Daily Archives: 1985年3月15日

イケダ Ikeda 9、メルコア PHYSICS 95

菅野沖彦

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「いま真摯なアナログディスクファンのために クラフツマンシップが息づくふたつの手づくりカートリッジ」より

 私の手許に、今、新しい二種類のカートリッジがある。どちらも既成のメーカー製品ではなく、それぞれ手づくりの製品で、これを造った人の情熱と努力の結晶である。レコードから、より精緻に情報を拾い出したいと願う真摯な技術欲、とでもいった精神から、これらのカートリッジが生まれたことはいうまでもないが、この二つのカートリッジにまつわる技術的バックグラウンドが、きわめてユニ−クなオリジナリティをもつもので、私の知る範囲で、その製作者と、製品の特徴について記し、アナログディスクファンの御参考に供したいと思う。

 まず、時期としても先に登場した〝フィジックス95〟カートリッジから述べよう。
 平沢金雄氏が、その開発者である。私は氏を、ずい分昔から知っていた。一緒にヨーロッパ旅行をしたこともある。ギター演奏を専門とする音楽家であるが、オーディオへの関心の強い氏は、私が知己を得た10年以上も前から手造りでカートリッジを製作しておられた。私が録音したレコードを大変高く評価して下さり、特にピエール・ブゾンのピアノによる〝ラ・ヴィ〟は、氏がリファレンス・レコードとしても愛聴されているという嬉しい話をうかがったこともある。音楽は専門家だが、外国語も堪能で、科学技術知識が豊かな平沢氏のシャープな人柄は、一度会ったら忘れられない。
 その氏から連絡があったのは昨年の九月頃で、久しぶりのことだった。実はその少し前に、私の手許に平沢氏が開発した新しいカートリッジとトランスが届けられ、聴いてみるようにとの連絡を受けていたのである。しかし、その製品は、何故か左右出力が逆相であり、しかも意図的にそうしてあると説明があったのだ。疑問をもった私に、平沢氏が直接説明に来られたのだが、氏の説明によると、現在のすべてのステレオレコードの逆相カッティングこそに重大な欠陥があって、それをカートリッジ側で、再び逆相にして正相にもどしているのが間違いであり、氏のカートリッジは、カートリッジそのものは正相であるというものであった。なるほど、たしかに、45/45ステレオカッティングは、ステレオ初期のモノーラルとのコンパチビリティを得るために、逆相カッティングにより垂直方向の振動を水平方向化するという、当時としては巧妙な方法と思われる実技的手段をとっていて、それが、そのまま現在に及んでいるものだ。したがって、現在のすべてのステレオカートリッジは逆相接続によって、結果的に正相に戻しているわけだから、平沢氏の説明の通りなのである。しかし、平沢氏の正相接続では、結果的にスピーカーからは逆相成分が再生されるので、私の耳には、その不自然さが気になって、その段階では納得できなかった。では何故、あえて、平沢氏がカートリッジそのものでカッティングの逆相に対処しなかったのか? ここが、きわめて重要なボイントなのである。
 私が平沢氏と御無沙汰していた長い年月の間、氏は、物理学を始め、生理学、心理学などの勉強に没頭され、氏が、かねがね感じられていたレコードの音への疑問の探究に明け暮れておられたらしい。その結果、氏が自信をもって発表されたことは、レコード再生音のもつピッチの不明確さという重大な問題であった。これは、本来、440Hzのピッチに調弦された楽器の音が、録音再生のプロセスを経ることにより、ひどい話では、435Hz〜455Hzいう実に20Hzもの範囲に拡がってしまうというものである。つまり、その範囲にびっしりと幅をもってピッチが並んでしまう……いわば、写真におけるピントの甘さが、千分の1ミ
リの線を百分の1ミリの幅に拡げてしまうような現象だと氏は説明されるのである。そして、これを、スプレッド現象と呼び、再生音の新しい歪現象として提唱されたのである。例えば、A=440Hzに調弦されたギターの演奏のレコードをプレイバックして、これに合せてギターを弾く場合、ターンテーブルの回転が正しく33 1/3rpmならば、演奏するギターをA=440Hzに調弦すれば、ピッチは正しく合う。ところが、再生音からスプレッド現象が起きている場合、ギターの調弦をA=435Hzにずらせても、あるいは逆に、A=450Hzにあげても、レコードの音とピッチが合ってしまうというものだ。平沢氏にこれを実験してもらって私も驚嘆してしまった。このいわばピッチ歪というものは、いまのところ電気的に測定するのが不可能なのだそうだ。つまり、平沢氏によると、すべての電気回路、素子は、多かれ少なかれ、このスプレッドというピッチ歪をもっているということなのである。
 私も、以前にこれに似た経験をしたことを思い出す。もう20年も前、ある録音をしている時に、私の親しいギタリストが、電気楽器とのアンサンブルで、その楽器とはピッチが厳密にとれないといい出され、仕事が中断してしまったことがある。ギタリストは電気楽器がこわれている! といってきかないし、電気楽器の演奏をしていたお嬢さんはおろおろするばかり。しかし、私たちの耳にはユニゾンでのピッチのずれは気にならないので、そのまま録音し、プレイバックしたのであるが、ギタリストも再生音で納得してしまった。また、発振器のちがいが音色のちがいとして感じられる経験もさせられた。
 オーディオ機器は、その録音再生のプロセスで、多くのスプレッドを出しているらしいが、この元凶の一つが逆相カッティングにあるというのが平沢氏の指摘であり、カートリッジ側で戻すことによって、さらにスプレッドが増加するといわれるのであった。しかし、私も頑固だから、だからといって逆相ステレオの気持ちの悪さのほうが耐えられないから、これでは承服し兼ねるといいはったのが昨年秋であった。そのスプレッド現象は、どうやら、ある種の物性でもあるようで、その後、フィジックス95カートリッジの改良によって、コンベンショナルな接続……つまり、他のカートリッジと同様の位相処理でも大幅に、このピッチ歪を減少させることになったという新型が、平沢氏から送られてきた。
 私は残念ながら、絶対音感はもっていないが、相対的なピッチについての判断、それらによって影響される音色の変化があるとすれば、それにはアブソリュートな判断の自信はある。だから平沢氏の実験によりピッチ歪のあることは確かに自分で確認できた。しかし、平沢氏のいうようにすべての音色問題がスプレッドに起因するとは思えないのである。あらゆるカートリッジがもっている音色的な個性は、スプレッドの他にも原因があって、多くの諸歪が、すべての機器にはまだ残っていると信じている。しかし、オーディオに、こういう現象が起こることを、今まで、誰も指摘していないし、ましてや、それをコントロールする技術に挑んだのは平沢氏だけであろう。なんらかの物質を、必要に応じた加工方法をもって使わねばできあがらない機械についてこの新しい技術的発想と実験は高く評価してよいと思う。また物性以外に起因する、 スプレッド現象──例えば、逆相のカッティングのような──についても、まだまだ研究のメスを入れる余地が大きいとも思われる。
 平沢氏は物性について、グレードを問題にすべきだと主張する。鉄材、無酸素銅、金などが、加工プロセスで変質し、スプレッド現象を増加させるため、ただ、不純物の混合の度合いだけで判断するのは、オーディオ用としては早計に過ぎるという痛烈にして当を得た批判も展開される。部品による音色の違い、電流の質によるそれなど、従来、耳で聴いて指摘されてきた音の違いに比して、従来の物理学の追求は追いつかないが、それは物理学には質の係数が欠けているからだと説明するのである。そして、このように、物の質の解明を行なわず、有用性のみで科学文明を押し進めれば、あらゆる汚染が重なり合うことになるとも敷衍するのである。オーディオという人間の最も鋭敏細妙な感性を対象とする機械文明を通して、新しい物理学を提唱するという意味で、このカートリッジに〝フィジックス〟という名称がつけられたそうだ。
 この製品はMCカートリッジ(ヘッドシェルを含む)とそのトランスの組合せでスプレッドを抑さえ込むというもので、必ず一対で使用すべきであろう。聴感上の音色、音質は多くのカートリッジの中でもっとも癖を感じさせないニュートラルなものという印象である。まったくの手造り製品で、そのデザインや仕上げに夢はなく、お世辞にも美しいものではないが、材質、加工、形状のすべてをスプレッド現象抑制を目的に、ひたすら忠実な変換器に徹するコンセプトから生まれたわけだから仕方がないだろう。
 それにしても、こういう製品に接すると、いまさらながら、オーディオの不可解さと、その怪しげな美と魅力の世界について考えさせられてしまう。いろいろな音を出すカートリッジについて、いつも、毒が薬になったり、本当に毒になったりする複雑な実態に悩まされているが、だからといって、この製品が唯一無二の正しい音を聴かせてくれるカートリッジの終着点だと思い込む自信もまったくない。悩み、惑いは果てしなく続くものなのであろう。
 もう一つの新しいMCカートリッジもユニークな製品である。
〝IKEDA9〟がその名称だ。池田勇氏の作品である。池田氏とは、もう30年を優に超えるおつき合いだ。池田氏は、その一生をカートリッジ設計製造に捧げてきたといってもよい人物で、SPレコード用のピックアップの時代から、この仕事に携わっておられる超ベテランのカートリッジ専門家である。私が氏に初めて会ったのは、昭和28年頃と記憶するが、学生時代、なけなしの小遣いをはたいて買った、グレースのモノーラルLP用カートリッジF1の修理を依頼するため、品川の同社を訪問した時だ。その後、独立されて、FRカートリッジのフィデリティリサーチ社を創立され、数々の優れた製品を手がけられたが、昨年、同社を離れ、わずらわしい会社経営から解放されて、長年の構想の実現であるこの製品の手造りを始められた。FR1からFR7まで、氏の作ったMCカートリッジの実績は世界中にMCカートリッジブームを巻き起こす力となったほどであった。その池田氏が、今度は自身の名を冠したカートリッジを発表されたのである。
 その内容はきわめて挑戦的なもので、ちょうどカッターヘッドと相似の構造である。いいかえれば、針先の動きをダイレクトに発電するという理想を具現したものである。つまり、このカートリッジにはカンチレバーはない。あるのは、針先を支える小さく軽いアルミホルダーのみ、ここから直接、コイルがそれぞれ45度方向に結合され、その先端が半球型のダンパーに固定されている。コイルは弓型に巻かれ、サスペンションを兼ねている。前後方向の支持は特殊な緩り線で後方に引っ張っている。半球型のダンパーと書いたが、正確にはマッシュルーム型で、この形状になるまでに、どれだけの苦労があったことか……。確かに、初めは半球型で、ニップルダンパーと呼んでいたが、製品になる段階では現在のマッシュルームダンパーとなった。針先の動きを直接コイルに伝えるダイレクトカップリングの理想をこれほど追いつめた製品は世界に他にないだろう。いうはやすし、おこなうは難しで、このアッセンブリーは至難の技である。とても、とても、量産などできるしろものではない。針先の音を直接聴いてみたいというカートリッジの鬼が執念で作り上げたカートリッジという他ない。頭で考える人はいても、誰も手をつけることができなかった構造だ。発電コイルは同時にサスペンションでもあり、その弓型の形状やダンパーの接合、髪の毛よりも細い線を巻いて硬め、これをチップホルダーに固定するというのは、まさに離れ技といってもよく、その困難さは想像以上だろう。ヘッドシェル一体型構造で、指かけまでアルミ切削のボディは、池田氏自身の手による旋盤加工で、シンプルだが美しいものだ。
 また、もともと、池田氏はFR1の開発以来、一貫してピュアMC、つまり、磁性材の巻枠をもたない空芯コイル方式をオリジナリティとしてきたわけで、ここにもそれは守られている。もっとも、この構造では巻枠など入り込む余地はないし、振動系の軽量化を著しく損ねる。
 音の質感は明らかに一味違う。繊細で、あまり微弱な間接音が出るので戸惑うほどだ。
 トーンアームへの取り付けは相当厳密に行ない、ディスクに対するラテラル方向を入念に調整しないと、敏感に影響が現れる。また、構造上、ほこりがつきやすいので、柔らかい刷毛で注意深くクリーニングをすることも大切だ。条件を整えると、このカートリッジならではの曖昧さのない、締まったソリッドで、明確な輪郭をもった音像の魅力が他では得られぬ再生音として聴かれるであろう。相当敏感なカートリッジだけに、レコードのあらも鋭敏に再生する。イージーに安心して聴き流すというタイプではない。カートリッジ自体で、少々のあらは吸収してしまうという実用性を期待すると見当ちがいである。車でいうと、きわめて俊敏なスポーツカーといった感じで、整備のミスや運転のミスは許されないといった傾向のエンスージアスト好みの性格に共通したところがある。
 いかにも趣味性の高いアナログディスクファン好みの製品である。イージーハンドリング、イージーリスニングの便利な機械の氾濫はある面、このオーディオの世界をつまらないものにしていると思うのだが、そんな時代にあって、こうしたカートリッジの登場は喜ばしい。これは、あたかも針先と発電コイルがダイレクトに連るように、ユーザーと、製作者の池田氏がダイレクトに連ってオーディオを共に苦しみ、共に楽しむことのできる製品なのである。だからこそ、池田氏も、これに象徴的、あるいは抽象的な名前をつけないで、ダイレクトにIKEDAという名前をつけたのであろう。このカートリッジをもつことは池田氏と友人になることのように思えるものだ。これは、今のオーディオに欠けているものではないだろうか。大量生産、大量販売という体質からは得られないことだし、そうした体質から生まれることができる製品ではないのである。大きな資本と組織でなければできないこともある。しかし同時に、そこには失われるものもある。この製品に接して私は、先に述べた30年以上も前の池田氏との出合いの頃の、楽しかったオーディオのことを想い出した。あれこれと苦労をしなければ、まともな音を出せなかった時代だけに、その楽しさも格別のものであったように思えるのである。
 こんなわけで、この製品は、誰にでもすすめられるというものではない。池田氏のチャレンジに共感し、このカートリッジの本質を理解する人にとって興味深く、魅力的なものといえるであろう。

