菅野沖彦
ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より
オーケストラのテュッティの再現ではややスケールが小さく、プレゼンスが不足する。しかし、ポピュラーものでの味つけは効果的で甘さとシャープさが巧みに交錯する。軽やかな中域が親しみやすいキャラクターを作っているのだろう。価格も二万円を切るようだし、このクオリティなら相応のものといえるのかもしれない。室内楽やクラシックのヴォーカルには当然のことかもしれないが質の緻密さの点でかなり物足りない。
菅野沖彦
ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より
オーケストラのテュッティの再現ではややスケールが小さく、プレゼンスが不足する。しかし、ポピュラーものでの味つけは効果的で甘さとシャープさが巧みに交錯する。軽やかな中域が親しみやすいキャラクターを作っているのだろう。価格も二万円を切るようだし、このクオリティなら相応のものといえるのかもしれない。室内楽やクラシックのヴォーカルには当然のことかもしれないが質の緻密さの点でかなり物足りない。
菅野沖彦
ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)
特集・「スピーカーシステムブラインド試聴」より
バランスのよくとれたシステムで音色も切れ込みもよい美しいもの。再生音のスケールは大きくないが緻密なクオリティで好ましい。オーケストラやジャズでは小じんまりした感じはあるが音がよく立ち、生き生きしている。ピアノのクオリティが、やや不安定なのが気になったが、この他はすべてスムーズに通った。透明度も高くよく抜けるシステムだ。抜ける感じは何によるものかは全体の問題としてきわめて興味深く、また難しい問題だと思う。
岩崎千明
スイングジャーナル 3月号(1969年2月発行)
「SJ選定 ベスト・バイ・ステレオ」より
私のリスニング・ルームには時折米国のハイファイ・マニアが出入りする。都下の米空軍基地の将校たちである。米国ハイファイ界のニュースなども話題になるが、彼らにとってもジム・ランシングという名は超高級イメージである。日本ではジム・ランシングと同じ程度にハイ・グレードと思われているARスピーカーというのは優秀品には違いないがどこにでもあり、いつでも買える身近なパーツのようだ。ところが「ランシング」のブランドは多いに買気をそそられる魅力、またこれを使うことによる大いなるプライドを持てる商品というように価値づけられているようである。
ジム・ランシングは本来スピーカー・メーカーで音響専門であったが60年代に入って、ステレオ・アンプを発売した。それ以前から「エナジザー」と名でパワー・アンプが出ており、ごく高級のスピーカー・システムに組み込まれて存在した。
独立したアンプ商品としての第一陣はプリ・アンプSG520であったがパワー・アンプを組み込んだSA600が、2年ほど前から米国内で発売され、マニアに注目されている。このSA600の優秀さはいろいろな形で、昨年中の米国オーディオ誌に採り上げられているが、その代表的な一例を68年春のエレクトロニクス・ワールド誌にみてみよう。この雑誌はかなり技術的な専門誌であるが、この号には、米国市場にある20種の代表的なアンプの特性を権威ある研究所でテストした比較書がのせてある。
その試聴結果をみて、私は眼を疑ったほどである。ジムランSA600の最大出力についてメーカー発表の規格値は左右40/40ワットの最大出力になっているのに、試験によると「60/60ワットを超える出力がとり出せる」となっている。つまり規格値を超えること50%も最大出力が大きいという点である。むろん20種のテスト製品の中で、これほどゆとりある設計は、ジムランのアンプだけであることはいうまでもない。
この点にジムランというメーカーの製品に対する考え方、メーカーのポリシーを感じることができる。ほかの性能も一般のアンプにくらべてずばぬけて優秀であり、20種中、ベストにランクされていたのもむろんである。
SA600のこの優れた性能は、あなたが技術的にくわしい方なら、このアンプの回路をみれば完全に納得がいくはずだ。そこには普通のアンプとは全然違った技術を見ることができよう。コンピューターの中の回路と同系の、バランスド・アンプの技術が中心となっているのである。ジムランでは、これをTサーキットと呼んでおり、ハイ・ファイ用として特許回路である。コンピューターと同じくらい厳しく、しかも安定な動作がこの回路でなら楽々とこなせるはずだ。SA600のこのTサーキットはジムランのもうひとつのアンプSE400シリーズに採用されているが、さらに後面パネルはスピーカー組込み用SE408パワー・アンプの前面パネルとまったく同じデザインであり、パワー・アンプがほとんど同じことが外観からもうかがい知ることができる。アンプの後面についているべきターミナルは、ジムラン独特のケース底面に集められており、実際に使用の際の合理的な設計が、身近に感じられる。
SA600は日本市場価格は24万だが、プリ・アンプSG520がデザインこそ豪華だがほぼ同じ価格。さらにパワー・アンプSE400シリーズが、20万円弱ということで、この両者を回路的に組み合せたSA600の価格としては割安で、このアンプがベスト・バイとなるのもうなずけよう。
菅野沖彦
スイングジャーナル 2月号(1969年1月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より
ターンテーブルの新製品としてトリオの400Mを選定したことはコスト・パーフォーマンスの高さによるといってよいだろう。つまり、対価格性能が優秀だから、これはお買徳といってよい。ターンテーブルの重要性については周知のことだが、他のパーツの特性が向上すればするほど、また優秀なターンテーブルへの要求も高まってくるのである。ターンテーブルにいい加減のものを使ったのでは、どんなに優れたカートリッジやアーム、そしてアンプやスピーカーを使っても絶対に優れた音質を得ることはできない。これにはいろいろな理由があげられるが、もっとも問題となるのは回転ムラつまりワウ・フラッターである。現在ターンテーブル単体として市場にでているものはいずれも実用上問題にならない程度の回転の均一性が確保されてはいるが、回転ムラは音程の不安定をもたらすので再生音の品位を下げる。もちろん音楽的にも正しいピッチが保たれないことは致命傷であるが、音程の不安定として感じられるほどひどいワウ・フラは論外で、そこまでいかなくても、音質のしまりがわるい、ダンピングがわるいという全体的な音色としてもきいてくるのだから注意すべきことだろう。次に問題なのが振動である。モーターの回転に起因する振動がターンテーブルに伝わってはカートリッジから雑音として再生されてしまうので手に負えない。
ところで、こうした問題の解決には、まず優秀なモーターの開発がなければならない。静かで、回転力の強い、回転速度の均一なモーターによってのみ期待するターンテーブルの性能が得られる。しかし、それと同時に、モーターからターンテーブルへの動力伝達機構の重要性も忘れられない。この動力伝達機構としては現在、ゴム・アイドラーによりターンテーブルの内縁を駆動するリム・ドライブ方式と、特殊化学製品のベルトによりターンテーブルをプーリー駆動するベルト・ドライブ方式の2つがある。動力伝達方式について考える時、1つはいかにロスや障害を少なく正確に動力を伝えるかという考え方がある。モーターの回転速度を正しく減速してターンテーブルを回転させるためにできるだけ単純な機構がよいわけだ。2つには、動力伝達機構をいかに巧みに利用してこれを一種のショック・アブソーバーとしてモーターの振動を吸収してしまうかという一石二鳥的考え方である。トリオの400Mは明らかにこの一石二鳥的考え方の上にたって設計されたもので、アイドラー方式とベルト方式の両方を兼ねて、ベルト・アイドラー方式という呼び方をしている。これには有名なトーレンスのターンテーブルなどもあるが、結果的には優秀な特性が得られている。ターンテーブルはアイドラーによってリム・ドライグされるが、アイドラーはモーター・シャフトとは断絶され、ベルトによっておこなわれている。ベルトがターンテーブルにかけるものより短かいものですむし、速度変更が確実容易(アイドラーの上下による)にできる。重量の大きなターンテーブルを使用し、フライホイール効果を積極的に利用するという考え方もマニア向きといえるだろう。大型のフルパネルは大変重厚なイメージで仕上げも美しい。この価格でできるイメージではなく、同価格の他製品と比較すると圧倒的な風格をもっている。欲をいえば、ターンテーブル・シャフトの加工精度にもう一歩という感じだが、これは最高級品に要求するシビアーな見方であろう。4万円以上の製品とつい比較してしまうというのも、この製品がいかに高いコスト・パーフォーマンスをもっているかがわかるだろう。必ず大型のしっかりしたケースで使うこと。
菅野沖彦
スイングジャーナル 2月号(1969年1月発行)
「SJ推薦ベスト・バイ・ステレオ」より
CS10というスピーカーをごぞんじだろうか。パイオニアがだしている優秀なスピーカー・システムであろ。ただしお値段のほうも大分高い。
このスピーカー・システムは、ブックシェルフ・タイプといって、現在のスピーカー・システムのタイプの中でもっともポピュラーなものである。初期のブックシェルフ・タイプはたしかに小型で、縦においても横においても使える四面仕上であったが、その後、形が大きくなり重さも増して、現実には本棚へおいて使えるようなものばかりではなくなった。このCS10も、四面仕上げであるが、重くて大きい。約25kgあるから、ちょっとした棚では支持できない。
ところで、肝心の音であるが、このスピーカー・システムの音質について語ることは大変むずかしい。ベスト・バイとして選んでいるのだから決して悪いものではなく初めに述べたように優秀品であるにはちがいない。では何がむずかしいかということになるのだが、音の性格について、音質と音色という2つの面に分けて語らないと説明がつかないのがこのシステムの音だろうと思う。音質と音色は本来切っては考えられるものではなく、むしろ同義語として扱ったほうが混乱はないが、ここでは便宜上分けて使わせていただくことにしたい。
まず音質についてだが、低域から高域にかけての周波数特性ののび、そしてその性格は大変すばらしい。しいていえばごく低いところが小型密閉箱のためにやや物足りないが、通常音楽の再生にはまったく問題ないところまでのびている。途中の山谷は大変少なく、フラットに近い特性は、特定の音を強調することがない。特に高音域は並はずれた指向特性のよさとともに非常によい。歪は適確な帯域分割とユニットの設計により大変少なく、ドーム型スコーカー、トゥイーターを使っているために多くの利点をもつ。特に小型密閉箱にありがちなウーハーの音圧によるスコーカーやトゥイーターへの位相干渉は構造上まったく心配がない。3ウェイが理想的に動作して、すっきりした再生音となっている。つまり音質としては大変バランスのよいもので、物理特性として優れていることがわかる。
次に音色的なものだが、同じような周波数特性、各種の歪率など測定データーが似ていても、音がちがうものはざらにある。特にスピーカー・システムの場合は、箱の設計、材料、工作などは微妙に音色を変える。また、この密閉型の箱にハイ・コンプライアンスのウーハーを入れたタイプ(オリジナルは米国のAR)は一種特有の音色傾向をもつ。ダンプがきいて音がきわめてしまりがよいその反面抜けが悪く、音が前へ豊かに出ないという印象もつきまとう。スコーカーがドーム型のダイレクトラジエーションによるものだけに歪は非常に少ないが、派手な音圧感がない。つまり、ユニットのタイプによっても音色がちがうことも事実である。コーン型、ホーン型、ドーム型など、それぞれちがった音色傾向をもっていることは事実である。
このようにスピーカー・システムの音についての評価はむずかしいが特にCS10はむずかしい。それはいいかえれば、あまりにも他のスピーカーと異った次元の音の良さがあるからかもしれない。私の好きなスピーカー・システムとして推薦するが、決して派手さや、刺激性のある音ではないことをお断りしておく。使用ユニットといい箱といい、ふんだんにぜいたくをした最高級品である。
菅野沖彦
スイングジャーナル 1月号(1968年12月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より
アルテックといえばオーディオに関心のある人でその名を知らぬ人はあるまい。アメリカのスピーカーといえば、アルテックとジムランの名がすぐ浮ぶ。ジムランはもともとアルテックから分れた会社で、アルテックがプロ用機器をもっぱら手がけジムランが家庭用を主力にしていることもよく知られている。もっとも、このプロ用と家庭用なる区別は、なにによってなされるのかははなはだ不明瞭であって厳重な規格や定義があるわけではない。しかし、現実にその両者の差は優劣ということではなくて、製品のもっている特長、個性に現れているといってよいだろう。
ところで、スピーカーというものは、音響機器の中でももっともむづかしいものであることはたびたび書いてきた。つまり、優劣を決定するのに占める物理特性のパーセンテージがアンプなどより低いのである。直接空気中に音波を放射して音を出すものだけに使用条件や音響空間の特性も千差万別で、そうした整備統一も容易ではない。そして音質、音色の主観的判定となると実に厄介な問題を包含しているわけだ。それだけに、業務用、一般用という区別はスピーカーにとって大きな問題とされる。業務用スピーカーといえばモニター・スピーカーといったほうが早く、モニター・スピーカーとはなにか? という論議は時々聞かれる。
モニター・スピーカーはよくいえば基準になり得る優れた特性のスピーカーというイメージがあるし、逆にひねれば味もそっけもない音のスピーカーというイメージにもなるのではないか。
この辺がモニター・スピーカーとは何かという論議の焦点だ。私としては、モニター・スピーカーと鑑賞用スピーカーの区別は音質や音良の面ではつけるべきではなく、良いスピーカーはいずれにも良いと考えている。強いてモニター・スピーカーに要求するとすれば、許容入力であって、少々のパワーでこわれるものはモニターとしては困る。実演と同次元で再生することが多いから、かなりの音量をだすことが必要なのである。ただし、許容入力は常に能率とのバランスで見るべきで、同じ20ワットの入力でも能率が異れば出しうる音量はまったくちがってくる。この点、アルテックのスピーカーはすべて大変能率がよく、許容入力も大きい。絶対の信頼感がある。そしてさらにその音質は音楽性豊かというべき味わいぶかいものだ。
