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サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 サイテイションXIIとは対照的な音で、こちらは重厚で粘りのあるサウンドを特徴とする。どちらかといえばウェットなサウンドの傾向である。それだけに音楽が軽薄に響くことはないが、ともすると、やや濃厚になり過ぎ、さわやかさやデリカシーが十分生きない。しかし、このボディの厚いサウンドの魅力は大きく、血の通った人間表現としての演奏の説得力に通じるものがある。十分に腰の坐った安定したバランスと弾力性ある質感は魅力的。
[AD試聴]ロージーの年増の魅力が発揮され、艶麗な表現の魅力は大したものである。また、バリトン・バスのヴォーカルも生々しく、どうやら人の声には好結果が得られるアンプのようだ。空間感は豊かだし、音の立身体感やまるみのある実感も第一級。マーラーは相当濃厚な表現で、レーグナーの流れるような素直さが、この粘りのある音とは少々異質だ。また「蝙蝠」のワルツのヴァイオリンが洒落た軽妙さを過ぎて俗っぽくなるのも不思議であった。
[CD試聴]ジークフリートのマーチの厚く柔らかい管の響きは大変魅力的だし、弦の音も十分しなやか。ショルティの演奏に肉付きが加わって豊潤になるのが、効果的であった。CDの音をドライな響きにすることがなく、むしろ、このアンプ持前の熱っぽく弾力性のある音の質感で補う方向が好ましい。ベイシー・バンドの音は、B&Wでもまずまずの再現だったがJBLでは一段と冴えて、輝きのある音色を十分聴かせる。ベースの弾みもよかった。

サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 C2301というサンスイのコントロールアンプはぼくが目下、大いに興味をもっている製品である。まだ新しい製品なので、ぼくも、それほど長くじっくりと使ったわけではないし、恐らく、これからファンが増えてくるアンプだろう。ぼくにとっては、国産、海外製を問わず、多くのコントロールアンプと接触する中で、これは、本気になってつき合ってもいいなという気を起こさせるアンプなのだ。
 ぼくの部屋にはアンプ棚がある。ここには六段の棚があって、一段に2台ずつのアンプが置けるから、計12台の収納が可能である。そのうち、コントロールアンプのためのスペースとしては、使用上の高さなどからして最上段や最下段は不適当だから、中三段ぐらいということになる。しかし、他にも、CDプレーヤーやチューナーも置かなくてはならないから、4〜5台というところがコントロールアンプのためのスペースだ。ここにある時期、継綻的に収まるものは、結果的にいって、ぼくの好きな製品ということになる。もちろん、好きなものでも、古いものは他の場所に片づけたり、あるいは、一時的に他のものと入れ替えたりすることがあるし、ほとんどが使わないのに、JBLのSG520とマランツの7Tは飾り物と化して居坐ったままというのが現実である。このJBLとマランツは、コントロールアンプのデザインの、偉大で対照的なクラシックだと自分では思っているので、想い出も含めて、どうも片づけてしまう気がしないのである。それはともかく、この棚には、こんなわけで、長年、収まりかえっているものや一日か数時間で取り出されてしまうものがあって、
ぼく自身も、結果的に、自分との関わり合いの濃淡を感じさせられることになるのである。ここにひと月以上入っているというのは、明らかにぼくの気を惹いた製品、三ヵ月になると、愛の芽生えたもの、半年を超えると相思相愛、一年以上同じ場所に居続けた製品は、伴侶である。なんとなく、こんな因果が、この10年くらいの間に出来上がってしまったようなのだ。コントロールアンプのアウトプットをつなぐパワーアンプ群は、ほとんど、この棚の裏部屋に収まっているので前からは見えないが、ここにも、これと似通った状況が見られるのである。
 サンスイのC2301は、まだ、合計で数時間しか、この棚に収まったことがない。しかし、その数時間で、それっきりになってしまわないなにかが、このコントロールアンプにあることを、ぼくはずうっと意識させられていたのである。本誌70号の新製品紹介記事を書くために聴いたC2301の音の魅力が頭から去らないのであろう。あの時、ぼくは、その音を耽美的な情感に満ちていると書いた。また、音楽に人間の生命の息吹きや、感情的高揚を求め彷徨している快楽主義者であるぼく……などと気恥ずかしい告白もやってのけた。天上の音楽を奏でるに相応しい無垢の音とは感じなかったけれど、それだけ暖か味のある魅力を、このアンプから感じ取ったことはたしかである。そして、〝ぼくにとってはこれでよい。いや、このほうがよい。色気がある音だから…〟と書いたのを覚えている。C2301は、明らかにぼくの情感を刺戟した。リビドーを感じさせた。アンプによっで、こうしたレスポンスを心の中に呼び起こすものと、そうではないものとがあることは一つの不思議である。その不思議ゆえにオーディオは面白く、また、その不思議と、科学的な技術問題の関連をさぐること、識ることが、オーディオの尽きない興味である。
 ルドルフ・フィルクスニーの慈愛と高潔の精神に満ちた音が、月並みな甘美さにしか聴こえなかったり、ひどい時には脆弱で鈍い音にしか聴こえなかったりする経験をぼくは知っている。この名ピアニストの、しかも、ぼく自身が録音したレコードによってさえ、ぼく自身にあれこれ聴こえるオーディオの音は、時として面白さを越えて恐ろしくすらある。C2301は、フィルクスニーを甘美に、そして、セクシーに響かせる。そこに、ぼくはこのアンプの魅力と不安を感じているのである。この稿を書く気になったのも、その魅力と不安からであった。そして、今、再び、C2301はぼくの部屋の棚に収まっている。一日ゆっくり、いろいろなレコードを聴いてみた。そして、ぼくは、一段と大きな魅力を、このコントロールアンプに感じ始めているのである。基本的には、ぼくの第一印象は間違っていなかった。しかし、聴けば聴くほど、そのヒューマンな暖か味と、情感の魅力の再現に惹かれていく自分を発見した。