JBL 120Ti

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 JBLからコンシュマープロダクツの新ラインナップとして、Tiシリーズが登場することになった。この新シリーズは、従来のL250をトップモデルとしたしシリーズに替わるべき製品群で、現在、250Ti、240Ti、120Tiと18Tiの4モデルが発売されているが、そのモデルナンバーから類推しても、120Tiと18Tiの中間を埋めるモデルが、今後登場する可能性が大きいと思われる。
 新シリーズの特徴はスコーカーの振動板にJBLとしては、初めてのポリプロピレン系の材料と、既にコンプレッションドライバーユニットのダイヤフラムとして、2425、2445に採用されているチタンをトゥイーターダイヤフラムに採用したことである。ちなみに、Tiシリーズの名称は、このチタンから名付けられたものだ。
 新シリーズの4モデル共通に採用されているトゥイーター044Tiのダイヤフラムは、25μ厚のチタン箔をダイヤモンドエッジと特殊形状のドーム部分とを下側から渦巻状の窒素ガスを吹付けて一体成形してあり、ドーム部は、強度を確保するために放射状に配した4本のメインリブと2本の同芯円リブ、さらに、両者の交点をつなぐサブのリブを組み合せた特殊構造により、2425などに採用された250μ厚のチタンと同等の強度を得ており、従来の044と比較して出力音圧レベルが、3dB、許容入力も30Wのピンクノイズに耐えるまでに向上しているという。また、周波数特性も−3dBで23kHzと伸び、ダイヤフラムが軽量化されたため、過渡特性も優れ、デジタル録音に素晴らしい立上がりを示す。
 一方、ポリプロピレン系の振動板もJBLとしては初採用だが、従来の紙に替わって新採用されたのは、19Tiの16cm口径ウーファーが最大のサイズであり、それ以上の口径では、紙のほうが便利との結論のようであり、安易に、より大きな口径のコーン型ユニットに採用しないのは、名門の見識とでもいいたいところだ。ある雑誌に240Tiの36cmウーファーも特殊ポリプロピレンコーン採用とのリポートがあり、一瞬、驚かされたが、資料をチェックしてみれば明らかに誤報である。それほど、ポリプロピレンで大口径コーン型ユニットを開発することは、困難であるわけだ。なおJBLで採用したポリプロピレンは、炭素粉を適量混入して硬度を上げているとのことで、3ウェイ構成以上のコーン型スコーカーは、すべて、この特殊ポリプロピレンコーン採用である。
 その他、エンクロージュア関係では、フィニッシュがチーク仕上げとなり、グリルが、フローティング・グリルと呼ばれるグリル枠の反射によるレスポンスの劣化を防ぐ構造が新採用されている。また、上級2モデルは、バッフルボードの端にRをとった、ラウンドバッフル化が特徴である。
 今回、試聴した120Tiは、Lシリーズでは、ほぼ、L112に相当するユニット構成をもつ3ウェイ・システムである。
 30cmウーファーは、独特な魅力のあるサウンドで愛用者が多いアクアプラス複合コーン採用で、表面からスプレーをかけて黒に着色してある。磁気回路は当然のことながらJBL独自のSFGタイプだ。
 13cmコーン型スコーカーは、特殊ポリプロピレン振動板採用の104H、トゥイーターは、シリーズ共通のチタンダイヤフラム採用のドーム型ユニット044Tiだ。
 エンクロージュアは、リアルウッドのチークを表面に使い、40年間のキャリアを誇るJBL伝統のクラフトマンシップを感じさせるオイル仕上げであり、ユニット配置は左右対称ミラーイメージペアタイプであるが、左右の木目はリアルウッド採用の証しで、絶対に一致することはない。
 また新シリーズは、Lシリーズではバッフル面にあったレベルコントロールが、スイッチ型になり裏板の入力端子部分に移され、不要輻射を防ぐとともに、接点部分の信頼性が一段と向上し、音質的なクォリティアップがおこなわれている。
 試聴は、スタンドにビクターLS1を、底板にX字状にスタンドが当たる使用方法ではじめる。最初の印象は、JBL独特の乾いて明るい音色が、少し抑えられ、穏やかさ、スムーズさが出てきた、といったものだ。スタンド上で位置の移動でバランスを修正し、ユニット取付けネジを少し増締めすると、反応がシャープになり、全体に引締まった音に変わってくる。良い意味でのポリプロピレン系の滑らかさ、SN比の良さが中域をスムーズにし、チタンの抜けの良さが、音場感の拡がりと、低域の活性化に効果的だ。かなり楽しめる新製品だ。

オンキョー Grand Scepter GS-1(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
特集・「ベストコンポーネントの新研究 スピーカーの魅力をこうひきだす」より

