ傾向がある。総じて、たっぷりとはひびくし、こえにまろやかさもあるが、細部がさらに鮮明に示されればさらにこのましいだろう。

●デンオンDL103Sで聴く
 音像はほどほどで、ひびきに一種独特のなまなましさがある。このカートリッジのクールな性格がおさえられているのはいいが、もう少し細部が鮮明だと、さらに効果的だったのではないか。

●シュアーV15/IVで聴く
 ひびきそのものは薄味だが、音像がひきしまって、声のしなやかさがあきらかになるのがいい。誇張感がなく、声とオーケストラのバランスもこのましい。ただ、ひびきは、あくまでも薄味だ。

「ブラインドテストを終えて」

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 ブラインドテストだからといって特別のことはない。使い勝手だとか、あるいはみためのことだとかが問題になる場合ならともかく、そうではないときはいつだって、耳だけをたよりに試聴にのぞんでいるから、たとえプレーヤーシステムが別室にあって、どのプレーヤーシステムの音かわからなくても、どうということもない。
 もし、どのメーカーの製品かわかって、その値段を知って、、そうかなるほどというきき方がもしオーディオの専門家のきき方だというのなら、ぼくのきき方は、ついに専門家のきき方たりえない。ブラインドテスト──という言葉は、ともするとそのときのテスターを、目かくしをされた鬼ごっこの鬼のような気持にさせるのだろうか。鬼は、てぬぐいで目かくしをされているから、手さぐりで、つかまえた相手のあちこちをさわってみて、「あっ、ふとっているから、イサオちゃんだ」といったりする。
 おそらく、そういうあてっこのたのしみのために、ブラインドテストが行われるようだが、この場合はどうだったのだろう。
 すくなくともぼくは、鬼ごっこの鬼どころのはなしではなく、せいぜいモルモットにすぎなかった。聴覚だけをたよりにきいた。ききおぼえがあるものといえば、つかわれたレコードの音と、そしてそこでつかわれたカートリッジの音だけだった。イサオちゃんというプレーヤーシステムだけがふとっていて、腹がぷくっとふくれているかどうかなんて、もともとわからないのだから、それがイサオちゃんかどうかあてられるはずもなかったわけだ。
 ただ、このブラインドテストをして、俺の耳もたいしたことないな──と、もともとわかっていたこととはいえ、それをまざまざとみせつけられて、うんざりしたということはある。ブラインドテストは、二日にわけて行ったが、前日は、このましいプレーヤーシステムだと思い、○印をつけておいて、翌日、どうもものたりないところがあると思い、×印をつけたものがあったからだ。具体的にいえば、ビクターのTT101+UA7045+CL−P1Dだ。一方が○印で、もう一方が△印なら、まあ、ことはいかにも微妙だからと、自分にいいきかせることもできなくはないが、○と×とでは、極端で、自分を納得させるすべがない。
 たしかに、きいたレコードの性格は、少なからずちがっていた。一方はクラシックで、もう一方はジャズといった、それぞれのレコードにおさめられている音楽の性格がちがうということもある。それに、一方のレコードが通常のレコードで、もう一方がダイレクト・カッティングのレコードだったということもある。一方が大編成のオーケストラ・プラス・声のレコードで、もう一方がコンボのレコードということもある。つまり、さまざまな点でちがていた。だから、一方が○で、もう一方が×でもおかしくないんだ──といえばいえなくもないだろうが、どうも釈然としない。
 それで、俺の耳もたいしたことないな──という。自己嫌悪の色濃厚な独白となる。もともとたいした耳と思っていたわけではないのだが。
 プレーヤーシステムによる音の変り方は、かなり基本的なところでの変り方で、だからききとりやすいということも、また逆にききとりにくいともいえる。たとえばこれがカートリッジなり、スピーカーなりが変ったというのなら、それはレコードが変ることによって、きこえ方が大幅にちがい、こっちでよかったものが、あっちではよくなくなるということもあるが、プレーヤーシステムでの変り方は、もう少し基本的なところでの変り方だから、そういうことはあまり起らないはずである。
 にもかかわらず、一方で○印をつけ、もう一方で×印をつけたというのは、自分ではそれなりの理由がわからなくてもないが、やはり基本的なところでの変化をききのがしたためといわざるをえない。そのための、俺の耳もたいしたこと
ないな──という自己嫌悪の独白だ。
 プレーヤーシステムの音は、基礎の音だと思う。
 地震の際に、造成地にたてられた家が、もろくもこわれて、岩盤の上の家が、内部はそれなりに、棚がおちたり、あちこちこわれたりしているのかもしれぬが、外からみるかぎり、地震の影響などまるでないかのように立っているのをみたりする。さまざまなプレーヤーシステムの音をきいていて思ったのは、そのことだった。いかに立派な家でも、土台というか、基礎がやわでは、いかんともしがたい。
 今回のブラインドテストは、いってみればその普段目にみえるところを同じにして、さてこのおとは 岩盤の上の音か、それとも造成地の上の音かをききわけることを目的としていたのではなかったか。それぞれの音は、ぼくは岩盤の上の音だよ──と、せいいっぱいがんばっていた。しかし、本当に岩盤の上になりたっている音と、そうでない音とは、かなり明確にちがっていた。
 しかし、どこまでが土台に関係した音で、どこからが基礎とは関係のない音なのか、充分に判断できないこともあった。そのために、一方のレコードでは○印をつけ、もう一方のレコードでは×印をつけるというような、つまり混乱が生じたのだろうと思う。
 すぐれたプレーヤーシステムの音には、あぶなっかしさがなかった。ひびきは、すみずみまで、しっかりしていた。
 カートリッジやスピーカーでは、ひびきのキャラクターが、大きな問題になる。むろん、プレーヤーシステムの音にも、それぞれのキャラクターがあるが、カートリッジやスピーカーの場合のようには、問題にならない──というより、そのキャラクターのとわれ方がちかうように思う。あの家の屋根はトタンで、この家の屋根は瓦だというようなことは、誰にもわかるし、屋根をトタンにするか、瓦にするかは、おそらくその家の住人の好みに関係することだろうが、家を岩盤の上にたてるか、それとも造成地の上にたてるかは、好みとは別のところでのことといえるのではないか。
 ただ、プレーヤーシステムの音にも、カートリッジやスピーカーシステムの場合とは意味するところ微妙にちがうとはいえ、キャラクターがあるので、それにとらわれると、その音が岩盤の上の音か、造成地の上の音かを、ききそこなうことになる。
 そして、このブラインドテストに参加して、あらためて思ったのは、やはり、なにはさておいても、プレーヤーシステムに、それなりの投資をしないといけないなという、すでにわかりきったことだった。毎日の生活ということでいえば、岩盤の上の家での生活も、造成地の上の家での生活も、さしてちがいはないように思うが、やはりどこかで微妙にちがってくるのかもしれない。
 ぼくの今住んでいる家は、造成地というわけではないが、それでも前の道を大きなトラックが通ったりすれば、かなりゆれる。だからといって生活に不便をきたすほどではないが、やはりどっしりした家屋に住んでいるとは思いがたい。そういう家に住んでいると、あまり出来のよくないプレーヤーシステムでレコードをききつづけることによる心理的な影響をあなどれないなと思ったりする。