今度発売される419Aというユニットは30cmの全帯域型で、きわめて独創的なものだ。バイフレックスといって2つのコーンが一体になったような構造で1000Hzをさかいに周波数を分担している。この2つのコーンはそれぞれ異ったコンプライアンスと包角をもっており、さらにセンターにアルミ・ドームのラジエターで高域の輻射をしている。これは30cmスピーカーとしては小型なパイプダクト式のキャビネットに収められ〝マラガ〟というシステムとして発売されるという。
私の聴いたところでは実に明晰な解像力をもっていて音像がしっかりときまる。固有の附随音が少く、抜けのよいすっきりとした再生音であった。マッシヴなクォリティは他のアルテックのスピーカーに共通したものだ。また能率のずばぬけてよいことも特筆すべきで.大音量でジャズを肌で感じるにはもってこいのスピーカーであろう。モニターとして鑑賞用として広く推薦したい製品。
欲をいうならば最高域が不足なので、同社の3000HトゥイーターをN3000Hネットワークと共にブラスすると一段と冴えると思う。
岩崎千明
スイングジャーナル 1月号(1968年12月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より
昭和のごく初めのラジオが普及期を迎える頃から、戦前の電蓄大流行の時期は今日のステレオ大全盛期と同じように多くの国内の新進メーカーが隆盛をきわめた。その中にあって、高品質のスイッチ、端子類、ソケットの類のメーカーで規模は大きくないが、ひときわ有名だった錦水堂というキャリアの長いメーカーが関西にあった。このメーカーはトランスをも手掛けていた。このトランス類を初め、全商品ともかなり高価であったが、みるから豪華な神経の行き届いた仕上げのたまらない魅力であった。私の家に戦前直前、つまり昭和16年頃作られたと思われる錦水堂と銘うった多接点のロータリー・スイッチがあるが、引張り出して確かめたら30年後の今だに接点不良を起すことなく、使用に耐えそうである。この錦水堂こそ、今日のラックスなのである。
高品質という言葉はいろいろな意味を持っているが、ラックスのアンプの場合は特に信頼度が高いという点が強いようだ。
ラックスのステレオ・アンプにSQ5Bというのがあるが、これは昨年末やっとカタログから姿を消したが、過去8年間にわたって、ままりステレオが始まってから、ずっと作られていたという日進月歩の電子業界にあって、まったくまれな存在の驚くべき製品であった。これも高い信頼性の裏付けであろうが、こんな例はラックスではちょっとも珍しくはない。SQ38Dというアンプもそうだ。今から4年前の製品で、しかも今なおマイナー・チェンジを受けたSQ38Fが現存し、管球式のステレオ・アンプとして貴重な存在にある。昭和初期からのラックスのポリシーは、ステレオ全盛の今日なお輝きを失っていない。トランジスター・アンプが各社からぞくぞく発表されるや、管球アンプで「もっとも頼りになるアンプ」う送り続けてきたラックスの、トランジスター・アンプが待たれた。それが1昨年末発表されたSQ77Tであり、そのデラックス・タイプが、301であった。SQ301は、管球アンプの音を、トランジスター・アンプによって実現すること技術を集中したと伝えられた。それは当時の他社のトランジスター・アンプとはかなり異った音色で、それが、ファンだけでなく専門家の耳さえも賛否の両論に別かれさせた。これはSQ301の存在が、アンプ界において大きなウェイトを占めていたからにほかならない。
’68年後期、つまり昨年の後半になってやっとラックスも今までにない意欲的な姿勢を示した。それがSQ505、606アンプの新シリーズの発表なのである。この新製品は、まさにラックスのイメージを一新した。ここには今までの、のれんを意識した老舗の感覚は見当たらない。しかし今までの永いキャリアは、全体の貫禄の中にずっしりと感じることができる。だがパネルにおけるデザイン、アンプ全体の仕様はまるで違う。フレッシュだ。まるでジムランのインテグレイテッド・アンプSA600にあるような、センスのあふれる仕上がりだ。パネルやつまみのつや消しや磨き仕上げの良さにもその新しいセンスがみられ、しかもスイッチの感覚に昔からの技術的神経の細かさが指先を伝わってくる。このアンプの音は前作得スキュー301とはかなり違う。もっと澄んだ音で、301をソフト・トーンとすればかなりクリアーな感じである。しかし、それでも他社のアンプとくらべると暖かさを感じる。いわゆる真空管的といわれているウォーム・トーンだ。
つまりラックスのアンプに対する音楽的良心はフレッシュなセンスのSQ505にも少しもがけりなく光っているのを感じる。
岩崎千明
スイングジャーナル 12月号(1968年11月発行)
「ベスト・セラー診断」より
「縁(円)の下の力持ち」という言葉がぴったりのハイ・パートがターンテーブルだ。事実ハイ・ファイ装置がそのすばらしさを発揮しようとすればするほどターンテーブルは重要となる。装置が高級なら高級なほど、その性能を十分に引き出すためにターンテーブルが重要になってくる。
さて、10数年近く前のことだったが、あるスピーカーの大メーカーの定例コンサートで用いるアンプに初めてOTLを使用したことかある。OTLアンプがメーカーによって公開の場で鳴らされた最初のことだった。大出力真空管を10数本並べたそのアンプは、今までになく高性能を発揮し、とくに超低域のものすごい底力には目をみはったものだった。低音出力が落ちるトランスがないためであるが、そのアンプを試聴したときに当時の市販ターンテーブルはすべてゴロが出て使いものにならなかった。その時点において海外製品もすべて失格であった。そのメーカーのYは有能なのでベルト・ドライヴ・モーターを作ってコンサートは無事終ったように記憶する。
セットが高級化すればするほど、保守的で伝統的な技術によって作られる部分でありながら、性能の向上が求められる部分といえる。
ステレオ時代になり、レコードの水平方向に加え垂直方向にも音が吹き込まれるようになり、ターンテーブルの性能はさらに高度なものが望まれるようになる。そしてベルト・ドライヴ機構が高級品の常識にさえなってきた。さらに最近は〝2重ターンテーブル〟が新技術として注目されてきている。
この2重ターンテーブルは、小口径の軽いメインテーブルが、ベルトドライヴされそのテーブルの上にドーナッツ状の重い大口径テーブルが乗ることになっている。これにより、モーター軸が太くなるので、ベルトに力が加わりトルクが増し、しかもモーター軸が極所的にぴっぱることがなくなるので、ベルトの部分ののびがなくなる。さらにターンテーブルの外周部分だけが重いのでフライホイール(はずみ車)効果も大きく、機構的、動作的に理想といえる。これが今まで国内製品で実現しなかったのは、2つのターンテーブルがぴったり合うのがむづかしくまた経年変化により外側がそったりしてしまうことであった。
さてこのすぐれた機構を最初に実現したターンテーブルこそ、スイスのトーレンス社のTD124である。しかもこのターンテーブルはなんと1950年代の後期、つまり今から10年前に製品化されているのである。
トーレンスTD124はさらに大きな技術を内蔵する。そのひとつは、モーター軸がベルトをドライヴするのではなく、一度アソビ車(アイドラー)を介してベルトをドライヴしている点である。つまり、これによりモーター自体の振動は2重に吸収され弱められる。それからもうひとつは2つのターンテーブルの上にさらに軽金属のプレートが乗っていて、これがインスタント・ストップ(瞬間停止)のときちょっと動くことにより、メインテーブルの回転と関係なく停止できうる点だ。このサブ・プレートの入っているおかげでカートリッジの磁界の影響を防ぐことができるのも大きな利点である。
67年末より、外部分の重量級テーブルも軽金属にかえられII型と改められた。これで、いかに強いマグネットのカートリッジを用いても、テーブルの金属を吸引して針圧が変るという欠点も完全に解消した。
ヨーロッパを廻ると、各国のスタジオで業務用として使用されるトーレンスTD124をしばしば見かけるという。今後もプロ用、高級マニア用として、ますます注目を集めるターンテーブルであろう。
岩崎千明
スイングジャーナル 11月号(1968年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より
山水が、67年度ハイ・ファイ市場のベスト・セラー・アンプである傑作AU777を曹及型化したAU555を発表したのは、今春であった。そして、ちょうど同じ時期に、米国ハイ・ファイ市場で長期的なベスト・セラーを約束されたARのアンプが日本市場に入ってきた。
この2つアンプはいろいろな意味で、それぞれの国民性をはっきりと表わしている点で、同じ普及型アンプながら対照的といえる。
もっともARのアンプは、米国市場でこそあのあまりに著名なスピーカーAR3とともに、250ドルという普及品価格である、その点にこそ大きな価値があるのである。つまりコスト・パーフォーマンスの点でずばぬけているのであるが、日本市場では、ともに10万をかるくオーバーする高価格な高級品としてみなされており、その本来の価値がどこにあるのか見うしなわれてしまっている。しかし、本国では平均的月収の1/2〜1/4程度のあくまで普及品なのである
さて、ARのアンプであるが、ARの創始者であり今春の組織変えまでの中心であり社長であったエドカー・ヴィルチャーの完全な合理主義にのっとった厳しい技術の集成である。そこには、スピーカーにみられると同じの、不要な所は徹底的に省略し、必要な所はとことんまで追求して費用も惜しみなくつぎこむという、いかにもきっすいの技術者根性がむき出しにみられる。そして、そのパネル・デザインは無雑作で、かざりひとつないみがきパネル、そこに5つのつまみが、デサインもなしにといいたいほど無造作に並ぶ。しかし、このつまみの間かく、大きさまで使いやすさを計算したものに違いないことは扱ってみて納得できる。もっともニクイ点は、スピーカー・システムAR3とつないだときに最大のパワー60/60ワットをとりだすことができる点であろう。
しかし、ここであえて断言しよう。暴言と思われるかも知れないが。もしARのアンプの日本価格が半分になったとしても日本市場では、ARのアンプは売れることはないだろう。歪なく、おとなしい、優れた特性だけでは日本のマニアは承知しないのである。ARのスピーカーが圧倒的に高い信頼性を得ている日本においてもである。
その解答が、AU555にある。AU555をみると国こそ違うが、それぞれの市場においてほぼ同じ地位にある2つのアンプのあり方の違いが、そのままその国のマニアの体質の違いとか好みを表わしていることを発見する。
AU555には、ARアンプのような大出力はない。ほぼ半分の25/25ワットである。しかし、その範囲でなら0・5%という低いひずみは実用上ARアンプにも劣るものではなかろう。
しかも、ARと違って入力トランスのない、つまり位相特性のすぐれた回路構成とフル・アクセサリー回路がマニアの好みと市場性をよく知ったメーカーらしく、AU777の爆発的な売れ行きのポイントが、この3万円台のアンプにも集約されているのをみる。
25/25ワットの出力も日本の家屋を考え、サンスイのスピーカーの高能率を考慮すると、ゆとり十分といえよう。加えて、プリ・アンプとパワー部が独立使用できる点も、マルチアンプ化の著しい日本のマニア層の将来をよく見きわめたものといえよう。そのひとつがダンピング・ファクター切換にもみられる。2組のスピーカー切換と6組の入力切換はマニアにとって、グレード・アップのステップを容易にしよう。最近、さらにこのAU555と組み合せるべきチューナーTU555が出たが、共に今後当分の間、中級マニアにとってもまた初歩者にとっても嬉しいアンプであるに違いなかろう。
菅野沖彦
スイングジャーナル 11月号(1968年10月発行)
「SJ選定新製品試聴記」より
コーラル音響といえば日本のオーディオ界では名門である。昔は福洋音響といって、スピーカー専門メーカーとしての信頼度は高かった。数々の名器はちょっと古いアマチュアならば記憶されているだろう。私自身、当時はずい分そのスピーカーのお世話になった。型番はもううろ覚えだが、たしかD650という61/2インチのスピーカーは大いに愛用した。810という8インチもあった。当時はインチでしか呼ばなかったが今でいう16センチ、20センチの全帯域スピーカーであった。トゥイーターもH1いうベスト・セラーがあった。福洋音響は当時のハイ・ファイ界のリーダーとして大いに気を吐いたメーカーだ。そして最近コーラル音響という社名に変更し住友系の強力な資本をバックに大きく雄飛しようという意気込みをもってステレオ綜合メーカーとしての姿勢を打ちだしてきている。
ところで、そのコーラル音響から新しく発売されたユニークなスピーカーがBETA10である。BETAシリーズとして8と10の2機種があるが、主力は10だ。まずユニットを一目見てその強烈なアマチュアイズムに溢れた容姿に目を見はる。白色のコーン紙。輝くデュフィーザー。レンガ色のフレーム。強力なマグネットは透明なプラスチック・カヴァーで被われている。これはマニアの気を惹かずにはおかないスタイリングで、キャラクターこそちがえ、例のグッドマンのAXIOM80のあのカッコよさに一脈通じるものを感じたのは私だけではあるまい。オーディオ製品のような人間の感覚の対象となるものについては、形も音のうちというものであり、この心理はマニアなら必らずといってよいほど持ち合わせている。形はどうでも音がよければという人もいるが、同時に、まったくその反対の人さえいる。コーラルがマニアの気質をよく心得て、細部にまで気をつかって、いかにも手にしたくなるようなスピーカーをつくったことは、今後のこの社の積極的な姿勢を感じさせるに充分で、事実、その後、かなり意欲的なデザインによるアンプも発売されている。