 オンキョーGS1は、オールホーンシステムという、スピーカーの構造としてはっきりとした特徴を待ったスピーカーです。低域までホーン型を使ったオールホーンシステムというのは、ダイレクトラジエーター方式のシステムと比べていろいろな点でメリットが多く、そのことは理解されていたわけですが、その反面のデメリットも非常に多かったと思います。それを理解した上で、ごくごく特殊な人たちが、そのデメリットを使いかたで何とかカバーして、すばらしい音にしているというような状況であったわけだけれども、メーカーの製品でオールホーン型スピーカーを、ここまでまとめたシステムというのは初めてだろうと思います。
 ホーン型スピーカーのメリットは何かというと、いちばん大きいのは非常にトランジェントがいいということでしょう。それから、ホーンによって非常に能率が高くできる、この2点が大きなメリットとしてあります。それに対して一般的なデメリットはなにかというと、まずホーンの鳴きがどうしてもとれないということでしょう。ダイヤフラムから出た音がホーンから放射されるときに、いろんな反射音をつくり出してしまう。そのために、本来の再生音にホーン鳴きが加わって、独特の音色をつくる。ある意味では、その独特の音色というものが、個性的なホーンのよさとして好まれている面もあったわけだけれども、正しい再生をするためには、一つの問題であったと思います。
 GS1は、ホーン型のウィークポイントとされていた部分にメスを入れたシステムで、オンキョーが一番力をそそいだのは、そのホーン鳴きをまずなくすことだったといいます。さらに、ホーン内部における音の反射をなくし、再生周波数帯域内でのリスニング位置への音の到達時間がきちんと等しくなるような努力をしたという。それによって、非常に忠実な音色というものが得られるようになったのが、このGS1の一番大きな特徴だと思います。
 今までのスピーカーシステムで、各周波数における聴取位置までの到達時間をきちんとそろえるということは──言い換えれば完全にリニアフェイズで再生するということは──ダイレクトラジエーターにおいては幾つかの例があります。しかし、ホーン型でこれを実現したというところに、このスピーカーの一番の特徴がある。それによって、スピーカーとして完璧なものになったとは言わないけれども、ホーン型スピーカーのよさというものがさらにクローズアップされることになりました。
 ただ、一方において、このスピーカーといえども、いろいろ限界がありまして、特に一番ネックになっているのは、ホーンでありながら能率が低いということです。この規模のホーンシステムならば、100dB/W/mぐらいの能率が稼げてしかるべきですが、公称値は88dB/W/mにすぎないわけです。実際には、聴感的なレベルでは、86dB/W/mぐらいの感じです。
 なぜこれほど低能率になってしまったかというと、低音ホーンに全体の能率を合せようとしたからなのです。このスピーカーの場合には、オールホーンシステムとするために、低域まで完全にホーンロードをかけています。このGS1に使われている低音用ホーンは、非常にきれいに低域までホーンロードがかかるんだけれども、低い帯域ですと非常に能率が低くなる。そこの帯域にすべてのユニットの能率をあわせる必要があったわけです。
 したがって、ホーンドライバーの能率の良さは、絞りこまれて犠牲になって使われているということで、全体としては88dB/W/mの能率しかないというところが、一番大きなデメリットです。
 そういうわけで、決してこれが理想的なスピーカーとは言えないわけですが、今までのスピーカーの歴史の中で、オールホーン型でここまでホーン鳴きと時間特性というものを追求し、それをコンシュマーユースのスピーカーとして具体化したものはなかったわけで、そこが素晴らしい。
 しかも、フロアー型のオールホーンスピーカーではあるけれども、比較的コンパクトに、家庭で使えるサイズにきちんと全帯域がまとめられているということも、これも一つの商品として見ると、非常に画期的と言えます。
 ただ、時間特性をあまりにシビアに追求し、ホーンの内部での反射を極限までカットしたことで、時間特性がスピーカーの開口面においてきれいにそろってはいるものの、実際にスピーカーをリスニングルームに置いたときには、リスニングルームの中に全体の音が拡散していきますから、したがってリスナーの位置で聴くときには、完全にあらゆる周波数帯域の時間がぴしっと一致するということは、これは無響室でもない限り不可能なわけです。しかし、ごく短いところでの一次反射の時間ずれさえなければ、あとの反射音は空間のライブネスとして私たちは認識できますから、音色の忠実性を確保するためには、非常に短い時
間でのおくれ、つまり一次反射──スピーカーのすぐ側面に反射性の壁があるというような状態でおこる──を排除するということが重要です。その点をきちんとしてやれば、このスピーカー独特の音色の忠実性というものを楽しめます。
 そういう意味で、今までのスピーカーよりも、多少、置き方とか使い方が難しいと言われるのもいたし方のないことではないかと思います。
 今まで、このスピーカーはいろいろなところで聴いてきましたが、どちらかというと能率が低いために、よほどのハイパワーアンプでドライブしない限りは、大きなラウドネスで鳴らすというチャンスがありませんでした。しかも非常にデリケートな音色の忠実性を持っているものだから、ついつい比較的低いレベルでの音のデリカシーを活かすということで、クラシック中心に聴いてきたように思うのです。
 せっかくのホーンシステムが持っているハイサウンドプレッシャーレベルの再生音の良さということを、今まで無意識ではあるけれども、聴いてこなかった。それでこの際、ハイパワーアンプで、このスピーカーから大音量再生してみたいと思ったわけです。このスピーカーの能力としても、能率は低いけれども、逆に許容入力は、オンキョーの発表データを見ても、3kWと書いてあり、88dB/W/mの出力音圧レベルでも、瞬間で3kW入れたら、相当な高いSPLに達するわけです。
 それで、このスピーカーでハイSPLの必要な音楽を聴いてみたいという、かねがね思っていたことを今回試してみました。高いSPLで再生する音楽というと、すぐフュージョンとかロックが思い浮かぶかもしれませんが、実際にはそれほど単純なものではありません。しかも、フュージョンとかロックというのは、電気楽器を多用していますから、その音を主観的にいい悪いということは自由に言えるけれども、本当に正しい音であるかどうかはわからないし、ある意味では、ソースそのものが、このスピーカーの持っているクォリティよりも悪いクォリティの音である場合が多いですから、このスピーカーの能力を考えたときに、ハイサウンドプレッシャーレベルでしかもアコースティックなものと考えた結果、僕はやっばりオーソドックスなジャズのフルバンドの演奏を、このスピーカーで聴いてみたいというふうに思いました。この組合せでは具体的に、僕が一番好きなカウント・ベイシーのオーケストラのレコードを、このスピーカーがどんなふうに再生するかがポイントです。
 ハイサウンドプレッシャーレベルでありながら、しかもアコースティックな音──つまり、新しくつくり出されたような楽器ではなくて、極端に言えば、神から授かった美しい音の楽器の音──で、しかも生き生きと体で感じるような迫力のある音楽の代表として、カウント・ベイシー・オーケストラを選んだわけです。
 また、ハイサウンドプレッシャーレベルを追求する上で、安定性とか、アコースティックフィードバックの影響を受けない点をかって、CDを主に使うことにしました。カウント・ベイシーの追悼盤として出ている『88・ベイシーストリート』。それから、『ウォームブリーズ』。この二つのCDを、このスピーカーで鳴らしてみようというふうに考えたわけです。
 『88・ベイシーストリート』というのは、カウント・ベイシーのピアノを音楽的にもオーディオ的にもフューチャーしたものと言えます。カウント・ベイシーのピアノというのは魔力といってもいいほど、たった一音を叩いただけでも、カウント・ベイシーだとわかる、独特のリズム感と音色を待ったピアノなんです。これが一体、どの程度リアリティを持って出てくるかが一つの聴きどころでしょう。
 それから、カウント・ベイシー・オーケストラのブラスセクションとサックスセクションの、怒濤のように押し寄せてくる雰囲気というのは、オーケストラのプレーヤーたちの抜群なピッチ感覚によるわけです。ピッチがすばらしいというのは、単に物理的にピッチが合っているというだけでは充分ではありません。それに加えて音楽的ピッチの良さが要求されます。つまり、ハーモニーとしてのピッチがすばらしい。そういうものが整っているからこそ、カウント・ベイシーのサックスセクション、あるいはブラスセクションというのは、こちら側を生き生きと駆り立てるような、言い換えればスウィングさせるというような音楽的特徴を持っている。その感じを、新しい技術の成果が反映したスピーカーで聴いたら、どんなふうになるだろうという期待が一番大きかったわけです。
 しかし、一方においては、さっき申し上げたように、このスピーカーの持ってる音色のデリカシーによって、クラシックも聴いてみたいという気持ちもありました。したがって、その両方をちゃんと再生でき、なおかつ、そのどちらにも第一級のレベルを求めるとなると、ドライブするアンプも一種類では難しいなという結論に達したわけです。
 具体的に組み合せる製品はどういう選び方をしたかというと、まずカウント・ベイシー・オーケストラの音を、このスピーカーから十分に引き出すことを考え、最初にアンプから選択していきました。そのときひとつの条件として、アンプの出力は今までのこのスピーカーを聴いた体験から、200Wや300Wではちょっと足りない。本当は1kWぐらい欲しいところです。しかし、1kWの出力を持ちながら音質のいいアンプというのは──SR用なら別ですが──この世にはまだありません。
 もちろん、アンプをBTL接続して、パワーを上げていくという方法もあるんだけれども、そこまで大げさにせず、一つのアンプで得られる最大パワーというのは今のところ500Wだろうと思います。500Wのアンプで、そして充分に質のいい音ということになると、私はマッキントッシュのMC2500以外に思いつかない。質と量の両立という点ではこのアンプが最右翼のアンプだと思います。プリアンプもマッキントッシュのC33を候補にあげて、MC2500との組合せを頭の中に描いたわけです。
 マッキンのC33とMC2500というのは、自分自身ずっと自宅で使っていますが、ハイパワーでありながら、ローレベルにおけるリニアリティや、あるいはデリカシーについても全く不満のないアンプで、そこが僕は好きなところなんです。
 しかし世の中にはいろんなアンプがあって、ある音量以下で聴くときは、これ以上にいいアンプというのもあるわけです。例えば、同じマッキントッシュでもMC2255の方がきめが細かい。また、他社のアンプを聴いてみますと、あるレベルででは、よりデリカシーのあるアンプというのはたくさんあります。クラシックの弦であるとか、それからピアノの本当の音色の変化、つまりピアニストによる音楽的な音色の変化──いいピアニストというのは必ず自分の音を持ってます。そういう、トップクラスのピアニストによるデリケートな音色の変化──こいうものを聴くためには、もっとニュアンスの豊かな、デリカシーのあるアンプが存在するのではないかというふうに思いまして、最近、僕の聴いたアンプの中から、これはいけると思って、頭に描いたのがカウンターポイントのSA5コントロールアンプと、SA4パワーアンプの組合せです。この二組の組合せで、このスピーカーをドライブしようというアイデアが浮かんだわけです。
 そこで、まずマッキントッシュ同士の組合せを聴いてみました。これはある程度、ぼくも既に実験済みでしたが、実際にここでまた改めてカウント・ベイシーの二枚のCDを鳴らしてみたんです。フルパワーをいれたときの非常に迫力のあるすばらしい音だけではなくて、さっき申し上げたブラスセクションとサックスセクションのユニゾン、あるいはハーモニーの正確さ、それが実際にフェイズの正確さとして、空気がわっと迫ってくる実感、リアリティというのが非常によく再現されたと思います。
