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カウンターポイント SA-5000 + Natural Progression Monaural Power Amplifier(JBL S9500との組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 この組合せは、ふところの深い、格調が高く、雰囲気のよい、サロン風の音を求めての選択である。
 プリアンプのSA5000は、ハイブリッドタイプならではの、ソリッドステートと管球方式の魅力を併せもたせる、という至難な技を実現した稀有の存在ともいうべき見事なモデルである。
 ペアとしたパワーアンプNPAは、ナチュラル・プログレッション・モノーラル・パワーアンプの頭文字をモデルナンバーとした新製品で、入力段に真空管、出力段にバイポーラトランジスターとMOS−FETの両方の特徴を備えるという、IGBTを採用したモノーラルパワーアンプだ。
 結線は、不平衡である。
 標準的なプリアンプ出力(ダイレクト出力)からの結線では外乱によるノイズ発生があり、バッファーアンプ出力からパワーアンプに送るが、許容限度のノイズは残っており、高域のディフィニッションが低下した音になるだろう。
 最初の音は柔らかく、モヤッとした音だ。
 ウォームアップは、NPAではかなりな時間はさして大きな変化を示さず、その後比較的短い時間で、音質、喜色の変化がステップ的に変る傾向があるようである。
 初期段階の20〜30分間あたりのウォームアップで聴けば、柔らかさの内側にかなり硬質なコントラストの強い部分があり、そのどちらを重視するかで、音の印象度は大きく変る。
 しかし、2時間ほど鳴らし込めば、雰囲気がよく上品で耽美的ともいわれるカウンターポイントの音に、反応の速さ、鮮食感、ソリッドな表現、といった新しい魅力が加わった音が聴かれるようになる。
 かなりの音を整理し、音楽の聴かせどころを巧みに摘んで聴かせるような、スケールはやや小さいが、ほどよく音楽に反応をし、サラッと雰囲気よく空間の拡がりを感じさせる鳴り方は、これならではの魅力がある、ひとつの世界だ。
 予想よりも、細部のディテールの描き方や表情のみずみずしさが音として出しきれていないが、起強力なTV電波が7波もある立地条件下での高周波妨害にょるマスキングと、CDプレーヤー系の長時間使用での、ある種の音のニジミ、ベール感が相乗効果的に働いているようで、ここでの結果は、かなりハンディキャップを背負ったものではあるが、それなりにカウンターポイントらしさのある音でS9500を鳴らしたあたりは、カウンターポイントのポリシーの根強さを知る、ひとつの尺度のように
思われる。

JBL S5500(組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「Project K2 S5500 ベストアンプセレクション」より

 旧来のJBLを象徴する製品が43、44のモニターシリーズならば、現代の同社を象徴するのは、コンシューマーモデルであるプロジェクトK2シリーズだ。S5500は、このプロジェクトK2シリーズの最新作で、4ピース構造の上級機S9500の設計思想を受け継ぎワンピース構造とした製品である。この結果、セッティングやハンドリングがよりしやすくなったのは当然だが、使用機器の特徴をあかちさまに出すという点では、本機も決して扱いやすい製品ではない。エンクロージュアや使用ユニットこそ小型化されたものの、S9500の魅力を継承しながらも、より音楽に寄り添った、音楽を楽しむ方向で開発された本機の魅力は大きい。
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 JBLが’92年の末に発表したプロジェクトK2シリーズの最新作が、S5500である。プロジェクトK2とは、’89年にセンセーショナルなデビューを飾ったS9500 (7500)に始まる同社のコンシューマー向けの最高峰シリーズで、本機は、上級機S9500の設計思想を受け継いだワンピース構造のシステムである。S9500が35cmウーファーと4インチダイアフラム・ドライバーを搭載していたのに対し、本機は30cmウーファーと1・75インチドライバーを搭載しているのが特徴である。また、S9500で同一だったウーファーボックスの内容積が、本機では、下部のそれの内容積がやや大きい。ここに、IETと呼ばれる新方式を採用することで、反応の速い位相特性の優れた低域再生を実現している。また、チャージドカップルド・リニア・デフィニションと呼ばれる新開発のネットワークの採用にも注目したい。ネットワークのコンデンサーには、9Vバッテリーでバイアス電圧を与え、過渡特性の改善を図っている。
 本機は、S9500譲りの姿形はしているものの、実際に聴かせる音の傾向はかなり異なり、アンプによって送りこまれたエネルギーをすべて音に変換するのではなく、どちらかというと気持ち良く鳴らすという方向のスピーカーである。
 こうした音質傾向を踏まえたうえで、ここでは、ホーン型スピーカーならではのダイナミックな表現と仮想同軸型ならではの解像度の高い音場再現をスポイルせずに最大限引き出すためのアンプを3ペア選択した。

マッキントッシュ C40+MC7300
 まず最初に聴いたのは、マッキントッシュのC40+MC7300の組合せである。C40は、C34Vの後継機として発売されたマッキントッシュの最新プリアンプで、C34VのAV対応機能を廃したピュアオーディオ機である。サイズもフルサイズとなり、同社のプリアンプとしては初のバランス端子を装備している。これとMC7300といういわばスタンダードな組合せで、S5500のキャラクターを探りながら、可能性を見出すのが狙いだ。
 可能性を見出すというのは、C40に付属する5バンド・イコライザーやラウドネス、エキスパンダー、コンプレッサー機能などを使用して、スピーカーのパワーハンドリングの力量を知ることである(現在、マッキントッシュのプリアンプほどコントロール機能を装備したモデルはきわめて少ない)。また、マッキントッシュの音は、いわゆるハイファイサウンドとは異なる次元で、音楽を楽しく聴かせようという傾向があるが、この傾向はS5500と共通のものに感じられたためこのアンプを選択した。
 S5500+マッキントッシュの音は、安定感のある、非常に明るく伸びやかなものである。古い録音はあまり古く感じさせず、最新録音に多い無機的な響きをそれなりに再現するのは、マッキントッシュならではの魅力だ。これは、ピュアオーディオ路線からは若干ずれるが、多彩なコントロール機能を自分なりに使いこなせば、その世界はさらに広がる。
 その意味で、このアンプが聴かせてくれた音は、ユーザーがいかようにもコントロール可能な中庸を得たものである。ウォームアップには比較的左右されずに、いつでも安心して音楽が楽しめ、オーディオをオーディオ・オーディオしないで楽しませてくれる点では、私自身も非常に好きなアンプである。

カウンターポイント SA5000+SA220
 S5500のみならずJBLのスピーカーが本来目指しているのは、重厚な音ではなく一種のさわやかな響きと軽くて反応の速い音だと思う。この線をS5500から引き出すのが、このカウンターポイントSA5000+SA220である。
 結果は、音楽に対して非常にフレキシビリティのある、小気味よい再生音だった。カウンターポイントの良さは、それらの良さをあからさまに出さずに、品良く聴かせてくれることで、音場感的には、先のマッキントッシュに比べて、やや引きを伴った佇まいである。美化された音楽でありながら、機敏さもあり、非常に魅力的である。たとえるなら、マッキントッシュの濃厚な響きは、秋向きで、このカウンターポイントのさわやかな響きは、春から夏にかけて付き合いたい。

ゴールドムンド ミメイシス2a+ミメイシス8・2
 次は、S5500をオーディオ的に突きつめて、そのポテンシャルを最大限引き出すためには、このあたりのアンプが最低限必要であるという考えの基に選択したのが、ゴールドムンドのミメイシス2a+ミメイシス8・2である。
 結果は、ゴールドムンドならではの品位の高い響きのなかで、ある種の硬質な音の魅力を聴かせる見事なものであった。
 モノーラルアンプならではの拡がりあるプレゼンス感も、圧倒的である。オーディオ的快感の味わえるきわめて心地の良い音ではあるが、反面、アンプなどのセッティングで、音は千変万化するため使いこなしの高度なテクニックを要するであろう。ここをつめていく過程は、まさにオーディオの醍醐味だろう。

 S5500がバッシヴで穏やかな性格をもった、音楽を気持ちよく鳴らそうという方向の製品であることは、前記した通りである。しかし、これは、本機が決して〝取り組みがい〟のない製品であることを示すものではない。一言〝取り組みがい〟といってもランクがあり、手に負えないほどのものと、比較的扱いやすい程度のものと2タイプあるのだ。本機は、後者のタイプで、そのポテンシャルをどう引き出すかは、使い手の腕次第であることを意味している

マークレビンソン No.26SL + No.20.6L(JBL S9500との組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 現在のハイエンドマーケットで、良くも悪くもリファレンスアンプとして常用されている、マークレビンソンの組合せである。
 No.26Lは、ステレオサウンドのリファレンスアンプの一部で、設置位置は十分に吟味して決めてあるため、テフロン基板タイプとなったNo.26SLもまったく同じ条件に置くことにした。一般に、電源部が独立したプリアンプでは、電源部はどこにどのような状態で置いても音は変らないと思われているようであるが、電源部の感度は相当に高く、置き場所の条件で、音質、音色ともにコロコロと変るものであることを是非とも覚えておく必要がある。パワーアンプは標準位置、結線は平衡型である。
 アウトフォーカスの写真が、徐々にクリアーなピントとなるようなウォームアップをするタイプで、アンプのウォームアップの典型的なパターンといえよう。帯域バランス的な変化は少ないため、ほぼ10分間も経過すれば、一応この組合せとおぼしき音にはなるが、音場感情報量は抑えられ、音の内容も新聞の写真のように粗粒子型のラフさが残っている。低域は軟調気味で、質感が甘く、高域も伸びきっていないため、ゆったりおおらかな魅力はあるが、やや締まらない制御不足の音ともいえるだろう。時間経過に伴い、内容が次第に充実し、音場感情報が豊かになると音の表情にも余裕が感じられるようになり、高級アンプならではの独自の世界が展開されるようになる。
 S9500は、いわゆるアブソリュートフェイズも、一般的スピーカーと同様に正相に変っているため、よく知られているJBLのモニター系(こちらは逆相である)の音質音色に比べ、かなり柔らかくしなやかで、マイルドな方向の音に変っているが、独特のプロポーションをもつエンクロージュアの特徴から、奥行き方向のパースペクティヴの再現能力や音像が浮かび上がって定位する魅力は、従来にない新しい魅力だ。
 No.26SLは、従来のLタイプから、滑らかに、艶やかに、の方向に音色が変り、独特の陰影が音につくようになった。このため、ここでの音はかなり柔らかく豊かで、色彩感を少し抑えた淡彩な音で鳴り、低域は量感はあるが軟調で甘く、全体に見事にコントロールされた、非常に巧みな、味わい深い、とてもオイシイ音として聴かせるパフォーマンスは、マークレビンソンならではの魅力であり、安心感、信頼感である。この程度、時間も経過すれば、スピーカーも部屋に馴じみ、当初のマットな表情から目覚めだしたようで、このアンプ用にセッティングを修正すれば、かなりの幅で自分の音とすることは容易であろう。

テクニクス SE-A5000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 テクニクス・ブランドというのは、いまさらいうまでもなく、松下電器がオーディオ製品の本格派にだけ使うブランドとして誕生したものである。しかし、一時は大メーカーの節操のなさといおうか……このブランドが作ったイメージの良さを普及製品に大々的に使って、ナショナル・ブランドと差のないものにしてしまった。ここ20年間くらいのことだろうか……。かくしてオーディオという理想郷は消滅し、ただのファッショナブル電機産業と堕してしまったかの観がある。〝テクニクス〟がその本来の主旨を一貫して守り、それにふさわしい〝クォリティセールス〟の体質を築き上げていれば、いまのオーディオ業界もファンの質も違っていただろう。そうした意味で、このブランドの歩みは象徴的であった。同社の一般ブランドはナショナル、そして音響機器にはパナソニックを用いているが、そうした中でこの〝テクニクス〟は今後、本来のクォリティオーディオに使われるようになるらしい。それにしても松下は、長年オーディオの研究開発に終始一貫して真正面から取り組むメーカーであり、とっくに撤退してしまった他の大電機メーカーとは異なる。〝テクニクス〟が本格的なクォリティオーディオの象徴として新しい時代を築くことを信じている。このSE−A5000は、そうした背景の中で〝テクニクス〟を厳選したスペシャルブランドとすべく誕生したパワーアンプであって、プリアンプSU−C5000とペアを成すものである。多様化した現代のプログラムソースをコントロールする多目的プリアンプであるが、フォノイコライザーも持つ。それだけにその出力をパワードライブするSE−A5000の質へのこだわりにはテクニクス・ブランドに恥じないだけの内容を実現した。きわめて繊細な美しさを持つ音のマチエールは独特の魅力をもち、日本の製品ならではの精緻さといってよいもの。決して濃厚ではないが、透明でしなやかだ。

