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ロジャース PM510

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 LS3/5Aは英国BBC現用の最も小さいモニタースピーカーだが、同じシリーズで最も大きいのがLS5/8。これにはバイアンプドライブのパワーアンプシステム(QUAD製)が附属しているが、それを、普通のLCネットワークに代えて、扱いやすくしたのがPM510。クラシック全般、中でも弦合奏やオペラ等の音や声の音色や音場の自然さ、美しさ、という点で、いまのところ頂点のひとつにあるスピーカーと言ってよい。

ロジャース PM510, PM410, PM210, PM110SII

ロジャースのスピーカーシステムPM510、PM410、PM210、PM110SIIの広告(輸入元:オーデックス)
(オーディオアクセサリー 21号掲載)

PM510

BBCモニター・スピーカーの系譜

瀬川冬樹

別冊FM fan No.28(1980年12月発行)
「BBCモニター・スピーカーの系譜」より

BBCモニターとは
 イギリスにBBC(BRITISH BROADCASTING CORPORATION)という世界的に有名な放送局がある。このBBCは数ある世界中の放送局の中でも、音質をよくするということでは、昔からたいへん熱心な放送局で、局内で使う放送用機材について、BBCが独自にもっている技術研究所で、いろいろと研究を続けている。
 その中の一つとしてモニター・スピーカーの研究が、世界の〝知る人ぞ知る〟大変重要な研究テーマとなっている。
 数ある放送局の中でも、放送局の内部で使うモニター・スピーカーについて、独自の研究をしているところというのは、まず私が知るかぎりでは、BBCのみである。あるいはBBCの研究にヒントを得た形かと思うが、日本のNHKが独自のモニター・スピーカーを使っている。またドイツの放送局でも、独自に開発したスピーカーを使ってはいるが、BBCほど組織的かつ継続的に一つのスピーカーを地道に改良している放送局はほかに知らない。
 この場合のモニター・スピーカーというのは、いうまでもなく、放送局で放送プログラムを制作する過程で、あるミキシングルーム…プログラムを制作する部屋で、マイクが拾った音、あるいはテープで作っていく音を、技術者たちが聴き分け、そしてその音をたよりにして放送の質を改善していこうという、いわば、エンジニア達の耳の延長ともいえる。非常に重要な道具である。
 しかし、モニター・スピーカーという言葉を、読者は、いろいろな場所で耳にすると思うが、事実いろいろなモニター・スピーカーがある。たとえばレコード会社でレコードを作るためのモニター、あるいはホールの講演会などのモニター、プログラムの制作者がその制作の途中で音をチェックするためのモニターなど、すべてモニター・スピーカーと呼ぶ。

BBCとモニター開発の歴史
 このBBCのモニターに関しては、BBC放送局の厳格なモニター・スピーカーに対する基準がある。それは出来る限り〝自然な音〟であり、〝スピーカーから再生されているということをなるべく意識させない音〟これがBBCの唯一の研究テーマである。BBC放送局はこのモニター・スピーカーの研究をかなり古い時期、私が知る限り、一九五〇年代あるいはそれ以前から着手している。少なくともBBCがモニター・スピーカーを研究しようというきっかけを作った論文までさかのぼると、なんと一九四五年、昭和二十年までさかのぼることができる。
 これはちょっと余談になるが、BBCで定期的に刊行している「BBCクオータリー」という本があるが、BBCのスピーカー担当の専任技術者であるショーターという人の論文が、なんと一九四五年のBBCクオータリーに載っている。一九四五年というと、日本が第二次世界大戦に敗れた年である。
 やがてこのショーターがBBCのモニター・スピーカー開発のチーフに選ばれて、具体的なスピーカー作りに着手し、これを完成したのが、一九五五年。そしてこれが製品の形をとり、完全な形で発表されたのが一九五八年(昭和三十三年)で、偶然にもレコードがステレオ化された年である。
 発表されたといっても、BBCの放送局の内部で使われるためのスピーカーであるため、一般市販はされなかった。またBBCは当時スピーカーを製造する設備、技術は持たなかったので、実際の製造を担当したのが、現在イギリスのKEFというブランドで知られている会社の現社長であるレイモンド・クックというエンジニアが協力して、製造を担当した。
 レイモンド・クックとショーターという二人の大変優れたエンジニアをチーフにして、BBCの最初のモニター・スピーカー〝LS5/1〟というスピーカーが完成したわけである。LS5という型番がBBCのマスター・モニター、つまり主力になる一番大事なモニターの頭文字で、そこに/が入って、LS5型の改良年代にしたがって、1型、2型、3型、4型とついて、現在のLS5/8型に至っている。一九五八年から数えてもずいぶんと年月がたっている。その間BBCは絶え間なく、モニター・スピーカーの改良を続けて釆た。

BBCモニターの技術波及効果
 ところでBBCモニターの開発のプロセスというのは、もうひとつ大事な面を持っていて、BBCが作ったモニター・スピーカーはもちろん市販はされないが、BBCのモニターの開発にともなってぼう大な研究が積み重ねられ、その研究の資料が大変豊富に揃っている。これをBBCは、日本でいえばNHKによく似た半官半民のような公共的な性格を持っているために、BBCのモニター・スピーカーに関する研究資料は一般に広く公開されるかそしてイギリスの各オーディオ・メーカー、中でもスピーカー専門メーカーが、このBBCのモニター研究を大いに参考にしていて、現在の新しいイギリスのスピーカーの一連のグループは、ほとんどこのBBCモニターの資料を参考にして作られているといっても過言ではない。
 その例として述べたKEFという会社がレイモンド・クックを旗頭として一九七三年になって、モデル104というブックシェルフスピーカーを開発した。これは今から七年前の当時のスピーカーとしては、すばらしく画期的な特性を待ったスピーカーだった。現在聴き直してみても、実にすばらしい音を聴かせてくれる。この104の出現を皮切りにイギリス国内で作られるスピーカーが少しずつ、大変完成度の高い製品となってきた。

KEFとスペンドール
 読者諸兄ご存じの、あるいは名前は聞いたことは無いまでも、オーディオ専門店にいって、見ることのできる英国スピーカーを列挙してみると、スベンドールBCII、それからよく似た形のロジャースPM210、ハーベスのモニターHL、こういった中型のとても手頃なサイズのスピーカーは、だいたいKEF104とほぼ似たような大きさで、多少、間口と奥行きが異なるが、この四種類のスピーカーは、ひとつのグループをなしている。これらのスピーカーはすべてBBCモニターから派生したといってよい。KEF104はいま述べたように、設計者であるレイモンド・クックがBBCとの協力の中でつかんだ技術的なノウハウを最初に実現させたスピーカーといってよい。それからスベンドールBCIIは、イギリスのスベンドールというとても小さなアッセンブリー・メーカーで、自分のところでユニットの生産能力を持たない会社だが、その小さなアッセンブリー・メーカーが作ったスピーカーだ。この会社の経営者であるスペンサーも、もとBBCの研究所にいた技術者で、BBCモニター・スピーカーの研究をしていた人物だ。
 その人がBBCをやめて作った全社なのである。
 このBCIIはもちろんBBCの系譜をひくが、もっと正確にいえば、今日本にほとんど入っていないBCIIの前のBCIというスピーカーがあり、これはそっくりそのまま、BBCの局内でも正式なBBCモニターの一つとして認められている。ちょっと我が国では人気が出ないせいか、輸入元が輸入していないが、現在でも生産されている。たいへん優れたスピーカーだ。