 このMC2500はパワーガードのシグナルがフォルテシモでつくまでボリュウムをアップしてみても音が崩れることがありません。パワーガード機構が、波形ひずみを取り除いてスピーカーが破壊されるのを防いでいるわけです。実際、ランプがついたからといって音のひずみは感じらず、ダイナミックレンジがぐっと抑えられたという感じも全くしません。カウント・ベイシー・オーケストラのかぷりつきにいるぐらいの音圧感は十分得られました。
 さすがに、このスピーカーが持っている音色の忠実性が生きていたし、ベイシーのピアノのリズムの弾むようなところが、大音量にしてもいささかもへばりつきません。空間に自由に立ち上がるという点で、非常に満足のできる音になったと思います。
 カウント・ベイシーの音楽というのは、僕の最近の言いかたでいうと、ネアカで重厚なんです。ネアカ重厚というと、ちょっと表現が軽薄ですけど、これに尽きるわけです。スウィングする音楽というのは、人を明るくさせます。しかし、明るく、スウィングするというだけでは、本当に真の感動には至らない。音楽から得られる本当の芸術的な感動というのは、そこに非常に豊かな重厚さというものがあってこそ得られるもので、それでこそより感動が大きくなります。カウント・ベイシーのオーケストラというのは、そこに一番大きな特徴があるのです。
 具体的に言えば、サックスセクションの充実であり、リズムセクションの充実ということなんだけれども、これがスピーカーから安定して、がしっとして出てくる必要がある。ですから、トゥッティでフォルテシモになったときに、ブラスセクションのぴゃーという音だけに気をとられて、ハーモニーとしてついている中低域から低域の印象が薄れるような音になると、重厚さがなくなってしまう。
 そういう烏で、僕はこのMC2500でドライブしたときのこのスピーカーの音は、いかなるトゥッティにおけるブラスの輝かしい音が出てきても、中低域から低域のベースがしっかり安定していたと思います。つまり明るさと重厚さというのが、実に堂々とした安定感で両立し、再現されたのです。
 しかし、一方では、他にもいろいろな音楽を聴きたいわけで、このアンプでは、クラシックが荒くて、全然聴けないということでは困るわけです。その点も確認をしてみたわけですが、クラシックの微妙なニュアンスもかなりよく再現でき、このスピーカーの組合せとして自信を持ってお薦めできます。
 もう一方の、もっと違ったデリカシーやニュアンスの豊かな音楽を再現するという意図のために、カウンターポイントのSA5、SA4の組合せを試みました。そのために選んだレコードが、一つはハイドンの『チェロ・コンチェルト』。これはチェロがロストロボーヴィッチで、オーケストラがアカデミー室内合奏団です。このレコードは全く純粋なアナログ録音で、十年ぐらい前の録音ですが、自然なしなやかないい音で、オーケストラのバランス、独奏楽器とのバランスも大変にすばらしい。オーソドックスなステレオフォニックな空間の再現も大変に見事なレコードです。
 コンパクトディスクではシューマンのシンフォニー『ライン』。この交響曲第三番『ライン』は、ハイティンクとコンセルトヘボウの演奏で、これも大変に各パートのバランスがよく、しかも、それが空間の中でステレオフォニックに溶け合っていながら、細部が明瞭な、とてもいい録音だと思います。
 特に、このCDは第四楽章の弦とホルンと木管とのハーモニーがきれいに出てくれないと演奏が生きない。そこのところを聴き取るために絶好のソースです。
 それから、先ほど申し上げた、本当にいい演奏者の持っている個性的な音色のニュアンスというものを聴くために、ルドルフ・フィルクスニーのピアノのCDを使いました。
 この三枚のコンパクトディスクで、カウンターポイントを聴いたんですが、まずフィルクスニーのピアノの音色に関しては、これは文句のないものです。スピーカーの良さとともに、このSA5、SA4の組合せも素晴らしいと意識せざるを得ないほどです。フィルクスニーは、ピアノの持っているリニアリティのいい範囲だけを使うピアニストなのです。彼は直観的に、常にその楽器のダイナミックレンジというのを把握し、そして本当にきれいなその楽器のフォルテシモのピークを、彼のフォルテシモとして設定して、あとは下へずっとダイナミックスをつくつていくピアニストです。そこにフィルクスニーのすばらしさがあります。ピアニシモからピアノ、メゾピアノ、メゾフォルテ、フォルテと、音のグラデーションの、豊かさと、音量に対比した音色の変化、これがフィルクスニーのピアノの魅力の一つです。このレコードをSA5、SA4の組合せで聴いてみると、マッキントッシュでは味わえないサムシンングが出てきました。フィルクスニーの音楽の音色を通じての彼の心の温かさとか、あるいは優しさといったものが、ほぼ完璧に出てきた印象です。これはわれながら図に当たった選択でした。ですから、マッキントッシュでもうーつ欲しかった、そういう優しさ、デリカシー、温かさというのが、このカウンターポイントのときに非常によく出てたわけです。
 シューマンのシンフォニー第三番の聴きどころはどこかというと、第四楽章の、弦の各パートのバランスです。たとえていうと、この各パートのバランスというのは、ちょうどスピーカーのf特みたいなもので、スピーカーのf特にうねりがありますと、せっかくいい感覚でハイティンクが弦のバランスを調えても、それが崩れてしまう。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスとある弦楽器群を、「コントラバス少し強い、チェロをもう少し強く。メロディはいいけれども、内声が弱い…‥」と、それを整えるのが指揮者です。ですから、そこでバランスをとることで、ヴァイオリン単体でもなく、チェロでもなく、ビオラでも、コントラバスでもない合奏の音、アンサンブルの音をつくるわけです。それが、スピーカーの特性の方にうねりがあったり部屋の特性に乱れがあると、せっかくのアンサンブルのバランスが崩れてしまうわけです。これは演奏表現を台なしにしてしまうことを意味します。しかも、エネルギーバランスをととのえることに加えて、その各楽器の持っているファンダメンタルとハーモニックスの音色のバランスというものがきちっと再生される必要がある。それによって、初めて演奏の音楽性が生きるわけです。
 話は少しそれますが、よくオーディオにおいて、音楽性という言葉があいまいな表現だと言われることがあります。しかし実はそんなことはとんでもない話なんです。音楽性があるとはどういうことかというと、演奏家が入念に仕上げた音色と、エネルギーバランスとの双方がきちっと出ることなんです。ですから、音楽性とはひっくり返せば、物理特性的な問題ともいえるんです。しかし、物理特性の追求方法が現時点では──これは将来も究極の到達点はないわけですが──完璧ではありませんから、あえて音楽性という言葉も使うというように認識していただきたい。
 このハイティンクのシューマンを聴いたときの弦と木管と、少し距離と間をおいて、豊かに響くホルンの、この合奏の音色の美しさというのも、ほぼ完壁に出ていたと思います。だから、ねらいどおり、ほとんどこれは満足のいくものでした。
 そこで、今度はさっきと逆に、カウント・ベイシーのようなものが140Wの出力のこのSA4でも──もちろん500Wアンプのように、重厚に力づよく出ないにしても──ある程度、それが聴けた方がいいというふうに思い、カウント・ベイシーも聴いてみました。ところが予想と反して、びっくりするほどの充実感のあるパワーで聴くことができました。マッキントッシュと比べると、音色は一段ときれいですが重厚さが若干なくなります。つまりトゥッティで全ブラス、サックス、そしてリズムセクションがうわっと盛り上がった時、音のバランスが少し高い方へいってしまう。カウント・ベイシーのオーケストラの持っている重厚さというのが、少し明るさの方へ偏った印象になります。ですから、きれいであるけれども、もう一つ地に足のついた、どっしりとしたリズムの粘りがほしい感じです。リズムは同じものが入ってるんだから、同じはずなんだけども、粘りが欲しいなというような印象になるのは、これはやはり、ハイパワーのときのバランスの問題でしょう。140Wクラスのアンプと500Wクラスのアンプの差ではないかというふうに思います。
 ちょうどそういう意味で対照的な組合せができ上がりました。
 この組合せでは、プレーヤーはマッキントッシュのアンプ用の組合せとカウンターポイント用の組合せでは、あえて違うものを使っています。つまり、トーレンスのプレスティージにSME3012Rゴールド、ブライヤーのカートリッジの組合せと、それからマイクロのSX8000IIにSME3012R-PRO、それにAKGのP100リミテッドの組合せの二つを用意したわけです。
 プレスティージでかけますと、すべてのプログラムソースに対して、これはこれで非常に素晴らしいのですが、この際、中庸を得るよりも、重厚さをとるということをメインに考えますと、音が少し柔軟なんです。ですが、これは表裏一体で、それがいいとも言えるわけです。つまり、これは相性が悪いというわけではありません。プログラムソースで言えば、ハイドンの『チェロ協奏曲』とか、今日はCDで聴いていますがシューマンのシンフォニーをアナログディスクで聴きたいというときには、プレスティージとSME+ブライヤーの組合せはなかなかいいと思います。
 ところが、ジャズをハイサウンドプレッシャーレベルで聴くというときに、どこか芯が少し柔らかい。それでマイクロとAKGの組合せにかえ、結果として非常に骨格のしっかりした音が得られました。マッキントッシュでGS1を鳴らすという今回のねらいに関しては、マイクロとAKGの組合せが良かったわけです。
 カウンターポイントのときには──カウンターポイントで少しでもかちっとした音を出そうと思ったら、やっぱりマイクロ、AKGがいいのかもしれないけれども──微妙でデリケートで、そして温かいニュアンスというものを得ようとすると、プレスティージ、ブライヤーの方がよかったということになりました。
 今回は、せっかく二つ組合せをつくつていますので、できるだけはっきり個性を分けたいと思い、プレスティージとブライヤーはカウンターポイントに、そしてAKG、マイクロの方はマッキントッシュというふうに決めたわけです。
 CDプレーヤーは、現在の製品はまだまだ一つのプロセスの途中のものですから、理想的なものというのは難しいかもしれませんが、一応、家庭用として使える最高のものは、つい最近出たセパレート型ということになるでしょう。セパレート型CDプレーヤーは一体型のものと比べて、クォリティは明らかに一段上で音の細かいところまでとてもよく出します。現在、Lo-DのDAP001+HDA001とソニーのCDP552ESD+DAS702ESの二機種が出ているわけですが、Lo-Dとソニーを比べてみますと──これがまたCDプレーヤーとしておもしろいところだけれど──明らかに音が違うんです。ソニーの方は非常に明快で、どちらかというと少し華麗で、しっかりした音が出るCDプレーヤーです。Lo-Dの方は、もっと厚みがあって温かさが出る。
 ちょうど、この違いが今日の二つの狙いにはっきりつながって、マッキントッシュにはソニーのCDP552ESD+DAS702ESの組合せ、カウンターポイントの方にはLo-Dの組合せというのがよかったわけです。
 アナログプレーヤーのそれに対応するような形で、同じような音の個性の違いがソニーとLo-DのCDプレーヤーにもあります。したがって、マッキントッシュの方はソニー、カウンターポイントの方はLo-Dを使うということで、より組合せの個性が際立つわけです。
 もし、この組合せにチューナーをいれるのでしたら、ケンウッドのKT3030を絶対薦めます。ただ、AMがないのが残念ですが。AMがどうしても欲しいという人には、音質にわずかな違いはあるけれども、KT2020の方が値段も安いし、AMもFMも入っていますのでこちらのほうがいいでしょう。FMのクォリティだけでいくならば、KT3030がベストです。

