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JBL 4344

黒田恭一

ステレオサウンド 62号(1982年3月発行)
「4343のお姉さんのこと」より

 いま常用しているスピーカーはJBLの4343である。「B」ではない。旧タイプの方である。その旧4343が発売されたのは、たしか一九七六年であった。発売されてすぐに買った。したがってもうかれこれ五年以上つかっていることになる。この五年の問にアンプをかえたりプレーヤーをかえたりした。部屋もかわった。いまになってふりかえってみると、結構めまぐるしく変化したと思う。
 この五年の間に4343をとりまく機器のことごとくがすっかりかわってしまった。かならずしも4343の能力をより一層ひきだそうなどとことあらためて思ったわけではなかったが、結果として4343のためにアンプをかえたりプレーヤーをかえたりしてきたようであった。すくなくともパワーアンプのスレッショルド4000のためにスピーカーをとりかえようなどと考えたことはなかった。スレッショルド4000にしても4343のための選択であって、スレッショルド4000のための4343ではなかった。この五年間の変動はすべてがすべて4343のためであった。
 そしていまは、努力の甲斐あってというべきか、まあまあと思える音がでている――と自分では思っている。しかし音に関しての判断でなににもまして怖いのは独り善がりである。いい気になるとすぐに、音は、そのいい気になった人間を独善の沼につき落す。ぼくの音はまあまあの音であると心の七十パーセントで思っても、残りの三十パーセントに、これで本当にいいのであろうかと思う不安を保有しておくべきである。
 幸いぼくの4343から出る音は、岡俊雄さんや菅野沖彦さん、それに本誌の原田勲さんや黛健司さんといった音に対してとびきりうるさい方々にきいていただく機会にめぐまれた。みなさんそれぞれにほめて下さった。しかしながらほめられたからといって安心はできない。他人の再生装置の音をきいてそれを腐すのは、知人の子供のことを知人にむかって直接「お前のところの子供はものわかりがわるくて手におえないワルガキだね」というのと同じ位むずかしい。岡さんにしても菅野さんにしても、それに原田さんにしても黛さんにしても、みなさん紳士であるから、ぼくの4343の音をきいて、なんだこの音は、箸にも棒にもかからないではないかなどというはずもなかった。
 でも、きいて下さっているときの表情を盗みみした感じから、そんなにひどい音ではないのであろうと思ったりした。その結果、安心は、七十パーセントから七十五パーセントになった。したがってこれで本当にいいのかなと思う不安は二十五パーセントになった。二十五パーセントの不安というのは、音と緊張をもって対するのにちょうどいい不安というべきかもしれない。
 つまり、ちょっと前までは、ことさらの不都合や不充分さを感じることもなく、自分の部屋で膏をきけていたことになる。しかし歴史が教えるように太平の夢は長くはつづかない。ぼくの部屋の音はまあまあであると思ったがために、気持の上で隙があったのかもしれない。うっかりしていたためにダブルパンチをくらうことになった。
 最初のパンチはパイオニアの同軸型平面スピーカーシステムのS-F1によってくらった。このスピーカーシステムの音はこれまでに何回かきいてしっているつもりでいた。しかしながら今回はこれまでにきいたいずれのときにもましてすばらしかった。音はいかなる力からも解放されて、すーときこえてきた。まさに新鮮であった。「かつて体験したことのない音像の世界」という、このスピーカーシステムのための宣伝文句がなるほどと思える音のきこえ方であった。
 それこそ初めての体験であったが、そのS-F1をきいた日の夜、試聴のとききけなかったレコードのあれこれをきいている夢をみた。夢であるから不思議はないが、現実にはS-F1できいたことのないレコードが、このようにきこえるのであろうと思えるきこえ方できこえた。夢でみてしまうほどそのときのS-F1での音のきこえ方はショックであった。
 そこでせっかく七十五までいっていた安心のパーセンテイジはぐっと下って、四十五パーセント程度になってしまった。五年間みつづけてきた4343をみる目に疑いの色がまじりはじめたのもやむをえないことであった。ぼくの4343がいかにふんばってもなしえないことをS-F1はいとも容易になしえていた。
 しかしそこでとどまっていられればまだなんとか立ちなおることができたはずであった。もう一発のパンチをくらって、完全にマットに沈んだ。心の中には安心の欠片もなく、不安が一〇〇パーセントになってしまった。「ステレオサウンド」編集部の悪意にみちみちた親切にはめられて、すでに極度の心身症におちいってしまった。
 二発目のパンチはJBLの新しいスピーカーシステム4344によってくらった。みた目で4344は4343とたいしてちがわなかった。なんだJBLの、新しいスピーカーシステムを出すまでのワンポイントリリーフかと、きく前に思ったりした。高を括るとろくなことはない。JBLは4343を出してからの五年間をぶらぶら遊んでいたわけではなかった。ききてはおのずとその4344の音で五年という時間の重みをしらされた。4344の音をきいて、その新しいスピーカーの音に感心する前に、時代の推移を感じないではいられなかった。
 4344の音は、4343のそれに較べて、しっとりしたひびきへの対応がより一層しなやかで、はるかにエレガントであった。したがってその音の感じは、4343の、お兄さんではなく、お姉さんというべきであった。念のために書きそえておけば、エレガント、つまり上品で優雅なさまは、充分な力の支えがあってはじめて可能になるものである。そういう意味で4344の音はすこぶるエレガントであった。
 低い音のひびき方のゆたかさと無関係とはいえないであろうが、音の品位ということで、4344は、4343の一ランク、いや二ランクほど上と思った。鮮明であるが冷たくはなかった。肉付きのいい音は充分に肉付きよく示しながら、しかしついにぽてっとしなかった。
 シンセサイザーの音は特にきわだって印象的であった。ヴァンゲリスとジョン・アンダーソンの「ザ・フレンズ・オブ・ミスター・カイロ」などをきいたりしたが、一般にいわれるシンセサイザーの音が無機的で冷たいという言葉がかならずしも正しくないということを、4344は端的に示した。シンセサイザーならではのひびきの流れと、微妙な揺れ蕩さ方がそこではよくわかった。いや、わかっただけではなかった。4344できくヴァンゲリスのシンセサイザーの音は、ほかのいかなる楽器も伝ええないサムシングをあきらかにしていた。
 その音はかねてからこうききたいと思っていた音であった。ヴァンゲリスは、これまでの仕事の性格からもあきらかなように、現代の音楽家の中でもっともヒューマニスティックな心情にみちているひとりである。そういうヴァンゲリスにふさわしい音のきこえ方であった。そうなんだ、こうでなければいけないんだと、4344を通してヴァンゲリスの音楽にふれて、ひとりごちたりした。
 それに、4344のきかせる音は、奥行きという点でも傑出していた。この点ではパイオニアのS-F1でも驚かされたが、S-F1のそれとはあきらかにちがう感じで、4344ももののみごとに提示した。奥行きとは、別の言葉でいえば、深さである。聴感上の深度で、4344のきこえ方は、4343のそれのほぼ倍はあった。シンセサイザーのひびきの尻尾ははるか彼方の地平線上に消えていくという感じであった。
 シンセサイザーのひびきがそのようにきこえたことと無関係ではありえないが、声のなまなましさは、きいた人間をぞくっとさせるに充分であった。本来はマイクロフォンをつかわないオペラ歌手の声にも、もともとマイクロフォンをつかうことを前提に声をだすジャズやロックの歌い手の声にも、声ならではのひびきの温度と湿度がある。そのひびきの温度と湿度に対する反応のしかたが、4344はきわだって正確であった。
 きいているうちに、あの人の声もききたいさらにあの人の声もといったように、さまざまなジャンルのさまざまな歌い手のことを考えないではいられなかった。それほど声のきこえ方が魅力的であった。
 クリストファー・ホグウッドがコンティヌオをうけもち、ヤープ・シュレーダーがコンサートマスターをつとめたエンシェント室内管弦楽団による、たとえばモーツァルトの「ハフナー」と「リンツ」という二曲のシンフォニーをおさめたレコードがある。このオワゾリールのレコードにはちょっと微妙なころがある。エンシェント室内管弦楽団は authentic instruments で演奏している。そのためにひびきは大変にまろやかでやわらかい。その独自のひびきはききてを優しい気持にさせないではおかない。オーケストラのトゥッティで示される和音などにしても、この室内管弦楽団によった演奏ではふっくらとひびく。決してとげとげしない。