さて、BETA10の音はどうか。それを書く前に、スピーカーというもののあるべき姿にについて述べておかなければなるまい。音響機器中、スピーカーはもっとも定量的に動作状態をチェックしにくい変換器である。つまり、直接空気中に音を放射するものだけに、使われる空間の音響条件は決定的に影響をもたらす。装置半分、部屋半分ということがいわれるが、たしかに部屋が音におよぼす影響はきわめて大きい。これは録音の時のホールとマイクロフォンの関係に似ていて、電気工学と音響工学の接点であるだけにさまざまなファクターを内在しているわけだ。理論的な問題は別として、ある音源に対して最適なマイクロフォンを無数のマイクロフォンの中から選択して使っているというのが現状だが、これは、いかに問題が複雑で、理論や計算通りにいかないかを物語っているものであろう。マイクロフォンは使う人の感覚によって選ばれる。それに似たことがスピーカーにもいえる。スピーカーほど感覚的に選ばれる要素の強いものはない。それだけに選びそこなったら大変で、正しいバランスを逸脱することになる。BETA10こそは、まさにそうした危険性と大きな可能性を秘めたスピーカーであり、たとえてみれば暴れ馬である。その質はきわめて高く大きな可能性を秘めている。しかし、うっかり使うとたちまち蹴飛ばされる。使いこなしたらこれは大変魅力的なスピーカーだ。その点でも、これは完全に高級マニア向の製品で、これを使うには豊富な経験と知識、そしてよくなれた耳がいる。我と思わん方は挑戦する価値がある。こんなに生命感の強く漲ったタッチの鮮やかな音はそうざらにない。
菅野沖彦
スイングジャーナル 11月号(1968年10月発行)
「ベスト・セラー診断」より
フィデリティ・リサーチ、略してFRというイニシアルは、マニア間で高く評価されているカートリッジ、トーン・アームの専門メーカーである。FRは社長が技術者で、会社というよりは研究所といったほうがよいような性格のため、広く大衆的な商品はつくっていない。この社の代表製品はFR1と呼ばれるムービング・コイル型のカートリッジで、昨年MKIIという改良型を発表して現在に至っている。この欄でもカートリッジを何回かとりあげ、そのたびに、再生装置の音の入口を受持つ変換器としての重要性については詳細に解説されている。そして、現状では理想的なカートリッジというものの存在が理論的には成立しても、実際の商品となると困難だというのが偽らざる実状のようである。つまり、物理特性をみても、あらゆるカートリッジがあらゆるパターンを示し、皆それぞれ専門家によって慎重に開発され製作されているのに……と不思議になるくらいである。ましてやその音質、音色となるとまったく千差万別で、どれが本当の音かは判定不可能といってもよい。一般にはレコードの音がどうであるべきかという基準がない(そのレコードを作った人でさえ本当のそのレコードの音を知ることはむずかしい)から音質や音色を感覚的に受けとって嗜好性をもって優劣を判断することにならざるを得ないわけだ。
話は少々ややこしくなってしまったが、そういう具合で良いカートリッジというものを、いずれも水準以上の最高級品の中から見出すことはむずかしいのである。FR1MKIIは、そうした高級品の中でも、一段と明確に識別のできる良さをもっている。それは高音がよくでるとかどぎついとか、低音が豊かだとかいった、いわば外面的な特質ではなく強いて表現すれば透明な質といった本質的な音のクォリティにおいてである。FR1の時代には、かなり外面的な特長もそなえていて、音の色づけ、いわゆるカラリゼイションを感じさせるものがあった。それにもかかわらず質的なクォリティの良さを高く評価されていたのだが、MKIIとなってからは、そうしたカラリゼイションも一掃され本当に素直な本来のクォリティが現れてきた。そしてつけ加えておかなければならないことは、FRT3というトランスの存在についてである。ムービング・コイル型は出力インピーダンスが低く、一般のアンプのフォノ入力回路にはトランスかヘッド・アンプを介して接続しなければならない(例外もある)。これがMC型のハンディで、そのヘッド・アンプやトランスの性能が大きく問題とされた。せっかく、本来優れた変換器であるMC型が、その後のインピーダンス・マッチングや昇圧の段階で歪を増加させたのでは何にもならないからである。同社が最近発売したFRT3というトランスはコアーとコイルの巻き方に特別な設計と工夫のされた恐しく手のこんだもので、その歪の少なさは抜群である。FR1MKIIはFRT3のコンビをもってまったく清澄な音を聴かせてくれるようになった。FRT3は他のMC型カートリッジに使っても、はっきりその差のわかる歪の少ないもので、少々高価ではあるけれど、マニアならその価値は十分認められるであろう。
FR1MKIIの音は恐らくジャズ・ファンの中には物足りないと感じられる人もいるかもしれない。しかし、そう感じられる人は、きっと歪の多い、F特の暴れた装置の音で耳ができた人だと断言してもよいと思うのである。私が優秀だと思うカートリッジはすべて、そういう傾向をもっているが、それは決して何かが足りないのではなく、何も余計なものがないのである。そして、そうしたカートリッジから再生される音はやかましくはないけれど、迫力がないということは絶対にない。これはぜひ認識していただきたいことだ。
岩崎千明
スイングジャーナル 10月号(1968年9月発行)
「ベスト・セラー診断」より
自動車業界はいま米国のビック・スリーの攻勢を受けてこれに対決すべき態勢を迫られている。というニュースはもうおなじみになっている。その結論は自動車マニアならずとも少なからず気になるが、このなかで問題の焦点となるのがロータリー・エンジンのマツダと、4サイクルエンジンの技術で世界を相手にすでに定評をとっているホンダであろう。ロータリー・エンジンの方はその成果がこれから出てきて始めて結論が得られるのであるが、ホンダの方はすでに例の360ccがヨーロッパを始め世界的好評を集めている。このホンダ360の爆発的ともいえる成功からして、ビック・スリー上陸に対しても、技術で立向う一匹狼の気構えだ。
そこにはかって零戦を生み、ハヤブサを例に上げた日本的な技術、制限された中でギリギリまで力を発揮し、驚異的な高性能を引き出すあの日本的な技術を発見する。そして、それとまったく共通な技術をクルマだけでなく、ハイファイ・ステレオの世界にも見出すことができる。それがトリオTW31だ。そして、おもしろいことに、ソ連がステレオを自国で普及したいため、ステレオの技術を日本から輸入ないしは提携を明らかにするとハイファイ専門メーカーの中からただトリオ一社のみが大規模メーカーに連らね名乗りを上げている。
こんなところにも技術を売るホンダと共通な「技術のトリオ」を感じさせるのである。
トリオのTW31が発売されたのは67年初めであった。その時点で、すでにTW61が日本市場でも爆発的な売行きを示していた。日本市場でもというのは、その2年ほど前から米国市場でTW61は、例のトリオ・ケンウッド・ブランドではなく、バイヤーズ・ブランドで圧倒的な売行きを続けてきたのである。米国市場で好評であったので、それを日本市場でも売ろうというやり方はハイファイ・ステレオ・メーカーだけではなく、他の多くのメーカーがしばしば用いる安全な販売手段である。
そのTW61は普及価格で高級アンプなみのアクセサリーと性能をもっている点で、またその性能も価格から信じられないほどのパワーフルな高性能であった。
日本市場の人気は海外から〝がいせん、デビュー〟したTW61の華をみごとに飾った。
TW61のヒットを見て、日本市場のためにさらにその弟分として急拠、開発されたのがTW31である。そこには、TW61の「普及価格でありながら、高性能を備えた高級イメージのポピュラーな製品」という新らしい路線がさらに一段と凝結し、煮つめられた形で、具現化しているのである。
TW61のつまみを2つ減らし、パネルを30%ほど小さくしたが、イメージとしてはTW61をくずしてはいない。23、000円台の低価格からは思いもかけない各チャンネル17ワットという大出力が得られる設計は、トランジスタアンプに早くから踏み切っていた開発技術とハイ・ファイの本場米国市場に長年輸出実績をもつ量産技術の結晶ともいえよう。性能からぎりぎりのトランジスタを用いるのは価格を押えられている以上余儀ないところだが、その力をいっぱいに引き出すことに成功しているのが、この31の大きなポイントになっていると考えられる。
TW31の出現は、ハイファイをポピュラーなレベルの層にぐっと引きおろし点にあろう。TW31の発売によって、今まで価格の点で見送っていたハイファイ・ファンもその希望をアンプから実現し得たことになり、その意義は大きい。
岩崎千明
スイングジャーナル 10月号(1968年9月発行)
「SJ選定〈新製品〉試聴記」より
音楽の中で一番大切な音は、人間の声の範囲と同じ周波数範囲に含まれている。男の声で200サイクルから上、女の声で400サイクルから上3オクターブぐらいまでである。つまり男声の下限200サイクルから女声の上限2000サイクルぐらいまでですべての楽器の基音はここに含まれる。なぜこんなことを冒頭に述べかたというと、この辺の範囲の音が音楽再生上もっとも重要であるのだがそれを本当に認識しているようなスピーカーが、それほど多くはないという点にある。
最近高級スピーカー・システムはマルチ・スピーカーが常識である。スピーカーの数を増せばそれだけ良くなるとは限らないが、低音専用、高音専用とわけることにより、音の上限と下限は広がることは確かであるし、また低音の影響をかぶって高音が荒れることもなくなる。そしてもっとも大切なことは、ステレオ用として、指向性つまり音のひろがりはきわめて重要なファクターだが高音を小型の専用スピーカーに受けもたせることにより音の前面へのひろがりは必ず改善される。
しかし、ここで問題がある。〝低音用と高音用との境目をどこにおくか〟という点と〝低音用としてその設計の重点をどこにおくか〟というかねあいについてである。
低音用は文字通り低音用として設計し、今日では、中音をよく出そうとするよりも、いかに低音まで出し得るかという点を重視する結果、振動部コーンの重量を増す傾向にある。それが低音域をのばすもっとも容易な近道だからである。
そして、その結果、音量の変化の激しい、アタックの強いパルス音の多い中音再生能力は少々おろそかにされている。つまり市場にもっとも多い2ウェイ・スピーカー・システムでは高音用と低音用の境目クロスオーバーは2000〜3000サイクルにあり、2000サイクル以下の重要な中音はコーン紙の重い低音用で受け持つという問題をかかえている。激しいアタックのある変化に富んだあらゆる楽器の音を、重いコーン紙の低音用が正しく再生することが可能であろうか。できるだけ軽いコーン紙の方が毎秒1000回にも達するパルシブな音を再生するの適していることは一目瞭然であろう。
さて、大切な中音を独立させ、軽いコーンの専用スピーカーに受け持たせた3ウェイが最近クローズ・アップされているが、多くの場合、中音用としてコーン型が超高価格を除き一般的のようである。
さて、大阪音響の3ウェイ83Aを聞いたとき、このスピーカー・システムの中音の輝かしさとずばぬけた切れのよさにびっくりしたものだ。しかも、その音がホーン型中音用から出ていたのを、前面サランを除いて知ったとき改めて驚歎した。中音ホーンによくありがちな、ホーン臭い音が全然感じられないばかりか、そのみるからに小さいショート・ホーンからの音が700サイクルという低い所からごく高い範囲までカバーしていることを知らされて、もう一度驚いた。
考えてみればオンキョーはハイ・ファイ初期からのスピーカー専門メーカーだ。今までに何回となく画期的なスピーカーを作ってきたが、どういうものかマニアの注目をひくに至らなかった。しかし、この中音用には、オンキョーの永く積み重ねられた技術の裏付けがあったのだ。
そしてこの中音ホーンこそオンキョーのハイ・ファイ・スピーカー界における立場を確固たるものにするに違いないと感じた。83Aシステムの成功が、これをひとつ実現したことになる。30センチ低音用と広指向性のスーパー・ツィーターの3ウェイで価格が5万円に満たないことを知ってまた驚いたのである。
菅野沖彦
スイングジャーナル 10月号(1968年9月発行)
「SJ選定〈新製品〉試聴記」より
ターンテーブルが再生装置の中で占める重要性は大きい。レコードをのせて回転させるのが役目だが、もし悪いターンテーブルだと、再生音に決定的な打撃を与える。どんなに他の部分がよくてもなんにもならない。縁の下の力持ちである。
ターンテーブルは回転が正確でなければ音楽のピッチが変る。つまり速ければ音は上り、遅ければ下る。33 1/3R.P.M.という回転速度は絶対に正確に保たれなければならない。そして、いかに1分間単位では33 1/3回転になっていても、その間で速い遅いという回転ムラがあっては困る。これをワウといって、ワウがあると音程がフラつき音楽にならない。また、もっと細かいムラのことをフラッターというが、大変聴きずらい。ワウやフラッターは絶無にこしたことはないが、実際には0・15%以下なら問題ない。ワウやフラッター、そして回転速度はターンテーブルのもっとも大切な条件で、これがひどく悪いと音が不安定になるわけだが、それほどではなくても音質に大きな影響を与える。また迫力のある音は絶対に期待できない。
次に大切なのは雑音の発生の有無である。モーターの回転によってターンテーブルを回すのであるからこの機械的な運動に振動はつきものである。カートリッジの針はレコードの溝の細かい振れを音に変えるものだから、ほんのわずかの振動も逃さず音にする。だから、モーターやターンテーブルがごくわずかでも横振れや縦振れの余計な振動を発生すればこれが針に伝わり雑音となる。いわゆるゴロというのがこれである。データとしてはS/N○○dbという表示をする。40db以上は必要。この2つの条件を満足、かつ、強い回転力の得られるものがよいターンテーブルである。回転力の強さと振動発生とは相対するものであるだけにレコードの演奏に必要な回転力の最小値の決定は難しく大切な問題だ。
今度スペックスから発売された新製品V500Aはこれらの条件を完全に満たしてくれながら、買いやすい価格とコンパクトなまとめが特長の優秀なものだ。従来、こういう単位商品として売られるターンテーブルは取付がやっかいだった。もちろん、ターンテーブル、アーム、カートリッジとバラバラに買って、1つのケースに取付けプレーヤーを構成することは特に工作に自信があるとか、好きな人でなければ無理なのだが、それにしても、モーター取付けに際してあけなければならない穴のパターンが複雑過ぎた。雲型の複雑な形に板を切り抜くことは容易ではなかったのである。これが本当はそれほど難しくないプレーヤーの製作を困難なものにしていたといえるだろう。V500Aは単純な矩形の穴をあけるだけだから実にやりやすい。自分で作りたいという熱心なマニアには大変有難いはずだ。本誌としても選定新製品としてターンテーブル単体を扱うのにはいろいろ問題があったらしい。SJ誌の読者は技術誌の読者とちがい、自分で手をつける人は少ないだろうということからカートリッジやスピーカーのようには簡単に扱えないターンテーブルについては随分考えられたという。しかし、この程度に扱えるものなら、むしろ作る楽しみを味わうよいチャンスにもなり得るだろうと思う。また、単体で売られているアームとの自由な組合せで自分の思う最上のプレーヤーを組むことができるのだから、既成のプレーヤー・システムを買ってくるのとは別の喜びがある。