組合せ1
●スピーカー
 オンキョー:Grand Scepter GS1
●コントロールアンプ
 マッキントッシュ:C33
●パワーアンプ
 マッキントッシュ:MC2500
●CDプレーヤー
 ソニー:CDP552ESD + DAS702ES
●プレーヤー
 マイクロ:SX8000II
●トーンアーム
 SME:3012R PRO
●カートリッジ
 AKG:P100 Limited
●チューナー
 ケンウッド:KT3030

組合せ2
●スピーカー
 オンキョー:Grand Scepter GS1
●コントロ-ルアンプ
 カウンターボイント:SA5
●パワーアンプ
 カウンターポイント:SA4
●CDプーヤー
Lo-D:DAP001 + HDA001
●プレーヤー
 トーレンス:Prestige
●トーンアーム
 SME:3012R-Gold
●カートリッジ
 ゴールドバグ:Mr. Brier
●トランス
ウエスギ:U-BROS5(H)
●チューナー
 ケンウッド:KT3030

ナカミチ OMS-50

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 ナカミチのオーディオは、1973年に世界初の完全独立3ヘッド構成を採用した超弩級カセットデッキ・モデル1000と700の開発という成果に見られるように、カセットデッキの高性能、高音質化で傑出した独自の世界を展開し、オリジナリティという意味で、海外でも独自の評価を得ている。その他のジャンルでも、高級レシーバーやセパレート型アンプでの独自の開発や、アナログプレーヤーシステムで未知の分野に挑戦した、ディスクのオフセンターと音質の相関性を追求した結果として開発したアブソリュート・センター・サーチ機構採用のシステムなど、ナカミチならではのオリジナリティのあるアプローチは類例のないものだと思われる。
 一方、デジタル関係でも、光磁気ディスクで録音・再生を可能としたシステムの開発に見られるように、時代の最先端を行くテクノロジーを誇っているが、今回、昨年のCDプレーヤー第1弾製品OMS70に続き、機能を簡略化したいわばスタンダードモデルとも考えられるOMS50が登場することになった。
 開発の基本コンセプトは、OMS70と同様に、デジタルサウンドという名のもとに加えられやすい音の色付けを拒否し、原音を完璧にトランスデュースするというナカミチの理念を追求したものとのことで、具体的には、回路構成の単純化、4倍オーバーサンプリング方式のデジタルフィルターとダブルDAコンバーター方式、アナログ回路全体を独立パッケージ化し、入出力端子のあるリアパネルに直付けしたダイレクトカップルド・リニアフェイズ・アナログシグナルプロセッサー方式などが特徴となっている。その他、ディスクドライブ機構を亜鉛合金ダイキャストシャーシーにマウントし、メインシャーシーやディスクローディング機構からスプリングによりフローティングし、内部のドライブメカニズムや電源トランスなどからの共鳴や共振、外部的な振動やスピーカーからの音圧などの影響を受け難い構造の採用などだ。その、いずれをとっても今回の採用が業界初というものではないが、これらをベースとして総合的に優れた音質のCDプレーヤーとするかに、ナカミチの総合力がかかっていると考えられるわけだ。
 CD独自の使用上のチェックポイントを確認してから音を聴く。ウォームアップは比較的に早く、ディスクが回転をはじめて約1分10秒で音が立上がる。さして広帯域型を意識させないナチュラルな帯域感と穏やかな表情で、落着いて音を聴かせる雰囲気は、ナカミチの高級カセットに一脈通じる印象である。デジタルらしい音をサラッと聴かせるタイプと比較すれば、味わいの深い音、というのが、このシステムの音であり、市場での反応が興味深いと思う。

AKG P8ES NOVA

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 オーストリアのウィーンに本社を置くAKGは、マイクロフォン、ヘッドフォンなどの分野で、ユニークな発想に基づく、オリジナリティ豊かで高性能な製品を市場に送り、高い評価を得ている。
 例えば、マイクロフォンの2ウェイ方式ダイナミック型D224Eや、システムマイクとして新しい展開を示したC451シリーズなどは、録音スタジオで活躍している同社の代表製品である。また、ヘッドフォンでは、かつてのドローンコーン付きダイナミック型K240や、低域にダイナミック型、高域にエレクトレットコンデンサー型を組み合せた現在のトップモデルK340なども、AKGならではのユニークな高性能モデルである。
 一方、フォノカートリッジは、同社としては比較的新しく手がけたジャンルで、テーパード・アルミ系軽合金パイプカンチレバーを採用して登場したPu3E、Pu4Eが最初のモデルだと記憶している。
 AKGカートリッジの評価を定着させたモデルが、第2弾製品であるP6E、P7EそしてP8Eなどの一連のユニークなテーパー状の四角なボディをもつシリーズである。とくに透明なボディにシルバー系とゴールド系のシールドケースを採用したP7ESとP8ESは、適度に硬質で細やかな独特の音とともに、現在でも第一線で十分に使える魅力的なモデルであった。
 そして、第3弾製品が、1981年に登場した現在のP10、P15、P25をラインナップとするシリーズである。
 昨年、同社のスぺシャリティモデルとして登場したP100Limitedは、出力電圧が高く使いやすく、MM型に代表されるハイインピーダンス型の振動系が、MC型の振動系より軽量であることのメリットがダイレクトに音に感じられる、久し振りの傑作力−トリッジであった。
 今回、登場した新モデルは、これまでのAKGの総力を結集して開発された自信作である。
 モデルナンバーは、AKGブランドを定着させたP8を再び採用。ボディのデザインと磁気回路の原型は現在のP25MD系を踏襲している。スタイラスにP100Limitedでのバン・デン・フル型をさらにシャープエッジ化したII型を採用するといった、充実し凝縮した内容をもつ。
 リファレンスプレーヤーを使いP8ES NOVAの音を聴く。針圧は、1〜1・5gの針圧範囲のセンター値、1・25gとする。ワイドレンジ型で軽やかさがあり、プレゼンス豊かな雰囲気が特徴だ。
 試みに針圧を0・1g増す。音に芯がくっきりとつき、焦点がピッタリと合う。ナチュラルで落ち着きがある音は、安定感が充分に感じられ、AKGならではの他に類例のない渋い魅力がある。
 音場感情報は豊かだ。スピーカー間の中央部も音で埋めつくされ、音場は少し距離感を伴って奥に充分に広がる。定位もクリアーで、音像は小さくまとまる。音楽のある環境を見通しよく、プレゼンス豊かに聴かせるが、とくに静けさが感じられる音の美しさは、P8ES NOVAならではの魅力だろう。

SAEC XC-10

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 SAECのブランドで新しくMC型力ートリッジXC10が発売された。これは、昨年にSAEC初のMC型カートリッジとして発売された、空芯型のC1と異なり、コイル部分の巻枠を磁性体化しローインピーダンス化して開発された、いわば、ジュニアタイプとも思える新製品である。
 SAEC−C1、SAEC−XC10、この両者を比較すると、ブランド名は同じモデルナンバーの頭文字CとXCのちがいについても、空芯型と磁性体巻枠型との差を考えれば、素直に受取れるものである。
 しかし、誤解を避けるためにあえて記せば、同じSAECブランドながら、C1は、ダブルナイフエッジ軸受構造のユニークなトーンアームで知られる、オーディオ・エンジニアリング製、今回の新製品は、オーディオコードなどで知られる、サエク・コマースで開発された最初のMC型カートリッジであり、相互の関連性は、まったくないとのことである。
 主な特徴は、カンチレバーにムクのボロン棒とアルミ系合金の複合構造材採用と、スーパー・センダストのコイル巻枠、スーパーラインコンタクト針、特殊軽合金削り出しで表面鏡面仕上げのボディと鏡面仕上げ高剛性合金複合材の基台などである。
 トーンアームにSME 3012R−PRO、アンプはデンオンPRA2000ZとPOA3000Zの組合せだ。
 まず、トランス入力とし、針圧1・5gで試聴をする。柔らかく豊かな低域をベースとした比較的軽快な音である。やや、全体に安定感に欠ける面があるため0・1g増すが、まだ不足気味だ。そこで規格値を少し超えた1・8gを試みたが、反応が鈍くなり、これは、少しオーバーである。細かに針圧を変えて試した結果では、1・7gがベストである。このときの音は、低域が安定し、適度にプレゼンスのあり、エッジの効いたローインピーダンスMCらしい音である。帯域はナチュラルであるが、中域の密度感は、やや甘いタイプだ。
 次は、入力を換えてヘッドアンプとする。針圧1・7gの状態で、聴感上の帯域感はかなり広帯域型となり、音場感は一段と広く、音のディテールを引出して、キレイに聴かせてくれる。音色は、ほぼ、ニュートラルで、低域は柔らかく、もう少し引締まったソリッドさや分解能が欲しい印象である。価格から考えれば、試聴に使ったプレーヤーよりも、より平均的なシステムとサエクのアームとの組合せのほうが、低域の厚みや量感が減り、中域から中高域の明快さも加わってトータルとしては、より好ましい結果が得られるように思われる。
 現状のままで、このあたりを修整しようとすれば、より剛性の高いヘッドシェルを組み合せるのも、ひとつの方法であろうし、ディスクスタビライザーの選択やリード線の選択でも大体の解決は可能である。
 ヘッドアンプ使用で、デジタル録音のディスクを聴いたときに、新しいディスクならではの音を聴かせるあたりは、このカートリッジが、いかにも、現代の低インピーダンス型らしい、といった印象であり、製品としての完成度は、かなり高い。

