瀬川冬樹
ステレオサウンド 56号(1980年9月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より
イギリス・ロジャースから、新しく、PM510(ファイヴ・テン)という、中型モニタースピーカーが発売された。すでに入荷しているLS5/8(BBCモニター)から、パワーアンプを除き、かわりにLCネットワークを組み込んだモデルである。したがって、一般的にはこちらのほうが扱いやすい。そして、LS5/8が、その後の値上りで一台99万円という高値になってしまったのに対して、PM510は一台44万円と、かなり割安になっている。ただし、音質には微妙な違いがあり、このスピーカーの音を好きな人にとっては、その微妙な違いは、どちらをとるか、大きな難問になるかもしれない。が、そのことはあとでもっと詳しくふれることにする。
近年、スピーカーの特性を格段に向上する技術が進んで、比較的小型ローコストのスピーカーでも、相当に良い音を聴けるようになったことは喜ばしいが、反面、こんにちの技術の限界に挑むような製品が、アメリカのアンプやスピーカーにはいくつかみられるのに対して、イギリスのスピーカーに関するかぎりたとえばKEFのs♯104やスペンドールのBCIIなどの名作からもう少し上にゆきたいと思っても、せいぜい、KEFで105どまり、スペンドールでもBCIIIより上がない、といった状況が永らく続いてきて、イギリスの音の愛好家を失望させてきた。セレッションのデドハムや、ヴァイタヴォックスのCN191といった名器はあるにしても、KEFやスペンドールとは、その目指す世界があまりにも違いすぎる。
そうした背景の中で誕生したロジャースのPM510は、近ごろちょっと手ごたえのあるイギリスのスピーカーの、待望久しい登場、といえそうだ。
PM510は、ロジャースの新製品という形をとってはいるが、もともとはチャートウェル社の設計で、型番をPM450と称していた。これにパワーアンプ(高・低を分割した2チャンネル=バイアンプ)を組み込んだのがPM450Eで、BBCモニター仕様のLS5/8と同じものであった。
BBCモニターLS5/8は、チャートウェル・ブランドで少量入荷した製品は、本誌1979年冬号(49号)の194〜195ページにも紹介したが、最初のモデルでは、パワーアンプはエンクロージュアの下側の専用スペースに収容されている。しかしロジャースで製造するようになってからのLS5/8は、アンプが外附式になり、その分だけエンクロージュアの寸法は小さくなった。むろん実効内容積は変化していない。ただ、前面のグリルは、型押ししたフォーム・プラスチックから、平織りのサランネットになり、両側面の把手の位置が少し下にさがるなど、小さな変更箇所がみられる。そして専用のクロームメッキのスタンドが別売で供給される。
このLS5/8から、アンプをとり除き、エンクロージュア内部にLCネットワークを組み込んで一般仕様としたのが、ロジャースのPM510だ。したがって、エンクロージュアの外観も、使用ユニットも、専用スタンドも全く共通だ。細かいことをいえば、トゥイーター・レベル調整用のタッピングボードがなく、レベルは一切調整できない。入力はキャノンプラグ。したがって信頼性は高い。外装はチークで、良質の木材が選ばれ、仕上げはなかなか美しい。
PM510は、本誌試聴室と自宅との2ヵ所で聴くことができた。
全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。たとえばJBLのモニターや、国産一般の、概して音をピシッと引緊めて、音像をシャープに、音の輪郭誌を鮮明に、隅から隅まで明らかにしてゆく最近の多くの作り方に馴染んだ耳には、最初緊りがないように(とくに低音が)きこえるかもしれない。正直のところ、私自身もこのところずっと、JBL♯4343の系統の音、それもマーク・レヴィンソン等でドライヴして、DL303やMC30を組み合わせた、クリアーでシャープな音に少々馴染みすぎていて、しばらくのあいだ、この音にピントを合わせるのにとまどった。
しかしこの音が、いわゆる〝異色〟などでは少しもない証拠に、聴きどころのピントが合うにつれて、聴き手は次第に引き込まれてゆき、ふと気づくと、もう夢中になってあとからあとから、レコードをかけかえている自分に気づかされる。何時間聴き続けても、少しも疲れない。聴き手の耳を少しでも刺激するような成分が全く含まれないかのような、おそろしく柔らかい響き。上質の響き。