V500Aは小型強力モーターの使用で振動が少なく、2重ターンテーブルの合理的な設計で大変スムースである。ベルト・ドライヴ機構にも独創的なアイデアが生かされ実に使いよい。フル・パネルとしては最も小型。高さも最小限におさえられている。プロ級の性能をもちながら実用的に整理された好ましい製品だ。
菅野沖彦
スイングジャーナル 10月号(1968年9月発行)
「ベスト・セラー診断」より
トーン・アームの最高級品は何かときくと、誰の口からも即座にSMEの3字が帰ってくる。SMEアームは現在のトーン・アームの王座にある。
SMEアームが英国から日本へ入ってきたのはずい分前のことだ。はっきりした記憶はないが、5年にはなるだろう。その間にオーディオ機器は急速な進歩をとげているし、特にプレーヤー関係パーツは軽針圧の傾向が大きく支配し、多くのカートリッジやアームが改良に改良という形で消えたり変貌したりした。しかし、SMEアームは細部のちょっとした変更以外、形を変えていない。しかも今だに現役として最高の性能を誇っているのである。この製品がいかに高い完成度をもっていたかが分ろうというものであるし、現在のオーディオ技術の水準を数年前に確保していたともいえるのである。現在のどれほど多くのアームがSMEに方向を指示され、SMEのもつ特性を追いかけたことか。そして、SMEが数年前に現れたことによって国産アームに対する一般の要求度が著しくシビアーで高度なものになったのも事実である。数々の新機構、当時として考え得た総てのアクセサリー類、最高の機質と精密な仕上げSMEアームはその完璧で安定した動作と、溢れるばかりの機械美、抜群の耐久性など、すべて私自身でたしかめた優秀製品なのである。価格の高いことも相当なものだが、実際に数年間使ってみると十分それに応えるものであることがわかる。手元の数台のプレーヤーにつけられた他のアームが、あるいはガタになり、あるいは動作が鈍くなって交換されていく中に、SMEのアームだけは全く買った時と同じ状態の外観と性能を維持しているのである。
SMEアームの特長について簡単にふれておくと、6つのポイントが考えられる。①ナイフ・エッジ方式による高感度、高耐久性の支持、②インサイドフォース・キャンセラー機構、③ラテラル・バランサー、㈬スライドベース方式、④油圧式、アーム・リフタ一機構、⑤ヘッド・アングル可変がそれである。これらの特長は現在では高級アームのほとんどが備えているから今更とも思えるかもしれないが、それらはすべてSMEによって初めて実現されたものといってよいのである。S. M. E. LIMITED, という会社は英国のサセックスにあるらしいが、もともと大変なオーディオ・マニアが自分の理想とする機構をすべて備えたアームを作ろうという夢から生れた製品であり、会社であるという。
ナイフ・エッジ方式というのは今でもあまり他に類がなく、これはアームの上下動方向の支持が鋭利なカミソリの匁先で支えられているものだ。左右の回転はベアリング式を採用している。この支持方式と精度の高さのためにアームの実効質量はそう軽くはないにもかかわらず、1グラム以下の軽針圧トレース、レコードのソリなどに対する追従性も見事な性能を発揮するのである。そして、それでこそ、かえってアームのマスの大きさが適応カートリッジの範囲を拡げてユニバーサルな特質をもつことに役立っている。トランス内蔵のオルトフォンなどの重いカートリッジから、穴あきの軽量シェルにつけた自重約10グラムの軽いものまでいずれにも優れた低域特性が得られる。インサイドフォース・キャンセラー機構はずい分批判もあびてはいるが、その後の多くのメーカーが踏襲している事実は否定できない。マニア気質の満足度というものを考えると、実害を示す以外に反論はできない。リフターはいまだにどの製品のものより動作確実で実用的。スライドベースはオーバー・ハング調整には絶対に有利。高価なのと扱いの難しさが欠点といえばいえるが、それこそぜいたくな楽しさというものだ。
瀬川冬樹
ステレオサウンド 8号(1968年9月発行)
「話題の新製品を診断する」より
大阪は日本橋のオーディオ専門店、「ステレオギャラリーQ」が、WE300Bを大量に入手して、限定生産でアンプを作ってみたからと、本誌宛に現品が送られてきた。かつて八方手を尽してやっとの思いで三本の300Bを手に入れて、ときたまとり出しては撫で廻していた小生如きマニアにとって、これは甚だショックであった。WE300Bがそんなにたくさん、この国にあったという事実が頭に来るし、それを使ったアンプがどしどし組み立てられて日本中にバラ撒かれるというのは(限定予約とはいうものの)マニアの心理としては面白くない。そんなわけで、試聴と紹介を依頼されて我家に運ばれてきたアンプを目の前にしても、内心は少なからず不機嫌だった。ひとがせっかく大切に温めて、同じマニアの朝倉昭氏などと300Bの話が出るたびに、そのうちひとつパートリッジに出力トランスを特注しようや、などと気焔をあげながら夢をふくらませていたのに、俺より先に、しかもこう簡単に作られちゃたまらねェ! という心境である。
とはいうものの、プッシュプルなら30ワット以上のハイパワーを(Aクラスで)楽々取り出す使いかたもできるところを、あえてシングルで使うという心意気に嬉しさを感じるのは、マニアならではの心理だろう。ただ、このアンプの回路構成はウェスターンのモニター・アンプの原回路にはまったくとらわれずに、12BH7のカソードフォロアを直結ドライブにシリコン整流器の電源回路と、全く現代風である。この点はオールドファンには不満かもしれない。シャシー・コンストラクションにもそれは当てはまる。クロームメッキとブラックの、マッキントッシュばりのコントラストが美しいが、300Bの傍らにWE310Aや274Bが並んでいなくては気の済まないマニアも少なからずある筈だ。
しかし好き嫌いを別にしてこのシャシーの構成はなかなか立派なものだ。入・出力端子やACソケット・電源コード類が、シャシーの長手方向に二分されているのはコードの接続上扱いにくいことがあるかもしれない。それと、トランス・チョーク類に大きな赤で目立つLUXのマークが入っているのは、二個も並ぶとちょっとうるさい気がしないでもない。しかしメッキの光沢も美しいし、文字の入れ方もなかなかキメが細かくセンスが良い。パワーアンプとしては魅力充分というところである。
自宅での試聴には、プリアンプにはJBLのSG520及びマランツ7を、スピーカーにはJBLの3ウェイ、タンノイGRFレクタンギュラー(オリジナル・エンクロージュア)、及びアルテック604Eをそれぞれ交互に組み合わせ、カートリッジにはEMTを使った。
JBL、アルテック、タンノイのいずれのスピーカーでも、ふっくらと暖かく、艶やかに濡れたような瑞々しい音質である。WE300Bともなると、どうしてもある種の先入観をもって聴いてしまうが、常用のJBL・SE400Sに戻して音を確認し、再び300Bを聴いてみても(ふつうこのテストをすると大抵のアンプがボロを出してしまうのだが)、SE400Sのあくまでも澄明に切れ込んでゆく冷たいほどの爽かな解像力とは対照的に、豊かでしっとりやわらかい再生音には、えもいわれない魅力がある。比較のためにQUAD−II型も鳴らしてみたが、300Bは格段に上である。JBLと共に手許に置いて、気分によって使い分けたいという気持を起こさせたのは、昨年我家でテストしたマッキントッシュ275以来のことだ。要するに管球式アンプの最も良い面を十分に発揮した素晴らしいアンプで、特にタンノイやアルテックを良い音で鳴らそうという人には、ぜひ欲しくなるアンプのひとつだろう。この良さは、マランツよりもJBLのプリアンプと組み合わせたときの方が、一層はっきりと現われた。
このアンプを、別項のテストリポートと同様の基準で採点するとしたら、音質に9・5、デザインに8・5を、わたくしならつける。価格の面では、ステレオ用一組の予価が12万円弱ということになると決して安いとはいえないが、音質や仕上げの美しさを別としても、WE300Bという球の稀少価値と思えば、好事家にとっては必ずしも高価すぎるものではなかろう。それを承知で入手して眺め・音を聴いてみれば、この出費は気持の上で十分報いられるだろうというわけで、コスト・パフォーマンスには7・5ないし8点がつけられる。
ただ、中小メーカーの製品一般に共通する注意として、アフター・サービスに関しては、十分念を押しておくことは必要である。
岩崎千明
スイングジャーナル 9月号(1968年8月発行)
「オーディオ・コーナー ベスト・セラー診断」より
米国系商社に本国から派遣されてくる米人技術者たちと私はよもやま話をすることがときどきある。しかし、いつも感じることだが、ハイ・ファイ・パーツに関する限り、彼らよりも、日本のマニアの方が、はるかにくわしく知っている。ただ米国内における事情とは無関係に、その製品だけについてであり、それは多くの場合、物を正しく判断する基準を狂わしていることも確かである。
米人技術者に、マランツという名をぶつけてみると、この事情がはっきりする。多くの場合、こういう答が返ってくる。「マランツ! オウッあれは一般商品ではない。高級ハイ・ファイ・パーツの範囲を超えたもので、性能の良否をうんぬんするようなレベルからはるか高い地位にあり、一般のファンが使うことはないと断言できる。マランツが見られるのはスタジオぐらいなものだ。」
そういう返事を、何回となし聞かされてきて、つくづく日本のマニアはめぐまれていると思うのである。ハイ・ファイに関係している米本国の技術者でさえ、業務用ということで、あまり身近にないマランツの製品、それが日本のハイ・ファイ市場では高価であるかも知れないが、いつでも自分の装置に加え得る身近な存在にあるという点についてである。
これは日本のハイ・ファイ・マニアのレベルが、米国内におけるそれよりずっと高いことを意味しておりその点で、日本のマニアは大いに自信を深めてよかろう。おそらく、マランツの真価を本当に知り尽し、その高性能を100%活用することができるのは日本のマニア以外にはいないのではないかとさえ思うのである。マランツの製品は、本来業務用としてのみ作られた。モノーラル時代の大型プリアンプが「コンソレット」と名付けられていた。これはスタジオ用のミクサー・パネルをコントロール・パネルと呼び馴わしていたので、その小型化した便利な卓上用という意味からであった。ステレオ用になってステレオ・コンソールと改められ、業務用のモニター用主要製品として米国内のスタジオ内のラックに多くみられるようになってマランツの名はプロの間で有名になってきた。そして60年頃から二本でもマランツの名は、すでに最高級プリアンプとして紹介された。
私自身が、マランツの真価を知らされたのは、かなり後になってからである。米国市場の主要アンプを、同じ条件のもとで聞きくらべたのは64年の夏の夜。アコースティックのI型II型の組合せ、サイテーションのI型II型なと当時の最高級アンプとくらべて、マランツのプリ・メインの組合せはもっとも目立たないおとなしい静かな音でARやタンノイを鳴らしたのであった。それは、輝きも迫力も華やかさもなく、しかしそれでいてもっともひずみの少なさを感じさせた。広い音声帯域を感じさせるのは他のアンプだったが、抵抗のない自然さはマランツの組合せが一番であった。
私はそれからいくばくもなくしてマランツのプリアンプを自分のアンプの中に加えた。
時代は変る。電子業界の進歩は1日ですべてが変革してしまう。
マランツが真空管をトランジスタに切換えたというニュースは真空管にこだわってきたマニアにショックを与えた。しかしその最初の製品プリアンプ7Tはマランツの名声をさらに一段と輝かす傑作であった。旧型になかったえぐるような繊細さが清澄な再生能力に一段と冴えをみせていた。管球のそれはソフトだが、なにかぬぐい切れない膜がかんじられたが、7Tでは解消していた。初期の製品はフルボリューム時のノイズが問題とされたこともあったが、パワーアンプ・モデル15が出た今日、この組合せは世界一を断言するのにためらうことはない。
私は経済的なゆとりがあるのならマランツ7Tこそもっとも買得のプリアンプであることを疑わない。
その使用者のレベルが高くなればなるほど、それに応えてくれる高性能を秘めているという点を指摘したい。そして今日、日本市場における売行きが、立派にそれを物語ろう。
菅野沖彦
スイングジャーナル 8月号(1968年7月発行)
「ベスト・セラー診断」より
DENON……デノンと読む。もともとは電音、つまりデンオンといって日本コロムビアでつくられるプロ用音響機器のブランドのことである。デノンという呼び方は輸出を考えてのことだろうが、我々にはやはりデンオンのほうがなじみやすい。ここでもデンオンと呼ばせてもらおう。
デンオンには、もともとプロ用音響機器を専門に作っていた会社だが、5年前現会社である日本コロムビアに吸収されて、その事業部のような形になった。放送局やレコーディング・スタジオではデンオンのテープ・レコーダー、ディスク・プレイヤーが大活躍している。プロ用機器はその性能もさることながら、安定性、耐久性に優れていなければならないので、デンオンの製品も一見して、いかにもがっちりとした信頼感にあふれている。業務用として日夜酷使されるわけだから、なまじのことでは耐えられるものではない。一般機器からしたら、不必要と思えるほどの気の配り方、念の入れ方、材質の厳選、仕上がり完成度の高さが要求される。