 そのレコードを、すくなくともぼくの部屋の4343できくと、いくぶんひびきの角がたちすぎる。むろん4343できいても、その演奏がいわゆる現代の通常のオーケストラで音にされたものではないということはわかる。そして authentic instruments によった演奏ならではの微妙なあじわいもわかる。しかしもう少しふっくらしてもいいように感じる。
 そう思いながら4343できいていた、そのレコードを4344できいてみた。そこで模範解答をみせられたような気持になった。そうか、このレコードは、このようにきこえるべきものなのかと思った。そこでの「リンツ」シンフォニーのアンダンテのきかせ方などはまさに4343のお姉さんならではのきかせ方であった。
 ひとりきりで時間の制限もなく試聴させてもらった。場所はステレオサウンド社の試聴室であった。試聴者は、自分でも気づかぬうちに、喜聴者に、そして歓聴者になっていた。編集部に迷惑がかかるのも忘れて、えんえんときかせてもらった。
 そうやってきいているうちにみえてきたものがあった。みえてきたのは、この時代に生きる人間の憧れであった。意識的な憧れではない。心の底で自分でも気づかずにひっそりと憧れている憧れがその音のうちにあると思った。いまのこういう黄昏の時代に生きている人は、むきだしのダイナミズムを求めず、肌に冷たい刺激を拒み、音楽が人間のおこないの結果であるということを思いだしたがっているのかもしれない。
 4344の音はそういう時代の音である。ひびきの細部をいささかも暖昧にすることなく示しながら、そのひびきの肌ざわりはあくまでもやわらかくあたたかい。きいていてしらずしらずのうちに心なごむ。
 4343には、STUDIO MONITOR という言葉がつけられている。モニターには、警告となるもの、注意をうながすものという意味があり、監視、監視装置をいう言葉である。スタジオ・モニターといえば、スタジオでの検聴を目的としたスピーカーと理解していいであろう。たしかに4343には検徳用スピーカーとしての性能のよさがある。どんなに細かい微妙な音でも正確にきかせてあげようといったきかせ方が4343の特徴といえなくもない。しかしぼくの部屋はスタジオではない(と、当人としては思いたい)。たとえレコードをきくことが仕事であっても、検聴しているとは考えたくない。喜聴していると考えたい。4343でも喜聴はむろん可能である。そうでなければとても五年間もつかえなかったであろう。事実、毎日レコードをきいているときにも、検聴しているなどと思ったことはなく、しっかり音楽をたのしんできた。そういうきき方が可能であったのは、4343の検聴スピーカーとしての性能を信頼できたからといえなくもない。
 4344にも、”STUDIO MONITOR” という言葉がつくのであろうか。ついてもつかなくてもどっちでもかまわないが、4344のきかせる音はおよそモニター・スピーカーらしからぬものである。すくなくとも一般にスタジオ・モニターという言葉が思い起させる音から遠くへだたったところにある音であるということはできるはずである。しかしながら4344はモニター・スピーカーといわれるものがそなえている美点は失っていない。そこが4344のすばらしいところである。
「JBL的」といういい方がある。ぼくの部屋の4343の音は、何人かの方に、「およそJBL的でないいい音だね」といって、ほめられた。しかし、ほめられた当人は、その「JBL的」ということが、いまだに正確にはわからないでいる。さまざまな人のその言葉のつかわれ方から推測すると、おおむね鮮明ではあっても硬目の、ひびきの輪郭はくっきり示すが充分にしなやかとはいいがたい、そして低い方のひびきがかならずしもたっぷりしているとはいいがたい音を「JBL的」というようである。おそらくそのためであろう、根づよいアンチJBL派がいるということをきいたことがある。
 理解できることである。なにかを選ぶにあたってなにを優先させて考えるかで、結果として選ぶものがかわってくる。はなしをわかりやすくするために単純化していえば、とにもかくにも鮮明であってほしいということであればJBLを選び、どうしてもやわらかいひびきでなければということになるとJBLを選ばないということである。しかしながらそのことはJBLのスピーカーシステムが「JBL的」であった時代にいえたことである。
 4343にもまだ多少はその「JBL的」なところが残っていたかもしれない。そのためにぼくの部屋の4343の音は何人かの方に「およそJBL的でないいい音」とほめられたのであろう。もっとも4343のうちの「JBL的」なところをおさえこもうとしたことはない。したがって、もしそのほめて下さった方の言葉を信じるとすれば、結果として非「JBL的」な音になったということでしかない。
 4344にはその「JBL的」なところがまったくといっていいほどない。音はあくまでもなめらかであり、しなやかであり、つまりエレガントである。それでいながら、ソリッドな音に対しても、鋭く反応するということで、4344はJBLファミリーのスピーカーであることをあきらかにしている。
 この4344を試聴したときに、もうひとつのJBLの新しいスピーカーシステムである変則2ウェイの4435もきかせてもらった。これもまたなかなかの魅力をそなえていた。電気楽器をつかっていない4ビートのジャズのレコードなどでは、これできまりといいたくなるような音をきかせた。音楽をホットにあじわいたいということなら、おそらくこっちの方が4344より上であろう。ただ、大編成のオーケストラのトゥッティでのひびきなどではちょっとつらいところがあったし、音像もいくぶん大きめであった。
 4435は音の並々ならぬエネルギーをききてにストレートに感じさせるということでとびぬけた力をそなえていた。しかしいわゆる表現力という点で大味なところがあった。2ウェイならではの(といっていいのであろう)思いきりのいいなり方に心ひかれなくもなかったが、どちらをとるかといわれれば、いささかもためらうことなく、4343のお姉さんの4344をとる。なぜなら4344というスピーカーシステムがいまのぼくがききたい音をきかせてくれたからである。
 いまの4343の音にも、4344の音をきくまでは、結構満足していた。しかしながらすぐれたオーディオ機器がそなえている一種の教育効果によって耳を養われてしまった。4343と4344とのちがいはほんのわずかとはいいがたい。そのちがいに4344によって気づかされた。もう後にはもどれない。
 ぼくの耳は不変である――と思いこめれば、ここでどぎまぎしないでいられるはずである。しかしながら耳は不変でもなければ不動でもない。昨日の耳がすでに今日の耳とはちがうということを、さまざまな場面でしらされつづけてきた。なにも新しもの好きで前へ前へと走りたいわけではない。一年前に美しいと感じられたものがいまでは美しいと感じられないということがある。すぐれたオーディオ機器の教育効果の影響をうけてということもあるであろうし、その一年間にきいたさまざまな音楽の影響ということもあるであろう。ともかく耳は不変でもなければ不動でもない。
 そういう自分の耳の変化にぼくは正直でいたいと思う。せっかく買ってうまくつかえるようになった4343である。できることなら4343をこのままつかりていきたい。しかしながら4344の音をきいて4343のいたらなさに気づいてしまった。すでにひっこみはつかない。
 しかしまだ4344を買うとはきめていない。まだ迷っている。もう少し正直に書けば、迷うための余地を必死になってさがしだして、そこに逃げこんで一息ついている。いかなることで迷うための余地を確保したかといえば、きいた場所が自分の部屋ではなくステレオサウンド社の試聴室であったことがひとつで、もうひとつはS-F1のことである。ぼくの部屋できけば4343と4344ではそんなにちがわないのかもしれないと、これは悪足掻き以外のなにものでもないと思うが、一生懸命思いこもうとしている。
 それにS-Flの音が耳から消えないということもある。この件に関してはS-F1と4344の一騎討ちをすれば解決する。その結果をみないことには結論はでない。
 いずれにしろそう遠くはない日にいまの4343と別れなければならないのであろうという予感はある。わが愛しの4343よ――といいたくなったりするが、ぼくは、スピーカーというものへの愛より、自分の耳への愛を優先させたいと思う。スピーカーというものにひっぱられて自分の耳が後をむくことはがまんできない。