マッキントッシュ MC7150

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のパワーアンプが1946年出願の特許による基本回路の伝統の延長線上にあることはMC2600の項で述べた通りである。このMC7150は最新の製品であるが、伝統のオートフォーマーを搭載している。150W+150Wというパワーが2Ω、4Ω、8Ωで確実に得られるのはOPTのためだし、アンプ保護やスピーカーへの保証の役目も果すのがこのトランスのメリットである。しかし、さらに重要なことは、このトランスによる音質の有機感といおうか、暖かく血の通ったサウンドの質感にトランスが寄与しているという点である。トランスのもつバンドパスフィルターとしての性格は、良きにつけ悪しきにつけ音質に影響をもつものだが、マッキントッシュ・アンプの音の肌ざわりの自然感は、このOPTと無縁ではないと思われる。加えて、マッキントッシュのパワーアンプには〝パワーガード・サーキット〟という、許容出力以上になると動作する一種のリミッターがついていて、決してクリッピングを聴かせることがないことも大きな特徴だろう。ソリッドステートアンプのハードディストーションがわずかなピークでアンプの音の印象に与える悪影響に着目した、前社長のゴードン・ガウ氏時代に開発されたこの回路によって保証される安定した再生音は、特にこのMC7150のような小パワー?(それでも同社のパワーアンプとしては最小である)のアンプの場合に特に有効である。グラスパネルにブルーメーターとレッド、グリーンのイルミネーションは、この製品をさらに魅力的なものにしている。フルグラスパネルの不売僧こそマッキントッシュのアイデンティティとして高く評価され、多くのユーザーの憧憬となっているものだ。39万円で本物のマッキントッシュのパワーアンプが買えるというのがこの製品の最大の魅力だが、この明朗で透明なサウンドはスピーカーの能率さえ高ければ上級機無用のものである。

マッキントッシュ MC7300

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のアンプの特質については、そのフラグシップモデルMC2600の項で述べた通りであり、総合的に同社のアンプは世界一の優れた製品だと思う。最近ますますこの信念を確認させてくれるのであるが、それは同社が一貫して伝統的な主張を曲げずに新しいテクノロジーでリファインしたニューモデルを出してくるからだと思う。新製品のための新製品を矢つぎ早に出したり、ただ昔のものを作り続ける姿勢ではなく、必然性をもった新製品を出すからである。この製品はMC7270という従来の代表モデルの後継機として6年ぶりに発売されるもので、すでに発売されたMC2600とMC7150の中間に位置する製品だ。これでパワーアンプの新シリーズ3機種がそろったわけで、次は多分プリアンプの新シリーズが出てくるだろう。フルグラスパネルとなったMC7300は、外見上はパネル面がさらにマッキントッシュ・イメージを強く表現しているが、本体はカバーで被われたためトランスやコンデンサーが直接目に触れなくなった。この点、やや平凡な箱型アンプ化した感じでもあるが、中味は従来よりさらに充実し、ソリッド化している。新設計の出力トランスは大型化したため、今までのものとは逆向きにシャーシ底部にギリギリ下げて搭載され、トランス上にドライバー基板がおかれるという変更を受けている。全体のサイズを拡大しないで300W強/チャンネルに実力アップし、歪みを一桁以上低減した結果だ。カバーをとるとぎっしりつまった内容に驚かされる。無駄な空間は皆無。まるでソリッドな鉄の塊のようで、外から見た印象で持ち上げようとしても上がらないほど重い。しかし、その音はふっくらと豊かで、透明で、漂うような空間感を聴かせる。従来の同社のアンプの重厚さは実音のマスに十分現われているが、この明るく楽しい軽やかな空間感は新鮮だ。 価格は他の他の輸入品と比べるとこの倍でも十分通用する。

アキュフェーズ P-800

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 アキュフェーズはC280Vのところでも記したように、日本のオーディオメーカーとしては最もむずかしい規模と企業サイズを維持してアンプ専門に発展してきた。大きすぎても小さすぎてもユーザーを満足させる製品の開発と営業姿勢を保ち難いのが、このような趣味製品を製造販売する企業の抱える問題点である。製品の種類や製造量を増やすことは大メーカー化することであり、量産量販の世界へ踏み込むことになってしまう。かといって、あまりに小規模のままでは、やがて経費だおれで老化の道は目に見えている。しかし、これに取り組んでこそ真のオーディオ製品を作り得るし、結果的に真のオーディオマーケットから支持される。玩具を洪水のようにマーケットにぶちまけて利益を上げ、その余力で本格的なオーディオ製品を作っても、ユーザーはついてこない。メーカーの体質としても、技術も営業も、量産量販と少量集中型とでは全く異なるはずである。オーディオの一流品のむずかしいところはここである。いくら一品生産の高級品とはいっても、ガレージメーカー製の信頼度の低いものは一流品とは認め難い。また、一部上場の一流企業の製品だから一流品などと呼ぶのはとんでもない誤解である。
 P800は同社のステレオパワーアンプのフラグシップモデルで、8Ω400W×2のパワーをもつ。この上に8Ω1kWのM1000というアンプがあるが、モノーラルアンプだ。低インピーダンス負荷への対応も考慮され、インピーダンス切替スイッチで1Ω600W×2の対応が可能。使用条件によってはオプションで冷却ファンも用意されている。同社のアイデンティティといえる大型パワーメーターをもつパネルフェイスが印象的だが、緻密で繊細な解像力は日本の製品らしい端正さを感じる。いかにも専門メーカーの製品らしい造りの確かさと上質な仕上げは、音の特徴とも一致して微粒子感の精緻な質感をもっている。

サンスイ B-2302 Vintage

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 サンスイはトランスメーカーからスタートしてオーディオの総合メーカーとして発展。少々発展しすぎた点では同業で当時〝オーディオ御三家〟といわれたパイオニアやトリオ(ケンウッド)と共通した体質変化であった。パイオニアはLDの開発をはじめ、かなりマルチプルに大企業として発展を遂げたし、トリオは今は中級オーディオに的をしぼっている。サンスイは経営的困難を抱えながら高級〜普及機の広レンジのオーディオで頑張ってきたが、ついに外国資本が入って再建中である。しかし、従来からの体質は現体制下でも維持し続け、本来のオーディオの一流メーカーたり続けようという意欲をもっているのが喜ばしい。高級オーディオ機器の代表ということになるとこのパワーアンプが挙げられるが、B2301を原器としてリファインし続けてきた熟成の製品である。バランス伝送、バランス増幅という基本的回路コンセプトを土台に最新の素材とテクノロジーを投入し、入念な練り上げをおこなったアンプである。パワー素子LAPTは、サンスイのオリジナル開発で東芝が製造するハイリニア素子で、従来のトランジスターより格段に高い遮断周波数特性をもつ。すでに同社のプリメインアンプに採用され評価も高い。このパワー素子以外のパーツも抵抗、コンデンサー、線材のすべてにわたって試聴により最終セレクトされたアンプであり、作りっぱなしでよく鳴るただのアンプとは次元を異にするオーディオ製品らしいオーディオ製品だ。各所に剛性と防振の見直しがなされているし、ノイトリック製バランス入力端子やWBT製スピーカー端子が使われるなど並々ならぬこだわりの見られるのがうれしい。音は力強く弾力性に富んだ低音の深々とした響きに支えられたウェルバランスなものだ。しかし、従来のアンプよりさらに鋭敏で、素直な音色の多彩な変化が印象的である。楽音の変化に対するレスポンスが見事である。ゴールドパネルも新鮮だ。

ボルダー 500AE

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 ボルダーは昨年から日本にも導入されたアメリカ製のアンプである。コロラド州ボルダーにあるメーカーで、ブランドは地名からとったらしい。製造者ジェフ・ネルソンはスタジオ・エンジニアとしてのキャリアの後、故郷のボルダー・コロラドで、この仕事を始めたと聞いている。いかにも、そうしたスタジオのプロとしての経験が生きているアンプ作りで、外観にもデザイン(回路設計)にも、そして音にもプロサウンドのイメージが濃厚である。メーカーとしては新しいので、背景やブランドを一流品として扱うのは早いと思うが、この製品に接してみて、一級品であることは間違いないところ。あとは、この製品がどう一般に評価されるか、そして、その結果このメーカーの存在がどう定着していくかによって、名実ともに一流品として認められることになる。それには、メーカーとしての技術レベル、フィロソフィ、そして企業としての堅実性などが問われるわけだ。一流品は出来ても、一流ブランドは一朝一夕にして出来上るものではない。しかも、オーディオのような趣味製品は一流企業ならよいものが出来るというものではをいから、一にも二にもユーザーの評価にかかっているといえるだろう。プリアンプとパワーアンプでスタートしたボルダーの成長を期待したい。このパワーアンプ5500AEは、500シリーズの基本モデルとでもいうべきものなのだが、発売順ではこれにボリユウムや各種インジケーターの付いた製品が先に出て、シンプルな500AEは後で発売された。プロ機らしいモジュール構成的思想はボルダーの特徴だが、非常に合理的で高性能なアンプだと思う。音もプロ機らしい安定感を第一の特徴とし、豊かな力感と厚みのある質感は、一聴して高いクォリティを感じさせる。陰影の濃密な立体的な音像の出方はリアリティが豊かで、ウェイトが感じられる。低域がしっかりしていてグラマラスなバランス感だが重すぎない。

マッキントッシュ MC2600

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 マッキントッシュ社のパワーアンプのオリジナリティとアイデンティティ……それは1946年にF・H・マッキントッシュとG・J・ガウの両名によって発表され特許出願されたマッキントッシュ回路にそのルーツがある。この回蹄の特許は1949年に下りて、マッキントッシュ社の創立、第1号機発売ということになるのであるが、この回路のポイントはSEPP回路での画期的な歪みの低減にあった。B級プッシュプルの高効率とNFBによる低歪率とを高い次元で両立させたこのマッキントッシュ回路には、バイファイラー巻きによるユニティカップルドのOPTが力を発揮した。1次線と2次線が同時に巻かれたこのトランスがあってこそ実用になった回路なのである。当時日本のアマチュアが、この回路を技術誌で見て製作に挑戦したものだが、トランスの入手が不可能なため失敗に終ったという話は有名だ。マッキントッシュとOPTはこのように誕生時より切っても切れない関係だし、もちろん同社の製品に使われるOPTはすべて自社製である。
 ソリッドステートパワーアンプに移行したのは1968年のMC2105からだが、OPTレスにメリットがありと信じられていたソリッドステートパワーアンプが、OPT付きで登場したことに世間はあっと驚かされたのである。当然議論百出したが、今ではOPT付きのメリットが完全に認められてしまった。一時はマッキントッシュの技術は古いからトランス付きなのだというデマも飛んだが、マッキントッシュは平然と安価な製品からOPTをはずしてしまっている。つまり高級アンプがOPT付きなのだ。MC2600は、マッキントッシュのフラッグシップモデルの最新ヴァージョンだが、OPTが新設計され、さらに低歪率化とワイドレンジ化が実現した。600W×2のハイパワーアンプとしては信じられないほど繊細で美しくもあり、当然重厚で力に満ちてもいる。しかもすごく安くお買得だ。

レステック Vector, Exponent

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 アンプリファイアー篇」より

 わが国には新しく紹介されるドイツの製品である。ドイツにはこのところきわめてエンスージァスティックなハイエンド・オーディオメーカーの台頭が目立っている。20年ぐらい前までは、プロ機器はともかく、一般用の再生オーディオ機器の分野にはテレフンケンやグルンディッヒのような大きなメーカーの一体型の製品が多く、いわゆるコンポーネントは目につかなかった。この理由として、ドイツ帰りの通と呼ばれる人たちは、どんな小都市にもオペラやコンサートホールがあるドイツではレコードやオーディオは趣味として成り立たないのだと説明してくれたものである。しかし、それは全くの誤りであって、当時ドイツはただ単にオーディオの後進国であっただけである。その証拠に、いまやドイツのハイファイは年々隆盛で、ドイツ製のコンポーネントの種類はメーカーの数とともに年ごとに増大している。わが国への輸入も徐々に増え、スピーカーシステム、アンプリファイアーともにドイツらしい造りのしっかりした高級品が見られる。このレステックというブランドも耳新しいが、製品を見ればその強固な主張と明確なコンセプトが理解できる一級品であって、トータルシステムが構成できる全カテゴリーの製品が用意されている。その一貫したフィロソフィを音として確認するためにはトータルで使用すべきかもしれないが、アンプを独立したコンポーネントとして使ってみても、このメーカーのクォリティへのこだわりと音への主張が理解できるであろう。ヴェクトルもエクスポーネントも一貫してソリッドで磨きぬかれた輝きの質感と、力感に溢れる音のウェイトをもっている。厚く丸く、きりっと締った魅力的な高密度な音である。 その外観の絢爛さはドイツ製品らしさであり、一時代前のメルセデス・ベンツの雰囲気だ。不思議なことだが、他のドイツ製高級アンプと共通のこの重厚なポリュウム感とソリッド感は、ドイツの音の特徴ともいえる個性である。