ところで、このようなプロ機器の専門メーカーであるデンオンの製品のなかで最もアマチュアにも親しまれているのが、カートリッジDL103だろう。DL103は無C型、つまりムービング・コイル・タイプのカートリッジで、その構造は有名なオルトフォンのカートリッジの系統である。このカートリッジは発表以来地味ではあるが着実な信頼をもって迎えられ、プロの世界はもとより、愛好家の中でも高級装置をもっているヒトたちの間では高く評価されている。このカートリッジはNHK技研との共同開発によるもので、カートリッジとして具備すべき物理特性は完璧なまでに追求され、その周波数特性は理想的といってよいフラットなものである。音質は実に素直で明晰、レコードに刻まれた波形を忠実にピック・アップしてくれる。再生装置の音の入り口であるカートリッジが癖のあるものでは、スピーカーからでる音はさらに癖の強いものになることはいうまでもない。再生装置は多かれ少なかれ固有の音質をもつものだし、趣味としてのオーディオはそうした個性のバリエーションと自分の嗜好との結びつきにもつきない興味があるものだ。しかし、その目的はあくまで、レコードなりテープなりに収録された音の完璧な再生にあることは否定できない。完璧な再生をするためには、個々のパーツがその機能を完全に果すものでなければならないことはいうまでもない。ここに再生装置の各パーツ単体に高性能を追求する高度のアマチュアイズムがある。なぜ、こんなことをいうかといえば、再生装置は結果的に出てくる音がよければよいのだから、各パーツを単体でみた時には少々欠点があっても組合せでおぎない合ってオーバーオールで良い結果にすればよいという考え方があるからだ。この考え方にも十分理由はあるし、現実に、このような考え方によるアッセンブルのテクニックは重要である。しかし、互いに補い合いによって特性を結果的によくするということは、ある限度内で可能なことであって、最高のリアリティを求めると、これは無理である。最高の音を得るためには各パーツが単体で最高の特性を持っていなければならない。DL103は、このような要求に十分こたえる特性をもったカートリッジだと思う。先に述べたようにこれはプロ用のもので、プロ用としてカートリッジが使われる場合はレコードになったマザーやラッカー・マスターの試聴(音とこれのテープの音との比較試聴)などが主な用途なので、できるだけ固有の音色をもたないことが望ましいわけである。このようなわけで、これは、現在のカートリッジ中もっとも素直な癖のない、そして安定したパーフォーマンスの得られるカートリッジの一つだといえるだろう。MC型で出力は小さいが、アンプによってはこのままでも十分。足りない時には、同社のトランスDL03Tを求めるとよい。
菅野沖彦
スイングジャーナル 10月号(1968年9月発行)
「ベスト・セラー診断」より
この製品については今さら説明することのほうが無駄と思えるほど、オーディオ・マニア間では有名な製品で、最高級カートリッジとして名実共に第一級の製品なのである。シュア一社はアメリカの音響機器メーカーで、もともとマイクロフォンの専門メーカーだった。カートリッジはステレオ時代になってから急に名声が上り、現在ではアメリカを代表する有力メーカーとして世界的に、その高性能と豊富な種類、大きな販売実績を誇っている。V15IIの特長について一言にしていえば、最も安定した動作をもった素直な音のカートリッジということになるだろう。私がこのカートリッジを初めて手にした時その宣伝文句が、トラッカビリティという新語をもって、レコード溝への追従能力の抜群さをうたっていたために、手持ちのほとんどのカートリッジがビリつきを生じるレコードをかけたのにもかかわらず、V15IIはまったく悠然と歪みなく再生してしまったことだ。〝トラッカビリティ〟という言葉はシュア一社のつくった新造語だが、カートリッジの針先がレコードの溝を完全になぞる能力といった意味である。カートリッジの本来の役目が、レコードの溝を針でなぞって、それによって起る振動を電気のエネルギーに変えるというものだから、その性能はまず、完全に溝の動きに追従しきれるかどうかということが条件であることは理解していただけるだろう。
したがって、よくいわれるように、MM型とMC型とかいったことよりも、本当は針先の形状、大きさ、針のついた金属棒(カンチレバー)や、これを支えるダンパーと支点などの材質や組立て具合のほうが根本的な条件として大切なわけだ。シュアーV15IIはMM型つまり、ムービング・マグネット・タイプといって、小さな磁石を針と一緒に振動させて磁場の中に巻かれたコイルから電気を誘発するという方式のカートリッジだ。そして、溝を忠実になぞるというカートリッジの必要最小条件を満足させることによって、周波特性や音色の素直さといったむずかしい条件を含む諸問題を一挙に解決したのである。ちょっと表現がむずかしいが、それまでのカートリッジが周波数特性とか、弱音から強音までの幅や直線性、または左右の分離能力による臨場感の再現、音楽を生き生きと再現する豊かな音色といったような問題について多角的に、あちらこちらから検討され、手さぐりで改良されていたのに対し、V15IIは、そういったいくつもの条件を針の追従能力を徹底的に追求することによってのみ解決してしまったというような気がするのである。このためには情報分析をコンピューターによっておこなうなど、データの豊富な蓄積と積極的な実験精神、技術者が軽視しがちな経験の裏付けによる直感力といった人間の能力の結集によるところが大きい。
V15IIは28、000円という高価格だから決して一般的とはいえない。一般的には同社のM44シリーズがベストセラーであろう。しかし、このカートリッジはマニア間ではたしかにベストセラーといってもよいほどの売行きを示している。経済的に余裕があれば、投資に見合った結果は必ず得られる製品だと思う。好みの強い個性的な音を求めると見当ちがいで、レコードに入っている音をかなり忠実に再生する信頼感あふれるカートリッジだと思う。かなり…と書いたように、これが決して終着点とは思えない。しかし、V15IIはカートリッジとしておさえなければならない大切なポイントを、他製品に先がけておさえた、つまり最もビリツキの少ない安定した製品だ。
岩崎千明
スイングジャーナル 7月号(1968年6月発行)
「新製品試聴記」より
トリオが久しぶりに豪華型アンプの「新商品」を出した。KA6000とKA4000である。これは新製品の誤りではなく、あえて「新商品」といいたい。
いわゆるサプリーム・シリーズという技術的に先端を行く超デラックスな製品の第一陣として、サプリーム1・マルチ・アンプが発表されたのが一昨年末である。その後もFMつきの大型アンプは発売されているが、いわゆるプリ・メイン総合アンプとしてはTW61、TW41のベストセラー・アンプのみで、これらのアンプは豪華型というより普及実用型といえよう。
そしてまたサブリーム1はトリオの世界的なアンプの企画設計の優秀性を誇示する製品にちがいないが、これがメーカーにとって利益をもたらす商品として成功しているということは、現段階ではいえないのではなかろうか。しかしこの米国市場を驚嘆させた世界で最初のマルチ方式アンプは、日本のハイ・ファイ技術の水準を世界に知らせ、トリオの製品の高品質ぶりを轟かせた点で特筆すべきものであった。
そしてまた、昨年末から待望されていたトリオの豪華型アンプが、今やっと覆面をとった。
期待と栄誉をになって登場したのが、KA6000でありKA4000なのである。すでに関係者には、2か月ほど前に発表会があって、その折に初めてこの名実ともにデラックスなアンプにお眼にかかることができたのであった。
そして、サブリーム1における磨きぬかれたトランジスタ技術を、この価格の新型アンプの中に見いだした時、このシリーズこそ、トリオが本格的なアンプとして、大いに売る気を出した「商品」としても筋金入りなのだな、と感じた。つまり魅力ある高性能であり、しかもいっそう魅力をそそられる〝お買徳〟価格なのである。その大きなポイントは、一般の音楽ファンに対しては内部的な性能に加えてデザインが大きなセーリングポイントとなりえよう。その点でもTWシリーズに対してこの新シリーズはすばらしい。サプリーム・シリーズのアンプの流れをくむデラックスなものだ。
大型つまみを主調に、オリジナリティのはっきりしたアウト・ライは、いかにもトリオらしく取扱いやすさを意識した狙いも生きている独特の一列に並んだスイッチ群も、最近の世界的な傾向をいちはやく採り入れたものである。豪華製品としては他社製品よりひとまわり小さいこのデザインの中に秘めた高性能ぶりこそ注目すべきであろう。まずその出力は、180ワット(KA000)、または120ワット(KA4000)というおどろくべき大出力である。
KA6000においては70/70ワット実効出力という、同級ではずばぬけたハイパワー。これは50%高価な製品をも上回るもので、しかもそのときのひずみのなさも特性上だけでなくジャズのアタックの再生に威力を発揮しよう。
加えてもうひとつの大きなポイントは低出力MC型カートリッジを直結できるヘッド・アンプ内蔵という点である。残留雑音の点からどのメーカーも敬遠するこの魅力的な回路は、単独で1万円以上もするめんどうな部分であるが、これを内蔵させるという英断は、サプリームのバックグラウンドとしたトリオ以外で、この級では不可能といえそうだ。SN比が問題となるからである。
実際このアンプを手元において試聴したとき、まったく静かな室内の空気に、スイッチが入っているのを確めたほどだったし、曲がはじまるや轟然とたとえたくなる強烈なアタックを楽々と再生、ミンガスのフルバンドのサウンドが今までになく力強く室内に満たされた。
菅野沖彦
スイングジャーナル 6月号(1968年5月発行)
「新製品試聴記」より
パイオニアT5000。4トラック・ステレオ・テープ・デッキとして同社が初めて開発した意欲作である。音響専門メーカーとしてパイオニアがこれで完全に全製品を網羅することになった。もともとスピーカーの専門メーカーとしてスタートした同社は今や音響機器の綜合メーカーとして名実共に横綱格。数年前からターンテーブルが好評で回転機器の分野でも信頼度を高めた。マニアが、パイオニアのテレコを期待したのも無理はない。
そうした大方の期待の中で登場したのが、このデビュー作T5000であるが、さすがに数々の独創的なアイデア、機構をもったオリジナリティに溢れた製品だと思う。この製品の出現で、従来、とかく面倒くさがられたオーブン・リール式のテープ演奏が、ずっと楽になり手軽に扱えるようになったといってもよい。つまり、オープン・リール式のテープは、あのペラペラしたものを狭い間隔(キャプスタンとピンチローラーの間やヘッド・ハウジング)を通して引張り回し、片方のリールに巻き込むのにずい分厄介であったが、T5000では大巾に簡略化されている。その仕組みは、テープを両脇からはさんで駆動するキャプスタンとピンチローラーのうち、後者はパネル内に納っていて、テープをかけてスタートする際にハネ上ってはさむ仕掛になっている。だから、狭いギャップなどというものはなく実に扱い易い。そして、4トラックの往復再生と録音が自動逆転機構(手動も可)で安定した動作が得られるという至れり尽せりの機構を備えている。ピンチローラーが中央にあって駆動すると書いたが、その両側にそれぞれの方向専用の消去ヘッドと録再ヘッドが2個づつ、計4個配置されていて完全なシンメトリック・アレンジメントで住復作動のデッキとして大変よく練られた設計だ。自動逆転機構は今やこの種のテープデッキの必須条件といってもよく、このT5000では、テープの両端にセンシング・テープをはっておこなう。長いプログラムの録音など、テープをかけかえたり、ひっくりかえしたりしないで往復録音可能というのは大変便利で、この機構を持たないテレコを使っていた方にはその有がたさのほどが分るだろう。そして逆転の際の立上りスピードが実によく、実用上ほとんど瞬間的に規定スピードとなる。もしこの立上りが悪いと、その間まことに不快だし、録音ソースが連続していると穴があくことになるから、これは大切な問題なのである。ワン・モーターでよくここまでの性能をだしたものだ。
再生操作面と録音のそれとをステップで処理した鮮やかさ、VU計内のパイロット・ランプが、再生時は白、録音時は赤に切り換るところなどはなかなかの冴えを感じさせる。左右リールの円形と巧みなバランスを見せるヘッド・ハウジングの扇形デザインも美しい。
実際に使ってみると動作は大変スムースで確実である。欲をいうとプレイ、ストップ、そして早送りのレバーがややかたいこと、録音レベル調節ボリュームのツマミの左右の位置や形態にもう一工夫ほしい気もするが、その他の点では大変すばらしいテープ・デッキである。音響専門メーカーとして、音マニアの気質を知り尽した心増いばかりの商品。そして肝心の音は実に明解でシャープな切れ味である。他の同種のテレコと多数比較できなかったが、このクラスのものとして最高の音質だと思う。録音のいいテープだと、レコードからは得られない安定した豊かな肉づきをもった音が魅力的。レコードという便利で、すばらしい音のプログラム・ソースが、がっちりと網を張っているにもかかわらず、4トラックのレコーデッド・テープが着実に愛好層を獲得していることは何を物語っているか。本誌でも再三テープ音楽のすばらしさについては取り上げられている。
昔はレコードと同じ程度のクォリティの得られるテープレコーダーは大変高額で手が出なかった。このテレコは5万円台だが、同価格のレコード・プレーアーと比較してそのクォリティを考えるとまるで夢のようである。
菅野沖彦
スイングジャーナル 6月号(1968年5月発行)
「オルトフォン社長に聞く」より
オルトフォンといえば世界一のカートリッジの代名詞。まず、その名を知らぬ人はいないだろう。しかし意外にそれ以上のことは詳しく知られていない。無理もない。オルトフォンというメーカーは北欧デンマークにあって、本来プロ機器専門のメーカーなのである。メッキ設備からプレス機、そしてカッティング・マシーンなど、レコードを製造するためのすべての機械を作っている特殊なメーカーである。そして、そのカートリッジとトーン・アームだけが、一般愛好家にも縁がある商品で、このところ高級ファンを中心に広く使われるようになった。オルトフォンという名前を聴いただけで、艶やかで重厚な、豊かに響く音がイメージ・アップするファンも少なくないだろう。オルト(ギリシャ語のパーフェクト、つまり完全)フォン(ラテン語の音)の名のごとく、それは現在、私たちが入手し得る最高のカートリッジである。
このオルトフォンの社長ハ−ゲン・オルセン氏が初めて来日した。それを機会に早速オルセン氏に会見を求め、オルトフォンという企業について、それを代表するオルセン氏の、音についての考えなどを詳しく聴くことができた。私の質問に答えるオルセン氏は気品のある初老の紳士でおだやかな風貌の中にも鋭い感性と技術者らしい潔癖性をしのばせる。
以下、氏との対話をもとに筆者の印象も加えて紹介するとしよう。
まず、オルトフォンという会社、正しくはフォノフィルム・インダストリーとはいかなる会社か?