JBL 4430, 4435

井上卓也

ステレオサウンド 62号(1982年3月発行)
「JBLスタジオモニター研究 PART2」より

 4435は、安定感があり、適度にソリッドな質感を聴かせる低域をべースに、スムーズなクロスオーバーポイントのつながりを示す。エネルギー感がある中域と、シャープで張りつめた粒立ちをもつわずかに硬質な高域が、ほぼフラットなレスポンスを形成する帯域バランスをもち、明るく輝かしい音色が新鮮な印象である。
 低域は適度にソリッドさがあると前述したが、初期の4343のような重いゴリッとしたタイプではなく、低域の直接音成分のバランスがよく、アコースティックな楽器固有の質感も、エレキ楽器のやや無機的だがパルス成分が多く鋭い立上がりをもつエネルギッシュな特長をも、比較的ストレートに聴かせる。このあたりは、スタガー使用の片側のウーファーに100Hz以上をカットするフィルターが組み込まれているために、2本のウーファー間で適度な位相差が生じ、それが効果的に作用しているのかもしれない。
 中域はエネルギー感が充分にあるが、このタイプにありがちの固有音を伴った誇張感が少なく、音像をクリアーに輪郭をはっきりつけて聴かせる。高域はやや硬質の粒立ちを感じさせるタイプで、レスポンス的には聴感上で不足はなく、低域再生能力と巧みにバランスをとっているJBLのチューニング技術はさすがに見事なものだ。
 ただ細かく聴き込めば、国内製品に多い超高域にまでレスポンスが伸びた独特の雰囲気をもつプレゼンス感がないのがわかる。しかしこの差は、例えばMC型カートリッジの昇圧方法に、トランスを使うかヘッドアンプを使うかの違いに似ており、特別の場合を除いて問題にはなるまい。
 新開発のバイ・ラジアルホーンは、計測データが示すように、水平方向はもとより、スピーカーシステム共通の問題点である垂直方向の指向性パターンが優れているようで、システムの前で上下方向に耳を移動させてチェックしても、システムとしての帯域バランスがクリチカルに変わらず、ホーン開口部の下側あたりにブロードな最適聴取ゾーンがある様子だ。したがって、この最適ゾーンと耳の高さが同じになるように、実際の使用にあたっては、スピーカーとリスナーの相対的な位置関係を整える必要があるだろう。このあたりは、3ウェイ構成程度のやや大型のブックシェルフ型などで、縦方向にユニットが一直線上に配置されている場合でも、上下方向の指向性パターンが乱れがちで、最適聴取位置がスコーカーとウーファーの中間あたりの予想外に低い位置にまとまる例が多い。それに比べて4430/4435では、バイ・ラジアルホーンの特長をフルにいかして、ユニット配置とネットワークを設定した、いかにもモニターシステムらしい特性の見事さといってよいだろう。
 4435の音は、基本的には、4345に始まるスムーズで細やかな傾向があらわれだしたサウンドとは明らかに異なり、シャーブで解像力が高く、適度にリアリティがある輝かしいスタジオモニターの新しいサウンドが特長である。4435をコンシュマー用として考えても、この特長が魅力につながるだろうし、充分にコントローラブルな音である点も、使いこなしの上でメリットになるだろう。また、一般家庭用としては、ローボーイ型のプロポーションもメリットのひとつといえるだろう。