ハーベス
 さて、その次にロジャースがある。がその前にハーベスのモニターHL、これはまたたいへん正統派のBBCモニターの流れを汲むスピーカーで、ハーベスという会社の経営者も、ダッドリー・ハーウッドというが……この人物も実は、さっき出てきたショーター──BBCのモニター・スピーカーを最初に開発するチーフになった──が老年で引退することになったあとを継いで、長い間次の世代のBBCモニターの開発のチーフとして研究を続けてきた人だ。この人も停年で退職して、そしてハーベスという会社を作ったのである。その間BBCでほぼ三十年間、スピーカーの研究をしていたそうだ。たいへん長いキャリアを待った人だ。ショーターとレイモンド・クックが作ったモニターがLS5/1だが、このバリエーションがいくつか出来たあと、次にBBCのモニターの中で主力になったスピーカーが、LS5/5という機種だ。このLS5/5を完成させたのが、ハーウッドその人である。このスピーカーからスピーカーの振動板にベクストレンというプラスチックの素材が使われた。これは現在KEFのスピーカーがほとんどベクストレンを採用しているが、ベクストレンという振動板素材はハーウッドが中心になって開発したもの。そしてこの振動板を使ったLS5/5という現在のLS5/8よりひと回り小さいシステムが、現在でもBBC放送局のあちこちで現役として活躍している。BBCのエンジニアの中には「自分はLS5/5が一番好きだ」という人が大勢いる。たまたま今年の三月に、私はBBC放送局を訪問して、長いことBBCモニター・スピーカーにあこがれていた私は、ようやく念願がかないBBC放送局の内部をずっと見せてもらった時にも、LS5/5はかなりの数が活躍していた。

チャートウェル
 さてだんだん発展して、ハーウッドの下で働いていた若いエンジニアに、デヴィット・ステビングというこれも優れたエンジニアがいた。ステビングは、ハーウッドといっしょに研究中に、ベクストレンよりももっと優れた振動板がないものかといろいろ研究した結果、ポリプロピレンという素材を振動板に成型することに成功した。これがたいへん優れた性質を持っていて、新しくスピーカーの振動板に採用することになった。彼はなかなか山気が多かったとみえて、一九七四年にはBBCを退社して、自分の会社チャートウェルを作っている。正確にいうと彼は一九七三年に会社を発足させていたらしい。
 このチャートウェルという名前の由来は、スピーカーの特性を表すグラフのことをチャートといい、ウェルは〝優れている〟との意味で、〝特性グラフが優れている〟という意味だ。
 そして自分がBBC在籍時代に特許をとったポリプロピレン振動板を使った、スピーカーユニットを製造する会社としてチャートウェル社をスタートさせた。そして彼はBBCとコンタクトを取りながら新しいスピーカーの研究開発を進め、現在のLS5/8の原型となっているPM450をまず完成させた。これはポリプロピレンの30cmのウーファーと小さなソフトドーム・トゥイーターからなる2ウェイのなんの変てつもないスピーカーだ。これがなかなか優秀で、そしてこれをマルチアンプ・ドライブとしたものをPM450Eと名づけた。

そしてロジャースの登場
 そして発売の準備をしていたが、なにせエンジニアあがりのステビングは、経営の才能があまりなかったとみえて、たちまち経営不振におちいってしまい、一九七五~六年にかけてチャートウェル社は倒産寸前までいってしまった。ちょうどその時に、手を差しのべたのが現在のロジャースの製造元のスイストン・エレクトロニクス社で、これが現在イギリスでロジャースというブランドでたいへん勢いをつけてきている。このロジャースがチャートウェル社の研究設備、工場をそっくり買い取り、現在のチャートウェルの開発したスピーカーをそのままロジャースと替えて、売っているわけである。チャートウェル時代にBBCと共同研究、開発していたのがLS5/8で、この型番はチャートウェルからも一時、発表されたことがあるが、ほとんど陽の目をみないまま、ロジャースに受け継がれてロジャースLS5/8として、日本にも輸入されている。すでにBBCでも正式な採用が決定し、今年に入ってから続々と、BBCに納入されている。そしてこのLS5/8が、従来のBBCモニター・スピーカーと異なるのは、我々にも手に入るように一般市販が許されたことである。

ロジャース PM510
 従来BBCモニターは、全く市販されたことがなかったことからみれば、たいへん画期的なことである。BBCのモニター・スピーカーというのはまぼろしの名機ということで、ウワサのみや、ナゾにつつまれていたのだが、いまは自宅で聴くことが出来る。ただし、惜しむらくは、やはりプロ用、BBCの厳格な規格をパスさせるために、非常に組み立てに手間がかかり、生産台数も少なく、さらにBBCのLS5/8という名称で市販するためのライセンス科などから、非常に高価である。スピーカーにはパワーアンプが付属していて、アンプにくわしい人はすぐ気がつかれると思うがこのアンプがイギリスのクオード社の405なのだが、実は基本は405だがBBCの仕様によって大幅に内部が改良されている。後面をみるとわかるが、プロ用のキャノンプラグで継がれており、内部もかなりの手が加えられている。この405はもともとステレオ用なので、L、Rの二出力を持っているが、これをL、Rではなくて、スピーカーの高音と、低音用に分割してマルチアンプシステムとしている。一つのスピーカーに一台のステレオアンプが付属しているのはそういう事情による。したがって、そういうモロモロの事情からアンプ・スピーカーこみでナント九十九万円という値段になっている。ステレオでざっと二百万円というわけである。
 ともあれBBCモニター・スピーカーがまぼろしではなく、とにかく我々の手元に入るようになってきたわけである。
 実は最近朗報があって、ロジャースではこのドライブアンプを取り除き、かわりに通常のLCネットワークを組み込んだ、他のアンプで鳴らすことの出来るスピーカーシステム…基本はLS5/8とほとんど同じで、ただしBBCの規格をパスさせる必要はないので、もう少し調整プロセスをラフにして、大幅にコストダウンしたモデルをPM510(ファイブ・テン)という形で市販してくれた。つい二、三カ月前から我が国にも入ってきている。このスピーカーはここ数年来の、世界各国のスピーカーの中でも注目すべきスピーカーである。LS5/8ほどピシッと引き締まってはいないが、もう少し甘口というか、ソフトな肌合いをもったなかなかのスピーカーだ。LS5/8の九十九万円に対し、一台四十四万円という定価もたいへんうれしい。
 現在自分も買おうか買うまいか、まよっている。

ロジャースのラインナップ
 話がそれるがPM510というスピーカーは、ロジャースが新しく一連のスピーカーとして、末尾に10の数字がつくスピーカーのラインナップを整備して、510が一番上級機、その下に410、210、110。これを〝テン〟シリーズといい、呼び名は〝ファイブ・テン〟〝フォー・テン〟というように呼ぶ。さきほど述べたスベンドールBCIIとよく似た構成の210は〝トウーテン〟であり中堅機種である。ただし510はテン・シリーズの中では異色ともいえるもので、別格である。
 ロジャースには以前から、もっとミニサイズのBBCモニター・スピーカーのLS3/5というのがあり、正確には3/5Aであるが、LS3というのはいままで述べてきたLS5が、いわゆるメインの大型モニターであるのに対して、ミニサイズ、あるいは中型サイズに与えられるBBCの正式名称で、非常に小型のスピーカーだが、とてもそのサイズからは信じられないすばらしい音を聴かせてくれる。これもやはりBBCが局内で使う以外に一般市販を認めた例外機種である。
 というわけでBBCモニター・スピーカーは一九五八年までさかのぼれるという話。