ボストンアクーティックス A400(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
特集・「ベストコンポーネントの新研究 スピーカーの魅力をこうひきだす」より

 ボストンアクースティックスのA400というスピーカーの外観上の一番大きな特徴は、エンクロージュアのプロポーションにあります。ユニットの口径に対して、比率でいうと、大きなバッフル面積をもっていて、しかも奥行きの短いフラットな形です。これはいわゆるバッフル効果を考えている証拠だと思います。バッフル効果というのは、スピーカーの放射する音の廻り込みを抑えるので、フェイズをコントロールするのに大変に素直な状態に持っていくことができる。そのために、いわゆる平面バッフル、無限大バッフルにユニットをつけて鳴らしたときの効果に似ていて、音に癖がなくて、そしてステレオ・ペアとして使った場合に、極めて広い、独特の音場感ができます。
 それから、エンクロージュアの奥行きが浅いために、低域にエンクロージュアのキャビティによる影響が出にくく、いわゆる箱くささのない音です。
 低域がすっきりとしているため、量感的には多少すくない感じがしますが、その分、濁りも少ない。こういう広い面積を待ったバッフルにつけることによって、部屋の影響も受けにくくなっています。これがこのスピーカーのデザインポリシー、技術的な設計のポリシーの特徴でしょう。
 ユニット構成で面白いのは20cm口径のウーファーを二発使っていることです。現代のスピーカー理論からいうと、よい低音を出すという点では口径を上げていった方が有利ですが、磁気回路と振動系の関係で、現在の技術レベルでは、特性のすぐれたスピーカーをつくるには、おのずから大きさに限界がある。そのことは、セレッションのSL6とか、SL600の主張にもはっきりとあらわれています。
 僕は自分でも大口径ウーファーを使ってますけれども、それも時代を追って変化してきています。今から十五年ぐらい前までは、良質な低音を得ようとしたら、せいぜい25cmまでが限界で、それ以上は無理だとか……。その後やっと、30cm口径まで使えるような時代になったとか、ようやく38cmでも使えるユニットが出現するようになったとか、そういうプロセスをずっと体験してきているわけです。ですから、もちろん今、自分のマルチウェイシステムでは38cmウーファーを使っているし、いいスピーカーユニットも数多くありますけれども、確かに技術的にいろんな面の無理ない設計をすると、16cmとか18cm、あるいは20cm、このぐらいのところが技術的には問題のないサイズだということも言えるわけです。
 したがって、あえて大口径ウーファーを使わないで、小口径ウーファーを二発使ったというところにも、このスピーカーの特徴があると思います。当たり前のことですが、大口径にすればするほど、指向特性が高い方では悪くなりますから、そういう意味で、小さな口径に抑えたというところに、このスピーカーの設計の意図がはっきりとでています。それが、このエンクロージュアのフラットな、そして表面効果の大きなフロントバッフルとマッチして、癖がなく、重くるしくなく、左右と奥行きにすぐれた音場感の再現ということにつながっているのでしょう。このボストンアクースティックスというメーカーは、アクースティックサスペンション方式のオリジネ一夕ーと言えるARの流れをうけついだメーカーです。このA400もアクースティックサスペンション方式を採用して、比較的小さな口径のスピーカーを完全密閉箱に入れることで、十分な低音を出すことに成功しています。そういう意味で、基本的な技術のコンセプトはARの流れを踏襲しているけれども、昔のARのスピーカーというのは、どうしても重く、少し鈍い低音でした。そのままでは現代スピーカーの要求にマッチしないわけです。そこで、同じアクースティックサスペンションの理論を使いながら、明るく、引きずらない、重苦しくならない低音を出したのが、このスピーカーのすばらしいところだと思います。アクースティックサスペンションが持っているよさを活かしつつ、悪い部分を大幅に改善している。
 家庭用として使う場合にも、奥行きが浅いということは、とてもスマートだと思います。実際に今、この試聴室では割合に壁から離して使いましたけれども、もし壁に近づけて置いても、それほど低域の持ち上がりがありません(コーナーに置いてしまっては無理ですが、コーナーから多少離して、左右方向の長さがとれる部屋でしたら、壁にかなり接近させて置いても、低域が不明瞭にならないよさがあります)。奥行きが少なく、高さは少し高目だけれども、高さ方向というのは居住空間にさほど邪魔にならないわけで、むしろこのぐらいの高さの方が普通のリスニングポジションには、高域のディスパージョンがちょうど合っています。クラシック音楽のときに特に感じることですが、音源が自分の位置より低いよりも、少し上ぐらいの方がナチュラルに聴こえます。演奏会場のいいポジションというのは、多少ステージを見上げるようなポジションが普通ですから、そういう習慣からもスピーカーは、少し高目ぐらいがいい。その意味で、スピーカーの下に台を置く必要がなく、ちゃんとスタンドがついていて、この高さということは、家庭での実用という点からも、非常によく考慮されているスピーカーだと思います。
 最近は日本のスピーカーは一般的にサテンの色が黒とか、濃紺とか、濃い色が多く、存在感が強すぎると思うんです。その点、A400のように中間色のサランネットの方がスピーカーの存在感が強過ぎなく、部屋の中で適応性も広いと思えます。モダンでいてクラシック。そういう外面的なコスメティックなデザインの面でもなかなかすぐれたスピーカーです。
 音の特徴は、何といっても、全帯域のバランスが非常に素晴らしいということにつきます。一聴したところ個性がないように感じられますが、非常に美しく緻密な、いかにもファイングレインといえる、きめの細かい音です。音の質感がナチュラルで、ホームリプロデュースの可能性と限界というものをほどよくバランスさせた明確なコンセプトが感じられる音です。このスピーカーはばかでかい音でガンガン鳴らすということは考えていないでしょうが、しかし、現代の技術水準をクリアーした、かなりリアリティーのある、そこに何か楽器を置いて演奏するかのごとき音量ぐらいまでは十分再現できる。今のオーディオの中庸をとらえたスピーカーだといえます。
 値段的にも外国製スピーカーで、この質の高さからするとリーズナブルです。輸入品でこの価格というと、おそらく一般にはもう少し低いクォリティのスピーカーを想像すると思いますが、このスピーカーの持っているクォリティは見事で、これの倍ぐらいの価格がついていても、恥ずかしくないサウンドクォリティを備えています。
 A400は使いやすいスピーカー、偏らないスピーカーと言えますが、その分個性は淡泊です。ですから、猛烈に深情けで惚れる、というスピーカーではない。しかし、何をかけても、何を聴いても、ちゃんと満足させてくれる数少ないスピーカーの一つです。
 このスピーカーを鳴らすに当たって、用意したプログラムソースですが、いろいろなものを揃え、特定のジャンル、傾向、表現性格に偏らないものを選びました。
 一枚はミケランジェリのピアノと、それエドモンド・シュツッツ指揮のチューリッヒ・チェンバー・オーケストラの共演しているハイドンのピアノ・コンチェルトのアナログレコードです。これは十年前のアナログレコーディングで、 チューリッヒ・チェンバー・オーケストラというのは意外にレコードが少ないんですけれども、アンサンブルがしなやかで非常にいい室内オーケストラです。このレコードはEMIですが、チューリッヒ室内オーケストラのレコードは、昔、ヴァンガードでステレオ初期に何枚も出ているのを大分聴いて、このアンサンブルの音色をよく知っています。そのしなやかなアンサンブルは、組合せを選択する上においても一つのテストソースとして非常にいい。こういう古典をきちんと古典らしく聴かしてくれるということが、優れた再生装置の一つの条件です。そういう意味でこのハイドンのピアノ協奏曲を一枚選んだのです。
 それから、リヒャルト・シュトラウスの有名な三つの交響詩が入ったCD。アンタル・ドラティが指揮するデトロイト・シンフォニーで「ドン・ファン」と「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と、それから「死と変容」です。これは、同じオーケストラでもチューリッヒ室内オーケストラとは全然性格の違う、もう少し大きなオーケストラ編成です。その二枚をクラシックとして選びましたが、同じクラシックでも性格は非常に違います。
 ポピュラーの方も性格の違うものを選びまして、一枚はダイアン・シューア。今、話題の歌手ですが、盲目の女性歌手です。彼女の声の変化がすばらしい。この人はゴスペル的な歌い方もできるし、ブルース的な歌い方もできる。それから新しい、かわいらしい声で歌うこともできる、声の変化のうまい人です。新しいレコードだけに、デイヴ・グルーシンのアレンジでバックがついていて、今の、ナウい音楽的なサウンドも同時にこのレコードの再生では当然要求されます。それでいて、決してディスコミュージックだとか、ある種のフュージョンなどに出てくるヴォーカルのような、それこそハーモナイザーを使った、ぐしゃぐしゃにされたヴォーカルではありません。声はちゃんと彼女のナチュラルな声ですが、バックには適度にエレクトリックサウンドが使われ、そういうナウい音楽に対する適応性もありながら、オーソドックスなヴォーカルとしてもいける。いいかえれば、逆に、ナウな音楽的なよさを活かさないと、このレコードはまた生きてこないと思います。
 もう一つは、非常にオーソドックスな、アコースティックのジャズです。それも非常に古い、今から二十五年も前、コンテンボラリーというレーベルで活躍したロイ・デュナンといって、僕がジャズの録音の仕事をするときに最もお手本としたミキサーが録音した、ソニー・ロリンズの「ウェイ・アウト・ウェスト」という古いレコードのCD化されたものです。
 ロイ・デュナンのレコーディングの特徴として、一つ一つの楽器の音のクリアネスというのがすばらしいと同時に、当時としては珍しく、ちゃんとステレオフォニックな空間をつくつている。しかもとても自然なライヴネスなんです。当時は、鉄板エコーが一般的だったころですが、そんなものは全く使っていません。人工的なものは、一切使用せずに、自然の空間でのライヴネスというものと、そしてジャズに要求される楽器の近接感、リアリティをよくバランスさせています。CD化されたものを聴いてみますと、これが二十五年前の録音かと思うほどSN比も高く、帯域も広く、立派なものだと思います。そして、何よりも、こういうアコースティックなジャズに表現されるプレーヤーの個々の生きた表現、これが細かなところまで再生されないとジャズの息吹というものが出てきません。そういう意味で、さきほどのダイアン・シューアのものと同じポピュラー系レコードながら全然違う音楽で、当然、再生装置に要求される要素も違います。結果的には四つの全くバラエティに富んだプログラムになったということです。
 組合せをつくっていく過程でいろいろなアンプを聴いてみましたが、アナログレコードのよさ、たとえば、チューリッヒのしなやかなアンサンブル、それからミケランジェリが使っているピアノ──これは古いスタインウェイで、ピアノとしては古典に入るぎりぎりのところですが──その独特の音色が、まず、どういうふうにアンプによって変わるかを、最初に聴いてみました。ところが、おもしろいことにこれが全部、見事に違うのです。