マッキントッシュ MC7300

菅野沖彦

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 関西方面の言菓に「まったり」というのがある。本誌の編集発行人である原田勲氏から説明を聞くと「まったり」というのはマッキントッシュのアンプの音のようなことを表現する言葉だという。「まったり」という言葉の音調からすると、この言葉を使わない我々関東の人間は、もったり、ねっとり、べったりといった形容詞を連想するが違うようだ。言葉というものは、その意味から発展して、語韻が独自の機能をもつ場合も多いが、どうやらこの「まったり」という語は、「全り」からきたものらしい。言語学者に確かめたわけではないので、素人の推測に過ぎないが、原田氏によると、完全無欠とか、過不足ないといった意味のニュアンスを含むらしいことから、私は勝手にこう考えた。全しという言葉を私は時々使う。たいてい今の若い編集者に『?』をつけられるので、この頃はやめてしまったが、「まったし」とよむこの語は、辞書にちゃんとのっている。手許にある岩波国語辞典には「完全だ」が第一にのっている。第二には「安全だ」。「−・きを得る」と書いてある。しかし「まったり」のほうはのっていない。「まったり」は多分、これを形容詞化した語ではないかと思うのだが……識者のご意見をお聞かせ願えれば幸いである。
 原田勲氏のいう「まったり」なマッキントッシュの音は、古い製品についてのものであったけれど、この最新モデルMC7300パワーアンプの音は、より「まったり」で、「まったし」なのである。300W+300Wのこのパワーアンプは、旧MC7270の後継機として開発されたもので、すでに先行発売されたMC2600とMC7150の中間に位置する同社の中堅機種、いいかえれば代表的な標準モデルといってよいものであろう。MC2205、MC2255、MC7270という系譜の最新モデルであって、6年振りのモデルチェンジということになる。
 新しい改良点は、MC2500〜MC2600への改良点と共通しているもので、主なポイントは、パワーの10%アップ、オートフォーマーの歪のさらなる低減、プリドライヴ回路以降にバランス型のシンメトリック・サーキットの採用、これにともなって、入力にはアンバランスとバランスの2系統が設置され、インプットでインピーダンス変換が行なわれる回路になった。また電源もリファインされ、より低インピーダンス化の徹底と、フラックス対策が施されている。こうした新しいリファインメントによってトータル歪は一桁は確実に低減されている。パワーガードサーキット、カレントリミッターサーキットは従来通りで、いかなる状態においても耳障りなクリッピング歪はスピーカーから聴くことができない。また、いかなる使い方をしても、モトローラ社製TO−3パッケージのCANタイプのトランジスターを±それぞれ5個使用した出力回路はオートフォーマーのガードで安全だし、スピーカーを破損することもない。抜群の信頼性は、まったく従来のマッキントッシュパワーアンプ伝来の特徴といえるであろう。
 MC2500からMC2600への発展で、音質が明るく透明感を増し、従来私の感覚に若干不満を感じさせていた暗さと重さがなくなったことは本誌98号の特集記事中(240頁)で述べたが、このMC7300も、MC7270との変化は傾向として同じだといえるが、その差はより大きい。その音質については冒頭に述べたように「まったり」をさらに高次元で達成したものであるのだが、とにかく不満なところがないというのが正直なところである。実に清々しく、透明で、力強く、濃密なのだ!!
 この大きな矛盾は、常に多くのアンプに存在するものである。つまり、清々しいけれど力感に乏しい……か、透明だが濃密さが物足りない……というアンプが普通である。アンプやスピーカーが、何らかの個体個性をもつ限り、次元のちがいや、程度の差はあっても、こうした傾向はつきものである。それが、このMC7300は、一聴した時には、その通念を超えた印象を与えるアンプなのだ。もちろんオーディオの無限の可能性は、将来さらなる境地の開拓を体験させてくれるであろうが、今、このアンプの音を聴いて表現するとなると「まったし」という言葉を使わずにはいられない。
 外観的にはフルグラスパネルになって、よりマッキントッシュのアイデンティティが強調されたが、反面、カバーで覆われ単調になった全体のイメージが寂しいところもある。しかし、このサイズの中にびっしりつめられた各ブロックのデンシティーは恐るべき高密度で、もはやトランスもコンデンサーも外からは見ることができない。この組み込みで、この透明な音が得られているのが不思議なほどだ。

マランツ PH-1, MA-7A

井上卓也

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 マランツのデジタルプログラムソース時代のコントロールアンプを目指して開発された、DAC1に始まるコンパクトで高級モジュラーシステムともいえるシリーズの製品は、とかく類型的になりがちなコンポーネントアンプのなかにあっては、大変にユニークな存在である。同シリーズのコントロールアンプ、モノーラルパワーアンプ、AC電源のフィルター兼ディストリビューターに続き、フォノイコライザーアンプPH1と、DAC1を組み合せるに相応しいモノーラルパワーアンプMA7の改良モデルが、純A級動作30Wの定格をもつたMA7Aとして同時に発売された。
 フォノイモフィザーアンプPH1は、DAC1と同じ筐体を利用して開発されたモデルだが、世界的にCDがプログラムソースの主流となり、アナログディスクの生産も減少している現在の状況下で開発される、いわば最後のフォノイコライザーアンプであるだけに、非常にユニークな内容をもった新製品である。機能面では、MC型対応に昇圧トランスを採用し、高・低インピーダンス型対応はトランスの一次巻線のタップで対応する設計であり、高純度MC再生を可能とするために、MMとMCは、個別の専用入力端子を備えている。
 フォノイコライザーアンプとしての構成は、レベルの低い低域側をNF型でイコライゼーションを行ない、レベルの高い高域側をCRバッシヴ素子で処理をする構成のNF・CR型設計である。NFイコライザーアンプと送り出しのフラットアンプには、FETパラレルプッシュプルのディスクリートDCサーボアンプを採用している。本機の機能で最大の特徴は、かつてのSPレコードの各種のイコライザー特性に対応可能なSP用イコライザーを3ポジション備えていることで、かろうじてSP用カートリッジが入手可能な現時点においては、非常に適切なコンセプトといえるだろう。
 いっぼうMA7Aは、筐体構造の原型を遠くMA5に置く歴史の長いモノーラルパワーアンプであるが、一時はMA5を2台一つのフロントパネルで結合しSM10として発売していたことを記憶しているファンもあることであろう。ちなみに、このモノーラルアンプを機械的に結合してステレオ構成とする手法は、ソリッドステート初期のマランツ・モデル15/16で採用されたものだ。MA7Aは音質を重視し純A級動作専用の設計であり、30Wの出力は、音質に関係をもつ保護回路が簡単となる利点をもつものだ。
 試聴はPH1、DAC1+MA7Aのラインナップで、カートリッジにオルトフォンのSPU−GOLDを使ったが、まず、印象的なことは実装時のS/Nが大変に高いことである。程よい帯域バランスをもったアナログならではの安堵感とリアリティのある立派な音は駆動力も十分で、聴いていて本当に楽しめるものだ。

エアータイト ATM-3

井上卓也

ステレオサウンド 100号(1991年9月発行)
「注目の新製品を聴く」より

 エアータイトは日本の管球アンプメーカーだが、国内よりむしろヨーロッパ、アメリカなどの海外で知名度が高いユニークな存在である。この度、同社が創立5周年を迎えたことを記念して、同社初のモノーラル管球アンプATM3が発売されることになった。
 同社のパワーアンプは、6CA7をプッシュプルで使うステレオパワーアンプATM1を第1弾製品としてスタートし、続く、第2弾製品ATM2の成果でメーカーとしての基盤を固めた。今回のATM3は、デザイン、内容ともに従来モデルとは一線を画した意欲的なモデルである。
 まず、デザインは、従来のシャーシをベースに出力トランス、電源トランス、コンデンサーや真空管を配置した機能優先の単純明解なタイプから、フロントパネルをもつキュービックなデザインに変った。内部のエレクトロニクスもハイパワー化が図られて、6CA7を3本並列使用するトリプルプッシュプル構成の出力段により100Wのパワーを獲得している。
 この出力段は、出力トランスに中間タップを設け6CA7の2番目の電極であるスクリーングリッドに接続し、NFをかけ出力段の内部抵抗を3極管的に下げながらもパワー的には5極管動作に匹敵する出力が得られる特徴があるUL(ウルトラ・リニア)接続で100Wのパワーを得ている。単純なプッシュプル構成で35〜40Wの出力が得られる6CA7の定格から考えれば、1ペア当たり33・3Wに相当するため余裕のあるオペレーションといえるだろう。
 なお、本機はスイッチ切替でスクリーングリッドをプレートに接続し、3極管接続とすることが可能であるが、この場合はクォリティは上がるが、反面、パワーは低減するため、トリプルプッシュプル構成で55Wが得られることになる。
 この出力段のトリプルプッシュプル構成は、マッキントッシュの管球パワーアンプとして異例の存在であったMC3500に採用されていた設計である。現在、入手可能なパワーチューブとしてスタンダードである6CA7を使って100Wのパワーを得ようとすれば、当然の帰結であり、大出力を得ようとすれば高域特性が劣化しがちな出力トランスにとっては、負荷インピーダンスが、トリプルプッシュプル構成で3分の1と低くなり、一次巻線と二次巻線の巻線比を低くすることが実現でき、一段と高域特性の改善が可能となるメリットをもっているようである。
 3並列使用の出力段の特性はバイアス調整に依存するが、当然、本機は専用メーターにより常時チェックと調整が可能である。
 本機は、ザックリとした線の太い豪放磊落な力強い音を聴かせる。色彩感は薄いが濃淡の鮮やかな音は非常に個性的である。