LS5/1との出合い
 どうして私がBBCモニターに、これほど関心を持つようになったかというと、全く偶然の機会に、いまから十五年くらい前に、その当時のBBCモニターの最新のモデル、LS5/1の小改良型LS5/1Aを手に入れることができ、いまでも自宅に置いているのだが、このスピーカーを手に入れた時から、実はBBCモニターがなぜ、こんなにすばらしいのかと興味をもって、いろいろと文献を調べているうちに、つい探入りをしてしまったわけなのだ。
 このLS5/1Aは、現在でもすごいスピーカーで、実は昨日も自宅でレコードを聴いていたほどである。
 しかしそのすごいスピーカーをベースに着々と改良を加えてきたのが現在のLS5/8であることを思うとその実力をわかってもらえると思う。

男性アナウンサーの声を…
 いままでBBCモニターの開発の系譜らしき話をしてきたが、BBC放送尚がこれらのモニター・スピーカーをどういう理想を持って開発しているかというと、これはかなり有名になってしまったが、たいへん興味探い話がある。
 スピーカーの音というのは、理屈だけではなかなかうまく作れないもので、作ってみては音を聴き、聴いてはその欠点を耳で指摘して改良するというプロセスを何回もへていくのであるが、BBC放送局ではその改良のプロセスに使う音の素材として、何を一番重視したかというと、〝男性アナウンサーの声〟であったということが昔から多くの文献に載っている。これは大変興味深い話で、我々が、スピーカーの音を聴き分けるのに、音楽をかけては欠点を指摘するわけだが、BBCでは、欠点を指摘する材料として、人の声を最も重視したというわけである。これはひとつには放送という性質上、アナウンサーの声ができるだけ正確に伝わられなければならないという目的があったにはちがいないが、スピーカー開発にともなういろいろな文献を読んでみると、むしろそうではなく、スピーカーの音を聴き分けるには、我々人間がいちばんなじんだ、人間の声を素材に使うのがいちばんいいのだということが書かれてある。そして人の声の中でも女件の声よりも男性の声の方がスピーカーを開発するのにむずかしいという事が書かれてある。男の声というのは、いうまでもなく女性の声よりもピッチが低く、そして男の声の一番低いピッチのあたりがスピーカーとしては一番むずかしいところらしい。そういえばよく悪いスピーカーを形容する言葉に胴間声という表現があるではないか。スピーカーを再生してみるとどうしても人の声が不自然になりがちである。また人の声ほど不自然さに気づきやすいという我々の耳の性質がある。そこでBBC放送局では、二つの隣り合ったスタジオを選んで、一方のスタジオに男のアナウンサーを座らせてて、朗読をさせておく。彼の前にはマイクロホンが立って、そのマイクからコードを引っ張って、隣りのスタジオでアンプを通して、開発中のスピーカーがアナウンサーの座ったところと同じ位置に置かれて、そしてアナウンサーの声と同じ音量に調節されている。そしてスピーカーの開発スタッフたちは、アナウンサーの生の声を聴いては、こちらのスタジオに来て、スピーカーの音を聴き、また隣りのスタジオにもどって生の音を聴いては、またスピーカーの音を聴くということを何度も何度も繰り返す。そうするとスピーカーの音がいかに不自然かということが指摘でき、その不自然さをさてどうして改良していこうか、ということになる。というのがBBCのモニター・スピーカーの主な開発テーマなのだそうだ。

適度な音量でモニター
 このことからも、彼らのスピーカーに対する要求というものがよくわかるような気がする。最も自然な音量での自然な音質ということで、決して音量を大きく出した時での音の良さではない。実際に私は、BBC放送局でモニターしている現場を見せてもらった時も、彼らは実に抑えた、おだやかな音量でモニターしているのを聴いて、なるほどと思った。概してアメリカや日本のレコーディング・スタジオでのモニターは、それこそ耳の鼓膜がしびれそうな音量でモニターしていることが多く、特に近頃のポップミュージックの録音の現場に立ち合ってみると、本当に聴き慣れない人だったら三十分もいたら、ヘトヘトになって、耳がガンガンしてしまう音量で、平気でミキサーはモニターしている。そしてモニター・スピーカーというものは、そういう音量に耐えられるスピーカーだというのが、主にアメリカや日本のひとつの常識になりかけている。イギリスのモニター・スピーカーは、決して馬鹿げた音景を出すことを考えていないで、ごくおだやかな音量でいい音を出すことがまず第一のテーマらしい。
 けれども時代は次第に大音最再生に流れているわけで、BBC放送局といえどもなにしろビートルズを生んだ国であるから、BBC放送局でもポップミュージックを放送する。そういう時にはかなりの音景でモニターしなくてはならないわけで、そういう大音量モニターということに対しては、古いモニター・スピーカーが次第に要求に応えられなくなってきたということも事実である。そのような背景もあって、新しいモニター・スピーカーを開発する必然性が生じてきたのだということが最近のLS5/8の誕生にも関係あるといえる。
(1980年11月、東京・渋谷の東邦生命ホールで行なわれた「フィリップス最新録音をBBCモニターで聴く会」での講演をまとめたもの。)

「いま私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 56号(1980年9月発行)
特集・「スピーカーを中心とした最新コンポーネントによる組合せベスト17」より