JBL 4344

井上卓也

ステレオサウンド 62号(1982年3月発行)
「JBLスタジオモニター研究 PART2」より

 4344は、基本的にはワイドレンジ型のシステムであるが、各ユニットは、振動板材料の違いからくる質感的な違和感を感じさせずにスムースにつながっている。極端なワイドレンジ型というよりは、あくまでナチュラルな帯域、バランスが身上だ。以前の4ウェイシステムのシャープで鋭角的な解像力を特長とする明るさから、一段とこまやかで音楽のディテールを素直に聴かせる、フレキシブルな表現力をもつシステムに成長している。
 低域に関してこの4344は、このところ省エネルギー設計の打撃から立直りはじめた中級以上のプリメインアンプでも、比較的簡単にドライブでき、優れた低域再生能力を備えているといえるだろう。4343が登場した時点では、当時のアンプの低域ドライブ能力不足もあって、少なくとも200W+200Wクラス以上のパワーアンプを使わないと、低域のコントロールができなかった。その頃から比べると、4344の低域再生能力は隔世の感がある。
 アルニコ系磁石独特の軽くソリッドに引締まった低域の特長と、フェライト系磁石の豊かで低域から中低域にかけてスムースなエンベロープを聴かせる特長をあわせもつ低域が、この4344の開発の重要テーマだったと聞くが、ウーファーの改良と、エンクロージュアのチューニング技術の進歩で、実際にこのシステムを聴いた結果からも、この目的はほぼ達成されていると判断できる。
 4343は4ウェイ構成でありながら、予想より中低域の豊かさが少なく、ゴリッと重い低域と輝かしい中高域がバランスを保つ、個性的なバランスのスピーカーであった。これと比較すると、SFG磁気回路を深用した4343Bでは、解像力では4343に一歩譲るとしても、低域から中低域にかけての豊かでバランスのよいファンダメンタルトーンが新しい魅力となり、システムとしてのトータルなバランスは格段に向上したことが印象に新しい。4344では、新しいミッドバスユニット2122Hの受持帯域の高域側の特性と音質改善の効果と、エンクロージュアのチューニングの方向性の違いも相乗的に働いて、低域から中低域にかけてのリッチでクォリティの高い音のまとまりは、JBLの4ウェイシステムとしてトップランクのものだ。
 中高域から高域は、主にユニット関係の改善と、ネットワークのバックアップで、やや金属的な響きに偏ったダイレクトな表現から、音の粒子が一段と細かく滑らかな光沢をもつ、しなやかでスムースなタイプに発展している。
 したがって、4343をエネルギッシュで粗削りだが若々しい、爽やかでダイナミックな魅力とすれば、この4344は、それが熟成されて、まろやかな味わいがある一段と完成度の高い円熟した魅力を備えたということができる。それだけの深みがあるといえるだろう。
 全体の音の粒子が細かく滑らかなだけに、音場感的なプレゼンスは素直な遠近感を聴かせる。いわゆる「前に音が出る」JBLから、「奥行きのある」JBLへと、一段とリファインされたといえよう。

BOSE 901IV

BOSEのスピーカーシステム901IVの広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

BOSE

ヤマハ NS-600

ヤマハのスピーカーシステムNS600の広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

NS600

トリオ LS-1000

トリオのスピーカーシステムLS1000の広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

LS1000

クリプシュ heresy HD

クリプシュのスピーカーシステムheresy HDの広告(輸入元:ヒビノ電気音響)
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

HeresyHD

JBL 4345

JBLのスピーカーシステム4345の広告(輸入元:山水電気)
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

4345

コス KSP

コスのヘッドフォンKSPの広告(輸入元:山水電気)
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

KOSS

オンキョー Scepter 300

オンキョーのスピーカーシステムScepter 300の広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

Scepter300

ソニー APM-77W

ソニーのスピーカーシステムAPM77Wの広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

APM77W

ダイヤトーン DS-32B MKII, DS-37B, DS-503, DS-505

ダイヤトーンのスピーカーシステムDS32B MKII、DS37B、DS503、DS505の広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

Diatone

インフィニティ RS-b

インフィニティのスピーカーシステムRS-bの広告(輸入元:赤井電機)
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

RS-b

タンノイ Arundel, Balmoral

菅野沖彦

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 タンノイが’81年暮に発表した新製品は、トッモデルのG・R・ファウンテン・メモリーと、このアランデル、バルモラルの合計3機種である。そして、このアランデル、バルモラルは、そのイニシャルがAとBであるように、かつてのアーデン、バークレイにとって代るモデルとして開発されたものなのだ。アーデン、バークレイは、オリジナルからMKIIとなって長い間ファンに親しまれてきたシステムであったが、それに代って登場した2機種も、当然のことながらデュアルコンセントリックユニットを使うことに変りはない。アランデルが38cm口径の3839ユニット、バルモラルは30cm口径の3128ユニットを内蔵する。3839は連続入力120W、ピークで500W、3128はそれぞれ100W、350Wというヘビーデューティ、そしてクロスオーバー周波数は1kHz、1・2kHzの同軸型2ウェイ、つまり、コアキシャルユニットである。エンクロージュアは、アーデン、バークレイからはプロポーションに大きな変革がある。従来よりも高さと奥行きが増し、幅が狭められた。タンノイによれば、これはエンクロージュア内部の反射音による干渉を弱め、音の濁りをなくすのに有効であるとされている。エンクロージュア自体の剛性や作りは、G・R・F・メモリーを見た眼にはそれほど印象は強くないが、ビチューメンパネルと呼ばれるタンノイ独自の共振防止材をエンクロージュア内部5面に多数取り付けることによってアコースティックコントロールが行なわれ、中域の明瞭度や、全帯域での音の鮮明さを得ているという。タンノイ独特のロールオフとエナジーの2種類の調整ができるネットワークもそのままである。このネットワークコントロールは大変有効なものだ。つまり、ロールオフによって5kHz以上を4段階に増減、エナジーによって1kHz〜20kHzにわたってトゥイーターレベル全体を±6dBに増減が可能である。多少異なる点もあるが、JBLの最新2ウェイシステムに採用されていを方法と似ている。2ウェイユニット・3ウェイコントロールとでもいえるものである。これは、音楽を鑑賞する現実の条件に対応したタンノイらしいコントロール機能であり、このあたりに、真の音楽ファンのためのタンノイの、タンノイらしさが感じられるのである。