アポジー Diva + DAX

黒田恭一

ステレオサウンド 96号(1990年9月発行)
「ヴァノーニとの陶酔のひとときのためならぼくはなんだってできる」より

「俺さあ……」
 Fのはなしは、いつも、このひとことからはじまる。
 しかし、問題なのは、その後につづくことばである。いつだって、その後につづくFのことばは、こっちの意表をつく。
「俺さあ……」
 しばらく間があった。
「今夜のミミ、よかったと思うんだよ」
 Fとぼくは、そのとき、ウィーンの国立歌劇場で「ボエーム」をきいた後であった。もともと、その夜のミミには、チェチーリア・ガスディアが予定されていた。しかし、ガスディアが急病ということで、ポーランド出身のソプラノ、ヨアンナ・ボロウスカがミミをうたった。
「そんなによかったかな、あのミミ?」
「うん。よかった。よかったと思う」
 そういいながら、Fは、しきりにうなずいていた。どうやら、Fは、ヨアンナ・ボロウスカの声や歌についてではなく、彼女の容姿についていっているようであった。そんなことがあって後、ぼくは、二日ほどウィーンを離れた。ウィーンに戻ったとき、Fは、こういった。
「俺さあ……、ヨアンナと食事したんだけれど……」
 Fは、ヨアンナを楽屋に訪ね、深紅のバラの花束をとどけた。大いに感激したヨアンナは、Fの招待に応じ、食事をともにした、ということのようであった。ところが、ヘビー・スモーカーであり、おまけにヘビー・ドリンカーでもあるFは、オペラ歌手であるヨアンナを前にして、タバコをすいつづけ、ワインをのみつづけたために、ヨアンナのひんしゅくをかった、ということを、別の筋からきいた。相手がオペラ歌手であるにもかかわらず、煙草をすいつづけるところがFのFならではのところであった。
 Fの「俺さあ……」の後には、どのようなことばがつづくか、予断をゆるさない。Fが「俺さあ……」といったときには、心して耳をすます必要がある。Fは、これはと思えば、ウィーン国立歌劇場の歌い手に花束をとどけ、食事に誘うぐらいのことは、すぐにもやってのけるのである。
 Fは、写真家で、普段は、ウィーンの、もともとは修道院として十六世紀に建てられたという、おそらく由緒があると思える建物に住んでいて、ときどき日本にもどってくる。Fが日本にもどってきたときには、ぼくの部屋で、Fとぼくとの共通の恋人であるオルネラ・ヴァノーニのCDなどをききながら、あれこれ、どうということもないことをはなしながらすごす。
 そのときである。また、「俺さあ……」であった。
「めったに東京にもどってこないしさあ、今の部屋はでかすぎるから、小さな部屋にかわろうと思うんだよ」
 そこまではよかった。そうか、そうか、それもいいだろう、といった感じできいていた。ウィーンで住んでいるところも大きいから、きっと東京のFの住処も馬鹿でかいのであろう、と想像しながら、なま返事をしていた。
「このアポジーさあ、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」
 Fのはなしには、いつでも、飛躍が或る。つまり、エフとしては、このようにいいたかったのである。小さな部屋にかわるにあたっては、チェロのパフォーマンスなどという非常識に大きいパワーアンプが邪魔であるから、お前がつかってみては、どうか。Fがチェロのパフォーマンスをつかっているのは、前にきいたことがあって、しっていた。
 冗談じゃない。あんな、ごろっとしたものを一セットおいておくだけでも、めざわりでしかたがないのに、もう一セットおくなどとんでもない、と思い、適当にうけながしておいた(ご参考までに書いておけば、チェロのパフォーマンスは、幅と奥行がそれぞれ47cm、高さが22cmの本体と電源部が、それぞれ二面ずつで一セットである)。そのとき、ヘビー・ドリンカーのFは、かなり酔ってもいたので、いい案配に、自分がいったことも忘れているであろうと、たかをくくっていた。
 数日して、電話があった。
「おぼえているかな?」
「なにを?」
「アンプのことなんだけれど……」
 そういわれれば、おぼえていない、とはいえなかった。
 そのようにして、ぼくは、自分が愚かなことをしているのを自覚しながら、乱気流のなかにつっこんでいた。
「マルチ」は、オーディオにとびきり熱心なひとがするべきものであって、ぼくのような中途半端なオーディオ・ファンが手をだせば火傷をするのがおちである、と自分にいいきかせていた。したがって、ぼくとしては、これまで、「マルチ」をやっている友だちのはなしをきかされても、ごく冷静にうけとめてきた。
 しかし、今や、「マルチ」を対岸の出来事と思っていることはできなかった。Fのところからチェロのパフォーマンスがもう一セットはこびこまれてくる、という現実を前に、ぼくはすくなからずうろたえ、とるものもとりあえずM1に電話した。このときのM1の電話の対応を、できることなら、おきかせしたいところである。あのとき、M1は、サディスティックな快感に酔っていたにちがいなかったが、けんもほろろに、こういってのけたのである。
「ただアンプを2台(4台か)にしても、さしてよくはなりませんよ。電源のこともあるから、かえって悪くなるかもしれないし……、いずれにしろチェロのパフォーマンスをもう一セットつかえるかどうかアンペア数をチェックしたほうがいいですね」、そういっておいて、憎きM1は、いかにも嬉しそうにクックックと笑った。
「どうすればいい?」
 こっちは、ほとんど、ザラストロの前にひきだされたパミーナのような心境になり、おずおずと尋ねないではいられなかった。
「DAXという、アポジーのためのエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークがあるから、それをつかうんですね」
 ぼくは、それまでの状態で充分に満足していたので、おそらく、「このアポジー、バイアンプでならしてみたらどうかな。そのほうがいい音がすると思うけれど」、といったのがFではなかったら、いささかのためらいもなく断わっていた。しかし、困ったことに、ぼくは、人間としてのFも、Fの仕事も好きであった。それに、それまで自分のつかっていたアンプをぼくにつかわせようと考えたFの気持も、うれしかった。
 これはやっかいなことになったかな、と思いながら、ぼくは、受話器のむこうのM1に、こういった、
「そのDAXという奴をつかうと、どうなるの?」
「音の透明度が格段によくなるんですよ」
 M1のことばは自信にみちていた。
「それでは、それにしてみようか」
「それしかないですね」
 そういって、M1は、また、クックックと笑った。
 その数日後、DAXがとどけられた。そして、ぼくは、ああ、こういう音のきこえ方もあるのか、と思った。そのとき、ぼくの味わった驚きは、それまでに味わったことのないものであった。そして、なるほど、オーディオに深入りしたひとたちの多くが「マルチ」をやるのもわからなくはない、と遅ればせながら、納得した。そうか、そうだったのか、と思いつつ、その日は、窓の外があかるくなるまで、とっかえひっかえ、さまざまなCDやLPをききつづけた。
 いわゆる音の質的な変化であれば、これまでも再三経験してきたから、あらためて驚くまでもなかった。「マルチ」にしたことでの変化は、ただの音の質的な変化にとどまらなかった。基本的なところでの音のきこえかたそのものが、「使用前」と「使用後」では大いにちがった。そのための、そうか、そうだったのか、であった。
「使用前」と「使用後」でちがったちがいのうちのいくつかについて書いてみると、以下のようになる。すでにオーディオに熱心にかかわっている諸兄にあっては先刻ご存じのことと思われるが、駆けだしの素朴な感想としてお読みいただくことにする。
 最初に気づいたのは、音の消えかたであった。
 コンサートなどで、演奏が終ったか終らないか、といったとき、間髪をいれずに、あわてて拍手をするひとがいる。あの類いの、音楽の余韻を楽しむことをしらないひとには関係がないと思われるが、CDなりLPなりをきいていて、もっとも気になることのひとつが、最後の音がひびいた、その後である。もし、そのとききいていたのがピアノのディスクであると、ピアニストがペダルから足を離して、ひびきが微妙にかわるところまできくことができる。
 その部分の微妙な変化が、より一層なまなましく、しかも鮮明になった。ぐーと息をつめてきいていって、最後の音の尻尾の先端を耳がおいかけるときのスリルというか、充実感というか、これは、いわくいいがたい独特の気分である。
 ぼくは、コンサートで音楽をきくのも好きであるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、ひとりでCDやLPをきくのが好きである。その理由のひとつとして、CDやLPでは、望むだけ最後の音の尻尾の先端を耳でおいかけはられることがあげられる。コンサートでは、無法者に邪魔されることが多く、なかなか、そうはいかない。
 したがって、音の消えていくところのきこえかたは、ぼくにとって、まことに重要である。思わず、息をのむ、というのは、いかにもつかいふるされた表現で、いくぶん説得力に欠けるきらいがなくもないが、ぼくは、DAX「使用後」、まず、その点で、息をのんだ。
 そのこととどのように関係するのかわからないが、次に気づいたのは、大きな音のきこえかたであった。
 おそらく、心理的なことも影響してのことであろうが、大きな音は近くに感じる。しかし押し出されすぎる大きな音は゛音としての品位に欠けるように思え、どうしても好きになれない。わがままな望みであることは百も承知で、たとえ大きな音であっても、音と自分とのあいだに充分な距離を確保したい、と思う。むろん、そのために、大きな音が大きな音たりうるためにそなえているエネルギーが欠如してしまっては、それでは、角を矯めて牛を殺す愚行に似て、まったく意味がない。
 あらためてことわるまでもないことかもしれないが、このことは、いわゆる音場感といったこととは別のところでのことである。今ではもう、かなりシンプルな装置でさえ、大太鼓はオーケストラの奥のほうに定位してきこえるようになっている。しかし、多くの装置では、音量をあげるにしたがい、どうしても、楽器や歌い手が、全体的に前にせりだしてきてしまう。
 ぼくは、かならずしも特に大きい音で再生するほうではないが、その音楽の性格によっては、いくぶん大きめの音にすることもある。たとえば、最近発売されたディスクの例でいえば、プレヴィンがウィーン・フィルハーモニーを指揮して録音したリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」(日本フォノグラム/テラーク PHCT5010)などが、そうである。このディスクをききながらも、ひびきは、充分に壮大であってほしいが、押しつけがましく前にせりだしてきてほしくない、と思う。
 しかし、DAX「使用前」には、クライマックスで、どうしても、ひびきが手前のほうにきがちであった。「使用後」には、もうすこし静かに、というのも妙であるが、ひびきが整然としてしかもひとつひとつの音の輪郭がくっきりとした。
 しかし、この頃は、楽しみできくディスクといえば、「アルプス交響曲」のような大編成のシンフォニー・オーケストラによる演奏をおさめたディスクであることは稀で、せいぜいが室内管弦楽団の演奏をおさめたディスクであることが多くなった。俺も、年かな、と思ってみたりするが、大編成のシンフォニー・オーケストラによってもたらされる色彩的なひびきは、音響的にも、心理的にも、どうも家庭内の空間とうまくなじまないようにも感じられる。
 最近、好んできくCDのひとつに、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮して録音したモーつ。るとのディヴェルティメントのディスクがある(ワーナー・パイオニア/エラート WPC3280)。このディスクには、あのK136のディヴェルティメントをはじめとして、四曲のディヴェルティメントがおさめられている。アムステルダム・バロック管弦楽団は、その名称からもあきらかなように、オリジナル楽器による団体である。
 当然、DAX「使用後」にも、このディスクをきいた。特にK136のディヴェルティメントなどは音楽のつくりの簡素な作品であり、また演奏が素晴らしいので、各パート間でのフレーズのうけわたしなども、まるで目にみえるように鮮明にききとれて、楽しさ一入である。しかし、このディスクにおいてもまた、「使用前」と「使用後」では、きこえかたがとてもちがっていた。
 ここでのちがいは、演奏者の数のわかりかたのちがい、とでもいうべきかもしれなかった。「使用前」でも、弦合奏の各パートのおおよその人数は判断できた。しかし、「使用後」になると、わざわざ数えなくても、自然にわかった。むろん、演奏者の顔までわかった、などとほらを吹くつもりはないが、あやうく、そういいたくなるようなきこえかたである、とはいえる。
 ただ、ここで、ひとつおことわりしておくべきことがある。
 今回もまた、前回同様、複合好感をおこなってしまったことである。今回は、アポジーDAXを導入しただけではなく、WADIA2000に若干手をいれてもらった。ぼくのところにあるWADIA2000は、いわゆる「フレンチカーブ」といわれる最初のバージョンのものであったが、それに手をくわえて最新の「ディジマスター/スレッジハンマー」仕様にしてもらった。「フレンチカーブ」と「ディジマスター/スレッジハンマー」では、特に音のなめらかさの点で、かなりのちがいがあるように思えた。ただ、「ディジマスター/スレッジハンマー」より「フレンチカーブ」のほうがいい、というひともいなくはないようであるが、ぼくは、「ディジマスター/スレッジハンマー」のなめらかさに軍配をあげる。
 つまり、ここでいっておきたいのは、これまで書いてきたことは、WADIA2000を「フレンチカーブ」から「ディジマスター/スレッジハンマー」にかえたことも微妙に関係していたかもしれない、ということである。
 これを、幸運というべきか、不幸というべきか、それはよくわからないが、ともかく、これまでずっと、ぼくには、M1に目隠しされたまま手をひかれてきたようなところがあって、いつも、なにがどうなったのか正確には把握できないまま歩いてきてしまった。それで、結果が思わしくなければ、M1を八裂きにしてやるのであるが、残念ながら、というべきか、喜ばしいことに、というべきか、いつも、M1に多大の冠者をしてしまうはめにおちいる。その点で、今回もまた、例外ではなかった。
 そして、もうひとつ、これは、恥をしのんで書いておかなければならないことがある。DAXには、当然のことながら、高音や低音を微妙に調整するためのつまみがついているが、ぼくは、まだ、それらのいずれにも手をふれていない。調整する必要をまったく感じないからである。
 むろん、つまみういろいろ動かせば、それなりに音が変化するであろう、とは思う。しかし、すくなくとも今のぼくは、なにをどう変化させたらいいのか、それがわからないのである。多分、ぼくは、今の段階で、現在の装置のきかせてくれる音を完全には掌握しきれていない、ということである。
 完全なものなどあるはずもないから、現在のぼくの装置にだって、あちこちに破綻もあれば、不足もあるにちがいない。しかし、それが、ぼくにはみえていないのである。このような惚けかたは、どことなく結婚したばかりの男と似ている。彼には、彼の妻となった女のシミやソバカスも、まだみえないのである。彼が奥さんのシミやソバカスがみえるようになるためには、多少の時間が必要かもしれない。シミやソバカスがみえてきたとき、ぼくはDAXのつまみを、あっちにまわしたり、こっちにまわしたりするのかもしれないが、できることなら、そういうことにならないことを祈らずにいられない。
 パフォーマンスのアンプをもう一セットふやし、DAXを導入したことで、今、一番困っているのは熱である。パフォーマンスのアンプにはファンがふたつついている。ということは、アンプのスイッチをいれると、合計八つのファンがまわりだす、ということである。八つのファンからはきだされる熱気は、これはなかなかのものである。普通の大きさのクーラーをかけたぐらいでは、ほとんどききめがない。おまけに、今年の夏はやけに暑い。はやく涼しくなってくれないか、と思いつづけている。
 DAXが設置された日、朝までききつづけていて、最後にきいたのは、「IL GIRO DELMIO MOND/ORNELLA VANONI」(VANI;IA CDS6125)であった。そのときのぼくの気持は、最後に食べるために大好きなご馳走をとっておく子供の気持とほとんどかわりなかった。このアルバムの一曲目である「TU MI RICORDI MILANO」が、まるで朝もやが消えていくかのように、静かにはじまった。音にミラノの香りがあった。「トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ……」、ヴァノーニが軽くうたいだした。この五分間の陶酔のためなら、ぼくはなんだってできる、と思った。
 この音は、どうしてもFにきかせなければいけないな、と思い、翌日、電話をした。Fはすでにウィーンに戻ってしまった後で、電話はつながらなかった。