 オーディオ装置の音を決定づけるのはスピーカーだ。決定とまではゆかないとしても支配する、あるいは方向づけるのが、スピーカーだ。とうぜん、スピーカーが選ばれることで、そのオーディオ装置の鳴らす音の方向は、殆ど決まってしまうことになる。だからこそ、自分自身の装置のパーツを選ぶためには、スピーカーをとめてかかること、が何よりも優先する。スピーカーがきまらないことには、アンプやカートリッジさえ、きまらない。
 このことは、オーディオ装置を考える上での、第一の「基本」といえる。だが、この基本でさえ、ときとして忘れられがちであることを知って、私など、びっくりさせられる。
 たとえば、次のような相談をよく受ける。「○○社製の××型アンプを買おうと思うのですが、このアンプに会うスピーカーを教えてくれませんか」
 アンプが先に決定されて、そのアンプに合うスピーカーを選ぶ──。そんなことはありえない。つねに、スピーカーが選ばれてのちに、アンプが選ばれる。
 あるスピーカーを選ぶ。その人が、どういう理由でそのスピーカーを選んだのか。そのスピーカーの、どんな点に惹かれて選んだのか。そのスピーカーを、どういう音に鳴らしたいのか。そのスピーカーの音が十分に気に入っていたとしても、その反面に、気に入らない部分があるのか、ないのか……。こんなぐあいに、ひとつのスピーカーの選ばれた理由や鳴らしたい音の方向が、こまかくわかってくるにつれて、そのスピーカーを、いっそう良く鳴らすアンプを選ぶことができる。それは、繰り返しになるが、音を鳴らす「要(かなめ)」はスピーカーであって、鳴らしたい音のイメージがはっきりしていれば、そのイメージにより一層近い音のアンプを選ぶことができる、という意味である。
 ヴェテランのマニアには、こんな話はもう当り前すぎてつまらないかもしれない。だが、ちょっと待って頂きたい。理屈の上では判りきったことかもしれないが、それでは、あなた自身、ほんとうに、自分のイメージに最もよく合ったスピーカーを選び、そのスピーカーを自分のイメージに最も近い形で鳴らすことのできるアンプを、ほんとうに、確かに、選び抜いているだろうか。
 なぜ、こんなにクドクドと判りきった念を押すのか、その理由を説明しよう。
 JBLの♯4343といえば、オーディオ愛好家なら知らない人はいない。本誌の愛読者調査(55号)の結果をみるまでもなく、いろいろな調査からも、このスピーカーが、非常に高価であるにもかかわらず、こんにち、日本のオーディオ・ファンのあいだでの、人気第一位のスピーカーであることも、すでによく知られている。実際に、いま日本のどこの町に行っても、オーディオ専門店があるかぎり、まずたいていは♯4343は置いてある。また、個人ですでに所有しておられる人も多い。ということは、ずいぶん多くの人たちが、このスピーカーの音を実際に聴いていることになる。
 オーディオに限らず、なにかズバ抜けて人気の高いものには、また逆に反発や反感も多い。安置JBLをとなえる人もまた少なくない。五木寛之の小説の中にさえ「なんだい、JBLなんてジャリの聴くスピーカーだぜ」とかなんとかいうセリフが飛び出してくる。
 ところでいまこんな話を始めたのは、アンチJBL派に喧嘩を売ろうなどという気持では決してない。それどころか、まったく逆だ。これほど大勢の人が聴いている♯4343の音が、しかしひどく誤解されている例が、近ごろあまりに多い。たとえば、次のような体験が、近ごろ多いのだ。
 全国各地で、オーディオ愛好家の集まりによくお招きを頂く。先方では、私が♯4343を好きなことを知っていて、会場に現物を用意しておいてくださる。しかし、残念ながら、あらかじめセッティングしておいてくださった状態では、とうてい、私の思うような音で鳴っていない。しかし会場は、多くの場合、販売店の試聴室や会議室や集会場といった形で、♯4343の理想的なセッティングなど、むろんとうてい望めない。それは承知の上で、その会場の制約の中で、せめて少しでもマシな、というよりも、レコードを鳴らして話をさせていただく3時間ほどのあいだ、一応我慢のできる程度に鳴ってくれるよう精一杯の設置替えと調整を試みる。それでも、仮に♯4343のベストの状態を100点とすれば、にわか作りのセッティングでは、最高にうまくいったとしても80点。ふつうは70点か60点ぐらいのところで鳴らさざるをえない。50点では話にならないが、それにしても60点ぐらいの音で鳴らさなくてはならないというのは、私自身とてもつらい。
 ところが、話はここからなので、仮にそうして、60点から70点ぐらいの音で鳴らしながら話を終えると、たいていの会場で、数十人の愛好家の中から、一人や二人、「JBL♯4343が、こんなふうな音で鳴るのを初めて聴いた。いままでJBLの音は嫌いだったが、こういう音で鳴るなら、JBLを見直さなくては……」といった感想が聞かれる。私としてはせいぜい60〜70点で鳴らした音でさえ、なのだ。だとすると、♯4343は、ふだん、どんな音で鳴らされているのだろう。
 また、こんなこともよくある。同じように鳴らし終えたあと、専門店のヴェテラン店員のかたに「いゃあ、きょうの♯4343の鳴り方は素晴らしかった。さすがですね」などとほめていただくことがある。これも、私にはひどくくすぐったい。いや、きょうの音はせいぜい65点で、などと言い訳をしても、先方は満更外交辞令でもないらしく、私の言い訳をさえ、謙遜と受けとってしまうありさまだ。すると、いつもの♯4343はどんな音で鳴らされているのか……。
 言うまでもなく、中には数少ないながら、個人で恐らく素晴らしい音で鳴らしておられる愛好家なのだろう。私が会場で鳴らした音を聴いて「あんなものですか?」と言われてこちらがしどろもどろに赤面することも決して少なくない。だがそういう例があるにしても、多くの場合は、私としては不満な音で鳴ったにもかかわらず、その音で、♯4343 の評価を変えた、といわれる方々が、決して少ないとはいえない。
 そのことは、また別の例でも説明できる。上記のように、たまたま鳴らす機会があるときはよいが、先方からのテーマによって、音は鳴らさず話だけ、というような集まりの席上、「♯4343を何度か聴いてみて、少しも良い音にきこえないのだが、専門誌上では常にベタほめみたいに書いてある。あんな音が本当にいいのか?」といった趣旨のおたずねを受ける。そういうときは、その場で鳴らせないことを、とても残念に思う。せめて65点でも、実際に鳴った音を皆で聴きながらディスカッションしたいと、痛切に思う。おとばかりは、百万言を費やしてもついに説明のしきれない部分がある。「百見は一聞に如かず」の名言があるように。
 だが、しかしここでまた声を大にして言いたいのだが、オーディオの音は、なまじ聴いてしまったことで、大きな誤解をしてしまうこともある。いま例にあげた♯4343の音がそうだ。♯4343は、こんにち、おそらく全国たいていのところで鳴っている。誰もがその音を聴ける。だが、良いコンディションで鳴っていなかったために、なまじその音を聴いてしまうと、それが、即、♯4343だと誤解されてしまう。百聞よりも一聴がむしろ怖い。
 JBLの♯4343ひとつについて長々と書いているのは、このスピーカーが、こんにちかなり一般的に広く知られ、そして聴かれているから、例としてわかりやすいと思うからだ。従ってもう少し♯4343の引用を続けることをお許し頂きたい。
 JBLの音を嫌い、という人が相当数に上がることは理解できる。ただ、それにしても♯4343の音は相当に誤解されている。たとえば次のように。
 第一に低音がよくない。中低域に妙にこもった感じがする。あるいは逆に中低域が薄い。そして最低音域が出ない。重低音の量感がない。少なくとも中低音から低音にかけて、ひどいクセがある……。これが、割合に多い誤解のひとつだ。たしかに、不用意に設置され、鳴らされている♯4343の音は、そのとおりだ。私も、何回いや何十回となく、あちこちでそういう音を聴いている。だがそれは♯4343の本当の姿ではない。♯4343の低音は、ふつう信じられているよりもずっと下までよく延びている。また、中低域から低音域にかけての音のクセ、あるいはエネルギーのバランスの過不足は、多くの場合、設置の方法、あるいは部屋の音響特性が原因している。♯4343自体は、完全なフラットでもないし、ノンカラーレイションでもないにしても、しかし広く信じられているよりも、はるかに自然な低音を鳴らすことができる。だが、私の聴いたかぎり、そういう音を鳴らすのに成功している人は意外に少ない。いまや国内の各メーカーでさえ、比較参考用に♯4343をたいてい持っているが、スピーカーを鳴らすことでは専門家であるべきはずの人が、私の家で♯4343の鳴っているのを聴いて、「これは特製品ですか」と質問するという有様なのだ。どういたしまして、特製品どころか、ウーファーの前面を凹ませてしまい、途中で一度ユニットを交換したような♯4343なのだ。