BOSE 601 SERIESII

井上卓也

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 BOSEのスピーカーシステムは、実際のコンサートホールプレゼンスを確保するために、ユニークな音響理論に基づき直接音成分と間接音成分のバランスを巧みにコントロールするユニット配置を採用している。シンプルな構造、適切な材料選択と優れた基本設計によって、非常にパワーハンドリングの優れたユニットによるパワフルでダイナミックなサウンド、豊かなプレゼンスですでに確固とした支持をオーディオファンの中に築き上げている。今回、フロアー型の601を大幅な設計変更により発展、改良した新製品、シリーズIIが市場に送り出されることになった。
 従来の601は、BOSEのコンシュマーユース独特の、ディフィニションに優れプレゼンス豊かな再生をするモデルとして一部で認められてはいたが、周波数帯域的なバランスでは低域から中域が量的に多く、軟調な再生になりやすいことと、シャープで緻密な音というにはやや分解能が不足であり、トップモデル901シリーズIVほどの定評は得られていなかった。
 今回の601シリーズIIは、これらの問題点を根本的に解決するために、新しい手法としてサブ・メインダクト方式を採用し、低域から中域の締まりのよさと、室内の反射物により生じる250Hzあたりの盛り上がったレスポンスをコントロールすることが可能になったと発表されている。
 口径20cmのウーファーは、コーンのストロークが長いタイプがエンクロージュア上側に斜めに取り付けられ、さらにエンクロージュア正面にはノーマルストローク型がセットされるという独特なダブルウーファー設計である。この2個のウーファーは、それぞれエンクロージュア内部に独立した専用のバックキャビティをもち、メインのエンクロージュアとは個々のバックキャビティの後ろに設けられた補助ダクトを通して空気がつながり、さらにメインエンクロージュアにも独立した別のダクトがあって、これを通して外気につながるといった2重構造をとる。これが、サブ・メインダクト方式と名付けられた理由である。
 簡単に考えれば、一般的にはバッフル面にあるダクトをエンクロージュア後面に設けた2個のシステムを、大型のエンクロージュアに取り付け、その大型エンクロージュアにはダクトのみをつけたタイプと思えばよい。従来にないユニークな構造である。
 内部のサブダクトはチューニングがブロードになる設計で、その中心周波数は250Hz、一般的なリスニングルームの多くで壁面などにより強調されやすい250Hzあたりの音の濁りをを、メインエンクロージュア内部で吸収しようとする設計であるようだ。また、メインのダクトは35Hzにチューニングされ、バスレフ方式で低域をコントロールしているのは一般的なシステムと同様だが、ダクトの位置がエンクロージュア上部の前側にあり、パイプダクトが上を向いているのも特長である。
 トゥイーターとウーファーのクロスオーバーは、これもBOSE独特の設計によるデュアルフレケンシー・クロスオーバー方式と呼ばれるタイプだ。トゥイーターとウーファーのクロスオーバー部分を、約1オクターブオーバーラップさせ、位相特性と振幅特性を完全にマッチングさせようとする方法である。実際に601シリーズIIでは、ウーファー側は1・3kHzあたりで約2dBほどレベルが下降してから再びフラットになり、2・5kHzあたりからまた下降するという段付き特性になっており、トゥイーター側はこの逆で、2・5kHzあたりで一度レベルが約2dB下がったあとフラットになり、1・5kHzあたりで再び下降するレスポンスを示す。2箇所でレスポンスが下降するために、デュアルフレケンシー・クロスオーバー方式といわれるのであろう。
 601シリーズIIは小型のフロアー型システムであり、独自の直接音と間接音の輻射バランスをとるために、エンクロージュア上部のサランネットがかかった部分の左右には、物を置かないようにセットする必要がある。インストラクションによれば、
 1 壁面にエンクロージュアを密着させて最初のヒアリングをする。
 2 低域が強調される場合は、壁から離して、その距離で調整をする。
 3 低域がこもる場合は、床からの位置を上にあげて調整をする。
の3点が指示されている。
 ステレオサウンド試聴室でもこの指示に従って試聴を始めたが、1では全体にローバランスになり、2でも多少のコントロールはできるが、抜けがいま一歩不足気味であり、結局3に従って、床からの位置を数ステップ調整して一応のバランスが得られた。使用アンプの低域のドライブ能力が充分にあり、プレーヤーシステムもヘビー級であったため、3の位置を上げたセッティングが必要であったと思われる。
 この時の音は、爽やかに抜ける音場感の拡がりと響きの美しさに加えて、こだわりなくストレートに、吹き抜けるようなダイナミックな表現力が聴かれた。国内製品とはひと味違った、実体感のある音楽が楽しめるタイプだ。組み合わせるカートリッジやアンプは、中域から高域で分解能が高く、反応の速いタイプを使うことが、システムの独自の魅力を引き出すポイントである。

テクニクス SB-8

テクニクスのスピーカーシステムSB8の広告
(モダン・ジャズ読本 ’82掲載)