ヤマハ PX-1

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か クォーツロック・DDターンテーブル18機種をテストする」より

 力強いひびきをぐっと前におしだすというタイプのプレーヤーシステムではなさそうだ。しかし、ここできけるさわやかな、よごれをすっかり洗いおとしたようなひびきは、実にチャーミングだ。ここできけるひびきは、ついにぼてっとしたり、ふやけたり、重くひきずったり、あるいはかげったりしない。きいての印象がさわやかなのは、おそらく、そのためと思える。
 その方向で徹底させようというなら、デンオンDL103Sということになるだろう。木管楽器がかさっているところでの、個々の楽器のひびきを、ききてがその気になりさえすれば、充分にききふけることができる。このプレーヤーシステムの音にも、一種独特の品位が感じられる。よごれた音を、まちがってもきかせることはなさそうだ。
 ただそのために、用心深くなりすぎた音になってしまっているということはいえるだろう。これでさらに、一歩ふみこんで力強いひびきをきかせる積極性を身につければ、プレーヤーシステムとしての魅力を倍加させることになるのではないか。

ソニー PS-X9

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か クォーツロック・DDターンテーブル18機種をテストする」より

 このプレーヤーシステムは、どうやら、中域の音を、しっかり、あいまいにならずに、しかもそのエネルギー感をあきらかに示すところに特徴があるようだ。むろん、中域の音をしっかり示すのは、とてもこのましい。そのためと思うが、このプレーヤーシステムできいた音は、いずれのカートリッジの場合も、あいまいさから遠くへへだたったところにあって、しっかりしていた。
 くっきりしたひびきをきかせてくれたが、できることなら、さらに鮮明であってほしいと思わなくもない。ただ、その点については、デンオンDL103Sでかなりの成果をあげたことを考えあわせると、しかるべきカートリッジをつかうことで、かなりカヴァーできるはずである。ベーシックな部分がいかにもしっかりしているというきいての印象がある。あぶなげは、まったくないし、ひよわさもない。
 オルトフォンMC20でピッチカートが、くっきり示されて、しかも大きくふくらまないあたりに、このプレーヤーシステムの基本性能のよさが示されていたといえるだろう。

デンオン DP-7700

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「音の良いプレーヤーシステムは何か クォーツロック・DDターンテーブル18機種をテストする」より

 ひびきそものに、一種の品位とでもいうべきものがある。決して粗野にはならない。それぞれのカートリッジのよさを無理なくひきだしているという印象である。その意味で、実にまとまりのいいプレーヤーシステムだ。あぶなげがまるでない。
 今回の試聴で用いたようなレコードには、よくフィットして、はなはだ好印象をいだいたのだが、さらにエネルギー感を求められるような音楽の場合には、このプレーヤーシステムの品位が、幾分マイナスに働くということもなくはないようだ。それは、このプレーヤーシステムの音が、ひびきを前に押しだすようなタイプのものではないことと、関係があるかもしれない。
 折目正しさ、破目をはずさない──というのは、たしかに、なににもかえがたい美点で、その美点は、このプレーヤーシステムのものだ。したがって、ききては、そこで安心して、きこえてくる音に対応できる。そういうききてを安心させるというのは、実は、なかなかむずかしいことだということを、ここで思いだすべきかもしれない。