A&D DA-P9500, DA-A9500

井上卓也

’89NEWコンポーネント(ステレオサウンド別冊・1989年1月発行)
「’89注目新製品徹底解剖 Big Audio Compo」より

 デジタルプログラムソースが主流になった時代背景を反映して、次第にプリメインアンプの分野でも、D/Aコンバーターを内蔵したモデルが確実な歩みで増加をしているが、より一段と趣味性の色濃いセパレート型アンプともなると、D/Aコンバーター内蔵型コントロールアンプとして、現在市販モデルとして存在するのは、早くからコントロールアンプのデジタル化を手がけた、ヤマハCX2000、1モデルのみが現状である。
 A&Dブランドにとり、初めて本格的なセパレート型アンプのジャンルに挑戦するモデルとして登場したモデルが、デジタルコントローラー、DA−P9500とデジタルパワーアンプDA−A9500の2機種で構成される新構想に基づく新デジタル・アンプシステムである。
 従来までのセパレート型アンプの概念から考えれば、デジタルコントロールアンプとデジタルパワーアンプのペアと受け取られやすいが、デジタルコントローラーと呼ばれるようにDA−P9500には増幅系がなく、A/Dと録音系用のD/Aコンバーターとデジタルグラフィックイコライザーを備え、パワーアンプをリモートコントロールする大型リモートコントローラーと考えてよいものだ。
 システムの基本構成はデジタル系を主流とし、カセットデッキに代表されるアナログ系プログラムソースが混在するプログラムソース多様化の現状に、デジタル機器の特徴を最大限に活かしたシステムプランは何かを模索して整理した結果、通常のD/Aコンバーター部を、コントロールアンプ側でなくパワーアンプ側にビルトインすることを決定したことが、新システムのユニークなところだ。
 従来からも、電力を扱うパワーアンプとスピーカー間は、可能な限り短いスピーカーケーブルで結ぶことが理想的であり、業務用モニタースピーカーは現在ではパワーアンプ内蔵型がむしろ標準的とさえなっているようだが、それも業務用の600Ωバランスラインの特徴を利用して、初めて可能となったシステム系なのである。
 デジタル系プログラムソースを前提条件とした場合、業務用600Ωバランスラインを、同軸型もしくは光ケーブルに置き換えたシステムを考えれば、デジタル伝送系ならではの延長をしても音質劣化が理論的にない特徴を一括かして、スピーカー近くのパワーアンプに送り、D/A変換後の信号でパワーアンプをドライブし、その出力を近接したスピーカーに加えることで容易に理想に近づけることが可能、ということになる。
 パワーアンプをスピーカーに近く置き、聴取位置から離すことによる副次的なメリットは、電源トランスのウナリや振動による聴感上でのSN比の劣化が少なく、発熱量が大きい熱源としてのパワーアンプが隔離可能になること。また、スピーカーコードが短いことは、超強力な高周波源であるTVやFM電波に対するアンテナとしての働きが抑えられ、バズ妨害に代表される高周波の干渉を少なくできる利点を併せ持つことにもなる。
 DA−P9500は、外観的には一般のコントロールアンプに表示部を付けたという印象を受けるが、コントロールアンプ的な機能は、ビデオ系、デジタル系、アナログ系それぞれの入力を切り替えるスイッチ機能と3バンドデジタルパラメトリックイコライザーにあり、オーディオ系入力は増幅部を持たないため、そのままスルーの状態でパワーアンプのアナログ入力に送られる。
 2種のコンバーター内蔵の目的は、カセットデッキ、FMチューナー、VCRなどのアナログ系入力をA/D変換してパワーアンプにデジタル伝送を行なうためと、デジタル系のCDやDAT、衛星放送などの信号をD/A変換して、カセットデッキなどに録音するためにある。
 外観上ボリユウムと思われる大型ツマミは、実際には、パワーアンプ部にあるパラレル型ディスクリート構成のボリュウムをデジタルコントロールするためのツマミである。このコントロール用信号は、A&D独自のフォーマットによるAADOT型で、EIAJのデジタルI/Oにも対応し、128×128種類の利用が可能である。
 DA−A9500は、18ビット・リニアゼロクロスD/Aコンバーターを採用。原理的にゼロクロス歪み発生がなく、4D/Aコンバーター構成のL/R、±独立プッシュプル構成で、アナログフィルターのON/OFFが可能である。
 パワー段は、スピーカー駆動時の電流リニアリティに着目した初めてのリニアカレントドライブ回路を採用。電流と電圧フィードバックの巧みな組合せで、パワー段の電源変動を受けにくい利点があり、結果的に電源を10倍強化したことと同等のメリットがあるとのことだ。
 構造面では、電源トランスを筐体から分離独立し専用ペデスタルで支える分離トランス方式の採用が最大の特徴。
 機能面は、単体使用時に入力切替や音量調整をする専用リモコンを標準装備。
 単体使用では素直で力強い駆動能力、音場感情報を豊かに出すパワーアンプは、かなり高水準の完成度を聴かせる。コントローラーを加え、試みにDA、AD、DAと3度変換した音も聴いたが、これがアナログ的な魅力で驚かされた。

パイオニア C-90a, M-90a

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 AVプログラムソースに対応したセパレート型アンプとして企画されたパイオニアのC90、M90のペアは、この種のアンプとして最初に成功を収めた意義深い製品であった。今回、本来の意味で内容が見直され、改良によって第2世代のC90a、M90aとして発売された。
 C90aは、もともとAVソース対応で、かつ高クォリティの音質を狙ったモデルであるだけに、新しく映像系入出力に輝度信号と色信号のY/C分離接続用のS端子を備え、S−VHSやEDベータなどの高画質VTR対応化を図っている。付属のリモコンは、従来の同社用のシステムリモコンから、最大154キーの学習型リモコンに発展し、多数のリモコンを使い分けざるを得ない煩雑さが解消された。
 視覚的には、外観上の変化は少ないように見受けられるが、筐体関係の改良、強化も、高音質が要求されるコントロールアンプでは、重要な部分である。
 筐体のトッププレート部は、C90の板厚1・2mm鉄板から、合計8個の止めネジにより振動が発生しないようにリジッドに止められた板厚1・6mmのアルミ板に改良された。ボトムプレート部もタテ長の通気孔パターンが、パイオニア独自のハニカム型に変わり、ボトムプレートの振動モードをコントロールし、共振を制動している。脚部は、釣り鐘断面状の一般的なタイプから、ハニカム断面に特殊な樹脂を充填した、一段と大型なタイプに変わっている。
 エレクトロニクス系は、ビデオ信号とオーディオ信号の完全分離、独立をポイントとし、①オーディオ左右チャンネルとビデオ系に専用電源トランス採用、②オーディオ部とビデオ部のアース回路を伝わる干渉を避けるためアースの独立化とビデオ系のフローティング化、③オーディオ系とビデオ系の電気的、機械的な飛びつき防止用アイソレーション、④アナログ使用時のビデオ電源オートOFF機能採用などのベーシックな部分を抑えた対策がとられている。
 C90をベースとしたアドバンスモデルだけに、表面に出ないノウハウの投入は、かなりのものと思われる。
 音質最優先設計のために、部品関係はEXCLUSIVEの流れを受継いだ無酸素銅配線材料、黄銅キャップ抵抗、シールデッドコンデンサーなどが全面的に採用されている。アナログオーディオの中心ともいうべきフォノイコライザーアンプには、MC再生のクォリティを保つためハイブリッドMCトランス方式を採用している点も見逃せないポイントである。
 M90aは、外観上のモディファイは、筐体トッププレート部の材料が、鉄板からアルミに変更、取りつけ方法もC90a同様の8本+1本のネジ止め、ボトムプレートの通風孔の形状変更と脚部の大型化、さらにトランスフレーム下側にある5本目の脚は、M90では他の脚と同じタイプが採用されていたが、今回は鋳鉄製で制振効果の高いキャステッドインシュレーターに変わっている。
 電源トランスは、鉄心をバンドで締めるシンプルなタイプから、パイオニア独自の制振構造鋳鉄ケースに収めたキャステッドパワートランスにグレードアップしている。これに伴い、トランスフレームも強度を向上し、電源トランスの振動対策を一段と強化している。また、放熱板のハニカム構造チムニー型化も、パワーステージトータルの振動コントロールを狙ったものだ。
 これらの大幅な改良の結果、重量はM90の20・9kgから28kgと増加した。
 機能面は、コントロール入力の他に2系統のボリュウムコントロールができる入力を備え、CDプレーヤーなどのパワーアンプダイレクト使用が可能など、単体でも使える機能を持つパワーアンプとして開発されたM90の構想を全て受け継いでいる。
 C90aとM90aは、堂々とした押し出しのよいナチュラルな音を持つアンプである。価格的には、高級プリメインアンプとも競合する位置にあり、セパレート型の名を取るか、プリメインアンプならではのまとまりのよい音、という実を取るかで悩むところであるが、このペアは、そんな枠を超えたセパレート型アンプならではの納得のできる音をもつ点が魅力である。
 基本的には、柔らかく、豊かで、幅広いプログラムソースや組合せにフレキシブルに対応を示すパイオニアならではの音を受け継いではいるが、前作の、やや受け身的な意味を含めての良いアンプから、立派なアンプ、大人っぼい充実した内容と十分に説得力のある音を聴かせるアンプに成長している。久し振りの聴きごたえのあるアンプである

ヤマハ CX-2000, MX-2000

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 世界初のデジタルコントロールアンプとして脚光を浴びたCX10000を中心とするヤマハ10000シリーズは、見事なデザインと仕上げ、極限の性能に裏付けられた音質など、ヤマハ創業100周年記念の限定量産モデルとして高い評価を与えられた。今回、既発売のCDプレーヤーCDX2000、D/Aコンバーター内蔵プリメインアンプAX2000に続き、新製品として、デジタルAVコントロールアンプCX2000とパワーアンプMX2000、それにFM/AMチューナーTX2000が加わり、事実上のヤマハオーディオのトップランクを担う2000シリーズのラインナップが完成した。
 CX2000は、時代の要求に応えて、高いクォリティで、デジタル信号処理能力と映像信号処理能力を含め、ピュアオーディオのコントロールアンプとしての性能、音質を追求した新世代のコントロールセンターである。
 デジタル、AV信号も扱うコントロールアンプとして最大のポイントは、高いSN比を維持することにつきるだろう。そのためには、まず筐体関係で高周波や測定器に準ずるレベルで、シールドを施し分離しなければならない。
 全面的に銅メッキを施したフレーム、シャーシは、デジタル部、マイコン部、フォノイコライザー部、電源部、トーンアンプ部とフラットアンプ部を、それぞれ独立したBOXに分割収納する高剛性6BOXシャーシ構造が採用されている。この構造により、耐振性を向上させて、機械的振動による変調ノイズの発生による音質劣化も排除する設計だ。なおデジタル部は、パルス性雑音対策として銅メッキ製トップカバーで全体を覆い、厳重なシールド対策を施している。
 信号系は、MCヘッドアンプ付6ポジション負荷抵抗切替型フォノイコライザー部、高入力レベルのチューナーなどのアナログソース、8倍オーバーサンプリング18ビット・デジタルフィルターと、従来比でSN比を10dB向上した18ビット・ツインD/Aコンバーターを採用したデジタルソース、それにビデオソースの3ブロックで、これらのプログラムソースは、内部配線が短くできる半導体セレクタースイッチ、リモコン対応の4連ボリュウムを通り、20dBのフラットアンプ部に送られる。
 ソースダイレクトスイッチをONとすれば、フラットアンプ出力は、入力に4連ボリュウムの2連を使った0dBバッファーアンプを通り出力端子に送られる。次にスイッチをOFFにすれば、バランス詞整、モード、サブソニック、高・中・低音調整、連続可変ラウドネス調整を経由してバッファー入力に送られる。
 電源部は、デジタル・ビデオ部、アナログ部、マイコン部の独立3電源トランス採用。ビデオ電源は単独にON/OFF可能。デジタル電源は、アナログ入力選択時にデ
ーター復調回路のIC動作をとめる設計である。
 MX2000は、低インピーダンス駆動能力を重視したA級動作のステレオパワーアンプである。
 パワー段は、MX10000で開発されたHCA(双曲線変換増幅)回路により全負荷、全パワー領域でA級動作を可能としたHCA・A級増幅に特徴がある。ちなみに1Ω負荷のA級動作ダイナミックパワー600W+600Wを得ている。
 筐体構造は、銅メッキシャーシとフレーム採用の左右シンメトリー配置で、出力メーターを含むフロントパネル部、電源部、左右パワーアンプ部、電圧アンプ部、それにスピーカーリレー、出力コイルなどを収める出力ブロックの6ブロック構成である。
 注目したい点は、チムニー型ヒートシンクの配置が一般とは逆に内側に置き、パワーアンプ基板と電源トランスの干渉を避けた細心のコンストラクションである。
 電源部は、EI型コアの420VA電源トランスと、低箔倍率φ76mm、20000μF×2電解コンデンサーのペアである。
 CX2000とMX2000のペアは、音の粒子が細かく、滑らかに磨かれており、スムーズに延びたワイドレンジ型の帯域レスポンス、しなやかな表現力などは、従来のヤマハのセパレートアンプにはない、新しい音である。傾向として、十分にエージングに時間をかけたAX2000に近い。
 MC入力時には、ノイズ的な環境の悪いSS試聴室でも十分にSN比が高く保たれ、アナログならではの音が楽しめる。このことは、この種のアンプの重要なチェックポイントだ。
 デジタル入出力時は、光、同軸の差を素直に出し、銘柄、グレードの差が楽しめる。また各種CDのデジタル出力を使い、個々の音が楽しめるのも新しい魅力の展開だ。

エアータイト ATM-2

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 管球式のアンプは、真空管という優れた増幅素子のおかげで、少ない増幅段数でそれなりに優れたアンプを完成することができる。そのため、趣味的な製品をこつこつと手作りでつくるタイプの作り方が、もっとも相応しいように思われる。
 ソリッドステートアンプのように構成部品数が莫大な量になれば、安定度の高いアンプを作るとなれば、生産性を考えなくても、必然的にプリント基板のお世話にならなければならない。けれども、プリント基板そのものが、優れたアンプを作るうえで、音質上での足を引っ張る存在にもなっている。
 一般的にプリント基板の問題点として直流抵抗があげられるが、銅箔の厚みを30ミクロンとしても、パターン幅を6・5mm程度とすれば、φ0・5mmの銅線の断面積と等しくなり、70ミクロンなら3mm強の幅で等価的になるわけで、想像ほどに悪くはないのである。
 むしろ、振動と音質の相関性から考えれば、ある程度の面積があるプリント基板そのものが、内外の振動により共振することのほうが問題であるはずだ。この振動が基板上に取りつけられた多数の部品を動かしたら、かなりのデメリットが出ることが予想されるだろう。この点、管球式なら基板レスの配線は手数をかければ可能であり、充分に厚みがあるベーク板などに配線用ポストを立てて基板的な特徴を活かすことも可能だ。
 エアータイトは、6CA7プッシュプルのATM1を第一弾製品としたメーカーであるが、今回の製品も管球アンプで一世を風靡したメーカーで活躍した実績のあるオーナーの体験を活かした開発によるもの。管球アンプならではの音が楽しめながら、それなりの価格に抑えた製品づくりは、すでにある種の定評を獲得しているように思われる。
 今回第二弾のパワーアンプとして開発されたATM2は、パワーステージにKT88をプッシュブルで採用したステレオ構成の新製品である。フロント側シャーシ前面と背面に2系統の入力端子を備え、入力切替スイッチとボリュウムコントロールで、パワーアンプ単体でも使える最低の機能を持たせ、単独使用ができる基本構成は、ATM1と変わらぬポリシーの現れだ。
 SS試聴室のリファレンスCDプレーヤー、ソニーR1の出力をATM2の前面入力に入れる。試聴前にスタティックには予熱を充分にしてあるが、信号を加えるとダイナミックなウォームアップが始まり、ほぼ30分間もすれば安定状態になり、ATM2本来の音が次第に聴きとれるようになる。
 柔らかく、豊かな雰囲気を管球アンプの音としがちだが、ATM2は、やや線は太いが、力感に裏付けされた押し出しのよい、ざっくりした音を聴かせる。最新アンプの音をナイロン的な滑らかさとすれば、ATM2の音は、いわば麻ならではの粗い質感がたいへん魅力的である。

怪盗M1の挑戦に負けた!