 誤解の第二。中〜高音が冷たい。金属的だ。やかましい。弦合奏はとうてい聴くに耐えない。ましてバロックの小編成の弦楽オーケストラやその裏で鳴るチェンバロの繊細な音色は、♯4343では無理だ……。
これもまた、たしかに、♯4343はよくそういう音で鳴りたがる。たとえばアルテックやUREIのあの暖い音色と比較すると、♯4343といわずJBLのスピーカー全体に、いくぶん冷たい、やや金属質の音色が共通してあることもまた事実だ。ある意味ではそこがJBLの個性でもあるが、しかしそのいくぶん冷たい肌ざわりと、わずかに金属質の音色とが、ほんらいの楽器のイメージを歪めるほど耳ざわりで鳴っているとしたら、それは♯4343を鳴らしこなしていない証拠だ。JBLの個性としての最少限度の、むしろ楽器の質感をいっそう生かすようなあの質感さえ、本当に嫌う人はある。たぶんイギリス系のスピーカーなら、そうした人々を納得させるだろう。そういう意味でのアンチJBLはもう本格派で、ここは本質的な音の世界感の相異である。しかし繰り返すが、そうでない場合に♯4343の中〜高音域に不自然さを感じたとすれば、♯4343は決して十全に鳴っていない。
 第三、第四、第5……の誤解については、この調子でかいていると本論に達しないうちに指定の枚数を超過してしまいそうなので、残念ながら別の機会にゆずろう。ともかく、よく知られている(はずの)JBL♯4343の音ひとつを例にとってみても、このように必ずしも正しく理解されていない。とうぜん、本来の能力が正しく発揮されている例もまた少ない。だとしたら(話はここから本題に戻るのだが)、自分の求める音を鳴らすスピーカーを、本当に正しく聴き分け、選び抜くということが、いかに難しい問題であるか、ということが、ほんの少しご理解頂けたのではないだろうか。
 自分に合ったスピーカーを適確に選ぶことはきわめて難しい。とすれば、いったい、何を拠りどころとしてスピーカーを探し、選んだらよいのか。あるいは、そのコツまたはヒントのようなものがあるのか──。
 残念ながら、確かな方法は何もない。スピーカーに関する限り、その難しさは配偶者を選ぶに似て、ともかく我家に収めて、何ヵ月か何年か、ていねいに鳴らし込み、暗中模索しながら、その可能性をさぐってゆくしか、手がないのだ。そうしてみて結局、何年かつきあったスピーカーが、本質的に自分に合わないということが、あとからわかってみたりする。そうして何回かの無駄を体験しながら、一方では、ナマの演奏会に足繁く通い、またどこかに素晴らしい再生音があると聞けば、出かけていって実際に音を聴かせてもらう。そうして、ナマと再生音の両方を、それもできるだけ上質の音ばかり選んで、数多く聴き、美しい音をそのイメージを、自分の身体に染み込ませてしまわなくては、自分自身がどういう音を鳴らしたいのか、その目標が作れない。そうして、何年かかけて自分自身の目指す音の目標を築き上げてゆくにつれて、ふしぎなことに、その目標に適ったスピーカーが、次第に確実に選べるようになってくる。何と面倒な! と思う人は、オーディオなんかに凝らないほうがいい。
 いまもしも、ふつうに音楽が好きで、レコードが好きで、好きなレコードが、程々の良い音で鳴ってくれればいい。というのであれば、ちょっと注意深くパーツを選び、組合わせれば、せいぜい二〜三十万円で、十二分に美しい音が聴ける。最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる。たとえば、プレーヤーにパイオニアPL30L、カートリッジは(一例として)デンオンDL103D、アンプはサンスイAU−D607(Fのほうではない)、スピーカーはKEF303。これで、定価で計算しても288600円。この組合せで、きちんとセッティング・調整してごらんなさい。最近のオーディオ製品が、手頃な価格でいかに本格的な音を鳴らすかがわかる。
 なまじ中途半端に投資するよりも、、こういうシンプルな組合せのほうが、よっぽど、音楽の本質をとらえた本筋の音がする。こういう装置で、レコードを聴き、心から満足感を味わうことのできる人は、何と幸福な人だろう。私自身が、ときたま、こういう簡素な装置で音楽を聴いて、何となくホッとすることがある。ただ、こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ。この音で毎日心安らかにレコードを聴き続けるのは、ほんの少しものたりない。もう少し、音のひろがりや、オーケストラのスケール感が欲しい。あとほんの少し、キメ細かい音が聴こえて欲しい。それに、ピアノや打楽器の音に、もうちょっと鋭い切れ味があったらなおいいのに……。
 そこでカートリッジを一個追加してみる。音の切れ味が少し増したように思う。しばらくのあいだは、その新しい音の味わいに満足する。しかしまた数ヵ月すると、こんどはもう少し音のひろがりが出ないものか、と思いはじめる。この前、カートリッジ一個であれほど変ったのだから、もうひとつ別のカートリッジを追加してみようか?……
 ……どうやら、十分ではないが、一応うまくいったようだ。三個に増えたカートリッジを、レコードによって使い分ける日が何ヵ月か続く。
 だがやがて、もしかするとアンプを新型に交換すれば、もっとフレッシュな音が聴けるのではないか、と思いはじめる。そして次にはスピーカーをもう少し上のランクに……。気がついてみると、最初に買った組合せの中で、残っているのはプレーヤーだけ。しかしいまとなってはそれも、もう少し高級機に替えたほうがいいのじゃないか──。
 多くのオーディオ愛好家が、次から次と新製品に目移りするのは、おそらく右のような心理からだろう。そして気がついてみると、オーディオに凝る、どころか、オーディオ一辺倒にどっぷり浸り込んでしまっている自分を発見して愕然とする。
 このような、いわばオーディオの深い森の中に迷い込まないようにするためには、オーディオ機器およびレコードの録音、さらには音楽の作曲や演奏の様式が、どのような経路をたどってこんにちに至ったか、広く俯瞰しながら大筋を把握しておくことが必要ではないかと思う。少なくともここ十年あまりのあいだに、音楽の録音およびその再生に関するかぎり、単に技術的な意味あいにとどまらず、大きく転換し、かつ展開している。そのことを正しく掴んでいるかぎりは、むやみにオーディオに振り回されることはない。またそれを知ることが、結局は、自分に合ったスピーカーを、アンプを、選ぶための近道にもなるはずだ。
 レコードは、オーディオ装置の音を鳴らす単純な音源ではなく、ひとつの音楽の記録として、ときに人の魂を心底から揺り動かすほどの力を持っている。だからこそ私たちは、レコードの録音年代の古さ新しさに関係なく、自分の好きな音楽、好みの演奏家のレコードを探し求め、大切に保存して、何回も聴きかえす。
 だがそれをオーディオ再生装置の側から眺めると、少なくともステレオ化された1958(昭和33)粘以降の二十数年間に話を限ったとしても、ずいぶん大きな変化がみられる。
 まず、ステレオ化直後の頃の、録音機材すべてに真空管の使われていた頃。そして、マルチトラックでなく、比較的自然な楽器の配置に、シンプルなマイクアレンジ。ヴェロシティマイクの暖かく柔らかい音質。
 やがてトランジスターに入れ代りはじめるが、コンシュマー用のアンプが、初期のトランジスター時代にひどく硬い、いやな音を鳴らしたようにプロ用といえども、TR(トランジスター)化の初期には、録音機材にもずいぶん硬い音のシステムがあった。ノイズも少なくない。