「ブラインドテストを終えて」

井上卓也

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 ディスクの再生では、プレーヤーシステム、アンプ、スピーカーシステムがシリーズに接続され、それぞれのコンポーネントの置かれた位置と機能の違いが、各コンポーネント固有の音の変わり方をすることになる。
 一般には、システムのもっとも出口の位置にあるスピーカーシステムが、その扱うエネルギー量も多く、メカニズムを利用した電気エネルギーを音響エネルギーに変換するというトランスデューサーでもあるために、それをセットする部屋の条件も加わって、各コンポーネントのなかでは結果としての音をもっとも大きく左右する部分とされている。
 また、中間に位置するアンプは、入力として加えられた微弱な電気信号を増幅し、スピーカーシステムをドライブするだけの電気エネルギーとして出力に出す純粋な電気の増幅器であるために、物理的な計測データを基としての解析がメカニズムをもつトランスデューサーよりも容易であり、本来はエレクトロニクスの技術が進歩すればするほど製品化されたモデル間の音違いが少なくなるはずである。しかし、現実には、入力、出力ともにトランスデューサーであるカートリッジやスピーカーシステムと結合されるとなると、計測時のように入出力に定抵抗が接続された状態とは異なった動作をなすことになり、これが音の違いとなっている。また、エレクトロニクスの技術の製品であるだけに、回路を構成する部品の改良、それを使った新しい素材にマッチした回路設計という反応が、非常に短いインターバルで繰返される結果、ほぼ半年毎により計測データの優れた新製品が開発され、聴感上でも音の変化がいちじるしいため、現実には話題が絶えず、もっとも注目される部分だ。プレーヤーシステムは、コンポーネントのもっとも入口の部分に位置している。そのため、ディスクにカッティングされている情報量の50%しか電気信号に変換できないとすれば、アンプ、スピーカーシステムにどのような高性能のコンポーネントを使ったとしても、結果として聴かれる音は最大限50%にしか過ぎないことになる。このように非常に重要な位置にありながら、アンプ、スピーカーシステムにくらべて、なぜかさほど重要視されない傾向が強いようだ。
 それというのも、プレーヤーシステムが、それぞれ独立したコンポーネントと考えてもよいカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターと、それを取り付けるプレーヤーベースで構成されているからだろう。そのため、単体のカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターの性能、音の違いは問題にされることはあっても、トータルなシステムとしての音の変わり方についてはあまり問題にされず、それが問題にされだしたのはつい最近のことといってもよい。
 簡単に考えれば、スピーカーシステムやアンプの分野では、相当に高度なアマチュアがどのように努力しても、メーカー製品以上の性能、音質をもつものを作ることは不可能といってもよいが、ことプレーヤーシステムにおいては、優れたカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターを選択すれば、強固なプレーヤーベースを作るノウハウさえ持てば、メーカー製品を凌ぐ性能と音質をもったシステムをアマチュアが自作できる、唯一のジャンルであるためだろう。
 ちなみに、ステレオサウンド別冊「ハイファイ・ステレオガイド」を見ても、プレーヤーベースの頁には、オーディオメーカー以外の会社から異例に多くの製品が発売されており、プレーヤーシステムの特異性を示している。
 プレーヤーシステムのジャンルでも、最近では、トータルなシステムプランから開発された、メーカでなくては作れない製品がその数を増し、次第にスピーカーシステムと同様にプレーヤーシステムとして完成されたものが主流となってきつつある。たとえば、オートマチックプレーヤーシステムは、メーカーならではできないプレーヤーシステムである。