同じモニターといっても、JBLの音は、楽器の音にどこまでも近接し肉迫してゆく。ときに頭を楽器の中に突込んでしまったかのような、直接的な音の鮮明さ。ヴェールをどこまでも剥いでゆき、音を裸にしてしまう。それに対してPM510の音は、常に、音源から一定の距離を保つ。いいかえれば、上質のホールで演奏される音楽を、程よい席で鑑賞する感じ。そこにとうぜん、距離ばかりでなく、空間のひろがりや奥行が共に感じられる。そうした感じは、いうまでもなく、クラシックの音楽に、絶対に有利な鳴り方だ。ことに弦の何という柔らかな艶──。
たまたま、自宅に、LS5/8とPM510を借りることができたので、2台並べて(ただし、試聴機は常に同じ位置になるように、そのたびに置き換えて)聴きくらべた。LS5/8のほうが、PM510よりもキリッと引緊って、やや細身になり、510よりも辛口の音にきこえる。それは、バイアンプ・ドライヴでLCネットワークが挿入されないせいでもあるだろうが、しかし、ドライヴ・アンプの♯405の音の性格ともいえる。それならPM510をQUAD♯405で鳴らしてみればよいのだが、残念ながら用意できなかった。手もとにあった内外のセパレートアンプ何機種かを試みているうちに、ふと、しばらく鳴らしていなかったスチューダーA68ならどうだろうか、と気づいた。これはうまくいった。アメリカ系のアンプ、あるいは国産のアンプよりも、はるかに、PM510の世界を生かして、音が立体的になり、粒立ちがよくなっている。そうしてもなお、LS5/8のほうが音が引緊ってきこえる。ただ、オーケストラのフォルティシモのところで、PM510のほうが歪感(というより音の混濁感)が少ない。これはQUAD♯405の音の限界かもしれない。
いずれにせよ、LS5/8もPM510も、JBL系と比較するとはるかに甘口でかつ豊満美女的だ。音像の定位も、決して、飛び抜けてシャープというわけではない。たとえばKEF105/IIのようなピンポイント的にではなく、音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象を与える。またそれだから逆に、音ぜんたいがふわっと溶け合うような雰囲気が生れるのかもしれない。
そういう音だから、たとえばピアノ、さらには打楽器が、目の前で演奏されるような峻烈な音は期待できない。その点は、やはりJBLのお家芸だろう。それにしてもこの柔らかい響きの波に身をゆだねていると、いつのまにか私たちは、JBL+マーク・レヴィンソン系の、音をどこまでも裸にしながら細部に光をあてていくような音の鳴らし方に、少しばかり馴れすぎてしまっていたのではないか、という気持にさえ、なってくる。いや、だからといって私は、JBLのそういう音を嫌いではないどころか、PM510の世界にしばらく身を置いていると、JBLの音に、ものすごくあこがれてくる。しかし反面、一旦、PM510の世界に身を置いてみると、薄いヴェールを被ったこの美の世界を、ひとつの対極として大切にしなくてはなるまい、とも思う。
JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
同じイギリスのモニター系スピーカーには、前述のようにこれ以前には、KEFの105/IIと、スペンドールBCIIIがあった。それらとの比較をひと言でいえば、KEFは謹厳な音の分析者。BCIIIはKEFほど謹厳ではないが枯淡の境地というか、淡々とした響き。それに対してPM510は、血の気も色気もたっぷりの、モニター系としてはやや例外的な享楽派とでもいえようか。その意味ではアメリカUREIの方向を、イギリス人的に作ったらこうなった、とでもいえそうだ。こういう音を作る人間は、相当に色気のある享楽的な男に違いない、とにらんだ。たまたま、輸入元オーデックス・ジャパンの山田氏が、ロジャースの技術部長のリチャード・ロスという男の写真のコピーをみせてくれた。眉毛の濃い、鼻ひげをたくわえた、いかにも好き者そうな目つきの、まるでイタリア人のような風貌の男で、ほら、やっぱりそうだろう、と大笑いしてしまった。KEFのレイモンド・クックの学者肌のタイプと、まさに正反対で、結局、作る人間のタイプが音にもあらわれてくる。実際、チャートウェルでステヴィングスの作っていたときの音のほうが、もう少しキリリと引緊っていた。やはり二人の人間の性格の差が、音にあらわれるということが興味深い。
ひとつだけ、補足しておかなくてはならないことがある。PM510はいうまでもなく専用スタンド(または相当の高さの台)に載せることはむろんだが、左右に十分にひろげて、なおかつ、スピーカーの背面および両サイドに、十分のスペースをとる必要がある。これはイギリス系の新しいモニタースピーカーを生かす場合の原則である。
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