SB8

ビクター Zero-1000

井上卓也

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 ワイド・アンド・ダイナミックを標傍するZeroシリーズのスピーカーシステムは、Zero5/3にはじまる。現在ではスコーカーにファインセラミック振動板を採用したZero5F/3F、トゥイーターに同じ振動板を採用した2ウェイ構成のZero1Fを加えた第2世代のシリーズに発展し、爽やかに拡がる音場感の豊かさと、明るくダイナミックな表現力により好評を得ている。今回は、平面振動板ユニット採用のZero7の上級機種として、シリーズのトップに位置づけられるZero1000が登場した。
 ユニット構成は、標準的な3ウェイ構成に、さらにスーパートゥイーターを加えた4ウェイ方式。ファインセラミック振動板を初めてウーファー用コーンに導入した32cm口径ウーファーをベースとし、同じ振動板材料を、これもドーム型スコーカーに初採用の7・5cm口径ユニットを中音に、トゥイーターも同様な3・5cmドーム型、それに独自のダイナフラットリボン型のスーパートゥイーターから成る。
 ウーファーコーンのファインセラミック化は、コーンの固有キャラクターの原因となる不要な高域共振を排除し、剛性が高いため大振幅時にも空気圧でコーンが変形したり歪むことがなく、透明でクリアーな、色づけのない安定したベーシックトーンが得られるメリットがあるという。
 スコーカーとトゥイーターは、半球に近いドーム形状を採用している。これは、モーダル解析により求めた理想的な形状とのことで、周波数特性、指向性ともに優れた基本設計である。特に、7・5cm口径のスコーカーユニットは、80年代のドーム型ユニットらしい設計で、従来のハードドーム型ユニットとは基本的な設計が異なっている点に注意したい。
 一般的に、ドーム型スコーカーでは振動板の前にイコライザーを設けるが、Zero1000のユニットにはイコライザーがない。ダイアフラムの内側も、従来は振動板材料固有のキャラクターを抑える目的で制動剤を塗布したり、貼りつけたりしてコントロールする例が多かった。この方法は、確実で容易な手段であるが、振動板重量が増加し、能率の低下や聴感上での鋭いピークの伸びや分解能を損ないやすく、せっかくの高剛性、軽質量のメリットが活かせないためにダイナミックスを抑える傾向が強い。Zero1000では、振動板を直接制御する方法を排除し、ファインセラミックの利点がフルに活かされている。この、イコライザーレス、フリーダンプダイアフラムの2点は、進歩した設計による現代ドーム型ユニットの特長で、今年登場の、優れたハードドーム型ユニットを採用した高級ブックシェルフ型システムに共通の、注目すべき技術革新である。
 エンクロージュア型式は、Fシリーズがすべてバスレフ型であることと対比的に、完全密閉型であるのがZero1000の外観上の特長であろう。エンクロージュアは、一般的にチップボードや積層板といった板材を切断して組み立てる方法が採用されているが、Zero1000のエンクロージュアは、それとは根本的に異なった材料が導入されている。
 ブルーグレイ調にカラーリングされたフロントバッフルは、フラットバッフルでは避けられない回折効果による指向性の乱れを俳除するために、微妙なカーブを描くスーパー楕円形状が採用されている。4個のユニットを直線配置とすると、ユニットマウント用の穴をあけることによる強度不足が問題になってくるが、今回はこの解決方法として、最も響きが美しい木材を超えるヤング率や内部損失をもった特殊レジンを材料に選択している。さらに、一体成型モールドの利点を活かして、バッフル裏側に強度を確保する目的で複雑なリブ構造を施し、理想的なフロントバッフルを作りあげている。実際に叩いてみても、その響きは木材と判断しかねる印象だ。また、裏板部分も、エンクロージュア内部の定在波の処理やユニットの背圧問題、不要振動の排除などの多角的な影響を抑えるために、裏板中心部分の板厚が最も薄く四隅が厚い、逆ピラミッド型に裏板内側が成型されている。この特殊形状を、チップボードを一体成型するウッドキャスティングにより可能としている。なお、側板、天板と底板は、一般的な板材使用である。
 ネットワークも重要な部分だが、高級機相応の高品質、低損失設計であり、レベルコントロールは定インピーダンス・ステップのスイッチ切替型である。
 その他構造上の特長として、低域のダイナミックレンジを拡大するために、ウーファーの磁気回路ブロックとエンクロージュア裏板間を強力なボルトでつなぎ、最適位置で固定してあるのも見逃せない。
 ややトールボーイ型のZero1000は、ステレオサウンド試聴室では床上約25cmほどに設置して、最適バランスが得られる。音の粒子は細かく滑らかで、基本的に柔らかい音とナチュラルに伸びた帯域バランスをもつ。音の反応はシャープでダイナミックであり、誇張感のない実体感とディフィニションの優れた音場感の透明さは、紙のコーン採用のシステムとは異次元の再生能力だ。使いこなしには努力を要するが、その結果は想像を上廻る見事なものである。