黒田恭一

ステレオサウンド 87号(1988年6月発行)
「怪盗M1の挑戦に負けた!」より

 午後一時二十分に成田到着予定のルフトハンザ・ドイツ航空の701便は、予定より早く一時〇二分に着いた。しかも、ありがたいことに、成田からの道も比較的すいていた。おかげで、家には四時前についた。買いこんだ本をつめこんだために手がちぎれそうに重いトランクを、とりあえず家の中までひきずりこんでおいて、そのまま、ともかくアンプのスイッチをいれておこうと、自分の部屋にいった。
 そのとき、ちょっと胸騒ぎがした。なにゆえの胸騒ぎか? 机の上を、みるともなしにみた。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」
 机の上におかれた紙片には、お世辞にも達筆とはいいかねる、しかしまぎれもなくM1のものとしれる字で、そのように書かれてあった。
 一週間ほど家を留守にしている間に、ぼくの部屋は怪盗M1の一味におそわれたようであった。まるで怪人二十面相が書き残したかのような、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」のひとことは、そのことをものがたっていた。しかし、それにしても、怪盗M1の一味は、ぼくの部屋でなにをしていったというのか?
 ぼくは、あわてて、ラスクのシステムラックにおさめられた機器に目をむけた。なんということだ。プリアンプが、マークレビンソンのML7Lからチェロのアンコールに、そしてCDプレーヤーが、ソニーのCDP557ESD+DAS703ESから同じソニーのCDP-R1+DAS-R1に、変わっていた。
 怪盗M1の奴、やりおったな! と思っても、奴が「どうですか、この音は?」、という音をきかずにいられるはずもなかった。しかし、ぼくは、そこですぐにコンパクトディスクをプレーヤーにセットして音をきくというような素人っぽいことはしなかった。なんといっても相手が怪盗M1である、ここは用心してかからないといけない。
 そのときのぼくは、延々と飛行機にむられてついたばかりであったから、体力的にも感覚的にも大いに疲れていた。そのような状態で微妙な音のちがいが判断できるはずもなかった。このことは、日本からヨーロッパについたときにもあてはまることで、飛行機でヨーロッパの町のいずれかについても、いきなりその晩になにかをきいても、まともにきけるはずがない。それで、ぼくは、いつでも、肝腎のコンサートなりオペラの公演をきくときは、すくなくともその前日には、その町に着いているようにする。そうしないと、せっかくのコンサートやオペラも、充分に味わえないからである。
 今日はやめておこう。ぼくは、はやる気持を懸命におさえて、ついさっきいれたばかりのパワーアンプのスイッチを切った。今夜よく眠って、明日きこう、と思ったからであった。
 おそらく、ぼくは、ここで、チェロのアンコールとソニーのCDP-R1+DAS-R1のきかせた音がどのようなものであったかをご報告する前に、怪盗M1がいかに悪辣非道かをおはなししておくべきであろう。そのためには、すこし時間をさかのぼる必要がある。
 さしあたって、ある時、とさせていただくが、ぼくは、さるレコード店にいた。そのときの目的は、発売されたばかりのCDビデオについて、解説というほどのこともない、集まって下さった方のために、ほんのちょっとおはなしをすることであった。予定の時間よりはやくその店についたので、レコード売場でレコードを買ったり、オーディオ売場で陳列してあるオーディオ機器をながめたりしていた。
 気がついたときに、ぼくは、オーディオ売場の椅子に腰掛けて、スピーカーからきこえてくる音にききいっていた。なんだ、この音は? まず、そう思った。その音は、これまでにどこでどこできいた音とも、ちがっていた。ほとんど薄気味悪いほどきめが細かく、しかもしなやかであった。
 まず、目は、スピーカーにいった。スピーカーは、これまでにもあちこちできいたことのある、したがって、ぼくなりにそのスピーカーのきかせる音の素性を把握しているものであった。それだけにかえって、このスピーカーのきかせるこの音か、と思わずにいられなかった。そうなれば、当然、スピーカーにつながれているコードの先に、目をやるよりなかった。
 スピーカーの背後におかれてあったのは、それまで雑誌にのった写真でしかみたことのない、チェロのパフォーマンスであった。なるほど、これがチェロのパフォーマンスか、といった感じで、いかにも武骨な四つのかたまりにみにいった。
 チェロのパフォーマンスのきかせた音に気持を動かされて、家にもどり、まっさきにぼくがしたのは、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、読むことであった。このパワーアンプのきかせる音に対して、三氏とも、絶賛されていたとはいいがたかった。
 にもかかわらず、チェロのパフォーマンスというパワーアンプへのぼくの好奇心は、いっこうにおとろえなかった。なぜなら、そこで三氏の書かれていることが、ぼくにはその通りだと思えたからであった。しかし、このことには、ほんのちょっと説明が必要であろう。
 幸い、ぼくはこれまでに、菅野さんや長嶋さん、それに山中さんと、ご一緒に仕事をさせていただいたことがあり、お三方のお宅の音をきかせていただいたこともある。そのようなことから、菅野、長島、山中の三氏が、どのような音を好まれるかを、ぼくなりに把握していた。したがって、ぼくは、そのようなお三方の音に対しての好みを頭のすみにおいて、「ステレオサウンド」第八十四号にのっていた、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三といった三氏がチェロのパフォーマンスについてお書きになった文章を、熟読玩味した。その結果、ぼくは、レコード店のオーディオ売場という、アンプの音質を判断するための場所としてはかならずしも条件がととのっているとはいいがたいところできいたぼくのチェロのパフォーマンスに対しての印象が、あながちまちがっていないとわかった。そうか、やはり、そうであったか、というのが、そのときの思いであった。
 ぼくはアクースタットのモデル6というエレクトロスタティック型のユニットによったスピーカーシステムをつかっている。残る問題は、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの、俗にいわれる相性であった。ほんとうのところは、アクースタットのモデル6にチェロのパフォーマンスをつないでならしてみるよりないが、とりあえずは、推測してみるよりなかった。
 そのときのぼくにあったチェロのパフォーマンスについてのデータといえば、レコード店のオーディオ売場でほんの短時間きいたときの記憶と、菅野沖彦、長島達夫、山中敬三の三氏が「ステレオサウンド」にお書きになった文章だけであった。そのふたつのデータをもとに、ぼくは、アクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性を推理した。その結果、この組合せがベストといえるかとうかはわからないとしても、そう見当はずれでもなさそうだ、という結論に達した。
 そこまで、考えたところで、ぼくは、電話器に手をのばし、M1にことの次第をはなした。
「わかりました。それはもう、きいてみるよりしかたがありませんね。」
 いつもの、愛嬌などというもののまるで感じられないぶっきらぼうな口調で、そうとだけいって、M1は電話を切った。それから、一週間もたたないうちに、ぼくのアクースタットのモデル6は、チェロのパフォーマンスにつながれていた。
 ぼくのアクースタットのモデル6とチェロのパフォーマンスの相性の推理は、まんざらはずれてもいなかったようであった。一段ときめ細かくなった音に、ぼくは大いに満足した。そのとき、M1は、意味ありげな声で、こういった。
「高価なアンプですよ。これで、いいんですか? 他のアンプをきいてみなくて、いいんですか?」
 このところやけに仕事がたてこんでいたりして、別のアンプをきくための時間がとりにくかった、ということも多少はあったが、それ以上に、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのモデル6がきかせる、やけにきめが細かくて、しかもふっくらとした、それでいてぐっとおしだしてくるところもある響きに対する満足があまりに大きかったので、ぼくは、M1のことばを無視した。
「ちょっと、ひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」
 M1は、そんな捨てぜりふ風なことを呟きながら、そのときは帰っていった。なにをほざくか、M1めが、と思いつつ、けたたましい音をたてるM1ののった車が遠ざかっていくのを、ぼくは見送った。
 それから、数日して、M1から電話があった。
「久しぶりに、スピーカーの試聴など、どうですか? 箱鳴りのしないスピーカーを集めましたから。」
 きけば、菅野さんや傅さんとご一緒の、スピーカーの試聴ということであった。おふたりのおはなしをうかがえるのは楽しいな、と思った。それに、かねてから気になっていながら、まだきいたことのないアポジーのスピーカーもきかせてもらえるそうであった。そこで、うっかり、ぼくは、怪盗M1が巧妙に仕掛けた罠にひっかかった。むろん、そのときのぼくには、そのことに気づくはずもなかった。
 M1のいうように、このところ久しく、ぼくはオーディオ機器の試聴に参加していなかった。
 オーディオ機器の試聴をするためには、普段とはちょっとちがう耳にしておくことが、すくなくともぼくのようなタイプの人間には必要のようである。もし、日頃の自分の部屋での音のきき方を、いくぶん先の丸くなった2Bの鉛筆で字を書くことにたとえられるとすれば、さまざまな機種を比較試聴するときの音のきき方は、さしずめ先を尖らせた2Hの鉛筆で書くようなものである。つまり、感覚の尖らせ方という点で、試聴室でのきき方はちがってくる。
 そのような経験を、ぼくは、ここしばらくしていなかった。賢明にもM1は、ぼくのその弱点をついたのである。どうやら、彼は、このところ先の丸くなった2Bの鉛筆でしか音をきいていないようだ、そのために、チェロのパフォーマンスにドライブされたアクースタットのもで6の音に、あのように安易に満足したにちがいない、この機会に彼の耳を先の尖った2Hにして、自分の部屋の音を判断させてやろう。M1は、そう考えたにちがいなかった。
 そのようなM1の深謀遠慮に気がつかなかったぼくは、のこのこスピーカー試聴のためにでかけていった。そこでの試聴結果は別項のとおりであるが、ぼくは、我がアクースタットが思いどおりの音をださず、噂のアポジーの素晴らしさに感心させられて、すこごすごと帰ってきた。アクースタットは、セッティング等々でいろいろ微妙だから、いきなりこういうところにはこびこんで音をだしても、いい結果がでるはずがないんだ、などといってはみても、それは、なんとなく出戻りの娘をかばう親父のような感じで、およそ説得力に欠けた。