「1918年に二人のトーキー・エンジニア、ピーターセンとポールセンによって創設されました。そして、1943年ぐらいまで、トーキー関係の仕事を専門としてきたのですが、この年からレコード製造機器の製造を始めました。この頃はデンマークは第二次大戦中で大変困難な時代でしたが、1946年に初めてカッター・ヘッドを完成しました。これはヘッドからのフィードバックによってカッティングしている音をモニターできるという点で世界で初めてのヘッドでした。このカッター・ヘッドで切った原盤を試聴するについて、よいカートリッジがないことを知り、続いてカートリッジの製造に着手したわけです。もちろん、当時はモノーラル・カートリッジで、タイプA、タイプCと呼ばれるものです。このタイプCカートリッジは大変好評で世界中のレコード会社や放送局からの注文が殺到しました。1951年から数年間のことです。そしてステレオ時代になったのですが、初期のステレオには問題がありましたが、私共が最初のステレオ用のカッターヘッドを作ったのは1959年で、同時にステレオ用のムービング・コイル・カートリッジを作りました。これが、SPUシリーズです。私共の会社は全部手づくりで製品を仕上げていますので、そんなに数はできません(現在月産7000個)、同じ形のものでも年々性能の向上があります。」
思ったより新しい会社だ。タイプA、タイプCのモノーラル・カートリッジも日本での使用者が少くない。そしてSPUシリーズというカートリッジは、オルトフォンの名を完全に浸透させた傑作で、ステレオ・カートリッジの名品である。その後、S15という新型を出したが、残念ながらあまり評判時よくなかった。これについてオルセン氏は
「S15は優れたカートリッジです。SPUより一段と進歩した製品です。しかし、一つだけ、このカートリッジについて誤解されていることがあると思うのです。それは、ヴァーティカル角が完全に15度のカッティング・ヘッドで切られたレコードだけを考えて設計されている点です。実際にアメリカや日本ではカッティング角が15度のものばかりではなく、そうしたことでこのカートリッジが受け入れられなかったかもしれません。」
ちょっと本誌の読者にはむずかしいかもしれないが、S15も悪くはないということだ。そして、1年後にその不評の巻き返しを計るかのごとくSL15が発売されたのであった。このSL15は期待にそむかぬ優秀な製品で好評を得た。
「SL15はS15より設計基準を広げ、広い適応性を計りました。同時にSPU、S15の開発時にはできなかったことをSL15では実現しています。SL15は今までのオルトフォンの中での最高のカートリッジです。」
自信満々のオルセン氏は説得力をもって語る。
オルセン氏がこの会見を通じてもっとも強調したことは、音響機器についてのセールス・トーク、つまり宣伝文句のナンセンスについてであった。オルトフォンのカートリッジやアームについて大きな宣伝文句をもって表現されることは好まないというのである。オルセン氏の語ることはすべて技術的な裏付けのあることであり誇大な表現は一切しないということをくり返しくり返し力説しながらカートリッジの針圧の軽量化の必要性と、一方では過度になる危険性、針先のコンプライアンスについての最適値についてなど、こまかい技術的な話しが続いた。
ところで、カートリッジの最終チェックはどういう方法をとるか。つまり、測定できるファクターはすべて厳格に測定することはもちろん、私の聴きたかったのは音を決めるにあたって耳による聴感をどう扱っているかの問題だった。
「ご質問の聴感テストについてですが、実は製品の開発、チェックを問わず、これをたいへん重視しています。新しい機構や仕様を採用する時、新製品の開発にあたっては、たくさんの耳のよい人たちにモニターしてもらって意見をききます。そして、私たちの社内での試聴を最終決定にします。製品の検査としては100個に1個の抜きとりで最終測定と試聴をします。私の経験では、100個に1個の割に検査していけばまず問題はないと思うのです。なぜなら、各プロセスにおいて厳重な検査がされ、組立てはすべて手で慎重におこなわれるからです。」
聴感テストにはどういうレコードを使うか? これは大変重要な問題である。つまり、聴感によるテストには、聴感と科学的な分析とを関連づけて耳を測定器のように利用する方法と、もう一つ完全に感覚器として美意識に結びつけて評価するものとがあるからだ。後者の場合は、とくにどんなレコードを演奏するかということは非常に重要なことだといわねばなるまい。
「試聴に使うレコードは90%以上ドイツ・グラモフォンのレコードです。」
しめた! 実際私はそう思った。実は飛び上らんばかりに嬉しかった。ドイツ・グラモフォンのレコードはクラシックが中心だから本誌の読者にはあまり縁のない話と思われるかもしれないが、オルトフォンのカートリッジほどグラモフォンのレコードを、すばらしく再現するものはない。これは私がつね日頃感じていたことで、私なりの空想で、オルトフォンのカートリッジとグラモフォンのレコードの音溝の形状とは非常によくあい、相互関係的なものがあるのではないかと、思っていたのである。というよりも、グラモフォンのレコードはオルトフォン以外のカートリッジでかけた場合、音色に異質なものが加わるというような事だけではなく、時に歪っぼい不安定な再生音になることすらあるのだ。そして、逆は真なりとはいかないところが不思義で、オルトフォンのカートリッジはいかなるレコードをかけても不安定になることがない。これは、オルセン氏の次の説明が理解の糸口となるように思われる。
「商品としての機械は誰がどう使おうと常に安定した動作が得られるものでなければなりません。そのためには極度に軽い針圧や、高いコンプライアンスは好ましくないと思います。また、針先の形状は非常に重要です。特に最近のダ円針については問題があります。私共はカッターを作っていますので、レコードの溝については徹底的に解析しています。一口にダ円いっても正確なダ円針はそうありません。オルトフォンの針先はそうした点で完全に磨かれ、検査されています。」
これをまとめて私なりに解釈するとこういうことになる。聴感によるテストのうち、感覚的な美的判断という点では、オルトフォンのカートリッジは、あの重厚な豊かなグラモフォン・レコードの響きへの共感をもってなされる。つまり、ジャズ・ファンにはやや縁遠いが、それはベートーヴェンやブラームスの、そしてベルリン・フィルの伝統的な重厚な響きである。そして、カッティング・マシーンのメーカー、オルトフォンのレコードへの徹底的な理解の成果は、オルトフォン・カートリッジの機器としての万能性、安定性として現われている。この結論は、次のような少々意地の悪い質問によって導きだしたものである。〝オルセンさん、もしAという人がオルトフォン・カートリッジを買って、カラヤン指揮のベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲をグラモフォン・レコードで聴き、すばらしいカートリッジだといったとします。そして、Bという人はコロムビア盤のマイルス・デヴィスを聴いて不満をもらしたとします。あなたはこれをどう解釈されますか?〟
岩崎千明
無線と実験 6月号(1968年5月発行)
「新型プリメインアンプを試聴する サンスイAU-555」より
まえおき
この原稿を本誌に間に合わせることができたのは、編集者の大へんな努力のたまものといえます。というのはこの原稿がきわめて特殊のケースにより、特殊な状態のもとで書かれたため締切りぎりぎりだったからです。
メーカー以外の人間が、この原稿を書いた時点で未発表の製品を手にすることができるのは、ちょっと例のないことだろうと思うからです。そして、この原稿のネタとなった新型アンプを見せて頂いた山水電完KKにも誌面をかりてお礼を申し上げます。
山水から新型アンプが出るという噂を伝え聞かれたのは、東京で桜の満開に近い頃のことだった。もっともこの種の噂というものは、しょっちゅ出るものらしい。そして、それは多くの場合、競争メーカーから出される作戦的なもののようである。相手メーカーから新型発売のニュースが流されるというのは、ちょっと変な感じがするが、需要者は現時点での製品を買うことをためらってしまうことになるので、そのメーカーの製品販売を直接押えるという巧妙な戦略的作戦になるわけだ。
もっとも新型発表近いという時に、いやがらせを兼ねてすっぱぬきを強行して、発売される新型のイメージを薄れさせようというイジワルな兢争メーカーも少なくない。
この辺の事情は、もっと商売の額の多い、したがって競争もはげしいクルマのメーカーを見れば、Hi−Fiメーカーにおけるより高度のテクニックが展開され、実例から判断のたしになるようだ。
ちょうどその頃、昔からの友人でくるま気狂いのトーキ関係の技術屋さんから、アンプを探してくれないかと依頼されていた。手軽に使えて、手軽に買えて、しかも性能も十分よく、多用途のHi−Fiアンプというめんどうな希望だった。
その時点で、これを探すと、市場にはトリオのTW61ぐらいしかない。ラックスSQ77Tの方が好きなんだが、あれは音楽マニア用にしか作っていないとうそぶいたかたの顛を思い出して、これ幸いときっかけに利用して山水に尋ねてみたのである。「どこからそんなことを聞いたんですかねえ! 確かに出ることは出ますが、5月の予定なんですよ」というメーカー側の返事だった。そこでもうひとふんばり、ずうずうしくも、それを見せてくれないか、と強引に頼みこんでみた。
いいわけが成功したかどうか、条件づきでこの未発表のアンプを見せてもらうことにこぎつけた。
ARのアンプ
ところで、山水のその時点では未発表であったその新型アンプが、手元に届けられる数日前に、私は米国市場における普及型アンプとして注目されるべき製品に接した。おそらく、この数年間、米国市易のベストセラーになるに間違いないであろうこのアンプというのは、ARのアンプである。
ARは日本ではブックシェルフ型のスピーカー・メーカーとしてのみ有名である。56年、アコースティック・サスペンション方式という、特殊のスピーカーをひっさげてデビューしたアコースティック・リサーチは、もと米国オーディオ誌の編集者として聞こえたエドガー・ビルチューが、この特殊スピーカーでデビューした新進メーカーである。
60年代初頭のステレオ初期になって、スピーカーを2つ必要とする時期になるや、小型で大型なみの豊かな低音が、たちまち人気となり、305mmと203mmの2ウェイであったAR1から、AR2型になるや、米国きってのベストセラースピーカーとなったものだ。
その頃の在米の友人たちの噂を聞き、早速購入した62年製の、高音用がまたドーム・ラジェターでない126mm2本がまえのAR2、オリジナルは、一昨年までの私のメイン・スピーカーとして、また今でももっとも楽しめるスピーカー・システムとして、ジムランのLE8Tと共に数多い手元の中でも、音出しのチャンスの多いスピーカーである。
今日ではAR3が、そしてその改良型のAR3aがAR社のスピーカーの主力製品で、これらのスピーカーのずばぬけた低音を通して、日本でもあまりにも評判の高いAR社だが、米国内では、スピーカーと並んで家庭用レコード・プレーヤーのまぎれもないベストセラーAR・XA(テンエー)のメーカーとしても知られている。
これについて書くのはまた次の機会として、超小型モーターによりライト・ウェイト・ターンテーブルをベルトで回す独特のメカの超薄型プレーヤーは、セカンド・プレーヤーとして実に快的である。
スピーカー、プレーヤー共米国市場ベストセラーのこのAR社が出したアンプということで、注目されるこのアンプのショッキングな点のひとつは型番がないことである。つまりAR社はこのアンプだけしかアンプの製品を出さないことを意味する。いかに自信に満ちたことか!