JBL 4435, 4430

菅野沖彦

ステレオサウンド 61号(1981年12月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 人によっていろいろな形に見えるであろう奇怪なホーンの開口部。JBL呼んでバイラジアルホーン、これが新しいJBLスピーカーシステムの個性的な表情であり、技術改良の鍵でもある。このホーンの設計は、水平・垂直方向それぞれ100度の範囲での高域拡散を実現することを目標に行なわれた。しかも、このホーンによって放射される周波数帯域は、1kHz~16kHzという広いものである。この奇怪な形状のホーンの威力は、まことに大きいものがある。このところマルチユニット化によって広周波数帯域の実現を目指してきたJBLが、この4435、4430において突如2ウェイによるシステムを発表したことは、われわれにとっても驚きであった。ご承知のように、4341に始まり4343、4345へと発展してきたJBLモニターシステムは、その旗艦4350を含め、すべて4ウェイを採用してきた。マルチユニットやマルチウェイというのは、スピーカーシステムの構成上一種の必要悪であることは多くの専門家の認めるところだが、この必要悪をいかに上手く使いこなし、その弊害を抑えてワイドレンジ化を図り、広指向性を実現しそして高リニアリティを追求していくというのがJBL高級スピーカーシステムの歴史であった、と私は理解してきた。同じウェスターン・エレクトリックの流れをくむアルテック社が、そのまま2ウェイを基本にしてアイデンティティを確立してきたことに対して、JBLの技術的な姿勢の堅持こそ、この両雄の健全な対時だと思っていた。そこへ急に2ウェイの高級モニターシステムが登場したのだから、こっちはびっくりする。アルテックがコンシュマー用のシステム、いわゆるHi-FiプロダクツでJBLに追従する姿勢をとり始めたことを苦々しく思っていたら、今度はJBLがアルテックのプロ用の、頑固なまでの2ウェイ姿勢と真正面からぶつかった。鷹揚で豊かなアメリカは今やなく、まるで日本のメーカー同志のような熾烈な競争のために〝こだわりの精神〟も〝誇り〟もかなぐり捨ててしまうようになったのであろうか……。もちろん、2ウェイがアルテックの特許でもないし、マルチウェイ・マルチユニットや音響レンズはJBLだけのものではない。そしてまた、同じ2ウェイといっても今回のJBLの新製品は、アルテックの2ウェイとはまったくとはいかないまでも、決して同類のものとはいえないユニークでオリジナリティのある開発である。この点ではまったく同じものを作って平然としている日本メーカーの体質とは比較にならないほど、まだ高貴な品位を保っているとは思う。しかし、この明らかなるJBLのテクノロジーの変化というか多様化というものは、オーディオ界の騎士道の崩壊であることに違いなかろう。技術の進歩は自ずから収斂の傾向をとるものだから、これは当然の成り行きとみることもできるだろう。しかし、もしそうだとするのなら、JBLは明らかにウェスターン・エレクトリックの主流派アルテックに脱帽せねばならないのだ。そして、脱帽されたアルテックの方も、Hi-FiプロダクツでのJBLへの追従を深く恥じるべきなのだ。
 こうなってくると、終始一貫あのデュアルコンセントリック1本で頑張っているジョンブル、タンノイなどは立派なものだ。しかし、それがいつまで通用するか。第2次大戦後、食糧難に日本中が飢えていた頃、頑としてヤミの食糧を食わずに餓死した高潔の士もいたことを思い出す。とにかく、メーカーにとっても我々ファンにとっても、騎士道や貴族性の保てた時代が終焉を迎えたことは事実らしい。それは、あたかも18~19世紀の貴族お抱えのオーケストラが、現代のような自立自営のオーケストラへの道をたどったプロセスにも似ているようだ。より広く大衆のものになり、経済競争に巻き込まれ、技術は向上したが文化的には首をかしげたくなるような、不思議な質的変化が感じられ、淋しさがなくもない。日本のオーディオ機器の多くは、今やスタジオからスタジオへ駆け廻り、何でも初見でばっちり弾いてのけるスタジオミュージシャンのようなものだ。さすがに欧米には、まだ立派なアーティストと呼べるようなアイデンティティとオリジナリティ、テクニックのバランスしたものがあるが、一方において日本のスタジオミュージシャンに職を追われつつある憐れな連中……いや機器も少なくはないのである。
 このような情勢の中でJBLの新製品4435、4430を眺めてみると、その存在性の本質をしることができるのではないだろうか。つまり、このシステムは時代の最先端をいくテクノロジーが、オーディオ界の名門貴族の先見の明の正しかったことを今さらながら立証し、かつその困難な実現を可能にした製品といえるように思う。
 JBLの製品開発担当副社長のジョン・アーグル氏が、去る9月のある日曜日の夜、我家に持ち込んで聴かせてくれた4435の音は素晴らしかった。一言にしていえば、その昔は私がJBLのよさとして感じていた質はそのままに、そして悪さと感じていた要素はきれいに払拭されたといってよいものだった。私自身、JBLのユニットを使った3ウェイ・マルチアンプシステムを、もう10数年使っているが、長年目指していた音の方向と、このJBLの新製品とでは明らかに一致していたのである。この夜、4435を聴く前に、私たちは、私のJBLシステムで数枚のレコードを聴いた。その耳で聴いた4435の音は、まったく違和感なく、さらに奥行きのある立体的なステレオイメージを聴かせてくれたのであった。私のJBLシステムは、JBLの人達も不思議がるほどよく調教されきった音である。善し悪しは別として、通常JBLのシステムから聴ける音と比べると、はるかに高音は柔らかくしなやかだし、中低域は豊かである。音の感触は、私の耳に極力滑らかに、かつリアリティを失わない輪郭の鮮明さをもって響くように努力してきた。その苦労の一端は、本誌No.60でご紹介してある。その音と違和感なく響いたことは、私にとって大きな驚きであったのだ。ちなみに、今春4345を同じように私の部屋で聴いた時には、私の想像した通りの一般的なJBLらしい音で、私のシステムとはほど遠い鳴りっぷりであった。
 音楽とオーディオの専門家、ジョン・アーグル氏との歓談の方にむしろ興じてしまった一夜ではあったが、この新しいJBLのシステムのなみなみならぬ可能性は、少なくとも私が旧JBLユニットに10年以上かけてきた努力を上廻る成果を、いともたやすく鳴らしてしまったことからも察せられた。
 製品の技術データを見ればうなずけることだが、4435、4430の何よりの特長は、ステレオフォニックな音場イメージの正確な再現性にある。これは、モニターシステムのみならず、鑑賞用システムとしても非常に重要な点で、音楽演奏の場との一体感として働きかけるステレオ再生の最も重要な意味に関わる問題を左右するものである。レコード音楽がもつ数々の音楽伝達要因の中でも、モノーラルとステレオの違いがきわめて大きなものであることは、今さらいうまでもない。ステレオの魅力を最大限に発揮させるために重要なものは、リスニング空間全般に可聴周波数帯域のエネルギーをフラットに拡散し得る、アコースティカルに特性の揃った一組のスピーカーの存在である。それも、できる限り2次、3次反射によらずにトータルエネルギーがフラットであることが望ましい。4435、4430は、新設計の定指向性ホーンとワイドレンジ・コンプレッションドライバー、巧妙な設計の2ウェイネットワーク、新採用ウーファーの特性とのコンビネーションにより、そうした目標に大きく近づくことになった。また、このホーンはショートホーンであるため、ウーファーとトゥイーターの振動系の機械的ポジションを同一線上に配置することが可能となり、構成ユニットの位相ずれの心配はない。これら新設計のユニットは、特性的にも最高の技術水準にあるもので、1kHzのクロスオーバーで実現した2ウェイコンストラクションとしてはスムーズなつながりとワイドレンジ、高リニアリティ、高能率と低歪率、すべてのスペックを最高のデータでクリアーしている。2421ドライバーの振動板は、ダイアモンドサスペンションと呼ばれるユニークなパターンのエッジをもつアルミダイアフラムである。
 4430は2ウェイ・2スピーカーシステム、4435はこれをダブルウーファーとした2ウェイ・3スピーカーシステムである。この2機種のシステムの試聴は、本誌試聴室で行なったが、この両者について簡単に甲乙をつけることは危険だと思う。パワーハンドリングについては、4435の方により大きなポテンシャルがあるのは当然だが、本誌試聴室での結果では、4430の方がバランス上好ましかった。しかし、4435も私の部屋で鳴ったような音は出なかったので、このあたりは部屋とのバランスで考えなければならない問題だろう。ブラック・ムーニング (アメリカで流行の若者の奇行のこと)を想起させる異様なバイラジアルホーンの姿とともに、このシステムはJBLの技術史上に重要な足跡を残す、意味のある新製品だ。