 音の切れの鋭さとか、鮮明さ、あるいは透明感といった点において、アクースタットがアポジーに一歩ゆずっているのは、いかにアクースタット派を自認するぼくでさえ、認めざるをえなかった。たとえ試聴室のアクースタットのなり方に充分ではないところがあったにしても、やはり、アポジーはアクースタットに較べて一世代新しいスピーカーといわねばならないな、というのが、ぼくの偽らざる感想であった。
 そのときのスピーカーの試聴にのぞんだぼくは、先輩諸兄のほめる新参者のアポジーの正体をみてやろう、と考えていた。つまり、ぼくは、まだきいたことのないスピーカーをきく好奇心につきうごかされて、その場にのぞんだことになる。ところが、悪賢いM1の狙いは、ぼくの好奇心を餌にひきよせ、別のところにあったのである。
 あれこれさまざまなスピーカーの試聴を終えた後のぼくの耳は、かなり2Hよりになっていた。その耳で、ソニーのCDP557ESD+DAS703ES~マークレビンソンのML7L~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6という経路をたどってでてきた音を、きいた。なにか、違うな。まず、そう思った。静寂感とでもいうべきか、ともかくそういう感じのところで、いささかのものたりなさを感じて、ぼくはなんとなく不機嫌になった。
 そのときにきいたのは「夢のあとに~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」(オルフェオ 32CD10106)というディスクであった。このディスクは、このところ、なにかというときいている。オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」をはじめとした選曲が洒落ているうえに、あのクルト・トーマスの息子といわれるウェルナー・トーマスの真摯な演奏が気にいっているからである。録音もまた、わざとらしさのない、大変に趣味のいいものである。
 これまでなら、すーっと音楽にはいっていけたのであるが、そのときはそうはいかなかった。なにか、違うな。音楽をきこうとする気持が、音の段階でひっかかった。本来であれば、響きの薄い部分は、もっとひっそりとしていいのかもしれない。などとも、考えた。そのうちに、イライラしだし、不機嫌になっていった。
 理由の判然としないことで不機嫌になるほど不愉快なこともない。そのときがそうであった。先日までの上機嫌が、嘘のようであったし、自分でも信じられなかった。もんもんとするとは、多分、こういうことをいうにちがいない、とも思った。おそらく昨日まで美人だと思っていた恋人が、今日会ってみたらしわしわのお婆さんになっていても、これほど不機嫌にはならないであろう、と考えたりもした。
 しかし、その頃のぼくは、自分のイライラにつきあっている時間的な余裕がかった。一週間ほどパリにいって、ゴールデン・ウィークの後半を東京で仕事をして、さらにまた一週間ほどウィーンにいかなければならなかった。パリにもウィーンにも、それなりの楽しみが待っているはずではあったが、しわしわのお婆さんになってしまっている自分の部屋の音のことが気がかりであった。幸か不幸か、あたふたしているうちに、時間がすぎていった。
 そして、あれこれあって、ルフトハンザ・ドイツ航空の701便で成田につき、怪盗M1の挑戦状。
「どうですか、この音は? ムフフフフ!」を目にしたことになる。
「ちょっとひっかかるところがあるんだがな。もうすこしローレベルが透明になってもいいんだがな。」、と捨てぜりふ風なことを呟きながら一度は帰ったM1の、「どうですか、この音は? ムフフフフ!」、であった。ここは、やはり、どうしたって、褌をしめなおし、耳を2Hにし、かくごしてきく必要があった。
 翌日、朝、起きると同時にパワーアンプのスイッチをいれ、それから、おもむろに朝食をとり、頃合をみはからって、自分の部屋におりていった。
 ぼくには、これといった特定の、いわゆるオーディオ・チェック用のコンパクトディスクがない。そのとき気にいっている、したがってきく頻度の高いディスクが、そのときそのときで音質判定用のディスクになる。したがって、そのときに最初にかけたのも、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」であった。
 ぼくは、絶句した。M1に負けた、と思った。
 スピーカーの試聴の後で、菅野さんや傅さんとお話ししていて、ぼくは自分で思っていた以上に、スピーカーからきこえる響きのきめ細かさにこだわっているのがわかった。もともとぼくの音に対する嗜好にそういう面があったのか、それとも、人並みに経験をつんで、そのような音にひかれるようになったのかはわかりかねるが、そのとき、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6で、「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」をきいて、ぼくは、これが究極のコンポーネントだ、と思った。
 また、しばらくたてば、スピーカーは、アクースタットのモデル6より、アポジーの方がいいのではないか、と考えたりしないともかぎらないので、ことばのいきおいで、究極のコンポーネントなどといってしまうと、後で後悔するのはわかっていた。にもかかわらず、ぼくはソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた「夢のあと~ヴィルトゥオーゾ・チェロ/ウェルナー・トーマス」に、夢見心地になり、そのように考えないではいられなかった。
 ぼくのオーディオ経験はごくかぎられたものでしかないので、このようなことをいっても、ほとんどなんの意味もないのであるが、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6できいた音は、ぼくがこれまでに再生装置できいた最高の音であった。響きは、かぎりなく透明であったにもかかわらず、充分に暖かく、非人間的な感じからは遠かった。
 静けさの表現がいい、などといういい方は、オーディオ機器のきかせる音をいうためのことばとして、いくぶんひとりよがりではあるが、そのときの音に感じたのは、そういうことであった。すべての音は、楽音が楽音たりうるための充分な力をそなえながら、しかし、静かに響いた。過度な強調も、暑苦しい押しつけがましさも、そこにはまったくなかった。
 ぼくは、気にいりのディスクをとっかえひっかえかけては、そのたびに驚嘆に声をあげないではいられなかった。そうか、ここではこういう音の動きがあったのか、と思い、この楽器はこんな表情でうたっていたのか、と考えながら、それまでそのディスクからききとれなかったもののあまりの多さに驚かないではいられなかった。誤解のないようにつけくわえておくが、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音にふれて、そこできけた楽器や人声の描写力に驚いたのではなく、そこで奏でられている音楽を表現する力に驚いたのである。
 したがって、そこでのぼくの驚きは、オーディオの、微妙で、しかも根源的な、だからこそ興味深い本質にかかわっていたかもしれなかった。オーディオ機器は、多分、自己の存在を希薄にすればするほど音楽を表現する力をましていくというところでなりたっている。スピーカーが、あるいはアンプが、どうだ、他の音をきいてみろ、と主張するかぎり、音楽はききてから遠のく。つまり、ぼくは、ソニーのCDP-R1+DAS-R1~チェロのアンコール~チェロのパフォーマンス~アクースタットのモデル6のきかせる音をきいて感動しながら、そこでオーディオ機器として機能していたプレーヤーやアンプやスピーカーのことを、ほとんど忘れられた。そこに、このコンポーネントの凄さがあった。
 こうなれば、もう、ひっこみがつかなかった。まんまと落とし穴に落ちたようで、癪にはさわったが、ここは、どうしたってM1に電話をかけずにいられなかった。目的は、あらためていうまでもないが、留守の間においていかれたソニーのCDP-R1+DAS-R1とチェロのアンコールを買いたい、というためであった。
「ソニーのCDP-R1+DAS-R1はともかく、チェロのアンコールはご注文には応じられませんね。」
 M1は、とりつく島もない口調で、そういった。
 M1の説明によると、チェロのアンコールの輸入元は、すでにかなりの注文をかかえていて、生産がまにあわないために、注文主に待ってもらっている状態だという。ぼくの部屋におかれてあったものは、輸入元の行為で短期間借りたものとのことであった。事実、ぼくがチェロのアンコールをきいたのは、ほんの一日だけであった。その翌日の朝、薄ら笑いをうかべたM1が現れ、いそいそとチェロのアンコールを持ち去った。
「いつ頃、手にはいるかな?」
 M1を玄関までおくってでたぼくは、心ならずも、嘆願口調になって、そう尋ねないではいられなかった。
「かなり先になるんじゃないですか。」
 必要最少限のことしかしゃべらないのがM1の流儀である。長いつきあいなので、その程度のことはわかっている。しかし、ここはやはり、なぐさめのことばのひとつもほしいところてあったが、M1は、余計なことはなにひとついわず、けたたましい騒音を発する車にのって帰っていった。
 しかし、ソニーのCDP-R1+DAS-R1は、残った。プリアンプをマークレビンソンにもどし、またいろいろなディスクをきいてみた。
 ソニーのCDP-R1+DAS-R1がどのようなよさをもっているのか、それを判断するのは、ちょっと難しかった。これは、束の間といえども大変化を経験した後で、小変化の幅を測定しようとするようなものであるから、耳の尺度が混乱しがちであった。一度は、M1の策略で、プリアンプとCDプレーヤーが一気にとりかえられ、その後、CDプレーヤーだけが残ったわけであるから、一歩ずつステップを踏んでの変化であれば容易にわかることでも、そういえば以前の音はこうだったから、といった感じで考えなければならなかった。
 しかし、それとても、できないことではなかった。これまでもしばしばきいてきたディスクをききかえしているうちに、ソニーのCDP-R1+DAS-R1の姿が次第にみえてきた。
 以前のCDプレーヤーとは、やはり、さまざまな面で大いにちがっていた。まず、音の力の提示のしかたで、以前のCDプレーヤーにはいくぶんひよわなところがあったが、CDP-R1+DAS-R1の音は、そこでの音楽が求める力を充分に示しえていた。そして、もうひとつ、高い方の音のなめらかさということでも、CDP-R1+DAS-R1のきかせかたは、以前のものと、ほとんど比較にならないほど素晴らしかった。しかし、もし、響きのコクというようなことがいえるのであれば、その点こそが、以前のCDプレーヤーできいた音とCDP-R1+DAS-R1できける音とでもっともちがうところといえるように思えた。
 なるほど、これなら、みんなが絶賛するはずだ、とCDP-R1+DAS-R1できける音に耳をすませながら、ぼくは、同時に、引き算の結果で、マークレビンソンのML7Lの限界にも気づきはじめていた。はたして、M1は、そこまで読んだ後に、ぼくを罠にかけたのかどうかはわかりかねるが、いずれにしろ、ぼくは、今、ほんの一瞬、可愛いパパゲーナに会わされただけで、すぐに引き離されたパパゲーノのような気持で、M1になぞってつくった少し太めの藁人形に、日夜、釘を打ちつづけている。

