菅野沖彦
ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「いま一番知りたいオーディオの難問に答える」より
Q:完成度の高いシステムで、音楽に専念したい。グレードアップや買い換えの必要のないものを推選して下さい。
A:この質問を見ると、グレードアップや買い換えの必要のないもの、完成度の高いものとあり、値段の条件もかかれていない。ごく普通に考えれば、これは最高級のものという意味にとれる。少々俗っぽく考えれば、これ以上、高いものはないというシステムを意味するようにも思える。しかし、それならば、なにも、わざわざ質問をするまでもない。一番高い値段のものを組み合せれば、いとも簡単だ。そこを、あえて質問を寄せられたからには、どうやら、オーディオシステムの性格を知っておられるように思える。しかし、それにしては、音楽に専念したいとあるだけで、自分の好みについて何も触れていないのもおかしい。とすると、オーディオについてはそれほど理解はないけれど、高級品と高額品の違いをはっきり認識しておられる人にちがいない。世の中をよく御存知なのだ。しかし、Q氏(かりにそう呼ばせていただこう)が、それを承知なほどの方ならば、この質問が、いかに無理難題であるかも判っておられるはずだ。音楽に専念したいという一言で目的を説明出来たと思っておられるならば、それは少々単純過ぎるが、音楽への理解がなさ過ぎるというものだ。オーディオ機器は、機械であるから、最高のものなら、何をかけてもちゃんと、正しく、レコードに入っている通りの音を鳴らすものと思われているかもしれないが、それが、そうではないところに、オーディオの問題点も、興味もあるのであって、また、それ故にこそ、オーディオが趣味になっていることも御理解いただきたいのである。そしてまた同時に、どんな機械でも、その成果は使い手次第であることも認識していただきたいのである。クラシック向き、ジャズ向き、あるいは、弦楽器向き、ピアノ向き、ヴォーカル向きなどということを不用意に言うつもりはないが、千人千通りの嗜好があって、千機種千通りの音色があるとすれば、ことはそれほど単純ではないことは理解していただけるであろう。グレードアップとか、買い換えというのは、ただ購買欲をあおるメーカーの戦略ならいざ知らず、事実は、ドン・ジュアンの女漁り以上に切実で、純粋な美の探究者たちの求道の軌跡なのである。しかし、それは決して苦難の連続の泥沼などとは考えないでいただきたい。それは、むしろ、永遠に尽きることのない百花繚乱の花園に遊びながら、彷徨の中から美の高みへ導かれ自分も磨かれ、高められていく実り多い旅であるとお考え願いたい。
親愛なる読者Q氏に申し上げたい。あなたが、ほんとうに良いものを求められる時、それが、あなたにとって価値ある対象であるならば、自身にとって最適なものを選ぶという主体性なくしては選べないことを、私が今、申し上げるまでもなく、あなたは御存知なはずである。あなたの生活にとって、何が最も価値あるものかは私が知る由もないことだが、かりに、オーディオ機器で音楽を聴くことが、あなたの生活の伴奏程度なら、私も気軽にお答えすることが出来るであろう。しかし短いながら、あなたの質問に書かれた、いくつかの言葉の意味は、私をそう気軽にさせない重味をもっている。もしかりに、私の友人が、車の好きな私に同じような質問をしたとしても、私は答えに窮することだろう。彼が、車を日常の足としてしか関心を持たないことを私が知っていれば、それなりの返事も出来るだろうが、グレードアップや買い換えの必要のない車で、ひたすら走りに専念したいといわれたら、いかに私がシビックの新しいモデル25iがいい車だと思っていても、それを推薦するわけにはいかないであろう。かといって、いかなる走りに専念するのかが判らないままに、私の大好きなポルシェ911を推める自信も私にはない。かつて、私は、そのような愚かな事をして、せっかく買ったポルシェを「あんなひどい車は乗れない!」といって一と月で手離された苦い経験をもっている。その人にも悪いことをしたと思ったし、それ以上にポルシェには申し訳ないことをしたと思ったものだ。
Q氏! ましてや、あなたの質問されているオーディオ機器は、人の感性と情緒を通し、人の精神にも訴えかけることを目的とした存在で、音楽という深い芸術に関与するものなのだと私は思う。そして、値段のことなどをいうと、あなたに失礼なのかもしれないが、現時点でもグレードアップや買い換えの必要のないシステムともなると、一式で、ポルシェが一台ぐらい買える価格になるのである。Q氏が人生で得られた、数々の重な体験と価値観の中で、オーディオを考えていただけるならば幸いである。
最後に、せっかくの御質問なので、これなら、多くの人々が失望を味わわないであろうと思われるシステムを御参考までに御紹介することにしよう。決して最高級でも、最高価格品でもないが、音楽に専念するに足るものだと思うし、価格面も考慮して価値あるものだとも思える私の推薦組合せである。
プレーヤー:トーレンス TD126MKIIIBC
トーンアーム:SME 3010R
カートリッジ:トーレンス MCHII
プリメインアンプ:マランツPm84
スピーカー:ボスンアコースティック A400
右のシステムは、クォリティの高さに比して、大きさも、それほど大げさではないし、値段的にも中級辺りで価値の高いものだといえるだろう。音楽に専念したいというQ氏の言葉を、オーディオ機器にはそれほどこだわらないレコードファンと解釈すれば、グレードアップや、買い換えの必要性も少ないと思うである。そして、何より、使いこなしはそれほど難しくないはずだ。ただしプレーヤーだけは専門家にきちんと取付調整をしてもらうことを条件とする。
0 Comments.