 マルチマイク・マルチトラックがとり入れられた初期には、その複雑なシステムを消化しきれずに、ずいぶん音のバランスのおかしな録音があった。また、その頃から広まりはじめたロックグループの新しい音楽では、電気楽器・電子楽器が使われたために、スピーカーから一旦鳴らした音をもういちどマイクで拾うという、それまでにない録音法に、技術社のとまどったあとがみられ、ひどく歪んだ音のレコードがたくさん残っている。ロックのレコードは音が悪いもの、と相場がきまっていた。
 トランジスターの機器の性能向上、コンデンサーマイクの主流化、マルチトラック録音の定着……それをもとにした新しい録音技法が真に完成の域に達したのは、ほんのここ数年来のことといってよい。しかし、ここ数年来に作られた新しい録音のレコードの中には、クラシック、ポピュラーを問わず、従来、名録音と称賛されたようなレコードと比較してもなお、音のダイナミックス、、とくに強音での伸びのよさと、弱音でのバックグラウンドノイズのほとんど耳につかないほどの静けさ。そしてどんなに音が重なりあったときでも、歪や混濁感のない透明で繊細な解像力の良さ。十分に広い周波数レインジ……等、どこからみても、素晴らしい出来栄えで聴き手を喜ばせてくれるものが増えている。
 とうぜん、この新しい録音のレコードの新鮮な音を十全に聴きとるためには、再生装置の能力にもまた、これまでとは違った内容が要求される。しかし一方では、そういう新しい装置で、古い録音のレコードを再生したら、録音のアラやノイズばかり耳ざわりになるのではないか、といった愛好家の心配もあるようだ。そのあたりをふくめて、この辺でそろそろ、再生装置の各論に入ることにする。
 自分に合ったスピーカーを選ぶ適確に選ぶ手軽な方法はない、とは言ったけれど、だからといって、何の手がかりもないわけではない。ことに、前記のように、どのようなレコードを、どのようなイメージで鳴らしたいのか、というひとつの設問を立ててみると、そこから、スピーカーの目のつけかたの、ひとつの角度が見えてくる。
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 クラシックとポピュラーとで、それに適したスピーカーがそれぞれ違うか、という問題には、そう単純明快な解答はできない。だいいち、クラシックとポピュラーといった漫然とした分類では、スピーカーの鳴らす音のイメージは明確にならない。そこで、次のような考えかたをしてみる。
 クラシック音楽とそれ以外のさまざまなポピュラー音楽との、オーディオ的にみてのひとつの大きな違いは、PA装置(拡声装置、マイクロフォン)を使うか使わないか、という点にある。言うまでもなく、クラシックのコンサートでは、どんなに広いホールでの演奏であっても、そして、それがギターやチェンバロのような音量の非常に小さな楽器の場合でも独唱の場合でも、特殊な例外はあるにしても原則としてPAは使わない。従って聴衆は、常に、ナチュラルな楽器や声を、そのまま自然な姿で耳にする。また、音楽ホールのステージで演奏され、客席で聴く音は、音源(楽器や声)からの直接ONよりも、ホールのあちこちに反響して耳に到達する間接音、いわゆるホールトーンのほうが優勢で、とうぜん、クラシックの音楽は、ホールのたっぷりした響きが十分にブレンドされた形で記憶に残る。ただ、楽器を自分で演奏できる人たちや、ときにプロの演奏家が、ごく内輪に個人の家などで楽しむコンサートの場合には、ふだんホールで遠く距離をおいて聴くのとは全く違う生々しい音が聴きとれる。ヴァイオリンの音を、演奏会場でだけ聴き馴れた人が、初めて、目の前2〜3メートルの距離で演奏される音を聴くと、その音量の大きなことと、意外に鋭い、きつい音や、弓が弦をこする音、弦をおさえた指が離れるときの音、などの附帯雑音が非常に多いことに驚いたりする。
 このように、同じクラシックの楽器でも、原則的にホールで演奏される音をほどよい席で鑑賞するイメージを再生音(スピーカー)に求める場合と、楽器を自分で奏でたりすぐ目の前で演奏されるのを聴く感じを求めるのとでは、それだけでもずいぶん大きな違いがある。
 一般的に言えば、クラシック音楽を、ホールのほどよい席で鑑賞するイメージをよく再現するのは、おもにイギリスで開発されたスピーカーに多い。そして、新しい録音のレコードの音を十全に再生するには、その中でも開発年代の新しい、いわゆるモニタータイプのスピーカーに目をつけたい。たとえば、KEFの104aBや105/II、ハーベスのモニターHL、スペンドールのBCIIやBCIII、あるいはロジャースのエクスポート・モニターや、新型のPM210、410、510のシリーズ、そしてBBCモニターのLS5/8……。
 しかし、楽器が眼前で演奏されたときの鮮鋭なイメージを求めてゆくと、これは、イギリス系のスピーカーでは少し物足りない。やはりJBLのスタジオモニターのシリーズ(たとえば♯4343)や、アルテックの604の系統、同じスピーカーをベースにしたUREIのような、アメリカのモニタースピーカーが、そのようなイメージを満たしてくれやすい。
 さて、ポピュラーに目を転じる。ポピュラーとひと口に言っても、クラシックジャズからモダンジャズ後期に至るジャズの再生と、それ以後のクロスオーバーからフュージョンに至る音楽とでは、前者が原則的にPAを使わないで、楽器も古典的なナチュラルな楽器を前提としているのに対して、後者は、エレキギターからシンセサイザーに至る電気楽器・電子楽器を多用して、またそうした楽器と音色や音量のバランスをとるために、たとえばドラムスでもチューニングを大きく変えて使うというような点を考えてみても、それに適合するスピーカーの考え方は大幅に異なってくる。
 たとえばモダンジャズを含む50年代ジャズを中心に(仮にその時代のスタイルで新しく録音し直したレコードであっても)ジャズらしさを十分に再現したいと相談を受けたとしたら、私はたとえば、次のようなスピーカーを一例として上げる。
 ユニットは全部JBLだが、完成品でなく、パーツを購入して組み上げる。
 ウーファーは2220H(130H)、エンクロージュアは4530BK。場所が許せば4520BKに、ウーファーを2本入れる。あるいは4560BKA(フロントロードホーン)でエネルギーを確保して、最低音用として3D方式で補うという手もある。
 中音は376または2441。ホーンは、2397が人気があるようだが、私なら2395(HL90)にする。これに075トゥイーターを組合わせたときの、スネァドラムやシンバルの音の鮮烈な生々しさは、まるで目の前で楽器が炸裂するかのようで、もうそれ以外のユニットが思いつかないほどだ。ネットワークも、絶対にJBLオリジナルを使う。低←→中の間は3182、または3152。中←→高の間は3150またはN7000。LCでなくマルチアンプでも、うまく調整できればよい。
 少なくともこのシステムで、私は、クラシックを聴くことは全く考えもつかない。徹底してジャズにピントを合わせたスピーカーである。
 もちろんこのままでも、クロスオーバーやフュージョンが楽しめなくはない。けれど、それらの音楽は、ジャズにくらべると、もっと再生音域を広げなくては、十分とはいえない。たとえば、トゥイーターが075では、シンセサイザーの高域の倍音成分の微妙な色あいや、音が空間を駆けめぐり浮遊する感じを、十分に鳴らしにくい。そういう音を鳴らすには、同じJBLでも2405が必要になる。けれどスネァやシンバルのエネルギー感、実在感について、075を一旦聴いてしまうと2405の音では細く弱々しくて不満になる。
 低音についても、シンセサイザーの作り出すときに無機的な超低音や、片張りのバスドラムのストッと乾いた音は、ホーンロードスピーカーでは、必ずしも現代的に再現できるとはいいにくい。ここはどうしても、JBLの新しいエンクロージュアEN8Pまたは8Cに収めたい。中音は前記のままでよいが、ネットワークは新型のLX50AとN7000が指定される。このシステムは、たとえばロックあるいはアメリカの新しいポップスのさまざまな音楽に、すべて長所を発揮すると思う。さらにまた、日本のニューミュージック系にもよい。
 日本の、ということになると、歌謡曲や演歌・艶歌を、よく聴かせるスピーカーを探しておかなくてはならない。ここではやはりアルテック系が第一に浮かんでくる。620Bモニター。もう少しこってりした音のA7X……。タンノイのスーパーレッド・モニターは、三つのレベルコントロールをうまく合わせこむと、案外、艶歌をよく鳴らしてくれる。