このアンプは、2ヵ年間の完全保証を打出しているのも、トランジスターアンプ最大の難点であるパワーTr破損という点を解決してしまっていることを意味しよう。
そんなバックグランドで、このアンプをのぞこう。
さてARのアンプ、ひとくちでいうなら非常に広い需要層を対象にしたインテグレーテッドアンプだ。これは今までの同社の出してきたスピーカー、プレーヤーをみればわかることであるし、アンプ自体のシンプルなデザインをみれば一目瞭然だ。
特に入力切替が”PHONO” “TUNER” “TAPE”のただ3つしかないことや、電源スイッチがボリューム連動であることからもうかがい知れる。しかし中をみて、そこに入力トランスがあったことに気がかりがのこる。日本の多くのマニアはトランスのアレルギーがひどいようだ。この入力トランスにかなりの反応を示すに違いない。
しかし音をきいてみると、この素直なややソフトな静かな音、そしていざフォルテとなる時のすさまじい迫力からは、トランスの有無などは全然問題とはならない。それよりも、信頼性を第一と考えて、あえて入力トランス・ドライブを採用したAR社の良心を知る。
しかも、このアンプの性能を知るとき、さらに真価を見直さざるを得ない。各チャンネルの出力は。4?負荷でクリッピング点において60Wをこえ、両チャンネル動作時で、50Wをしのぐ大出力ぶりだ。これはAR社の主力スピーカーである、AR3または AR3aが4Ωとかなり低いインピーダンスのため、トランジスターアンプ時代の今になって低負荷のため、オーバーロードとなりがちで、たとえばソニーのアンプなどでは動作中フォルテの時、しばしばスイッチを入れなおさなければならなくなる。
低負荷はど出力の出る傾向のトランジスター時代に、AR3の4Ωというインピーダンスは8Ωが標準の今、やや低すぎて使い難いという非難がないでもなかったのだが、こうしてAR社アンプが発表されると、ARスピーカーをもつ者はARアンプを買いたくなるように、スピーカーを作った59年から、すでにトランジスターアンプの欠点と長所を熟知して、あえて4Ωとしていた企画性のうまさは舌を巻く思いだ。
AU555は日本のマニア向け
新入荷のARのアンプは、ひとくちにいうなら「合理性のかたまり」である。これに触れて数日後、日本市場で最新である山水の新型アンプAU555に接した。
両者がきわめて広いマニア層を対象として企画されたものである点、また偶然であろうがその外形寸法もほぼ同じで、規格の上でもよく似た点が少なくない。しかし、その根本にある相違点は日本のマニアのあり方を熟知した山水と、あくまで米国のマニアを対象としたARの違いに他ならない。
まず第一に、出力の大きさである。山水は20W−20Wを基準としているのに対し、ARでは50Wと倍のパワーをもっている。日本の家屋構造を考えると片側20Wは妥当な線であろう、日本市場で最近ベストセラーのブックシェルフ型スピーカーを次々に発表する山水のSPシリーズの製品をみると、全面的にこの種のものとしては高能率である点を注目したい。
SPシリ−ズの音が好評の大きなポイントは、その充実した中音域にあるのだが、これはあまりマスの大きくないコーン紙をもった大口径ウーファーによってのみみたされる特長であり、これが今までの国産Hi−Fiスピーカーと違った好ましい音色を作る大きな因となっている。
そして、このような高能率スピーカーをドライブするのなら、あえて大出カアンプを必要とすることはないであろう。大出力はそのまま大出力Trと大型の電源を条件とすることとなり、強いては高価格につながる。
山水のアンプではこれをおさえて高品質化を他にそそいでいる。そのひとつはアクセサリー回路の充実である。最近のマニアの傾向として、マルチ化が著しいが、万事マルチ化をしたがるぜいたくマニアの傾向のひとつの表れとしてカートリッジや、アームをまたスピーカー・システムを複数個もつことが最近のマニアの通例であり、これの完全利用のための入力、出力回路のマルチ化が、新型アンプでは大きなセーリング・ポイントとなってきている。
このAU555もこの点が特に充実していることはパネル面をみてもうなずける。
このアンプの兄貴分にあたる最近のベストセラーAU777そっくりのパネルがいかにもマニア向。一見AU777の4/5というところだが、外観的なデザインだけでなく性能の方もほぼそういうことができる。
このアンプの中味をみると、そこにはまさに山水らしい信頼性に重点をおいた技術を知らされる。ガッチリしたシールド板は、AU111とまったく同じ構造で、プリアンプ部をそっくりかこみ、正面右端の入力切替スイッチのスイッチ・ウェファーの背部は、そうくり組みこまれたイコライザーの小基板が、高いSNを保つための巧妙な手段となっている。
その上部には、トーン・コントロールのCRと共にプリアンプ増幅段の基板が配され、その全体をガッチリと厚い鉄板のL字型シールドが掩う。パワー用ステージは、これも一体のプリント基板がシャシー上に取付けられているが、総じてプリント基板上のパーツの配置が、この種の量産アンプには珍らしいくらいスッキリと整理されているのも、検討が十分加えられていることを物語る一面だ。
パワー用のTrはシャシー背面パネル下部を内側にL型に曲げて、そこに下から取付けられており、背面パネル全体が放熱板として利用されるという巧妙なユニークな構造で、放熱板が特に不要となり、量産時に価格を下げる有力な手段だ。
山水のアンプにはどれにもこの種の巧妙で合理的で、しかも優れたアイデアが散見できるが、メカに強い設計屋がいるに違いない。ずらりと並ぶスイッチの切れ味もかなりいい線をいっているが、特筆できるのはスピーカー端子だ。下をちょっと押さえて、小さな穴にスピーカーリード線をちょっと差し込んではなすだけで固定できるのは、うれしい。トランジスターアンプでは出力リード線のもつれなどが原因で、出力Trを破壊してしまうことがよくあるが、この端子なら間違いないし、もつれも起すまい。
さて、音を出してみると、このアンプの良さはまさに納得させられてしまう。ゆとりのあるパワーが重低音域の豊かな迫力となって圧倒される。しかも音全体のイメージとしては、AU777それと同じく冷徹な明解性の高い音だ。
ケチをつけると……
まず回路をみてそのケミカル・コンデンサーの多いのが気になる。丁寧なこととはいうものの間違いないからなんでも使っておけという、万事ことなかれ主義の優等生的設計屋さんの手法をみる思いだ。もっとも丁寧すぎてケチをつけるのはお門違いかもしれない。
もうひとつ、PHONO端子のSNの良さに比べ、AUX端子のSNが意外なくらい良くない。回路図をみるに至って了解したが、全入力がNFを深くしたイコライザ−のトップから入っており、TAPEやDIN端子だけがイコライザー次段から加えられるようになっている最近のアンプでは、これが常識のようだがAUX端子の感度を上げるのが目的ではあるが、SNの多少の劣化は、入力が大きいから問題とされないのだろう。
そして、最後にもうひとつケチをつけるなら、バランスつまみとボリュームつまみは、操作上ぜひ逆配置につけておきたかったと思う。つまり入力切替えのすぐ隣がボリュームつまみ、そしてその次に繁度の低いバランスを置くべきであろう。
ともあれ,山水のAU555その3万円台というお値段としては破格の内容の魅力的新製品といえよう。
岩崎千明
無線と実験 5月号(1968年4月発行)
「最近の海外Hi-Fiアンプの傾向」より
まえがき
近着の米国オーディオ誌を眺めていたら、変ったことに気付いた。最近のオーディオやハイファイ誌に小型のFMラジオの広告が多いことである。それも1頁あるいは2頁みひらきという堂々たる広告でありながら、そのラジオはステレオ・アダプターもついていない程度の、小型パーソナル・タイプである。しかし、そのFMラジオは、本格的なHi−Fiメーカーで作られていることが興味をそそった。
Hi−Fiアンプの最大メーカーから総合メーカー的な色合を濃くしているフィッシャー社、ブックシェルフ型スピーカー・メーカーとしてARと並び、最近はモジュラー・ステレオから完全な総合メーカーへと脱皮をとげて登り坂のKLH社、カートリッジ・メーカーとしてシュアに並ぶ高品質をもって鳴り、最近はスピーカー・システム、アンプへと手を拡げているADC社など、そうそうたる一流メーカーの手で、小型FMラジオがどんどん作られているのは何を示すか?