 一番最初にトリオのKA1100SDを聴きましたが、このアンプは実に何も難点のない、ごくごくまっとうな音です。ただ、僕は高い方にちょっとしなやかさがないように思いました。そこがちょっと気になる。ヴァイオリンのパートが分かれたハーモニーのときに、ちょっとぎすぎすした感じになる。その辺でちょっと気になったけれども、全体としてはこのレコードを比較的正しく再生してくれたと思います。またピアノが引き込まずに再生されるよさがあります。ポジショニングとして、このレコーディングの場合には、決してオーケストラにピアノが囲まれたというような録音ではなく、ピアノがちょっと前面に打て、その後ろにオーケストラがいるという録音ですが、その感じが非常によく出ている。全体として、充分に使えるアンプです。
 次は、ヤマハのA2000。このアンプは非常に独特な美しさを待ったアンプです。そして、美音のアンプです。高域が、特にこのレコードを聴いた場合に少し脚色されますが、その脚色は美しさと説得力を持ち、「ああ、きれいだな」と思って聴かされてしまいます。しかし、このチューリッヒのアンサンブルが持っている音として、少しくすんだところがなくなり、やや明るくなり過ぎる。全体的にいえば見事なのですが、ただもう少し、独特の陰影が出てほしいといえます。
 次がラックスL550X。これがチューリッヒ・アンサンブルの音色の陰影を一番よく出しました。一番よく出しましたけれども──これは50Wというパワーのせいかもしれないのですが──骨格のしっかりしたところがやや弱い。ただし、音としては、このチューリッヒ・アンサンブルに関する限り、非常にいい。恐らく、今まで聴いてきたアンプの中では一番いいという感じがしました。
 それから、アキュフェーズE302。このアンプは、他のアンプと比較して、全く違う音がしました。アンサンブルの音がアレンジされたという感じなんです。全く別の楽団のような音がしました。それなりにすばらしく、ものすごく輝きがあって、透明で、それはすばらしいのですが、このアナログレコードの音にしては少々色づけがある。多少あり過ぎるという感じがして、異質な感じを持ちました。バランスであるとか、パワーだとか、オーディオ的な音だとかいう点では大変にいいアンプだと思いますが、その色合いの点で、このレコードからは少し異質感を感じたわけです。
 次にビクターのA-X1000。全体に音が非常に柔軟で、高域の荒れが一番少ないアンプです。使用したレコードのなかで、もうぎりぎりのところでもって荒れそうなところが何ヵ所かあるんだけれども、そこの荒れが気にならないでスムーザに響いたのがこのアンプです。ほかのアンプがひずみがあるわけではないのですが、ヴァイオリンの音の荒れの一番目立たなかったのがこのアンプです。
 そういう点で確かにいいアンプだと思うし、ある種のソースに限定したら、これは非常にクローズアップするに値いするモデルです。アンサンブルを聴いたとき、ヤマハと対照的なわけです。ヤマハの場合、少しきれい過ぎて、美し過ぎて、明る過ぎると言ったけれども、ビクターの場合には少し暗くて重い。重心が少し低く過ぎる。
 次がアルパイン/ラックスマンのLV105。このアンプは、僕がこのアンサンブルを聴くときに非常に重要視するビオラ、チェロの内声部がとてもいい。指揮者のハーモニー感覚にごく近いわけです。オーケストラでは、メロディというのは、ほとんどの場合、ヴァイオリンで出てくる。そして、ハーモニーで一番下のベースを受け持つのがコントラバスセクションです。ビオラとチェロというのがその間に入って、しっかりした色合いとボディをつくるわけだけれども、その内声から多少メロディとベースを浮き上がらせる、そのぎりぎりのところのバランスというのが、このアンプの場合、見事なわけです。録音でもハーモニー感覚のいい指揮者とハーモニー感覚のいいミキサーがいないといいバランスのレコードができずに、大体メロディーが浮き立って、そして低域がゴーンと出て内声部がおろそかになる。メロディーも良く、ベースの音もしっかりして、さらに内声の動きと厚みがちゃんと出てくることが大事です。それはアンプやスピーカーにもいえることで、LV105は内声が非常によく出ますが、ちょっと下と上が弱い。ほかのアンプにないよさを持ち、ほかのアンプの持っているよさがないという、非常に微妙なアンプです。
 そこで、マランツPM84を聴いてみました。これがなかなかバランスがいい。このアンプを聴いて、一番、中庸を得たモデルだとおもいました。それまでのアンプが聴かせた音の振幅のなかで、それがちょうどピシッといいところにきたなという感じが、このマランツでしたわけです。
 アンプを選ぶ過程において、ナウなサウンドのサンプルとしてダイアン・シューアを聴いてきたんですけれども、ダイアン・シューアのバックのデイヴ・グルーシンの演奏も、このアンプが一番リズムががっちりと明確でした。それでいて細かいエレクトリック楽器のエフェクトもはっきりと聴き取れ、ナウい要求にもこたえられるということで、結局、このマランツPM84が残ったわけです。
 つぎに、さきほどのR・シュトラウスの三つの交響詩と、もう一枚のジャズの「ウェイ・アウト・ウェスト」、この二枚をCDで聴きました。そこで大きな問題があった場合つぎの候補を捜す必要があるわけで、そんな心配もしながらCDを聴きましたが、結果は非常によかった。特にロイ・デュナンの録音した、二十五年も前のソニー・ロリンズのレコード「ウェイ・アウイ・ウェスト」がとてもよかった。
 ソニー・ロリンズは、ご承知のようにニグロで、イーストコーストの非常にガッツのある、重厚なテナーサックス奏者です。ついせんだって亡くなった、非常にセンスのいい、よくスウィングする卓抜のテクニックを待ったウエストコーストのシェリー・マン、同じく卓越したテクニックと、いいサウンドを持ったベースのレイ・ブラウンの、その二人とロリンズがミートしたところに「ウェイ・アウト・ウェスト」の音楽的な特徴があるわけです。このレコードはそういう意味で企画的にも非常におもしろいわけです。
 したがって、このレコードはガッツのある、どろどろっとしたイーストコースト的な音になってしまっては困るんです。かといって、スカーッと晴れ上がったウエストコーストになり切ってはまた困ると言うところに、このレコードの音楽的特徴とともに再生する上での難しさがあります。これはうがった話ですが、聴いていて僕が感じたのは、ボストンアクースティックスというスピーカーが実にそういう音になってます。つまり、本当にアクースティックサスペンションの落ちついたよさを持ちながら、重さがとれて、明るさが出てきたんです。だから、このレコードの性格とこのスピーカーの性格というのはピシッと合った。これは一番満足して聴けました。
 それから、リヒャルト・シュトラウスの交響詩三つが入ったドラティのレコードは、英デッカの録音で、最新録音というわけでもありません。そして、多少きらびやかなところがあるんだけれども、しかしリヒャルト・シュトラウスの色彩的なオーケストレーションにはこのぐらいのきらびやかさも決して違和感がないんです。そういうリヒャルト・シュトラウスの、複雑な色彩感を待ったオーケストレーションのあやみたいなものをよく生かした録音だけれども、今の組合せで聴いた音というのは、そのあやをよく出しています。ときには、少々、弦などに英デッカ独特のキャラクターがつき過ぎている感じがしないでもないですが、レコード音楽として、特にこういうリヒャルト・シュトラウスのようなオーケストレーションには、むしろこういう音は効果的です。決して音楽の本質から外れたエフェクトではなくて、いいエフェクトだと思えますが、それがボストンアクースティックスで鳴らしたときに非常に生きたと思います。加えて、プレゼンスも非常によかった。いかにも二つのスピーカーから出てきたという音場感ではなくて、そこに奥行きを持った一つの空間が、むしろ音としては面で迫ってくる。きれいに融合したいい感じの音場できて、オーケストラの量感というものが非常によく再現されたと思います。オーケストレーションの細かいところは実に明確に録音されているんだけれども、それが全部出てました。
 特に「死と変容」の、スコアで三枚目ぐらいのところだろうと思いますが、フォルテになるところがあります。その前に、チェロのトレモロがあるんです。そのトレモロの感じというのはこのスピーカーで聴くと独特の魅力があります。普通のスピーカーでは、中でごそごそという感じになりがちなんです。ところが、それがちゃんとスピーカーの前にきて、いかにもそこで弦が並んでトレモロをやっているという感じの、いい感じで出てくる。大型スピーカーでガーンと、本当に生らしいというようなイリュージョンを聴かせるところまではいかないけれども、家庭用としてはほどよいリアリティーとエフェクトだと思います。
 CDプレーヤーとレコードプレーヤーシステムについて、最後に触れておきたいんですが、レコードプレーヤーは、特にアナログのプレーヤーというのはいろいろなコンセプトがあって、どこをどう変えてもすぐ音に影響するというのがアナログの良さでもあり、悪さでもあります。とにかく使う材料をちょっと変えれば変わるし、目方をちょっと変えれば変わる。つまり、どこかのバランスをちょっと変えれば、必ず音が変わってしまう。そういうアナログプレーヤーにあっては、これが絶対のものだということはあり得ない。結局、限られた現実の中でもって、いかにしてバランスのいい音をつくるかということが絶対必要だと思います。その点で、比較的そういうバランスを気にしないで、モーターならモーター、ターンテーブルならターンテーブル、トーンアームならトーンアームの物理的特性だけを追求していく傾向にある日本のプレーヤーは、なかなか優秀なプレーヤーではあるのですが、やはり使ってみると音に違和感が感じられる場合が多い。カートリッジにもそういうことが言えます。
 結果的に、ARのターンテーブルにトーンアームはSMEの3009SII、これにB&OのMMC1カートリッジでまとまったわけです。決して最高のものとは言えないけれども、妥当なバランスでまとまっていると思います。プレーヤーとして本当にコンパクトで、大げさでないモデルです。多少、フローティングサスペンションのスプリングをダンプする構造がもう一つ加わってほしいことと、使い勝手の点で──揺れて、しばらく揺れがとまらないというところで──ちょっと使いにくいところがあるし、あるいはSMEの3009SIIも、アームレストがどうも使いにくくて困るんだけれども、これはなれていただくことにして、トータルパーフォーマンスとして、ちょうど僕はボストンアクースティックスA400と同じレベルにバランスしているプレーヤーだと思う。全体の組合せとして考えたときに、実にいいコンビネ-ションと言えるでしょう。
 CDプレーヤーはLo-DのDAD600を使いましたけれども、これはLo-DのCDプレーヤーとしては三世代目になります。このDAD600は、バランスのいいCDプレーヤーで、特にアナログ的にフワッとする音でもないし、デジタル的にぎすぎすしたところのない、中庸をいくモデルです。値段の点からいくと中級機種ですが、まずCDの音を間違いなく、あるバランスで聴かせてくれるプレーヤーだと思います。もちろんCDプレーヤーは、各社からいろいろなモデルがでていて、ファンクションの点でも、音の点でも、これを越えるものはたくさんありますけれども、組合せのバランスからいくと、パーフォーマンスも、値段も、やはりちょうどいいところにあると思います。
 取り立てて高価ものを使っているという組合せではなく、バランスがとれて、お金のかからない方向というので考えたわけですけれども、出てきた音を聴きますと充分納得できる値段だと思います。
 さらにチューナーを加えるとすると、マランツではPM84とのペアモデルはだしていませんので、ケンウッドのKT2020がいいと思います。この組合せはパネルデサインの面でもマッチします。このKT2020はAMも備えたFMチューナーとして、最近の製品の中では一頭地を抜いたモデルと言っていいでしょう。