 もうひとつ別の見方がある。国産の中級スピーカーの多くは、概して、日本の歌ものによく合うという説である。私自身はその点に全面的に賛意は表し難いが、その説というのがおもしろい。
 いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。もしそうだとしたら、日本の歌を楽しむには、結局、国産のそのようなタイプのスピーカーが一番だ、ということになるのかどうか。
 少なくとも右の話によれば、国産で、量販店むけに企画されるスピーカーは、クラシックはもちろん、ジャズやロックやその他の、西欧の音楽全般に対しては、ピントを合わせていない理くつになるわけだから、その主の音楽には避けるべきスピーカーということにもなりそうだ。
 話を少しもとに戻して、録音年代の新旧について考えてみる。クラシックでもポピュラーでも、真の意味で録音が良くなったのはここ数年来であることはすでにふれた。これまでにあげてきた少数の例は(ジャズのケースを除いては)、そうした新しい音の流れを前提としたスピーカーである。しかし、それらのスピーカーで、古い年代の録音が、そのまま十分に楽しめるか。それともまた、古い年代の録音を再生するのに、より1層適したスピーカーというものがあるのかどうか。
 ある、と言ったほうが正しいように思う。仮に、ステレオ化(1958年)以後に話を限ってみても、管球時代の暖かい自然な音を録音していた前期(1965年前後まで)と、TR化、マルチトラック化、マルチマイクレコーディングの、過渡期である中期(60年代半ば頃から70年代初め頃まで)、そして新時代の機材の性能向上と、録音テクニックの消化された70年代半ば以降からこんにちまで、という三つの時代に大きく分類ができる。この中で、いわば過渡期でもある中期の録音は、出来不出来のバラつきが非常に大きい。おそろしく不自然な音がある。ひどく歪んだ(ことにロック系の)音がある。やたらにマルチマイク・マルチトラックであることを強調するような、人工臭ぷんぷんの音もある。ステレオの録音に関するかぎり、1960年代の前半までと、70年代後半以降に、名録音が多く、中期の録音には注意した方がいいというのが私の考え方だ。
 それはともかく、ステレオ前期の録音をそれなりに楽しむには、むろんこんにちの最新鋭のスピーカーでも、さして不自然でなく再生できる例が多い。けれど反面、鑑賞にはむしろ邪魔なヒスノイズやその他の潜在雑音が耳障りになったり、音のバランスが多少変って、本来の録音よりもいくぶん冷たい肌ざわりで再生されるということも少なくない。
 そういう理由から、古い録音を再生するのに、一層適したスピーカーがある、という考え方が出てくるわけだ。
 たとえばクラシックなら、イギリスのローラ・セレッションのディットン25や66、あるいはデドハム。またはヴァイタボックスのバイトーン・メイジュアやCN191コーナーホーン・システム。また、もしも中古品で入手が可能なら、タンノイ社製のオリジナルGRFもオートグラフ、あるいは旧レクタンギュラー・ヨーク、など(国産エンクロージュア入りのタンノイは、私はとらない)。またアメリカなら、やはりアルテック。620BモニターやA7X。
 これらに共通しているのは、適度のナロウレインジ。低域も高域も、適度に落ちていて、そして中域にたっぷりと暖かみがある。そういうスピーカーが、古い録音を暖かく蘇らせる。
 その意味からは、必ずしもクラシックと話を限らなくとも、ポピュラー音楽全般についてもまた、似たことがいえる。ただ強いていえば、やはりポップス系は、イギリス系よりもアメリカ系のほうがその特長をよく生かす傾向のあること。イギリス系のスピーカーでポップスを鳴らすと、どうも音が渋く上品に仕上りすぎる傾向がある。ということは見方を変えれば、ストリングス・ムードやイージー・リスニング、あるいは懐かしいポピュラーソングなど、イギリスのスピーカーで特長を生かすことのできる音楽もむろんあるわけだ。だがそれにしてもやはり、私自身の感覚ではどうしても、イギリスのスピーカーの鳴らすポップスの世界は概して渋すぎる。
 ここまでは、スヒーカーを聴くときの拠りどころを、ひとつは録音の年代の新旧、もうひとつは音楽の音の性格の違い、という二つの角度から眺めてきた。しかし本当は、これは何の答えにもなっていない。というのは、ここに、ひとりひとりの聴き手の求める音のありかた、求める音の世界という、これこそ最も本質的に重要な条件をあはてはめてゆかなくてならないからだ。聴き手不在のオーディオなど、何の意味もありはしない。
 では聴き手の求める音、というものを、どう分類してゆくべきか。これも答えは多岐に亘る。
 たとえば音量の問題がある。これには音を鳴らす環境の問題もむろん含まれる。遮音の良好なリスニングルームで、心ゆくまで豊かな音量を満喫したい人。しかし反対に、そういう恵まれたリスニングルームを持っていてもなお、決して大きな音量を好まない人も少なからずある。一人の同じ人間でも、一日のうちの朝と夜、その日の気分や聴く曲の種類などに応じて、音量をさまざまに変化させるが、それにしても、平均的に、かなりの音量で楽しむ人と、おさえた音で聴くことの好きな人とに、やはり分かれる。
 大きな音量の好きな人には、アメリカ系のスピーカーが向いている。これまでにまだ登場していない製品を含めて、アメリカのスピーカーは概して、大きな音量で朗々と鳴らして楽しむのが、スピーカーを活かす使い方だ。
 反対に、小音量の好きな人は、イギリス系のスピーカーに目をつける。イギリスのスピーカーは、概してハイパワーを入れると音が十分に伸び切らないし、大きな音量を出すことを、設計者自身が殆ど考えていないようだ。イギリス人と一緒にレコードを聴いてみると、彼らがとても控えめな音量でレコード鳴らすことに驚かされる。そういう彼らの作るスピーカーは、とうぜん、小さな音量で鳴らしたときに音がバランスよく美しく聴こえるように作られている。
 音量の次には、音色の傾向があげられる。たとえば音のクリアネス、あるいは解像力。どこまでも、細密画のようにこまかく音を鳴らし分けるような、隅々まで見通せるようないわゆる解像力の高い音を求めるか。反対に、そういう細かい音は神経が疲れてしまうから、もっと全体をくるみ込んでしまうような音。前者が製図ペンや面相筆で細かく描き込んだ細密画なら、後者は筆太のタッチで、大らかに仕上げたという感じの音。
 解像力の優れているのは、やはり新しいモニタ系のスピーカーだ。そこに音量の問題を重ねてみると、高解像力・小音量ならイギリスの中型モニター。高解像力・大音量ならどうしてもJBLのスタジオ・モニタ、となるだろう。
 ふわっとくるみ込むような柔らかい音。そして小音量でよいのなら、前述のディットン245や、スペンドールのBCII。少しぜいたくなところでロジャースPM510。これはモニター系のスピーカーであるにもかかわらず、耳あたりのいいソフトな音も鳴らせる。
 ソフトタッチ、しかし音量は大きく、となるとここはアルテックやUREIの独壇場になる。それも、高音を少々絞り気味に調整して鳴らしたい。
 音のエネルギーの問題もある。とくに、新しいポップスの録音。たとえばシェフィールドのダイレクトカットの録音などを聴いてみると、これは、音に本当の力のあるスピーカーでなくては、ちっともおもしろくないことがわかる。その上で、十分にレインジが広く、そして音の質感がよく、良い意味で音がカラッと乾いていなくてはならない。となるとここはもう、イギリスの出番ではない。アルテックでもない。いや、あるてっくならせい一杯がんばって6041。しかしここはどうしてもJBLスタジオ・モニターだ。
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカー、を選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。あるいは、この本の出るころにはサンプルが日本に着くはずの、JBLの新型♯4345が、その期待にいっそう応えてくれるのかもしれない。
 スピーカー選びについて、いくつかのケースを想定しながら、具体例をいくつかあげてみた。次号では、これらのスピーカーを、どう鳴らしこなすのか、について、アンプその他に話をひろげて考えてみる。