その辺の事情を調べてみたら面白いことが判った。昨年末は米国市場においてFMラジオが爆発的に売れて、民需電子産業としてカラー・テレビに次ぐ売行きだったとか。これはFM放送網の拡充した50年代後期以来の流行だということである。
何が理由で、今どろFMラジオが急激に売れてきたか。この辺が今年の米国市場のHi−Fi界のアンプの行き方と決して無関係ではなさそうなのである。
そこでFMラジオが今までとどこが違うか。その技術的背景を考えてみよう。昨年末以来のFMラジオは、むろん例外なくトランジスター化されている。そしてその技術を踏台とLて、Hi−Fiメーカー製ラジオは、コンパクトながら、かなり完全な密閉型スピーカー部を備えているのが特長だ。管球式では小型ラジオのスペースの多くはシャシーにとられてしまうが、Tr化されればごく小型の基板以外は全部スピーカーが占められる。
グッドマンのマキシム・タイプのスピーカーは米国でUTCが一手に引受けてマキシマスという名で売っていたが、その売行きは当初における予想を下まわって大したことはなかったが、その技術はモジュラー・ステレオのスピーカーにおいて生かされ、さらに今日、小型FMラジオにおいて真価を発揮しているわけである。
もうひとつ、FMラジオで見逃がされないのは、フロント・エンドへFETを採入れることにより、永年問題となっていた強力電波による過大入力のクロストークの解決である。Hi−FiアンプのFETの採用はスコット社のチューナー・アンプを皮切りにシャーウッド、ケンウッドなどから今日では大部分の製品に採用されているが、これはFETの量産体制が備わった67年における大きな進歩であった。FMラジオの大流行は、「FETの採用により今までのクロストークの問題が解消し、Tr化によりスピーカー・システムを充実させることができ得た」ことが理由だ。
アンプの大きな流れ
米国のHi−Fiアンプを見るとき、FM小型ラジオの著しい売行きからも判断できるように、Hi−Fiレシーバーが今や完全に庶民の実用品となってきている点を見逃がせない。そこで、Hi−Fiアンプのあり方も日本での場合とかなり違っており、その辺のことを了解していないと全般的傾向を判断しにくいいわけである。
今年度のアンプ界における傾向で注目できるのは、マランツ18にみられるような、超一流ブランドによるレシーバー、つまりチューナーつきアンプの出現である。価格700〜500ドルという従来の倍の価格の高級アンプが狙うのはどんな層か。マランツ以外に、マッキントッシュ、アルテック、スコット フィッシャー、さらにソニーからもこの級の豪華型が発表されており、高級アンプはますます高級化、デラックス化の道をたどりつつある。
スコット、フィッシャーなどの場合には、その一連の製品のイメージアップが大きな目的であるが、マランツ、マッキントッシュ、アルテックなどにおいてははっきりした目的があり、それがハイファイ・マニアでないオーソドックスな高級音楽ファン、ないし金持ちの一般市民に狙いを合せた製品であることは間違いなかろう。
これと対照的に一般のHi−Fiアンプ、特にチューナーつきのレシーバーと呼ばれる総合アンプは全般的傾向として低価格の方向に進んでいる。米国でもっとも一般的な名声をもつフィッシャーを例にとると500ドルの700Tの最高ブランドを頂点にしていながら一般向けは200ドル級という、今までにない低価格の200Tと普及化されているのが判る。
ケンウッド、パイオニア、サンスイなど日本製米国向けのアンプにもこの傾向はみられ、これらの製品はそのままの型で日本市場に出ているので如実に見ることができる。ハイファイ産業は今やマニアだけの物でなく一般市民の間に大きく根を下してきているのだ。
日本市場での海外アンプ
米国市場でのデラックス化を反映して、日本に最近入ってきたアンプも多くが超高級品である。30万円前後の高価格だ。マランツ18、アルテック711B、フィッシャー700T。最近発表されたソニー6060やパイオニアの1500T、トリオの1300、サンスイでも同級のものがあるというが、米国市場では全て超豪華型といわれる級だ。
これらのレシーバーは取扱いやすさを考えれば、一般向けという点に焦点を合わせた以外の技術的グレードの点で、今までのプリメイン型よりも高級であるといわれる。
しかし今日の日本における需要層であるマニアの立場からはちょっと物足りない点が多い。たとえば入力端子が、本格的高級機なみにたくさんほしい。またチャンネル・アンプ化のためプリアンプ、メインアンプを独立して使いたいなど、数え上げればきりがない。日本製の高級アンプでは、こういうマニアの要望がほぼ完全に実現されているだけに海外アンプに対する物足りなさは一層だ。
しかし、考えてみると日本のマニアのレベルはおそらく世界一ではなかろうか。チャンネル・アンプにしても日本ではかなり多く実用されているのに、米国市場ではアコースティックX以外の商品はなく、むろんマニアの間でそれが実用化している例も聞いたことがない程度だ。最近では米オーディオ誌の3月号に、チャンネル・アンプの記事がアコースティックXを例としてのっているのが珍らしいほどだ。特にステレオ期以後において、マニアに関しては日本の方が水準が上である。
67年のコンシューマー・レポートの米国市場におけるアンプのテスト・レポートにおいても、日本製アンプがパイオニアの1000TAをはじめ、輸出専門メーカー製などがフィッシャー、スコットとならび、上位にランクされていることからも日本製品のグレードの高さが判ろうというものだ。これは結局、日本のハイファイ需要層の底辺の広さと、そしてマニアの満点の高さが製品に反映しているのだといえる。
ダイナコとクワッド
さて、コンシューマー・レポートといえば、そのトップ・ランクの製品が、米国で低価格製品の異色とされているダイナコであった。
ダイナコはアクロ・サウンドの技術者であったD・ハフナー氏が戦後アンプ・キットのメーカーとしてスタートした独特なメーカーである。この社の製品の高品質ぶりは定評があるのだが、最近、米国市場を湧かしているアンプは次のようなものがある。
マランツ初のチューナー・アンプ〝モデル18〟、マッキントッシュ初のチューナー・アンプ〝1500〟とその改良型〝1700〟、これは終段は球で7591をPPとしたトランスつきだ。そしてこの高級2機種に対してARが初めて出すアンプ、そしてこのダイナコのTr化されたアンプのシリーズ、メインアンプの〝ステレオ120〟と、プリアンプの〝PAT4〟である。
コンシューマー・レポートにおけるダイナコは管球プリアンプ〝PAS3X〟、とTrパワーアンプ〝ステレオ120〟だ。Trプリアンプ〝PAT4〟はすでに一昨年末に発表され、一部の商品が出まわっていたものだが、メーカーとしても「PAT4が必らずしもPAS3Xよりも優れているとはいわない」という微妙ないい方で、その販売に力を入れてることをしなかったものだ。それはTr化に伴いトラブルの予測ないしは実際に起きていたに違いなく、現実に市場に出ていた〝PAT4〟は全製品ダイナコの手で回収されたと伝えられていた。
しかし、昨年、67年暮以来、そのS/Nに関するトラブルも解消し予期の高性能に達したようで、68年度は大々的に〝PAT4〟を売る方針のようだ。
そしてその第一陣はすでに米市場で好評をもって迎えられ、日本でも4月には発売れよう。
〝ステレオ120〟、60/60ワット・パワーアンプとの組合せは、価格を考えると最高品質といわれており、米国でも売行はキットを含めてプリ・メインのトップを行き、ものすごいようである。なおFMチューナーは管球式の従来のFMステレオ・マルチつきがコンビとされている。
日本ではこのダイナコと前後してクワッド・ブランドで知られる英国アコースティカル社のTr化された新型アンプが入ってきた。
QUAD33プリ、303パワーアンプの組合せである。クワッドは日本でハイファイ初期から特に高く評価されており、ファンも多く、人気も高い。このクワッドとダイナコのアンプが、日本マニアの間で当分の間人気争いの2大製品となろうことは明らかであり、またその内容、技術の対称的な点を含めて興味が深い。
QUAD33プリアンプ
回路全体を簡略化、単純化するという点でダイナコと似た構成上の考え方を示しているが、ダイナコが球をほとんどそのままTrに置きかえた構成に対しクワッドはその2ブロックとボリュームとの段間に2つのエミッター・フォロワーのインピーダンス変換回路を挿入し、スイッチ配線に対してのリードのストレイ容量の影響および回路間のマッチングを考慮している、この点がダイナコと差があるだけである。トーン・コントロールが2段にわたるNF型である点、LCによるハイカット・フィルターがプリアンプ最終段にある点などダイナコとまったく同じであるのも興味深い。
英国製共通のパワーアンプがハイゲインなため、プリアンプ出力は規格歪率にて0・5Vと低いが、この構成では1Vの出力においてもなんら差支えないであろう。
ダイナコとの差は写真より判るように、その構造の違いだけといえそうだ。ダイナコのPU入力端子は3つあり、これは回路図よりみられるように入力端子において低レベル入力なみに落されてイコライザーに加えられるような方式をとっており、回路内でのスイッチを含め複雑化を防いでいるが、クワッドのプリアンプでは永年やってきたようなプラグイン・イコライザーの考え方をプリント基板の挿し変えという方式によっている。
これは従来のようにいくつかのイコライザー・ユニットを用意するのでなく、あらかじめ0.5〜2mVまでの低出力、1.5〜6mVまでの高出力、セラミック用の各種のカートリッジのイコライザー、それに予備の端子を具えたプリント板の向きを換えて挿し変えて必要に応じた使い方をするわけである。
テープ・アダプターの方はイコライザーに続くエミッター・フォロワーそのもので、プリント基板裏面にあるスクリューを切換えてテープ出力に応じたレベル・セットができる。このようなクリッピングを考慮した設計はTr化されたセットでは適切なものといえる。
ダイナコのPAT4
「偉大なものはすべて単純である」この言葉はフルトヴェングラーの芸術に対しての名言だが、ダイナコの回路図をみたとき、この言葉を想起した。実に単純きわまりない。片側の構成は4石、それも2段直結の2ブロックという、もっともシンプルな構成である。一般にハイファイ・アンプTr化の最大の問題点はトップの雑音発生である。S/N比を高く保つことがいかにむつかしいか、最高級を謳われるマランツ7TにおいてさえS/Nのバラツキが需要家最大の悩みのたねであった。
ダイナコはこれを、構成を最少滅に喰いとめるという、もっとも当り前なオーソドックスな方式で解決したわけである。たくさんのツマミが好きで、マルチ・スピーカーが好きな変形マニアにはこのダイナコの良さは納得できないであろう。すべて製品は最終的に到達した性能、ハイファイでは、それに加えて出てきた音で判断すべきである。
初めの2石直結ブロックはNF型のイコライザーを構成している。イコライザーはフォノ・テープヘッドおよび特別入力端子の3つが用意されている。直結アンプの前後に入力切換のスイッチがあり、その出力側にモニター・スイッチ、ヘッドフォン・ジャックによる入力端子、簡単なCR型のロー・フィルターが続く。
そのあとにシーソー・スイッチ2個によるステレオ・モード切換があり、ボリューム・コントロール、バランス・コントロールと一連のリード配線を経て第2ブロックの2段直結回路に導かれる。
この2つの直結構成の回路はほとんど同じもので電源B電圧の後段が高いため、動作点も後段が大入力用となっているわけだ。
第2ブロックは、ダイナコ特許の2段構成NF型トーン・コントロールで、すでに管球式PAS3Xにおけるもの。もっと初期のモノ用プリPA1の回路と基本的に何ら変るところがない。BAX型と呼ばれるNF型のトーン・コントロール素子がエミッター・コレクター間の2段にわたって結ばれている。このため全体の中域のゲインは20dB以上あり、しかも従来起りがちの低域の上昇がなまることもなく、超低域上昇特性のよさは、まさにマランツなみを誇るものである。ダイナコ・プリアンプの優秀さの最大の支えとなっているのが、このダイナコ特許の2段NFトーン・コントロール回路であり、Tr化された今日でもこれは少しも変ることなく続いているのをみると、米国製品に珍らしい技術的なしぶとさを感じるのである。
この2段出力段のあとにLCによるハイカット・フィルターが入り、出力端子へと導かれる。低出力インピーダンスのあとのハイカット・フィルターだけに素子のインピーダンスを下げなければならず、コア一に巻かれたインダクタンスを採用したのであろう。出力インピーダンスの十分低いトランジスター回路ではLは管球以上に利用されるわけだ。
ダイナコPAT4の出力は2Vまで規格歪率でおさえられており、むろん電源負荷である点を考えると、規格出力が0.5Vのクワッド・プリアンプ〝33〟よりも独立使用の点で有利であり,またクワッドがヨーロッパ規格のコネクター式入力端子であるのに対し,ダイナコが米国のRCAピン・プラグ入力端子である点も、日本のオーディオ層にはなじみ深く、有利といえそうである。内部配線の米国らしいみてくれを考えない合理的なリードの引きまわし方は、一見弱々しくみえる内部構造とともに,神経のこまかいマニアには納得できないかも知れない。そういう点からはクワッドの測定器なみの組み立て配線の方がはるかに良心的で日本人的センスであるが、出てきた性能はほとんど同レベルと考えてよく、まさに合理主義的米国式か、ガッチリと伝統を守る英国式かという内部構造の点と約2万円近い価格差だけが選ぶ者にとっての導標だ。
岩崎千明
スイングジャーナル 3月号(1968年2月発行)
「新製品試聴記」より
一昨年66年の暮から春先にかけて日本のオーディオ界は新型カートリッジが話題を呼んでいた。もっとも毎年、暮のHiFiセールのシーズンには必ずといってよいくらい国内カートリッジ・メーカーから新型で出るのだが、この66年の春には米国のシュア社からV15の新型であるタイプIIが出たし、その直前にはヨーロッパのカートリッジ・メーカーの雄、オルトフォン社で、5年ぶりに新型カートリッジを出したことが日本HiFi市場にも伝えられていたので、その着荷がファンに待望されていた。
S15と呼ばれたその新型は、春になって発売されたシュアV15タイプIIや、すでに当時すごい評判を得ていたADCの高級品10Eとともに比較されたのは当然である。
しかし、結果はあまりはかばかしいものではなかった。S15は一聴して分る高音域のピークが耳についた。シュア・タイプIIやADCのカートリッジが、最新型らしく超高域までフラットにのびており、ソフト・トーンにまとめられているのにくらべたしかに従来より、よく高音はのびているものの、S15の高音は作られた音を意識させてしまうものであった。しかし世界的なコイル型のカートリッジ、オルトフォンの新型ということで、当初はとびつくように買われたと伝えられている。
だが、それを聞いて誰もが感じるであろう、高音のあばれは、間もなく米国市場においてもいわれる所となり、5月号のコンシューマー・レポート誌の2年ぶりのカートリッジ・テスト・レポートにおいてはっきりと指摘されてしまった。
いわく「ヴァイオリンは金属的高音であり、これは6000サイクルから10000サイクルにかけてのピークが原因である!」
かくて、米市場だけでなく、オルトフォンのS15は敗北を喫してしまったのである。
米国を廻ってきたオーディオ・マニアがよくいう所だが、オートチェンジャーが広く普及している。米国でもやはり高級ファンはオルトフォンのMC型の愛用者が少なくない。そしてオルトフォンの販売を扱う米国エルパ社がシュア社に対する対抗意識はすさまじいほどであるという。
果せるかな、このS15の惨敗の以来6か月で、オルトフォンは再び軽針圧カートリッジを発表した。これが今度のSL15である。S15の惨敗の後をうけて立ったSL15。今度こそはなんとしても、絶対に負けてはいられないのである。ムービング・コイル型の名誉と栄光を担ってデビューした新型なのである。
SL15は、実はS15のみじめな後退にすぐ代って出たことが伝えられていたが、実際に製品が日本市場に着いたのは97年押しつまった頃であった。
そして、この背水の陣のデビューは、多くのプロフェッショナルの方々に絶賛を浴びてまずは幸運なスターとを切ることができたのである。
「オルトフォンの迫力と輝きを失うことなく、広帯域化に成功した」「新しい時代のハイファイ・サウンドをオルトフォンらしい音の中に実現することに成功した」というこの多くの賛辞はすべて事実であり、しかもこのSL15の価格は、従来のオルトフォンSPUシリーズよりも、10〜20%低価格であることともに、売れ行きも急上昇しているという。
オルトフォンのカートリッジの最大の難点と思われるのは、従来からいわれていることだが、製品にばらつきが多い点にあるようだ。
音色の微細な点、最適針圧などだが、今度のSL15においてはこの唯一の難点すらも遂に乗り越えているのはさすがである。これは従来より量産体制が確立していることを物語ろう。そしてこの事実を、日本のカートリッジ・メーカーは果してどのように受け止めているだろうか。
国内メーカーのMC型カートリッジとオルトフォンSL15との価格差は20%にも満たないほどだ。世界的なオルトフォンの実力ぶりを発揮しているこのSL15は日本の市場での成功がすでに約束されているといえるが、これに対する日本メーカーの出方が気になることである。
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