パイオニア Exclusive M5

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

雰囲気のよい音と、スムーズに伸びたナチュラルなレスポンスをもつアンプだ。今回の試聴では、従来の穏やかで安定感はあるが、軽さ、反応の早さが不足気味な点が明瞭に改善され、軽い濃やかな表現が聴き取れるようになった。音の粒子は適度に細く滑らかで、サラッとした、素直で気持ちのよい音を聴かせる。プログラムソースとの対応は自然で、ややリアリティを欠くが、伸びがあり、キレイな音だ。ウォームアップは穏やかで差は少ない。

音質:87
魅力度:93

50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円以上100万円未満の価格帯のパワーアンプ15機種のパーソナルテスト」より

 50万円以上100万円未満のパワーアンプの試聴テストの基本的な試聴条件は、50万円未満のパワーアンプと同じであるが、価格に応じた性能、音質の向上に対応する目的で、一部変更を加えている。
 試聴用スピーカーは、前述のとおりにブックシェルフ型のダイヤトーンDS3000からフロアー型のDS5000に変更して、一段と情報量の豊かなモニターリングができるようにしている。
 計測上の周波数レスポンスに代表される特性は、一般的な観念からすれば、両者の間にそれほどの差はないが、ウーファーユニットの大口径化に伴うエンクロージュアの容積増加と、低域レスポンスのエンベローブが変わるバスレフ方式の採用による聴感上での低域の変化は、音色、質感、音場感再現能力など、全面的に影響を与えることになる。DS3000と比較してDS5000の最大のポイントは、ローレベル再生でのナチュラルさと、スケール感の豊かさといったフロアー型システムならではの魅力をもったところである。
 次に変えたところはアッテネーターである。試聴するパワーアンプが、50万円未満の製品に比べ、質的、量的に内容が向上してくると、アッテネーターにも、ややキャラクターを抑え気味のタイプを使ったほうが、アンプ自体の内容を聴き取る目的にふさわしいように思われる。
 アッテネーターには、カウンターポイントSA121stを使う。この製品は、本誌別冊のCDプレーヤー特集などでも使われたものだが、比較的キャラクターが少なく素直な音が得やすい。しかし、中域の一部に一種の明快さと関連性のある、少し乾いた音をもつために、今回使ったものは編集部で少し手を加えて、ほぼキャラクターのない音としている。
 このナチュラルさと引き替えに、伸びやかさ、反応の早さ、音の鮮度感など、音楽を楽しむために重要な要素が若干抑えられているが、試聴用としてはむしろ好ましいといえる。また、コントロールアンプを使わない、ダイレクトにCDプレーヤーの出力をパワーアンプに送る今回の試聴条件では、この程度のハンディキャップで本来の音質が発揮できないようでは、少なくとも、この価格帯のパワーアンプとしては失格であると思う。
 アッテネーターの変更とともに、試聴方法も一部変更して、アッテネーターを使わずにダイレクトにCDプレーヤーの出力をパワーアンプに送りこんでも、試聴している。
 そのための試聴ディスクは、ほぼ試聴に相応しい再生音量レベルを確保し、しかもローレベルから、かなりのレベルまでのダイナミックレンジを広くとって、パワーアンプの音をチェックするために、録音レベルがちょうどよいものを選択しなければならない。それに加えて、一枚のディスクのなかで数箇所の音のチェックをしやすい部分があり、音場感的にも素直な録音のものが必要である。
 選んだディスクは、インバル指揮、フランクフルト放響のマーラーの交響曲第4番(デンオンレーベルの一枚)である。録音系がシンプルであり、その部分でのノイズが少なく、物理的に素直な方式といえるワンポイント録音を採用しているために、オーディオ的なチェックをするために好適なディスクである。
 一般的な試聴を終えてから、テスト用のCDを交換しながら使った第2のソニーCDP555ESDに、このディスクをセットして、ダイレクトにパワーアンプをドライブしている。なお、ディスクの出し入れに伴う音質変化は、2、3度出し入れを行って平均化してある。CDプレーヤーからパワーアンプへのRCAピンコードは、共通に使ったオーディオテクニカ製PCOCCコードである。
 使用スピーカーとアッテネーターが変わったため、試聴室内のセッティングは、リファレンス用アンプにアキュフェーズP500を使い、主にスピーカー側のセッティングによりサイドチューニングを行った。基本的な条件は、音質チェック用を目的としているため、わずかに抑え気味とし、とくに高域での聴感上のSN比を高くするために、細部の追い込みをしている。
 試聴メモ、音質と魅力度の採点項目については、50万円未満と同じである。この二つの価格帯の試聴では、試聴用スピーカーとアッテネーターを変えているが、前述のように、かなりの数のアンプはスピーカーをDS5000にかえて重ねて試聴しているため、採点でのリファレンスレベルはかなり高いはずだ。
 結果として、音質が80〜87点、魅力度で82〜93点と数字的には差は少ない。
 音質面で、基本的に望まれることは、50万円未満の価格帯のパワーアンプとは異なり、スピーカーをドライブするパワーアンプとして、音の純度は高いが高域に偏った帯域バランスであるとか、パワー感はあるが高域の濃やかさ、伸びが足りないといったレベルでは、もはや通用しない世界だ。かなり総合的なバランスの良さが、音質面で要求されることになる。
 平均的に、このクラスの価格帯のパワーアンプでは、筐体の外形寸法も大きく、重量面でも50kgに達するヘビーウェイトである。そのため、設置場所の床の状態や構造、スピーカーとの相対的位置による音響的、機械的な振動による音の変化、100V交流電源の給電方法など、何が変化しても、音はそれに応じて予想以上に変化することになる。
 今回の試聴では、一般的なパワーアンプの使われるであろう条件よりも、充分に注意を払った使用条件を設定してあり、個別の細かいセッティング直しも行っている。いわば、あるレベル以上の音質が得られて当然、という条件でのチェックであるだけに、音質の採点は抑え気味にしてある。
 50万円以上100万円未満の価格帯になると、いわゆるモノーラル構成の左右独立した筐体をもつ製品が増加している。電気的にも、機械的にも、左右チャンネルが独立した構成は、一般的に内容が同等である場合においても、ステレオ構成と比較して、音場感情報が豊かになり、音の純度や分解能の高い音が得られやすい。いわゆる音場感や、奥行き方向のパースペクティブや、高さ方向のディフィニションのよさが本質的に得られやすいタイプといえる。
 しかし、筐体が独立しているということは、リスニングルーム内で、前述のように機械的、音響的に同じ条件に設置することが難しくなり、その点は、注意すべきだ。
 また、電気的にも電源コードが左右2本あり、同じ壁のコンセントからダイレクトに取ったとしても、コンセントの構造面で、左右共通の条件は電
気的に存在せず、左右チャンネルの差し込みを変えると音場感、音質は、それなりに誰にでも判断できるレベルで変化する。テーブルタップを使う場合でも同様なことは起きやすく、左右どちらのチャンネルの電源コードを先に差し込むか──つまりテーブルタップのコードに近い方か、遠い方かの問題であるが──これによっても音は変化を示すことになる。
 この電源コード関係の複雑化は、デジタルとアナログ用に別系統の電源コードを備えたコントロールアンプや、ステレオ構成で左右チャンネル独立の電源コードを備えたパワーアンプ、モノ構成で、+側と−側独立電源コード採用のパワーアンプの出現など、今後、実際の使用上で、かなり重要なポイントになりそうな部分である。
 魅力度の採点は、音の魅力もさることながら、筐体関係のデザイン、構造、材料の選択から加工精度をはじめ、入出力端子、メーター関係などの要点も重要なチェック項目であり、音質の魅力度のみと限定されたとしても、パワーアンプらしいデザインや姿、形は音の魅力と表裏一体のものであり、それらの影響なしに音を判断することは、むしろ至難の業というべきだろう。
 現代のオーディオ機器は、性能が向上しているだけに、いわゆるエージングやウォームアップによる音の変化が認められる。とくにハイパワーを扱うパワーアンプでは、熱容量が大きく、半導体そのものの性能が、温度と直接的に関係をもつために、電源スイッチ投入後の音の変化は、当然といってもよく、短くても1時間、とくに長い場合には、約1日という時間が、安定化するために必要なことを経験している。この電源スイッチを入れてから音が安定するまでの変化を、ここではウォームアップという表現を使っている。
 今回の試聴では、各パワーアンプは試聴前に3時間ほど電源スイッチをいれておき、抵抗を負荷としたダミーロードを使って音楽信号により約30分間のウォームアップを行い対処しているが、実際にスピーカーシステムを負荷として試聴をはじめると、再びダイナミックな意味でのウォームアップが明瞭に聴きとれるモデルが、このクラスではかなり存在している。
 パワーアンプでは、温度の変化に対応して、パワー段のバイアス電流に代表される電流のコントロールをするために、温度検出用のディバイスを使っている。パワーステージのヒートシンクの温度が上昇すれば、流れている電流を減らして温度を下げる働きを感熱素子がしているわけだが、この感度が高ければ、音への影響が直接的になりすぎるし、感度が低ければ、音の変化は緩やかになる。この変化に注意すると、聴感上でのかなりのバランス変化として聴きとれるものであることがわかる。言葉で表現すれば、適度の感度になるように感熱素子の位置決めをしてコントロールすればよいのだが、現実的にはかなり困難な問題である。それに、この辺かを当然のものとして軽視するか、問題点として認識し解決策を施すかは、いわば設計者の認識と感性の問題であることが多く、ヒアリングチェックする側でも同様に、この音の変化を認識し、問題提起としてフィードバックが充分に行われているかどうか様々のようである。
 現実に、試聴をしたパワーアンプのなかには、明快で粒子が粗く固い音から、低域から中低域に豊かさが加わり、音の粒子も滑らかで安定感のある音という例のように、変化量の代償、時間的な差こそあれ、一方通行的な変化を示すタイプが一般的である。なかには、感熱素子の動作が遅く、対面通行的にハンティングを繰り返しながら収まるモデルもあったが、それらは熱安定度の悪いアンプで、優れた音質は期待できるわけはない。また、数枚のディスクを使う程度の時間では、本来の都民質が得られるまでウォームアップをしていない製品もあるはずである。しかし、電源スイッチ投入後、合計して約4時間が経過しても、まだウォームアップ不足というのは、基本的に設計の欠陥と判断するほかない。
 ウォームアップと同様に、エージングという表現をしている部分は、オーディオ機器での、メインテナンスも含む問題による、一種の音の劣化と考えていただきたい。しばらく使っていないアンプなどでは、電源スイッチを入れて音を聴いてみると、予想以上に生彩を欠く貧相な音に驚かされることがよくあるであろう。平均的な音楽を聴くという使用頻度からすれば、設置してあった期間にもよるが、早くても数日かかるし、1年近く使っていない場合には、約1ヵ月は音が回復せず、場合によっては、らしい音に戻らないケースも往々にしてあるようである。厳密に音質をチェックする目的で、再現性を重視した条件でのセッティングをした試聴室などでは、一週間程度の使わない期間があれば、エレクトロニクス系のCDプレーヤーやアンプはもとより、スピーカーシステム、ルームアコースティックにいたる状態の変化が、音の変化となり、約半日はリファレンスレベルの音にならない例は、よく経験することである。エレクトロニクス関係のコンポーネントでは、電力扱うだけにパワーアンプで、この影響が大きい。メインテナンスの意味を含めてチェックされ、エージングされたアンプと、長期間にわたり、ほとんど使用されず倉庫などに眠っていたものをメインテナンスぬきで使ったものとの差は、想像以上に格差があり、活き活きとした反応の早い音と寝起きの悪い、ザラついた貧相な音といった程度の差は充分にある。
 今回は、パワーアンプの試聴がテーマであるだけに、各試聴用パワーアンプは、本来の性能、音質を発揮できるような状態で用意されたものと信じたいが、試聴後の実感としては、エージング不足のモデルがかなり存在していたようである。海外製品では流通面の制約もあり、この問題は或る程度不可避と考えてよいだろう。しかし、国内製品では、許されることではないだろう。最新モデルについては、使い込み不足の、一種の角ばった若さ、粗さが音に出ることはやむを得ない。しかし、既に製品として安定度を増しているはずの既発売のモデルについては、各メーカーには完全なメインテナンス上での管理体制が存在しているはずなので、なおエージング不足が聴きとれるのは、製品管理の問題か、少なくともパワーアンプに対する認識不足の現れである。高級オーディオが見直されだしている昨今の傾向も加味すれば、良い状態で自社製品の音を聴かせる条件の欠如として、考え直してほしいところである。
 50万円以上100万円未満のパワーアンプから受けた印象は、日常生活的な価値感からすれば、価格も高価格なものであるだけ
に、一種の本格的なイメージをもつモデルが多い。また、国内製品、海外製品ともに、ブランドバリエーションもそれなりに豊かであり、一部を除いてはパワーハンドリング面でも充分なものがあるようだ。これ以上の定格パワーをもつパワーアンプでは、現在の電力事情では消費電力の変化が大きく、場合によれば専用の電源ラインを設置しないと、本来の性能が発揮できない例も多い。そのため、単純なパワー志向は、むしろ音質の劣化を招きかねない。
 性能、音質の向上に伴いパワーアンプは大型化の傾向を示すが、その結果、振動面での、音質を阻害する要因はむしろ増大しがちである。
 パワーアンプは、コンポーネントのなかで、もっとも振動の発生が多いジャンルである。大電力を扱うだけに電源トランスの容量は大きくなり、スタティックにもトランスは電源周波数でうなるものであり、電力消費がオーディオ信号の強弱により変化をすれば、うなりも増減し、過度的な場合には身震いに似た、ガクンという振動を発生することもある。またヒートシンクと並列使用されることが多いパワートランジスターは、一種の音叉と共鳴箱の関係にあり、かなり鳴きやすい構造になっている。
 この2種類の振動発生源を収納する筐体は、重量物を扱うだけに、構造、材質面で、これで充分という明快な尺度はなく、重く、硬いという振動的に不利な条件を多く持っており、この部分での対策を施したと考えられる製品は、皆無に等しい。けれども、筐体を支える脚の数を平均的な4個から増加させ、設置上の問題をクリアーしようとした製品が増加しており、この部分での変化が、筐体構造全般を見直す糸口となることに期待したい。
 機能面では、業務用に準じたバランス型入力を備えるモデルが増加傾向である。業務用的意味あいではなくとも、電子スモッグに代表される空間や電源の汚染が進行している昨今では、オーディオ機器感の接続にバランスラインを採用するメリットは予想外に大きく、音質劣化への一種の歯止めとして考えるべきことである。
 バランス入力採用のメリットを延長すれば、D/Aコンバーターをビルトインするためにも、パワーアンプはスピーカーにもっとも近く、最適の部分であろう。石英系の光ファイバーを使った光系と同軸型の2種類のディジタル入力と、バランスとアンバランスの2種類のアナログ入力を備え、リモートコントロールで音量調整を可能としたパワーアンプは、振動面、電磁波輻射面、さらに発熱の問題を含み、リスニングポジションから離れたスピーカー近くに設置できるようになり、スピーカーとの接続ケーブルも短くなり、そのメリットは大きいはずである。
 試聴の結果、印象に残った特徴的なモデルをあげると、まずアキュフェーズP500とクレルKSA50MK2である。ともに、充分にコントロールされた、スムーズでしなやかな音を聴かせリファレンス的に使えるナチュラルな性格を特徴とする。音質的な洗練度とスケール感はアキュフェーズ、ややスケールは小さいが、ミネラルウォーター的な味わいはクレルのものである。
 ヤマハMX10000とパイオニア エクスクルーシヴM5は、開発年代はかなり異なるが、資質的にはかなりのものがあり、前者しなやかさをもった安定感、豊かさの魅力と、後者の現代的な明解さをもつ魅力は、外観上のデザイン、仕上がりを含め、それぞれにふさわしい。現状では、それぞれに未開発の部分を残しているが、今後にかなりの期待がもてる製品である。
 マッキントッシュMC7270とカウンターポイントSA20は、出力トランス採用と管球・半導体ハイブリッド構成という内容的な個性をベースとして、よい意味でのアメリカのアンプならではの個性的な魅力をもつ製品である。音質的には、それぞれに油絵的な性質ではあるが、華やかで明るい色彩感の豊かさと、明度、彩度を抑えたパステルトーンの滑らかさに似た対比は、国内製品に望みえない特徴である。
 サンスイB2301Lは、BTL方式とは似て非なるバランス型出力をもつユニークな製品であるが、旧B2301の押し出しのよい豪快な音から、Lに変わり、質的には向上したが、反応が穏やかに過ぎた印象があった。しかし今回試聴した印象では、中域から高域の純度が向上し、かなりナチュラルな反応を示すアンプになっている様子である。表現を変えれば、バランス出力型のメリットが音に出てきた、いえるであろう。ただしウォームアップでの音の変化は明瞭で、改善を望みたい。
 ウエスギUTY5は、モノ構成の管球パワーアンプとして、時間をかけて作りこまれており、部品の選択、配線の美しさなど、仕上げも見事であり、現在の管球アンプ中では、群を抜いた完成度の高さがある。音質面では、スムーズでよく磨かれた音をもち、適度に鮮度感もあり、精緻な水彩画を思わせる雰囲気は、誰しも認めざるを得ない領域に達しているように思われる。
 その他、QUAD510、スレッショルドSA/3、スイスフィジックス♯4などは、パワーハンドリング面での筐体構造上で有利に働き、海外製品として音の純度もそれなりに高く、特徴を引き出すセッティングを行えば、充分期待に応えてくれるアンプであると思う。

オンキョー Integra M-508

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

しなやかで、独特の粘りのある傾向をもつ音である。音の粒子は、細く磨かれており、プログラムソースの細部を素直に見せるだけのクォリティの高さをもっている。バランス的にはやや中域の薄さがあり、音像は小さく少し距離感を持って奥に定位する。木管合奏は適度にハモリと濃やかさがあり、サロン風なまとまりとなる、ビル・エバンスは、少し現代的にすぎ、古さが出ず、それらしくないようだ。

音質:80
魅力度:83

ハーマンカードン Citation 22

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

柔らかい低域に、やや硬質な中域から中高域がバランスした個性型の音である。1曲目のヴォーカルは、子音の強調感があり、音像も少し大きい。木管合奏では全体にメタリックさが残り、ハーモニーが薄いが、雰囲気はそれなりにまとまる。テクノポップスでは、まずるつずのまとまりだ。全体に低域の質感が甘く、力強さが不足気味になったのは、アッテネーターの硬調な傾向が上乗せになったようだ。

音質:72
魅力度:76

リン LK2-75

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

独特の個性の強い明快な音をもつアンプだ。帯域バランスは、ややナローレンジ型で、中域から中高域に特徴的な硬質のキャラクターがあり、これが、プログラムソースを、このアンプの音として聴かせるために働いている。全体に、硬質に、スケールを小さくして聴かせるが、バランスよくまとめる能力は抜群で、入出力は変化しても納得できる音である点は、良い意味でのカセットデッキ的な一種の魅力。

音質:71
魅力度:79