Do me wrong Do me right Tell me lies But hold me tight Save your goodbyes For the morning’s light But don’t let me lonely tonight

 ローズマリー・クルーニーの歌う一節である。この人生経験豊なべテラン歌手の歌唱は見事という他はない。まさに熟女の官能とペイソスである。都会的である。
〝今夜だけは私を一人ぼっちにしないで……。しっかり抱いて……。さよならは夜が明けるまで云わないでほしいの……。〟
 理性と感情が、官能の虜の中でゆれ動く、この円熟した女の心と身体を深く美しく歌いあげる彼女、ローズマリー・クルーニーの表現は、このC2301の音の魅力と同質である。これ一曲を聴くためだけでも、このアンプの存在価値は高いといってもよいほどだ。
 このアンプが、これから、どんな音を聴かせてくれるかは大きな期待である。B2301とのバランス接続で聴いてもみたい。まったく異質なアンプとの組合せの妙も試してみたい。私のアンプ棚で、どんな存在になるのかは、私自身にも、今はわからない……。

サンスイ C-2301

菅野沖彦

ステレオサウンド 70号(1984年3月発行)
「BEST PRODUCTS 話題の新製品を徹底解剖する」より

 サンスイのアンプは、AUシリーズのプリメインアンプ群の充実したラインが確固たる基盤を築き、すでに8年にわたって基本モデルを磨き上げ、多くの技術的特色を盛り込みながらリファインにリファインを重ねるという、地道な歩みを続けている。初期のものと、8年後の現在のものとでは、中味は別物のアンプといってよいほど充実していながら、型番やデザインを変更せずに、また、音のポリシーも一貫したサンスイの感覚で練り上げるという地に足のついた姿勢は誰もが認めるところであろう。まさにオーディオ専門メーカーらしい自信と頑固さといってよく、また、それゆえに、今回の信頼と成果が得られたといってよい。当然、より上級のセパレートアンプの開発は技術者の念頭に常にあったにちがいないが、安易に商品として出さない周倒さも、このメーカーらしい用心深さというか、今か今かと待っていたこっちのほうが、じりじりさせられたほどである。
 82年暮に、パワーアンプB2301が発表され、続いて翌83年初頭に、その弟分ともいえるB2201が満を持して発売された事は記憶に新しい。このパワーアンプは、さすがに実力のある内容で、その分厚く、どっしりとした音の質感は、豊かな量感を伴って、音楽の表現の暖かさと激しさを、そして、微妙な陰影に託した心のひだを、よく浮彫りにしてくれる優れたアンプである。内容の充実の割には、見た目の魅力と、品位に欠けるのが憎しまれるが、部屋での存在として必ずしも表に現われることのないパワーアンプの性格上、容認できるレベルではあった。しかし、その時点においても、このパワーと対になるコントロールアンプは遂に姿を見せることはなかったのである。
 C2301としてベールをぬいだのが、その待望のコントロールアンプであって、去年のオーディオフェアの同社のブースに参考出品として展示されていたのを記憶の方もあるかもしれない。本号の〆切に、その第一号機が間に合って、試聴する機会を得たのは幸いであった。
 C2301。パワーアンプのB2301と共通の型番を持つこのモデルは、どこからみてもサンスイの製品であることが一目瞭然のアイデンティティをもっているのが印象的で、パワーアンプで苦情をいったアピアランスは、コントロールアンプでは一次元上っている。どうしても、目立つ存在であり、直接操作をするコントロールアンプとして、しかも、かなりのハイグレイドな製品ならば、使い手の心情を裏切らないだけの雰囲気を持っているべきだ。
 細かい内容は余裕があれば書くことにして、まずこのコントロールアンプの音の印象を記すことにしよう。サンスイのアンプの音の特徴はここにも見事に生きている。それは音の感触が肉厚であること。弾力性のある暖かい質感だ。脂肪が適度にのっていて艶がある。それでいて決して鈍重ではない。低音はよく弾み、ずーんと下まで屈託なくのびている。中域から高域は、決してドライにならず、倍音領域はさわやかだが、かさつかない。ブラスの輝やきは豪華だが薄っぺらではないし、芯がしっかりと通る。弦の刺戟的な音は、やや抑えられ過ぎと思えるほど滑らかになる傾向をもつ。どちらかというと解脱には程遠い耽美的な情感に満ちている傾向のアンプである。音楽は宇宙だから、そこにはすべての世界を包含するが、このアンプで天上の音楽を奏でることは無理だろう。正直なところ、筆者のように俗物として、音楽に人の魅力や生命の息吹きを求め彷徨している快楽主義者にとっては、これでよい。いや、このほうがよい。色気がある音だから。しかし、あまりに強くこういうことをいいたくなるというのは、長く聴いているとやや食傷気味になるような個性なのかもしれない……などと思ってみたりしている。なにしろ、きわめて限られた時間の試聴だから、完全に自信のある印象記は書けない。
 オーディオ的な表現をつけ加えるならばプレゼンスはたいへんよいし、定位感も立派なものだ。奥行きの再現、音場の空気感も豊かだし、見通しのよい透明度もまずまず。肉感的な音の質感だから、音像のエッジはそれほどシャープな印象ではない。シャープさを望むなら、他に適当なアンプもあるから、このほうが存在理由があると感じられる。紙数がなくなったが、このアンプも、最近のサンスイ・アンプの技術的特徴であるバランス回路方式をとっていて、出力はアンバランスとバランスの両方が得られる。
 コントロールアンプとしての機能はよく練られ、随所に細かい気配りとノウハウのみられる力作である。