 今回の特集はプレーヤーシステムであり、プレーヤーシステムの重要性を確認する目的から、本誌では珍しくブラインドテストが行われることになった。この方法には、当然長所短所があるが、ある部分では、平均的な試聴とは異なった製品の実体に触れることができるのは事実である。実際に、スピーカーシステムやアンプでブラインドテストをしたために、ひとつの印象として捉えていた製品に、より多くの新しい可能性を見出すことはよく経験することである。
 ブラインドテストは、出てきた音に聴き手がどのように反応するかである。つまり、単純に考えれば、モルモットそのものにいかになりきるかということができる。したがって、モルモットの置かれる条件が結果を大きく左右することになる。たとえば、傾いた机の上に置かれれば、それを基準として反応するほかはない。
 今回のブラインドテストは、聴く人数の面から、試聴室の長手方向にスピーカーシステムをセットして行なったが、それにしても左右のスピーカーとテスターとの相対位置は、中央付近を除いて相当に異なるため、このあたりが結果としての発言内容の差と密接に結びついている。私の位置は左端で、左チャンネルのスピーカーのやや外側である。この位置では、リファレンスとしたEMTのプレーヤーシステムも、ややバランスを崩した状態であり、現在のコンポーネントでもっとも重要視される、ステレオフォニックな音場感の広がりと定位、音像の問題はチェックポイントとはなりえず、聴感上でのバランス、音色、音楽の表現能力などが判断基準となっている点に注意されたい。
 結果としては、テスト機種のなかには、つねに試聴室で、また個人用として使用している製品が含まれていたが、それらの製品名を試聴結果から当てることはできなかった。たとえば、現在のフォノモーターの水準からはかなり劣るはずのガラード301・SME3012のシステムすら判別不可能で、モルモットとしては正しく反応していたつもりだけに残念という感が強いが、この反応で正しかったと思っている。
 各テスト機種は、先入感がないだけに、かなり大幅に結果としての音、音楽を変えて聴かせてくれた。それは、低域、中域、高域といった、いわば聴感上での周波数特性的なバランス、帯域の広い狭いをはじめ音色的にも当然違いがある。また、カートリッジのMC型、MM型による差が少ないものの、差を大きく出すものといった違い方もある。さらに、音楽そのものが相当に変わってしまうこと、これは大変に重要なことである。これに、ステレオフォニックな音場感、定位、音像などの要素を加えれば、各テスト機種の違いはさらに拡大されるはずである。やや表現を変えれば、プレーヤーシステムでの音の変わり方を情報量的に捉えると、テープデッキでの、カセットデッキ、4トラックオープンリールデッキ、2トラックオープンリールデッキに対比させることができる。結果として製品がわかったプレーヤーシステムとメモを突合わせてみると、一般的な傾向として、大型で重量級の製品ほど2トラックオープンリール的な音をもっているように思われる。たしかに、物理的にも感覚的にも、ディスクにカッティングされている音溝の凹凸は非常に細かいものと思われやすいが、実際にカートリッジを手に持って、直接ディスクの音溝に触れさせてみると、指に感じる反応の激しさで音溝の凹凸による抵抗がどのように大きいかを知ることができるが、これからもフレーヤーシステムは予想以上に機械的な強度を要求されていることがわかるはずだ。これは、当然のことながらフォノモーターのトルクについても同じことがいえる。測定データからも音溝の抵抗でサーボ系がどのように反応しているかを知ることができるであろう。
 このように音が大幅に変わること自体が、プレーヤーシステムの選択の尺度をさらに厳格にしなければならないことを物語っていることになる。かつて、プレーヤーシステムをもっとも優先的に考えるべき論旨があったが、これは現在でも変わることはなく、他のコンポーネントが優れているだけに、プレーヤーシステムでの音の変化がクローズアップされるべきだと感じた。