●スピーカー
 ボストンアクーティックス:A400
●プリメインアンプ
 マランツ:PM84
●CDプレーヤー
 Lo-D:DAD600
●ターンテーブル
 AR:AR turntable
●トーンアーム
 SME:3009SII/Imp.
●カートリッジ
 B&O:MMC1
●チューナー
 ケンウッド:KT2020

フィデリティ・リサーチ MCX-5

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 エフ・アールといえば、非磁性体を巻枠とした、いわゆる、空芯型MCカートリッジを連想するほど、ピュアMC型にこだわってきたメーカーであるが、昨年来の新製品は、方向を180度変えて、巻枠に磁性体を使った低インピーダンス型に移行しているのは、大変に興味深い動きである。
 今回、新製品として発売を予定されているMCX5は、そのモデルナンバーからも推測されるように、昨年4月に発売されたMCX3をベースに、リフレッシュしたグレイドアップモデルである。
 MCX5の最大の特徴は、コイル巻枠に磁性体を採用していること以外に、カンチレバー材料にエフ・アール初のベリリウムとアルミの2重構造をもつパイプが採用されていることである。最近では、カンチレバー材料に金属系ではベリリウムやボロン、鉱物系ではサファイアやダイヤモンドなどのエキゾチックマテリアルが使われるのは、決して珍しいことではない。ちなみに、エフ・アール製品のカンチレバーは、現在にいたるまで、アルミ系の材料を一貫して使っていたわけだが、手慣れた材料を極限まで使い最適の条件を引出す、という開発方針は、とかく、新材料に飛びついて、とかく、材料に振り廻される傾向が強い現状から考えれば、むしろ特筆すべきものということができよう。
 試聴は、マイクロSX8000IIターンテーブルシステムにSME3012R・PROトーンアームを使うが、MCX5のヘッドシェルは、エフ・アールのシェルにメーカーで取付けたものを、そのまま使う。
 針圧は、適正針圧の1・6gとし、PRA2000Zのヘッドアンプ入力を便う。聴感上の帯域バランスは、適度にハイエンドを抑えたタイプで、全体に、やや音は硬質で、エッジはクッキリと張るが、音色が明るく、若干だが乾いた印象がある。針先のエージング不足のためか、少しスクラッチノイズがピーク性である。
 針圧を0・1gステップで変えながら音をチェックする。軽ければ、安定感に欠け全体に音が浮き気味となるし、重ければ、高域の伸びが抑えられ、厚みはあるが、反応が遅く、ダルな音になる、というのが一般的な針圧と音との相関性である。とにかく、適正針圧というものは、気温や湿度などの外的条件をはじめ、針先やディスクの状態、システムのグレイドとコンディションなどにより、まさに生物のように変化をするから、つねに、最適条件を保つことはかなりの熟練を要求されるようだ。
 針圧1・7gで、スクラッチノイズも少し抑えられ、音に安定感が加わり、音場感的なプレゼンスも一応の水準となる。トータルとしては、低域の質感が少し甘く、中域から高域がエッジの効いたクリアーさのある、やや個性型の音である。
 トランス入力に切り替える。針圧調整を行ない、18gで、低域が程よく引締まり、ガツンと突込んでくるようになり、中域の硬質さに緻密さが加わる。総合的には少し低域バランス型のまとまりだが、平均的なプレーヤーでは、程よいバランスであろうFR1系とは対照的な性質の個性型と思う。

エレクトロボイス DIAMANT, SAPHIR

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 超弩級フロアー型システムである、パトリシアンIIをトップモデルとするエレクトロボイス社から、新しく、コンシュマーユースのラインナップとして、ジュエリー・シリーズが登場することになった。
 このシリーズは、スイスEVにより開発されたシステムであり、ヨーロピアンサウンドとヨーロッパ調デザインに特徴がある。シリーズの名称が示すように、CRISTAL、OPAL、SAPHIRとDIAMANTの、それぞれ、宝石の名がつけられた4モデルシリーズを構成している。
 今回試聴をしたのは、SAPHIRとDIAMANTの上位2モデルであるが、他の2モデルも簡単に招介しておこう。まず、CRYSTALは、もっとも小型なモデルで、20cmウーファーと25mmドーム型トゥイーターを2500Hzでクロスオーバーした2ウェイ方式のシステムである。このモデルのみ、エンクロージュア仕上げがウォルナットレザーとブラックオークレザーの2種類が用意されている。
 OPALは、CRYSTALよりひとまわり大きなバスレフ型エンクロージュアに、20cmウーファーと38mmスーパードームトゥイーターを1500Hzでクロスオーバーした2ウェイシステムである。この2モデルは、ユニット配置が、バッフルボード中心に置かれたインラインタイプで、トゥイーターユニットの上部に、EVでいう、ヴェンテッドボックスという、バスレフ型のポートがある、というユニークな点が特徴であろう。
 まず、今回の試聴で最初に聴いたSAPHIRは、20cmウーファーをベースに、38mmスーパードーム・ミッドレンジと25mm口径CDホーントゥイーターを、1500Hzと7000Hzでクロスオーバーした3ウェイシステムである。
 新シリーズをユニット構成から眺めてみると、CRYSTAL、OPAL、SAPHIRの3モデルが、20cmウーファーを採用したモデルで、CRYSTALをジュニアタイプとすれば、OPALが標準型、SAPHIRは、そのグレイドアップ型とすることができるだろう。つまり、この3モデルは、シリーズ製品というに相応しい内容をもっているといえるだろう。
 SAPHIRは、とくにワイドレンジを意識させないスムーズなレスポンスをもつシステムである。低域は、20cmウーファーらしい、軽やかで、適度な反応の早さが特徴であり、滑らかでサラッとした中域と程よくクリアーな高域が、巧みにバランスする。
 使いこなしのポイントは、気持ちよく、軽快に弾んだ音を楽しむといった方向へのチューニングが好ましいであろう。
 まず、スピーカーの置台は、構造的に充分に剛性があり、音質に注意を払った材料を使った木製のスタンドあたりが好ましい。もしも、平均的にコンクリートブロックを使うとすれば、その表面は薄いフェルトなどでカバーし、ブロック固有の乾いた響きは抑えたいものだ。そして、その上に、木のブロックや角棒などを置いてから、システムをセットするとよいだろう。
 またスピーカーコードも、情報量が多いOFCやLC−OFCを使い、トータルバランスは細かにスピーカーのセッティングを変えて修整することがポイントだ。
 DIAMANTは、新シリーズのトップモデルであるが、内容的には、上級機種のBARON・CD35iのジュニアタイプとも考えられる。しかし、両者を比較すると、新製品らしく音響的には、DIAMANTのほうが基本設計が一段と進んでいるように見受けられる。
 その、第1は、新シリーズ共通の特徴であるが、バッフルにネックステル材料が採用され、バッフル面の不要輻射を抑えていること。第2に、中音と高音用のアッテネーターが、バッフル面から除かれ、この部分でのノイズ発生を防いでいることだ。
 このシステムは、新シリーズのトップモデルだけに、かなり本格派の音をもっている。さすがに、30cmポリプロピレン・ウーファーをベースとするだけに、SAPHIRと異なり、スケール感が格段に豊かになり、柔らかく余裕のあるベーシックトーンをもっている。中域以上も、適度にクリアーで抜けがよく、帯域感は充分に伸び、音場感もナチュラルに拡がり音像も比較的クリアーに立つ。使いこなしの基本は、SAPHIRと共通であるが、チューニングをした結果として得られる音は、明らかに1〜2ランク異なったものである。
 平均的な国内製品の高級システムよりは使いこなしは難しいが、期待に応えられるだけの内容を備えた製品と思われる。