オンキョー D-7

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(別冊FM fan 33号掲載)

D7

フォステクス FF125

フォステクスのフルレンジユニットFF125の広告
(別冊FM fan 33号掲載)

Fostex

ソニー SS-RX7

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(別冊FM fan 33号掲載)

SS-RX7

サンスイ SP-V100

サンスイのスピーカーシステムSP-V100の広告
(別冊FM fan 33号掲載)

SP-V100

ヤマハ NS-690III, MUSIC, MUSIC ex, STUDIO ex, METAL

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(別冊FM fan 33号掲載)

NS690III

エレクトロボイス Interface:AIV

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 これもまたアメリカのスピーカーであるが、エレクトロボイスは、アメリカのミッド・イーストを代表するメーカーである。このスピーカーのだす音を、ほんの1分もきけば、そのことは、誰にでもわかるはずである。ひとことでいうと、都会の音──とでもいうことになるであろうか。辛口の音である。ウェストコーストを出身地とするスピーカーの、あのあかるく解放感にみちみちた音とは、ひとあじもふたあじもちがう音である。同じアメリカのスピーカーでも出身地がちがうのであるから、JBLやアルテックをきいたレコードとはちがうレコード、つまりビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードを、かけてみた。
 ビリー・ジョエルやトーキング・ヘッズのレコードをきいてみて、なるほどと納得のいくことが多々あった。トーキング・ヘッズの音楽のうちの棘というべきか、鋭くとがったサウンドを、このエレクトロボイスのスピーカーは、もののみごとに示した。もし、時代の影といえるようなものがあるとすれば、そのうちひとつがトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』できける音楽のうちにあるのかもしれない。そういうことを感じさせる、このエレクトロボイスのきこえか方であったということになる。
 ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』は、音楽の質からいっても、性格からいっても、トーキング・ヘッズのレコードできけるものとずいぶんちがうが、きこえた音から、結果的にいえば、似たところがあるといえなくもない。つまり、リズムの示し方の、切れの鋭さである。いや、もう少し正確にいえば、リズムの切れが鋭く示されているというより、リズムの切れが鋭く示されているように感じられるということのようである。
 そのように感じられるのは、おそらく、このスピーカーの音が、ウェストコースト出身のスピーカーのそれに較べて、いくぶん暗いからである。
 しかし、音が暗いといっても、このスピーカーの示す音には湿り気は感じられない。音は充分な力に支えられて、しゃきっとしている。ひびきの輪郭がくっきり示されるは、そのためである。
 ハーブ・アルバートの『マジック・マン』のきこえ方などは、まことに印象的であった。アルバートによるトランペットの音がいつになくパワフルに感じられた。トランペットの音の直進する性格も充分に示されていたし、リズムの切れもよかった。音場感的にもひろがりがあってこのましかった。ただ、ひびきが、からりと晴れあがった空のようとはいいがたく、いくぶんかげりぎみであった。そういうことがあるので、ウェストコースト出身のスピーカーできいたときの印象と、すくなからずちがったものになった。
 こうやって考えてくると、このスピーカーの魅力を最大限ひきだしたのは、どうやら、トーキング・ヘッズのレコードといえそうである。そこで示された鋭さと影は、まことに見事なものであった。

BOSE 301 Music Monitor

黒田恭一

サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より

 このスピーカーはいい。価格を考えたら大変にお買得である。
 むろん、スケール感がほしいとか、腰のすわった低音をききたいとか、あれこれむずかしい注文をだしても、このランクのスピーカーに対応できるはずもないが、きかせるべき音を一応それらしく、あかるい音で、すっきりきかせる。小冠者、なかなかどうしてようやるわい──といった感じである。きいていて、いかにもさわやかで、気分がいい。
 このボーズ301MUSIC MONITORのきかせる音は、ひとことでいえば軽量級サウンドである。それにしても、吹けばとぶような音ではない。しんにしっかりしたところがあるので、音楽の骨組みをあいまいにしない。そこがこのスピーカーのいいところである。なかなかどうしてようやるい──と思えるのは、そういういいところがあるからである。
 ハーブ・アルバートのレコードのB面冒頭には、しゃれたアレンジによる「ベサメ・ムーチョ」がおさめられているが、それなどをきいても、いくぶん小ぶりな表現ながら、細部を鮮明に示して、あざやかである。このアルバートによる「ベサメ・ムーチョ」は、深いひびきのきざむリズムにのってはこばれるが、あたりまえのことながら、本当に深いひびきは、このスピーカーではきけない。それをきこうとしたら、やはりどうしても大型のフロアースピーカーのお世話にならなければならない。しかし、このボースの301MUSIC MONITORは、その深いひびきの感じを、一応、それらしく示す。
 音場的なひろがりの面でも、このスピーカーは、あなどりがたい。ハーブ・アルバートのレコードが、せまくるしくあつくるしくきこえたら、きいていてやりきれなくなるが、その点で、このスピーカーの示す音場とひびきの質は、このましい。あくまでもさわやかであり、すっきりしている。このスピーカーもまた、ウェストコースト・サウンドの特徴をそなえているといっていいように思う。
 マーティ・バリンのレコードもよかった。うたわれた言葉はシャープにたちあがる。ただ、難をいえばリズムをきざむソリッドな音に力が不足している。そういうこのスピーカーのいくぶんよりよわいところが、ランディ・マイズナーのレコードではより強く感じられるとしても、決して湿っぽくなったり、ぐずついたりしないひびきのこのましさがあるので、致命的な弱点とはいいきれない。
 アルバートのレコードにしても、バリンのレコードにしても、マイズナーのレコードにしても、大滝詠一のレコードにしても、音がべとついたり、ぼてっとしたりしたら、それぞれのレコードできける音楽の本質的な部分がそこなわれ、その音楽の最大のチャーミング・ポイントをたのしめないことになる。すくなくともそういうことは、このボーズの301MUSIC MONITORではない。
 もし環境の面で許されるなら、パワーを少し入れてやると、ひびきの力感に対しての反応もよりこのましくなるであろうし、このフレッシュな音をきかせるスピーカーは、魅力充分といえそうである。