ロジャース PM510

瀬川冬樹

ステレオサウンド 56号(1980年9月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 イギリス・ロジャースから、新しく、PM510(ファイヴ・テン)という、中型モニタースピーカーが発売された。すでに入荷しているLS5/8(BBCモニター)から、パワーアンプを除き、かわりにLCネットワークを組み込んだモデルである。したがって、一般的にはこちらのほうが扱いやすい。そして、LS5/8が、その後の値上りで一台99万円という高値になってしまったのに対して、PM510は一台44万円と、かなり割安になっている。ただし、音質には微妙な違いがあり、このスピーカーの音を好きな人にとっては、その微妙な違いは、どちらをとるか、大きな難問になるかもしれない。が、そのことはあとでもっと詳しくふれることにする。
 近年、スピーカーの特性を格段に向上する技術が進んで、比較的小型ローコストのスピーカーでも、相当に良い音を聴けるようになったことは喜ばしいが、反面、こんにちの技術の限界に挑むような製品が、アメリカのアンプやスピーカーにはいくつかみられるのに対して、イギリスのスピーカーに関するかぎりたとえばKEFのs♯104やスペンドールのBCIIなどの名作からもう少し上にゆきたいと思っても、せいぜい、KEFで105どまり、スペンドールでもBCIIIより上がない、といった状況が永らく続いてきて、イギリスの音の愛好家を失望させてきた。セレッションのデドハムや、ヴァイタヴォックスのCN191といった名器はあるにしても、KEFやスペンドールとは、その目指す世界があまりにも違いすぎる。
 そうした背景の中で誕生したロジャースのPM510は、近ごろちょっと手ごたえのあるイギリスのスピーカーの、待望久しい登場、といえそうだ。
 PM510は、ロジャースの新製品という形をとってはいるが、もともとはチャートウェル社の設計で、型番をPM450と称していた。これにパワーアンプ(高・低を分割した2チャンネル=バイアンプ)を組み込んだのがPM450Eで、BBCモニター仕様のLS5/8と同じものであった。
 BBCモニターLS5/8は、チャートウェル・ブランドで少量入荷した製品は、本誌1979年冬号(49号)の194〜195ページにも紹介したが、最初のモデルでは、パワーアンプはエンクロージュアの下側の専用スペースに収容されている。しかしロジャースで製造するようになってからのLS5/8は、アンプが外附式になり、その分だけエンクロージュアの寸法は小さくなった。むろん実効内容積は変化していない。ただ、前面のグリルは、型押ししたフォーム・プラスチックから、平織りのサランネットになり、両側面の把手の位置が少し下にさがるなど、小さな変更箇所がみられる。そして専用のクロームメッキのスタンドが別売で供給される。
 このLS5/8から、アンプをとり除き、エンクロージュア内部にLCネットワークを組み込んで一般仕様としたのが、ロジャースのPM510だ。したがって、エンクロージュアの外観も、使用ユニットも、専用スタンドも全く共通だ。細かいことをいえば、トゥイーター・レベル調整用のタッピングボードがなく、レベルは一切調整できない。入力はキャノンプラグ。したがって信頼性は高い。外装はチークで、良質の木材が選ばれ、仕上げはなかなか美しい。
 PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
 しかしこの音が、いわゆる〝異色〟などでは少しもない証拠に、聴きどころのピントが合うにつれて、聴き手は次第に引き込まれてゆき、ふと気づくと、もう夢中になってあとからあとから、レコードをかけかえている自分に気づかされる。何時間聴き続けても、少しも疲れない。聴き手の耳を少しでも刺激するような成分が全く含まれないかのような、おそろしく柔らかい響き。上質の響き。
 同じモニターといっても、JBLの音は、楽器の音にどこまでも近接し肉迫してゆく。ときに頭を楽器の中に突込んでしまったかのような、直接的な音の鮮明さ。ヴェールをどこまでも剥いでゆき、音を裸にしてしまう。それに対してPM510の音は、常に、音源から一定の距離を保つ。いいかえれば、上質のホールで演奏される音楽を、程よい席で鑑賞する感じ。そこにとうぜん、距離ばかりでなく、空間のひろがりや奥行が共に感じられる。そうした感じは、いうまでもなく、クラシックの音楽に、絶対に有利な鳴り方だ。ことに弦の何という柔らかな艶──。
 たまたま、自宅に、LS5/8とPM510を借りることができたので、2台並べて(ただし、試聴機は常に同じ位置になるように、そのたびに置き換えて)聴きくらべた。LS5/8のほうが、PM510よりもキリッと引緊って、やや細身になり、510よりも辛口の音にきこえる。それは、バイアンプ・ドライヴでLCネットワークが挿入されないせいでもあるだろうが、しかし、ドライヴ・アンプの♯405の音の性格ともいえる。それならPM510をQUAD♯405で鳴らしてみればよいのだが、残念ながら用意できなかった。手もとにあった内外のセパレートアンプ何機種かを試みているうちに、ふと、しばらく鳴らしていなかったスチューダーA68ならどうだろうか、と気づいた。これはうまくいった。アメリカ系のアンプ、あるいは国産のアンプよりも、はるかに、PM510の世界を生かして、音が立体的になり、粒立ちがよくなっている。そうしてもなお、LS5/8のほうが音が引緊ってきこえる。ただ、オーケストラのフォルティシモのところで、PM510のほうが歪感(というより音の混濁感)が少ない。これはQUAD♯405の音の限界かもしれない。
 いずれにせよ、LS5/8もPM510も、JBL系と比較するとはるかに甘口でかつ豊満美女的だ。音像の定位も、決して、飛び抜けてシャープというわけではない。たとえばKEF105/IIのようなピンポイント的にではなく、音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象を与える。またそれだから逆に、音ぜんたいがふわっと溶け合うような雰囲気が生れるのかもしれない。
 そういう音だから、たとえばピアノ、さらには打楽器が、目の前で演奏されるような峻烈な音は期待できない。その点は、やはりJBLのお家芸だろう。それにしてもこの柔らかい響きの波に身をゆだねていると、いつのまにか私たちは、JBL+マーク・レヴィンソン系の、音をどこまでも裸にしながら細部に光をあてていくような音の鳴らし方に、少しばかり馴れすぎてしまっていたのではないか、という気持にさえ、なってくる。いや、だからといって私は、JBLのそういう音を嫌いではないどころか、PM510の世界にしばらく身を置いていると、JBLの音に、ものすごくあこがれてくる。しかし反面、一旦、PM510の世界に身を置いてみると、薄いヴェールを被ったこの美の世界を、ひとつの対極として大切にしなくてはなるまい、とも思う。
 JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
 同じイギリスのモニター系スピーカーには、前述のようにこれ以前には、KEFの105/IIと、スペンドールBCIIIがあった。それらとの比較をひと言でいえば、KEFは謹厳な音の分析者。BCIIIはKEFほど謹厳ではないが枯淡の境地というか、淡々とした響き。それに対してPM510は、血の気も色気もたっぷりの、モニター系としてはやや例外的な享楽派とでもいえようか。その意味ではアメリカUREIの方向を、イギリス人的に作ったらこうなった、とでもいえそうだ。こういう音を作る人間は、相当に色気のある享楽的な男に違いない、とにらんだ。たまたま、輸入元オーデックス・ジャパンの山田氏が、ロジャースの技術部長のリチャード・ロスという男の写真のコピーをみせてくれた。眉毛の濃い、鼻ひげをたくわえた、いかにも好き者そうな目つきの、まるでイタリア人のような風貌の男で、ほら、やっぱりそうだろう、と大笑いしてしまった。KEFのレイモンド・クックの学者肌のタイプと、まさに正反対で、結局、作る人間のタイプが音にもあらわれてくる。実際、チャートウェルでステヴィングスの作っていたときの音のほうが、もう少しキリリと引緊っていた。やはり二人の人間の性格の差が、音にあらわれるということが興味深い。
 ひとつだけ、補足しておかなくてはならないことがある。PM510はいうまでもなく専用スタンド(または相当の高さの台)に載せることはむろんだが、左右に十分にひろげて、なおかつ、スピーカーの背面および両サイドに、十分のスペースをとる必要がある。これはイギリス系の新しいモニタースピーカーを生かす場合の原則である。